かへらじと
日本移動演劇連盟のために
岸田國士



時  昭和十四年初夏より同年の晩秋にかけて


処  関東地方の小さな町


人  志岐行一 二十五

  ふく 二十  行一の妹

  きぬ 四十五 行一の母

大坪参弐 二十四

  大五 六十  参弐の父

飯田虎松 四十二 町長代理

角崎九蔵 三十八 在郷軍人分会長

北野守男 四十五 国民学校々長

上島 通 二十五 農事試験場技手

結城正敏 四十二 予備陸軍少佐

小菅三郎 二十五 郵便局員

柏原 茂 二十九 青年学校教員

三雲日了 二十八 僧侶

川添 基 三十  薬雑貨商

矢部新助 二十六 運送業

巽比良久 二十四 養鯉業

高木千代 二十  女子工員

稲葉明子 二十三 旅館の娘

其他 青年男女


第一幕


神社の境内。拝殿は見えないが、恐らく右手の杉樹立を隔てた高みにあり、一段低く地ならしをした広場が舞台となつてゐる。遠景は遥かにひろがる平野を望んでその尽きたところに一連のなだらかな山脈。初夏の払暁である。露にゆれた明暗さまざまの緑をつゝむほのぼのとした光。

遠く、汽笛、貨物列車の音で、幕あく。


小菅三郎、ワイシャツ姿で、巻脚絆をはき、詩集らしいものを読みながら、右手より現はれる。後ろ向きに木の根元に腰をおろす。

矢部新助、青年団服に前掛といふいでたち、棒杭と藁縄の束をもつて左手より現はれる。


矢部  なんだ、まだ誰も来てないのか。

小菅  (そつちを振り返つて)おれが来てる。

矢部  (はじめて気がついたやうに)お前は勘定にはいらん。

小菅  はゝあ、運送屋万能時代か。ところで、志岐のところへ赤紙が来たの、知つてる?

矢部  ほんとかい? 何時?

小菅  昨夜ゆうべさ。お前と一緒かと思つたよ。


巽比良久、コールテンのズボン、メリヤスのシャツ、十七八の青年二人を連れて、右手より現はれる。

青年はおのおの棒杭と藁縄をもつてゐる。


矢部  おい、おい、志岐一等兵応召だとよ。今日は来られまい。

巽  あゝ、それでわかつた。今、拝殿の前で神妙に頭をさげてたよ。あんまり何時までも動かないから、声をかけようと思つたんだが……奴さん、後のことが心配だらう。

矢部  おれたちはなんのためにゐるんだ。下らんこと云ふなよ。すると、あと、誰だれだ?

小菅  参ちやんと、柏原さんと、蓮華寺の和尚と、対明館のお明さん。

矢部  対明館のお明さんか。世の中も変つたなあ。(時計を見て)さあ、もうあと三分だ。罰金は誰が出すか。


三雲日了、汗を拭きながら、右手より現はれる。


日了  寺の時計はどうもよく狂つていかん。まだ、時間にやなるまい。

巽  あぶないとこだ、和尚さん。

日了  しめ、しめ。罰金は厳重に取立てようよ。

小菅  賛成だよ。

矢部  志岐君の応召、知つてますか?

日了  知らん。さう云へば、あすこの家は、あと女二人つきりでどうするかな。おふくさんは工場へでも出るんだな。

巽  ふくちやんはなんだつてやるよ。


柏原茂と、稲葉明子、これも汗を拭きながら左より現はれる。柏原は国民服、明子は、わりに派手な銘仙にモンペイといふ姿。


柏原  途中で稲葉さんと一緒になつたもんだから、時間の計算が狂つちまつた。

明子  さあ。あたしのせゐかしら。

柏原  うそだ、うそだ。

矢部  ぢや、罰金をどうぞ。先生が二人分おだしになりますか?

柏原  (平然と)僕の分は僕が出すよ。

明子  それやさうよ。あたしは、この次、まとめて払ふわ。

矢部  かういふ人もゐるよ。

巽  志岐一等兵は別として、参ちやんが来ないだけだな。ぢや始めよう、柏原さん。

柏原  よし。それではと、(図面を出し)今日は大体、道順を決めて標識を立てること、見物席へ縄を張ること、式場の席の割当をすること、それだけだ。

巽  土俵の地ならしは?

柏原  当日朝早くやることにしよう。雨でも降ると無駄だから。それより、時間が余つたら、芝居の小屋を組む場所をもう少し考へなけれや。

矢部  これが一番人気がありさうだな。お明さんはもう、台詞をすつかり覚えてるんだつてね。誰をつかまへても、芝居のイキでいくつていふぢやないか。

明子  人聞きの悪いこと云はないでよ。

柏原  ちよつと黙つて。標識の板と釘は誰が持つて来たんだつけ?

小菅  参ちやんが持つて来る筈です。

日了  僕は何をすればいいの?

柏原  さて、なにをしてもらふつもりだつけ? あ、さうだ。こゝの神主さんと相談して、最初にやる戦捷祈念の儀式を、できるだけ荘重に、しかも退屈でないやうに仕組んでほしいんだ。公式参列者の数も制限して一般のものと区別しますから。先づ現場を見て案を立てて下さい。その案を町長さんに見せて、その通りにやつて貰ひませう。学校の職員生徒はむろん、団体として参列します。

日了  僕は、神主さんは苦手だなあ。

柏原  そんなこと云はずにやつて下さい。僕もあとで一緒に行きます。壮年団の名で頼むんですから。


志岐行一、一等兵の軍服で、右手から現はれる。一同、それを取り囲む。口々に「いよいよ、来たなあ」「おめでたう」「ゆうべは眠れなかつたらう」「御苦労さん」など。


志岐  遅れてすまなかつた。後はよろしく頼む。今日一日は暇だから、祭りの手伝はして行くよ。

柏原  いや、いろんな用事もあるだらうから、君はもういいよ。いつまで、入隊は?

