人生論ノート
三木清



死について


 近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。

 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭──但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。

 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。


 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病氣の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなからうか。これは青年の健康感とは違つてゐる。恢復期の健康感は自覺的であり、不安定である。健康といふのは元氣な若者においてのやうに自分が健康であることを自覺しない状態であるとすれば、これは健康といふこともできぬやうなものである。すでにルネサンスにはそのやうな健康がなかつた。ペトラルカなどが味はつたのは病氣恢復期の健康である。そこから生ずるリリシズムがルネサンス的人間を特徴附けてゐる。だから古典を復興しようとしたルネサンスは古典的であつたのではなく、むしろ浪漫的であつたのである。新しい古典主義はその時代において新たに興りつつあつた科學の精神によつてのみ可能であつた。ルネサンスの古典主義者はラファエロでなくてリオナルド・ダ・ヴィンチであつた。健康が恢復期の健康としてしか感じられないところに現代の根本的な抒情的、浪漫的性格がある。いまもし現代が新しいルネサンスであるとしたなら、そこから出てくる新しい古典主義の精神は如何なるものであらうか。


 愛する者、親しい者の死ぬることが多くなるに從つて、死の恐怖は反對に薄らいでゆくやうに思はれる。生れてくる者よりも死んでいつた者に一層近く自分を感じるといふことは、年齡の影響に依るであらう。三十代の者は四十代の者よりも二十代の者に、しかし四十代に入つた者は三十代の者よりも五十代の者に、一層近く感じるであらう。四十歳をもつて初老とすることは東洋の智慧を示してゐる。それは單に身體の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味してゐる。この年齡に達した者にとつては死は慰めとしてさへ感じられることが可能になる。死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られてゐる、今も私の心を捉へて離さないパスカルにおいてさへも。眞實は死の平和であり、この感覺は老熟した精神の健康の徴表である。どんな場合にも笑つて死んでゆくといふ支那人は世界中で最も健康な國民であるのではないかと思ふ。ゲーテが定義したやうに、浪漫主義といふのは一切の病的なもののことであり、古典主義といふのは一切の健康なもののことであるとすれば、死の恐怖は浪漫的であり、死の平和は古典的であるといふこともできるであらう。死の平和が感じられるに至つて初めて生のリアリズムに達するともいはれるであらう。支那人が世界のいづれの國民よりもリアリストであると考へられることにも意味がある。われ未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らん、といつた孔子の言葉も、この支那人の性格を背景にして實感がにじみ出てくるやうである。パスカルはモンテーニュが死に對して無關心であるといつて非難したが、私はモンテーニュを讀んで、彼には何か東洋の智慧に近いものがあるのを感じる。最上の死は豫め考へられなかつた死である、と彼は書いてゐる。支那人とフランス人との類似はともかく注目すべきことである。


 死について考へることが無意味であるなどと私はいはうとしてゐるのではない。死は觀念である。そして觀念らしい觀念は死の立場から生れる、現實或ひは生に對立して思想といはれるやうな思想はその立場から出てくるのである。生と死とを鋭い對立において見たヨーロッパ文化の地盤──そこにはキリスト教の深い影響がある──において思想といふものが作られた。これに對して東洋には思想がないといはれるであらう。もちろん此處にも思想がなかつたのではない、ただその思想といふものの意味が違つてゐる。西洋思想に對して東洋思想を主張しようとする場合、思想とは何かといふ認識論的問題から吟味してかかることが必要である。


 私にとつて死の恐怖は如何にして薄らいでいつたか。自分の親しかつた者と死別することが次第に多くなつたためである。もし私が彼等と再會することができる──これは私の最大の希望である──とすれば、それは私の死においてのほか不可能であらう。假に私が百萬年生きながらへるとしても、私はこの世において再び彼等と會ふことのないのを知つてゐる。そのプロバビリティは零である。私はもちろん私の死において彼等に會ひ得ることを確實には知つてゐない。しかしそのプロバビリティが零であるとは誰も斷言し得ないであらう、死者の國から歸つてきた者はないのであるから。二つのプロバビリティを比較するとき、後者が前者よりも大きいといふ可能性は存在する。もし私がいづれかに賭けねばならぬとすれば、私は後者に賭けるのほかないであらう。


 假に誰も死なないものとする。さうすれば、俺だけは死んでみせるぞといつて死を企てる者がきつと出てくるに違ひないと思ふ。人間の虚榮心は死をも對象とすることができるまでに大きい。そのやうな人間が虚榮的であることは何人も直ちに理解して嘲笑するであらう。しかるに世の中にはこれに劣らぬ虚榮の出來事が多いことにひとは容易に氣附かないのである。


 執着する何ものもないといつた虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。執着するものがあるから死に切れないといふことは、執着するものがあるから死ねるといふことである。深く執着するものがある者は、死後自分の歸つてゆくべきところをもつてゐる。それだから死に對する準備といふのは、どこまでも執着するものを作るといふことである。私に眞に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。


 死の問題は傳統の問題につながつてゐる。死者が蘇りまた生きながらへることを信じないで、傳統を信じることができるであらうか。蘇りまた生きながらへるのは業績であつて、作者ではないといはれるかも知れない。しかしながら作られたものが作るものよりも偉大であるといふことは可能であるか。原因は結果に少くとも等しいか、もしくはより大きいといふのが、自然の法則であると考へられてゐる。その人の作つたものが蘇りまた生きながらへるとすれば、その人自身が蘇りまた生きながらへる力をそれ以上にもつてゐないといふことが考へられ得るであらうか。もし我々がプラトンの不死よりも彼の作品の不滅を望むとすれば、それは我々の心の虚榮を語るものでなければならぬ。しんじつ我々は、我々の愛する者について、その者の永生より以上にその者の爲したことが永續的であることを願ふであらうか。

 原因は少くとも結果に等しいといふのは自然の法則であつて、歴史においては逆に結果はつねに原因よりも大きいといふのが法則であるといはれるかも知れない。もしさうであるとすれば、それは歴史のより優越な原因が我々自身でなくて我々を超えたものであるといふことを意味するのでなければならぬ。この我々を超えたものは、歴史において作られたものが蘇りまた生きながらへることを欲して、それを作るに與つて原因であつたものが蘇りまた生きながらへることは決して欲しないと考へられ得るであらうか。もしまた我々自身が過去のものを蘇らせ、生きながらへさせるのであるとすれば、かやうな力をもつてゐる我々にとつて作られたものよりも作るものを蘇らせ、生きながらへさせることが一層容易でないといふことが考へられ得るであらうか。

 私はいま人間の不死を立證しようとも、或ひはまた否定しようともするのではない。私のいはうと欲するのは、死者の生命を考へることは生者の生命を考へることよりも論理的に一層困難であることはあり得ないといふことである。死は觀念である。それだから觀念の力に頼つて人生を生きようとするものは死の思想を掴むことから出發するのがつねである。すべての宗教がさうである。


 傳統の問題は死者の生命の問題である。それは生きてゐる者の生長の問題ではない。通俗の傳統主義の誤謬──この誤謬はしかしシェリングやヘーゲルの如きドイツの最大の哲學者でさへもが共にしてゐる──は、すべてのものは過去から次第に生長してきたと考へることによつて傳統主義を考へようとするところにある。かやうな根本において自然哲學的な見方からは絶對的な眞理であらうとする傳統主義の意味は理解されることができぬ。傳統の意味が自分自身で自分自身の中から生成するもののうちに求められる限り、それは相對的なものに過ぎない。絶對的な傳統主義は、生けるものの生長の論理でなくて死せるものの生命の論理を基礎とするのである。過去は死に切つたものであり、それはすでに死であるといふ意味において、現在に生きてゐるものにとつて絶對的なものである。半ば生き半ば死んでゐるかのやうに普通に漠然と表象されてゐる過去は、生きてゐる現在にとつて絶對的なものであり得ない。過去は何よりもまづ死せるものとして絶對的なものである。この絶對的なものは、ただ絶對的な死であるか、それとも絶對的な生命であるか。死せるものは今生きてゐるもののやうに生長することもなければ老衰することもない。そこで死者の生命が信ぜられるならば、それは絶對的な生命でなければならぬ。この絶對的な生命は眞理にほかならない。從つて言ひ換へると、過去は眞理であるか、それとも無であるか。傳統主義はまさにこの二者擇一に對する我々の決意を要求してゐるのである。それは我々の中へ自然的に流れ込み、自然的に我々の生命の一部分になつてゐると考へられるやうな過去を問題にしてゐるのではない。

 かやうな傳統主義はいはゆる歴史主義とは嚴密に區別されねばならぬ。歴史主義は進化主義と同樣近代主義の一つであり、それ自身進化主義になることができる。かやうな傳統主義はキリスト教、特にその原罪説を背景にして考へると、容易に理解することができるわけであるが、もしそのやうな原罪の觀念が存しないか或ひは失はれたとすれば如何であらう。すでにペトラルカの如きルネサンスのヒューマニストは原罪を原罪としてでなくむしろ病氣として體驗した。ニーチェはもちろん、ジイドの如き今日のヒューマニストにおいて見出されるのも、同樣の意味における病氣の體驗である。病氣の體驗が原罪の體驗に代つたところに近代主義の始と終がある。ヒューマニズムは罪の觀念でなくて病氣の觀念から出發するのであらうか。罪と病氣との差異は何處にあるのであらうか。罪は死であり、病氣はなほ生であるのか。死は觀念であり、病氣は經驗であるのか。ともかく病氣の觀念から傳統主義を導き出すことは不可能である。それでは罪の觀念の存しないといはれる東洋思想において、傳統主義といふものは、そしてまたヒューマニズムといふものは、如何なるものであらうか。問題は死の見方に關はつてゐる。


幸福について


 今日の人間は幸福について殆ど考へないやうである。試みに近年現はれた倫理學書、とりわけ我が國で書かれた倫理の本を開いて見たまへ。只の一個所も幸福の問題を取扱つてゐない書物を發見することは諸君にとつて甚だ容易であらう。かやうな書物を倫理の本と信じてよいのかどうか、その著者を倫理學者と認めるべきであるのかどうか、私にはわからない。疑ひなく確かなことは、過去のすべての時代においてつねに幸福が倫理の中心問題であつたといふことである。ギリシアの古典的な倫理學がさうであつたし、ストアの嚴肅主義の如きも幸福のために節欲を説いたのであり、キリスト教においても、アウグスティヌスやパスカルなどは、人間はどこまでも幸福を求めるといふ事實を根本として彼等の宗教論や倫理學を出立したのである。幸福について考へないことは今日の人間の特徴である。現代における倫理の混亂は種々に論じられてゐるが、倫理の本から幸福論が喪失したといふことはこの混亂を代表する事實である。新たに幸福論が設定されるまでは倫理の混亂は救はれないであらう。

 幸福について考へることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであるといはれるかも知れない。健全な胃をもつてゐる者が胃の存在を感じないやうに、幸福である者は幸福について考へないといはれるであらう。しかしながら今日の人間は果して幸福であるために幸福について考へないのであるか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考へる氣力をさへ失はせてしまつたほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられるほど今の世の中は不幸に充ちてゐるのではあるまいか。しかしながら幸福を知らない者に不幸の何であるかが理解されるであらうか。今日の人間もあらゆる場合にいはば本能的に幸福を求めてゐるに相違ない。しかも今日の人間は自意識の過剩に苦しむともいはれてゐる。その極めて自意識的な人間が幸福については殆ど考へないのである。これが現代の精神的状況の性格であり、これが現代人の不幸を特徴附けてゐる。


 良心の義務と幸福の要求とを對立的に考へるのは近代的リゴリズムである。これに反して私は考へる。今日の良心とは幸福の要求である、と。社會、階級、人類、等々、あらゆるものの名において人間的な幸福の要求が抹殺されようとしてゐる場合、幸福の要求ほど良心的なものがあるであらうか。幸福の要求と結び附かない限り、今日倫理の概念として絶えず流用されてゐる社會、階級、人類、等々も、何等倫理的な意味を有し得ないであらう。或ひは倫理の問題が幸福の問題から分離されると共に、あらゆる任意のものを倫理の概念として流用することが可能になつたのである。幸福の要求が今日の良心として復權されねばならぬ。ひとがヒューマニストであるかどうかは、主としてこの點に懸つてゐる。

 幸福の問題が倫理の問題から抹殺されるに從つて多くの倫理的空語を生じた。例へば、倫理的といふことと主體的といふこととが一緒に語られるのは正しい。けれども主體的といふことも今日では幸福の要求から抽象されることによつて一つの倫理的空語となつてゐる。そこでまた現代の倫理學から抹殺されようとしてゐるのは動機論であり、主體的といふ語の流行と共に倫理學は却つて客觀論に陷るに至つた。幸福の要求がすべての行爲の動機であるといふことは、以前の倫理學の共通の出發點であつた。現代の哲學はかやうな考へ方を心理主義と名附けて排斥することを學んだのであるが、そのとき他方において現代人の心理の無秩序が始まつたのである。この無秩序は、自分の行爲の動機が幸福の要求であるのかどうかが分らなくなつたときに始まつた。そしてそれと同時に心理のリアリティが疑はしくなり、人間解釋についてあらゆる種類の觀念主義が生じた。心理のリアリティは心理のうちに秩序が存在する場合にあかしされる。幸福の要求はその秩序の基底であり、心理のリアリティは幸福の要求の事實のうちに與へられてゐる。幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内實において虚無主義にほかならぬ。


 以前の心理學は心理批評の學であつた。それは藝術批評などといふ批評の意味における心理批評を目的としてゐた。人間精神のもろもろの活動、もろもろの側面を評價することによつてこれを秩序附けるといふのが心理學の仕事であつた。この仕事において哲學者は文學者と同じであつた。かやうな價値批評としての心理學が自然科學的方法に基く心理學によつて破壞されてしまふ危險の生じたとき、これに反抗して現はれたのが人間學といふものである。しかるにこの人間學も今日では最初の動機から逸脱して人間心理の批評といふ固有の意味を抛棄し、あらゆる任意のものが人間學と稱せられるやうになつてゐる。哲學における藝術家的なものが失はれてしまひ、心理批評の仕事はただ文學者にのみ委ねられるやうになつた。そこに心理學をもたないことが一般的になつた今日の哲學の抽象性がある。その際見逃してならぬことは、この現代哲學の一つの特徴が幸福論の抹殺と關聯してゐるといふことである。


 幸福を單に感性的なものと考へることは間違つてゐる。むしろ主知主義が倫理上の幸福説と結び附くのがつねであることを思想の歴史は示してゐる。幸福の問題は主知主義にとつて最大の支柱であるとさへいふことができる。もし幸福論を抹殺してかかるなら、主知主義を扼殺することは容易である。實際、今日の反主知主義の思想の殆どすべてはこのやうに幸福論を抹殺することから出發してゐるのである。そこに今日の反主知主義の祕密がある。


 幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考へねばならぬといふのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に對して、自分が幸福であることよりなほ以上の善いことを爲し得るであらうか。


 愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であつたのでなく、反對に、彼等は幸福であつた故に愛するもののために死ぬる力を有したのである。日常の小さな仕事から、喜んで自分を犧牲にするといふに至るまで、あらゆる事柄において、幸福は力である。徳が力であるといふことは幸福の何よりもよく示すところである。


 死は觀念である、と私は書いた。これに對して生は何であるか。生とは想像である、と私はいはうと思ふ。いかに生の現實性を主張する者も、飜つてこれを死と比較するとき、生がいかに想像的なものであるかを理解するであらう。想像的なものは非現實的であるのでなく、却つて現實的なものは想像的なものであるのである。現實は私のいふ構想力(想像力)の論理に從つてゐる。人生は夢であるといふことを誰が感じなかつたであらうか。それは單なる比喩ではない、それは實感である。この實感の根據が明かにされねばならぬ、言ひ換へると、夢或ひは空想的なものの現實性が示されなければならない。その證明を與へるものは構想力の形成作用である。生が想像的なものであるといふ意味において幸福も想像的なものであるといふことができる。


 人間を一般的なものとして理解するには、死から理解することが必要である。死はもとより全く具體的なものである。しかしこの全く具體的な死はそれにも拘らず一般的なものである。「ひとは唯ひとり死ぬるであらう」、とパスカルはいつた。各人がみな別々に死んでゆく、けれどもその死はそれにも拘らず死として一般的なものである。人祖アダムといふ思想はここに根據をもつてゐる。死の有するこの不思議な一般性こそ我々を困惑させるものである。死はその一般性において人間を分離する。ひとびとは唯ひとり死ぬる故に孤獨であるのではなく、死が一般的なものである故にひとびとは死に會つて孤獨であるのである。私が生き殘り、汝が唯ひとり死んでゆくとしても、もし汝の死が一般的なものでないならば、私は汝の死において孤獨を感じないであらう。

 しかるに生はつねに特殊的なものである。一般的な死が分離するに反して、特殊的な生は結合する。死は一般的なものといふ意味において觀念と考へられるに對して、生は特殊的なものといふ意味において想像と考へられる。我々の想像力は特殊的なものにおいてのほか樂しまない。(藝術家は本性上多神論者である)。もとより人間は單に特殊的なものでなく同時に一般的なものである。しかし生の有する一般性は死の有する一般性とは異つてゐる。死の一般性が觀念の有する一般性に類するとすれば、生の一般性は想像力に關はるところのタイプの一般性と同樣のものである。個性とは別にタイプがあるのでなく、タイプは個性である。死そのものにはタイプがない。死のタイプを考へるのは死をなほ生から考へるからである。個性は多樣の統一であるが、相矛盾する多樣なものを統一して一つの形に形成するものが構想力にほかならない。感性からも知性からも考へられない個性は構想力から考へられねばならぬ。生と同じく幸福が想像であるといふことは、個性が幸福であることを意味してゐる。


 自然はその發展の段階を昇るに從つて益々多くの個性に分化する。そのことは闇から光を求めて創造する自然の根源的な欲求が如何なるものであるかを語つてゐる。


 人格は地の子らの最高の幸福であるといふゲーテの言葉ほど、幸福についての完全な定義はない。幸福になるといふことは人格になるといふことである。

 幸福は肉體的快樂にあるか精神的快樂にあるか、活動にあるか存在にあるかといふが如き問は、我々をただ紛糾に引き入れるだけである。かやうな問に對しては、そのいづれでもあると答へるのほかないであらう。なぜなら、人格は肉體であると共に精神であり、活動であると共に存在であるから。そしてかかることは人格といふものが形成されるものであることを意味してゐる。


 今日ひとが幸福について考へないのは、人格の分解の時代と呼ばれる現代の特徴に相應してゐる。そしてこの事實は逆に幸福が人格であるといふ命題をいはば世界史的規模において證明するものである。


 幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるやうにいつでも氣樂にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし眞の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と鬪ふのである。幸福を武器として鬪ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。


 機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現はれる。歌はぬ詩人といふものは眞の詩人でない如く、單に内面的であるといふやうな幸福は眞の幸福ではないであらう。幸福は表現的なものである。鳥の歌ふが如くおのづから外に現はれて他の人を幸福にするものが眞の幸福である。


懷疑について


 懷疑の意味を正確に判斷することは容易でないやうに見える。或る場合には懷疑は神祕化され、それから一つの宗教が生ずるまでに至つてゐる。あらゆる神祕を拂ひのけることが懷疑の仕事であるであらうに。反對に他の場合には如何なる懷疑も懷疑であるといふ理由で容赦なく不道徳として貶せられてゐる。懷疑は知性の一つの徳であり得るであらうに。前の場合、懷疑そのものが一つの獨斷となる。後の場合、懷疑を頭から敲きつけようとするのもやはり獨斷である。

