日記
一九四三年(昭和十八年)
宮本百合子
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この間うちの風が珍しくきょうはやんでいる。おだやかな日なり。午後土蔵から『史籍集覧』の本箱を二階へもち出して貰う、全くガタガタになっている。が、匂いをかいでみると楠でそこに入っていた本はごく少ししか虫がくっていない。ちょいちょいと興味のあるものも見出す、永年の間に端本になったものもかなりある様子だ。手を洗い、羽織を着かえ足袋をはきかえ、ああちゃんにつれて貰って出初めを行う。染ものや迄がよかろうという、巴やの前ならちっとも坂がないから。一昨年十二月九日以来満十四ヵ月と十八日目。足もとは割合大丈夫だが道路が反射して白くてやりきれない。人の顔も。つむぎと小浜の染直し。つむぎ十五円小はま十九円びっくりした。四月からは十円以上に三割つくよし(税)裾まわし一枚分五円だそうだ。つい三年前長襦袢を染めたときは七円だった。
かえって早速お茶を二杯ものむ。やれやれと。お婆さんてこんななのかしらと笑った。歩くのに背中がくたびれるというのは初めて知った。
寿江子北向き室で往生し火鉢の灰を入れる騒動している。
きのう、チン、子供を生んだ、俵の中でクンクンいう声がしている。あんなひとのよい小さな犬が母になる、いじらしい。一匹は死んでいた由。
富雄に北斎の富士と歌麿のラッパをふく少女の版画を送る。本から切ってプワプワなのを、ふちどりさせたら二つで一円五十銭。一円位だろうという話だったが。
きょうから又日記をつけ始めよう。そして又何年もつづけよう。
昨夜はソボリンをのんですぐねむり、いい気持だった。夜中の一時すぎ目をさましおなかがすいているのに気がついて食堂へ出て行ったら寿江子も音で起き、牛乳をのみパンをたべるのを手つだってくれた。
隣組箱をこしらえなければと云っている。きょう、食料の購入券とそれにつかうゴム印が来た。(組長をやっているから)
○来月から外食券なしでは外で御米がたべられない。代用食だけ。
○帝大を寮制にするのだそうだ。
○村田の前をとおったら、どこにもカンバンも出ていず、しもたやのよう。どこで洗濯ものをするのだろうかということはいつも話題になっていたが。これでは商売しているとも思われないのに届ければやはりして来る。妙なうち。淋しいうち。
○もらったとき表紙がかたくていやなように思ったが、こうしてかいてみると、さち子さんのくれたこの帖面は、なかなかつかい好いところがある、こんなにしてかくに。
寿江子に手紙かいて貰う。
この間うちから、朝体が大儀で起きにくかったのが、きょうは我まん出来ず、夕飯迄床にいる。背中の肝ゾーの裏の痛いわけ、夕飯のとき皆のごはんをよそっていて分った。椅子の上で体をねじる丁度そこがつれて、いつの間にか一種こってしまったらしい。
肝ゾーがあやしいのではないかと、きょうあたりは神経を相当に立てたが、これで一安心した。そして少し滑稽にもなる。
自分をいれて四人の御はんをよそうのに、いくら健啖と云ったところで昨今のことだもの二度ねじりもしないだろうのに。
自分がひとり気にしてしょげた心持や安心したこころもち思うと可笑しい。
午後、かきもち焼こうとしてお醤油もって来て下さいナといったら、家じゅう一たらしもございませんと云った。
夕飯のときは、非常用と称してこげくさいのが出て来た。
Gどうしていることか。
小さい利口で私に向い、うそでこしらえた話して来て、今かけつけても来られないのだろうと可哀想に思う。おっかさんが万事心得ているのは不快なり。そしてその卑俗さで娘をもあやまっている。律儀さがないああいう境遇の女親がいつの間にか娘をめかけのようなものにしてしまう過程が、あすこにも隠見している。本人はそうしようと思わないでも。
今よんでいるのはピエール・キュリー伝。これも五号で字が大きい。
西村のおばあさんのところへ寿江子お人形と桃の花とをとどけてくれる、上に何と書こう、お見舞もいやお祝いではなし、おとぎとして貰う。
G二週間ぶりで来る。顔色冴えず蒼白みかたが何となし目につくが、本人何も云わず。私も。
ハガキいくつかと放送協会の朗読文の研究応答を少しやる。
泰子のために色紙をかいてやろうとして箱をいじったら初雛に隆二さんのくれたうたが出た。
菱餅や 五人囃の
そのかげに
一葉日記も
おくべかりけり
自分は、この間の朝の鶯のおさなさを可愛く思い
三十一文字が並べにくいのは面白い。
三月一日からすべてのものの税が大変あがった。買えぬということ也。一層いいうたや作品が心に近くなって来る。ただ絵の修業のひとは哀れと思う、キャンバスその他も高いから。
