日記
一九二七年(昭和二年)
宮本百合子



一月六日(木曜)

 Y、鈴木病院に胃を見て貰いにゆく。自分あとより。胃わるくない由。酸がある由。

 ただゴムをのむとき喉に無理が出来ていたいと云い、三田の東洋軒でスープと魚だけたべる。

 かえりフィリッポフ

 真直かえる。


 この日記、三田通りの丸善でレストランをきくためにいそいで買ったので、こんなのになってしまった。


一月七日(金曜)

『文芸春秋』のために、小説を書く。


一月十日(月曜)

 風の工合どうもよろしからず。一日床につく。

 Y、会、買物。


 松川やより返事。今が温泉にはよいときの由。寒温泉とか云う。

 Y行けばよし。自分行かれるのはいやだが、余り一人で生活出来ず不安でたまらないから却って今度は行ってくれるとよいと思う。


一月十一日(火曜)

 サダをうちにやる。ゆきに、秋庭さんのところへよって、十五日のお招きをさす。

 午後、自分で来。キレイな花。桜草、シクラメンの束。きのうY出かけ、三越でドテラの布を買い、花の道具も買って来たので、三人でやる。面白し。

 夕飯ありあわせですませ、秋庭さん十一時すぎてかえる。


一月十三日(木曜)

 Yの留守のため、仕事す。


 この日記十七日につけて居るのだが……


 モヤー御歳暮が間に合わなかったと云って、丸善で迚もよいチョコレート色の手袋を(皮の)買って来てくれた。うれし。うれし。

 自分鞣の手袋すきだがもう幾年もしなかった。


一月十四日(金曜)

『ウーマンカレント』のために感想「是は現実的な感想」。

 Y、しきりに興がり、「ベコに感想かかすといいんだがな」

 然し自分感想を書くのが本業でなく、今、書きたいなに押されてかくからよいので、これが本業で、短いものをあとからあとから書いて居たのではたまらず。

 それを出しがてら、明日の仕度に買いものに出たら、あとから林町の連中来た由。かえって、置いてあるミカン、おせんべい、のり、など見たらいやな心持がした。さあ百合ちゃんのところへ行こうと出て来たのに居ず。それだけでなく床にでもついて居るのかと思って来たら。──では閉口だろう。


一月十五日(土曜)晴

 今日は十五日正月。ことしの正月は二人で家に居る始めての正月故遊ぼうということで、人を呼ぶ。

 山内三人、宍戸、苅田、お澄さん、横田、小野。五郎の娘十七、手伝いに来る。サダ、その娘の来ようがおそかったので大あわて。少しふくれて居たところへ来たのは結構。

 夕飯、後、トトでや、かかでや、その他して遊ぶ。食前、自分、トランプで、恋愛判断をやる。Y、自分の恋愛を占われるとき、むきになり、未来は未来は、と云う。よいのが出なかったので一寸いや。ベコのもそうなり。恋など一つも現在未来になし。ふざけ、それは淋しやと云ったが本音なり。当らぬのを、やはり身に引きそえて、ウム当ってる、当ってる、と云うところ面白し。苅田さん、山内三人かえり、宍戸、小野、横田、お澄さんとまる。夜五時すぎまで遊ぶ。暖かで仕合わせ、汗ばむ位であった。


一月十六日(日曜)晴

 皆早く起き、自分最後。十二時に食事す。後八畳で、トランプ、花。あと会の話が出、自分役人生活の内情について多く得るところあり。あんな点だけ一面的に見ると、人間など、結局、互に脅かし合って、下らない関心に蠢いて一生送るのかと思う。モヤーいいかげんにやめるがよろし。立派にはなれず。自分、実にそういう実際からは遠くかつ自由な生活をして居ると思う。横田さん、陪審制の話、ある男、そういって呼び出されたら一日の日当はどうなりますと、訊いた。成程、これも自分の知らなかったことなり。お澄さんのうちから、オスミカエッタカと、電報あり。五時すぎ。彼女だけ先にかえり、皆十一時──小野、横田。横田コタツがすき故オコチャンというあだなが出来た。

