ガリバー旅行記
GULLIVER'S TRAVELS
ジョナサン・スイフト Jonathan Swift
原民喜訳



第一、小人国(リリパット)





大騒動


 私はいろ〳〵不思議な国を旅行して、さま〴〵の珍しいことを見てきた者です。名前はレミュエル・ガリバーと申します。

 子供のときから、船に乗って外国へ行ってみたいと思っていたので、航海術や、数学や、医学などを勉強しました。外国語の勉強も、私は大へん得意でした。

 一六九九年の五月、私は『かもしか号』に乗って、イギリスの港から出帆しました。船が東インドに向う頃から、海が荒れだし、船員たちは大そう弱っていました。

 十一月五日のことです。ひどい霧の中を、船は進んでいました。その霧のために、大きな岩が、すぐ目の前に現れてくるまで、気がつかなかったのです。

 あッという間に、岩に衝突、船は真二つになりました。それでも、六人だけはボートに乗り移ることができました。私たちは、くた〳〵に疲れていたので、ボートをぐ力もなくなり、たゞ海の上をたゞよっていました。と急に吹いて来た北風が、いきなり、ボートをひっくりかえしてしまいました。で、それきり、仲間の運命はどうなったのか、わかりませんでした。

 たゞ、私はひとり夢中で、泳ぎつゞけました。何度も〳〵、試しに足を下げてみましたが、とても海底にはとゞきません。嵐はようやく静まってきましたが、私はもう泳ぐ力もなくなっていました。そして私の足は、今ひとりでに海底にとゞきました。

 ふと気がつくと、背が立つのです。このときほど、うれしかったことはありません。そこから一マイルばかり歩いて、私は岸にたどりつくことができました。

 私がおかに上ったのは、かれこれ夜の八時頃でした。あたりには、家も人も見あたりません。いや、とにかく、ひどく疲れていたので、私はねむいばっかしでした。草の上に横になったかとおもうと、たちまち、何もかもわからなくなりました。ほんとに、このときほどよく眠ったことは、生れてから今まで、一度もなかったことです。

 ほっと目がさめると、もう夜明けらしく、空が明るんでいました。さて起きようかな、と思い、身動きしようとすると、どうしたことか、身体がさっぱり動きません。気がつくと、私の身体は、手も足も、細いひもで地面に、しっかりくゝりつけてあるのです。髪の毛までくゝりつけてあります。これでは、私はたゞ、仰向けになっているほかはありません。

 日はだん〳〵暑くなり、それが眼にギラ〳〵します。まわりに、何かガヤ〳〵という騒ぎが聞えてきましたが、しばらくすると、私の足の上を、何か生物が、ゴソ〳〵っているようです。その生物は、私の胸の上を通って、あごのところまでやって来ました。

 私はそっと、下目を使ってそれを眺めると、なんと、それは人間なのです。身長六インチもない小人が、弓矢を手にして、私の顎のところに立っているのです。そのあとにつゞいて、四十人あまりの小人が、今ぞろ〳〵歩いて来ます。いや、驚いたの驚かなかったの、私はいきなり、ワッと大声を立てたものです。

 相手も、びっくり仰天、たちまち、逃げてしまいました。あとで聞いてわかったのですが、そのとき、私の脇腹から地面に飛びおりるひょうしに、四五人の怪我人も出たそうです。

 しかし彼等はすぐ引っ返して来ました。一人が、何か鋭い声で訳のわからぬことを叫ぶと、他の連中が、それを繰り返します。私はどうも気味が悪いので、逃げようと思い、もがいてみました。と、うまく左手の方の紐が切れたので、ついでに、ぐいと頭を持ち上げて、髪の毛をしばっている紐も、少しゆるめました。これで、どうやら首が動くようになったので、相手をつかまえてやろうとすると、小人はバタ〳〵逃げ出してしまうのです。

 そのとき、大きな号令とともに、百幾本の矢が私の左手めがけて降りそゝいで来ました。それはまるで針で刺すようにチク〳〵しました。そのうちに矢は顔に向って来るので、私は大急ぎで左手で顔をおゝい、ウン〳〵うなりました。逃げようとするたびに、矢の攻撃はひどくなり、中には、槍でもって、私の脇腹を突きに来るものもあります。私はとう〳〵、じっと、こらえていることにしました。そのうち夜になれば、わけなく逃げられるだろうと考えたのです。

 私がおとなしくなると、もう矢は飛んで来なくなりました。が、前とはよほど人数がふえたらしく、あたりは一段と騒がしくなりました。さきほどから、私の耳から二間ぐらい離れたところで、何かしきりに、物を打ち込んでいる音がしています。

 そっと顔をそちら側へねじむけて見ると、そこには、高さ一フート半ばかりの舞台が出来上っています。これは、小人なら四人ぐらい乗れそうな舞台です。のぼるために梯子はしごまで、二つ三つかゝっています。今、その舞台の上に、大将らしい男が立つと、大演説をやりだしました。四人のお附きをしたがえた、その大将は、年は四十歳ぐらいで、風采も堂々としています。といっても、その身長は、私の中指ぐらいでしょう。声を張りあげ、手を振りまわし、彼はなか〳〵調子よくしゃべるのです。

 私も左手を高く上げて、うや〳〵しく、答えのしるしをしました。しかし、なにしろ私は、船にいたとき食べたきりで、あれから、何一つ食べていません。ひもじさに、お腹がぐー〳〵鳴りだしました。もう、どうにも我慢ができないので、私は口へ指をやっては、何か食べさせてください、という様子をしました。大将は私の意味がよくわかったとみえて、さっそく、命令して、私の横腹に、梯子を五六本かけさせました。

 すると、百人あまりの小人が、それ〴〵、肉を一ぱい入れた籠をさげて、その梯子をのぼり、私の口のところへやって来るのです。牛肉やら、羊肉やら、豚肉やら、なか〳〵立派な御馳走でしたが、大きさは、雲雀ひばりの翼ほどもありません。一口に二つ三つは、すぐ平げることができます。それにパンも大へん小粒なので、一口に三つぐらいわけないのです。あとから〳〵運んでくれるのを、私がぺろりと平げるので、一同はひどく驚いているようでした。

 私は水が欲しくなったので、その手まねをしました。あんなに食べるのだから、水だって、ちょっとやそっとでは足りないだろうと、小人たちは一番大きな樽を私の上に吊し上げて、ポンと呑口をあけてくれました。一息に私は飲みほしてしまいました。なあに、大樽といったって、コップ一ぱい分ぐらいの水なのですから、なんでもありません。が、その水は、薄い葡萄酒に似て、なんともいゝ味のものでした。

 彼等はこんなことがよほどうれしかったのでしょう。大喜びで、はしゃぎまわり、私の胸の上で踊りだしました。下からは私に向って、その空樽を投げおろしてくれと手まねをします。私が左手で胸の上の樽を投げてやると、小人たちは一せいに拍手しました。それにしても、私の身体の上を勝手に歩きまわっている大胆さ。私の身体は彼等から見れば、山ほどもあるのです。それを平気で歩きまわっているのです。

 しばらくすると、皇帝陛下からの勅使が、十二人ばかりのお供をつれてやって来ました。私の右足の足首からのぼって、どん〳〵顔のあたりまでやって来ます。その書状をひろげたかとおもうと、私の眼の前に突きつけて、何やら読み上げました。それから、しきりに前方を指さしました。この意味は、あとになってわかったのですが、指さしている方向に、小人国の都があったのです。そこへ、皇帝陛下が、私をつれて来るよう言いつけられたのだそうです。

 私は、どうかこの紐を解いてくださいと、くゝられていない片方の手で、いろ〳〵と手まねをして見せました。すると勅使は、それはならぬというふうに、頭を左右に振りました。その代り、食物や飲物に不自由させぬから安心せよ、と彼は手まねで答えました。

 勅使が帰ってゆくと、大勢の小人たちが、私のそばにやって来て、顔と両手に、何かひどく香りのいゝ、油のようなものを塗ってくれました。と間もなく、あの矢の痛みはケロリとなおりました。

 私は気分もよくなったし、お腹も一ぱいだったので、今度は睡くなりました。そして八時間ばかりも眠りつゞけました。これもあとで聞いてわかったのですが、私が飲んだ、あのお酒には眠り薬がまぜてあったのです。

 最初、私が上陸して、草の上に何も知らないで眠っていたとき、小人たちは、私を発見すると、大急ぎで皇帝にお知らせしました。そこでさっそく、会議が開かれ、とにかく、私をしばりつけておくこと、食物と飲物を送ってやること、私を運搬するために、大きな機械を一つ用意すること、こんなことが会議で決まったらしいのです。

 で、さっそく、五百人の大工と技師に言いつけて、この国で一番大きな機械を持ち出すことになりました。それは長さ七フィート、幅四フィートの木の台で、二十二箇の車輪がついています。私が眠り薬のおかげで、ぐっすり何も知らないで眠っている間に、この車が私の身体にぴったり横づけにされていました。だが、眠っている私をかつぎ上げて、この事に乗せるのは大へんなことだったらしいのです。

 まず第一に、高さ一フートの柱を八十本立て、それから、私の身体をぐる〳〵まきにしている紐の上に、丈夫な綱をかけました。そして、この綱を柱にしかけてある滑車で、えんさ〳〵と引き上げるのです。九百人の男が力をそろえて、とにかく私を車台の上に吊し上げて結びつけてしまいました。すると、千五百頭の馬が、その車を引いて、私を都の方へつれて行きました。もっとも、これは、みんなあとから人に聞いて知った話なのです。

 車が動きだしてから、四時間もした頃のことです。何か故障のため、車はしばらく停まっていましたが、そのとき、二三の物好きな男たちが、私の寝顔はどんなものか、それを見るために、わざ〳〵車によじのぼって来ました。

 はじめは、そっと顔のあたりまで近づいて来たのですが、一人の男が、手に持っていた槍の先を、私の鼻の孔にグイと突っ込んだものです。こよりで、つゝかれたようなもので、くすぐったくてたまりません。思わず知らず、大きなくしゃみと一しょに私は目がさめました。

 日が暮れてから、車は休むことになりましたが、私の両側には、それ〴〵五百人の番兵が、弓矢や炬火たいまつをかゝげて取り囲み、私がちょっとでも身動きしようものなら、すぐ取り押えようとしていました。翌朝、日が上ると、車はまた進みだしました。そして正午頃、車は都の近くにやって来ました。皇帝も、大臣も、みんな出迎えました。皇帝が私の身体の上にのぼってみたがるのを、それは危険でございます、と言って、大臣たちはとめていました。

 ちょうど、車が停まったところに、この国で一番大きい神社がありました。こゝは前に、何か不吉なことがあったので、今では祭壇も取り除かれて、中はすっかり空っぽになっていました。この建物の中に、この私を入れることになったのです。北に向いた門の高さが約四フィート、幅は二フィートぐらい、こゝから、私は入り込むことができます。私の左足は、錠前でとめられ、左側の窓のところに、鎖でつながれました。

 この神社の向側に見える塔の上から、皇帝は臣下と一しょに、この私を御見物になりました。なんでも、その日、私を見物するために、十万人以上の人出があったということです。それに、番人がいても、梯子をつたって、この私の身体にのぼった連中が、一万人ぐらいはいました。が、これは間もなく禁止され、犯したものは死刑にされることになりました。

 もう私が逃げ出せないことがわかったので、職人たちは、私の身体にまきついている紐を切ってくれました。それで、はじめて私は立ち上ってみたのですが、いや、なんともいえないいやな気持でした。

 ところで、私が立ち上って歩きだしたのを、はじめて見る人々の驚きといったら、これまた、大へんなものでした。足をつないでいる鎖は、約二ヤードばかりあったので、半円を描いて往復することができました。

 立ち上って、私はあたりを見まわしましたが、実に面白い景色でした。附近の土地は庭園がつゞいているようで、垣をめぐらした畑は花壇を並べたようです。その畑のところどころに、森がまざっていますが、一番高い木でまず七フィートぐらいです。街は左手に見えていましたが、それはちょうど、芝居の町そっくりでした。

 さきほどまで、塔の上から私を見物していた皇帝が、今、塔をおりて、こちらに馬を進めて来られました。が、これはもう少しで大ごとになるところでした。というのは、この馬はよくれた馬でしたが、私を見て山が動きだしたように、びっくりしたものですから、たちまち後足で立ち上ったのです。しかし、皇帝は馬の達人だったので、くらの上にぐっと落ち着いていられる、そこへ、家来が駈けつけて、手綱を押える、これでまず、無事におりることができました。

 皇帝は、私を眺めまわし、しきりに感心されています。が、私の鎖のとゞくところへは近寄りません。それから、料理人たちに、食物を運べと言いつけられます。すると、みんなが、御馳走を盛った、車のようなれものを押して来ては、私のそばにおいてくれます。

 容れものごと手でつかんで、私はペロリと平げてしまいます。肉が二十車、飲物が十車、どれもこれも平げてしまいました。

 皇后と若い皇子皇女たちは、たくさんの女官に附き添われて、少し離れた椅子のところにいましたが、皇帝のさきほどの馬の騒ぎのとき、みんな席を立って、皇帝のところに集って来ました。こゝで、皇帝の様子を、ちょっと述べてみましょう。

 皇帝の身長は、宮廷の誰よりも、高かったのです。ちょうど、私の爪の幅ほど高かったようです。が、これだけでも、なか〳〵立派に見えます。男らしい顔つきで、きりっとした口許くちもと、弓なりの鼻、頬はオリーブ色、動作はもの静かで、態度に威厳があります。年は二十八年と九ヵ月ということです。

 頭には、宝石をちりばめた軽い黄金のかぶとをいたゞき、頂きに羽根飾りがついていますが、着物は大へん質素でした。手には、長さ三インチぐらいの剣を握っておられます。そのさやは黄金で作られ、ダイヤモンドがちりばめてあります。

 皇帝の声はキイ〳〵声ですが、よく開きとれます。女官たちは、みんな綺麗な服を着ています。だから、みんなが並んで立っているところは、まるで、金糸銀糸の刺繍の衣を地面にひろげたようでした。

 皇帝は何度も私に話しかけられましたが、残念ながら、どうもお互に、言葉が通じません。二時間ばかりして、皇帝をはじめ一同は帰って行きました。あとに残された私には、ちゃんと番人がついて、見張りしてくれます。つまり、これは私を見に押しかけて来るやじ馬のいたずらを防ぐためです。

 やじ馬どもは、勝手に私の近くまで押しよせ、中には、私に矢を射ようとするものまでいました。一度など、その矢が、私の左の眼にあたるところでした。が、番人はさっそく、そのやじ馬の中の、頭らしい六人の男をつかまえて、私に引き渡してくれました。番人の槍先で、私の近くまで、その六人が追い立てられて来ると、私は一度に六人を手でつかんでやりました。

 五人は上衣のポケットにねじこみ、あとの一人には、そら、これから食ってやるぞ、というような顔つきをして見せました。すると、その男は私の指の中で、ワー〳〵泣きわめきます。

 私が指を口にもってゆくと、ほんとに食われるのではないかと、番人も見物人も、みんな、ハラ〳〵していたようです。が、間もなく、私はやさしい顔つきに返り、その男をそっと地面に置いて、放してやりました。他の五人も、一人ずつ、ポケットから引っ張り出して、許してやりました。すると番人も見物人も、ほっとして、私のしたことに感謝している様子でした。

 夜になると、見物人も帰るので、ようやく私は家の中にもぐりこみ、地べたで寝るのでした。二週間ばかりは、毎晩地べたで寝たものです。が、そのうちに皇帝が、私のためにベッドをこしらえてやれ、と言われました。普通の大きさのベッドが六百、車に積んで運ばれ、私の家の中で、それを組み立てました。


人間山


 私の噂は国中にひろまってしまいました。お金持で、暇のある、物好きな連中が、毎日、雲のように押しかけて来ます。

 そのために、村々はほとんど空っぽになり、畑の仕事も家の仕事も、すっかりお留守になりそうでした。で、皇帝から命令が出ました。見物がすんだ人はさっさと帰れ、無断で私の家の五十ヤード以内に近よってはいけない、と、こんなことが決められました。

 ところで、皇帝は何度も会議を開いて、一たい、これはどうしたらいゝのかと、相談されたそうです。聞くところによると、朝廷でも、私の取り扱いには、だいぶ困っていたようです。あんな男を自由の身にしてやるのも心配でしたが、なにしろ、私の食事がとても大へんなものでしたから、これでは国中が飢饉になるかもしれない、というのです。

 いっそのこと、何も食べさせないで、餓死させるか、それとも、毒矢で殺してしまう方がよかろう、と言うものもありました。

 だが、あの男に死なれると、山のような死体から発するにおいがたまらない、その悪い臭は、国中に伝染病をひろげることになるだろう、と説くものもありました。

 ちょうど、この会議の最中に、私があの六人のやじ馬を許してやったことが伝えられました。すると、皇帝も大臣も、私の行いに、すっかり感心してしまいました。

 さっそく、皇帝は、勅命で、私のために、村々から毎朝牛六頭、羊四十頭、そのほかパン、葡萄酒などを供出するよう、命令されました。

 それから、六百人のものが、私の御用係にされ、私の家の両側にテントを張って寝とまりすることになりました。それから私の服を作ってくれるために、三百人の仕立屋が、やとわれました。

 それから、宮廷で一番えらい学者が六人、この国の言葉を私に教えてくれることになりました。私は三週間ぐらいで、小人国の言葉がしゃべれるようになりました。

 皇帝もとき〴〵私のところへ訪ねて来られました。私は皇帝にひざまずいて、

「どうか、私を自由な身にしてください。」

 と何度もお願いしました。

 すると皇帝は、

「もうしばらく待て。」

 と言われるのでした。

「自由な身にしてもらうには、お前はまず、この国と皇帝に誓いをしなければいけない。それから、お前はいずれ身体検査をされるが、それも悪く思わないでくれ。たぶん、お前は何か武器など持っていることだろうが、お前のその大きな身体で使う武器なら、よほど危険なものにちがいない。」

 私は皇帝に申し上げました。

「どうか、いくらでも調べてください。なんなら、すぐお目の前で裸になって御覧にもいれましょうし、ポケットを裏返してお目にかけますから。」

 これは半分は言葉、半分は手まねでやって見せました。すると皇帝は、

「では、二人の士官に命じて身体検査をやらせるが、これは臣下の生命をお前の手にゆだねるのだから、なにぶん、よろしく頼む。それから、たとえどんな品物を取り上げても、お前がこの国を去るときには、必ず返してやる。でなかったら、いゝ値段で買い取ってやってもいゝ。」

 と言われました。

 さて、二人の士官が身体検査にやって来ると、私は二人をつまみあげて、まず上衣のポケットに入れてやり、それから、順次にほかのポケットに案内してやりましだ。が、どうしても、見せたくないものを入れていたポケットだけは、見せなかったのです。

 二人の男は、ペンとインクと紙を持って、見たものを、一つ〳〵くわしく書きとめ、皇帝の御覧にいれるために、目録を作りました。私もあとになって、その目録を見せてもらいましたが、それは、ざっと次の通りでした。


「まず、この大きな人間山の上衣の右ポケットをよく検査したところ、たゞ一枚の大きな布を発見しました。大きさは、宮中の大広間の敷物くらいあります。

 次に左ポケットからは銀のふたのついた大きな箱のようなものが出てきましたが、二人には持ち上げることができませんでした。私どもはそれを開けさせ、一人が中に入ってみますと、塵のようなものが一ぱいつまっていました。その塵が私どもの顔のところまで舞い上ったときには、二人とも同時に何度もくしゃみが出ました。

 次に、チョッキの右ポケットから出てきたものは、人間三人分ぐらいの白い薄い物が、針金で幾枚も重ねて締めつけてあり、それには、いろんな形が黒くついていました。これはたぶん書物だろうと思います。一字の大きさは、私どもの手の半分ほどもあります。

 次に、チョッキの左ポケットには、一種の機械がありました。宮殿前の柵に似た長い二十本ばかりの棒が、その背中から出ているのです。これは人間山が頭の髪をとく道具と思えます。

 ズボンのポケットからは、長さ人間ほどもある、鉄の筒がありました。これは何に使うのかわかりません。右の内側のポケットからは、一すじの銀の鎖が下がり、その下の方には一つの不思議な機械がついていました。私どもは、その鎖についているものを引き出してみよ、と言いました。これは半分は銀で、半分は透明なもので出来ています。彼はこの機械を、私どもの耳のかたわらへ持って来ました。すると、水車のように絶えず音がしているのです。これは不思議な動物か、小さな神様らしく思えます。人間山の説明では、彼は何をするにも、いち〳〵、この機械と相談するということです。

 次に、彼は左の内ポケットから、漁夫の使うような網を取り出しました。これは財布だそうです。中には重い黄色い金属がいくつか入っていました。これがほんとの金だとすれば、大したものにちがいありません。

 このようにして、私どもは陛下の命令どおり、熱心に彼の持ち物を調べてみましたが、最後に、彼の腰のまわりに、一つの帯があるのを見つけました。それは何か大きな動物の革でこしらえたもので、その左の方からは、人間五人分の長さの剣が下っておりました。右の方からは、袋が下っておりました。

 私どもは人間山の身体から発見したものを、このように、書きとめておきます。人間山は、陛下を尊敬して、礼儀正しく、私どもを待遇してくれました。」


 この目録は皇帝の前で読みあげられました。

 皇帝は、ていねいな言葉で、その目録に書いてある品物を、私に出せと言われました。まず短刀を出せと言われたので、私は鞘ごとそれを取り出しました。このとき、皇帝は三千の兵士で私を遠くから取り囲み、いざといえば、弓矢で射るように用意されていたのでした。が、私の目は皇帝の方だけ見ていたので、それには少しも気がつきませんでした。

「その短刀を抜いてみよ。」

 と皇帝は言われました。刀は潮水で少しびてはいましたが、まだよく光ります。スラリと抜き放つと、兵士どもは、あッと叫んで、みんな驚き恐れました。振りかざしてみせたら、太陽の反射で、刀がピカ〳〵光り、兵士はみんな目がくらんでしまったのです。が、皇帝はそれほど驚かれませんでした。それをもう一度、鞘におさめて、鎖の端から六フィートほどの地上に、なるたけ静かに置け、と私に命令されました。

 次に皇帝は、鉄の筒を見せよと言われました。鉄の筒というのは、私のピストルのことです。私はそれを取り出して、その使い方を説明しました。そのピストルに火薬を詰めて、

「今から使って見せますが、どうか驚かないでください。」

 と皇帝に注意しておいて、ドンと一発、空に向って打ちました。

 今度の驚きは、短刀どころの騒ぎではありません。何百人の人間が打ち殺されたように、ひっくりかえりました。皇帝はさすがに倒れなかったものゝ、眼をパチ〳〵されています。私は短刀と同じように、このピストルを引き渡しました。それから、火薬と弾丸の入った革袋も渡しました。そして、

「この火薬は火花が一つ飛んでも、宮殿も何もかも吹き飛ばしてしまいますから、どうか火に近づけないでください。」

 と注意しておきました。

 それから、懐中時計を渡しました。皇帝はこの時計を非常に珍しがり、一番背の高い二人の兵士に、それを棒にかけて、かつがせました。絶えず時計がチクタク音を立てるのと、時計の長針が動いているのを見て、皇帝は大へん驚きました。この国の人たちは、私たちより目がいゝので、分針の動いているのまで見分けがつくのです。一たいこれは何だろう、と皇帝は学者たちにお尋ねになりましたが、学者たちの答えはまち〳〵で、とんでもない見当違いもありました。

 次に私は銀貨と銅貨を取り出し、それからくしかぎタバコ入れ、ハンカチ、旅行案内などを、みんな渡しました。短刀とピストルと革袋は荷車に積んで、皇帝の倉へ運ばれましたが、そのほかの品物は私に返してくれました。私は身体検査のとき、見せなかったポケットがあります。その中には眼鏡が一つ、望遠鏡が一つ、そのほか二三の品物が入っていました。これは失くされたり壊されると大へんだから、わざ〳〵見せなくてもよかろうと思ったのです。


いろ〳〵な曲芸


 私の性質がおとなしいということが、みんなに知れわたり、皇帝も宮廷も軍隊も国民も、みんなが、私を信用してくれるようになりました。で、私は近いうちに自由の身にしてもらえるのだろう、と思うようになりました。私はできるだけ、みんなから良く思われるように努めました。

 人々はもう私を見でも、だん〳〵怖がらなくなりました。私は寝ころんだまゝ、手の上で五六人の人間を踊らせたりしました。ときには、子供たちがやって来て、私の髪の毛の間で、かくれんぼうをして遊ぶこともあります。もう私は彼等の言葉を聞いたり、話したりすることに馴れていました。

 ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばしてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチばかりに、細い白糸を張って、その上でやります。

 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれるのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に御覧にいれます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。

 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上ります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。

 だが、この曲芸ではとき〴〵、死人や怪我人を出すことがあります。私も選手が手足をくじいたのを二三回見ました。中でも、一番あぶないのは、大臣たちの曲芸です。それはお互に仲間の者に負けまいとして、あんまり気張ってやるので、よく綱から落っこちます。大蔵大臣のフリムナップでさえ、一度なんか、も少しで頭の骨を折るところでしたが、下に国王のクッションがあったので、助かったということです。

 それから、もう一つ、ほかの見世物があります。これは皇帝と皇后と総理大臣の前だけで、やらされる特別の余興なのです。皇帝はテーブルの上に、長さ六インチの細い絹糸を三本置きます。一つは青、一つは赤、もう一つは緑の糸です。皇帝は、特に取り立てゝ目をかけてやろうとする人たちに、この賞品をやるのです。

 まず宮廷の大広間で、候補者たちは、皇帝からいろんな試験をされます。皇帝が手に一本の棒を構えていると、候補者たちが一人ずつ進んで来ます。棒の指図にしたがって、人々は、その上を跳び越えたり、潜ったり、前へ行ったり後へ行ったり、そんなことを何度も繰り返すのです。

 この芸を一番うまく熱心にやった者に、優等賞として、青色の糸が授けられます。二等賞は赤糸で、緑が三等賞です。もらった糸は、みんな腰のまわりに巻いて飾ります。ですから、宮廷の大官は大がい、この帯をしています。

 軍隊の馬も皇室の馬も、毎日、私の前を引きまわされたので、もう私を怖がらなくなり、平気で私の足許までやって来るようになりました。私が地面に手を差し出すと、乗手が馬をおどらしてヒラリと跳び越えます。大きな馬に打ち乗って、私の片足を靴ごと跳び越えるのもいます。これは実に見事なものでした。

 ある日、私は非常に面白い余興をして見せて、皇帝にひどく喜ばれました。まず私は、皇帝に、長さ二フィート、太さ普通の杖ほどの棒を取り寄せていたゞきたい、と願い出ました。すると皇帝は、すぐ山林官に命じられたので、翌朝、六人の樵夫が六台の荷車を、それ〴〵、八頭の馬に引かせてやって来ました。

 私は九本の棒を取って、二フィート半の正方形ができるように、地面に打ち込みました。それから四本の棒を、二本ずつ平行に並べて、地面から二フィートばかりのところで、四隅を結びつけました。そして今度は、ハンカチを九本の棒にしばりつけ、これを太鼓の皮のように、ピンと張りました。すると横に渡した四本の棒は、ハンカチより五インチばかり高くなったので、これはちょうど、欄干の代りになりました。これだけ用意が出来たので、私は皇帝に申し上げました。

「騎兵の馬二十四騎を、この野原の上でひとつ走らせてお目にかけましょう。」

 皇帝はこの申し出にすぐ賛成されました。

 私は、武装した乗馬兵を馬と一しょに、一人々々つまみ上げて、ハンカチの上に置き、それから指揮官たちも、その上に乗せました。整列が終ると、彼等は敵味方に分れ、模擬戦をやりはじめました。

 矢を射かけるやら、剣を抜いて追っかけっこするやら、進んだり退いたり、こんな見事な訓練は、私もまだ見たことがありません。横棒が渡してあるので、馬も人も、舞台から落っこちる心配はありません。

 皇帝は、これがすっかりお気に召したので、何日も〳〵この余興をやって見せよと仰せになります。一度などは、御自身でハンカチの上にお上りになって、号令をおかけになりました。とう〳〵しまいには、厭がる皇后を無理にすかして、椅子のまゝ私に持ち上げさせました。私は訓練の有様がよく見えるように、舞台から二ヤードばかりのところに、皇后の椅子を持ち上げたのです。

 幸いにも、この余興の間、故障は一つも出なかったのです。もっとも、たゞ一度だけ、こんなことがありました。ある隊長の乗っていたあばれ馬が、あがきまわって、ひづめでハンカチに穴をあけ、足をすべらし、乗手もろとも転んだのです。すぐ私は助け起し、片手でその穴をふさぎ、片手で一人ずつ、兵隊をおろしました。転んだ馬は、左肩の筋をたがえましたが、乗手の方は無事でした。ハンカチの穴はよくつくろいましたが、私はもうあぶないので、こんな危険な余興はしないことにしました。

 私が自由の身にしてもらえる二三日前のことでした。宮廷の人たちを集めて、ハンカチの余興をしているところへ、にわかに一人の使が到着しました。

 なんでも、数人の者が馬で、いつか私がつかまった場所を通りかゝると、一つの大きな黒いものが落ちているのを見つけました。非常に奇妙な形のもので、縁が円くひろがっています。その広さは、陛下の寝室ぐらいあり、真中のところは、人の背ほど高くなっています。はじめ、みんなは、これは生きものだろうと思って、何度もそのまわりを歩いてみましたが、草の上にじっとしたきり動かないのです。そこで、お互に肩を踏台にして、頂上にのぼってみると、上は平べったくなっています。足で踏んでみると、内側は空っぽだということがわかりました。そこで、みんなは、これはどうも人間山の物らしいと考えました。

「馬五頭あればそれを運んでまいります。」

 と使者は皇帝に申し上げました。

 私にはすぐ、はゝあ、そうか、とわかりました。そして、これはいゝ知らせを聞いたと喜びました。よく考えてみると、ボートを漕いでいるときに、私は紐で帽子をしっかり頭に結びつけていました。それから、泳いでいるときも、それは絶えず頭にかむっていました。ところが、難船後はじめて陸にたどりついたときには、なにしろ私はひどく疲れていたので、何かの拍子に、紐が切れて落っこちたのも知らなかったのです。帽子は海で失くしたものとばかり思っていました。

 私は皇帝に、それは帽子というものだということを、よく説明して、どうかさっそくそれを取り寄せてください、とお願いしました。すると翌日、馬車引がそれをとゞけてくれました。帽子はかなり、ひどいことをされていました。縁から一インチ半ばかりのところに、穴を二つあけ、これにかぎが二つ引っかけてあります。その鈎を長い綱で馬車にくゝり、こんなふうにして一マイル半以上も引きずって来たのです。たゞ、この国は地面が非常に平なので、帽子の傷もそれほどではなかったのです。

 それから二日たつと、皇帝は、首府の軍隊に出動を命じて、また途方もない遊びを思いつかれました。私にはできるだけ、大股をひろげて、巨人像コロッサスのように立っていよ、と仰せられます。それから今度は、将軍(この人は何度も戦場に出たことのある老将軍で、私の恩人でもあります)に命じて、あの股の下を軍隊に行進させてみよ、と仰せになるのでした。

 歩兵が二十四列、騎兵が十六列に並び、太鼓を鳴らし、旗をひるがえし、槍を横たえ、歩兵三千、騎兵一千、見事に私の股の下を行進しました。

 陛下は各兵士に向って、行進中は私によく礼儀を守ること、背けば死刑にすると申し渡されていました。しかし、それでも若い士官などが、私の股の下を通るとき、ちょっと眼をあげて上を見るのは仕方がありません。私のズボンは、もうひどくほころびていたので、下から見上げると、さぞ、びっくりしたことでしょう。

 私は何回となく皇帝に書面を送って、「自由な身にしてください。」とお願いしていましたが、ついに皇帝もこの問題を大臣と相談され、議会の意見もお求めになりました。議会では誰も反対する者はなかったのですが、たゞ一人、スカイリッシュ・ボルゴラムだけが反対しました。ボルゴラムは、何か私をうらんでいるらしく、どうしても絶対反対だ、と言い張りました。しかし、議会は私を自由にすることに決め、ついに皇帝の許可も出ました。

 このボルゴラムという男は、この国の海軍提督で、皇帝からもあつく信任されており、海軍のことにかけては、なか〳〵専門家なのですが、どうも気むずかし屋で、苦虫をつぶしたような顔をしています。

 けれども、とう〳〵、この人もみんなに説きふせられて、承知しました。それでも、私を自由にするには、私にいろんなことを誓わせなければならないのですが、その条件は俺が書くのだ、と、あくまで押しとおしました。その誓約書を私のところへ持って来たのも、このスカイリッシュ・ボルゴラムでした。二人の次官と数人の名士をつれてやって来ましたが、誓約書を読みあげると、私に、いち〳〵その実行を誓え、と言います。

 まずはじめに私の国のやり方によって誓い、次にこの国のやり方で誓わされたのですが、それは右の足先を左手で持ち、右手の中指を頭の上に、拇指おやゆびを右の耳朶みみたぶにおくのでした。そのときの誓約書というのは、次のようなものです。


「この宇宙の歓喜恐怖にもあたる、リリパット国大皇帝、ゴルバストー・モマレン・エブレイム・ガーディロウ・シェフィン・ムリ・ギュー皇帝、領土は地球の端から端まで五千ブラストラグにわたり、帝王中の帝王として、人の子より背が高く、足は地軸にとゞき、頭は天を突き、一度首を振れば草木もなびき、その徳は春、夏、秋、冬に通じる。こゝにこの大皇帝は、この頃、わが神聖なる領土に到着した人間山に対し、次の条項を示し、厳粛に誓わせ、その実行を求めるものである。


 第一 人間山は朕の許可状なしに、この国土を離れることはできない。

 第二 人間山は朕が特に許した場合でなくては、勝手に首都に入ることはできない。首都に入るときは、市民は二時間前に、家の中に引っ込んでいるように注意されることになっている。

 第三 人間山の歩いてもいゝ場所は主要国道だけに限られている。牧場や畠地を歩いたり、そこで寝ころんだりすることは許されない。

 第四 人間山が主要国道を歩く際には、朕の良民、馬、車などを踏みつけないよう、よく注意すること。また良民の承知なしに矢鱈やたらに人をつまみあげて掌に乗せることはできない。

 第五 急用の使が要る際には、毎月一回、その伝令と馬を人間山のポケットに入れて運ぶこと。また場合によっては、さらにこれを宮廷に送り返さねばならない。

 第六 人間山は朕の同盟者となり、ブレフスキュ島の敵を攻め、朕の国をねらう敵艦隊を打ち滅ぼすことに努力しなければならない。

 第七 人間山はひまのときには、朕の労役者の手助をして、公園その他帝室用建物の外壁に大きな石を運搬するのを手伝わねばならぬ。

 第八 人間山は二ヵ月以内に、海岸を一周して歩き、その距離をはかり、朕の領土の地図を作って出すこと。

 第九 これまで述べた条項をよく謹んで守るならば、人間山は毎日、朕の良民千七百二十四人分の食料と飲料を与えられ、自由に朕の近くに侍ることを許され、その他、いろいろ優遇されるであろう。


ベルファボラック皇宮にて

聖代第九十一月十二日」


 私は大喜びで満足し、誓いのサインをしました。たゞ、この条項の中には、提督ボルゴラムが悪意で押しつけたものもあり、あまり有り難くないものもありましたが、それはどうも仕方のないことでした。

