新しき世界の為めの新しき芸術
大杉栄



       一


 去年の夏、本間久雄君が早稲田文学で「民衆芸術の意義及び価値」を発表して以来、此の民衆芸術と云う問題が、僕の眼に触れただけでも、今日まで十余名の人々によって彼地此地あちこちで論ぜられている。其の都度つど僕は、一つは民衆と云う事をいつも議論の生命とし対象としている僕自身の立場から、もう一つは誰れ一人として本当に此の民衆芸術と云う問題の真髄を掴えている人のいないらしいのに対する遺憾から是非とも其のお仲間入りをしたいとは思いながらも、遂に其の意を果たす事が出来なかった。

 もう丸一年にもなる。文壇のいつもの例に拠ると、もう此の問題も消えて無くなる頃である。それでなくとも、民衆には丸で無関心な、若しくはロメン・ロオランの云ったように、民衆を少しも軽蔑しないと云う事を却って軽蔑のたねにする、即ち其の膏汗で自分等の力を養ってくれた親の田舎臭いのを恥じる、成上り者共の多い文壇の事である。五人や十人の、篤志なしかし無邪気な、或は新しもの好きの、或は又物知りぶりや見え坊の先生等が、其の一角で少々立ち騒いで見たところで、殆んど何んの跡かたも残さずに過ぎ去られてしまうに違いない。

 しかし僕は、飽くまでも此の問題は、いつものような文壇の流行品扱いを避けさせたい。民衆芸術は、ロメン・ロオランの云ったように、流行品ではない、ディレタント等の遊びではない。又、新しき社会の、其の感情の、其の思想の、已むに已まれぬ表現であると共に、老い傾いた旧い社会に対する其の闘争の機関である、ばかりではない。ロメン・ロオランが起草した、民衆劇場建設の檄にもあるように、此の問題は実に、民衆にとっても亦芸術にとっても、死ぬか生きるかの大問題である。

 大げさな事を云う、と笑ってはいけない。殊に、今まで何んの彼のと我物顔に民衆芸術を説いていた人達には、単に闘争の機関と云っただけでも既にしかめっ面をしなければならないしからぬ事のように聞えるのであろうが、更に生きるか死ぬかの大問題だなどと云えば、きっと途方もない大げさな物の云いかたに聞えるに違いない。しかし、これが大げさに響かないようにならなければ、民衆芸術の本当の意義や価値は分からないのだ。


       二


 ロメン・ロオランは、前世紀の末年から現世紀にかけて非常な勢で拡まった民衆芸術の大運動に就いて、次ぎの二つの事実を記して置きたいと云って、民衆が急に芸術の中に勢力を得て来た事と、民衆芸術と云う総名の下に集まる諸説の極めて紛々たる事とを挙げている。

「現に民衆劇の代表者と云われる人々の間に、全く相反する二派がある、其一派は、今日有るがままの劇を、何劇でも構わず、民衆に与えようとする。他の一派は、此の新勢力たる民衆から、芸術の新しい一様式、即ち新劇を造り出させようとする。一は劇を信じ、他は民衆に望みを抱く。」

 此の「諸説」は、日本ではまだ或る理由から、さほど明瞭には「紛々」としてもいないが、若し民衆芸術に就いての議論がもっと盛んになり、或は其の議論の実行が現われるようになれば、どれほど「紛々」として来るか分からない。今日でも既に其の萌芽は十分にある。芸術を信ずるものと、民衆に望みを抱くものと、其の中間をぶらついているものと、いろいろある。

