改暦辨
福澤諭吉



大陽暦たいやうれき大陰暦たいゝんれきとの辨別べんべつ

此度このたび大陰暦たいゝんれきやめ大陽暦たいやうれきとなし、明治五年十二月三日を明治六年一月一日とさだめたるは一年にはかに二十七日の相違さうゐにて世間せけんにこれをあやしものおほからんとおもひ、西洋せいやうしよ調しらべくにおこなはるゝ大陽暦たいやうれきと、古來こらい支那から日本につぽんとうもちふ大陰暦たいゝんれきとの相違さうゐしめすことごとし。

大陽たいやうとは日輪にちりんのことなり。大陰たいゝんとはつきのことなり。れきとはこよみのことなり。ゆゑ大陽暦たいやうれきとは日輪にちりんもとにしてたてたるこよみ、大陰暦たいゝんれきとはつきもとにしてたてたるこよみとなり。此世界このせかい地球ちきうとなまろきものにて自分じぶんひながら日輪にちりん周圍まはりまはること、これをたとへば獨樂こまひながら丸行燈まるあんどう周圍まはりまはるがごとし。獨樂こま自分じぶん一度いちどまはるはすなは地球ちきう自轉じてんといふものにて、行燈あんどうかたむきたる半面はんめんひるとなり、うら半面はんめんとなり、この一轉ひとまはり一晝夜いつちうやとするなり。獨樂こまひながら行燈あんどう周圍まはりまはるはすなは地球ちきう公轉こうてんふものにて、行燈あんどう一廻ひとまはりまはりてもと塲所ばしよかへあひだに、春夏秋冬しゆんかしうとう時候じこうへんじ、一年をすなり。さて日輪にちりん周圍まはり地球ちきうまはみちは六おく里數りすうあり。この六億里おくり道程みちのりを三百六十五日と六とき實は五時四十八「ミニウト」四十八「セ
カンド」なれども先つ六時とするなり
あひだ一廻ひとまはりしてもとところかへるなり。すなは地球ちきう自轉じてんにてへば三百六十五と、四半分しはんぶんまはあひだに六億里おくりみちはしることなり。大陽暦たいやうれきはこの勘定かんぢやうもとにして日輪にちりん周圍まはり地球ちきう一廻ひとまはりするあひだを一年とさだめたるものなり。しかるに此一廻このひとまはりあひだ丁度ちやうど三百六十五日ならば千年も万年もおなじ暦にて差支さしつかへなきはづなれども、六十五日の上端うわはに六ときといふものありて毎年まいねんときづ〻おくれ、四年には四六二十四ときすなはち一日のおくれとなるゆへ、四年目には一日して其間そのあひだ地球ちきうはしらしめ、丁度ちやうどもとところ行付ゆきつくつなり。すなはちこれ閏年じゆんねんなり。みぎごと大陽暦たいやうれき日輪にちりん地球ちきうとをてらあはせて其互そのたがひ釣合つりあところもつて一年の日數ひかずさだめたるものゆへ、春夏秋冬しゆんかしうとう寒暖かんだん毎年まいとしことなることなく何月何日なんぐわつなんにちといへば丁度ちやうど去年きよねん其日そのひおな時候じこうにて、たねくにも、いねるにも態々わざ〳〵こよみいだしてせつるにおよばず。去年きよねん彼岸ひがんが三月の二十一日なれば今年ことし彼岸ひがん丁度ちやうど其日そのひなり。かつ毎年まいねん日數ひかず同樣どうやうなるゆゑ、一年とさだめて約條やくでうしたること丁度ちやうど一年の日數ひかずにて閏月しゆんげつため一箇月いつかつき損徳そんとくあることなし。其外そのほか便利べんりは一々かぞあぐるにおよばざることなり。たゞ此後このゝち所謂いはゆる晦日みそかつきることあるべし。かずらざる無學むがくひとには、一時いちじおどろかすの不便ふべんあらん文盲人もんまうじん不便ふべんどくながらかへりみるにいとまあらず。其便不便そのべんふべんしばらさしをき、かく日輪にちりんもとなり、つきつきものなり。つきものをあてにせずして、もとよつこよみたつるは、事柄ことがらおいたゞしきみちといふべし。

