日記
一九三一年(昭和六年)
宮本百合子



一月一日 木曜日

 なかなか寒いと思ったらチラチラ雪がふって来た。終日雪。

 お雑煮はうち製なり。米より腹に入っての工合よろし。お雑煮をたべちゃってから、今日こそ仕事と二人とも机に向い、夕飯を間にはさんで『女芸』の日記のつづき十五枚書き終った。

 夜なおなお寒い。

 はばかりの窓にたてつけの間からすっかり雪がふきこんでしまってる。北側の雨戸をゆすぶって吹雪の音がした。

 キクフジだったらどんなだろう! おそろし。


一月二日 金曜日

 雪がとけはじめてる。暖か。しかし室内でも息は白く見える。

 雨だれの音。


一月一日(木曜)

 これは元日に書いたのではなく、五月十六日に書いているのだが。

 この正月は二人きりで、クゲ沼のまんじゅう屋の借家でした。

 暮の二十九日にYがまんじゅうやに越して来て、自分は東屋からその家へ行った。


一月三日(土曜)晴
〔発信〕『大毎』、六回、七回、

 今日、夕食、沼田より。お雑煮七つ食ってへばった。まだおもちうんとあり。


 藤沢へ行った。郵便局、ハリ紙して

電報

電話のホカ休ミ

 やっとうけつけて貰った。

 ふじさわの町のアーチの板で、外套にひどいカギザキをこしらえてしまった。

〔欄外に〕

 ゆきどけ、砂地ではちっともぬからず雪が消える。


一月四日(日曜)

 体の工合わるし。一日臥床。

 Y、ひとりで働いて、仕事して、今日から一人の三倍働くつもりだったのにねられて残念だが、まあ、これも一人分の働きかと云ってる。


一月七日(水曜)
〔発信〕八回九回「スモーリヌイ」四・五。


一月八日(木曜)
〔発信〕十回


一月九日(金曜)
〔発信〕十一回


一月十日(土曜)
〔発信〕十二回


一月二十三日(金曜)

 窪川、その他今夜京都へ立つ

 自分送りに行った。

 小林、その他に会う。不二やへ行って茶をのみのみスポーツの話した。


 夜おそくまでかかって、「ソヴェートには何故失業がないか」四枚半・戦□を送る。


一月二十四日(土曜)

 つばめで京都。

 三條青年会館でナップの講演会。


 夜中井さんのところへかえった。窪川さんと二人で。

 夜十二時ごろお茶づけの夕飯

京極で買ってったカレイで


一月二十五日(日曜)

 大阪。

 雨。

 窪川さん、中井さんの黒マントを着てぬれて歩いてる。

 中止をくった。


一月二十六日(月曜)

 窪川さんをつばめで送って、徳直から旅費をもらった。

 お琴のところへより、遠藤さんのところへゆき、夕方六時カモへ行ったら、三味線の音がして、台所では花の木の若い衆が働いてる。

 多勢おばさん連が来ていた。八十いくつかとかのお千代さんのおっかさんが、傘をもったり手拭をかぶったりして踊った。


一月二十七日(火曜)

 雪、鶯、おじいさん、えりまきをしてめがねかけてる。

 これは本ものの雪見だ。

 夜、貞の家へゆく。書割の中で話してるみたいな、妙な、笑いたい気のする西洋間だった。

 あっちこっち歩き、夜、試写を一部分見た。林長二郎、テイノー面!


一月二十八日(水曜)

 中井さんへ行って、(午後五時頃から)筋をのばした。


一月二十九日(木曜)

 京都からかえる。

 タナベ君と偶然一緒だった。

 午後一時三十九分、東京九時。

 午後の九時間の方が、ずっとしのぎやすかった。ナターリャ・タルポヷをよみ終る。

 Y、ステーションに来ていた。三人でオリエンタルへ行って、自分大きな苺のショートケークをたべた。

 かえる。


一月三十日(金曜)

 鵠沼へ出かけた。

 暖くていい心持。

 上衣をすっかりぬぎ、裸体になって日光浴をした。

 海岸へ出た。

 Y、今日は何だか淋しい海だな。

 暖いけれど、もやがあるのだ。

──胃がわるい故よ。


一月三十一日(土曜)

