日記
一九三七年(昭和十二年)
宮本百合子



一月七日(木曜)

『文芸』に「迷いの末」横光の「厨房日記」批評を送る。


一月八日(金曜)晴 五。
〔発信〕第二十六信

 昨夜岡田さん達がかえる時はミゾレがちらちらしていたが、晴天。


一月十一日(月曜)

 文芸春秋に「ジイドとプラウダの批評」をやる。二十四枚也。


一月十三日(水曜)

 目白三ノ三五七〇の家に引越す。


一月十六日(土曜)
〔発信〕第二十七信


一月二十五日(月曜)

 ○白揚社へ揃えた原稿を送り出した。

 ○『文学案内』に、「子供のために書く母たち」を十一枚送る。

 ○面会に行った。一ヵ月ぶり。mはG子と生活していることについて反対なり。「資格がちがうだろう。S君がリーベとして訪ねて来るんだろう?」「現在どうなっていようともTに対する僕の友情は変らないから、ユリが媒介のような立場になっているんだろう?」云々。Sが「実はユリに本を買って貰ったと、実はと云うような云いかた、これから本をやったりするなら僕達二人からとしたらいいね」云々。何だか、いやな心持をしている彼の心持が反映して来て苦しくいやで腹立たしかった。

 ○自分の都合のいいようにだけ、その面だけでものを見てmなどに手紙をかく。ナカにいた経験が、そういう人間的深さの上には何プラスも加えぬものだろうか。

〔欄外に〕

 G子S、とのために心配し、ゴタゴタしいやなこころもちだけを経験している自分。

 ○この世の中には親切心を失わせるような人間もいる、又、親切心(自分の)に甘えすぎて自分の親切心を荷厄介にするものもある。


一月二十六日(火曜)

 ○朝那珂さん来、すっかりこの話では竹村の番頭という風にふるまっている。旅行記七八十枚入る。題字のこと。序文のこと。

 ○夕方、松田解子さん来。いろいろの話をする。

 ○咲来、つやぶきんだの、手紙のはかりだのをくれる。借金70


一月二十七日(水曜)

 保護観察所というところへゆく。毛利というもとの特課長のひとと初めて会った。昔風の煙草入れ、フランネルカラーのシャツ。一種の角苅の頭。大きい骨組み。二十一年、警視庁にいた由。「これまでは権力の仕事をして来たから、これからは仏にならなければならない云々」


 かえり、新宿の三越でmのフランネルのおこし、四尺 4.50 なり。


 ○夕飯一寸前戸台君本をもって来てくれる。この間ののこり 2.00 を払う。

 ○T来る。四人で食事をしながら、T、一人雑誌を見たり、何だか気が揃わず不快。二階で、mの気にしていたことについて一寸話したら、一向平気の由。mの心持のふかさ分らず。

 〔欄外に〕小説集に入れる原稿手入れをする。


一月二十八日(木曜)
〔発信〕第二十八信。
ネルのお腰を入れる。


一月二十九日(金曜)

『婦人文芸』へ「パアル・バックの作風その他」を十一枚送る。

 S、来。正午頃から。いろいろG子のことを話す。迚もやってゆけぬことがその話で分る。中途半端にした関係をつづけることはいけないからよく話してちゃんとするように方針をきめることを話す。

 夕飯後、三人でムサシノへゆく。ソ連の兵備ナチの兵備。そういう題目での News があって、それを主として見るため。ヒマラヤ登山のドイツ記録映画アリ。芸術的にまるでダラケていてセンチメンタルなもの。罪と罰とをやった男のカントクのロンドンの流血船エルシノア。これも下らず。原作が下らないのをカントクが又下らなくしている。罪と罰のように少い人間の性格から映してゆく手法をこういう集団的である筈のものにもつかい、解釈においても甘くつまらない。News は面白い。実にこの数年間に変ったソの姿が見えて感動した。ドニエプルや銑鉄工場バクーその他生産的建設の写真が出ていながら、朝日新聞の編輯氏はその説明書タイトルは附さぬ。そうして、黙って見せている。

〔欄外に〕

 竹村書房へ、小説集の原稿を皆送る。

 『中條精一郎』国民美術協会編。

 中村順平氏一人本気で書いている。ひどい校正なり。

 正義の防衛的圧力とミリタリスムとの対比。

 mへ、ゴーゴリ二冊、『中條精一郎』を送る。


一月三十日(土曜)

 ○父の死んだということ、何だかどこかに生きているようで死んだようでなくて。偕楽園で皆賑やかに喋っている。どこからか、やーどうもおそくなって、と例の姿で入って来そうである。

 ○G子、Sが二時頃来て四時迄しか居ず、その日に、「自分は軽率であった」と云い、生活を一緒にやってゆくことは断念し、つまり他人になることを宣言した由。G、そのことにはふれず「私のことですから私がやってゆくしかないんだから」と職業の点からだけ初め話し、その決裂について涙一つこぼさず。涙をこらえているのは分り、それもよいが、こらえていられる程度、又そういう風なところ、この人泣かぬので幸福になるのか、不幸になるのかと痛感した。

〔欄外に〕

 父の一周年記念日なり。林町へゆく。十二時頃から墓前祭をして、家へかえって又祭をして、五時すぎ偕楽園にゆく。四十人ばかり。

 K、挨拶をする。上座にいて、上座に尻を向けてものを云っている。爺さん連何と感じていたか。

 ○人間的流露の価値。


一月三十一日(日曜)

 午前中、大変に暖い。春のよう。G子、暖いと手の膨れたのが減ってうれしい云と。

 ○みさをさん来。レモン二つのおみやげは大歓迎。丁度買わなけりゃならないと云っていたところ故。

 ○mの袷のための反物屋が来てごっそりと 12.70 もって行ってしまったので大打撃なり。家賃日割で三日から。31.90 の由。

〔欄外に〕

 夕方から風が出て、荒々しい天候となった。

 ○Gのような女の心持どういうのだろう。いろいろのことが、心にどんな工合に響いてゆくのだろう。どんな深さにまで。──

 ○内部へ沈みこまず外側にくっついている。

 ○いつも、元のもくあみのようになる。

 ○第二十九信


二月五日(金曜)

〔発信〕第五信

〔受信〕一月二十六日附の手紙

 ○第二信来。

 ○坂井さんのウタさんかえりに又よってもらう。

 ○アルコールで目を洗ってしまった。真赤な眼。G子「聞いたことないねえ」

 ○栄さんの顔つきがいかにもひどい。上林へは栄さんがゆく方がよいとすすめ、旅費のための衣類、コート、着てゆく着物等かす。

 ○寿江子太郎咲来。太郎二階の物干に上って大よろこびなり。手すりの間からこぼれそうに思われてハラハラする。


二月六日(土曜)曇 暖いと思う
G子、大して暖くないんですよ云々。

 mの手紙の日附を見たら今年は火曜日になっている。去年は土曜日。

『日々』「打開け話」(9枚)


二月七日(日曜)

 雨がふっている。G、仕事があるかもしれないと云って大よろこび。私もうれしい。それについて栄さんだの稲子だの実に親切にしてくれる。ありがたい。G自身どの位この友人のありがたさが分っているかと思う。わかっているようでわからないゴム製品のようににぶいところ。彼女のヒッ生の努力はこういう鈍さ、おろそかなるところを打破するにある。

 東京堂へ行って藤村の詩選その他 2.89 ばかり買い、会芳楼にひとりよって 1.00、それから女人哀愁というのを見てバスでかえった。それから栄さん、稲来。栄さんあした上林へ立つ。反物やが来て 7.00 とられた。何だかバカらしいよう。でもさっぱりしていて似合う由。


二月八日(月曜)