自分は眼がわるくて鉛筆でザラ紙にかき筆でかき、計らず原稿紙以外のものにもかくけいこが出来ている。
増税についての感想で「自然にかえれ」と云っている人あり。
午後じゅうかかって『史籍集覧』の見出し紙をつける。昔の本の不便さや、それをこまごまと手入れして愛読した人々の心持を思いやる。露伴などという人は本の綴じを直したし、虫干しをしたり、そういうことにたのしみを感じられるのだろう。栄花物語、古今著聞集、今昔物語、大鏡、水、増、今など出て来たのは面白い。註解なしでは分りにくいかもしれないが。
土蔵から一緒に出して来たものの中に元禄十三年の出版にかかる『和歌八重垣』というものが七巻出て来た。誰の蔵書だったのか、西村の方から来たものだろう、定家の歌論を根拠としている。末期の和歌が常套に堕してゆく道がこういう指南書にあると思って面白い。
定型類型歌から入ることを定家は初心者にすすめて居る、心に日頃面白いと思う詩なり歌なり思い浮べてつくれというのは『八重垣』らしい。
きょうの主人は泰子だから髪をきれいにかいて、赤い布のはしをリボン代りにつけてやる。
太郎のところへと思ってアルスにサンドの『白象物語』を注文しておいたのが来た。期待したほどでなく、生れかわりや前世のいんねんと云っているようなところ、又子供のテムポに合わぬほど(太郎が小さすぎもするが)美文的自然描写をしているところ満点でないが太郎むきにホンヤクして読み話ししてやったら大よろこび。キプリングの「ジャングル・ブック」もこうしてきかしてやればよいのだと気づいた。非常袋の中に私は忘れず太郎用の本一冊大人用の本一冊入れておこう、もしやけ出され野宿するときそんな本を朗読してきくような場合が決してないとは云えなかろう、そういう心くばりがこの一家における私の独自性であり芸術のありがたみでもあるわけだと思う。
午後、国府津へもって行ってもらう小さいカバンの中をつめる。
原稿紙も湯本いとさんあて送る。
戦争生命傷害保険が明日公表される。自分は入っておこうと思う。万一のことがあってもあちらで困らないように。永年の経験でその必要がわかる。ひとの世話というものはして貰おうとのぞむ方が無理というべし、親切というものは誰ももっているが、その限度は実に小さいものだから。つまりその日その日にそれ丈追われているのが皆の実状也。
窪鶴おとさたなし、留守つづきか。しかしかなりのものと思う。ともかく一年以上ぶりで自分でどうやらかいてやったのだから。
G、きょうは元気なので手つだって貰いよい。栄さんに送るものすっかり揃える。夜余りつかれてよく眠れず。
朝九時に本当に運送屋来た、一台でだめで二度になる。1700、雑司ヶ谷はあとになってしまった。きょうは疲れて何も出来ず、肝臓にこたえた、下痢や玉子のくさったようなおくびが出る。こんなにはっきり肝に銘じるところ、やっぱり昔あれだけひどく患ったききめなり。
あした国国府津へゆくのにたのむもの何も出来ず。
手紙。島田へ行ったらどこよりもよかろうとあり。ああちゃん曰く、男の人は誰でもそんな風ね。
自分、親切はありがたく分るがこまる。散歩も出来ないところはこまる。
伊豆の長岡の温泉宿が十軒とか一斉に廃業。新発足。
○小山銀座の店が六十軒みんな満州へ移ることになった。
「我等の町は中央に国キ掲揚所があって、そのぐるりにバタ・チーズ工場、ミソ・ショーユ製造工場、公園、学校、病院をつくる」
きょうは十日也
五日の午後から床につき、夜に入って悪寒と発熱ともども苦しさ肝にまぎれないので湿布して貰い、目白へ電話した。八度二分。熱より苦しい。全く体が自由に動かせなくなってしまった、折角ここまで治ってこれで又三ヵ月ねたきりでこの不如意な毎日を送るかと思うと、さすが悄気た。
夜中、ミカンのつゆをすってよく眠らず、しかし明方から熟睡して
六日朝はグタグタ乍ら苦しさは軽減。午後は大分ましになり。おかゆ少々
六日 おかゆ、ふの煮たの、パン
七日 少し床の上におき上る(鶴より手紙。こんな世間的に叮嚀な手紙しかかけない自分を考える云々と。)
八日 床の上にいる(繁治さん来る)
九日 はじめて下へおりて夕飯、G来て、ハガキ少しかく。入浴
十日 夕飯に下へおりた。しかし体の工合によると夕飯だけ重くたべるのは何となしよくない感じがする。米がよくない、今はいもが混っているが。ついたべすぎるから。
「笑いごとじゃあありません、この頃はうっかり死ねません、棺もやみ、やくのもやみ、それでも三日はかかる、衣料切符をなくしては死ねない。骨壺をつつむ白い布を買うのは切符ですからね。」