 いづれにしても確かなことは、懷疑が特に人間的なものであるといふことである。神には懷疑はないであらう、また動物にも懷疑はないであらう。懷疑は天使でもなく獸でもない人間に固有なものである。人間は知性によつて動物にまさるといはれるならば、それは懷疑によつて特色附けられることができるであらう。實際、多少とも懷疑的でないやうな知性人があるであらうか。そして獨斷家は或る場合には天使の如く見え、或る場合には獸の如く見えないであらうか。


 人間的な知性の自由はさしあたり懷疑のうちにある。自由人といはれる者で懷疑的でなかつたやうな人を私は知らない。あの honnête homme(眞人間)といはれた者にはみな懷疑的なところがあつたし、そしてそれは自由人を意味したのである。しかるに哲學者が自由の概念をどのやうに規定するにしても、現實の人間的な自由は節度のうちにある。古典的なヒューマニズムにおいて最も重要な徳であつたこの節度といふものは現代の思想においては稀になつてゐる。懷疑が知性の徳であるためには節度がなければならぬ。一般に思想家の節度といふものが問題である。モンテーニュの最大の智慧は懷疑において節度があるといふことであつた。また實に、節度を知らないやうな懷疑は眞の懷疑ではないであらう。度を越えた懷疑は純粹に懷疑に止まつてゐるのでなく、一つの哲學説としての懷疑論になつてゐるか、それとも懷疑の神祕化、宗教化に陷つてゐるのである。そのいづれももはや懷疑ではなく、一つの獨斷である。


 懷疑は知性の徳として人間精神を淨化する。ちやうど泣くことが生理的に我々の感情を淨化するやうに。しかし懷疑そのものは泣くことに類するよりも笑ふことに類するであらう。笑は動物にはない人間的な表情であるとすれば、懷疑と笑との間に類似が存在するのは自然である。笑も我々の感情を淨化することができる。懷疑家の表情は澁面ばかりではない。知性に固有な快活さを有しない懷疑は眞の懷疑ではないであらう。

 眞の懷疑家はソフィストではなくてソクラテスであつた。ソクラテスは懷疑が無限の探求にほかならぬことを示した。その彼はまた眞の悲劇家は眞の喜劇家であることを示したのである。


 從來の哲學のうち永續的な生命を有するもので何等か懷疑的なところを含まないものがあるであらうか。唯一つの偉大な例外はヘーゲルである。そのヘーゲルの哲學は、歴史の示すやうに、一時は熱狂的な信奉者を作るが、やがて全く顧みられなくなるといふ特質を具へてゐる。この事實のうちに恐らくヘーゲルの哲學の祕密がある。


 論理學者は論理の根柢に直觀があるといふ。ひとは無限に證明してゆくことができぬ、あらゆる論證はもはやそれ自身は論證することのできぬもの、直觀的に確實なものを前提し、それから出立して推論するといはれる。しかし論理の根柢にある直觀的なものがつねに確實なものであるといふ證明は存在するであらうか。もしそれがつねに確實なものであるとすれば、何故にひとはその直觀に止まらないで、なほ論理を必要とするであらうか。確實なものの直觀があるばかりでなく、不確實なものの直觀があるやうに思はれる。直觀をつねに疑ふのは愚かなことであり、直觀をつねに信じるのも至らぬことである。そして普通にいはれるのとは逆に、感性的な直觀がそれ自身の種類において確實なものの直觀であるのに對して、知性的な直觀の特徴はむしろ不確實なものの直觀に存するやうにさへ思はれる。確實なものの直觀は──感性的なものであるにせよ、超感性的なものであるにせよ、──それ自體においては論理の證明を要しないのに反して、不確實なものの直觀──懷疑的直觀もしくは直觀的懷疑──こそ論理を必要とするもの、論理を動かすものである。論理によつて懷疑が出てくるのでなく、懷疑から論理が求められてくるのである。かやうに論理を求めるところに知性の矜持があり、自己尊重がある。いはゆる論理家は公式主義者であり、獨斷家の一つの種類に過ぎない。

 不確實なものが確實なものの基礎である。哲學者は自己のうちに懷疑が生きてゐる限り哲學し、物を書く。もとより彼は不確實なもののために働くのではない。──「ひとは不確實なもののために働く」、とパスカルは書いてゐる。けれども正確にいふと、ひとは不確實なもののために働くのでなく、むしろ不確實なものから働くのである。人生がただ動くことでなくて作ることであり、單なる存在でなくて形成作用であり、またさうでなければならぬ所以である。そしてひとは不確實なものから働くといふところから、あらゆる形成作用の根柢に賭があるといはれ得る。


 獨斷に對する懷疑の力と無力とは、情念に對する知性の力と無力とである。獨斷は、それが一つの賭である場合にのみ、知性的であり得る。情念はつねにただ單に肯定的であり、獨斷の多くは情念に基いてゐる。


 多くの懷疑家は外見に現はれるほど懷疑家ではない。また多くの獨斷家は外見に現はれるほど獨斷家ではない。


 ひとは時として他に對する虚榮から懷疑的になるが、更により多く他に對する虚榮のために獨斷的になる。そしてそれは他面、人間において政治的欲望即ち他に對する支配の欲望が普遍的であることを示すと共に、彼においてまた教育的欲望が普遍的であることを示してゐる。政治にとつては獨斷も必要であらう。けれども教育にとつて同樣に獨斷が必要であるかどうかは疑問である。ただ、政治的欲望を含まないやうな教育的欲望が稀であることは確かである。


 いかなる人も他を信じさせることができるほど己を信じさせることができない。他人を信仰に導く宗教家は必ずしも絶對に懷疑のない人間ではない。彼が他の人に滲透する力はむしろその一半を彼のうちになほ生きてゐる懷疑に負うてゐる。少くとも、さうでないやうな宗教家は思想家とはいはれないであらう。


 自分では疑ひながら發表した意見が他人によつて自分の疑つてゐないもののやうに信じられる場合がある。そのやうな場合には遂に自分でもその意見を信じるやうになるものである。信仰の根源は他者にある。それは宗教の場合でもさうであつて、宗教家は自分の信仰の根源は神にあるといつてゐる。


 懷疑といふものは散文でしか表はすことのできないものである。そのことは懷疑の性質を示すと共に、逆に散文の固有の面白さ、またその難かしさがどこにあるかを示してゐる。


 眞の懷疑家は論理を追求する。しかるに獨斷家は全く論證しないか、ただ形式的に論證するのみである。獨斷家は甚だしばしば敗北主義者、知性の敗北主義者である。彼は外見に現はれるほど決して強くはない、彼は他人に對しても自己に對しても強がらねばならぬ必要を感じるほど弱いのである。

 ひとは敗北主義から獨斷家になる。またひとは絶望から獨斷家になる。絶望と懷疑とは同じでない。ただ知性の加はる場合にのみ絶望は懷疑に變り得るのであるが、これは想像されるやうに容易なことではない。


 純粹に懷疑に止まることは困難である。ひとが懷疑し始めるや否や、情念が彼を捕へるために待つてゐる。だから眞の懷疑は青春のものでなく、むしろ既に精神の成熟を示すものである。青春の懷疑は絶えず感傷に伴はれ、感傷に變つてゆく。


 懷疑には節度がなければならず、節度のある懷疑のみが眞に懷疑の名に價するといふことは、懷疑が方法であることを意味してゐる。懷疑が方法であることはデカルトによつて確認された眞理である。デカルトの懷疑は一見考へられるやうに極端なものでなく、つねに注意深く節度を守つてゐる。この點においても彼はヒューマニストであつた。彼が方法敍説第三部における道徳論を暫定的な或ひは一時しのぎのものと稱したことは極めて特徴的である。

 方法についての熟達は教養のうち最も重要なものであるが、懷疑において節度があるといふことよりも決定的な教養のしるしを私は知らない。しかるに世の中にはもはや懷疑する力を失つてしまつた教養人、或ひはいちど懷疑的になるともはや何等方法的に考へることのできぬ教養人が多いのである。いづれもディレッタンティズムの落ちてゆく教養のデカダンスである。


 懷疑が方法であることを理解した者であつて初めて獨斷もまた方法であることを理解し得る。前のことを先づ理解しないで、後のことをのみ主張する者があるとしたら、彼は未だ方法の何物であるかを理解しないものである。


 懷疑は一つの所に止まるといふのは間違つてゐる。精神の習慣性を破るものが懷疑である。精神が習慣的になるといふことは精神のうちに自然が流れ込んでゐることを意味してゐる。懷疑は精神のオートマティズムを破るものとして既に自然に對する知性の勝利を現はしてゐる。不確實なものが根源であり、確實なものは目的である。すべて確實なものは形成されたものであり、結果であつて、端初としての原理は不確實なものである。懷疑は根源への關係附けであり、獨斷は目的への關係附けである。理論家が懷疑的であるのに對して實踐家は獨斷的であり、動機論者が懷疑家であるのに對して結果論者は獨斷家であるといふのがつねであることは、これに依るのである。しかし獨斷も懷疑も共に方法であるべきことを理解しなければならぬ。


 肯定が否定においてあるやうに、物質が精神においてあるやうに、獨斷は懷疑においてある。


 すべての懷疑にも拘らず人生は確實なものである。なぜなら、人生は形成作用である故に、單に在るものでなく、作られるものである故に。


習慣について


 人生において或る意味では習慣がすべてである。といふのはつまり、あらゆる生命あるものは形をもつてゐる、生命とは形であるといふことができる、しかるに習慣はそれによつて行爲に形が出來てくるものである。もちろん習慣は單に空間的な形ではない。單に空間的な形は死んだものである。習慣はこれに反して生きた形であり、かやうなものとして單に空間的なものでなく、空間的であると同時に時間的、時間的であると同時に空間的なもの、即ち辯證法的な形である。時間的に動いてゆくものが同時に空間的に止まつてゐるといふところに生命的な形が出來てくる。習慣は機械的なものでなくてどこまでも生命的なものである。それは形を作るといふ生命に内的な本質的な作用に屬してゐる。

 普通に習慣は同じ行爲を反覆することによつて生ずると考へられてゐる。けれども嚴密にいふと、人間の行爲において全く同一のものはないであらう。個々の行爲にはつねに偶然的なところがある。我々の行爲は偶然的な、自由なものである故に習慣も作られるのである。習慣は同じことの反覆の物理的な結果ではない。確定的なものは不確定なものから出てくる。個々の行爲が偶然的であるから習慣も出來るのであつて、習慣は多數の偶然的な行爲のいはば統計的な規則性である。自然の法則も統計的な性質のものである限り、習慣は自然であるといふことができる。習慣が自然と考へられるやうに、自然も習慣である。ただ、習慣といふ場合、自然は具體的に形として見られなければならぬ。


 模倣と習慣とは或る意味において相反するものであり、或る意味において一つのものである。模倣は特に外部のもの、新しいものの模倣として流行の原因であるといはれる。流行に對して習慣は傳統的なものであり、習慣を破るものは流行である。流行よりも容易に習慣を破り得るものはないであらう。しかし習慣もそれ自身一つの模倣である。それは内部のもの、舊いものの模倣である。習慣において自己は自己を模倣する。自己が自己を模倣するところから習慣が作られてくる。流行が横の模倣であるとすれば、習慣は縱の模倣である。ともかく習慣もすでに模倣である以上、習慣においても我々の一つの行爲は他の行爲に對して外部にあるものの如く獨立でなければならぬ。習慣を單に連續的なものと考へることは誤である。非連續的なものが同時に連續的であり、連續的なものが同時に非連續的であるところに習慣は生ずる。つまり習慣は生命の法則を現はしてゐる。

 習慣と同じく流行も生命の一つの形式である。生命は形成作用であり、模倣は形成作用にとつて一つの根本的な方法である。生命が形成作用(ビルドゥング)であるといふことは、それが教育(ビルドゥング)であることを意味してゐる。教育に對する模倣の意義については古來しばしば語られてゐる。その際、習慣が一つの模倣であることを考へると共に、流行がまた模倣としていかに大きな教育的價値をもつてゐるかについて考へることが大切である。

 流行が環境から規定されるやうに、習慣も環境から規定されてゐる。習慣は主體の環境に對する作業的適應として生ずる。ただ、流行においては主體は環境に對してより多く受動的であるのに反して、習慣においてはより多く能動的である。習慣のこの力は形の力である。しかし流行が習慣を破り得るといふことは、その習慣の形が主體と環境との關係から生じた辯證法的なものであるためである。流行のこの力は、それが習慣と相反する方向のものであるといふことに基いてゐる。流行は最大の適應力を有するといはれる人間に特徴的である。習慣が自然的なものであるのに對して、流行は知性的なものであるとさへ考へることができるであらう。

 習慣は自己による自己の模倣として自己の自己に對する適應であると同時に、自己の環境に對する適應である。流行は環境の模倣として自己の環境に對する適應から生ずるものであるが、流行にも自己が自己を模倣するといふところがあるであらう。我々が流行に從ふのは、何か自己に媚びるものがあるからである。ただ、流行が形としては不安定であり、流行には形がないともいはれるのに對して、習慣は形として安定してゐる。しかるに習慣が形として安定してゐるといふことは、習慣が技術であることを意味してゐる。その形は技術的に出來てくるものである。ところが流行にはかやうな技術的な能動性が缺けてゐる。


 一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといはれる。しかし實をいふと、習慣こそ情念を支配し得るものである。一つの情念を支配し得るのは理性でなくて他の情念であるといはれるやうな、その情念の力はどこにあるのであるか。それは單に情念のうちにあるのでなく、むしろ情念が習慣になつてゐるところにある。私が恐れるのは彼の憎みではなくて、私に對する彼の憎みが習慣になつてゐるといふことである。習慣に形作られるのでなければ情念も力がない。一つの習慣は他の習慣を作ることによつて破られる。習慣を支配し得るのは理性でなくて他の習慣である。言ひ換へると、一つの形を眞に克服し得るものは他の形である。流行も習慣になるまでは不安定な力に過ぎない。情念はそれ自身としては形の具はらぬものであり、習慣に對する情念の無力もそこにある。一つの情念が他の情念を支配し得るのも、知性が加はることによつて作られる秩序の力に基いてゐる。情念は形の具はらぬものとして自然的なものと考へられる。情念に對する形の支配は自然に對する精神の支配である。習慣も形として單なる自然でなく、すでに精神である。


 形を單に空間的な形としてしか、從つて物質的な形としてしか表象し得ないといふのは近代の機械的な悟性のことである。むしろ精神こそ形である。ギリシアの古典的哲學は物質は無限定な質料であつて精神は形相であると考へた。現代の生の哲學は逆に精神的生命そのものを無限定な流動の如く考へてゐる。この點において生の哲學も形に關する近代の機械的な考へ方に影響されてゐる。しかし精神を形相と考へたギリシア哲學は形相をなほ空間的に表象した。東洋の傳統的文化は習慣の文化であるといふことができる。習慣が自然であるやうに、東洋文化の根柢にあるのは或る自然である。また習慣が單なる自然でなく文化であるやうに、東洋的自然は同時に文化の意味をもつてゐる。文化主義的な西洋において形が空間的に表象されたのに對して、自然主義的な東洋の文化は却つて精神の眞に精神的な形を追究した。しかしすでに形といふ以上、それは純粹な精神であることができるか。習慣が自然と見られるやうに、精神の形といつても同時に自然の意味がなければならぬ。習慣は單なる精神でも單なる身體でもない具體的な生命の内的な法則である。習慣は純粹に精神的といはれる活動のうちにも見出される自然的なものである。


 思惟の範疇といふものをヒュームが習慣から説明したのは、現代の認識論の批評するやうに、それほど笑ふべきことであるかどうか、私は知らない。範疇の單に論理的な意味でなくてその存在論的な意味を考へようとする場合、それを習慣から説明するよりも一層適切に説明する仕方があるかどうか、私は知らない。ただその際、習慣を單なる經驗から生ずるもののやうに考へる機械的な見方を排することが必要である。經驗論は機械論であることによつて間違つてゐる。經驗の反覆といふことは習慣の本質の説明にとつてつねに不十分である。石はたとひ百萬遍同じ方向に同じ速度で投げられたにしてもそのために習慣を得ることがない、習慣は生命の内的な傾向に屬してゐる。經驗論に反對する先驗論は普通に、經驗を習慣の影響の全くない感覺と同一視してゐる。感覺を喚び起す作用のうちに現はれる習慣から影響されないやうな知識の「内容」といふものが存在するであらうか。習慣は思惟のうちにも作用する。


 社會的習慣としての慣習が道徳であり、權威をもつてゐるのは、單にそれが社會的なものであるといふことに依るのではなく、却つてそれが表現的なものとして形であることに基くのである。如何なる形もつねに超越的な意味をもつてゐる。形を作るといふ生命に本質的な作用は生命に内在する超越的傾向を示してゐる。しかし形を作ることは同時に生命が自己を否定することである。生命は形によつて生き、形において死ぬる。生命は習慣によつて生き、習慣において死ぬる。死は習慣の極限である。


 習慣を自由になし得る者は人生において多くのことを爲し得る。習慣は技術的なものである故に自由にすることができる。もとよりたいていの習慣は無意識的な技術であるが、これを意識的に技術的に自由にするところに道徳がある。修養といふものはかやうな技術である。もし習慣がただ自然であるならば、習慣が道徳であるとはいひ得ないであらう。すべての道徳には技術的なものがあるといふことを理解することが大切である。習慣は我々に最も手近かなもの、我々の力のうちにある手段である。

 習慣が技術であるやうに、すべての技術は習慣的になることによつて眞に技術であることができる。どのやうな天才も習慣によるのでなければ何事も成就し得ない。


 從來修養といはれるものは道具時代の社會における道徳的形成の方法である。この時代の社會は有機的で、限定されたものであつた。しかるに今日では道具時代から機械時代に變り、我々の生活の環境も全く違つたものになつてゐる。そのために道徳においても修養といふものだけでは不十分になつた。道具の技術に比して機械の技術は習慣に依存することが少く、知識に依存することが多いやうに、今日では道徳においても知識が特に重要になつてゐるのである。しかしまた道徳は有機的な身體を離れ得るものでなく、そして知性のうちにも習慣が働くといふことに注意しなければならぬ。


 デカダンスは情念の不定な過剩であるのではない。デカダンスは情念の特殊な習慣である。人間の行爲が技術的であるところにデカダンスの根源がある。情念が習慣的になり、技術的になるところからデカダンスが生ずる。自然的な情念の爆發はむしろ習慣を破るものであり、デカダンスとは反對のものである。すべての習慣には何等かデカダンスの臭が感じられないであらうか。習慣によつて我々が死ぬるといふのは、習慣がデカダンスになるためであつて、習慣が靜止であるためではない。


 習慣によつて我々は自由になると共に習慣によつて我々は束縛される。しかし習慣において恐るべきものは、それが我々を束縛することであるよりも、習慣のうちにデカダンスが含まれることである。

 あのモラリストたちは世の中にいかに多くの奇怪な習慣が存在するかについてつねに語つてゐる。そのことはいかに習慣がデカダンスに陷り易いかを示すものである。多くの奇怪な藝術が存在するやうに多くの奇怪な習慣が存在する。しかるにそのことはまた習慣が藝術と同樣、構想力に屬することを示すであらう。

 習慣に對して流行はより知性的であるといふことができる。流行には同じやうなデカダンスがないであらう。そこに流行の生命的價値がある。しかしながら流行そのものがデカダンスになる場合、それは最も恐るべきものである。流行は不安定で、それを支へる形といふものがないから。流行は直接に虚無につらなる故に、そのデカダンスには底がない。


虚榮について


 Vanitati creatura subjecta est etiam nolens.──「造られたるものの虚無に服せしは、己が願によるにあらず、服せしめ給ひし者によるなり。」ロマ書第八章廿節。


 虚榮は人間的自然における最も普遍的な且つ最も固有な性質である。虚榮は人間の存在そのものである。人間は虚榮によつて生きてゐる。虚榮はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。

