怪談綺談
小酒井不木



     はしがき


 伽婢子おとぎぼうこの昔から日本も随分怪談に恵まれているが、その話は多くは似たり寄ったりで、事実談として紹介されているものも大抵千遍一律である。で、私はこれから西洋の文献を探していささか変ったところを紹介しようと思う。


     恐ろしい額


 ガリチアの山奥に美しい古い城がある。これはその地方を統轄しているラ伯爵の居城であって、伯爵には子供がなく、姪のアグニスを引き取って養女とした。

 この城は古風な作りで伯爵の居間と、子供部屋とは大きな広間でへだてられ、あちらこちら往来するにはどうしてもその広間を通らねばならなかった。もしその広間を通らないようにするならば、一たん庭へ出て戸外を歩くより外はなかったのである。

 さてアグニスが伯爵の養女となったのは六歳の時だったが、彼女はその広間を通るたんびにいつも顔色を変え大声を挙げて泣き叫んだ。と言うのは、その広間のドアーの上に、かのギリシャ神話の中のシビルの絵が額にして掛けてあったからで、別に何もこわいところはないのに彼女だけは、いわば虫の好かぬとでも言うのか、その絵を限りなく恐れたのである。

 はじめ人々は彼女がただ子供心に何の意味もなく恐れるのであろうと、いろいろになだめても見たが、彼女のその額に対する恐怖は無くなるどころか年を追うて激しくなって行った。で、仕舞いには彼女はその広間を通らぬようにして雨が降っても雪が降っても、伯爵の居間へ往復する時は、必ず庭を通るのであった。

 そういう状態が凡そ十年も続いているうちに、彼女は良縁があって養子を迎えることになった。そうしてその結婚披露が伯爵の居城で華々しく行われた。夕方になって彼女は幸福そうに多くの客に囲繞とりかこまれて、はしゃぎ廻っていたが、何を思ったか彼女はふと十年も通らぬ広間へ這入はいって見たくなった。多分大勢の人々と一緒であるから心強く思ったことであろう。先登せんとうに立ってつかつかと広間のドアーを開けて薄暗い部屋の中へ進んだ。

 ところが一歩踏み入れるなり、彼女はさっと顔色を変えて、たじたじと後退あとずさった。人々はもとよりその理由わけを知らないから、多分彼女がお芝居をしているのであろうと、大いに笑って後退った彼女を無理に再び中へ押込んで、あまつさえドアーを立てて錠を下ろしてしまった。

 次の瞬間彼女は悲鳴をあげて、ドアーを開けるべく力任せにゆすぶっていたが、やがてガチャンという物の落ちる音がして、そのままばったり静寂に返ったので、人々は気味が悪くなってドアーを開いてみると、哀れにも彼女は上から落ちて来たシビルの絵の額に脳天を打ち砕かれ血溜りをつくって死んでいた。


     木乃伊の祟り


 エジプトの王朝時代の墓を掘り出すものは必ず祟りを受けて不幸を受けたり死んだりするという言い伝えがある。のみならず発掘されてから諸方へ運ばれた木乃伊ミイラがその行先でいろいろな祟りを起したという例もまたすくなくない。かつてロンドンの大英博物館にエジプトのある王妃の木乃伊が陳列された。記録によると西暦紀元前千六百年にテーベスに住んだ人であると分った。

 ところが発掘に加ったド氏は木乃伊発見の二三日を経たある日、何気なく銃を取り上げると突然爆発して右の腕を失った。同じく発掘に携ったド氏の友人の一人は、その同じ年全財産を失い、今一人はやはり同じ年にピストルで打たれて死んだ。

 木乃伊の所有者たるウ氏はカイロから帰宅してみると留守中に財産の大部分が無くなっていて、間もなく病を得て死んだ。木乃伊が英国につくなりウ氏はこれを他家に嫁入よめいっている妹に送ったが、妹の家には受取った日から不幸が続いた。彼女は先ず木乃伊の写真を撮らせるとて、ある写真師に来て貰って撮影せしめたが、数日の後写真師が来て言うには、誰も写真をいじらない筈であるのに写った姿を見ると、顔は木乃伊とは全く違った生きたまんまの恐ろしい眼附をした女で、とても気味が悪くて持って来ることが出来ませんでしたと言うのであった。その後間もなく写真師は不思議な病に罹って急死した。

 恰度その頃、ド氏がある日偶然ウ氏の令妹に会った。彼女はすべての不愉快な出来事を物語った後、これ以上家に置いたらば、どんな不幸が起るかも知れないから早速大英博物館へ寄附するつもりだと言った。果して数日の後その事が実行された。ところがその時博物館へ運んだ男は翌週死んでしまい、すけに出た男も大怪我をした。

