職業(教訓劇)
岸田國士



ある新劇団の稽古場。


正面に黒の無地幕。部屋の中央に一脚のベンチ。ほかの家具類は悉く片隅に寄せてある。そこには、椅子卓子テーブルなどの外に、若干の小道具──乳母車、バケツ、洋刀、パラソル、三脚、毛布などが纏めて置いてある。右手に柱時計。


数名の男女俳優(又は研究生)が、思ひ思ひの姿勢で雑談を交してゐる。


男優B  本を読むと、どんなもんでもみんな台詞せりふにしたくなるね。

女優B′  役者になりたてはそんなもんよ。

男優B  ぢや、君もおつつけ、さうなる組だ。

男優C  僕は、一昨日をとゝひの晩、あれ見に行つたよ。

女優C′  十人座でせう。どこか新鮮なところがありやしない。

男優B  新鮮でも未熟な果物くだものは腹をこはす。

女優C′  あたしは、新劇を見ると頭痛がするの。

男優B  さういふ症状もある。

女優B′  (台詞の調子で)……「あたし、誰かと騒ぎたいな。新しい着物を着たせゐかも知れないわ。ねえ、なんかして遊びませうよ。あんた、村へ行かうておつしやつたわね。行きませうよ。行きたいわ、あたし……舟へ乗りませうね。草の上でお弁当をたべたり、森の中を歩いたり……。今夜は月がいゝかしら……。あら、変ね、あたしのあげた指環、はめてらつしやらないの……」

男優D  「なくしちやつた」

女優B′  「だから、あたしが拾つたの」

男優C  し物はまあ、あれでいゝさ。たゞこつちで練習用に使つてるとも知らずに、のめのめと舞台へ掛けたもんだから、可哀さうに、あらが丸見えだ。

女優D′  稽古不足なのね。

男優B  あの稽古ならいくらやつてもおんなじさ。

男優C  芝居をしてる本人たち、あれで面白いのかしら……。

男優D  子供は玩具おもちやをやらなくつても遊ぶもんだ。

女優B′  (また台詞の口調で)……「おゝ、神様、なぜあなたは、真実そのものに譃をおつかせになるのです……」

女優C′  ……「どうぞ、そんなお話はおやめ下さいまし。それよりも、お天気のお話を、花のお話を、あなた様のおぐしやわたくしの帽子の話をいたしませう……」

男優E  (次の部屋からはひつて来て)「さうだ、なんでもお前の好きなものの話をしよう。わしが生命いのちよりもいとしく思ふその清々すが〳〵しい微笑ほゝゑみを消さずに、お前の唇のうへを通るものなら、それこそ、どんな話でも聴かう……」

女優D′  まづいなあ。


この時、別の入口から、男優Aがはひつて来る。一同起ち上つて会釈する。


男優A  今日の科目は即興劇……これで、今学期は終りだから、少しむつかしい問題を出す。今迄やつた即興劇は、大体筋書をきめ、役もいちいち振り当ててやつたんだが、今日は、筋書もないし役割もその場で自分が作るやうにするんだ。つまり、めいめいが勝手に「ある人物」になる。そしてお互ひに協力して筋を仕組んで行く。これは一定の目標がないだけに、各人の想像力を存分に発揮できるが、また一方、脈絡を失ふ恐れがある。そこは、できるだけ当意即妙の精神を働かして、ひと通り辻褄を合せるやうに注意しなけれやならん。

 便宜上、二三、規定を作つておく。

一、一人の人物は少くとも五分間舞台にあるべきこと。特別の場合を除き、十分間以上舞台にとゞまるべからず。

二、ある人物が登場する時機は、それぞれ自由なるも、故意に舞台をぜ返すやうな出方は慎むべきこと。

三、必要に応じ、次の人物の登場を促すことあるべし。その合図として、余は咳払ひをなす。

四、時間は凡そ三十分。幕開き幕切れは、いつもの通り、自分が手を叩く。新井君がまだ来てないね。ぢや始める。登場の順は、男がABC順、女はその逆順……。

男優B  ちよつと、その時間の範囲内なら二度出てもかまひませんか。

男優A  むろんよろしい。その代り責任が大きくなるよ。(一同私語す)静かに……。(手を叩く)


