日記
一九三六年(昭和十一年)
宮本百合子



二月二十六日(水曜)
〔欄外に〕所謂二・二六事件。


三月二十四日(火曜)

 予審終結。

 証人 山清、塚本周三、西隆、窪川イネ等の由。


三月二十七日(金曜)

 ○夜七時近くなってから出所。休憩所で荷物をしらべたりする前になって電燈のフューズがとんでしまって待たされる。

 ○教誨師が来ないで又待ち、来たのを見たら生白いひょこすかな若い者で、黒い服に白足袋、草履、ふところでをしてまるでぞめきのような歩きつきをした男。どうぞ気をつけてやって下さい云々。一旦林町へかえるつもりのところ、真直慶応へ来る約束をしたとのことでこっちへ来てしまった。スエ子大よろこび。部屋をキレイにして待っていてくれる。夜喋って一寸も眠れず。自分眠れぬ条件は持っていないと思っていたがやはり眠れなかった。まだ戒厳中とはびっくり。いろいろ大事をとって出した理由の一半が理解された。


〔欄外に〕国、咲、栄、ベンゴ士、ロクロー


三月二十八日(土曜)

 咲枝たち国府津へ行った由。

 ○新妻伊都子よりお使。

 ○この病室、南向。窓から土、大きい梅の木、エゾ松等見えて、久しぶりに心持よし。但、省電の音がやかましい、ひどくやかましい。父上もこっち側の二階であった由。

 スエ子出かけて椅子とテーブルを買って来て呉れる。

 テーブル低し、栄さんにあしをたのむ。

〔欄外に〕夜クスリをもらって眠る。


三月二十九日(日曜)

 良。

〔欄外に〕夜薬をもらって眠った。


三月三十日(月曜)

 ひどい風。


三月三十一日(火曜)

 夕方からクニ、ロクが来て皆で青山のお墓りをした。門の棒杭が左方とれて、扉もなし。花もなし。五十日祭をしたから花はないのだということ。スエ子、顔つきをかえて、花を自分で買って来た。いろいろ心持がサクザツしていることが、こういう一つのことを見ても感じられる。クニ、夕飯を病院でたべてゆく。いろいろの用事をたのむ。

 スエ子、小猫のように私のまわりを廻って本も読ませぬ。

 小山、関。関さん、私がもう死ぬかと思った顔つきで入って来た。

 徳。


四月一日(水曜)晴

 安成二郎来。繁治来。安成君も一緒に、繁治さんに待って貰って外苑を三十分ばかり散歩した。かったるし。人間がうるさい。(大体人間がうるさい。)もっと木や草っ原が恋しい。繁治さん、何だか落付かず。四時半頃かえってしまった。やつれている。仕事も経済も困難という感じ。見通しをしっかり立っていない感じ。窪川たちに会えず様子が分らないが、一人一人きりはなすと、あんな風なのかしら皆。作家と劇団の人々のことを比較して考えた。自分が一年の間にためて出来たが、まわりの方は、何だかグダグダしているという感じだ。この食いちがった感じが、即ち情勢に通じぬというわけか。

〔欄外に〕スエ子、私と家をもつことにきめている。


四月二日(木曜)

 ○病院というところは落付かぬものであるのにびっくりした、もっと、落付いているかと思ったが。我家ほど落付くところなし、そのわが家がないのだから問題にもならぬが。

 ○友達の中にかこまれる心持。○家族の中にある心持。この二つは大変ちがい、自分は前者に渇している。

 ○古田中さん、孫をつれて来る。顔色わるし(もっと勉強した話をききたい。)

 ○金ちゃん、昼すぎから来て夜八時半まで。林町へ訪ねて行った由。ハカマをつけ、出京した適齢年者という形。

 ○栄さん、見事なセロリー、サラダ、かしわ餅、日記その他を買って来てくれる。健造がもう小学校へ通うことになった。元から考えていたので、テーブルを見て貰うことをたのむ。本の立てかえを一部分かえす。

 ○ロク、作品を書いている(作曲中)が切迫したので殺気立っている。

〔欄外に〕

 ○まだ余り動きたくなし。疲れているものと見える。

 ○三吾さん。

 ○朝、桜井。何だか、わるく角がとれつつある。


四月三日(金曜)雨

〔発信〕咲枝、金、新妻。

〔受信〕G子、こんな苦し手紙をよむとは。

    池。

 かえって始めてお客なし。静か。

 チクオン機、ラジオでうるさいのが珍しくしずか。

 ○窓をあけて見ると、すぐ前の庭の上にはしずかに雨が降っているが、外苑の方を見ると、風で雨脚が白く吹きとばされるのが木立の前に見える。一種の風景。

 ○レーンコートの男がうつむいて通る。


 ○「漱石の思い出」を読了。漱石にアブノーマルなところがあり、追跡症めいていたことを医者が証明した。そのことで鏡が、漱石のデリケートな感受性で直感したデリケートな点を皆「病的」の中にまとめている点、一つの書かれざる小説を感じさせた。

 ○「アラ? 変だわ。今日でしょう? 今日でしょう? ホーラね、変だわ」ラジオ版のミスプリントを見ながら(曲目のタイトルと内容説明の間ちがい)