 いよいよ博物館に納められて、順序として写真を撮影することになったが、写真師が助手を連れてやって来ると、天候のせいかどうしても光線の工合が悪かったので別の日に撮り直すことにして博物館を出たが、写真師は乗合自動車に乗る時に拇指おやゆびをはさまれて骨を挫き、助手が家へ帰ってみると、子供の一人は硝子ガラス窓にぶつかって重傷を負っていた。

 こういう噂が拡まると後には木乃伊を眺めただけで祟りを受けるという風に言いふらす者が出来て来た。余りに評判が高くなったので時の宰相アスキスは、そんな馬鹿なことがある筈はない。その証拠に自分で行って見て来ようと言い出した。けれども閣僚達はもしものことがあっては内閣の更迭が行われぬとも限らぬので極力いさめてそれを思い止どまらせた。

 博物館の番人達は当然異常なおそれをなし、館長に向って、木乃伊を動かして下さるか、さもなければ私達はやめさせて頂くと言いだした。そこで幹部たちは鳩首合議の結果模造品を作って置き換え、本物を地下室へ入れることにした。それ以後祟りの話はぱったり絶えてしまった。もっともこれは世間には内証で行ったことであるが、アメリカのある木乃伊研究者はこの謀計を察して、館の当局者をなじったので、止むなく館長は地下室へ伴って現物を見せてやった。するとアメリカ人はいっそ内証でアメリカへお譲りにならぬかと言った。そこでさんざん持ちあぐんでいたこととて、間もなく相談一決してアメリカへ譲ることになった。そうしてそれを積み込んだ船は、かの今に人々の胆を寒からしめたタイタニック号であった。


     空中の音楽


 西暦一八七四年九月八日詩人メーリケはス市の閑居で七十回の誕生祝をやった。祝と言っても近親数人を招いただけであって、あっさりした晩餐が済むと間もなく詩人は寝床に入って眠った。ほどなく人々も去ってただ詩人の妹のクララと、娘のマリーだけは後片附をするとて長らく起きていた。

 すると段々夜が更けて行って、辺りはしんと静まり返えり、木の葉の落ちる音さえはっきり聞えたが、突然二人の耳に美しい音楽が聞えて来た。それは恰度竪琴のような楽器ので二人はいつの間にか微妙な曲調に魅せられて手を休めてうっとりと聞きとれていたが、やがてクララははっと我に返って、さて、どこで誰があの音楽を奏しているのかと、窓をあけて辺りを眺め廻した。けれども街の上にも又家の附近にも何者の姿も見えなかった。不審に思って彼女は姪のマリーに向って、

「確かに聞いたでしょう」

 と言うと、マリーは蒼ざめて頷いた。

 するとその時、隣の寝室から詩人メーリケが、

「誰だ、あの音楽はどこだ」

 と叫んだ。

 が、もうその時は音楽は消えて辺りは、もとの静けさに返っていた。

 程なくメーリケは寝巻のまま二人の所へやって来て、悲しそうな顔をして、

「誕生日も今日で到頭おしまいだ」

 と叫んだ。

 果して彼は翌年の六月四日に死んで、七十一回の誕生日を迎えることが出来なかった。


     夢と死


 不吉な夢と死との関係を示す例は日本にも尠くないが、西洋にはかなりに豊富にある。

 アメリカに、ある若い臨月の女があった。三月五日に、余程以前に亡くなった父の夢を見た。その時父は手に大きな活字のめくり暦を持って、黙って三月二十二日を示していた。

 めてから彼女は姉をはじめ親戚の者に夢の話をして、多分三月二十二日にお産があるだろうと話した。ところが予期に反して三月十二日に子が生れた。産婦はその後夢の話を口にしなかったが、三月二十一日の午後突然意識を失ったかと思うと、翌二十二日敢えなくこの世を去った。

 次はウインの話である。

 ウインのある街に絹物を商う店があった。ある朝雇女の一人が顔色を変えて主婦に向って言った。

「おかみさん、わたしゆうべ大へんな夢を見ました。恰度ここから三軒先の革屋の店先で真黒な犬が、火のような眼をして、牙を鳴らしながら何か物をたべていました、あんまりその姿が物凄かったので恐ろしさの余りその場に立すくんでしまい、声を上げて救けを叫ぶとそれで眼がさめてしまいました。きっと、あの革屋の家に何か事が起きたに違いありません」

 主婦はそれを聞いて笑いながら彼女の意見を否定すると、彼女はいよいよ真面目になって、

「いいえ、ほんとうです、確に今に何事かが起るに違いありません」

 と、どこ迄も真面目に主張するのであった。

 すると午前十時頃になって裏通りが俄かに騒しくなり、大勢の人だかりがして来たので何事が起きたのかと、主婦が聞いてみると、三軒先の革屋の主人が昨夜ゆうべ首を吊って死んだということであった。


