日記
一九三九年(昭和十四年)
宮本百合子
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起き初め
普通の御飯のたべぞめ
病院では元日には先生がた出て来る。外科では恒例で手術室で福引をするよし。やっぱり大して品のよい文句もないらしい。木村先生盲腸切開、指が入らない、というので子供の指環を当てた人があるよし、これなど上の部。
夜寿江子、島田のかつらをかぶって振袖でやって来た。病院でこんなことをして遊べるのもいいようだが、今度はここの病院のそういうのんきさが却って苦しいように思えた。聖路加では二時─五時面会時間区切って、一日二人位にきめている由。本当の病気のときはそれでないとやり切れまい。廊下も実にざわめいているし。い号の下は軽症が多くてざわざわしているのだそうだが。
風呂に入り初め
やっと髪を洗う。本当にさっぱりした。十二月に入っては天気が寒かったところへ風邪で二週間だめで、とうとう洗えなかった。病院の中は乾しやすいし風邪の心配もない。
大きいおなかの上の小さい創を写真にとる。
病院のなかを散歩し初め。
○これまで仰臥して傷を見ていた。それは小さくてこわくもなかったが、いよいよ起きて立って鏡にうつして見たら、やっぱりおなかは切っては悲しいと思う。白く、大きくつるりとしていたおなかに、こわい凹みが出来て、傷である。決してないようにはならない。それをまざまざと感じ、心の傷とこういう傷と比べる気になった。こういう傷をもし心にもっていたとしたら、何と切なかろう。何かにつけそこにふれる、するといつも特別な感じで感じられるという風であったら。
この辺の日記は手帖からうつす。きょうからガーゼにおつゆがついていなかった。大出来なり。十日にかえることにきめる、と書いてある。
mからの第一信、やさしい手紙。終りに今年もよく学びよく慰とかいて消して力になってと直して書かれている。この字が消されていること、そして自然そういう字が出たところに何か云いつくせぬものを感じる。
夜急にゾーゾーとかぜをひくかと思ったが無事におさまった。あしたかえると思うと落付かず。うちで誰が待っているというのでもないのに。これで、家に旦那さんの待っている妻君であったらどんな心持がするであろうか。そんなことを考える。
先に、市ヶ谷からかえっていきなりい号の下に寝たとき、ひとは家へかえって眠られないという。それはそうだろうと思い、だが自分はこんなところへかえって来て眠れる、と思っていたら眠れず。二晩薬をもらった。そのときのことを思い出した。誰が待っていなくても眠れず、誰が待っていなくても何となし落付かない、そこに何だか人間の哀れさ愛らしさがある。
本日午後退院。うちの寒いのにびっくりした。0度なり。庭がすっかり霜げているのにもびっくりした。
Sweet But Cold でアイスクリーム・ホームだねということになる。
うちへかえっていつものところに座ると、気持が病院とはすっかりちがって来る。責任を感じだす。中心であるという気になって来る。
文春より原稿をかけと云って来る。書くつもりなり。本年はすこしは書けるようになろうか。しかし、それで生活するだけは書かせまい。農民へと同様、生かさず、殺さずの口か。
うちに落付かず。終日茶の間で暮す。栄さん来。てっちゃん来。赤ちゃんの片目に白いくもりがかかっている由。
ひる頃国、来。いろいろ入院のときあずけたものをもって来てかえし、御慶祥とした包みをお祝としてくれた。100 入っている。珍らしいことだと思う。
毎日風がひどい。寿江子むくれ面をしておきて来る。きょう西巣鴨へゆくのかゆかないのかとジリジリしたがだまって辛棒していたら気をかえて出かけた。十七日には行ってもよいとなった由。
ひさ、バラさん、日本橋の方へ呉服ものをかいに出かける。六時頃、ヘコヘコになっているところへかえって来た。成程やすいやすいような柄でもある。
第五信をかき、その中でもう計温は御かんべんとかいたら、又計温表をよこせとのことづて。もう必要はないと思う。
夜着物を裁ってあした縫わせに出す仕度。Sのボロボロ姿には遂にこちらが降参した形なり。
やっちゃん来る。すっかり女の児になっている。母さん甲斐甲斐しくおんぶしていて、いい心持がした。栄さんの小説のせぬ由、それもわかるが。
〔欄外に〕
この頃は毎日入浴している由。それはよい、大いによい。病人は毎日入れるのかしら、我々は週二回だったが。
本年はさむい。
Sおんぼろを着てボーボーの髪をして片手をふところ手をして雑誌見ている。腹が立って来る。Sのこれが一番きらい也。よそへ出るとき、惚れた人間のためなどにだけきちんとする女というものは度しがたし。バラさんもS気がゆるんでいてまことにだらしない。もうすこしの我慢。
○あっちこっちへたまっていた手紙をかく。
○栄さん十五年(結婚)と云い自分たち足かけ八年目故この日記の家庭のところ見たら、もと生れ月の宝石や結婚記念日を書いてあったところに、スフの知識というのがわりこんで来ていて、さがしているのは消えている。家族の何等親というのが図表で示されていることもこれまではなかったと思う。
〔発信〕第六信
〔受信〕十三日づけの第三信
『はたらく一家』の序文をよみ、なかの小説二つよんで感慨無量である。この作者と自分との間に一縷つながっているものがありそうに思っていたことがはっきりと切られた。稲ちゃんや自分などというものは、真面目に真面目に沈潜して、しゃんとしたものを書いて行かなければならない。しんからそう思い、胸に涙のにじむような気持になった。
過去の何年かの間この作者を下へ下へとひっぱりつづけていた力が遂に勝利を博した。客観的なこの事実を本人はそう思わず、四十になって書けることがわかって安住したように云っている。
初めて面会に出かける。一時間余待って、十分と少し話す。つかれた。m、元気そうに見え、よろこびが顔に溢れて居り、その光りでこっちの体があたたまるようであった。
かえりに、車をまたせておいて御木本によってバラさんのために指環を一つ見た。15.00 ジャーマンベーカリーに休む、こしかけた途端、ヤ、これは──と挨拶したのは例の本や氏。
まだ歩くのに寿江子の腕につかまっている。おとなしい。
○帰ったら太郎とアアちゃんとが来ていて、あとでダッチャンも来た。太郎と遊ぶ。どてらをかぶって。兎(太郎)私は雨、風、雪、オーカミ、火事になる。
白揚社からバッハオーウェンの母権論を富野敬照という坊さん出らしい人が訳している。訳者の態度は至極アイマイである。働く女は近代父権下の lady のような隷属はしていないというようなことを、この複雑な今日の現実の中で、ある種の考えに役立てられる危険をもって云っているし上代神話と結びつけているし。六枚ばかり批評をかく。先駆的古典としての価値を明らかにすることに力点をおきつつ。
どうしたことかという程お客が多くて多くて、夜は口の中が渋くなるほどくたびれた。蓊助の話。困ったものだ。奇人だということになったと父親に云われた由。これはまだ文学的表現だ。弱くて甘える(自分の気持に)傲慢さがあるのがすべての起源となっていると思う。
T、すっかり丈夫そうになってつやのよいほっぺたをして、いい。ちっとも文学的なところのない女のひとのさっぱりさ。
戸。カフスボタンでいいということになる。『文芸』で日記をのせようということになった。K。実に内面的成長の可能のすくない人だ。
〔発信〕第七信
もとの屋根の見えるスケッチ二枚
〔受信〕十八日づけの手紙着。
○寿江子をおがみたおして、二階からもとの家の屋根の見える景色を描いて貰って、光子さんの分と一緒に送る。
二階にいたら珍客です、というバラさんの声。稲ちゃんと栄さん。二人とはおどろいた。二月十三日には何かしてくれるらしくて、のばしたなんて云っちゃ駄目ですよと云い笑っている。うれしかった。久しぶりで文学の話をする。「はたらく一家」のことについて。「北ホテル」との比較。Mの女の思いあがりの妙な工合につき。『文芸』の人物評論につき。栄さんの小説につき。この春の原稿の要求のまとはずれさについて。谷崎潤一郎の「源氏物語」和訳のうしろの和訳について。五時までいてかえると云っているうち、きいてからかえりましょうか、と角力をきき一番おしまいが勝負つくと、サァかえりましょうとかえってゆく。久しぶりでいい気持。いい気持。実にこの位のひとはすくない。
○正に手紙を出そうとしていたところへ電報で、その手紙をさしひかえる。
○寿江子の思いつきでmの着物の役に立たなくなったのをはぎ合わせて Bed Spread をつくることにして、大島と八端とを出して切り合わせた。
○床に入ってからいろいろ書くものについて考える。小説ではかきたいもの一つある。しかし一つしかない。それがいろんな条件との関係でどうか。わからない。書いて見ようと思う、いずれにせよ。
面会。五十銭の切花を入れる。バラとフリージアを入れる。五十銭なら花の注文が出来る由。「それから花を入れたいって云っていたろう。切花にしてくれないか、切り花の方はあいているから。」同じように、やっぱり一枝は新しい花もいいし欲しい心持。すっかりしぐれて来てしまって月どころではなさそう。
「ユリの薬きけそうかい?」瞬間何か分らず。すぐ思い当ったら顔が赧らむのが自分に感じられるようだった。「きくわ、時々はききすぎる位よ」笑って「マア適当にとるがいいね」こういう表現!