 すぐに私の鎖は解かれました。私は全く自由の身になったのです。この儀式には、皇帝もわざ〳〵出席されました。私は陛下の足許にひれふして感謝しました。すると皇帝は私に、「立て」と仰せになり、それから、いろ〳〵と有り難い言葉をたまわりました。国家有用の人物となり、陛下の恩にそむかないようにしてもらいたいというお言葉でした。


宮殿見物


 鎖を解かれたので、私は、この国の首府ミレンドウを見物させていたゞけないでしょうか、と皇帝にお願いしました。皇帝はすぐ承知されました。たゞ、住民や家屋を傷つけないよう、注意せよ、と言われました。

 私が首都を訪問することは、前もって、市民に知らされていました。街を囲んでいる城壁は、高さ二フィート半、幅は少くとも十一インチありますから、その上を馬車で走っても安全です。城壁には十フィートおきに、丈夫な塔が築いてあります。

 西の大門を、一またぎで越えると、私はそろっと横向きになって、静かに歩きだしました。上衣のすそが、人家の屋根や軒にあたるといけないので、それは脱いで、手にかゝえ、チョッキ一つになって、歩いて行きます。市民は危険だから外に出ていてはいけない、という命令は前から出ていたのですが、それでも、まだ街中をうろ〳〵している人もいます。踏みつぶしでもすると大へんですから、私はとても気をくばって歩きました。

 屋根の上からも、家々の窓からも、見物人の顔が一ぱいのぞいています。私もずいぶん旅行はしましたが、こんなに大勢、人の集っているところは見たことがありません。市街は正方形の形になっていて、城壁の四辺はそれ〴〵五百フィートです。全市を四つに分けている、十文字の大通りの幅は五フィート。私は小路や横町には、入れないので、たゞ上から見て歩きました。街の人口は五十万。人家は四階建から六階建まであり、商店や市場には、なか〳〵、いろんな品物があります。

 皇帝の宮殿は、街の中央の、二つの大通りが交叉するところにあります。高さ二フィートの壁で囲まれ、他の建物から、二十フィート離れています。私は皇帝のお許しを得て、この壁をまたいで越えました。壁と宮殿との間には、広い場所がありますから、私はそこで、あたりをよく見まわすことができました。外苑は方四十フィート、そのほかに二つの内苑があります。一番奥の庭に御座所があるのです。

 私はそこへ行ってみたくてたまらなかったのですが、どうもこれは無理でした。なにぶん、広場から広場へ通じる大門というのが、たった十八インチの高さ、幅はわずかに七インチです。それに、外苑の建物というのは、みな高さ五フィート以上で、壁は厚さ四インチもあり、丈夫な石で出来ていますが、それを私がまたいで行ったら、建物がこわれてしまいそうなのです。

 ところが、皇帝の方ではしきりに、御殿の美しさを見せてやろう、と仰せになります。その日は御殿を見るのは、あきらめて帰りましたが、ふと、私はいゝことを思いつきました。

 翌日、私は市街から百ヤードばかり離れたところの林に行って、一番高そうな木を、五六本、小刀で切り倒しました。それで、高さ三フィートの踏台を二つ、私が乗っても、グラつかないような、丈夫な踏台を作りました。

 これが出来上ると、私はまた市街見物を皇帝にお願いしました。市民には、また家の中に引っ込んでいるよう、お達しが出ます。

 そこで、私は二つの踏台をかゝえて、市街を通って行きました。外苑のほとりに来ると、私は一つの踏台の上に立ち上り、もう一つの踏台は手に持ちました。そして、手の方の踏台を屋根越しに高く持ち上げ、第一の内苑と第二の内苑の間にある、幅八フィートの空地へ、そっとおろしました。

 こんなふうにして、私は建物をまたいで、一方の踏台から、もう一方の踏台へ、乗り移って行くことができました。乗り捨てた方の踏台は、棒の先につけた鈎で、釣り寄せて、拾い上げるのです。こういうことを繰り返して、私は一番奥の内庭まで来ました。そこで、私は横向きに寝ころんで、二三階の窓に、顔をあてゝみました。窓はわざと開け放しにされていましたが、その室内の立派なこと、どの部屋も、目がさめるばかりの美しさです。

 皇后も皇子たちも、従者たちと一しょに、それ〴〵、部屋に坐っておられます。皇后は、私を御覧になると、やさしく笑顔を向けられ、わざ〳〵窓から、手をお出しになります。私はその手をうや〳〵しくいたゞいてキスしました。

 私が自由な身になってから、二週間ぐらいたった頃のことでした。ある朝、宮内大臣のレルドレザルがひょっこり、一人の従者をつれて、私を訪ねて来ました。乗って来た馬車は、遠くへ待たしておき、彼は、

「一時間ばかりお話がしたいのです。」

 と私に面会を申し込みました。

 私がしきりに皇帝へ嘆願書を出していた頃、彼にはいろ〳〵世話になったのです。で、私はすぐ彼の申込みを承知しました。

「なんなら私は横になりましょうか。そうすれば、あなたの口は、この耳許にとゞいて、お互に話しいゝでしょう。」

「いや、それよりか、あなたの掌の上に乗せてください。その上で、私は話しますから。」

 私が彼を掌に乗せてやると、彼はまず、私が釈放されたことのお祝いを述べました。

「あなたを自由の身にするについては、私もだいぶ骨折ったのです。だが、それも現在、宮廷にいろ〳〵混みいった事情があったからこそ、うまくいったのです。」

 と、彼は宮廷の事情を次のように話してくれました。

「今、わが国の状態は、外国人の眼には隆盛に見えるかもしれませんが、内幕は大へんなのです。一つは、国内に激しい党派争いがあり、もう一つは、ある極めて強い外敵から、わが国はねらわれていて、この二つの大事件に悩まされているのです。

 まず、国内の争いの方から説明しますが、この国では、こゝ七十ヵ月以上というもの、トラメクサン党とスラメクサン党という、二つの政党があって、絶えず争っているのです。この党派の名前は、はいている靴のかかとの高さからつけられたもので、踵の高いか、低いかによって区別されています。一般にわが国の昔からのしきたりでは、高い踵の方をいゝとしていました。

 ところが、それなのに、皇帝陛下は、政府の方針として、低い踵の方ばかりを用いることに決められました。特に陛下の靴など、宮廷の誰の靴よりも一ドルル(ドルルは一インチの約十四分の一)だけ踵が低いのです。この二つの党派の争いは、大へん猛烈なもので、反対党の者とは、一しょに飲食もしなければ、話もしません。数ではトラメクサン、すなわち高党の方が多数なのですが、実際の勢力は、われ〳〵低党の方が握っています。

 たゞ心配なのは、皇太子が、どうも高党の方に傾いていられるらしいのです。その証拠には、皇太子の靴は、一方の踵が他の一方の踵より高く、歩くたびにびっこをひいていられるのです。

 ところが、こんな党派争いの最中に、われ〳〵はまた、ブレフスキュ島からの敵にねらわれ、脅かされているのです。ブレフスキュというのは、ちょうどこの国と同じぐらいの強国で、国の大きさからいっても、国力からいっても、ほとんど似たりよったりなのです。

 あなたのお話によると、なんでも、この世界には、まだいろ〳〵国があって、あなたと同じぐらいの大きな人間が住んでいるそうですが、わが国の学者は大いに疑っていて、やはり、あなたは月の世界か、星の世界から落ちて来られたものだろうと考えています。それというのも、あなたのような人間が百人もいれば、わが国の果実も家畜も、すぐ食いつくされてしまうではありませんか。それに、この国六千月の歴史を調べてみても、リリパットとブレフスキュの二大国のほかに、国があるなどとは、本に書いてありません。

 ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつゞけているのです。事の起りというのは、こうなのです。もともと、われ〳〵が卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。

 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をされました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく厭がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起り、ある皇帝は、命を落されるし、ある皇帝は、退位されました。

 ところが、この内乱というのは、いつでもブレフスキュ島の皇帝が、おだてゝやらせたのです。だから内乱が鎮まると、いつも謀反人むほんにんはブレフスキュに逃げて行きました。とにかく、卵の小さい端を割るぐらいなら、死んだ方がましだといって、死刑にされたものが一万一千人からいます。この争いについては、何百冊も書物が出ていますが、大きい端の方がいゝと書いた本は、国民に読むことを禁止されています。また、大きい端の方がいゝと考える人は、官職につくこともできません。

 ところで、ブレフスキュ島の皇帝は、こちらから逃げて行った謀反人たちを非常に大切にして、よく待遇するし、おまけに、こちらの反対派も、こっそりこれを応援するので、二大国の間に三十六ヵ月にわたる戦争がはじまったのです。その間にわが国は、四十隻の大船と多数の小舟と、それから、三万人の海陸兵を失いました。が、敵の損害は、それ以上だろうといわれています。

 しかし、今また敵は新しく、大艦隊をとゝのえ、こちらに向って攻め入ろうとしています。それで、皇帝陛下は、あなたの勇気と力を非常に信頼されているので、このことを、あなたと相談してみてくれ、と言われ、私を差し向けられたのです。」


 宮内大臣の話が終ると、私は彼にこう言いました。

「どうか陛下にそう伝えてください。私はどんな骨折でもいといません。しかし、私は外国人ですから、政党の争いのことには立ち入りたくありません。が、外敵に対してなら、陛下とこの国を守るために、命がけで戦いましょう。」


大手柄


 ブレフスキュ帝国というのは、リリパットの北東にあたる島で、この国とはわずかに八百ヤードの海峡で隔っています。私はまだ一度もその島を見たことはなかったのですが、こんどの話を聞いてからは、敵の船に見つけられるといけないので、そちら側の海岸へは、出て行かないように努めました。戦争になって以来、両国の人々は行き来してはいけないことになっており、船が港に出入りすることも皇帝の命令でとめられていたので、私のことは、敵側にはまだ知られていないはずです。

 私は一つの計略を皇帝に申し上げました。

「なんでも斥候せっこうの報告では、敵の全艦隊は、順風を待って出動しようとして、今、港にいかりをおろしているそうですから、これを全部とっつかまえて御覧にいれましょう。」

 そこで、私は水夫たちに、海峡の深さを聞いてみました。彼等は何度もはかってみたことがあるので、よく知っていましたが、それによると、満潮のときが真中の深さが七十グラムグラム、(これはヨーロッパの尺度で約六フィートにあたります)そのほかの場所なら、まず五十グラムグラムだということです。

 私はちょうど正面にブレフスキュ島が見える北東海岸に行きました。小山の陰に腹這はらばいになりながら、望遠鏡を取り出して見ると、敵の艦隊は約五十隻の軍艦と、多数の運送船が碇泊しているのです。

 そこで、私は家に引っ返すと、リリパットの人民に、丈夫な綱と鉄の棒を、できるだけたくさん持って来るように言いつけました。綱はまず荷造り糸ぐらいの太さ、鉄棒はおよそ編物針ぐらいの長さでした。だから、これをもっと丈夫にするために、綱は三つをより合せて一つにしました。鉄棒も、やはり三本をより合せて一本にし、その端を鈎形に折りまげました。こうしてできた五十の鈎を、一つ〳〵、五十本の綱に結びつけました。

 それから、また海岸へ引っ返すと、満潮になる一時間ばかり前から、私は上衣と靴と靴下を脱いで、革チョッキのまゝ、ジャブ〳〵水の中に入って行きました。大急ぎで海の中を歩き、真中の深いところを三十ヤードばかり泳ぐと、あとは背が立ちました。三十分もたゝないうちに、もう私は敵の艦隊の前に現れたのです。

 私の姿にびっくりした敵は、すっかりあわてゝ、われがちに海に跳び込んでは、岸の方へ泳いで行きます。その人数は、三万人をくだらなかったでしょう。そこで、私は綱を取り出すと、軍艦のへさきの穴に、一つ〳〵鈎を引っかけ、全部の綱の端を一つに結び合せました。こうしているうちにも、敵は、何千本という矢を、一せいに射かけてきます。

 矢は、私の両手や顔に降りそゝぎ、痛いのも痛いのですが、これでは全く、仕事のじゃまになって仕方がありません。一番、心配したのは目をやられることです。今につぶされはすまいかと、いら〳〵しました。ところが、ふと、私はいゝことを思いついたので、やっと助かりました。私には、あの身体検査のとき見せないで、そっとポケットに隠しておいた、眼鏡があります。その眼鏡を取り出すと、しっかり鼻にかけました。これさえあれば、もう大丈夫、私は敵の矢など気にかけず、平気で仕事をつゞけました。眼鏡のガラスにあたる矢もだいぶありますが、これは、眼鏡をちょっとグラつかせるだけで、大したことはありません。

 どの船にもみんな鈎をかけてしまうと、私は綱の結び目をつかんで、ぐいと引っ張りました。ところが、どうしたことか、船は一隻も動きません。見ると、船はみんな錨で、しっかりとめてあるのです。そこで、また、やっかいな、骨の折れる仕事がはじまりました。鈎のかゝったまゝの綱を、一たん手から放し、それから、小刀を取り出して、錨の綱をズン〳〵切ってゆきました。このときも、顔や手に二百本以上の矢が飛んで来ました。さて、私は鈎をかけた綱を手に取り上げると、今度はすぐ簡単に動き出しました。こうして、私は敵の軍艦五十隻を引っ張って帰りました。

 ブレフスキュの人たちは、私が何をしようとしているのか、見当がつかなかったので、はじめのうちは、たゞ呆れているようでした。私が錨の綱を切るのを見て、船を流してしまうのか、それとも、互に衝突させるのかしら、と思っていましたが、いよ〳〵全艦隊が私の綱に引っ張られて、うまく動きだしたのに気づくと、にわかに泣き叫びだしました。彼等の嘆き悲しむ有様といったら、まあ、なんといっていゝのかわからないほどでした。

 さて、私は一休みするために、立ち停って、手や顔に一ぱい刺さっている矢を引き抜きました。前に小人からつけてもらった、矢の妙薬を、そのきずあとに塗り込みました。それから、眼鏡をはずして、潮が退くのをしばらく待ち、やがて荷物を引きながら、海峡の真中を渡り、無事に、リリパットの港へ帰り着いたのです。

 海岸では、皇帝も廷臣も、みんなが、私の戻って来るのを、今か〳〵と待っていました。敵の艦隊が大きな半月形を作って進んで来るのは、すぐ見えましたが、私の姿は、胸のところまで水につかっていたので、見分けがつかなかったのです。私が海峡の真中まで来ると、首だけしか水の上には出ていなかったので、彼等はしきりに気をもんでいました。皇帝などは、もう私はおぼれて死んだのだろう、そして、あれは敵の艦隊がいま押し寄せて来るところだ、と思い込んでいました。けれども、そんな心配はすぐ無用になりました。歩いて行くうちに、だん〳〵と海は浅くなり、やがて、人声の聞えるところまで近づいて来たので、私は、艦隊をくゝりつけている綱の端を高く持ち上げ、

「リリパット皇帝万歳!」

 と叫びました。

 皇帝は大喜びで私を迎えてくれました。すぐ、その場で、ナーダックの位を私にくれました。これはこの国で最高の位なのです。ところが、皇帝は、

「またそのうち、敵の艦隊の残りも全部持って帰ってほしい。」

 と言いだされました。

 王様の野心というものは、かぎりのないもので、陛下は、ブレフスキュ帝国を、リリパットの属国にしてしまい、反対派をみな滅し、人民どもには、すべて卵の小さい方の端を割らせる、そして、自分は全世界のたゞ一人の王様になろう、というお考えだったのです。しかし、私は、

「どうもそれは正しいことではありません。それにきっと失敗します。」

 と、いろ〳〵説いて、皇帝をいさめました。そして、私は、

「自由で勇敢な国民を奴隷にしてしまうようなやり方なら、私はお手伝いできません。」

 と、はっきりお断りしました。

 そして、この問題が議会に出されたときも、政府の中で最も賢い人たちは、私と同じ考えでした。ところが、私があまりあけすけに、陛下に申し上げたので、それが、皇帝のお気にさわったらしいのです。陛下は議会で、私の考えを、それとなく非難されました。賢い人たちは、たゞ黙っていました。けれども、ひそかに私をねたんでいる人たちは、このときから、私にケチをつけだしました。そして、私を快く思っていない連中が、何かたくらみをはじめたようです。そのため、二ヵ月とたゝないうちに、私はもう少しで殺されるところでした。

 さて、私が敵の艦隊を引っ張って戻ってから、二週間ばかりすると、ブレフスキュ国から、和睦を求めて、使がやって来ました。この講和は、わが皇帝側に非常に都合のよい条約で、結ばれました。使節は六人で、それに、約五百人の従者がしたがいました。彼等が都に入って来るときの有様は、いかにも、君主の大切なお使いらしく、実に壮観でした。

 私も彼等使節のためには、何かと宮中で面倒をみてやりました。条約の調印が終ると、彼等は私のところへも訪ねて来ました。私が彼等に好意を持っていたことは、それとなく彼等も聞いてわかったのでしょう。彼等はまず、私の勇気とやさしさをほめ、それから、

「われ〳〵の皇帝も、かねてから噂であなたのことを聞いています。あなたの力業を、ひとつ実地に見せてもらいたいと言っています。どうかぜひ一度お出かけください。」

 と言うのでした。

 私も、すぐ承知しました。しばらくの間、私は使節たちを、いろ〳〵ともてなしましたが、彼等もすっかり満足し、私に驚いたようです。そこで、私は彼等にこう言っておきました。

「あなた方がお国へ帰られたら、陛下によろしくお伝えください。陛下のほまれは、世界中に知れわたっていますから、私もイギリスに帰る前に、ぜひ一度お目にかゝりたいと存じます。」

 そんなわけで、私はリリパット皇帝にお目にかゝると、さっそくこんなお願いをしました。

「そのうち私はブレフスキュ皇帝に会いに行きたいと思っているのですが、どうか行かせてくださいませ。」

 皇帝は許してくれましたが、ひどく気の乗らない御様子でした。これはどうしたわけなのか、私にはその頃わからなかったのですが、間もなく、ある人から、こんなことを聞かされました。

 私が使節たちと仲よくするのを見て、

「あれはあゝして、いまにブレフスキュ国の味方になるつもりです。」

 と、皇帝に告げ口した者がいたのです。大蔵大臣のフリムナップと海軍提督のボルゴラムの二人がそれです。

 こゝでちょっとことわっておきますが、私と使節たちとの面会は通訳つきで行われたのです。なにしろ両国の言葉はひどく違っているのでしたが、リリパットの方でも、ブレフスキュの方でも、自分の国の言葉こそ、一番、古くからあって、美しく、立派な、力強い、言葉だ、と自慢しているのです。そして、お互に相手の国の言葉は、野蛮だ、と軽蔑しているのでした。

 しかし、リリパットの皇帝は、敵の艦隊を捕虜にしたのですから、鼻っぱしが強かったわけです。使節団には、書類も談判も、みんなリリパット語を使わせました。もっとも、この両国は、絶えずお互に行ったり来たりしているので、両方の国語で話ができる人もたくさんいます。世間を見たり、人情風俗を理解するために、貴族の青年や、お金持たちが、互に行き来していましたから、貴族でも、商人でも、人夫でも、海岸に住んでいる人々なら、大がい、両方の言葉を知っていました。

 前に私が釈放してもらうとき、あの誓約書には、いろ〳〵情ない役目が決められていたものです。ところが、私は今この国の一番高い位のナーダックになったのですから、あんな仕事は私に似合いません。皇帝ももう、そんなことは一度もお命じにならなかったのです。ところが、間もなく、陛下にたいして、大へんな働きをしなければならない事件が起ったのです。

 ある真夜中のこと、私はすぐ門口で、数百人の人が大声で何か叫んでいるのを聞きました。はっとして眼をさましたが、私も多少びっくりしました。外では、


バーラム

バーラム


 という言葉が絶えず聞えてきます。と思うと、群衆を押し分けながら、宮廷の人たちが私のところへやって来ました。

「火事です。宮殿が火事です。早く来てください。」

 聞けば、皇后の御殿で、一人の女官が本を読みながらうたゝねしていると、いつのまにか火がついて、大ごとになったというのです。

 私はすぐ、はね起きました。私の通り路をあけろ、という命令は前もって出ていました。月夜で路は明るかったし、私は一人も人を踏みつけないで、宮殿まで来ました。見ると、宮殿の壁には、もう、いくつも梯子がかけられ、バケツが運ばれています。

 でも、なにぶん、水は遠くから運ばれているらしいのです。人々はどん〳〵バケツを私のところへ持って来ますが、バケツといっても、大きさは指袋ぐらいですから、これでは、ちょっと、あの火は消せそうもありません。私は上衣さえあれば、すぐ消してしまうのですが、急いだので、つい着てくるのを忘れたのです。着ているのは革チョッキだけでした。これでは、もう駄目かなあ、あゝ、あの立派な御殿が、みす〳〵焼ける、と私は悲観しかけていました。

 ところが、ふとこのとき、私には、素晴しい考えが浮んできました。その晩、私はグリミグリムという、非常においしい、お酒をたんと飲んでいました。火事騒ぎで、動きまわっていると、身体はカッカとほてって、お酒のきゝめがあらわれてきました。私は今にも、おしっこが出そうになったのです。そこで、私は思いきって、火の上に、おしっこを振りかけてゆきました。三分間もしないうちに火事はすっかり消えてしまいました。これでまず、綺麗な宮殿は、丸焼けにならないで助かったのです。

 火事が消えたとき、もう夜は明けていました。私は皇帝に、よろこびの挨拶も申し上げないで、家に戻りました。私は消防夫として、非常な手柄をたてたのですが、しかし、皇帝が私のやり方をどう思われるか、心配でたまらなかったのです。この国の法律では、たとえどんな場合でも、宮城の中で、立小便をするような者は、死刑にされることになっていました。

 しかし私はその後、皇帝から、特別に罪を許すよう取りはからってやる、と、お手紙をいたゞいたので、これで少し安心していました。けれども、それもやはり駄目でした。皇后は私のしたことを、大へん御立腹になり、

「今にきっと思いしらせてやる。」

 と、おそばの者に言われたそうです。そして、もとの建物はもう厭だから、修繕させないことにされて、宮中の一番遠い端へ引っ越されました。


 さて、私はこゝで、リリパット国の風俗を少し説明しておきたいと思います。

 この国の住民の身長は、平均して、まず六インチ以下ですが、その他の動物の大きさも、これと、正比例して出来ています。まず一番大きい牛や馬でも、せい〴〵四インチか五インチぐらい、羊なら一インチ半ぐらい、鵞鳥なんか、ほとんど雀ぐらいの大きさです。だん〳〵こんなふうに小さくなってゆきますが、一番小さな動物など、私の眼では、ほとんど見えません。

 ところが、リリパット人の眼には、非常に小さなものでも、ちゃんと見えるのです。彼等の眼は、こまかいものなら、よく見えますが、あまり遠いところは見えません。

 雲雀は普通の蠅ほどもない大きさですが、リリパットの料理人は、ちゃんと、その毛をむしることができます。それから私が感心したのは、若い娘が、見えない針に、見えない糸を通しているのです。この国で一番高い木は七フィートぐらいで、その木は国立公園の中にありますが、私が握りこぶしを固めても、すぐ、てっぺんにとゞきます。

 ところで、この国では、学問も古くから非常に発達していますが、たゞ、文字の書き方が、実に風変りなのです。ヨーロッパ人のように、左から右へ書くのでもなく、アラビア人のように、右から左へ書くのでもなく、中国人のように、上から下へ書くのでもなく、かといって、下から上へ書くのでもありません。リリパット人は、紙の隅から隅へ、斜めに字を書いてゆくのです。

 リリパットでは、人が死ぬと、頭の方を下にして、逆さまに土に埋めます。死人は、一万一千月たつと生き返る、そのとき、世界はひっくりかえっているから、逆さまにしておけば、ちゃんと立てる、と彼等は考えているのです。もっとも、そんな馬鹿なことはないと、学者たちは笑っています。

 この国では、盗みよりも詐欺さぎの方が悪いことになっています。詐欺をすれば死刑です。盗みは、こちらが馬鹿でなく用心さえしていれば、まず、物を盗まれるということはありません。ところが、こちらが正直のために、不正直なものに、だまされるのは、これはどうも防ぎようがない、だから、詐欺が一番いけないのだ、と、リリパットの人たちは考えています。それから、忘恩も死刑にされます。恩に仇をもってむくいるというようなことをする人は、生きる資格がないとされています。

 人を官職にえらぶ場合、この国では、才能より徳義の方を重く見ます。政治というものは、誰にも必要なのだから、普通の才能があればいゝとされています。けれども、徳義のない人は、いくら才能があっても、危険だから、そんな人に政治はまかせられないというのです。

 私はこのリリパット国に九ヵ月と十三日間滞在していたのですが、こゝで、ひとつ私がその間どんなふうにして暮したか、それをお話ししてみましょう。

 私は生れつき、手先は器用でしたが、どうしてもテーブルが一つ欲しかったので、帝室庭園の一番大きな木を何本か切って、手頃なテーブルと椅子をこしらえました。

 それから、二百人の女裁縫師が、私のために、シャツとシーツとテーブル掛を作ってくれました。それにはできるだけ丈夫な布を使ってくれたのですが、それでも、一番厚いのが紗よりまだ薄いのです。だから、何枚も重ねて縫い合わさねばなりませんでした。

 女裁縫師たちは、私を寝ころばしておいて、寸法をはかりました。一人が私の首のところに立ち、もう一人は、私の足のところに立ち、そして丈夫な綱を両方から、二人が持ってピンと張ります。すると、さらにもう一人の裁縫師が、一インチざしの物さしで、この綱の長さをはかってゆくのです。私は自分の古シャツを地面にひろげて見せてやったので、シャツはピッタリ私の身体に合うのが出来上りました。

 私の服をこしらえるには、また三百人の洋服屋が、つききりでやってくれました。今度もその寸法の取り方が、また振っていました。私がひざまずいていると、地面から首のところへ梯子をかけ、一人がこの梯子にのぼって、私の襟首えりくびから地面まで、おもりのついた綱をおろす、それがちょうど、上衣の丈になるのでした。腕と腰の寸法は、私が自分ではかりました。いよ〳〵、出来上ってみると、それは、寄切細工のように妙な服でした。

 食事は、私のために、三百人の料理人がついていました。彼等はそれ〴〵、私の近所に小さな家を建てゝもらって、家族もろとも、そこで暮していました。そして、一人が二皿ずつ、こしらえてくれることになっていました。

 私はまず、二十人の給仕人をつまみ上げて、テーブルの上に乗せてやります。すると、下には百人の給仕が控えていて、肉の皿や葡萄酒や樽詰などを、それ〴〵肩にかついで待っています。私が欲しいという品を、上にいる給仕人がテーブルから綱をおろして、うまく引き上げてくれるのです。肉の皿は一皿が一口になり、酒一樽が私にはまず一息に飲めます。こゝの羊の肉はあまり上等でないが、牛肉はなか〳〵おいしかったのです。三口ぐらいの大きさの肉はめったにありません。

 召使たちは、私が骨もろともポリ〳〵食べてしまうのを見て、ひどく驚いていました。それから、鵞鳥や七面鳥も、大がい一口で食べられますが、これはイギリスのよりずっといゝ味です。小鳥なんかは、一度に二十羽や三十羽は、ナイフの先ですくいあげて食べるのでした。

 ある日、皇帝は私の食事振りを聞かれて、では自分も皇后、皇子、皇女たちと一しょに、私と会食がしてみたいと望まれました。そこで彼等が来ると、私はみんなテーブルの上の椅子に乗せて、ちょうど私と向き合うように坐らせました。そのまわりには、見張りの兵もついていました。

 大蔵大臣のフリムナップもこの席に一しょに来ていましたが、どういうものか、彼はとき〴〵、私の方を見ては、苦い顔をします。しかし私は、そんなことは気にしないで、ひとつみんなを驚かしてやれと思って、思いきりたくさん食べてやりました。これはあとで気づいたのですが、大蔵大臣は、かねてから私に反感を持っていたので、この会食のあとで陛下に言ったらしいのです。

「あんなものを陛下が養っておられては、お金がかゝって大へんです。できるだけ早く、いゝ折を見て、追放なさった方が、国家の利益でございましょう。」

 と、こんなことを言ったものとみえます。


ハイ さようなら


 私はこの国を去るようになったのですが、それを述べる前に、まず、二ヵ月前から、私をねらっていた陰謀のことを語ります。

 私がちょうどブレフスキュ皇帝を訪ねようと、準備しているときのことでした。ある晩、宮廷の、ある大官がやって来ました。(この大官が、以前、皇帝の機嫌を損じたとき、私は彼のために大いに骨折ってやったことがあるのです)彼は車で、こっそり、私の家を訪ねて来たのです。

 ぜひ、内証でお話ししたいことがあると言うので、従者たちは遠ざけました。私は彼を乗せた車をポケットに入れ、召使に命じて戸口をしっかり閉めさせました。それから、テーブルの上に車を置いて、その側に坐りました。一通り挨拶をすませてから、相手の顔を見ると、非常に心配そうな顔色をしているのです。

「一たいどうしたのです。何か変ったことでもあるのですか。」

 と私は尋ねました。

「いや、なにしろ、あなたの名誉と生命にかゝわる問題ですから、これはどうか、ゆっくり聞いてください。」

 と言って、彼は次のように話しだしました。

「まずお知らせしたいのは、あなたのことで、近頃、秘密の会議が数回ひらかれましたが、陛下が、いよ〳〵決心されたのは、つい二日前のことです。

 御存知のとおり、ボルゴラム提督ていとくは、あなたがこの国に到着以来、あなたをひどく憎んでいます。どうしてそんなに怨むのかは、私にはよくわからないのですが、あなたが、ブレフスキュで大手柄をたてられて以来、彼の提督としての人気が減ったように考え、それからいよ〳〵憎みだしたのでしょう。この人と大蔵大臣のフリムナップ、それからまだあります、陸軍大将リムトック、侍従長ラルコン、高等法院長バルマッフ、これらの人々が一しょになって、あなたを罪人にしようとして、弾劾文だんがいぶんを書きました。」

 こゝまで彼の話を聞いていると、私はむしゃくしゃしてきたので、

「何だって、みんなは私を罪人にしようとするのか、私はそんなに……」

 と言いかけました。

「まあ、黙って聞いていてください。」

 と、彼は私を黙らせました。

「私はいつかあなたの御恩になったので、こんなことを打ち明けるのですが、もしかすると、そのために私まで罪になるかわかりません。が、それも覚悟でお知らせするのです。こゝに、その弾劾文の写しを手に入れていますから、今それを読みあげてみましょう。


人間山に対する弾劾文

 第一条

 カリン・デファー・プリューン陛下の御代に作られた法律によると、宮城の中で立小便をした者は、死刑にされることになっている。それなのに、人間山は皇后の御殿が火事のとき、火を消すことを口実にして、不埒ふらち千万にも、小水で宮殿の火を消しとめた。

 第二条

 人間山はブレフスキュ国の艦隊を引っ張って持って戻ったが、その後、陛下は残りの敵も全部捕えて来いと命令された。陛下はブレフスキュ国を征服して属国にしてしまう、お考えだった。すると人間山は不忠にも、陛下のお考えに反対し、その命令に従わなかった。罪のない人民の自由や生命は奪えません、と、こんなことを言うのであった。

 第三条

 ブレフスキュ国から講和の使節がやって来たとき、その使節は敵国の皇帝の使であることを知っていながら、人間山は、まるで叛逆者のように、これを助けたり慰めたりした。

 第四条

 人間山は近頃、ブレフスキュ国へ渡ろうとして航海の準備をしている。陛下はたゞ、口先で、ちょっと許可されただけなのだ。それをいゝことにして、彼は敵国の皇帝と会い、敵国を助けようと企んでいる。


 このほかにもまだあるのですが、主なところを今読みあげてみたのです。

 ところで、あなたの罪状について、この弾劾文をめぐって、何度も議論が行われたのですが、陛下は、あなたがこれまで立派な手柄をたてゝいられるので、まあ、大目にみて罪は軽くしてやれ、と言われるのです。しかし、大蔵大臣と提督の二人は、夜中にあなたの家に火をつけて、焼き殺してしまった方がいゝ、と、ひどいことを言うのです。それから、陸軍大将は、そのときには毒矢を持った二万の兵をひきいて、あなたの手や顔を攻撃する、と、こんなことを言うのです。

 それからまた、あなたの味方の宮内大臣レルドレザルは、こんなことを言います。殺すのは、どうもひどすぎるから、たゞ、あなたの両方の眼をつぶすことにしたらどうでしょうか、と、こんなことを陛下に申し上げたのです。すると、これには議員たちがみな反対しました。

 君は叛逆者の生命を助けようとするのか、と、ボルゴラムはどなりだしました。皇后の御座所の火事を立小便で消すことのできるような男なら、いつ大水を起して宮城を水浸しにしてしまうかもわからない、それに、敵艦隊を引っ張って来たあの力では、一たん何か腹を立てゝ暴れだしたら大へんなことになる、と、ボルゴラムは死刑を説くのです。

 大蔵大臣も、あんな男を養っていては、間もなく国が貧乏になってしまうと言って、死刑を主張しました。しかし、陛下はどこまでも、あなたを死刑にはしたくないお考えでした。

 両方の眼をつぶしただけでは、刑が軽すぎるというのなら、食物を減して、だん〳〵やせ衰えさせるといゝでしょう、身体が半分以上も小さくなって死ねば、死骸から出る臭だって、そう恐ろしくはないし、骸骨だけは記念物として残しておけます、と、宮内大臣は言いました。

 そんなわけで、とにかく、みんなの意見はまとまりましたが、この、あなたを餓死さす、計画は、ごく〳〵秘密にされているのです。

 あと三日すると、あなたの味方の大臣がこゝへ訪ねて来るでしょう。そして、弾劾文を読んで聞かせ、それから、陛下のおかげで、あなたの罪は両眼を失くするだけですむことになった、と告げることになっています。陛下は、あなたがよろこんで、この刑に服すだろうと思っていられます。そこで外科医二十名が立会のうえで、あなたを地面に寝かせ、あなたの眼球に、鋭く尖った矢を、何本も射込む手筈てはずになっています。

 私はたゞ、ありのまゝを、あなたにお知らせしたのですが、どうか、そのつもりでいてください。あまり長居をしていると、人から疑われますから、これで失礼いたします。」

 そう言って、大官は帰ってゆきました。あとに残された私は、どうしたらいゝのかしらと、いろ〳〵悩みました。

 とう〳〵私は逃げ出すことに決心しました。三日が来ないうちに、私は宮内大臣に手紙を送り、明日の朝ブレフスキュ島へ出発するつもりだ、と言ってやりました。もう返事など待ってはいられません。そのまゝ海岸の方へ歩いて行きました。

 そこで大きな軍艦を一隻つかまえ、綱を結びつけ、錨を上げると、裸になって、着物は軍艦に積み込みました。それから、その船を引っ張って、歩いたり泳いだりしながら、ブレフスキュの港に着きました。

 向うでは私の来るのを待ちかねていたところです。二人の案内者をつけて、首都まで案内してくれました。私は二人を両手に乗せて、城の近くまで行きましたが、こゝで、誰か大臣に知らせてきてくれ、と頼みました。