 民衆即ち People と云う言葉は、最初本間久雄君によって、平民労働者と解釈された。本間君が主として其の人の説にったエレン・ケイは、「休養的教養論」の最初に「八時間の労働と八時間の睡眠と云う事と共に八時間の休養と云う正当な要求を其の旗印としている群集」と云って、明かに平民労働者を其の休養的教養の対象としている。ロメン・ロオランの民衆即ち People が平民労働者である事は後に明かになるであろう。然るに、此の People は民衆ではない、平民労働者ではない、わゆる民衆劇即ち People's Theatre の People's は一般的(general)とか普遍的(universal)とかの意味で、アメリカなどでは People をそう云う事が沢山ある、と云い出した人さえある。アメリカ帰りの語学者山田嘉吉君及び其の細君の山田わか子君の如きそれである。しかしこんな場合には、アメリカ通とか語学通とか云う事それ自身が間違いのもとである。石坂養平君の如きも、矢張りそんなような意味で、「民衆芸術家としての中村星湖」を論じている。

 次ぎには、民衆と云う文字と芸術と云う文字との間にはいるべき前置詞に就いての問題である。本間久雄君はそれを「の為めの」即ち for と解釈した。中村星湖君はそれを「から出た」即ちフランス語の de part と解釈した。又富田砕花君は「の所有する」即ち of と解釈しているらしい。しかしこれは、つて本当の意味の民主政治を、民衆によって民衆の為めに造られ而して民衆の所有する政府、即ち Government by the people, for the people and of the people と云ったように、先きの三君のを合せて、民衆によって民衆の為めに造られ而して民衆の所有する芸術、即ち Art by the people, for the people and of the people と云わなければ精確ではないのだ。そして其の中の「民衆によって」若しくは「民衆から出た」と云うのが最も肝心である事は勿論である。田中純君は正しく云う。「民衆自らの造り出した芸術はそれ自身民衆の為めの芸術であり、民衆の所有する芸術であり得る。真実に十分に民衆の為めの芸術と云い得るものは、民衆自らの産み出した芸術であらねばならない。」

 幸いに、日本にはまだ、「今日有るがままの劇を、何劇でも構わず、平民に与える」と云う民衆芸術論はない。ただ実際方面では、特に平民労働者の為めに催すと云う従来の演芸会は、すべて此の種のものであった。又、若し島村抱月君が、多少そう云う風に臭わしているように、其の芸術座の演劇が民衆芸術であるなどと敢て云うならば、それは矢張り殆ど此の種のものである。


       三


 僕は先きに、民衆芸術論は日本ではまだ、或る理由からさほど明瞭に紛々としていない、と云った。其の理由と云うのは、民衆芸術論の謂わゆる提唱者等が、まだ本当に民衆的精神を持っていない事、従って又今日の芸術に対する民衆的憤懣を持っていない事である。斯くして、彼等の議論は極めて曖昧である。微温である。曖昧微温な民衆側の議論は非民衆側の直截熱烈な議論をいざなわない。

 甞つて僕は、歴史を一貫する、そして今日では資本家階級と労働者階級との形式によって現わされている、彼の「征服の事実」を説いて、

「敏感と聡明とを誇ると共に、個人の権威の至上を叫ぶ文芸の徒よ。諸君の敏感と聡明とが、此の征服の事実と、及びそれに対する反抗とに触れない限り、諸君の芸術は遊びである、戯れである。吾々の日常生活にまで圧迫して来る、此の事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである、組織的瞞着の有力なる一分子である。

「吾々をして徒らに恍惚たらしめる静的美は、もはや吾々とは没交渉である。吾々はエクスタジイと同時にアントウジアムスを生ぜしめる動的美に憧れたい。吾々の要求する文芸は此の征服の事実に対する憎悪美と反抗美との創造的文芸である。」

 と云った。そして更に、此の憎悪と反抗とによる「生の拡充」を説いて、

「生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、此の憎悪と此の反抗との中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実が其の絶頂に達した今日に於ては、諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある。

「事実の上に立脚すると云う日本の此の頃の文芸が、なぜ社会の根本事実たる、しかも今日其の絶頂に達した、此の征服の事実に触れないのか。近代の生の悩みの根本に触れないのか。」