 いやないやな自然描写における社会性のつづき「藤村の芸術と自然」を16枚かき終る。夜中の四時すぎ。その前に随筆3枚ばかりフトかいた。「女の散歩」

 ひるま眠くて眠くて。

 婦女新聞へ稲子がつれて行ってくれ、かえりの道々こまかくいろいろ云ってくれた由。又女中のことも心がけてくれる由。

 自分このひとに対する(稲)友情で果してどんなことをしてやったことがあるだろうと折々思って苦しくなる。あのひとは金がなくて、あっても出来ぬことをしてくれる。自分は偶然金があったためにした親切なような場合が多い。これは苦しいことである。


二月十一日(木曜)

 G子つとめることになる。


二月十二日(金曜)

『文芸春秋』に「文学における今日の日本的なるもの」二十四枚ばかり。

 G子さん、出がけに共同へ届けて貰った。


二月十四日(日曜)

 家さがしに一寸歩き、踏切りの外のところの左側に見つけた。そこにするであろう。

 中のさん夫妻来、酒がすをもって。


二月十五日(月曜)

 今朝『報知』に「『大人の文学』論の現実性」を三枚半ずつ三回書いた。


 小椋、壺井、手塚、山田清夕飯に来。

〔欄外に〕面会


二月十七日(水曜)
〔発信〕第六信


二月十八日(木曜)


 金原来、寿江子


 夜フラリと稲子来。mが云った話、自分の返事した話を一寸した。稲子には私の心持がよく分った。mどう分るであろうか、分ってくれることを切に切にのぞむ。


二月十九日(金曜)

 十一時頃からM来、夕刻までいる、G君かえる迄待たせて貰っていいですか、直接話したいことがあるから云々。夕刻G子かえる。夕飯、洋服やへゆく予定であったから行きなさい、二人で。かえって来て曰ク、目白駅まで一緒に行って、決して一緒に生活などしないのだからそのつもりで。稲ちゃんや私にきみから云ってくれ。母、姉は関係のないことだから何にも云わないで、と。きみからそのことをはっきりさせてくれ(!)男の申すことなり(!)

 佐藤さん、稲子つれ立って、台所をしていたときに来る。皆で夕飯。

〔欄外に〕『乳房』出来て来た。


二月二十日(土曜)

 午後、金さん、小説について。いろいろ話す。

 今年の二十日は別に皆あつまることもしなかった。去年はウェルテルに集った由。

 夕飯に寿、咲、太郎来、かえりにくっついて行って、風呂に入ってグーグー眠ってしまった。


二月二十一日(日曜)

 戸につける鍵を丸ビルで買い、関氏の祝ものを買い、文をつれて来る。

 G子部屋の引越し。

 夜実にのうのうとして眠った。


二月二十二日(月曜)

 久しぶりで、落付く。落付いたのが珍しくて落付かぬようなり。いろいろのところに手紙の返事をかき一寸したギム的執筆をやる。恋愛論ヘドが出そうなり、いやだ。

 白揚社はそれだけ待っていると、畜生!

 恋愛論なしで通用することを会得せぬ俗物!


二月二十七日(土曜)

「若き世代への恋愛論」をかきはじめる。


三月一日(月曜)

 白揚社へやっと原稿をすっかりもって行った。

 フウ! 新しく書いた分三十五枚也。

 寿江子と会芳楼で会って、帝劇へ二都物語を見に行った。ロナルド・コールマンを久しぶりで見た。上手い。しかし古典的なものをする幅が一寸かけている、ディケンズがフランス革命の場合の民衆というものをグロテスクに描いてい、又映画でそのようにしか出ていない、それが自分を不快にした。


三月二日(火曜)

 中野さんがきのうフロで左腕をひどく切ったということがわかった。見舞にゆく。

 折角休みたいのに火曜日で豆ジャックが来て、何だか重荷。

 達坊へおひなさまの菓子をもって行った。


三月三日(水曜)

『新潮』の感想、いろいろ雑誌をひろげて見ても、今ここに書きたいものはない。一つある、しかしこれは大きすぎる、あれやこれや。


三月四日(木曜)

〔発信〕第八信

〔受信〕ハトロン封筒 半紙五枚の手紙 ウレシイ


三月五日(金曜)

『都新聞』へ「文学上の復古的提唱に対して」四枚ずつ四回書いた。


三月八日(月曜)
〔欄外に〕面会、30


三月九日(火曜)

 評論の準備のために神田へ本買いにゆき、途中で工合わるくなって林町へゆき、夕刻まで眠ってかえった。

 咲髪をパーマネントし、丸っこいぼってりした顔で、三指をつく新しい女中二人も来て居り、空気が実にかわった。太郎一度もまともな声を出さず、ピーピーしている。


三月十日(水曜)

 栄さんに泣きついて、手つだって貰い、「ヒューマニスムの諸相」七枚夜まとめる。


三月十二日(金曜)

『文芸春秋』「ヒューマニスムへの道」二十九枚


 mより電報来る。島田の家の負債整理のことについて、出立前に是非会いたし、と。

 島田の家のことについていろいろに心をくばっていることにつき、私は彼の心持を察し、そういう心労から自由にしてやりたく思う。


三月十三日(土曜)

 唯研にて七時より「今日の文学の有様」二時間余話す。いろいろの話が出て、戸坂その他のひとびとの話しかた、ものの見かたに自分は深く感じるところがあった。今日の唯研の中にある空気のゆるみについて深く感じるところがあった。

 唯研の中には、所謂労働者派風な傾向のひとと、一方に戸坂その他のような人とあって、その間にある矛盾や何かを指導してゆく力を欠いて居る。


三月十五日(月曜)

 面会にゆく。三十分の許可をもらう。「大分ひんぱんですな」調べていた人間を送り出し、一寸神経の立った顔つきをしている。それでもわけを話して貰う。

 間で、稲子の証人として草間の室で午前中をつぶした。そっちのをすまして出て来たら稲子が丁度黒い羽織を着てやって来たところ。そしたら、辻の室から紺大島を着て袴着の男が肩をふる歩きつきで出て来た、稲子きつく私を突ついた。何かと思う。紺大島だったので、宮かと思った由、上気した顔になり一生懸命な顔になった。私は却って袴など持っていないのを知っているし、一目、右翼っぽいところが分ったが。──この刹那の感情、面白い。稲子の深い友情。会ってたっぷり四十五分ばかり話した。この間の名前のことや何かについてこだわらずにと云う。それはもとよりのことである。宮も自分も気がすっかり合って話せ、いい心持であった。そして、斯う思った。もし我々が掌だけでもふれ合うことが出来たら、ああどの位休まるであろうかと。

〔欄外に〕

 ○宮、紙石盤にすっかり、負債の数字をかきその他準備して出て来ている。


三月十六日(火曜)

『唯研』に「今日の文学の鳥瞰図」三十一枚


三月十八日(木曜)

「プロレタリア文学の中間報告」8『グラフィック』


三月二十日(土曜)

『新潮』に二十三四枚、「文学の大衆化の問題について」


三月二十五日(木曜)

 午後三時のふじで島田へ立つ。


三月二十六日(金曜)

 広島 6:45。大阪から、体がきつくて起きていられず。寝台をとった。これで見ると、これからはダラ急で寝台の方がよろし。

 広島で七時四十三分とかいうのにのる。島田予定より二時間も早く着く。

 父、床の上に半身おきかえっている、そして顔色もややよろし。大いにこれならよいと安心し、すぐ宮に

  イマツイタ、 チチウエ オヨロコビ ヨウス ヨロシアンシン 二五ヒユリ と打った。


三月二十七日(土曜)
〔発信〕島田での第一信、


三月二十八日(日曜)

