十月の末
宮沢賢治



 ッコは、小さなわらじをはいて、赤いげんこを二つ顔の前にそろえて、ふっふっと息をふきかけながら、土間から外へ飛び出しました。外はつめたくて明るくて、そしてしんとしています。

 嘉ッコのお母さんは、大きなけらを着て、なわかたにかけて、そのあとから出て来ました。

があ昨夜ゆべな、土ぁ、みだじゃぃ。」嘉ッコはしめった黒い地面を、ばたばたみながらいました。

「うん、しもぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土ぁぐじゃぐじゃづがべもや。」と嘉ッコのお母さんは、半分ひとりごとのように答えました。

 嘉ッコのおばあさんが、やっぱりけらを着て、すっかり支度したくをして、家の中から出て来ました。

 そして一寸ちょっと手をかざして、明るい空を見まわしながらつぶやきました。

ごぁ、今朝ももどて来なぃがべが。でぁこったにいしょがしでば。」

「爺ごぁ、今朝も戻て来なぃがべが。」嘉ッコがいきなりさけびました。

 おばあさんはわらいました。

「うん。けづごだもな。たぐれでばがり居で、一向仕事けるもさないで。今日も町で飲んでらべぁな。うなごにるやなぃじゃぃ。」

「ダゴダア、ダゴダア、ダゴダア。」嘉ッコはもう走ってかきの出口のやなぎの木を見ていました。

 それはツンツン、ツンツンと鳴いて、枝中えだじゅうはねあるく小さなみそさざいで一杯いっぱいでした。

 実に柳は、今はその細長い葉をすっかり落して、冷たい風にほんのすこしゆれ、そのてっぺんの青ぞらには、町のお祭りの晩の電気菓子でんきがしのような白い雲が、静にけているのでした。

「ツツンツツン、チ、チ、ツン、ツン。」

 みそさざいどもは、とんだりはねたり、柳の木のなかで、じつにおもしろそうにやっています。柳の木のなかというわけは、葉の落ちてカラッとなった柳の木の外側には、すっかりガラスが張ってあるような気がするのです。それですから、嘉ッコはますます大よろこびです。

 けれどもとうとう、そのすきとおるガラスばこもこわれました。それはお母さんやおばあさんがこっちへ来ましたので、嘉ッコが「ダア。」といいながら、両手をあげたものですから、小さなみそさざいどもは、みんなまるでまん円になって、ぼろんと飛んでしまったのです。

 さてみそさざいも飛びましたし、嘉ッコは走って街道かいどうに出ました。

 電信ばしらが、

「ゴーゴー、ガーガー、キイミイガアアヨオワア、ゴゴー、ゴゴー、ゴゴー。」とうなっています。

 嘉ッコは街道のまん中に小さなうでを組んで立ちながら、松並木まつなみきのあっちこっちをよくよくながめましたが、松の葉がパサパサ続くばかり、そのほかにはずうっとはずれのはずれの方に、白い牛のようなものが頭だか足だか一寸出しているだけです。嘉ッコは街道を横ぎって、山の畑の方へ走りました。お母さんたちもあとから来ます。けれども、このみちならば、お母さんよりおばあさんより、嘉ッコの方がよく知っているのでした。路のまん中に一寸顔を出している円いあばたの石ころさえも、嘉ッコはちゃんと知っているのでした。きる位知っているのでした。

 嘉ッコは林にはいりました。松の木やならの木が、つんつんと光のそらに立っています。

 林を通りけると、そこが嘉ッコの家の豆畑まめばたけでした。

 豆ばたけは、今はもう、茶色の豆の木でぎっしりです。

 豆はみな厚い茶色の外套がいとうを着て、百列にも二百列にもなって、サッサッと歩いている兵隊のようです。

 お日さまはそらのうすぐもにはいり、向うの方のすすきの野原がうすく光っています。

 黒い鳥がその空の青じろいはてを、ななめにかけて行きました。

 お母さんたちがやっと林から出て来ました。それから向うの畑のへりを、もう二人の人が光ってこっちへやって参ります。一人は大きく一人は黒くて小さいのでした。

 それはたしかに、となりのぜんコと、そのお母さんとにちがいありません。

「ホー、善コォ。」嘉ッコは高く叫びました。

「ホー。」高く返事がひびいて来ます。そして二人はどっちからもかけ寄って、ちょうど畑のさかいで会いました。善コの家の畑も、茶色外套の豆の木の兵隊で一杯です。

うなぃの家さ、今朝、霜降ったが。」と嘉ッコがたずねました。

「霜ぁ、おれぁの家さ降った。うなぃの家さ降ったが。」善コがいいました。

「うん、降った。」

 それから二人は善コのお母さんが持って来たむしろの上にすわりました。お母さんたちはうしろで立ってはなしています。

 二人はむしろに座って、

「わあああああああああ。」と云いながら両手で耳をふさいだりあけたりして遊びました。ところが不思議なことは、「わああああああああ。」と云わないでも、両手で耳を塞いだりあけたりしますと、