 と云った。僕の此の芸術論は明白な民衆芸術論であったのである。僕の要求する芸術は、ロメン・ロオランの謂わゆる、新しき世界の為めの新しき芸術であったのである。然るに、第一に此の芸術論に反対したものは、実に今回の民衆芸術論の最初の提唱者、本間久雄君其の人であったのだ。本間久雄君は憎悪に美はないと云った、反抗に美はないと云った。

 フランスでの民衆芸術の提唱者、ロメン・ロオランはさすがに分っている。ロオランは云う。

「強暴と云う事は決して芸術のつき物ではない。人間の良心が、それに衝突してそしてそれを打破って行かなければならない、不正不義のつき物である。芸術は闘争を絶滅する事を目的とするものではない。芸術の目的は、生を豊富にし、力強くし、更に大きく更に善くする事にある。されば、若し愛と結合とが其の目的であるとすれば、憎悪は或る時期までは恐らくは其の武器である。セント・アントワヌ郊外の一労働者が、一切の憎悪は悪であると云う事をしきりに説いて聞かせた一講演者に云った。『憎悪は善である。憎悪は正義である。被圧制者をして圧制者に反抗してたしめるのは此の憎悪である。私は或る男が他の人々を圧制しているのを見れば、私は其の事を憤慨する。其の男を憎む。そして憤慨し憎悪する自分が正しいのだと思う。』悪を憎まないものは、又、善をも愛せないものである。不正不義を見てそれと闘う気を起さないものは、全然芸術家でもなければ、又、全然人間でもない。」

 憎悪や反抗に美があるかないかの問題などはどうでもいい。しかし此の憎悪や反抗にくみしないものは「全然芸術家でもなければ、又、全然人間でもない」のだ。此の本間君の思想は、其の後二ヵ年間に、どれほどの進歩があったかは知らない。しかし兎に角此の本間君が、日本に於ける民衆芸術論の最初の提唱者であったのだ。


       四


 本間久雄君は何事にも篤志なしかし無邪気な学者である。だから君は、エレン・ケイの「休養的教養論」を一読して、至極殊勝な篤志を起したものの、却って安成貞雄君に散々にっつけられたように、へまな民衆芸術論の説きかたをしたのである。

 エレン・ケイの論旨は、要するに、スエデンの青年社会民主党に対して、

「ひまな時間を増やす事の為めに闘うと共に、其のひまな時間の悪用されないように休養的教養を獲得しなければならない。

「何事に於ても旧社会よりより善き新社会を造る責任を帯びている青年等の間に、又其の青年等によって、階級戦争(class war)と共に、絶えず教養戦争(culture war)をも営ませなければならない」

 と勧告したものである。娯楽にも善し悪しがある。肉体上及び精神上の更新をもたらさない娯楽は有害である。休養的教養(recreative culture)とは、先ず諸種の快楽を識別する能力を意味し、次ぎに更に新しき力を齎らす生産的な快楽を選んで不生産的な快楽をしりぞける意志を意味する。そしてエレン・ケイは猶続けて云う。

「いずれの階級に於ても、大多数の人々は空虚な快楽にふけっている。しかし、斯くの如きは、他のいずれの階級に於ても労働者階級に於けるほど甚だしい危険はない。なぜなら、劣等な快楽によって精神上に傷害を蒙むるのは、いずれの階級のいずれの個人にも等しく有害である事は勿論であるが、其の掌中に共同団体の近い将来の諸問題を握っている第四級民が甚だしく此の傷害を蒙むるのは、共同団体の全体にとって又其の将来にとって、更に遥かに有害である。

「労働者階級は、其の仕事の為めの力を強大にする為めに、有らゆる手段を、快楽の手段をすらも用いなければならない。

「されば、労働者等が現に持っている僅かな余暇が、又彼等が獲得せんと欲しているそれ以上の余暇が、値打のない娯楽で費されているか、若しくは本当の休養即ち肉体上及び精神上の力の更新の為めに使われているか、と云う事は最も重大な一問題である。」