 母と宮島にゆき夕飯を岩惣の離れでたべる。

 宮島というところの面白さがわかった。

 岩惣の離れでいろいろうちのこと、私たちのことを話す。達ちゃんの婚礼のとき急に私を、ハイこれは顕治の嫁でというのを可笑しいから、こんど一寸あいさつしておこう云々。

 四年前に来たときと心持がかわっている、うちのものとして人にも紹介しようというところ。私の心持も先とはちがう。母さん、ということを或実感で呼ぶ。愛情をもって。

 この母さんの生活力、自分の母の生活力、何とその表現がちがうだろう。そしてこのひとの明るさと父の明るさとのちがいも。しかし、いずれにしても私たちの親は少くとも其々の片親ずつは皆すぐれた人である。生活を堪えそれをひっさげて生きる人々である。


三月三十日(火曜)

 母上、戸棚の古い支那カバンより宮の中学三年頃から松山時代の日記を出して見せて下さる。

 自分、あっちこっち見て、深く心を動かされた、はじめは箇人的な愛着から、次第に一人の才能ある青年の内的発展の過程とその苦悩について。

 パッショネートであった宮、荒い父の暮しぶりに心を傷めて、人なつこくなり寂しがっている宮、その少年の中から次第に勁い、一定した人格が形成されてゆく足どり。私の十六から二十歳までの日記はどのようであったろうか、二つを並べて見たいと思う。宮が経験した経済的な苦しみは、何も云わなかったが、宮をきたえている。マルクシズムに興味をもつようになり、しかも家のものに対する心持もあって、その関係を考えているあたりいろいろ深い示唆を与え、私の作家的熱意を刺戟する。


三月三十一日(水曜)
〔発信〕島田での第二信

 茶の間の障子をなおすことにして建具屋を呼ぶ。硝子の大きい二尺三寸のを入れて寝ながら外が見えるようにするのなり。四枚で¥28.

 〔欄外に〕

 ○低くたれ下っている家の軒の「しころ」。

 ○松の枝をくくりつけて又こしらえてある物干。


四月一日(木曜)

 寿江子に私がアイサツにまわるためのタオルを十七箱送るようにたのむ。

〔欄外に〕

 ◎今日から郵便ねあげなり。三銭が四銭に一銭五リが二銭に。ありがたき庶政一新というべきか。


四月二日(金曜)

〔発信〕島田からの第三信

〔受信〕三月十八日付の手紙への返事

 ○野原にゆく。荒れはてている。(荒れ果てている二階の部屋の方の有様ナカナカ面白し。)その中に陽に青い苔。庭木。親子三人。目の大きい利口で弱い娘。

 しゃぼてん。鶏舎のあたり。古いハタ、こわれた油をしめた小舎。奈良で大湯屋の辺を歩いたときのとおり、生活の余韻をしみじみと感じた。

 陽の暖い光。道の傍の豌豆えんどうの花。黄色く実っている夏みかん。

 ○村道を下りて畑の中に出ると、むこうに一つらなりの松林が見える。そこが海。風の工合がちがう。

 ○メバル。二月三月メバル。四五月ひらめ、という。虹ヶ浜のメバルはこの辺でも美味い。

 ○山田の兼重萬次郎。この人の村あたり男陶氏に朝鮮 300-1000 女、むしろ(塩かます)を織る。


四月三日(土曜)

一日じゅう=ひてえ

行っちょるかい。のうお父はん。

ちょりませ。おとなしうしちりますと

つかさんせ=つかわさんせ

順ぐり=せんぐり

いそがしい

     =しげしい

せわしい

餅=おむし


四月五日(月曜)

「女性の教養と新聞」『セルパン』四枚とすこし。

 徳山公園の花見。

 花の下蔭、という美しさがはじめてわかった。花のむこうに見える山々や海。「柔かい光線の明るさ」


四月六日(火曜)
〔発信〕第四信

 写真を一家じゅうでとる。大さわぎなり。隆ちゃんの洋服のアイロンをかけてやったり何かして。


四月七日(水曜)

 月三百円、そのうち日三円は修繕費。ギャソリンは又その中から。

 室積(野原から一里)の海岸に師範アリ。そこで学期がはじまる。女生徒の荷物を虹ヶ浜からトラックで運ぶ。四円。そしてかえりに二人の連中大きい桜の枝をもって来た。非常に美しい。国府津の桜を思い出した。

 宮覚えているであろうか。

 春愁頻なり。我胸を去来す。

 この日連中朝三時から働きはじめて、夜かえったのは九時なり。ひる十分休んだだけだ。三十六円稼いだ。「おゴー、三十六円」よろこんで、「ブドー液のましてやれ」この単純さ。宮を悲しませたこの単純さ、今も同じなり。

 腰痛甚し。右の方だけギクシャク。身動きも苦し。盲腸のセイだろう。切ること切ること。

〔欄外に〕

 ガラス障子出来。大よろこび也。

 ゴーリキイ「伊太利物語」をよむ。

 イタリーの多彩なところと、素朴な民衆の気力とがよくとらえられている。

 民衆の感情をこの時代のゴーリキイは好意的に好意的に見ようとしている。そして或甘さに陥りつつ。


四月八日(木曜)雨

 海辺から折られて来たその桜の小枝は特別な美しさに見えた。大ぶりな花弁の新鮮な重りを眺めているうちにその花びらの軟くさやかな裡に顔をうずめてしまいたいような心持になって来た。その心持を胸の中につよく感じつつ、じっと瞳をこらすようにしていると、その眼を瞑って、何も彼も忘れてしまうような感覚に浸りこみたい渇望の彼方に、激しい官覚の欲求のあるのを感じる。手のひら、顎、頬、胸すべての皮膚が、求めているものがある。もとめている彼の手のひら、腕、さっぱりとして力のある胸がある。何でもよい、すべてを忘れるような感覚というのではなく、只一つの肉体がいるのであった。代償がないという自覚。そのことの苦しいよろこび。

 ○自分は悲観しては死を思わない人間であるが、感覚から感動から屡〻死を感じる、そういうたちである。

〔欄外に〕

 ○この頃、自分は考える。自分のこの感情と官能の緊張について。

 ○自分は緊張とそのユルミとの波の激しいタイプでありそれを欲求している。何でゆるめられるか。まぎらされるのではなくて──ここに問題がある。

 海辺の桜は花もしっかりと美しいようだ。左の枝には房になって濃い紅の蕾。臙脂色の十字になったガクの色。爽やかな薄桃色の花


四月九日(金曜)

 夜、タオル三本入り 50s. の包をもって近所にあいさつに歩く。

「よいお日和でこさいます。あのこれが東京に居ります息子の嫁でこさいます。どうぞよろしく。日頃御厄介になっちょりますから今度見まいに参りましたついでに、ちょっとお物申そうと申しまするもので──」

 自分母のうしろからおじぎをする。「どうぞよろしく。」何だか妙な気がした。嫁のような気がした。

 ○駅で十二日の8号の寝台をとる。やっと。上。

 ◎父、血尿を出した。医者来る。紬の羽織にガスのカスリの着物、ひげ。目鏡だけすこしまし。地方病十二指腸虫。バセドーシの似たもの。尿道がいたいと云う。「ヤイ」悲しそうな声

〔欄外に〕薬をいやがる。


四月十日

 荒神さんの小山にのぼって見る。多賀子とよもぎつみに出た。ここの桜は室積の桜とは大変に花の立派さがちがう。潮風にふかれて香う桜花には何か溌溂としてつよく豊かなところがあり、こういう小山の桜は花びらも薄く弱くいかにも平凡である。桜の花のこんな相違を何か感情をもって感じることを面白く感じた。

 ○島田川のところの河原の景色。野茨、ささやぶ、やなぎの芽、底のすきとおった水、中流では下へ、川辺では逆のように見える。

 ○畷道に太いみかげの棒石をつかっているところ 又セメントで肥料壺をかためているところ

 ○トラックを河のところで洗っている。小さい小倉服の子供が、水でぬかるみになったところへネープルのようなものを皆ころがして泣いている。サア洗ってやる、隆、バケツに入れて洗ってやる。ゴム長に over-all の二人。

