日記
一九四四年(昭和十九年)
宮本百合子



一月一日(土曜)曇

 ことしから又日記をつける。自分の生活をはっきりさせるために。一日のうち、自分がどんなに生活を営んだかということをはっきりさせるために。去年は、ここの家での生活というものを知らず、生活の本質を知らず、非常に多く労し、多く苦しい思いもし、SKの間で旋回した。今年はそういうことはなくして、自分の勉強や生活態度というものを守って暮す技術を身につけたいと思う。

 今年は日記が本やに出ない。仕方がないから三年前の日記をもち出して、つける。曜日が三日前についているのは不便だが。太郎、咲、昨夜おそく赤倉からかえる。太郎の身ぶりが一寸かわっていて面白い。国、昨日午後自分が巣鴨へ行っている間に国府津へ立った。寿に私がいそがしそうにしているのや家のガタガタがいやだから行くと云っていた由。寿二十九日に長者町へ引越し。どうしてもここで年越しはしないとガンばっていたので、ひどい無理をした。が三十日にかえって元旦も食堂のアンカでごろごろしている。

〔欄外に〕

 太郎の学校の式の前、みんなで雑煮をたべる。予想していた顔ぶれとは大分ちがった。

 本間の息子と娘来る。千世紙ではった小箱、羽織ひも、私達はどう生きるか、五円也、やる。ちりがみ、炭くれた。

 殆ど一日臥床。疲れが出た。

 この年越しは三十一日に面会した。十年来始めて。


一月二日(日曜)
〔発信〕第一信

 寿江子千葉へ戻るため、千葉迄咲、送って行ったが切符買えぬ由。戻って来る。リュック背負ってフーフー。

 太郎、近藤さんの長男と赤倉へ行くときまり用意、大さわぎ。

 巣鴨へ手紙かく。午後じゅうかかった。

 夜、ノヤさんの相談のためにパパ来。咲行き。

 子供が大きくなって、子供づれの初旅に出る。親たちの生活に新しい一つの水脈が流れ入ったように新鮮なところが出来て、ナカナカよろしい。

 夜、昨年三月から十二月迄の出納をしらべた。

 私の生活はこれ迄、取るだけ使うという形か、さもなければ無くてやってゆくという、いずれにせよ単純きわまる形でやられて来た。しかし、これからの数年は、そういう単純さは役に立たないと思う。金以上の問題がある。だから金の使いかたについては賢明でなければならない。金そのものに終るとして考えれば、それ迄だが。金より先の問題のために、考えられた歩き方で金の道を通過しなければならないということがある。

〔欄外に〕

 笹の根に霜の柱はきらめきて うらら冬日は 空にあまねし


一月三日(月曜)寒
〔発信〕順子さん、チーちゃん、鈴お礼。

 太郎五時に出発した。寿やっと帰れた大富よんで。

 体がギスギスでおきられない。今年は三日はね正月となった。午後一時半にやっと床をはなれる。心機一転したから気分はよいが、暮からの体の疲れ猛烈だ。

 夕方、紀来。シュナイダーについて書いた本をもっている。一寸かりよみして面白く思った。シュナイダーはオースタリーのアルプス山中の寒村の貧農の子である。スキーというものを初めて十歳のとき見た。それからのこと。全く純粋な山の男。これも一種の無垢の男の典型である。男のもつ無垢さの面白さ。そういう男の集注された情熱の故の単純さ。

 国夕方かえって来る。ジンマシンが出て面変りしている。サバに当った由。いわし、サバ、米、ミカン少々など、mのポートフォリオを使っているのに入れてもって来た。もち主が、そうやって、そんなものなんか入れて入って来たら、と思った。ねえ国ちゃん、余り入れてこわさないでね。姉さん大丈夫だよ、入らないほど入れなんかしやしないもの。其はそうだ。

〔欄外に〕入浴


一月四日(火曜)寒

 二日にかいた手紙がついた由。「しわん棒」についての話、はじめて何となく腑におちたような風で、自分のねばりかたがすこし見当ちがっていたことも分るらしい、おもしろく愛嬌ある風だった。うれしかった。そして、そういうとき、ああいう一種の好意を呼びおこす様子の出来る、可愛げのある心が、美しく思えた。

 咲国、古沢行。

 かえったら寿、来ていた。今夜音楽会、帰れないから、どこかのホテルに泊るという。ホテルなんかに泊らなくたっていいだろう? 二階へおねよ。「面倒くさくない方がいいから。」やがて咲から電話、出て話し、泊る。K帰って来る。「こんにちは」「ああ」と、K笑い顔もしない。

 池田小菊の『奈良』をよむ。「甥の帰還」、「鳩」、「縁」は落ち「奈良」更におちる。敬語の出る小説は小説にならない、随筆止りなり。小母さんの小説だ。風格におさまる危険多い人。

〔欄外に〕

 ことしはじめてひる間でも三十八度。かいろをしょって出かける。初出。


一月五日(水曜)初雪

 きょうはお客日、寿朝六時頃切符を買って十二時頃帰る。自分、片春の来る日で掃除しなくてはならず、いきなり手拭かぶって下りて、見送りもしてやらなかった。誰か送ってやったろうかと気にかかった。

 書生、親と先生がついて来る。親心察しられる。

 片春、おもち、だいだい、玉子もって来てくれる。

 繁、はっちゃんをつれて来る。大きくなっているのにおどろく、太い声を出す。千代紙がすきというので、小さい人形と千代紙をわけてやる。気のつよい眼のわるい子の特色もある。むずかしいところ也。

 下にT、H、一寸ドアあけたら咲が口をとんがらかして悄気てこたつに当っていた。何のことか。おしる粉こしらえた。

 T、A子さんと離婚した由。咲それで悄気ていたわけ。新しい細君の話してはり切っている。

 夜九時すぎ、サラサラ、サラサラいう音で無双あけてのぞいたら、白くつもっている。初雪。一寸ほど。

〔欄外に〕

 片春に伊東みやげのきれいなブロッターをあげる。

 何かかいてほしいというの、ことわる。話しているうちに申年だという。そうだ。宮三十七になったのだもの、そこで心が動いて

 さるの子も

   親にだかれて

       松の枝

とかいてわたす。可愛い、大変可愛い。


一月六日(木曜)曇

 きょうは起きようとしても体がクタクタで起きられず、午後六時までリンゴ半分たべたきりでボーッとして床に入っていた。何一つまとまったことも考えられないから可笑しい。

 夕飯におきる。

 太郎が十時に上野につくという電報来。国咲そのケフジウジツク タラウという電報をくりかえし見ながら御飯をたべていて、うらをすかしたら汽車にのっている姿が見えるようだろうと、国すかして見たりしている。「おい、家じゅうの電気つけて近藤さんの皆よんでやろう」国、はりきってテーブルを片づけカルピスの瓶を立て座蒲団をもって来る。Sが、こんちは、というときの国のあの「あ」という顔を思い合わせ、S一しお可哀そう。Sも欠点あるにはあるにしろ。この世に可愛がってくれる人なしに生きるのは全く可哀そうだ。太郎、活々としてかえって来る。大安心、大よろこび。

 シュアンをよみつづける。フーシェは益〻バルザックの方がよく扱っていると思う、本質を。ツワイクよりも。


一月七日(金曜)

 なかなかさむい。雪も屋根にのこって凍っている。かいろをつけて出かけて行く。宮、夕飯をかみながら出て来る。笑い顔している。「何だか可笑しそうね」「うん、ことしは腹ぺこ正月で、きのうまでパンが止ったろう、ゆうべはクライマックスで、二時間しか眠れなかったよ」「二三分熱を出してるが、もうきょうはいい、パンがきょうから入るから」足袋もはかないで出ている、扉の蝶番ちょうつがいのところから見えた本をとってかえる。〔五字分空白〕眼つきのいやさ。

 シュアンの親玉たる侯爵とその周囲(卑小さ、利慾、誰でも年金をほしがっている)と、無智で野蛮で狂信を政治闘争に利用されている木菟みみずく党たるブルターニュの農民の特質がなかなか立派にかけている。(ここにスペインとの類似、一向宗との連関)これをよむと、ディケンズの「二都物語」などをよみかえして見る必要がある。バルザックは、こういう紛糾したフランスの時代を、十分の血肉でつかんでいる。こういう錯綜した関係の中をかきわけて行くのはバルザックの得意のところである。この小説の農民のかきかたでバルザックの農民というものの理解が察しられる。宗教というものについても。

〔欄外に〕出勤

 フルマーノフの農民の解剖。この小説中のブリタニーの農民。


一月八日(土曜)

 きのう、くたびれた。気がはって。

 昨夜ふとした話のはずみで、Kが人間のつやとしての色気を失いすぎていることを話した。エゴイスティックな人間ほど早く其を失うということも。

 K、S、夜松原さんによばれ、ずっと国府津行。

 Kは自分たちが楽しむために行くのだが、それが重くてSはおつき合の感はっきり。Kも気の毒な男と思う。対手のよろこぶように、というより、よろこばせたい自分の気持からだけ、その流儀でだけやって、いつもそれが対手の要求と一致しているとは云えないのだから。そして、これは本人の生活態度と社会一般の生活事情との間にあるギャップが大きくなるにつれて大きくなって、孤独に陥る傾向をもっている。理解されない人というものを見ていると、必ず、本人に自分の勝手があるなり。

 夜、「木菟党」よみ終る、これだけ勉強をもとめる小説は一寸ない。「誰がために鐘はなる」はそういう勉強を求めるところ迄行っていないということに気づく。この小説で、イギリスの側でかかれたこの時代の小説を少くともよみたくなる。ヘミングウェイは、ああいうマドリッドに集ったアメリカをよませたいというところに行っていない。

〔欄外に〕

 風おちぬ しづもる屋根に白白と 雪おもしろく月さしのぼる。

 日本の正月七日に立つ風は、凧のうなりぞそぞろ恋はし

 子らはみな飛行機タンクと群れ走り凧あげなどははやすたれたるか。


一月九日(日曜)曇
〔発信〕第二信。

 ユーゴー「九三年」をよみはじめる。「木菟党」との連関で。ユーゴー最後の作の由。ロマンチシズムというものが分る気がした。風吼え、波おどる式文章で、大変無駄な描写がある。誇張も多い。デュマのおて本なり。ユーゴーのお手本はスコットである。

 Tさんより電話、きょうは壺井さんのところへ行こうと思っている。どうしよう、子供人工営養で夜飯はいられない、といううちに五銭がなくて切れてしまう。

 それだから来るかと思い、珍らしく火を入れ掃除している、来ず。それきり電話もかからず、何となしあわただしい気分が分るようだ。気分と云えば、このひとの字のくずれかたはひどくてすこしおどろく、この頃。この十年の間に、例えば本にかいてくれる字でも段々に変化していたことを稲子について思いおこす。自分の字が青山時代どんなだったかということも思い出す。字の変るということは、微妙且つ雄弁である。

〔欄外に〕

 道ばたに 並びゐる子ら 喉を張り 勢一杯に 歌ふ「予科練」

 さむ風に 総毛立ちつつ 片言の 女の子まで 声合はせ居り。


一月十日(月曜)ひる暖 夜ひどい風

 雨戸をあけると、ああ暖い、いい日と思う、きょう、髪洗っておこう、そう思った。

 食後、髪洗い。去年以来はじめて、自分の髪の毛で普通に洗えて、うれしかった。大疲れ。二階へ上り、きもの着かえ、髪をほしたら、リンゴ半分のこっていたのをたべる。三時頃の斜めだが暖い日向に背中を向け、くたびれて坐りリンゴなどたべていたら、動物的平和を感じる。

「九三年」終る。おそく。ヴァンデーの反乱をユーゴーは、ヴァンデーそのもののおくれた条件から丈見ている。それを利用したものとは見ていない。バルザックの方が此点は鋭い。ロベスピエール、ダントン、マラーの三巨頭の論判は、現実より単純化されていることは確かだが、マラーが他の二人よりも政治家であって、当時の政情に独裁の必要を認めていて、自由のために憎まれ、コルデーに殺されたことが分った。それにユーゴーは、主人公であるゴーヴァンによって、当時よりもすすんだ社会的見解(女性の地位等)を語らせているところも面白い。九三年前後に女はあんなに活躍したのに、マラー迄の人々は女をやはり男の従属物として見ていた点、ユーゴーがゴーヴァンをとおし指摘している。国民議会の功績と共に。巨頭間の権力争いのために互に殺し合い、フランスは不統一となりナポレオンを出したというのは悲劇である、歴史的段階における。


一月十一日(火曜)穏暖

 ○巣鴨。リンゴたった三つもって行く。赤倉の一つ組合の二つ、どれもしおれているが。買ったことにして入れてくれる由。玉子もいいらしい。金曜は光井の玉子もって行こう。

 ストッキング片方だけぬいだときよびに来た。

 ○かえり、護国寺の本やによって『時局情報』をとる。そして浅漬一本おいて来た。

 ○浅漬、角の(日出)の漬ものやで売っている。包紙を買って、かってかえる。五本 3.24 なり。

 ○太郎のために、トウモロコシの煎ったの二袋。曰ク「結構食べるよ」これからちょいちょい買ってやろう。

 ○夜七時すぎ国咲かえる。おちついた顔している。面白かった、という顔してかえらず。段々それが出て来る、荷物が重かったせいもあるなり。太郎、きょうは、お父さま、お母さまと云う。案外すらりとした機会をつかまえて云い出す、面白い。こういうところもあるのか、はにかまない。生徒の疎散のことを話したが、やはり判っている。この頃字をきき、新聞をすこしよむ、「都電でスられる」なんて、何だか可笑しいね(ごろが)と云って笑う。


一月十二日(水曜)
〔発信〕池田小菊へ、書評

『同盟世界週報』、お先に失礼したら面白い。この程度がこんなに面白いほど、燈台の火の輪が小さいというわけである。ドイツの婦人動員は大したもの也。ドイツ人男子四百七十万人に対し女子一千六百五十万。四倍。今年女学校を出た女の子は皆挺身隊にして、就職させず。徴用と名づけない。

 女高工、女高農が出来る。外国語科も。どういう理由からにしろ女高工は女にとって一つの大きい意味をもっている。シャギニャーンが、高工で染色の教師をしていたのを思い出した。

 インドの国民軍の女子軍の写真。ショーツをはいて、銃もって、真面目な姿で、うしろに二本の長い編み下げをたらしている。このあみ下げが何とも云えず、いじらしい。タイの女兵も髪は切っている。又わたし共も髪を短くするときが来るかもしれず、空襲で洗いにくくて。

〔欄外に〕

 戸台さん一寸よる。明後日から就職の由。

 河出をやめ、七百円貰い、それをこれから二年間の補充にする由。ボーナスなし、進級なし、召集かかればここも解除。

 河出、三笠大観堂を買収した由。


一月十三日(木曜)

 古田中夫人の思い出を書きはじめる。かきにくい。親類や知人だけが読むものだから。母といとこであったということからおのずと、西村のことにも亙り、やはり面白いものとなりそう、十枚かいたらへばった。


 佐藤先生来。すこし肥って厚みが出来、これなら安心。宮の胸痛のこときく、ロクマクの癒着でおこる神経痛の由。おみやさんの診断書かいて貰う。

 寿来る。電報とゆきちがい。土曜、行かないでよくて助かる。

〔欄外に〕仕事 十枚


一月十四日(金曜)四六度

 巣鴨 玉子六つもって行く。三つずつ入れる由。

 珍しくあたたか。カイロなしで出かけられた。

 立合いとはなれてかけている。

 かえり、浅漬三本

 とうもろこしの煎ったのは十六日の由。

 帰ったらK、国府津へ行ってしまったとのこと。そんなにいやなものか。

 古在氏のところへS行く。


一月十五日(土曜)

 古田中さんのつづき、大体終る。十九枚。しかし終りが不十分だ。疲れると、いそぐ。あらくなる。まだまだ也。


 国より電話、月曜にかえる、寿どうかしてくれと咲に。咲大弱り。何と云っていいか分らず。

 健之助、台所口へおっこって、右の腕いたく、片手で遊んでいる。

〔欄外に〕

 仕事十枚

「カトリーヌ・メデシス」をよみはじめる。

 バルザックの歴史勉強は、スコットに刺激されたものにしろ、独特のところへ行っているし、これ丈勉強もするというところに、感想がある。


一月十六日(日曜)寒い 風つよし

 おしまいのところを加え、落付いてしゃんとした二十一枚。「白藤」とする。

 カザリンとマリー・アントアネットと境遇が実によく似ている。妻としての苦境、皇后としての板ばさみ等。カザリンの術策政治のよって来たところをバルザックは明らかにして、新教作家によって与えられた誹謗を訂正しようとしている、カザリンの政治的手わんというものを評価して。

〔欄外に〕

 仕事三枚

 メリメの「シャルル九世年代記」というがよみたい。第一巻だと見えて全集になし。


一月十七日(月曜)

 国から電話かかるかと思って咲用意して待っているがかからず。夕方いきなり国府津から帰って来る。Sがいると大むくれ。S夕飯に出て行って十一時ごろ帰って来る。咲、風呂をもしている。S食堂へ現れず風呂場へ来て自分のわきにくっついている、湯気の中を。可哀そうに。やがてS入浴、二時半。まるで大晦日さわぎだ。それから二階へ来、片岡さんのカルピス御馳走してやる、三時になるのに、そわそわ歩いてタバコふかして、その匂いがきつい。つい腹立ち声が出る。

 Sも、どうしてもっと敏感にすらりとしたやりかたしないで神経を試みるようなことするのだろう。

 神を試みる勿れ、と云った昔のキリスト者は、なかなか人間通だ。それは別に云い直すと、人間の弱小さを試みる勿れということになる。ゴー慢である勿れというようなことは裏から云うと、弱小な人間の限界に注意せよ、ということにもなる。客体的にも。

〔欄外に〕「白藤」送る。第三信。


一月十八日(火曜)寒

 Sがまだいる、と云って、十二時頃出かける迄、国寝ている。実におはなしにならない。S、近ちゃんに川越辺案内して貰う由。

 巣鴨

 外套の襟を立て、うろうろしている。

「ここへかけたら」と云って椅子を押す、一寸かける。又立って落付かず。


一月十九日(水曜)

 K、一日中こたつにつかって、皺だらけの顔して首をつき出している。「健康もスランプなんだよ」

 見るの、つくづく辛い。二階暮し。

 たった四十四だのに! 生活条件というものは何とおそろしいだろう。自分のお気まかせで、自分の価値ある能力までころしてしまうとは。

 昔母のもっていた机の脚ガタガタなのを、国に直して貰う、一寸布をかませて叩いて、大いにしっかりした。日向の本よみ用也。自分に貰う。紫檀かと思っていたら桜の由、猶更可愛い、桜の文机というのは。花嫁よし江にふさわしい。十八ごろこの机で「十八史略」習ったし、客間で夏よく本をよむにつかったし、はなれで祖母の夜伽しつつこれをつかった。再び自分の所用となるのはうれしい。

 近藤さんの話、川越の奥の物置洋館の二階というの、自分かりようと思う。寿かりなければ。K、全く我関せず、という顔している。よく出来たもの也。


一月二十日(木曜)晴

 きょうは思いがけず所沢へ出かけた、目白の先生一家、そしてあるところにあるものとびっくりした、一面佗しい。顔、情実。それが佗しい。

 街道に若い松の丸木が薪としてどっさりつんである。東京の町の貧弱な割木とは全くちがう。そして、いかにも昔の宿の商人宿のまま、うま、荷馬車おき場のついた旅人宿なんかがのこっている。


 二人、明日開成山に行くといっていたら市次郎の娘が死んだ電報、どうしよう、こうしよう、やっている。二階へ上って来る。

〔欄外に〕

 こんな珍しい外出していた間に新京からB子さん電話があった由。「まあ! さぞがっかりしただろう」「はあ、がっかりしたようなお声でした」


一月二十一日(金曜)