 鵠沼。


「インガ」をよむ。


二月一日(日曜)

 雨。ひどいザーザーいう大雨。

 おふーちゃん、しけて、ふくれて、性慾内訌だ。


「楽しいソヴェートの子供」十三枚


 夕飯をたべてからかえる。この頃何だか少しボンヤリしてしまった。

 林町で、M工合がひどくわるいと電話。


二月二日(月曜)

 晴。

 わださん、宍戸、改造の人、内外社。

 Yと出かけて、歩いて林町までゆく(Y高等学校まで)

 一昨日、ひどいおなかの痛みで、口もきけないようだった由。つかれて、ぺっちゃりしている。カンゴフ婦

 頬っぺたをたたいたら、うれしそうに細く目をあいて、自分を見た。まだ何だか、分らず。

 夕飯後、スエ子と二人で、ベンキをさがし、見つけ4.30とはおどろいた!

 自分温泉は修善寺ということになった。


二月三日(火曜)

 曇。新興教育の人、あんまりクルイギンみたいな顔しているので、びっくりした。

 お国はどこ?

 福井かと思ったら岡山だった。

「若い旗」という男来。鍵をなおしに来て三時間もことことやってる。

 Y、鉄塔書院のことで、朝九時すぎ、ガミさんのところへ出かけてった。

 川島さん来。


二月七日(土曜)

 クゲ沼からかえった。ひとり

 ひるすぎ、仕事するつもりだったら、眠くてさむくて、よこんなってしまった。

 ひどい、ひどい風。砂をまき上げて風が吹いた。

 汽車こんでる。中学生で一杯。


 夜食後、フロ、仕事にかかる。

 いい心持だ。ひとりはいい心持だ。

 今度は自分のヒスのかげんか、三人でくらすの、うるさかった。


二月八日(日曜)

 朝「インガ」80半ペラのおわった。

 久しぶりで心持のいい徹夜をした。

 夜中、まるでさむかった。

 朝日が出ると、その朝日は、あったかい。

 窓をあけても、さむくない。風がほんのすこしある。窓から見える樺の梢がヒラヒラゆれて、ひょっととまる。生きてる子供みたいだ、快活で。屋根に、雪が少しある。

 日にてらされて、いい気持。


二月十日(火曜)

 十日までに、『新青年』ソヴェート大学生の男女交際法。

「イワンと〔三字分空白〕」八枚


二月十二日(木曜)

 ひる頃「ソヴェートの芝居」一部38枚かいて『改造』へわたした。


 夕方から、□□さん来。

 一緒に夕飯たべて、から


 夜林町へ行った。m待ちかねていた。シクラメンの花をもって行った。つかれたでしょう? つかれやしないよ、その用意して精力たくわえておいたもの。

 百合ちゃん見せようと思って、今日はおしゃれしといたんだよ、一寸あがりお見せ。

 m、たおれたきり、スエ子の部屋のゴタゴタの中にねている。肝ゾーにしては、変なところにかたいものがある由。

〔欄外に〕

 春秋座が猿之助を除名した。猿、わたりをつけといて(松竹と)若手が反抗するのを待ってたのだ。それがしれて遂にやられた。


二月十三日(金曜)

 今日は自分の誕生日でドンタクだ。

 とにかく13日だし、自分が地震こわがってるしするから、Y、一応クゲ沼に行くという。出かけるとひどい雪。自分の髪がのびて、冬の野馬だ。

 それを刈ってるひまもない。が、新橋で待つ間、小川によった。さっぱりしたら、いやにボンのくぼがさむくなった。

 クゲ沼のステーションをおりたらひどい吹雪、沼田のベントーをたべた。美味しい。

 ゆたんぽ入れて、眠った。


 東京はまるでひどい雪で、デンシャがとまり、スキーヤーが大よろこびだったらしい。芝浦こんな日に争議はじめた。


二月十四日(土曜)