〔欄外に〕

 ○緑郎昨夜も今夜もよって、痰に血がまじったと話す。

 西野先生の廻診。


四月四日(土曜)
〔発信〕後藤郁子、青楓、河合勝夫、イ。

 ○きのうの雨があがって、いかにもいい心持の快晴。

 ○むこうの外苑のこまかい椎の木の葉が澄んだ日の光にこまかく光って、小豆色っぽい光をてりかえしている。

 ○一台自転車に二人の中学生がのって行く。ちらりと垣根越しに。「この自転車、に低いんだねえ」

〔欄外に〕湯、壺


四月五日(日曜)

 ○スエ子、疲れたダルイと云って、ふらふらしていたが、やがて本を見に三越に出かける。

 ○自分、二階10の父上の部屋のところを見物に行き、売店の前の庭へ出て、コンクリートの池の傍で一時間ほど雑誌をよむ。

 二十七日にかえってから今日まで、満たされぬ心持のしたものを、この巻頭論文(森戸)無産政党進出の国際的必然性についての論文によって充されたような心持がした。本月は久しぶりで『中公』など、なかなかデがある。自分の知らぬことばかりであるから。

 ○キクが黄色いバラをもって来て呉れる。二日かんの休で伊東へ、つとめ先の連中とゆき、始めて温泉、ゲイシャを見た。「マア、あんなに裾をひっぱっているんですねえ」

〔欄外に〕

 ○四時すぎ、フロから上って来たら、となりのバセドー氏の女のひとが部屋に来ていて、バセドーは狂気のようになる由。ナースがそのことを過去のこととし、本人の記憶にないこととし、相当ズバズバ話す、そのサイコロジー。


四月六日(月曜)
〔受信〕咲

 ○タカ、波□来。「ベビーもいます」という。

 ○文芸家協会よりコロンバンのお菓子、お見舞、田中西二郎さんがそのお使で来たのにびっくりした。今協会で働いている由。

 ○夕方、咲、太郎をつれて来る。咲のパッとした声、身のこなし、服装の色、何だか自分に大変珍しかった。スエ子、黒っぽいものばかり着ているし。中の上的階級の若い女が人前で我知らず示す誇張というようなものを、ハッキリ、自分ときりはなして感じた。スエ子にもやはりこれを感じた。階級的共通性。しかも根底の柔く、何もないことを考えられ、或あわれさを感ず。

〔欄外に〕

 龍済、大きい鉄ポー百合と濃い紅のチューリップの花一輪とをくれる。印象的である。中で漢詩、和歌、二千ほどつくった由。

 ○河崎なつ子さんより 紅いつるバラの鉢


四月七日(火曜)晴

 ○K、この頃いそがしいので、イライラしてひどい由。フロに行っている間、S「迚もスゴイのよ」と云った由。反動が来なければよいがと思い心配していたことは、やはり現実性があった。

〔欄外に〕

 咲、買物のかえりによる。

 ○予審終結決定書来る。

 ○鈴木さん北村さんへの礼。

 ○お玉さん、お菓子の箱をもって来てくれる。

 ○栄さん。


四月十一日(土曜)

 八時から(夜)ケンプの放送がある。林町へ出かけ、聞く。出てからはじめて林町の家に行った。西洋間すっかりごたごた(国男のラジオごのみに従って)になっていて、家具、額などの美しさが一つも発揮されていず、物置のよう。すべてのものがつやを失って見える。生活力のブリリアントなところがなくなっている。自分の心痛し、甚だ痛し。しかし何をか云わんや、この家と自身とが切れていることを実に切に感じた。病室へかえって来たら、大変気の張る訪問からかえって来たようにホッとした気がした。元から林町は落付かなかったが、今日ほどすべての雰囲気がしっくりしなかったことなし。生活上の変化。その新しい関係、その空気をあるままに感じ、受け、センチメンタルにならぬ努力は幸私が 1932 以来の苦労によって出来ている、これは大きい幸である。自他ともに。

〔欄外に〕

 スエ子が自分と暮したいという心持。林町へ行って見てまざまざとした。

 ○一生一緒に暮すという風にフト考え責任を感じたが、五年位これから暮すことが出来たらスエ子は貧乏になれ生活を学び、あとは一人でもやって行けよう。これでよいとわかり安心した。


四月十二日(日曜)

 ○三吾さんが多喜二の日記、書簡補遺を持って来てくれる。布表紙、黒い字がうつりよくて、なかなかよい本なり。一寸開いてよんでも、多喜二の天性が流露した文字に出会い、覚えず声を出して、私の bed にねころがっているスエ子に読んできかした。

 ○夜三浦環の歌をきく、ラジオ。体臭(女性的)が感じられるような動物的喉笛の柔軟さ、ねっとりさ。音楽性。しかもけれんたっぷり、ファーコートの下から桃色のピラピラ的(一生渋くはなれぬ人)芸人的。

〔欄外に〕

 俊造君、市次郎が上京したと云って来。クラーク的市次郎。表情が変り鋭い、プロザイックな顔つきがあらわれる。その変化、なかなか面白し、市次郎は私が其を見ていることは知らず。