 国、咲、山崎、開成山行、のじ「わたくし長い汽車には弱くて」云々。

 巣鴨、高雄の陸軍病院から手紙よこした男、思い浮ばない由、誰なのだろう。

 少年時代からの体の訓練というものは大したものだと思う、子供のときおぼえた自転車と水泳の如し、地力となっている。その人の性格というものばかりでない、こういうプラスがあるということを痛切に理解する。

 太郎もスポーツは本気でやらなければいけない。そのことから来る仕合わせの多様さ。

 かえり神田へよる、ひどい電車。まさにつぶされそう、冬は着ているものがぎごちないから、やり切れず。井上で千代紙買う。

 太郎牛肉の宿酔ふつかよいで頭が重いと云って学校休む。こんなにがつがつなのだと哀れに腹立たしくもある。親父一杯キゲンで、いいよたべろと過度にさせるから。無理ないようなものだが。

〔欄外に〕

「カトリーヌ・ド・メディシス」シャルル九世の悲劇的生涯がよく分った。

 バルザックの体の丈夫さ。男らしさ、たっぷりさ。カルヴィニズムのすべてへの吝嗇さへの反感。


一月二十二日(土曜)

 疲れていて閉口だったが明治やへ行く。一種の気分で、余りいい気持しなかった。河合のと間違えたのかしら。奥様と云う、御両家の分ですから云々、という。ああいうところの奥様ポーズというもの、帳場の奥様ジェスチュアと同一である。

 かえり緑鮨がのれんかけかけている、山口空腹だろうと思い入る。五十銭、ひどいひどい麦うどんのまざり飯少々にむきみがのっている。

 尾崎来。

 コタツで手紙をかき富雄、隆治の小包つくる。

 夜太郎、二階でねたいという、無理もなし、来さす、キュークツなのとうるさいのとで眠りにくかった。

 隆治へ小包つくっていた時、一寸みぞれがふって来た。そこで、ふるさとはみぞれ降るなり弟よ南の国につつがあらすな というのを、かいてやる。雪かと思って心待ちにしたが、あがった。

〔欄外に〕

 去年の正月も、国一月は殆ど出勤しなかった。今年は、と思ったら五日と東京にいない。それもみんな寿のおかげというのかと思う。


一月二十三日(日曜)晴天 暖北風

 防空演習九時半より十一時半迄、山口、私、梅。山口余り働きものというのではない気質也。のんびりしているのはわるくないが。

 午後、神田へ本を見にゆく。マリ・バーシキルツェフの日記の入っている国民文庫刊行会の叢書 56.─と思い、それを買おうとして。今日の記念のために。そしてはり切って行ったら、あにはからんや百がついている。三十何冊かで。びっくり敗亡大苦笑。つまりバルザックと古典にしがみついていよ、という天の仰せと観じて女流文学の参考書をかってかえる。

 門のすこし手前まで来たら、ひょっこり窪鶴が来合わせ、それから八時迄、縷々としてきかされる。自分の心持は、きまっているので、聞かされる話は其としてきき。「あのひとにはいくら話しても分らない」と云ったよし(稲)話しかたきいていて、遺憾乍ら其が当っていると思う。勝敗を云うなら二人ともが二人に敗けたというところである。友情、友情と。折角きょうはしずかに楽しい夕方を過そうと思っていたのに。太郎上へねる、ついて、八時すぎ上って来てしまう。咲より電話、(開成山)あつたやに泊っている由。明夜かえる由。

〔欄外に〕

 宮、きょうはいい天気だな、と思っていることだろうと思いつつ、コートなしの姿で神田へ行った。須田町で

 私「あの一寸伺いますが、これ何の列でしょう」

 若い男「電車」

 なるほどね

「神明町行でしょうか」

「神明町」

 十一二の男の子二三人よこから乗ろうとするを、いきなりその男、子供の頭グイとこづいてものも云わずうしろを指さした。今の人心。


一月二十四日(月曜)
〔発信〕宮へ

 二人安積から帰って来る。ゴタゴタもって。大変だ。どこの家庭でもこんな苦心をしている、其々に。

 この頃、よく女でメショーク〔袋〕背負ったのがいる。ほんとうに、百姓のメショークのしょいかたで。大したもの也。


一月二十五日(火曜)
〔欄外に〕巣鴨


一月二十六日(水曜)

 S、夜泊りにだけ来るというのに、午後来る。そしてKとかち合う。大むくれなり。


一月二十七日(木曜)

 S、かえらず。咲、大はらはら。自分も。Sそういう神経の上に圧しでのしかかる。自分大いにおこる。


 K、私の顔をみるのも口をきくのもいやな由也。そんなにS子が可愛いなら一緒に住めばいい由、食事も一緒にしない。


一月二十八日(金曜)
〔欄外に〕巣鴨


一月三十日(日曜)

 疲れが出たし顔を見るのもいやで床にいる。しかし自分を制することが出来るのは自分一人なのだと思う。大人なのも自分一人なのだと思う。

 どっちもわるいので、自分はそこにひっからまれた。ひっからまれて、やはり事前に善処する丈の力量はなかった。

 国へ手紙かく。あやまってやる、云い分とすれば、私が先ず分ってくれなくてはというわけだろうから。

 あとで馬鹿馬鹿しくて、むかついた。マアマアと思う。父の日のために自分は姉としてそれ丈の忍耐をしようと思う。

〔欄外に〕父上八年祭


一月三十一日(月曜)

 祖師ヶ谷へゆく。工場へ入るという話、いろいろ話して、ひとの生活については相談も出来判断もしてやっていて、自分の暮しのしまつつきかねることを面白く思う。

 おそくかえる。

 そしたら俊夫来ている。見合い成功、十五日頃結婚するとのこと。

 国笑って話していて、何となし自分に目を瞑る。ゆっくりと。その感じ、何とも云えず。

〔欄外に〕祖師ヶ谷の予定


二月一日(火曜)

 すこし状態よくなって来る。


二月五日(土曜)

 やっと工合も納り、自分の気持のよりどころも出来た。判断がきまった。

 いよいよこのごたごた沼も卒業となる。

 勉強。勉強。そのほかになし。


 マーシャル諸島の戦況。敵軍上陸した。


二月六日(日曜)
〔発信〕宮へ。


二月七日(月曜)

 国帰って来る。


二月八日(火曜)

 出かける。手紙よんだよ、とのこと。そして島田へ借カン申し込むとのこと。それがよい。ただし方法がよろしくないといけないから、という。(自分)経済的可能と心理的可能はいつも一致しているといえないからね、そうでしょう? うむ、そりゃそうだね。


二月九日(水曜)

 寿の室見に大岡山へゆく。私でどの位かかるだろう。国、マア二時間だね。ところが一時間ばかりで順序よくついてしまって一時間待つ。大くたびれ。室、全く独立していていい。が下にいるのでいいので、別人だったらやり切れぬところだろう。たちの暮し、俗人には分らない。は、立ちかけの子が這うようにずって動いてもてなしてくれる、大畑という子の絵は未来がある。話している話しかたも好意がもてる。一生にこういう時は二度ないから勉強しなさい、といった。家主はいやな男。六畳、十二円。パリを見わたすように高みから、何か東京を俯瞰する感じで面白い、高い坂の中途だが崖でないから大して不安はない。

 月夜、十一時すぎかえる、炭にあたって気分わるい。たちが、未来と希望といくらかの才能だけをもって生きている姿、自分に深く印象された。ぐるりの者は何もなくて性根や根性だけもっている。もっている金さえ金の機能を失って。


二月十日(木曜)

 明日休み。今日ゆく。ビオスボン入れる、十三日にたべられるように。金田わたしてくれるレディースペック一つ。

 前の高橋、酒に目なしの由。話しかたも心得たもの也。

 きょうはのうのう。室もきまったし国は国府津だし。


「曠野の記録」よみかけている。平野氏が、大変若々しいと云ったのは当っている。青春の逞しさというよりインテリゲンツィア的脆弱さの未成熟さの意味だ。文章立体性がない。自然はそうだのに。この立体性の乏しいところ、つまり把握の平板さ也、兵隊の渾名というものの面白さを感じる。それにああいう人の中では人物がものをいう、ということを。

〔欄外に〕

 森長さんへ電話、続行をいそぐ意志なしとのこと。面白いもの也、そのこと話したら笑った。


二月十一日(金曜)
〔発信〕宮へ

 風つよし、大してさむくはない。寿のふとんほす。運送や十四日の午前中に来るよし。

 島田から木箱着、無事だった。あやぶんでいたが。

 太郎、箱あけているところへ、ミチルちゃんが

「太郎ちゃん」と云って来る。

「ああ来ちゃった!」痛いような顔する。太郎この頃こういうの、何だか妙だ。そんなにペコペコかしら。この間は紅茶茶わん自分でもって来て「これだから、かえる?」と云って「かえる」とミチルかえった由。

 国、国府津。ああちゃんぼけたような顔している。手紙。宮、自分へインシュアランスかけて母へしゃっかんのこと話した方がよかろう、その提案をかいた。


二月十二日(土曜)

 寿の大岡山へやる荷物見るにつれて、目白の荷物出して見て、鼠にあらされているので情けなくなった。どれも煮なくてはつかえない。どうしたかといつも心にかかっていた秘蔵のかんとくりと猪口が出たのは大よろこびだ。鍋類どうしたろう一つも出なかった。


「曠野の記録」、下らんです、と云ったのはすこし速断だと思う。若々しい作品です、と云ったのは世俗的にもわかりよい言葉と思う。ここには、弱くて善良である精神の天路歴程があるのだ。今丁度三十四五の人々の。こういう人々が過去のもちものを一旦すて、それから再び何をとらえてゆくか、そこが見どこである。これから後の年代の人々はこわれて自分からすてるものはない、しかし、何かつかむ、ということは必然である、その二者の把握物が、どう一致するかというところに極めて意味ふかいものがある、文学としても。


二月十三日(日曜)暖
〔発信〕宮へ。

 自分の誕生日、大変暖い日で毛のジュバンぬぐ。まとまった本よみはじめる。正月の決心がやっと実行された。

 面白さがましている。うれしいと思う。そして、本のかきかたというものについて考える。高い学識のひとが、自分のレベルで書く本というものは、読者の程度をきめる。科学は術語なしでは書けない。けれども、それをちがった国語にうつす人が又それをかみこなす力量によって、何とむつかしくするだろう。語脈ということからだけでさえ。

 夜、国帰る。ひどい汽車の由。

 きょうは、御馳走もなし客もなし、去年のさわぎとうってかわった誕生日だが、自分とすれば、この変りかたが今日の自然と思え、こうやってこんな工合にすごして夜本よみ出したりして心持がよい。

〔欄外に〕

 夜雨がパラパラふる、あした天気でないと困る、大岡山へ荷物をやったらもう知らない。本当に、暮から何たることだったろう!


二月十四日(月曜)

 きょうは寒くなった。

 運送や来ず。ねむいのに。

 バラさん、子供二人つれて来る。のぶ子という女の子、大きいのおにぎりのような子で、だっこして脚をバタバタやってのんきな子。

「曠野の記録」へ手紙かく

 読書二三頁

 まとまって本よみはじめたら、しきりに小説のこと思う。

 集中的になる故、或は綿密になるせい。昨夜それで長くねつかなかった。結局、先にかきたいと思っていたものは、やはりあとになり、最後のところにプランしておいたものが先にとりかかられることになりそうだ。科学者の主人公のが。それもそういうものかもしれない。今のいろいろの心理、事物の核としての科学の精神。

〔欄外に〕

 昨夜、何故自分ドガが面白いのかと思い考えた。運動への敏感さ、その感受性の整理の正確さが内面運動のきつい自分に面白いのだと思う。セザンヌの対象への直角な追究の偉さが、それにつれはっきり分り、セザンヌもわかりはじめたな、とうれし。正確な頭の働きによって書かれた本の間接の影響のあらわれかた、その芸術性を面白く思った。セザンヌが美術史からぬけない人である点も分って来たように思う。セザンヌは、制作の意欲というものに立った、つよく。断乎として。


二月十五日(火曜)

 巣鴨、こんど行ったとき借金話を出さないのは賛成だ、と笑っている、インシュアランスのこと、ああそういうわけか。しかし、そこまで考えなくてもいいだろう、そうじゃないわ、考えなくていいと思うのは子供らしいことだわ。


 運送やの世話やかしたと思い、エーデル二つさち子さんのところへ届ける。

 ○二十円かりに来る。自分もっているのは五十銭。咲ピー。うめに十五円だけかりてやる。質屋というものを知らぬ由。そういう人々。


 八頁


 夜、急に雪がふり出し、すぐやむ。寒い。


二月十六日(水曜)

 運送や、やはり来ない。業をにやしてしまう。坂下のところへたのみに行ったら、明日は来られるという、やっと安心。


 寿来る。

 ○今日から大増税。五円の夕飯は八割の税で九円となる由。百円の夕飯をくったが大したことねえよ、という男第一のロビーにいる由。その表現が何を示しているかを知らず。無智の極なり。自分風邪気のようになり一種の病気。


「パヴロフの生涯」をよむ。大変面白く日本にパヴロフを紹介した人が林髞であったのを遺憾とする。パヴロフの偉大さは、この日本への紹介者の軽薄さによって過小評価されて歪められている。条件反射の発見が、唯心的心理学に与えた革新。内科疾患の有機的な脳との関係。「人間治療学」というものの意味。パヴロフは条件反射までを限界として、社会生活からの影響を加えた人間のみに存する第二合図系体シグナルシステムというものを明日の課題としてのこしている由。「機械論的立場にもかかわらず」彼の面白さ、新しさ。

 自分が「タンノウする迄」働く。この一句にこもっているものの多さ! パヴロフが、「マア働いておく」とか「程々に働いておく」ということを知らなかったというのは、うらやましい力だと思う。パヴロフという偉大な生理学者の追求のしかたの「パヴロフ式」な工合は、セザンヌの「セザンヌ風」と似ている。理論をもち自身の体系をもち、洞察をもち、対象に直角に迫るところ、根づよいところ、手をゆるめぬところ。


二月十七日(木曜)

 昨夜井上園子、咲ゆく。チャイコフスキーのコンチェルト。落ちている、という。上手は上手だけれど、落ちているわねえ。ここに急所がある。今どきの芸術は、殆ど皆上手だが落ちているという落ちかたをしているのだ、文学も。つまりまともさが失われて来ている。マトモサとは何か。対象に正確につき入っていず、意識して、又は無意識に斜っかいにずらしているから。まともさというものは正確正直な追求以外にはあり得ないのだ。下手な縫いての縫いめは、いつもはすかいに流れている。上手は向い側にキュッキュッと真直に近くささっている。

 八頁。


 運送や来ず。到頭日曜日に宮本にたのむことになる。そしてS、第一ホテルに其までいる。夕飯のべん当をもって四時半すぎ出かけた。

〔欄外に〕

 はっきりしない天気

 自分の風邪気さっぱりしない。きょうも早くねなくては。あしたは出かけ日故。


二月十八日(金曜)

 本六頁。


 巣鴨、あんまりきれいな花の工合で、優しい病気にかかってかえる。


 さむい。かえり小雨になった。


 夜あつい脂のういたみそ汁をよそいながら、寿どうしているか、こんな暖い汁はのめない、と思う。そして、皆が全く存在しないもののように念頭から消しているのを、おどろきをもって感じた。


 亢奮から生欠伸あくびが出たような顔つきになり、しかも出ず、欠伸の中途でものをいうような声になる。そして顔色が妙にムラムラとなって、一見ひどく寒いように見える。


二月二十日(日曜)

 八時半頃、宮本運送来る。すこし小狡い爺の方。其でもこれでやっと運べる。

 朝になって、カギあける。大さわぎ也。咲昨夜何一つしておかず。

 早ひるで出かけて行ってみる。

 夜灯かげを見て、想像したよりも平凡だが空気はよい。西日が大分さす。

 荷ほどき手伝い、御飯たいて、みそ汁つくって夕飯を一緒にたべ九時半に出たのに、広小路でいやほど待って帰ったら十一時半也。


二月二十二日(火曜)

 S来る。

 どう? どんな工合?

 ふむ、あと不平ばかり。

 自分寧ろ感服した。何から何まであんなに揃えて引越ししておいてもらって、よくもそういうあいさつが出来るものだと。

 うちの連中は、ひとからして貰うことにかけてはその鈍感なこと天下一品。家風


 巣鴨


二月二十三日(水曜)

 きのう・きょう、新聞のかきかたは明治はじまって以来、新聞出来てはじめての筆調だと思った、伊独日にアメリカは軍政をしく準備をしているということがある。勝敗という字をつかい、危急という字をつかいしている。「日本武装解除の輿論化」などと。


 ガンジー夫人獄中に死す、七十四歳。十歳のときガンジーの妻となった。心臓病で。

 七十を越して、獄中で死した婦人は世界の歴史以来だ。少くともこれ丈の人で。民族運動というものの底力のつよさ。ガンジー夫人の与えた感動は世界的である。そして歴史的な意義をもっている。


二月二十四日(木曜)

 堺誠一郎、二度目の応召で先日出た由。全く知らなかった。

 あの小説をよみ、二度目というのは感じにつよく来るものがある。


 川越小ヶ谷のアトリエと称するところへ近氏案内して貰う。かりる契約する、十円、しかしここは物置き以外の用途なし、電燈もないのだもの。

 ブンブン飛行機がとんで、入間川の堤場は美しく柔かい。関東のこういう古い家の陰気さ。四角くくらい。関西の背戸へぬけた方が明るい。内田いち子という未亡人だ。体をしゃっきり立てている。亡主人の絵は絵でなし。一里余歩き、自分に歩くことの苦にならない案内人はおそろしい。


二月二十五日(金曜)

 巣鴨、

 島田へ行くのがいやな話したが、宮、それはそちらが軍事知識欠乏のためだ、と云う。

 自分は、あんなところで犬死にしていられるものかと思う。親孝行のためには仕方がないね、しかしそれは宮自身の満足の話ではないだろうか。


「細菌物語」を待つ間よむ。水の細菌のこと。ヒポクラテスというひとは、すくなくとも近代科学がそれを発明した方向に、暗示を与えたし直感してポイントを示していたという点で大したものだと思う。


二月二十六日(土曜)

〔受信〕多賀子からハガキ。母、十二指腸虫を下すのに、共済病院へ入院の由、はじめての入院だ。

 祖師ヶ谷へカヷァーとりにゆく、へたへたなり。先方へついて、ふと、何とバカらしいと思う、土蔵の茶の麻布をカヷーに縫ってつかえばいいのにと思いついて。

 本立てにあったセザンヌの伝ちょいとよむ、なかなか面白い。セザンヌは、純粋な色をいくつも重ねてつかって、まぜた色をつかわなかったという点など。文章というものの感覚と似ていると思って。

 おくさん、赤坊が出来、十時頃出産、いろいろハンモンしている。月収百四十円(本俸の由)

 譲治氏青森へ行った由、二十二日に。娘は成城女学校に入る由。イランの童話を訳したのを見た、出産費のため本にしたらと思う。

 かえりの市電で、小松原夫人に会う。ファーの襟巻して、と思っていたらそのひとだった。大仰でへこたれ、このひとの旦那さんはどうしたろう。

 マーシャルの弐島で六千人全滅

〔欄外に〕

 田圃道を行ったら草はまだ黄色く枯れているのに、水はとくとくと春の水の音を立ててせせらいでいて印象ふかかった。


二月二十七日(日曜)

 三人国府津

 疲れひどく、起きているの殆ど無理。

 S来。夕方までいる。M子の話した話してきかせる。さすがに、それはわるかったと云う。


 森長氏より電話。


二月二十八日(月曜)