〔欄外に〕

 二日つづいてこのように流連して、不快なくすんだのはよかった。


一月十七日(月曜)曇

 今日は、一昨日来の疲労のためか、大分神経がよわって居る──憂鬱で、涙もろい。Yも出がけフキゲンであった。やはり同じ原因か。自分、そのためばかりでない原因もあるのだろう。Yはゴースチが近いから。

 ○「悪霊」のつづきをよみ始む。

 ○中河さんよりモヤーの雑誌の歌十首

 ○三宅さんよりハガキ、原稿の礼。Y曰く「如才ない人だな」

 ○シャトーフの言葉

「一箇国といえども嘗て知識や理性の上には立てられなかった。──知識や理性は有史以来、国民の生命としては只第二次の従属的な役目を演ずるに止まった。──あらゆる人民の有らゆる時代に於ける、有らゆる国民的運動の目的は、只この神を求める心にあった。──ユダヤ人は真の神の出現を待って居る間だけ生きて居た。そして世に真の神をのこして行った。ギリシア人は自然を神とした。彼等の宗教を──哲学、芸術をのこした。ローマ人は国家の名に於て人民を神とした。」

〔欄外に〕Y、会


一月十八日(火曜)

 サダ、工合わるがって居たが到頭床についた。発熱八度。

 ○Y、自分、ともに不快。

 ○苅田さん来、麻生久の「黎明」をかりる。

Y、二十八日頃ナスに行く故、稽古山内さんにして貰うことになるらし。

 ○「黎明」よみ始む。Y、もう愛国はやめることに決心す。そしてロシアにゆく仕度する由。去年やはり今頃そんな話が出た一日あと、私が本当に行くかときいたら、知らん、とそれぎりに成ったことあり。それを云い出して大笑いす。然し今度は本当ナリ。夜亢奮して話す。


一月十九日(水曜)

 サダまだおきられず。Yも七度熱が出て臥床。こっちにもあっちにも床について居る、家中森として暗い。まことに滅入る。

「悪霊」。

 林町にゆかれず。ために電話をかけたら、m、

「あのお父様のあげたイスとテーブル百合ちゃんがつかって居るんだろうね。女中にきいたら、湯浅さんの部屋だと云ったが……本当にそうならいいがね」云々。ひどく不快を感ず。実に物質的で、自由な人間同士のたすけ合いなど、物一つのために出来ない馬鹿だ。ロシアの貴婦人は馬鹿でも、女中がそう云ったなど云うほど不見識ではなし。m、自分の母が物質的だとよく怒ったが、まけず。それを傍に居て何とも云えぬ国男二十七にもなって頼りないことなり。彼は恐らく、そんな云い草の恥ずべきを感じないか。


一月二十日(木曜)

 やっとサダ起きた。床の中でポムプの音をきき、ああと悦びを覚ゆ。Y、一寸起きたが工合わるく、又床に戻る。

「悪霊」のつづき。Y、「黎明」。

 和田さん夕方から思いがけず来、夕飯でもたべゆっくりしてゆけばよいと思ったのに、議会で誰かに会う必要ありと一時間半ばかりせわしくはなしてかえる。送って夕刊を出したら、議会停会。政、本提携して不信任案を出す形勢と見て停会したのなり。

 朴烈減刑奏請書公表の要求あり、大分もめて居たところ。

「悪霊」よみ終る。やはり天才の作なりと思う。ピョートルの性格、ニコラーイ・スタフローギンは勿論、ユーリア・ミハイロブナ、その他、実に奇怪な、いやに深い、ロシア的存在が描かれて居る。ピョートルが五人組を作ろうとして集会で言葉のひっかかり、皆の単純な熱心などを狡猾に利用するところ、フェツカがピョートル、ニコラーイの間を動く動きかた、マーリヤの発狂せる純一性、ピョートルとキーリロフとの最後の会見、その前フェツカがピョートルの贋物であるを痛罵するところ、シャトーフ妻、シャトーフの虐殺その他。日本人には逆に立ってもかけぬ複雑性が内面的に在る。ドストイェフスキーでなければかけぬ内面性がある。驚くべきものだ。皆が一種の超人なのには参る。ロガチェフスキーは最新のロシア文学の中にドストイェフスキーの二重人格、病的傾向をあげて作品の特殊な外貌と生命とを説明して居るが、まことに、ドストイェフスキーが云ったように、この神聖な五秒と、自分の一生ととりかえてもよい位に私も感ずる。──病的がこの間光輝あるものならば……。