 体がいたくて、床からはがれない。

 やっと起きた。起きるともう平気なんだ。

 自分達、藤沢から湯河原へ来た。やどやは天野屋新館。ひとりではいや。じゃ送りこんでやるというわけなり。

 フロ心持よし、きくらしい。

 但、部屋ガラン堂で、いやにガッとしていて落付かず。


 十一谷集(平凡の)をよむ。


二月十五日(日曜)曇

 ○十一谷集、一名これを片恋集と申す。そういうものばっかりあつまっている。

 ○湯河原町の名物、椿油、きび餅、わさびづけ、みかん。狭い街を鳴動させて往復する自動車。町の中、ゆっくり歩くことは迚も出来ず。

 ○山の方に楽焼やがある。自分思いついた、一つロシア印象で、カシ皿を三枚やいてやれ、と。

 ○夜、部屋をかわった。こんどの室は東向、先より奥で落付く。

〔欄外に〕

 ○水色に塗った橋がある。川がある。山セキレイがその岩の上をとぶ。山山、竹藪、紅梅がさいてる。そして後の山には雪があった。山峡に赤い旗がヒラヒラしていた。

──あれ何?

──風の工合見て居りますんだそうです。


二月十六日(月曜)

 ○朝九時32分の汽車でYかえった。自分ひとり。室へテーブルを入れて貰い、椅子を入れて貰い。

 これで仕事しなければならぬが、さて……

 大して、やかましくはない。

 ○障子あけて、下を見ていたら八百屋が車をひっぱって来た。シイタケ、ミツバ、トマト、サヤインゲン、南瓜、フキその他、ひよひよしてきれいな温室ものばっかり。反感がおこった。

 ○改造の文学全集のための年譜と序を書く。みんなで十枚。

 林町へでんわ。

〔欄外に〕

 晴れた。が、すっかり上天気とはゆかず。

 ○こっちの部屋からは、かげになっていた風見の赤旗がすっかり見える。

 杉、白い倉、ヒラヒラしてる赤い旗、わるくない風景だ。


二月十七日(火曜)小雨

 傘さして、ふらふら坂下の郵便局まで出かけ、手入れしたのを書留で出した。Yのところへ

 Yより電話、


 よんだり、考えたり。

 ○パリのメトロ

植民地の黒人女をうつ、ひっかく、女がおろされる。


二月十八日(水曜)

 なかなかさむい。『朝日』の小説ゆうべ、床の中で考えようとして、ねむく、眠っちまったので、今日はひる間一杯そのために、つぶれた。

 大体、まとまった。

 それから、散歩に出て、20Sで竹のステッキ買って山の方へ山の方へ歩いてった。

 ひとりで、山の間を歩いたことなかったから、山がいやに活々して気味わるかった。何か机の上にさす葉っぱか花かないかと思ったが、ない。紅梅なんて、野生にはないものか。


 仕事、書き出したがうまくゆかない。


二月十九日(木曜)

 中央公論へ、ナップの相談会で出かけた。

 集るもの十四人。

 いろいろここで勉強した。


 ゆきに、フジ沢でYに会い、一寸家へ行っておひるをたべ、かえりに又よって泊った。


二月二十日(金曜)

 ひるをたべて、かえる。


 夜仕事(年譜の手入れ)


 仕事又やり出して□□□いるうちにホンゼンとさとるところあり。


二月二十一日(土曜)

 すっかり新しい形で書き出した。

 こんどはものになる。


二月二十二日(日曜)

 仕事


二月二十三日(月曜)

 仕事


二月二十四日(火曜)

 昨夜、肩がはって来て、たまらず、マッサージと称する半アンマをやらせた。七十銭なり。


 それから朝、すっかり今日はやっちまう気でかかったが、どうもそわついてそわついて湯の中にいても、現心なし。仕様がないから、思い切って出かけて行ったら、フジ沢でフー公に会い、東京へ行ってるって。キビ餅一円のをもたせ、一まずしかたがないから家へ行って、六時三十五分ので引っかえした。八時すぎ。かえったら来ていて、坐っていて、ドテラきて、笑っている。チョールト!〔くそっ!〕カーク、ラード〔何とうれしいことか

 Y、「プロレタリア芸術講座」のために、心配していろいろ教えてくれる。


二月二十五日(水曜)

 夕飯たべてYかえる。桜山へ散歩した。桜山のテッペンに茶屋がある。かけたら、女がいらっしゃいまし、ザブトンもって来た。Yふざけて、だからイヤだと云ったんだ。

 自分、逃げちまおう! この間に逃げちまおう! Y、そんなこと出来ない! 紳士だもん。

 ニェダーロム、プラチュー!〔むだには払うな!〕

 Yかえってから、半徹夜で仕事しまった。


二月二十六日(木曜)