 エレン・ケイの此の勧告に対しては、いかにつむじ曲りの社会民主党といえども、然らば女史も亦其の謂わゆる教養戦争と共に階級闘争をも鼓吹せよと云う外には、黙って傾聴する外はあるまい。又、若し本間君が単にこれだけの紹介にとどめたならば、安成君からあんな意地の悪い妙な質問を受けなくても済んだのであろう。

 エレン・ケイは、本間君が云ったようには「要するに彼等労働者には惨めさと醜くさとがあるばかりである」とは云っていない。「慈母のような温情」を以て、此の「惨めさと醜くさとを人一倍深く感じ、そして人一倍深く憐れんでいる」と云う程でもない。「其処そこには、人間と人間とが互に抱き合うような情味や、人間としての生の享楽などと云う事は薬にしたくもない」とも云っているようだ。それ程醜い「蛮人」に、どうして、「人類全体の直接の将来」などが握られていよう。又、どうして握らせて置かれよう。

 又、エレン・ケイは、本間君が云ったようには、専門的な予備知識を持たなければ了解されない謂わゆる高級芸術とを並立させてはいない。「民衆の為めとは、労働者階級の人々の為めと云う意味であるから、其の芸術は、彼等労働者にもよく鑑賞され、理解されるほど、通俗的な、普遍的な、非専門的なものでなければならない」とも云っていない。こんな誤解され易い、又誤解する方が尤もな、余計な事は云っていない。

 これを要するに、エレン・ケイはただ、ロメン・ロオランの民衆芸術論の要旨を紹介して、それに「其の一語も残さずに賛成し」更に其の一方面の休養的教養を力説して、現在の民衆の娯楽物を批評したにとどまる。そして、此の休養的教養を力説した事が、何事にも精神的で個人的で且つ謂わゆる温健な、エレン・ケイの特徴なのである。従って、本間久雄君のように、此の方面からのみしかも極くまずく民衆芸術を説くとなると、すこぶる妙なものが出来上るわけだ。


       五


 然らば、エレン・ケイが「其の一語も残さずに賛成した」と云う、ロメン・ロオランの民衆芸術論の要旨はどんなものか。ロオランの民衆芸術論は主として民衆劇論である。以下出来るだけロオラン自身の言葉によって、其の要旨を述べる。

 今や、旧社会は其の繁栄の絶頂を超えて、既に老朽の坂を降りつつある。或は既に瀕死の状態にあるものと見ていい。そして其の廃墟の上に、民衆の新しき社会がまさに勃興せんとしつつある。

 此の新勃興階級はそれ自身の芸術を持たなければならない。其の思想と感情との已むに已まれぬ表白としての、其の若い溌溂とした生命力の発現としての、そして又、老い傾いた旧い社会に対する戦闘の機関としての、新しき芸術を持たなければならない。民衆によって民衆の為めに造られた芸術を持たなければならない。新しき世界の為めの新しき芸術を持たなければならない。若し此の芸術が出来なければ生きた芸術はない。過去のミイラが眠っている、一種の墓地のような、博物館があるばかりだ。

 少しも党派心のない、無限な、永遠な、普遍な、民衆芸術と云うような事を云う人がある。これは貴い夢想である。将来の世代は、若しそれが出来れば、幾世紀かの後にはそれを実現するだろう。しかし今のところは、永遠を現在の瞬間に置いて、今日の時代と共に生きる事を努めなければならない。芸術は其の時代の渇望と引離される事は出来ない。民衆芸術は、民衆の苦痛と、其の希望と、其の闘争とを相倶あいともにしなければならない。

 如何なる美も、如何なる偉大も、青春や生命の代わりをする事は出来ない。諸君の芸術は老人の芸術である。吾々が、吾々の晩年に吾々の任務を果たし、吾々の共同行為の義務を尽した後に、公平無私の芸術や、ゲエテの晴朗や、純粋の美を望むのは、善い事でもあり自然の事でもある。それは人生の旅の至上の理想であり究竟である。しかし、其処へ行くだけの功蹟もなしに、余りに早く其処に到達する人々や民族は、悲しむべきものである。其等の人々や其等の民族には、其の晴朗は、無感覚即ち死の前兆に過ぎない。生は不断の更新である。闘争である。有らゆる苦難のある闘争の方が、諸君の美わしい死よりも善いのだ。