夕方音を立てて雨が降って来た。mの外套について光る雨のしずく、傘の下の顔などが見える。この雨の音。同じに耳を傾け、この雨の中に傘をさして出てゆく心持だろう。私が濡れた? ときき、立って外套をぬぐのを見ている、そういう玄関の光景が見えるだろう。
夜星夜になった。夜寿江子何かたべようと云い、しかし自分ブッテルブロードしか考えられず、それが胸に一杯で到頭つまりは何もたべずしまいになった。
〔欄外に〕
八年目には、Week day は同じでも旧の月はちがうということがわかった。旧の四日月では夜見えないわけ。
ああさん来、大塚の方にある家の話が出てすっかりのり気になって、そういう事情になったらぜひかしてほしいとたのんだ。寿も大よろこび、云うと出来なくなっちゃいそうでこわいと口をおさえて目玉ギロギロさせてのぼせた。私も相当にワクワクなり。ここの家ではどうしても女中さんなしでは一人でやってゆけず。そのように二台連結の家があったら二人とも工合よくやってゆけるだろう。寿も自分の家が欲しくてたまらないのだから。
〔発信〕第九信
〔受信〕一月二十三日の手紙
寿、フランスの小さい詩に曲をつけている。一寸よむ。やはり年や内容の単純さと技術の単純さが出ていて興味がある。それでもこうやってこんなものをかくと文章で云えば小品文の手習程度だが、やはり特別な心持がする。姉妹二人で愉しき貧乏をして勉強してゆきたいと思う。
きのう面会に出がけ、タバコやに下っていた札を見つけて電報をうった。その家とってもいい家よ! と栄さんと二人とびこんで来た。片と山さんと来。又あとから滑という人来、てっちゃん来、その家、南向、二階八・洋六・四半・六・三で、どの室も独立している由、48、かすか、かさぬか、半々との意見。そんなにいい家をひとがとってしまうの欲しい。寿が一緒に暮すなら、その位のでないと迚もやれそうもないと思うが秋までただねかしておくのも負担であるし。
〔発信〕第十信
〔受信〕一月二十七日づけの手紙、第六信
○日記十枚五日分「寒の梅」をおくる『文芸』。
○「灰色のノート」。なかなか考えて書いている。但、少女の内的圧迫から生じた病気をクリスチャン・サイエンティストの力で直すみたいなところはいや也。
○ひさ林町に手つだいにやる。
○記録を送って来る。よみはじめる。mいつかいった「大衆小説のようなフィクション性だが云々」その意味がわかる。
〔発信〕栗、記録追加の件につき
〔受信〕下落合の家やっぱり駄目であった由。
「少々くさっています」無理もない。
○林町、父の三年祭。日本間で。夜、青山へまわってから延寿春で御飯をたべる。夫婦、太郎、バラ、寿、自分。目白まで送って来て貰う。
○林町の家の手入れ。なかなか工夫して、金をよくいかし、仰々しくなくて昔の俤もとどめているので、いい心持がした。国男の細かいところが積極的に出ているのでよかった、そう国にも話した。庭などゆったりして。
もと日本間にあってちっとも活きなかった装飾棚などホールにおいて、いかにも美しい。上に私の真鍮のキャンドルスティックが飾ってあるのもよく調和している。これまでもてあつかったようにしてあったものが皆そうやって光って来て、心持よし。美的快感の一種。
○かえって大体記録よみ終る。
〔発信〕茶の間のエハガキを送る。スケッチは書画! で入れない由。
mの黒曜石のような眼。そこからほとばしる火花の美しさ。魅する力。やっと言葉をつづけるようであった。mの精神や情感の抑揚の活々していることは、実に独特の味であると思う。目を丸く四角くしたようなときの内容。愉快で陽気で笑いが近くにあるときの顔色。そのときのうなずきと瞬きかた。そしてきょうのような表現。年々に蓄えられてゆく我々夫婦の生活の内容。
○又風呂がくすぶって燃えぬ。出て見る。石炭はコークスのように軽くなって一杯つまっていて燃え立たない。煙が出ているかと思って煙突を見上げたら、月が出ていた。そして、ちっとも風がなくて早春らしい夜である。木々の芽立つ匂いをかぎながら しっとりとした夜を歩きまわって見たいような夜。モスクヷの五月下旬の公園の夜の空気を思いおこした。あの匂いこまやかさ。
○伊東やに欲しいブックエンド一対あった。
〔欄外に〕
面会。
○浅野先生に Book End おしどり。
○木村先生にフランスやきの小花瓶
「なるたけ近いところの方がいいから」きょうも云う。大塚の家の話。
そしたら又一ノ三〇何番とかの札出ていた。あしたの朝早く行って見よう。
隆二さんに八年ぶり。
かえって来たら栄さんがいて、原さん一昨晩から陣痛を催しているが、まだ生れないとのこと。大塚病院にいるとのこと。
何か落付かず、見舞に出かけて二階の階段にかかったら、うしろから上着をぬいだ重治、すこし小刻みのように歩いて来て細い声で、生れたよ、生れたよ。大分うれし、つかれた様子。泉さん、まだ産室にいて、ほんとうに今度は最後の力をふりしぼりましたよと云って涙を出した。赤ちゃん七百八十匁。まとまった顔をしている。女の子。名はまだ考えてもない由。大手柄大手柄は御苦労様だった。
○かえって栄さんの小説をよむ。
○赤坊を生むということが今度はうらやましかった、切開したりして却ってそういう気持が肉体的にわかるところ面白い。
○実に綺麗な夜空で月と星とが天の飾りという燦きかた。
〔発信〕栗さんへ電話をかけて会いに行ってくれとつたえた。
第十一信
○原さんのところへおひたしと鯛のさしみを届ける。
○面会、きょうはどうしたのかもう一人、いつか野原の小母のとき立会ったのが立ち合っている。(電報が来たので急に)
○神田の本やへまわる。
○林町。寿江子の経済のことについて話をきめる。咲十八日に帯の由。こんどは前のときとちがって悪阻もすこしもないらしいしよく働いているし、いいだろう。
○かえりに実によい月、満月、護国寺のところを来ると、遠く家々の灯が赤く見え、建てかけの小バだけ葺いた屋根が霜でもおいたように白くぬれて見えた。
〔欄外に〕
用事は栗林のことであった。
これは三日の分を間ちがえた。
○夕方より雪。牡丹雪がふる。段々つもって雪あかりになって来る、夜の雪空の色、きつい武蔵線のスパーク、柔かい櫟の梢の重いひろがり。真白になったところへ黒い一本直線をひく自転車。雪の匂い。亢奮した。
○『三田新聞』のために日本映画の観客につき、「観る人観せられる人」七枚書く。
○夜テーブルに向っていたら電報。宮からかと思ってきき耳を立てていたら小川氏より
「ゲンコウイマパスシタ」グンコウとある。それでも電報を打ってくれたのはうれしい。早速手紙をかく。
○達ちゃんへ慰問袋を送り出す。「国際知識」「デビッドの生い立四冊」「愛の妖精」「荒野に生れて」「映画雑誌」花王石ケン、手拭かんづめ四つ。
○七草会、野田経済研究所長という人の話。こういう大づかみの説でやって行ければ、万事O・Kですむであろう。
○奥村五百子の映画についての座談会。木内キョウ氏や婦女新聞の奥さんや、身の上相談の夫人やら清谷閑子女史、高良さんやいろいろ。ああいういろいろ□考にどうなるのかしらと稲ちゃんと話す。シューマイのおみやげ、ハンカチーフのおみやげ。卯女という中のの赤ちゃんの名の話をしたら、アラー、それ、吉屋信子の「家庭日記」の主人公の名ですよ、という。それにウメというのはいや也、どうしよう。だまっているしかなかろうか、ということになる。かえり寿司を一寸たべ。