みんなが尻ごみしてゐるので、男優A自ら進み出る。


男優A  (腕時計を見ながら)遅いなあ。何を愚図々々ぐづ〳〵してるんだ。相談があるといふからわざわざ出かけて来たんだ。おれの方から呼び出したんぢやない。日曜日午後二時、日比谷公園の池の縁のベンチなんてまるで二十年前の小説ぢやないか。(腰をおろす)

女優D′  (乳母車を押して登場)あゝ、暑い暑い。坊や、まだねんねしないの。かあさんはもう草臥くたびれちやつたよ。どら、この辺でちよつと休ましておくれ。そうら、噴水が見えるでせう。

男優A  まあ、こゝへお掛けなさい。お丈夫さうなお子さんですね。

女優D′  いゝえ、もう、弱虫で困りますの。毎日外の空気を吸はせたらつてお医者様がおつしやいますんですけれど、此処まで参りますのに、あたくしがひと苦労なんですの。此処まで参りませんと、空気らしい空気がございませんし……。

男優A  なるほど。お宅は、そんなに御遠方ぢやないんでせう。

女優D′  桜田本郷町でございます。

男優A  僕の友人が一人桜田本郷町にゐるんですが、まだたづねたことはありません。なんでも、やはり、これくらゐの第二世がゐる筈です。さう云へば……失礼ですが……お宅の御主人は……。

女優D′  あの、商売の方でございますか。

男優A  えゝ。

女優D′  あの……西洋家具をやつてをりますんです。

男優A  菱刈さんとおつしやるんでせう。

女優D′  菱刈……信行と申します。あら、どうして、それを御存じでらつしやいますの。

男優A  不思議でせう。さつき僕の友人が桜田本郷町にゐると云つたのは、その菱刈君のことですよ。

女優D′  でも、それがどうして……。

男優A  この坊つちやんを一目ひとめ見ればわかります。

女優D′  これで、女の子なんでございます。

男優A  女の子は男親に似るもんです。僕はもう五六年菱刈君と会ふ機会がないんですが、相変らず元気ですか。

女優D′  はあ、お蔭さまで……相変らず瘠せてはをりますけれど……。

男優A  そんなに瘠せてましたかねえ。僕より瘠せてますか。せいは高いはうでしたね。

女優D′  普段こゞんでをりますけれど、ちやんと計れば五尺五寸たつぷりございます。

男優A  さうでせう。あゝ、僕は飯沼です。名前は多分御存じだと思ひますが……。

女優D′  あゝ、あの飯沼さんでいらつしやいますか。そんならもう、絶えず主人から、……あら、どうしませう……あたくし、こんななりをして……。

男優A  結構です。菱刈君が美しい細君を貰はれたといふ話も聞いてはゐたんですが、いや、こつちこそ。どうも失礼しました。

女優D′  こんなこと申上げていゝかどうか存じませんけれど、なにしろ、かういふ時節柄でございませう。あれこれ工面をしなけれやならないと見えて、主人は昨晩も大阪の方へ参りましたんです。全く、商売なんて心細いもんでございますわね。

男優A  心細いのは御同様です。菱刈君は、しかし、何をやらしても大丈夫な男ですよ。僕は、さう思つてます。機を見る明と云ひますか、昔から先生は、眼のつけどころが違つてましたね。

女優D′  おやおや、あの人が自分で少し、さういふ自信でも持つててくれるといゝんですわ。あら、坊や、何をお口へいれたの……。いやしいことしちや駄目ですよ。さ、そろそろお家へ帰りませう。狭いところでございますけれど、ちつとお遊びにいらしつて下さいませ。

男優A  そのうちに是非……あ、奥さん、名刺をあげておきませう。今ゐるところです。はい、嬢ちやん、あんた持つてらつしやい。食べちやいけませんよ。


女優D′会釈して去らうとするところへ、男優Bが登場。


男優B  (女優に向ひ)なんだ、お前そんなところにゐたのか。(男優Aに)おや、君は飯沼君ぢやないか。

女優D′  それがね、あなた……。

男優A  僕が此処で人を待つてると、一人の婦人が、可愛い赤ん坊を乳母車に乗せて、偶然前を通りかゝつたんだ。君の細君だと知つて僕は全く驚いたよ。

男優B  さうだらう。偶然なら偶然としておかう。君はこの女に何か用事があるのかね。

男優A  君の細君と知つたから、話をしたまでだ。それがわるいとでも云ふのかね?

