孤独のことなど
北條民雄



 ──美しいものは一番危つかしい。一番こはれやすい。その上一番終末的でさへあります。だから美しいゆゑに切ないものは、一番毅然とせねばならない。一歩どちらかへぐらつけばそれは忽ち甘くなるか、又は感傷になる──これは保田與重郎氏が川端康成氏の芸術を評した時の言葉であるが、私はこの一文を読んだ時、ああと溜息をつき、このやうに美しいものがこの世の世界にあるのかと、頭をあげ瞳を輝かせたのであつた。けれど、それは私の世界から遠く、夢を隔てた彼方であつた。

 昨夜も友人の一人は私を評して冷たいと云ひ、もう一人は、皮肉に君の眼は冷たく光つてゐると云つた。この二人の友の言葉を、私はどうして否定出来よう。事実私はどんな親しい友と語る時でも、不幸に打ちくだかれた可憐な少女を見る時でも、決して相手と感じを共にし、嬉しさや悲しみを共に味ふなどいふことはまるで出来ず、ひたすら己の理智の鏡を曇らせまいと努力し、私かに観察の矛を鋭く砥ぐ以外に何も知らぬ、これは、幼い頃に母を失ひ、愛情の優しいあたたかみを知らぬ私の、性情の奥深く潜んでゐる冷たい心の故であらうけれど、一面又私の触れる世界の雑駁さが映るためであると云つたとて、私は決して自分をやましいと思ひはせぬ。私の冷たさは現実の冷たさであると云へば、詭弁を弄すると人は云はう。けれど私の心の中を去来する激しい孤独を理解されたなら、私の心の奥底にも、愛情の柔かみを憧れ、美しいものを求めてやまぬ苦悩にも頷いてくれよう。

 ここ数日来友人の許へも行かず、仕事が終れば瞑想に時を過す日が多い。所詮自分は孤独であると自覚した為である。入院以来半年を過ぐる間、私は種々の人々とも交り、その一人びとりに何ものかを求めて、熱情をこめて語り合つたことも再々ではないが、何時の時も彼等は私より離れて遠く、時に近より、互の感情がぴつたり合つたと思はれる時ですら二人の間を貫く何者かが、私を苦しめ、それをのり越えようとする努力も空しく、果てはひどい寂寥に襲はれて息をつめるやうな切なさを覚えねばならなかつた。幼少の頃より孤独であつた私にとつて、それは運命的なものなのだらう。も早私にとつて孤独が避けがたいまでのものとすれば、この孤独に突き進んで行く以外に何があらうかと、考へても見るのである。

 ──あなたのやうなお気持もつともと思ひますが、現実を生かす道も創作の中にありませう──と川端康成氏から戴いた手紙の中に書かれてあつた。これを読んだ時私は、なまな川端氏の姿を感じ、保田氏の文章に於て示された高くきびしい美しさと、孤独に満ちた氏──川端氏の随筆を想ひ起して、激しく心を打たれたのであつた。その時こそ覚悟を定める時であつたけれど、尚自らを信じ得ぬ弱さが私を引きずり、現在まで覚悟らしい決意を持ち得なかつた不甲斐なさに責められて、私は今日こそ明瞭はつきり覚悟をする。

 美しいものへの憧れも、高くきびしい感激も、私にとつて創作の世界以外に満してくれるものが他にあらうか。創作の世界に突き進む私の意志が、現実を見る眼にも、きびしく美しいものを示してくれよう。現実の中にきびしく美しいものを求めるそのことが、それを生かす道であらうと、私は思ふ。

 ここまで書いて印刷所へ仕事に行つたが、薄暗い鉛の谷間で、拾ふ一字一字の活字を持つ手がふるへてならぬ。心に溢れた激情の故で、果ては頭が痛くなり、仕事半ばで帰らねばならなかつた。久しく味ひ得なかつた嬉しさが全身をつつんで了ひ、私は何時の年にも勝つた感激を込めて、今年こそは、と心に誓つた。

──一月二十一日──

底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社

   1980(昭和55)年1220日初版

入力:Nana Ohbe

校正:伊藤時也

2010年912日作成

2011年415日修正

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