     耳を叩く


 ドイツの話である。ある重病の女患者が久しく床について、彼女の一人娘に手篤い看護を受けていた。

 母一人、子一人のことであるから、娘は必死になって介抱に努めたが、薬石効なく遂に母親は悲しき息を引き取った。

 すると娘の悲嘆は絶大であった。彼女はもう二十歳過ぎていたから相当に理性も発達していたのであるが、何しろ杖とも柱とも頼っていた母に死なれたことであるから、絶望のあまり取り乱してしまったのである。彼女は医師や親戚の者の前をも構わず泣き叫び、ただ泣いてだけいるならよいが後にはまるで発狂したように部屋の中を走り廻り、狂いたけって人々の制するのもものかは今一時間も過ぎたらほんとうに気が違ってしまいはせぬかと危まれて来た。と言って、最早手出しをするものさえなく、人々は只もう黙って彼女の取り乱した姿を眺めているより他はなかった。

 突然。

「ピシリ!」

 という音が部屋の中で響いた。それは恰度眼に見えぬ何者かが、彼女の耳を叩いたかのように思われた。

 すると今迄狂い叫んでいた娘は急に静かになり、まるで狂気から回復したかのように真面目な姿になり、隣室にある母の死体の側に近寄って、人々とねんごろに葬式の相談などをするのであった。


     無形の蜂


 ヒステリーの女の話である。

 ある若いヒステリーの女が、寝椅子に腰かけていた。それは夏のことであって、部屋の隅に煽風機がかけられてあったが、静かな空気の中で、まるで生き物であるかのような音を立てていた。やがてドアーを叩く音が聞え彼女の許可の言葉と共に這入はいって来たのは、毎日来る若い医師であった。

 医師の姿を見るなり、突然彼女は立ち上って、

「ああ先生大へんです、あんな大きな蜂が、あれあれ私を……」と言って逃げ廻ろうとするので医師は驚いて、

「心配しなくともよろしい、蜂は窓から追い出してしまえばよろしい」

「いえ、いえ、いけません、いけません、あれあれ、私の眼の方へ……あ痛ッ」

 と言って彼女は両手で顔を押えてその場に蹲踞うずくまってしまった。

 あまりの事に医師はあきれて暫らく、すところを知らなかったが、やがて彼女を抱き起してその手を除くと、驚いたことに右の下瞼があんずの大きさに腫れ上っていた。それは恰度生きた蜂に刺されたのと少しも違わず激しい痛みを伴い、強い潮紅を呈していた。


     予言の不思議


流竄るざん中のカイゼル」の著者ベンチンク夫人が、一九一四年二月エルサレムへ旅行して、船がポートセードに着くと突然甲板へ印度人の予言者が乗り込んでつかつかと夫人の前へ寄って来て、

「未来を予言しますから二ポンド下さい」

 と言った。

 夫人は余りその種のことを好まなかったが、どうしたはずみか急に好奇心が湧いて二ポンドの紙幣さつを印度人に与えた。

 やがて件の印度人は、甲板に跪きながら暫らく御祈りめいたことをしていたが、突然立ち上って、

「八月、八月にはどえらい事がある」と叫んだ。夫人は驚いて息をはずませ「私の身の上にか?」

「いえいえ、世界中が血だらけになるのです」

 こう言って彼は去ってしまった。

 八月果して欧洲戦争が起った。

 手相からも深い予言が出来るらしい。ヘロン・アレン氏の手相に関する書を読むと、同氏がかつてロンドンの郊外の友人の宅で、若い女に手相を見て貰ったことを書いている。彼女は言った。

「あなたはかつて婚約なさいましたが、あなたの気儘で破約なさいました。恰度二年程の前のことですが、それ以来あなたの健康がすぐれなくなりました」

 もっと言おうとしたのをアレン氏は手を引込ひっこめてしまった。と言うのは一々それが当っていたからである。

 実際手相は過去のことばかりでなく、現在のこと、未来のこともよく分るらしい。私は本誌の連載小説「恋魔怪曲」の中に、ある予言者をして、手相に依る予言を行わしめたが、それは全くの空想ではなく、これらの事が材料となっているのである。

(「講談倶楽部」昭和三年三月号)

底本:「探偵クラブ 人工心臓」国書刊行会

   1994(平成6)年920日初版第1刷発行

底本の親本:「講談倶楽部」

   1928(昭和3)年3月号

初出:「講談倶楽部」

   1928(昭和3)年3月号

入力:川山隆

校正:門田裕志

2007年821日作成

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