志岐  明日十一時の上りで発たうと思つて……。二十日午前八時となつてるから……。

矢部  明後日だな。惜しいな。二日延ばせば祭りに間に合ふのに……。

巽  今年の祭りは、また別段だからなあ。

柏原  しかし、それだけに、志岐君の門出を送る町の気分も違ふよ。

志岐  あ、和尚さん、今晩、ちよつと話を聴きに行きたいんだが……。

日了  (意外な面持で)うむ、やつて来給へ。どんな話ができるか知らんが……。

志岐  (軍服の上着を脱ぎすて)さあ、わしの仕事は、先生?

柏原  さうか、ありがたう。ぢや、矢部君、巽君、それと、そこにゐる若い諸君で、相撲の見物席をこさへてくれ。出口と入口とをきめようよ。(頭へ手をのせ)しまつた、チョークを忘れて来た。

小菅  チョークがいるの? 僕、自転車で一とッ走り行つて来よう。(走り出す)

柏原  頼む。あ、明子さん、あんた、和尚さんと一緒に社務所へ行つてね、救護所に社務所の部屋が使へるかどうか訊いて来てくれない?


矢部、巽及び青年二人退場。


志岐  わしは、先生?

柏原  あ、君か。それぢやまあ、参ちやんが来るまで、この図面を見てね、道がこの通りについてるかどうか調べてみてくれたまへ。崖崩れがそのまゝになつてるところもあるらしいから……。

日了  (歩きだしながら)僕は、どう考へても神主さんは苦手だよ。


明子、その後を追ふやうにして去る。

志岐、図面を眺めながら、左手へはひる。

柏原一人残つて、しばらく考へ込む。ぶらぶらそのへんを歩く。時計をみる。

大坪参弐、右手より、現はれる。右眼の不自由なことが一見してわかる。紺のシャツ、同色の短ズボン。手拭で後ろ鉢巻をしてゐる。板切れ数枚を縄でくゝり、肩にぶらさげてゐる。


柏原  おい、どうした、参ちやん、遅いぞ。

大坪  夜業をやるもんにや、この時間は辛いね。

柏原  そいつは気がつかなかつたな。しかし、まだ夜業をするだけ仕事はあるの?

大坪  仕事はいくらでもあるさ。燃料がないだけだよ。いづれは転業と腹をきめて、今のうちにちつとは見られるものを焼いとかうつていふんで……。

柏原  君のとこの焼物は、土地の名物なんだから、まさか転業つていふことはあるまい。あとが絶えちまふ。

大坪  おやぢにや、ちつと未練もあるらしいが、人間つてやつは浅間しいもんさ。わしが戦争にでも行くつていふんだつたら、おやぢもさつぱり諦めるだらうと思ふと、まつたくいやになつちまふよ。

柏原  なるほど、それもわかるな。

大坪  なんか、かう、命がけでやるつていふ仕事はないかなあ。

柏原  君も、いいからだをしてて、惜しいな。役場へ行つて談判したつていふぢやないか。血書歎願を出したんだつて?

大坪  嘘だよ、そんなこと。

柏原  標識は作つて来てくれたね。よし、そいつを、打ちつけてもらふんだ。志岐君が図面を持つてるから……(大声で)おうい、志岐君……。(間)もうぢき帰つて来るだらう。適当にやつといてくれたまへ。七時にきつかり止める。残つたら、あとは青年団の方でやるから……。僕、ちよつと社務所へ行つて来る。


柏原、右手へ去る。

大坪、斜面の木の根を枕に寝ころがる。

矢部、巽、入れ違ひに現はれる。大坪のゐるのに気がつかない。


矢部  縄なんぞ、ちつとぐらゐ用意したつて足りやしないよ。柏原先生は、当節の藁縄がどんなもんだつてことはご存じないから。

巽  しかし、熱心なもんだな。この間もわしんとこへ来てな、鯉の養殖の話をどうしても聴かせろつて云ふんだ。二時間ばかり喋らされた。なんでも、学校で生徒にやらせる気らしいよ。参ちやんなんかも、少し先生を見習ふといいんだ。ああ一途に、眼のことばかり苦にしてたんぢや、その日その日が送れやしないよ。

矢部  性分だよ、あれも……。ところで、仲間はこゝんところごつそり持つてかれたなあ。満足な人間ぢや、お前とわしぐらゐのもんぢやないか。

巽  さう云へば、わしとお前ぐらゐだなあ、目立つて変らんのは……。ほかの連中はまるで見違へるやうになつたなあ。うつかり物も云へんよ。

矢部  ほんものと偽ものとがはつきりして来た。おれたちは、まだこれでほんものの部だよ。

巽  うめえこと云やがら。なんか忘れたと思つたら、さうさう喉がからからだ。水を一杯御馳走になつて来よう。

矢部  おれも今朝は、味噌汁のえらく辛いのを吸はされた。


両人、退場。

小菅、白墨の箱を持ち、詩を朗読しながら現はれる。


大坪  うるせえなあ。もつとあつちい行つてやつてくれ。

小菅  なんだ、参ちやん、来てたの? 罰金だよ。(間)柏原先生は?

大坪  知らん。社務所へ行つてみろ。


小菅、退場。

青年二人、何か云ひ争ひながら、現はれる。


青年甲  仕事がいやなら帰れ!

青年乙  いやだと誰が云つた。いちいちお前の指図なんか聴くかよ、おれが……。

青年甲  なにを? 手前は何時でもそれだ。(乙に飛びかゝる)


二人の格闘が激しく続けられるのを、大坪はからだを起して、ぢつと眺めてゐる。


大坪  やれ、やれ。負けた方へはわしが加勢するぞ。


青年乙が組敷かれて、闘志を失ふ。青年甲は、なほも殴り続ける。

大坪、起ち上つて、青年甲を突きのける。


大坪  勝負あつた。(真剣な身構へで)今度はおれが相手にならう。(戯談とは思へない)さあ、来い。さあ、まだ殴りたけれや、わしにかゝつて来い。(青年甲、乙の方をにらみながら、もじもじしてゐる)


志岐行一、そこへひよつこり現はれる。モンペイ姿の妹のふくが後からついて来る。


志岐  なにしてるんだ。相撲の稽古か?