 健之助、泰子、おみや、うめ、のじ、さき国府津ゆき。ガタガタ一連隊。咲それでもなれて、よく間に合わせた。

 昨夜デスクの鍵失ったとさわいでいたが、いい工合に下に落ちていた由。


 川越のマッチ二階ことわって来た、はじめの話とちがうからと云って。理由はおそらく別なり、おいち婆さん、頭をはたらかしたというところだろう、そう残念でもない。が、又祖師ヶ谷へたのまなくてはならなくなった、寿工合のいいところへもってこれれば、たのむのだが。


 山口の共済病院宛五十円送る。母へ


 今夜八時から明朝八時まで火種一切なしでやるという空襲くんれん。

 二日分の糧食は必ず用意せよ、と云っている。

〔欄外に〕

 朝快晴 午後一時すぎ頃、皆が大富で出かけたあと、急に一天かきくもる(あとできくと煙幕だったそうだ)ひどい風になった。

 子供の移動──丈夫でない子の移動はなかなかのことだ、今の時代でさえも。


二月二十九日(火曜)

 椅子があやしげな音を立てて軋むから、きっと今にのりつぶすと思っていたら、案の定、ベキリと背がもげた。宮、いかにもおかしそうにしている。自分もおかしくかわゆい。バルザックが幾つめをのりつぶしたと云っているのを思い出す。いずれも相当の力みなりと面白い。

 かえりに下駄やにまわる、下駄二足くれた。疎開するつもりらしい。自分忙しい気持でゆっくり話さなかったが、こんどきいてやらなくては。僅か二三ヵ月だが厄介になったから。六七年巣鴨へゆきながらあの店を目に入れなかった、そういう心理について省みるところもなきにしもあらず。

 金、ペックと綿くれる、何かしなくてはならない。点のあるものでも


 巣鴨

 次席に会う、診断書の件。この次からはうまく行きそう。


〔三月要記〕

(中旬)荷物の整理を完了すること。

穴をちゃんとして、埋めるものを相談してやること。

宮へ二ヵ月分位送金のこと。


三月一日(水曜)

 明治や、行きたくなし、が仕方なく、尾崎留守してもらって山崎つれてゆく。すこしわかってみると、このグループはビリ級だと思う。飯村という爺、拒絶のジェスチュアたっぷりで、一寸すみっこに永く人と居たりしていないようにしている。こういうところでは、どっしりと入る口があるから、ビリ級には大したことも期待せずサーヴィスさというところだろう。いやな御使役だ。

 かえり晴子の初節句の人形見に高島やにゆき、おどろいた。オモチャらしいものもない。お手玉人形 9.62 也買う。それ丈のものとさち子思いも及ぶまい。五円どまりと思えるものだ。

 団子坂で島田の子供のおもちゃ買う。この方がまだある。通三丁目のところ、むつかしい顔して歩いていたら、スナップやが珍しくとった。病後外でとったはじめてだから、面白く注文した。さっそうともしていまい。それもよし。


 高級娯楽、待合、料理店、芸者や廃止。最後に、身近なところへ迄という感じなり。

〔欄外に〕

 文報で文士の舎監進出をあっせん。二三十人先遣隊とする由。


三月二日(木曜)烈風
〔発信〕巣鴨へ

 どこにも出なくてすんで大助り。手紙午後中かかってかく。

 F 挺身隊になるしかなくなって亢奮している、無理もない。

 咲四時すぎかえる。明日までの由。

 この頃つづけてまとまった本をよまない。落付かないのだろう、島田へゆかなければならない為。いやいやゆくため。

 堀進二氏のあっせんで、ふさ子帰国することになった。それで大安心、この頃脚ガクガクで苦しいらしいから。


三月三日(金曜)

 巣鴨。かえりに目白にまわる。初節句、ところが、ここでは子供と母さんが、石森へ行くことにきめた由。気が立っている、御主人もさすがに気が立っている。無理もない。目白へは御主人一人のこる。「どんなもの上るんでしょうね」細君、いろいろ心配して「信用して居ります」主人「どうして女の人って、誰でもすぐそんな風に考えるんだろう」、男のそういう気持もよくわかる。女の愚劣さとして感じることも。女の性慾と愛情とが混同して自覚されていることや、世界の感覚が男のように世界の感覚として身に迫っていず、「妻・子」的に良人中心にはたらくから。こういう一つの心理にしろ、時代を経てゆく、ゆきかたの差異として感じられて、自分には印象ふかかった。行ったら五年はあちらで暮す覚悟がいる。次代の強壮な若い人たちは都会には出ない。地方からしか。こうして、大きい交代が行われる。防毒面一つくれる由。しかし山崎がなければ私ひとりはかぶれない。国に話したら「そんな遠慮いるもんか」という。そうでない理由話す「ひとの娘だよ」

〔欄外に〕

 「三月に入ってからめっきり浮足立ちましたよ」


三月四日(土曜)

 三日の閣議で、非常措置具体案二つ。一は、国民学校児童の給食、四月一日より六大都市、一日七勺昼飯として学校で炊事して。二、一般疎開促進。

 朝目白から九時半ごろかえり、〇時五十五分東京発太郎を国府津につれてゆく。余りまぼしくない小雨の日だが、速力で眼つかれひどく、平塚ほど迄は目をつぶって行った。全く国のいう通り、国府津東京間は、町つづきだ。交通遮断は目に見えていると思う。

 久しぶりの国府津だが(あしかけ五年か?)、もとのようにみんなの行くところとしての感じはすっかりなくなって、もち主の気分が到るところに充満していて、居なじめない感じがした。今は却って林町の方が開放的になっている。物ぎっしり、子供ぎっしり、女中ぎっしり。リーディングパワーなし、一種暗然とする。

 太郎、健之助をうるさくかまって泣かせてばかりいる。火曜試験がある由、勉強も見てやらねばならず。


三月五日(日曜)

 ひどい風、ひどい吹雪、北東の風だからまだ安心だったが。寒い。ここでこの位だから東京はひどかろうと話す。

 健之助ビービー。野じギャーギャー、おみやさんは汽笛一声をうたう。太郎はアッコオバチャン! アッコオバチャン! 勉強をみてやる。ペーシェンスの対手をする。朝から水が出ない、停電で。水を貰って来なさい、材木やへ行って。バケツありません。おなべでいいよ。

 ラルギエのセザンヌ・アヴェク・ディマンシェをよむ。そして「回想のセザンヌ」との本質の相異を感じる。やはり画家であるということと、文学者であるということとでは、セザンヌの評価の要点がこんなにちがうかと。ラルギエの本はいかにも日曜日風な編輯で目のたのしみにはなるが、「回想のセザンヌ」のような勉強にはならない。ゾラがセザンヌを理解しなかった。一般に絵画を。「制作」でゾラはセザンヌを「歪めた」。わかるように思う。

 セザンヌの用語である実現するリアリゼという表現の芸術的内容、芸術的再現は自然発生のものではなくて、画家によって構成されリアリゼされるものであるというところ、なかなか面白い。アングルを「何て本ものみたいにかくだろう」と軽蔑と嫌悪をもって云っているのは面白い。「モティーヴに向う」ということのいみもよくわかる、「モデルに向う」のではないところが。よい小説とはと考える。モティーヴに向って、いかにその芸術家の見るもの=感じとるものをリアリゼするかという点。

 セザンヌは面白い。バルザックをあれ丈よんであき足りぬところ、それはユーゴーで充たされずセザンヌによって充足される。


三月六日(月曜)

 きょうは曇天だが外気あたたかくおだやか。

 午後四時四十四分にのってかえるために、ウメをつれ三人で駅までゆっくり歩く。駅近くの海沿いの道が実にいい気持で、きのうの雪で白くなった箱根の山々の眺めもうつくしい。

 伊豆のはなに軍艦がいる由。

 大漁の赤旗を立てた小舟がいるというが自分には見えない、どれ、どれ? 見えない、と云っているところへ、むこうから来かかった東京者の四五人づれの中から一人の婦人が出て来て、あいさつする。佐藤夫人。これから行くところの由、大分ふけたところにルージュが浮き上って見えた。

 夜寿来。台所に腰かけて話してかえる。自分切ない。どうしてこういう状態で「平気」だったり「馴れたり」出来るのかと。益〻昨今はこういう暮しかたはよくない。

 咲国、やっと開成山にともかく子供をやるということに一決した、この家の処分はきまらないでも、ということに。

〔欄外に〕

 本日から各紙とも夕刊なくなった、「勝つために夕刊休止」

 咲たち開成山にゆくのは大いによろしい。今のような右往左往的生活の浪費する精力は大したもので、太郎に悪影響しかない。どっちへ行っても特別めいて。

 たった二晩田舎に眠り、夜の東京へ入り、殺気立っていることを痛感する、田舎へ行くべきではない。


三月七日(火曜)寒い

 巣鴨。


 咲行李送ろうともって行かせたら、もう小荷物はうけつけないチッキだけという。去年の春から、考えた方がいいとあんなに云っていたのに。群集心理というもののたよりなさ。咲国なんか全くはたがせわしくなってからせわしくそわつくのだから、万事手おくれ也。完全に翻弄されている。

 日記くってみる。実にすべてのものの動きが激しくなっているのにおどろく。たった一週間前に咲国府津へ子供うつしたとなど思えず。


 大畑召集が来て、月曜の特急でかえった由。福井へ行くとか。来ていろいろ話す。大畑がのことを私に一言たのみたかったと云っていた、と。自分にその気持すぐわかった。話を寿からきいたとたんに。いじらしくいろいろ吉徴を数えている、イコーンをやる、昔父がくれたのを。この人たちのところにあるべきものだろう。大畑もよろこんでほしがっていた由。成城へ引越しの話してやることにする。

〔欄外に〕

 咲〇時五十五分でかえる。太郎は学校の方好都合に行く由。休学にして三年修了にしてくれる由。

 国府津では太郎一人で海岸へも家の外へさえも出ない、開成山にゆけてよい、母親とくらすのもよい。餉台ちゃぶだいで飯をくって育つのが安心也。


三月八日(水曜)

 この頃の生活のひどい遑しさについて沁々と考える。寿が尾崎さんが国へかえるから、夕飯をしてやる。国は、友人が徴用になったから夕飯にかえらない。自分は太郎を送って行ってやる。遑しさを分析してみると、自分が徴用にならず、自分が用なく、自分が国へかえるのではなくて、動いている。大いに考えるべきと思う。寿なんか自分のいどころもちゃんとしていなくて、ひとが国へ帰ることでいそがしいという心理は、何か今様めかしくあやしげなり、という風なものだ。自分のこころの遑しさを考えいやな気持だ。蟻のかたまりに大粒な雨のしずくが一つおちて蟻が黒く小さく右往左往する、ああいう感じ。日本の精兵は雀貝のように勇ましい、と。雀貝とはどんな貝だろう。大きい貝とも派手な貝とも思えず。一つ一つの雀貝こそあわれわが父わが息子なのである。

 ○尾崎かえるについて寿、ふさの部屋で夕飯こしらえる、自分もゆく。

 この頃の夜、月美しい、月の光が肩にしみるように感じつつ灯かげのない夜道を歩いて来る、平和、ということを改めて感じ乍ら。

〔欄外に〕

 荒木季子という女のひとは少々常軌を失している。つき合いかねる。こまったもの也。

 小都会のこういうエクセントリックな女性、石森の忠子にしても。文化の歪みから生れたもの。

 ○大岡山の家疎開する由、寿もも月末までしかいられなくなった。

 二階にいると、となりの石だたみの道に馬力の馬のパカパカパカと方向をかえる乱れたひづめの音がした。村瀬さんの荷物つみ出し。子供のときさんの大石どうろうを夜中もって来たさわぎを思い出した。


三月九日(木曜)

 ○太郎、きょうから休学。開成山の小学にうつることになる。亢奮している、「うれしいけどやっぱり東京にいたくもある」本心の言葉だ。咲挨拶に行って来る。太郎午後二時までやって、先生が太郎の疎開を告げ「さようならね」と先生云った由。中條太郎君のお母様という手紙もって来る。あけたら就学通告書が入っている。「将来太郎君がよき紳士となられたとき、よい記念となるでしょうと存じ云々」すこしはり合のある子を次々と送り出す先生の心が感じられ、やはり子供を扱う先生の心はちがうと思った。先生にもいじらしいところあり。わが子のへその緒を大事にしまっておく母のような。茂木先生という人に暖さを感じた。夜九時五十五分で咲国太郎国府津行。うちは山崎と私だけ。夕方国早くかえって来て土蔵の戸前をしめた。泥扉のしまった土蔵は堂々として物々しい。但、サイコロジカル土蔵で、北と東の窓はしまっていない、合わないのだ。それでも自分安心した。夜山崎にチョウチンわたす。自分のところにもおく。

〔欄外に〕

 夜九時すぎまで二階あけはなしたまま。しめようとして上ると、やわらかい夜気に月がさしている。春の思い、遑しく不安な生活に対照して哀感をもって迫った。「ああ又春のめぐり来し」と瞬間思う。北側の月さやか。村瀬さんのしめた戸に月かげさやかなり。

 ○古在、長者町に子供、細君をやる由、二十日迄に。その方がよい。

 ○ふとんや、したてことわる。こういう風になって来る。


三月十日(金曜)

 巣鴨、

「お手紙どうもありがとう」「いやあ」「あとのも、どうもありがとうございました」「そんなにお礼云われちゃよわるね」「こわい手紙はよくよくお礼云わなくちゃね」

 六日づけの手紙はにくらしい手紙と云える。「そちらは心配もあるまいが」云々は、そこからひっぱり出してどうかされることはまああるまいが、外には気違いがどっさりいるからという意味で云っていることがピンと来ず、掘立小舎と勇壮な邸宅住居のものとの対照で云うなんていうのはけちくさい。けちくさいのみならず、境遇的ピンボケに思えて残念なり。

〔欄外に〕

 ○学童の強制疎開がはじまるから、その前に自発的疎開をするように父兄会を開催する由、千駄木で。

 ○旅行、証明つきになるらしい。四月を待たぬ由。疎開した家族間の往復のこんざつをへらし物資の流出防止のためだろう。従って、地方から中央へは許可をしぶるべしというわけだろう。開成山、国府津と家、山崎の家とここ、交通どういうことになるか。


三月十一日(土曜)

 寿の風呂たきしてやる。四時にすむつもりではじめたのに二時間以上たくにかかって結局六時すぎ、自分が出て夕飯たべたら八時ごろになってしまった。大つかれ。


 来る。大畑の手紙みせてくれる。美智子、淋しいが元気でいる、というかき出し。そしてアイマイな字はあて字をかかず、とばしてある、鯖江のサバが分らないと、とばして江という風に。「迫撃兵とある。迫撃兵とはどうだ」とある。いい手紙である、ああいうよわい体にどうしてこの位の精神があるかと思う。迫撃兵ってどういうの、ときく。自分困る。「手榴弾や何かもってやる兵のことじゃないかしら」砲兵なら分るが。


三月十二日(日曜)

 防空演習

 とまり上富士の教会にミサを立てに行く。(こういう表現をするものと見える。)聖体拝受のため何もたべず。

 寿、四時すぎかえる。何や彼や紙に包んだものをカゴに入れて。ドボーリノ〔十分だ〕という感じになった。がいる間何故ああ不自然に冷淡にかまえているのだろう、私に対しても。


三月二十三日(木曜)

 国、夜、河合老母逝去通夜の為国府津より帰京。待っていろ、という由、かえり十一時すぎ。山崎の亭主のおまわり、私がいるためここへ一緒に住めないから、私に別になるようにという。「じゃつまり私が出るというわけかい」「そうほか方法がない。もし姉さんが気が向かなけりゃ咲枝たち開成山にゆくのをやめさせる。死んだら其が運命だ。ひぐまと姉さんとでは決してやれないと断言している、咲枝が」云々。思わず泣けた。「よくも云えるね」「そういう風にとられたんじゃ、いやな心持だ」「だって、どうとることなのさ」ふつふついやになった。出てやると思った。が、考えてみて、これは譲歩すべき性質のことではないと思う。自分の便不便を別にして。


三月二十四日(金曜)

 巣鴨。宮に相談する。絶対に承知する必要なし。そうだと思う。一言ももう国とは話さず。

 咲かえる。畳廊下でそのことを云う。

「ああやっぱりお父ちゃまに話しをして貰ったのはわるかったわ、そういう意味じゃなく、一時あっこおばちゃんが国府津かどこかへ籍をうつしてくれられたら、と云うことだったのよ。」成程、籍をここに寄留させておくのがいけないというのだと分った。いよいよ承知することとは違う。そして、咲が、結局国と同じ考えかたをする人間で、只外交辞令だけ円滑なのだと思う。いやさ限りなし。「ひぐまさんとじゃ、きっとあっこおばちゃん疲れて病気すると思うわ」「だって其とこれとは別じゃないの」「そりゃそうよ、病気したって仕方がないわ」上気のぼせて云うこととは思う。しかし、しかし


三月二十五日(土曜)

 いい天気。一群がいよいよ開成山引越。

 太郎、健之助、やす子、おみや、のじ、梅、咲、国、トランクとふろしき包ゴテゴテ。そのとき迄大富をたよりにしているが来ず、近藤さんの一家に大世話になる。

 ○家がしんとした午後になって、二階で机の前にいて、咲があんなに支り滅裂なことを云ったか合点が行った。咲は国から一時はなれたくて、国を何とでもして納得させたくて、ああいう滅茶を云ったとわかる。

 山崎のこと、ゴタつきのまま逃げるように行ってしまった。


三月二十六日(日曜)

 山崎、うちを出すことにきめる、「そうしなさい。世帯をもって、山崎さんと呼ばれているより奥さんと呼ばれてみなさい」わたしはわたしで何とかするよ。


三月二十七日(月曜)

 Y、がつがつだから、出るについて瀬戸もののいらないのなどを分けて、一世帯分まとめてやる。「フライパン貸して頂けるでしょうか、こちら小人数ですから」「そういうものは私はあげられないよ、今鍋は大事がるから。奥さんにきかなくちゃ」


三月二十八日(火曜)

 巣鴨。


三月三十一日(金曜)

 山崎の弟が迎に来て昨夜とまる。弟が来るほど荷物があるかと思えば何もなし。弟が来たりしないでも、かえすものは帰す。いやなやりかた也。弟に午前中穴をほらす、こちらの庭に二ヵ所。しかし、ふだんから埋めてもおけないから間に合うまい。

 午後巣鴨。

 きょうから全く一人となる。

 国夜かえって、誰もいなかったら、又ハムをおいて出て行って泊る由。


四月一日(土曜)

 国事務所から夕方帰って来る。

 変にかたくなってうかがうような調子でいる。開成山へ立つとき口もきかず、図々しくむくれて出て行ったからすらりとなれず、そんなにしているのだろう。ムクれるのはこちらのわけ故、どうも万事この調子ではヘキエキと思う。

 襦袢なおして、夜具の裏つけて干しておいてやる。


四月二日(日曜)

 夕方より雨の中を熱海の友達のところへゆくと、いろいろもって出かけてゆく。国。

 家じゅう只一人也。


四月三日(月曜)

 鷺の宮へゆく。はじめ栄のところへ。熊谷からみんな来ている。大家が家を売って疎開だと云ってトラックのうしろから乗用に一家がのって来て、チーちゃんの隣組は其をとりかこみ、こういう事は熊谷ではさせないとがんばり、やっと家は確保した由。疎開にもこういうのがある。仕立おろしのめいせんの標準服を着た女房で、炭を二十俵つみこんで来ている由。柱になるような木をぞっくり切ったたきものをつんで来た由。

 古在氏のところ、下の夫妻子供二人もっているところへ、留守の子供が赤坊まで三人、小さい細君上気上った頬してやっている。気の毒だ。今の家庭のことをやって五人の子の世話は大変だ。先生は気がつまるだろうが。