男優B  馬鹿野郎! 飽くまで人を侮辱する気だな。こいつの顔におれの女房だつていふ貼札でもしてあつたか。やい、貴様たちは何時いつからこんなところで会つてるんだ。

女優D′  随分ひどいことおつしやるのね、あなた。今日はじめてお目にかゝつたんぢやありませんか。

男優B  お前はだまつて家へ帰れ。

女優D′  いゝえ、帰りません。飯沼さんが御迷惑ぢやありませんか。

男優B  それみろ、もうこの男を庇ふ気でゐやがる。よしよし、おれが飛行機で帰つたのは、これこそ天の配剤だ。お前にはもう用はない。早く帰つて、からだの始末を考へろ。

女優D′  そんなこと云つて、後で後悔しないでせうね。

男優B  後悔したらしたで、またそん時の話だ。

女優D′  (立ち去りながら)知りませんよ。あたしは、今日限り家を出て行きますから。ねえ、坊や……これから母さんと二人で、もつともつと楽しく暮しませうね。

男優A  (後を見送つた後)さあ、男同志の話だ。冷静に解決をつけようぢやないか。文句があるなら云つてみろ。

男優B  貴様は、おれの女房と知つて、それをこんなことにしてしまつたんだな。

男優A  想像にまかせる。

男優B  此処以外の場所で会つたことがあるか。

男優A  それも推察に任せる。

男優B  卑怯だぞ。はつきり返事をしろ。

男優A  ぢや、こつちからたづねるがね。君は、どういふ証拠をつかまへて、そんな詰問をするんだね?

男優B  証拠がなけれやいかんと云ふのか。そんなら、そつちこそ、さうでないといふ証拠をみせろ。

男優A  お安い御用だ。一番たしかな証拠と云へばなんだ? これこれを出せと云つてみてくれ。清浄潔白な証拠といふものが、なにかある筈だ。さあ、遠慮はいらん。なんなりと註文してくれ。

男優B  最近、ほかの女から来た手紙でも持つてるか。

男優A  生憎あいにく持つてる。持つてるが、そんなものが証拠になるかね。同時に幾人もの女を持つてるといふ例もあるしね。

男優B  女房の名前を云つてみろ。

男優A  僕のかね?

男優B  いゝや、おれのさ。

男優A  そいつをいとくのを忘れた。僕は、あんまり、女の名前なんかに興味はないんでね。貞子さん……それとも、操さん……違ふね。郁子さん、すま子さん、芳江さん、ゑみ子さん、加代子さん、とし子さん、れい子さん。……どうだね、まだかね、弥生さん、君子さん、常子さん……。

男優B  それだ。

男優A  これか、常子さん……。

男優B  わざと知らん振りなんかするな。

男優A  常子さんか、覚えとかう。

男優B  おい、飯沼、頼むからほんとのことを云つてくれ。

男優A  おれの云ふことがほんたうかどうか、誰がそれを判断するんだい。

男優B  おれが判断する。

男優A  その頭で判断はむつかしからう。まあ、今夜ゆつくり考へてからにしろ。おれは逃げも隠れもしない。おれの今ゐる家は君の細君が知つてるよ。

男優B  何がなんだかわからん。おれは、急用ができて、今大阪から帰つて来たんだが、さういふ時、家に子供がゐないと、がつかりするんだ。すぐに顔を見ないと、つても坐つてもゐられない。日比谷と聞いて飛んで来た。すると、女房の奴が、こんなところで……。

男優A  男と媾曳あひびきの最中……。

男優B  黙れ。おれに何をする勇気もないと思つてるんだな。


この時、女優C′が登場し、そつと二人の後ろに廻り、男優Bの頭を抱くやうにして、両手で眼かくしをする。


男優B  (虚をつかれ)だあれ?