大坪  (ちよつと照れて)まあ、そんなところだ。


青年二人去る。

志岐、妹の手より、弁当を受けとる。


大坪  朝飯か?

志岐  こいつが寝坊しやがるもんだから。

ふく  うそ、兄さん。兄さんたら、四時半にはもう家にゐないんだもの。

志岐  いゝから、それ置いてけ。からはどうしようかな。

ふく  あとからまた取りに来るわ。(瓶を下におき)参ちやんも、お茶、飲むなら……。

志岐  いよいよ出かけるよ。お前の前だが、二人分働いて来るつもりだ。(腰をおろす)

大坪  さう頼みたいが、こいつばかりはなあ。一人分でいいから、精々、手柄を立てて来い。お前は落ちついてるから、敵の弾丸もなかなか中るまい。

ふく  兄さんは、昨夜から、参ちやんの写真を始終ポケットへ入れて戦争するんだつて云つてるわ。わしからは云ひにくいから、お前、写真を貰つて来いつて……。

志岐  バカ、今云はなくつたつていい。

大坪  (淋しく笑ひ)さう気にするなよ。

志岐  お前は、あれつきり、そのことについちやなんにも云はんなあ。わしは、しかし、一日も忘れたことはないぞ。お前に会ふのが、たゞ辛いと云つちやうそだが、なんとなくおそろしかつた。(間)お前もあん時のことはよく覚えてるだらう。竹で弓をこさへるのが流行はやつてさ、尋常二年だ、あれが……。わしが一番大きな弓をこさへて、それが得意でなあ……あの池つぷちの藪のなかへ、見当もつけずに、ひよいと射込んだ矢が……なんていふこつた、そこにお前がかくれてゐたんだ。ワッと云つてお前が飛び出して来たときは、わしはふざけてると思つたくらゐだ。(間)それが、どうだ、お前の顔は、真赤ぢやないか……あゝ、駄目だ、もう駄目だ……わしや、あの池の中へ、いきなりもぐつちまひたいと思つたよ……。

大坪  よせよ、もう……そんなこと云つたつて、なんにもならん。

志岐  いや、今日は云はせてくれ。まつたく、今までは、お互に、このことばかりには触れようとしなかつた。二人の間なら、それでもよかつたんだ。しかし、わしは、お前が血書歎願をしたつていふ話を聞いたぜ。検査の後で、一日泣いてたつていふ話を聞いたぜ。それも、わしにはなんにも云はずにだ。わしとしちや、こんな苦しいことはないからなあ。

大坪  そんなこと、お前と関係はないさ。わしはたゞ、運命と闘つてゐるだけだ。だから、お前を恨んだことなんか、これつぱかりもない。それだけはわかつてるだらう。

志岐  お前がさういふ気持でゐてくれるのを、わしの方であれこれ思ふのは間違つてるかも知れんが、わしは、今度、いよいよ応召になつてみて、やつぱりどうもこのまゝぢや済まんて気がするんだ。

大坪  だから、何もかも運だよ。わしがお前の眼をつぶしたと仮定してみろ。わしはわし、お前はお前で、やるだけのことしかやれやしないよ。何がやれるかつてことは、めいめいの肚ひとつさ。

志岐  わしはきつとお前の分も働いてみせる。さう思つて辛抱してくれ。ふく、お前はもう帰れ。おつかあに、二三軒廻つて来るからつてよ。昼前にや戻る……。


ふく、会釈して右手へ去る。


大坪  (気をかへて)それより、やることをやつちまはう。図面をみて、この板をぶつつけれやいいんだらう。

志岐  さうよ、手間はかゝりやしないよ。柏原先生はなんでも大袈裟だ。それに、祭りの日に、道だけ歩けつたつて、誰もその通りする奴はゐないさ。何処だつて歩けるんだから……。


二人は、左手の小径から去る。

柏原が、上島、川添両人を伴つて登場。

川添はやゝ年輩の、口髭など生やした男。上島は青年団服を着て、小脇にフリュートを抱へてゐる。


柏原  こゝがブラス・バンド……こつち向きがいいだらう。演奏曲目はもう選んだんだね。

川添  それやいいんだが、太鼓が一人病気になつちまつて弱つた。

上島  なんとかなるよ。それより、わしや、ちつとも練習する間がないんでね。川添さん、頼むよ、揃つて練習する時間をちつと作つてもらはにや……。

川添  ま、ま、わしに委せておきたまへ。目立つやうなことをしてはいかん。うるさいのがゐるからねえ。朝から晩までブカブカドンドンとは何事だ、と来るからさ。

柏原  聴衆は、このへんまで来てもいいかね。このへんかな。

川添  近い。

柏原  このへん?

川添  まだ近い。

柏原  だつて、そんなにしたら、立つてる場所がなくなるよ。

川添  聴く方はどんなところでもよろしい。少しは斜面にかかつても苦しくない。

上島  薬屋さんは、なんでも自分本位だからなあ。

川添  さ、わかつた、行かう。飯を半分食ひ残して来た。


三人、右手へ去る。フリュートの音が聞える。

小菅、木立の間からふらふらと出て来る。まだ詩集を手に持つてゐる。小声で朗読しながら、斜面をやゝ降つたところへ腰をおろす。肩さきが僅かに見えるだけである。

左手から、志岐、続いて大坪が現はれる。


志岐  (大坪の前に立ち塞がり、両手を腰にあて、やゝ改まつた調子で)ぢや、どうしても駄目か?

大坪  (その視線を避けるやうに)折角だが、断る。

志岐  (がつかりして)さうはつきり断られゝば、もうなんとも云へんが……ぢや、念のために訊かう、あいつのどこにも見どころはないか? 早く云へば、そんなに嫌ひか?

大坪  さう開き直られたつて、返事はできんよ。

志岐  身分が違ひすぎるか?