四月四日(火曜)

 山崎来る。ごあいさつに来た由。咲の防空着を着ている。自分は、おしゃれして来たから、「旦那さんが帰ると、奥さんの着ていて気もちわるくするといけないから、ぬいでおきなさいね」

〔欄外に〕

 巣鴨、診断書をよんできいた。「あきれたね」「うらでは気違い扱いにしているんだから」


四月五日(水曜)

 から寿がかりたフトンの風呂敷を入用、えびす影丘という所をさがしてゆく。ひどいところで、爺のうらぶれがすみそうなところ。明月やごらんの通り破れふすま と入り口のひらき戸にかいてある。麟太郎の荒廃だ、Sがこういうところにいられるということ、いるということ、いろいろの感じで気がしずんだ。

 四谷へまわり住友でたずねたがいないというので小使室でことづけたのむ。のここでの見られかたが感じられた。運転手にいったら「ああ」とあの子かという風。小使も軽んじていていやな気がした。かえり巣鴨へまわる。森長の返事をする。かえり山崎の草履かって来る。近藤夫人、うちが見つかったとか云って見にゆきましたよ、やがて帰って来る。「移動申告したんですけれど」やはり亭主のさし金はその職業のものらしいやりかただ。やりかた万事この式。出るようにしてよかった。塩、みそ、しょうゆ、石ケン、みんなわけてゆく。

〔欄外に〕

 ひる頃事務所から電話

「どうして?」

「どうっていうこともないが」

 成程。自分は勤めのある人が休日の次の日も一日ふやければ、どうして? とつい出るのだが。


四月六日(木曜)

 きょうから、来週火曜日まで巣鴨へゆくこと休止。「大分疲れるらしいから来なくていいよ」


四月七日(金曜)雨

 和島さん雨の中を来る。中野に家が見つかった由。


 七時ごろ起きて台所する、夜、食事後もう眠たくなる。

〔欄外に〕

 朝、種子をまく。ホーレン草を。


四月八日(土曜)雨

 つかれるし、やれ切れないところがある。しかしもう去年の暮から人事の紛糾で困パイしきっているから、この上女中のことであくせくしたくない、もうしんから沢山だ。

 そういう点は呑気だが、身勝手鈍感居士とのつき合はつまらない。全くつまらない。頭わるーくなる。

〔欄外に〕

 ○疎開先調査、交通関係で、どの鉄道をつかうかという点が重点らしい。

 配給

 八百や、たくあん一本半。となり組ちゅうせんでお玉杓子一つ、棄権する、あるから。


四月九日(日曜)寒

 きょうは国、一日在宅。台所の天マドのガラスのかけたのを直してくれ、カマドの灰をすっかり掃除してくれた。「姉さんがやっているから」生活のよさは、やっぱり雇人をつかっていては、あらわれぬところがある。

 夜飯後、ラジオをかけて、上野寿々本の中継コンニャク問答をきく。こういう庶民のユーモアはなかなか面白いところがあるが、その前のは、日本の庶民の無智(法律的)をあらわしていて、なかなか意味ふかい。インカン証明だの保証だのをめぐって。ラジオというものの効能が一つ分った。心からの話題のない二人さし向いなどには、気が楽でよいものなのだということが。

 KさんのところNを、ひどく邪魔にして、お前一人のために家中がうまくゆかない。俺がまけたから満州へゆく。N、それなら自分が出る、出てどうする、死ぬ、どうして死ぬ、戦だって待っている、云々。女の子、あの細君、あの狭さ、若さ、ひとりになりたさ、自分呉々もNを気の毒に思う。

〔欄外に〕

 家庭農園へはじめてゆく。小松ナ、からし菜、ホーレン草、一貫五百匁ほどもったらフーフー。小鳥の餌にする。自転車なら何の苦もないのに。


四月十一日(火曜)

 咲、午後一時すぎに帰る。国、床の中にいるとき電報来る。もって行ったらそのうれしがりようといったらなし。むっくり起きて、オバーオールきてはちまきして薪ごしらえにかかった。風呂をたいてやる由。


 帰ると二人でやっている。


 寿、やっと室の錠があいた由、道灌山の下で待っていた。何とよかったろう! どんなに気が楽になったことだろう。


四月十二日(水曜)

 ゆっくり休む。国曰ク「放っておけばひる迄ねている人が、七時におきるんだから考えれば気の毒なもんだねえ」

「僕みたいな男がもう一人いたら迚もつとまらないと思うよ」思わず笑う。あんまり本当だから。自分で自分に辟易しているんだから。


『早稲田文学』薄く薄くなり乍ら出ているのを見ると好意を感じる。健気と思う。谷崎精二という人の人柄も感じる。


 加能作次郎の「世の中へ」が護国寺の本やにある、まだあった。自分が買おうと思う。

〔欄外に〕

 鍋井の『絵心』パラパラとみる。ちょいとすかんところがある。思索や感性の線が乾いていて鋭い。自分の方の側で納っているところがある。対象にグイグイ入ってゆかないで。


四月十三日(木曜)

 巣鴨へ行く。火曜日のとき、木曜ごろ来られるかいということだったので。森長の返事ももって。

 十日に宮のかいた手紙着。大変にやさしさのこもった手紙。文句には只少人数の暮しとなり、何から何までの仕事で随分のことだろうとある丈だけれども。

 春らしく百合花採集の旅をつづけよう、と万葉からやさしい歌三首かいてある。そういう展開のしかたのかげに感じられる暖かさ。ふくらみ、底まで達した思いやりをうけとり自分非常になぐさめられた。人物の大さのわかる妻へのなぐさめかたで、うれしさ。そのうれしさで又なぐさまるというようだった。自分のなぐさめかたはもっと低いと思った。愚痴のつれびきをしてしまうところがあるから。

〔欄外に〕

 ヴェラスケスを見つけて来る。解説は通り一遍だが、絵はやはり面白い。イノーセント十世がその名と正反対に冷酷な人間をむき出し、しかも美しい魅力ある画となっているのが面白い。しかしゴヤはやはり大したもの也。──ゴヤは時代的特色としてもっと激情的である、暗く激しい。


四月十四日(金曜)

 和島さんの引越しに子供つれて行ってやる。四つと六つ。可愛い子たちだが王子から江古田まで二時間かかり、おまけに自分地図を間違えて行って大あわて。しかし公衆電話と床やとでわかりトーフやのおっさんにきいて分った。門などひどく雨戸はずれる。

 ぐるりと裏へまわり一側むこうに出たら例の練馬の大滑走路が坦々としてある。びっくりし気の毒。何ということだったろう。知らなかったのかしらと思う。朝七時半のトラックが午後四時すぎ行った由、自分四時に出て岩本へまわる、御馳走になった。壺井夫妻。繁さん栄養障害で脚が大はれの由。月一杯やすむ由、栄さんは四国へ行く由。


四月十五日(土曜)

 祖師ヶ谷、青森行の話。行く方がよい。ここと同じでグルリは皆やみしていて、あすこだけどうなろうとかまわないようなところだから。

 Sの表情が変って来た。焦々したところが又出て来た。Kは人を不自然にする、きわめてこの点はこわい。どんな人間をもジリジリさせる。

 咲国、午後国府津の家片づけに行く。

 午前中、山崎の弟、おまわり来てタンス運んで本棚はこんで行く。日の出のごみためのようなところに焼きにもって行くようなものだ。焼けたら何と思うのか。自分は山崎夫婦の我身可愛さの律気は大きらいになった。農民の片面が実によくわかる、米とひきかえに着物から鏡台からタンスから。国咲、二人でタンス出したり何かしている、みじめな人のよさ。インフレききんが深化したとき、果してどの位用に立つのかと思う。

〔欄外に〕

 何を感じたのか国軽やかな顔や声している。

 自分もう二ヵ月ばかりの辛棒と思う心がしきりだ、そしたら東京の生活も万事が一変するかもしれない。そのとき又新しい生活の局面がひらけるだろうと。


 成城のうらの坂の道、桃、桜、連翹、きれいでいい心持だった。


四月十六日(日曜)

 咲が火曜日にかえってからきょう迄公休だったので疲れ大分なおり、きょうは二人遊びの一日とする、しずかで、外出しなくてよくてたのしい。手紙ゆっくりかく。日記も整理する。

 自分が台所をしている以上、配給日記をつけよう。それは今日の文学でもある。

 いい天気だったのにさむくなって風邪気味だ、こんや早く床に入る、たのしみ。

 何かしては手紙かき、手紙かいては何かして、二人あそび、久々ぶり。

〔欄外に〕

 魚配給、タラ三人前、三切 .30、米、一袋五月十五日までとのこと、「よっぽど気をつけて上るんですナ、雑炊食堂へでもいらっしゃるんですな」南瓜の種五粒


四月十七日(月曜)

 午後から矢田津世子の三十五日にゆく。久しぶりで長襦袢からチャンとしていい心持だった。花やで珍しくバラ、百合などあり、デンドロも一輪あった。6.50

 大谷藤子、山川朱実。桜の花が写真の左右にパーと飾られていて、それが写真とよく似合っている、七十四とかのお母さん、秋田弁、小林のおっかさんを思い出す、年の頃も。雪国の女らしい、もってりした肌合も。しかし時々矢田さんのもっていたあのかたい輪廓を出す顔立ち。

 夕方かえる。二階の仕事室見せて貰う。今は大事な豊島の『ジャン・クリストフ』などある。小説がどっさり。大きい机つかっていた。カランとして、ここに本人のいるのを見なれていた人にとってはどんなに空虚だろう。交番できいたら、「ああ、あの小説をかく」と教えてくれた。ささやかな余栄であるが、筆の力のありがたさ。

 夕飯八時頃たべていたら電報、国たち明日かえる、と。今夜も早く臥られて風邪のためにうれしい。

〔欄外に〕

 配給、モヤシ.8、ホーレン草.6。咳が出て、鼻ズコなり。


四月十八日(火曜)

〔欄外に〕

 パン(五月分)券とりにゆく。六月分は五月五日迄に申告とのこと。

 咲国、国府津よりかえる。魚もってかえる。


四月十九日(水曜)

 きょうははじめて紀さんの家訪問、国と二人。蒲田駅を降りてからわかったようで分らなくて迷う。ぐるりと学校の空地というところをまわってしまい辿りついてみると、ついさっき来たところを、右に入ればよかったのに、左へ折れて国が線路をのぞいたりしたところ。

 なかなか住よい家だ。台所も可愛い。二階ひとに貸すように区切ってある。紀さんの家庭における姿は、しおたれ紺がすり着て髪くしゃ、ふところで。協電社の倉知さんではなくて、紀さんという肩の下り工合面白い。こういう風に外へはり内へくつろぐたちなのだと思う、弱気の部也。

 十二時頃帰る。国と二人だと真暗い日暮里から安心してかえれる、それがくやしい。こういうちょいとしたことで、永い年月の間にはひとり暮しの女の気張りが身につくのだ、と。月の夜や夜の気分のいいとき、いつも自分は思う、ああ二人なら歩くのに、と。そして、歩けない、ということで仕事の上にやはり凹んだところを感じる。


四月二十日(木曜)

 けさは咲出発故、自分台所をしてやる。しっかりといいお握りをこしらえてもたせてやる。

〔欄外に〕

 咲開成山へかえる、国上野まで自転車で荷もつもって行き、自分うば車で団子坂までゆく。坂から雑炊食堂、蜒々として列をつくっている。


四月二十一日(金曜)

 野上さんにかりた『或る原始人』自分は面白くなかった。社会形成以前の、本能の開化の過程を、火をとる迄かいている。

 フランス人の現代生活と対比して、一種の啓蒙になるだろうし最も初源的な形において人間を見ることに珍しさがあるかもしれないが、これが面白いなら、家族や私有財産の発生から国家形成に到る過程をかいた古典の面白さは匹敵するどころではない。文学において人類は、本能の自覚以前において登場するものではなくて(それは科学)文学は考えることを知った人間の時代からはじまる。つまり皮質的人間になってから、そして第二命令システムをもつに到ってから──人類の文学とともに文学には登場すべきものである、そういうことを痛感した。


四月二十二日(土曜)

 深田久彌「命短し」をよむ。ひるまでかと思ったら三時まで。パンのべん当をたべて待った。半分以上読む。この作家の面白さ、明るさの姿態は、男性的というよりも不思議に気甲斐性のある女の下駄の音のようなところがある。軽さ、リズム、しな。それらの中に感じられる浅さ、小ささ、「このひとも気を張ってねえ」と云ってやりたい心持のところ。「弓」という奈良時代の背景の作品は、狙いどころの素朴な浄らかさ、生命の健康を求める心はよくわかるが、やはり話しかたに意識された素朴への憧れで、本質は男性的であるとは云えない。不思議だ。犀星は乙にからんでひねた男の感じ、深田は男の若さというより二十四五のいい年増の溌溂さめいた女らしさに立つところ、不思議だ。スポートのことかいていた時代から見ると小説達者になって、そして、活々とした、しな、になった。

 〔欄外に〕国男さん国府津行


四月二十三日(日曜)

 片岡さん来。全く一人なのでびっくりしている。のんびりやっているということ、家が淋しくないということにも。実は、どうしていらっしゃるかと、おっかなびっくり来たんです。おっかなびっくり、という表現が何だか耳と心にのこった。

 ゆっくり夕飯たべて帰る。年齢とこれ迄働きつめて来た女のひとの早い疲れというようなものを感じた。

 山崎来、仕立もの、一枚でなく何枚でも、とよくばってあたふたかえる。何だか不安のようで仕方がございません、どうして? 月給が少しですからやって行けるかどうかと思って。派出婦を選んでする女の気持は、派出によってそうなるというより、根本に、先ず選ぶというところからちがったものがあると思う。ひとのひろがったふところの中で暮すことに馴れ、それをのぞみ、自分のつましさを不安がる。Yの律気も、くさいもの也。


四月二十四日(月曜)

〔欄外に〕

 ○鈴木歯科へ通いはじめる。待合室に古くさい各国の人形がうんと集めてある。足の片方こわれた古ピアノ一台、カイロ織の布がかけてある。主人公、おくさん、助手の三人。おくさんも女歯科。歩いて米や酒や本やとまわってパンやまでまわれる。この頃向きの歯いしゃ通い也。


四月二十六日(水曜)

 宮、あんまりすすめるのでレントゲンとることにして急に思い立ち、駒込病院の宮川さんのところへゆく。フィルムがない由。いい折で、きょう入りましたという話。


四月二十七日(木曜)

 レントゲンの結果、肺門リンパ、ろくまく、肺炎みんな古戦場の由。

 十三年にひどく赤沈が多かったのや寝汗かいたのや、宮のベシベシでそれそれの病気というところ迄ゆかずくいとめたと、しみじみありがたく思った。あのベシベシは生涯感謝すべき命令となった。

 同時に、あの頃の食物のよかったこと、抵抗力のあったこと、普通の細君暮しでは出来ないのびやかさもあったことなど、思い合わせる。

 寿、お姉さまがそれじゃ、私なんかどんな有様だか。


四月二十八日(金曜)雨

 佐々木検事より呼出。午前中。


四月二十九日(土曜)

 国、こうづ。


四月三十日(日曜)

 この頃おちついて手紙をかく時間がすくない。国のいない日には、二人きりで暮す心持で、愉しく二人遊びということをはじめる。何かしいしいかきつづけて、マア一寸まってね、ということもある手紙。

 気に入るらしく、春らしい趣向だと云って来た。

〔欄外に〕

 巣鴨へ手紙、二人遊びの日。


五月五日(金曜)

 きょうから都電が系統制になって一系統十銭。のりかえなし。池袋まで最少四十銭也。それでは困るというので国定期を買ってくれる。面倒がなくて大いによし。やすくもあるわけだ。


 和島さんの細君、引越しさわぎの御礼と云って文理大前の小さい支那料理やへつれて行ってくれる、今どき珍しい。弟という人、声が和島さんによく似ている。もっと苦労人たることをもって自ら任じているひと。よく喋る。やはり、どこにか、自分のをもっている人間の(背負っている)チョクさというところがある。微妙なものと感心した。


五月六日(土曜)

 国、こうづ。

〔欄外に〕巣鴨へ手紙


五月七日(日曜)

 常会。国がいないから欠席、

 千駄木学校のわきの強制疎開を割当てるという話、国債六百何円かの割当て。

〔欄外に〕巣鴨へ手紙、二人遊びの日


五月八日(月曜)

 こんちゃんpa来、国債の割当てが筋が通っていないと、しきりに力説する。maが押している。


五月九日(火曜)

 高尾善ちゃん来る、自分が茶をもって行ったのに、この男一人膝立ての脚ぐみをしていて、坐り直しもしない。えらい友達づき合い也。


 疎開者を入れるにしろダイヤモンドにかすにしろ自分達は暮しかたを変える、それについて国チクリチクリ妙に底意地のわるいことをいう。いろんな話から国、三月末の山崎のゴタゴタのときのこと云い出して、姉さんが分らなくなって来ている、という。「横っ面をはりつけておいて、よろついたからって、とがめるのは余りだろう」

 自分やっぱり泣けた。

「そうきいてよく分った。すまなかったと思う。よく姉さん耐えたね」「僕は、そういう目に会わないからわからない」「あーあ、これから安心して姉さんに親切出来る」「僕は姉さんを尊重しているからさ。形式的には絶対に云う通りにしたいと思うから」「形式なんかどうでもいいよ。ちゃんとわかるように話して、都合のいいようにやるのが一番いいのさ。わたしは、平凡なけんかきらいさ」


五月十日(水曜)

 検事局へゆく、昭和十二年頃の書いたものについて。


五月十一日(木曜)

 検事局、きのうのつづき。ところが佐々木という人病気欠勤の由。明日ということでかえる。

 きょうはひどい南風で荒っぽく暑くるしい日。


 国、事務所をやめる決心した。そして、協電社の何かをするらしい。何もしないわけにもゆくまいが。性格的に実業方面は合わないと思い、不安がある。


五月十二日(金曜)

 検事局。今回の戦争の性質について、私有財産制について、革命の可能不可能について等。何故十二年頃のを本に入れたか、ということ。


 かえり提灯やへまわって、四つとって来た。


五月十三日(土曜)

 紀来る。これまでの自分の仕事がいやになって、やめたということ。総務をやって闇屋めいていたのが。「往来であってあいさつする奴は、みーんな闇屋さ。つくづくいやんなった」ここが紀さんなり、「そのくせ、やっている間は夢中さ」それも本当。この一月頃のあのハッタリのきいた調子はそれであった。「ああいうことをやってると人間が妙になる。なーんだってあるんだもの。ないというものがあるんだから、ひとがバカに見える」「人間ぎらいになっちゃったんだから、何でもやめさせてくれってがんばったんだ」

〔欄外に〕

 黒砂糖になるという話、「純白なのはブタノールでもつくらなけりゃいらないのさ」自分、ブタノカワときこえる、「ブタのカワ?」自分の無学さ。


五月十四日(日曜)

 国オバーオールを着てウメをつれて、荷物出しに行く、自転車にのって。これで一安心した。咲が、重いやら、自分の分が先やらで、いつ迄たってももって行ってくれようとしなかったからよかった。


五月十五日(月曜)

 十六日から半月間、うちが月番になる。暑くなってからよりもよいし、ガタガタになってからよりもよい。責任もあるから明日は家にいようと思い、きょう巣鴨へゆく。月曜の上に、立会いが二人きりというので、勇敢な曹長風のガーガー好人物が、俺は進行係なんじゃが、出て来た、と来る。せわしい。そりゃありがた迷惑だね、と笑っている。

『ナポレオンの母』、大分よんだ。面白くなって来た。コルシカの伝統というもので、族長風で、ナポレオンはあんなに愚兄愚弟及び愚妹をひき立てた。コルシカにおけるナポレオンの家は、政治的血統で流れていて、通俗史の「貧しき一士官」などでは決してない。