 しばらく待っていると、皇帝御自身が私を出迎えになるということでした。私は百ヤードばかり歩いて行きました。皇帝とその従者たちは、馬からおりられました。皇后は馬車からおりられました。みんな、少しも私を怖がっている様子はありません。私は地面に横になって、陛下の手にキスしました。それから、いつかの約束どおり、リリパット皇帝の許しを得て、今このとおりブレフスキュ大帝にお目にかゝりに来ました、私の力でできることなら何でもいたします、と、私はこう申し上げました。

 私がブレフスキュ島へ来てから三日目のことでした。

 島の北東の岸をぶら〳〵歩いて行ってみると、沖の方にボートのような物のひっくりかえっているのが見えます。さっそく、靴を脱いで、二三百ヤード海の中を歩いて行ってみると、その物は潮に乗って、だん〳〵近づいて来るように見えます。よく見ると、ほんとのボートです。たぶん、これは嵐にあって本船から流されたのでしょう。

 私はすぐ首府へ引っ返して、皇帝にお願いして、二十隻の軍艦と三千人の水兵を借りてきました。それから私は海に入って、ボートのところへ泳いで行きました。水兵たちが軍艦から綱の端を投げてくれたので、それをボートの穴に結びつけ、もう一方の端は、軍艦に結びつけました。さらに私は泳ぎながらいろ〳〵骨を折って、九隻の軍艦にボートの綱を結びつけました。ちょうど風向きもよかったので、私はボートを押し、水兵は引っ張り、こうして、とう〳〵海岸に来ました。

 それから十日ばかりかゝって、オールをこしらえ、それでやっと、ブレフスキュの港へ、ボートを漕いで入ったわけです。私が港へ着くと、大へんな人出で、なにしろ、あんまり大きな船なので、すっかり仰天していました。私は皇帝に向い、

「天のたすけで、ボートが手に入りました。これに乗って行けば、私の故国へ帰れるところまで行けるでしょう。つきましては、出発の許可をいたゞいて、いろ〳〵準備することをお許しください。」

 とお願いしました。

 皇帝は思いとゞまってはどうかと言われましたが、ついに喜んで許してくださいました。

 さて、リリパット国では、私がブレフスキュ国皇帝のところへ行ったのは、それはただ、前の約束をはたすために行ったので、二三日すれば帰って来るだろう、と思っていました。ところが、いつまでたっても、私が戻らないので、とう〳〵やきもきして、大臣一同が会議を開きました。その相談のあげく、一人の使者が、リリパット皇帝の手紙を持って、ブレフスキュ皇帝に会いにやって来ました。その手紙は、私の手足をしばって、リリパットへ送り返してくれというのでした。

 その返事はこうでした。私をしばって送り返すことなど、とてもできないことは、すでにリリパット皇帝も知られるとおりだし、それに間もなく、私はブレフスキュ国を去ることになっているので、御安心ください、というのでした。

 とにかく、私はなるべく早く出発しようと思いました。宮廷の方でも一日も早く行ってもらいたいのでいろ〳〵手助けをしてくれます。五百人の職人がかゝって、ボートにつける二枚の帆をこしらえました。私の指図にしたがい、一番丈夫な布を、十三枚重ねて縫い合わせました。私は一番丈夫な太い綱を、十本、二十本、三十本と、一生懸命に、ない合わせました。それから海岸を探しまわって、錨の代りになりそうな、大きな石を見つけました。ボートに塗ったり、そのほかいろんなことに使うため、三百頭の牛の脂をもらいました。何より骨の折れたのは、オールとマストにするため、大きな木を伐り倒すことでした。しかし、これは陛下の船大工が手伝ってくれて、私がたゞ粗けずりすれば、あとは大工が綺麗に仕上げてくれました。

 一月もすると、準備はすっかり出来上りました。私はいよ〳〵出発の許可の御命令がいたゞきたい、と陛下に願いました。陛下は皇族たちと一しょに宮殿から、わざ〳〵出て来られました。私は皇帝の手にキスしようとして、うつ伏せに寝ました。

 陛下は快く手を貸してくださいます。皇后も、皇子たちも、みな手にキスを許してくださいました。それから、皇帝は二百スプラグ入りの金袋を五十箇と、陛下の肖像画を私にくださいました。肖像画の方は、いたまないように、すぐ片一方の手袋の中にしまっておきました。

 私はボートの中に、牛百頭、羊三百頭の肉と、それに相当するパンと飲物を積み込みました。それから四百人のコックの手でとゝのえてくれた肉なども積み込みました。それから、生きた牝牛六頭と牡牛を二頭、それから牝羊六頭と牡羊二頭を、これらは国へ持って帰って、飼ってみようと思いました。船の中で食べさせるために、乾草を一袋と麦を一袋、用意しました。

 私はこの国の人間も、十人ばかり、つれて行きたかったのですが、これはどうしても、陛下がお許しになりません。それどころか、私のポケットをすっかり調べられ、たとえ志願する者があっても、人民は決してつれて行かないと誓わされました。

 そんなふうに、できるかぎりの準備をとゝのえ、いよ〳〵、一七○一年九月二十日の朝六時、私は出帆しました。風は南東だったので、北へ向けて四リーグばかり行くと、ちょうど午後六時頃、小さな島の影が見えてきました。ぐん〳〵進んで行って、その島のそばで、ボートの錨をおろしました。こゝは誰も住んでいない無人島らしいのです。私は軽い食事をすませ、ぐっすり眠りました。六時間も眠った頃、目がさめ、それから二時間ばかりすると、夜が明けました。日の出前に朝飯をすまし、錨を上げて、風向もよかったので、羅針盤をたよりに、昨日と同じ進路をつゞけて行きました。私の考えでは、ヴァン・ディーメンズ・ランドの北東にある群島の、どれか一つに、たどりつこうと思っていたのです。だが、その日はついに何も見えませんでした。

 翌日、午後三時頃、ブレフスキュから二十四リーグばかりも来たかと思える海上で、一隻の帆船を見つけました。船は南西に向って進んでいます。私は大声で呼んでみましたが、返事してくれません。しかしちょうど、風がいだので、私の船はだん〳〵向うへ近づいて行くのでした。私はありったけの帆を張りました。半時間もすると、向うの船でも気がついて、合図に旗を出し鉄砲を打ちました。

 私はもう一度、故国が見られ、あの懐しい人たちとも会えるのかと思うと、うれしさがこみあげてきました。船は帆をゆるめました。それで私はその船に追いつきました。その時刻は九月二十六日の夕方の五時か六時頃でした。私はイギリスの国旗を見ただけで、胸がワク〳〵しました。牛と羊を上衣のポケットに入れると、私は食料の小さな荷物を抱えて、向うの船に乗り移りました。

 この船はイギリスの商船で、北海、南海を通って、日本から帰る途中でした。船長のジョン・ビデルはデットフォッド生れで、大へん親切な男でした。乗組員は五十人ばかりいましたが、そのなかに私の以前の仲間のウィリアムがいたのです。このウィリアムが私のことを船長に大へんよく言ってくれました。

 船長は私をよくもてなしてくれました。一たい、どこから来て、どこへ行くつもりだったか、話してくれと言うので、私は今までのことをごく簡単に話しました。だが、船長は、私の頭がどうかしている、と思ったようです。いろんな危険に会ったので、気が変になったと思って、ほんとにしてくれません。そこで私はポケットから黒い牛や羊を出して見せてやりました。これには船長も非常に驚いて、私の言うことが嘘でないと納得したようです。それから私は、ブレフスキュ皇帝からもらった金貨や肖像画や、その他いろ〳〵珍しい品を取り出して見せました。私は二百スプラグ入りの金袋を船長にやりました。

 船は無事におだやかに進み、一七〇二年四月十日、私たちはダウンスに着きました。ただ、途中でちょっと不幸な事件が起きました。それは船にいる鼠どもが、私の羊を一頭、引いて行ってしまったことです。きれいに肉をむしりとられた羊の骨は、穴の中で見つかりました。

 残りの家畜はみんな無事にイギリスへ持って戻りました。私はそれをグリニッジの球場の芝生に放してやりました。こゝの草でも食べるかしら、と心配でしたが、放してみると、家畜たちは、こゝの草が綺麗なので、喜んで食べるのでした。

 私が長い航海の間、この家畜を無事に飼ったのは、全く船長のおかげでした。私は船長から特別製のビスケットを分けてもらい、それを粉にして水でこねて、家畜に食べさせていたのです。イギリスにしばらく滞在している間に、私はこの家畜を見世物にして、かなりお金をもうけました。が、また、私は航海に出ることになって、六百ポンドで売り払いました。

 私が妻子と一しょに暮したのは、たった二ヵ月でした。もっと〳〵外国を見たいという気持がうず〳〵して、どうしても、私は家にじっとしていられなくなりました。そこで、私は商船『アドベンチュア号』乗組員になりました。この航海の話は、次の『大人国』を読んでください。





第二、大人国(ブロブディンナグ)





つまみ上げられた私


 私はイギリスに戻って二ヵ月もすると、また故国をあとに、ダウンスを船出しました。私の乗った船は、『アドベンチュア号』でした。

 船がマダガスカル海峡を過ぎる頃までは、無事な航海でしたが、その島の北あたりから、海が荒れだしました。そして二十日あまりは、難儀な航海をつゞけました。が、そのうち風もやむし、波もおだやかになったので、私たちは大へん喜んでいました。ところが、船長は、この辺の海のことをよく知っている男でした。暴風雨が来るから、すぐ、その用意をするよう命令しました。はたして、次の日から暴風雨がやって来ました。

 船は荒れ狂う風と波にもまれ、私たちは一生懸命、奮闘しましたが、なにしろ、恐ろしい嵐で、海はまるで気狂のようでした。船はずん〳〵押し流されて、どこに自分たちがいるのやら、もう見当がつかなくなりました。

 私たちの船は、どこともしれない海の上を、陸を求めて進んでいました。まだ、船には食糧も充分あるし、船員はみんな元気でしたが、たゞ困るのは水でした。ある日、マストに上っていた少年が、

「陸が見える!」

 と叫びました。

 それが一七〇三年六月十六日のことでした。翌日になると、何か大きな島か陸地らしいものが、みんなの目の前に見えてきました。その南側に小さな岬が海に突き出ていて、浅い入江が一つ出来ていました。

 私たちは、その入江から一リーグばかり手前で、錨をおろしました。みんな水を欲しがっていたので、船長は十二人の船員に、水桶を持たせて、ボートに乗せて、水探しに出しました。私もその国が見たいのと、何か発見でもありはしないかと思ったので、一しょにそのボートに乗せてもらいました。

 ところが、上陸してみると、川もなければ、泉もなく、人ひとり住んでいる様子もないのでした。船員たちは、どこか清水がないかと、海岸をあてもなく歩きまわっていましたが、私は別の方角へ一マイルばかり、一人で歩いてみました。だが、あたりは石ころばかりの荒地でした。面白そうなものも別に見つからないし、そろ〳〵疲れてきたので、私は入江の方へブラ〳〵引っ返していました。海が一目に見わたせるところまで来てみると、船員たちは、もうちゃんとボートに乗り込んで、一生懸命に、本船めがけて漕いでいるのです。

 おーい待ってくれ、と私は大声で呼びかけようとして、ふと気がつきました。恐ろしく大きな人間がグン〳〵海を渡って、ボートを追っかけているのです。膝のあたりしかない海の中を、その男は恐ろしい大股で歩いて行きます。だが、ボートは半リーグばかりも先に進んでいたし、あたりは鋭い岩だらけの海だったので、この怪物も、ボートに追いつくことはできなかったのです。

 もっとも、これはあとから聞いた話なのです。そのときの私は、そんなものを見ているどころではありません。もと来た道を夢中で駈けだし、それから私は、とにかく、けわしい山の中をよじのぼりました。山の上にのぼってみると、あたりの様子が、いくらかわかりました。土地は見事に耕されていますが、何より私を驚かしたのは、草の大きいことです。そこらに生えている草の高さが、二十フィート以上ありました。

 やがて、私は国道へ出ました。国道といっても、実は、麦畑の中の小路なのでしたが、私には、まるで国道のように思えたのです。しばらく、この道を歩いてみましたが、両側とも、ほとんど何も見えないのでした。とりいれも近づいた麦が、四十フィートからの高さに、伸びています。一時間ばかりもかゝって、この畑の端へ出てみると、高さ百二十フィートもある垣で、この畑が囲まれているのがわかりました。だが、樹木などは、あんまり高いので、私には見当がつきませんでした。

 この畑から隣りの畑へ通じる段々があり、それが四段になっていて、一番上の段まで行くと、一つの石をまたぐようになっていました。一段の高さが六フィートもあって、上の石は二十フィート以上もあるので、とても私には、そこは通れませんでした。

 どこか垣に破れ目でもないかしら、と探していると、隣りの畑から、一人の人間がこちらの段々の方へやって来ました。人間といっても、これは、さっきボートを追っかけていたのと同じくらいの大きな怪物です。背の丈は、塔の高さくらいはあり、一歩あるく幅が、十ヤードからありそうです。私は胆をつぶし、麦畑の中に逃げ込んで、身を隠しました。

 そこから見ていると、その男は段々の上に立ち上って、右隣りの畑の方を振り向いて、何か大声で叫びました。その声のもの凄いこと、私ははじめ雷かと思ったくらいでした。

 すると、手に〳〵鎌を持った、同じような、七人の怪物が、ぞろ〳〵と集ってくるではありませんか。鎌といっても、普通の大鎌の六倍からあるのを持っているのです。が、この七人は、あまり身なりもよくないので、召使らしく思えました。はじめの男が何か言いつけると、彼等は私の隠れている畑を刈りだしました。

 私は、できるだけ遠くへ逃げようとしましたが、この逃げ路が、なか〳〵難儀でした。なにしろ、株と株との間が一フィートしかないところもあります。これでは、私の身体でも、なか〳〵通りにくいのでした。どうにかこうにか進んでいるうちに、麦が風雨で倒れてしまっているところへ出ました。もう、私は一歩も前進できません。茎がいくつも絡み合っていて、潜り抜けることもできないし、倒れた麦の穂先は、ナイフのように尖っていて、それが、洋服ごしに、私の身体を突き刺しそうなのです。

 そうこうしているうちに、鎌の音は、百ヤードとない後から、近づいて来ます。私はすっかり、へたばって、もう立っている力もなくなりました。うねと畝との間に横になると、いっそ、このまゝ死んでしまいたい、と思いました。私は、残してきた妻や子供たちのことが、眼に浮んできました。みんながとめるのもきかないで、航海に出たのが、今になって無念でした。ふと、私はリリパットのことも思い出しました。あの国の住民たちは、この私を、驚くべき怪物として、尊敬してくれたし、あの国でなら、一艦隊をそっくり引きずって帰ることだってできたのです。

 だが、こゝでは、こんな、とてつもない、大きな連中に会っては、この私はまるで芥子粒けしつぶみたいなものです。今に誰かこの大きな怪物の一人につかまったら、私は一口にパクリと食われてしまうでしょう。しかし、この世界の果てには、リリパットより、もっと小さな人間だっているかもしれないし、その世界の果てには、今こゝにいる大きな人間より、もっと〳〵大きな人間だっているかもしれないと、私は恐怖で気が遠くなっていながら、こんなことを思いつゞけていました。

 そのうちに、刈手の一人が、私の寝ているうねから、十ヤードのところまで、近づいて来ました。もう、この次には、足で踏みつぶされるか、鎌で真二つに切られるかもわかりません。その男が動きかけると、私は大声でわめきちらし、助けを求めました。

 巨人は立ちどまって、しばらく、あたりを見まわしていましたが、ふと、地面にひれふしている私を、見つけました。この小さな、危険な、動物を、騒がれないように、噛まれないように、つかまえるには、どうしたらいゝのかしら、といった顔つきで、彼はしばらく考えていました。私もイギリスで、いたちや鼠をつかまえるときには、ちょっとこんなふうにしたものです。

 とう〳〵、彼は思いきって、人差指と親指で、私の腰の後の方をつまみあげると、私の形をもっとよく見るために、目から三ヤードのところへ、持ってゆきました。私は、彼のしていることがよくわかったので、安心して落ち着いていました。こうして、地上から六十フィートの高さにつまみ上げられている間は、じっとしていよう、と思いました。ただ、苦しかったのは、私を指からすべり落すまいとして、ひどく、脇腹をしめつけられていることでした。

 私はたゞ、天を仰ぎ両手を合せながら、お願いするように、哀れっぽい調子で、何かと言ってみました。というのは、私たちが厭な虫など殺す場合、よく地面にパッとたゝきつけるものですが、あれを今やられはすまいかと、心配でならなかったのです。

 だが、幸いなことに、彼には私の声や身振りが気に入ったようでした。私がはっきり言葉を話すので、その意味は彼にはわからなかったのですが、ホウ、ものが言えるのか、と驚いたような顔つきで、彼は珍しげに私を眺めるのでした。私は、彼の指で、脇腹をしめつけられているのが苦しくなったので、うめいたり、泣いたりして、一生懸命、そのことを身振りで知らせました。

 すると、彼にもその意味がわかったらしく、上衣の垂れをつまみ上げて、その中に、そっと私を入れました。それから大急ぎで、主人のところへ駈けつけて行きました。主人というのは、私が最初に畑で見た男でした。

 その主人は、召使が話すのを、じっと聞いていましたが、杖ほどもあるわらすべを取って、それで、私の上衣の垂れを、めくりあげました。この洋服は、私の身体に、生れつきくっついているものと思ったのでしょう。それから、私の髪の毛に、フーと息を吹きかけて、髪を分けると、顔をしげ〳〵眺めました。それから、(これはあとになって、わかったのですが)召使たちを呼び集めると、これまでこんな小さな動物を畑で見たことがあるかと、みんなに、尋ねました。それから、私を、そっと、四つ這いのまゝの恰好で、地面におろしてくれました。

 私はすぐに立ち上って、逃げ出すつもりのないことを見せるために、ゆる〳〵とあたりを歩きまわりました。すると、みんなは、私の動きぶりをよく見ようとして、私を囲んで、坐り込んでしまいました。私は帽子を取って、百姓にていねいに、おじぎをしました。それから、ひざまずいて、両手を高く差し上げ、天を仰いで大声で、二言、三言話しかけました。そして、ポケットから、金貨の入った財布を取り出して、うや〳〵しく彼のところへ持って行きました。

 彼はそれを掌で受け取ってくれましたが、目のそばへ持って行って、何だろうかと、眺めていました。袖口からピンを一本抜き取って、その先で何度も、掌の上の財布をひっくりかえしていましたが、やはり、何だかわからないようでした。

 そこで、私は手まねで、その掌の財布を下に置いてくれ、と言いました。財布が下に置かれると私はそれを手に取って、中を開いて、金貨をみんな彼の掌の上にばらまきました。四ピストルのスペイン金貨が六枚と、ほかに小銭が二三十枚ありました。見ると彼は小指の先を舌で濡しては、大きい方の金貨を一枚々々つまみ上げていましたが、やはり、それが何だか、さっぱりわからないらしいのです。

 彼は手まねで私に、もう一度これを財布におさめて、ポケットに入れておけ、と言うのでした。私は何度も、そのお金を彼に差し出してみましたが、やはり、彼の言うとおりに、おさめておきました。

 そのうちに、もう百姓には、私が理性的な生物(人間)だ、ということが、わかっていたのです。彼は何度も私に話しかけましたが、その声は、まるで水車の響のようで、私の耳は破れそうでした。私も、知っているかぎりのいろんな外国語を使って、力一ぱいの大声で、話しかけてみました。すると向うは、耳をすぐ私のそばに持って来て、聞いてくれるのですが、駄目でした。私たちの言い合っている言葉は、お互に意味が通じないのでした。

 召使たちはまた麦刈に取りかゝりましたが、主人はポケットから、ハンカチを取り出し、二つ折りにして、左手の上にひろげ、その掌を地面の上に差し出して、この中に入って来いと、手まねで私に合図をします。その掌の厚さは一フートぐらいでしたから、私も、らくにのぼれるのです。今はとにかく主人の言うとおりにしていようと思いました。

 それで、私は落っこちないように用心しながら、ハンカチの上に長くなって寝ころびました。すると、彼はハンカチの端で、私の頭のところを大切そうにくるんでしまい、そのまゝ、家に持って行きました。

 家に帰ると、彼はさっそく、細君を呼んで、ハンカチの中のものを見せました。ちょうど、イギリスの女が、ひきがえるくもを見たときのように、「きゃあ……」と叫んで、細君は跳びのきました。しかし、しばらくそばで見ているうちに、主人の手まねで私がいろんなことをするのを見て、細君はすっかり感心してしまいました。そして今度は、だん〳〵と私にやさしくしてくれるようになりました。

 正午頃になると、一人の召使が、食事を持って来ました。それはいかにも、お百姓の食事らしく、肉をたっぶり盛った皿が、たゞ一つだけ出されたのでした。しかし、それは直径が二十四フィートもある、大きなお皿でした。

 食堂には主人と細君と、子供が三人、それに、年寄の祖母がやって来ました。みんながテーブルに着くと、主人は私をテーブルの上にあげて、少し彼から離れたところに置きました。そのテーブルは高さ三十フィートもあるのですから、私は怖くてたまらないのです。落っこちないように、できるだけ、真中の方へよって行きました。

 細君は肉を少し、小さく刻んで、それから、パンをこな〴〵に砕くと、それを私の前に置いてくれました。そこで、私は細君に向って、ていねいに、おじぎをして、ポケットから、ナイフとフォークを取り出して食べはじめました。みんなは、私の有様が面白くてたまらないようでした。

 細君は女中を呼んで、小さなコップを持って来させました。小さいといっても、三ガロン(約五升)は入りそうなコップですが、それに飲物を注いでくれました。それを私はやっと両手でかゝえあげると、まず、英語で、できるだけ大きな声を張り上げて、細君の健康を祝しました。それから、うや〳〵しくコップを頂戴しました。すると、みんなはお腹をかゝえて笑いだしましたが、その笑い声のもの凄さ、私は耳がつんぼになるばかりでした。

 この飲物はサイダーのような味なので、私はおいしく、いたゞきました。しばらくすると、主人は私を手まねで、彼の皿のところへ来い、と招きました。しかし、なにしろ私はテーブルの上をビク〳〵しながら歩いているのでしたから、パンの皮につまずくと、うつ伏せに、ペたんと倒れてしまいました。けれども、怪我はなかったのです。すぐに起き上りましたが、みんながひどく心配してくれるので、私は小脇にかゝえていた帽子を手に取り、頭の上で振りながら、「万歳!」と叫びました。これは転んでも、怪我はなかったということを、みんなに知ってもらうためでした。

 そのとき、主人の隣りに坐っていた、一番下の息子で、まだ十ばかりのいたずら児が、私の方へ手を伸したかとおもうと、いきなり、私の両足をつかまえ、宙に高くぶら下げました。私は手も足も、ブル〳〵ふるえつゞけました。しかし、主人は息子の手から、私を取り上げ、同時に彼の左の耳をピシャリと殴りつけました。それは、ヨーロッパの騎兵なら、六十人ぐらい叩きつけてしまいそうな殴り方でした。それから主人は息子に、向うへ行ってしまえ、と命令するのでした。

 しかし私は、この子供に怨まれはしないかと、心配でした。私はイギリスの子供たちも、雀や、兎や、小猫や、小犬に、よくいたずらをするのを知っています。そこで、私は主人の前にひざまずいてその息子を指さしながら、どうか、許してあげてください、と手まねで、私の気持を伝えました。私は息子のところへ行き、その手にキスしました。主人はその息子の手を取って、私をやさしくなでさせました。

 ちょうどこの食事の最中に、細君の飼っている猫がやって来て、細君の膝の上に跳び上りました。私はすぐ後の方で、何か十人あまりの職人が仕事でもはじめたような物音を聞きました。振り返ってみると、この猫が咽喉のどをゴロ〳〵鳴らしているのです。細君が食物をやったり、頭をなでている間に私はそっと、その猫を眺めてみましたが、その大きさは、まず、牡牛の三倍はありそうでした。私は五十フィートも離れて、猫から一番遠いところに、立っていたのですが、そして、細君は、猫が私に跳びかゝったり、爪を立てたりしないように、しっかり猫を押えていてくれたのですが、それでも、私はそのもの凄い顔が恐ろしくてならなかったのです。しかし危険なことは起らなかったのです。

 主人はわざと、私を猫の鼻の先三ヤードもないところに置きました。しかし、猫は見向きもしませんでした。猛獣というものは、こちらが逃げ出したり、怖がると、かえって追っかけて来て跳びかゝるものだ、ということを私は前に人から聞いて知っていました。それで、私は今いくら恐ろしくても知らん顔をしていよう、と決心しました。

 私は、猫の鼻先をわざと、五六回、行ったり来たりしてやりました。それから、ずっとそばまで近づいて行ってみました。と、かえって猫の方が怖そうに後しざりするのでした。そのときから、私はもう、猫や犬を怖がらなくなりました。犬も、この家には、三四頭ばかりいたのです。それが部屋の中に入って来ても、私は平気でした。一匹はマスティフで、大きさは象の四倍ぐらいありました。もう一匹は、グレイハウンドで、これはとても背の高い犬でした。

 食事がしまい頃になると、乳母が赤ん坊を抱いてやって来ました。赤ん坊は、私を見つけると、玩具に欲しがって、泣きだしました。その赤ん坊の泣声は、なんとももの凄い声でした。母親は私をつまみ上げて、赤ん坊の傍に置きました。赤ん坊は、いきなり、私の腰のあたりを引っつかんで、頭を口の中に持ってゆきました。私がワッと大声でうめくと、赤ん坊はびっくりして、手を離します。そのとき細君が前掛をひろげて、うまく受けてくれたので、私は助かりました。でなかったら、首の骨ぐらい折れたでしょう。

 乳母はガラ〳〵を持って来て、赤ん坊の機嫌をとろうとしました。そのガラ〳〵というのは、空鑵に大きな石を詰めたようなもので、それを綱で子供の腰に結びつけるのでした。でも、赤ん坊はまだ泣きつゞけていました。それで、とう〳〵乳母は胸をひろげて、乳房を出し、赤ん坊の口に持ってゆきました。私はその乳房を見て、びっくりしました。

 大きさといゝ、形といゝ、色合いといゝ、とても気味の悪いものでした。なにしろ、六フィートも突き出ているので、まわりは十六フィートぐらいあるでしょう。乳首だって、私の頭の半分ぐらいあります。それに、乳房全体が、あざやら、そばかすやら、おできやらで、しみだらけなのです。見ていると、気持が悪くなるくらいでした。乳母は乳を飲ましいゝような姿勢で、赤ん坊を抱いていますが、私はテーブルの上にいるので、その乳房はすぐ目の前にはっきりと見えるのでした。

 それで私はふと、こんなことがわかりました。イギリスの女が美しく見えるのは、それは私たちと身体の大きさが同じだからなのでしょう。もし虫眼鏡でのぞいて見れば、どんな美しい顔にも凸凹やしみが見えるにちがいありません。

 そういえば、リリパットに私がいた頃、あの小人たちの肌の色は、とても美しかったのを、私はよくおぼえています。リリパットの友達も、この私の顔が、小人の目から見ると、どんなに見えるか、教えてくれたことがあります。私の顔は、地上からはるかに見上げている方が、美しいそうです。私の掌に乗せられて、近くで見ると、私の顔は大きな孔だらけで、髯の根はいのしゝの毛の十倍ぐらいも堅そうで、顔の色の気味の悪いことゝいったらないそうです。

 ところで、いまこのテーブルに坐っている巨人たちは、なにも片輪などではないのです。顔だちはみんなよくとゝのっていました。ことに主人など、私が六十フィートの高さから眺めてみると、なかなか立派な顔つきでした。

 食事がすむと、主人は仕事に出かけて行きました。彼は細君に、私の面倒をみてやれ、と命令しているようでした。その声や身振りで、私にはそれがわかったのです。私は大へん疲れて、睡くなりました。すると細君は、私の睡そうな顔に気がつき、自分のベッドに寝かして、綺麗な白いハンカチを私の上にかけてくれました。ハンカチといっても、軍艦の帆よりまだ大きいくらいで、ゴツ〳〵していました。

 私は二時間ばかりも眠りました。私は国へ帰って妻子と一しょに暮している夢をみていました。ふと目がさめて、あたりを見まわすと、私は、広さ二三百フィート、高さ二百フィート以上もある、がらんとした、大きな部屋に、たった一人、幅二十ヤードもある大きなベッドで、寝ているのに気がつきました。すると、私はなんだか悲しくなってしまいました。

 細君は家事の用で外に出て行ったらしく、姿が見えません。私は錠をおろした部屋に、一人、とじこめられているのです。このベッドは床から八ヤードもあります。私は下へおりたかったのですが、声を出して叫ぶ元気もなくなっていました。しかし、たとえ呼んでみても、とても私の声では、この部屋から家族のいる台所までは、とゞかなかったでしょう。

 ところが、そのとき、鼠が二匹、ベッドのとばりをのぼって来ると、ベッドの上をあちこち嗅ぎまわって、ちょろ〳〵走り出しました。一匹などは、も少しで、私の顔にいのぼろうとしたのです。私はびっくりして跳び起きると、短剣を抜いて、身構えました。だが、この恐ろしい獣どもは、左右からドタ〳〵とおそいかゝって来て、とう〳〵、一匹は私の襟首に足をかけました。しかし、私は幸運にも、彼に噛みつかれる前に、彼の腹に、プスリと短剣を突き刺していました。

 たちまち、彼は私の足許に倒れてしまいました。もう一匹の方は、仲間が殺されたのを見ると、あわてゝ逃げ出しました。逃げようとするところを、私は肩に一刀浴せかけたので、タラ〳〵血を流しながら行ってしまいました。この大格闘のあとで、私はベッドの上をあちこち歩きながら、息をしずめ、元気を取り戻しました。鼠といっても、大きさはマスティフ種の犬ぐらいあって、それに、とても、すばしこくて、獰猛どうもうな奴でした。もし私が裸で寝ていたら、きっと八つ裂きにされて食べられたでしょう。

 死んだ鼠の尻尾をはかってみると、二ヤードぐらいありました。まだ血を流して横になっている死骸を、ベッドから引きずりおろすのは、実に、厭なことでした。それに、まだ、少し息が残っているようでしたが、これは、首のところへ深く剣を突き刺して、息の根をとめてしまいました。

 それから間もなく、細君が部屋に入って来ました。私が血まみれになっているのを見て、細君は駈けよって、抱き上げてくれました。私は鼠の死骸を指さし、そして、笑いながら、怪我はなかったと手まねで教えました。細君は大喜びでした。女中を呼ぶと、死骸を火箸ではさんで、窓から捨てさせました。それから、彼女は私をテーブルの上に乗せてくれました。私は血だらけの短剣を見せ、上衣の垂れで拭いて鞘におさめました。


見世物にされた私


 この家には九つになる娘がいました。年のわりには、とても器用な子で、針仕事も上手だし、赤ん坊に着物を着せたりすることも、うまいものでした。この娘と母親の二人が相談して、赤ん坊の揺籃ゆりかごを私の寝床に作りなおしてくれました。私を入れる揺籃を箪笥たんすの小さな引出に入れ、鼠に食われないように、その引出をつるし棚の上に置いてくれました。私がこの家で暮している間は、いつもこれが私の寝床でした。もっとも、私がこの国の言葉がわかるようになり、ものが言えるようになると、私はいろ〳〵と頼んで、もっと便利な寝床になおしてもらいました。

 この家の娘は大へん器用で、私が一二度その前で洋服を脱いでみせると、すぐに私に着せたり脱がせたりすることができるようになりました。もっとも、娘に手伝ってもらわないときは、私は自分ひとりで、着たり脱いだりしていました。彼女は私にシャツを七枚と、それから下着などをこしらえてくれました。一番やわらかい布地でこしらえてくれたのですが、それでも、ズックよりもっとゴツ〳〵していました。そして、その洗濯も彼女がしてくれるのでした。

 彼女は私の先生になって、言葉を教えてくれました。何でも、私が指さすものを、この国の言葉で言ってくれます。そんなふうにして教えられたので、二三日もすると、私はもう欲しいものを口で言えるようになりました。

 彼女は大へん気だてのいゝ娘で、年のわりに小柄で、四十フィートしかなかったのです。彼女は私に、グリルドリッグという名前をつけてくれました。やがて家の人々も、この名を使うようになるし、後には国中の人がみな、私のことをそういって呼びました。このグリルドリッグという言葉は、イギリスでなら、マニキン(小人)という言葉と同じ意味でした。

 私がこの国で無事に生きていられたのは、一つには、この娘のおかげでした。私たちはこゝにいる間じゅう、決して離れなかったものです。私は彼女のことを、グラムダルクリッチ(可愛いお乳母さん)と呼びました。彼女が私につくしてくれた、親切のかず〳〵は、特に、こゝに書いておきたいと思います。私はぜひ、折があったら、彼女に恩返ししたいと、心から願っているのです。

 さて、私の主人が畑で不思議な動物を見つけたという噂は、だん〳〵、ひろがってゆきました。

 その動物の大きさは、スプラクナク(この国の綺麗な動物で、長さはおよそ六フィートほど)ぐらいで、形はまるで人間と同じ形だし、動作も人間とそっくり、何だか可愛い言葉をしゃべるし、それにこの国の言葉も今は少しおぼえたようだし、二本足でまっすぐ立って歩くし、おとなしくて、すなおで、呼べば来るし、言いつけたことは何でもするし、とても、きゃしゃな手足を持っていて、顔色は三つになる貴族の娘より、もっと綺麗だ、などと、私の評判は、だん〳〵、ひろまっていました。

 ところで、主人の親友の農夫が、このことを聞くと、ほんとかどうか、見にやって来ました。私はさっそくつれ出されて、テーブルの上に乗せられました。私は言いつけどおりに、歩いて見せたり、短剣を抜いたり、おさめたりして見せました。それから、お客に向って、うや〳〵しく、おじぎをして、

「よくいらっしゃいました。御機嫌はいかゞですか。」

 と、可愛い乳母さんから教えられたとおりの言葉で言ってやりました。

 そのお客は年寄で目がよく見えないので、もっとよく見ようと眼鏡をかけました。それを見ると、私は腹をかゝえて笑わないではいられなくなりました。というのは、彼の目が、二つの窓から射し込む満月のように見えたからです。みんなは、私のおかしがるわけがわかると、一しょになって笑いだしました。すると、老人はムッとして顔色を変えました。

 この老人は、けちんぼうだとの評判でしたが、やはりそうでした。そのため、私はとんだ目に会うことになりました。こゝから二十二マイルばかり、馬でなら、半時間かゝる、隣りの町の市日に、私をつれて行って、ひとつ見世物にするがいゝ、と、彼は主人にすゝめたのです。

 主人とその男は、とき〴〵、私の方を指さして、長い間、ひそ〳〵とさゝやき合っていました。私はそれを見て、これは何か悪いことを相談し合ってるな、と思いました。じっと気をつけていると、とき〴〵、もれて聞える二人の言葉は、なんだか私にもわかるような気がしました。しかし、ほんとのことは、次の朝、グラムダルクリッチが私に話してくれたので、それで、すっかりわかったのでした。

 私が見世物にされるということを、グラムダルクリッチは、母親から聞き出したのでした。彼女は私と別れることを、大へん悲しがり、私を胸に抱きしめて泣きだしました。

「見物人たちは、どんな乱暴なことをするかわかりません。あなたを押しつぶしてしまうかもしれないし、もしかすると、手を取って、あなたの手足を一本ぐらい折ってしまうかもわかりません。」