新潮賞一千円の候補に「くれない」が上っているとのこと、「くれない」に賞を出すのは文学のために結構だ。そして千円あたればいねちゃんや私のためにおめでたい。
○小説の話をする。よかろうということ。
〔発信〕第十三信
〔受信〕二月六日づけの手紙
○てっちゃんよって呉れる。手紙のずっとためてあったのをくれる。一昨々年一本。一昨年一本、去年よこし今年一本。
○原さんのところへ見舞にゆきやはり名のこと話してしまった。稲庭という家へデンワかけ、中野さんにこっちへかけてくれとたのむ。九時迄と云って。夕飯までかからず。てっちゃんのところで夕飯をたべると云い、熱っぽいと云って早くかえった由。電話がかからないで、あした妙なことになるのではないか、夫婦が。何だかそう思うといやだ。もしかからなければ役所へかけるしかあるまい、朝。
○晴天。だが、雪が北側の屋根の斜面や往来に凍ってのこっているために、風はつめたいし冷える。雪が凍った坂で男の子が棒切れにのってスケートの真似をしている。
〔欄外に〕
S、昨日より林町。はなれに一ヵ年ぐらいくらすときめ、昨日国への手紙をもって行った。そしてかえらぬ。こっちにいると思えばこっちにい、あっちにいるとなるとあっちにいつくところ、何だか哀れで、そしてすこしいやだ、可哀そうのようで。
かえりに文房堂へまわる。ペンを十三日のために買おうとして。グロス 4.50、二箱で 9.00 びっくりした。鉄 3.80、アルミ 2.50 というので御試用に二本ずつ買って来ようとしたらサービスでくれた。
onoto を一本 12.00 買う。ペン先がなくなったときの用心。ガシガシで紙は益〻ひどくては書くのに弱るから。
ついでに栄さんの十五年記念のために Book End を買う 3.50、一対で一つというところで。ちょぼちょぼ買もので 25.50 也。目玉とび出す。かえりにひどい風で閉口した。
m、「金の矢というようなことをかくと、どういう状態なのかと思うからね」「それについておきかれになったの?」「きかれはしないがあり得るから」そして小さい声で笑いつつ「ユリは天真ランマンだから」
栗林氏面会したと云ってよる。m、スパイ殺すなというレーニンの言葉を引用して当時の『赤旗』にも書いていると話した由。そうであろう。
〔欄外に〕
面会
山崎氏に会う。
mの言葉「生活というものは背水の陣をしいてしまわなければ落付けないものだからね」寿の生活態度について云ったのだが、なかなかうまみある。自分に即していろいろと考える。どのように自分のボートはやいてあるかという点について。
○やくボートを持たぬもの
○やくボートをもってやかぬもの
○ボートはやくべしと知ってやき切るもの
○これ一艘ぐらいはと思っている者
○何故やくのかね、おれのボートは持っているにふしぎはない、というようなの
○一艘もなかったのにやっと出来たこれを! というもの
例えば落付いて仕事したいと思う。その心持。だが今の条件で落付かなければ、ほかにどのように落付けるというのだろう? そういう自問。
○白水社へ「チボー家の人々」の感想三枚。
〔欄外に〕
○去年の落付かなさ苦しさ。今考えるとあの状態の中に腰をすえ切っていず心のどこかで違った状態を描いていたからだと思う。描くのと、作って行くのとはちがうから。
〔欄外に〕
面会
こわいこわい調子、わけがわからず。一昨日とあんまり急にちがうので。
家さがし。ナシ
〔欄外に〕
面会、あの顔。
やはり原因がよくは分らない。私の知らない腹の立つことがあるのだろうか。
〔発信〕第十七信
〔受信〕達ちゃんより 二月十一日
○小説はじまる 三枚
〔発信〕第十八信
〔受信〕二十一日づけの手紙着
面会。九の日の人にたのむ。
面会、水曜の人が行ってくれる。
夜、「その年」四十一枚終る。
面会。
かえりに文芸春秋にゆき原稿を置いて、東京堂へゆき、月報注文。
○三省堂で、コンサイズ和英二冊買って光子さん夫婦に送る。
○それから戸塚。いそがしがっている。夕刻稲ちゃんと一緒に出る。
○夜十三日ののこりの人々をよぶ。池さん、大分きこしめして宮のことを云い、泣いたりした。そして、人生的に一大転回をしようと思っている云々。宮に云ったらバカ野郎と云われそうだ、と云う。察しのつくことだ。
○きょう光子夫妻、アメリカへ立った筈。
○おひささん出てゆく。
寿江と二人。急に思い立って武蔵嵐山というところまでゆき、畠山重忠の館趾の梅を見て一時間ばかりでかえる。電車往復三時間。
○かえりの電車はもう五時二十分発だから六時すぎて川越につく迄電燈つけず。夕暮、黄金い大きい月がのぼる櫟林の間をくらいまま走ってゆく。その景色大変珍らしくて面白かった。
面会。
降りそうで降らない。原さんのお祝いの品を届けにゆく。赤坊よく眠らない由。赤坊というより病人の感じの手間と神経のつかいかたで苦しいようであった。
家の中によろこばしいものが少しもない。顔にも。
面会。
雨。
○足袋がぬれたのがはいたまましまって来るあの感じ。
○風のつよい朝。寿江子、ひさをつれて熱川へ立つ。九時五十五分ので。
○「その年」はパスするか、どうか。土曜日曜が間に入ってからおそくなってもいるのだろうが。常識では通らぬことはないと思う。
○夜になると昼間の風がしずまって、(九時頃)東の方に美しい月が輝いている。その西空には遠く星がさやかに燦めいている早春の夜景。室内の瓶の薄紅海の花の枝。
○物干の板の間にさしている手摺の影、白い上壁。よその羽目にさしている竹の影。
〔発信〕第二十一信
〔受信〕第十四信着、九日づけ
「その年」大してわるくはないが、作者が私だと他のよみようがあると云ってパスしなかった由。箇人主義的だ(母の心持が)という由。箇人主義というような表現が、反対の極に全体をおいて云われては返事にこまる也。
文秋へかえりにまわる。原稿貰って来て、来月へ随筆をかくことにして来る。
ひさ、夕飯後国へ立つ。
○チャコ来。二十五日に高等を出る。弟は工業に入った。三福の食堂へ五人行って二人きまった。「大抵つとめるのにまだいくらもきまってないのよ」八十銭、おひる(十銭で)白飯つき、九時、十時、十時半と出て、夜十時半、十時、九時半とかえる由。二十五日の式がすむまで学校へ来なければ免状あげないと云った由。
面会。
出がけにポチが三宅さんの門前の日向にずくんでいて動かない。妙だと思ったらかえったら変、バラさん気をもんでいる。
犬猫先生を迎えにゆき、来てもらい、つれて行って入院さす。
面会
午前十時すぎから雨。ひる頃土砂降り、そのなかを犬猫病院へ行ってポチを見る。しっぽもふらない。大分出血する由。
バラさん、ひるかえる。
「いて上げる」そのことを何かで表白する。下は掃除する。しかし二階には火を入れても、Cover はそのまま等。
〔発信〕第二十六信。
〔受信〕三月二十四日づけ第十七信着
ポチが死んだ。可哀そう。
二階を下りて一寸茶の間をのぞきかけたら、ガラス戸の外に紫っぽい色が映っている。あけたら栄さん。
けさ、六時十分、先生が東京に就職する少年を大勢つれて着。弟がいる。「来たね」わからない「誰?」「姉さん」やっとわかる。その栄は去年の三月三日に出て来ている。
主人たちが迎えに来ている、紹介して、明治神宮へゆき、そこで写真をとり、わかれて主人と。主人は山野楽器店、一年間、八円、五年間夜学。合宿へつれてゆく。三人一緒。「君たちの言葉ちっとも分らないね」「勝太郎、徳山璉知ってるかい?」「勝太郎なら知っているけれど」二年たつと配達。
