日記
一九四一年(昭和十六年)
宮本百合子
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今年の暑気は大変にこたえるように思う。みんながそう云う。
八百屋へ行ったら、まだ午後三時ごろだのに、がらがらんで、青じそ少々、人参少々、玉ねぎというようなものばかりがのこっていて胡瓜なんか、ひどいへぼが三四本台の上にころがっているばかりだ。「あしたは公休日の前日だから、いい時間にいらっしゃらないと何にもありませんよ」
○ちゃんが愈〻明日出発。朝東京からその弟へあてて、手紙が速達で来た。のこしてゆく若い細君に筆まめに手紙を書くように、良人からのたよりこそ留守の妻への唯一の慰めと励しなのだから、他人に気兼ねをしたりするなどはいらないことだ。むずかしいことを書くには及ばず、様子がわかるようにさえあればいいのだからと云う意味が、生活経験によってもうためされたつよい明るい実感をもって語られている。
その手紙を私も見せて貰う。そして、その文章にこめられているおのずからなつよい響を、妻として自分の胸の裡につたえながら二階へ上って来た。
八畳の方へ、お客用の白レースのテーブルかけをかけて机が出ている。この部屋は、○ちゃんの婚礼のとき、内輪の披露にお客をしたりしたせいか、何年間もこわれたままになっていた床の間の横連子も新しくこしらえられ、電燈のかさも、奇麗な透し入りの新しいのになっている。
机の前に坐っていると、目に入るのは、六畳の方の窓からの外へ杉木立、夏雲、村の牛乳屋の細い煙突、二つ三つの藁屋根と、その傍にゆれている薄叢。その窓のある部屋のつき当りの壁いっぱいに大きい箪笥と、牡丹模様のついた新式長持とがはめこんだように並べられている。どっちにも紫の房が垂れて、いかにも若く初々しい花嫁の道具という風情である。
こういう若妻と生れて三ヵ月にならないくりくりした男の児とをお母さんの許へのこして、再度の出発をひかえている○は、自分たちの生活にもたらされている新鮮な愛情のために軽薄であり得なくなっている物腰で、義弟のそのような姿は私の心に様々の思いもおこさせる。
兄は良人である弟に度々たよりをおこたるな、と云ってよこしている。だけれども、妻である若いお嫁さんは、いつでも自由に手紙をかく時間をもっている日々の暮しだろうか。
それこれ考えながらそのお道具の紫の房を眺めていたが、○ちゃんの机というものが家のどこにもないことに心付いて、何か駭然とした。
こんなに道具や着物がそろえられてある。でも机は一つも持っていない。親たちも、こっちのお母さんも本人さえも其を怪しんでいない。女の生活とは、どういうものだろう。こんな若い、こんな素直な娘が、自然のときにしたがって妻となり、自然のときに従って子の母となってゆく。だけれども、祖母さんとお母さんとがそれは持たずに嫁入って来たとおり机というものは持っていない。女の生活とはどういうものだろう!