「カーカーココーコー、ジャー。」という水の流れるような音が聞えるのでした。

「じゃ、うな、あの音ぁ何の音だがおべだが。」

 と嘉ッコが云いました。善コもしばらくやって見ていましたが、やっぱりどうしてもそれがわからないらしく困ったように、

奇体きたいだな。」と云いました。

 その時丁度嘉ッコのお母さんがあぜの向うの方から豆を抜きながらだんだんこっちへ来ましたので、嘉ッコは高く叫びました。

があ、こうにしてガアガアど聞えるものぁ何だべ。」

西根山にしねやまたきの音さ。」お母さんは豆の根の土をばたばた落しながら云いました。二人は西根山の方を見ました。けれどもそこから滝の音が聞えて来るとはどうも思われませんでした。

 お母さんが向うへ行って今度はおばあさんが来ました。

「ばさん。こうにしてガアガアコーコーど鳴るものぁ何だべ。」

 おばあさんはやれやれとこしをのばして、手のこうで額を一寸ちょっとこすりながら、二人の方を見て云いました。

あま邪鬼しゃぐ小便しょんべの音さ。」

 二人は変な顔をしながらだまってしばらくその音を呼び寄せて聞いていましたが、にわかに善コがびっくりする位叫びました。

「ほう、天の邪鬼の小便ぁ永ぃな。」

 そこで嘉ッコが飛びあがって笑っておばあさんの所に走って行っていいました。

「アッハッハ、ばさん。天の邪鬼の小便ぁたまげだ永ぃな。」

「永ぃてさ、天の邪鬼ぁいっつも小便、垂れ通しさ。」とおばあさんはすまして云いながらまた豆を抜きました。嘉ッコはあきれてぼんやりとむしろに座りました。

 お日さまはうすい白雲にはいり、黒い鳥が高く高くをつくっています。その雲のこっち、豆の畑の向うを、鼠色ねずみいろの服を着て、鳥打をかぶったせいのむやみに高い男が、なにかたくさん肩にかついで大股おおまたに歩いて行きます。

「兵隊さん。」善コが叫びながらそっちへかけ出しました。

「兵隊さだなぃ。鉄砲てっぽう持ってなぃぞ。」嘉ッコも走りながら云いました。

「兵隊さん。」善コが又叫びました。

「兵隊さんだなぃ。鉄砲持ってなぃぞ。」けれどもその時は二人はもう旅人の三間ばかりこっちまで来ていました。

「兵隊さん。」善コは又叫んでからおかしな顔をしてしまいました。見るとその人は赤ひげで西洋人なのです。おまけにその男が口を大きくして叫びました。

「グルルル、グルウ、ユー、リトル、ラズカルズ、ユー、プレイ、トラウント、ビ、オッフ、ナウ、スカッド、アウエイ、テゥ、スクール。」

 とかみなりのような声でどなりました。そこで二人はもうグーとも云わず、まん円になって一目散にげました。するとうしろではいかにも面白おもしろそうに高く笑う声がします。向うの方ではお母さんたちが心配そうに手をかざしてこっちを見ていましたが、やがて一寸おじぎをしました。二人はり返って見ますとその鼠色の旅人も笑いながら帽子ぼうしをとっておじぎをしてりました。そして又大股に向うに歩いて行ってしまいました。

 お日さまが又かっと明るくなり、二人はむしろに座ってひばりもいないのに、

「ひばり焼げこ、ひばりこんぶりこ、」なんて出鱈目でたらめなひばりの歌を歌っていました。

 そのうちに嘉ッコがふと思い出したように歌をやめて、一寸顔をしかめましたが、俄かに云いました。

「じゃ、うなぃのごぁ、酔ったぐれだが。」

「うんにゃ、おれぁの爺ごぁ酔ったぐれだなぃ。」善コが答えました。

「そだら、うなぃの爺ごど俺ぁの爺ごど、爺ご取っぇだらいがべじゃぃ。取っ換ぇなぃどが。」嘉ッコがこれを云うか云わないにウンと云うくらいひどく耳をひっぱられました。見ると嘉ッコのおじいさんがけらを着て章魚たこのような赤い顔をして嘉ッコを上から見おろしているのでした。