〔欄外に〕

 議会停会は三首領の八百長猿芝居ナリ。昨日田中、床次、若槻会合、表面予算成立をイトシテこれは無事に終らせ、あと田中か床次カニユズルツモリ。この若槻内閣は政党政治解体期の最も露骨ナ縮図ナリ。その点歴史的内閣だ。


一月二十二日(土曜)

 ひどく寒い日だ。午前中和田さんを訪ねること出来ず、十二時すぎホームに電話したら居ず。アパアトメントに行って見たが空室一つもなし。神保町にて真綿、ネルを見る。ネルよいのなし。会芳楼に行く。一時間以上一人で待つ。その間にアパアトメントの案内を見、よくプラン調べたところ、キチェンが一つもなし。これでは仕方ない。起きてすぐレストランに行くのはいや。時間外茶一つのめないのでは、我々の生活立ちゆかず。m不機嫌。いやなり。夕飯の中途にてYより電話、寒き故とまった方がよかろうと。自分大して泊りたくもないが病気はいや。泊る。

 Kのディザインよし。大いによし。床面に音楽的エフェクトあってよし。うれしかった。四時頃までいろいろ話す。

 和田さんに夜電話をかけたらもう大阪に立った由。つまらない人!


一月二十三日(日曜)

 スエ子と三越にゆき、ランドセル、Yのネル、本を見る。スエ子藤村読本をこのまず。テーマのはっきりしたもの、興味中心的物語をこのむ。あの年頃がそうなのか、性格か。ガリバーを買う。ランドセル伊東やにてある。スエ子大満足。mのスエ子に対する批評「バーバラスだ」とか「非常識だ」とか「たださえ人とかわって居るんだからね」等。自分があの頃よくそう云われ苦痛やる方なかったのを思い出して同情に堪えず。mはやさしさというものなし。子供の傷き易い感情を軟く守って居ることを知らず。然し、朝スエ子「おかあさま、よく眠れて?」ときくのを見、スエ子が母を愛して居る心根を感ず、強く。m、大きなことがあると力をあらわすが地道に絶えず悦びと安心の泉とならず。覇者的母ナリ。かえると三沢来、夕飯。炬燵、娘の手を握った話。


一月二十四日(月曜)

「黎明」読終。終りにゆく程幼稚で一寸閉口した。あの時代はああであったのか。吉野氏十二月の『中公』に書いて居る新人会時代への批評正し。麻生氏今どのようにああいう感情が変って来て居るか。

 ○Y一種の神経衰弱にて夜昼顛倒し、自分もそのつき合い。夜更しも毎日つづくといやで、今日は癪にさわり、一人で生活したいとさえ思った。Yは妙な神経をもつ故、ときどき変調を来した生活をはじめる。


一月二十五日(火曜)曇 寒暖計が欲しい、

 サダ母親がわるいと云って家に行く。

 五郎の娘手伝いに来る。

 二十八日にYナスにゆく由。自分今度は始めは、とにかく一緒にゆかず。一人になりたし。疲労の故。──風邪、夜更しつづきその他が原因。

 ○Y久しぶりで外出。出がけ『苦楽』新年号附録の一平の漫画占いをやる。面白い。Yが温泉にゆくこと。当分休養する必要のあること、温泉で浮気をするが東京までもってかえっては面倒の種その場だけがよし、など当って居る。自分、鉄瓶蓋をもちあげるの象で、精力過剰不穏ナリ、力の善導を要す。生意気な先輩にはかまわず自分の道を進め。その他、考えようによっては当って居て面白し。


一月二十七日(木曜)寒

 少しモヤより早く起きすぐネルを縫い始む。今日は顧問が留守故何だかあやし。

 歯イシャにゆくとて、苅田さんと二人でモヤー出かけた。あとに『若草』来ル。さむい。

 夕刻、料理をして居るところへサダかえって来、泣く。オバが、おサダが行ったところでなおる病人ではない、と云って十五日頃からわかって居たのにしらさなかった由。かえりによって又「肉親のメイでもないのに」と云った由、これがこたえたのなり。哀れ。