○婆さんは三時半におきて十二人の米みそ汁をつくる。これは朝五時四十分ぐらいに皆朝めし。十四時間ぐらい働く。一円二十銭からもっと。女でズボンはいてせんばんでも何でもやって八十円も九十円も。
○「二十の声をきいちゃ帯だって心がけなけりゃ」と二十円の□□紬を売りつける。五円で四ヵ月。
十五円出している。天理教。
手袋、エリ巻をとらせる、入門のとき。
ポチ入院埋葬すべてで 9.00 也。いないと淋しい。
あさ子さん夫婦来る
〔発信〕三十信
〔受信〕着二十信 四日づけ
ゆうべうなされた。ひどいあばら家。バタンバタンすだれか何か煽っていて、誰かが、かまわないからあけちゃいなさいよという声がする。あけたら、そこは空っぽのはばかり、半分戸がこわれてぶら下ってあおりつけている。左手に障子も何もない板の間の奥に暗くバラさんが臥てこっちの光景を見ている。そう感じている。その床の間のところのつき当りは火のない炉、ゴタゴタした桶か何か。そのうち二匹の小さいきたない猫が何か咬えてその辺かけずりまわり、一匹は私の頭の上を跳び越して前や後に。うるさいのでつかまえようとしたら私の手にかぶりついてはなれず。何かに、手にかぶりついたままの猫の体をぶっつけようとさがしているところで目がさめた。時計を見たら二時と三時の間。気味がわるかった。mの体の工合わるくてくるしいのか。本当にそう思い、スタンドつけたまま眠った。この前のときは、雨の降る塵埃塚の上の白いきたない猫(後肢で立っている)いつも猫。
朝面会。
午後一時さくらで島田へ立つ。
広島で隆ちゃんに面会。
二十一日渡支ときまる。星二つ一等兵になった由、昨夜八時半の点呼のとき命令下った由。
野原へ夕刻、六時半のバスでゆく。
一日野原。
こむらがかえってびっこ
一時三十分のバスでかえって来る。
岩本の小母さん留守番ときまり母上出京決定。サクラでゆくことにする。
広島で面会。降ったりやんだり。
特別面会、一時間余。厚着をしているのと息ぐるしいのと、母上の話題とで、ハンカチーフを出して、汗をふいた。非常に気の毒に思った。
母上サクラにて帰国、同じ車室に宇野重吉が白い傷病兵の服でかえって来ていた。
大学祭。三時から人類学教室を見物した。
説明つきでなかなか有益であった。
面会。体の工合よくない。面会、火、金にすることになった。二十七日以来連日母上の面会で随分疲れたことと思う。体重へって寝汗もかく由。一月風邪以来低下。食慾不振の由。吻っと疲れの出るところこの話でつかれも出ない。
大日本印刷へ出かけ、来月随筆かくことにきめた。世界大戦なんてテーマでなしに。
面会。体の工合よくない。
評論家協会
○千駄ヶ谷へゆき、河崎先生にたのむことたのんで来る。
ペンクラブの会
一週間ぶりで面会。着るものがうすくなっている故かすっかりやせて見える。顔のやつれかた相当ひどい。この前のときよりずっと。声に力がない。母の一番しまいにあった五月六日のときの様子、声、それと比べ僅か十三日の間に、こわい心持がした。体がわるい、そのとき傷ついた獣のように独りひきこもって諸条件ととりくんでゆかねばならない事情。実に実に。名状しがたい。この前の工合がわるかったとき、本当に知らないで安心していたこともあろうと書いて来た通りであった。今は違う。病気程度も凡そわかっているし。公判の前に低下しているの癪であろう。工合わるければ用事は代筆、代弁にするかもしれないが、重態と思わぬように、と。先のときは、心持の面からだけ大丈夫と思い、それでひっくるめて抽象的に安心出来ていた。今の心持もっと具体的だ。気の毒さ。可哀そうさ。この手で一つのことでもしてやることの必要の切実な理解。なかなか切なし。
〔欄外に〕
○次は三十日に来るように、と。
頁のこと、就床、起床のこと又書くように、と。
◎これから梅雨、
◎それから炎暑のコンクリートの箱。こちらの生活で気候のよしあし云えたものではない。
New Grand で『婦公』の癩についての座談会。
「私の不幸」についてかけという、『婦人公論』、こういう考えかたに入ってはかけない。
そこで「フェア・プレイの悲喜」と題す。三枚半。
○帝大医学博物館見物。強風。
「風俗の感受性」六枚『三田新聞』。
○栄さん、おばあちゃん(戸塚の)お祝い。3.00 たのむ。
帝劇へ「忘れがたみ」四人姉妹 見にゆく。四人姉妹の初めの方面白い。この頃この「四人姉妹」の家庭と父とにしろ「我家の楽園」の家庭にしろ、アメリカの映画には一種ちがった家のむつましさの感じを求めているところを感じる。
単純に父母と子、夫と妻というばかりの、人情ばかりでの結びつきでなくて、テクニック、或は人生感を共にわかち、理解した上での一見まとまりない家庭・集合としての家庭のたのしさというものをとらえている。父のいた時分の気分なつかしく思い出された。
「明治のランプ」五枚半、『政界往来』。
二時頃ヨギルイユーソーアレ ケンジという電報。
てっちゃん来、そして『朝日』のこと教えてくれた。トラーが New York で自殺したという記事に目をひかれていろいろ考えていてつい見落した。
何年も前には、市ヶ谷へまわったという記事を夕刊で見て教えられた。(山の細君に)
夜着のカバーをつけて明日届ける。カバーのこと、窓口でごそごそ云うと又あのお髭が疳を立てるからいろいろ考え、ユーソーとある意味も考え、運送で送らせることにした。自分もって行かず。
〔欄外に〕
この頃。もと六、七銭だった蕪十二三銭、ホーヨークリーム八十銭だったのを三十銭価上げ、一番はじめ、50. s。
○五月は五月四日づけの手紙六日についたきりで来信なし。
〔発信〕第四十四信
〔受信〕電報 ヨウジアルケンジ
徳さん来、フラウ〔妻〕の話。
就床 十一時
「現代のこころをこめて」羽仁さんの『ミケルアンジェロ』のブックレビュー五枚。『法政』
「『藪の鶯』このかた」をかきはじめる。
「『藪の鶯』このかた」20枚終り『改造』
面会。 6.15 8.45
むさしのへ行って早春とジャネットを見る。
〔欄外に〕
ひさ夜八時半かえる。
寿江子来る。
午前中に「雨の昼」を送り出してしまう、十枚『中公』。「早春」についての感想など。
午後、ああじゃこうじゃ寿江子と云って居て、早めの夕飯後日比谷へ行き大花壇のところ散歩。いつか花の咲いているところを見たいと思っていた蔓バラの盛であった。晴れた日の夕暮行って見たらどんなにきれいだろう。歩いてジャーマンでお茶をのみ、林町へゆき、泊。
明日朝寿江子も西巣鴨へ来て夜具もってかえって来る為。
林町ではなれの話。借りてが見つかった由。有尾さんの知人で。それがよい。
あの笑顔。知慧の艷、こめられている心。肉体のよわさがそういうものをみんな浮み上らせているような笑い顔。忘れがたなき笑顔。美しさ。精神の美しさがひきつけてはなさない美しさ。
つかれて、早く早く眠る。
〔欄外に〕
寿江子滞在。 6.00 9.20
面会。つぎは水曜日に徳さんが行ってきめる由。
〔欄外に〕
6.15 10.10 70頁
〔欄外に〕
6.35 10.35
母上第五年目の祭。延寿春、林町泊。
就眠 十二時半
○面会 久しぶりで詩集の話。きのうの手紙で自分それを話した。おもしろい一致。
泰ちゃんのお祝で野方
○は弟妻。関母子、わ。女中のそで本、
「あるままの姿は」「幽鬼の街と村」批評五、半、『九州帝大』
文学集団への小説考える。