 と、彼女は私のことを心配してくれるのでした。

「あなたは遠慮ぶかい、おとなしい、そして、気位の高い人でしょう。それなのに、見世物なんかにされて、お金のために、卑しい連中の前でなぐさみにされるなんて、ほんとうに口惜しいことでしょう。お父さんもお母さんも、私にグリルドリッグをあげると言って約束したくせに、今になって、こんなことをするのです。去年も子羊をあげると言っておきながら、その羊が肥えてくると、すぐ肉屋に売り払ってしまった、あれと同じようなことをしようとしてるのです。」

 と、彼女は私のことを嘆くのでした。

 しかし、私は、この乳母さんほどには、心配していなかったのです。いつかは、きっと自由の身になってみせると、私は強い希望を持っていました。それに、私が怪物として、あちこちで見世物にされても、私はこの国には知人ひとりあるわけではなし、私がイギリスに帰ってからも、何も、このことは非難されるはずがないと思います。イギリスの国王でも、今の私と同じようなことになったら、やはり、これくらいの苦労はするだろう、と私は思いました。

 主人は友達の意見にしたがって、私を箱に入れて、次の市日に隣りの町まで運んで行きました。私の可愛い乳母さん(娘)も、父親の後に乗って、一しょについて来ました。私の入れられた箱は、四方ともふさがれていて、たゞ、出入口の小さな戸口のほかには、空気抜きのためきりの穴が二つ三つつけてありました。娘は私が寝られるように、箱の中に赤ん坊の蒲団を敷いてくれました。

 この箱の旅は、たった半時間の旅行でしたが、身体がひどく揺られたので、私はくた〳〵になってしまいました。なにしろ、馬は一歩に四十フィートも飛んで、しかも非常に高く跳ねるので、私の箱は、まるで大暴風雨の中を、船が上ったり下ったりするようなものでした。

 さて、町に着くと、主人は、行きつけの宿屋の前で馬をおり、しばらく、宿の亭主と相談していました。それから、いろんな準備が出来上ると、東西屋をやとって、町中に触れ歩かしました。

「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、世にも不思議な生物、身の丈はスプラクナク(この国の綺麗な動物)ほどもないのに、頭のてっぺんから足の先まで、身体は人間にそっくりそのまゝ、言葉が話せて面白い芸当をいたします。」

 と、こんなふうなことをしゃべらせたのです。

 私は宿屋で、三百フィート四方もありそうな、大広間につれて行かれ、テーブルの上に乗せられました。私の乳母は、テーブルのそばの腰掛の上に立って、私の面倒をみたり、いろ〳〵と指図をしてくれるのでした。そのうちに、見物人がぞろ〳〵と押しかけて来ましたが、あまり混雑するので、主人は一回に三十人だけ見せることに決めました。

 私は乳母の言いつけどおりに、テーブルの上を歩きまわったり、私にものを言わそうとして、彼女がいろ〳〵質問をすると、私は力一ぱいの声で、それに答えるのでした。それから、何度も見物人の方を振り向いて、ていねいにおじぎして、「よくいらっしゃいました。」と言ったり、そのほか、教わったとおりの挨拶をします。そしてグラムダルクリッチが、指貫ゆびぬきに酒を注いで渡してくれると、私はみんなのために乾盃をしてやります。かとおもえば、短剣を抜いて、イギリスの剣術使のまねをして、振りまわします。私の乳母が、藁の切れっぱしを渡してくれると、私はそれを槍のつもりにして、若い頃習った槍の術をして見せます。

 その日の見物人は、十二組あったので、私は十二回も、こんなくだらないまねを繰り返さねばならなかったのです。そう〳〵、私は疲れて腹が立って、すっかり、へばってしまいました。

 私を見た連中が、これは素晴しいという評判を立てたものですから、見物人はどっと押しかけて、大入満員でした。主人は、私の乳母以外には、誰にも私に指一本さわらせません。そのうえ、危険を防ぐために、テーブルのまわりを、ぐるりとベンチで取り囲んで、誰の手にもとゞかないようにしました。

 それでも、いたずらの小学生が、私の頭をねらって榛の実を投げつけたものです。あたらなかったので助かりましたが、もしあたったら、私の頭は滅茶苦茶にされたでしょう。なにしろ榛の実といっても、南瓜ぐらいの大きさだし、それに猛烈な勢で飛んで来たのです。しかし、このいたずら小僧は、なぐられて部屋から追い出されてしまいました。

 市日がすんで、私たちは家に戻りましたが、主人はこの次の市日にも、またこの見世物をやるという広告を出しました。そして、それまでに、私のためにもっと便利な乗り物を用意してくれました。だが、それはあたりまえのことで、なにぶんこの前の旅行で、私は非常に疲れ、八時間もぶっとおしに見世物にされたので、ヘト〳〵になってしまいました。私が元気を取り返すには、少くとも三日はかゝりました。

 ところが、私の評判を聞いて、あちこちの紳士たちが、百マイルも先から、今度は主人の家に押しかけて来ました。私は家でも休めなくなりました。毎日々々、私はほとんど身体の休まる暇はなかったのです。

 これはもうかりそうだ、と主人は、今度は私を街から街へつれ歩いて見世物にすることを思いつきました。長い旅行に必要な支度をとゝのえ、家の始末をつけると、細君に別れを告げて、一七〇三年の八月十七日(これは私がこの国へ着いてからちょうど二ヵ月目でした)に出発しました。主人は、この国のほゞ真中にある、首都をめざして行くのでしたが、家からそこまでは、三千マイルの道のりでした。

 主人は娘のグラムダルクリッチを自分の後に乗せました。私は箱に入れられ、その箱は娘の腰に結びつけてありました。彼女は箱の内側を一番やわらかい布地ですっかり張ってくれ、下には厚い敷物を入れて、その上に赤ん坊の寝台を置いてくれました。私の下着やシャツなんかも、みんな、彼女がとゝのえてくれ、何不自由なくしてくれました。私たちの後から、家の小僧が一人、荷物を持ってついて来ました。

 主人の考えでは、この旅は途中の町で見世物を開き、客のありそうな村や、貴人の家には、五十マイルや百マイルは、寄り道するつもりだったらしいのです。私たちは毎日わずかに百四五十マイルぐらいずつ進み、大へんらくな旅をしました。グラムダルクリッチが私をかばうために、馬の揺れですぐ自分の方が疲れてしまうと言ってくれたからです。私が頼むと、彼女はたび〳〵、箱から出しては、外の空気を吸わせてくれたり、景色を見せてくれました。そんなとき、彼女は紐でしっかり私を引っ張っていてくれるのでした。

 私たちはナイル河やガンジス河よりも、何倍も大きな河を、五つ六つ越したのです。ロンドンのテムズ河みたいな、小さな川は一つもないのです。この旅行は十週間かゝりました。私たちは十八の大都市に立ち寄り、それから村々や、貴人の家で、何十回となく、見世物になりました。

 十月二十六日に、いよ〳〵、私たちは国都に着きました。その国都の名はローブラルグラットといわれ、これは『世界の誇』という意味でした。主人は宮殿から程遠くない、目抜きの大通りに宿をとりました。そして、この私のことを、くわしく書いたビラを、あちこちに貼り出しました。それから、方三四百フィートもある、大きな部屋を借りて、そこに、私の舞台として、直径六十フィートばかりのテーブルを置きました。そして、私が落っこちないように、テーブルの縁から三フィート入ったところに、高さ、三フィートの柵をめぐらしました。

 私は毎日、十回ずつ見世物にされましたが、人々はすっかり感心して、大満足のようでした。私はこの頃、もうかなりうまく言葉が使えて、話しかけられる言葉なら、何でもわかるようになっていました。そのうえ、家にいるときも、旅行中も、いつもグラムダルクリッチが私の先生になってくれたので、この国の文字もおぼえ、ちょっとした文章なら説明することができるようになりました。彼女はポケットに小さな本を入れていました。それは若い娘たちによく読まれる本で、宗教のことが簡単に書いてあります。その本を使って、彼女は私に字を教えたり、言葉を説明してくれるのでした。


箱の中の私


 私は毎日、忙しく動きまわらされたので、二三週間もすると、とう〳〵身体の調子が変になりました。主人は私のおかげで、もうければもうけるほど、ます〳〵欲ばりになりました。私はまるで、食事も欲しくなくなり、骸骨のように痩せ細りました。主人はそれを見ると、これは死んでしまうにちがいない、と考え、これが生きているうちに、できるだけもうけておこう、と決心したようです。

 ちょうど、彼がこんなことを考えているところへ、宮廷から一人の使者がやって来ました。王妃と女官たちのお慰みにするのだから、すぐ私をつれて来い、という命令なのです。これは、女官たちの中にもう私を見物したものがあって、私の振舞いの美しいこと、賢いことなど、いろ〳〵珍しい話を申し上げていたからです。

 さて宮廷に私が引き出されると、王妃や女官たちは、私の物腰、態度を見て、大へん面白がりました。私はさっそくひざまずいて、王妃の御足にキスすることをお願いしました。しかし、慈深めぐみぶかい王妃は、手の小指を差し出されました。私はテーブルの上に置かれていたので、その小 指を両腕でかゝえて、その先にうや〳〵しく唇をあてました。

 王妃はまず、私の国や旅行について、いろ〳〵質問されました。私はできるだけ簡単に、はっきりとお答えしました。それから王妃は、宮廷に来て住む気はないか、と聞かれました。そこで、私はテーブルに頭をすりつけて、

「只今は主人の奴隷でございますが、もし、お許しが出るのでしたら、私は陛下に一身を捧げてお仕えしたいと存じます。」

 と答えました。

 すると、王妃は主人に向って、これをいゝ値段で売ってはくれないか、とお尋ねになりました。主人の方では、私がとてもあと一月とは生きていまいと思っていたところですから、

「それでは、お譲りいたしますが、金貨一千枚頂戴いたしたいと存じます。」

 と言いました。

 王妃はその場で、すぐお金を渡されました。そのとき、私は王妃に次のように、お願いしました。

「これから陛下にお仕えするにつきまして、お願いしたいことがございます。それは、今日まで私のことをよく気をつけて面倒をみてくれていたグラムダルクリッチのことです。あの人もひとつ宮廷でお召し使いになり、これからもずっと私の乳母と教師にさせていただけないでしょうか。」

 王妃はこの私の願いをすぐ許されました。が、父親の方もこれはわけなく承知しました。自分の娘が宮廷に召し出されることは、彼には願ってもない喜びでした。娘の方も、うれしさは包みきれないようでした。そこで旧主人は私に別れを告げ、

「よい御奉公をするのだよ。」

 と言いながら出て行きました。

 私は軽くおじぎしただけで、返事もしてやらなかったのです。王妃は、私のこの冷淡さに気がつかれ、どうしたのか、とお尋ねになりました。そこで、私はありのまゝを申し上げました。

「私はあの主人に畑の中で見つけ出されたのですが、そのとき、頭を打ち砕かれなかったことだけが、まあ有り難かったのです。主人は私を見世物にしたりして、さんざ大もうけしたのですから、私は主人の恩には充分報いているはずです。これまで私の送ってきた生活は、私より十倍強い動物でも、死んでしまいそうな、そんな、ひどいものでした。毎日つゞけざまの骨折りのため、私の身体は非常に弱っていました。主人はもう私が長生きしないと思ったから、陛下に売り払ったのです。

 けれども今では、自然の光、世界の愛人、人民の喜び、天地の不死鳥フェニックスであらせられる陛下に保護されましたので、もう私は悪い扱いをされる心配もなくなりました。陛下のお顔を眺めさせていたゞくだけでも、私はもう、ひとりでに元気の湧いてくる気がいたします。」

 私はざっと、こんなふうに王妃に申し上げました。王妃は私の挨拶を聞かれると、とにかく、こんな小さな動物に、こんな智恵と分別があるのを、すっかり驚かれました。そこで、王妃は掌の中に私を入れて、国王陛下の部屋のところへ、つれて行かれました。

 国王陛下は、非常にいかめしく、おも〳〵しい顔つきの方でしたが、はじめは、私の恰好が、よくおわかりにならなかったらしく、

「いつからスプラクナクなど可愛がってるのだね。」

 と、王妃にお聞きになりました。

 これは私が、王妃の右手の中にうつ伏していたので、国王は、てっきり私をスプラクナク(この国の動物)だと思われたのでしょう。

 ところが、王妃は非常に気のきいた、面白いことの好きな方でした。私をそっと書きもの机の上に置くと、ひとつ国王に身の上話をしてあげなさい、と仰せられるのです。私はごく簡単に話しました。そのとき、戸口までついて来て、私から目を離さなかったグラムダルクリッチが部屋の中に入って来ました。彼女は、私が彼女の父の家に来てから以来のことを、全部残らず、陛下に説明して聞かせました。

 国王は、この国一番の学者で、哲学や数学にくわしい方でした。はじめ、私がまだものを言わないで、まっすぐに立って歩いているのを御覧になったとき、これは誰か器用な職人が工夫して作った、ぜんまい仕掛の人形だろう、とお考えになりました。けれども、私の声を聞き、私の言うことが、一つ一つ道理に合っているのを御覧になると、さすがにびっくりされたようです。

 しかし、国王は、どうして私がこの国へ来たか、それだけは、私の説明では、どうも満足されなかったようです。これはグラムダルクリッチと父親がでっちあげた作り話だろう、よい値段で売りつけるために、二人で言葉を教え込んだのだろう、というふうにお考えになりました。それで陛下は私に向って、まだ、いろ〳〵と質問をされました。

 私はすじみちの立つ返事を申し上げました。たゞ、私の言葉にはなまりがあり、農家でおぼえたのですから、宮廷の上品な言い方ではなかったわけです。

 この国では毎週、三人の大学者が、陛下のところに集まることになっていました。陛下は、その三人の学者を呼んで、この私を研究させられました。これは一たい何だろうかと、学者たちは、しきりに首をひねって、私の形を調べていましたが、みんな、まち〳〵のことを言うのでした。

 これはどうも自然の正しい法則から生れたものではない、こんな身体では木によじのぼることも、地面に穴を掘ることもできないから、さぞ困るだろう、ということだけは、三人とも意見が合いました。

 彼等は私の歯をよく調べてみたうえで、これは肉食動物だと言いだしました。ところが、大がいの獣は私より強いのです。野鼠でも私より敏捷でした。これでは、かたつむりか虫でも食べるのでなければ、生きてゆけるとは考えられないのです。ところが、いろいろやってみても、とてもそんなものは食べないということがわかりました。

 学者の一人は、もしかすると、これはまだ産れない前の子供だろう、と言いだしました。だが、それには二人の学者がすぐ反対しました。これには手も足もちゃんとついている、それに髯まである、髯は虫眼鏡で見なければわからないが、とにかく、これは数年間は生きて来たものにちがいない、と二人の学者は言うのでした。

 学者たちは、また首をひねって言います。これは侏儒こびとでもない、侏儒なら、王妃のお気に入りのこの国第一の小人でも、身の丈三十フィートはあるが、これはもっと小さいから、侏儒とも言えない、と不思議がるのでした。そんなふうにして、いろ〳〵議論をしたあげく、三人はとう〳〵、こう決めてしまいました。これはつまり、自然がいたずらして作り出したものだろう、ということになって、私のことを、『自然の戯れ』だと彼等は言うのでした。

 こんなふうに学者たちが私を、『自然の戯れ』だと決めてしまったので、私はそれが、ひどく不服でした。そこで、私は国王陛下に申し上げました。

「どうか私の申し上げることも少し聞いてください。私はこう見えても、これでも故国に帰りさえすれば、私と同じような背丈の人間が、何百万人といるのです。そしてそこでは、動物も樹木も家も、みんな私の身体と同じ割合で、小さくなっています。ですから、私でも、その国でなら、充分自分で身を守ることもできるし、ちゃんと立派に生きてゆけるのです。」

 私はこう言って、学者たちの見当違いを正してやったつもりなのです。しかし、彼等はたゞニヤ〳〵笑うばかりで、

「あんなうまいこと言うが、農夫から教え込まれたのだろう。」

 と言うのでした。

 しかし、陛下はさすがに賢いお方でした。それで、学者たちを帰らすと、もう一度、私の旧主人の農夫を呼びにやられました。私の旧主人がやって来ると、陛下はまず御自身で、彼にいろ〳〵とお尋ねになりました。それから、その旧主人と私と娘と、三人に目の前で話させて御覧になりました。そして、これは私たちの言ってることが、ほんとかもしれない、というふうにお考えになりました。

 陛下は王妃に、私の面倒をよくみるように言いつけられました。また、私とグラムダルクリッチが非常に仲好しなのを御覧になって、私の世話はこの娘にやらせようと、お考えになりました。そこで彼女は宮中に便利な部屋を一つあてがわれました。そして、彼女の世話をするために、家庭教師の婦人が一人、それから、着物の世話をする女中が一人、いろんな雑用をする召使が二人、それだけが彼女に附き添うことになりました。けれども、私の世話は全部、グラムダルクリッチ一人がしてくれるのでした。

 王妃は、お附きの指物師さしものしに言いつけて、私の寝室になるような、一つの箱を作らせになりました。これを作るには、私とグラムダルクリッチが、いろ〳〵意見を言ったのですが、指物師はとても器用な職人でしたから、三週間もすると、私の指図したとおりに、縦横十六フィート、高さ十二フィート、それに、窓と戸口と二つの小部屋のある、木造の室を作り上げました。それはまるで、ロンドンの寝室そっくりでした。

 この寝室の天井の板は、二つの蝶番ちょうつがいで、開けたてできるようになっています。家具師が持って来た寝台を、その天井のところから入れました。寝台は毎日、グラムダルクリッチが取り出して日にあて、ちゃんと自分でとゝのえては、晩になると中に入れ、天井に錠をおろすのでした。

 それから、小さい骨董品などをこしらえるので有名な一人の職人が、象牙みたいなもので、っかかりのついた椅子を二つ、引出つきのテーブルを二つ、作ってくれました。部屋は壁も床も天井も、蒲団が張りつめてありました。この寝室を提げて持ち歩くとき、中にいる私が怪我をするといけないし、また、馬車に乗せるときに、揺れるのを防ぐために、こうしてあるのです。

 私は、鼠などの入って来ないように、扉に鍵をつけてほしいと言いました。鍛冶屋は、いろ〳〵工夫してみたうえで、これまでに類のないほど、小さな鍵を作ってくれました。イギリスにだって、紳士の家の門などには、もっと大きなのがあるはずです。私はこの鍵は自分のポケットにしまっておくことにしました。あんまり小さいので、グラムダルクリッチに持たせては、失くするかもしれないと思ったからです。

 王妃は一番薄い絹地で、私の洋服を作らせてくださいました。が、これはイギリスの毛布ぐらいの厚さで、馴れるまでにはずいぶん着心地の悪い服でした。仕立はすっかりこの国の型でしたが、ペルシャ服のようなところもあれば、支那服にも似ていて、非常にきちんとしていて重々しいものでした。

 王妃は私がすっかりお気に入りで、私がいないと食事も召し上らないほどになりました。私は王妃の食卓の上に、ちょうどその左肱ひだりひじのあたりに、私のテーブルと椅子を置いてもらうのでした。グラムダルクリッチは、私のテーブルの近くの、床の上の腰掛の上に立って、私の面倒をみてくれるのです。

 私のためには、銀の皿が一揃い、そのほかいろんな品がありましたが、これも大きさは、王妃御自身のものにくらべると、ちょうど玩具屋にある人形のお家の食器類のようなものでした。私の食器はちゃんと銀の箱に入れて、乳母さんがポケットにしまっていて、食事のときになって、欲しいというと、必ず自分で綺麗に拭いて、それから、私に渡してくれます。王妃と一しょに食事をするのは二人の王女だけで、姉の方は十六歳、妹は十三歳と一ヵ月でした。

 王妃が肉を切って、私の皿に入れてくださると、私は自分でさらに、それを小さく切って食べます。この、まゝごとのような、私の食べ方が、王妃にはとても面白かったのでしょう。というのは、王妃は、(少食の方でしたが)なにしろ、イギリスの百姓が十二人も食べられるほどのものを、一口に召し上るのです。実際この有様には、私もとき〴〵、やりきれない気持がしました。

 王妃は、雲雀の翼を、骨ごとポリ〳〵噛み砕いてしまわれますが、その翼の大きさは、七面鳥の翼の九倍からあるのです。それに、パンの一口分も、驚くほど大きなものです。

 王妃は黄金の盃で、大樽一箇分以上の飲物を、一息にお飲みになります。それから、王妃のナイフの大きさは、大鎌の二倍もあります。スプーンもフォークも、それ〴〵みな実に大きなものです。私はいつかグラムダルクリッチが、面白半分に宮廷の食卓につれて行ってくれたのを、おぼえていますが、こういう巨大な、ナイフやフォークが、十あまりも並んだ有様、こんな恐ろしい光景は、全く見たことがないと思いました。

 この国では毎週、水曜日がお休みの日なので、この日には、両陛下はじめ、王子王女殿下も、国王陛下のお部屋で一しょに食事をされることになっています。私は今では国王陛下にも、すっかりお気に入りになっていたので、この会食のときには、いつも私の椅子と食卓が、陛下の左手の塩壷の前に置かれました。

 陛下は、私と話をするのがお好きで、ヨーロッパの風俗、宗教、法律、政治、学問などについていろ〳〵、お質問になります。私もできるだけ、よくお答え申し上げるのでした。陛下は頭のいゝ方ですから、私の申し上げることが、すぐおわかりです。そして、なか〳〵賢いことをおっしゃいます。

 けれども、一度こんなことがありました。私がイギリスのことや、貿易のことや、戦争や、政党のことを、あまり、いゝ気になってしゃべりましたところ、陛下は、右手に私をつまみ上げて、左の手で静かに私をなでながら、大笑いされました。それから、陛下の後に大きな白い杖を持って控えている首相をかえりみて、こう言われました。

「人間なんて、いくら威張ったところで、つまらないものではないか。このちっぽけな虫けらでさえ、まねができるのだからな。どうだ、こんな奴等にでも、位とか称号があるというし、家とか市とか呼ぶ、ちっぽけな巣や穴なども作るらしい。それに、お洒落をしてみたり、戦争してみたり、喧嘩したり、欺いたり、裏切ったりするというのだからな。」

 と、大たいこんなふうな調子で言われましたので、自分の祖国がこんなに軽蔑されるのを聞いては、私は腹が立って、顔が真赤になってしまいました。しかし、よく〳〵考えなおしてみると、私は陛下に恥をかゝされたのかどうか、あやしくなりました。というのは、私はこうして幾月か、この国民の姿や話しぶりに馴れ、見るものがみな、この国では人間の大きさに比例して大きい、ということがわかってきたので、今では、もうはじめのように、その大きさに驚いたり恐れたりしなくなりました。ですから、今では、もしイギリスの貴族たちが晴着を着て、さも上品らしく、気どった恰好で、歩いたり、おじぎをしたり、おしゃべりしているのを見たら、私はかえって、噴き出すかもしれません。ちょうど、今この国の陛下や貴族が、私を笑ったように、私もまた、彼等を大いに笑ってやりたい気になるでしょう。

 また実際、王妃がよく私を掌に乗せて鏡の前につれて行き、私たち両方の全身を一しょに映して見せるときなど、われながら微笑させられました。全くこの滑稽な比較には、私はなんだか自分の実際の身体が、ずっと小さく縮まってくるような気がしました。

 私が一番癪にさわり、悩まされたのは、王妃のところの侏儒でした。

 彼は国中で一等背が低いので、(実際、三十フィートに足りないようでした)自分よりさらに小さなものを見ると、急に高慢になって、たとえば、私が王妃の次の間で貴族たちと話をしていると、彼はひどくふんぞり返って、私のテーブルのそばを通って行くのです。そして彼は、私の小さいことを、いつも一言二言いわねば気がすまないのでした。私は彼に向って、「おい、兄弟、相撲をとってみようか。」と言ってやったり、口でなんとかやりこめて、そんなことで仇討をしてやるのでした。

 ある日、食事のとき、この意地悪小僧は、何か私の言ったことに、かっと腹を立てると、王妃の椅子の上に跳び上り、私の腰のあたりをつかんで、まるで見境もなく、いきなりクリームの入った銀の鉢の中にほうりこむと、そのまゝ一散に逃げ出しました。私はまっ逆さに落されましたが、あのとき、もし泳げなかったら大へんでした。ちょうど、グラムダルクリッチは、そのとき、部屋の向うの方に行っていましたし、王妃は驚きのあまり、私を助けることを忘れていられました。私がしばらく鉢の中で泳ぎまわっていると、乳母さんが駈けつけて救い出してくれましたが、そのときはもうクリームをずいぶん飲んでいました。

 私はさっそくベッドに寝かされました。まあ損害といったら、着物一着がすっかり駄目になったことぐらいでした。侏儒はひどく鞭で打たれ、罰として鉢の中のクリームを全部飲まされることになりました。そしてその後、侏儒は王妃から愛想をつかされ、間もなく他の貴婦人にやってしまわれました、だからそれっきり、二度と彼の顔を見なくてすんだので、私はほっとしました。

 私は臆病者だといって、王妃からよくからかわれました。

 そして、王妃は、お前の国の者はみんなそんなに臆病なの、とよくお聞きになります。それには、ちょっと訳があるのです。この国では、夏になると、蠅が一ぱい出ます。ところが、その蠅というのが、雲雀ほどの大きさですし、この厭ったらしい虫が、食事中も、ぶん〳〵耳許で唸りつゞけるので私はちっとも落ち着けません。ときによると、食物の上にとまって、汚い汁や、卵を残してゆきます。ところが、この国の人たちの目には、それが一向に見えないのですが、私の目には実によく見えるのです。とき〴〵、蠅は、私の鼻や額にとまって痛く刺したり、厭な臭を出します。

 蠅の足の裏側には、ねば〳〵したものがくっついているので、それで、天井を逆さまに歩くことができるのだ、と、博物学者たちは言っていますが、私の目には、あのねば〳〵したものまで、実にはっきり見えるのです。私はこの憎ったらしい動物から、身を守るのに、大へん閉口しました。顔などにとまられると、思わず跳び上ったものです。ところが、侏儒の奴はいつもこの蠅を五六匹、ちょうど、小学生がよくやるように、手につかんで来ては、いきなり私の鼻の先に放すのです。これは私を驚かして、王妃の御機嫌をとるつもりなのでした。私は飛んで来る奴をナイフで斬りつけるばかりでした。この私の腕前は、みんなからほめられました。

 今でもよくおぼえていますが、ある朝、グラムダルクリッチは、私を箱に入れたまゝ、窓口に載せておいたのです。これは天気のいゝ日なら、私を外気にあてるため、いつもそうしていました。そこで、私は箱の窓を一枚あけて、食卓について、朝食のお菓子を食べていました。その匂に誘われて二十匹ばかりの地蜂が部屋の中に飛び込んで来ると、てんでに大きな唸りをたてました。

 なかには私のお菓子をつかんで、粉々にしてさらって行く奴もいるし、私の頭や顔の近くにやって来て、ゴー〳〵と唸って脅す奴もいます。しかし、私も剣を抜いて彼等を空中に切りまくりました。四匹は打ちとめましたが、あとはみんな逃げ去ったので、私はすぐ窓を閉めました。この蜂は鷓鴣しゃこぐらいの大きさでした。針を抜き取って見ると、一インチ半もあって、縫針のように鋭いものでした。私はそれを大事にしまっておいて、その後、いろ〳〵の珍品と一しょにイギリスに持って戻りました。

 こゝで私はこの国の有様をちょっと簡単に説明しておきたいと思います。

 この国は大きな半島になっていて、北東の方に高さ三十マイルの山脈がありますが、それらの山は頂上がみな火山になっているので、そこから向うへ越すことはできないのです。だから、その向うには、どんな人間がいるのか、はたして人が住んでいるのかどうか、それはどんな偉い学者にもわからないのです。国の三方は海で囲まれていますが、港というものは一つもないのです。海岸には尖った岩が一面に立ち並んでいて、海が荒いので舟で乗り出す人はいません。この国の人は他の国と行き来することはまるでないのです。大きな川には舟が一ぱい浮んでいて、魚類はたくさんいます。この国の人たちは海の魚はめったに取りません。というのは、海の魚はヨーロッパの魚と同じ大きさなので、取ってもあまり役に立たないからです。しかし、とき〴〵、鯨が巌にぶっつかって死ぬことがあります。これは捕えて、みんな喜んで食べています。

 この国は非常に人口が多くて、五十一の大都市と百近くの町や村落があります。国王の宮殿の建物は不規則に並んでいて、その周囲は七マイルあります。

 グラムダルクリッチと私には馬車が許されたので、これに乗って、市内見物に出たり、店屋に行ったものです。私はいつも箱のまゝつれて行かれるのですが、街の家々や人々がよく見えるように、彼女はたび〳〵、私を取り出して手の上に乗せてくれました。ある日、たま〳〵馬車をある店先に停めると、それを見て乞食の群が、一せいに馬車の両側に集って来ました。これは実にもの凄い光景でした。胸におできのできた女が一人いましたが、とても大きく脹れ上っていて、一面に孔だらけなのです。その孔というのが、私の身体など潜り抜けることができそうな奴です。だが何よりたまらなかったのは、彼等の着物を這いまわっている虱でした。それがちょうど、あのヨーロッパの虱を顕微鏡で見るときよりも、もっとはっきり肉眼で見えます。そして、あの豚のように嗅ぎまわっている鼻など、こんなものを見るのは、はじめてゞした。

 いつも私を入れて歩いていた箱のほかに、王妃は、旅行用として、小さい箱を一つ作らせてくれました。今までのは、グラムダルクリッチの膝には少し大き過ぎたし、馬車で持ち運ぶにも少しかさばり過ぎたからです。この旅行用の箱は、正方形で、三方の壁に一つずつ窓があり、どの窓にも外側から鉄の針金の格子がはめてあります。一方の壁には窓がなくて、二本の丈夫な留金がついています。私が馬車で行くときには、乗手がこれに革帯を通して、しっかり腰に結びつけるのです。

 こんなふうにして、私は国王の行列に加わったり、宮廷の貴婦人や大臣を訪問したりしました。というのも、両陛下のおかげで、私は急に大官たちの間で有名になってきたからです。旅行中もし馬車にあきると、召使が彼の前の蒲団の上に箱を置いてくれます。そこで、私は三つの窓から外の景色を眺めるのでした。この箱には、折り畳みのできるベッドが一つ、ハンモックが一つ、椅子が二つ、テーブルが一つ、それ〴〵、床板にねじで留めて、馬車が揺れても動かないようにしてありました。私は長い間、航海に馴れていたので、馬車の揺れるのも、わりに平気でした。


猿にからかわれて


 私は身体が小さいために、とき〴〵、滑稽な出来事に会いました。

 グラムダルクリッチは、よく私を箱に入れて、庭につれ出し、そしてときには、箱から出して手の上に乗せてみたり、地面を歩かせてみたりしていました。あるとき、それはまだあの侏儒が宮廷にいた頃のことですが、彼が庭までついてやって来たのです。ちょうど、彼と私のすぐ傍に、盆栽の林檎の木がありました。この盆栽と侏儒を見くらべていると、なんだかおかしくなったので、私はちょっと、彼を冷やかしてやりました。すると、このいたずら小僧は、私が林檎の木蔭を歩いている隙をねらって、頭の上の木を揺さぶりだしました。たちまち、十あまりの林檎が頭の上に落ちかゝりましたが、これがまた酒樽ほどもある大きさなのです。かゞもうとするところへ、その一つが背中にあたり、私は前へのめってしまいました。しかし幸いに怪我はなかったのです。

 ある日、グラムダルクリッチは、私を芝生の上におろして、ひとり遊ばしておき、自分は家庭教師と一しょに、少し離れたところを歩いていました。すると、にわかに猛烈なあられが降ってきて、私はたちまち地面にたゝきつけられました。霰はまるでテニスの球でも投げつけるように、全身に打ち込んでくるのです。しかしやっと四這いになって、レモンの木蔭に這い込み、私は顔を伏せていました。だが、頭のてっぺんから、足の先まで、傷だらけになって、十日ばかりは外出もできなかったのです。

 しかし、これは少しも驚くことではないのです。この国では、何もかも同じ割合に大きいのですから、霰粒一つでもヨーロッパの霰の千八百倍はあります。これは、私がわざわざ秤にかけて計ってみたのですから、たしかです。

 しかし、もっと危険な事が、この庭園で起ったことがあります。私は一人で考えごとをしたいので、とき〴〵、一人にしてくれと頼むのですが、乳母さんは私を安全な所へ置いたつもりで、ほかの人たちと一しょに、庭園のどこか別のところへ行っていました。ちょうど、その留守中のことでした。園丁が飼っているスパニエル犬が、どうしたはずみか、庭園に入り込んで来て、私の寝ている方へやって来たのです。私の匂を嗅ぎつけると、たちまち飛んで来て、私をくわえると、尻尾を振りながら、ドン〳〵、主人のところへ駈けつけて行って、そっと、私を地面に置きました。運よく、その犬は、よく仕込まれていたので、歯の間にくわえられながらも、私は怪我一つせず、着物も破れなかったのです。

 だが、園丁はすっかりびっくりしてしまい、私をそっと両手に抱き上げて、怪我はなかったかと尋ねます。彼は私をよく知っていて、前から私にはいろ〳〵親切にしてくれていた男です。けれども、私は驚きで息切れがしてしまっているので、まだなか〳〵口がきけません。それから、二三分して、やっと私が落ち着くと、彼は乳母のところへ、私を無事にとゞけてくれました。

 乳母は、さきほど私を残しておいた場所に戻ってみると、私がいないし、いくら呼んでみても、返事がないので、気狂のようになって探しまわっていたところでした。それで、今、園丁を見つけると、

「そんな犬飼っておくのがいけないのです。」

 と、ひどく彼を叱りつけました。

 これは面白かったとも、癪にさわったともいえることなのですが、私が一人で歩いていると、小鳥でさえ、私を怖がらないのです。まるで、人がいないときと同じように、私から一ヤードもないところを、平気で、虫や餌を探して、跳びまわっていました。あるときなど、一羽のつぐみが、実にずう〳〵しいつぐみで、私がグラムダルクリッチからもらった菓子を、ひょいと、私の手からさらって行ってしまいました。捕えてやろうとすると、相手はかえって私の方へ立ち向って来て、指をつつこうとします。それで、私が指を引っ込めると、今度は、平気な顔で、虫やかたつむりをあさり歩いているのでした。

 だが、ある日とう〳〵、私は太い棍棒を持ち出して、一羽の紅雀めがけて力一ぱい投げつけると、うまく命中して、相手は伸びてしまいました。でさっそく、首の根っ子をつかまえ、乳母のところへ喜び勇んで、持って行こうとしました。

 ところが、鳥はちょっと目をまわして気絶していただけなので、じきに元気を取り戻すと、両方の翼で、私の顔をポカ〳〵なぐりだしました。爪で引っ掻かれないように、私は手をずっと前へ伸してつかまえていたのですが、よっぽどのことで、もう放してしまおうかと思ったのです。しかし、そこへ、召使の一人がかけつけて来て、鳥の首をねじ切ってしまいました。そして翌日、私はそれを料理してもらって食べました。

 王妃は、私から航海の話を聞いたり、また私が陰気にしていると、いつもしきりに慰めてくださるのでしたが、あるとき私に、帆やオールの使い方を知っているか、少し舟でも漕いでみたら、健康によくはあるまいか、とお尋ねになりました。