 虚榮によつて生きる人間の生活は實體のないものである。言ひ換へると、人間の生活はフィクショナルなものである。それは藝術的意味においてもさうである。といふのは、つまり人生はフィクション(小説)である。だからどのやうな人でも一つだけは小説を書くことができる。普通の人間と藝術家との差異は、ただ一つしか小説を書くことができないか、それとも種々の小説を書くことができるかといふ點にあるといひ得るであらう。

 人生がフィクションであるといふことは、それが何等の實在性を有しないといふことではない。ただその實在性は物的實在性と同じでなく、むしろ小説の實在性とほぼ同じものである。即ち實體のないものが如何にして實在的であり得るかといふことが人生において、小説においてと同樣、根本問題である。


 人生はフィクショナルなものとして元來ただ可能的なものである。その現實性は我々の生活そのものによつて初めて證明されねばならぬ。


 いかなる作家が神や動物についてフィクションを書かうとしたであらうか。神や動物は、人間のパッションが彼等のうちに移入された限りにおいてのみ、フィクションの對象となることができたのである。ひとり人間の生活のみがフィクショナルなものである。人間は小説的動物であると定義することができるであらう。


 自然は藝術を模倣するといふのはよく知られた言葉である。けれども藝術を模倣するのは固有な意味においては自然のうち人間のみである。人間が小説を模倣しまた模倣し得るのは、人間が本性上小説的なものであるからでなければならぬ。人間は人間的になり始める否や、自己と自己の生活を小説化し始める。


 すべての人間的といはれるパッションはヴァニティから生れる。人間のあらゆるパッションは人間的であるが、假に人間に動物的なパッションがあるとしても、それが直ちにヴァニティにとらへられ得るところに人間的なものが認められる。


 ヴァニティはいはばその實體に從つて考へると虚無である。ひとびとが虚榮といつてゐるものはいはばその現象に過ぎない。人間的なすべてのパッションは虚無から生れ、その現象において虚榮的である。人生の實在性を證明しようとする者は虚無の實在性を證明しなければならぬ。あらゆる人間的創造はかやうにして虚無の實在性を證明するためのものである。


「虚榮をあまり全部自分のうちにたくはへ、そしてそれに酷使されることにならないやうに、それに對して割れ目を開いておくのが宜い。いはば毎日の排水が必要なのである。」かやうにいつたジューベールは常識家であつた。しかしこの常識には賢明な處世法が示されてゐる。虚榮によつて滅亡しないために、人間はその日々の生活において、あらゆる小事について、虚榮的であることが必要である。

 この點において英雄は例外である。英雄はその最後によつて、つまり滅亡によつて自己を證明する。喜劇の主人公には英雄がない、英雄はただ悲劇の主人公であることができる。


 人間は虚榮によつて生きるといふことこそ、彼の生活にとつて智慧が必要であることを示すものである。人生の智慧はすべて虚無に到らなければならぬ。


 紙幣はフィクショナルなものである。しかしまた金貨もフィクショナルなものである。けれども紙幣と金貨との間には差別が考へられる。世の中には不換紙幣といふものもあるのである。すべてが虚榮である人生において智慧と呼ばれるものは金貨と紙幣とを、特に不換紙幣とを區別する判斷力である。尤も金貨もそれ自身フィクショナルなものではない。


 しかし人間が虚榮的であるといふことはすでに人間のより高い性質を示してゐる。虚榮心といふのは自分があるよりも以上のものであることを示さうする人間的なパッションである。それは假裝に過ぎないかも知れない。けれども一生假裝し通した者において、その人の本性と假性とを區別することは不可能に近いであらう。道徳もまたフィクションではないか。それは不換紙幣に對する金貨ほどの意味をもつてゐる。


 人間が虚榮的であるといふことは人間が社會的であることを示してゐる。つまり社會もフィクションの上に成立してゐる。從つて社會においては信用がすべてである。あらゆるフィクションが虚榮であるといふのではない。フィクションによつて生活する人間が虚榮的であり得るのである。


 文明の進歩といふのは人間の生活がより多くフィクションの上に築かれることであるとすれば、文明の進歩と共に虚榮は日常茶飯事となる。そして英雄的な悲劇もまた少くなる。


 フィクションであるものを自然的と思はれるものにするのは習慣の力である。むしろ習慣的になることによつてフィクションは初めてフィクションの意味を有するに至るのである。かくしてただ單に虚榮であるものは未だフィクションとはいはれない。それ故にフィクションは虚榮であるにしても、すでにフィクションとして妥當する以上、單なる虚榮であることからより高い人間的なものとなつてゐる。習慣はすでにかやうなより高い人間性を現はしてゐる。習慣は單に自然的なものでなく、すでに知性的なものの一つの形である。


 すべての人間の惡は孤獨であることができないところから生ずる。


 いかにして虚榮をなくすることができるか。虚無に歸することによつて。それとも虚無の實在性を證明することによつて。言ひ換へると、創造によつて。創造的な生活のみが虚榮を知らない。創造といふのはフィクションを作ることである、フィクションの實在性を證明することである。


 虚榮は最も多くの場合消費と結び附いてゐる。


 人に氣に入らんがために、或ひは他の者に對して自分を快きものにせんがために虚榮的であることは、ジューベールのいつた如く、すでに「半分の徳」である。すべての虚榮はこの半分の徳のために許されてゐる。虚榮を排することはそれ自身ひとつの虚榮であり得るのみでなく、心のやさしさの敵である傲慢に堕してゐることがしばしばである。


 その理想國から藝術家を追放しようとしたプラトンには一つの智慧がある。しかし自己の生活について眞の藝術家であるといふことは、人間の立場において虚榮を驅逐するための最高のものである。


 虚榮は生活において創造から區別されるディレッタンティズムである。虚榮を藝術におけるディレッタンティズムに比して考へる者は、虚榮の適切な處理法を發見し得るであらう。


名譽心について


 名譽心と虚榮心とほど混同され易いものはない。しかも兩者ほど區別の必要なものはない。この二つのものを區別することが人生についての智慧の少くとも半分であるとさへいふことができるであらう。名譽心が虚榮心と誤解されることは甚だ多い、しかしまた名譽心は極めて容易に虚榮心に變ずるものである。個々の場合について兩者を區別するには良い眼をもたねばならぬ。


 人生に對してどんなに嚴格な人間も名譽心を抛棄しないであらう。ストイックといふのはむしろ名譽心と虚榮心とを區別して、後者に誘惑されない者のことである。その區別ができない場合、ストイックといつても一つの虚榮に過ぎぬ。


 虚榮心はまづ社會を對象としてゐる。しかるに名譽心はまづ自己を對象とする。虚榮心が對世間的であるのに反して、名譽心は自己の品位についての自覺である。

 すべてのストイックは本質的に個人主義者である。彼のストイシズムが自己の品位についての自覺にもとづく場合、彼は善き意味における個人主義者であり、そしてそれが虚榮の一種である場合、彼は惡しき意味における個人主義者に過ぎぬ。ストイシズムの價値も限界も、それが本質的に個人主義であるところにある。ストイシズムは自己のものである諸情念を自己とは關はりのない自然物の如く見ることによつて制御するのであるが、それによつて同時に自己或ひは人格といふ抽象的なものを確立した。この抽象的なものに對する情熱がその道徳の本質をなしてゐる。


 名譽心と個人意識とは不可分である。ただ人間だけが名譽心をもつてゐるといはれるのも、人間においては動物においてよりも遙かに多く個性が分化してゐることに關係するであらう。名譽心は個人意識にとつていはば構成的である。個人であらうとすること、それが人間の最深の、また最高の名譽心である。

 名譽心も、虚榮心と同樣、社會に向つてゐるといはれるであらう。しかしそれにしても、虚榮心においては相手は「世間」といふもの、詳しくいふと、甲でもなく乙でもないと同時に甲でもあり乙でもあるところの「ひと」、アノニムな「ひと」であるのに反して、名譽心においては相手は甲であり或ひは乙であり、それぞれの人間が個人としての獨自性を失はないでゐるところの社會である。虚榮心は本質的にアノニムである。

 虚榮心の虜になるとき、人間は自己を失ひ、個人の獨自性の意識を失ふのがつねである。そのとき彼はアノニムな「ひと」を對象とすることによつて彼自身アノニムな「ひと」となり、虚無に歸する。しかるに名譽心においては、それが虚榮心に變ずることなく眞に名譽心にとどまつてゐる限り、人間は自己と自己の獨自性の自覺に立つのでなければならぬ。

 ひとは何よりも多く虚榮心から模倣し、流行に身を委せる。流行はアノニムなものである。それだから名譽心をもつてゐる人間が最も嫌ふのは流行の模倣である。名譽心といふのはすべてアノニムなものに對する戰ひである。


 發生的にいふと、四足で地に這ふことをやめたとき人間には名譽心が生じた。彼が直立して歩行するやうになつたといふことは、彼の名譽心の最初の、最大の行爲であつた。

 直立することによつて人間は抽象的な存在になつた。そのとき彼には手といふもの、このあらゆる器官のうち最も抽象的な器官が出來た、それは同時に彼にとつて抽象的な思考が可能になつたことである、等々、──そして名譽心といふのはすべて抽象的なものに對する情熱である。

 抽象的なものに對する情熱をもつてゐるかどうかが名譽心にとつて基準である。かくして世の中において名譽心から出たもののやうにいはれてゐることも實は虚榮心にもとづくものが如何に多いであらう。


 抽象的な存在になつた人間はもはや環境と直接に融合して生きることができず、むしろ環境に對立し、これと戰ふことによつて生きねばならぬ。──名譽心といふのはあらゆる意味における戰士のこころである。騎士道とか武士道とかにおいて名譽心が根本的な徳と考へられたのもこれに關聯してゐる。


 たとへば、名を惜しむといふ。名といふのは抽象的なものである。もしそれが抽象的なものでないなら、そこに名譽心はなく、虚榮心があるだけである。いま世間の評判といふものはアノニムなものである。從つて評判を氣にすることは名譽心でなくて虚榮心に屬してゐる。アノニムなものと抽象的なものとは同じではない。兩者を區別することが大切である。

 すべての名譽心は何等かの仕方で永遠を考へてゐる。この永遠といふものは抽象的なものである。たとへば名を惜しむといふ場合、名は個人の品位の意識であり、しかもそれは抽象的なものとしての永遠に關係附けられてゐる。虚榮心はしかるに時間的なものの最も時間的なものである。

 抽象的なものに對する情熱によつて個人といふ最も現實的なものの意識が成立する、──これが人間の存在の祕密である。たとへば人類といふのは抽象的なものである。ところでこの人類といふ抽象的なものに對する情熱なしには人間は眞の個人となることができぬ。


 名譽心の抽象性のうちにその眞理と同時にその虚僞がある。


 名譽心において滅ぶ者は抽象的なものにおいて滅ぶ者であり、そしてこの抽象的なものにおいて滅び得るといふことは人間に固有なことであり、そのことが彼の名譽心に屬してゐる。

 名譽心は自己意識と不可分のものであるが、自己といつてもこの場合抽象的なものである。從つて名譽心は自己にとどまることなく、絶えず外に向つて、社會に對して出てゆく。そこに名譽心の矛盾がある。


 名譽心は白日のうちになければならない。だが白日とは何か。抽象的な空氣である。

 名譽心はアノニムな社會を相手にしてゐるのではない。しかしながらそれはなほ抽象的な甲、抽象的な乙、つまり抽象的な社會を相手にしてゐるのである。


 愛は具體的なものに對してのほか動かない。この點において愛は名譽心と對蹠的である。愛は謙虚であることを求め、そして名譽心は最もしばしば傲慢である。


 宗教の祕密は永遠とか人類とかいふ抽象的なものがそこでは最も具體的なものであるといふことにある。宗教こそ名譽心の限界を明瞭にするものである。


 名譽心は抽象的なものであるにしても、昔の社會は今の社會ほど抽象的なものでなかつた故に、名譽心はなほ根柢のあるものであつた。しかるに今日社會が抽象的なものになるに從つて名譽心もまたますます抽象的なものになつてゐる。ゲマインシャフト的な具體的な社會においては抽象的な情熱であるところの名譽心は一つの大きな徳であることができた。ゲゼルシャフト的な抽象的な社會においてはこのやうな名譽心は根柢のないものにされ、虚榮心と名譽心との區別も見分け難いものになつてゐる。


怒について


 Ira Dei(神の怒)、──キリスト教の文獻を見るたびにつねに考へさせられるのはこれである。なんといふ恐しい思想であらう。またなんといふ深い思想であらう。

 神の怒はいつ現はれるのであるか、──正義の蹂躪された時である。怒の神は正義の神である。

 神の怒はいかに現はれるのであるか、──天變地異においてであるか、豫言者の怒においてであるか、それとも大衆の怒においてであるか。神の怒を思へ!


 しかし正義とは何か。怒る神は隱れたる神である。正義の法則と考へられるやうになつたとき、人間にとつて神の怒は忘れられてしまつた。怒は啓示の一つの形式である。怒る神は法則の神ではない。

 怒る神にはデモーニッシュなところがなければならぬ。神はもとデモーニッシュであつたのである。しかるに今では神は人間的にされてゐる、デーモンもまた人間的なものにされてゐる。ヒューマニズムといふのは怒を知らないことであらうか。さうだとしたなら、今日ヒューマニズムにどれほどの意味があるであらうか。

 愛の神は人間を人間的にした。それが愛の意味である。しかるに世界が人間的に、餘りに人間的になつたとき必要なのは怒であり、神の怒を知ることである。

 今日、愛については誰も語つてゐる。誰が怒について眞劍に語らうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。

 切に義人を思ふ。義人とは何か、──怒ることを知れる者である。


 今日、怒の倫理的意味ほど多く忘れられてゐるものはない。怒はただ避くべきものであるかのやうに考へられてゐる。しかしながら、もし何物かがあらゆる場合に避くべきであるとすれば、それは憎みであつて怒ではない。憎みも怒から直接に發した場合には意味をもつことができる、つまり怒は憎みの倫理性を基礎附け得るやうなものである。怒と憎みとは本質的に異るにも拘らず極めてしばしば混同されてゐる、──怒の意味が忘れられてゐる證據であるといへよう。

 怒はより深いものである。怒は憎みの直接の原因となることができるのに反し、憎みはただ附帶的にしか怒の原因となることができぬ。


 すべての怒は突發的である。そのことは怒の純粹性或ひは單純性を示してゐる。しかるに憎みは殆どすべて習慣的なものであり、習慣的に永續する憎みのみが憎みと考へられるほどである。憎みの習慣性がその自然性を現はすとすれば、怒の突發性はその精神性を現はしてゐる。怒が突發的なものであるといふことはその啓示的な深さを語るものでなければならぬ。しかるに憎みが何か深いもののやうに見えるとすれば、それは憎みが習慣的な永續性をもつてゐるためである。


 怒ほど正確な判斷を亂すものはないといはれるのは正しいであらう。しかし怒る人間は怒を表はさないで憎んでゐる人間よりもつねに恕せらるべきである。


 ひとは愛に種類があるといふ。愛は神の愛(アガペ)、理想に對する愛(プラトン的エロス)、そして肉體的な愛といふ三つの段階に區別されてゐる。さうであるなら、それに相應して怒にも、神の怒、名譽心からの怒、氣分的な怒といふ三つの種類を區別することができるであらう。怒に段階が考へられるといふことは怒の深さを示すものである。ところが憎みについては同樣の段階を區別し得るであらうか。怒の内面性が理解されねばならぬ。

 愛と憎みとをつねに對立的に考へることは機械的に過ぎるといひ得るであらう。少くとも神の辯證法は愛と憎みの辯證法でなくて愛と怒の辯證法である。神は憎むことを知らず、怒ることを知つてゐる。神の怒を忘れた多くの愛の説は神の愛をも人間的なものにしてしまつた。


 我々の怒の多くは氣分的である。氣分的なものは生理的なものに結び附いてゐる。從つて怒を鎭めるには生理的な手段に訴へるのが宜い。一般に生理は道徳に深い關係がある。昔の人はそのことをよく知つてをり、知つてよく實行したが、今ではその智慧は次第に乏しくなつてゐる。生理學のない倫理學は、肉體をもたぬ人間と同樣、抽象的である。その生理學は一つの技術として體操でなければならない。體操は身體の運動に對する正しい判斷の支配であり、それによつて精神の無秩序も整へられることができる。情念の動くままにまかされようとしてゐる身體に對して適當な體操を心得てゐることは情念を支配するに肝要なことである。


 怒を鎭める最上の手段は時であるといはれるであらう。怒はとりわけ突發的なものであるから。

 神は時に慘めな人間を慰めるやうに命令した。しかし時は人間を救ふであらうか。時によつて慰められるということは人間のはかなさ一般に屬してゐる。時とは消滅性である。


 我々の怒の多くは神經のうちにある。それだから神經を苛立たせる原因になるやうなこと、例へば、空腹とか睡眠不足とかいふことが避けられねばならぬ。すべて小さいことによつて生ずるものは小さいことによつて生じないやうにすることができる。しかし極めて小さいことによつてにせよ一旦生じたものは極めて大きな禍を惹き起すことが可能である。

 社會と文化の現状は人間を甚だ神經質にしてゐる。そこで怒も常習的になり、常習的になることによつて怒は本來の性質を失はうとしてゐる。怒と焦躁とが絶えず混淆してゐる。同じ理由から、今日では怒と憎みとの區別も瞹昧になつてゐる。怒る人を見るとき、私はなんだか古風な人間に會つたやうに感じる。


 怒は復讐心として永續することができる。復讐心は憎みの形を取つた怒である。しかし怒は永續する場合その純粹性を保つことが困難である。怒から發した復讐心も單なる憎みに轉じてしまふのが殆どつねである。


 肉慾的な愛も永續する場合次第に淨化されて一層高次の愛に高まつてゆくことができる。そこに愛といふものの神祕がある。愛の道は上昇の道であり、そのことがヒューマニズムの觀念と一致し易い。すべてのヒューマニズムの根柢にはエロティシズムがあるといへるであらう。

 しかるに怒においては永續することによつて一層高次の怒に高まるといふことがない。しかしそれだけ深く神の怒といふものの神祕が感じられるのである。怒にはただ下降の道があるだけである。そしてそれだけ怒の根源の深さを思はねばならないのである。

 愛は統一であり、融合であり、連續である。怒は分離であり、獨立であり、非連續である。神の怒を考へることなしに神の愛と人間的な愛との區別を考へ得るであらうか。ユダヤの豫言者なしにキリストは考へ得るであらうか。舊約なしに新約は考へ得るであらうか。


 神でさへ自己が獨立の人格であることを怒によつて示さねばならなかつた。


 特に人間的といはれ得る怒は名譽心からの怒である。名譽心は個人意識と不可分である。怒において人間は無意識的にせよ自己が個人であること、獨立の人格であることを示さうとするのである。そこに怒の倫理的意味が隱されてゐる。

 今日、怒といふものが瞹昧になつたのは、この社會において名譽心と虚榮心との區別が瞹昧になつたといふ事情に相應してゐる。それはまたこの社會において無性格な人間が多くなつたといふ事實を反映してゐる。怒る人間は少くとも性格的である。


 ひとは輕蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。彼の名譽心は彼の怒が短氣であることを防ぐであらう。ほんとに自信のある者は靜かで、しかも威嚴を具へてゐる。それは完成した性格のことである。


 相手の怒を自分の心において避けようとして自分の優越を示さうとするのは愚である。その場合自分が優越を示さうとすればするほど相手は更に輕蔑されたのを感じ、その怒は募る。ほんとに自信のある者は自分の優越を示さうなどとはしないであらう。