 ひるすぎ原稿書いた、送った。

 五十二枚あった、きっと多すぎただろう。多すぎると思う。四十五枚だと云ったら、十枚ちょっとですねと云ってた位だから。

 但、かえって来ても万歳! 何かに出すから手を入れて。五十枚、むだではなかった。久しぶりで小説書いて心地よし。

 さて、と四時頃フロに入って、半日ブラブラと云っても、下らぬ吉川英治の小説をよむ。長谷川伸の方がずっとよろしい。


二月二十七日(金曜)

 朝ザットフロに入った。

 ひるまで楽焼して来た。

 ひる飯後、女人芸術研究をやったら、書きたくなって、時の問題の埋草十枚ばかり書いて、送った。

 楽やき、面白い。ただ、やすくないな。

 茶わん 三十銭

 かけ皿  九十銭

 もう一つ茶わん、三十銭

 フー、Yにしかられるぞ。

 でも、ここにでもいなければ、こんな道楽することもなし。ゆるせ、ゆるせ。

 夜、ベンキョー。


三月八日(日曜)

 五十枚「プロレタリア芸術講座」


三月二十六日(木曜)

 ○二つのメーデーについて。

 ポーランドとロシア。

 ポーランドでは鼻へ水、酢、Urine〔尿〕をつぎこみ、くるぶしへカギをさす。やけ鉄。つるしぶち。Sole


七月二十五日(土曜)

 夕方、アミノさんと御飯たべていたら、信吉来。旗の夕へ出なければならないというので出かけた。


七月二十六日(日曜)

 窪川来。

 おやじさんのおつき合いで雅叙園、隅田公園へ行った。

 旗の方を失敬しているので、あんまり愉快ではなかった。


七月二十七日(月曜)

 Yのおやじさんを東京駅へ送ってから、ジ務所の移動活動部会へ出て、五時頃かえった。


 夕飯、アミノさんと。


 アミノさんとまる。


七月二十八日(火曜)

 関さんが、朝三人で茶をのんでいたとき来。


 一日いて四人で九時頃出かけたら、途中で紅吉に会う。

 ひっかえす。市場でおカシ買ったら、あの人、くずもちが「迚もたまらない」んだそうだ。


七月二十九日(水曜)

 午後、林町の連中呼ぶ。三人


 泊る。


七月三十日(木曜)

 暑い、暑い。

 火の鳥へ三時から。出かけようとしていたところへ、マ来。

 見た。

 火の鳥四時から十一時頃まで。

 先、「十日間」をよんで、五六時間演説したというのでびっくりしたが、ああいう場合には出来るものとわかった。


八月一日(土曜)

 ゆうべ林町へとまる。

 八時すぎ、電話で松田トキ子氏来という。

 まあ、いやだねえ、何とかならないのかい?

 やっとかえって来た。

 秋田の山奥の自分の育った鉱山の話した。なかなか感情はつよいが。そういう感じの人だ。作家らしく、生活の中に情感を求めている。

 おいねさん来。三人で夕飯をたべ、金出来なかった。友達なんて因果だね、借金がとれないのにキモノとられて。──大笑い。

 一村氏より手紙。

〔欄外に〕

 ○今日『女芸』書きつけを出す日なのだがどうしたやら。


八月二日(日曜)晴

 久しく日記を中絶した。

 理由は、日記日記ならずと思ったからだ。しかし、どんな下らない外面的なことだけでも書いておけば、又その面白さがある。

 故にまたつけることにした。

 今日はウンと暑い。朝八時すぎ、一旦おきたが、体がつかれてつかれてやりきれず、一日床にいた。

 中江、引きあげた。ケンテイをうけるのだそうだ。又安ベエと三人。まことに心持よし。家の中がしっとりした。そして、みんなで手伝うからいい。

 Yと落合の方へ行って、机、三円十銭で買った。二十銭という。オヤ、だって、本日特売デーとあるじゃないの、マケちゃえマケちゃえ! それで、これを書いている。その位心持がいい。それに下だから心持がいい。二階、アツイし、砂カベがおちるし、イヤ。