男優A  ぢや、僕はこれで失敬しよう。(起ち上る)

女優C′  (驚いて)いやな人! そつちにゐたの。後ろ向きだつたから間違へたのよ。そんなに怒らないだつていゝぢやないの。随分待つた?

男優A  なに? 僕が君を待つてたつて云ふのかい。冗談云つちやいけないよ。君は一体、なんだい。女には違ひないが、何をする女だい?

女優C′  あら、なにをする女は御挨拶ね。ぢや、人違ひかしら……? あたし、この頃、どうかしてるのよ。(男優Bに向ひ)あなた、あたしを待つててくれたんでせう。

男優B  うん? あゝ、さうとも……まあ、掛け給へ。誰かと思つたら、君か。さつきから、どうも君ぢやないかと思つてたんだ。久し振りだね。手紙ついた?

女優C′  なに云つてるの。昨日きのふ会つたばかりで、久し振りだとか、手紙ついたかとか、いやだわ。あたし、たうとう、あのうち出ちやつたの。

男優B  あゝ、さう……出ちやつたの。それやよかつた。

女優C′  よかないわよ。今日から浪人よ。どうかして頂戴よ。


男優A、その辺を歩きまはつてゐたが、やがて


男優A  ぢや。菱刈、また会はう。失敬。

男優B  (何事もなかつたやうに)やあ、失敬。

女優C′  やあ、失敬、お気の毒さま。

男優B  (Aの立ち去るのを見送つた後)こゝもなかなか暑いね。

女優C′  夏だわね。冬と夏とどつちがいゝかしら……。

男優B  君は……?

女優C′  どうしたの?

男優B  僕、会つたことあるかしら?

女優C′  ないわよ。

男優B  ないね。

女優C′  すると、どういふことになるの。

男優B  僕は、少し疲れてるんだ。

女優C′  あたしも疲れてるわ。

男優B  真似まねをするのはよし給へ。

女優C′  帰つて寝ようつと……。

男優B  誰とね。

女優C′  余計なお世話よ。その台詞せりふ、なんかにあつたわよ。

男優B  (起ち上り)あゝ、草臥くたびれた……。


伸びをしながら、男優B退場。

男優C、三脚を持つて登場。やがて、画家が写生をする恰好で、しきりに右手を動かしはじめる。

女優C′は、はじめなんのことかわからず、もじもじしてゐるが、遂に、画かきの周囲をぐるぐる廻りはじめる。


男優C  ちよつと、君、そんなとこをうろうろしないでくれ給へ。邪魔になるから……。

女優C′  だつて、こゝは誰が歩いたつていゝとこでせう。

男優C  歩くところはほかにいくらだつてあるだらう。僕がなにをしてるかわからないのか。

女優C′  ふん、それで絵を描いてるつもりなんでせう。よく恥しくないわね。

男優C  (黙つてゐる)

女優C′  (ベンチに腰をおろし)あゝあ、どうしてかう、誰もかれもらしてるんだらう。人に食つてかゝりさへすれや、運が向いて来るとでも思つてるのかしら……。

男優C  (カンヴァスを遠くから眼を細めて眺める恰好をし)人物にはだんだん興味がなくなつて来た。


長い沈黙。

男優A、咳払ひをする。女優B′登場。


女優B′  (女優C′に向ひ)飯沼さんつてかたにはもうお会ひしたの? なんておつしやつたい? まさかあんたの註文通りには行かなかつたらう。

女優C′  (しばらく考へて、急に、しくしく泣き出す)

女優B′  泣いてちやわからないわ。兎に角、あんたの気持を伝へたことは伝へたんでせう。うまく云へて? ねえ、静ちやん、姉さん、気が気ぢやないのよ。

女優C′  あたし……あたし……もう駄目だわ……諦めるわ……。

女優B′  感じないのね? それとも、なんか理由があつて、世話は出来ないつていふの。どつちなのよ。

女優C′  それがね、あたしの顔を見ると、いきなり、かう云ふのよ──「君は誰だい。会つたこともない僕に何の用があるんだい」つて……。誰か都合のわるい人がそばにゐたからなのよ。

女優B′  面倒臭い男ね。そんならどう、静ちやん、あんた、いつそ結婚しちまはない?