『誠之』へ「藤棚」六枚
羽仁氏よりミケルアンジェロの「奴隷」のエハガキ。
林町へ休みにゆく。
林町よりマツ一緒に来る。
ふとんほし。
〔欄外に〕
面会。
病舎に入った由。
夜七時すぎごろもう金色の細い月が美しい形で一日の快晴の澄みわたった西空へ輝き出ている。その月の光を受ける方角で遠い屋根の波の上で、一つ白い西洋館の破風が白々と照らし出されている。
となりの大桑さんの二階では赤く灯かげが二階からさして手すりをてらしている。
その対照。
〔発信〕第五十五信
〔受信〕三九年後半期
第一信(二十一日朝づけ)
◎曇った夜空は新宿あたりの灯をうけてぼーっとうるんだようにすこし赤みをおびている。
◎しっとりと黒い欅の三本の樹の姿。一帯ににじんだ墨絵のような趣。部屋の奥のアーム chair に居ると(火をつけずに)手摺の太い線が手前にくっきりと濃く見えて、階下の灯が手摺の横棧の一番ひくいところ迄明るく見えている。椅子の背の曲木の角々にどこからか鈍い光が反射している。風のように近づいて遠のく省線の響。風がない。すると、横にむねを横たえている一つの屋根の裏から花火の赤い火が一つ、つづけて青い火が一つ、スーッと短かく尾をひいて空へあがった。
◎そういう夜の暗い室の中でいろいろ考える。稲ちゃんと自分のこと。自分としての側から。そして考える。自分は自分の夫とこのように結びついた心で暮しているが、現にここにいないということ、毎日のうちにいない時々刻々のうちにその体でいないということは、やはり自分の感情にいろいろのかげを与えていることをはっきりさとる。自分の生活で充足しきっていないものが何かあって、それを稲ちゃんにもたせかけていたようなところ、それでこちらの心がうるさく(自分に)あっちに向うところ。溢れゆくのではなくて、どうやら絡みゆくようなところ。
○それから鶴さんのいない間に二人で暮した暮しかたの特別さと、そののこりのようにある癖。
○パーマネントを見る苦しさ。あの部屋で同じような髪を□□さばいていた印象から。その自分の苦しさのいろいろの要素。いじらしさより苦しさを感じていたその気持は何だろう。嫉妬の微妙なニュアンス。同じような髪の手ざわりを二人の女から感じる男の気持というもの。
就眠一時十分前
〔欄外に〕
面会、カゼ益〻工合わるい。
○マツをかえす
〔欄外に〕
○境遇に負ける形の様々。うちかつ形の様々。その波にもまれる女、それをかいてみたい。貞潔にさえもあるマイナスの面。
あき子さん、良人、よさ、喉の神経衰弱というそういう痛ましさ。
寿江子と銀座へゆく。昨夜からけさにかけて小説二十二枚かき終る。題まだわからない。
○小説「日々の映り」ナゴヤへ送る。二十二枚。
映画女優のことをかくのでグレート・ワルツ見る。寿江子熱川へねボーしてゆきそびれ。
栗林のところへゆき、岡林のところへゆく。重治さん来。
夜「映画女優の知性」三枚半。『週刊朝日』。
「知性の開眼」十枚、『婦画』
〔発信〕第五十七信
〔受信〕第二信 二十八日附
支払日なので一日立ったりいたり。くたびれた。
本月の執筆八十二枚
『文芸』のための下ごしらえ、一日本よみ。
夕方より林町(夜)つかれてひどい。泊。
図書館へ行ったら満員でダメ。泊。
いねちゃん、栄さんから電話。
図書館。
夜「明治三十年代と婦人作家」かきはじめる。「短い翼」
朝九枚わたす。
朝全部わたす。二十二枚(終)
夜八時頃からもう一つのをかきはじめて、四時頃終る。十二枚。求められている文学について「人生の共感」
蚊がいる。くわれる。うるさい、ピシャリ、と叩く。そのままかゆいところかきつつ眠る。十時頃おきる。昨夜は門も玄関もあけっぱなしであった。こわくない。こんな風になるから面白い。
『大洋』のハガキ時評 一枚
病舎の接見所で会わしてくれることをたのんでいるが、医者はそれほどでないと云っている由。それで戒護課長次席話したが(マア一緒に行こうじゃないか、と)きかない由。八時から一時半まで待って、その話でかえる。感情のもつれだろう、と云う。宮は感情などもつれさせてはいないこと明白である。只体が必要とするところを求めているわけであろう。医者は一般論で云う。それは、二丁歩いてかえったらすぐ脈が切れるというのではあるまい。マア私と一緒に行こう、そう云われて歩いていいものならば、歩かないですむ方法を考えはしないのであるから。
かえり久しぶりに稲ちゃんのところへよる、かえりに栄さんのところへ。そちら留守。目白へ十時ごろ二人で来てフロをたいて入り、いねちゃん赤い箸が気に入ってもって行った。うれしい。
髪洗う。小野さんからメロン貰う。
『モダン日本』三枚随筆「七月十四日祭」
面会きょうもまだ話そのままの由。それで十二時迄待ってかえる。面会出来ず。
かえり東京ベンゴ士会館国原さんに会う。辞任届け出すようにきまる。更科。一旦かえり、夜林町。
宮、小喀血した由。十四日にやっと会えてわかる。
〔発信〕第六十二信
〔受信〕電報 フツカトモ ナンラ メンカイヲコトワツテイルニアラズ ネンノタメニ」アサ九ジハン ケンジ
白いきちんとした背広、紳士、そり跡蒼きやせ面。受動的に不動の姿勢で「そうであります」という言葉づかい。
いろいろの記録によってこしらえている精密さ。
野呂と逸見との交友関係、野呂が大泉への信用、そのために大泉への逸見の信用。
面会に行ったがやっぱり駄目。医者と次席との意見が合わず。次席は宮本の要求のすじの通っていること理解しているが。
医者に会う。病勢は陰性、一ヵ年間に四日発熱したきり云々と。そして、ああいう病気は、ああよくないよくないと云っては却って患者のためにならない。
「極めて高いところに立っていたいと思うです。科学的立場から自分も犯罪の種類も超越して云々」「公判が近づいているから」「イヤそういうこともですね、明日公判があってきょう腫物を切ってはさしつかえるというような場合でない限り考慮しません。あくまでも科学の必要とするところにしたがって、患者のため専一に云々」「或は接見を禁止して安静を保たせて云々」中村武羅夫に似た相恰の男。客がありますから五分間とかそわそわそわそわ。「私としてはお礼を云ってお願いいたすしかないのですから」と自分云う。
公判第二日 中委会で処分の最高を除名と決定したこと明白となった。
栗林氏のところへ宮本電報をよこしたよし、公判傍聴はオブザーバーとしろ、と。
明日行く由。
○「西沢のことで宮本を全幅的に信頼していなかった」という秋笹。(逸見の陳述。)
栗林と二人でゆく。いろいろ手間どる。医者に栗林氏一時間もかかって公判のことを主張す。司法大臣に上告でもされればやはり彼等こまる。やっと許して、病舎で会う。
すっかりやつれている。月曜に小喀血をした由。小喀血のあるのを陰性というと見える、こういうところのイ者は。
一年間に、(普通舎にうつってから十キロへった由。今五十キロの由、13,300 なり)
公判第三日 逸見の終日
小畑が疲労から心臓マヒをおこして死去した事実過程こまかく分った。
宮本の今日までの態度について一層感動を深めた。ああいうデマに対して自分の正当性を主張するにも、原則として正しい態度に一貫してその時と場所とをはっきりと守っているところ、そういう明徹さ、意地などでは出来ない確乎性、自分は果してそういう宮本の人となりを十分十分感じていたろうかと思う程だ。