電車が坂下の方へ曲って来たら、あたりは暗いのに、一軒パーと光をあふらして葬儀屋が棺をこしらえている。若いひょろひょろしたのが中へ入ってねてみて、親方にしきりに何か云っている。
岩手の温泉から返事。はたごは三日以上おことわり、と。
どこでもがそうだとすると、もとから自炊を主にしていた地方の方が人気が平らかでよい。それに自分もそういうこと位は却って健康のためによし、心にも体にも。
Gにその話したら、長い顔をした。ふだんやっていることを温泉に行ってまでしたくない気もわかるが。
木炭の話が出て、Hとのことおふくろなれ合ってズルズルなわけなど肯けるところがあった。この頃のような時勢でああいう母子の生活のところへ、米なり炭なり少しゆーづーつけてもらえると、そのありがたさで根本のルーズさをついあいまいにしてしまうのだということ。律儀さの欠けていることはたしかだが、女ばかりの生活の弱さが、こういう形であらわれるということには暗然たるものあり。「西部戦線」に川を泳いでパンとチーズをもって女のところへゆくことがかいてあった。何の力もなく力になる人もないのだと思うとやはり哀れなり。いろいろ考える。
「源氏物語」の時代にしろ、今にしろ、この哀れさの原因(女の哀れさ)一つなり、せめて空保にでも入っておくよう何とか都合してやろう。Hが経済出で百もわかっているのだろうのに何もせず、親のやみを流してとりつくろっているのかと思うといやだ。
湯浅さん来。本の礼だと思って通って貰ったら、西鶴の浮世草紙の書き入れをしたのがないの、何とかないものの不足が出た。それから大沢とかいう男を私がひいきにしたとか、私の人格がどうのと、不快なことを云い出して、私は疲れていたから腹が立って涙が出た。弱い人間は実にいやなものだ。自分が十何年もちがった生活をし、しかも一緒に生活出来ないような別れかたをして、しかも自分が一等よく相手を知っていると自認しているような、自分の感情への甘えかたはやり切れない。大時代な表現は古典ばかりよんでいる故だろうか。率直とか誠実とかを変に鈍感さと混同している。いろいろ親切に心痛もしてくれると思い本も送ったりしたが、やっぱり一寸近づくとすぐ足許を乱してもたれかかって来る。もう御免と苦しい気になる。そして、いろいろ人とのつき合いかたについて考えさせられる。旧い友人は対手がその気にならないときは決して過去にさかのぼった時間的な内容でつき合わず、現在あるところでつきあって行くべきと思う、現在その人の生活が本質的によくなっていても、又低下していてもそれは同様だ。そういう自立的な態度が保てなくては人につき合う実力いまだしということになるだろう。Mが13年に、人のつき合いには、それぞれの限度があるべきだと云ったのは、まさにこの点なり。大いに学んだ。世田ヶ谷へたのむ本少し出す。
きのう、ひどく疲れ、目もチラチラ、しかし期限だから色紙、短冊三枚かく。
○霜はことしも自身の美しい結晶の法則をかえることなくこの地上におりた。
○洗った髪を夜風にふかせながら見ると、手鏡にはさいかちの梢に出た月も映っているのであった。
○みのをはるかな稚い日の思い出を今朝下って来る笹舟がある。
書いたもの、永田町へ届けて貰う。
午後、てっちゃん来。すっかり経済上のこと話して托す。これで、よほど安心なり。夜よく眠るようになった。かえってからmへ手紙かく、長い長い手紙。切手三枚の書留。
三十分ばかり、本のことやる。
チンの仔はじめて見た、コロコロで健之助に似て可愛い可愛い、大事にしてくれる人にやりたい。
この頃健之助、美しい赤い顔して実に愉快だ。丈夫な子のきれいだこと。
仁多見氏のこと戸台さんにきいてやる。三朝のことケイオーにきいてやる、何だか仁多見氏のこと、ゆきそうに思えるが如何。
これと同じ帖面はもうないそうだ。この形のを自分で綴じてつかっていいのだが、紙があるかどうか、本当にこれは気持よい形だ。
網野さんの「妻たち」は質実な立派な小説だ。立派と云える小説がこの頃すくないから、こういうものをかく人がいることはうれしい。
いろいろ小説がかきたくなって、昨夜はそれこれと考え、夜明けて牛乳をのんでから初めて眠った。
こぶしの花。
三月下旬から四月にかけて。
○雨がふりつづいて晴れると、きつい風が吹いている。ガラス戸がカタカタ鳴る。雨戸をあけた途端、さっと幅ひろく風がふきこんで、廊下の柱にかけてある花(山吹の新芽と紫の矢車の花)が、くるりと一まわりした。そんな風。
○チカチカと光る白いこぶしの花
○子供の笑っている顔