○ちゃんが中の間のところで、土間からこっちへ腰かけて、おむつを畳んでいる。わきで手つだいながら
「ねえ○ちゃん、向う座の部屋の隅に一つ机があったらいいことね。ちょいと坊や臥かした間に手紙かけるし。──」
「はあ、そうやったら、ほんよろしうございます」
夕飯がすんで○ちゃん向う座の部屋の掃除をして、フマキラを撒いている。小さい蟻が出て坊やをかむと云って。
「○ちゃん、いいこと考えたわ」
「何でございます?」
「私たちのおくりものに、机あげようと思うの。お兄さんが折角○ちゃんにああ云われたのに、あなたがちょくちょく手紙書ける条件こしらえたげなけりゃ駄目だからね」
「まあ、うれしいこと」
そのしんから嬉しそうな眼と笑顔の口元とがいかにも二十二のひとの真情に溢れていて、いじらしく思えた。
○子と一緒に室積へ行く。この頃は野原も躍進都市になったからバスは昔のように、どこででも手をあげたところで停ったりして呉れない。三年前に来たとき、大きいシャボテンの紅い花が咲いていた雑貨店の前でなければ止らない。傘さして歩いて行きかけたら、うしろでもうバスの音がする。駈け出す。大いにかけて、やっと間に合って乗る。私が駈けたと云って○子大笑いしてよろこんでいる。
室積というところは昔船着場で、北米廻送店の娘だった宮本のおばあさんは、ここで生れ、近年までその家との往復があった。どんなところだろうと思いながら、今年になって、机を買いがてらやっと行く。
バスは、新しく出来た病院、瓦斯会社、人夫の合宿所、もとは避病院だったのを直して今は特殊な女たちが特殊な需要をみたすために置かれているところだのを通って、やがて松林に沿うて走る。松の古い林の間を郵便屋が赤い自転車にのって行ったり、子供を抱いた女が歩いたりしているのを見ながら、すぐ松林の外の往来に砂塵をまきあげてバスは走る。
僅か十五分で終点。そこから半町ほどで小型デパート。そこから又半町ほどで町で一番の薬屋。そこから三角になった古風な町筋をぬけてお宮の前を右へゆくと、すぐ波止場があって、室積の内湾が夏日に海面を燦めかせている。
小さい発動船が二三艘もやってある。水瓜をどっさりカマスに入れたのを、赤銅色の若い者が二人でどこかの船から荷あげしている。いかにもなぎで、波らしい波もない。すぐ石垣の急な段々を一段一段用心ぶかく下りながら、鉢巻をした爺さんが、発動汽船の油の罐をてんびん棒でになって、小舟へつみこんでいる。微かな海の匂い、気発する油の波止場らしい匂い。心持がいい。
右の方に昔の船つき場の石垣が見える。そのむこうに女子師範の木造の校舎が眺められる。そこからずっと岬がのびていて、ここの内湾は内海の内のまた湾という工合になっている。
岬のこちらからは見えない側に観光ホテルが出来て、そこは海軍関係のひとたちの出入りするところとなっているそうだが、野原あたりとくらべると、ここは新興の熱い亢奮の中心からややはなれた感じで、気分もさほどたかぶっていない。
近いところから遠く、更に遠くとつらなっている瀬戸内海の島々の霞んだ景色を眺めていたら、この前○ちゃんが出征したあと、母さんと金毘羅さんへ行くとき尾道から乗った船の旅を思い出した。ボーイは何となし曖昧にずるくていやだったが、船はいい心持だった。又あんな小さい船にのって、こういう海の上を行ってみたい。松山へ行って見たくなった。船へのって行ってみたくなった。
室積は何百年来の町筋のままで(少くとも今日までのところ)来ていて、バスの通う大通りにしろ、二台並んで通ることは出来ないせまさだ。ちょっと奥へ入った町筋は落付いて、趣もあるらしい。
机をセイキという店で買う。坊やが小学に入ってからずっと使えるように、あたり前の勉強机を一つ買う。十一円五十銭也。セイキの婆さんは、古くからある店の神さんらしくもなくさばけなくて、どっちかというと因業な顔つきで、襷がけで、五十銭札のうすきたないのを、ねばるように一枚一枚、細工場のベニヤ板の上へ並べて釣銭を出している。野原まで運ぶのにいくらか貰わにゃ、とぷつぷつ云うと、年よりの番頭が、そりゃええ、あすこまでじゃったら自転車でも行けるけに、と、職人らしくあっさりしている。「この頃は商売人の方がつよ気じゃから」婆さんの云い草也。この町の到るところには「売ってやる、買ってやるは、やめましょう。山口県」という紙が下っているのである。