 ○ケンプのロマンチシズムは great war 以後のドイツか、或はさもないか。

 ○ケンプのヴェートウヴェンに欠けている素朴さ。

 三吾さんにmへのハガキを書いて貰う。

 スエ子生れて初めての貸家さがしに出かけ、約定ズミ。


四月十三日(月曜)雨

 きのうあたりから自分の体しっかりして来た。bed につぐんでいるのがいやになってきた。稲子からかりた机によって日記をかき、Mからの手紙を原稿紙の帳面にうつしたり。字というものは何と生きていて、その人のものであろう。同じ宮本の手紙を私の字で書くともう彼の字が私に連想させる全肉体の感じが消えてしまう。そしてそれはいやだ。活字は又全然ちがう。自分がやれるうち片はじから宮本の手紙をあつめ、うつしておこうと思う。彼のあの豊富な生活、二十九歳の男子の全生存が僅か三銭の封緘の中にだけ文字化され外界に表現されるのであると思うと、生命の滴々であると思う。一しずくでもむだにこぼさせるものか、そのようにつきつめる。

〔欄外に〕

 きょうの雨はいい雨。傘をさして樹の下を歩いてみたいような雨。

 朝窓をあけたら外苑の木立の間がうっすり紫っぽくけむっているようであった。

 ○人生に対する要求、モラルになり易い。

 モラルではないが心を打つ、そういうもの。


四月十四日(火曜)

 ○スエ子が夜ケンプのピアノをききに出かけたので、テーブルに向い、宮への手紙をかきはじめた。いつ出せるか、未だ見当もつかぬ手紙である。書きたいことが、あまり沢山ありすぎて、文章却ってかたくなり、思うようならず。枚数が長すぎても行かないと思ったりして。

 ○イと八時から十二時頃まで話す。

 ○ケムプの第五(コンチェルト)をきいて来て、スエ子しきりに亢奮している。新響がまるでひどくて、うけられなかった由。ケンプの近代性はラジオでは分らない由。

 ○ス、私の肩に手をかけ、ゆっくり歌をうたいながら、さも心持よさそうに、人のいるのをわすれたように歩く。そういう心持。びっくりして見送るショファー〔運転手〕。

 ○麹町の木村やのカシ、コーヒー美味し。

〔欄外に〕

 まことに珍しい晴天、この間うち小雨、大雨が降りつづいていたので、きょうの天気は人間を屋根の下にとどめておかぬ。

 午後、湯、苅が揃って来たのでスと四人、弁慶橋から四谷への通りをぬけて散歩した。紀尾井町のところの左側の風景。なかなか面白し。東京の中にあんな城あと的春の景色があるとは知らなかった。


四月十四日

 昨年十月十五日から本年三月二十七日迄の間に市ヶ谷未決生活において読んだ本を思い出し、書いて置く。順序不同、


クラウゼ・ヴィッツ 戦争論(上下)

お菊さん

氷島の漁夫

足ながおじさん

藤村文学読本(二)

漱石全集 殆ど全部(19巻迄)

竹越三叉 大日本経済史(十二巻)

ロセスと小栗上野介

日本詩歌のリズム

山陰土産その他(官本)

アウレニウス 史的に観たる宇宙観の変遷

メリメの手紙

チュルジス伯夫人

エトルリアの壺

チンダル・アルプスの旅より

アルプス紀行

テエヌ 文学論

十二の脳髄 パピニ

祖姥

ファウスト(官本)

二宮尊徳(武者)(官本)

大石良雄(〃)(官本)

永遠の女性   (〃)

炉辺のこおろぎ

ヴァン・ルーン 聖書物語

ルナン 耶蘇

 〃 使徒

Gibbs ユーロピアン・トラヴェル

チャアルス・ダァヴィン伝

茅野 ギョエテ研究


 これだけ宙で思い出す。六十一冊。

 入ってすぐの五日、執行テイ止の五日。十日をぬくと、満五ヵ月ばかりの間に六十一冊。月ほぼ十冊。あとまでのこる収穫は、経済史、戦争論、ゲーテ、ルナン、チンダル等。

 昨年七月下旬より十月十五日送られる迄、淀橋で読んだ本。

 モーア・ユートピア

◎ヤーコブ ジャックリーヌと日本人

 フィリップ 母と子

 ジイド 贋金つくり

     贋金つくりの日記

     狭き門

 ラプラタの博物学者

 ルソー 民約論

        大体八冊。

 一九三五年五月十日より、一九三六年三月二十七日迄の間によんだものは、僅に六十九冊ぐらいのものなり。この外、忘れているのも加えて、八十冊にはなるまい。三日に一冊平均。これより実際のスピードは出ていた。本が手元になくなって、西洋人名辞典をひっくりかえしたり、目録だけ見ていたことが、随分あった。領置から下げるのに手間どるのと、領置してから二日目でないと舎下げをうけつけぬことのため、この不都合が生じるのであった。