 モヤ、かえるなり歯が痛い痛いときりの先をあぶってゴムをほらせる。唇に火傷をさせてはいけないし、あぶなく、腰がいたくなってしまった。夜、三人がかりでネル仕立てあぐ。


一月二十八日(金曜)晴

 那須にモヤー立つ日

 天気よし。サダと二人で上野まで送る。苅田さんと会う。かえりに山内さんによってロシア語のケイコのことたのむ。快諾。

 サダ夕飯の仕度して居ると、使が来、母が死んだ由。オイオイ声をあげて「ああくやしい、おばさんがあんなことを云ったからたった二日っきりか傍にも居られず、ああ口惜しい」と泣く。すぐやる。夜一人。大きい家に一人居るの一種の心持で落付かず。モヤーに長い手紙を書く。

 五郎の娘かえす。


一月二十九日(土曜)晴 風強し

 五郎の娘来ル、様子をききに親父の仕事場へ行った。吹きさらしの丘に下小屋をかけて居たところなり。見渡しよさそう。松の音。


 やっと今日から落付くこんたんをしてモヤーの机の上に自分のものを持って来る。


一月三十日(日曜)晴

 十時半頃電報。サムイカラカエルコンヤ七シウエノムカエ おやおやと思い、急に又机をかたづけ、となりの六畳に自分のをもって来る。上野へゆく。働いたあと故つかれた。

 Y、寒かった、淋しかったで落付かなかったのなり。


一月三十一日(月曜)晴

 この頃ちっとも雨ふらず、風邪を引いたのがなおらないで閉口なり。


二月一日(火曜)晴

 二月に入るとどこやら空気軟ぐは面白い。山内さんの稽古。かえりに乃木坂の乃木坂クラブに行って見た。ひどい。住めず。坪八円、ヒーターなし。食堂六時だのに椅子がひっくり返って卓子にのって居る。内部に住んで居るのはノギ坂クラブという名にふさわしい一間ギリの事務所(々々製薬会社、寺院復興会社、大日本建物会社)など。見学にはなった。


 Y、やっぱり家で仕事することに決す。仕事には家ほどよいところはなきなり。若しそうでなかったら、古来大文豪など世界漫遊しつづけたろう。


二月二日(水曜)晴

 今日は関さんが見えるかと楽しみにして居たのに音沙汰ナシ。


二月三日(木曜)

 何となく体の工合不活溌だ。去年の日記を見ると、やはり十何日か頃、神経衰弱的になって閉口して居る、今年はカゼが長いのでわるし。どうかなってしまうかと思う位永シ。

 床につく。

 Y、こんなの生活じゃない、スウェーンだと云う、豚の暮しという。仕方なし。

 苅田さん山内さんのかえりによった。プーシュキンの「スカーズカ、ツアリ・サルターン」〔「サルタン王物語」〕をあげる。


 サダがかえって来た。


二月四日(金曜)

 福は内鬼は外をやる。


二月五日(土曜)

 かぜの工合もわるいので仕方なく、今日山内さんのケイコから真直、東京駅に廻って国府津へゆく。


二月八日(火曜)

 国府津からかえる。お澄さん来て居た。おそくなってかえったの故、いそいで、モヤーおどろかすつもりで台処からそっと入って行ったら、お澄さんと居、がっかり。


二月十日(木曜)

 Y、いよいよ思い切って、ロシアに半年でも一年でも居て来る決心きめた。

 もう幾度も幾度もこねかえして考えてあるが今度は実行可能であろう。一昨年カマクラに居て、二人で考えたことがあった。Yハルピンに居て、自分間三ヵ月位行くように。けれども、二人分れるのがいやで実行出来なかった。又経済上も。今度は何とかなろう。

 Y、「一つ今度こそ思い切って出かけなけりゃ一生うだつが上らない、そう恋々として居たって仕方がないものねえ、べこ」このねえ、べこに無限のものあり。

 べこ大いに奮励一番して彼女を人にしてやらなければ愛した甲斐ないと思う。


二月十一日(金曜)