八月三日(月曜)晴。

 エジソンが暑気当りで重体だそうだ。人見絹枝が死んだ。二十五歳。ブルジュアスポーツで死んだようなものだ。が、しかし、何故彼女には可愛いところがなかったろうか。

 ○下の六畳に机をおいた工合なかなかよろしい。二階とは比べものにならぬ、落付く。

 ○午前十一時セミの声頻りなり。ヤルタで蝉が鳴くとよろこんだのや、黒いダッタン人の子、ネムの花、夾竹桃の花思い出す。松の生えた崖、下に見える海など。

 ○子宝幼稚園の消費組合の会へゆく。Tの細君曰ク「うちは消費組合運動に不賛成ですよ、小売商人がこまるからって──」

〔欄外に〕

 ○相原さんをつれてアミノさん来。思ったよりいい人で安心した。人の話というものは、うっかり信ずべからず。クルイギンなどと同日に論ずべからず。


八月四日(火曜)

 ○起きぬけから肩がはって、上瞼おもくて閉口トン首。つかれ。それから、八月の信吉がペシャンコで閉口したのなり。ホイしっかり、ここで腰をぬかすナ。


 ○今日はひとりも客が来ない。何という吉日か。

〔欄外に〕晴


八月五日(水曜)

 昨日橋英から、組織部会への招集が来た。Y、いやな顔して。

 だから居ちゃ駄目だ! 行っちゃえ! いっちゃえ!

 今日は暑い。中井の方から行くと近いって云うんで出かけたところ、上と下とを、とっちがえて一時間ものたくりまわった。

 つかれて、もうクゲ沼へ行って、フー公追い出していすわる気にもなれず。トランクを下げて、みんなでタカタのババへ出たら、まあ百合子さん! Y・Tにつかまった。たるんだ袋のような感じ。薄いボイルのキモノは、涼しそうで涼しそうでなし。インチキ医者のように趣味ない名刺をくれた。太って元気そうだとよろこんでくれた。

〔欄外に〕

 ○自分、書くために逃げだすの、これまでは仕方なかったが、ブルジュア的で、いやだと思う。

 それで、今度ももう行かないつもりなんだ。一日ずつ少しずつ書く。それで書ける位熱いものを書けばいいんだ。

 ○朝はやく起き、書き、休む。それで仕なくちゃウソなんだ。


八月三十一日(月曜)

 第一回婦人委員会を開いた。

 かえりに、おいねさん、うちへ来て、やすんで行った。


九月一日(火曜)

 築地へプロキノ映画講習会での話に出かける。


九月二日(水曜)

 べこ体工合がわるくて、一日ぶらりとしている。ユカタを着て。

 家にいた連中、みんな、トミセン、文□□かえるというので、自分、家にのこり、Y送って行く。

 送ったまんま、クゲ沼に行っちまった。


九月三日(木曜)

 Y、ひるすぎかえって来た。


九月四日(金曜)

「共同耕作」を書いた。短い小説。七枚


九月五日(土曜)

『女人芸術』へフト思いついて、プロレタリア婦人作家と文化活動の問題というのを書きはじめた。

 ひる頃、近藤花枝来。

 夕方まで、Y、昔なじみでつき合っている。なかなか辛そうだった。こんなに何にも知らず記者をして居られるものか! と感服した。


九月六日(日曜)

『女人芸術』へやる「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」第一を書いてしまった。

 秀公、タブチ来。

 タブチ、腹が立つが憎めないというような若僧だ。

 せっかく三年ソヴェートにいたのに、日本の反動爺のようなことを云ってる。

 ソヴェートの新聞ばっかり見ていると気違いになる、とサ。

〔欄外に〕

 Y、ショーのソヴェート訪問について非常にいい紹介を書いた。橘のインチキ本やにやるのは惜しかった。


九月七日(月曜)

 新井、その他お客がめだった。

 富本さんも来たが、お茶碗を出せば、その茶碗をひっくりかえして底を見るし、かしバちを出せばひっくりかえすから、こんどは糸底へ

 今日は、おや又ですか! と書いた紙をはっとこうと笑った。

 Y、大久保の地ベタを見て来て、いいところだとのりキなり。

 どうしてベコのりきにならぬ、という。フフク。──


九月十一日(金曜)