女優C′  あの人と?

女優B′  誰とでも……。姉さんにまかしなさいよ。あんた、男らしい男が好きなんでせう。

女優C′  (うなづく)

女優B′  風采なんか、まあ、どうだつていゝわね。

女優C′  (考へる)

女優B′  一人、心当りがあるの。

女優C′  (B′の顔を見る)

女優B′  それが画かきさんなのよ。

女優C′  (眼をみはる)

女優B′  (C′の耳もとに口を寄せ)そら、そこで絵を描いてる人……。黙つてらつしやい。上手だか下手へただか知らないけど、あの一所懸命な恰好をごらんなさい。真剣味があるぢやないの。男はあれでなくつちや駄目よ。

女優C′  ぢや、話を進めてみて頂戴よ。

女優B′  (つかつかと男優Cのそばに進み寄り)あの、失礼でございますけれど、ちよつとお伺ひいたします。実は……。

男優C  なんですか。

女優B′  あの、先生はお弟子さんをおとりになりませんのでせうか。

男優C  僕はまだ修業中ですから、弟子なんか……。

女優B′  いゝえ、どういたしまして……それだけ立派なものがおできになれば、帝展でも院展でもわけなくお通りになりますわ。わたくし、一人妹がをりますんですけれど、子供の時分から絵が好きで……あんなに恥かしがつてますわ。それやもう、わたくしの口から申すのも変ですけれど、ちやんとした先生にお仕込み願つたら、きつと物になるだらうと思ひまして……はあ。つきましては、これと云つて、先生方にお近づきもございませんし、今日、幸ひかうしてお仕事を拝見させていたゞきましたのも、何かのお引合せかと存じますので、はあ、是非、ひとつ、わたくしどものお願ひを、お聴き入れ下さいませ。妹は、あゝ見えて、まだ十九なんでございます。先生もまだお若くつていらつしやいますわね。

男優C  僕、二十六です。

女優B′  あら、丁度よろしうございますわ。(女優C′に向ひ)ちよつと、静ちやん、こゝへいらつしやい。先生にお引合せしとくから……(女優C′と男優Cとが、今更らしく会釈を交す)いゝわね、静ちやん……なんでも先生のおつしやる通りにするんですよ。

女優C′  えゝ。

女優B′  先生はまだお一人でいらつしやるんだらうから、身の廻りのお世話なんか、よく気をくばつてね。

女優C′  えゝ。

女優B′  (男優Cのシャツを指し)このおシャツなんかも、明日お天気だつたら洗濯をして差上げなさい。

女優C′  えゝ、わかつてるわよ。

女優B′  では、まあ、どうかよろしく……。お話が後先あとさきになりましたが、先生、お住居すまひはどちらでいらつしやいます?

男優C  別にきまつてをらんです。

女優B′  と申しますと……。

男優C  友達のところをぐるぐる泊つて歩いとるんです。

女優B′  それはそれは……。ねえ、静ちやん、そこはなんとか後で御相談なさいよ。では、あたくし、ちよつと買物がございますんで……。いづれまた更めて御挨拶に……。

男優C  さうですか。


女優B′退場。

女優C′、男優Cの方をそつと見て、笑ひかける。

男優C、突然、呻き声を立てて、その場に倒れる。


女優C′  (駈け寄り)あらあら、どうしたつていふんだらう。病気なのか知ら……。ねえ、どこかわるいんですか。おや、もう死んでるわ。

男優C  死んでやしない。

女優C′  生きてるわ。

男優C  苦しいんだ。

女優C′  ぢや、待つてらつしやい。今お医者を呼んで来てあげるから……。

男優C  お医者ぢやなほらない。

女優C′  あたしならなほせる?

男優C  君の姉さんでなけや駄目だ。

女優C′  あゝら、あきれた人ね、あんたは……。(男優Cの腰を蹴つ飛ばして退場しようとする)


男優D、洋刀を提げて登場。


男優D  その女、待てツ!

男優C  (絶え入るやうな呻き声。やがて、ぐつたりとなつてしまふ)

男優D  (女優C′の腕をつかみ、そこに引据ゑる)この男は、お前のなんだ。

女優C′  先生ですわ。

男優D  先生? 先生をやつつけたのか?