 国、兼松さんのところに泊る。

〔欄外に〕

 半開の花びら。

 梅かえる。いた丈役に立ったのだが、いないのんびりさは又格別。国も同感の由。


五月十六日(火曜)
〔発信〕巣鴨

 歯の神経をぬいたところが、風、湯、水、みんなしみてこまる。いかがなことなのか。

 でも、きょうは一日出かけまいとしてことわる。

 米もって来る。半月分九キロ 3.08 銭なり。

 月番の札が来る。こんちゃんのma、サラドの葉もって来てくれる。このひとの頭のぬけたところのなさ。そして親切と意地わるとの交り合ったしず心のなさ。もたれてゆくと、ひっぱずす気分。生活のキリキリからああなったのか、生れつきか。マメな畑も、そのキリキリであると思うと、N君が、母さんに詩がない、と云ったというのよく分る。手紙の宿題、あっちこっちへかえす。巣鴨へも。出かけない日の心持よさ


五月十七日(水曜)

 ああちゃん帰京、夕方。

 歯医者。


五月十八日(木曜)

 巣鴨へ行く

 検事局。最終。調書。不起訴になる様子。きょう事務上の手続がおくれて申渡し出来なかったが、とのこと。

 かえり巣鴨、テーブルをお調べでつかっていると云って小さい台もって来る。丁度やす喫茶店にあるような。宮、「お茶でも出そうだね、お茶は出ませんが、どうぞあしからず」

 きょうは弁当を日比谷の亭でたべて気持よかった。いいことを覚えたと思う。何と云っても四年ぶりで事件がすんだので、気分のんびりして、巣鴨で寝たくなってボーとした。

〔欄外に〕

 佐藤さんより電話。自分のレントゲンみんな古戦場で現在は何も心配なしとのこと。晴子肺炎の由。


五月十九日(金曜)小雨

 防空演習。

 小雨はふっているし、さむいし、のんびりしているし、すっかりこもり居の気もちでのびてしまう。

 ○歯いしゃもやめて。歯ははぐきの刺戟で痛いのだろうというのは本当、ゴムのつめかたをかえて楽也。

 ○ガス一割減、炭も配給減。薪をタケとのこと。

 ○ダイヤモンド、家を見に来る、そろそろ縮小している位のよし、車庫と北の洋間をかりてもよいという位の由。しかし其ですめば大助りのうち也。疎開の人ガタガタ入らないとすれば、ありがたいと思う。車庫はあけてかすべしだ。こちらは洗濯場と、ものおきを活用して。

〔欄外に〕

 開成山の物価 柴=マキ 一束一円二十銭、ジャガいも 一俵十六円、さといも(十二貫)十八、玉子 二十銭、うど一貫三円、俵 百、もち 120. 、とり 一羽十円、手間(男) 四円、勤労奉仕女 二円、男 三円


五月二十日(土曜)

 午前中歯へゆく、上をかりにうめ、下の金冠をとる。いやな臭い。これでマアすこし安心也

 ○砂糖十五日から配給なのが、もうどこにもない、困った、と話したら細君が出て来て、蓬莱町会長の赤尾というとりやがもって(綜合配給)いるから鈴木からきいたと云ってもらえという。そのとおりでやっとありつく。ガラ二つ売ってくれた30銭也。

 気焔あげている洗場の件につき。

 ○パン二斤とって来月の手配してかえる。

 ○巣鴨のかえり目白へよろうと、さち子さんの陣中見舞として咲のこしらえた筍めしもってゆく、むさしのが四時から駄目なの思い出して、棒にふって先へゆく、病人はさち子さんなり、クルップ性肺炎だった由。夕飯たべているところへボーがなり「警報じゃないでしょうか」私たちそうじゃないと云っていたら、林さんが「佐藤さん佐藤さん、警戒警報発令ですからお伝え下さい」

〔欄外に〕

 大あわてでかえる。それから一寸したくして、自分のものをまとめていたら三時になった。飛行機の音なんかちっともしない。


五月二十一日(日曜)雨

 咲、子供とはなれていてやり切れないと、けさは帰るつもりにしていた。しかし警報中咲が五時間も出てゆくのは余りで、疎開した意味ないから、行くなら男がゆくべきで、俺が行く、と国いう。尤もなり、咲も其には一言もない。其でも証明を貰う丈はしておくと、国行って南鳥島の東方に、かなり大規模の機動部隊の来たことをきいて来る。五六時間の距離だ。重要産業地帯が主で第一種警報の由、大安心。咲「安心したら、なおかえりたいようなところもあるわ」自分、カンの中に瀬戸もの鍋類つめた二ヶ。埋められない由、すぐふしょくしてしまう由。あわれなことだ。すこし疲れた。(眠不足で)


五月二十二日(月曜)

 歯いしゃへ午後一時すぎ行こうとしていたら、台所で「マアあよかったこと、どうもありがとう」と咲のいかにもうれしそうな声がする。おやと思っていると「アッコオバチャン、解除ですって!」とんで来る。よかった。それにつけても、又何人かの命が、この平和にかかっているのだと思って、しんとした気持がつよい。

 この頃の東京の平和、生きている我々の一日の安穏のために、いくつかの命が失われつつ、謂わば人柱の上に、日々の平安が立てられている。無駄にしては相すまない平和である。

 生きてゆくものの強慾さをも思う。

〔欄外に〕

 警報解除

 逓信省より国府津の家かしてくれとの交渉、村役所からの手紙、国ことわることにして文案作っている。


五月二十三日(火曜)

 テイ信省の役人来、早いこと。いろいろの話から国貸すことにした由。それが自然だろう。箇人より却ってよい。明日そちらの人とこちらの二人で行くとのこと。

 貸す、かさぬ、評定している間もなく、もう人が来てしまう、かすにきまる、このテンポの早さ。


 国の行くところがなくなった、それもよかろう。

〔欄外に〕

 巣鴨、受付の様子が変って、門の入口になり、五十人ずつ区切ってわたす、やはり三時前がよい。


五月二十四日(水曜)

 歯をぬく、薬がきかなくて四本も注射した、夜気分わるくて食事出来ず、ソボリンのんで眠って、十一時頃おかゆたべ、又眠った。


 寿の家、やっと見つかった由、八、八、四半、いい。何とよかったろう。自分がここで努力して生活の根をおろすにつけ、寿がよるべないようなのが、苦痛で折々たまらなかった。よかった、寿もそうして落付いて勉強もすれば、あの胸をおとして歩いているような充実しないところも、なおるだろうと思う。

〔欄外に〕

 小原さんから人参ゴボーどっさり送って来てくれた。

 国咲、国府津行


五月二十五日(木曜)

 朝になったら、冷して臥たのに、すっかり膨れてしまっている、痛いのはよいが。

 巣鴨へ行く。一仕事すんだという風で、くつろいで、髯すって、湯上りのようで。「一仕事すんだという風ね」「そりゃそうだよ、書き直したり何かして忙がしかった」「御褒美がなくてお気の毒さま」「ひどくはれたね、そんなにはれる位じゃ随分痛かったろう、よくこらえたね」

〔欄外に〕

 咲、もうそろそろ子供の顔が見たくて、と切ない顔する。「もうもたなくなって来た」「そうらしい、ね、くんちゃんと子供と、どっちがもたない? 白状しなさい」「そりゃ子供ね、」「うーむ」「だって」と咲うまいことを云う「お父ちゃま大きいでしょう、子供は小さいから。それだけちょいちょい見なけりゃあ」大笑い也、「じゃ僕も小さくなろう、少くとも健之助より小さくならなくちゃあ」咲うまく遁辞見つけ、それが可笑しくて大いに笑う。


五月二十六日(金曜)

 けさは胡瓜の苗を植えようと早くおきて、石だたみの前にさくをつくり植える。

 起きぬけに、「お父ちゃまは大きいから、其だけよくもつ」を思い出して、ひとり笑う。そんなことを云ったら、宮は細菌的だと思って。手紙にかいてやったら、やっぱり笑うことだろう。


 咲国、自分、春、六月十三日をくり上げて墓参、丸屋へゆく。

〔欄外に〕

『スペイン文化史』ぬけたところのあるかきかただが、面白くもある。スペインにおけるジェスイットの連中について。日本へ渡来したロヨラ派の連中の献身ぶりには、彼等が異教徒に対して行った惨虐のうらがえった熱情がある。それもスペイン風だ。スペインは、歴史的に民族の情熱がすらりと発揚されなかったそのために、あの激しさ、虚無、不安、濃いニュアンスがある。アメリカのスペイン系がよりましな経済的条件によって、のびのびとして闊達なのは考えさせる。


五月二十七日(土曜)

 咲、開成山へかえる。国夕方から国府津。


五月二十九日(月曜)

〔欄外に〕

 ガンサーの『アジアの内幕』、今日では、古い鏡から今日を又てらし直して見るという面白さがある。インフォーメイションの価値だけと云えよう。


五月三十一日(水曜)

 巣鴨、歯とまわって六時すぎかえる、大いそぎ也、丁度国と前後して。急いでいたせいか何か、折角買ったばかりの回数券、定期ぐるみ落してしまった。残念で大いにさがすが見当らない。


六月三日(土曜)

 咲、太郎をつれて来る。

 太郎いかにも少年ぽくなって、自然で、のびやかになっている。

 ああいう少年は、やはり生活作業と結びついた生活がいいのだ。往来で遊んでいるまとまりと責任のない生活より。小堅くなって、もののやりかたが身について来ているところ。とくに、この家での生活は、解毒剤として、開成山暮しを必要とする。太郎のためによろこぶべし。


六月四日(日曜)大雨

 疲れが出て、体ギスギスになって上らず。ひる迄ねる、さち子さんの家へ行けない。

 一日じゅうボーとして暮す。ノミが猛烈に出た。全く閉口。掃除のかえないむくいかと悲し。


六月五日(月曜)

 朝歯へゆく、それから目白。さち子さんすっかりやせて、ぜん息風のせきをしている。子供たち大はりきり、イナカヘイッチャウンダ、モウコナイヨと。全くこの間うちはひどくて、一家総倒れ的だった、俊次さんもしんから大変だったろう、秋ぐらいまで行っているのよし。

 みやげ、ああちゃん テーブルセンター

自分 ナルビ香水、ハンカチーフ、扇母娘へ

 巣鴨へゆき、かえりよる。片岡さん留守番に来ている。一人でさむしいからと夕飯たべてかえるつもりのところへ寿追っかけて来る、つかれてしまって泊る。寿も。大きい瀬戸ひきの角箱に御飯ぎっしりつめこんで三日分だなどと云ってもっている。夜あけたらもう匂う。可哀そうだし、いやになってしまう、みじめっぽくて。

〔欄外に〕は。巣鴨。


六月六日(火曜)

 歯へまわってかえろうと思ったら十時半に駒込の布地見にゆくというので、森長さんのために、ワイシャツ地見についてゆく、自分は本を買うように布を買う、咲、寿、いくらでも時間をつぶすから妙なり、たった五十円きりもっていないというのにはおどろいた。自分、八百円出してわたす、咲の買ものサウザンド也。国の国民服地(三五〇)、咲のいい茶色の服地(四八〇)、寿咲のズボン地(三二〇)、ブラウズ一〇・〇〇、きれ二十何円、寿は三十円の買もの。自分、森長さんシャツ地、男児ブラウス地二枚分で四十五円也、おどろいた。


 夕方大さわぎのひっくりかえしをやって、咲太郎国、国府津行。家かたづけのため。九日にかえる由。十一日には開成山、咲月末に又来るとのこと。よくマアとおどろく。丈夫で金と人手と時間がある証拠。


六月七日(水曜)

 北仏に英米軍が侵入した。ルアーブルとシェルブール(ノルマンディ)に亙る百五十キロのところに、そして、中心たるカーンで大激戦。同時にカレー、ダンケルクで猛空中戦、と報道あり、独、ローマ撤収と機を等しくして。ダンケルクの悲劇(一九四〇年五月末──六月)から四年目。六月六日六時(午前)第二次世界大戦の一マイルストーン。ゲーリングは、ダンケルクの再演あるのみと。

〔欄外に〕

 朝飯前にトマトの苗を植えた、ほうれん草のやりそこないをぬいて。あれは完全に種がわるかったのだった。夜、ぬいた小松菜のおひたしをした、美味、色の美しさ。

 宮へ手紙、

 は。──しっかりした金箔うちこみをガリガリこわしている。仕方がないが惜しい。


六月十日(土曜)

 咲と洋服の布地やへまわるというので森長さんのため一緒にゆく。

 かえると、国ボヤいている。

 夜咲、自分のふとんだけ別室にしき、奥へ、国と太郎のをのべながら、この間お父ちゃま自分でフトンたたんだの? それともあっこおばちゃんが上げて下すったの? 自分わからない。知らないよ、いつのこと? 咲枝が畳んで行ったじゃないの、あれっきりよ、「どうもそうだと思った」六日に国府津へ二人さきにやって、自分だけは行かなかった由。

〔欄外に〕

 これは六日の夜のこと。あとになってつけると、こんなに日どり間ちがえる、そんなに生活は遑しいということになる、おどろく。


六月十一日(日曜)

 国咲、太郎開成山へかえる。

 Kオバーオールを着て、ボギーな形で、荷運びをしたりしている。Sのこころもちが分って知らないふりをしているのかどうか。


 佐藤さん来、Kさん、Sのファンぶりには閉口の気味であったらしい。いそがしく、実に用の多い生活で、段々下らない無駄がきらいになって、シリアスな人になって来つつある。Sたちにそれが分らない。さち子さんがいず、いく分いつもとちがっている、神経のくつろぎが不足して。そうなっていることに一種の誠意を感じ、自分は一人の良人として敬意を感じた。


六月十二日(月曜)

 寿来、明日の母の命日には一日一緒に暮そうというプラン。寿たのしみにして、おみやげいろいろもって来た。


 Y・Y来、何年ぶりか。あの気持のわるい位くずれたところは、病院生活でいくらか単純化されている。やっぱり鼻の頭にしわをよせて、ピカント〔鋭い、刺激的〕な笑いかたをする。何年か前の服、くつ下、白いいい靴きっちりはいてまとまっている。

 四十五円あれば一人室に入れる由、それがない。

 どてら、額(ラファエリー)、メリケンコすこし、菊、さくらん坊、丸ぼしなどおみやげ。玉ねぎもらった。

 この人の対手はつかれた。


六月十三日(火曜)

 午前のうちに墓詣りをしようと二人で、おそ朝で出かけた。二人でこうやって朝の墓詣りしたりするのは初めてのことだ。青山の通りの小さい支那飯やで、二品一円のひるめしを売っているので、めずらしくたべてみる。キャベジの外側の葉っぱをきざんでモヤシとにたものと、同じ材料を、汁だぶだぶにして春雨を入れたものと。これでもいい部の由。花買って、そこで手桶かりて行く。水を汲んですこしゆっくりしている。寿一人で来て、ベンチで本読んでかえることがある、と。一言がいろいろの心もちを語っていて、自分は涙が出そうになった。寿のこころのうちは、分られていない。それでいいという勝気が、寿の場合は内へこもる結果となる。帰りはじめて根岸による。浅井忠の茶室のようなアトリエがのこっていて、手すりの工合などいかにも下に水のある風情。うちは全く明治の古典的温室があったりして、根岸のハイカラーというところ。面白さ、うるささ半々なり。ゆっくり休んで夕刻かえる。寿のおみやげのとりを料理して、美味さにおどろきつつたべる。いい一日だった、と云っているところへ森長さんより電話、きょう公判があった由、無理につれて来られた、と云った由、おどろいた。


六月十四日(水曜)

 巣鴨へ行く。本をよんでいたら「宮本さん、もう病舎じゃないよ、普通の舎房へ来たよ」びっくりした。どうしてだろう。万事不便だろうのに。去年の春以来、ボックスで会う。電燈の光の下で顔色すこし上気して見え、表情も所謂活々しているが、いく分亢奮の気味でこころから気の毒に思う。云うなりにならざるを得ない点を。

「お疲れになったでしょう」「うむ八度ばかり出た」「きのう、十時半に分ったのなら、そのときかけてくれたらねエ」「あれも僕が云ったから、かけたんだよ、さもないとかけなかったろう」「マア、いろいろあってね、コンモンセンスで判断出来ないような風になって来るから、一時は不便をして、マアいろいろタクチカがあるから」

 しかし気の毒だ。

 ○帰り森長さんによる、二百円とシャツ地(45. ──)おいて来る。公判を今までひっぱっておくのは不面目というわけなのだろうとのこと。八日に出廷しなかったので、それからあと、裁判長が巣鴨へ行って所長に会ったりした由。

 病人を公判にひっぱり出したということになってはいけないというので、舎房をかえたのだろう、小細工。

 ○夕方六時すこし前サイレンが鳴り、警報発令。サイレンで急を感じた。


六月十五日(木曜)

 昨夜いろいろ仕度して、けさぶじに飯たべられたことをうれしく思う。寿がもし来ていなかったら、自分たった一人でどうしたろう。一人でやれる、と思ったのは間違いだったと知った。

 隣組全員集合の上、小笠原、南朝鮮へ敵機が来たこと、十分用意せよ、と。南□ではサイパンに上陸された由。


六月十六日(金曜)

 国金曜日にはかえるというので、田口の大野に三共の売わたし契約していたところ帰らず。大野から朝十時ごろ電話がかかって困った。結局居どころを知らせ、もののありどころを知らせ、納得したらしい。


 歯へ行く。もんぺで。北九州、父島へ来て、北九州から山口の海岸よりのところ相当の被害らしい。今夜からあけがたピンチと話し椅子にこしかけたら、医者の手がつめたく顔にさわった。大分亢奮している。不安で。つめたい手がちょっと口のよこにさわったのが、大変切迫した状況をよく表していて、殆ど小説的である。歴史の人間的コムプレスはこういうようなところにある。

〔欄外に〕独ソ戦三週年


六月十七日(土曜)

 小笠原からひっかえして行ったものか。

 ガンサーの「アジアの内幕」。インドのところ。ガンジーという人物、ネールという人物、いろいろ感銘ふかく身近くよむ。ああいう立場におかれた国の智識人が、民族主義と近代の社会科学とを統一したものとして自身の感情のうちにもちはじめるということは、深甚な意味がある。どこでも其は同じであろう。北九州若松市に落ちたボーイングB26の残骸という写真を見ながら、これらのことを切実に感じた。新聞は八幡損害なし、と語っている。麦やきしていた山間の村に大爆撃を蒙ったらしい。

 今夜はやや安定して、疲れが出て眠たく十時頃からぐっすり眠った。ノミも気がつかず。

〔欄外に〕

 巣鴨、宮おなかすいている顔している。今まで飲んでいらしたものどうして? 今のところストップだ。今のところストップということが、つづいてしまうのではないか。


六月十八日(日曜)

 朝がまだしらじら明けの雨上り。往来に出て見る。人っ子一人とおらず、空にうすい灰色の雨雲が立って青々とした樹木がしずかにしげっている。そういう町すじの平和を沁々と眼底に映しとる思いだ。いつまでこのみどりは濃くてあるだろうか、そう思う。

 自然の美しさや人間の営みのおだやかさに迫っている破壊を犇々ひしひし感じ、自身の生命も信じず、そして眺めいつくしむ樹や空は特別の愛らしさがある。


 午後警報解除


 夜九時すぎに又ウーウーとなり出して、びっくりして飯をたく。頭巾この際と思って縫ってしまう。この警報は大いに切迫感がある。

〔欄外に〕

 朝四時──七時半防空演習、身支度ばかりしてつまり何もなし。

 こういう大きいようしゃない時代にXのように、小さい小さいケチくさい自分の欲望に支配されて、ゴマ化したり偽善的になったりして生きている人間の愚かさと無意味さ。大きい時代に、或人間はいかに小さく生きるかの例。