 怒を避ける最上の手段は機智である。


 怒にはどこか貴族主義的なところがある。善い意味においても、惡い意味においても。


 孤獨の何であるかを知つてゐる者のみが眞に怒ることを知つてゐる。


 アイロニイといふ一つの知的性質はギリシア人のいはゆるヒュブリス(驕り)に對應する。ギリシア人のヒュブリスは彼等の怒り易い性質を離れて存しなかつたであらう。名譽心と虚榮心との區別が瞹昧になり、怒の意味が瞹昧になつた今日においては、たとひアイロニイは稀になつてゐないとしても、少くともその效用の大部分を失つた。


人間の條件について


 どんな方法でもよい、自己を集中しようとすればするほど、私は自己が何かの上に浮いてゐるやうに感じる。いつたい何の上にであらうか。虚無の上にといふのほかない。自己は虚無の中の一つの點である。この點は限りなく縮小されることができる。しかしそれはどんなに小さくなつても、自己がその中に浮き上つてゐる虚無と一つのものではない。生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、恰も一つの波、一つの泡沫でさへもが、海といふものを離れて考へられないやうに、それなしには人間が考へられぬものである。人生は泡沫の如しといふ思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考へない場合、間違つてゐる。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるやうに、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である。虚無を掻き集めて形作られたものは虚無ではない。虚無と人間とは死と生とのやうに異つてゐる。しかし虚無は人間の條件である。


 人間の條件として他の無數のものが考へられるであらう。例へば、この室、この机、この書物、或ひはこの書物が與へる知識、またこの家の庭、全體の自然、或ひは家族、そして全體の社會……世界。このいくつかの言葉で表はされたものは更に無數の要素に分解することができる。それら無數の要素は互に關係してゐる。また人間といふものも、その身體も、その精神も、それらの要素と同じ秩序のものに限りなく分解することが可能である。そして一つの細胞にとつて他のすべての細胞は條件であり、一つの心象にとつて他のすべての心象は條件である。これらの條件は他のあらゆる條件と關係してゐる。かやうにどこまでも分解を進めてゆくならば、條件以外に何等か人間そのものを發見することは不可能であるやうに思はれる。私は自己が世界の要素と同じ要素に分解されてしまふのを見る。しかしながらそれにも拘らず私が世界と異る或るものとして存在することは確かである。人間と人間の條件とはどこまでも異つてゐる。このことは如何にして可能であらうか。

 物が人間の條件であるといふのは、それが虚無の中において初めてそのやうな物として顯はれるといふことに依つてである。言ひ換へると、世界──それを無限に大きく考へるにせよ、無限に小さく考へるにせよ──が人間の條件であることにとつて虚無はそのアプリオリである。虚無といふ人間の根本的條件に制約されたものとして、それ自身虚無に歸し得るもの、いな、虚無であるものとして、世界の物は人間の條件である。かやうにして初めて、人間は世界と同じ要素に、それらの要素の關係に、限りなく分解され得るにしても、人間と世界との間に、人間と人間の條件との間に、どこまでも區別が存在し得るのである。虚無が人間の條件の條件でないならば、如何にして私の自己は世界の要素と根本的に區別される或るものであり得るであらうか。


 虚無が人間の條件或ひは人間の條件であるものの條件であるところから、人生は形成であるといふことが從つてくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるといふのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとつて現實的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみづから形として外に形を作り、物に形を與へることによつて自己に形を與へる。かやうな形成は人間の條件が虚無であることによつて可能である。

 世界は要素に分解され、人間もこの要素的世界のうちへ分解され、そして要素と要素との間には關係が認められ、要素そのものも關係に分解されてしまふことができるであらう。この關係はいくつかの法則において定式化することができるであらう。しかしかやうな世界においては生命は成立することができない。何故であるか。生命は抽象的な法則でなく、單なる關係でも、關係の和でも積でもなく、生命は形であり、しかるにかやうな世界においては形といふものは考へられないからである。形成は何處か他のところから、即ち虚無から考へられねばならぬ。形成はつねに虚無からの形成である。形の成立も、形と形との關係も、形から形への變化もただ虚無を根柢として理解することができる。そこに形といふものの本質的な特徴がある。


 古代は實體概念によつて思考し、近代は關係概念或ひは機能概念(函數概念)によつて思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は單なる實體でなく、單なる關係乃至機能でもない。形はいはば兩者の綜合である。關係概念と實體概念とが一つであり、實體概念と機能概念とが一つであるところに形が考へられる。


 以前の人間は限定された世界のうちに生活してゐた。その住む地域は端から端まで見通しのできるものであつた。その用ゐる道具は何處の何某が作つたものであり、その技倆はどれほどのものであるかが分つてゐた。また彼が得る報道や知識にしても、何處の何某から出たものであり、その人がどれほど信用のできる男であるかが知られてゐた。このやうに彼の生活條件、彼の環境が限定されたものであつたところから、從つて形の見えるものであつたところから、人間自身も、その精神においても、その表情においても、その風貌においても、はつきりした形のあるものであつた。つまり以前の人間には性格があつた。

 しかるに今日の人間の條件は異つてゐる。現代人は無限定な世界に住んでゐる。私は私の使つてゐる道具が何處の何某の作つたものであるかを知らないし、私が據り所にしてゐる報道や知識も何處の何某から出たものであるかを知らない。すべてがアノニム(無名)のものであるといふのみでない。すべてがアモルフ(無定形)のものである。かやうな生活條件のうちに生きるものとして現代人自身も無名な、無定形なものとなり、無性格なものとなつてゐる。

 ところで現代人の世界がかやうに無限定なものであるのは、實は、それが最も限定された結果として生じたことである。交通の發達によつて世界の隅々まで互に關係附けられてゐる。私は見えない無數のものに繋がれてゐる。孤立したものは無數の關係に入ることによつて極めてよく限定されたものとなつた。實體的なものは關係に分解されることによつて最も嚴密に限定されたものとなつた。この限定された世界に對して以前の世界がむしろ無限定であるといはねばならぬであらう。しかしながらそれにも拘らず今日の世界は無限定である、關係的乃至函數的には限定されてゐるにしても、或ひはむしろそのやうに限定され盡した結果、形としては却つて無限定なものになつてゐる。この無限定が實は特定の限定の仕方の發達した結果生じたものであるところに、現代人の無性格といはれるものの特殊な複雜さがある。

 今日の人間の最大の問題は、かやうに形のないものから如何にして形を作るかといふことである。この問題は内在的な立場においては解決されない。なぜならこの無定形な状態は限定の發達し盡した結果生じたものであるから。そこに現代のあらゆる超越的な考へ方の意義がある。形成は虚無からの形成、科學を超えた藝術的ともいふべき形成でなければならぬ。一種藝術的な世界觀、しかも觀照的でなくて形成的な世界觀が支配的になるに至るまでは、現代には救濟がないといへるかも知れない。


 現代の混亂といはれるものにおいて、あらゆるものが混合しつつある。對立するものが綜合されてゆくといふよりもむしろ對立するものが混合されてゆくといふのが實際に近い。この混合から新しい形が出てくるであらう。形の生成は綜合の辯證法であるよりも混合の辯證法である。私のいふ構想力の論理は混合の辯證法として特徴附けられねばならぬであらう。混合は不定なものの結合であり、その不定なものの不定性の根據は虚無の存在である。あらゆるものは虚無においてあり、且つそれぞれ特殊的に虚無を抱いてゐるところから混合が考へられる。虚無は一般的な存在を有するのみでなく、それぞれにおいて特殊的な存在を有する。混合の辯證法は虚無からの形成でなければならぬ。カオスからコスモスへの生成を説いた古代人の哲學には深い眞理が含まれてゐる。重要なのはその意味をどこまでも主體的に把握することである。


孤獨について


「この無限の空間の永遠の沈默は私を戰慄させる」(パスカル)。


 孤獨が恐しいのは、孤獨そのもののためでなく、むしろ孤獨の條件によつてである。恰も、死が恐しいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の條件によつてであるのと同じである。しかし孤獨の條件以外に孤獨そのものがあるのか。死の條件以外に死そのものがあるであらうか。その條件以外にその實體を捉へることのできぬもの、──死も、孤獨も、まことにかくの如きものであらうと思はれる。しかも、實體性のないものは實在性のないものといへるか、またいはねばならないのであるか。


 古代哲學は實體性のないところに實在性を考へることができなかつた。從つてそこでは、死も、そして孤獨も、恰も闇が光の缺乏と考へられたやうに、單に缺乏(ステレーシス)を意味するに過ぎなかつたであらう。しかるに近代人は條件に依つて思考する。條件に依つて思考することを教へたのは近代科學である。だから近代科學は死の恐怖や孤獨の恐怖の虚妄性を明かにしたのでなく、むしろその實在性を示したのである。


 孤獨といふのは獨居のことではない。獨居は孤獨の一つの條件に過ぎず、しかもその外的な條件である。むしろひとは孤獨を逃れるために獨居しさへするのである。隱遁者といふものはしばしばかやうな人である。


 孤獨は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤獨は「間」にあるものとして空間の如きものである。「眞空の恐怖」──それは物質のものでなくて人間のものである。


 孤獨は内に閉ぢこもることではない。孤獨を感じるとき、試みに、自分の手を伸して、じつと見詰めよ。孤獨の感じは急に迫つてくるであらう。


 孤獨を味ふために、西洋人なら街に出るであらう。ところが東洋人は自然の中に入つた。彼等には自然が社會の如きものであつたのである。東洋人に社會意識がないといふのは、彼等には人間と自然とが對立的に考へられないためである。


 東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は晝の世界と夜の世界である。晝と夜との對立のないところが薄明である。薄明の淋しさは晝の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違つてゐる。


 孤獨には美的な誘惑がある。孤獨には味ひがある。もし誰もが孤獨を好むとしたら、この味ひのためである。孤獨の美的な誘惑は女の子も知つてゐる。孤獨のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。

 その一生が孤獨の倫理的意義の探求であつたといひ得るキェルケゴールでさへ、その美的な誘惑にしばしば負けてゐるのである。


 感情は主觀的で知性は客觀的であるといふ普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層眞理に近い。感情は多くの場合客觀的なもの、社會化されたものであり、知性こそ主觀的なもの、人格的なものである。眞に主觀的な感情は知性的である。孤獨は感情でなく知性に屬するのでなければならぬ。


 眞理と客觀性、從つて非人格性とを同一視する哲學的見解ほど有害なものはない。かやうな見解は眞理の内面性のみでなく、また特にその表現性を理解しないのである。


 いかなる對象も私をして孤獨を超えさせることはできぬ。孤獨において私は對象の世界を全體として超えてゐるのである。

 孤獨であるとき、我々は物から滅ぼされることはない。我々が物において滅ぶのは孤獨を知らない時である。


 物が眞に表現的なものとして我々に迫るのは孤獨においてである。そして我々が孤獨を超えることができるのはその呼び掛けに應へる自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めてをり、見られることがそれにとつて救濟であるといつたが、表現することは物を救ふことであり、物を救ふことによつて自己を救ふことである。かやうにして、孤獨は最も深い愛に根差してゐる。そこに孤獨の實在性がある。


嫉妬について


 もし私に人間の性の善であることを疑はせるものがあるとしたら、それは人間の心における嫉妬の存在である。嫉妬こそベーコンがいつたやうに惡魔に最もふさはしい屬性である。なぜなら嫉妬は狡猾に、闇の中で、善いものを害することに向つて働くのが一般であるから。


 どのやうな情念でも、天眞爛漫に現はれる場合、つねに或る美しさをもつてゐる。しかるに嫉妬には天眞爛漫といふことがない。愛と嫉妬とは、種々の點で似たところがあるが、先づこの一點で全く違つてゐる。即ち愛は純粹であり得るに反して、嫉妬はつねに陰險である。それは子供の嫉妬においてすらさうである。


 愛と嫉妬とはあらゆる情念のうち最も術策的である。それらは他の情念に比して遙かに持續的な性質のものであり、從つてそこに理智の術策が入つてくることができる。また逆に理智の術策によつてそれらの情念は持續性を増すのである。如何なる情念も愛と嫉妬とほど人間を苦しめない、なぜなら他の情念はそれほど持續的でないから。この苦しみの中からあらゆる術策が生れてくる。しかも愛は嫉妬の混入によつて術策的になることが如何に多いか。だから術策的な愛によつてのほか樂しまない者は、相手に嫉妬を起させるやうな手段を用ゐる。


 嫉妬は平生は「考へ」ない人間にも「考へ」させる。


 愛と嫉妬との強さは、それらが烈しく想像力を働かせることに基いてゐる。想像力は魔術的なものである。ひとは自分の想像力で作り出したものに對して嫉妬する。愛と嫉妬とが術策的であるといふことも、それらが想像力を驅り立て、想像力に驅り立てられて動くところから生ずる。しかも嫉妬において想像力が働くのはその中に混入してゐる何等かの愛に依つてである。嫉妬の底に愛がなく、愛のうちに惡魔がゐないと、誰が知らうか。


 嫉妬は自分よりも高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に對して起る。だがその差異が絶對的でなく、自分も彼のやうになり得ると考へられることが必要である。全く異質的でなく、共通なものがなければならぬ。しかも嫉妬は、嫉妬される者の位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。嫉妬がより高いものを目差してゐるやうに見えるのは表面上のことである、それは本質的には平均的なものに向つてゐるのである。この點、愛がその本性においてつねにより高いものに憧れるのと異つてゐる。

 かやうにして嫉妬は、愛と相反する性質のものとして、人間的な愛に何か補はねばならぬものがあるかの如く、絶えずその中に干渉してくるのである。


 同じ職業の者が眞の友達になることは違つた職業の者の間においてよりも遙かに困難である。


 嫉妬は性質的なものの上に働くのでなく、量的なものの上に働くのである。特殊的なもの、個性的なものは、嫉妬の對象とはならぬ。嫉妬は他を個性として認めること、自分を個性として理解することを知らない。一般的なものに關してひとは嫉妬するのである。これに反して愛の對象となるのは一般的なものでなくて特殊的なもの、個性的なものである。


 嫉妬は心の奧深く燃えるのがつねであるにも拘らず、何等内面性を知らぬ。


 嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。


 嫉妬は出歩いて、家を守らない。それは自分に留まらないで絶えず外へ出てゆく好奇心のひとつの大きな原因になつてゐる。嫉妬のまじらない無邪氣な好奇心といふものは如何に稀であるか。


 一つの情念は知性に依つてよりも他の情念に依つて一層よく制することができるといふのは、一般的な眞理である。英雄は嫉妬的でないといふ言葉がもしほんとであるとしたら、彼等においては功名心とか競爭心とかいふ他の情念が嫉妬よりも強く、そして重要なことは、一層持續的な力になつてゐるといふことである。


 功名心や競爭心はしばしば嫉妬と間違へられる。しかし兩者の差異は明瞭である。先づ功名心や競爭心は公共的な場所を知つてゐるに反し、嫉妬はそれを知らない。嫉妬はすべての公事を私事と解して考へる。嫉妬が功名心や競爭心に轉化されることは、その逆の場合よりも遙かに困難である。


 嫉妬はつねに多忙である。嫉妬の如く多忙で、しかも不生産的な情念の存在を私は知らない。


 もし無邪氣な心といふものを定義しようとするなら、嫉妬的でない心といふのが何よりも適當であらう。


 自信がないことから嫉妬が起るといふのは正しい。尤も何等の自信もなければ嫉妬の起りやうもないわけであるが。しかし嫉妬はその對象において自己が嫉妬してゐる當の點を避けて他の點に觸れるのがつねである。嫉妬は詐術的である。


 嫉妬心をなくするために、自信を持てといはれる。だが自信は如何にして生ずるのであるか。自分で物を作ることによつて。嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによつて自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事實からも理解されるであらう。


成功について


 今日の倫理學の殆どすべてにおいて置き忘れられた二つの最も著しいものは、幸福と成功といふものである。しかもそれは相反する意味においてそのやうになつてゐるのである。即ち幸福はもはや現代的なものでない故に。そして成功はあまりに現代的なものである故に。

 古代人や中世的人間のモラルのうちには、我々の意味における成功といふものは何處にも存しないやうに思ふ。彼等のモラルの中心は幸福であつたのに反して、現代人のそれは成功であるといつてよいであらう。成功するといふことが人々の主な問題となるやうになつたとき、幸福といふものはもはや人々の深い關心でなくなつた。


 成功のモラルが近代に特徴的なものであることは、進歩の觀念が近代に特徴的なものであるのに似てゐるであらう。實は兩者の間に密接な關係があるのである。近代啓蒙主義の倫理における幸福論は幸福のモラルから成功のモラルへの推移を可能にした。成功といふものは、進歩の觀念と同じく、直線的な向上として考へられる。しかるに幸福には、本來、進歩といふものはない。


 中庸は一つの主要な徳であるのみでなく、むしろあらゆる徳の根本的な形であると考へられてきた。この觀點を破つたところに成功のモラルの近代的な新しさがある。


 成功のモラルはおよそ非宗教的なものであり、近代の非宗教的な精神に相應してゐる。


 成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するやうになつて以來、人間は眞の幸福が何であるかを理解し得なくなつた。自分の不幸を不成功として考へてゐる人間こそ、まことに憐れむべきである。


 他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見てゐる場合が多い。幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、成功は一般的なもの、量的に考へられ得るものである。だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴ひ易い。


 幸福が存在に關はるのに反して、成功は過程に關はつてゐる。だから、他人からは彼の成功と見られることに對して、自分では自分に關はりのないことであるかのやうに無關心でゐる人間がある。かやうな人間は二重に他人から嫉妬されるおそれがあらう。


 Streber──このドイツ語で最も適切に表はされる種類の成功主義者こそ、俗物中の俗物である。他の種類の俗物は時として氣紛れに俗物であることをやめる。しかるにこの努力家型の成功主義者は、決して軌道をはづすことがない故に、それだけ俗物として完全である。

 シュトレーバーといふのは、生きることがそもそも冒險であるといふ形而上學的眞理を如何なる場合にも理解することのない人間である。想像力の缺乏がこの努力家型を特徴附けてゐる。


 成功も人生に本質的な冒險に屬するといふことを理解するとき、成功主義は意味をなさなくなるであらう。成功を冒險の見地から理解するか、冒險を成功の見地から理解するかは、本質的に違つたことである。成功主義は後の場合であり、そこには眞の冒險はない。人生は賭であるといふ言葉ほど勝手に理解されて濫用されてゐるものはない。


 一種のスポーツとして成功を追求する者は健全である。


 純粹な幸福は各人においてオリジナルなものである。しかし成功はさうではない。エピゴーネントゥム(追隨者風)は多くの場合成功主義と結び附いてゐる。


 近代の成功主義者は型としては明瞭であるが個性ではない。

 古代においては、個人意識は發達してゐなかつたが、それだけに型的な人間が個性的であるといふことがあつた。個人意識の發達した現代においては却つて、型的な人間は量的な平均的な人間であつて個性的でないといふことが生じた。現代文化の悲劇、或ひはむしろ喜劇は、型と個性との分離にある。そこに個性としては型的な強さがなく、型としては個性的な鮮かさのない人間が出來たのである。


 成功のモラルはオプティミズムに支へられてゐる。それが人生に對する意義は主としてこのオプティミズムの意義である。オプティミズムの根柢には合理主義或ひは主知主義がなければならぬ。しかるにオプティミズムがこの方向に洗煉された場合、なほ何等か成功主義といふものが殘り得るであらうか。

 成功主義者が非合理主義者である場合、彼は恐るべきである。


 近代的な冒險心と、合理主義と、オプティミズムと、進歩の觀念との混合から生れた最高のものは企業家的精神である。古代の人間理想が賢者であり、中世のそれが聖者であつたやうに、近代のそれは企業家であるといひ得るであらう。少くともそのやうに考へらるべき多くの理由がある。しかるにそれが一般にはそのやうに純粹に把握されなかつたのは近代の拜金主義の結果である。


 もしひとがいくらかの權力を持つてゐるとしたら、成功主義者ほど御し易いものはないであらう。部下を御してゆく手近かな道は、彼等に立身出世のイデオロギーを吹き込むことである。