 ○ああいうところにいると、本を読むのに独特のスピードが出て、病的なようになる。読めすぎる。それが却って心配になる位。

〔欄外に〕最初の番号 三三。三室 二度目は五室 五五

○舎下げ願を書いて出してから早くて四五日──一週間目に本が入った。

○書籍購求 七の日 月に三回、雑誌 八の日 六冊以内

○大抵五冊どまりで制限外となった。

雑誌は  科学画報

     科学知識

     ダイヤモンド

     婦人クラブ

     主婦之友

     婦女界

不許になったもの

 (内容) 緋文字

 (形)  画報


思い出した本のリスト追加。

  「いきの構造」

  「科学の詩人ファブルの一生」

  ストリンドベルグ「海辺の漁夫」


四月十五日(水曜)

 ○春の外苑の風景。

 いろいろな樹がみんな芽をふくらませているので、空は茶っぽい緑の点、点、点で描かれているような眺め。

 ◎緑郎が服部正の作品発表会で、自作の「インターメッツォ」を初めて公表した。かえりに、礼服姿の緑郎、咲、国、病院へよった。十一時すぎかえり。C、ふくれて、むずかしい顔をしている。

 ○国府津へこの土曜日曜に林町の連中ゆきたい由。

 ○市次郎、お寺にたのまれ、明治大帝、大正天皇の御位牌を寺にもって来るに費用300円出してくれと云って来た由。100出したその話、市次郎の顔。

〔欄外に〕

 曇っているが心持よい午後になった。

 ○栄さんと外苑を散歩。金髪に茶の服をつけたイギリス人の小さい男の子とその女中。女中が英語で子供にものを云うとき、首のふりかたなど外国的エキスプレッションで、それを自覚しているところ。


四月十六日(木曜)

 ○繁治さんの「諷刺随筆」というもの、なかなか面白し。重治のは機智で書く。鶴のは文学的興味で。繁さんは、性格が内向的故、一種のかくされたユーモアがこういう文章の中に却って滲み出すものと思われる。「健康週間」よし。「食えぬ詩人」は些かアナーキスティックなところあり。彼のテンペラメントの中にあるアナーキスティックなものとユーモアとの微妙なる連関について。

 ○いい心持に日向ぼっこを三十分して室へかえって来たら、もう空がすっかり曇っている。やがて雷が鳴り出した。稲妻がする。驟雨。又じきはれる。土の上の樹の葉かげ美し。太陽をうけて光っている樫その他のこまかい葉の色の美しさ、遠くの外苑の木立の葉が深くかさなって小豆色っぽく反射している美しさ。窓からの景色は、本当に美しい。

 ○犬養健が岡山で選挙の違反で収容された。美濃部の問題を出したりするとき、往年の白樺派同人健は、いかがな感じを抱いたか。このことは屡〻心に浮んだ。

〔欄外に〕

 十二時頃から四十分ばかり外苑のベンチで日向ぼっこをする。栄さんと。

 栄さんのカリエスはよくなおっている由。背骨が(第四)二つある由、すっかり安心してよろこんで、疲れもいいようだとよろこんでいる。


四月十七日(金曜)晴やや風つよいらしい。
〔発信〕松山、春江、島田

〔欄外に〕

 きのう、栄さんの呉れた山吹の花、すっかり一夜のうちに開いてしまった。あざやかな黄色の花、緑の葉っぱ

 ○自分、勉強したい。

 ○ひとりになりたい。


四月十八日(土曜)

 ○『文評』を見て久子の詩を読み、真情そのままの、あふれ打つものを感じた。彼女の全心がこもっている。

 アキの「一家」よくない。理屈っぽい。

〔欄外に〕

 朝十時頃から例により外苑に出かけたところ、曇って風があるので二時間もたず、一時間でかえって来た。

 ○芝草のところに四五人でねころんで野球のはじまるのを待っている人。

 ○円タクへユニフォームでのって行く若い選手ら。


四月十九日(日曜)

 ○ひる一寸前、久しぶりで池、朗が来た。池の真の自信はない顔つき。

 ○廊下をスエの室に向い歩いて行ったら向うから赤紫っぽいコートを着て来る女のリンカク(肩の辺)いかにも久に似ていたのでそう思ったら、片春であった。

 ○片岡、金原、千谷、そね夫人と二男。国男夫婦。


四月二十日(月曜)
〔受信〕鶴、美代。

 小原、片、津川さん。

〔欄外に〕

 ○咲枝、殆ど五ヵ月ぶりで宮に面会して来て呉れた。うれしい。うれしかっただろうと思うとうれしい。但し、すこしふくれていた由。おかゆ弁当を入れてくれと云った由。


四月二十一日(火曜)
〔受信〕重治。

 ○鈴子、あさ子、栄、あさの、国。

 クライストの「O侯爵夫人」。

〔欄外に〕

 ○眼鏡の処方を書いて貰う。

 ○「アルト・ハイデルベルク」木村謹治、をよむ。カール・ハインリッヒの描写が心に暖くふれた。「ジャックリーヌと日本人」の中で日本人の云う、これが「アルト・ハイデルベルク」であった。甘いものをなかなか単純に甘くなく、ある若々しさ、素直さ、苦痛(カールの)など。カールの言葉の或点(性格の或ニュアンス)自分は宮の或面を思い出しつつ読んだ。


四月二十二日(水曜)

 ○ケンプのピアノをききにゆく。久しぶりで(一年以上)人にあたった。ロク郎、キス、服部正。(かえりジャーマンベーカリー。)