六月十九日(月曜)

 今日、太平洋連合かん隊一部マリアナ周辺に出動しはじめた。三つの機動部隊をとらえる。決定的打撃を与うるに到らず

二十三日発表

〔欄外に〕

 巣鴨、

 午後四時すぎ、警報解除

 かえり歯、


六月二十一日(水曜)

 国帰る。

 自分、巣鴨、ハ、とまわって六時すぎ帰って来たら食堂の椅子にひかえている。


六月二十二日(木曜)

 寿に来てもらって、国が、荷物かげ丘へ送りつけると云っている話をする、そして、どっちみち千葉へひきとることにした方がよかろうという相談する。


六月二十三日(金曜)

 硫黄島、大宮島(グワム)の周辺にアメリカの大機動部隊を発見(三つ)わが連合カン隊の一部出動。徹底的打撃を与うるに到らず。

 咲、帰って来る。

 巣鴨へゆき、山崎のところへ宮の着物あずけて六時すぎかえったら、咲がカマドで火をたいている。うれしくて、ウームああちゃんとうなった、あっこおばちゃん、どぉうした? 警報その他のときのこと也。あした一緒にぜひ行きたいと思って。うれしい。宮もさぞうれしく思うことだろう。

 きょう咲の来てくれたのは、身に沁みる。

 寿千葉へかえった、咲に会った由。よかった。

〔欄外に〕

 巣鴨の行き、栗林へよる。どういうわけか袴はいて出て来る。大審院で、平野というのが、公判のうち何回かを、拘置所でやったらどうか、という由、「傍聴人もありませんことですし」ひとが前にいるのに。「予防拘禁の方を長くした方が体がらくでしょうし、そういう風に云々」どうも眉つば也。わけの分らぬ高等政策喋る趣味はすかない。


六月二十四日(土曜)

 公判第二回、団子坂下でひどく電車来ず日比谷で一時十分、大あわてした。坐って間もなく出廷して来る。一寸話す。とうもろこしで、おなかをこわしている由。せまいところでみると、がっちり大きいようだのに、ああいうひろいところに出してみると、骨格は大きくても、しんに力の足りないところがある。充実していない、気の毒だ。開廷。裁判長は本当に稲田氏に似た感じの人。書記の側の判事居ねむり大したもの。以前のときも、こっち側の人は眠った、どういうわけか。全体を五つに区分して第一、当時の一般情勢。第二、プロボカートル〔スパイ挑発者〕に対する方針。第三、本回の事件。第四、各被告の陳述の究明。第五、結論。と分け、今日は第一を概略のべようと思います。凡そ一時間半ほど。以前のときは起立して、語気も迫ったが、今日は大分レザーヴしているのか。傍聴、自分、咲、あとからどこかの法律学生が三人来て、勤労の所得は私有をゆるす、それはソヴェト憲法第十条にあるとおり、ときいて、いきなり六法全書出してひっくりかえし出した。日本の六法全書にソ憲法がのっているとはユーモラスなり。

〔欄外に〕

 十四年八月以来、五年目、十四年八月二十二日に喀血して休む、


六月二十五日(日曜)

 北フランス膠着のよし

 しかしコタンタン半島の遮断に成功したのだそうだし、シェルブールが西南で包囲されたと云えば、動いている。


六月二十九日(木曜)

 米がなくなって巣鴨のかえり、山崎さんのところへ廻る、田舎へ手つだいに行っている由、せまい、が日のよく当る水口のところで主人公、赤い緒の下駄はいて、シャツの洗濯している。すこしかりて来る。

 ○フランスの宣伝相、省内で十五人のグループのために殺された。蟻の穴よりのたとえ。小事の如き大事だと思う。

 ○シェルブール撤収。イタリーはローマよりチロルの方からやって来る、東はポーランドの方から。「ソが、スタリングラードで独を防いだ、どうしてポーランドで防げないだろう」とは独の宣伝相の言葉。

〔欄外に〕は、


六月三十日(金曜)

 鷺の宮へ、夏ものとりにゆく。栄さん仕事、繁治さんコタツのやぐらをはずして働いている。

 畑よく出来ている、林町と比べものにならず。

 咲国、国府津

 夕飯たべて、思い切ってかえって来た。

 直接巣鴨へ。黒の麻、白麻長じゅばん、ふだん着の麻、うす鼠うすもの、へこ帯送ってもらう。白人絹上下下着二組。


七月一日(土曜)

 魚の目玉にヴィタミンが多いので、これから配給の魚は目玉なしとなるとのこと。兵隊に薬をこしらえるのだろう。


 巣鴨へ、夏がけ、麻ネマキ、大島ひとえ、麻半ジュバン、もってゆく。あまり暑くて一時半に出かける勇気がなかった。


七月二日(日曜)

 咲、帰る。午前中、は、メタボリン注射はじめる。

 ○「小笠原南方海域で敵機動部隊を強襲」

 ○「サイパン港飛行場、既に敵側使用、北千島も空海に敵襲」

「小笠原群島への襲撃は六月十一日以降三十日までに延二千四百〇三機」

 大宮島へは十一日──二十九日二三二三、撃墜四五〇、撃破四機。

〔欄外に〕

 三十日の手紙着「太平洋方面はまだ終盤戦には入っていないと僕は観る」

 きょうは寿の誕生日、日曜日で工合わるいと思って来なかったのだろうか、いろいろと感想をもっていることと思い哀れだ。犬はりこ二つとってあるが。


七月四日(火曜)

 午前九時半警戒警報 サイレン

 国、急にそわそわして事務所へ行きそうにした、結局在宅。

 いろいろしてくれる、壕の手入れその他、自分のもちものの取揃え等。

 迷ったが、明日どうなるか分らず、巣鴨へ行く。思い切って今度はいろいろもたず鉄カブト手袋などだけもって。


七月五日(水曜)

 警報解除


七月七日(金曜)

 朝、へっついを燃いていたら沢田来、

 咲が手紙出してくれたので。一週間もいるつもりだったら挺身隊になってしまって日曜の午後かえる由。それでも大助り。

 台所をすっかり片づけてくれる。


 巣鴨、


 沢田、はじめ妙にしていたが段々気が楽になって、早く上ればよかったと云っている。男がろくでもなくて、式をあげなかった由、あとで、なくて大助りのわけだとなぐさめてやる。


七月八日(土曜)

 公判第三回、プロボカートルに対する方針。世界的に方針はあるということ。除名が最後的方法であること、理由は、国家権力に対して、政党である以上、除名をもってその組織よりボイコットすれば足りるのであって、箇人的復讐を云々するのはアナーキステックな考えであって間違っている。仮借なきということの意味、仮借なき自己批判という場合にも明らかなように、政治的に妥協せぬ意味、プロボカートルが組織を腐敗させ、方針を歪め、損傷を与えるのみならず検挙後も偽りの陳述、中傷等によって罪悪を重ねるのが特長である。


 帰りに日比谷をぬけたら、土丘のふところを凹に切って錨のついた自動車が一台おいてあった。その上に楓の葉が夕方の日光に透明に美しかった。

〔欄外に〕

 八日にサイレンの試験すると云ってせず、必ずわけがあろうと思っていたら北九州へ又来て(午前二時)追っぱらわれた由、もう警報も出ないこういう段階的漸進。


七月九日(日曜)

 沢田きょう午後までいる予定でカンテンでもこしらえようと云っていたら、急に電話であたふたかえった。仲人だった人たちが来ると云ってハラハラしている。こんな人を縁談でまごつかせるのは本当にツミなことだ。


 沢田、すっかり大掃除して、寿の部屋も開けておかれるようにしてくれた。洗濯もの、つけたままになってしまってかえった。


七月十一日(火曜)

 巣鴨、おなか工合どうもよくないらしい。一ヵ月ばかり下痢と秘結チャンポンの由。やっぱり結核性のものらしい。よく養生するから心配しないでいいよ。

 宮、例の調子で云っているだけよけい可哀想でならない。今度は病人でないことにしようとされている丈万事不便不快で、数年前の時よりこちらの心も切ない。


七月十二日(水曜)

 午後から府立家政へ行く。三つの子供が、猩紅熱、チブス、ハイエンとやってもちこたえたというにはおどろいた。細君が又それでもったというのも。

 千葉へは行く由。

 S、俗っぽい話しかたをする、内容よりも話しかたが。これで俊次さんはうんざりし、何かSは佐藤さんが変った、という。世間に順応しようとしてああいう人だから神経まけして、不自然になっている。可哀そうに。この人の敏感さは受動的で、不仕合せとすればそこが根源だ。俗人にはつよすぎ、つよい人間には弱さが気になる、というたちの女性はとくに日本ではむずかしい。


七月十三日(木曜)

 佐藤さん夕飯に来る約束のところ忘れたらしい。


七月十四日(金曜)

 巣鴨、

 宮大分大儀らしくて、両手を枠につっぱって話している。こんどは、来週の木曜頃にしておこう、疲れるし。そちらもどっかへ行ってイキを入れてくるといい。

 この次はどうなるか(八月二十四日のこと)こんな風じゃあ、出るも出ないもありゃしないんだし、と。


「風に散りぬ」作者のアメリカの女らしく闊達なところがよく活きていて面白い。骨太なところ、筋骨的な文学の体質が。南北戦争のとき、ヤンキーが世界中の人間を金でやとって戦わす、南部は一度出たらそれっきりだという事実の意味深さ。この移民の問題はシンクレアの「石炭王」にも出る。英語の話せない坑夫たちとその人種偏見について。


七月十七日(月曜)

 国、すだれはりをしたのがきっかけで、一日流し元を直したり、薪をわったり、オバオールで大汗出して働いた。

 午前中、林、は、パン、チンをつれてゆく。

 シンクレアの「石炭王」、なかなか面白い。

 アメリカのひろさが、何でもない人にゆるす経験のひろさ多様さについて考える。国民のキャパシティーという点の重大な意味について、リンディーの妻アン、何でもない人だが、飛行機にのって、本もかく。でも何でもない人としている、日本ではすぐ何でもない人間でなくなる、そしてそこで止る。その巨大なちがい。

〔欄外に〕

 嶋田海軍大臣、願により免官。


七月十八日(火曜)

 台所で夕飯仕度していたら、サイパン玉砕のニュースあり。七月七日にサイパン守備軍は、総指揮官を先頭に玉砕した。

〔欄外に〕

 夜、国の友人山ちゃん来。


七月十九日(水曜)

 午前四時防空演習、国も起き出した。それから八時──十二時隣組の疎開家屋とり片づけ作業に国出かけてハッピで昼まで大働き、咲、迎えにゆく。

 ○朝、飯を炊き乍ら、サイパン玉砕の新聞記事をよんで涙を抑えることが出来なかった。

 夜、内閣総辞職のニュースをきく。理由、東條内閣強化ならず。

 サイパン指揮官、最後の報告、

「その功績を詳かになすことをも得ずして一様に斃れてゆく将卒の」云々と。肝に銘ずる文章であると思う。一様に斃れゆく、それを斃れゆかんとする人が書いたのである。

〔欄外に〕

 咲上京。

 ソ軍、西ブク河「ポーランド」に到着。


七月二十日(木曜)

 巣鴨へ行く。おなか小康を得ているらしく、先日よりもやつれていない。枠に手もつっぱらないで話せた。「普通の腸潰瘍かもしれないよ」


 夜食事、紀、佐藤、腸結核は実に多型でむずかしいとのこと。


 米内、小磯、両名に組閣大命降下。


七月二十一日(金曜)

 四十万人の学童が疎開することに決定。東京は各区別に。本郷は栃木。黎子ちゃん集団疎開になる。三年以上の子供はみんな。三年以上の学級はなくなる由。


 シンクレア「石炭王」、初歩的な金持の良心の限度に止っている。その良心が、アメリカ風に動き闊達に表現されるところが特長であるにすぎない。最後はあっけない。アメリカ式Happy Endの一型。

〔欄外に〕

 ひぐま夜来た。

 瓜半分。


七月二十二日(土曜)嵐

 午後一時すぎから、ひどい雷、雨、ひょう。丁度古田中さんが『孝子の俤』をもって来た。夕刻までふりつづく。咲、国国府津。


 内閣の顔ぶれ発表。


 日本の雄々しさ。それにふさわしい丈の資源のないこと。技術のないこと、天然と歴史との問題で、屈辱ではない。それだのに辛惨を蒙る。同じ条件の中で勝敗を争うことでは、日本の価値は高められず、解放されない。日本が、この経験からいかに痛切に、深刻に民族の誇りを守るべき道を見出すかが、将来にかかる課題である。似非えせ愛国者の売国的意味をしんから知るには時間がかかる。

〔欄外に〕東北地方、水害。


七月二十三日(日曜)嵐の後さむい位。

 あらゆる経験を、反芻し再吟味し得る文学の能力は、これからの日本にとって益〻大切な建設の基礎であると思う。この能力こそ本質的な価値であり、文学のもつ生命でなければならない。宣伝能力などは遙に下根の面である。

 個人を失望から立たせる力が文学にあるとおり、一つの民族をその惨苦な経験から立たせ、そこの中に誇るべき価値を見出させるのは文学の高さであると思う。勝った鬨どきというような皮相のものではなし。勝敗以上。

 文学はそういう竿頭に立っている。しかるに文報は、転業(!)転出調査表を送って書きこめと云って来た。文学が転業出来るものなりや

〔欄外に〕

 今日で歯終り。干物十枚 4. ──もってゆく。細君出て来て話す。医者の細君、絵かきの細君みんなマネージャー的要素があるのは。

 金田さん、五日に入隊、六日にもう汽車にのって行ってしまった、と。

 グワムに上陸した。

 チン工合が妙で医者にあずける。チビ注射。

 きょうはどういうわけか組長のところで野菜配給。ジャガイモ四ヶ(特)キュウリ一本半。

 巣鴨へ手紙。


七月二十四日(月曜)

〔欄外に〕

 七月二十三日モスクヷにポーランド新政権樹立「ポーランド国民解放委員会」

 占領地内ホルム市に移る。

 英国亡命政権の始末にこまる、見殺しならんと。


七月二十五日(火曜)

 寿が引越しをするのに(二十八日)国はいられないとのことで、十一時五十五分かで、咲をつれ大さわぎで開成山にゆく。


 夜分になってから寿来る。

〔欄外に〕

 チンをつれてかえる。大分顔つきがちがって来た、虫をとった由。予防注射も入れて、十四円五十銭也。


七月二十八日(金曜)

 午前十時にトラックが来るというので、クタクタなのをやっと起きて、炭だの何だの揃えてやる、二階から茶ダンスおろしたり。

 寿大きい木のトランクももってゆくことにする。大した荷物なり、やけてももって行った方がいい由、両方でそう云っている、やけてもあずけたくない、と。

 すっかり玄関へ出して待っている。十二時になる、来ない。二時になる来ない。四時すぎ千葉へ電話をかけ、やっと通じたら、出たが故障で行かれなかったと。どこまで来て故障になったのでしょう、それは分りません、どうして故障と分ったのでしょう、それは分りましたが。どうもうさんくさし、夕雨降って荷物皆タタキへ入れる。

 近藤さん組長となる、よろし。

〔欄外に〕

 天気きわめて不安定だ。

 真夏というより疲れて光彩のない夏の末の葉の色になってしまった、あの雹以来。


七月二十九日(土曜)珍しく晴

 朝千葉へかけたら、三十一日に来るとのこと。こんどはたしかであることを希望する。今はすべてこういう風だ、ましてやトラックに到っては。

 ○小磯内閣四大方策要望、筆頭に輿論明朗化、戦力増強。

 ○タバコ、ばら売りとなる。

 ○小麦粉の価格値上げ、五から八%

〔欄外に〕

 パラオへ三百機。

「刻々北東方面も緊迫」読売 アラスカ、アリューシャン

 ○東プロシア圧迫。

          ──○──

 ○ドイツの総統暗殺未遂事件発表 三人の首魁はどれも側近の大将。うち一人は自殺。

 ○在支米空軍再び動き活溌化

 ○イタリ、ゼノアへ新上陸計画。ブルガリア、一切の政治犯人を釈放声明


七月三十日(日曜)

〔欄外に〕

 赤軍ワルソーに迫る。

 決戦迫る欧州戦局、


七月三十一日(月曜)

 寿引越し、トラックが十二時ごろ出てから一時の汽車に間に合うようにとかけ出してゆく。


 カーペットをめくってガラン堂になった西洋間、手伝の男に床をふかせ、長椅子をおく。

 行ってしまった。もう、行ってしまった、そう感じる。引越して行った華やかさより葬式でも出たあとのような寂しさ。もう帰って来ることはない。行ってしまった。空虚そのものが訴えている多くのことがあるように感じられる。


八月二日(水曜)

 大掃除。手伝いの男に来させ、台所の煤をとり、国の寝室の畳を干す。

 半間な仕事ぶりで、夕方畳入れてみたら、キチンと入らず凸凹してお話にならず。

 女中室をやっているときKトランクを下げ開成山より帰って来る、働いている男に一言も口をきかない。男ソワソワし出す、自分も落付かなくなる、何という男かと腹が立った。何かわるいことでも仕ているような気もちにさせるとは、と思って。


八月九日(水曜)

 開成山へゆく、国と二人。出立の前三十分か一時間のとき、瀧川さんが友達の山田さんとその子をつれて来てくれ、瀧川さん上野までわたしのトランクもって送ってくれる。一時四十分発


八月二十一日(月曜)

 パリより邦人ベルリンに脱出す。


八月二十五日(金曜)

 パリ、英米軍の包囲下にあって、全市で激戦中、エトワール、モンパルナス、サンラザール等。マーキの活躍。


八月二十六日(土曜)

 ヴィシー政府首相ラヴァル以下東部フランスへ逃亡、二十日朝、ペタン、ヴィシーを脱出す、夫人と共に。ヴィシーから独軍にとりまかれて。「政府部内一部のものは、ペタンが独軍の強請によって出立をさせられるという印象を与えるため、法王庁大使、スウィス大使を」オブザーバーとして、ホテルドパルクの外に来させた、と。


八月二十七日(日曜)

 シュバリエ、マーキに殺された由、理由のあったことだろうと想像される。


 司法長官会議 法相、検事総長「大口買出しに断、地位濫用を糺弾」強調


八月二十八日(月曜)

 満四年間独軍の下にあったパリ、二十八日反枢軸軍によって陥落する。ド・ゴール進駐


八月二十九日(火曜)

 官庁休日廃止をやめて、第一、第三に出勤。小磯内閣の常識性なり。


 ソ連ルーマニア両国休戦、

〔欄外に〕

 アイゼンハウアー パリに入る


九月一日(金曜)

 食料の(野菜、魚その他)〓(丸公)の変化、=価格操作の円滑化、野菜小売四、五割上る

〔欄外に〕

 旅行の証明制廃止、


九月二日(土曜)

 第四回、「今回の事件」査問の過程、及印刷局内査問の問題、西沢の件、赤旗号外について。三時間半に亙り、被疑の順序、査問の過程、両名の自白内容、小畑の急死前後の情況、その後のこと、及び印刷局関係について。

 極めて強烈な印象を与える弁論であった。詳細に亙る弁論の精密適切な整理構成。あくまで客観的事実に立ってそれを明瞭にしてゆく態度。一語の形容詞なく、「自分としての説明」も加えず。胸もすく堂々さであった。

 十年前の英雄たちの概論風の華やかさ、入門的雄弁の力と、この緊密な理論的追求と実行力とは切に世代の進展を思わせる。日本の水準の世界的レベルを感じ、リアリズムというものの究極の美と善(正直さ)を感じる。深く深く感動した。「赤旗号外の根本的な意義は、従来スパイ挑発の問題を内部のこととしていたのを、はじめて公然と大衆の前に提出し、その批判に訴えたというところにあります」。