大陰暦たいゝんれきつき目當めあてにしてさだめたるこよみはふなり。つき此地球このちきう周圍まはりまはるものにて其實そのじつは二十七日と八ときにて一廻ひとまはりすれども、地球ちきうつきとの釣合つりあひにて丁度ちやうど一廻ひとまはりしてもとところかへるには二十九日と十三ときなり。大陰暦たいゝんれき毎月まいげつ十五日のまろつき趣向しゆかうなれども、みぎの二十九日と十三ときを十二あはせて十二箇月かつきとしては三百六十五日にらず、すなはつきすでに十二地球ちきう周圍まはりまはりたれども、地球ちきうはいまだ日輪にちりん周圍まはり一廻ひとまはりせざるなり。此差このさおよそ二年半餘はんあまりにして一月ばかりなるゆゑ、其時そのときいた閏月しゆんげつき十三ヶ月を一年となし、地球ちきうすゝんもとところ行付ゆきつくまつなり。またこれをたとへばあらまし三百六十五文はらふべき借金しやくきんを、毎月まいつき二十九文五づゝの濟口すみくちにて十二はらへば一年におよそ十一文づゝの不足ふそくあり。十一文づゝ二年半餘はんあまりもとゞこふらば大抵たいてい三十文ばかりの引負ひきおひとなるべし。閏月しゆんげつすなはちこの三十文の引負ひきおひを一月にまとめてはらふことゝるべし。みぎ次第しだいにて大陰暦たいゝんれき春夏秋冬しゆんかしうとうせつかゝはらず、一年の日數ひかずさだむるものなれば去年きよねん何月何日なんぐわつなんにちと、今年ことし其日そのひとはたゞとなへのみ同樣どうやうなれども四季しきせつかなら相違さうゐせり。ゆゑ入梅つゆ土用どよう彼岸ひがんなどゝて農業のふげふせつは一々こよみざればかなはぬこと〻なれり。かつまたこれまでのこよみにはつまらぬ吉凶きつきやうしる黒日くろび白日しろびのとてわけもわからぬ日柄ひがらさだめたれば、世間せけんこよみひろひろまるほど、まよひたねおほし、あるひ婚禮こんれい日限にちげんのばし、あるひ轉宅てんたくときちゞめ、あるひ旅立たびだちおくれて河止かはどめふもあり。あるひ暑中しよちう葬禮さうれいのばして死人しびと腐敗ふはいするもあり。一年とさだめたる奉公人ほうこうにん給金きうきんは十二箇月のあひだにも十兩、十三月のあひだにも十兩なれば、一月はたゞ奉公ほうこうするか、たゞ給金きうきんはらふか、いづれにも一ぽうそんなり。其外そのほか不都合ふつがふかぞふるにいとまあらず。これみな大陰暦たいゝんれきたゞしからざるところなり。

みぎ次第しだいにて此度このたび大陰暦たいゝんれきあらためて大陽暦たいやうれきにはかに二十七日のおこしたれどもすこしもあやしむにらず。事實じゞつそんにもあらず、とくにもあらず、千萬歳ののちいたるまで便利べんりしたるなり。すべひとたるものつね物事ものごとこゝろとゞめ、あたらしきことおこることあらば、何故なにゆゑありてかゝこと出來できしやと、よく其本そのもと詮索せんさくせざるべからず。其本そのもと由縁いはれをさへわきまふれば如何いかなる新奇しんきなることにてもあやしむにるものなし。此度このたび改暦かいれきにても其譯そのわけらずして十二月の三日が正月の元日ぐわんじつになるとばかりいふて、夢中むちうにこれを夢中むちうにこれをつたへなばじつおどろくべきことなれども、平生へいぜいよりひとむべき書物しよもつみ、物事ものごと道理だうりべんじてよく其本そのもとたづぬればすこしも不思儀ふしぎなることにあらず。ゆゑ日本國中につぽんこくちう人民じんみん此改暦このかいれきあやしひとかなら無學文盲むがくもんまう馬鹿者ばかものなり。これをあやしまざるものかなら平生へいぜい學問がくもん心掛こゝろがけある知者ちしやなり。されば此度このたび一條いちでう日本國中につぽんこくちう知者ちしや馬鹿者ばかものとを區別くべつする吟味ぎんみ問題もんだいといふもなり。