 ケンプのプログラムは、バッハ、モツァルト、ヴェトウヴェン。モツァルトが耳にのこる。ヴェトウヴェンの素朴さをケンプはもっていない。このひとのピアニシモは自分に様々の疑問を与える。非常に注意をひかれ、直感的に疑問を感じるが、自分の音楽を理解する能力では未だ十分の説明つかず。テクニックの上でベースのフォルテでペタルをきかせながら、右手のアルペジオなど、ちっとも音をまぜず、左手の音響の上を珠走らす如く弾く美しさなど、実に驚くべき美しさである。ルビンシュタインはグループのエフェクトで音を出した。この人のは一音一音の物語である。その点の大きい違い。

〔欄外に〕

 貴司の指揮の小まっちゃくれて、乾いている点。同人雑誌の作品の或種の如し。ケンプが繊細であること、ヴェトーヴェンのあれ程磨き立てぬ音の感覚はケンプに再現されていない。近代性──大戦後の人間の神経が反映していることの著しさ。


四月二十三日(木曜)

 お玉さん、みどり。竹の子御飯を私がすきだと母が話したということを思い出した由。わざわざ炊いて来てくれる。みどりさん、山にのぼる話、自動車のリスクの話。なかなかよい。お玉さんといろいろの話、このお玉さんのよいところを見ると辞三郎さんという人のよいところが、実に感じられる。三時すぎまで。

 和島来、考古学。いろいろ話す。

 戸川、鷲巣、支那へゆく人、木洲等来。スエ子、サンドウィッチをかって来たり、いろいろ。

 津川さんが来たので細かい話をきく。K、よく事態を理解していず。

 十一時すぎ小森氏来。服部正が新響出演料をやすくしてくれということのために書いた手紙を自分に見せる。このことについて、或感あり。服部の変なのは勿論であるが──

〔欄外に〕

 ○クライストという人の作品は(ロマンチシズムは)自分にぴったりせず。

「聖ドミンゴ島の婚約」など。自分はメリメの「タマンゴ」を思い出し、「タマンゴ」に親しみを感じる。クライストは色でいうと黒地に金糸の厚肉刺繍であり、現在の自分、その趣味なし。


四月二十四日(金曜)

 ○十一時すぎにスエをつれて外苑のいつもの円いところへゆきブラブラ歩こうとゆきかけると、右手のベンチに猪垣が和服を着て腰かけている。「早すぎると思ったから」自分、何だか待っていたお客を公園のベンチで発見したことが可笑しくて大笑いした。

 ○クニ、二階への御見舞として来てよって、少し荷物をもってゆく。「姉さんがすこし派手に出すぎたところがあると思う」とか何とか。うまくやってゆく方が利口だ云々、今は収出つぐなうようにして行くことほか何にも心配していない云々。「そういうひとも必要だということは分るが」云々

 ◎生活感情の中に共通な或感情、情熱を持たぬ男(K) 持つ男(父)

〔欄外に〕

 ○外苑の楓、八分どおり新緑、美しい。

 ○夜八時すぎ。湯上り。うすぎ。室の中ややさむい。クリーム色のブラインドを巻き下そうとして、窓に向い上を見たら、素通しのガラス(上半分)の暗い空の前に満開の八重桜の枝が白く重く見えた。瞬間の夜の活々した印象。

 ○けんかをしてしまうことの平凡さに堪えぬ自分の心持、そこから湧く忍耐心。生活の打算。

「ベネチアの客死」トーマス・マン 初めの二頁、或味を感ずる。


四月二十五日(土曜)雨。

 退院す。

〔欄外に〕ひどい雨風、一とおりならず。


四月二十六日(日曜)

 やっと家にかえったような心持がする。即ち外へ出たという心持がする。

 きょうは天気。

 スエ子と家のまわりを散歩して裏に二十三円の小さい家を見つけ、そこを勉強部屋にしようかと思う。


 栄さんと相談する。公判まではやめた方がよろしかろうと。その通りにしたがう。


五月十二日(火曜)

『中央公論』に「わが父」、二十三枚ばかり書いた。


五月二十四日(日曜)

 初めて宮本から私宛の手紙来、

「大変しばらくだね」

「どうか元気で立派な仕事をするように。」


五月二十五日(月曜)

 咲、太郎をつれて面会に行ってくれる。

 宮本壊血病になっていた。もう段々恢復には向っているらしいが。

 齦から出血した由、熱が八度以上出て、風邪だと思い、イ者は例によってあの調子故、無理をして五月二十四日から病カンに入っていた由。

 十六貫五百匁ぐらいの体になり、私が知っていたいつか頃より大きい体になっていて、そして壊血病などになっているのかと思うと、ますますくちおし。


五月三十日(土曜)

 事務所、遂に改組す。

 曾禰・中條建築事務所の名称はつづけるが、事実上曾禰の主催するところ、Kは単なる所員。

 三十何人かの所員のうち十数人をクビとする。津川、基、武の内、大沢、黒崎その他のこる。

 さいとう等出る。


五月三十一日(日曜)

 雨。きょうの日曜は或人にとって仲々忘れ難い日曜であると思われる。

 事務所にとって、三十年来の記憶すべき日である。父没してから今日で四ヵ月足らずであるが。

 朝のうちT来る。ニコニコしている。その心持がはっきりわかる。同情されるような、そのエゴイスティックな面のわかるような(サラリーマンとしての、自然に生じる)