大坪  身分なんか違ひやしないさ。

志岐  おつかあのことだが、一人きりになつたら、宇都宮の実家へ引取つて貰ふことになつてるんだ。伯父にも普段から頼んであるんだ。

大坪  とにかくお前も、あとのことが気がかりだらうから、そこは、みんなでなんとかやるよ。さう急いで妹を嫁にやらなくつたつていいぢやないか。

志岐  別に急ぐわけぢやない。約束だけでもしといて貰へば、それでわしは気が済むんだ。

大坪  お前んとこのお袋がさう云ふんだらう。

志岐  おつかあもさう云つとつた。

大坪  娘をやるなら戦争で死につこない男がよからうつてな。


志岐、あつけにとられて、相手の顔を見つめる。


大坪  (それに頓着なく)人間は、自分が何を考へとるか、つい知らんことがあるからなあ。わしが応召した、妹をやる、これなら、ありがたいと思ふがさ。さういふ人情は、今時、ないもんかなあ。

志岐  参ちやん、そいつは、おそろしい僻みだぞ。自分の考へてることが自分にやわからんといふことはある。事柄によりけりだ。参ちやん、今云つたことは取消せ、なあ。わしたちは、そんな、けち臭い人間ぢやないぞ。お前にや、わしの心がちつともわかつとらん。この口から云ひにくいが、あの、ふくつて奴は、お前のところへ行きたがつてるんだ。あいつの、仕合せはたつたそれひとつだ。それだけぢやない、お前も、あいつを女房にすれや、きつと……よさう、わしがこんなことを云つちや、をかしいや。なあ、参ちやん、素直にこの話を聴いてくれよ。わしが戦地へ行つちまつたら、だれもこんなこたあ、お前に云つてくれるものはないんだから……心が通じないつてことは、悲しいこつた。真実が見えないつてことは、なほさら悲しい。

大坪  真実はおろか、世の中の半分しか、わしにや見えんのだから……さういふ気がするよ。

志岐  (相手の肩に両手をかけ)わしがこれほどまでに云つてもか?

大坪  (顔をそむけ)お前にそれほど云はれてさへもだ。運命はわしを虐待したんだ。わしは、飽くまでもその運命と闘はなけれやならんのだ。ゆるしてくれ。お前には、さつきも云ふとほり、なんの恨みももつちやゐない。親友のなかの親友だ。その一番の親友の手で、なぜ、わしをこんなからだにさせたんだ? その親友を、なぜ一人で、戦地にやらにやならんのだ。わしも一緒に行きたい。一緒に、手を組んで弾丸の下を潜りたい。塹壕の中で、背中をおつつけて寝たい。日の丸の旗を二本並べて、敵陣に突つ込みたいんだ。おい、この口惜しさがわかるか?

志岐  (憮然として)わしはお前のやうに、物事をさう深くは考へられん。だが、そんなに深刻に考へるのがいいかどうか……。お前がそんな風に云ふから、ふつと思いついたんだが、お前が戦地に行けんからだになつたのは、神さまが内地でお前でなけれやできんことをさせようつていふお思召ぢやないかなあ。

大坪  (ふと、からだを引き、苦笑しながら)俺でなけれやできん仕事か。まさか眼つかちの子供をこさへることぢやあるまい。

志岐  戯談を云ふのはよせ。(腰をおろし、弁当を開いて食ひはじめる)まあ、こゝへ坐れ。一つやらうか?

大坪  (並んで腰をおろし)いらん。

志岐  茶は?

大坪  (瓶の口から、茶を飲む)

志岐  しかし、かうやつて、何かあると、みんなが気を揃へてやれるやうになつただけいいなあ。

大坪  うはべだけだ。

志岐  さういふところもある。性格をたゝき直さにやならん、わしらはじめ。正直云ふと、赤紙をみて、わしや、ギョッとした。これで兵隊だ。いつたい役に立つのか?

大坪  黙つとれよ、さういふことは。一度敵の顔をみると度胸がつくつていふから……。

志岐  お前みたいに、鉄橋から飛び込みをやる度胸がおれにやなかつたんだ。蓮華寺を抜けて下ノ町へ出る夜道は、今でもどうも工合が悪いでなあ。糞野郎!

大坪  そこい行くと、おふくちやんの方は、しつかりしたもんだ。

志岐  さうよ、あの道を一週間、講座に通つたんだからなあ。帰りは十一時だ。お前に途中で遭つたつてなあ。

大坪  こつちがおどかされた。風呂敷を被りやがつて……。いいむすめになつた。

志岐  (ちよつと躊つて)そこで、そのいい娘を貰ふ気になれんかい?

大坪  ほかに貰ひ手があるだらう。わしはまだそんなこたあ考へとらん。当分、考へんことにするよ……。これで、わしもこの先、どうなるかわからんからなあ。わざわざ風来坊のとこへ来るこたあない。


突然、小菅が、声高らかに詩の朗読をはじめる。志岐と大坪は、驚いて後ろを振り向く。



志岐  (顔をしかめ)変な声を出しやがるなあ。背筋がぞつとするよ。

大坪  (耳をすましながら)しかし、わるくはないよ。


小菅、ますます得意げに読み続ける。

左右より、柏原、日了、矢部、巽、明子、青年二人、次ぎ次ぎに現はれる。みんな、立ち止つて、詩に聴き入る。


志岐  (弁当を食ひ終り、竹の皮を丸めて、小菅に投げつけ)終りッ!


一瞬、動揺。笑ひ声。


志岐  (わざと怒つた風をして)ひとの話を隠れて聴いてた奴は此処へ出て来い。

小菅  (出て来ながら)隠れてゐたわけぢやない。お前たちがわしのゐるのを知らずにゐただけだ。

志岐  (柏原に)この男は、こんな変な声を出すために、此処へ呼んだのかね?

柏原  君、さつき云つたことやつてくれた?