 私は今ニーチェのモラルの根本が成功主義に對する極端な反感にあつたことを知るのである。


瞑想について


 たとへば人と對談してゐる最中に私は突然默り込むことがある。そんな時、私は瞑想に訪問されたのである。瞑想はつねに不意の客である。私はそれを招くのでなく、また招くこともできない。しかしそれの來るときにはあらゆるものにも拘らず來るのである。「これから瞑想しよう」などといふことはおよそ愚にも附かぬことだ。私の爲し得ることはせいぜいこの不意の客に對して常に準備をしておくことである。


 思索は下から昇つてゆくものであるとすれば、瞑想は上から降りてくるものである。それは或る天與の性質をもつてゐる。そこに瞑想とミスティシズムとの最も深い結び附きがある。瞑想は多かれ少かれミスティックなものである。


 この思ひ設けぬ客はあらゆる場合に來ることができる。單にひとり靜かに居る時のみではない、全き喧騒の中においてもそれは來るのである。孤獨は瞑想の條件であるよりも結果である。例へば大勢の聽衆に向つて話してゐる時、私は不意に瞑想に襲はれることがある。そのときこの不可抗の闖入者は、私はそれを虐殺するか、それともそれに全く身を委せてついてゆくかである。瞑想には條件がない。條件がないといふことがそれを天與のものと思はせる根本的な理由である。


 プラトンはソクラテスがポティダイアの陣營において一晝夜立ち續けて瞑想に耽つたといふことを記してゐる。その時ソクラテスはまさに瞑想したのであつて、思索したのではない。彼が思索したのは却つて彼が市場に現はれて誰でもを捉へて談論した時である。思索の根本的な形式は對話である。ポティダイアの陣營におけるソクラテスとアテナイの市場におけるソクラテス──これほど明瞭に瞑想と思索との差異を現はしてゐるものはない。


 思索と瞑想との差異は、ひとは思索のただなかにおいてさへ瞑想に陷ることがあるといふ事實によつて示されてゐる。


 瞑想には過程がない。この點において、それは本質的に過程的な思索と異つてゐる。


 すべての瞑想は甘美である。この故にひとは瞑想を欲するのであり、その限りすべての人間はミスティシズムに對する嗜好をもつてゐる。けれども瞑想は本來我々の意欲に依存するものではない。


 すべての魅力的な思索の魅力は瞑想に、このミスティックなもの、形而上學的なものにもとづいてゐる。その意味においてすべての思想は、元來、甘いものである。思索が甘いものであるのではない、甘い思索といふものは何等思索ではないであらう。思索の根柢にある瞑想が甘美なものなのである。


 瞑想はその甘さの故にひとを誘惑する。眞の宗教がミスティシズムに反對するのはかやうな誘惑の故であらう。瞑想は甘いものであるが、それに誘惑されるとき、瞑想はもはや瞑想ではなくなり、夢想か空想かになるであらう。


 瞑想を生かし得るものは思索の嚴しさである。不意の訪問者である瞑想に對する準備といふのは思索の方法的訓練を具へてゐることである。


 瞑想癖といふ言葉は矛盾である。瞑想は何等習慣になり得る性質のものではないからである。性癖となつた瞑想は何等瞑想ではなく、夢想か空想かである。


 瞑想のない思想家は存在しない。瞑想は彼にヴィジョンを與へるものであり、ヴィジョンをもたぬ如何なる眞の思想も存在しないからである。眞に創造的な思想家はつねにイメージを踏まへて嚴しい思索に集中してゐるものである。


 勤勉は思想家の主要な徳である。それによつて思想家といはゆる瞑想家或ひは夢想家とが區別される。もちろんひとは勤勉だけで思想家になることはできぬ。そこには瞑想が與へられねばならないから。しかし眞の思想家はまた絶えず瞑想の誘惑と戰つてゐる。


 ひとは書きながら、もしくは書くことによつて思索することができる。しかし瞑想はさうではない。瞑想はいはば精神の休日である。そして精神には仕事と同樣、閑暇が必要である。餘りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとつて有害である。


 哲學的文章におけるパウゼといふものは瞑想である。思想のスタイルは主として瞑想的なものに依存してゐる。瞑想がリヅムであるとすれば、思索はタクトである。


 瞑想の甘さのうちには多かれ少かれつねにエロス的なものがある。


 思索が瞑想においてあることは、精神が身體においてあるのと同樣である。


 瞑想は思想的人間のいはば原罪である。瞑想のうちに、從つてまたミスティシズムのうちに救濟があると考へることは、異端である。宗教的人間にとつてと同樣に、思想的人間にとつても、救濟は本來ただ言葉において與へられる。


噂について


 噂は不安定なもの、不確定なものである。しかも自分では手の下しやうもないものである。我々はこの不安定なもの、不確定なものに取り卷かれながら生きてゆくのほかない。

 しからば噂は我々にとつて運命の如きものであらうか。それは運命であるにしては餘りに偶然的なものである。しかもこの偶然的なものは時として運命よりも強く我々の存在を決定するのである。

 もしもそれが運命であるなら、我々はそれを愛しなければならぬ。またもしそれが運命であるなら、我々はそれを開拓しなければならぬ。だが噂は運命ではない。それを運命の如く愛したり開拓したりしようとするのは馬鹿げたことである。我々の少しも拘泥してはならぬこのものが、我々の運命をさへ決定するといふのは如何なることであらうか。


 噂はつねに我々の遠くにある。我々はその存在をさへ知らないことが多い。この遠いものが我々にかくも密接に關係してくるのである。しかもこの關係は掴むことのできぬ偶然の集合である。我々の存在は無數の眼に見えぬ偶然の絲によつて何處とも知れぬ處に繋がれてゐる。


 噂は評判として一つの批評であるといふが、その批評には如何なる基準もなく、もしくは無數の偶然的な基準があり、從つて本來なんら批評でなく、極めて不安定で不確定である。しかもこの不安定で不確定なものが、我々の社會的に存在する一つの最も重要な形式なのである。

 評判を批評の如く受取り、これと眞面目に對質しようとすることは、無駄である。いつたい誰を相手にしようといふのか。相手は何處にもゐない、もしくは到る處にゐる。しかも我々はこの對質することができないものと絶えず對質させられてゐるのである。


 噂は誰のものでもない、噂されてゐる當人のものでさへない。噂は社會的なものであるにしても、嚴密にいふと、社會のものでもない。この實體のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じてゐる。噂は原初的な形式におけるフィクションである。


 噂はあらゆる情念から出てくる。嫉妬から、猜疑心から、競爭心から、好奇心から、等々。噂はかかるものでありながら噂として存在するに至つてはもはや情念的なものでなくて觀念的なものである。──熱情をもつて語られた噂は噂として受取られないであらう。──そこにいはば第一次の觀念化作用がある。第二次の觀念化作用は噂から神話への轉化において行はれる。神話は高次のフィクションである。


 あらゆる噂の根源が不安であるといふのは眞理を含んでゐる。ひとは自己の不安から噂を作り、受取り、また傳へる。不安は情念の中の一つの情念でなく、むしろあらゆる情念を動かすもの、情念の情念ともいふべく、從つてまた情念を超えたものである。不安と虚無とが一つに考へられるのもこれに依つてである。虚無から生れたものとして噂はフィクションである。


 噂は過去も未來も知らない。噂は本質的に現在のものである。この浮動的なものに我々が次から次へ移し入れる情念や合理化による加工はそれを神話化してゆく結果になる。だから噂は永續するに從つて神話に變つてゆく。その噂がどのやうなものであらうと、我々は噂されることによつて滅びることはない。噂をいつまでも噂にとどめておくことができるほど賢明に無關心で冷靜であり得る人間は少いから。


 噂には誰も責任者といふものがない。その責任を引受けてゐるものを我々は歴史と呼んでゐる。


 噂として存在するか否かは、物が歴史的なものであるか否かを區別する一つのしるしである。自然のものにしても、噂となる場合、それは歴史の世界に入つてゐるのである。人間の場合にしても、歴史的人物であればあるほど、彼は一層多く噂にのぼるであらう。歴史はすべてかくの如く不安定なものの上に據つてゐる。尤も噂は物が歴史に入る入口に過ぎぬ。たいていのものはこの入口に立つだけで消えてしまふ。ほんとに歴史的になつたものは、もはや噂として存在するのでなく、むしろ神話として存在するのである。噂から神話への範疇轉化、そこに歴史の觀念化作用がある。

 かくの如く歴史は情念の中から觀念もしくは理念を作り出してくる。これは歴史の深い祕密に屬してゐる。

 噂は歴史に入る入口に過ぎないが、それはこの世界に入るために一度は通らねばならぬ入口であるやうに思はれる。歴史的なものは噂といふこの荒々しいもの、不安定なものの中から出てくるのである。それは物が結晶する前に先づなければならぬ震盪の如きものである。

 歴史的なものは批評の中からよりも噂の中から決定されてくる。物が歴史的になるためには、批評を通過するといふことだけでは足りない、噂といふ更に氣紛れなもの、偶然的なもの、不確定なものの中を通過しなければならぬ。


 噂よりも有力な批評といふものは甚だ稀である。


 歴史は不確定なものの中から出てくる。噂といふものはその最も不確定なものである。しかも歴史は最も確定的なものではないのか。


 噂の問題は確率の問題である。しかもそれは物理的確率とは異る歴史的確率の問題である。誰がその確率を計算し得るか。


 噂するやうに批評する批評家は多い。けれども批評を歴史的確率の問題として取り上げる批評家は稀である。私の知る限りではヴァレリイがそれだ。かやうな批評家には數學者のやうな知性が必要である。しかし如何に多くの批評家が獨斷的であるか。そこでまた如何に多くの批評家が、自分も世間も信じてゐるのとは反對に、批評的であるよりも實踐的であるか。


利己主義について


 一般に我々の生活を支配してゐるのは give and take の原則である。それ故に純粹な利己主義といふものは全く存在しないか或ひは極めて稀である。いつたい誰が取らないでただ與へるばかりであり得るほど有徳或ひはむしろ有力であり得るであらうか。逆にいつたい誰が與へないでただ取るばかりであり得るほど有力或ひはむしろ有徳であり得るであらうか。純粹な英雄主義が稀であるやうに、純粹な利己主義もまた稀である。


 我々の生活を支配してゐるギヴ・アンド・テイクの原則は、たいていの場合我々は意識しないでそれに從つてゐる。言ひ換へると、我々は意識的にのほか利己主義者であることができない。

 利己主義者が不氣味に感じられるのは、彼が利己的な人間であるためであるよりも、彼が意識的な人間であるためである。それ故にまた利己主義者を苦しめるものは、彼の相手ではなく、彼の自意識である。


 利己主義者は原則的な人間である、なぜなら彼は意識的な人間であるから。──ひとは習慣によつてのほか利己主義者であることができない。これら二つの、前の命題とも反し、また相互に矛盾する命題のうちに、人間の力と無力とが言ひ表はされる。


 我々の生活は一般にギヴ・アンド・テイクの原則に從つてゐると言へばたいていの者がなにほどかは反感を覺えるであらう。そのことは人生において實證的であることが如何に困難であるかを示してゐる。利己主義といふものですら、殆どすべてが想像上のものである。しかも利己主義者である要件は、想像力をもたぬといふことである。

 利己主義者が非情に思はれるのは、彼に愛情とか同情とかがないためであるよりも、彼に想像力がないためである。そのやうに想像力は人生にとつて根本的なものである。人間は理性によつてといふよりも想像力によつて動物から區別される。愛情ですら、想像力なくして何物であるか。


 愛情は想像力によつて量られる。


 實證主義は本質的に非情である。實證主義の果てが虚無主義であるのはだから當然のことである。

 利己主義者は中途半端な實證主義者である。それとも自覺に達しない虚無主義者であるといへるであらうか。

 利己的であることと實證的であることとは、しばしば摩替へられる。一つには自己辯解のために、逆には他人攻撃のために。


 我々の生活を支配するギヴ・アンド・テイクの原則は、期待の原則である。與へることには取ることが、取ることには與へることが、期待されてゐる。それは期待の原則として、決定論的なものでなくてむしろ確率論的なものである。このやうに人生は蓋然的なものの上に成り立つてゐる。人生においては蓋然的なものが確實なものである。


 我々の生活は期待の上になり立つてゐる。


 期待は他人の行爲を拘束する魔術的な力をもつてゐる。我々の行爲は絶えずその呪縛のもとにある。道徳の拘束力もそこに基礎をもつてゐる。他人の期待に反して行爲するといふことは考へられるよりも遙かに困難である。時には人々の期待に全く反して行動する勇氣をもたねばならぬ。世間が期待する通りにならうとする人は遂に自分を發見しないでしまふことが多い。秀才と呼ばれた者が平凡な人間で終るのはその一つの例である。


 利己主義者は期待しない人間である、從つてまた信用しない人間である。それ故に彼はつねに猜疑心に苦しめられる。

 ギヴ・アンド・テイクの原則を期待の原則としてでなく打算の原則として考へるものが利己主義者である。


 人間が利己的であるか否かは、その受取勘定をどれほど遠い未來に延ばし得るかといふ問題である。この時間的な問題はしかし單なる打算の問題でなくて、期待の、想像力の問題である。


 この世で得られないものを死後において期待する人は宗教的といはれる。これがカントの神の存在の證明の要約である。


 利己主義者は他の人間が自分とは同じやうでないことを暗默に前提してゐる。もしすべての人間が利己的であるとしたなら、彼の利己主義も成立し得ない筈であるから。利己主義者の誤算は、その差異がただ勘定の期限の問題であることを理解しないところにある。そしてこれは彼に想像力が缺けてゐるといふことの證據にほかならない。


 利己主義者は自分では十分合理的な人間であると思つてゐる。そのことを彼は公言もするし、誇りにさへもしてゐる。彼は、彼の理智の限界が想像力の缺乏にあることを理解しないのである。


 すべての人間が利己的であるといふことを前提にした社會契約説は、想像力のない合理主義の産物である。社會の基礎は契約でなくて期待である。社會は期待の魔術的な拘束力の上に建てられた建物である。


 どのやうな利己主義者も自己の特殊的な利益を一般的な利益として主張する。──そこから如何に多くの理論が作られてゐるか。──これに反して愛と宗教とにおいては、ひとは却つて端的に自己を主張する。それらは理論を輕蔑するのである。


 利己主義といふ言葉は殆どつねに他人を攻撃するために使はれる。主義といふものは自分で稱するよりも反對者から押し附けられるものであるといふことの最も日常的な例がここにある。


健康について


 何が自分の爲になり、何が自分の害になるか、の自分自身の觀察が、健康を保つ最上の物理學であるといふことには、物理學の規則を超えた智慧がある。──私はここにこのベーコンの言葉を記すのを禁ずることができない。これは極めて重要な養生訓である。しかもその根柢にあるのは、健康は各自のものであるといふ、單純な、單純な故に敬虔なとさへいひ得る眞理である。


 誰も他人の身代りに健康になることができぬ、また誰も自分の身代りに健康になることができぬ。健康は全く銘々のものである。そしてまさにその點において平等のものである。私はそこに或る宗教的なものを感じる。すべての養生訓はそこから出立しなければならぬ。


 風采や氣質や才能については、各人に個性があることは誰も知つてゐる。しかるに健康について同じやうに、それが全く個性的なものであることを誰も理解してゐるであらうか。この場合ひとはただ丈夫なとか弱いとかいふ甚だ一般的な判斷で滿足してゐるやうに思はれる。ところが戀愛や結婚や交際において幸福と不幸を決定するひとつの最も重要な要素は、各自の健康における極めて個性的なものである。生理的親和性は心理的親和性に劣らず微妙で、大切である。多くの人間はそれに氣附かない、しかし本能が彼等のために選擇を行つてゐるのである。

 かやうに健康は個性的なものであるとすれば、健康についての規則は人間的個性に關する規則と異らないことになるであらう。──即ち先づ自己の個性を發見すること、その個性に忠實であること、そしてその個性を形成してゆくことである。生理學の規則と心理學の規則とは同じである。或ひは、生理學の規則は心理學的にならねばならず、逆に心理學の規則は生理學的にならねばならぬ。


 養生論の根柢には全自然哲學がある。これは以前、東洋においても西洋においても、さうであつたし、今日もまたさうでなければならぬ。ここに自然哲學といふのはもちろんあの醫學や生理學のことではない。この自然哲學と近代科學との相違は、後者が窮迫感から出發するのに反して、前者は所有感から出立するところにあるといふことができるであらう。發明は窮迫感から生ずる。故に後者が發明的であるのに反して、前者は發見的であるといふこともできるであらう。近代醫學は健康の窮迫感から、その意味での病氣感から出てきた。しかるに以前の養生論においては、所有されてゐるものとしての健康から出立して、如何にしてこの自然のものを形成しつつ維持するかといふことが問題であつた。健康は發明させない、病氣が發明させるのである。


 健康の問題は人間的自然の問題である。といふのは、それは單なる身體の問題ではないといふことである。健康には身體の體操と共に精神の體操が必要である。


 私の身體は世の中の物のうち私の思想が變化することのできるものである。想像の病氣は實際の病氣になることができる。他の物においては私の假定が物の秩序を亂すことはあり得ないのに。何よりも自分の身體に關する恐怖を遠ざけねばならぬ。恐怖は效果のない動搖を生ずるだけであり、そして思案はつねに恐怖を増すであらう。ひとは自分が破滅したと考へるやうになる、ところが一旦何か緊急の用事が出來ると、彼は自分の生命が完全であるのを見出すといつた例は多い。


 自然に從へといふのが健康法の公理である。必要なのは、この言葉の意味を形而上學的な深みにおいて理解することである。さしあたりこの自然は一般的なものでなくて個別的なもの、また自己形成的なものである。自然に從ふといふのは自然を模倣するといふことである。──模倣の思想は近代的な發明の思想とは異つてゐる。──その利益は、無用の不安を除いて安心を與へるといふ道徳的效果にある。


 健康は物の形といふやうに直觀的具體的なものである。


 近代醫學が發達した後においても、健康の問題は究極において自然形而上學の問題である。そこに何か變化がなければならぬとすれば、その形而上學が新しいものにならねばならぬといふだけである。醫者の不養生といふ諺は、養生については、醫者にも形而上學が必要であることを示すものにほかならぬ。


 客觀的なものは健康であり、主觀的なものは病的である。この言葉のうちに含まれる形而上學から、ひとは立派な養生訓を引き出すことができるであらう。


 健康の觀念に最も大きな變化を與へたのはキリスト教であつた。この影響はその主觀性の哲學から生じたのである。健康の哲學を求めたニーチェがあのやうに嚴しくキリスト教を攻撃したのは當然である。けれどもニーチェ自身の主觀主義は、彼があれほど求めた健康の哲學に對して破壞的であるのほかなかつた。ここに注意すべきことは、近代科學の客觀主義は近代の主觀主義を單に裏返したものであり、これと雙生兒であるといふことである。かやうにして主觀主義が出てきてから、病氣の觀念は獨自性をもち、固有の意味を得てきたのである。病氣は健康の缺乏といふより積極的な意味のものとなつた。


 近代主義の行き着いたところは人格の分解であるといはれる。しかるにそれと共に重要な出來事は、健康の觀念が同じやうに分裂してしまつたといふことである。現代人はもはや健康の完全なイメージを持たない。そこに現代人の不幸の大きな原因がある。如何にして健康の完全なイメージを取り戻すか、これが今日の最大の問題の一つである。