 静穏な時代や芸術は如何にも望ましい仕合しあわせである。しかし其の時代が乱れている時には、其の国民が闘っている時には、其の国民に味方して闘い、其の国民を奮起せしめ、其の国民の行くべき道をさえぎっている無知を打破り、偏見を斥けて行くのが、芸術の目的である。

 シルレルは既に、一七九八年に、其の「ワルレンスタインの戦」の上場の際に云っている。

「今其の幕を開きつつある此の新時代は、詩人にも旧い道を去らせて、諸君をして紳士閥生活の狭い範囲から、吾々が今奮闘努力しつつある此の崇高な時代に相応しい、もっと、高貴な劇に移らせようとしている。なぜなら、独り大きな題目のみが人間の奥深い臓腑を揺り動かす事の出来るものである。今、現実其者が詩になっている。そして人々が人類の大利益たる主権と自由との為めに闘っている。此の厳粛な時期に際して、芸術も亦、鬼神を喚び起す其の劇の上に、更に大胆な飛躍を試みる事が出来るのだ。芸術は此の飛躍を試みる事が出来るばかりではない。此の実生活の劇の前に赤恥をかいて消えて失くなる事を望まないならば、是非ともそれを試みなければならないのだ。」

 若し芸術が此の時代に応ずる事が出来なければ、芸術は、少なくとも生きた芸術は消滅しなければならない。又、此の新芸術を創る事の出来ない民衆は、其の新勃興階級たる運命をも放棄しなければならない。斯くして民衆芸術の問題は、民衆にとっても亦芸術にとっても、実に死ぬか生きるかの問題である。

 民衆にも二種の民衆がある。其の一つは、貧窮からのがれ出て、直ちに紳士閥に心をかれ、紳士閥に吸収されて了ったものである。もう一つは、此の仕合な兄弟に見棄てられて、其の貧困のどん底にうごめいているものである。紳士閥の政策は、此の後者を絶滅させ、前者を同化させる事にある。そして吾々自身の政策は、即ち吾々の芸術的であると共に社会的な理想は、此の二種の民衆を融合させて、民衆自体に其の階級的自覚を与える事にある。

 若し民衆が第二の紳士閥となって、それと同じように其の享楽は粗雑であり、其の道徳は偽善であり、そして紳士閥と同じような愚鈍な無感覚なものになるのなら、吾々はもう民衆の事などを心配しない。声ばかり高くて空っぽな芸術や、屍骸のような人類を生き延びさす事は、吾々にはどうでもいい事なのだ。

 しかし吾々は民衆の若い生命力を信ずるものである。又、人類の道徳的及び社会的の革命を信ずるものである。

 此の民衆芸術に対する吾々の信仰、即ちパリの遊人等の惰弱なお上品に対して、集合的生活を表明し種族の更生を準備し促進する頑丈な男性的の芸術を建設せんとする、此の熱烈な信仰は、吾々の青年時代の最も純潔な且つ最も健全な力の一つであった。吾々は決して此の信仰を失わない。


       六


 ロメン・ロオランの民衆芸術論の要旨はこれで尽きる。しかしこれは要するに理想である。信仰である。此の理想や信仰の実現される前に、「民衆によって」と云うよりも寧ろ「民衆の為めの」芸術が産まれなければなるまい。

 今や芸術は利己主義と混乱とに悩まされている。少数の人々が芸術を其の特権としている。民衆は芸術から遠ざけられている。国民中の最も数の多い、そして最も活力のある部分が、芸術の中に何等の表現をも持っていない。斯くして思想は甚だしく貧弱となり、芸術の為めには重大な危険が迫っている。