 何だかブラついているから、それならその間に親孝行をやれということになった。

 サイフを見たら、国府津までの汽車賃はない。電話をかけ、腰ぎんちゃくとなる。五時二十五分父と立つ。

 スエ子だか百合子だか、母見わけがつかず、自分と分るとさわいで、

 何だ、いやなひと! びっくりしたじゃないか! 弱々しいとしよりらしいはしゃぎかたをした。


九月十二日(土曜)

 国府津滞在。

 退屈で、不愉快だ。

 百合ちゃん、これお上り、あれがいいじゃないか、そう云いながら女中には、ホンのおしるしばかりのセンベイをやって、これを女中が

 恐れ入ります、いただきます。

と貰ってゆく。見て居られるものではない。

 一日居るのに努力を要した。

 ○ひどい風で浜にも出られず。


九月十三日(日曜)

 プロ・エスの婦人部座談会というのに出席。

 午ごろコーズからかえって来たら食堂に今野さんが坐っている。

 どうした?

 いそがしかったんで──

 ○書いてあった三枚の原稿をちゃんと書き直す。

 プロ・エスの婦人部が出来るところだ。が、その女の人が案外テキパキしないのでびっくりした。

〔欄外に〕

 暑い。久しぶりだ。


九月十四日(月曜)

 中本たか、ホシャクも出来ないそうなので、原案に手を入れて、湯浅に見て貰い、いろいろなおした。(救援の檄だ)おいねさんも自分もこういうものがひとりで、ちゃんと書けないのだからおそれいる。二人が二人とも割合同じような欠点をもってるのだ。

 ○朝、吉屋信子がやって来た。

「御免ください」ねんばり、変にこもってひっぱった声がして、われわれは物売りか何かと思ったら吉屋女史なり。いろいろ話し、片、鉄などが彼女に見せている一面を知った。それから落合へ行って、地べたを見た。Y、熱心だ。自分、気がのらない。ケッペキではダメだね。


九月十五日(火曜)

 ○仕事しようと思って起きたら、いろんな人が来て夜の八時までいっぱい。九時頃からYと二人で池袋の方を一時間ばかり歩いた。

 中野重治がいろいろの話をし、ためになったし面白かった。われわれのもっている最大の欠点は人道主義ののこりものだ。

 ○池袋の夜店に出ていた古い『戦旗』、『前衛』四冊で十銭ぐらいで買った。

 ○『戦旗』みんなとられちまった由。ヤレヤレ。

〔欄外に〕

 ○Yの地べたなかなかない。きのう見た三井信託の男がやって来たが、あれはものになる土地にあらず。又おじゃん。

 大事業だナ、地べた発見のためには一日一人かかりきりの仕事だ。


九月十六日(水曜)曇 小雨。

 ○小雨。となりの屋根のあっちを見ると、サルスベリの花が、トド松のとなりに咲いてる。下駄のハイレ屋の鼓の音。

 ○七時に起きる願がなかなか実現せず、今日は九時。それでもねむかった。

 ○体の工合がわるい。理由不明つかれか。ニンニクのんではくさくなっているが、どうもまだ平常の六分目の元気だ。つまり、何ていうか井戸が干いたみたいに、たっぷりしないのだ。

 ○『婦人画報』どうしたのかとりに来ないが

 とにかく「モスクヷ日記から──」十四枚ばかり書いた。


九月十八日(金曜)

 この頃、ミソにゴマを入れ、油でいったのに生ネギをまぜてたべている。なかなかよくきく。


九月十九日(土曜)

『ナップ』へのつづき書き終った。久しく間がとぎれていたので書きにくかった。二十枚ばかり。


九月二十日(日曜)

 ○戦旗の夕。八時すぎ。Yが折角来ているのにのれず。一分も話さないうちに中止をくわした。Y腹を立てて待っていて、かえり一緒。


 おなかすかして、シチューまたたべたところへ金親さん来。どうしても出かけるということになった。『文学新聞』のために。


九月二十一日(月曜)