○GとFとの友人関係、奈良で興隆寺の仏像の写真をF買う。「これをやろうと思うわ」「却って怒るわよ、お金がないってわかっているのに、そんなものやると気をわるくするわよ」
Fにはそれが妙で、かえってから「でも私やっぱりやるわ、きっとよろこんでくれると思う」「じゃそれがいいわ」そしてそれを持って来るのはG。自分はラファエリーの色刷を私のために買って来ている。
その話あとできいて妙に思う。そのとき「あなた、いくらもって行ったの?」「姉さんが門司までの旅費五十円くれたでしょう、それからおかあさんにかり」と云いかけ「自分のを四十円もって、Hさんが三十円くれたの」「おやおやじゃ相当あったのね、よかった。Fさんはいくらもってった?」「三十円なの」と一種の顔する。
「あの人お金おとすのよ、十円札やなんかヒョイヒョイおとすから、あぶなくって仕様がないから、私皆あずかって出し入れをはっきりするので、相当厄介だった」自分はおもしろい人だと思って「ふーん、そういう人なの!」と云った。「じゃあの人ピーピーで写真かえなかったでしょう?」「あとから注文するって云ってたわ」けろりとしている。おそらくHにやるらしいゴッホの糸すぎの色ずりなんか、その他どっさり自分は買って、その袋何だか積極的に見せない。
「Fさんの引越したうちへ行って見た? 日当りのいい部屋だってね」
「ええでも先から知ってるの、とってもひどい階子よ」
倉敷で本を買って来て私に一冊くれ(代金こちらもち)あといく冊か「これはうちの」とかくすようにする。「一寸見せて」というとイーリンの『書物の歴史』などある。Fさんの妹たちにやる云々、何か自分いやな気の毒な気になる。「ああこれがあったの」と『書物の歴史』手にとると兢々とした眼している。
Fに「あなた奈良で胃が苦しかったって、過労したのね」「ええ、とっても苦しかったの」
そのことGと話す
「あのひとは弱いからね」
「そうよ、とってもよわいわ、しまいには私がにくらしくなったんですって、いくらでもあっちこっち見て歩こうって云ってばかりいるもんだから」
そして心から満足し、はたで知れないよろこびに胸がふくらんだように、テーブルに両肱をつきながら胸をはって微笑した。それが何かまともに見られないものをもっている。
砂糖を一貫目十六円でわけるという友達がある。ときいて二貫目たのむ。
「そのうち何が商売なの?」
「さあ」
今になって見ると、それは学校の友達ではないのかと思える。あんな経済の子に云うと思えず。やはりHの方か。知らずに気をよくして欲しがっているかと思っているのかと、いやになる。二貫目買えば少くとも一割はよこすと計算している性根見えすいて。
こぶしも白い木蓮も梢の上の日あたりのところから咲き出す。
雨あがり(朝ひどく降って)の日没頃、もやがすっかりこめている空気を西日がてらして金色の粉ぽい光。子供が
「ねえ! 見てってえば」と夕やけを大人にしめしている。
「珍しい夕やけね」
「きれいだろ?」
自分のほこるべきもののように。
段々夕方が長くなり、雨戸をしめるとき、夜をしめだすという感じ。
六時すぎても薄明の柔かい美しさ。
私にむかってあれこれとこまごま嘘を並べる心根。
○樫の木の間の乙女椿。西日、雀の声。赤い楓の芽立ち。
○五日の夜の警戒警報。子供をつれて、フロに入っている。
○リュックをつめる。本を入れる、アンデルセン 夜のうた
○子供が国府津へうつる話。
(太郎なりに責任を知って育てなくては駄目だ)よけて育つ人間は役に立たない。
○その相談、留守番のこと、自分の病気の直しかた。
そろそろ七時になろうとする頃。光線の工合で樫や青木やの葉の茂みが藍のこい緑に重なって見える間に、乙女椿の桃色の花が、平常よりはこれもいくらか、涼やかなかっちりと少しやきものめいたつめたさで大変美しい。
○目白のうちの空虚さ、責任だけあって実質のない。今の方の嬉しさ。子供のこと。
◎今年は誰も桜の咲いた話をするものがなかった。
──誰も云わなかったねえ
──桜なんか見て歩いてたらつきとばされちゃう。
えんじ一色に芽立った楓が梢の上の方から、段々柔かいみどりの稚い葉をまきひろげはじめて来る。
底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
1981(昭和56)年7月30日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:富田晶子
2019年2月22日作成
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