「なにしたど。爺ご取っ換ぇるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父おじでやるべが。」

「じさん、許せゆるせ、取っ換ぇなぃはんて、ゆるせ。」嘉ッコは泣きそうになってあやまりました。そこでじいさんは笑って自分も豆を抜きはじめました。


        *


 火は赤く燃えています。けむりは主におじいさんの方へ行きます。

 嘉ッコは、黒猫くろねこをしっぽでつかまえて、ギッと云うくらいにいていました。向う側ではもう学校に行っている嘉ッコの兄さんが、かばんから読本とくほんを出して声を立てて読んでいました。

「松を火にたくいろりのそばで

 よるはよもやまはなしがはずむ

 母が手ぎわのだいこんなます

 これがいなかのとしこしざかな。第十三課……。」

「何したど。大根なますだど。としこしざがなだど。あんまりけづな書物だな。」とおじいさんがいきなり云いました。そこで嘉ッコのお父さんも笑いました。

「なあにこの書物ぁ倹約けんやく教えだのだべも。」

 ところが嘉ッコの兄さんは、すっかり怒ってしまいました。そしてまるで泣き出しそうになって、読本を鞄にしまって、

「嘉ッコ、猫ぉおれさ寄越よこせじゃ。」と云いました。

「わがなぃんちゃ。んたちゃ。」と嘉ッコが云いました。

「寄越せったら、寄越せ。嘉ッコぉ。わあい。寄越せじゃぁ。」

たぁ、厭たぁ、厭たったら。」

「そだらだぐじゃぃ。いいが。」嘉ッコの兄さんが向うで立ちあがりました。おじいさんがそれをとめ、嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、にわか途方とほうもない、空の青セメントが一ぺんに落ちたというようなガタアッという音がして家はぐらぐらっとゆれ、みんなはぼかっとして呆れてしまいました。猫は嘉ッコの手からすべり落ちて、ぶるるっとからだをふるわせて、それから一目散にどこかへ走って行ってしまいました。「ガリガリッ、ゴロゴロゴロゴロ。」音は続き、それからバァッと表の方が鳴って何か石ころのようなものが一散に降って来たようすです。

「おらいさんだ。」おじいさんが云いました。

ひょうだ。」お父さんが云いました。ガアガアッというその雹の音の向うから、

「ホーォ。」ととなりの善コの声が聞えます。

「ホーォ。」と嘉ッコが答えました。

「ホーォォ。」となりで又叫んでいます。

「ホーォォー。」嘉ッコが咽喉のど一杯ふえのようにして叫びました。

 俄に外の音はやみ、ふちの底のようにしずかになってしまって気味が悪いくらいです。

 嘉ッコの兄さんは雹を取ろうと下駄げたをはいて表に出ました。嘉ッコも続いて出ました。空はまるで新らしくいた鏡のようになめらかで、青い七日ごろのお月さまがそのまん中にかかり、地面はぎらぎら光って嘉ッコは一寸ちょっと氷砂糖をふりまいたのだとさえ思いました。

 南のずうっと向うの方は、白い雲かきりかがかかり、稲光いなびかりが月あかりの中をたびたび白くわたります。二人はすずめの卵ぐらいある雹のつぶをひろっておどろきました。

「ホーォ。」善コの声がします。

「ホーォ。」嘉ッコと嘉ッコの兄さんとは一所に叫びながら垣根かきねの柳の木の下まで出て行きました。となりの垣根からも小さな黒いかげがプイッと出てこっちへやって参ります。善コです。嘉ッコは走りました。

「ほお、雹だじゃぃ。大きじゃぃ。こったに大きじゃぃ。」

 善コも一杯つかんでいました。

俺家おらいのなもこの位あるじゃぃ。」

 稲ずまが又白く光って通り過ぎました。

「あ、山山のへっぴり伯父。」嘉ッコがいきなり西を指さしました。西根の山山のへっぴり伯父は月光に青く光って長々とからだを横たえました。

底本:「新編風の又三郎」新潮文庫、新潮社

   1989(平成元)年225日発行

   1989(平成元)年610日2刷

入力:蒋龍

校正:noriko saito

2008年722日作成

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