〔欄外に〕

 お寺の庭の外に菜の花エン豆の花がさいていた。荒神石段に野生の勿忘草が咲いていた。

 神風。今暁0時、九十〔二字分空白〕時間でロンドン着


四月十六日(金曜)

 帰京。

 盲腸のところがつれて歩くのにも困難を感ず。


四月十七日(土曜)

 面会に行こうとしたが朝おきられず。湿布腹帯をする。


 午後、寿とグレース・ムーアの間奏曲を見にゆく。ムーアをああうたわせ、こううたわせ、その工夫だけが目についてムーアに可哀想なり。


四月十九日(月曜)

 面会にゆく。mいかにも和らいだ気分で大変大変よろこんでいる。そのよろこびかた「うれしく思っているよ。大変だったね、いろいろ御苦労だった」何か深く私のこころにふれるものあり。よろこぶのが可哀想のような。このやさしさ。

(島田にいた時、夜炬燵のよこで富雄と達治とが、mが子供のときケンカにつよかったことについて話していた。その調子の中に自分の憎悪をかき立てた卑俗さがあった。それを彼のこのやさしさにつれて思い出し、弟だって親だって、こういうところをつかんでいないと腹立たしかった。)


四月二十三日(金曜)

 曇天。街路樹の銀杏の若芽がこってりと濃い油絵具をぬったように曇天の下に見える。美しい。路巾がひろく人がまばらに見える。

 飯田橋より水道橋までの間の河岸の荒廃した景色。もとのホーヘイコー廠の空地に東洋のハーゲンベックというサーカスが天幕をはっていて、そこの並木が旗でかざられている。

 ○陸橋の上の方から見下すと、ひろい改正道路の先がはっきりした見とおしで細くなって、その左右の街路樹の緑が見える。ずっと先の方に新宿辺の高層建築が見はらせる。


四月二十四日(土曜)

 陶々亭日本評論座談会。散会後ラスキンへ行って中野、徳永、大宅、大村、私お茶をのみ喋り、そこから三人で寿司栄による。

 大宅、中学時代賀川豊彦の徒で、賀川が演壇でワーと沸かして、うちへかえるとそこで展開する生活を対照的に批判することから、露悪的傾向をもって「今日こんな変なもの」になったという話。いろいろの意味で面白かった。変なもの、変でないもの交々こもごも去来している、彼の中には。変でないもののままに言動することを自嘲する彼の変なもの。

〔欄外に〕

 ○托児所のことで来た女。変にあいまいなものの云いかたをするので、突込んで行ったら、結局うらで赤松克子が、いろいろ云っているということが分った。

 ○市電、増俸を要求してきのうからサボに入る。しかし自分はこのことを単純に見られず。決して単純なものでない。何がどんでんがえしで出て来るか。このところ社ファの大芝居であろうと思われる。


四月二十五日(日曜)雨

 カナメの赤い若葉、緑の新鮮な若葉をぬらしてこまかい雨が真直にふっている。

 自分、こういう日になると郊外の雨の中に行って、ぬれた若葉の間へ顔を突こみたくなる。我慢をして一寸勉強、山本有三を。

 ○外には雨の音、かすかな水のながれる音と庇の雨だれの音。話し声(となりの部屋の)まわりを見まわすと外のみずしさにかかわらず、かわいたちっともつゆのたまっていない白い小手毬の花と、やや傾いてつまっている本の乾いた列がある。いろんなものがみんな乾いている。猶、外へ出たくなった。

〔欄外に〕

 ゆるやかな上り勾配になったひろいペーヴメント。緑の街路樹の色が濡れたペーヴメントに、つたや、白い色の□□映って、青い樹の下に緑の下草が萌えているように見えた。

 ○青い蝋燭の列のような静かな誰もしらない自然の祭りのあるような日。

 ○樫の芽(濃いぬれた去年の葉の上に柔かい茶色のより糸の房のような新芽)

 ◎濃淡の緑の矢はず模様のような落葉松


四月二十六日(月曜)

 新しい女中来。お久さん。お久さんに縁がある。


四月二十七日(火曜)
〔受信〕島田宛の第八信が廻送されて来た。

 ○新宿第一に春の目ざめと科学者追放記とを見る。

 ○こわれた傘のこと。ねりものの柄がさっとわれている。「ずっと前からこんなになっているらしくてよ」「そういうことをきくのじゃないよ」

 人前でスーとはり出すポーズ。いやに冷たく云う調子、意に介さぬという風に。


四月二十八日(水曜)
〔発信〕手紙を出す。帰京後の第二信

十信か(島田をとおして)十二信位か。四月四日に第八信をかいたのだとは分るが。十五信ぐらいだろう。


五月一日(土曜)

 メーデーのない五月一日。十三四年ぶりにメーデーのない五月である。昨日総選挙。その結果棄権率の非常な増大を示した。東京〇・三七八、前回〇・二六八。大阪〇・四六三、前回〇・五六五。その他総計〇・二六五、〇・二一三。『朝日』号外「社大党優勢」

 フミかえる。五年間女中生活をしていたのがやめてかえる。「ゆんべ、いろいろ考えたらどうしても眠れなくって」私のところからかえるというのみならず。

 ○市内特別郵便6厘であったものが一銭五リになった由。紙十一円であったものが十七円になった由。こういう切手も歴史的な見本となった。

〔欄外に〕

 曇天、驟雨。二階に夜具を乾してあったのを知らずにぬらした。

 一九三五年の五月一日にも驟雨があって、昭和橋の辺で行列を見物していた私共は、雨の中をかけ乍ら銀座の支那料理へかけ込んだのを思い出す。


五月二日(日曜)雨夕方から晴、夜は星夜になった。

 山本有三について書きはじめた。視点がきまったので、比較的すらりと書ける。

〔欄外に〕

 天文草を十買って来て前の羽目のところにG子植える。

 朝顔の苗をも植え、金蓮花の苗も。そして日記の上のところを見たら八十八夜とある。


五月三日(月曜)
〔欄外に〕国鉄動揺す。


五月四日(火曜)

 ○仕事は溶鉱炉なり。溶鉱炉に火が絶えぬと同じに、仕事も絶えるのはいけない。一ヵ月近くろくに何も書かなかった。その前にひどく仕事をしたあとだったので猶更つかれが出て、ボッとなって調子が出るまでにつらかった。


五月五日(水曜)

 山本有三論「山本有三氏の境地」39枚終る。大変熱心に書いた。

 書いた後も何だか余韻が心にのこっている感じ。

 ○遠大なプランにて毎日リンゴ二コをたべることにした。片山の爺さんがリンゴをおあがり、二年たつと体の組織がかわるよと云った。自分の体はよく変えねばならない。丈夫にしなければならない。そのためにリンゴをつらくてもたべる。

 ○金龍済送還になる由。G子、その話を知っていたのにしない。今栄さんからきいて、自分非常にフンガイしているのに、G子傍で変に白ばっくれたような顔をしている。不愉快なり。どうしてこうシンセリティーのない女か。ヒドイと一言ぐらい出るのが人間の自然だ。

〔欄外に〕

 ○テイ信従業員増俸闘争。

 ○黄バスの争議。女車掌一人乗車しようとしたらたまりにつれてゆかれ、家へかえりたい、腹痛で医者へゆくと云って保護願いに出る。そのためそこを解散させられる。こういう小娘!