 私は、普通の船員の仕事もしたことがあるので、帆でもオールでも使えます、とお答えしました。だが、この国の船では、どうしたものか、それはちょっとわかりませんでした。一番小さい舟でも、私たちの国の第一流の軍艦ほどもあるので、私に漕げるような船は、この国の川に浮べられそうもありません。しかし王妃は、私がボートの設計をすれば、お抱えの指物師にそれを作らせ、私の乗りまわす場所もこさえてあげる、と言われました。

 そこで、器用な指物師が、私の指図にしたがって、十日かゝって、一艘の遊覧ボートを作り上げました。船具も全部そろっていて、ヨーロッパ人なら、八人は乗れそうなボートでした。それが出来上ると、王妃は非常に喜び、そのボートを前掛に入れて、国王のところへかけつけました。国王は、まず試しに、私をそれに乗せて、水桶に水を一ぱい張って浮かせてみよ、と命じられました。しかし、そこの水桶では狭くて、うまく漕げませんでした。

 ところが、王妃は、ちゃんと前から、別の水槽を考えていられたのです。指物師に命じて、長さ三百フィート、幅五十フィート、深さ八フィートの、木の箱を作らせ、水の漏らないように、うまく目張りして、宮殿の部屋の壁際に置いてありました。水は、二人の召使が、半時間もかゝればすぐ一ぱいにすることができます。そして、その箱の底には栓があって、水が古くなると抜けるようになっていました。

 私はその箱の中を漕ぎまわって、自分の気晴しをやり、王妃や女官たちを面白がらせました。彼女たちは、私の船員姿を大へん喜びます。それにとき〴〵、帆を上げると、女官たちが扇で風を送ってくれます。私はたゞ舵をとっていればいゝわけでした。彼女等があおぐのに疲れると、今度は侍童たちが口で帆を吹くのです。すると、私はおも舵を引いたり、とり舵を引いたりして、思うまゝに乗りまわすのでした。それがすむと、グラムダルクリッチは、いつも私のボートを自分の部屋に持って帰り、釘にかけて、かわかすのでした。

 この水箱は、三日おきに水を替えることになっていましたが、あるとき、水を替える役目の召使が、うっかりしていて、一匹の大蛙を手桶から一しょに流し込んでしまいました。はじめ、蛙はじっと隠れていたのですが、私がボートに乗り込むと、うまい休み場所が出来たとばかりに、ボートの方に這い上って来ました。船はひどく一方へ傾くし、私はひっくりかえらないように、その反対側によって、うんと力を入れていなければなりません。

 いよ〳〵ボートの中に入り込んで来ると、いきなりボートの半分の長さを、ひょいと跳び越し、それから私の頭の上を前や後へしきりに跳び越えるのです。そしてそのたびに、蛙はあの厭な粘液を、私の顔や着物に塗りつけるのです。その顔つきの大きなことゝいったら、こんな醜い動物が世の中にいたかと驚かされます。しかし、私がオールの一本を取って、しばらく打ちのめしてやっているうちに、蛙はとう〳〵、ボートから跳び出してしまいました。

 私がこの国で一番あぶない目に会ったのは、宮廷の役人の一人が飼っていた猿が、私にいたずらしたときのことです。

 ある日、グラムダルクリッチは、用たしに出かけて行くので、私の箱を自分の部屋に入れて、鍵をおろしておきました。大へん暑い日でしたが、部屋の窓は開け放しになっており、私の住まっている箱の戸口も窓も、開け放しになっていました。私が机に向って、静かにものを考えていると、何か窓から跳び込んで、部屋の中をあちこち歩きまわるような音がするのです。私はひどく驚きましたが、じっと椅子に坐ったまゝ、見ていました。

 今、部屋に入って来た猿は、いゝ気になって、はねまわっているのでした。そのうちに、とう〳〵猿は私の箱のところへやって来ました。彼は、この箱がよほど気に入ったのか、さも面白く珍しそうに戸口や窓から、いち〳〵のぞきこむのです。

 私は箱の一番奥の隅へ逃げ込んでいましたが、猿が四方からのぞきこむので、怖くてたまりません。すっかりあわてゝいたので、ベッドの下に隠れることにも気がつかなかったのです。猿は、のぞいたり、歯を向き出したり、ムニャ〳〵しゃべったりしていましたが、とう〳〵、私の姿を見つけると、ちょうどあの猫が鼠にするように、戸口から片手を伸してきました。私はうまく避けまわっていたのですが、とう〳〵上衣の垂れをつかまれて、引きずり出されました。

 彼は私を右手で抱き上げると、ちょうどあの乳母が子供に乳房をふくませるような恰好で私をかゝえました。私があがけばあがくほど、猿は強くしめつけるので、これは、じっとしていた方がいゝと思いました。一方の手で、猿は何度も、やさしげに私の顔をなでてくれます。てっきり私を同じ猿の子だと感違いしてるのでしょう。こうして、彼がすっかりいゝ気持になっているところへ、突然、誰か部屋の戸を開ける音がしました。すると、彼は急いで窓の方へ駈けつけ、三本足でとっとゝ歩きながら、一本の手では私を抱いたまま、樋を伝って、とう〳〵隣りの大屋根までよじのぼってしまいました。

 猿が私をつれて行くのを見ると、グラムダルクリッチは「キャッ」と叫びました。彼女は気狂のようになってしまいました。それから間もなく、宮廷は大騒ぎになったのです。召使は梯子を取りに駈けだしました。猿は屋根の上に腰をおろすと、まるで赤ん坊のように片手に私を抱いて、顎の袋から何か吐き出して、それを私の口に押し込もうとします。

 そして今、屋根の下では数百人の人々が、この光景を見上げているのです。私が食べまいとすると、猿は母親が子をあやすように、私を軽く叩くのです。それを見て、下の群衆はみんな笑いだしました。実際、これは誰が見ても馬鹿々々しい光景だったでしょう。なかには猿を追うつもりで、石を投げるものもいましたが、これはすぐ禁じられました。

 やがて梯子をかけて、数人の男がのぼって来ました。猿はそれを見て、いよ〳〵囲まれたとわかると、三本足では走れないので、今度は私を瓦の上に残しておいて、一人でさっと逃げてしまいました。私は地上三百ヤードの瓦の上にとまったまゝ、今にも風に吹き飛ばされるか、目がくらんで落ちてしまうか、まるで生きた心地はしませんでした。が、そのうちに召使の一人が、私をズボンのポケットに入れて、無事に下までおろしてくれました。

 私はあの猿が私の咽喉に無理に押し込んだ何か汚い食物のため、息がつまりそうでした。しかし、私の乳母が小さい針で一つ〳〵それをほじくり出してくれたので、やっとらくになりました。だが、ひどく身体が弱ってしまい、あの動物に抱きしめられていたため、両脇が痛くてたまりません。私はそのため二週間ばかり病床につきました。王、王妃、そのほか、宮廷の人たちが、毎日見舞いに来てくれました。猿は殺され、そして今後こんな動物を宮廷で飼ってはならないことになりました。

 病気が治ると、私は王にお礼を申し上げに行きました。王はうれしそうに、今度のことをさんざ、おからかいになるのでした。猿に抱かれていた間どんな気持がしたか、あんな食物の味はどうだったか、どんなふうにして食べさすのか、などお尋ねになります。そして、あんな場合、ヨーロッパではどうするのか、と言われます。そこで、私は、

「ヨーロッパには猿などいません。いてもそれは物好きが遠方からつかまえて来たもので、そんなものは実に可愛らしい奴です。そんなのなら十二匹ぐらい束になってやって来ても、私は負けません。なに、この間のあの大きな奴だって、あれが私の部屋に片手を差し込んだとき、あのときも私は平気だったのです。私がほんとに怖いと思ったら、この短剣で叩きつけます。そうすれば、相手に傷ぐらい負わせて、手を引っ込めさせたでしょう。」

 と、私はきっぱり申し上げました。

 けれども、私の言うことに、みんなはどっと噴きだしてしまいました。これで私はつく〴〵考えました。はじめから問題にならないほど差のある連中の中で、いくら自分を立派に見せようとしても駄目だということがわかりました。

 国王は非常に音楽が好きで、だから、よく宮廷では音楽会がありました。私もとき〴〵、つれて行かれて、テーブルの上に箱を置いてもらって聞いたものですが、なにしろ大へんな音で、曲も何もわからないのです。軍楽隊の太鼓とラッパをみんな持って来て耳許で鳴らすより、もっと凄い騒がしさです。ですから、私はいつも一番遠いところに箱を置いてもらい、扉も窓もすっかり閉め、カーテンまでおろします。そうすると、それでまず、どうにか聞けるのでした。

 国王はまた非常に賢い方でしたが、よく私を箱のまゝつれて来て、陛下のテーブルの上に置かれます。私は椅子を一つ持って、箱から出て来ると、陛下の近くの箪笥の上に坐ります。そこで、私の顔と陛下の顔が向い合いになります。こんなふうにして、私たちは何度も話し合いましたが、ある日、私は思いきって、こんなことを申し上げました。

「一たい陛下がヨーロッパなどを軽蔑なさるのは、どうも賢い陛下に似合わぬことのようです。智恵はなにも身体の大きさによるものではありません。いや、あべこべの場合だってあるようです。蜜蜂とか蟻とかは、ほかのもっと大きな動物たちよりも、はるかに勤勉で、器用で、利口だと言われています。私なども、陛下は取るに足りない人間だとお考えでしょうが、これでも、いつか素晴しいお役に立つかもしれません。」

 陛下は、私の話を一心に聞いておられましたが、前よりよほど私をよくわかってくださるようでした。そして、

「それではひとつ、イギリスの政治について、できるだけ正確に話してもらいたい。」

 と仰せになりました。

 そこで、私はわが祖国の議会のこと、裁判所のこと、人口について、宗教について、或いは歴史のことまで、いろ〳〵とお話し申し上げることになりました。私は王に何回もお目にかゝって、毎回数時間、この話をお聞かせしたのですが、王はいつも非常に熱心に聞いてくださいました。そして、ノートには、一つ〳〵、後で質問しようと思われるところや、私の話の要点を書き込んでおられました。

 ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。

「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三四百年前に、ある粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているのです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てゝ、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。

 で、もし、この粉を真鍮しんちゅうか鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな奴を打ち出すと、一度に軍隊を全滅さすことも、鉄壁を破ったり、船を沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛で敵に向って放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。

 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいゝか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいゝでしょうが、こうした奴を二三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、二三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」

 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまわれたようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。

「よくも〳〵お前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱けるものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」

 王御自身は、科学に興味を持たれ、自然に関する発見など非常に喜ばれたのですが、このことばかりは、頑として許されないのでした。


鷲にさらわれて


 私は、いつかは自由の身になりたい、という気持を、いつも持っていました。しかし、どうしたら自由になれるのか、それはまるでわかりませんでした。私にできそうな工夫はてんで見つからないのです。この国の海岸に吹きつけられた船は、後にも前にも、私の乗って来た船のほかに、誰も見たことはありません。しかし国王は、もし万一またほかの船が現れたら、すぐ海岸へ引っ張って来て、船長や乗客を手押車に乗せてつれて来るようにと、言い渡されていました。

 国王は、私に私と同じ大きさの女を妻にさせて、私たちの子供をふやしてみたい、と熱心に望まれていました。しかし私は、馴れたカナリヤのように籠の中で飼われたり、国中の貴族たちの慰みに売られるために、子供をつくるくらいなら、そんな恥かしい目に会うよりか、死んだ方がましだと思っていました。それに、国に残してきた家庭のことも忘れることができませんでした。もう一度、気らくに話のできる人間の中に帰り、街や野を歩くときも、蛙や犬の子みたいに踏みつぶされる心配なしに歩きたかったのです。しかし私は、たま〳〵思いがけないことから、全くうまく、こゝの国を離れることができたのです。それを次にお話しいたしましょう。

 それは私がこの国へ来て二年が過ぎ、ちょうど三年目のはじめ頃のことでした。グラムダルクリッチと私は、国王と王妃のお供をして、南の海岸の方へ行きました。私はいつものように、旅行用の箱に入れられていました。ハンモックを天井の四隅から絹糸で吊し、旅行中はよくこれで眠ることにしました。

 いよ〳〵海岸に着くと、国王はその海岸からあまり遠くないところにある離宮で数日間、お過しになることになりました。グラムダルクリッチも私も、へと〳〵に疲れていました。私も少し風邪をひいていましたが、グラムダルクリッチは非常に加減が悪いので、部屋で休んでいなければならなかったのです。私はなんとかして海へ行ってみたいと思いました。海へ行けば、この国から逃げ出す工夫が見つかるかもしれません。そこで、私は身体工合の悪いことを訴えて、ひとつ海岸へ行っていゝ空気が吸いたいのですが、行かせてください、と頼みました。そして、私と一しょに侍童がついて行ってくれることになりました。しかし、グラムダルクリッチは、私が海へ行くのを喜びませんでした。別れるとき、彼女は何か虫が知らせるのか、しきりに涙を流していました。

 侍童は、私を箱に入れて、宮殿から半時間ほどの道を歩いて、海岸の岩のところへ来ました。私は頼んで下におろしてもらうと、窓を一枚開けて、海の方をじっと眺めていました。そのうち、少し気分が悪くなったので、ハンモックの中で昼寝してみたい、と侍童に言いました。すると、彼は寒気の入らないように、窓を閉めてくれました。私はハンモックの中で、すぐ眠りに陥ちました。

 ところで、侍童は私が眠っている間に、まさか危険も起るまいと思って、岩の間へ鳥の卵でも探しに出かけたらしいのです。というのは私が眠る前から、彼は卵を探しまわっていたし、岩の割目から一つ二つ拾い上げている姿を、私は窓から見ていたからです。それはともかくとして、私がふと箱の中で目をさまして見ると、驚きました。箱の上についている鉄の環を誰かゞ、ぐい〳〵引っ張っているのです。と、つゞいて私の箱は空高く引き上げられ、猛烈な速さで前へ走って行くような気がしました。はじめ私は、ハンモックがひどく揺れて、落っこちそうになりましたが、その後はずっと静かになりました。二三度声を張り上げて呼んでみましたが、誰も答えてくれません。窓の方へ目をやって見ると、目にうつるものは雲と空ばかり、そして私のすぐ頭の上で、何か羽ばたきのような物音が聞えるのでした。

 で、私は自分がどんなことになっているのか、わかりかけました。今、一羽の鷲が、私の箱をくわえているのですが、これはちょうどあの亀の子をつかまえたときするように、やがて箱を岩の上に落して割り、私の身体をほじくり出して食うつもりなのでしょう。というのは、鷲はよく臭を嗅ぎつける鳥ですから、たとえ獲物が上手に隠れていても、すぐ見つけ出すので、私が箱の中にいることも、ちゃんともう知っているにちがいありません。

 しばらくして、羽音が烈しくなったかと思うと、箱はまるで風の中の看板のようにひどく揺れだしました。と今度は何かズシンと鷲にぶっつかる音がして、突然、私はまっ逆さまに落ちて行くのを感じました。恐ろしい速さで、ほとんど息もできないくらいでした。それから一分ぐらいたつと、私の耳にはゴー〳〵とナイヤガラの滝のような音がして、何か凄いものに箱がぶつかっているように思えました。ふと、落ちてゆくのがやんだかとおもうと、あたりは真暗になりました。

 それから一分もすると、こんどは箱がどん〳〵上にあがってゆき、窓の方から光が見えだしました。それで海の中へ落ちたことがはじめてわかりました。箱は私の身体や家具などの重みで、水の中に浸りながら浮いています。

 私はそのとき、こう思いました。これはたぶん、箱をさらって逃げた鷲が、仲間の二三羽に追っかけられたのでしょう。そして、お互に箱の獲物を争い合っているうちに、思わず鷲は箱を放したのでしょう。この箱の底には鉄が張ってあるため、海に落ちても壊れなかったのです。部屋はぴったり、しまっていたので、水にも濡れなかったのです。そこで、私はハンモックからおりると、まず天井の引窓を開けて空気を入れ替えました。

 私の箱は今にもバラ〳〵になるかもしれないのでした。大きな波一つで、箱はすぐひっくりかえるかもしれませんし、窓ガラス一つ壊れただけで駄目になります。こんな、あやうい状態で、私の箱は四時間ばかりたゞよっていました。ところが、この箱の窓のない側に、そのときふと何か軋むような音が聞えました。それから間もなく、何か私の箱が、海の上を引っ張られているような気がしました。とき〴〵、グイと引かれたかとおもうと、窓の上あたりまで波が見えて、部屋の中が暗くなります。これは助かるのかしらと、ふと私は希望が湧いてきました。そこで、私はできるだけ口を窓に近づけて、大声で助けを呼んでみました。それからステッキの先にハンカチを結んで、穴から出して振ってみました。もし船でもそばにいるのなら、この箱の中に私がいることを知ってもらいたかったからです。

 しかし何の手応えもないのでした。たゞ、部屋がドン〳〵動いて行っていることだけが、はっきりわかります。それから一時間ばかりして、突然、私の箱に何か固いものが突きあたりました。と、箱の屋根の上に綱を通すような物音が聞えてきました。それから、そろ〳〵と箱は引き上げられるようでした。私はステッキの先のハンカチを振り、声をかぎりに呼んでみました。すると、それに答えて大きな叫び声が二三度繰り返されてきました。やがて頭の上で足音がしたかとおもうと、誰か穴の口から大声で、

「誰かいるなら返事をしろ。」

 とどなりました。相手は英語で言ってくれてるのです。

「私はイギリス人です。今こゝでひどい目に会っているのです。何とかうまく助け出してください。」

 と、私は一生懸命、頼みました。

「もう大丈夫だ。箱は本船にくゝりつけたし、今すぐ大工が屋根に穴をあけて出してやるから。」

 と外では言っています。

「そんなことしなくてもいゝのですよ。それより早く誰かチョイとこの箱を指でつまみあげて、船長室へ持って行ってください。」

 私がこう答えると、船員たちは私を気狂だと思ったらしく、大笑いしていました。大工がやって来て、箱に穴をあけ、そこから私は救い出され、本船に移されました。

 船員たちはみな驚いて、いろんなことを尋ねますが、私はもう答える気もしないのでした。こんな大勢の小人を見て、私の方も驚いてしまったのです。なにしろ長い間、あの大きな人間ばかり見つけてきたので、船長たちが小人のように思えるのです。私が今にも気絶しそうな顔をしているので、船長は気つけ薬を飲ませてくれました。それから船長室に私をつれて行き、「まあ一寝入りしなさるんですね。」と言ってくれました。

 私は数時間眠って、すっかり元気を取り戻しました。起きたのは夜の八時頃でした。船長は、私が長い間食事をしていないだろうと思って、すぐ晩食を言いつけてくれました。私がもう気狂じみた目つきをしたり、変なことをしゃべらなくなったのを見ると、彼は大へん親切にしてくれました。一たいどこへ行ったのか、またどうしてあんな大きな箱に入れられて流されたのか、ひとつ話してくれと言います。

 船長の話では、正午頃、望遠鏡をのぞいていると、あの箱が眼にうつったので、最初は船だと思ったそうです。それからボートを出して近づいてみると、家が泳いでいるというので、みんなびっくりしました。本船の方へ引っ張り上げようとしていると、ちょうどそのときハンカチのついた棒を穴から突き出す者があるので、これはきっと誰か不幸な人間がとじこめられているにちがいない、と思ったのだそうです。

「それでは一番はじめ私を見つけた頃、何か大きな鳥でも空を飛んでいるのを見かけなかったでしょうか。」

 と私は尋ねてみました。

「あ、あのとき、鷲が三羽北を指して飛んでいました。でも別に普通の鷲と変ったところはなかったようです。」

 と一人の船長が答えました。

 だが、それは非常に高く飛んでいたので、小さく見えたのでしょう。どうも私の尋ねたり言ったりすることは、みなに合点がゆかないようでした。私はイギリスを出発したときから、今までのことを、ありのまゝ話して聞かせました。それから、あの国で集めた珍しい品を見せてやりました。王の髯で作った櫛や、王妃の親指の爪を台にして作った櫛や、一フートもある縫針や、地蜂の針や、王妃の金の指輪や、そのほか、いろ〳〵のものを取り出して見せてやりました。

 この船はトンキンに行って、いまイギリスへ帰る途中なのでした。航海は無事にすゝみ、一七〇六年六月三日に故国の港に戻りました。そこで、私は船長に別れを告げると、家の方へ向いました。

 途々、小さな家や、木や、家畜や、人間などを見ると、なにかリリパットへでも来たような気がします。行き会う人ごとに、なんだか踏みつけそうな気がして、私は、

「退け! 退け。」

 とどなりつけました。

 私の家へ帰ってみると、召使の一人が戸を開けてくれましたが、私はなんだか頭をぶつけそうな気がして、身体をかゞめて入りました。妻が飛んでやって来ましたが、私は彼女の膝より低くかゞんでしまいました。娘もそばへやって来ましたが、なにしろ長い間、大きなものばかり見なれた眼には、ヒョイと片手で娘をつかんで持ち上げたいような気がしました。召使や友人たちも、みんな私には小人のように思えるのでした。こういう有様ですから、はじめ人々は、私を気が違ったものと思いました。しかし間もなく、私もこゝに馴れて、家族とも友人とも、お互にわかり合うことができました。





第三、飛島(ラピュタ)





変てこな人たち


 私が家に戻ると間もなく、ある日、『ホープウェル号』の船長が訪ねて来ました。それからたび〳〵彼はやって来るようになりましたが、いろ〳〵話し合っているうちに、私はまた、船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも会いましたが、それでも、まだ海へ出て外国を見たいという気持が強かったのです。

 そこで、私は一七〇六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それから、トンキンに行ったのですが、こゝで、私は船長と別れて、別の船に乗り、十四人の船員をつれて出帆しました。

 出帆して三日もたゝないうちに、暴風雨に会い、船は北へ東へと、流されていました。その後、天気がよくなったかと思うと、私たちの船は二隻の海賊船に見つかり、たちまち追いつかれてしまいました。

 海賊どもは、両方の船から、一せいに乗り込んで来ました。海賊どもは、恐ろしいけんまくで、手下の先頭に立って入って来ましたが、私たちがおとなしくひれ伏しているのを見ると、丈夫な縄で、一人残らずしばりあげ、番人を一人つけておいて、そのまゝ彼等は船中を探しに行きました。

 海賊の中に、一人のオランダ人がいましたが、私たちを今に海の中にほうりこんでやるぞ、と言っていました。海賊船の一隻の方は、日本人が船長でした。その男は私のところへやって来て、いろんな質問をするので、私は一つ〳〵、ていねいに答えました。すると彼は、命だけは助けてやる、と言いました。やがて、私は小さな舟に一人乗せられ、八日分の食物を与えられ、そして、どこへでも一人で勝手に行くがいゝ、と海へ放されました。

 海賊船を離れて、しばらく行くと、私は望遠鏡で島影を五つ六つ見つけました。そこでとにかく一番近い島へ漕ぎつけるつもりで、帆を張りました。すると三時間ばかりで、その島へ着きました。見ると、海岸は岩だらけなのです。だが、鳥の卵がたくさん見つかったので、火をおこして枯草を燃やし、卵を焼いて食べました。その晩は、岩の陰に木の葉を敷いて寝ましたが、よく眠れました。

 翌日は次の島へ渡りました。それからまた次々へと渡って行きました。そして五日目に、私はまだ見残していた島の方へ向いました。

 その島は、思ったより遠く、渡るのに、五時間もかゝりました。私はぐるりと島を一まわりしてみて、上陸するのに都合のいゝ所を見つけました。

 上ってみると、あたりは岩だらけで、たゞ、ところ〴〵に、雑草や、香のいゝ薬草などが生えています。私は食物を取り出して、腹ごしらえをすると、残りは洞穴の中にしまっておきました。それから岩の上で卵を拾ったり、乾いた枯草を集めました。私は明日はひとつ、これに火をつけて、卵を焼いておこうと思いました。その夜は、食物をしまいこんだ洞穴に入って、拾い集めた枯草の上で寝ました。けれども、私は心配でなか〳〵眠れなかったのです。

 こんな無人島で、どうして生きてゆけるでしょう。いずれ私はみじめな死に方をしなければならないのです。こんなことを考えていると、私はぐったりしてしまって、立ち上る元気も出なかったのです。それでも、気を取りなおして、やっと洞穴から這い出ましたが、そのときには、もう日が高くのぼっていました。私はしばらく、岩の間を歩きまわりました。

 空には雲一つなく、太陽がギラ〳〵照りつけるので、まぶしくて顔をそむけていました。

 そのときでした。突然、あたりが暗くなったのです。しかも、これは太陽が雲にさえぎられたときの暗さとは違っていました。振り返って見ると、これはまたどうしたことでしょう。今、私と太陽との間に、何か途方もなく大きなものが、ずん〳〵島の方へ向って進んで来るのです。高さは二マイルばかりありそうでした。そして、六七分間というものは、すっかり、太陽を隠してしまいました。

 やがて、その物は私の真上に来ましたが、見ると、どうもそれは固い塊りのようで、底の方が平たくなっているのです。ちょうどそのとき、私は二百ヤードばかりの高い丘の上に立っていたのですが、やがて、その大きな物はずん〳〵下にさがって来ました。そして、私から一マイルとは離れていない眼の前に見えて来たのです。私はさっそく、望遠鏡を取り出して眺めました。その物体の斜面には、たくさんの人間が上下に動きまわっているのです。その姿がはっきりと見えるのです。たゞ、何をしているのかは、わかりませんでした。

 私は、今、空に浮んでいるその島が、どちら側へ動きだすかと、じっと眺めていました。が、間もなく、島はこちらの方へ近づいて来たのです。見ると、その側面には、通路が何段にも分れていて、ところ〴〵に階段があって、のぼりおりできるようになっています。一番下の通路では、数人の男が長い釣竿で魚釣をしているし、それをそばから眺めている男もいます。

 私はその島に向って、帽子とハンカチを振りましたが、いよ〳〵近づいて来たので、声をかぎりに叫んでみました。そのうちに、向うでは、私の一番よく見える側へ、人々がぞろ〳〵集って来ました。そして、彼等は今しきりに私の方を指さしながら、互に顔を見合せているのです。と、四五人の男が階段を駈け上って行ったかと思うと、そのまゝ見えなくなりました。これはきっと誰か偉い人のところへ私のことを告げに行ったのだろう、と私は考えました。そして、それはそのとおりでした。

 人の数が次第にふえてきました。それから半時間ばかりすると、島は上の方へのぼって行き、一番下の道路が、私の立っている丘から、百ヤードぐらいのところに、真正面に見えてきました。私は一生懸命、救いを求めるように話しかけてみましたが、何とも答えてくれません。私のすぐ前に立っている人々は、その身なりで、偉い方らしく思われました。私の方を見ては、何かしきりに相談しているようでしたが、ついに、その一人が、上品な言葉で、何か呼びかけました。私もさっそく、返事しました。が、どちらも、言葉はまるで通じません。たゞ、私がひどく困っていることだけは、身振りで、わかってくれました。

 相手は私に、岩からおりて海岸の方へ行け、と合図しました。で、私はそのとおりにしました。すると、その飛ぶ島は、ちょうど、私の頭の上に、その縁が近づいて、一番下の通路から、一本の鎖がする〳〵とおりてきました。鎖の先には、腰掛が一つついています。私がそれに乗ると、鎖はそのまゝ巻き上げられてゆきました。

 私がその島へおりると、すぐ大勢の人々が私を取り囲みました。見ると、一番前に立っているのが、どうも上流の人々のようでした。彼等は私を眺めて、ひどく驚いている様子でしたが、私の方も、すっかり驚いてしまったのです。なにしろ、その恰好も、服装も、容貌も、こんな奇妙な人間を私はまだ見たことがなかったからです。

 彼等の頭はみんな、左か、右か、どちらかへ傾いています。目は、片方は内側へ向き、もう一方は真上を向いているのです。上衣は、太陽、月、星などの模様に、提琴フィドル横笛フリュート竪琴ハープ喇叭トランペット六弦琴ギター、そのほか、いろんな珍しい楽器の模様を交ぜています。それから、召使の服装をした男たちは、短い棒の先に、膀胱をふくらませたものをつけて持ち歩いています。そんな男たちも、だいぶいました。これはあとで知ったのですが、この膀胱の中には、乾いた豆と小石が少しばかり入っています。

 ところで、彼等は、この膀胱で、傍に立っている男の口や耳を叩きます。これは、この国の人間は、いつも何か深い考えごとに熱中しているので、何か外からつゝいてやらねば、ものも言えないし、他人の話を聞くこともできないからです。そこで、お金持は、叩き役を一人、召使としてやとっておき、外へ出るときには、必ずついて行きます。召使の仕事というのは、この膀胱で、主人やお客の耳や口を、静かに代る〴〵、叩くことなのです。また、この叩き役は主人に附き添って歩き、とき〴〵、その目を軽く叩いてやります。というのは、主人は考えごとに夢中になっていますから、うっかりして、崖から落っこちたり、溝にはまりこんだりすることがあるかもしれないからです。

 ところで、私はこの国の人々に案内されて、階段を上り、島の上の宮殿へつれて行かれたのですが、そのとき、私は、みんなが何をしているのか、さっぱり、わかりませんでした。階段を上って行く途中でも、彼等は考えごとに熱中し、ぼんやりしてしまうのです。そのたびに、叩き役が、彼等をつゝいて、気をはっきりさせてやりました。

 私たちは宮殿に入って、国王の間に通されました。見ると、国王陛下の左右には、高位の人たちが、ずらりと並んでいます。王の前にはテーブルが一つあって、その上には、地球儀や、そのほか、種々さま〴〵の数学の器械が一ぱい並べてあります。なにしろ今、大勢の人がどか〳〵と入ったので、騒がしかったはずですが、陛下は一向、私たちが来たことに気がつかれません。陛下は今、ある問題を一心に考えておられる最中なのです。私たちは、陛下がその問題をお解きになるまで、一時間ぐらい待っていました。

 陛下の両側には、叩き棒を待った侍童が、一人ずつついています。陛下の考えごとが終ると、一人は口許を、一人は右の耳を、それ〴〵軽く叩きました。

 すると陛下は、まるで急に目がさめた人のように、ハッとなって、私たちの方を振り向かれました。それでやっと、私たちの来たことを気づかれたようです。陛下が、何か一言二言言われたかとおもうと、叩き棒を持った若者が、私の傍へやって来て、静かに私の耳を叩きはじめました。私は手まねで、そんなものは要らないということを伝えてやりました。

 陛下はしきりに何か私に質問されているらしいのでした。で、私の方もいろんな国の言葉で答えてみました。けれども、向うの言うこともわからなければ、こちらの言うこともまるで通じません。

 それから、私は陛下の命令で宮殿の一室に案内され、召使が二人、私に附き添いました。やがて、食事が運ばれてきました。そして、四人の貴族たちが、私と一しょにテーブルに着きました。食事中、私はいろんな品物を指さして、何という名前なのか、聞いてみました。すると、貴族たちは、叩き役の助けをかりて、喜んで答えてくれました。私は間もなく、パンでも、飲物でも、欲しいものは何でも言えるようになりました。

 食事がすむと、貴族たちは帰りました。そして今度は、陛下の命令で来たという男が、叩き役をつれて、入って来ました。彼はペン、インキ、紙、それに、三四冊の書物を持って来て、言葉を教えに来たのだと手まねで言います。私たちは、四時間一しょに勉強しました。私はたくさんの言葉を縦に書き、それに訳を書いてゆきました。短い文章も少しおぼえました。

 それにはまず先生が、召使の一人に、「何々を持って来い。」「あっちを向け。」「おじぎ。」「坐れ。」「立て。」というふうに命令をします。すると私は、その文章を書きつけるのでした。それから今度は本を開いて、日や月や星や、そのほか、いろんな平面図、立体図の名を教えてくれました。先生は、また、楽器の名前と音楽の言葉を、いろ〳〵教えてくれました。こんなふうにして、二三日すると、私は大たい彼等の言葉がどんなものであるか、わかってきたのです。こゝの島は『ラピュタ』といゝます。私はそれを『飛島』『浮島』などと訳しておきました。

 私の服がみすぼらしいというので、私の世話人が、翌朝、洋服屋を呼んで来ました。ところが、その洋服屋のやり方が、ヨーロッパの寸法の取り方とは、まるで違うのでした。彼は定規とかコンパスで、私の身体をはかり、いろんな数学上の計算を紙の上に書きとめました。そして、服は六日目に出来上りましたが、その恰好はてんでなっていないのでした。なんでも、計算の数字を間違えたのだそうです。しかし、そんな間違いはいつもあることで、誰も気にするものはないというので、私も少し安心しました。

 私は病気で五六日引きこもっていましたが、その間に、だいぶこの国の言葉を勉強しました。それで、その次に宮廷へ行ったときには、国王の言うこともわかれば、いくらか返事をすることもできました。

 陛下は、この島を、北東々に進ませて、ラガード(下の大地にある、この国の首都)の上に持ってゆくよう、お命じになりました。ラガードは約九十リーグほど離れていたので、この旅行には四日半かかりました。旅行中、この島が空中を進行しているような気配はちょっとも感じられないのでした。三日目の朝、十一時頃、国王は自ら貴族、廷臣、役人どもを従えられ、それ〴〵楽器の調子をとゝのえると、それから三時間、休みなしに演奏されました。騒々しくて、私はもう耳がつんぼになりそうでした。

 首都ラガードへ行く途中、陛下は、ところ〴〵の町や村の上に、この島をとめるよう、お命じになりました。これは、それ〴〵、人民の訴えごとを、お聞きになるためでした。小さいおもりのついたひもが、この島からおろされると、下にいる人民は、それに手紙をくゝりつけます。そして、紐はすぐまたり上げられます。ちょうど、子供がたこの糸の端に、紙片を結びつけるようなものです。ときには、下から持って来る酒や食料が、滑車でこの島へ引き上げられることもあります。

 この国の人たちは、家の作り方が非常に下手です。壁はゆがみ、どの室も直角になっていないのです。彼等は、定規や鉛筆でする紙の上の仕事は大へんもっともらしいのですが、実地にやらしてみると、この国の人間ぐらい、下手で不器用な人間はいません。彼等は数学と音楽には非常に熱心ですが、そのほかの問題になると、これくらい、ものわかりの悪い、でたらめな人間はありません。理窟を言わせれば、さっぱり筋が通らないし、むやみに反対ばかりします。彼等は頭も心も、数学と音楽しかわからないのです。

 それに、この国の人たちは、いつも何か心配していて、そのために一分間も心は安らかでないのですが、他の人間から見たら、それは何でもないことを心配しているのでした。

 その心配の種というのは、天に何か変ったことが起きはすまいか、ということです。たとえば、地球は絶えず太陽に向って近づいているのだから、今に吸い込まれるか、飲み込まれてしまうだろう、とか、あるいは、太陽の表面にはガスがだん〳〵固まってきて、今に日が射さなくなるときが来るだろう、とか、この前の彗星のときは、地球は星の尻尾になでられないで助かったが、今度、三十一年後に彗星が現れると、たぶん、われ〳〵はいよ〳〵滅ぼされるだろう、というのです。そうかとおもえば、太陽は毎日光線を出しているので、やがては、蝋燭のように溶けてなくなるだろう、そうすると、地球も月も、みんななくなってしまうだろう、などという心配でした。

 彼等は朝から晩まで、こんなふうなことを考えて、ビク〳〵しています。夜も、よく眠れないし、この世の楽しみを味おうともしないのです。朝、人に会って、第一にする挨拶は、