 Y、ロシアに行くという、この考、まだなじまず、幾分二人とも亢奮して居る。

 自分一人で生活するの、楽しみなような、恐ろしく空虚で、その空虚さに堪えず、何とかなってしまいそうなこわさいろいろあり。夜何だか落付いて眠らず。


二月十二日(土曜)

 山内さんのケイコ


二月十三日(日曜)

 関さん来。ベコ誕生日故、もやー、サダに花をとらせに秋庭さんにやったがおそいと云ってそれはそれは怒り。

 きのう中村やから買って来たロシアパン、甘い、こんなもの食えるか、パン買って来い!「私の誕生日じゃないの、そんなに怒らないだっていい」「生れなけりゃよかったんだ」迚も心にこたえ、涙やっと堪え、パン買いに出かけたら、桜並木のところでむこう向いて立って居る人せきさんであった。却ってたすかった。そのうちサダもかえり、もやあこんどは逆に、私関さんと喋って居た間に、すっかり御祝らしい小鯛まで焼きもの、さしみ、赤飯、御つゆで御飯にしてくれた。うれし、うれし。もやあ、時々此奴め……と煮え立つような思いをひとにさせるが、しんにきたないものない故、からりとあとする。西部さん、横田さん来。横田君夕飯をたべて行った。これももやーおむれつを作って。──


二月十五日(火曜)

 Y、ハイシャ、会など廻って、山の内さんに来る。ロシア行について相談することあれば。──

 大抵一ヵ月三百円位のよし。旅費五百円。

 Yの本の印税、私の本の印税、貯金、合わせて一年位何とかなりそうなり。


二月十九日(土曜)

 山内さんケイコから飯田橋歯科に廻る。二人、神楽坂で、尾沢食堂で一寸たべ、ブブノワさんのところへ行く。Y、チェホフ、質問があるなり。自分をブブノワさん肖像にかくと云う。

 かえり四谷まで円タク


二月二十日(日曜)

 三沢さん、同じ村のお嬢さんをつれて来た。そのお嬢さん先生になる口はないかと。──然し裁縫をやった由、Y、中野の人見さんの学校にでも紹介しようかと云う。いろいろ話すが、そのお嬢さん、インテレクトの光、毫もなし。暮がたかえる。

 引違いに御すみさん来、校正の手伝い、かたがたY、会をやめることを云い、彼女に仕事の見ならいをさせるため。

 自分こちらで仕事す。(手入れ)

 夜、食後、又仕事、十時すぎやめ、自分何だかフキゲンになった。──いやで──一年もYと分れて生活するのがいやで、不安で、苦しい。Yもそうと見え、夜二人長く眠られず、そのことについて話した。Y、自分五月にゆけば私九月頃来ることにしたらよい、ね。淋しくないだろ? そうね、随分違う。ああ、やっと安心した。ああ、べこあっちへ行ったとき声出して泣いちゃった。──


二月二十一日(月曜)

 おすみ君も眠られなかった由、十二時頃昼けんたいの食事をしてから、三時近く、Yと二人で出てゆく。サダ、マスク見えなくしたエハガキ見えなくしたと、叱られ、大周章。

 自分仕事(同)


二月二十二日(火曜)

 自分ケイコのかえり事務所に電話かけ200欲しいことをたのむ。


二月二十三日(水曜)

 三越にゆき、自分長襦袢の裏を買い、事務所へ四時三十分行ったらもう父上居ず、丸ビルで春江ちゃんの祝(タン生)インド更紗買った。Y、中外に居る故、そちらへ出かけて、一寸校正手つだい、八時頃急に円タクで牛込館へ出かけ、或乞食の話を見た。マーモント。地味なよい役者ではあるが名俳優に非ずと思う。ウィンター・カムスの方がよかったろう。


二月二十四日(木曜)

 Yの翻訳、始めの部分すっかり出来上った。それを手伝ってとじ、序よみなおす。クニッペルの、Y、いやだいやだと云ってやって居たが、それはよいものになった。実によいクニッペルの温かさ、敏感さ、女らしさが、活々して居る。