五月七日(金曜)

『関西学院』へ「若き時代の道」五枚を送る。

 小説の下拵えをする。

 小説というものに何かちがった感じ、(この一月頃から見ると)をもって来た。これは一月以来の評論的な仕事からの収穫であり、何か本物の一エレメントが分って来た、会得されて来たというところがある。所謂インテレクチュアルなものから、或は真剣さのすぐわかるところにあるものの外に、そして「雑沓」のときに感じていたものとは又ちがう要素──とにかくここですこしつづけて小説をかくと一歩進めることが予感される。一生ケン命にやるべし、やるべし。徹夜などしないですむように勉強すべし。

 魯迅選集の伝記をよんで大変面白かった。魯迅の生きた支那の複雑さをはっきり理解することが出来た。同時に複雑な政情の間に処する正義感のつよい芸術家のプラスとマイナスとを感じた。

〔欄外に〕

 蒋が武漢でやった芝居。今日の支那の事情。もとより圧力に於て違っている。しかし深夜蒋は前科を何と追カイするか。その計量の心裡。


五月八日(土曜)

 ラジオがいる。林町へ行ったら、どうしても午後一時五十分、三時四十分、五時二十五分の市況をきけない。第一放送の方だとアタゴにたしかめたのに入らず。妙だ。時間が来ると手帖をもって西洋間に行くが入らない。スミレやに借りることをたのむ。


 かえって、一寸横になったら金さん来。かえされそうだ。いろいろ話す。ヤンバン。おちぶれヤンバンが町人で今権力あるものの系図をかきかえてヤンバンにいれてやる。系図出版十三冊二百円、ヤンバン料二三千円。それを共同のインチキヤンバンに本を詐取されて(あっちのをこっちへやったり)サギにかかってすっかりすってしまった話。

〔欄外に〕村の入口に国旗を立て毎日君ヶ代をうたわせる宇垣の業蹟


五月十三日(木曜)

『改造』「猫車」四十二枚おわる。


五月十四日(金曜)

 真船豊の「裸の町」を見る⅔ほど。

〔欄外に〕面会


五月十五日(土曜)

〔受信〕ハトロン八枚の手紙来る。それでもまだよみ足りぬ。足りぬ。


五月十六日(日曜)
〔発信〕第十四信をかく。

 ○確信と自信とが一緒くたになっているという心持。

 ○宇垣、東京市長へ色気あるとかないとか。大きな笑い顔の写真

 俊子さん

 午後から戸塚へゆきいろいろ話す。街の裏の景色。ごたごたの間の葡萄棚、連っている物干。

 鶴。中の来。四人で銀座へ出て佐野やでmのための目をつけておいた手拭を買う。アヤメと燕の。

 ◎文学の大衆化の問題について、いきなり大衆へ期待しているところ、あの結論は二段三段のちと云う鶴の意見は本当である。

〔欄外に〕

 白揚社のこりの 16.06 もって来る。千すらなかったのを残念がっている。


五月十七日(月曜)
〔欄外に〕旅行雑誌へ五枚


五月二十日(木曜)

『新潮』座談会。偕楽園


五月二十二日(土曜)

『文化評論』「今日の文学に求められているヒューマニスム」十一枚


 大掃除。夏冬の入れ換え。

 月夜。久しぶりで月の光を眺めながら横になっていた。夜二時間ばかり仕事。


五月二十四日(月曜)雨

「現実の道 女の仕事と職業とについて」15.5『婦人公論』。


 外へ久しぶりで出て、新宿へ行き、ムサシで恋人の日記を見る、不満。


 マリア・バシカートツェフの日記を『新女苑』にかいてやろうと思う。ソーニャと対比して。


五月二十五日(火曜)

 ○野上さんに電話をかけ日記をかりることにする。

 ○薬をたのむ。

 ○夜、壺井さんのところへひさもゆき夕飯40sのうなぎ。

 ○栄さんとmの話した名のことを話す。私の心持はいろいろ苦しいところがある。

 そのことについてmと自分との間に評価のちがいがあるところ、彼にその違いが生じる主な原因が、現在の生活事情であるという点、そこにつらいところがある。かつくしおしいところが。

〔欄外に〕

 上巻をよみ終る。

 下巻


五月二十七日(木曜)

 マリアの日記、千五百頁以上アリ。


五月二十八日(金曜)

「マリア・バシュキルツェフの日記」二十五枚『新女苑』


五月二十九日(土曜)

〔発信〕第十五信を出す。

〔受信〕久しく手紙なし 引越しで書かせぬのだろう。


五月三十一日(月曜)

 巣鴨が「一般公開」だというので栄さん、G子三人で車をはりこんで出かけて行って見たら、一般公開なのは制作品売場ばかり。わが亭主の引越し先という心持でかけつけて、大むくれなり。甘さバクロ。作品オハチや何かとぶようにうれてはいるが、何だか普通とちがう空気が物品にまといついている。上等な家具などの作品でもスッとせず皆重い。念を入れかたがちがう。いかにもその仕事にばかりうちこんでいるというか──暗さがついている。カン守が背広で子供をかかえたりして歩いている。そういう家族が多い。夜、稲子のところ。やはり公開ときいてあとから巣鴨へ行って見た由。

 夜いろいろ話す。非常に有益にいろいろ話した。そして一時頃かえろうとしたら、ついおそくなって徹夜。眠い眠い顔で朝飯をたべ、かえりに白いあやめを買って、羽織をかりてかえって来た。

〔欄外に〕

 ○自分を押し出すということについて。

 ○説得し納得させようとすることについて。


六月一日(火曜)

 ○文芸春秋社へ出かけて、小説を一ヵ月のばして貰うことをたのんで来る。

 ○下の下足のところで中本さんに出会う。


六月二日(水曜)

 自分は殆ど二十年ものをかいて来ている。だが、この頃になって更に、書く、ということが一層深く判ったような気がする。

 書かない迄はなかったものを書く、それで存在させることになる。書くこと=存在あらしめること。何ということだろう。頭の中にあること、心の中にあること、しかし書かれなければそれまでのことだ。一人の女がどんなよろこびと、どんな苦痛をもって生きるか、それでさえも。書かれなければ存在しないと同じ。これは何ということだろう 書くことと書かないこと、それは存在せしめることと存在させないこととの区別であるということ。


六月三日(木曜)

 すぐ書記が出て来て許可を渡してくれた。引越しの仕度でゴタついている。外の物置を片づけている。ピストルや銃を畳表のようなものでくくったり、本箱や何か出しかけて。

 ○m、又厚着、体がわるい。熱はなし。盲腸シップ。塗薬。この二週間ばかり手紙を書かなかった由。部屋でかけないから。──体がわるいということについてm、きまりわるいような、悪いような子供らしい微妙な顔をした。「どうしたい」この前も第一の言葉がこれ。「どうしたい」こういうときの感情のあたたかさ、柔かさ、包んで来るものを私は昔から知っている。名の話、どうでもよい、強いてには及ばない、心持さえ分っていれば、いいよ、いいよ、いずれゆっくり書くから云々。

 ○自分の感情、面会の後何だか真直うちへかえりたくない心持。

〔欄外に〕

 かえりに新宿へ出て電球をかって、ムサシによる。下らぬものばかり。

 面会。十四信までついているよ。


六月四日(金曜)

『帝大新聞』中野重治の作品評「鼓舞されるべき仕事」を二枚。

 ○『日日』廻転扉のため二枚(「仮装の妙味」)

 ○島木健作氏への答 三枚(『読売』)

 ○S、来てとまっている。血痰がたまに出るらしい。太郎にうつすのがいやだからなるたけ林町には暮すまいという。近所にアパートを見つけ、うちで食事をする方法。Sもなかなかなり。二十三歳の女の子の荷物にしては彼女の生活は軽からず。いろいろひとりで考えているところを考えると可哀そうである。昨夜その話をして、今日はさすがにすこし悄気ている。夜銀座へつれて行ってやる。信華へより、白檀の扇 2.45 とかを買ってやる。しかし寿江も父母がいないから却って生活をしっかりすることが出来る、もしいて、こういうことが分ったら、ソラ転地ソラソラと早く死んでしまったかもしれない。