 K、何も云わず。Tを西洋間につれこんで、大きい音でレコードをきかしてやっている。それを見ている私の心持。


六月一日(月曜)

『輝ク』に「写真」二枚を。

 誕生日でよばれた。今年はじめて誕生日がきょうに当るということを知った。

 コティーの白粉がオークルすぎて困ると云っていたので、其のラシェルをかってゆこうとして新宿まで出かけたが、つかれて駄目。柏屋ですます。ター坊にママ事道具、健造にエハガキのアルバム。五円咲に貰って行ったのに、一文ものこらず。


六月二日(火曜)

 スーさんが来る。夕方まで話す。

 男に圧力的に、積極的に、衝動的に要求され、其を拒絶しない。その拒絶しない原因を常に男の力とか、自分がヤケであることのみにおき、自身がそういう瞬間に妥協する本能要求というものを勘定に入れず、そのことを一種の災難のようにだけ見、自分のヤケ、そのヤケを起させた親たち、結婚という風に見て、一つもその中から経験として発展的なものをひろい出して来ないことの卑屈さ。そういう女にとって、マルクス主義的世界観が、只自分の不幸と思うヤケの原因をつくった親、その考え方、封建性というものの方へのみ動かされ、自身の封建性について批判的に働いていないことのおどろき。


六月三日(水曜)

 仕事をする心持になって来た。丈夫になったというのだろう。

 そして、マスマス夜更しいや。

 仕事に着手。


六月六日(土曜)

 朝一時間半、仕事。

 ○午後クルマがあいたので青山墓参。

 ○夜また仕事、十一時まで。

 きょうは久しぶりで夜静かである。Kは土曜会。


 ⊠マクシム・ゴーリキイ、グリップ〔流感〕から急性肺炎となり、すっかり危篤に陥ったという電報夕刊にあり。衝撃を感じた。


六月八日(月曜)

 きょうのひる過大机が壺井さんのところからかえって来た。夕刻戸台さんに手伝って貰って其を四畳に入れた。夜スタンドをつけ、硯屏を立てて、その前で仕事に必要な本をよんでいた(クロポトキン第三巻ロシアの監獄)ら、机の上の美しさ清潔さで実に心持がよくなった。(今地震がはじまった。相当ひどい、かすかにゆれる音がする)そして、インクスタンドの美しさというものを思い浮べ、このみどり色のガラスのの代りに、あのキュラソーをのんだ丸いリキューグラスに金のふたをつけてつかったら、一生のよい記念、私がインクをそこから一しずく一しずくとつけてものを書くのに実にふさわしいものとなることを考えた。然し、いつそれは金のフタをつくられるだろう?

〔欄外に〕

 さくらさん上海にゆく由。

 わたなべさん来。


六月九日(火曜)

 仕事。八枚

 金が来て、宮の三十日づけの手紙が二三日前についたと云う話であった。

 私が待っていたもの。それが金さんのところへ行っている。

〔欄外に〕雨。


六月十八日(木曜)

 マクシム・ゴーリキイ死す。


六月二十二日(月曜)

 公判。


六月二十七日(土曜)

『婦人公論』に──マクシム・ゴーリキイの一生(真実な人間の歩いた道)──二十三枚を送る。


六月二十九日(月曜)

 判決云いわたし。

二年の四年猶予ナリ。


六月三十日(火曜)

 基ちゃん、面チョーで大変わるいとのこと、驚愕す。

 見舞ってから、

『文学案内』へ行って、「マクシム・ゴーリキイの思い出と教訓」二十枚ばかりを口授して来る。

 大変くたびれた。


七月二日(木曜)

 きょうより『都』「芸術が必要とする科学」のり出す、四回なり。


七月七日(火曜)

 面会に行った。


七月八日(水曜)

 ○そのひとと遊び、歩いていて、そんな相対と遊び、歩いている自分自身がいやにならずにすむような対手は実にすくない。特に今のような時代に於ては。


『文評』の仕事。へばってしまって、栄さんに助けて貰ってやっと送った。


七月十一日(土曜)

 仕事


七月十二日(日曜)

 仕事


七月十三日(月曜)

 原稿『改造』

 すっかり終って床に入ったのが八時。


 午後、雨の中を青山にゆき、お墓参りをしてから新宿で、チェルウシュキン号の実写と幸福の唄(天才と和訳)を見物する。

 大変感動した。疲れていたのや何かでチョコレートをたべながら、殆ど涙が出そうに迄なった。


七月十六日(木曜)

(第二信)

 てっちゃんに会いに行った。盆の十六日。ひどく待った。あの人ったら、肥って、浴衣の下からきれいな丈夫そうな皮膚を出している。


七月十七日(金曜)

『文学案内』にゆき、ゴーリキイのことを本にすることにきまる。五十銭か七十銭位の。


七月十八日(土曜)

 いね公のところで どじょう汁

 いろいろの話。


七月十九日(日曜)

 十一日に書いた手紙がきょうついた。一週間かかる。きょう私が書く手紙が、あちらへは九日かかって着く。二十八日につく。──その前に私はもう会ってしまうだろう。(第三信)


『改造』着いた。なかなかよろし、四十何枚か皆のせたのはよろこばし。

〔欄外に〕夕方から曇り出し、夜になって大きい雷と夕立がした。


七月二十三日(木曜)

 ○面会許可を貰いに行ったら、大下という代理(加藤やすみ)十日すぎにしろという、ぐどぐどと云ってことわる。「その方が無難だからね」。無難、無難、『婦公』に行って稿料をとり、中川によって下っていたフトンと払いをして来る。薄くて小さいフトン!