 十時発出かける。同行三人。

 ×ここには若い男女がまるでいない。都会附近だと生活が苦しいからみんな若いものは出てしまっている。

 ×婦人部、十人ばかり集ったのに若い娘はたった一人。あとはみんなおかみさん連。

 ×○を自分は非常に興味ある人物と思った。おっとりした昔の小学校長の渡辺に、戦略のある○の組合わせ。

 ×○○○老人のがっちりさは実に印象にある。

 ○ラムプ、

 ○背の高いきび。陸稲、いも、甘藷だが灰色がかって白いまずそうなの、ナス、大根、ギョク(トーモロコシの一種)、軒下に下ってる玉もろこし。(種のために)納屋の羽目に干してあるゴマの木の束。

 ×杉林、リス。栗の青いイガ。いろんなキノコ、蛇。飛行機の音。赤い灯、青い灯。月夜。白い服。黒マント、自転車の電燈、誰かとゾッとする。「松虫とりだ」

「何時でしょう? 誰か時計もっていませんか?」「誰もいない──。金持は居ないナ」

 ○の細君、手拭かぶって、水色模様のある腰巻して、鍬をかついで歩きながら兄貴の方を心配し、「どうかいい本があったら送ってやって下さい。反動のわるい教育ばっかりうけているから家さかえって来ても話が合わない」

 ×○○○老人の婆さん、その昼の地震にとび上って、箱に入れたメザマシ時計とツリランプをたすけ出した。あとで又ゆりかえした時「時計出しましょうか」で大笑い。

 ◎○○○老人の婆さん、灯をつけるときマッチで先ず仏壇のローソクに火をつけ、それからランプにつけた。そういう習慣。


九月二十二日(火曜)

 朝五時すぎ起床。金親君ひとり後にのこってふとんに腹這いになって眠ってる。いい心持だ。

 食事をすましてから渡辺老人の家の前でいろんな写真をとる。それから線路を出てかえったのはよかったが、チバのプラットフォームへ汽車が入ると、ガチャが今日は改札にいて、ふと見ると、こっちへ背を向け、いかにもスパイらしい男、キョロキョロ入って来るものを見ている。いそぎ反対側にうつって、金親君シートの上に横になり帽子を顔の上にのせた。

 千葉から一寸出たら、畑の中で兵隊が演習している。両国へ着いた時、「生還生還」と云って笑った。

 夜、××、同じ日支のパンパンが、ここの若い人にはチバとまるで異う現実性で反映しているのを非常に面白いと思った。多くの人が、これからどうなる? ときいた。

〔欄外に〕

 ×チバでは、パンパンは、豆板の価、マユの価、その他に表現されている。


九月二十三日(水曜)

 ひるまでに農村訪問の(『文新』第一号)記事を書けと云うのだったが、なかなか骨が折れ金親君四時に来たとき、まだすまず。

 五時すぎ、細かいところ、見て貰い、手を入れてたら、N、T来。N君のバリバリで可愛げのないのにはおどろいた。馬みたいな女だ。馬よりもっと優美さがない。

 富本君かえり、金親君かえったら、PPの矢部君、新潟地方文化闘争同盟の松岡とかいう男をつれて来る。反宗のサノケサミが文化連盟について変なこと云ってることがわかって、大変ためになった。


九月二十四日(木曜)

 第五回中常委会。二時から例によって十二時までもかかるのだが、自分八時半にかえって来てしまった。

 みんながカレーライス食ってる。辛い! 辛い! と云いながら。小林、相殺すか! とソースかけて食ってる。

 ○出かけようとした時、金親君写真をもって来た。へばった顔してるのでY

「つかれてるならお茶いれますよ」

「コーヒー飲みたいナ……甘いものがやたら欲しい」

「うちにコーヒーないや、紅茶!」

 ○いそいで、電信柱の角から、かけてかえったが、Yもうパジャマに着かえてる。

〔欄外に〕

 ○今、大分可愛がられたそうだ。


九月二十五日(金曜)

 中河幹子にわたす小品「ヤルタの韃靼村」三枚書く。

 ○ケイオーの志村来。三田芸術新聞というのが出る由。

 ○テラシマ来。夕飯一緒にたべて、駅まで出て、自分達、本郷座のわりびき20銭ずつでX27を見た。いやな説明者で腹が立った。が、音の効果で、通俗性をカクトクするために、ダニューヴの流れだか、もう一つ、ムーンライト・ソナタだか、何だかもう一つを使っているのは、下手でないと思った。

 ○九時すぎに出て、お茶の水まで歩いて、新宿に出ようと云いながら、Y目白まで買ったよ、かえっちゃうかもしれないと云って、家へかえって来てしまった。自分ムシャクシャしている。たまに出たのに、下りもしない映画見て、スーとうちへかえって来ちまって、こんななら、何にも見ないでデンデン、デンデン街を歩いた方がいい心持だ。Yの消極め!