〔欄外に〕

 ○六月一日近衛文麿に大命降下。馬場が内相。山本有三が箇人的にだがややましなことを云っている外、青野、室生ひどい。これらの作家、評論家の質を実にあらわしている。菊池の礼讚。前より質において進んでつづきと思わないらしい。


六月五日(土曜)

 稲子の話「小説ってものはどうせ嘘だと思ったことがあった。だから、そこでどんな嘘をつくるかということは大切だと」「運命と箇人の努力の噛み合いって、大変なもんなんだねえ」

 ○珍しい、ひる間この家で稲子を見るのは。お寿司をはりこんでいたら中野さんと渡辺さんという方が見えましたという。戸台さんも来る。いろんな話をして面白し。早慶戦のアナウンサーの頭のわるいこと。原さんワセダで、ホームランに大熱狂。

 ○夜関さん娘さんと共に来。いろいろ話をする。娘さん聖書講義をきいたり、神学を(オーソドックスのを)きいたりしている。学校で里見弴の話があった由。谷川氏のヒューマニズムの話など。里見とはどういうものだろう! 批判力のない若い時代というものは、若さの価値の80%までを失う。

 ○きょうm手紙を書いたかしら。

〔欄外に〕

 早慶三ルイが生きるか死ぬかでもめる。タッチしたのち球が落ちたか、そうでないかと。

 早稲田セーフになる。ケイオーどんどんのり出しあわやというとき呉のホームラン。

「呉っての、打てないんだけれど打つとかっとばすんですよ」

 放送

「只今呉君うれしい緊張のために真蒼な顔をしてベンチの方へもどって居ります」

「ホームを廻って握手ぜめにあって居ります」。


六月六日(日曜)曇天

『学芸新聞』四枚

 ○本間さん来。井戸の水を盗むようにしてチャコが汲んで暮している由。市場へ一緒に行って飴玉とうるめの干ものをおみやげ。

 ○目白荘というアパートを見る。G子そこの4.5 14.50 をかりることにすると云っている。寿のために見たのだが、万更住めなそうでもない。静かで、そして駅に近いのはましである。

 ○文芸会館の割当て私には 100─150 である由、民樹氏より来信。ホホウ、百円とはどういうところからの推定であろうか!


六月十日(木曜)

 栄さんに来て貰って「映画における恋愛」(七、八枚)

「イタリー芸術にある一つの問題。」「脱出」への疑問を書く。(九枚)


六月十一日(金曜)

 スメドレイとバックについて(二〇)


六月十九日(土曜)

〔欄外に〕

 うた子さんとはじめて巣鴨にゆく


六月二十日(日曜)
〔発信〕第十六信

『帝大新聞』「愛怨峡」の印象 6枚


六月二十一日(月曜)

 仕事をはじめる。「雑沓」のつづき。


六月三十日(水曜)

〔発信〕第十七信

〔受信〕六月十六日の手紙着 スガモからの第一信


七月二日(金曜)

 六十八枚迄書く。


七月三日(土曜)

 ぐったり。仕事をやすむ。


七月五日(月曜)

 この頃の暑気九十度を越している。フー


七月七日(水曜)

 北平の郊外で

 中国兵が不法発砲をした由


七月九日(金曜)

 仕事がすんで、朝七時前寿江子と共同へ届ける。九十六枚。

 夜林町

 雨

 遠くの電燈

〔欄外に〕北支のゴタゴタ。臨時ニュースその他


七月十一日(日曜)

 第十八信をかく。


七月十二日(月曜)

 腸の具合のわるいの、ケッカク性かもしれないと云っている。

 可哀想!

 やられたと知ったときより辛い。

 大変つらい。

 かえったら稲子がいる。とびとびに喋る。

〔欄外に〕

 面会。

 思わず「蒼いこと!」

 壁に手を突ぱって苦しそうにして立っている。少しのびた髪の毛、単衣二枚重ねて、濃い濃い眉。


七月十三日(火曜)

 毛布カヷー、座布団カヷー、夏ブトンを注文する。

 夜手紙をかく。(第十九信)

 やっぱり苦しい。今までより苦しい。

 ああ美味い! とたべる、すぐあとからたべられぬのだと思って苦しい。大変に切ない。

 ギセイというものの現実における形。きれいごとでない形。それでひしゃげない気持。


 稲子買物に一緒に来てくれる。つばのひろい帽子を買った。『新女苑』から金をとって。

〔欄外に〕

 肺がわるくなった、その他、何だかしのぎよいところがある。かたまる可能がある。

 腸へついてはかたまらない。それが辛い。


七月十五日(木曜)
〔発信〕第十八信を出す。

『日日』学芸、五回かく。3枚半ずつ「近頃の感想」


七月十六日(金曜)

『唯研』に「『ラジオ黄金時代』の底流」を。十五枚。


七月十九日(月曜)
〔発信〕夏ぶとんを送る。麻の着物を送る。

 よしんはんじ休むとこまるので、許可貰いにゆく。


七月二十日(火曜)
〔発信〕第十九信。島田へ薬一週間分

 つかれて工合わるし。

 心配で工合わるし、よく眠られず。


七月二十一日(水曜)

 腸の工合わるし。


七月二十二日(木曜)

 ねている。ぐったりしてしまった。


七月二十三日(金曜)

 おきる。


 いろいろ考える。いろいろに考える。

 自分はこれまで宮のしっかりさを固定的に考えていたところがあった。これからは二度会いにゆき筆まめにしよう。

 自分が熱心に仕事している。そのことが愛である。そう思うことは間違いではないが、仕事をしているのが私で、病気してろくに本もよまずにいるのが彼であるというのも事実であるのだから。

 愛への過信めいたもの、いろいろな形で忍びよる危険。稲公の経験したことが分る。宮が何でも云う、それは実にありがたい。彼の誠意である。

〔欄外に〕

 宮の誠意というもの。自分は決して不誠意ではない。だが、宮の誠意にはグーの音も出ない。そうして伸びる人間、それでグレる人間。


七月二十四日(土曜)

 林町へ行ってしらべる。


七月二十五日(日曜)
〔発信〕第20


七月二十六日(月曜)
〔発信〕第二十一信

 ○ゆっくり話せた。体のこと。熱 37°1 位の由。盲腸のところ。鈍痛。かたい便のとき、白いものがくっついて出る、そこに結核の疑いあり。しかし呼吸器の方も初期であるからかたまる可能がある。それにつれてそっちもましになるだろう。すっかりよくなったら=体力が出たら切開して盲腸をとっておく方がよろしい由。それはよいだろう。

 ○きょうは大体気分がよいらしく機嫌よい。体の調子になかなか作用されるところもあるのが分った。手紙の小さい表現、フキゲンの表現などにそれほど動かさるべきではないのだ。そのことがやっとわかる。そんなケチな信頼ではないのだから。やっぱり自分は甘えん坊なところがある。

〔欄外に〕面会。


七月二十七日(火曜)

『新女苑』の小説「築地河岸」21


七月三十日(金曜)

『中外商業』への月評終る。

八月の稲妻

(一)紙は高くなったが

(二)狗肉

(三)戦争を描く小説

(四)ガンジーの糸車

(五)何と解するかの問題


七月三十一日(土曜)
〔発信〕第二十二信
富雄の金の話。

「矛盾の一形態としての諸文化組織」7、『三田』


八月五日(木曜)

「パリ国際ペンクラブ大会 議題の抜萃にふれて」七枚


八月八日(日曜)
〔発信〕第二十三信

「数言の補足」──伊藤整への答五枚

「カメラの焦点」作品 随筆的時事評 五枚半


八月九日(月曜)