 芸術を或る一階級の独占的享楽として了うのは、此の芸術を奪われた階級の人々をして、やがて芸術を憎悪せしめ且つ破壊せしめる事に導くものである。

 芸術を救う為めには、芸術に生命の門戸を開かなければならない。有らゆる人々を其処に容れなければならない。平民にも発言権を与えなければならない。

 しかし生は死と結びつく事は出来ない。過去の芸術は既に四分の三以上死んだものである。過去の芸術は生には何んの役にも立たない。却って往々生をそこなう恐れすらある。健全な生の必須条件は、生の新しくなるに従って、絶えず新しくなる芸術の出来る事である。

 何者もただ、其の生れた場所と時代とにのみ、善いものである。善や美が絶対的存在であるとか、又は永遠的観念であるとかは信ずる事が出来る。しかし其の表現は人心の様式によって変わる。選ばれた人々にとっての美も、民衆にとっては醜であり、又選ばれた人々の欲望と同じ正当の権利を持っている民衆の欲望に応じない事もある。二十世紀の民衆に過去の世紀の貴族的社会の芸術や思想を強いる事は出来ない。

 紳士閥の批評家は屡々しばしば云う。民衆は自分の階級よりも上の階級のものを主人公とした小説や脚本でなければ喜ばない。富裕な社会の描写は民衆をして自分自身の貧困の倦厭けんえんを忘れさせるものであると。なるほど、民衆が半睡眠状態にある間は或はそうであるかも知れない。しかし、其の人格の感情が目覚め其の市民としての品位を自覚するようになれば、民衆は斯くの如き従僕芸術に恥じなければならない。そして又、民衆を尊敬する人達の義務は、斯くの如き芸術から民衆を救い出す事にある。

 民衆は紳士閥芸術の残り物を集めるよりも、もっと遥かに善いしなけれければならない事を持っている。現在の芸術のお客を増やす事を努めなくてもいい。吾々は現在の芸術の為めに働いているのではない。吾々は芸術の善と民衆の善と云う事だけを考えればいいのだ。そして、現在の一般の芸術的教養を普及さす事が、此の芸術の善又は民衆の善になるなどと考えるのは、余りに傲慢な楽天観であらねばならない。

 吾々の目的とするところは、平民の善ばかりでない。又芸術の善である。芸術は人間の魂の偉大さを現わすものである。人間の魂の有らゆる創造の中で、しかも此の創造があって始めて生命に値打がつくのであるが、吾々は芸術を限りなく崇拝するものである。

 吾々は血の気のない芸術に生気を与え、其の痩せ衰えた胸を太らせて、民衆の力と健康とを其の中にとり入れさせようと云うのだ。吾々は人間の魂の栄誉を民衆の為めに使おうと云うのではない。民衆を吾々と一緒に、此の栄誉の為めに働かせようと云うのだ。

 此の意味での民衆芸術は、其の第一条件として、それが娯楽である事である。民衆芸術は、先ず民衆の為めになるものであると共に、一日の労働に疲れた労働者の為めの肉体上及び精神上の休養でなければならない。

 なまけ者の理知にすら往々多くの害悪を及ぼすデカダン芸術の最後の所産を民衆に与える事は出来ない。又、選ばれた人々の苦痛や煩悶や疑惑は、其の人々自身が保管して置くがいい。民衆には、民衆自身の苦痛や煩悶や疑惑が、其の分前以上にある。それ以上に増やす要はない。少数の或る人々が、「鼬鼠が卵を吸うように憂欝を吸う」事が好きだからと云って、此の貴族共の知識的禁欲主義を民衆に強いる事は出来ない。腐った木の上に出た大きな苔のような、誘惑的な、しかし一切の行為を殺す夢想によって害毒された、選ばれた人々の病的な感情の複雑さを平民に強いる事は出来ない。よし吾々が其の病気を吾々自身の中に養う事にどれ程の満足を感じても、吾々の其病気を民衆に感染させてはならない。吾々よりも更に健全な、更に値打のある種族をつくる事に努めなければならないのだ。