野呂栄太郎をつかまえたことは失敗であったとケイシ庁で云った由。そうである。逸見という人、この小市民的ボンノムのかげにあってはいつまででも彼等は巣くえたのだから。市キャップカメこと荻野が宮本を売った由。
〔欄外に〕
大泉に対しては「誰をわたせという風な命令はしなかった。ほかに考えるところがあったからだろう」との自白。
伊勢勝茂氏に面会にゆく。
「挑発者のテキ発というようなことを強力にやれば猶加えられる圧力がつよくなるのは知れ切っているのだから、知らんぷりしていればいいのです」こういう考えかたもあると大変感服した。
眼鏡(ふちなし)丸顔、くくれた顎、小さい口、落ちている肩。袴。羽織。「マア何々ですね」「それがですね」何でも間へそれが入る「マア、ですね」が。一種の本質をあらわしている。この人は産労から入った。自分の方に一貫したシステムをもたず、きかれることに受動的であってしかもそれを否定的に答えるので、平べったい渦が小さく、いくつもまいているような感じである。
〔欄外に〕
秋笹の第一日。
公判廷に警視庁特高の特別傍聴席が出来た。
秋笹第二日、十二月二十三日を中心として。
逸見の陳述と対照的に裁判長がきく。
「それは全然うそです」だが自分から何もはっきりしたこと云わず「記憶していませんが」これでは否定もよりどころないことになってしまう。
しかし、小畑が急変したとわかったとき、人工呼吸や宮本が活を幾度か入れたりしたこと、小畑が逃げようとして生じた災難であったことだけは、はっきりと強調した。
防空演習のため四時きっかりに終る
〔欄外に〕
○これまで『読売』が夕刊にごく短い記事をのせていたのに全くやめてしまう。
傍聴人もごく少数。役所のもの特高などの方が多い。須田来ている。出入り毎にキョロキョロ。
秋笹、第三日目(終)
すこし公判廷になれたのと、すこし書類をよんだのとで比較的明瞭にのべた。一月二十三日以後のことを。
○木島に対する疑いや、袴田に対する疑いの固定化が、すこし普通でない。あらゆる行動をその方向へ分析してもってゆく。
しかし今度の事件がインテリ派の権力あらそいから生じたというようなデマに対してはっきり反対した。
逸見が宮本が官僚的で威張っていると云ったというようなことに対し、そういうことはない、公正な人物であると思う、しかし自分を主張することにおいては、つよい──ガンコなところがあるとは云える、という云いかたをした。
「今日から見れば何々だが(ここきこえず)マア当時の心持としてはですね云々」或は第一日の共産党の認識について「批判の部分は昭和十一年度で今とはちがうが」云々。栗林、島野(更新会ベンゴ士)に大きい声で「山本正美のように控訴へ行けば転向しますよ」
それぞれの陳述が人柄をあらわしている。そのこと印象深し。保釈の逸見は大泉側へも「八方円くおさまるよう」の云いかたをし、秋笹は頭を変にロジカルに(形式的)うごかして固定観念を築き上げてゆく。しかし、特定の人間にあれだけ偏見をもちながらも、狂い切らず、正当な公的な点を失っていないところ感動に似たものを感じた。
○秋笹という人、その人に対する栗林。この関係には一口に云えないものがある。秋はじめ、栗が裁判所と通牒していると云って拒絶したが、栗は辞任届出さず。
秋笹に「山本正美もすっかり転向しましたよ」と云ったよし「云いいいようにしてやろうと思いましてね」秋で立てようとしている栗の面子。そういうものを感じる。こういう関係は、まさにバルザック的プラス何かである。秋は自分の疑いへの偏執からかえって足をすくわれて気がよわくなってしまっている。そこに結びつく栗、栗の他の面への売りこみ。その売りこみでは長尾の嘲笑というようなものを利用している。それと「思い知ったでしょう」という気の結びつき。
〔欄外に〕
秋の気のまわしかたのロジカル性は──それだけで機械的に組立ててゆく観念性。それで運動に入ったのでもある。──理論的でもないし人間心裡の洞察でもない。そこに生じる悲劇。
田村俊子の「あきらめ」「みいらの口紅」等よむ。四十年代初頭の日本の混乱が実に出ている。
顔がはれて手がはれて、起きたがとても行く気になれず。
夜宝屋の会、奥村五百子についての。時雨、市子、八千代、禎子、そういう人々が実にモンストラスに見えた。遊ばせ言葉で、変に社交声で語尾をぼやかしたような喋りかたでやっている。大石千代子の出版記念会、市子「真杉さんがあの会をやってもらって大変得をしたと云っているそうですから大石さんも云々」すると時雨、「今本を一つまとめかけていて、それは公的のものなんで云々」、変につばのたまったような調子で云っている。『女人芸術』の時代、そして今日のありよう。何だかゼラチンをかぶって奇妙な恰好になりながら納りかえっているようで、皮のむけた人間らしいの稲ちゃんと杉村春子とだけの感じであった。女、何て妙にケチくさいだろう。女史連というのはひどいものになりつつあるものだ。
自分の生きている日々のありよう、作家としての生涯について何か震撼的に感じるものがあった。
○速達で注文の本をさがして郁文堂にかけたり何かし、結局大観堂に云いつける。
それから面会に出かける。今日の立会いはかたくるしくて、宮が接見所へ入る迄自分を外に立たせておいた。ドアあけたら、奥にかけている。そういうやりかたのものもあり。きょうは髭もすこしのびている。「いかがです?」「ウムマアボツボツやってるよ」扇のかげからおくる小さい花一輪。
出がけにKコウズの芝生がのびる、やねやを入れるに人がないとぐずる。まるで私が酔狂にここにいるように。
下痢ひどくする。真直かえって来る。アドソルビンをのむ、げんのしょうこをのむ。おかゆ。午後二三時間眠る。そして、本庄陸男の死を思う。きょう葬式也。『読売』の録音板に一枚半「作家の死」をかいた。
袴田第二回。昭和八年度の情勢から十二月二十三日迄。
うた子さん。私の顔を見て秋笹の最後の日に誰かが小耳にはさんだという話をつたえる。「中條の婆毎日出しゃばっていて目ざわりだからひっぱろうか」そして、袴田の第一日行かなかったので心配して栗林に云ったら「そんなバカなことあるもんですか。あなたが見えると思って休んでいるんでしょう」と云った由。何しろがんばっているの須田故、ひるの間に「須田さん、直接やっかいになったこともないのにこんなことを云うのは変だけれども、私は家族としてききに来ているんだから、宮本のほかにまだ一人二人ききたいと思っているからどうかその点御諒解下さい」と云ったら、「どーしたんだね、改っての御挨拶とは。こっぱずかしいみたいなもんだね」と白ばっくれている。「マア毎日来てもいいさ」そして意地わるく、「何か出して書いているのを裁判長が見つけると傍聴禁止にするよ」という、ハハアと思い、どうもありがとう気をつけましょうと云った。袴田の弟が来ても、「これは誰だ」とひっぱりそうな見幕で云った由。
〔欄外に〕
用語は「何々である」です。
荻野の陳述をよませてから否定する方法よろし。非常によく記録をよんでいて抑えるところおさえている。
○行きに松坂屋にまわり宮の白い上布あつらえて来る。
○袴田氏、やせていてつかれ声ききとり難い。しかし、しゃんとして云っている。
○咲枝夕刻から病院、夜かえらずしかし生むことにはならず。
〔発信〕第六十九信出、戸川さんへのお悔、なつ女史への挨拶、寿江子へ
〔受信〕七月二十六日づけの手紙着。
きょうは一日家居。仕事準備、漱石の「草枕」などよむ。
ⓐ能智の婦人問題キソ知識には青鞜時代の分析が不十分である。