『日日』婦人欄「『世界一』いろいろ」一枚半。

〔欄外に〕

 上海事件おこる。

 水兵射殺さる。


八月十四日(土曜)

 ○体重58キロから48キロに一ヵ月で下った由、

 かんさんして見ると48キロというのは十三貫百三十匁云々なり。

 ○蒼い蒼い顔、黒い黒い眼。椅子へぐったりと腹をおとしたようにしてかけている。

 ○歩いて行く後姿を見るとやっぱり大きく見えるけれども。この間からずっとやせた。

〔欄外に〕

 面会。はじめて病舎の方の接見室、腰かけ。歩いてゆく姿、珍し。


八月十五日(日曜)

〔発信〕第二十四信、別にハガキ二枚

〔受信〕七月二十七日の手紙が今日着。

 医者の本を見に行く、なし。南江堂へゆくことにする。

 自分のためにいろいろの本25円ばかり買ってしまった。久しぶり。緑郎にやるために〔以下空白〕

 久松潜一の「日本文学評論史」箇人から出発している。時代的背景につき入らぬところ、千ジンの功を一キでかいている。二千八百頁もの本であるが。

 ○夜食事しはじめたら苦しくなって吐いてしまった。

 ○自分が病気の方がよい。そして自分が死ぬ方が楽である。

〔欄外に〕

 なかなかひどく暑い。へばっていて仕事したくなし。


八月十六日(月曜)

 ○午後から寿、バラ、ひさ一家で林町へゆく。

 ○南江堂で本を買い送る。

 ○発達史日本講座のためにプラン一枚半

 ○夜いろいろ考えて、宮のところへこれから毎日一枚ずつハガキを書くことにきめる。

 イラストレーションのようなものを見つけて送ることも思いついた。そして気がやすまった。久しぶりで楽な気分になり、川の流水の音が淙々ときこえる人のいない宿やででも眠りたい心持がつよくした。

〔欄外に〕

 ○宮の腸結核のこと殆ど疑いなし。

 ○腸をやられては二年持つまい、そう考えると非常に苦しい。背中がまがって来る。

 ○癒そうという非常に執拗な努力しか我々を元気づけない。その仕事への腰をすえた協力しか私をも元気づけない。


八月十九日(木曜)

『若草』へ短篇「鏡の中の月」21


八月二十日(金曜)

 ○去年も七月中はちゃんと仕事が出来たが八月は駄目。

 来年事情がゆるせば八月は初めからどっかへ行って暮すことにきめた方がよろしい。その方が却って能率的である。


八月二十一日(土曜)

 バラさんのお母さんに留守番をたのんで国府津へ来る。

 十日ばかりの予定。


八月二十二日(日曜)
〔発信〕第二十五信

 本年の最高、東京九十七度、こちら九十二度。


八月二十三日(月曜)

『報知』の時評五回

 1 時局と作家

 2 東も西も

 3 三人の婦人作家

 4 軛はひとつ

 5 ヒューマニスムとは何であろうか

〔欄外に〕大雷雨


八月二十四日(火曜)
〔発信〕二十六信

 夜仕事にかかりはじめたら、寿江子太郎をつれて来る。


八月二十五日(水曜)

 仕事を送り終る。

 体の工合午後からわるくなって苦しい。

 夕飯たべず。

 紀さんいよいよ召集された由。林町から電話あり。

 緑郎さんの送別会東京会館プルニエ。出ず。

 S曰ク、何もうちで緑郎さんの送別会をしてやらなければならないというわけはないからやるならわり勘で云々と。段々こういう口吻を我ものとしてしまうのか。あわれ……


八月二十六日(木曜)

〔発信〕二十七信

〔受信〕八月十六日づけの手紙着。

 倉知では俊ちゃんも召集された由。キカン銃隊の最前線の由。この話をきいたときすぐスタ公の気持が頭に映った。きっと多くのところでこういう心理劇が行われているのだろう。


八月二十七日(金曜)

 おみやさん腹工合がわるいと云って一日ねている。

「作家の見た科学者の文学的活動」『科学ペン』に書く。

〔欄外に〕

 上海で日本の飛行機がイギリス大使の自動車にキカン銃の掃射をやりバク弾を投下し重傷させた。「不幸なる過失」と見て日本の態度を待つ由。


八月二十八日(土曜)

 バスで国府津へ行って郵便局から原稿を出す。それから小田原ゆきのバスにのる。出発間ぎわに酒匂から五人出たと云って国防婦人団のたすきをかけて女達、男まじりワンさのりこむ。バス傾くとひっくりかえりそうに満載してゆく。

 小田原、アサヒで久しぶりに食事らしい食事をする。佐藤さんにカマボコを買い、宮にハガキ二枚をかき、来たバスのかえりにのって国府津、又バス。それでも四時一寸すぎ。

〔欄外に〕

 前羽から七人うち五人は補助を要する経済事情。

           ──○──

 アサヒの右の隣に紺紗の着物を着た相当の身分の老夫婦。

           ──○──

 自分のテーブルに絹シャツだけの五十前後の父、(うすはげ、縞の絹シャツ)二十前後の息子娘(洋装、ワニ革のハンドバック)「パパ行こうよ」パパ一向パパの重みなしこごみかかってアイスクリームなめている。品のないモダン一家の典型。娘アイスクリームと云わず「クリーム三つ」という。鼻声で。口をうすくあけてすべすべの皮膚をして動物。


八月二十九日(日曜)

 布施勝治がリガに行っていて、中国のスペイン化がクレムリの意見であると。

 ○『婦人公論』、ブルムの結婚の幸福について、発禁が来たと新聞にある。風壊で。自分の感想、これにふれるから、やめた方がよいだろうと電話かけかけたが日曜日だったのでやめる。かけば公平にかかざるを得ない。日本の美風のみを誇張することも切ない芸当であるから。

 ○余り爽やかで海が奇麗でじっと見ているうち、思い立ってかねてから考えていた良人への手紙を書く。涙流る。ほほ笑まれもする。愛情というものの微妙さ。豊富さ。死を越えしむる力。

〔欄外に〕

 きょうは爽やかな風が吹く。今度こっちへ来てこの空気の美味さにほとほとまいる。いつまでもこの空気だけは欲しい。まだ腹の中まではしみ透らないから。宮本にこの空気をすわせ、ここに置いたら! 畜生。


八月三十日(月曜)

 中野『朝日』で時評をかきはじめた。きのう。舟橋聖一の小説の中で自分がとらえたヒューマニスムの問題をとらえていない。こういうのはどういうのであろうか。又石川の場合、都会と農村の関係の一方性についてもふれて居ない。何だか心配な気になる。

 ○昨夜七時すぎ緑郎、□沢一緒にダットサンで来た。ついつられてのってかえってしまった。


八月三十一日(火曜)

 面会。予・判、きのう行ったが体のことについての調書をとろうとしたら、ことわった云々。

 会ってきいて見ると、体のことに関してなら別にかまわない。そう云っておけという。

 医務の方から体のことを注意したらしい。やはり、それを利用しようとしている。

 人間は感情の動物ですから 云々

 法律には自由サイ量の余地があって云々、女房に会わすのだってこっちの腹次第ということを云って盛に消極的威嚇をやっている。虫奴! 不徳の致すところ云々。

〔欄外に〕

 面会。熱が七度四分ばかり出ている。工合なかなかわるいらしい。


九月一日(水曜)
〔発信〕第二十八信

 朝のうち又裁判所へ行って話す。いかにも心持よくない後味である。

 人物が小さすぎる。だからどうしても小口からくいにかかる。

 結局人間というものの評価もきまっていないことをことごとに「語るに落ち」て示している。困る。


九月二日(木曜)