小菅  それがまだなんだ。

柏原  さあ、早く短冊の陳列場を考へてくれよ。和歌と俳句で大体二百は集る筈だから……。どうしても工合がわるかつたら学校の教室を使ふよ。

日了  寺の本堂も使へるぜ。

柏原  あ、お寺はね、和尚さん、託児所に使はして貰ひます。女子青年団が責任をもつてやるさうだから……。

矢部  さうすると、今日の予定は一と通り終つたな。

柏原  まだまだ、これから式の打合せだ。社務所へ集つてくれ。


一同、前後して退場。


志岐  (大坪を呼びとめ)ちよつと、参ちやん、もう少し話があるから……。

大坪  今夜ゆつくり話さう。

志岐  それもいいが、今夜は遅くなるからなあ。

大坪  どんなに遅くつてもいいよ。

志岐  さうか。それぢや、さうしよう。


二人が行きかけると、左手から、ふくが現はれる。


ふく  (後を追ふやうに)兄さん、お弁当のからは?

志岐  空瓶は、そこだ。

ふく  竹の皮は?

志岐  そつちへはふつた。(思ひ出したやうにふくのそばへ近寄り)おい、参ちやんはやつぱり駄目だ。諦めろ。


ふく、踵でくるりと兄に背を向ける。


志岐  (去りがけに、もう一度、そつちへ)いいか、諦めろよ。


ふく、軽くうなづく。さして心を動された様子もなく、ぢつと、遠くの方を見つめてゐる。


──幕──



第二幕


志岐行一の家。奥の間と居間と店先とを横に連ねた舞台。右手奥の間に、仏壇。志岐行一の軍服姿の写真が飾つてあるばかりで、遺骨はまだ来てゐない。

居間には囲炉裡が切つてある。壁に旧式の猟銃二挺と獲物袋とが物々しく、掛けてある。店は半ば取り片づけられ、板敷の一部に茣蓙が敷いてある。正面の棚には、雑然と缶や空壜が並び、キャラメルのポスターが一枚。休業同然の駄菓子屋であることが察せられる。


仏壇に向ひ、三雲日了、恭々しく線香を焚いてゐる。

茶の間には、行一の母きぬ、町長代理飯田虎松、国民学校々長北野守男、その他年輩の人々数名。

店の方に、上島、小菅、柏原、川添、矢部、巽、等、若いものが塊つてゐる。

その間を、ふく、明子、ふくの友達高木千代が、座蒲団をすすめ、茶を汲みなどして廻る。

しめやかなうちにもなにか張りつめた空気が感じられる。


北野  発たれたのが、あれや……。

柏原  五月十九日です。

飯田  (指を折り)まる半年だ。殆ど最初の戦闘でせう。たしか、中支でしたな。

きぬ  詳しいことはわからんのですけど、戦死のお知らせがあつて、その後から着いた手紙には、中支那とございました。

北野  すると、今日見えるといふのは、その当時の部隊長さんですな。

飯田  それが中隊長さんか連隊長さんか、しかとしたところはわしも知らんのですが、分会長の角崎君が、偶然佐倉の療養所でお目にかゝつて、今日来ていたゞくことにお願ひしたんださうです。なんでも、志岐君の戦死の模様ですが、この話は自分一人が聴くのは勿体ないつていふんで、角崎君、しきりに部隊長さんにせがんで。しかし、まだ隊長の立場として公の席で話すわけにいかんと云はれるのを、それぢや、せめて、身近なものだけにでも直接隊長さんのお口からと云ふわけで、たうとう、快諾を得たんださうです。

北野  有難いことだな。

きぬ  隊長さんもやつぱりお怪我をなすつて……

飯田  さう、内地で養生されとるわけです。しかし、わざわざここまでお出掛けくださるのは並大抵のことぢやない。

北野  女子青年が少ないやうだね。

柏原  角崎さんが、あまり女はいれるなつて云はれたんです。

飯田  ほう、それやまた厳しいお達しだな。明ちやん、あんたはゐてもいいのか?

明子  あたしと千代ちやんは特にお許しがでました。

飯田  男勝りといふ資格でね。

明子  いゝえ、女の数にはひらないんですつて……。

飯田  いや、いや、ご謙遜……。さういへば、志岐君に後継ぎがないのが残念だつたな。

北野  さやう。あの鉄砲を持ち出して暴れ廻るやうな腕白坊主が、一人ほしかつたな。(若いものゝ囁き笑ふのを聞きとがめ)え、なに?

矢部  さういふ後継ぎなら、おふくちやんで大丈夫だつて云つてます、こゝで……。


ふく、これを聞いて、眼を見張り、矢部の方をにらむ。


北野  誰がさう云ふんだ? 誰だ?(一同笑ふ)

小菅  誰云ふとなくです。

飯田  誰云ふとなくか。たしかに、しつかりもんだ、ふくちやんは、……見た目は愛敬こぼれるばかりだが……。

千代  いやな助役さん……。誰にでもあんなこと云つて……。


表に人の来る気配。一同居ずまゐを正す。大坪参弐の父、大五、静かにはひつて来る。まばらな頤髯をたくはへた、一風変つた老人。片手に花を持つてゐる。


大坪  もうみなさんお集りですか。まだ時間があると思つて、笹山で白い菊を少し貰つて来た。

飯田  大坪のご隠居は珍しいな。人寄せには決して出ん人だが……。

大坪  来いといふところへは行かんよ。だが、今日は、伜がちよつと遅れるといふもんだから、その代理ぢや。(茶の間へはひり、みなに軽く会釈する。ふく、老人の手より花を受けとる)うむ、これが妹さんぢやね。噂には聞いとつたが、実物を見るのははじめてだ。(じろじろ見据ゑられて、ふく、眼のやり場に困る)

北野  志岐君と似てゐますか?

大坪  兄貴の方はちよいちよい家へ来たが、よう覚えとらん。それも小さい時分のことだ。

北野  わたしは志岐君は教へなかつたんだが、そこにゐる諸君は、大体同じ頃だらう。小学時代の志岐君は、何が得意だつたの?