室積の町の旧く建てられた家はどこも海からの風向きを考えて居ると見えて、どこでもなかなか涼しく出来ている。すこし大きい家は中庭づくりになって、土間が関西風にずっと裏までぬけている。
菓子類、かんづめ類どこの店にもなし。八百屋の少いのにおどろいた。魚屋も。乾物屋兼土間にすこし野菜を並べている店で、茗荷の子があるのを見つけて珍しく、五つ六つ買う。机の上に○ちゃんの写真でも置いたらいいだろうと、緑色縁の写真立てを買う。
十一時五十分のバスで野原へ戻る。
野原の村通りも全く面目を改めてしまった。去年はまだ人影も疎な村道だったのに、もううちの隣りの本屋からはじまって理髪屋、雑貨屋、文房具屋、魚屋、飲屋の赤提灯ずらりと軒並の店で、バスの停留場前の雑貨店は百貨店式にガラスのショウ・ケイスをいくつも並べ、資生堂の化粧品、ネクタイ、バッグ、ホームドレス、パラソル。いかにも若い職工さんだの女事務員たちの眼を惹きそうなものを並べて、その店に下っている化粧品広告の提灯の赤や水色の短冊は、海からの涼風でひるがえっている。
夜。夏祭。通りへ提灯をつける番がうちだというので、おばさんは○子にせき立てられて出る。裏のお宮からくり出した行列が、豊作祈願のために田めぐりをするのだそうだ。そして、お宮へ戻るとき、村の男の子たちがお宮の石段に蝋燭を並べて待ちかまえていて、行列が見えると一斉に灯をつける。その灯の色は夏の暮れがたに美しく輝く。
今年の行列は、てんでんばらばらになってしまって、丁度退け時の人波の間にもまれ、羽織着の中爺さんが気のない日やけ顔で大きいこしらえものの矛だの、苽だのをかついで通る。どこにもお祭の気分はない。年々めぐっていた田の大部分は、厚く高い塀の中に埋められて、豊作を祈るという素朴な村の感情は、製材所のおかみさんが椅子テーブルで帳づけをするような村の昨今の現実的な生活気分に場所をゆずってしまった。景気はもっと近代化した波動をあからさまにして人々をうっている。
夜線の方が灯らないそうで、門口へ出て見たら暗い往来に、織るような人通りである。若いものが溢れている。暗い往来の七八間さきの何かの店頭から煌々とそこばかりに灯がさしていて、そこの前の材木のところで白い浴衣の若い男が一人、格別仲間もなさそうに手旗信号の練習をしている。店からの灯が、動く浴衣の袂だの手だの、その男の体の前半分をくっきり、夏の夜らしく際立たしている。いかにもよそから来てその辺に泊っている男らしい。
少しぶらぶら行って見ると、地蔵さんがあって、真暗ななかに線香の赤い灯が見え人影がうごめいている。
○子たちが友達をあつめてトランプして遊んでいるから水瓜たべさせてやろうと思っておばさんと○子とがつろうて買いに出たが、もう店をしめてしまった由。(十時ごろ)
水瓜がいります、もしもし水瓜がいりますちゅうて、おろうだけれど、はアおきまへんで。
来年から、祭はやめるのだそうだ。
東京のうちからの手紙に、八百屋には玉葱ともやしばかりです、と。
ここでも、(島田)素人が市で買ってはいけないことになった。
牛乳屋が会社になって、ここの村の牛乳屋は、はあ搾り専門でありますと。
前のKさんのところでは、今年は兎が見えない。その代り、どこかで畑つくっているそうで、今朝は胡瓜を市へ出してみたら六本で八十銭になったそうだ。
こっちの胡瓜は実に大きい。それでも、種が少なくて質は上等で美味い。
午後のかんかんの炎天で、秋本医者の新築の屋根を職人が二人で葺いている。
株に熱中して、一向信用のなかったひとだがいい医者が皆出征してから三年間に、こうやって今新築をするということに立ち到った。無医村ということについて人々の注意が向けられている。だが有医村であって、実質上無医村に近いというのも困ると思う。医者は医する力をもっているべきで、医さずして新築するべきものではない筈なのだから。いろんなインフレーション。
底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
1981(昭和56)年7月30日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
入力:柴田卓治
校正:富田晶子
2019年1月29日作成
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