〔欄外に〕

 小磯内閣政務官制を復活、議会人の行政参与を計る。

 航空機を! と痛切なり。

 台湾に十数機来る


九月六日(水曜)

〔欄外に〕

 議会での臨時軍事費追加 二百五十億円

 アントワープ到着


九月七日(木曜)

〔欄外に〕

 ソ連ブルガリアに宣戦、忽ち降伏


九月八日(金曜)

〔欄外に〕

 昨日、第八十五臨時議会開院式

 小磯首相六大施策

 電話訓練始る


九月十日(日曜)

 衣料品総合配給となる。

〔欄外に〕

 ブルガリア対独宣戦。

 九日の衆議院予算総会で重光外相「ソ連は隣国友好不変」


九月十一日(月曜)

〔欄外に〕

 首相言明「国民生活の向上を期す。現在の状態が最低」

 貯蓄目標四百十億。

 全国二万の在郷軍人の防衛隊初動員(暁天)


九月十二日(火曜)

〔欄外に〕

 ブルガリア新内閣成立


九月十三日(水曜)

 最高戦争指導会議、総合企画機関の設定。民意暢達、言論暢達、食糧安定。東印度の独立承認の予約、農業生産の従事者に対する労務徴用関係の調整。

〔欄外に〕

 第八十五臨時議会閉院式(十二日より開催)

 大島ヒ対談 写真では、小さい室のデスクのわきで、二人が握手している。

 独、ルクセンブルグ喪失。

 来春から一日に四十匁の野菜がくるとのこと。


九月十四日(木曜)曇、夜雨

 第五回公判、一時間半(殆ど二時間)速記二人。

 きょうは鑑定書の検討。宮川、荻野の調書の検討等。鑑定人が古畑のほかは、脳震盪として、その原因を暴行においていることの事実とちがう点をこまかく当時の情況と法医学的分析に立って陳述。詳細をきわめ、科学的客観的に行われた。宮川の調書で誤られている臆測について説明、荻野(カメ)がスパイであったことについての陳述。宮川の分で「私としては小さいことでありますが云々」と。二つの間で大分疲れ、いやらしかったのに努力して終った。腹工合よくないらしい。蒼いやつれた顔をしている。品位にみちた雄弁というものが、いかに客観的具体性に立つものかを痛切に学ぶ。彼は、一つも自分のためには弁明しない。只事実を極めて的確に証明してゆく。こうして、私は、事実はいかに語らるべきものか、ということについて、ねぶみの出来ない貴重な教育をうけつつある。ああ自分もああいう風に語れたら。

〔欄外に〕

 終って外の廊下へ出たら寿が立っている。それから一緒に影丘へゆき、夕飯をたべてかえる、珍しくゆっくりして。

 所謂ベア、ファクトというものは、通常ベア、赤裸と思われている。しかし、ファクトが精神のリズムに貫かれているとき、其はそのものとして完璧の脈動にうっている。

 白金供出運動


九月十五日(金曜)雨

 きのうのかえりに寿へまわったりして、休めもしたが疲れもした。八時すこし前起床。ぼってりした顔している、しかし気がついてみると、わたしの相貌は最近に微妙な変化をした。こころのうちの様々のよろこび、おどろき、一層新しくされた傾倒等の焔のかげが顔のニュアンスにさし加って来ていて、人間の味、女の味のこまやかな光彩が添えられている。こうして顔つきまで変る生活というもののいじらしさ。もと、一緒に過した一夜が明けると、鏡に映る自分の顔が別のもののようにあでやかに匂わしくなっているのに、どんなにおどろき、心をうたれ、そのように変る自分を、彼よりほかのひとに見られることを、はにかみふかく感じただろう、それを思い出す。今、人々の生活は遑しく、自分のことにとらわれているから、おそらく誰もわたしという女の顔が、こうしてかすかに変り、そのかすかな変りというものが、どんな深い意味をもっているかということを感じもしないだろう。

 かかる現代において人生の本流に立っているということの、云うに云えない心持、落付き、信頼。川底のあらゆる起伏、岸辺の逆波みんなそのものとしてまざまざと見、且つ持ちつつ、しかし川は川下へ向って流れゆく。何年かかろうとも。揚子江では筏の上で生れた子が、歩くようになって河口に出る。


九月十六日(土曜)雨

 村田親子をつれて国、国府津へゆく。雨の中を、つんぼの老父が白い風呂しき包みを背負い、ゲートルをまき、息子はカバンを下げ包をもち。何か女親のいない、女房のいない老年と少年の生活を哀れふかく見た。

 瀧川さんのモンペ地を見るために、家庭購買組合へゆく、かえるのを国待っていた由。

 夜十一時ごろ、大グロッキーになって帰って来る。すっかりしまったものを村田に出してやったとのこと、そうしてやるしかないのは分っていた筈のようだが。

 開成山までの切符を買って来た、これは大満足らしい。

〔欄外に〕『風に散りぬ』第二巻。

 スカーレット・オハラという人物に同情を感じ、作者は熱をもって描いている、戦禍というものの形が実感に訴えて来る、身につまされる。作者ミッチェルの精力的な性格が益〻発揮されて来ている。


九月十七日(日曜)風のち雨

 順子さんのところへ十一時半頃から出かけて、本の整理を午後一杯やる。順子さんの読みそうなの、保管しておくべき分と。随分ある。

 ジャーナリズム関係の人の本というものを興味ふかく感じた。結局送るのも余り大仕事、という気もちになる、一日本をいじった揚句の疲れた夕刻には、そうしか思えなくなるとも云える。

 疎開してゆく女医、亭主が軍人で女ぐるいしていて、どうも離婚するつもりらしいと本人が云っている由。いろいろの疎開がある。

 ○国、開成山へ立つ。


九月十八日(月曜)

 ケベック会談において、ヨーロッパ戦後に、日本攻撃に全力を傾ける、と声明。

 駐仏ソ大使アルジェールよりパリへ。

 英ロージャーキーズ元帥ホノルルへ。

 ソ 休戦条件

 赤軍ソフィア入城(ブルガリア首府)

 仏 ツーロンに入港

 米 ベルフォール到着

 瀧川さん、北辰電気へ紹介でゆく。

〔欄外に〕

 世田ヶ谷へリアカー一台。茶ダンス、本箱、カリン机、字引台、薬箱、書類入箱。


九月十九日(火曜)

 早大総長に中野登美雄なる。こういう程度になって来ているかという感ふかい。お清さん「わがアポロー」が「総長」になって、そこに巨大な喜劇を感じないだろうか。


 疎開児童(二十二万五千人)に「与えよ素朴と潤い」と。田舎に疎開した子が素朴に欠乏しているということは意味ふかいことだ。


 ひるの十二時半警報発令、二時二十分頃解除。

 巣鴨へゆく電車が神明車庫に止ったとき、解除になった。


 世田谷へリアカー一台、タンス、瀬戸もの類。

〔欄外に〕

 パラオ婦女子疎開。大宜味さんは良人息子をおいて帰って来るのだろうか、帰る仲間に入っているだろうか。

 ブラジル政治的擾乱、外部との音信二十四時杜絶中。

 ブルガリア前政府要人のタイホ、自殺多数。


九月二十日(水曜)
〔発信〕巣鴨 栄へのぽぴん、巣鴨へ『飢と闘う人々』

〔欄外に〕

 世田ヶ谷へリアカー、石炭カマス一、箱一、豆炭一、ふとん包。


九月二十一日(木曜)

 公判第六回、速記一人、一週間の休みでは体が無理というのにきかず、開廷。宮から、病状鑑定の申請したが、その必要を認めず、と却下。更に宮、十月一杯に陳述を終結するという見とおしに立って、その間の期日は被告の希望に従ってしてほしいと提案。それならば十月五日、十日、十四日として裁判所のは一日だけで終る、ときめる。それならば、と半月小切ってきめたり、なかなか女性的だ。宮よく忍耐して折衝する。

 重厚な壮年の風格が美しい。

 きょうは用意して来ないというと、では、と、経歴をききかけたり、十二月二十五日、小畑のことあって後は何をしていたか、とかききはじめる。宮、それは陳述が全部終ってからの方が相互に便宜だとして、スパイの一人について陳述する。

 宮の忍耐だめしの一日であった。御苦労さま、御苦労さま。

〔欄外に〕

 宮の検挙は十二月二十六日 査問 二十四日


十月五日(木曜)

 第七回公判、各被告の予審終結決定並に公判における陳述の検討(第一部)逸見、木島、大泉。逸見の陳述が裁判所の基本として使用されていると思えるが、逸見の誇張、卑屈な陳述は事実をあやまるものであり、其自身多くの矛盾を含んでいる。逸見が党内分裂して急進派、非急進派に分れていた、それが査問の動機となったというようなことは、組織部会で自身が大泉が変だと秋笹に云い、宮本には黙っていようと云った事実に反する、彼自身白テロ調査委員会の責任者であったことも事態を糊塗するために責任回避されている。逸見は客観的には木島もそうであるように、大泉と等しい役割を演じた。木島が中央委員でなく、ピケにすぎなかったのに様々に見ないことをべていることの不合理を指摘。大泉がスパイ関係を自白したこと。卑屈に助命を求めたが、査問当事者たちは一人として身体的危害を加える意志はもっていなかったこと、それらについて、三時間半に亙る。

〔欄外に〕速記一人


十月八日(日曜)

 〓(丸通)で荷作りに来るというので、自分五時半におきて御飯たく。一日中大バタバタ。仁王のような男、二十ヶのコモ包みをこしらえ上げる、やすやすと。石炭おき場をこわしてヌキとする。

 御飯を炊きはじめたら、やっと一週間ぶりの雨が上った。荷作りのためにも仕合わせ。

 きょうも司厨。一日中台所。風呂をたく。台所のテーブルで用事の合間に「白鯨」をよむ。この作者の古風な雄渾さも分る。しかし「風に散りぬ」第三巻をよみ終ったときと同じに、何故これらの文学は、人間情熱の当途ない消散の過程をこういう風に追求するかと思う。「風に散りぬ」の作者が、もうあとかかないと云ったのは本当の心もちだと思う。例えばバトラーのような人物の終りがああなのなら、作者は新しい人生を樹立しない以上、書くこともないにちがいない。題材ではない、問題は。

 I'm through の感じだろうから。

〔欄外に〕久しぶりの晴天


十月九日(月曜)

 けさは、のんびりおきる。じっとして暮すつもりだったのに、家中あんまりガタガタで辛棒し切れなくなったので、急に思い立ち馬崎(手伝の男)のいるうちに、こっちの部屋(二階)テーブルとベッドちゃんとして、夜眠る前にはせめて日記でも落付いて書くようにしようと思い立ち、働きはじめる。赤い低い台もうつして、一番古い杉の本棚一つ壁の前におき、久々で十六年十二月八日の夜以来テーブルについて、巣鴨へ手紙かきはじめる。国二人は下で、区役所の古物やに、三流品を売っている、もう夜の十二時だが、まだやっている。

 咲が、もうあさって帰れる、もういつ帰れる、と帰る日をたのしみにして家中大濤をうたせ、はたを働かせて働いているのは妙に寂しい。咲帰るのをうれしがっている、その気持は何も子供のところへ帰るうれしさばかりではないのだから。こんなに働かされると、ワタシモ、ドコカヘ、カエッテシマイタイ。

〔欄外に〕きょうも晴、やや暖。


十月十四日(土曜)

 第八回公判、各被告の予審終結決定書並に公判記録についての検討の第二部。二、証拠品について。三、菊地甚一の鑑定書についての考察。秋笹、袴田、西沢について。秋笹が心的動揺期に当っていたために、矛盾したり不明瞭な部分をもっているが、党の方針について、又査問の過程については比較的正しく認識していること。但し、党史としての見地から、歴史的観察は補足されなくてはならぬが。袴田の陳述も或場合は極端めいてもいるが大体は事実を明かにしようと努力されている。当時のデマゴギーに反撥する空気の中で陳述されたから、その影響は見られる。西沢は大串に逃亡されたことから嫌疑をかけられ除名になったため、実際以上にスパイに対する自分の態度を明白にしようとする心理から、殺意を積極的に否定することをしなかったのは明かである。彼の犠牲的な人格は「過去いかんにかかわらず新しく評価されるだろうと信じます」菊地甚一の鑑定書の検討において、極めて有効に現行法医学の所謂「性格学」の機械的適用の誤りを指摘し、宮に対する当局者の先入的偏見を除去する方向がとられた。同時に菊地の言を検討することによって、治維法被告としての陳述というものについての基本的態度を明瞭にし、前々回において、裁判長が、個人的経歴を訊きはじめたことを封じた。菊地の検討は極めて適切であった。

 ○不法監禁について。

「スパイは、党を堕落させようとして、金銭の拐帯等を教唆し、其は本人等が予審でのべているとおりであります。党員はかれらによって、窃盗罪にひき入れられようとするとき、それから守るためにそれら現行法によっても犯罪と認められることを防止するために、自由を束縛するのは正当防衛であると信じます」

 証拠物件の中には、スパイによって集められ、或は他の方法によって集められたものが少からず加わっていて、自分の見たことのないものまでが記載されている。

 宮本の予審終結決定や警察の送致書には、いろいろ他の人の書類が附加されているが、其は一々ここに検討しない。「不必要に個人にふれることになり、それは誤りであります。私が秋笹、袴田、逸見等の名をあげて、其にふれたのは本件の真相を明瞭ならしめるために万やむを得ず、最少限にふれたに止ります。」

 そして、「今回までの陳述によって、本件の実相が明かにされたと信じます。査問の動機が、警視庁で宣伝したように個人的利害等の動機によらず、全く党の方針の一つとして行われたものであること、及び、小畑の死亡は殺意ある暴行によったものでなかったことの条理的実証的事実。従って、本件に殺人及予備の罪名が冠せられてあるのは、妥当でないと認識する次第であります」

 殆ど三時間半。感銘深い陳述であり、周密的確。閉廷に当り裁判長かるく首を下げた、自然の勢で。

〔欄外に〕速記一人


十月十六日(月曜)

 十二日より三日間、台湾に来襲せる敵機のべ千九百五十。そのうちおとしたのは百八十。


十月十七日(火曜)

 宮本の誕生日也。ことしは特別に宮本の健闘のために祝いたいと思う。全く集注した気もちで十七日を迎え、こころのうちに、かたく彼を抱く。

 花を国が白山で買って来る。白い菊、その他ちょいちょいで二円八十銭だとおどろいている。

 くり飯をたく。繁治さん来、栄さんは四国。うちへ呼ぶ人は国とのとり合せがむずかしいから、こういう程度。

 うまい夕飯をたべる。珍しくまぐろ三切入りさしみにする。「本人にたべさせられなくて残念だね」繁治の言。「どうぞその分も上って下さい」

 最も祝いたいとしに、こんな顔ぶれ丈で祝う。しかし、わたしたちのこころに充ちている感想は測りしれない豊かさで、こんな小さいうちわの晩餐を却ってうれしく思う。開成山、島田からの荷物が届いて美味い大根おろしをたべた。

〔欄外に〕

 先、宮へ草履をくれる。

 多賀子、冬羽織とちょいちょいかんづめなどつめ合わせ。


十月十八日(水曜)

 巣鴨、


十月十九日(木曜)

 大宜味さんをよぶ。金、土、日、ひまがなさそう故。

 声は大して変っていなかったが、玄関を入って来るのを見て、目が大きくなるようだった、七月にパラオを出て三ヵ月の間経た辛苦がまざまざと、その色の黒みにも、やせかたにもあらわれている。神戸の南洋庁でくれたというモンペの上下着ている。三ヵ月の間の苦労は言語に絶したものらしい。

 それでも「妹が、姉さんこれからどうするのって申しますからね、わたしは、大丈夫だから安心して頂戴、何とかなるわよ」というところがあり。死地をくぐった女のひとの度胸も出来ている。

 十日にやっと東京に来て、早々沖繩のナハが、焦土となったニュースを得たのだから気の毒。ふとんに一番困る由。南洋庁では毛布を三枚ぐらいずつ心配しましょうと云っている由。神戸でミヤコのようなもの、シャツ、男の子の服類よこした由、まだ東京がやけていなくてよかった。


十月二十一日(土曜)

 日本橋の東京講演社へゆき、宮の必要な原稿用紙を森長さんへもってゆく。丸善でインク買おうとしたら十時までの由。カネボーの口紅 1.40 であった。六円近い香水つきものに買わなければならなかったから不思議のようだ。ここの女店員はまだ、やっぱり、他のところよりはよい、落付いている。

 巣鴨、宮小喀血した由。小指大。医者が臥床をゆるし、一週間の静養を許可した由、これまでの医者ではない由、体重が十三貫しかなくなった由だしよほど公判はこたえた。御苦労なことだ。玉子はないし牛乳はないし。公判がすんだら病舎へ戻って休むことは出来ないものかしら。出来そうに思うが。

 今年もカイロの灰がほしくて例の荒物やへよったら、話しぶり、どうも只では駄目そう故、おいもでも上げましょうと云ったら、奥さんモンペの布ないでしょうか、云々。胴着の布とカイロ灰が引きかえということになるらしい。


十月二十三日(月曜)

 靖国神社の祭日、休みかどうか分らない故ですいていて珍しい。一六八。すこしゆっくり話せた。巣鴨、明日は時間を少くしよう、それがいいわ、余りがんばらないで、ね。

 帰途、犬の医者にまわる。チビたち手術のこと、仔の始末のこと。なかなかいやな思い也、近日中につれてゆくことにする。


 夜区役所のゲテものや来。水晶のあの飾10、硯15、棚一五〇、とつけた由。ひどいねえ、ひどい、あの男はもうきまってるんだね考えかたが。成程。しかし、タバコやをやって、古物やをやって、区役所へつとめるという男の生涯のうすきたないぬけめなさ。


十月二十四日(火曜)

 第九回、本件の経過、判決に関する一般的考察。公判終結決定の検討。各被告の決定を見るに、予審及公判で、其々の陳述が変化して来て居り、事実の不一致、事実と全く異った諸点等が明白であるにもかかわらず、その錯覚のまま或は不確実な陳述のまま或は警視庁用語のまま公判調書、決定がつくられていることの妥協でない(西沢の場合、彼の心理的状況について考慮しないで殺意を否定しないままに)ことを具体的に例証して陳述した。こういう結果は、統一審理が行われなかったことによる。転向、非転向の間の差別も著しく、技術的には予防拘禁法があるから刑期を長める必要はないのに、非転向のものとそうでないものとの間の凹凸は甚しいということ。三宅正太郎の「治安維持法」を引用して、法の適用についての注意を促した。本事件の経過において、警察と予審に長年月を費して病体となり統一審理も不可能となったこと、そのため事件の真相は明瞭たり得なかったこと、「私の苦い経験によってみても」警察と予審は可及的短時日をもってすべきである、ということを力説した。

 この陳述をきき、自分、宮がしんから気の毒となった。可哀そうでたまらない。多くの人は何と浅薄に宮のガンばりというものを見て来ていたろう。おそらくは裁判長さえも。

〔欄外に〕綜合防空演習の日。


十月二十五日(水曜)

 六月十三日からはじまった公判が終りに近づいた。

 この公判が、法廷で行われ、自分が聴くことの出来たということには、計り知れぬ意味がある。自分は、この数ヵ月で、本当にこれまで停頓していたところから実質的に一つの進歩成長をとげることが出来た、その位うけた感銘は深く、学ぶところ多い。人間としての情操、理解においても一深化した、そして妻としては、一層一層宮本の本質にとけ合わされてゆく歓喜を感じた。私たちは、というより、自分はこうして一段と彼の妻となった。こういう深化の過程を考えると、その価値の高さにおどろくばかりである。宮本が妻として、一きわ自分を近く一致させたその根底の大さ、ふかさ。自分のこころには全く非個人的な歎賞があり、そのために比類なく結ばれ、それ故こそその感情が一層非個人的高揚を経験するところは、微妙至極である。相当な人物が、わが身を惜しむ心をはなれてしまう動機というものは、こういうところにあるものと思う。この恋着の晴れやかさ。この恋着の大義に立つ大やかさ。