上島  なんだつたらうな。あんまり勉強の好きな方ぢやなかつたなあ。

小菅  しかし、先生の云ふことはよく聴いたよ。純だつたな。わしらより……。

巽  当り前さ、お前は特別の早熟で、女の先生に名前を呼ばれるとすぐ赧くなつたもんだ。志岐の奴には、さういふところはなかつた。

上島  がつしりしてるやうで、どことなく、気が弱いといふか……。

巽  喧嘩の仲裁ばかりしてたよ。

矢部  さう、さう、上級生同志の喧嘩でも、中へ割り込んだりしたもんだ。変つてたよ。

小菅  電信柱へ鉛筆をぶつけたり、紙を口の中で丸めて、これといふ看板の字へうまくひつつけたり、しまひに石ころで雀から鴨まで捕りよつたなあ。猟師になつたわけだよ。

北野  平和を愛し、しかも殺生を好んだわけだな。

柏原  志岐君の猟好きは、殺生を好むといふやうなもんぢやないなあ。一種、自然を愛し、自然と戯れる本能のやうなもんだ、わしはさう思ふなあ。

飯田  むつかしい。わしにやわからん。わしはたゞ志岐君が仕止めた穴熊の肉を、うまくもなんともないと思つて食つたのを覚えとるだけだ。


表に人声がする。


飯田  (伸びあがつて)あ、見えたやうだ。


陸軍曹長の軍服を着た在郷軍人会分会長の角崎九蔵の案内で、白衣の上に将校マントを着た結城正敏店先に現はれる。

きぬ、急いで迎へに起つ。続いて、飯田、北野も座を立つて、迎へる。その他一同、膝を正し、黙礼。


角崎  (奥に進みながら)どうぞこちらへ……。

結城  失礼します。(少しびつこを引きながら奥の座につく)

角崎  (その傍らに膝をついたまゝ)ご紹介申します。結城少佐殿であります。本日、わざわざ、志岐上等兵の遺族、並びにその近親のために、御療養中にも拘らず、遥々御越しくださつたのであります。もとより、旧部下たる志岐上等兵の英霊を親しく慰めんとの御志でありますが、序でをもつて、少佐殿は、われわれ一同に、志岐上等兵の鬼神を泣かしむる華々しい最期を、直接この眼をもつてご覧になつたまゝ、つぶさに語り聴かせてもよいといふお思召しであります。まことに得難い機会でありまして、われわれと致しましては、郷党の名誉をまづ身を以て感じ、少佐殿に厚くお礼を申上ぐる次第であります。

結城  (一同に会釈した後、仏壇の前に進み寄つて、しばし黙祷。焼香、さらに、写真をつくづくと眺め入り、さて、座にかへり、両手をつき)わたくし、結城少佐であります。ご遺族に対し、まづ、心からお礼と、お悔みを申上げます。角崎君からお聞き及びのことと存じますが、本日は、まつたく個人としての資格で伺ひました。念のために、志岐君との関係をはつきりさせておきます。わたくしは、志岐上等兵の直属上官ではありません。つまり、わたくしは志岐君の属してをられた部隊の、そのまた上級部隊長の副官でありました。しかし、たまたま、其方面作戦中、わたくしは、敵前数百米の第一線にあつて、眼近に、散解前進する某部隊の動静を逐一眺めてゐたのであります。敵の陣地は小高い丘の稜線を前にして、堅固に築かれてありました。装備もなかなかよく、機銃、迫撃砲の集中射撃が間断なく繰り返され、一挙突進といふわけには参りません。かういふ時はじりじりと逼ふやうに、ある地点まで詰め寄るのでありますが、それすら、指揮官としては機をとらへることが容易でありません。わたくしども司令部のものは、僅かの窪みを利用してをりましたが、附近には砲弾がひつきりなしに落ち、機銃弾の空気を裂く音が木枯しのやうに続いてゐました。わたくしは、職務上、部隊長閣下のことが心配で、姿勢を低くされるやうに幾度もお願ひしたのでありますが、閣下は、双眼鏡を眼にあてられたまゝ、たゞうなづいてをられます。実に危険な瞬間でありました。その時、閣下は突然、わたくしの名を呼ばれ、──「おい、あれを見ろ、あれを……なんだ、あれや……。」わたくしは、急いで双眼鏡を持ち直しましたが、なに、肉眼でも、よく見えるのであります。濛々たる砂塵のなかに、点々一団となつた散解隊形のはるか前方に、さうです。前方といふよりも、敵と味方とのまん中に、日の丸の旗を高く掲げて、小走りに斜面を駈け上つて行く兵隊が一人ゐるのです。──あッと、わたくしは思はず、軍刀の柄を握りしめました。その兵隊は、前のめりに倒れたのです。──「やられましたよ」と、わたくしは、閣下の方をみますと、──「いや」と閣下は、低く遮ぎられ、──「生きとる、生きとる。下村中隊だな、たしか……。」その通りであります。兵隊はまだ生きてゐます。下村中隊西小隊の最右翼分隊といふことまではわかつてゐます。が、その兵隊の名まで知りたいと、閣下はひそかに思はれたのでありませう。──「滅茶をやりよるなあ。また出た、あいつ……」──「下村中隊が前進に移りました」「やつた、やつた……うむ、あゝいふ奴も時には必要だ」──その言葉が終るか終らぬかです。その兵隊が、また、のこのこと走り出しました。敵の陣地からは、もう百米とはありますまい。切りに旗を振つてゐます。敵をからかつてゐるやうでもあり、味方に何か合図をしてゐるやうでもある。足場もわるいに違ひない。一足一足を引摺るやうにしていく姿が敵にむき出しです。果して、稜線の上に、手榴弾を振りあげた敵が、影絵のやうに浮いて出ます。一人、二人、三人、四人、ところが、それが、次ぎ次ぎに、もんどり打つてひつくり返る。その筈です。こつちは、悠々、折敷けの構へで、その鼻先へぶつ放してゐるのです。「うむ、驚いた奴だ」──閣下は、からだをゆすつてよろこばれました。この間は僅かに数秒です。日の丸の旗が、更に激しく左右に揺れたと思ふと、そのまゝ、さつと風のやうに敵陣に流れ込みました。(間)下村中隊は、攻略一昼夜を予定した敵の陣地を、物の見事に、たつた数時間で突破、──全軍の進出を極めて容易ならしめたのであります。その晩のことであります。部隊長閣下は、わたくしにあの兵隊に会つてみたいが、と云はれました。わたくしは早速、自分で馬を走らせて使者に立ちました。(間)みなさん、その時まで、志岐一等兵は健在でありました。


舞台急に暗くなる。(或は無地幕)

舞台の一部が照明によつて照し出される。

支那民家の一室。

部隊長某少将が椅子に倚つてゐる。傍らに副官、結城少佐が立つてゐる。これに向つて、志岐一等兵、軍装で直立不動の姿勢。

遥かに銃声。犬の遠吠え。


部隊長  見事だつたぞ。わしは、はつきりお前のやり方を見てゐた。立派な手柄だ。よく怪我もせんぢやつたのう。(間)おい、志岐一等兵、わしはこの通りお前を褒めておいて、さて訊くのぢやが、これで戦闘は何度目だ?