「健康そのものといふものはない」、とニーチェはいつた。これは科學的判斷ではなく、ニーチェの哲學を表明したものにほかならぬ。「何が一般に病氣であるかは、醫者の判斷よりも患者の判斷及びそれぞれの文化圈の支配的な見解に依存してゐる」、とカール・ヤスペルスはいふ。そして彼の考へるやうに、病氣や健康は存在判斷でなくて價値判斷であるとすれば、それは哲學に屬することにならう。經驗的な存在概念としては平均といふものを持ち出すほかない。しかしながら平均的な健康といふものによつては人それぞれに個性的な健康について何等本質的なものを把握することができぬ。もしまた健康は目的論的概念であるとすれば、そのことによつてまさにそれは科學の範圍を脱することになるであらう。


 自然哲學或ひは自然形而上學が失はれたといふことが、この時代にかくも健康が失はれてゐる原因である。そしてそれがまたこの科學的時代に、病氣に關してかくも多くの迷信が存在する理由である。


 實際、健康に關する多くの記述はつねに何等かの形而上學的原理を含んでゐる。例へばいふ、變化を行ひ、反對のことを交換せよ、しかしより穩かな極端に對する好みをもつて。絶食と飽食とを用ゐよ、しかしむしろ飽食を。覺めてゐることと眠ることとを、しかしむしろ眠ることを。坐つてゐることと動くこととを、しかしむしろ動くことを。──これはひとつの形而上學的思考である。また例へばいふ、唯一つのことを變へるのは善くない、一つのことよりも多くのことを變へるのがより安全である。──これもひとつの形而上學的原理を現はしてゐる。


 健康といふのは平和といふのと同じである。そこに如何に多くの種類があり、多くの價値の相違があるであらう。


秩序について


 例へば初めて來た家政婦に自分の書齋の掃除をまかせるとする。彼女は机の上やまはりに亂雜に置かれた本や書類や文房具などを整頓してきれいに並べるであらう。そして彼女は滿足する。ところで今私が机に向つて仕事をしようとする場合、私は何か整はないもの、落着かないものを感じ、一時間もたたないうちに、せつかくきちんと整頓されてゐるものをひつくり返し、元のやうに亂雜にしてしまふであらう。

 これは秩序といふものが何であるかを示す一つの單純な場合である。外見上極めてよく整理されてゐるもの必ずしも秩序のあるものでなく、むしろ一見無秩序に見えるところに却つて秩序が存在するのである。この場合秩序といふものが、心の秩序に關係してゐることは明かである。どのやうな外的秩序も心の秩序に合致しない限り眞の秩序ではない。心の秩序を度外視してどのやうに外面の秩序を整へたにしても空疎である。


 秩序は生命あらしめる原理である。そこにはつねに温かさがなければならぬ。ひとは温かさによつて生命の存在を感知する。


 また秩序は充實させるものでなければならぬ。單に切り捨てたり取り拂つたりするだけで秩序ができるものではない。虚無は明かに秩序とは反對のものである。


 しかし秩序はつねに經濟的なものである。最少の費用で最大の效用を擧げるといふ經濟の原則は秩序の原則でもある。これは極めて手近かな事實によつて證明される。節約──普通の經濟的な意味での──は秩序尊重の一つの形式である。この場合節約は大きな教養であるのみでなく、宗教的な敬虔にさへ近づくであらう。逆に言ふと、節約は秩序崇拜の一つの形式であるといふ意味においてのみ倫理的な意味をもつてゐる。無秩序は多くの場合浪費から來る。それは、心の秩序に關して、金錢の濫費においてすでにさうである。


 時の利用といふものは秩序の愛の現はれである。


 最少の費用で最大の效用を擧げるといふ經濟の法則が同時に心の秩序の法則でもあるといふことは、この經濟の法則が實は美學の法則でもあるからである。

 美學の法則は政治上の秩序に關してさへ模範的であり得る。「時代の政治的問題を美學によつて解決する」といふシルレルの言葉は、何よりも秩序の問題に關して妥當するであらう。


 知識だけでは足りない、能力が問題である。能力は技術と言ひ換へることができる。秩序は、心の秩序に關しても、技術の問題である。このことが理解されるのみでなく、能力として獲得されねばならぬ。

 最少の費用で最大の效用を擧げるといふ經濟の法則は實は經濟的法則であるよりも技術的法則であり、かやうなものとしてそれは美學の中にも入り込むのである。


 プラトンの中でソクラテスは、徳は心の秩序であるといつてゐる。これよりも具體的で實證的な徳の規定を私は知らない。今日最も忘れられてゐるのは徳のこのやうな考へ方である。そして徳は心の秩序であるといふ定義の論證にあたつてソクラテスが用ゐた方法は、注意すべきことに、建築術、造船術等、もろもろの技術との比論であつた。これは比論以上の重要な意味をもつてゐることである。


 心といふ實體性のないものについて如何にして技術は可能であるか、とひとはいふであらう。

 現代物理學はエレクトロンの説以來物質といふものから物體性を奪ひ去つた。この説は全物質界を完全に實體性のないものにするやうに見える。我々は「實體」の概念を避けて、それを「作用」の概念で置き換へなければならぬといはれてゐる。數學的に記述された物質はあらゆる日常的な親しさを失つた。

 不思議なことは、この物質觀の變革に相應する變革が、それに何等關係もない人間の心の中で準備され、實現されたといふことである。現代人の心理──必ずしも現存の心理學をいはない──と現代物理學との平行を批評的に明かにすることは、新しい倫理學の出發點でなければならぬ。


 知識人といふのは、原始的な意味においては、物を作り得る人間のことであつた。他の人間の作り得ないものを作り得る人間が知識人であつた。知識人のこの原始的な意味を我々はもう一度はつきり我々の心に思ひ浮べることが必要であると思ふ。

 ホメロスの英雄たちは自分で手工業を行つた。エウマイオスは自分で革を截斷して履物を作つたといはれ、オデュッセウスは非常に器用な大工で指物師であつたやうに記されてゐる。我々にとつてこれは羨望に價することではないであらうか。


 道徳の中にも手工業的なものがある。そしてこれが道徳の基礎的なものである。

 しかし困難は、今日物的技術において「道具」の技術から「機械」の技術に變化したやうな大きな變革が、道徳の領域においても要求されてゐるところにある。


 作ることによつて知るといふことが大切である。これが近代科學における實證的精神であり、道徳もその意味において全く實證的でなければならぬ。


 プラトンが心の秩序に相應して國家の秩序を考へたことは奇體なことではない。この構想には深い智慧が含まれてゐる。

 あらゆる秩序の構想の根柢には價値體系の設定がなければならぬ。しかるに今日流行の新秩序論の基礎にどのやうな價値體系が存在するであらうか。倫理學でさへ今日では價値體系の設定を抛擲してしかも狡猾にも平然としてゐる状態である。

 ニーチェが一切の價値の轉換を唱へて以後、まだどのやうな承認された價値體系も存在しない。それ以後、新秩序の設定はつねに何等か獨裁的な形をとらざるを得なかつた。一切の價値の轉換といふニーチェの思想そのものが實は近代社會の辿り着いた價値のアナーキーの表現であつた。近代デモクラシーは内面的にはいはゆる價値の多神論から無神論に、即ち虚無主義に落ちてゆく危險があつた。これを最も深く理解したのがニーチェであつた。そしてかやうな虚無主義、内面的なアナーキーこそ獨裁政治の地盤である。もし獨裁を望まないならば、虚無主義を克服して内から立直らなければならない。しかるに今日我が國の多くのインテリゲンチャは獨裁を極端に嫌ひながら自分自身はどうしてもニヒリズムから脱出することができないでゐる。


 外的秩序は強力によつても作ることができる。しかし心の秩序はさうではない。


 人格とは秩序である、自由といふものも秩序である。……かやうなことが理解されねばならぬ。そしてそれが理解されるとき、主觀主義は不十分となり、何等か客觀的なものを認めなければならなくなるであらう。近代の主觀主義は秩序の思想の喪失によつて虚無主義に陷つた。いはゆる無の哲學も、秩序の思想、特にまた價値體系の設定なしには、その絶對主義の虚無主義と同じになる危險が大きい。


感傷について


 精神が何であるかは身體によつて知られる。私は動きながら喜ぶことができる、喜びは私の運動を活溌にしさへするであらう。私は動きながら怒ることができる、怒は私の運動を激烈にしさへするであらう。しかるに感傷の場合、私は立ち停まる、少くとも靜止に近い状態が私に必要であるやうに思はれる。動き始めるや否や、感傷はやむか、もしくは他のものに變つてゆく。故に人を感傷から脱しさせようとするには、先づ彼を立たせ、彼に動くことを強要するのである。かくの如きことが感傷の心理的性質そのものを示してゐる。日本人は特別に感傷的であるといふことが正しいとすれば、それは我々の久しい間の生活樣式に關係があると考へられないであらうか。


 感傷の場合、私は坐つて眺めてゐる、起つてそこまで動いてゆくのではない。いな、私はほんとには眺めてさへゐないであらう。感傷は、何について感傷するにしても、結局自分自身に止まつてゐるのであつて、物の中に入つてゆかない。批評といひ、懷疑といふも、物の中に入つてゆかない限り、一個の感傷に過ぎぬ。眞の批評は、眞の懷疑は、物の中に入つてゆくのである。


 感傷は愛、憎み、悲しみ、等、他の情念から區別されてそれらと並ぶ情念の一つの種類ではない。むしろ感傷はあらゆる情念のとり得る一つの形式である。すべての情念は、最も粗野なものから最も知的なものに至るまで、感傷の形式において存在し乃至作用することができる。愛も感傷となることができるし、憎みも感傷となることができる。簡單にいふと、感傷は情念の一つの普遍的な形式である。それが何か實體のないもののやうに思はれるのも、それが情念の一つの種類でなくて一つの存在樣相であるためである。


 感傷はすべての情念のいはば表面にある。かやうなものとしてそれはすべての情念の入口であると共に出口である。先づ後の場合が注意される。ひとつの情念はその活動をやめるとき、感傷としてあとを引き、感傷として終る。泣くことが情念を鎭めることである理由もそこにある。泣くことは激しい情念の活動を感傷に變へるための手近かな手段である。しかし泣くだけでは足りないであらう。泣き崩れなければならぬ、つまり靜止が必要である。ところで特に感傷的といはれる人間は、あらゆる情念にその固有の活動を與へないで、表面の入口で擴散させてしまふ人間のことである。だから感傷的な人間は決して深いとはいはれないが無害な人間である。


 感傷は矛盾を知らない。ひとは愛と憎みとに心が分裂するといふ。しかしそれが感傷になると、愛も憎みも一つに解け合ふ。運動は矛盾から生ずるといふ意味においても、感傷は動くものとは考へられないであらう。それはただ流れる、むしろただ漂ふ。感傷は和解の手近かな手段である。だからまたそれはしばしば宗教的な心、碎かれた心といふものと混同される。我々の感傷的な心は佛教の無常觀に影響されてゐるところが少くないであらう。それだけに兩者を嚴格に區別することが肝要である。


 感傷はただ感傷を喚び起す、さうでなければただ消えてゆく。


 情念はその固有の力によつて創造する、乃至は破壞する。しかし感傷はさうではない。情念はその固有の力によつてイマジネーションを喚び起す。しかし感傷に伴ふのはドゥリームでしかない。イマジネーションは創造的であり得る。しかしドゥリームはさうではない。そこには動くものと動かぬものとの間の差異があるであらう。


 感傷的であることが藝術的であるかのやうに考へるのは、一つの感傷でしかない。感傷的であることが宗教的であるかのやうに考へる者に至つては、更にそれ以上感傷的であるといはねばならぬ。宗教はもとより、藝術も、感傷からの脱出である。


 瞑想は多くの場合感傷から出てくる、少くとも感傷を伴ひ、或ひは感傷に變つてゆく。思索する者は感傷の誘惑に負けてはならぬ。

 感傷は趣味になることができ、またしばしばさうなつてゐる。感傷はそのやうに甘味なものであり、誘惑的である。瞑想が趣味になるのは、それが感傷的になるためである。


 すべての趣味と同じやうに、感傷は本質的にはただ過去のものの上にのみ働くのである。それは出來つつあるものに對してでなく出來上つたものに對して働くのである。すべて過ぎ去つたものは感傷的に美しい。感傷的な人間は囘顧することを好む。ひとは未來について感傷することができぬ。少くとも感傷の對象であるやうな未來は眞の未來ではない。


 感傷は制作的でなくて鑑賞的である。しかし私は感傷によつて何を鑑賞するのであらうか。物の中に入らないで私は物を鑑賞し得るであらうか。感傷において私は物を味つてゐるのでなく自分自身を味つてゐるのである。いな、正確にいふと、私は自分自身を味つてゐるのでさへなく、ただ感傷そのものを味つてゐるのである。

 感傷は主觀主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主觀的な時期であるためである。主觀主義者は、どれほど概念的或ひは論理的に裝はうとも、内實は感傷家でしかないことが多い。


 あらゆる情念のうち喜びは感傷的になることが最も少い情念である。そこに喜びのもつ特殊な積極性がある。


 感傷には個性がない、それは眞の主觀性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。だから大衆文學といふものは本質的に感傷的である。大衆文學の作家は過去の人物を取扱ふのがつねであるのも、これに關係するであらう。彼等と純文學の作家との差異は、彼等が現代の人物を同じやうに巧に描くことができない點にある。この簡單な事柄のうちに藝術論における種々の重要な問題が含まれてゐる。


 感傷はたいていの場合マンネリズムに陷つてゐる。


 身體の外觀が精神の状態と必ずしも一致しないことは、一見極めて頑丈な人間が甚だ感傷的である場合が存在することによつて知られる。


 旅は人を感傷的にするといふ。彼は動くことによつて感傷的になるのであらうか。もしさうであるとすれば、私の最初の定義は間違つてゐることになる。だがさうではない。旅において人が感傷的になり易いのは、むしろ彼がその日常の活動から脱け出すためであり、無爲になるためである。感傷は私のウィーク・エンドである。


 行動的な人間は感傷的でない。思想家は行動人としての如く思索しなければならぬ。勤勉が思想家の徳であるといふのは、彼が感傷的になる誘惑の多いためである。


 あらゆる物が流轉するのを見て感傷的になるのは、物を捉へてその中に入ることのできぬ自己を感じるためである。自己もまた流轉の中にあるのを知るとき、私は單なる感傷に止まり得るであらうか。


 感傷には常に何等かの虚榮がある。


假説について


 思想が何であるかは、これを生活に對して考へてみると明瞭になるであらう。生活は事實である、どこまでも經驗的なものである。それに對して思想にはつねに假説的なところがある。假説的なところのないやうな思想は思想とはいはれないであらう。思想が純粹に思想としてもつてゐる力は假説の力である。思想はその假説の大いさに從つて偉大である。もし思想に假説的なところがないとすれば、如何にしてそれは生活から區別され得るであらうか。考へるといふこともそれ自身としては明かに我々の生活の一部分であつて、これと別のものではない。しかるにそのものがなほ生活から區別されるのは、考へるといふことが本質的には假説的に考へることであるためである。

 考へるといふことは過程的に考へることである。過程的な思考であつて方法的であることができる。しかるに思考が過程的であるのは假説的に考へるからである。即ち假説的な思考であつて方法的であることができる。懷疑にしても方法的であるためには假説に依らねばならぬことは、デカルトの懷疑において模範的に示されてゐる。

 假説的に考へるといふことは論理的に考へるといふことと單純に同じではない。假説は或る意味で論理よりも根源的であり、論理はむしろそこから出てくる。論理そのものが一つの假説であるといふこともできるであらう。假説は自己自身から論理を作り出す力をさへもつてゐる。論理よりも不確實なものから論理が出てくるのである。論理も假説を作り出すものと考へられる限りそれ自身假説的なものと考へられねばならぬ。

 すべて確實なものは不確實なものから出てくるのであつて、その逆でないといふことは、深く考ふべきことである。つまり確實なものは與へられたものでなくて形成されるものであり、假説はこの形成的な力である。認識は模寫でなくて形成である。精神は藝術家であり、鏡ではない。


 しかし思想のみが假説的であつて、人生は假説的でないのであらうか。人生も或る假説的なものである。それが假説的であるのは、それが虚無に繋がるためである。各人はいはば一つの假説を證明するために生れてゐる。生きてゐることは、ただ生きてゐるといふことを證明するためではないであらう、──そのやうな證明はおよそ不要である、──實に、一つの假説を證明するためである。だから人生は實驗であると考へられる。──假説なしに實驗といふものはあり得ない。──もとよりそれは、何でも勝手にやつてみることではなく、自分がそれを證明するために生れた固有の假説を追求することである。


 人生が假説的なものであるとすれば、思想が人生に對して假説的なものとして區別されるのと同じ仕方で、人生がそのものに對して假説的なものとして區別される或るものがあるのでなければならぬ。


 假説が單に論理的なものでないことは、それが文學の思考などのうちにもあるといふことによつて明かである。小説家の創作行動はただひとすぢに彼の假説を證明することである。人生が假説の證明であるといふ意味はこれに類似してゐる。假説は少くともこの場合單なる思惟に屬するのでなく、構想力に屬してゐる。それはフィクションであるといふこともできるであらう。假説は不定なもの、可能的なものである。だからそれを證明することが問題である。それが不定なもの、可能的なものであるといふのは單に論理的意味においてでなく、むしろ存在論的意味においてである。言ひ換へると、それは人間の存在が虚無を條件とするのみでなく虚無と混合されてゐることを意味してゐる。從つて假説の證明が創造的形成でなければならぬことは小説におけると同じである。人生において實驗といふのはかやうな形成をいふのである。


 常識を思想から區別する最も重要な特徴は、常識には假説的なところがないといふことである。


 思想は假説でなくて信念でなければならぬといはれるかも知れない。しかるに思想が信念でなければならぬといふことこそ、思想が假説であることを示すものである。常識の場合にはことさら信仰は要らない、常識には假説的なところがないからである。常識は既に或る信仰である、これに反して思想は信念にならねばならぬ


 すべての思想らしい思想はつねに極端なところをもつてゐる。なぜならそれは假説の追求であるから。これに對して常識のもつてゐる大きな徳は中庸といふことである。しかるに眞の思想は行動に移すと生きるか死ぬるかといつた性質をもつてゐる。思想のこの危險な性質は、行動人は理解してゐるが、思想に從事する者においては却つて忘れられてゐる。ただ偉大な思想家のみはそのことを行動人よりも深く知つてゐる。ソクラテスが從容として死に就いたのはそのためであつたであらう。


 誤解を受けることが思想家のつねの運命のやうになつてゐるのは、世の中には彼の思想が一つの假説であることを理解する者が少いためである。しかしその罪の一半はたいていの場合思想家自身にもあるのであつて、彼自身その思想が假説的なものであることを忘れるのである。それは彼の怠惰に依ることが多い。探求の續いてゐる限り思想の假説的性質は絶えず顯はである。


 折衷主義が思想として無力であるのは、そこでは假説の純粹さが失はれるためである。それは好むと好まないとに拘らず常識に近づく、常識には假説的なところがない。


 假説といふ思想は近代科學のもたらした恐らく最大の思想である。近代科學の實證性に對する誤解は、そのなかに含まれる假説の精神を全く見逃したか、正しく把握しなかつたところから生じた。かやうにして實證主義は虚無主義に陷らねばならなかつた。假説の精神を知らないならば、實證主義は虚無主意に落ちてゆくのほかない。


僞善について


「人間は生れつき嘘吐きである」、とラ・ブリュイエールはいつた。「眞理は單純であり、そして人間はけばけばしいこと、飾り立てることを好む。眞理は人間に屬しない、それはいはば出來上つて、そのあらゆる完全性において、天から來る。そして人間は自分自身の作品、作り事とお伽噺のほか愛しない。」人間が生れつき嘘吐きであるといふのは、虚榮が彼の存在の一般的性質であるためである。そこで彼はけばけばしいこと、飾り立てることを好む。虚榮はその實體に從つていふと虚無である。だから人間は作り事やお伽噺を作るのであり、そのやうな自分自身の作品を愛するのである。眞理は人間の仕事ではない。それは出來上つて、そのあらゆる完全性において、人間とは關係なく、そこにあるものである。


