木彫ウソを作った時
高村光太郎
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私は自分で生きものを飼う事が苦手のため、平常は犬一匹、小鳥一羽も飼っていないが、もともと鳥獣虫魚何にてもあれ、その美しさに心を打たれるので、街を歩いていると我知らず小鳥屋の前に足をとめる。母が生きていた頃だからもう十幾年か以前の事である。或る冬の日本郷肴町の小鳥屋の前に立って、その頃流行していたセキセイインコの籠のたくさん並んでいるのを見ていたが、どうもこの小鳥の極彩色の華美な衣裳と無限につづくおしゃべりとが、周囲のくすんだ渋い、北緯三十五度若干の東京の太陽の光とうまく調和しないように感じられて、珍らしくおもしろいとは思いながら、それほど夢中にはなれなかった。そのうちセキセイのぺちゃくちゃの騒音の間から、静かな、しかし音程のひどく高い、鋭く透る、ヒュウ、ヒュウという声が耳にはいった。店の奥の方から来るのだが、それが何だかもっと大変遠いところから聞えて来るような響をしているので、何だろうと思って店の中へ踏み込んだ。その頃私は小鳥の名などをさっぱり知らなかったので、それぞれの籠につけてある名札をよみながら鳥を見た。鶯、山雀、目白、文鳥、十姉妹などの籠の上に載っていたウソをその時はじめて詳しく観察した。さっきの声はそのウソの鳴音だったのである。
ウソを見て一番さきに興味をおぼえたのはその姿勢と形態とであった。この小鳥は思いきった直立の姿勢でとまり木にとまっていた。むしろ後ろに反りかえっていると言ってもいい動勢を有っていた。それを見るとすぐ、あの柳の丸材で作った、亀井戸天神のウソ替のウソを思出した。柳の丸材へ横に半分鋸を入れて上からぽんぽんと二つ三つ鑿でこなし、その後ろへ削りかけのもじゃもじゃを作り、脳天を墨でぬり、眼玉を描き、ぐるりと紅で頸を撫で、胸とおぼしきところに日の丸を一つ附けた、あの原始的なウソの木彫は、実に強くこの自然の動勢に迫っている。あの木彫りのウソは実物のウソよりも、もっとほんとにウソのようだ。私はたちまち自分でもウソの木彫を作ってみたくなった。鳥屋さんのいわゆるその照りウソを一羽籠ごと求めて持ちかえった。
私は幅二寸、奥行二寸五分の檜の角材を高さ六寸ほどに切った。それから毎日ウソを観てばかりいた。ウソは鳥屋の店の仲間の声から急にひとり引離されて、いかにもさびしそうに見えた。一日ばかりは鳴かなかったが、そのうちまたしみとおるような、細い、高い、ヒュウ、ヒュウという口笛を吹きはじめた。(その後、家雀の群を友達にさせてからこのウソの声がすっかり荒されてしまって、しまいにはチャア、チャアとばかり鳴くようになった。)ひとりで窓ぎわの籠の中でそうやって静かに鳴いている時の彼の姿勢は、ますます背をまっすぐに立て、胸を高く張り、頭だけを静かに水平に動かし、片足でとまり木にとまり、片方の足はちぢめて腹の羽毛の中へ入れてしまう。ウソの面相は、雀や文鳥のように嘴の尖って三角に突き出た方でなく、むしろ鷹のように嘴が割合に小さく強く引きしまって尖端が鍵に曲り、眼も文鳥のように平らに横に附かず、鷹のように前方に強い角度を持って附いている。眼の上の眉のひさしがやや眼にのしかかり気味でそれが眼に陰影を与える。眼と嘴と額との国境のような凹んだ三角地帯に、剛い毛に半ば埋れるように鼻孔がこの辺のこなしを引締めている。文鳥のような鳥は鼻孔がむしろ嘴の根元の隆起部に大きく露出していてまるで違った景観を呈している。ウソの黒頭巾の頭は角刈のようにさっと平らにそげている。これはややクマタカじみている。ここらは例のウソ替のウソそっくりである。後頭部でちょっと段がついてくびれ、それからぱっと明るく頬のふくらみが下に起る。そこの推移が実に甘美だ。頬から上は頭も眼も眼瞼も嘴も嘴の下の毛も皆漆黒で、その黒い中で眼の動いているのがまた美しく、更にその黒に境して大きく円い頬がきれいに頬紅をさして毛並美しく頸にかぶさっているのだから、このウソの首だけでも、いかにも山の小鳥らしい、黒じみない、おっとりとしていて、中々精悍な、また紅梅の花にも負けない美麗さと風格とのある鳥だと思った。頬紅からつづいて曙いろの、ほんとに日の丸の感じの紅色の胸がぐっと前に高く張り出し、腹へかけて一段ゆるく明灰色に波うっている。この胸の方の明るい大まかな凹凸と、鶯いろの背部の垂直に近い、削ったような潔い輪廓とがいい釣合を持っている。その背部の蓑毛を胸の方の房々の羽毛が逆に下から逆まきにかぶせているのは、ウソの身体の中で、一番颯爽としているところだ。胸の羽毛は斂めた翼の風切りの上へまでぱらぱらとかぶさる。背中の蓑毛と胸の羽毛の下からこの風切りが、もう一度あざやかな黒色で、黒頭巾との呼応をしている。閉じた翼の風切りのさきは左右あまり強く交叉せず、直ぐ下に背の長さ位の尾羽根がやはり黒一色ですっとさがり、その親骨がはっきり見える。風切りの黒と、尾羽根の黒との間にちらちらと、下尾筒の雪白の毛が隠見する。これが中々シックだ。この白い毛は春先の頃になると幾分多くなるように観察された。琴ひくような、夢みるような、咽喉をふくらまして長く引っぱる唄を謡い出す頃である。彫刻にしても彩色したらこの一個所の白が恐らく甚だ効果的であろうとその時考えた。片足をちぢめて腹の中へ入れ、その腹の羽毛が少し立っているのもおもしろい。
何にしろ黒じみず垢じみず、梅林のけはいの何処かにしみこんでいる、すぱりとして鋭いくせに、またおっとりした、このドナテロのサンジャンのように直立している山の小鳥の気魄を木で出して見たくてたまらなくなり、それから鑿を研ぎ、小刀を研ぐのに二、三日かかって、わき目もふらずに彫りはじめて七日目にやっと出来た。出来た結果は思の半分にも及ばないが、毎日懐に入れて持って歩いた。飯屋でもそれを出して見ながら飯をくった。まだ健康だった頃の智恵子が私にも持たせてくれとせがんだ。いつぞや第一回大調和展覧会に出品した木彫ウソを作った時の話である。
底本:「日本の名随筆2 鳥」作品社
1983(昭和58)年4月25日第1刷発行
1995(平成7)年10月30日第18刷発行
底本の親本:「芸術論集 緑色の太陽」岩波書店
1982(昭和57)年6月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2006年11月20日作成
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