「太陽の工合はどうでしょう。日の入り、日の出に、変りはございませんか。」

「今度、彗星がやって来たら、どうしたものでしょうか。なんとかして助かりたいものですなあ。」

 と、こんなことを言い合うのです。それはちょうど、子供が幽霊やお化けの話が怖くて眠れないくせに聞きたがるような気持でした。

 私は一月もたつと、この国の言葉がかなりうまくなりました。国王の前に出ても、質問は大がい答えることができました。陛下は、私の見た国々の法律、政治、風俗などのことは、少しも聞きたがりません。その質問といえば、数学のことばかりでした。私が申し上げる説明を、とき〴〵、叩き役の助けをかりて聞かれながら、いかにも、つまんなそうな顔つきでいられます。

 私は、この島のいろ〳〵珍しいものを見せてもらいたいと、陛下にお願いしました。さっそく、お許しが出て、私の先生が一しょに行ってくれることになりました。私はこの島のさま〴〵の運動が何の原因によるものなのか、それが知りたかったのです。

 この飛島は、直径約四マイル半の真円い島です。面積は、一万エーカー、島の厚さは、三百ヤードあります。島の一番底は、滑らかな石の板になっていて、その上に、鉱物の層があり、そのまた上に、土がかぶさっています。

 島の中心には、直径五十ヤードばかりの裂け目が一つあります。こゝから、天文学者たちが、洞穴へおりて行きます。

 その洞穴の中には、二十箇のランプが、いつもともっています。そこには、望遠鏡や、天体観測器や、そのほか、天文学の器械が備えてあります。

 この島の運命をつかさどっているのは、一つの大きな磁石です。磁石の真中に、心棒があって、誰でも、ぐる〳〵廻すことができるようになっています。

 この磁石の力によって、島は、上ったり下ったり、一つ場所から他の場所へ動いたりするのです。磁石の一方の端は、島の下の領土に対して、遠ざかる力を持ち、もう一方の端は、近寄ろうとする力を持っています。

 もし近寄ろうとする力を下にすれば、島は下ってゆきます。その反対にすれば、島は上ってゆきます。斜めにすれば、島は斜めに動きます。そして、磁石を土面と水平にすれば、島は停まっています。

 この磁石をあずかっているのは、天文学者たちで、彼等は王の命令で、とき〴〵、磁石を動かすのです。

 もし、下の都市が謀叛を起したり、税金を納めない場合には、国王は、その都市の真上に、この島を持って来ます。こうすると、下では日もあたらず雨も降らないので、住民たちは苦しんでしまいます。また場合によっては、上からどし〳〵大石を都市めがけて落します。こうされては、住民たちは、地下室に引っ込んでいるよりほかはありません。

 だが、それでもまだ王の命令に従わないと、最後の手段を取ります。それは、この島を彼等の頭の上に落してしまうのです。こうすれば、家も人も何もかも、一ぺんにつぶされてしまいます。

 しかし、これはよく〳〵の場合で、めったにこんなことにはなりません。王もこのやり方は喜んでいません。それにもう一つ、これには困ることがあるのです。つまり、都市には高い塔や柱などが立ち並んでいるので、その上に島を落すと、島の底の石が割れるおそれがあります。もし底の石が割れたりすると、磁石の力がなくなって、たちまち島は地上に落っこちてしまうことになるのです。


発明屋敷


 私はこの国で、別にいじめられたわけではないのです。だが、どうも、なんだか、みんなから馬鹿にされているような気がしました。この国では、王も人民も、数学と音楽のことのほかは、何一つ知ろうとしないのです。だから私なんか、どうも馬鹿にされるのでした。

 ところが、私の方でも、この島の珍しいものを見物してしまうと、もう、こゝの人間たちには、あきあきしてしまいました。彼等はいつも、何か我を忘れて、ぼんやり考えごとに耽っているのです。附き合う相手として、これほど不愉快な人間はありません。で、私はいつも女や、商人や、叩き役、侍童などとばかり話をしました。ものを言って、筋の通った返答をしてくれるのは、こういう連中だけでした。

 私は勉強したので、彼等の言葉はだいぶん話せるようになっていました。で、私はこうして、ほとんど相手にもしてもらえないような国に、じっとしているのが、たまらなくなったのです。一日も早く、この国を去ってしまいたいと思いました。

 私は陛下にお願いして、この国から出られるようにしてもらい、二月十六日に、王と宮廷に別れを告げました。ちょうどそのとき、島は首府から二マイルばかり郊外の山の上を飛んでいましたので、私は一番下の通路から、鎖を吊り下げてもらって地上におりました。


 その大陸は、飛島の国王に属していて、バルニバービといわれています。首府はラガードと呼ばれています。

 私は地上におろされて、とにかく満足でした。服装は飛島のと同じだし、彼等の言葉も、私はよくわかっていたので、何の気がかりもなく、町の方へ歩いて行きました。私は飛島の人から紹介状をもらっていましたので、それを持って、ある偉い貴族の家を訪ねて行きました。すると、その貴族は、彼のやしきの一室を、私に貸してくれて、非常に厚くもてなしてくれました。

 翌朝、彼は、私を馬車に乗せて、市内見物につれて行ってくれました。街はロンドンの半分くらいですが、家の建て方が、ひどく奇妙で、そして、ほとんど荒れ放題になっているのです。街を通る人は、みな急ぎ足で、妙にものすごい顔つきで、大がいボロ〳〵の服を着ています。

 それから私たちは、城門を出て、三マイルばかり、郊外を歩いてみました。こゝでは、たくさんの農夫が、いろ〳〵の道具で地面を掘り返していましたが、どうも、何をしているのやら、さっぱり、わからないのです。土はよく肥えているのに、穀物など一向に生えそうな様子はありません。

 こんなふうに、田舎も街も、どうも実に奇妙なので、私は驚いてしまいました。

「これは一たいどうしたわけなのでしょう。町にも畑にも、あんなにたくさんの人々が、とても忙しそうに動きまわっているのに、ちょっとも、よくないようですね。私はまだ、こんなでたらめに耕された畑や、こんなむちゃくちゃに荒れ放題の家や、みじめな人間の姿を見たことがないのです。」

 と私は案内役の貴族に尋ねてみました。

 すると彼は次のような話をしてくれました。

 今からおよそ四十年ばかり前に、数人の男がラピュタへ上って行ったのです。彼等は五ヵ月ほどして帰って来ましたが、飛島でおぼえて来たのは、数学のはしくれでした。しかし、彼等は、あの空の国のやり方に、とてもひどく、かぶれてしまったのです。帰ると、さっそく、この地上のやり方を厭がりはじめ、芸術も学問も機械も、何もかも、みんな、新しくやりなおそうということにしました。

 それで、彼等は国王に願って、このラガードに学士院を作りました。ところが、これがついに全国の流行となって、今では、どこの町に行っても学士院があるのです。

 この学士院では、先生たちが、農業や建築の新しいやり方とか、商工業に使う新式の道具を、考え出そうとしています。先生たちはよくこう言います。

「もし、この道具を使えば、今まで十人でした仕事が、たった一人で出来上るし、宮殿はたった一週間で建つ。それに一度建てたら、もう修繕することが要らない。果物は、いつでも好きなときに熟れさせることができ、今までの百倍ぐらいたくさん取れるようになる。」

 と、そのほかいろ〳〵結構なことばかり言うのです。

 たゞ残念なのは、これらの計画が、まだどれも、ほんとに出来上ってはいないことです。だから、それが出来上るまでは、国中が荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつゞけます。がそれでも彼等は元気は失わず、希望にもえ、半分やけくそになりながら、五十倍の勇気を振るって、この計画をなしとげようとするのです。

 彼はこんなことを私に説明してくれたのです。そして、

「ぜひ、ひとつあなたにも、その学士院を御案内しましょう。」

 と、つけ加えました。

 それから数日して、私は彼の友人に案内されて、学士院を見物に行きました。

 この学士院は、全体が一つの建物になっているのではなく、往来の両側に建物がずっと並んでいました。

 私が訪ねて行くと、院長は大へん喜んでくれました。私は何日も〳〵、学士院へ出かけて行きました。どの部屋にも、発明家が一人二人いました。私はおよそ五百ぐらいの部屋を見て歩きました。

 最初に会った男は、手も顔も煤だらけで、髪はぼう〳〵と伸び、それに、ところ〴〵焼け焦げがありました。そして、服もシャツも、皮膚と同じ色なのです。

 彼は、胡瓜きゅうりから日光を引き出す計画を、やっているのだそうです。なんでも、もう八年間このことばかり考えているのだそうです。それは、つまり、この胡瓜から引き出した日光を壜詰にしておいて、夏のじめ〳〵する日に、空気を温めるために使おうというのです。

「もうあと八年もすれば、これはきっと、うまくできるでしょう。」

 と彼は私に言いました。

「しかし困るのは、胡瓜の値段が今非常に高いことです。どうか、ひとつこの発明を助けるために、いくらか寄附していたゞけないでしょうか。」

 と彼は手を差し出しました。私はいくらかお金をやりました。

 次の部屋に入ると、悪臭がむんと鼻をつきました。びっくりして私は跳び出したのですが、案内者が引きとめて、小声でこう言いました。

「どうか先方の気を損ねるようなことをしないでください。ひどく腹を立てますから。」

 それで、私は鼻をつまむわけにもゆかず困ってしまいました。この室の発明家は、顔も鬚も黄色になり、手や着物は汚れた色がついています。彼の研究というのは、人間の排泄したものを、もう一度もとの食物になおすことでした。

 それから、別の部屋に入ると、氷を焼いて火薬にすることを、工夫している男がいました。

 それから、非常に器用な建築家もいました。彼が思いついた新しい考えによると、家を建てるには、一番はじめに、屋根を作り、そして、だん〳〵下の方を作ってゆくのがいゝというのです。その証拠には、蜂や蟻などこれと同じやり方でやっているではないか、と彼は言っていました。

 ある部屋には、生れながらの盲人が、盲人の弟子を使っていました。彼等の仕事は、画家のために、絵具を混ぜることでした。この先生は、指と鼻で、絵具の色が見分けられるというのです。しかし、私が訪ねたときは、先生はほとんど間違ってばかりいました。

 また別の部屋には、鋤や家畜の代りに、豚を使って、土地を耕すことを発見したという男がいました。

 それはこうするのです。まず、一エーカーの土地に、六インチおきに、八インチの深さに、どんぐり、なつめ、やし、栗、そのほか、豚の好きそうなものをたくさん埋めておきます。それから、六百頭あまりの豚を、そこへ、追い込むのです。すると、三日もすれば、豚どもは食物を探して、隅から隅まで掘り返すし、それに、豚の糞が肥料になるので、あとはもう種をけばいゝばかりです。もっとも、これは、お金と人手がかゝるばかりで、作物はほとんど、取れなかったということです。

 さて、その次の部屋に行くと、壁から天井から、くもの巣だらけで、やっと人ひとりが出入りできる狭い路がついていました。私が入って行くと、

くもの巣を破っては駄目だ。」

 と、いきなり大声でどなられました。それから、相手は私に話してくれました。

「そも〳〵くもというものは、蚕などよりずっと立派な昆虫なのだ。くもは糸を紡ぐだけでなく、織り方までちゃんと心得ている。だから、蚕の代りにくもを使えば、絹を染める手数が省けることになる。」

 そう言って、彼は、非常に美しい蠅をたくさん取り出して見せてくれました。つまり、くもにこの美しい蠅を食べさせると、くもの糸にその色がつくのだそうです。それに彼は、いろんな色の蠅を飼っていましたが、この蠅の餌として、何か糸を強くさすものを研究しているのでした。

 それから私は、もう一人、有名な人を見ました。この人は、もう三十年間というものは、人類の生活を改良させることばかり、考えつゞけているのです。

 彼の部屋は奇妙な品物で一ぱいでしたが、五十人の男たちが、彼の指図で働いていました。ある者は、空気をかわかして塊りにすることを研究していました。また、ある者は、石をゴムのように柔かくして、枕をこしらえようとしていました。生きた馬のひづめのところを石にすることを考えている者もいました。

 それから、これは私にはどうもよくわからないのですが、この有名な学者は、畑にもみがらをくことゝ、羊に毛の生えない薬を塗ることを、目下しきりに研究しているのだそうです。

 私は道を横切って、向う側の建物に入りました。こゝの学士院には、学問の発明家がいるのでした。

 私が最初に会った教授は、広い教室にいました。そこには四十人ばかりの学生が集っていました。教授は一つの便利な機械を考えていました。

 その機械を使えば、どんな無学な人でも、何でも書けるのです。哲学、詩、政治学、数学、神学、そんなものが誰にでも、らくに書ける機械でした。教授は、その機械についていろ〳〵私に説明してくれました。

 私はつゞいて国語学校を訪ねました。

 こゝでは、三人の教授が国語の改良をいろ〳〵と熱心に考えていました。

 一つの案は、言葉を全部しゃべらないことにしたらいゝ、というのでした。その方が簡単だし、健康にもよい、ものをしゃべれば、それだけ肺を使うことになるから、生命を縮める、というのです。

 それで、その代りに、こんなことが発明されました。言葉というものは、物の名前だから、話をしようとするときには、その物を持って行って、見せっこをすれば、しゃべらなくても意味は通じるというのです。

 しかし、これにも一つ困ることがあります。それはちょっとした話なら、道具をポケットに入れて持って行けばいゝのですが、話がたくさんある場合だと大へんです。そのときは、力の強い召使が、大きな袋に、いろんな品物を入れて、背負って行かなければなりません。

 私は、二人の男が、ちょうどあの行商人のような恰好で、大きな荷物を背負っているのを、たび〳〵見たことがあります。二人の男が往来で出会うと、荷物をおろして、袋をほどき、中からいろんな品物を取り出します。こうして、かれこれ一時間ぐらい話がつゞいたかと思うと、品物を袋におさめて、荷物を背負って立ち上ります。

 私はその次に数学教室を見物しました。

 こゝでは、ヨーロッパなどでは、思いつくこともできない、珍しい方法で、教えられていました。まず、数学の問題と答案を、薄い煎餅の上に、特別製のインキで、清書しておきます。学生たちに、お腹を空っぽにさせておいて、この煎餅を食べさせます。その後三日間は、パンと水しか与えません。そうすると、煎餅が消化されるにつれて、それと一しょに問題は頭の方へ上ってゆくというのです。

 しかし、これは実際には一度も成功していません。というのは、この煎餅を食べると、ひどく胸が悪くなるので、みんなこっそり抜け出して、吐き出してしまうからです。

 私はつゞいて、政治の発明家たちを訪ねましたが、この教室では、あまり愉快な気持にはされなかったのです。

 この教室で、一人の医者がこんなことを言っていました。一たい、大臣などというものは、どうも物忘れがひどくて困るとは、誰もが言う苦情ですが、これを防ぐには、次のようにすればいゝというのです。つまり、大臣に面会したときには、できるだけ、わかりやすい言葉で用件を伝えておいて、別れぎわに、一つ、大臣の鼻をつまむとか、腹を蹴るとか、腕をつねるとか、なんとかして、約束したことは忘れないようにさせるのです。そしてその後も、面会するたびに同じことを繰り返し、約束したことは実行してもらうようにするのです。

 また、この医者は、政党の争いをうまく停める方法を発明していました。

 それは、まず両方の政党から百人ずつ議員を選んできて、これを二人ずつ、頭の大きさの似たもの同士の組にしておきます。それから、それ〴〵両方の頭をのこぎりでひいて、二つに分けます。こうして切り取った半分の頭を、それ〴〵取り換えっこして、反対派の頭にくっつけるのです。

 私は、二人の教授がしきりに議論しているのを聞きました。どうしたら、人民を苦しめないで、税金を集めることができるかという議論でした。

 一人の教授の意見では、悪徳や愚行に税金をかけるがいゝ、というのでした。ところが、もう一人の教授の意見では、人がその自惚れている長所に税金をかけたらいゝ、というのです。


幽霊の島


 私は学士院を見物すると、もうこれ以上、この国にいても仕方がないと思い、また、イギリスへ帰りたくなりました。私はヨーロッパへの帰り途に、ひとつラグナグ島へ寄ってみようと考えていました。それから、さらに日本へも寄ってみたいと思いました。

 私は荷物を運ばせるために、騾馬らばを二頭、それに案内人を一人やといました。あの貴族には、いろ〳〵世話になったのですが、私がいよ〳〵出発することになると、大へんな土産物までくれました。

 ところで、マルドナーダという港に着いてみると、あいにく、ラグナグ島行きの船は当分出そうもないということがわかりました。そこで、私はその港町に、しばらく滞在することになりました。そのうち二三の知合いも出来、みんな私に親切にしてくれました。ラグナグ島行きが出るまでには、まだ一月はあると聞いて、私は、そこから五リーグばかりのところにある、グラブダブドリブという島を訪ねることにしました。この町の一流の紳士が、小帆船を一隻仕立てゝ、私と一しょに行ってくれました。

 ところで、この『グラブダブドリブ』という名前は、『魔法使の島』という意味なのでした。この島は酋長がいて治めていましたが、住民は一人残らず魔法使でした。島で一番年長者が酋長になることになっていて、酋長は立派な宮殿に住んでいます。その庭園の中には、家畜、穀物、園芸などのために、小さな区切りが作ってあります。

 酋長とその家族が使っている、召使というのが、実に奇妙なのでした。酋長は、魔法を使って、死人の中から、誰でも好きな者を呼び出すことができます。そして、二十四時間限り、(それ以上は駄目でしたが)呼び出した死人を、召使として使います。だが、一度呼び出して使ったら、まずその召使は、三ヵ月間は呼び出せないことになっていました。

 私たちが、この島へ着いたのは、朝の十一時頃でしたが、連れの紳士はさっそく、酋長のところへ行って、

「実は外国人が一人、閣下にお目にかゝりたくて、わざ〳〵やって来たのですが、ひとつ会ってやってくださいませんか。」

 と頼みました。

 さっそくそれは許されたので、私たちは宮殿の門をくゞって行きました。門の両側には、よろいかぶとを着た兵士がズラリと並んでいます。そして、その兵士たちはなんともいえない恐ろしい顔つきをしているので、私は思わずゾッと寒気がしました。私たちは部屋を二つ三つ通り抜けましたが、どの部屋にも、同じような無気味な恰好の兵士が並んでいました。

 やがて、酋長の室に来ると、私たちは三度頭を下げて、おじぎをしました。それから、挨拶がすむと、酋長の席から一番下の段のところにある椅子に、私たちは腰をおろしました。

 この酋長は、飛島の言葉をよく知っていました。それで私に、旅行の話を少し聞かせてほしい、と言います。そして、彼は、

「うん、召使たちはいない方がいゝな。」

 と言いながら、ヒョイと指を動かしました。

 すると、今まで、酋長のまわりにいた召使たちが、一ぺんに、すーっと消えてしまいました。私はびっくりして、しばらくは口もきけませんでした。

「いや、何でもないのですよ。怖がることはありません。」

 と酋長は言ってくれます。

 見ると、私の連れの紳士は、たび〳〵こんなことには馴れているらしく、まるで平気な顔をしていました。それで、私もやっと安心して、旅行の話を手短に話しました。

 それでも、私は話しながら、とき〴〵どうも気になって、あの召使たちが消えてしまったあたりを振り返って見ていました。

 それから私たちは、酋長と一しょに食事をしました。すると、今度はまた別の幽霊どもが、食事を運んで来て、給仕してくれるのでした。それを見ても、私はもう最初ほど、ビク〳〵しなくなっていました。夕方まで私たちは酋長のところにいました。彼は泊ってゆけとすゝめましたが、私たちは無理に帰りました。私たちは、島の民家に泊り、翌朝になると、また酋長のところへ訪ねて行きました。

 こんなふうにして、私たちは十日間、この島にいました。毎日、大がい酋長のところへ行って、夜は、民家の宿へ戻るのです。私は幽霊にも馴れてしまったので、もう三四回目から平気になりました。いや、怖いのはまだ少し怖かったのですが、それよりも、とにかく、これが珍しくてたまらなくなっていたのです。

 酋長は私にこんなことを言いだしました。

「私は誰でも死人の中から、あなたの好きな人間を呼び出してあげます。そして、何でも、あなたが聞きたいと思うことを聞けば、死人に返事させます。世界はじまって以来、今日まで、どんな死人でも、呼び出すことができます。」

 私は酋長の厚意を大へん有り難く思いました。ちょうど、私たちのいた部屋からは、庭園がすっかり見わたせるようになっていました。

 私はまず最初に、何か雄大なものが見たいと思いました。

「それではひとつ、アレキサンダー大王が戦場に立っている姿を見せてください。」

 と私は言いました。

 酋長は指先をちょっと動かして合図しました。すると、私たちのいる窓の下の庭園に、戦場の光景が現れました。それから、アレキサンダー大王は、私たちの部屋へ呼ばれてやって来ました。しかし、彼の話すギリシャ語は、私にはどうもよく通じませんでした。

 次には、ハンニバルがアルプスの山を越すところを見せてもらいました。

 その次には、シーザーとポンペイが、それ〴〵、陣地に立って、戦争をはじめようとしているところを見せてもらいました。そして、シーザーが大勝利をするところも見ました。

 私は次に、ひとつ最も偉い学者たちを見たいものだ、と思いました。そこで、酋長にこう頼みました。

「どうか、ホーマーとアリストテレスと、それから、その註釈家たちを、全部見せてください。」

 すると、これはまた大へんな人数で、何百人という人間が、ぞろ〳〵と現れて来ました。私は一目見て、ホーマーとアリストテレスの顔はすぐわかりました。

 ホーマーの方が背も高く、好男子でした。歩き方も、しゃんとしているし、それに、目はまるで人を突き刺すような、鋭い眼光でした。アリストテレスの方は、だいぶん腰が曲って、杖をついていました。それに髪も薄くなっているし、声にも力がないのでした。しかし、この二人の学者と、まわりの群衆とは、まるで何の縁故もないのだということは、私にもよくわかりました。

 私はまる五日間、まだ〳〵、いろんな人間や学者たちと会いました。ローマの皇帝たちにも、大てい会いました。


 いよ〳〵出発の日が来たので、私はグラブダブドリブの酋長と別れて、連れの紳士と一しょに、マルドナーダーへ帰りました。そして、この港で二週間ばかり待っていると、いよ〳〵、ラグナグ島行きの船が出ることになりました。この町の人たちは、大へん親切にしてくれて、私を、わざ〳〵船まで見送ってくれました。

 航海は一ヵ月かゝりました。一度は暴風雨に会ったりしましたが、一七一一年四月二十一日に私たちの船はクルメグニグ河に入りまそした。

 こゝは、ラグナグ国の東南にある港です。船は、この町から一リーグばかり手前で、いかりをおろし、水先案内に合図をしました。半時間もしないうちに、水先案内は二人連れでやって来ました。

 ところが、船員の二三の者が、私のことを、外国人で、大旅行家だと、水先案内に話してしまったのです。するとまた、水先案内は、税関吏に、私のことを話しました。そのために、私は上陸すると、さっそく厳しい検査を受けました。

 この税関吏は、バルニバービ語で、私に話しかけました。この国とバルニバービとは互に往来しているので、港町では、大てい言葉が通じるのでした。

 私はできるだけ簡単に、わかりやすく話してやりましたが、私の国はオランダだと、一つ嘘をつきました。これは、私が日本へ寄ってみようと思っていたからです。その日本では、オランダ人のほかは、一さいヨーロッパ人を上陸させない、ということを、私は知っていました。

「私はバルニバービの海岸で船が難破して岩に打ち上げられたのです。すると、ラピュタ(飛島)に見つかって、救われました。今はこれから、日本へ行こうとしているところです。日本へ行きさえすれば、船があるので、故国へ帰れます。」

 と私は役人に向って言ってやりました。すると、役人は、

「ではさっそく、宮廷へ手紙を書いてあげる。二週間もすれば返事が聞けるだろうから。しかし、それまでは、一応あなたをこちらで捕えておくことにする。」

 と言います。

 そこで、私は宿へ引っ張ってゆかれましたが、門口には、番人がちゃんと一人立っています。しかし、庭の中を歩きまわることだけは許されました。それに、私は国王の費用で、ずいぶんよく、もてなされました。また方々から、私を珍しがって、招いてくれました。私のことが、まだ話にも聞いたことのない、遠い〳〵国からやって来た男だと、人々の噂になっていたからです。

 私は同じ船で来た一人の青年を、通訳にやといました。この通訳を使って、私は訪ねて来る人たちと、話をすることができました。

 宮廷からの返事を待っていた頃、使者がやって来ました。それは、私と私の連れを、十頭の馬で、この通訳を使って、私は訪ねて来る人たちとトラルドラグダカまで案内してくれるというのです。私は通訳の青年のほかに連れはなかったので、彼に一しょに行ってくれるように頼み、二人の乗り物として、騾馬らばを一頭ずつもらいました。いよ〳〵出発する前に、まず、使者を一人さきに発たせることにしました。

「陛下の御足の前の塵をなめさせていたゞきたいのですが、いつお伺いしたらいゝか、御都合をお知らせくださいませ。」

 と、私の使者は王にこう申し上げました。

 はじめ私は、『塵をなめる』というのは、たゞ、この国の宮廷の言いまわしで、『お目にかゝる』という意味だろう、と思っていました。ところが、その後、これはほんとに塵をなめるのだということがわかりました。

 宮廷に着いて二日目に、私はいよ〳〵陛下の前に呼び出されました。すると、私は腹這いになれ、と命じられました。そして、陛下の前まで進んで行き、床の塵をペロ〳〵なめろ、と言われました。もっとも私は外国人なので、特別の扱いをされて、床は綺麗にしてありましたので、塵も大したことはなかったのです。しかし、これは全く特別扱いで、この国の一番偉い人と同じように扱ってくれたわけです。

 ひどいのになると、宮廷で気に入らない人がやって来ると、わざ〳〵塵をまき散らしておくのです。

 私はこの宮廷で、ある大官が口の中を塵だらけにして、ものも言えず困っているところを見ました。もしこんな場合、相手が陛下の前で、唾を吐いたり、口を拭いたりしたら、すぐ死刑にされてしまいます。

 それからこの宮廷では、もう一つ、面白くない慣習があります。それは、もし王が誰か家来をそっと死刑にしてやろうと思われると、この床の上に、毒の粉をまき散らすように、お命じになります。それを家来がなめれば、二十四時間で死んでしまうというのです。しかし、こうして死刑がすむと、あとは必ず床についている毒を綺麗に洗い落しておくよう、お命じになります。

 あるとき、私は一人の侍童がひどく叱られているのを見ました。それは、床にまいた毒を、あとで綺麗に掃除しておかなかったからです。そのため、一人の立派な青年が、陛下の前で、毒をなめて死んでしまいました。そのとき、陛下は、彼を殺そうとはちょっともお考えにならなかったので、ひどく残念がられました。

 王は私との会見が大へんお気に召されました。

 私と通訳に宮中の部屋を貸してくださって、毎日、食事とお小遣を与えてくれました。私は王にすゝめられて、この国に三ヵ月間滞在しました。ラグナグ人は、礼儀正しい国民でした。私は上流貴族と、おもに附き合いました。通訳つきで話をしたのですが、気まずいものではなかったのです。


死なゝい人間


 ある日のことでした。一人の紳士がふと私にこんなことを尋ねました。

「あなたはこの国のストラルドブラグというものを見ましたか。これは『死なゝい人間』という意味なのですが。」

「あいにくまだ見ていません。しかし、死なゝい人間なんて、一たい、どうして、そんな名前をつけるのですか。そのわけを教えてください。」

 と私は尋ねてみました。すると、彼は次のようなことを教えてくれました。

 それはごくまれなことですが、この国には、額の左の眉毛の上に、赤い円いあざのついた子供が生れるのです。このあざがあると、この子供はいつまでたっても死なゝい、というしるしなのです。

 このあざは年とともに、大きくなり、色が変ってゆきます。十二歳になると、緑色になり、二十五歳になると、紺色に変り、それから四十五歳になると、真黒になりますが、それからはもう変りません。こんな子供が生れるのは、非常に稀で、全国を探しても、男女合せて千百人ぐらいしかいません。そしてそのうち、五十人ぐらいが、この首府に住んでいますが、そのなかには、三年前に生れた女の子も一人います。この死なゝい人間が生れるのは、全く偶然で、血統のためではないのです。だから、ストラルドブラグを親に持っていても、その子供は普通の子供なのです。

 私は紳士からこの話を聞いて、何ともいえないほどうれしかったので、思わず、こう口走りました。

「あゝ、そんな人たちは、どんなに幸いでしょう。みんな人間は、死ぬことが恐ろしいから、いつも苦しんでいるのに、その心配がない人なら、ほんとに幸いなことでしょう。」

 しかし、一つ不思議に思ったのは、ストラルドブラグが宮廷に一人も見あたらなかったことです。とにかく私は、ひとつストラルドブラグたちに会って話してみたいと思いました。そこで私は、紳士を通訳に頼んで、一度彼等と引き合せてもらいました。

 まず紳士は、私がストラルドブラグを、大へんうらやましがっていることを、彼等に話しました。するとストラルドブラグたちは、しばらく自分たちの言葉でガヤ〳〵話し合っていました。それから通訳の紳士は、私にこう言いました。

「もし、仮に、あなたがストラルドブラグに生れてきたら、どんなふうにして暮すつもりか、それを、あの人たちは聞かせてくれと言っています。」

 そこで、私は喜んで次のように答えました。

「もし私が幸いにストラルドブラグに生れたとすれば、私はまず第一に、大いに努力して金もうけをしようと思います。そして、節約と整理をよくしてゆけば、二百年ぐらいで、私は国内第一の金持になれます。

 第二に、私は子供のときから学問をはげみます。そうすれば、やがて国中第一の学者になれます。それから最後に、私は社会のいろんな出来事を何でもくわしく書いておきます。風習や、言語や、流行や、服装や、娯楽などが移り変るたびに、それらを、一つ〳〵書きとめておきます。こうしておけば、私はやがて活字引いきじびきとして皆から重宝がられます。

 六十を過ぎたら、私は規則正しい安楽な生活をしたいと思います。そして、有望な青年を導くことを、私の楽しみにします。私の記憶や経験から、いろんなことを彼等に教えてやりたいと思います。

 しかし、絶えず交わる友人には、やはり私と同じような、死なゝい仲間を十二人ほど選びます。そして、もし彼等のうちに生活に困っているようなものがあれば、私の土地のまわりに便利な住居を作ってやります。それから食事のときには、彼等のうちから数人招きます。もっともそのときには、普通の人間も、二三人ずつ立派な人を招くことにします。なにしろあまり長く生きていると、普通の人間が、どん〳〵死んでゆくことなど、別に惜しくもなんともなくなるでしょう。孫が出来れば、私はその孫を招いたりするでしょう。こうなると、ちょうどあの庭のチューリップが、毎年人の目を楽しませて、前の年に枯れた花を悲しまさないのと同じことです。

 それから私は死なゝいのですから、まだ〳〵、いろんなものを見ることができます。昔、栄えた都が廃墟となったり、名もない村落が都となったり、大きな河がれて小川となってしまったり、文明国民が野蛮人になったり、昨日の野蛮人が、今日の文明人になっていたり、そんなふうな移り変りを見ることができるのです。そして、まだ人間の知識では解けない、いろんな問題も解ける日が来るのを、それも見ることができるでしょう。」

 私がこんなふうに答えると、紳士は、私の言ったことを、ストラルドブラグたちに、通訳して聞かせました。すると、彼等はにわかにガヤ〳〵と話しはじめました。なかには、失礼にも何かおかしそうに笑い出したものもいました。しばらくして通訳の紳士は、私にこう言いました。

「どうも、あなたはストラルドブラグというものを、考え違いしておられるようだと、彼等はそう言っています。

 なにしろ、このストラルドブラグなるものは、この国にしかいないもので、バルニバービにも日本にも見ることはできません。前に私も使節として、バルニバービや日本へ行ったことがありますが、その国の人たちは、てんで、そんなものがあるとは考えられないと言っていました。私は、バルニバービや日本の人たちと、いろ〳〵話し合ってみて、長生ということが、すべての人間の願いであることを発見しました。片足を墓穴に突っ込んだような人間でさえ、もう一方の足ではできるだけ入るまいとあがきます。たとえ、どんなに年をとっていても、まだ一日でも長生するつもりらしいのです。

 ところが、このラグナグの国では、絶えず眼の前にストラルドブラグの例を見せつけられているためか、この国の人たちは、やたらに長生を望まないのです。

 あなたは人間の若さとか健康とか元気とかいうものが、いつまでもいつまでもつゞくと、とんでもない考え違いをしていられますが、ストラルドブラグのつらいところは、年をとって衰えながら、いろんな不便を耐えて、まだ生きつゞけているということなのです。」

 そう言って、彼はこの国のストラルドブラグの有様を次のようにくわしく話してくれました。

 彼等は三十歳頃までは普通の人間と同じことなのですが、それからあとは次第に元気が衰えてゆく一方で、そうして八十歳になります。この国では八十歳が普通、寿命の終りとされていますが、この八十歳になると、彼等は老人の愚痴と弱点をすっかり身につけてしまいます。おまけに決して死なゝいという見込みから、まだ〳〵たくさんの欠点がふえてきます。頑固、欲張り、気むずかし屋、自惚れ、おしゃべりになるばかりでなく、友人と親しむこともできなければ、自然の愛情というようなものにも感じなくなります。

 たゞ嫉妬と無理な欲望ばかりが強くなります。彼等は青年が愉快そうにしているのを見ては、嫉妬します。それは彼等が、もうあんなに愉快にはなれないからです。それから彼等は、老人が死んで葬式が出るのを見ると、やはり嫉妬します。ほかの人たちは安らかに休息の港に入るのに、自分たちは死ねないからです。

 彼等は自分たちが若かった頃に見たことのほかは、何一つおぼえていません。しかも、そのおぼえているということも、ひどくでたらめなのです。だから、ほんとのことをくわしく知ろうとするには、彼等に聞くより、世間の言い伝えに従う方が、まだましなのです。すっかり記憶がなくなってしまっているのは、まだいゝ方です。これはほかの連中とは違って、もう多くの欠点もなくなっているので、多少、人から憐んでもらえます。

 彼等は満八十歳になると、この国の法律ではもう死んだものと同じように扱われ、財産はすぐ子供が相続することになっています。そして国から、ごく僅かの手当が出され、困る者は国の費用で養われることになっています。

 九十歳になると、歯と髪の毛が抜けてしまいます。この年になると、もう何を食べても、味なんかわからないのですが、そのくせ、たゞ手あたり次第に、食べたくもないのに食べます。しかし彼等はやはり病気にはかゝるのです。かゝる病気の方は、ふえもしなければ減ることもありません。話一つしても、普通使うありふれた物の名まで忘れています。人の名前などおぼえてはいません。どんな親しい友達や親類の人と会っても顔がわからないのです。本を読んでも、ぼんやり一つページを眺めています。文章のはじめから終りまで読んで意味をたどる力がなくなっているのです。ですから、何もかも一向面白くはないのです。

 それに、この国の言葉は絶えず変っています。だから甲の時代のストラルドブラグと、乙の時代のストラルドブラグが出会ったのでは、少しも言葉が通じません。そのうえ、二百年もたてば、友人と会っても話一つできない有様ですから、彼等は自分の国に住みながら、まるで外国人のように不便な生活をしているのです。