〔欄外に〕『女芸』発禁になったらしい。


九月二十六日(土曜)

 ひどい雨。ねどこで雨の音をきいて、いい心持がした。おひるすますと、すぐイッパ来て、ずっと午後その原稿をこしらえるので、つぶれた。

 Y、今日はカンジンの日だのに、とか何とか、ブーブー云ってる。いやな奴。わかっているくせに、自分できめた予定がくずれるとブーブー云う。そんなで仕事が出来るか。よけいに何かしなけりゃならなくなったら、じゃそれをやって、さァ、一休みして、又しろ! そういうゆとりのあるところが、まるでない。


九月二十九日(火曜)

 ひどい南のしけ

 の雲が空じゅうかける。ドドーッと風が雨ごとふきつけると、大きいケヤキの木の梢は気違いのように頭をふった。

 ひょいと風がおちる。ぬれたヒバの生垣要垣、じっと立ってる。

 又風。ゴーゴー。又一生懸命にゆれる。そこを××は外套の襟を立てて歩いて行った。


十月三十日(金曜)

 井荻へ各同盟の婦人連でいも掘りに行った。

 ○自分は、一ヵ年いわば文化活動だけやって来た。そして、この二つの違い=文化活動と芸術活動との──理解しかけていたところにMに会い、一寸話し、氷解したのだ。

 ○芸術的作品のコクをぬき、レベルを下げ、そういう意味での大衆化によって、プロレタリア文化の水準を引きあげ、かつプロレタリア文学の達成を期待したってだめだ。

 ○プロレタリア作家は、文化啓蒙的な書きものと芸術作品とをハッキリ区別して考え、ドシドシ啓蒙するかたわら、傑出した作品を書いて行くべきなのだ。

 ○自分がこれまでもっていたあらゆるコクのある見かた、考えかた、観察のしかた、それはみんないるのだ。

 プロレタリア作家として決していらないものではない。コルのは具体性のハアクのためだ。

〔欄外に〕

 芸術活動と文化活動は二つのものだ。文化啓蒙のためのものは、解説的に書かれるとしても、芸術が芸術であるためには、その芸術的要素を十分活かし高める必要がある。


十月三十一日(土曜)

 ○組織部会。

 自分本部の組織部員をやめた。万歳!


十一月一日(日曜)

 快晴。きのうも九時すぎに起して貰い、今も九時すぎ。Yのお灸、昨夜からはじめる。

 日記をくって見ると、十月のいそがしかったことをつくづくと感じた。一つも書いてない。それでいて書いたものはというと、『ナップ』の特別号のために40、『文学新聞』20、『婦人サロン』5、『読売』の評論19、その他20、山梨へも行っているし、座談会3、講演一、だ。『戦旗』20

 サア、今月で、自分はかえって一年になり、もう書きたいのは小説だ。ソヴェートのことは最小限にして、小説の勉強だ。

 最近急に自分の心持がかわって来た。小説が書けるようになって来た。沢山紹介を書いているうちに、プロレタリア文学の面白さというものはどこにあるかとわかって来たのだ。そして、そのコツは、自分が知っている技術を再びプロレタリア的に活かすことだとわかって来たのだ。

〔欄外に〕

 ○いそがしくなる。生活は合理化されなければならない。仕事に追われるのではなくて、仕事を追うのだ。こっちのプランでやるのだ。『女人芸術』15

 ○婦人委員会、かえりに、若杉、クボ、一、三人うちによって夜までいた。


十一月二日(月曜)曇

 少し風邪気で頭がおもし。

 農闘が大変よくなった。

 Y、きのうかえって来たら、夕方熱があったとか肩がいたいとか云って悄気て、気があらくなっている。

 早くイシャに見せればいいのだ。

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年720日初版

   1986(昭和61)年320日第4

入力:柴田卓治

校正:青空文庫(校正支援)

2017年112日作成

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