〔欄外に〕

 巣鴨へゆく。半紙百枚、鉛筆二本、シャツ。

 寿キリキリの時間に来る。生活条件がよくないことを直感する、可哀そうでならない。勉強どうしているのかしら。今一人で暮す気の張が可哀そうだ。


十月二十六日(木曜)

 きのう帰りに冬着入用とのことで大いに閉口する。日の出の通りをのろのろ歩き乍ら、ふと妙案を思い浮べ、ままよ、寒きにはまさると、昨夜のうちに、宮の袷の裏をはがし、銘仙のひとえの裾をとき合わせて綿入れとする仕度をする。

 けさは、国が出てから十二時までに裾合わせ迄して、一時半頃から綿入れ。大フーフーで落語ではないが「えー人間、一心というほどおそろしいものはございません」

 四時半頃ともかくひっくりかえして、自分もひっくりかえりそうにへばった。実に実に大笑い也、モンペはいて、フーフー云って、きもののぐるりを這いまわって仕上げた腕は大したもの也、それでもいつとはなしに手順も覚えているとはおそろしい。度胸も我ながらおそろしい。近来の傑作。


十月二十七日(金曜)大雨、

 十二時すこしすぎに、やっとおそるべき綿入出来上る、国在宅、ぬらさぬように運ぶため背負おうとしたら、きものが絹、コート絹、ふろしき絹、ツルツルにて駄目。手にもってゆく、フランネル長襦袢と。


 夜も大雨、その音をきき乍ら仔犬可哀そうと思う。

〔欄外に〕巣鴨。


十月二十八日(土曜)

 フィリッピン沖海戦総合戦果 十月二十四日より同二十七日に亙る。

 及、レイテ湾内総合戦果


 ひる近く出てみたら箱に一匹死んでいる、昨夜の予感当った。雄だけ三匹のこった。柿の下に埋める。

〔欄外に〕

 久しぶりで一日在宅、いいこころもち。

 十一月三日に国、開成山へゆくよし。

 荷物のことで宮本へかけたがかからず。


十月三十一日(火曜)

 第十回。本件に対する法理的情理的考察。法の根本精神は、社会生活の福祉と文化の向上を目ざしている。治安維持法にとわれている対象は、根本においてそのことをこそ目ざしているものである、本質的に法の精神に相反したものではない。又治維法が犯罪の要素として列挙している私有財産の廃止は、事実上画一的廃止を目ざしていない政党の目的に当てはまらないし、政体というものは歴史のなかで様々に可動なものであることを、日本の現実が示している。

 スパイ査問の事は、スパイの使用者の当時における極度の甚しさによって生じたものであって、その徳義上の責任は、使用者にあると信じるものであります。

 裁判長の訊問にうつり「経歴については事実か」「松山高校から帝大を出たことなどは事実ですが、その他の研究会などについてはさしひかえます」「昭和六年六月十八日入党したというのはどうか、これも答えられないか」宮笑って「やあ、それもさしひかえます」「駄目か」「ええ」

 証人申請をする。袴田、西沢、医者、古畑など。却下。まるで大急ぎでヘビーをかけて、検事の求刑、やおら立ち上り「えー、本件の内容は逸見、木島等の調書を見ても既に明瞭でありまして、宮本は十年を経た今日でも改悛の情なく、共産主義思想を堅持して居ります。共犯とのふり合、その他から無期を求刑いたします」復席した後、両手の間に顔をはさんでいる。裁判長、宮、弁護人、次回の日どりをうち合わせている。

 十回に亙って事実を陳述し逸見、木島等の記述の事実と違っている点を明らかにしたあげく、検事は、それらの陳述が一つも耳に入っていなかったように、「逸見、木島の調書によって既に明瞭」と云った胆っ玉にはおどろいた。坐っている場所というものはあれ丈の度胸を与え、支離滅裂に泰然たるとは、あらたかなものだ。生きながら人間界を脱している。万事約束の順通りに、ただ早く早く、というよう也。

 帰りに新橋まで戻ってやっとのったら、京橋で〒のトラックが前の浅草の横腹にくいこんでしまった。地下鉄にのって上野でのろうとしたら、池の畔の遠くまでうねっている。七時頃、帰ったら、ハナが来ている。米もって来た。国の切符買いましょう。いく子、来ることにしたのかと大むくれだったら、いい工合にそれはやめた由、助った。


十一月一日(水曜)

 きのうの疲れひどい。それでも午後から出かけようとしていると、一時すぎ警報、おやと身ごしらえをしたら五分後に空襲警報となり、いそいで皆壕へ入る。四時にケイ報は解除となる。高射砲の音もしなかった。

 夜九時半に再び警戒警報。一時すぎ迄みんな仕度をして食堂にいたが、つまり床へ入る。国が亢奮して水のたまったような声出すのを久しぶりできいた。


 十一月から事務所は協電社に本屋をかし、中條事務所は国一人となった。

〔欄外に〕

 タバコ今日から組の一括となり男だけ。女オミット也。

 ○緑郎から手紙来る、六月頃。ノルマンディーに上陸したばかりの頃。ピンぼけなり

 大使館環境は決して薬にならない。活動も。


十一月二日(木曜)

 巣鴨へ行く。「こっちの警報って、どんなかしら」「うん、みんな鍵しめて歩くぐらいのことさ。何しろ人間が出ないようにがっしりこしらえてあるんだから、外からもなかなか入らないよ」思わず笑う、「だってエ、上からふって来るのよ」「この間都の防衛課の人が来て、東京中こんな完璧なのはないと折紙をつけて帰ったそうだ、何しろちゃんと防火扉がしまるようになっているんだもの」

 自分気が軽くなる。動けない人が、そう思っていてくれる方がいい。宮とすれば、わたしを安心させようと猶そう楽観風に話すのにちがいないけれど。

「マアあれが、今の最大限だからね」「それはそうだわね」「どんな本が出版されようと……」「そうよ、そうよ、わたしもそれはよく分っているわ、題や表紙だけでは決して判断しませんから」


十一月三日(金曜)

 明治節が大雨というのは珍しい。天長節という頃から、いつも菊の花が匂っていたような、夕方急に冷える晴天の記憶しかなかったが。

 俊雄(豊寿の息子)来る、佐藤さんにBCGをしてもらいに。ところが、トベルクリン反応が春では駄目とのこと。夕飯前にかえる。佐藤さんといろいろ話す、愉快だった。


十一月四日(土曜)

 国、瀧川、開成山へ。

 一日に警報が出て、きっと今度は留守に何かあると思う。しかしそんなことを云ったってはじまらず、黙っておく。


十一月五日(日曜)

 ゆっくりするつもりで九時頃おきたら、十時に警報がなり十分位したら空襲ケイ報。ヤレと壕に入る。十一時すぎ空警は解除で、一時すぎケイカイも解除となった。

 パンやより電話、パンとりに行く。

〔欄外に〕ルーマニア断交


十一月六日(月曜)

 朝九時半警報、一時解除、放送「伊豆方面より東京に向って進行中と認められた飛行機は友軍機でありました。しかし猶南方海上警戒を要しますから警報は継続します。上空に見えました飛行機雲は友軍キによるものでありますから、念のため」


 けさの新聞に曰ク「敵機は東海道を一時間に亙って十分に偵察してトン走しました」


 鈴木先生のところへベルモットもって行く。


十一月七日(火曜)

 用心してけさは早くおき午前中平オンだったので、気になっていたアキカン、アキビン、酒ビンをあげ板の下にしまって片づけ、早ひるで巣鴨へ行こうとしていたら警報即空襲のサイレンで、びっくりして、食堂の日向にふとんや毛の下着を干したまま壕に入る、もう高射砲の音が起る、しばらく壕に入っていて射つ音がしなくなって出る。見た人がどっさりある、ダイヤモンドでも。西から東の方へ偵察した由、飛行キ雲を濛々とひいて翔び去った由、一時間ほどいたらしい。三時十八分前解除。

 一服して、宮へ手紙かいていたら緊張のリアクションかひどく寒気がして来てたまらず、ブドウ酒をお湯でのんで湯タンプをして床に入る。九時に目がさめ空腹、イタメ飯をこしらえて、小杯のブドー酒をのみつつたべる。

〔欄外に〕

 老幼姙婦不具者の疎開はじまる、保助金二百円一人ますごとに百円。縁故疎開をショーレイしている。現実性はどこ迄だろうか。


十一月八日(水曜)

 変につかれたわけ也。

 巣鴨へ行こうとしているとき寿から電話「どうしている?」「うん。ひとりだもんだからね」「一人? 一人っきり? どうしたっていうんだろう! じゃ行くわ」「うれしい、来てよ」

 来てくれる。大いにうれしい。

 巣、宮、シャツがへまだったこと、すこし御立腹なり。二日に行ったっきり警報なんかで行かれなかったので、それもつまらなかったのだろう。警報をこわがっていると思って。こわがる十分の理由が分らないのかもしれない。

「用のあるときは早く来ればいいんだ、」「警報になると追い出されちゃうのよ、待避所なんか一つもないのよ」「そうかい」意外そうに「薄情だなア」立合が「ここんなかで殺したって仕様がなかろう」「ともかく、僕の用事ったって何ももう一年や二年あるわけじゃなし、少しぐらい疲れたって来りゃいいんだ」「そんなことおっしゃらなくたって来るわ、憎まれ口ねえ」


十一月九日(木曜)

 栗林の誠意のなさには怒る気もなし。やっと速記原稿をとどける、それを前でうけとって受付へ出す、ビオカルクと一緒に。珍しくすいている。きょうは宮、きのうのにくまれ口自分で気がついているらしく笑っている。「シャツのこと本当に御免なさいね、好ちゃんからたよりがあって近く帰るって云って来たりしたもんだから、わたし上気ちゃって。あなただって好ちゃんが帰れば着せてやりたいとお思いになるでしょう? アンポンになるって、初っからあやまっておいたでしょう?」「そのときになりゃ、いろいろ薬もあるし大丈夫さ、保温薬だってあるんだし、マアいいよ、どうにでもするから、心配しないでいい、善意でやったんだから、本当にいいよ」

 寿とゆっくり美味しい夕飯をたべる。寿もたのしげだ。

〔欄外に〕

 ルーズヴェルト四選。

 きのうあたり気がついたが、黒枠の新聞広告がなくなった。横に黒線をつけた丈の死亡公告だ。


十一月十日(金曜)

 寿上野へ行って、尾崎、島田の小荷物とって来てくれる。相当重いのを両手に下げて。よくもって歩く。千葉へ一晩かえり、明日野菜もって来てくれる由。

 ○開成山へ電報をうつ「ヤブンデンワネカフ」

 ○河原崎へ手紙だし瀧川の仕事のこときいてやる。

 ○天野へ嫁さんが来て、三枚重ねのふり袖でしゃなしゃなねっているところを八百やのかえりに見る。近ちゃんのm「御挨拶にまわっているんですよ、来ますよ、来ますよ」

 にしんのお金もって行ったら洗面所で髪を結うか何かしていた。嫁さん来ず。何となしほほ笑まれる。天野の姑の心理も。近mの心理も。近所の女、というものの心理。

 夕方八百やへ立っていると高村光太郎氏も組で来る。めっきり年をとった。いつか座談会で会ったときよりも。いつか隣組待避で公園で見かけたときよりも。この頃詩をかくのをやめたのは慶賀の至りだ。芸術家は晩年を完うしなければならないものだ。

〔欄外に〕

 眠たくて仕方がない。

 電話を待ちかたがた日記を埋める、

 ○ブルガリア断交。

 秋期大攻勢、東西戦線に開始。

 砂糖、十、十一月分は一人前これ迄の¼の由。

 掌の上にきらめく砂糖かな。


十一月十四日(火曜)

 午後一時より森長、栗林弁護人の弁論、森長さんは事実について、法の適用についてと分けて、「本件は宮の陳述によって、初めて全体が統一的に明瞭にされたにもかかわらず、検事は第一審当時の事実に立って論告されたことは不審にたえないところであり、且つ無期という求刑も一審判決を基礎とされたことを不審とする。袴田が一審で無期を求刑され其が二再で十五年となり更に十二年となったのには、情状による酌量というよりも明らかな法律的根拠があった、即ち、第一審で附加せられていた殺人は第二審でとりのぞかれていたのであるから控訴判決によらない検事の御論告は理解しがたいところである。

 弁護人というものは或場合裁判所を信用しないものであるが、被告は話しすればきっと分って下さるという信念と熱心とをもって陳述し、少くとも三度は裁判長キヒがあろうと思っていたところそういうこともなく順調に進んだのは、裁判長の御人格のしからしめるところであると共に被告の信頼を語っているものと思います。

 スパイを使うのはやむを得ないとして、使い方があくどかった。これは国家の恥である。大なる善のために小なる悪を敢てしたのならば、その小なる悪について一半の責任を国家も負ってよいのではないか」

 等、おだやかながら努力した。

 栗林のは問題にならず。確信犯人というところを強調し、スパイに対す制裁について、宮が努力を傾けて暴力否定をしているのに、其を肯定したような駄弁を弄した。


十一月十七日(金曜)

 瀧川帰京。


十一月十八日(土曜)

 寿風邪がこじれて、中耳炎風になり、おどろいて耳を湿布する。


十一月二十日(月曜)

 寿帰ると云って出たのに、夜電話かけて来る。切符買えなかった、と。雨は降っているし、かげ丘へ泊らせられず、又来て泊る。


 S長くいると、自分やっぱり苦しい。Sの心もちがあっさりしていないから。いつも怨がこもっている、居心地よいならよいで。帰らなければならないとなれバそのことで。

 自分の家を私がもっていないためにSのケチな面がつよく感じられて、何か絡んでいて苦痛だ。

 これから永逗留はさせない方が双方のためだ。


十一月二十一日(火曜)

 宮、最終陳述第一回、事実、法律の適用、求刑につき。事実については、論告の趣旨に鑑み、木島、逸見の陳述の総括的意義、及び他の関係人の供述、証拠等の総括的意義と論告中援用された他被告の一審論告の拠点とされた事項についての検討、本法廷において新たに明かにされた諸事実について。本日は「事実」の第一の部で終った。木島逸見の滅裂な陳述においてさえも宮に関する予審終結決定書の記載は無根の臆測であることが明らかとされる点を強調し、本件が極めて特殊な先入観をもって扱われていることを説いた。そして名将言行録中板倉重宗の名所司代としての公正な裁判官態度を引例した。そして本件は、宮の陳述を基礎にしてのみ判断し得るものであるということを。

「一審論告の拠点とされたものは基本的に云って、無実の罪であったか、或は私に無関係のことであったという点が明白なのであります。従って、これを本件の論告の場合に直接の参考とされるということは、事実並に量刑、いずれにおいても妥当でないと確信するものであります」


十一月二十三日(木曜)

 久しぶりに壺のところ、燃木切り、良人は防空壕掘。


十一月二十四日(金曜)

 一時すぎそろそろ巣鴨へ行こうとして着物着かえたらば警報、二十分ほどで空襲、待避した。はじめ、六機来た、後続部隊編隊をもって次々と来て、うちの上だけでも十二機見えたそうだ、自分は見ず。キラキラ白く光って飛行雲を曳いて去った、高射砲の音の合間合間に昼飯をたべた、三時半警戒警報になる、四時半解除。

 御飯を一膳たべ終る間もなくジャンジャン半鐘がなって壕へ入る、しまいの一膳は壕の中でたべる。

 疲れて、七時頃就床、すぐ眠ってしまった。


 二十五日の朝刊によってB29七十機が来たことを知った、撃墜五、撃破9、我方自爆一機を入れて七キ

 杉並、北多摩、荏原、品川等の被害が、漠然と語られている。


十一月二十五日(土曜)

 最終陳述第二回。本日は事実に関して他の関係人の供述証拠等の検討の部分、並、法の適用について。本日は角度をかえて、他の人々の記録──富士谷その他、宮検挙後の清党問題関係の記述を検討し、それらの事件が全く宮の関知せざることである。赤旗号外の使嗾的意味のないこと及そこで暴行をすすめたりしていないことを精密に引用して陳述した。法の適用について、控訴審の決定が不法カン禁致死その他となっていることについて、かん禁は二重の承諾行為であったこと、(大泉、小畑)致死の原因と見なされているショック死が体質の検討を全く欠いている検診書に立ってされているということは、時間的継続した事柄を説明しても法の拠点となる相当因果関係を示していない。又大泉も拳銃をもっていたにかかわらず、スパイであった為に何等その点はふれられていない。死体遺棄についても遺棄する決定というようなものはなかった。それらの点について詳細に熱心にのべた。裁判長、要領よくのべたらどうだ、重複したところは省いて、と再三云う。あらゆる角度から、という風な思考力の練磨不足で、前の陳述とダブッたという現象だけを感じるらしい。この川を辿り、この谷を辿るも同じ海へという意義がついてゆけないらしい。

〔欄外に〕

 伊豆七島の上空にあり、北上中なり、と。

 十一時半警報、三四十分のうちに空襲にならなければ行かなければならないと思っていると一時に電話で二十八日に延期になったと知らされ、同時に解除、又開廷となり、あわてて靴はき鉄カブトもってゆく。閉廷五時なり。


十一月二十六日(日曜)

 風のない秋の日、昨夜の雨で門内の石が美しくしめって、瀧川さんが落葉をすっかり掃いたので、いかにもすがすがしい。ひるをたべて出かける、というとき(瀧が)又ウーとなりはじめた。殆ど一時。警戒警報(京浜上空に敵一キアリ)、第二回のブザで「伊豆半島上空ニ認められたる飛行機は友軍キなること判明」おどろいた。どこの国でもこの程度なものかしら。或はそうかもしれず。三時解除。瀧家へ行く。家ではすっかり引越の仕度している由。国からは「家のことは八方奔走中、可及的速度でまとめたく云々」とハガキが来ている。

 チビ退院させる、すっかりやせて元気なくなって、へたばって繃𦄂している。可哀そうに。大分手入れをしてやらなくてはならない。ヴィタミンBをよくくわせるか。七十三円五十銭。国さぞボヤクだろう。犬のこの手術はやはりたやすいことではないのだ。チビも女に生れた気の毒さ。男の児のようにさっぱりしていい気象だのに。


十一月二十七日(月曜)

 巣鴨。風呂に入っているそうで六〇人もあとにまわってしまったら十一時になってしまう。ヤレヤレ一時半迄待つのかと思っているところへ十一時半警報、直ちに追い出される。


十一月二十九日(水曜)

 国、夕方六時すぎ帰る。夕飯。こんやはねかしてほしいね、と云っている。そろそろねようとして自分二階へ上ったら十一時半ボーがはじまる。国一日の経験しかないので大いに緊張する。壕へ入る。猛烈にはじまった。はじめての猛烈さで、高射砲の音爆発音交互で、南から西へかけての空が焔で赤くなった。どこだろう、丸の内辺じゃないか、神田らしい。十一時半から四時半までで一旦解除となり、又一時間したら警報で七時半解除。その時まだ高村さんの側の木の間にせまく赤い空が見えた。細雨がしきりに降るなかに、赤く燃える空、物凄かった。

底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社

   1981(昭和56)年730日初版

   1986(昭和61)年320日第4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「カトリーヌ・メデシス」と「カトリーヌ・ド・メディシス」、「カヷァー」と「カヷー」、「オバーオール」と「オバオール」、「イタリー」と「イタリ」、「ブドウ酒」と「ブドー酒」の混在は、底本通りです。

入力:柴田卓治

校正:富田晶子

2019年528日作成

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