 私が紳士から聞いた話は、大たい、こんなふうなものでした。

 その後、私はいろ〳〵の時代のストラルドブラグをたび〳〵、家につれて来て会ってみました。中で一番若いのは、まだ二百歳になったかならないくらいでした。彼等は、私が大旅行家で、世界中を見てきた人間だと聞いても、別に珍しがりもせず、何の質問もしません。たゞ、何か記念品をくれと手を差し出しました。

 ストラルドブラグは、みんなから厭がられています。もしストラルドブラグがこの国に生れて来ると、これは不吉なことゝして、その誕生がくわしく書き残されることになっています。だから、その記録を見れば、彼等の年齢はわかるわけですが、しかしこの記録も千年くらい前のものしか残っていません。

 実際、ストラルドブラグほど不快なものを私は見たことがないのです。ことに女の方が男よりもっとひどいのでした。形がみにくいばかりでなく、その年齢に比例して、なんともいえないもの凄さがあるのです。私は彼等が六人ばかり集っているのを見て、年は百か二百ぐらいしか違わないのに、誰が一番、年上か、すぐわかりました。

 私はストラルドブラグのことを知ったために、やたらに長生したいという烈しい欲望もすっかりさめてしまいました。以前、心に描いていたたのしい夢が、今は恥かしくなったのです。たとえどのような恐ろしい死でも、あのように、厭らしい生よりは、まだましだと思うようになりました。

 こんなことを私が王に話したところ、王は大へん面白がられました。そして、私をおからかいになって、

「ひとつストラルドブラグを二人ばかり、イギリスへつれて行って見せてやってはどうか。」

 とおっしゃいます。だが、実際はこの国の法律で、彼等を国外につれて行くことは厳しく禁止されているようでした。

 ストラルドブラグのこの話は、諸君にもいくらか興味があるだろうと思います。というのは、少し普通とは変った話ですし、私のこれまで読んだどの旅行記にも、まだ、これは出ていなかったと思います。

 このラグナグ国と日本国とは、絶えず行き来しているのですから、このストラルドブラグの話も、もしかすると、日本の人が本に書いているかもしれません。しかし、なにしろ私が日本に立ち寄ったのは、ほんの短い間でしたし、そのうえ、私は日本語をまるで話せなかったので、そのことを確めてみることもできなかったのです。

 ラグナグ国王は、私を宮廷で何かの職につけようとされました。けれども、私がどうしても本国へ帰りたがっているのを見て、快く出発をお許しになりました。そして、わざわざ、日本皇帝にあてゝ推薦状を書いてくださいました。そのうえ、四百四十枚の大きな金貨と、赤いダイヤモンドを私にくださいました。このダイヤモンドの方は、私はイギリスに帰ってから、売ってしまいました。

 一七〇九年五月六日、私は陛下や知人一同に、うや〳〵しく別れを告げました。王はわざ〳〵私に近衛兵をつけて、グラングエンスタルドという港まで送ってくださいました。そこで、六日ほど待っていると、ちょうど、日本行きの船に乗れました。それから日本までの航海が十五日かゝりました。


 私たちは、日本の東南にあるザモスキという小さな港町に上陸しました。

 私は上陸すると、まず税関吏に、ラグナグ王から、この国の皇帝にあてた手紙を出して見せました。すると、その役人は、ラグナグ王の判をちゃんとよく知っていました。その判は、私の掌ほどの大きさで、王がびっこの乞食の手を取って立たせているところが、図案になっているのです。町奉行は、この手紙のことを聞いて、すっかり、私を大切にしてくれました。馬車やお附きをつけて、私をエド(江戸)まで送りとゞけてくれました。

 私はエドで、皇帝にお目にかゝると、手紙を渡しました。すると、この手紙はひどくおごそかな作法で開封され、それを通訳が皇帝に説明しました。やがて、通訳が私に向って、こう言いました。

「陛下は、何でもいゝから、その方に願いの筋があったら申し上げよと言っておられる。陛下の兄君にあたるラグナグ国王のために、聞きとゞけてつかわそうとのことだ。」

 この通訳は私の顔を見ると、すぐヨーロッパ人だと思って、オランダ語で話しました。そこで、私は、

「私は遠い〳〵世界の果で難船したオランダの商人ですが、それからとにかく、どうにかラグナグ国までやって来ました。それからさらに船に乗って、今この日本にやって来たところです。つまり、日本とオランダとは貿易をしていることを知っていたので、その便をかりて私はヨーロッパへ帰りたいと思っているのです。そんな次第ですから、どうか、ナンガサク(長崎)まで無事に送りとゞけていたゞきたいのです。」

 と答えてやりました。それから私はつけ加えて、

「それから、もう一つお願いがございます。どうか、あの十字架踏みの儀式だけは、私にはかんべんしていたゞきたいのです。私は貿易のため日本へ来たのではなく、たゞ、たまたま災難からこの国へたどりついたのですから。」

 と、お願いしました。

 ところが、これを陛下に通訳が申し上げると、陛下はちょっと驚いた様子でした。それから、こう言われました。

「オランダ人で踏絵をしたがらないのは、その方がはじめてなのだ。してみると、その方はほんとうにオランダ人かどうか怪しくなってくる。これはどうもほんとうのクリスト信者ではないかと思えるのだがなあ。」

 しかし、とにかく、私の願いは許されることになりました。役人たちは、私が踏絵をしなくても、黙って知らない顔をしているように命令されました。

 ちょうどそのとき、ナンガサクまで行く一隊があったので、その指揮官に、私を無事にナンガサクまでつれて行くよう、命令されました。

 一七〇九年六月九日、長い旅のあげく、ようやくナンガサクに着きました。私はすぐそこで、『アンポニア号』という船の、オランダ人の水夫たちと知り合いになりました。前に私はオランダに長らくいたことがあるので、オランダ語はらくに話せます。私は船長に、船賃はいくらでも出すから、オランダまで乗せて行ってほしいと頼みました。船長は、私が医者の心得があるのを知ると、では途中、船医の仕事をしてくれるなら、船賃は半分でいゝと言いました。

 船に乗る前には、踏絵の儀式をしなければならないのでしたが、役人たちは、私だけ見のがしてくれました。

 さて、今度の航海では別に変ったことも起りませんでした。四月十日に船は無事アムステルダムに着きました。私はこゝから、さらに小さい船に乗って、イギリスに向いました。

 一七一○年四月十六日、船はダウンズに入港しました。私は翌朝上陸して、久し振りに祖国の姿を見たわけです。それからすぐレドリックに向って出発し、その日の午後、家に着き、妻子たちの元気な顔を見ることができました。





第四、馬の国(フウイヌム)





馬の主人


 私は家に戻ると五ヵ月間は、妻や子供たちと一しょに楽しく暮していました。が、再び航海に出ることになりました。今度は私に『アドベンチュア号』の船長になってくれというので、すぐ私は承知しました。

 一七一〇年九月七日に私の船はプリマスを出帆しました。ところが、熱い海を渡ってゆくうちに、船員たちが熱病にかゝってたくさん死んでしまいました。そこで、私はある島へ寄って、新しく代りの船員をやとい入れました。ところが、今度やとい入れた船員たちは、みんな海賊だったのです。この悪漢どもは、ほかの船員たちを引き入れ、みんなして船を横取りして、船長の私をとじこめてしまおうと、こっそり計画していたのです。

 ある朝のことでした。いきなり彼等は、なだれをうって、私の船室に飛び込んで来ると、私の手足をしばりあげて、騒ぐと海へほうりこむぞ、と脅しつけます。私は、もうこうなっては、お前たちの言うとおりになる、と降参しました。

 そこで、彼等は私の手足の綱を解いてくれました。それでも、まだ片足だけは鎖でベッドにしばりつけて、しかも、戸口には弾丸をこめた鉄砲を持って、ちゃんと番兵が立っていました。食物だけは上から持って来てくれましたが、もう私は船長ではなく、今ではこの船は海賊のものでした。船はどこをどう進んでいるのか、私にはまるでわかりませんでした。

 一七一一年五月九日、一人の男が私の船室へやって来て、船長の命令により、お前を上陸させる、と言って私をつれ出しました。それから彼等はむりやりに私をボートに乗せてしまいました。一リーグばかり漕いで行くと、私を浅瀬におろしました。

「一たいこゝはどこの国なのか、それだけは教えてください。」

 と私は頼みました。しかし、彼等もそこがどこなのか全然知らないのでした。

「満潮にさらわれるといけないから早く行け。」

 と言いながら、彼等はボートを漕いで行きました。

 こうして、私はたった一人で取り残されました。仕方なしに、歩いて行くと、間もなく陸に着きました。そこで、しばらく堤に腰をおろして休みながら、どうしたらいゝものか考えました。少し元気を取り戻したので、また奥の方へ歩きだしました。私は誰か蛮人にでも出会ったら、さっそく、腕環うでわやガラス環などをやって、生命だけは助けてもらおうと思っていました。

 あたりを見わたすと、並木がいくすじもあって、草がぼう〳〵と生え、ところ〴〵にからす麦の畑があります。私はもしか蛮人に不意打ちに毒矢でも射かけられたら大へんだと思ったので、あたりに充分眼をくばりながら歩きました。やがて、道らしいところに出てみると、人の足跡や牛の足跡や、それからたくさんの馬の足跡がついていました。

 ふと、私は畑の中に、何か五六匹の動物がいるのを見つけました。気がつくと、木の上にも一二匹いるのです。それはなんともいえない、いやらしい恰好なので、私はちょっと驚きました。そこで、私はくさむらの方へ身をかゞめて、しばらく様子をうかゞっていました。

 そのうちに、彼等の二三匹が近くへやって来たので、私ははっきり、その姿を見ることができました。この猿のような動物は、頭と胸に濃い毛がモジャ〳〵生えています。背中から足の方も毛が生えていますが、そのほかは毛がないので、黄褐色の肌がむき出しになっています。それに、この動物は尻尾を持っていません。それから、前足にも後足にも、長い丈夫な爪が生えていて、爪の先は鈎形かぎがたに尖っています。彼等は高い木にも、まるでりすのように身軽によじのぼります。それからとき〴〵、軽く跳んだり、はねたりします。

 私もずいぶん旅行はしましたが、まだ、これほど不快な、いやらしい動物は、見たことがありません。見ていると、なんだか胸がムカ〳〵してきました。

 私は叢から立ち上って、路を歩いて行きました。この路を行けば、いずれどこかインド人の小屋へでも来るかと思っていました。だが、しばらく行くと、私はさっきの動物が真正面から、こちらへ向ってやって来るのに出くわしました。このみにくい動物は、私の姿を見ると、顔をさま〴〵にゆがめていました。と思うと、今度はまるではじめての物を見るように、目を見張ります。そして、いきなり近づいて来ると、何のつもりか、片方の前足を振り上げました。

 私は短剣を抜くと、一つなぐりつけてやりました。が、実は刃の方では打たなかったのです。というのは、私がこの家畜を傷つけたということが、あとで住民たちにわかると、うるさいからです。

 私になぐりつけられて、相手は思わず尻込みしましたが、同時に途方もない唸り声をあげました。すると、たちまち隣りの畑から、四十匹ばかりの仲間が、もの凄い顔をして吠えつゞけながら集って来ました。私は、一本の木の幹に駈け寄り、幹を後楯にして、短剣を振りまわしながら彼等を防ぎました。すると、二三匹の奴等がヒラリと木の上に躍り上ると、そこから私の頭の上に、ジャー〳〵と汚いものをやりだします。私は幹にピッタリ身を寄せて、うまく除けていましたが、あたり一めんに落ちて来る汚いものゝために、まるで息がふさがりそうでした。

 こんなふうに困っている最中、私は急に彼等がちり〴〵になって逃げて行くのを見ました。どうしてあんなに驚いて逃げ出すのか、不思議に思いながら、私も木から離れ、もとの道を歩きだしました。

 そのとき、ふと左の方を見ると、馬が一匹、畑の中をゆっくり歩いて来るのです。さっきの動物どもは、この馬の姿を見て逃げ出したのでした。

 馬は私を見ると、はじめちょっと驚いた様子でしたが、すぐ落ち着いた顔つきに返って、いかにも不思議そうに私の顔を眺めだしました。それから私のまわりを五六回ぐる〳〵廻って、私の手や足をしきりに見ています。

 私が歩きだそうとすると、馬は私の前に立ちふさがりました。しかし、馬はおとなしい顔つきで、ちょっとも手荒なことをしそうな様子はありません。しばらく私たちは、お互に相手をじっと見合っていました。とう〳〵私は思いきって片手を伸しました。そして、この馬を馴らすつもりで、口笛を吹きながら首のあたりをなでてやりました。

 ところが、この馬は、そんなことはしてもらいたくないというような顔つきで、首を振り眉をしかめ、静かに右の前足を上げて、私の手を払いのけました。それから、馬は二三度いなゝきましたが、なんだかそれは独言でも言っているような、変ったいなゝき方でした。

 すると、そこへもう一匹、馬がやって来ました。この馬はなにかひどく偉そうな様子で、前の馬に話しかけました。それから、二匹とも、静かに右足のひづめを打ち合せると、代る〴〵五六度いなゝきました。だが、そのいなゝき方は、これはどうも、普通の馬の声ではないようです。それから、彼等は私から五六歩離れたところを、二匹が並んで行ったり来たりします。それは、ちょうど、人間が何か大切な相談をするときの様子とよく似ています。そして、彼等はとき〴〵私の方を振り向いて、私が逃げ出しはしないかと、見張っているようでした。

 私は動物がこんな賢い様子をしているのを見て、大へん驚きました。馬でさえこんなに賢いのならこの国の人間はどんなでしょう。たぶんこゝには、世界中で一番賢い人たちが住んでいるのでしょう。そう思うと、私は早く家か村でも見つけて、誰かこの国の人間に会ってみたくなりました。それで、私は勝手に歩いて行こうとしました。

 そのとき、はじめの馬が、私の後から、「ちょっと待て」というようにいなゝきました。なんだか私は呼びとめられたような気がしたので、思わず引き返しました。そして、彼のそばへのこ〳〵近づいて行きました。一たい、これはどうなるのか、実はそろ〳〵心配でしたが、私は平気そうな顔つきでいました。

 二匹の馬は、一匹は青毛で、もう一匹は栗毛でしたが、彼等は私の顔と両手をしきりに見ていました。そのうちに、青毛の馬が前足の蹄で、私の帽子をグル〳〵なでまわしました。帽子がすっかりゆがんだので、私は一度脱いで、かむりなおしました。これを見て、彼等はひどくびっくりしたようでした。今度は栗毛の馬が私の上衣に触ってみました。そして何か不思議そうに驚いています。それから彼は私の右手をなで、ひどく感心している様子でしたが、ひづめはさまれて手が痛くなったので、私は思わず大声をたてました。そうすると、彼等は用心しながら、そっと、触ってくれるようになりました。彼等は、私の靴と靴下が、いかにも不思議でならないらしく、何度も触っては互にいなゝき合いました。そして、しきりに何か考え込むような顔つきをしていました。

 こんな利口な馬は魔法使にちがいないと私は考えました。そこで次のように話しかけてみました。

「諸君、どうもあなたたちは魔法使のように思えるのですが、魔法使なら、どこの国の言葉でもわかるのでしょう。だから一つ申し上げます。実は私はイギリス人ですが、運悪くこの島へ流れ着いて、困っているところなのです。それで、どこか私を救ってもらえる家か村までつれて行ってくださいませんか。ほんとの馬のように私を乗せて行ってほしいのです。そのお礼には、この小刀と腕環を差し上げますよ。」

 こんなふうに私がしゃべっている間、二匹の馬は黙ってじっと聞いていましたが、私の話がすむと、今度は互に何か相談するようにいなゝき合いました。

 私は馬の声を注意して聞いていましたが、何度も「ヤーフ」という言葉が聞えるのです。二匹ともその「ヤーフ」という言葉をしきりに繰り返していますが、私には何の意味なのか、さっぱりわかりません。けれども、彼等の話が終ると、私は大声で、はっきり、

「ヤーフ」

 と言ってやりました。

 すると彼等は大へん驚いたようです。それから青毛が近寄って来ると、

「ヤーフ ヤーフ」

 と教えるように二度繰り返しました。私もできるだけ、その馬の声をまねしてみました。すると今度は栗毛が、別の言葉を教えてくれました。これは、「フウイヌム」という、むずかしい言い方でした。とにかく私が馬の言葉がまねできるので、彼等はとても感心したようです。それから、彼等はまだ何かしばらく相談していましたが、それがすむと、また前と同じように、蹄を打ち合せて二匹は別れました。

 青毛の方が私を振り返って、手まねで歩けと言いました。私は黙ってついて行くことにしました。私がゆっくり歩くと、彼はきまって、「フウン、フウン」と叫びます。これはたぶん、ついて来いという意味なのでしょう。

 三マイルほど行くと、一つの建物がありました。材木を地に打ち込んで、横に木の枝を渡したもので、屋根は低く、藁葺わらぶきでした。馬は私に先に入れと合図しました。

 中に入ってみると、下の床は滑らかな粘土で出来ていて、壁には大きな秣草棚まぐさだなや秣草桶がいくつも並んでいます。子馬が三匹と牝馬が二匹いました。別に物を食べているのでもなく、ちゃんと、お尻を床の上につけて、坐っているのです。私はびっくりしました。

 もっと驚いたのは、ほかの馬たちが、みんなせっせと家の仕事をしていることでした。なにしろ、馬をこんなふうに数え、仕込むことのできる人間なら、よほど偉い主人にちがいないと、私は感心しました。

 この部屋の向うには、まだ三つ部屋がありました。私たちは二つ目の部屋を通って、三つ目の部屋へ近づいて行きました。青毛は、そこで私に待っておれと合図しました。私は戸口で待ちながら、この家の主人と奥さんに贈るつもりで、小刀を二つ、真珠の腕環を三つ、小さな鏡、それから真珠の首飾などを用意しておきました。

 青毛は、その部屋に入って、三四度いなゝきました。すると、彼の声よりもっとかん高い声で、誰かゞいなゝきました。人間の声はまだ聞えません。しかし、私は向うの部屋に、どんな貴い人が住んでいるのだろうか、と考えました。面会を許してもらうのに、こんな手数がかゝるのでは、この国でも、よほど位のいゝ人なのでしょう。だが、それにしては、そんな貴い人が、馬だけを家来に使っているのは、少し変です。

 これは私の頭の方が、どうかしたのではないかしらと思いました。私は今、立っている部屋の中をよく〳〵見まわしてみました。何度、目をこすってみても、そこは前と変らないのです。夢ではないかしらと、目がさめるように、脇腹をつねってみました。が、夢でもないのです。それでは、これはみんな魔法使の仕業しわざにちがいない、と私は決めました。

 ちょうど、そのとき、青毛が戸口から顔を出して、私に入れと合図しました。中に入ってみて、私は驚きました。上品な牝馬が一匹、それに子馬が一匹、小ざっぱりしたむしろの上にきちんと坐っているのです。

 牝馬は延から立ち上ると、私のそばへ来て、私の手や顔をジロ〳〵眺めました。それから、いかにも私を軽蔑するような顔つきで、

「ヤーフ」

 とつぶやきました。そして、青毛の方をかえりみては、お互に何回となく、この「ヤーフ」という言葉を繰り返しているのです。

 青毛は私の方へ首を向けて、「フウン、フウン」としきりに繰り返しました。これは、ついて来い、という合図なのでした。そこで私は彼について、中庭のところへ出ました。家から少し離れたところに、また一棟、建物がありました。そこへ入ってみて、私はあッと思いました。

 私が上陸してすぐ出くわした、あのいやったらしい動物がいたのです。その三匹の動物がいま、木の根っこや、何か生肉をしきりに食っていました。三匹は首のところを丈夫な紐でくゝられ、柱につながれたまゝ、食物を左右の前足でつかんでは、歯で引き裂いています。

 主人の馬は、召使の馬に命じて、この動物の中から一番大きい奴を、取りはずして、庭の中へつれて来させました。私とこの動物とは、一ところに並んで立たされました。それから主人と召使の二人は、私たちの顔をじっとよく見くらべていましたが、そのときもまたしきりに「ヤーフ」という言葉が繰り返されたのです。

 私はそばにいるいやらしい動物が、そっくり人間の恰好をしているのに気がついて、びっくりしました。この動物は顔が人間より少し平たく、鼻は落ち込んでいて、唇が厚く、口は広く割れています。だが、これくらいの違いなら、野蛮人にだってあるはずです。ヤーフの前足は、私の前足より、爪が長くて掌がゴツ〳〵していて、色が違っています。とにかく、この動物は人間より毛深くて、皮膚の色が少し変っているだけで、あとは身体中すっかり人間と同じことです。

 だが、二匹の馬には、私が洋服を着ているので、ヤーフとは違っているように思えたのです。この洋服というものを、馬はまるで知っていないので、彼等にはどうも合点がゆかないのでした。

 ふと栗毛の子馬が、木の根っこを一本、私の方へ差し出してくれました。私は手に取って、ちょっと臭を嗅いでみましたが、すぐていねいに返してやりました。すると、彼は今度はヤーフの小屋から、驢馬の肉を一きれ持って来てくれました。これは臭くてたまらないので、私は顔をそむけてしまいました。しかし彼がそれをヤーフに投げてやると、ヤーフはおいしそうに食べてしまいました。

 その次には乾草を一束とからす麦を私に見せてくれました。しかし、私はどちらも自分の食物ではないと、首を振ってみせました。私はもしこれで同じ人間に出会わなかったら、いずれ餓死するのではないかと心配になりました。

 すると、このとき、主人の馬は蹄を口許へ持って行って、私に、どんなものが食べたいかというような身振りをしました。だが、なにしろ私は相手にわかるように返事ができませんでした。

 ところが、ちょうどいゝことに、いま表を一匹の牝牛が通りかゝりました。そこで、私はそれを指さしながら、ひとつ牛乳をしぼらせてくれという身振りをしました。これが相手にもわかったのです。彼は私を家の中へつれて帰ると、たくさんの牛乳が器に入れて、きちんと綺麗に並べてある部屋へつれて行きました。そして、大きな茶碗に牛乳を一ぱい注いでくれました。私はグッと一息に飲みほすと、はじめて生き返ったような気持がしました。

 正午頃、一台の車が四人のヤーフに引かれて、家の前に着きました。車の上には身分のいゝ老馬が乗っていました。彼は非常にていねいに迎えられて、一番いゝ部屋で食事することになりました。部屋の真中に秣草桶をまるく並べ、みんなはそのまわりに、藁蒲団を敷き、尻餠をついたように、その上に坐るのでした。そして、馬どもは、それ〴〵、自分の乾草やからす麦と牛乳の煮込みなどを、行儀よくきちんと食べるのでした。

 子馬でも非常に行儀がいゝのです。特に、お客をもてなす主人夫妻のやり方は、気持のいゝものでした。ふとそのとき、青毛が私を招いて、こちらへ来て立て、と命じました。

 客たちは、しきりに私の方を見ては、『ヤーフ』という言葉を言っています。これは、私のことを今いろ〳〵話し合っているのでしょう。

 彼等は私に、知っている言葉を言ってみよと言いました。そして、主人は食卓のまわりにあるからす麦、牛乳、火、水などの名前を教えてくれました。私はすぐ彼のあとについて言えるようになりました。

 食事がすむと、主人の馬は私を脇へ呼びました。そして言葉やら身振りで、私の食物がないのが、とても心配だと言います。私はそこで、

「フルウン、フルウン」

 と呼んでみました。『フルウン』というのは、『からす麦』のことです。はじめ私はからす麦など、とても食べられそうになかったのですが、これでなんとか、パンのようなものをこさえようと考えついたのです。

 すると主人は、木の盆にからす麦をどっさり載せて持って来ました。私はこれを、はじめ火でよく暖めて、もんで殻を取り、それから石でりつぶし、水を混ぜて、お菓子のようにして火で焼いて、牛乳と一しょに食べました。

 これははじめは、とても、まずくて食べにくかったのですが、そのうちに、どうにか我慢できました。私は、たまには、兎や鳥を獲って食べたり、薬草を集めてサラダにして食べました。はじめ頃は塩がないので、私は大へん困りました。が、それも慣れてしまうと、あまり不自由ではなかったのです。


不思議なヤーフ


 私が言葉をおぼえるというので、主人も、子供たちも、召使まで、みんなが私に言葉を教えてくれます。

 私は手あたり次第、物を指さしては名前を聞きます。そして、その名前を手帳に書き込んでおいて、発音の悪いところは、家の者に何度もなおしてもらいます。それには、下男の栗毛の子馬が、いつも私を助けてくれました。

 この家の主人は、閑なときには何時間でも、私に教えてくれました。彼ははじめ、私をヤーフにちがいない、と考えていたのです。しかし、ヤーフの私が物をおぼえたり、礼儀正しかったり、綺麗好きなので、彼はとても驚いたらしいのです。ヤーフなら決して、そんな性質は持っていません。彼に一番わからなかったのは、私の着ている洋服のことです。あれは一たい何だろう、やはり身体の一部分なのだろうかと、彼は何度も考えてみたそうです。

 ところで、私はこの洋服を、みんなが寝静まってしまうまでは決して脱がなかったし、朝はみんなが起きないうちに、ちゃんと身に着けていたのです。

 馬のようにものが言えて、上品で利口そうな、不思議なヤーフが現れたと、私のことが評判になると、近くの馬たちが、たび〳〵、この家を訪ねて来ます。私に会いに来る馬たちは、私の身体が、顔と両手の外は、普通の皮膚がまるで見えないので驚いていました。いつも私は用心して、裸のところを見せないようにしていました。

 ある朝のことでした。主人は召使に言いつけて、私を呼びに来ました。そのとき、私はまだぐっすり眠っていたので、服は片方にずり落ち、シャツは腰の上に載っていました。これを見て召使はすっかり驚き、さっそく、このことを主人にしゃべりました。私が服を着て、主人の前に行くと、主人は不審そうに尋ねました。

「お前は寝たときと起きているときとでは、まるで姿が変るということだが、それは一たいどういうわけなのか。」

 私はこれまで、あの厭なヤーフ族から区別してもらうために、洋服のことは秘密にしておいたのです。しかし今はもう隠せなくなりました。そこで主人に打ち明けてしまいました。

「私の国では、仲間たちはみんな、動物の毛で作ったものを身体に着けています。これは寒さや暑さを防ぐためと、礼儀のためにそうするのです。それで、もしそれを見せよ、とおっしゃるなら、私はさっそく裸になって、お目にかけてもよろしいのです。」

 そう言って、私はまず、ボタンをはずして上衣を脱ぎました。次には、チョッキ、それから順々に、靴、靴下、ズボンと脱いでゆきました。

 主人はさも不思議そうに眺めていましたが、やがて私の洋服を一枚ずつ拾い上げて、よく検査していました。それから、今度は私の身体をやさしくなでたり、私のまわりをぐるぐる歩きまわって眺めていました。そしてこう言いました。

「やはりヤーフだ。ヤーフにちがいない。だが、それにしても皮膚の軟かさ、白さ、それから身体にあまり毛のないこと、四足の爪の形が短いこと、いつも二本足だけで歩くことなんか、他のヤーフどもとは、だいぶ変っているようだな。」

 そこで、私も彼にこう言ってやりました。

「一つどうも面白くないことがあるのですが、それはしきりに私をヤーフ、ヤーフと呼ばれていることなのです。なにしろ、あんな厭な動物たらないのですから、私だってヤーフは大嫌いなのです。どうか、これからはヤーフと呼ばれるのだけはよしてください。それから、この洋服のことは、あなたにだけ打ち明けましたが、まだほかの人には、どうか秘密にしておいてください。」

 すると、主人は私の願いを、快く承知してくれました。それで、この洋服の秘密はうまく守られました。

 ある日、私は主人に身の上話をして聞かせました。

「私は遠い〳〵国からやって来たのです。はじめ私のほかに五十人ばかりの仲間が一しょでした。この家よりも、もっと大きい、木で作った容れものに乗って、海を渡って来たのです。」

 私は船のことをうまく口で説明し、それが風で動くことも、ハンカチを出して説明しました。すると、主人はこう尋ねました。

「そうすると、誰が一たいその船を作るのだ。また、フウイヌムたちは、よくその船をヤーフなんかにまかせておけるだろうか。」

 フウイヌムというのはこの国の言葉で、馬のことでした。私は彼にこう言いました。

「実はこれ以上、お話しするには、ぜひその前に、決して怒らないということを約束してください。」

 彼は承知しました。そこで私は話しました。

「実は船を作るのは、みんな私と同じような動物がするのです。それは私の国だけでなく、今まで私はずいぶん旅行しましたが、どこの国へ行ってみても、私と同じ動物が一番偉いのです。ところが、私はこの国へ来てみて、フウイヌムが一番偉いので、非常に驚きました。」

 私がこう言うと、彼はびっくりして、こう尋ねます。

「お前の国では、ヤーフが一番偉いのか。そんな馬鹿なことがあってたまるか。それでは、お前の国にはフウイヌムはいないのか。いるとすれば、何をしているのか、それを言ってみ給え。」

 私は答えました。

「フウイヌムならずいぶんたくさんいます。夏は野原で草を食べているし、冬になると家の中で飼われて、乾草やからす麦をもらっています。そして、召使のヤーフが、身体を磨いたり、たてがみをといてやったり、食物をやったり、寝床をこしらえてやったりするのです。」

「なるほど、それでは、お前の国では、やっぱしフウイヌムが主人で、ヤーフは召使なのだな。」

 と主人はうなずきます。

「いや、実はフウイヌムの話をこれ以上お聞かせすると、きっと、あなたは怒られるでしょう。だからもう、この話はよしましょう。」

 と私は言いました。しかし、彼はとにかく、ほんとのことが聞きたいのだ、と承知しません。そこでまた私は話しました。

「私の国ではフウイヌムのことを馬と呼んでいますが、それは立派な美しい動物です。力もあり、速く走ります。だから貴人に飼われて、旅行や競馬や馬車を引く仕事をしているときは、ずいぶん大切にされます。しかし、病気にかゝったり、びっこになると、今度は他所よそへ売られて、いろんな苦しい仕事に追い使われます。それに死ねば死ぬで、皮をはがれて、いゝ値段で売られ、肉は犬なんかの餌にされます。そのほか、百姓や馬車屋に飼われて、一生ひどくこき使われ、ろくな食物ももらえない馬もいます。」

 それから、私は馬の乗り方や、手綱や、鞍、拍車、鞭などのことを、できるだけわかるように説明してやりました。主人はちょっと、腹を立てたような顔を見せましたが、また、こう言いだしました。

「それにしても、お前らがよくもフウイヌムの背中へ乗れるものだ。この家のどんな弱い召使だって、一番強いヤーフを振り落すくらいわけないし、ヤーフ一匹押しつぶすことなど誰にもできるのだ。」

「私の国の馬はもう三つ四つの頃から、訓練されます。どうしてもいけない奴は、荷馬車引きに使われます。もし悪い癖でもあれば、子馬のうちにひどくひっぱたかれるのです。」

 こう言っても、主人はまだ私の話がよくわからないようでした。そしてこう言います。

「この国では、動物という動物は、みんなヤーフを毛嫌いしている。弱い者はよけて通り、強い者は追っ払ってしまう有様だ。してみると、仮にお前たち人間が理性を持っているとしても、あらゆる動物から嫌われているのをどうするのだろうか。どうして彼等を馴らして使うことなどできるのか、そこのところがわからない。」

 しかし、彼はもうその話はそれで打ち切りました。それから、今度は、私の経歴や生国のことや、この国へ来るまでに出会った、いろんなことを話して聞かせてくれと言うのです。そこで私は言いました。

「それはもう、何なりとお話しいたしましょう。たゞ、心配なのは、とても説明できないような、あなたなどは考えたこともないようなことが、多少あるのではないかと思います。

 まず、私の生れはイギリスという島国です。この島はこゝからずいぶん離れています。あなたの召使の一番強いものが歩いて行っても、太陽が一年かゝって一周するだけかゝるでしょう。私は一つ金もうけをして、それで帰ったら家族を養おうと思って国を出たのです。

 今度のこの航海では、私が船長になって、五十人ばかりのヤーフを使っていました。ところが、これが海でだいぶ死んでしまったので、別のヤーフをやとい入れました。ところが、新しくやとい入れたヤーフは、海賊だったのです。」

 こんなふうに私は話してゆきましたが、主人は海賊などというものが、てんでわからないのでした。そしてこう尋ねます。

「一たい、何のために、何の必要があって、人間はそんな悪いことをするのか。」

 そこで、私はいろ〳〵骨折って、人間の悪徳を説明してやりましたが、彼はまるで、一度も見も聞きもしなかったことを聞かされたように、驚いて憤るのでした。

 私と主人とは、それから後も何度も会って、いろんな話をしました。私はヨーロッパのことについて、商業のこと、工業のこと、学術のことなど、知っていることを全部話してやりました。しかし、この国には権力、政府、戦争、法律、刑罰などという言葉がまるでないのです。ですから、こんなことを説明するには、私は大へん弱りました。あるとき、私はこんなことを主人に話しました。

「今、イギリスとフランスは戦争をしているのです。これはとても長い戦争で、この戦争が終るまでには、百万人のヤーフが殺されるでしょう。」

 すると主人は、一たい国と国とが戦争をするのは、どういう原因によるのか、と尋ねました。そこで、私は次のように説明してやりました。

「戦争の原因ならたくさんありますが、主なものだけを言ってみましょう。まず、王様の野心です。王様は、自分の持っている領地や、人民だけで満足しません。いつも他人のものを欲しがるのです。第二番目の原因は政府の人たちが腐っていることです。彼等は自分で政治に失敗しておいて、それをごまかすために、わざと戦争を起すのです。

 そうかとおもえば、ほんのちょっとした意見の食い違いから戦争になります。たとえば肉がパンであるのか、パンが肉であるのかといった問題、口笛を吹くのが、いゝことか悪いことか、手紙は大切にするのがよいか、それとも火にくべてしまった方がよいかとか、上衣の色には何色が一番よいか、黒か白か赤か、或はまた、上衣の仕立ては、長いのがよいか短いのがよいか、汚いのがいゝか、清潔なのがいゝか、そのほか、まあ、こんな馬鹿馬鹿しい争いから、何百万という人間が殺されるのです。しかも、この意見の違いから起る戦争ほど気狂じみてむごたらしいものはありません。

 ときには、二人の王様が、よその国の領土を欲しがって、戦争をはじめる場合もあります。またときには、ある王様が、よその国の王から攻められはすまいかと、取越苦労をして、かえってこちらから戦争をはじめることもあります。相手が強すぎて戦争になることもあれば、相手が弱すぎてなることもあります。また、人民が餓えたり病気して国が衰えて乱れている場合には、その国を攻めて行って戦争してもいゝことになっています。

 そこで、軍人という商売が一番立派な商売だとされています。つまり、これは何の罪もない連中を、できるだけたくさん、平気で殺すために、やとわれているヤーフなのです。」

 すると主人は、私の話を開いて、こう言いました。

「なるほど、戦争について、お前の言うことを聞いてみると、お前がいう、その理性の働きというものもよくわかる。だが、それにしても、お前たちのその恥かしい行いは、実際には危険が少い方だろう。お前たちの口は顔に平たくくっついているから、いくら両方が噛み合ってみても、大した傷にはならないし、足の爪も短くて軟かいから、まあこの国のヤーフ一匹で、お前の国のヤーフ十匹ぐらいは追っ払うことができるだろう。だから、戦場でたおれたという死者の数だって、お前は大げさなことを言っているだけだろう。」

 主人がこんな無智なことを言うので、私は思わず首を振って笑いました。私は軍事について少しは知っていましたので、大砲とか、小銃とか、弾丸、火薬、剣、軍艦、それから、攻撃、砲撃、追撃、破壊など、そういう事柄をいろ〳〵説明してやりました。