女優C′  やつつけたわけぢやないんですけど……。

男優D  やつつけとつたぢやないか。これみろ、虫の息だ。いや、もう呼吸いきはしとらん。何処を蹴つた?

女優C′  何処だつていゝぢやないの。うるさい。放して頂戴よ。あたし、もう帰る時間なのよ。

男優D  帰る? 何処へ帰るんだ? お前の今夜の宿は、おれが取つてやる。兎に角、一緒に来い。

女優C′  あんた、偽巡査でせう。

男優D  (片手を口にもつて行つて呼子を吹く真似まね)ついて来たらわかる。(またピリピリピリ)


男優A、手を叩く。


男優A  そこらで幕にしておかう。初めてとしては、まあそんなもんだらう。何時いつも云ふやうに、想像の範囲がまだ狭すぎるから、これはお互ひ、もつと伸びのびと空想を働かす必要がある。ちつとは羽目をはづしてもかまはん。最初に筋の発展といふことを云つたが、それは即興劇の本体ではない。云はゞ玉蜀黍のしんみたいなものだ。弾力と自発性に富む俳優個々の性能が、劇的感覚にうつたへる特殊な魅力になることはこれまで云つた通り。(この時、女優A′が、遅れてはひつて来る)よし、遅れて来た罰として、君、そこへ出て、即興劇をやり給へ。相手を一人、誰か……さうだ、木谷君、君相手役になつて……。(木谷君と指名された男優Eは頭を掻く)

女優A′  先生、筋は……?

男優A  筋は自分で作る。

女優A′  あら……。

男優A  あらぢやない。今日けふはみんなそれでやつたんだ。さ、始めた。(手を叩く)


女優A′  (しばらく舞台の上を往つたり来たりしてゐる)

男優E  (登場して)どうもお待たせいたしました。この森の中なら、誰も気づくものはございません。どんな秘密でも、どんな恐ろしいたくらみでも、世の中に知れる気づかひはございますまい。

女優A′  なにも秘密な話だからつて、そんな時代めいた口調にならなくたつていゝだらう。当節、お前のやうな男は流行はやらないよ。まごまごしないで、こつちへおいでよ。

男優E  はい。でも奥様、万一の用心に、私は、この木の蔭にかくれてお話を承りませう。奥様のお声と、鳥の声とは、どうやら聞き分けられさうでございます。(うづくまる)

女優A′  当り前ぢやないか。梟と間違へられてたまるもんか。しかし、いざとなると云ひ出しにくいね。お前、大概、察してるだらう。

男優E  察しろといふお許しは、まだ出てをりませんやうに考へますが……。

女優A′  ぢや、許すから、云つてごらん。

男優E  では、恐れながら、申上げます。あの、殿様をひと思ひに……。(はッとして)声が大きうございますか。

女優A′  小さくつて聞えないんだよ。

男優E  あの、わたくしのやうな不束者ふつゝかものでも、奥様の御意に叶ひませば、命に代へて御奉公をいたさうと覚悟いたしてをります。水の中、火の中はおろか、天井裏、床下、さては、お靴下の底でも厭ひません。玉の肌、露の滴、夢は千里を駈けるらん。

女優A′  その志はうれしいけれど、生憎あいにく、見当がはづれてるよ。それはまあそれとして、あたしが頼みたいことといふのは、お前さんは当家の執事なんだから、職務がら、ひとつ、御前ごぜんを欺して、見込のない事業か何かに、財産をすつかり注ぎ込まして欲しいの。家屋敷は無論、人手に渡す覚悟で、思ひきり大きくやつておくれよ。あたしは、御前ごぜんと二人で、裏長屋に住んでみたいの。

男優E  それで、わたくしは……。

女優A′  帳面でもなんでも誤魔化すさ。あとで困らないやうに刎ねられるだけ刎ねてお置き。あゝ、こんな生活はいやいや。せめて、暑さ寒さが身にこたへ、水一杯、お粥ひと啜りがおなかにしみるやうな暮しをしてみたい。