 緑郎三日にフランスに立つ。東京駅からつばめで立つのを送る。咲枝須磨の友達のところへとまりがけでゆく一人。

 五時五十分ので太、サエ、国、自分、国府津へ来る。夜ター坊をねかしてから国と二人二時頃までいろいろのことについて話す。


九月三日(金曜)

 ○一日つまらないがつまらなくもない雑誌をよんで暮す。

 ○気候がこの三四日いなかったうちにすっかり秋めいて来た。蚊がへった。

 ○太郎、ああちゃんさわぎを比較的しない。大助かりである。

 ○小田原の特高来る。三十分ばかりいてかえる。

 ○八月中には七十余枚しか仕事をしていない。七月は百枚ぐらい。人の一生が「その活動と日附」という風に描かれる程充実していたらどんなによいだろう。

〔欄外に〕

 曇天。きょう緑立つ日なり。汽車の中から速達をよこしてかえりたくなったといって来たよし。


九月四日(土曜)

 ○臨時議会。支那事変軍費二十億二千二百七十万円也

 ○ムッソリーニは二十四日にローマを出て、ヒットラーに会いにゆく由。警保局長がベルリンに行って警戒の打合わせをした由。

 ○シベリアにおける反革命分子の活躍盛の由。サヨーデスカ


九月五日(日曜)
〔発信〕二十九信

『自由』への原稿「全体主義への吟味」19枚書く。

 夜、寿江国と来る。


九月六日(月曜)

 咲、朝かえる。あっちの方では空襲の本気の警戒をしている由。

 パン切ナイフをおみやげにくれた。うれしい。大いにうれしい。


九月七日(火曜)

 ジャングル Book を一日読みとおした。久しぶりで又面白い。キプリングがしかしこの本を「女王様のおとも」で終っているのは拭うことの出来ない下らなさである。彼のけちさである。単に歴史性のみならず。イギリスの殖民地政策という〔以下空白〕


九月八日(水曜)

 国府津からかえる。国、咲と一緒。

 出征兵士の一団とのり合わす。バンザーイ、バンザーイの間を通りぬけてゆくのは、丁度稲荷のやたらに沢山の鳥居を早足でくぐってゆくような神経の状態におかれる。

 ○夜壺井さんを呼ぶ。


九月九日(木曜)

 夕飯に壺二人、稲、いろいろはなしてうれしい。十時すぎて鶴来、遂に三人で喋りあかす、いろいろのことを。夜あけがたにキャベジをいためて玉子でとじたものをこしらえてたべる、皆は八時頃かえる。それから一時頃まで眠った。


九月十一日(土曜)
〔発信〕第三十信


九月十三日(月曜)

「青春彷徨」をよみ終る。


九月十四日(火曜)

 菊池甚一という人に会う。

 二階へ勉強部屋をうつす。


九月十五日(水曜)

 本日から防空演習、の下げいこ。

 ○「由比正雪」ふとよみはじめて大変面白い。「雪崩」などのように弱いものではない。

〔欄外に〕

 面会。

 体の工合わるくて当人の意志で会えない、由。

ひきかえす。

 家へかえる気になれず戸塚へ行って夕十一時すぎまでいる。防空演習。

 サーチライトの太い青い液体の棒のような光を見る。


九月十六日(木曜)

 ○七時半からおきて鈴義氏に会う。いろいろしらべて貰うことにする。

 ○三十一日に会ったときよりずっとしっかりしている。身ごなしに彼独特の美しい大きい線があらわれている。

 ○話しているうち口につばがたまって来たらしく泡が見える。紙あげましょうか、いいよあるよ、袂をさぐる。ない。自分いそいでハンドバックから紙を出しわたす、テーブルの上におく。それをとってつばを拭く。とにかくこうして直接に一枚の紙でも夫・妻として渡しあえたこと何年ぶり! そして又いつこういう偶然があろう。感動的な、二人にしかわからない感動。彼の表情、身のこなし、すべてやはりそのことを語る。

 かえりに西川、三越へよって夜着ジュバンを買う。

〔欄外に〕

 大雨。

 面会、


九月十七日(金曜)
〔発信〕第三十一信

 昨日の感動の中で過したような一日である。シャツではない、こういう風に合わせるのがあるだろう? と云って、胸をひろげてその手つきをしたときの表現そのほか、きのうのように感覚的な彼の気持が自分に迫ったことこれまでになかった。

 ○『読売』に「金色の口」二枚かく。


九月十八日(土曜)

 柳瀬さんが来て21畳で18円とかいうアトリエの話をする。寿大のりきになってきいて貰うことにする。又西落合に芝生があって、6・4.5・3に十八畳位のアトリエで南もあいているのが 600 で整理するというのがあり、これもきいて呉れる。

 自分大きい一つの部屋が欲しい。気分のかわることを欲する。しかし西落合、森山を思い出していやである。豊島のこの辺は去りがたい。

〔欄外に〕

 小雨

 防空最終日。夜間の飛行はやらず、本ものと間違えるといけないからの由。

 古本屋へ行って大仏の「赤穂浪士」をかって来て一晩によむ。大仏の苦心がわかる、しかし「由比正雪」はやはりこれ以上の作である。

 髪を洗う。


九月十九日(日曜)

 テーブルを壁際にもって来てすこしは左光線になるようにする。

 宮の夜着出来て来る。

〔欄外に〕

 小雨


九月二十日(月曜)

 アンナ・カレーニナの初日を見る。

 ○小川さん来、二百枚も小説を期待していたというのには困った。

 ○一年四回、『文芸』に小説をのせることにきめた。


九月二十一日(火曜)

「『土』と当時の写実文学」新築地 4枚

「夜叉のなげき」『あらくれ』、7枚

 ○M・Kさん来。尾去沢ダムのことを二百枚の小説にしたから見てくれ、百枚以上をよむ。自分いろいろ可恐こわい気がした。これだけ所謂筆は立って、三ヵ月近くも実地を知っていて、これのようなつくりごとしかかかないということについて。

 秋のあわれを感じるのも、皆が夏をしのいですこし体力が下っているからなのではないか。

〔欄外に〕

「夜叉のなげき」から、十一月号全部、宮本百合子と署名する。

 ○夏の疲れが秋になって出る。去年からこのことを感じる。去年は今頃ひどい熱を出した。そして二十五日頃上林へ行った。栄さんの話で思い出した。


九月二十二日(水曜)

 ○戸台さんのところへ本を見にゆく。かえりに稲のところによる。徳永の話でカンカン。やきそばをたべる。大変美味かった。

 八十円の予算でくらしている。米の上った分だけ麦、麦の上った分だけダンゴ汁、原稿料は下る一方。徳永直の救いがたさ。林へ泣言を云う!(いのち)皆が、食うや食わずに働いていたとき、ともかく家をたてて、今泣きごとを云う。様々に複雑に腹立たし。何のためのプロレタリア作家なりや。誰が予算でくらしている。貧乏を只の貧乏に終らせまいために、頭の毛をひっつかんでひっぱりあげて生きているのではないか。

〔欄外に〕

 外国映画輸入禁止。フィルムが欠乏で制作者閉口の由。

 徳永、新評論とかいう門屋の雑誌にかいている由。


九月二十三日(木曜)

「女靴の跡」『新女苑』。五枚

 こまかいものをすっかりしまってしまって二十五日からは一意専心小説にかかろうと思うものだから。

 おなかがすいて来るようになった。仕事する気に段々なって来た。こうして見ると食いしん棒と仕事欲とは私の場合では一致している。

〔欄外に〕

 茶道という新聞を出したらという話が(壺)戸台さんの友達の話が出る。


十月二十五日(月曜)
〔発信〕第三十三信

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年720日初版

   1986(昭和61)年320日第4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「ヒューマニスム」と「ヒューマニズム」の混在は、底本通りです。

入力:柴田卓治

校正:富田晶子

2018年127日作成

2018年225日修正

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