 その本性において虚榮的である人間は僞善的である。眞理とは別に善があるのでないやうに、虚榮とは別に僞善があるのではない。善が眞理と一つのものであることを理解した者であつて僞善が何であるかを理解することができる。虚榮が人生に若干の效用をもつてゐるやうに、僞善も人生に若干の效用をもつてゐる。僞善が虚榮と本質的に同じものであることを理解しない者は、僞善に對する反感からと稱して自分自身ひとつの虚榮の虜になつてゐる。僞善に對して僞惡といふ妙な言葉で呼ばれるものがそれである。その僞惡といふものこそ明かに人間のおぼつかない虚榮ではないか。そのものは僞善が虚榮にほかならぬことを他面から明瞭にするのである。かやうな僞惡家の特徴は感傷的であるといふことである。嘗て私は僞惡家と稱する者で感傷家でないやうな人間を見たことがない。僞善に反感を感じる彼のモラルもセンチメンタリズムでしかない。僞惡家はとかく自分で想像してゐるやうに深い人間ではない。その彼の想像がまた一つのセンチメンタリズムに屬してゐる。もし彼が無害な人間であるとしたなら、それは一般に感傷的な人間は深くはないが無害であるといふことに依るのである。


 ひとはただ他の人間に對する關係においてのみ僞善的になると考へるのは間違つてゐる。僞善は虚榮であり、虚榮の實體は虚無である、そして虚無は人間の存在そのものである。あらゆる徳が本來自己におけるものであるやうに、あらゆる惡徳もまた本來自己におけるものである。その自己を忘れて、ただ他の人間、社會をのみ相手に考へるところから僞善者といふものが生じる。それだから道徳の社會性といふが如きことが力説されるやうになつて以來、いかに多くの僞善者が生じたであらうか。或ひはむしろ道徳の社會性といふが如き理論は現代に特徴的な僞善をかばふためにことさら述べられてゐるやうにさへ見えるのである。

 我々の誰が僞善的でないであらうか。虚榮は人間の存在の一般的性質である。僞善者が恐しいのは、彼が僞善的であるためであるといふよりも、彼が意識的な人間であるためである。しかし彼が意識してゐるのは自己でなく、虚無でもなく、ただ他の人間、社會といふものである。


 虚無に根差す人生はフィクショナルなものである。人間の道徳もまたフィクショナルなものである。それだから僞善も存在し得るのであり、若干の效用をさへもち得るのである。しかるにフィクショナルなものは、それに止まることなく、その實在性が證明されねばならぬ。僞善者とさうでない人間との區別は、その證明の誠意と熱情をもつてゐるかどうかにある。人生において證明するといふことは形成することであり、形成するといふことは内部と外部とが一つになることである。ところが僞善者にあつては内部と外部とが別である。僞善者には創造といふものがない。


 虚言の存在することが可能であるのは、あらゆる表現が眞理として受取られる性質をそれ自身においてもつてゐるためである。ものは表現されると我々に無關係になる。表現といふものはそのやうに恐しいものである。戀をする人間は言葉といふもの、表現といふものが如何に恐しいものであるかを考へてをののいてゐる。今日どれだけの著作家が表現の恐しさをほんとに理解してゐるか。


 絶えず他の人を相手に意識してゐる僞善者が阿諛的でないことは稀である。僞善が他の人を破滅させるのは、僞善そのものによつてよりも、そのうちに含まれる阿諛によつてである。僞善者とさうでない者との區別は、阿諛的であるかどうかにあるといふことができるであらう。ひとに阿ることは間違つたことを言ふよりも遙かに惡い。後者は他人を腐敗させはしないが、前者は他人を腐敗させ、その心をかどはかして眞理の認識に對して無能力にするのである。嘘吐くことでさへもが阿ることよりも道徳的にまさつてゐる。虚言の害でさへもが主としてそのうちに混入する阿諛に依るのである。眞理は單純で率直である。しかるにその裏は千の相貌を具へてゐる。僞善が阿るためにとる姿もまた無限である。


 多少とも權力を有する地位にある者に最も必要な徳は、阿る者と純眞な人間とをひとめで識別する力である。これは小さいことではない。もし彼がこの徳をもつてゐるなら、彼はあらゆる他の徳をもつてゐると認めても宜いであらう。


「善く隱れる者は善く生きる」といふ言葉には、生活における深い智慧が含まれてゐる。隱れるといふのは僞善でも僞惡でもない、却つて自然のままに生きることである。自然のままに生きることが隱れるといふことであるほど、世の中は虚榮的であるといふことをしつかりと見抜いて生きることである。


 現代の道徳的頽廢に特徴的なことは、僞善がその頽廢の普遍的な形式であるといふことである。これは頽廢の新しい形式である。頽廢といふのは普通に形がくづれて行くことであるが、この場合表面の形はまことによく整つてゐる。そしてその形は決して舊いものではなく全く新しいものでさへある。しかもその形の奧には何等の生命もない、形があつても心はその形に支へられてゐるのでなく、虚無である。これが現代の虚無主義の性格である。


娯樂について


 生活を樂しむことを知らねばならぬ。「生活術」といふのはそれ以外のものでない。それは技術であり、徳である。どこまでも物の中にゐてしかも物に對して自律的であるといふことがあらゆる技術の本質である。生活の技術も同樣である。どこまでも生活の中にゐてしかも生活を超えることによつて生活を樂しむといふことは可能になる。


 娯樂といふ觀念は恐らく近代的な觀念である。それは機械技術の時代の産物であり、この時代のあらゆる特徴を具へてゐる。娯樂といふものは生活を樂しむことを知らなくなつた人間がその代りに考へ出したものである。それは幸福に對する近代的な代用品である。幸福についてほんとに考へることを知らない近代人は娯樂について考へる。


 娯樂といふものは、簡單に定義すると、他の仕方における生活である。この他とは何であるかが問題である。この他とは元來宗教的なものを意味してゐた。從つて人間にとつて娯樂は祭としてのみ可能であつた。

 かやうな觀念が失はれたとき、娯樂はただ單に、働いてゐる時間に對する遊んでゐる時間、眞面目な活動に對する享樂的な活動、つまり「生活」とは別の或るものと考へられるやうになつた。樂しみは生活そのもののうちになく、生活の他のもの即ち娯樂のうちにあると考へられる。一つの生活にほかならぬ娯樂が生活と對立させられる。生活の分裂から娯樂の觀念が生じた。娯樂を求める現代人は多かれ少かれ二重生活者としてそれを求めてゐる。近代的生活はそのやうに非人間的になつた。生活を苦痛としてのみ感じる人間は生活の他のものとして娯樂を求めるが、その娯樂といふものは同じやうに非人間的であるのほかない。

 娯樂は生活の附加物であるかのやうに考へられるところから、それはまた斷念されても宜いもの、むしろ斷念さるべきものとも考へられるのである。


 祭は他の秩序のもの、より高い秩序のものと結び附いてゐる。しかるに生活と娯樂とは同じ秩序のものであるのに對立させられてゐる。むしろ現代における秩序の思想の喪失がそれらの對立的に見られる根源である。


 他の、より高い秩序から見ると、人生のあらゆる營みは、眞面目な仕事も道樂も、すべて慰戲(divertissement)に過ぎないであらう。パスカルはそのやうに考へた。一度この思想にまで戻つて考へることが、生活と娯樂といふ對立を拂拭するために必要である。娯樂の觀念の根柢にも形而上學がなければならぬ。


 たとへば、自分の專門は娯樂でなく、娯樂といふのは自分の專門以外のものである。畫は畫家にとつては娯樂でなく、會社員にとつては娯樂である。音樂は音樂家にとつては娯樂でなく、タイピストにとつては娯樂である。かやうにしてあらゆる文化について、娯樂的な對し方といふものが出來た。そこに現代の文化の墮落の一つの原因があるといへるであらう。


 現代の教養の缺陷は、教養といふものが娯樂の形式において求められることに基いてゐる。專門は「生活」であつて、教養は專門とは別のものであり、このものは結局娯樂であると思はれてゐるのである。


 專門といふ見地から生活と娯樂が區別されるに從つて、娯樂を專門とする者が生じた。彼にとつてはもちろん娯樂は生活であつて娯樂であることができぬ。そこに純粹な娯樂そのものが作られ、娯樂はいよいよ生活から離れてしまつた。

 娯樂を專門とする者が生じ、純粹な娯樂そのものが作られるに從つて、一般の人々にとつて娯樂は自分がそれを作るのに參加するものでなく、ただ外から見て享樂するものとなつた。彼等が參加してゐるといふのはただ、彼等が他の觀衆とか聽衆の中に加はつてゐるといふ意味である。祭が娯樂の唯一の形式であつた時代に比較して考へると、大衆が、もしくは純粹な娯樂そのものが、もしくは享樂が、神の地位を占めるやうになつたのである。今日娯樂の大衆性といふものは概してかくの如きものである。


 生活と娯樂とは區別されながら一つのものである。それらを抽象的に對立させるところから、娯樂についての、また生活についての、種々の間違つた觀念が生じてゐる。

 娯樂が生活になり生活が娯樂にならなければならない。生活と娯樂とが人格的統一に齎されることが必要である。生活を樂しむといふこと、從つて幸福といふものがその際根本の觀念でなければならぬ。

 娯樂が藝術になり、生活が藝術にならなければならない。生活の技術は生活の藝術でなければならぬ。

 娯樂は生活の中にあつて生活のスタイルを作るものである。娯樂は單に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。單に見ることによつて樂しむのでなく、作ることによつて樂しむことが大切である。


 娯樂は他の仕方における生活として我々の平生使はれてゐない器官や能力を働かせることによつて教養となることができる。この場合もちろん娯樂はただ他の仕方における生活であつて、生活の他のものであるのではない。

 生活の他のものとしての娯樂といふ抽象的な觀念が生じたのは近代技術が人間生活に及ぼした影響に依るものとすれば、この機械技術を支配する技術が必要である。技術を支配する技術といふものが現代文化の根本問題である。


 今日娯樂といはれるものの持つてゐる唯一の意義は生理的なものである。「健全な娯樂」といふ合言葉がそれを示してゐる。だから私は今日娯樂といはれるもののうち體操とスポーツだけは信用することができる。娯樂は衞生である。ただ、それは身體の衞生であるのみでなく、精神の衞生でもなければならぬ。そして身體の衞生が血液の運行を善くすることにある如く、精神の衞生は觀念の運行を善くすることにある。凝結した觀念が今日かくも多いといふことは、娯樂の意義とその方法がほんとに理解されてゐない證據である。


 生活を樂しむ者はリアリストでなければならぬ。しかしそのリアリズムは技術のリアリズムでなければならない。即ち生活の技術の尖端にはつねにイマジネーションがなければならない。あらゆる小さな事柄に至るまで、工夫と發明が必要である。しかも忘れてならないのは、發明は單に手段の發明に止まらないで、目的の發明でもなければならぬといふことである。第一級の發明は、いはゆる技術においても、新しい技術的手段の發明であると共に新しい技術的目的の發明であつた。眞に生活を樂しむには、生活において發明的であること、とりわけ新しい生活意欲を發明することが大切である。


 エピキュリアンといふのは生活の藝術におけるディレッタントである。眞に生活を樂しむ者はディレッタントとは區別される創造的な藝術家である。


希望について


 人生においては何事も偶然である。しかしまた人生においては何事も必然である。このやうな人生を我々は運命と稱してゐる。もし一切が必然であるなら運命といふものは考へられないであらう。だがもし一切が偶然であるなら運命といふものはまた考へられないであらう。偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもつてゐる故に、人生は運命なのである。

 希望は運命の如きものである。それはいはば運命といふものの符號を逆にしたものである。もし一切が必然であるなら希望といふものはあり得ないであらう。しかし一切が偶然であるなら希望といふものはまたあり得ないであらう。

 人生は運命であるやうに、人生は希望である。運命的な存在である人間にとつて生きてゐることは希望を持つてゐることである。


 自分の希望はFといふ女と結婚することである。自分の希望はVといふ町に住むことである。自分の希望はPといふ地位を得ることである。等々。ひとはこのやうに語つてゐる。しかし何故にそれが希望であるのか。それは欲望といふものでないのか。目的といふものでないのか。或ひは期待といふものでないのか。希望は欲望とも、目的とも、期待とも同じではないであらう。自分が彼女に會つたのは運命であつた。自分がこの土地に來たのは運命であつた。自分が今の地位にゐるのは運命であつた。個々の出來事が私にとつて運命であるのは、私の存在が全體として本來運命であるためである。希望についても同じやうに考へることができるであらう。個々の内容のものが希望と考へられるのは、人生が全體として本來希望であるためである。


 それは運命だから絶望的だといはれる。しかるにそれは運命であるからこそ、そこにまた希望もあり得るのである。


 希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味ひたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といはれる。しかしながら、失はれる希望といふものは希望でなく、却つて期待といふ如きものである。個々の内容の希望は失はれることが多いであらう。しかも決して失はれることのないものが本來の希望なのである。

 たとへば失戀とは愛してゐないことであるか。もし彼或ひは彼女がもはや全く愛してゐないとすれば、彼或ひは彼女はもはや失戀の状態にあるのでなく既に他の状態に移つてゐるのである。失望についても同じやうに考へることができるであらう。また實際、愛と希望との間には密接な關係がある。希望は愛によつて生じ、愛は希望によつて育てられる。

 愛もまた運命ではないか。運命が必然として自己の力を現はすとき、愛も必然に縛られなければならぬ。かやうな運命から解放されるためには愛は希望と結び附かなければならない。


 希望といふものは生命の形成力以外の何物であるか。我々は生きてゐる限り希望を持つてゐるといふのは、生きることが形成することであるためである。希望は生命の形成力であり、我々の存在は希望によつて完成に達する。生命の形成力が希望であるといふのは、この形成が無からの形成といふ意味をもつてゐることに依るであらう。運命とはそのやうな無ではないのか。希望はそこから出てくるイデー的な力である。希望といふものは人間の存在の形而上學的本質を顯はすものである。


 希望に生きる者はつねに若い。いな生命そのものが本質的に若さを意味してゐる。


 愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、いはばその間にある。間にあるといふのは二人のいづれよりもまたその關係よりも根源的なものであるといふことである。それは二人が愛するときいはば第三のもの即ち二人の間の出來事として自覺される。しかもこの第三のものは全體的に二人のいづれの一人のものでもある。希望にもこれに似たところがあるであらう。希望は私から生ずるのでなく、しかも全く私の内部のものである。眞の希望は絶望から生じるといはれるのは、まさにそのこと即ち希望が自己から生じるものでないことを意味してゐる。絶望とは自己を抛棄することであるから。


 絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことができぬといふこと、それは近代の主觀的人間にとつて特徴的な状態である。


 自分の持つてゐるものは失ふことのできないものであるといふのが人格主義の根本の論理である。しかしむしろその逆でなければならぬ。自分に依るのでなくどこまでも他から與へられるものである故に私はそれを失ふことができないのである。近代の人格主義は主觀主義となることによつて解體しなければならなかつた。


 希望と現實とを混同してはならぬといはれる。たしかにその通りである。だが希望は不確かなものであるか。希望はつねに人生といふものほどの確かさは持つてゐる。

 もし一切が保證されてゐるならば希望といふものはないであらう。しかし人間はつねにそれほど確實なものを求めてゐるであらうか。あらゆる事柄に對して保證されることを欲する人間──ひとは戰爭に對してさへ保險會社を設立する──も、賭に熱中する。言ひ換へると、彼は發明された偶然、強ひて作られた運命に心を碎かうとするのである。恐怖或ひは不安によつて希望を刺戟しようとするのである。

 希望の確實性はイマジネーションの確實性と同じ性質のものである。生成するものの論理は固形體の論理とは異つてゐる。


 人生問題の解決の鍵は確實性の新しい基準を發見することにあるやうに思はれる。


 希望が無限定なものであるかのやうに感じられるのは、それが限定する力そのものであるためである。

 スピノザのいつたやうに、あらゆる限定は否定である。斷念することをほんとに知つてゐる者のみがほんとに希望することができる。何物も斷念することを欲しない者は眞の希望を持つこともできぬ。

 形成は斷念であるといふことがゲーテの達した深い形而上學的智慧であつた。それは藝術的制作についてのみいはれることではない。それは人生の智慧である。


旅について


 ひとはさまざまの理由から旅に上るであらう。或る者は商用のために、他の者は視察のために、更に他の者は休養のために、また或る一人は親戚の不幸を見舞ふために、そして他の一人は友人の結婚を祝ふために、といふやうに。人生がさまざまであるやうに、旅もさまざまである。しかしながら、どのやうな理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懷がある。恰も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるやうに。

 旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な關係から逃れることである。旅の嬉しさはかやうに解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か解放された氣持になるものである。或る者は實に人生から脱出する目的をもつてさへ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する氣持になるものである。旅の對象としてひとの好んで選ぶものが多くの場合自然であり、人間の生活であつても原始的な、自然的な生活であるといふのも、これに關係すると考へることができるであらう。旅におけるかやうな解放乃至脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴つてゐる。即ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。

 漂泊の感情は或る運動の感情であつて、旅は移動であることから生ずるといはれるであらう。それは確かに或る運動の感情である。けれども我々が旅の漂泊であることを身にしみて感じるのは、車に乘つて動いてゐる時ではなく、むしろ宿に落着いた時である。漂泊の感情は單なる運動の感情ではない。旅に出ることは日常の習慣的な、從つて安定した關係を脱することであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくるのである。旅は何となく不安なものである。しかるにまた漂泊の感情は遠さの感情なしには考へられないであらう。そして旅は、どのやうな旅も、遠さを感じさせるものである。この遠さは何キロと計られるやうな距離に關係してゐない。毎日遠方から汽車で事務所へ通勤してゐる者であつても、彼はこの種の遠さを感じないであらう。ところがたとひそれよりも短い距離であつても、一日彼が旅に出るとなると、彼はその遠さを味ふのである。旅の心は遙かであり、この遙けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少かれ浪漫的になる。浪漫的心情といふのは遠さの感情にほかならない。旅の面白さの半ばはかやうにして想像力の作り出すものである。旅は人生のユートピアであるとさへいふことができるであらう。しかしながら旅は單に遙かなものではない。旅はあわただしいものである。鞄一つで出掛ける簡單な旅であつても、旅には旅のあわただしさがある。汽車に乘る旅にも、徒歩で行く旅にも、旅のあわただしさがあるであらう。旅はつねに遠くて、しかもつねにあわただしいものである。それだからそこに漂泊の感情が湧いてくる。漂泊の感情は單に遠さの感情ではない。遠くて、しかもあわただしいところから、我々は漂泊を感じるのである。遠いと定まつてゐるものなら、何故にあわただしくする必要があるであらうか。それは遠いものでなくて近いものであるかも知れない。いな、旅はつねに遠くて同時につねに近いものである。そしてこれは旅が過程であるといふことを意味するであらう。旅は過程である故に漂泊である。出發點が旅であるのではない、到着點が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味ふことができない者は、旅の眞の面白さを知らぬものといはれるのである。日常の生活において我々はつねに主として到達點を、結果をのみ問題にしてゐる、これが行動とか實踐とかいふものの本性である。しかるに旅は本質的に觀想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の實踐的生活から脱け出して純粹に觀想的になり得るといふことが旅の特色である。旅が人生に對して有する意義もそこから考へることができるであらう。