「私はわが国の軍隊が、百人からの敵を囲んで、これを一ぺんに木っ葉みじんに吹き飛ばしてしまうところも、見たことがあります。また、数百人の人が、船と一しょに吹き上げられるのも見ました。雲の間から死体がバラ〳〵降って来るのを見て、多くの人は万歳と叫んでいました。」

 こんなふうに私はもっと〳〵しゃべろうとしていると、主人がいきなり、

「黙れ。」

 と言いました。

「なるほど、ヤーフのことなら、今お前が言ったような、そんな忌まわしいこともやりそうだ。ヤーフの智恵と力が、その悪心と一しょになれば、できることだろう。」

 主人は私の話を聞いて、非常に心が乱され、そして、私の種族を前よりもっと〳〵嫌うのでした。

 私は今度は金銭の話をしてやりました。これも、主人には私の言う意味がなか〳〵、のみこめないようでした。私は言いました。

「ヤーフというものは、このお金をたくさん貯めていさえすれば、綺麗な着物、立派な家、おいしい肉や飲物、そのほか、何でも欲しいものが買えるのです。そして、ヤーフの国では、何もかも、お金次第なのですから、ヤーフどもは、いくら使っても使い足ったとか、いくら貯めてももうこれでいゝと思うことはありません。お金のためには、ヤーフどもは絶えず互に相手を傷つけ合うことを繰り返します。お金持は貧乏人を働かせて、らくな暮しをしていますが、その数は貧乏人の千分の一ぐらいしかいません。多くのヤーフは毎日々々、安い賃銀で働いて、みじめな暮しをつゞけています。」

 と、こんなふうに私は話してやりました。それから、ヤーフの国の政治とか法律のことも、主人にいろ〳〵説明して聞かせました。


楽しい家庭


 ある朝、迎えの使いが、私のところへやって来ました。行ってみると、主人が、

「まあ、そこに坐れ。」

 と言います。

「これまで、お前から聞いた話は、その後、まじめに考えてみたが、どうも、お前たちは、どういう風の吹きまわしか、たま〳〵爪のあかほどの理性を持っている一種の動物らしい。ところが、お前たちはせっかく、自然が与えてくれた立派な力は、捨てゝ見向きもしようとしないで、もとから持っている欠点ばかりをふやそうとしている。わざ〳〵骨を折っては、欠点をふやす工夫や発明をしているみたいなものだ。

 ところで、お前は、お前の国のヤーフどもの有様をいろ〳〵話してくれたが、お前たちと、この国のヤーフとは、身体の恰好がよく似ているだけでなく、心の方もよく似ていると思えるのだ。ヤーフどもがお互に憎み合うのは、ほかの動物には見られないほど猛烈なもので、それは誰でも知っていることなのだが、この国のヤーフどもの争いも、お前が言ったお前たちのその争いも、どちらも、どうもよく似ているのだ。

 もし、こゝにヤーフが五匹いるとして、そこへ五十人分ぐらいの肉を投げてやるとする。すると、彼等はおとなしく食べるどころか、一人で全部を取ろうとして、たちまち、ひどいつかみ合いがはじまる。だから、彼等が外で物を食べるときには、召使を一人そばに立たせておくことにするし、家にいるときは、お互に遠くへ離してつないでおく。

 また、牛が死んだりした場合、それをフウイヌムが家のヤーフのために買って戻ると、間もなく近所のヤーフどもが群をなして盗みに来る。そして、お前が言ったと同じような戦争がはじまる。爪で引っ掻き合って大怪我をする。たゞ幸いなことに、お前たちの発明したような、人殺し器械はないので、めったに死ぬようなことはない。また、あるときは、何の理由もないのに、近所同士のヤーフどもが、同じような戦争をはじめる。つまり近所同士で、折もあらば不意をおそってやろうと、隙をねらっているのだ。」

 それから、主人はさらに次のような珍しい話をしてくれました。

 この国の、ある地方の野原には、さま〴〵の色に光る石があって、これがヤーフどもの大好物なのです。もし、この石が地面から半分ほど、のぞいていたりすると、ヤーフは何日でも、朝から晩まで爪で掘り返しています。そして家に持って帰ると、それを小屋の中にそっと隠しておきますが、まだそれでも、もしか仲間に嗅ぎ出されはしないかと、ギョロ〳〵と目を見張っています。

 主人は、どうしてまたこんな石をヤーフどもが大切がるのか、さっぱりわからなかったのですが、一度試しに、ヤーフが埋めている場所から、そっとこの石を取りのけておきました。すると、このさもしい動物は、宝がなくなっているのに気づいて、大声で泣きわめき、仲間をすっかりそこへ呼び集めました。そして、さも哀れげに悲しんでいるかとおもうと、たちまち誰彼の区別もなく噛みついたり、引っ掻いたり大騒ぎをします。それからだん〳〵元気がなくなって、物も食べなければ、眠りもしません。そこで主人は、その石をまたもとのところへ返してやりました。それを見ると、ヤーフはすぐ機嫌もよくなり、元気になったということです。

 この光る石がたくさん出る土地にかぎって、ヤーフどもは絶えず、その土地を争い合って、お互に戦争します。二匹のヤーフが野原で、この石を見つけると、互ににらみ合って争います。そこへもう一匹のヤーフが現れて、横取りすることもあるそうです。

 それから、ヤーフという奴は、とき〴〵、気が変になるらしく、たゞ隅っこに引っ込んでしまい、寝ころがって、吠えたり唸ったり、誰かそばへ寄ると、たちまち蹴とばしてしまいます。まだ年も若いし、肉附きもいゝし、別に食物が欲しいわけでもないのです。一たいどこが悪いのか、さっぱりわかりません。ところが、こんな場合、ヤーフを無理にどん〳〵働かせると、この病気はケロリと治るそうです。

 こんなふうに、私は主人から、ヤーフの性質をいろ〳〵聞かされました。

 それではひとつぜひ、どこか近所のヤーフの群を訪問させてください、と私は頼みました。主人は快く承知して、召使の月毛の子馬を、私の附添いに命じました。この附添いがいなかったら、とても私はヤーフの近くに行くことはできなかったのです。私が最初この国に来たとき、この忌まわしい動物にいじめられたことは、前にも言ったとおりですが、その後も、私はうっかり短剣を忘れて外に出たときなど、三四度も危く爪にかけられるところでした。

 それに、どうやら彼等の方でも、私が同種族のものであることに、うす〳〵感づいていたようです。私は附添いと一しょにいるときなど、よく袖をまくりあげて、腕や胸を見せてやりました。すると彼等は、いつも私のすぐ傍まで来て、ちょうどあの猿の人まねと同じように、しきりに私の恰好をまねますが、いつも憎々しげな顔つきで、それをやるのでした。

 彼等は子供のときから、とても敏捷です。あるとき私は三歳の子を一匹捕えて、手なずけようとしましたが、相手は、恐ろしい勢いで、喚いたり、引っ掻いたり、噛みつくので、とう〳〵放してやりました。私の見たところでは、ヤーフほど教えにくい動物はいません。できることゝいえば、荷物を引いたり、かついだりすることぐらいです。

 フウイヌムたちは、家から少し離れたところに、小屋を作って、ヤーフを飼っていますが、その他のヤーフは、すべて野原に放し飼いにされているのです。彼等はそこで、木の根を掘ったり、草を食ったり、肉をあさったり、ときには、いたちを捕えて食べます。そして丘などの側に、爪で深い穴を掘って、その中に寝ます。彼等は子供のときから、水泳ぎや、水潜りができます。こうしてよく魚を捕えては、牝が家に持って帰って、子供に食べさせます。

 ところで、なにしろ、私はこの国に三年も住んでいたのですから、この国の住民たちの風俗や習慣を、こゝに少し述べておきます。

 このフウイヌム族というのは、生れつき、非常に徳の高い性質を持っています。彼等の格言は、『理性を磨け。理性によって行え。』というのでした。

 友情と厚意は、フウイヌムの美徳です。どんな遠い国から来た知らない人でも、まるで友達のようにもてなされます。どこへ行っても、自分の家と同じように安心できます。みんなは、非常に上品で、つゝしみ深いのですが、ちょっとも、わざとらしいところがありません。自分の子供も他所の子供も、同じように可愛がります。子供の教育の仕方は、なか〳〵立派なのです。十八歳になるまでは、ある定まった日でなければ、からす麦など一粒も口にすることを許されません。夏は午前に二時間と、午後に二時間ずつ、草を食べさせてもらいますが、この規則を親たちもきちんと守ります。

 フウイヌムは、その子弟を強くするために、険しい山や石ころ道を走らせます。汗だくになると、今度は河の中にザンブリ頭から跳び込ませるのです。それから、一年に四回、若い男女が集って、駈けくらや、跳込み、そのほか、いろ〳〵の競技をします。勝った者には、それをほめる歌が与えられます。

 フウイヌムは文字というものを、まるで持っていません。知識は親から子へ口で伝えるのです。彼等は詩を作ることが、とても上手です。友情や善意を歌ったものと、運動の優勝者をほめたものと、なか〳〵美しい詩があります。

 フウイヌムたちは、病気にかゝるということがないので、医者はいません。しかし、怪我をしたときつける薬は、ちゃんと備えてあります。彼等は、病気にかゝつて死ぬようなことはなく、たゞ年をとって自然に衰えて死ぬのです。そして、死人は人目につかない場所にそっと葬られます。臨終だといって、誰も悲しんだりするものはありません。死んでゆく本人でさえ、ちょっとも悲しそうな顔はしていないのです。

 彼等は大てい、七十か七十五まで生きます。たまには八十まで生きるものもいます。死ぬ二三週間前になると、だん〳〵身体が弱ってきますが、別につらくはないのです。そうなると、友達が次々に訪ねて来ます。つまり、気楽にちょっと外出するようなことができないからです。いよ〳〵死ぬ十日前頃には、今度はそりに乗って、ヤーフどもに引かせて、ごく近所の人たちだけに答礼に出かけてゆきます。彼は答礼先へ着くと、まず、お別れの挨拶をのべるのですが、それはまるで、どこか遠いところへ旅行するときの別れのような恰好なのです。

 私は、主人の家から六ヤードばかり離れたところに、自分の室を一つ作らせてもらいました。

 壁は自分で塗り、床には自分で作ったむしろを敷きました。この国には麻が多いので、それを打って、蒲団のおゝいを作り、その中に鳥の羽毛を詰めました。骨の折れる仕事は子馬に手伝ってもらい、小刀で椅子を二つこしらえました。服が擦り切れると、これは兎の皮で代りを作りました。この皮からは、立派な靴下もできました。私はよく木のうろから蜜を取って来て、水に混ぜて飲んだり、パンにつけて食べました。

 私は、主人のところへ訪ねて来る、フウイヌムのお客たちとも、知り合いになりました。

 主人の部屋に、私の方から出かけて行くこともあり、ときには、主人やお客が、私の部屋に訪ねて来ることもあります。それから、またときには、主人のお供をして、お客の家に訪ねて行くこともありました。

 私は質問に答えるほかは、こちらから口を出して、しゃべったりするようなことはしなかったのです。たゞ、そばで彼等の話を聞いていれば、それだけで、私は気持よかったのです。

 彼等の話は、ちょっとも無駄なところがなく、簡単で、はっきりしていました。ちゃんと礼儀は守られていて、堅苦しいところがないのです。しゃべることは、話す方も楽しければ、聞く方も気持よくなるようなことばかりです。じゃまも入らねば、退屈もなく、のぼせたり、争ったりするようなことはないのです。

 彼等は大てい、友情とか、慈善とか、秩序とか、経済などのことを話し合います。それから、詩の話もよく出ます。私はヨーロッパで一番偉い人たちの集まりに出るよりも、ここで、フウイヌムの話を開いている方が、ずっと誇らしく思えました。

 私はこの国の住民たちの力と美と速さを感心しました。そして、このような穏やかな、立派な人格を、私はだん〳〵尊敬するようになりました。

 そして私は、自分の家族や友人、同胞などを考えてみると、とてもひどく恥かしくなりました。ヤーフと私たちが違うのは、たゞ人間の方は言葉が話せるということだけで、理性はかえって悪いことに使われています。よく、泉や湖にうつる自分の姿を見たときなど、私は思わず顔をそむけたくなりました。


ヤーフ君、お大事に


 私はこの国にいつまでも住んでいたい、と思うようになりました。ところが、どうしても、この国を立ち去らねばならぬことがもちあがりました。

 この国では、四年ごとに全国から、代表者が集って、会議を開くのです。この会議は野原で、五六日つゞけられます。私の主人も、今度その会議に、代表者として、出て行ったのです。

 ところで、今度の会議で問題になったのは、ヤーフをこの地上に生かせておいて、いゝか悪いかという問題でした。

 一人の議員は次のように演説しました。

「およそ、世の中にヤーフほど、不潔で、いやらしいものはない。彼等はこっそり、牛の乳を吸うやら、猫を殺して食べるやら、畑を荒すやら、ろくなことはしない。

 このヤーフというものは、もとからこの国にいたものではない。伝説によると、あるとき、突然、山の上に二匹のヤーフが現れたという。これは、太陽の熱で腐った泥の中から生れたものかどうか、よくわからないが、一度生れて来ると、子供がずん〳〵ふえて、たちまち全国にひろがってしまった。

 そこでフウイヌムたちは大山狩をして、ヤーフたちを取り囲み、年とったものを殺してしまい、若いのだけ、フウイヌム一人について二匹ずつ、小屋を作って飼うことにした。そこで、あばれものゝ動物も、少しは馴らされ、とにかく物を引かせたり、運ばせたりするくらいの役には立つようになった。

 しかし、住民たちは、ヤーフを使っているうちに、ついうっかり驢馬をふやすことを忘れてしまった。驢馬はヤーフにくらべて、すばしこくはないが、その代り形もいゝし、おとなしくて、臭くもない。われ〳〵は、あのいやらしいヤーフは殺して、その代りに驢馬を使った方がいゝと思う。」

 これには賛成したものも大分ありましたが、私の主人は反対の意見をのべました。

「二匹のヤーフが山に現れたという伝説は、こんなふうに考えられる。あれは、確かに海を越えて、向うからやって来たもので、二匹は上陸すると、そのまゝ山の中へ逃げ込んだものらしい。それから時のたつとともに、だん〳〵野蛮になって、とう〳〵、あんなふうな動物になってしまったのだと思われる。その証拠には、私は不思議なヤーフを一匹持っている。」

 こういって、主人は、私を見つけたときのこと、洋服を着ていること、この国の言葉をおぼえてしまったこと、この国へ来るまでのことを自分で話して聞かせたことなど、いろいろ説明しました。

「こんなふうな、おとなしいヤーフもいるのだから、ヤーフをみな殺しにするのは可哀そうだ。それより、ヤーフの子供をふやさないようにして、驢馬の子をうんとふやすようにしたらいゝと思う。」

 と私の主人はこう演説したのでした。

 私はこの会議のことを主人から聞かされて、なんだか心配になりました。ヤーフをどうすることに決まったのか、それはまだ、はっきり聞かせてもらえなかったのです。

 ある朝、主人から迎えの使が来ました。行ってみると、主人は、どうも何から話し出したらいゝのか、困っている様子でした。が、やっと口を開いて言いました。

 それによると、今度の会議で、私はこの国から出て行ってほしい、ということに決まったのです。

 ヤーフを家に置いて、フウイヌム並みに扱っているとは実にけしからん、と主人は代表者たちから苦情を言われました。普通のヤーフのように働かすか、それとも、泳いで国へ帰らすか、どちらかにせよ、と言われるのです。だが、私を普通のヤーフの仲間に入れたら、ヤーフたちをそゝのかして、夜になると家畜をおそったり、どんな危険なことをやりだすかわからない、というので、やはり泳いで国へ帰らせた方がいゝと決まりました。主人は私に同情して、

「私はむろん一生でも喜んでお前を置いてやりたかったのだが、どうも仕方がない。泳いで帰るといっても、まさかお前の国まで泳げもすまい。だから、いつかお前の話した、海を渡る容れものをひとつ作ってみてはどうか。それなら私の召使や近所の召使にも手伝わせてやる。」

 私は主人にこう言いわたされると、悲しくなって、彼の足許にふら〳〵と倒れました。主人は私が死んでしまったのかと思ったほどでした。しかし、とにかく気を取りなおして、船を作ることに決めました。船ができるまで、二ヵ月待ってもらうことになりました。そして、私は召使の月毛を助手に貸してもらいました。

 私は月毛をつれて、あの海賊どもが私をむりやりに上陸させた海岸の方へ行ってみました。丘にのぼって、ずっと四方を見わたすと、東北の方向に島影のようなものが見えています。望遠鏡を出してのぞいてみると、確かに島です。距離は五リーグぐらいです。とにかく、この島が見つかった以上はもう大丈夫だ、後は運を天にまかせて、あの島まで流れて行こう、と私は決心しました。

 それから家に帰ると、月毛と相談して、今度は森へ出かけて行きました。私は小刀で、彼はフウイヌムの斧を使って、かしわの枝を幾本も切り落しました。それを私はいろ〳〵に細工しました。一番骨の折れるところは月毛が手伝ってくれて、六週間もすると、インド人の使うような独木舟カヌーが一せき出来上りました。

 船はヤーフの皮で張って、手製の麻糸で縫い合せました。帆もやはりヤーフの皮で作りました。兎と鳥の蒸肉、それに牛乳、水を入れた壷を二つ、それだけを船に積み込んでおきました。私はこの船を家の近くの大きな池に浮べてみて、悪いところをなおし、隙間にはヤーフの脂を詰めました。いよいよ、これで大丈夫になりました。そこで、今度は船を車に積み、ヤーフたちに引かせて、静かに海岸まで運んだのです。

 準備が出来上って、出発の日がやって来ました。私は主人夫妻と家族に別れを告げました。目は涙で一ぱいになり、心は悲しみで、掻きむしられるばかりでした。だが、主人は、私が船に乗るところが見たいと言って、近所の人々を誘って一しょにやって来ました。私は潮合を一時間ばかり待っていました。風工合もよくなったので、いよ〳〵向うの島へ渡ろうと思い、そこで、私は改めてまた主人に別れを告げました。私がひれ伏して、彼の蹄にキスしようとすると、彼は静かにそれを私の口許まで上げてくれました。ほかのフウイヌムたちにも、ていねいに挨拶して、舟に乗り込むと、私はいよいよ岸を離れたのです。

 私が岸を離れたのは、一七一四年二月十五日、朝の九時でした。主人や友人たちは、私の姿が見えなくなるまで、海岸に立って、見送ってくれていました。とき〴〵、召使の月毛が、

「ヤーフ君、お大事にね。」

 と、どなってくれるのが聞えました。

 私はできることなら、どこか無人島を見つけたい、と思いました。そこで働きさえすれば、生きてゆける小さな島があったら、私は、ひとりで静かに暮したいのです。私はヨーロッパのヤーフたちの社会へ帰るのは、もう考えただけでも厭でした。

 その日の夕方、向うに小さな島が一つ見えてきて、私は間もなく、そこへ着きました。だが着いてみると、それは大きな岩だったのです。しかし、岩の上によじのぼってみると、東の方に陸地がずっと伸びているのが、はっきり見えました。その晩は舟の中で寝て、翌朝早く起きると、また航海をつづけました。七時間ばかりすると、ニューポランドの東南端に着きました。

 私は武器を持っていないので、奥へ進むのは心配でした。海岸で貝を拾いましたが、火をたいて土人に見つかるといけないので、生のまゝ食べました。三日間は牡蠣と貝ばかり食べていましたが、近くに綺麗な小川があったので、水の方は助かりました。

 四日目の朝、私は少し遠くへ出かけてみました。ふと、前方の丘の上に、二三十人の土人の姿が見えました。男も女も子供も、真裸で、火を囲んでいるのです。一人がふと私の姿を見つけて、すぐほかの者に知らせたかとおもうと、五人の男がこちらへ近づいて来ました。私はもう一目散に海岸へ逃げて帰ると、舟に跳び乗って漕ぎ出しました。

 それから私は舟を北の方へ進めてみました。しばらくすると、向うに帆の影が一つ見えてきました。しかも、船はどん〳〵こちらへ近づいて来るのです。私はこのまゝ待っていようかしらと思いましたが、ヤーフのことを考えると、たまらなくなりました。そこで舟を漕いで一目散に逃げ出しました。そして私が朝出たあの島へまた戻って来ました。私は小川の傍の岩かげに隠れていました。

 後から追って来た舟は、ボートをおろして、この島へ水汲みにやって来ました。そして水夫が上陸するとき、私の独木舟カヌーに気づきました。持主がどこかにいるにちがいないと、彼等はそこらじゅうを探しまわりました。武装した四人の男が、とう〳〵、岩かげにすくんでいる私を見つけだしたのです。革の服、毛皮の靴下、私の奇妙な服装に、彼等は驚いたようです。

「立て、お前は何者だ。」

 と、水夫の一人が、ポルトガル語で尋ねました。ポルトガル語なら、私もよく知っているので、すぐ立ち上って答えてやりました。

「私はフウイヌムの国から追い出された哀れなヤーフです。だから、どうか、このまゝ、そっとしておいてください。」

 ポルトガル語ができるので彼等は驚きましたが、私がまるで馬のようにいなゝいてものを言うのに噴き出してしまいました。私はもう怖くてブル〳〵震えていました。逃がしてください、と言いながら、独木舟の方へ行こうとすると、彼等は私を捕えて、どこの国の者で、どこから来たかなど、いろんな質問をしかけます。

 彼等がものを言いだしたとき、私は犬や牛がものを言いだしたように、全く変な気持にさせられました。私が何度も逃げ出そうとするので、とう〳〵彼等は私をしばりあげて、ボートへ引きずりこみ、それから本船へつれて行かれました。そして私は船長室へ引っ張って行かれました。船長の名前はペドロといゝ、大へん、親切な男でした。

「どうか、あなたの身の上話を聞かせてください。食事はどんなものを召し上りますか。これからは私と同じ待遇にしてあげたいのです。」

 と、こんな親切なことを言ってくれます。しかし、私は相変らず黙り込んでいました。

 私は彼等の臭が厭でたまらなく、今にも倒れそうでした。しかし、彼等は私に一寝入せよと言って綺麗な部屋へ案内してくれました。私は服のまゝベッドに渡ころんでいましたが、三十分ばかりして、水夫たちの食事をしている隙に、そっと抜け出しました。こんなヤーフどもと暮すくらいなら、いっそ海へ飛び込もうと覚悟しているところを、船員の一人に見つけられました。そして、今度は船長室にとじこめられました。

「なぜあんな無謀なことをしようとしたのだ。自分は、できるだけのことをしてあげたいと思っているのに。」

 と船長はしみ〴〵言ってくれます。

 私はごく簡単に、これまでの身の上話をしてやりました。すると、船長は夢の話でも聞いているような顔つきでした。しかし、彼はなか〳〵賢い男で、やがて私の話をだん〳〵わかってくれました。私も、もう二度と逃げ出すようなことはしないと約束しました。

 航海は順調に進みました。一七一五年十一月五日、船はリスボンに着きました。十一月二十四日にイギリス船で私はリスボンを発ち、十二月五日にダウンスに着きました。

 てっきり私を死んだものと思い込んでいた妻子たちは、大喜びで迎えてくれました。家に入ると、妻は私を両腕に抱いてキスしました。だが、なにしろこの数年間というものは、人間に触られたことがなかったので、一時間ばかり、私は気絶してしまいました。





著者から読者へに代えて



あとがき


 ガリバーは十六年と七ヵ月の間、不思議な国々を旅行して来ました。私たちも、彼のあとについて、もう一度、その珍しい国々を廻ってみましょう。

 まず一番はじめに、リリパットの国へ来てみると、どうでしょう。うっかり歩けば、足の下に踏みつぶしてしまいそうな小人がうじょうじょしているではありませんか。小人なんか何でもないとあなどると大間違いです。ガリバーはあべこべに小人の王様の家来にされてしまいます。それから、ハンカチの上で騎兵を走らせたり、軍隊をまたの下に行進させたりします。こんな話なら、もう誰でも一度は絵本で見たり、人から聞かされて知っているはずです。私も子供のときリリパットの国の話を聞いて、縁側でありの行列を眺めていたら、自分がガリバーになったような気がしたものです。しかし、小人の国にも戦争があったり、政争があったりして、ガリバーはとうとうこの国を逃げ出してしまいます。

 それから、その次にブロブディンナグ国へ来てみると、ガリバーはまずきもをつぶします。今度はガリバーの方が小人になっているのです。いくら、ガリバーが強そうな振りをしても、自分の国の自慢をしてみても、この国の人から見れば、まるで虫けらのようなものです。だから、ガリバーは箱に入れられて、カナリヤのように可愛がられています。すると、その箱を鷲がつかんで海へ持って行きます。こうして、ガリバーは大人国ともお別れになります。

 今度はガリバーは飛島へやって来ます。どうもそこには奇妙な人間ばかり住んでいるので、ガリバーはうんざりしてしまいます。それから、バルニバービ国の学士院を見物したり、幽霊の国へ行ったり、死なない人間と会ってみたりします。それからガリバーははるばる日本へまでやって来ます。東京はまだ江戸といわれていた頃のことで、長崎では踏絵があったりします。

 最後にガリバーは馬の国へやって来ます。そこには人間そっくりのヤーフといういやらしい家畜がいるので、まずガリバーはそれを見てぞっとします。それからフウイヌムたちに会い、そこの言葉をおぼえ、そこの国に馴れてくるにしたがって、ガリバーはこの穏やかな理性の国がすっかり気に入ってしまいます。そして人間より馬の方がずっと立派だと思うようになります。だから、この国を彼が追放されたときの嘆きは大へんなものです。それから久し振りで人間と出会うと、ガリバーはたまらなくなって逃げ出そうとします。しかし、人間より馬の方が立派だなど、少し情ない話ではありませんか。ほんとにこれは情ない、奇妙な話にちがいありません。けれども、この話は奇妙でありながら、何か人の心に残るものがあります。読んだら忘れられない話のようです。


 では、こんな不思議な話を書いた人は、一たいどんな人なのでしょうか。

 今からおよそ二百年ばかり前、ジョナサン・スイフトという人がこれを書いたのです。彼は一六六七年、アイルランドのダブリンに生れました。頭の鋭い、野望家でした。はじめは、ロンドンに出てしきりに政治問題に筆を向け、政党にも加わっていました。生れつき諷刺の才能に恵まれていたので、『書物の戦争』とか『桶物語』とかいう本を書いて、当時の社会を皮肉っていました。しかし、後にはアイルランドに引っ込んで、そこで、教会の副監督をしながら、淋しく暮していたのです。

 さて、この『ガリバー旅行記』は一七二六年に書き上げられました。ちょうど、彼が五十九の年で、アイルランドに引退してから十四年目のことでした。

 痛ましいことに、彼はその後、次第に気が狂ってゆきました。一七四五年、七十七歳で、この世を去りました。

 この『ガリバー旅行記』は、これまで広く世界中の人々に親しまれてきた本です。大人にも、子供にも、これくらい、よく読まれてきた本はまれです。これからもまだ多くの人々に読まれてゆくことでしょう。


ガリヴァ旅行記

──K・Cに──


 この頃よく雨が降りますが、今日は雨のあがった空にむくむくと雲がただよっています。今日は八月六日、ヒロシマの惨劇から五年目です。僕は部屋にひとり寝転んで、何ももう考えたくないほど、ぼんやりしています。子供のとき、僕は姉からこんな怪談をきかされたのを、おもいだします。ある男が暗い夜道で、こわい怕いお化けと出逢う。無我夢中で逃げて行く。それから灯のついた一軒屋に飛込むと、そこには普通の人間がいる。ほっと安心して、彼はさきほど出逢ったお化けのことを相手に話しだす。すると、相手は「これはこんな風なお化けだろう」という。見ると、相手はさっきのお化けとそっくりなのだ。男はキャッと叫んで気絶する。──この話は子供心に私をぞっとさすものがありました。一度遇ったお化けに二度も遇わすなど、怪談というものも、なかなか手のこんだ構成法をとっているようです。

 先日から僕はスゥイフトのガリヴァ旅行記をかなり詳しく読み返してみました。小人国の話なら子供の頃から聞かされています。夏の日もうっとりして、よく僕は小人の世界を想像したものです。子供心には想像するものは、実在するものと殆ど同じように空間へ溶けあっていたようです。そういえば、少年の僕は、船乗りになりたかったのです。膝をかかえて、老水夫の話にきき入っている少年ウォター・ロレイの絵を御存知ですか。あの少年の顔は、少年の僕にとても気に入っていたのです。


地図を愛し版画を好む少年には宇宙はその広大なる食慾に等し。

ああ! ランプの光のもと世界はいかに大なることよ!

されど追憶の眼に映せばいかばかり小なる世界ぞ!


 ボードレールは「航海」という詩でこう嘆じていますが、僕自身は今でもまだ人生の航海を卒業していない人間のようです。

 しかし、近頃の新聞記事を読むと、何だか、この地球はリリパットのように、ちっぽけな存在に思えて来るのです。卵を割って食べるのに、小さい方の端を割るべきか、大きい方の端を割るべきかと、二つの意見の相違から絶えず戦争をくりかえさねばならないほど、小っぽけな世界に……

 だが、小人国から大人国、ラピュタ、馬の国と、つぎつぎに読んで行くうちに、僕はもっとさまざまのことを考えさせられました。この四つの世界は起承転結の配列によって、みごとに効果をあげているようですが、僕を少しぞっとさせるのは、あの怪談に似た手のこんだ構成法でした。

 小人国からの帰りに、ガリヴァは船長にむかって体験談をすると、てっきり頭がどうかしていると思われます。そこでポケットから小さな牛や羊をとり出して見せるのです。そして、その豆粒ほどの家畜をイギリスに持って帰って飼ったなどというところは、まだ軽い気分で読めます。しかし、大人国からの帰りには、ガリヴァは箱のなかにいて、鷲にさらわれて海に墜されて船で救われるのですが、ここでも船員たちとガリヴァとの感覚がまるで喰いちがっています。最初私を発見したとき何か大きな鳥でも飛んでいなかったかと、ガリヴァが訊ねると、船員の一人は鷲が三羽北を指して飛んでいるのを見た、が大きさは別に普通の鷲と変ったところはなかったと答えます。もっとも非常に高く飛んでいたので小さく見えたのだろうとガリヴァは考えるのですが、これは少し念が入りすぎているようです。そして、こんな手法は馬の国からの帰航では更らに陰欝の度を加えてくりかえされています。ここでは人間社会から逃げようと試みるガリヴァの悲痛な姿がまざまざと目に見えるほど真に迫って訴えて来ますが、奇妙なのは船長とガリヴァとの問答です。はじめ彼の話を疑っていた船長が、そういえばニューホランドの南の島に上陸して、ヤーフそっくりの五六匹の生物を一匹の馬が追いたててゆくのを見たという人の話をおもいだした、という一節があります。実に短かい一節ながら、ここを読まされると、何かぞっと厭やなものがひびいて来ます。何のために、こんな念の入ったフィクションをつくらねばならなかったのかと、僕には、何だか痛ましい気持さえしてくるのです。

 身振りで他国の言葉を覚えてゆくとか、物の大小の対比とか、そういう発想法はガリヴァ全篇のなかで繰返されています。この複雑な旅行記も、結局は五つか六つの回転する発想法に分類できそうです。だが、それにしても、一番、人をハッとさすのは、ヤーフが光る石(黄金)を熱狂的に好むというところでしょう。僕は戦時中、この馬の国の話を読んでいて、この一節につきあたり、ひどく陰惨な気持にされたものです。陰欝といえば、この物語を書いた作者が発狂して、死んで行ったということも、ゴーゴリの場合よりも、もっと凄惨な感じがします。

 また僕は五年前のことをおもい出しました。原爆あとの不思議な眺めのなかに──それは東練兵場でしたが──一匹の馬がいたのです。その馬は負傷もしていないのに、ひどく愁然と哲人のごとく首をうなだれていました。



一匹の馬


 五年前のことである。

 私は八月六日と七日の二日、土の上に横たわり空をながめながら寝た。六日は河の堤のクボ地で、七日は東照宮の石垣の横で、──はじめの晩は、とにかく疲れないようにとおもって絶対安静の気持でいた。夜あけになると冷え冷えした空が明るくなってくるのに、かすかなのぞみがあるような気もした。しかし二日目の晩は土の上にじかに横たわっているとさすがにもう足腰が痛くてやりきれなかった。いつまでこのような状態がつづくのかわからないだけに憂ウツであった。だが周囲の悲惨な人々にくらべると、私はまだ幸福な方かもしれなかった。私はほとんど傷も受けなかったし、ピンと立って歩くことができたのだ。

 八日の朝があけると私は東練兵場を横切って広島駅をめざして歩いて行った、朝日がキラキラ輝いていた。見渡すかぎり、何とも異様なながめであった。

 駅の地点にたどりつくと、焼けた建物の脇で、水兵の一隊がシャベルを振り回して、破片のとりかたづけをしていた。非常に敏ショウで発ラツたる動作なのだ。ザザザザと破片をすくう音が私の耳にのこった。そこから少し離れた路上にテーブルが一つぽつんと置いてある。それが広島駅の事務所らしかった。私はその受付に行って汽車がいま開通しているものかどうか尋ねてみた。

 それから私は東照宮の方へ引かえしたのだが、ふと練兵場の柳の木のあたりに、一匹の馬がぼんやりたたずんでいる姿が目にうつった。これはクラもなにもしていない裸馬だった。見たところ、馬は別に負傷もしていないようだが、実にショウ然として首を低く下にさげている。何ごとかを驚き嘆いているような不思議な姿なのだ。

 私は東照宮の境内に引かえすと石垣の横の日陰に横臥していた。昼ごろ罹災証明がもらえて戻ってくると今度は間もなく三原市から救援のトラックがやって来た。

 私は大きなニギリ飯を二つてのひらに受けとって、石垣の日陰にもどった。ひもじかったので何気なく私は食べはじめた。しかしふとお前はいまここで平気で飯を食べておられるのか、という意識がなぜか切なく私の頭にひらめいた。と、それがいけなかった。たちまち私は「オウド」を感じてノドの奥がぎくりと揺らいできた。



ガリヴァの歌


必死で逃げてゆくガリヴァにとって

巨大な雲は真紅に灼けただれ

その雲の裂け目より

屍体はパラパラと転がり墜つ

轟然と憫然と宇宙は沈黙す

されど後より後より迫まくってくる

ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪

いかなればかくも生の恥辱に耐えて

生きながらえん と叫ばんとすれど

その声は馬のいななきとなりて悶絶す

底本:「ガリバー旅行記」講談社文芸文庫、講談社

   1995(平成7)年610日第1刷発行

底本の親本:「定本原民喜全集2」青土社

   1978(昭和43)年9

※底本の奥付には、原著作者の表示はありません。しかし、「あとがき」にある「ジョナサン・スイフトという人がこれを書いた」をもとに、このファイルでは、ジョナサン・スイフトを著者、原民喜を訳者としました。混在している「スイフト」と「スゥイフト」の内、著者名としては前者をとりました。

※底本の末尾には、「一九七七年一二月刊、晶文社版『原民喜のガリバー旅行記』の「あとがき」以下四篇を、「著者から読者へに代えて」として収録した。」とあります。

入力:kompass

校正:浅原庸子

2003年53日作成

2014年327日修正

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