地球ちきうまひながら日輪にちりん周圍まはりまは此道程このみちのりイギリスの里法りはふにて六おくあり


地球ちきう周圍まはりつきまは、「い」じるしよりはじまり「ち」じるしいたる。此廻このまはみちにてつき盈虚みちかけ

ウヰークの日の

西洋せいやうにては一七日を一ウヰークとなづけ、世間日用せけんにちようこと大抵たいてい一ウヰークにて勘定かんぢやうせり。たとへば日雇賃ひようちんにても借家賃しやくやちんにても其外そのほかもの貸借かしかり約束やくそく日限にちげんみないづれも一ウヰークにつき何程なにほどとて、一七日毎ひとなぬかごときりつくること、我邦わがくににて毎月まいつき晦日みそかかぎりにするがごとし。その一七日のとなへごと

サンデー          日曜日にちえうにち

マンデー          ぐわつ曜日

チユウスデー        くわ曜日

ヱンスデー         すい曜日

サアスデー         もく曜日

フライデー         きん曜日

サタデー          曜日

みぎごとさだめてサンデイは休日きうじつにて、商賣しやうばいつとめ何事なにごと休息きうそくすることむかしの我邦わがくに元日ぐわんじつごとし。

一年の月の

一年は十二にわかち十二月とす其名そのなかずごとし。

 月の名              日の數

ジヤニユアリー   一月     三十一日

ヘブリユアリー   二月     二十八日

マーチ       三月     三十一日

ヱプリル      四月     三十日

メイ        五月     三十一日

ジユン       六月     三十日

ジユライ      七月     三十一日

アウグスト     八月     三十一日

セプテンバー    九月     三十日

ヲクトヲバー    十月     三十一日

ノベンバー     十一月    三十日

ヂセンバー     十二月    三十一日

みぎごとくし三月四月五月をはるとし、六月七月八月をなつとし、九月十月十一月をあきとし、十二月一月二月をふゆとするなり。

時計とけい見樣みやう

西洋せいやうにては一晝夜いつちうやを二十四に分つゆゑ、の一日本につぽんきう半時はんじなり。其半時そのはんじを六十にわかつて、これを一分時ぶんじ(ミニウト)といふ。またこの一分時ぶんじを六十にわけて一「セカンド」とふ。一「セカンド」は大抵たいていみやく一動いちどうおなじ。さて時計とけい盤面ばんめんを十二にわかち、短針たんしん一晝夜いつちうやに二づゝまはり、長針ちやうしんは二十四づゝまは仕掛しかけにせり。正午しやうごまた夜半やはん十二もととし、このときには短針たんしん長針ちやうしんたゞしくかさなあふて十二ところす。これより段々だん〴〵みぎはうまは短針たんしんの一すときは、長針ちやうしん盤面ばんめんを一まはりして六十分時ぶんじぎ、また十二ところもどり、これよりまた次第しだいすゝ短針たんしんの一と二とのあいだきたるときは、長針ちやうしん盤面ばんめん半分はんぶんまはりて三十分時ぶんじぎ、丁度ちやうどところきたれり。ゆゑ時計とけいときしるには短針たんしんところて、ぎに長針ちやうしん居所ゐどころるべし。たとへば短針たんしんところ、九と十とのあひだにして長針ちやうしんところ、二ところなれば九ぎ十分時ぶんじなりとふことなり。また此短針このたんしんと十とのあひだ半過なかばすぎて十はう近寄ちかより、長針ちやうしんすゝんで八ところきたればこれを十まへ二十分時ぶんじと云ふ。すなはその二十分時ぶんじとは長針ちやうしんの十二ところいたまで二十分時ぶんじあるとふことにて、いづれも長針ちやうしんは十二もとにし盤面ばんめんにある六十のてんかぞへて何時なんじ何分時なんぶんじふことをるべし。しめ時計とけいは九ぎ二十三分時ふんじところなり。

時計の圖

底本:「福澤全集 卷二」時事新報社

   1898(明治31)年

初出:「改暦辨」慶應義塾

   1873(明治6年)年11日発兌

※国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました

※「大陽」と「大陰」は、底本通りです。

※「閏」に対するルビの「じゆん」と「しゆん」の混在は、底本通りです。

※表題は底本では、「改暦辨かいれきべん」となっています。

※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。

※誤植を疑った箇所を、「改暦辨」慶應義塾、1873(明治6年)年11日発兌の表記にそって、あらためました。

入力:田中哲郎

校正:高橋征義

2018年1224日作成

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