 何故に旅は遠いものであるか。未知のものに向つてゆくことである故に。日常の經驗においても、知らない道を初めて歩く時には實際よりも遠く感じるものである。假にすべてのことが全くよく知られてゐるとしたなら、日常の通勤のやうなものはあつても本質的に旅といふべきものはないであらう。旅は未知のものに引かれてゆくことである。それだから旅には漂泊の感情が伴つてくる。旅においてはあらゆるものが既知であるといふことはあり得ないであらう。なぜなら、そこでは單に到着點或ひは結果が問題であるのでなく、むしろ過程が主要なのであるから。途中に注意してゐる者は必ず何か新しいこと、思ひ設けぬことに出會ふものである。旅は習慣的になつた生活形式から脱け出ることであり、かやうにして我々は多かれ少かれ新しくなつた眼をもつて物を見ることができるやうになつてをり、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを發見することができるやうになつてゐる。平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。旅の利益は單に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、──全く新しいといひ得るものが世の中にあるであらうか──むしろ平素自明のもの、既知のもののやうに考へてゐたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。我々の日常の生活は行動的であつて到着點或ひは結果にのみ關心し、その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されてゐる。毎日習慣的に通勤してゐる者は、その日家を出て事務所に來るまでの間に、彼が何を爲し、何に會つたかを恐らく想ひ起すことができないであらう。しかるに旅においては我々は純粹に觀想的になることができる。旅する者は爲す者でなくて見る人である。かやうに純粹に觀想的になることによつて、平生既知のもの、自明のものと前提してゐたものに對して我々は新たに驚異を覺え、或ひは好奇心を感じる。旅が經驗であり、教育であるのも、これに依るのである。

 人生は旅、とはよくいはれることである。芭蕉の奧の細道の有名な句を引くまでもなく、これは誰にも一再ならず迫つてくる實感であらう。人生について我々が抱く感情は、我々が旅において持つ感情と相通ずるものがある。それは何故であらうか。

 何處から何處へ、といふことは、人生の根本問題である。我々は何處から來たのであるか、そして何處へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。さうである限り、人生が旅の如く感じられることは我々の人生感情として變ることがないであらう。いつたい人生において、我々は何處へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。我々の行き着く處は死であるといはれるであらう。それにしても死が何であるかは、誰も明瞭に答へることのできぬものである。何處へ行くかといふ問は、飜つて、何處から來たかと問はせるであらう。過去に對する配慮は未來に對する配慮から生じるのである。漂泊の旅にはつねにさだかに捉へ難いノスタルヂヤが伴つてゐる。人生は遠い、しかも人生はあわただしい。人生の行路は遠くて、しかも近い。死は刻々に我々の足もとにあるのであるから。しかもかくの如き人生において人間は夢みることをやめないであらう。我々は我々の想像に從つて人生を生きてゐる。人は誰でも多かれ少かれユートピアンである。旅は人生の姿である。旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粹に觀想的になることによつて、平生は何か自明のもの、既知のものの如く前提されてゐた人生に對して新たな感情を持つのである。旅は我々に人生を味はさせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客觀的な遠さや近さや運動に關係するものでないことを述べてきた。旅において出會ふのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出會ふのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。

 既にいつたやうに、ひとはしばしば解放されることを求めて旅に出る。旅は確かに彼を解放してくれるであらう。けれどもそれによつて彼が眞に自由になることができると考へるなら、間違ひである。解放といふのは或る物からの自由であり、このやうな自由は消極的な自由に過ぎない。旅に出ると、誰でも出來心になり易いものであり、氣紛れになりがちである。人の出來心を利用しようとする者には、その人を旅に連れ出すのが手近かな方法である。旅は人を多かれ少かれ冒險的にする、しかしこの冒險と雖も出來心であり、氣紛れであるであらう。旅における漂泊の感情がそのやうな出來心の根柢にある。しかしながら氣紛れは眞の自由ではない。氣紛れや出來心に從つてのみ行動する者は、旅において眞に經驗することができぬ。旅は我々の好奇心を活溌にする。けれども好奇心は眞の研究心、眞の知識欲とは違つてゐる。好奇心は氣紛れであり、一つの所に停まつて見ようとはしないで、次から次へ絶えず移つてゆく。一つの所に停まり、一つの物の中に深く入つてゆくことなしに、如何にして眞に物を知ることができるであらうか。好奇心の根柢にあるものも定めなき漂泊の感情である。また旅は人間を感傷的にするものである。しかしながらただ感傷に浸つてゐては、何一つ深く認識しないで、何一つ獨自の感情を持たないでしまはねばならぬであらう。眞の自由は物においての自由である。それは單に動くことでなく、動きながら止まることであり、止まりながら動くことである。動即靜、靜即動といふものである。人間到る處に青山あり、といふ。この言葉はやや感傷的な嫌ひはあるが、その意義に徹した者であつて眞に旅を味ふことができるであらう。眞に旅を味ひ得る人は眞に自由な人である。旅することによつて、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際してゐる者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において眞に自由な人は人生において眞に自由な人である。人生そのものが實に旅なのである。


個性について


 個性の奧深い殿堂に到る道はテーバイの町の門の數のやうに多い。私の一々の生活は私の信仰の生ける告白であり、私の個々の行爲は私の宗教の語らざる傳道である。私のうちに去來するもろもろの心は自己の堂奧に祀られたるものの直接的な認識を私に喚び起させるために生成し、發展し、消滅する。それ故に有限なものを通して無限なものを捕捉し得る者は、私の唯一つの思想感情もしくは行爲を知ることによつてさへ、私がまことの神の信者であるか、それともバールの僧侶であるかを洞察し得るであらう。しかしながら多くの道があるといふことはその意味を掴み得ない者にとつては單に迷路があるといふに過ぎない。

 私は私のうちに無數の心像が果てしなく去來するのを意識する。私といふものは私の腦裡に生ずる表象や感情や意欲の totum discretum であるのか。それは「觀念の束」ででもあるのか。けれども私は一切の活動がただ私に於て起ることを知つてゐる。私といふものは無數の心像がその上に現はれては消えつつ樣々な悲喜劇を演ずる舞臺であるのか。それはすべてのものがそこへ入つて行くが何ものもそこから出て來ないところの「獅子の住む洞穴」ででもあるのか。しかし私は私の精神過程の生成と消滅、生産と衰亡の一切がただ私に因つて起ることを知つてゐる。

 もし私といふものが私のあらゆる運動と變化がその前で演じられる背景であるとすれば、それは實に奇怪で不氣味な Unding であるといはねばならぬ。私はそれに如何なる指示し得べき内容をも與へることができない。なぜなら私がそれについて表象する性質は悉く此背景を俟つて可能なのであつて背景そのものではないから。從つてそれはもはや個性であることをやめねばならない。私はかやうなものをただ何物ででもなくまた、何物からも生じない抽象的實體として考へ得るのみである。かくして私は虚無觀の前にたたずむ。私によつて決して體驗されることがないこの惡魔的な Unding は、私が經驗する色あり響あるすべての喜びと悲しみを舐め盡し、食ひ盡してしまふ。しかし私はこの物から再び七彩の交錯する美しい世界へ歸るべき術を知らないのである。

 私もまた「萬の心をもつ人」である。私は私の内部に絶えず鬩ぎ合ひ、啀み合ひ、相反對し、相矛盾する多くの心を見出すのである。しかしながら私はこれら無數の愛し合ひ、助け合ふ、そして實にしばしば憎み合ひ、挑み合ふ心の aggregatum per accidens ではないであらう。或ひはそれらの心像が單に心理學的法則に從つて結合したものでないであらう。私にして「觀念の束」に過ぎないとすれば、心理學者が私を理解しようとして試みる説明は正當である。彼等は私のうちに現はれる精神現象を一定の範疇と法則とに從つて分類し、總括し、また私の記憶が視覺型に屬するか、聽覺型に屬するか、更に私の性格が多血質であるか、膽汁質であるか、等々、を決定する。けれども抽象的な概念と言語はすべてのものから個性を奪つて一樣に黒塊を作り、ピーターとポールとを同じにする惡しきデモクラシーを行ふものである。私は普遍的な類型や法則の標本もしくは傳達器として存在するのであるか。しからば私もまたいはねばならない、「私は法則のためにではなく例外のために作られたやうな人間の一人である」と。七つの天を量り得るとも、誰がいつたい人間の魂の軌道を計ることができよう。私は私の個性が一層多く記述され定義されることができればできるほど、その價値が減じてゆくやうに感じるのである。

 ひとは私に個性が無限な存在であることを教へ、私もまたさう信じてゐる。地球の中心といふもののやうに單に一あつて二ないものが個性ではない。一號、二號といふやうに區別される客觀的な個別性或ひは他との比較の上での獨自性をもつてゐるものが個性であるのではない。個性とは却つて無限な存在である。私が無限な存在であるといふのは、私の心裡に無數の表象、感情、意欲が果しなく交替するといふ意味であらうか。しかしもし私にしてそれらの精神過程の單に偶然的なもしくは外面的な結合に過ぎないならば、私はただ現象として存在し得るばかりである。私にして現象である以上の意味をもつことができないならば永劫の時の流の一つの點に浮び出る泡沫にも比すべき私の生において如何に多くのものがそのうちに宿されようとも、いづれは須臾にして消えゆく私の運命ではないか。もろもろの太陽をも容赦しない時の經過は、私の腦裡に生起する心像の無限をひとたまりもなく片附けてしまふであらう。それ故に私にして眞に無限な存在であるべきならば、私のうちに時の生じ得ず、また時の滅し得ざる或る物が存在するのでなければならない。

 けれども私は時間を離れて個別化の原理を考へ得るであらうか。個性といふのは一囘的なもの、繰返さないもののことではないであらうか。しかし私は單に時間的順序によつてのみ區別されるメトロノームの相繼いで鳴る一つ一つの音を個性と考へることを躊躇する。

 時間は個性の唯一性の外面的な徴表に過ぎないのであつて、本質的には個性は個性自身の働きそのものにおいて區別されるのでなければならぬ。個性の唯一性はそれが獨立な存在として「他の何物の出入すべき窓を有せず」、自足的な内面的發展を遂げるところに成立するのであつて、個性は自己活動的なものである故に自己區別的なものとして自己の唯一性を主張し得るのである。もとより私が世界過程の如何なる時に生を享けるかといふことは、恰も音樂の一つの曲の如何なる瞬間に或る音が來るかといふことが偶然でないやうに、偶然ではないであらう。それは私といふ個性の内面的な意味の關係に依つて決定されることである。しかし私は時間の形式によつて音樂を理解するのでなく、むしろ音樂において眞の時間そのものを體驗するのである。「自然を理解しようとする者は自然の如く默してこれを理解しなければならぬ」といはれたやうに、個性を理解しようと欲する者は時の流のざわめきを超越しなければならない。彼は能辯を捕へてその頸を捻ぢなければならない。けれども私が時の流を離脱するのは時の經過の考へ盡すことができぬ遙かの後においてではなく、私が流れる時の中に自己を浸して眞に時そのものになつたときである。單なる認識の形式としての時間から解放されて、純粹持續に自由に身を委せたときである。眺めるところに個性の理解の道はない。私はただ働くことによつて私の何であるかを理解し得るのである。

 一樣に推移し流下する黒い幕のやうな時の束縛と羈絆から遁れ出るとき、私は無限を獲得するのでないか。なぜなら自己活動的なものは無限なものでなければならないから。單に無數の部分から合成されたものが無限であるのではなく、無限なものにおいては部分は全體が限定されて生ずるものとしてつねに全體を表現してゐる。そして私がすべての魂を投げ出して働くとき、私の個々の行爲には私の個性の全體が現實的なものとしてつねに表現されてゐるのである。無限なものは一つの目的、または企圖に統一されたものであつて、その發展の一つの段階は必然的に次の段階へ移りゆくべき契機をそのうちに含んでゐる。理智の技巧を離れて純粹な學問的思索に耽るとき、感情の放蕩を去つて純粹な藝術的制作に從ふとき、欲望の打算を退けて純粹な道徳的行爲を行ふとき、私はかやうな無限を體驗する。思惟されることができずただ體驗されることができる無限は、つねに價値に充ちたもの即ち永遠なものである。それは意識されるにせよ意識されぬにせよ、規範意識によつて一つの過程から次の過程へ必然的に導かれる限りなき創造的活動である。かやうな必然性はもとより因果律の必然性ではなく、超時間的で個性的な内面的必然性である。

 しかしながら私は私が無限を體驗すること即ち眞に純粹になることが極めて稀であることを告白しなければならない。私は多くの場合「ひとはそれを理性と名附けてただあらゆる動物よりも一層動物的になるために用ゐてゐる」とメフィストが嘲つたやうな理性の使用者である。私の感情はたいていの時生産的創造的であることをやめて、怠惰になり横着になつて、媚びと芝居氣に充ちた道樂をしようとする。私の意志は實にしばしば利己的な打算が紡ぐ網の中に捲き込まれてしまふのである。

 かやうにして私は、個性が搖籃と共に私に贈られた贈物ではなく、私が戰ひをもつて獲得しなければならない理念であることを知つた。しかし私はこの量り難い寶が自己の外に尋ねらるべきものではなくて、たゞ自己の根源に還つて求めらるべきものであることも知つた。求めるといふことはあるがままの自己に執しつつ他の何物かをそれに附け加へることではない。ひとは自己を滅することによつて却つて自己を獲得する。それ故に私は偉大な宗教家が「われもはや生けるにあらず、キリストわれにおいて生けるなり」といつたとき、彼がキリストになつたのでなく、彼が眞に彼自身になつたのであることを理解する。私の個性は更生によつてのみ私のうちに生れることができるのである。

 哲學者は個性が無限な存在であることを次のやうに説明した。個性は宇宙の生ける鏡であつて、一にして一切なる存在である。恰も相集まる直線が作る無限の角が會する單一な中心の如きものである。すべての個別的實體は神が全宇宙についてなした決意を表はしてゐるのであつて、一個の個性は全世界の意味を唯一の仕方で現實化し表現するミクロコスモスである。個性は自己自身のうちに他との無限の關係を含みつつしかも全體の中において占めるならびなき位置によつて個性なのである。しからば私は如何にして全宇宙と無限の關係に立つのであるか。この世に生を享けた、または享けつつある、または享けんとする無數の同胞の中で、時空と因果とに束縛されたものとして私の知り得る人間はまことに少いではないか。この少數の人間についてさへ、彼等のすべてと絶えず交渉することは、私を人間嫌ひにしてしまふであらう、私はむしろ孤獨を求める。しかしながらひとは賑かな巷を避けて薄暗い自分の部屋に歸つたとき眞に孤獨になるのではなく、却つて「ひとは星を眺めるとき最も孤獨である」のである。永遠なものの觀想のうちに自己を失ふとき、私は美しい絶對の孤獨に入ることができる。

 しからば私は哲學者が教へたやうに神の豫定調和にあつて他との無限の關係に入つてゐるのであらうか。私は神の意志決定に制約されて全世界と不變の規則的關係に立つてゐるのでもあらうか。しからば私は一つの必然に機械的に從つてゐるのであり、私の價値は私自身にではなく私を超えて普遍的なものに依存してゐるのではないか。私はむしろ自由を求める。そして私がほんとに自由であることができるのは、私が理智の細工や感情の遊戲や欲望の打算を捨てて純粹に創造的になつたときである。かやうな孤獨とかやうな創造とのうちに深く潛み入るとき、詩人が〝Voll milden Ernsts, in thatenreicher Stille〟と歌つた時間において、私は宇宙と無限の關係に立ち、一切の魂と美しい調和に抱き合ふのではないであらうか。なぜならそのとき私はどのやうな無限のものもその中では與へられない時間的世界を超越して、宇宙の創造の中心に自己の中心を横たへてゐるのであるから。自由な存在即ち一個の文化人としてのみ私は、いはゆる社會の中で活動するにせよしないにせよ、全宇宙と無限の關係に入るのである。かやうにしてまた個性の唯一性はそれが全體の自然の中で占める位置の唯一性に存するのではなく、本質的にはそれが全體の文化の中で課せられてゐる任務の唯一性に基礎附けられるものであることを私は知るのである。

 個性を理解しようと欲する者は無限のこころを知らねばならぬ。無限のこころを知らうと思ふ者は愛のこころを知らねばならない。愛とは創造であり、創造とは對象に於て自己を見出すことである。愛する者は自己において自己を否定して對象において自己を生かすのである。「一にして一切なる神は己自身にも祕密であつた、それ故に神は己を見んがために創造せざるを得なかつた。」神の創造は神の愛であり、神は創造によつて自己自身を見出したのである。ひとは愛において純粹な創造的活動のうちに沒するとき、自己を獨自の或物として即ち自己の個性を見出す。しかしながら愛せんと欲する者にはつねに愛し得ざる歎きがあり、生まんとする者は絶えず生みの惱みを經驗しなければならぬ。彼は彼が純粹な生活に入らうとすればするほど、利己的な工夫や感傷的な戲れやこざかしい技巧がいよいよ多くの誘惑と強要をもつて彼を妨げるのを痛感しなければならない。そこで彼は「われは罪人の首なり」と叫ばざるを得ないのである。私達は惡と誤謬との苦しみに血を流すとき、懺悔と祈りとのために大地に涙するとき、眞に自己自身を知ることができる。怠惰と我執と傲慢とほど、私達を自己の本質の理解から遠ざけるものはない。

 自己を知ることはやがて他人を知ることである。私達が私達の魂がみづから達した高さに應じて、私達の周圍に次第に多くの個性を發見してゆく。自己に對して盲目な人の見る世界はただ一樣の灰色である。自己の魂をまたたきせざる眼をもつて凝視し得た人の前には、一切のものが光と色との美しい交錯において擴げられる。恰もすぐれた畫家がアムステルダムのユダヤ街にもつねに繪畫的な美と氣高い威嚴とを見出し、その住民がギリシア人でないことを憂へなかつたやうに、自己の個性の理解に透徹し得た人は最も平凡な人間の間においてさへそれぞれの個性を發見することができるのである。かやうにして私はここでも個性が與へられたものではなくて獲得されねばならぬものであることを知るのである。私はただ愛することによつて他の個性を理解する。分ち選ぶ理智を捨てて抱きかかへる情意によつてそれを知る。場當りの印象や氣紛れな直觀をもつてではなく、辛抱強い愛としなやかな洞察によつてそれを把握するのである。──「なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし、これは大にして第一の誡なり、第二も亦之にひとし、己の如く汝の隣を愛すべし。」


後記


 この書物はその性質上序文を必要としないであらう。ただ簡單にその成立について後記しておけば足りる。このノートは、「旅について」の一篇を除き、昭和十三年六月以來『文學界』に掲載されてきたものである。もちろんこれで終るべき性質のものでなく、ただ出版者の希望に從つて今までの分を一册に纏めたといふに過ぎない。この機會に私は『文學界』の以前の及び現在の編輯者、式場俊三、内田克己、庄野誠一の三君に特に謝意を表しなければならぬ。一つの本が出來るについて編輯者の努力のいかに大きく、それがいはば著者と編輯者との共同製作であるといつた事情は、多くの讀者にはまだそれほど理解されてゐないのではないかと思ふ。編輯者の仕事の文化的意義がもつと一般に認識され、それにふさはしい尊敬の拂はれることが望ましいのである。

 附録とした「個性について」(一九二〇年五月)といふ一篇は、大學卒業の直前『哲學研究』に掲載したものであつて、私が公の機關に物を發表した最初である。二十年前に書かれたこの幼稚な小論を自分の思ひ出のためにここに収録するといふ我儘も、本書の如き性質のものにおいては許されることであらうか。

  昭和十六(一九四一)年六月二日

三木

底本:「三木清全集 第一巻」岩波書店

   1966(昭和41)年1017日発行

初出:下記以外「文学界」

   1938(昭和13)年6月~1941(昭和16)年10

   個性について「哲學研究」

   1920(大正9)年5

   後記「人生論ノート」創元社

   1941(昭和16)年8月発行

   旅について 不詳

※「「褒」の「保」に代えて「丑」」は「デザイン差」と見て「衰」で入力しました。

入力:石井彰文

校正:川山隆

2008年126日作成

2014年224日修正

青空文庫作成ファイル:

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