志岐  はい、初めてであります。

部隊長  斥候には?

志岐  はい、斥候には出ましたが、敵は見えませんでした。

部隊長  兵隊は指揮官の命令に従つて動かにやならんことを知つとるか?

志岐  はい、知つとります。

部隊長  今日のお前の行動はどうぢや。指揮官の命令に従つたと云へるか?

志岐 ……。

部隊長  さうは云へんな。しかし、あれでよかつたのだ。よかつたのは、神の加護があつたからだ。勝手に飛び出した、やられた、これではなんにもならん。さうぢやらう。さういふ場合もあるといふことを考へたか?

志岐  ……。

部隊長  命を惜むことは卑怯だ。生命いのちを無駄に棄てることは不忠だ。わかつたか。死をおそれちやいかん。しかし……お前には特に云つておくが、死なねばならぬ時に死ね。いいか。

志岐  (うなだれる)

部隊長  (調子を変へ、ゆつくり)志岐、わしはなあ、かうしてお前の顔を見てゐると、ちよつと腑に落ちんところがあるんぢや。わしの方からそれを云つてもよからう? どう云ふかな、えゝか、お前はな「死にたい」と思つとりやせんか? ほんとのことを、わしだけに云つてみい。

志岐  (しばらく躊つて)自分のやうなものは、ほんたうに死ななければ……どうせ満足な働きはできんと思つとります。

部隊長  死ななければとは? 死ぬことが一人前の御奉公だといふのか?

志岐  はい、一人前の働きだけでは、自分には足りないのであります。生きて還るといふことは、なんとしても、できんのであります。

部隊長  うむ、そのわけは? 詳しく云つてみろ。

志岐  子供の時分、間違つて友達の眼に弓の矢をあてて、たうとうその男は兵隊になれませんでした。そいつは自分の過ちをゆるしてくれましたけれども、自分の罪は、そいつに許してもらつただけでは消えません。自分はかうして第一線に出してもらつたのですから、その友達の分も是非働いてと思ふと、もう、弾丸たまに中つて、死ぬより外ありません。自分などは、それ以上に立派なことはできません。(間)遮二無二戦つて死なうといふ一念だけが、やつと、自分を、これならと思ふ兵隊にしてくれるやうな気がするんであります。

部隊長  (低く、感動をこめて)わかつた。その意気でやれ。ただもう一度最後に云ふが、お前のその覚悟は、敵を一人でも多くたふすといふ精神があつて、はじめて立派なものになるのだぞ。今日だけではない、明日も明後日も、いや、あと何年続くかわからぬ戦争をあくまで勝ちぬくことが、われわれ兵隊の重い任務だ。お前は、今日、少くとも四人の敵を、わしの眼の前でやつつけた。明日あすは五人倒せ。明後日あさつては六人倒せ。さうやつて百人倒したら、わしがまた会はう。いいか。よし、帰れ。

志岐  はい、明日はきつと五人倒します。


照明消えて、舞台暗黒となる。

再び明るくなると、もとの舞台そのまま。

語るものも、聴くものも、ひとしく、沈痛堪へがたき表情。涙を拭くものがある。女のかすかなすゝり泣き。


結城  (途切れ途切れに)その翌日であります。部隊は敵の第二陣地を突破すべく、一斉突撃を開始しました。敵の防備は一層堅固を極め、相当の犠牲を覚悟しなければなりません。司令部は、戦況を一望のうちにをさめ得る地点にありました。わたくしは、命令によつて、砲兵陣地との電信連絡に当つてをりますと、──「おい、結城、また、あの兵隊が飛び出した。」部隊長閣下のお声で、わたくしは、思はず起ちあがりました。烈しい風の日でありました。その風をうけて、日の丸の旗が、千切れるかと思ふやうにはためいてゐます。進みます、進みます、ぐんぐん進みます。ぽつりと、たゞ一つの黒い影が、日に灼けた赭土の斜面の上を逼つてゐるのを、わたくしは呼吸を殺してみつめました。──「やられる、今日はやられる」部隊長閣下は低く吐き出すやうに呟やかれました。日の丸の旗が、さつと地面にふれました。黒い影は動きません。日の丸が大きく揺れました。二度、三度、しかし、それは、ゆるゆるとであります。そして、最後に、極めて静かに右の方へ倒れたまゝ、あとは、砂煙のなかに消えてしまひました。


次第に高まる女たちの啜り泣きに交つて、突然、堰を切つたやうな男の嗚咽、何時の間にか来てゐた大坪参弐である。店の一隅、若いものの集つてゐる、そのかげで、握りしめた拳を膝に押しあてたまゝ、手ばなしで泣いたのである。


結城  部隊長閣下も云はれましたやうに、また、わたくし一個としてもさう信じるのでありますが、志岐君のこの行動は、勇敢と云へば勇敢、純粋と云へば純粋でありますが、しかしたゞそれだけとしては、短慮無謀のきらひがなくはありません。全軍の模範とまで称するわけには参らぬのであります。その点、しかとみなさまにご承知おき願つて、さて、その上で、われわれ軍人のみならず、日本人として、志岐君の一念には深く打たれるところがあることを、わたくし、率直にみなさまに申上げたい。わが将兵の忠勇義烈は、なんら珍らしいことではないのであります。生還を期せざる決意は、兵隊悉くの胸の中に固く秘められてをります。死所を得て、武勲に輝くもの、また少なしといたしません。然るに、志岐君の場合は、すべてが例外といふ気がいたします。個人的な過失を国家的な罪として自らこれを責め、友情をもつて大義に結び、戦場に於ては、死にまさる奉公なしと観じた一徹素朴な精神を、わたくしは、涙なくして考へることはできないのであります。慾を云へばきりがありません。これが日本人です。日本男児です。謹しんで志岐君の冥福を祈ります。終り。