 国、下谷で「もうかえろう」

 スエ「あら、あきれた」「桃色の服」、「白いカラー。」

 私「ひる間働いているからくたびれるんだよ」

 咲「やっぱり違うわねえ。せめて夜ぐらい元気でなくっちゃ」

 ○信号も消える。〓(丸公)とした自動車。㋡〓(○<〒)だけ働いている。前のビルの裾に大きくふるえて映った男の脚二本。ぶつかりそうにくらい。煙草の灯の赤い動くぽツぽツ。

〔欄外に〕

 防空演習最後の日。八時すぎ警戒管制のとき、車でK二人、スエと四人で出かけ丸の内東口の横で非常ケイカイを見た。

 サーチライト、シューッと吹き出して、先へゆくと雲にかたまったような閃光。

 夜一寸話し出したら、Sを私がいなくなった後おくことは出来ないとはっきり云う。二人とも。

 バラさんにお礼云々のことを話す。


七月二十四日(金曜)

 風ひどし。九州の方で熱風がひどかった由。乾いた葉っぱをよじらして吹いている。

「ああたかられちゃうね──でもそんなのもなくっちゃあねえ」

「じゃあお姉様は?」「一人もないさ」「たからせるんでいいことにしとくのね」

 ○ゴーリキイが何故クリムを主人公として「四十年」を書いたか。「四十年」の主人に何故クリムを選んだか、と頻りに考えられる。

〔欄外に〕

 午後三時すぎ、S、手摺に腰かけ、背中から西日を受けている。

「心を痛めないように話す」

 赤いセイラー、ひろいスカート、その姿が可哀そうになり、夜本郷の夜店へひやかしにゆく。


八月十六日(日曜)

 マキシム・ゴーリキイ少年時代 五十二枚 書下し送る。


八月十八日(火曜)

 面会。


八月二十七日(木曜)

 ゴーリキイ 青年時代 六十枚位送る。


八月二十九日(土曜)

 沢山田屋

 十国峠 ゴーラの峠の霧

秋の花

風、霧の流


 ○「或女」のための用意


 mにエハガキを二枚


八月三十日(日曜)

 二十二日に書いた手紙来。

 こちらから 第九信を出す


八月三十一日(月曜)

 朝から体が苦しい。

 むりをして、新築地の「ゴーリキイについて」の集りに出る。二時間ばかり話して、やっとかえったら、夜九時頃、苦しく、さむけの後、夜中四十度ばかり発熱す。


九月一日(火曜)

 病気らしい目に久しぶりで会う。

 食欲なし。八度何分ナリ


九月二日(水曜)

 咲枝たち、安積からかえる。

 太郎、おみやさんにならったのか、手をたたいてはペコリとお辞儀をすることをまねる。スエ子いやがる。


九月五日(土曜)

『文芸』の武郎の「或女」についての感想を栄さんに口述でとって貰う。やっと。床の上で。カンフルを注射しながら。


九月六日(日曜)

 きのう無理をして、又へばってしまった。


九月九日(水曜)

 明日「ゴーリキイ記念の夕べ」出席出来ない。残念でたまらず、夜、床の上でメッセージを書き、それを送ってよんで貰うことにする。


九月十一日(金曜)

 ひる飯をたべていたら、てっちゃん来。

 二階で、自分寝床の上で、いろいろ話す。


九月十六日(水曜)

 五日づけの手紙来。

 私の手紙は六つしかついていない由。


 今夜、壺井さんとてっちゃんとを送りかたがた、銀座まではじめて自動車で出かけた。肴町ぐらいまで酔い心地であった。あした面会にゆく。その下ごしらえのため。


九月十七日(木曜)

 面会。

 温泉にゆく決心をしたことを話す。

 二十日頃ゆく。


九月二十二日(火曜)

『東日』の月評「十月の諸雑誌から」を書く。五回、それを六回に区切って出した。そのために不便な点もあった。


九月二十七日(日曜)

『読売』に「『父上様』をめぐって」を三回分書いた。先あまりいろいろのことを果さず、ことわったから、ほかへ書いたから。


九月二十八日(月曜)

 九月十九日づけの手紙着。

 この手紙など、又その前の手紙など、よんでいろいろ感じた。病気になる前、mは、こういう手紙などかかず。平常のくつろぎを示さず、もっと抵抗を示していたが、却って病気になり、どこか力をぬいて感情の方面ではバランスをとり戻し、ラクにしている。よいと思う。


九月二十九日

「面会。」私がもう上林へ行ってしまったものと思っていた故、咲枝でも面会に来たと思ったらしく、そういう顔つきで窓があいたが、私を見て、スーと眼が大きくなり、上体に力が入り、いつも私を見る眼つきになった。うれしかった。