男優E  仰せではございますが、これをわたくし、そのまゝ御前ごぜんのお耳に入れる所存でございます。御立腹なさいませうな。──しからんことを云ふ。よし、すぐにも、あの女、暇を出せ、籍を抜け、裸にして追ひ返せ、かう、例によつて……。

女優A′  続けさまにおつしやるといふのかい。さうしたら、あたしは、お前さんがさつき云つたことを申上げるよ。玉の肌とは一体、なんのことでございませうつて……。

男優E  これはなこと……。御前様ごぜんさまは、大きくおうなづきになります。

女優A′  そして、お前は、お手討だ。

男優E  如何いかがでございませう。お互ひに逃れられぬ運命、この辺で、妥協の道はございますまいか。

女優A′  喉がかはいたよ、あたしは。

男優E  畏まりました。あの音はたしかに泉の音でございます。ひと走り、確めて参りませう。

女優A′  なに、あたしも一緒に行くよ。

男優E  そこはおあぶなうございます。野茨が茂つてをります。さ、こちらをお通り下さい。(案内をする身ごなし)お待ち遊ばせ。只今、わたくしが場所をこしらへます。お召物をお濡らしにならないやうに……。どれ、お先へ、お毒味をいたしませう。いや、これはつめたい。水道の水とは比較になりません。天然のアイスオーターでございます。

女優A′  さあ、おどきよ。見てないでいゝから、お前あつちを向いといで!(しやがんで清水に口を当てる真似まね

男優E  (首だけをそつちに向け)思ひがけない天女の口づけ、森の泉は……。

女優A′  (急に顔を上げたかと思ふと、口に含んだ水を、いきなり男優Eの面上に吹きかける)

男優E  (平然として)待てば海路の日和、旱天の驟雨にはかあめなさけは人の為めならず……。


男優A、手を打つ。

女優A′と男優Eとは、笑ひながら握手。


男優A  大分苦しかつたな。これから、今日の成績について、合評会をやる。その前に、われわれ俳優が、第一に考へなければならないことがあるから、それを云つておきたいと思ふ。抑も俳優は、脚本の奴隷であつてはならん。これは勿論であるが、そのことを弁へながら、往々にして、われわれは、脚本作者の与へるものに信頼しすぎ、これの助けなしには芝居が打てぬと考へてゐる。イプセン、チェエホフの天才は暫く問題外とする。当今われわれの周囲に、どれほどの作者、真に作家らしき作家がゐるか。待て! われわれは、まだ、自分の手で作り出さなければならぬもの、また作り出し得るもの、自分の畑でみのらすべき種を、悲しい哉、悉く彼等作者に仰いでゐるんだ。人生のほんの表面の意味、人間の平凡な心理、世相の僅かな観察、そして、舞台の、あの狭い舞台のからくり、それさへわれわれはまだ掴んでゐないのだ。──君たちの書くものぐらゐ、われわれにだつて書けるぞ、かう云へなければ、今日、日本の芝居は面白くなりつこはない。その上で、ほんたうの、専門的な、戯曲家らしい戯曲家の出現を待てばいゝのだ。では、始めよう。

女優A′  先生、ちよつと、質問をさせて下さい。

男優A  なんだ。

女優A′  俳優つていふものは、どこまで行つても、自分が自分でないやうな気がいたします。それを思ふと、あたくし、泣きたくなりますの。人にめてもらつた人物になるんでもなく、人の書いた台詞せりふを云ふんでもない、今日のやうな場合でも、自分が何処へ行くのかわからず、一言ひとこと喋舌しやべつた後で、何をしでかすかわからないんですもの。

男優A  その疑問は、いづれ、見物が解決してくれるよ。河野君、君から先づ、気のついたことを云つてみ給へ。

女優D′  あたくし、胸がどきどきして、なんにもわかりませんでした。

男優A  困るな。ぢや、遠山君……。

男優C  僕も、誰がどうだつたかよく覚えてゐません。自分のことで頭がいつぱいでしたから……。

底本:「岸田國士全集6」岩波書店

   1991(平成3)年510日第1刷発行

底本の親本:「職業」改造社

   1934(昭和9)年517日発行

初出:「文芸春秋 第十一年第八号」

   1933(昭和8)年81日発行

入力:kompass

校正:Juki

2008年515日作成

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