ⓑ宮島新三郎の「明治文学十二講」中、余裕派文学発生の原因の説明、非常に限界をもっている。
○作家として自分の経つつある生活の条件について深く考える。その独特性、その独特性がのびのびとよろこびを表明して描き出されないということの影響。
○その独特性に対する真の確信ということについて
○自分が歴史性にふれてものを見る傾きをつよめられていること。今日の心としてのその点の溌溂性についての省察。
袴田第三日
「多数派」のこと──消費組合の某、全会派の宮内? 二人がいろいろな名をこしらえて七つか八つ並べる。そして袴田をスパイと呼ぶ。「中央委員会を奪還せよ」
再登録の問題
横山操にふされたる正しい同情
岩田のこと、小林のこと、もう一人のこと(上田茂樹)
正当なことを正当な言葉で云われた。その一言が一言ごとに、云っている人の体へズシリズシリとかかって行くことを苦しいようにまざまざと感じた。
図書館
図書館
一時半過ぎに電報が来る。大いにあわてる。外出用の仕度がない。薬局に云いつけて出かける。千鳥で山やだの巖松堂だのゆき、そして三時十五分前西巣鴨。
三日以後ならばと宮自分で云っていて。間に合ってうれしかった。電報をうつ心もち、用事どうなったかときく心持。私の手紙がまぬけで事務的なことをおっことしたばかりではない。そう思う。もとはこういうとき、ピリピリして用事を云われているとそれとだけ考えて。
「入り乱れた羽搏き」(40年代大正三年迄)書きはじめる。
〔欄外に〕
ザーッ、ザッザッ
颱雨。嵐
仕事
「入り乱れた羽搏き」三十二枚終。
夕刻届ける。小川さんに会う。いろいろ生活の話。
戸台さん午後三時間ほどよる。そしてやはり生活の話。いろいろこたえるところがある。
私たちは、菊池寛が月収千という収入だということは問題にしない。作家同志のことは問題にならない、そういう点での自信はあるから。だが世間一般として「安心してすじの通った貧乏がしていられない」雰囲気と直接の関係ではよくわかると思う、やはり生活のことがわかる。
話しているうちにふーっと小説がかきたくなって来た。若夫婦、子供一人、きょうの世の中、妻君の親たちの考えかた。若夫婦の考えかた、つとめさきでのありさまなど。
『グラフィック』のために「この夏のこころ」四枚かく。
○この次の分(文芸)すぐ大正のはじめ(白樺など)にとばず、もうすこし日本のロマンティシスムと婦人の生活にふれてゆくことにする。
ロマンティシスムをつくらず入って行ってそれに消耗された俊子の自然発生的なところ。又神近のあの「さめよという声は呪う声です」の社会性など。ジョルジ・サンドなどにくらべて。又ドイツのロマンティック運動にくらべて。
○『婦人画報』の人、藪で一問一答というから行ったら(夜八時半)顔そろわず、おまけに藪休みでながれる。
〔欄外に〕
面会。小さい花、小さい花、いくつも。
出がけにふりかえったら、何だか階段の上り口をすこし行きすぎてこちらへ振向いたような編笠の様子。うしろ姿のいろいろ。
○白い着物の上にゆれてゆく単衣羽織。
○ステッキにハオリなしの後姿。
○この廊下での後姿
○目白の家のくぐりをくぐって一寸ふりかえる後姿、など。
二十枚以上の一問一答口述、ひるすぎまでかかった。
『美しき季節』下(第四巻)
いろいろ考える。ラシェルというような人間の扱いかたに現れている作者の態度について。謂わばその耽りかたについて。少年園との比カクで。ラシェルの心理、通俗だと思うが。
鶴次郎さん、東京にのこっている由。保田で稲ちゃん空のさそりの心臓をながめていろいろ感じること少くないであろう。
この夫婦の互の摩擦のつよさ。自分たちの夫婦生活というものについて考える。
○自分この何年間かの間、自分たちのおかれている条件生活にまけてはならないという気持から、却ってまけていたところのあることを感じる。どこで負けているか負ける危険があるかということについて、飾りなく見なかったところ、そこでまけていたところ。寂しさを感じ、それを掌握してくらしている、掌握したところでだけ動いていたようなところ、作家として云えば、まけていたところだ。一生懸命さのいろいろ。
〔欄外に〕
母のお古や何かを平気で着てくらして来た何年か。仕事の上で一つ一つ新しいものを文学の上にもたらそうという勉強の心と自分も出来るだけきれいにしようという心と別のものではないと思う。文学の上に何かもたらしたい、沁々そう思う。生新なる息吹きがもたらしたい。
『学芸新聞』のために「『幸運の手紙』のよりどころ」三枚。
『読書と人生』(三笠)のために「今日の文章」五枚かく。早くこまこましたものを片づけておきたいから也。
○重治さんから□カン送ってくれる。大阪まできいていてくれる由。ありがたいと思う。
○夜てっちゃん来てくれる。宮本の手紙くれる。
○伊勢氏まだ会わぬ由。気がいかにも重いらしい。栗から何の話もない由。本人がそういう。だのに宮本にはもうすこし先へよってと云ったと云うている由。どうも一寸したことでこういうタイプだから。
〔欄外に〕
仲町貞子「蓼の花」「よきことをしようとして」詩をも小説をもかこうという作者。
自分の主観の中に入っているせまさ。追憶でも何でも。ひろい外からはたらいている眼の流れのないことのうごきなさ。
〔発信〕いと子さん、栄さん、宮へ速達第76
〔受信〕宮より九日づけの手紙「事務的向上したいものだ」
経済新報社へ行く、年報揃った。
かえり三越。アンジアナ、フランス、ドイツ文学がイカン、近代文芸十二講等買う。足袋、スフ三割の底というのを見つけて大いによろこぶ。
アボチンにおみやげ「コザルノシクジリ」かえって宮に速達かく。第一第二弁護士会の規約もうつして。第二の方妙に官僚的でしかもアイマイな規約の文章、あの事務のおやじとよく似ていて可笑しい。
○髪を洗う。夏ミカンない。ミツカンはサクサンが多いからというのでつかう。かってみたら咲は猪口でつかった、自分茶のみ。マア髪の毛の酢のものになっちゃいやしないかしら。髪を咲かいで見て大丈夫だわ。
○宮、林町には女中がいる、私はいそがしい、女中をお使いにやれるだろう。そういう風に考える。そう行くものではないのだけれど。
〔欄外に〕
机の上に太郎のもって来てくれた蚊帖つり草、水引き、猫じゃらし、山ごぼうの房実。
夜中三時 咲枝産気づいて沢崎氏へゆく
〔欄外に〕
面会、小さい花は成長して、みのってつるをのばして愛するものを巻く。
〔発信〕第七十七信
ソネット「化粧」
○五時二十五分、元気よい生声
○濡れているプラタナスの葉。ものほしの下の石の上の石菖の大鉢。
カン護婦のバタバタ足音
「御安産でございますよ、お嬢様」
○ホンときこえる
オギャー、オギャーというあの声。
あれをきかないでは可愛さわからず。
国男のかえりを待って十二時半
小さい娘をさらわれて世間をさわがしていた妙子ちゃんの母自殺す。いよいよ自分の想像が深まった。被害者と加害者とが同一人であるという。──
〔欄外に〕
公判再開。
木島隆明第一日
〔欄外に〕
面会
「いかが? 熱が出やしなかったかと思って」
「ああ、七度一分ばかり。馴れたらいいだろう」
〔発信〕第七十八信
〔受信〕十五日づけ
「この次いつにしましょう」
「水曜か金曜だね」
「月曜弁護士が来るし、お疲れになるでしょう」
「じゃ金曜日にしとこうか、大変いいんだけれどね、疲れるから」
〔欄外に〕
面会
His voice went in.