 民衆は猛烈な芝居が好きだ。しかし其の猛烈は、実生活の上でもそうだが舞台の上でも、民衆が自分を其の人になぞらえて見ているヒイロオを破滅させて了ってはいけない。民衆は自分自身はどれ程諦らめどれ程気落ちしていても、其の夢想の人物の為めには非常に楽観的なものである。悲しい結末になってはたまらない。最後に善が勝つと云う皆んなの心の奥底に持っている衷心からの確信が、芝居の中で証明されなければならない。これは民衆の心が無邪気なせいではない。却って其の健全な為めである。民衆の此の確信には道理がある。此の確信は、生活に必須の一つの力であり、又進歩の法則でもある。

 然らば、民衆には、散々人を泣かせて置いて遂に目出度し目出度しで終るメロドラマでなければいけないと云うのか。決してそうではない。斯う云う粗雑な虚偽は、アルコオルと同じように、民衆を無気力にする催眠剤である。麻酔剤である。吾々が芸術に持たせたいと思う娯楽の力は、精神的元気を犠牲にするものであってはならない。

 次ぎに民衆芸術は元気の源でなければならない。元気を弱らしたり凹ましたりする事を避けなければならないと云う義務は全く消極的のものである。従って此の義務には、必然に、其の反対の、即ち元気を得させ又強めさせる、と云う積極的の方面がある。民衆芸術は民衆を休息させつつ、更に翌日の活動に適せしめるようにしなければならない。

 第三に、民衆芸術は理知の為めの光明でなければならない。民衆を其の目的地にまっすぐに導いて、途々自分の周囲をよく見る事を教えなければならない。暗い蔭とひだと妖怪とに充ち満ちた人間の恐ろしい脳髄の中に、光りを拡げなければならない。労働者は其の肉体は動いているが、其の思想は大抵休んでいる。此の思想を働かせる事が肝心なのだ。そして、少しでも其の思想を働かせる事が出来て来ると、それは労働者にとって快楽にさえなるのだ。しかし、民衆をただ考えさせ働かせる状態に置くだけでとどめなければならない。如何に考え如何に導くべきかを教えてはいけない。労働者をして、有らゆる物事を、人間や自分自身を、明かに観察し明かに審判する事を覚えさせなければならない。

 歓喜と元気と理知と、これが民衆芸術の主なる条件である。其他の諸条件は自然と備わって来る。そしてお説法やお談義は、折角せっかく芸術を好きなものまで嫌いにさせて了う、手段としても極めて拙劣な非芸術的のものである。

 又、此の種の民衆芸術は、近代の謂わゆる社会劇とも違う。たとえば、平民を最もよく理解し、又最もよく愛した現代人トルストイは、あれ程厳しく其の傲慢を圧えていたのにも拘らず、使徒と云う其の使命と自分の信仰を他人に強いなければやまない強い欲望と、及び其の芸術上のレアリズムの要求とは「暗の力」などでは、其の非常な慈悲心よりも余程強かった。斯くの如き作物は、民衆の為めには、有益と云うよりも却って気落ちさせるものである。要するに、此の「暗の力」や又は「織工」の如き作物は、貧窮の長い絶叫か若しくは悲嘆話しで、其の杞憂や絶望は、既に余りに生活の為めに苦しめられている貧民に元気をつけるとか慰安を与えるとかと云うよりも、寧ろ富者の良心を覚醒させる為めのものである。或いは又、せいぜい、貧民の中の少数の、選ばれた人々の為めのものである。