九月三十日(水曜)

『時事』に「落ちたままのネジ」を書いた(三回)。


十月二日(金曜)

 曇天だが、上林へ栄さんと立って来た。

 紀さん上野へ送って来てくれる。稲子さんも昨晩からとまり、二人眠らず話していたので、汽車にのったら、眠って眠って長野へ近づくまで殆どちっとも外を見ず。上林へついたら雨。

 あら、雨で却っていいね

 二人でボーとなる。

〔欄外に〕

 紀さんの剃りたての蒼白い顔とちぢれた髪と黒い目の光。会社員のタイプ


十月三日(土曜)

 雨。

 小やみに桜並木を上の方へ行って見た。不動様の杜アリ

 つき当りがもう杉林、谷川が流れ落ちて来ている。

 机をこしらえて貰う、3.50

 エボタの油の匂い


十月八日(木曜)

 志賀高原へゆく。朝、宿の弟が、すみませんがお一緒にという後に、丸髷の女房をつれたドテラ男が立っている。イヤとも云えず。結局六人。自動車途中でギャソリンをなくして(⅔のところで)あと歩き、旭山にのぼり、そこで中食。それから丸池のヒュッテのところまで又のぼる。景色は雄大で、実に心を誘う。日にやけて夕方かえって来たら、学校の教師のドンチャンさわぎ。十二時すぎまで。あまりうるさいから、床の中に腹ばいになって、


十月九日(金曜)

 この日の夕方六時に、国男が盲腸手術のため、ケイオーに入院した。

 一時間半の手術の由

 腸の間にねじれ込んでいた由

 普通の三倍の長さあった由。

 一ヵ月入院の予定の由。


 十一日のスエ子のハガキではじめてわかった。びっくりした。余りのむから、夜更しをするから、何だかびっくりしながら腹が立った。かわり番こに家じゅう病気している!


十月十日(土曜)

 三日づけの手紙来。


十月十一日(日曜)

 ○mへの手紙、何だか気持が落付いていないので、うまくかけず。きのうから珍しくかき直したり、ほぐを出したりしている。


十月十二日(月曜)雨。大してさむくなし。

 午後、電報ガワセが来る。「雨がふって来たよう」と子供が叫ぶ。どうしようと云っていたが、到頭出かけ、湯田中までゆき、ステーションまで下って、小海線新□のネダンをきく4.56銭の由。駅から少しのぼったところに林檎畑あり。赤く色づきはじめたリンゴの実が、折から雨にぬれて、変につやのない新鮮な美しさで枝もたわわ。それは隅の一本。栄さん名づけて「ああこれはマネキンリンゴだ」

 ○実をとるために 枝につけたままの赤いトマト

 ○青々した菜畑。石垣で一寸低くなっているところ。乱菊のエビ茶の花。「山の内劇場」ののぼり。桜の木の下に黄色い乗合の背中が見えている。うしろは靄が中腹にある杉山。

〔欄外に〕

「せきや」とかいた太い雨傘。

 ○「雀のお宿」へしるこをたべによる。ナシ、クサモチ、茶を出す。

 河原、ごろた石の間を流れ下っている河。

 ◎紫の衣をきて通る坊主

 ○山道の婆さん、「へえ、葬式があったァね、芳野屋という温泉宿で──」

「脂がぬけて却って早くおっちぬねえ」


 水をはこんでいる女が、この間志賀高原の道で夫婦で竹をつんだ車の前びきをしていた女、笑って歩いて来て、アイサツをした。夕暮、お堂、集っている子供ら。


 山村の夕暮、山の靄、川でザルで米をといでいる内儀。


十月十三日(火曜)

 昨日、第十六信を送る。上林での第二信。


十二月十八日

 きのうから、ひどい南風。

庭の敷石、びっしょりに濡れている。

 ○ガタガタ鳴るガラス戸

 ○叢雲だって 険しい空

暗い鼠灰色の雲

そういう空の前に 高いアンテナを張った線のセミのような丸い形のものが 際立って目にうつる

 空に一羽鳶が風にさからい、流されつつ舞っている。

或時は一枚の薄い板片のように見え、或角度へ来ると真黒に翅の形、体の形が浮出て来る。

面白く眺めていたら、ずっと南の方の空にもう一羽いる。それは、もっと正面から風にさからっていて、暫く空の同じ点に浮いていたと思うと、そのまま垂直に空の高みまで舞い上った。

風にさからう愉しさというような感覚が眺めている心に映った。


 ○庭木が手入れをされぬままに繁り合っているので、永年のうちには、自然に消えてしまった樹もあり、そうかと思うと、又思いがけぬところに樫の種生が伸びていたりして、庭を歩くといろいろの発見がある。

 山茶花の濃い紅い花が三輪、青木におされて幹の下は棒のように枝もおとろえた頂上のところに咲いた。その花のうしろに、夜間電燈のこってりした緑色のカサがある。

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年720日初版

   1986(昭和61)年320日第4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「ケンプ」と「ケムプ」、「ヴェトウヴェン」と「ヴェトーヴェン」の混在は、底本通りです。

入力:柴田卓治

校正:青空文庫(校正支援)

2017年730日作成

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