長い間。一同の表情が少しづつ晴れ晴れとして来る。


角崎  どうもありがたうございました。

飯田  いや、まつたく、一言もありませんな。


長い間。

日了、仏壇に線香を焚く。黙祷。

ふく、結城少佐に茶を汲んで出す。


矢部  応召になつたその日から、どうも普通ぢやないと思つてたよ。

柏原  うむ。普通ぢやなかつた、さう云はれてみると……。

矢部  どこか違つてたなあ。気がつかなかつたかい、参ちやん。

大坪  ……。

大坪老人  (結城少佐に向ひ)只今のお話は、肝に銘じました。そこにをります、片眼の不自由なのが、わたしの伜ですが、これは一層、深く心を動かされたらうと思ひます。たぶん、身も世もあらぬ思ひでせう。

結城  (やゝ驚いて)あ、そこにをられたんですか。

大坪老人  をりましたとも……お話は余さず伺つたやうです。よいことを聴かせて下さいました。伜も、志岐君に負けんやうに、男らしく、なにかやらかすでせう。

結城  もつとも、わたくしが直接かういふことをお耳に入れてよかつたか、どうか、ついどうもうつかりしましたが……お二人のお立場、お察しいたします。こゝにはお寺さんもお見えのやうだが、人生はやはり有為転変と云ひますかな。

飯田  (時計をみながら)しかし、忙しいことだけは変りがありませんな。わたし、これから、もう一つ、町長代理で人を迎へに出にやなりませんので、甚だなんですが、お先へ……。(退場)

結城  では、わたしも失礼しよう。汽車の時間まで、それぢや。……

角崎  はあ、御案内いたしませう。別に見るもんもありませんが……。

結城  お城の址といふのだけ、ちよつと見せてくれたまへ。ぢや、みなさん……。お母さんもどうかお体をお大事に……。


結城少佐、仏壇の前に額づき、静かに起ち上つて、退場。


北野  われわれも解散しようぢやないか。

柏原  生徒は待たせてありますから……。


北野、柏原に続いて、一同、次ぎ次ぎに座を起つ。

女たちの、「さよなら」「またなんかご用があつたら、いつでも」などいふ声。

最後に、云ひ合せたやうに、大坪老人と参弐とだけが残る。

きぬは大坪老人の傍らに、ふくは、座敷の座蒲団、茶碗など片づけてゐる。


参弐  (決意の色を浮べ)お父ッつあん……。

大坪老人  (その語気ですべてを察したやうに)うん、よし、よし、わかつた。

参弐  (ちよつと含羞んで)お父ッつあん、違ふよ……。

大坪老人  なにが違ふ? わかつたと云つてるぢやないか。お前は云ひにくからうから、わしが云つてやる。

参弐  (ますます照れて)今は駄目だよ。

大坪老人  駄目だかどうだか、当つてみにやわからん。のう、おつ母さん……。

きぬ  (はッとして顔をあげる)

大坪老人  うちの伜だがね、まあ、あんな風な男さ、ひとつ、思ひきつて、あんたのとこのを嫁にくださらんか?


ふく、これを聞いて、座敷の隅に蹲り、急に袖で顔をかくす。


参弐  (堪りかねて)お父ッつあん……。

大坪老人  黙つとれ。ほかとの話が、きまつとるなら別ぢやが……。

きぬ  (ふくの方に気をかねながら)いえ、そんな、きまつた話なんぞ……。

大坪老人  そんなら、ふくちやんさへ承知なら、あんたに異存はないな。

ふく  (慌てゝ母親の方に向き直り、きつぱり)おつ母さん、待つて……。

大坪老人  (面白がつて)うむ、あんたの意見を先へ聴かうか?

ふく  (起ち上るといつしよに)参弐さんがどう思つてなさるか、それがわからんで、あたし、いや……(さう口早に云ひながら、ばたばたと台所の方へ駈け出して行つてしまふ)

きぬ  (あつけにとられ)これ、これ……。

大坪老人  (ますます上機嫌で)愉快なだなあ。

きぬ  あの通りでございますから、ほんとに……。

大坪老人  おい、参弐、お前からもはつきりおつ母さんにお願ひせい。

参弐  (もじもじしてゐる)

大坪老人  まあ、こんなところかな。さあ、一と先づ引きあげよう。あらかた筋道はついた。いづれ正式の仲人を立てて万事とりきめることにしませう。


大坪老人、仏壇の前に端坐して、しばし合掌。香を焚いて、きぬに会釈し、参弐を促すやうにして、先へ表へ出る。


きぬ  (上り口まで送つて行き)なんですか、今日は、ぼうッとして、申しあげたいことも申しあげられません。ほんとに、おかまひもいたしませんで……。


参弐も、やつと起ち上る。ふく、台所の障子を細目にあけて顔を出しかける。参弐と視線が合ふ。ふく、顔を引込めようとするが、間に合はぬ。互に、面映い微笑を交はす。参弐はそのまゝ帰り去る。

ふく、その後を美しい眼差しで見送る。


──幕──


作者附記。日本移動演劇連盟第一回東京公演に際し、その出演劇団の一つである松竹国民移動演劇隊のため、諸種の条件を考慮に入れて書きおろしたものである。

底本:「岸田國士全集6」岩波書店

   1991(平成3)年510日発行

底本の親本:「中央公論 第五十八年第六号」

   1943(昭和18)年61日発行

初出:「中央公論 第五十八年第六号」

   1943(昭和18)年61日発行

入力:kompass

校正:門田裕志

2011年528日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。