       七


 しかし、此の主として「民衆の為めの」芸術が民衆に享楽されるようになるには、又彼の本当に「民衆の」芸術が生れるようになるには、先ず其の「民衆」が必要である。

「嘗つて」とイタリイの革命家マジニイは云った。当時彼れはまだ若くて、其の生涯を文学に貢献するつもりでいたのだ。「嘗つて私は斯う思った。芸術がある為めには、先ず国民が無ければならないと。当時のイタリイには其のいずれもなかったのだ。祖国もなく自由もない吾々は芸術を持つ事も出来なかった。されば吾々は先ず、『吾々は祖国を持つ事が出来るだろうか』と云う問題に献身して、此の祖国を建設する事に努めなければならなかったのだ。斯くてイタリイの芸術は吾々の墳墓の上に栄えるのだ。」

 吾々も矢張り云おう。諸君は民衆芸術を欲するのか。然らば、先ず民衆其者を持つ事から始めよ。其の芸術をたのしむ事の出来る自由な精神を持っている民衆を。容赦のない労働や貧窮に蹂みにじられないひまのある民衆を。有らゆる迷信や、右党若しくは左党の狂信に惑わされない民衆を。自分の主人たる、そして、目下行われつつある闘争の勝利者たる民衆を。ファウストは云った。

「始めに行為あり」と、

 斯くしてロメン・ロオランは、其の民衆芸術の当然の結論として、芸術的運動と共に、と云うよりも寧ろそれに先だって、社会的運動に従わなければならないと断言した。

 然るに、ひるがえって我が日本での民衆芸術論者を見るに、此の点に於て果してどれ程の用意があり又覚悟があるか。少なくとも又、果して此の点に考え及んだ事すらあるか。

 猶ロメン・ロオランは、其の民衆芸術論を労働運動論で結んでいると共に、其の芸術論をも生活論で終らせている。彼れは云う。

「私は劇が好きだ。劇は多くの人々を同じ情緒の下に置いて友愛的に結合させる。劇は、皆んなが其の詩人の想像の中に活動と熱情とを飲みに来る事の出来る、大きな食卓のようなものだ。しかし私は劇を迷信してはいない。劇は、貧しいそして不安な生活が、其の思想に対する避難所を夢想の中に求める、と云う事を前提とするものである。若し吾々がもっと幸福でもっと自由であったら、劇の必要はない筈である。生活其者が吾々の光栄ある観物になる筈である。理想の幸福は吾々がそれに進むに従って益々遠ざかって行く。従って吾々はついに達する事は出来ない。しかし人間の努力が芸術の範囲を益々狭めて生活の範囲を益々広めて行くと云う事は、若しくは芸術を閉ざされた世界即ち想像の世界としないで、生活其者の装飾とするようになると云う事は、敢て云える。幸福なそして自由な民衆には、もう劇などの必要がなくなって、お祭が必要になる。生活其者が其の立派な観物になる。民衆の為めに此の民衆祭を来させる準備をしなければならない」

 近代の最大の芸術家たるワグネルも、若い率直さで、敢て斯う云っている。

「若し吾々が生を持ったら、芸術なぞは要らなくなるのだ。芸術は丁度生の終るところで始まる。生が吾々に何んにも与えなくなった時に、吾々は芸術品によって『私は斯くの如く望む』と叫ぶのだ。本当に幸福な人がどうして芸術をやろうなどと云う考を持つ事が出来るのか私には分らない。……芸術は吾々の無力の告白である。……芸術は一つの渇想に過ぎない。……私の若さや健康を再び見る為めには、自然を娯しむ為めには、限りなく私を愛する女の為めには、美しい子供の為めには、私は私の全芸術を与える。さあ、私の全芸術を今此処へ出す。其の残りの物を私にくれ。」

 若し吾々が「此の残りの物」の僅かでも不仕合な人々に与える事が出来たら、生に少しの喜びでも与える事が出来たら、よしそれが芸術を犠牲にしてでも、吾々はそれを悔まない。

〔『早稲田文学』一九一七年十月号〕

底本:「日本プロレタリア文学評論集・1 前期プロレタリア文学評論集」新日本出版社

   1990(平成2)年1030日初版

初出:「早稲田文学」

   1917(大正6)年10月号

入力:田中敬三

校正:土屋隆

2009年324日作成

青空文庫作成ファイル:

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