〔欄外に〕
木島第三日 二十六日に続行
木俣病気で出られない由
〔発信〕第八十信
〔受信〕「ネンポーガッポンニシテオクラレヨ」
〔欄外に〕
終日雨、夏の終りの雨、葭戸のかげの深い、そういう雨。海岸の家の潮の匂いがたかくしめっぽい雨、そういう日、虹ヶ浜の夏の終りのこういう日、どうしていたろう、そう思う。
〔発信〕ペンギン二冊速達
達治へ本
大泉の第一日。出かける。はじまらない。島野がドタドタ歩いて来て、きょうはないですよ、診断書を今頃になって出した。マア行って御覧なさい。
行って見る。リョーマチという由。二十四日も延期ですとのこと。木俣病気で延期の由。一日儲けたから稲ちゃんのところへ行く。夕刻までいて夕飯にかえる。
○英国との東京会談決裂。
咲枝退院ときまる。そらと大さわぎでホロ蚊帖を買いにゆく。かえり病院にまわり、世話をやいて二台の自動車でかえってくる。自分団子坂で降りて産婆のところへゆく。
面会。素足(ヨーチンつけているから)
独ソ不可侵条約きまる。世界史はこれで新たな一段階に入った。興味つきざるものあり。
楽になると思うとはとんだ間違。
木島の最終日。池袋で大沢をサモンしたときのこと。小畑の教育によってあやまられていたことはたしかであるが、大沢はケイシ庁との直接関係はなかった。富士谷と湯浅とかいう二人が木島と一緒にかかる。富士谷も小畑に育てられる。そうして代りを育てていたのだろう。
あけがたの四時位までかかって「異性の友情」なるものをかく。一応終る。しかしどうも気に入らない。近頃こんな書きにくいものにぶつかったことなし
平沼内閣総辞職。
『婦人公論』の「異性の間の友情」二十枚なんてかけない十八枚送る。
面会。
小沢というひとのところへゆく。話まとまらず。山口氏三十一(木曜日面会のことたのむ)
面会。ふっと思いついて夜具をもって来てしまう。かえり南江堂へまわって『家庭医学大典』を買い送る。医典にはさし絵があった。産科の。そのためであろう。不許。
とよちゃんバターを十包もっておみやげ□かえる。寿江子開成山発。電気時計がおくれていてやっと準急でゆく。
○内閣の顔ぶれ決定す。
〔欄外に〕やさしいつる草
西沢公判第一日 検事の読上げた決定書には四つの罪名があがっているが、呼出状や拘留更新の書つけには死体遺棄が一つよけいに加わっている。それはどういうのか、裁判長はそれが間違いであることを認めるか、認めれば拘留はなりたたない。という。裁判長大分閉口。外の黒い塗板にもそう書いてあったのだから。弁護人と相談して被告が調査することが出来る。では、ということになり開始。財政部としての活動。印刷局の活動。小畑があやしいと思いはじめる。理由の一は、印刷局の財政状態を詳細に報告しろという。八九百円かかるところを二三百円しかよこさない。西、特別の金(2000)もっていてそれでやっている、その金は宮にも云わず。小畑それを感づきつかい果そうとする。大串雅美と松川が田中の穴倉を掘る。この二人がお手養いなのだから! 松川という男の兄は雄弁社へつとめていて、その頃のケンペイ総長の姪を妻にしている男。松川のとき男すぐ出た。駒込で妻と一緒だった。小畑財政の責任者
大泉の話「ケイシチョーでは財政はこちらでうまくあやつっているから云々」
〔欄外に〕日比谷のゆきがけに音羽町に森長英三郎氏を訪う
ドイツ急に軍力をうごかしてポーランドに侵入、ダンチヒ廻廊を占む。ワルシャワ爆弾を行う。女子供三百余人殺した。
○西沢隆二 第二日(終)
閉廷になって出て来たら誰かが「イギリスがドイツに宣戦布告したそうですよ。東株百五十円だそうだ。もっとも株やさんからきいたことだけれど云々」
自分なかなかたやすくは信ぜず
○咲枝とまつ、ひどく腹工合をこわす。自分何ともなし、妙なことがあるものだ。ナミも平気。
○三日午後八時頃ドイツの回答によって英仏宣戦布告するという切迫した事情である。自分は亢奮した心持だ。第一次大戦がはじまって日本が宣戦布告したときの夜の情景など思い出す。今回の政治的意味の深さ。第一次の比に非ず。ソはルーマニアやポーランドに兵を出すという。伊は中立。英仏は伊の動員解除を要求する由。米は中立。新しい流行語が日本に出来た。それは「複雑怪奇なる情勢」という言葉である。一日在宅仕事にとりかかる。殆ど書きはじめるばかりであるが、何だか亢奮している。
ベルリン、モスクヷ、パリ、ロンドン、ニューヨークそれらの都市の緊張が身に迫るようだ。緑郎どうしているだろう。彌生子さんは。一度でも見てそこで暮して来たところへのまざまざとした感覚の甦り。それで亢奮するのだと思う。
夕刻までに「分流」三十五枚かいて届ける。順子さんの妹手伝っている。片晨ちゃんすっかり肺が片方駄目の由。
面会。
○九時十五分前まで図書館にいてかえって来たら速達が来ている。九月三日に出した手紙がまだ届いていなかったと見えて、就寝起床のこと勉強のこと、いろいろ云って来ている。つかれているので何だか悄気た。あさかゆきとりやめと決心。
○本田さん危篤という話。国行かないという。仕方ない。十時半ごろ出かけた。十二時ごろかえる。昏睡。妙な家。
〔欄外に〕
一日図書館。
○宮からの速達、三日の表を見ていず、アサカへ行こうというような気分と結んで不快そう。アサカ行きやめる。
ひる頃本田死去の知らせ。Kさんざんごてつき、僅か二十円のを仰々しく台にのせて出かける。一緒に行き西ヶ原におろし、目白へ行き、おミヤさんをつれて又西ヶ原へかえり、林町。夜九時。土砂降りの中をゆく。
中山正直、貝柱の話。二百万の話。コンブの話。
○戦時と北海道 ○署長さん。二百五十とかの人絹会社の社長をやった話。ベンゴ士五十人有者二十人代議士五十人とか。あとできくと運動費に二十万円もつかった者があるという話。八王子にいた。繭を統制せず生糸、統制している。米白米を統制して玄米をしないから東京ではもう一ヵ月で米がなくなろうとした。
○本田さん半通夜、二時半にねる。
〔受信〕電報モリナガシニメンカイシタシキヨウアスニデモ
〔欄外に〕
面会
森長氏に電話かける。
明日行くことになる。岡林は多分(金)
底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社
1980(昭和55)年7月20日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:富田晶子
2018年8月28日作成
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