 本当によいホンヤクだ。もう少し出来る。あと手紙十ばかり。勿論三月中には出来る。ブラボウ

 ○私、仕事


二月二十五日(金曜)

 私と春江ちゃんの誕生日、カイホーローでしてくれる由。行く。

 途中お茶の水アパート又きいたが空間なし。松屋でYの原稿紙。基、春江、両親、英、国、スエ子。スエ子、もう髪をのばすと云っておかっぱをやめ、兎の尻尾のようなお下髪さげにして居る。可愛し。でも、まるで精神的なところないような娘に見えて自分心痛を覚えた。自分早熟で、小学の五年から六年にかけ、ピアノ今弾く位に弾いたし、リーベもした。スエ子その点無邪気らしいのはよいが──。然し、仲間の裡にある彼女を見ねば真実は分らず。国男掴みの弱き感アリ。

 父上、頻りに頭がいたいと云って居られる。母上、大切にいたわり、じゃ休みましょうとは云わず、「オヷァーオークだからですよ、年や何か考えてやらなけりゃ」、建築士法案を呈出するについて父上、努力して居られる、とのことだ。自分何だか幸福な一家と感ぜられず、愛、浄らかな、ひろい、賢い、健康な愛の不足を覚え、悲し。

〔欄外に〕

 Y、新潮へゆく。皆ルスであった由、文房堂で万年筆。


二月二十六日(土曜)

(つづき)この間の日曜、関さんとも話したが、全く私は今になって始めて、ともに生きるものの大切さ、二つとないと思う心、自分をとおして或存在、周囲など明るく、立派に、一歩でもよくするに非らざれば、人間生存の意味がないと思うようになって来た。夫は妻のはり合い、妻は夫のはり合い、ほんとの友。その心持、しんに感じられて来た故、母達、互にそまつにとりあつかうのハラハラする。その美、根気よさを知らないで一生過しては、実のない木のようだ。寂しい。心の美を知らずにしまう。

 ○今日仕度にケイコやすむ。Yは外出。


二月二十七日(日曜)

 信州へ出発、下諏訪へ泊る。


二月二十八日(月曜)

 下諏訪、上スワ、チノ見る。

 チノ、寒い寒い。一本道、右手山と寺、百姓や、左、雪だらけの田、こおったみかんたべた。どろんこ。

 芸者、メリンスのきもの、島田、爺。

 上スワ、上スワかっぽーの女給、白鳥社ハクチョーシャという本や、カフェとはっきりよむ。


 となりの部屋の男ジンゲルを買う。実ににくらしくマター・オブ・ファクト。すぐフロに行った。Yと私、先客のあくのを待って居たのに、ヨゴレタ男に入られ、Yフンガイ、迚も湯をアビルこと、あびること!


三月一日(火曜)

 立って、浅間温泉に来る。宿から日本アルプス見え、いい雄大そうな景色。

 静かな家

 いやな、スベル水はけの急な宿のフロ。

 の湯、きずの湯、せんきの湯、笹の湯、菊の湯などあり。の湯というのなど面白し、古風で。

 どびんこを一つ買う。ちり紙ぼられた。

 Y、かぜ苦しくよく眠られず。  ×


三月二日(水曜)

 八時に立つのをやめて、十二時五分の自動車で、ガマ郡へ来る。木曾の風景よかった。忘られず。楽しく、あっちへゆき、こっちへ来して窓外の景色をながむ。

 信州との境近くと、岐阜の境とは違う──自然が。所謂木曾は、ギフの方だろう、荒々しさ、くらさ、しつこさがある、ギフの方が。信州の方、軽い、□もちがう。


 常盤館


三月三日(木曜)

 蒲郡、自分十二時五十九分。Y一時五分、東西にわかる。

 十二時すぎ帰宅


三月四日(金曜)又雪


三月五日(土曜)

 積った雪の上に変な大男の跫跡あるのをチビ発見す。すっかり宮本にたのんで、家じゅうのしまりをさせる。

 山内さんケイコ

チビの眼など、よく、こまかいところに気がついて面白し。十二位の女の子。

 山内さんいろいろ話す。


三月六日(日曜)

 ゆうべの跫跡が気になってよく眠らず。然しよく考えて見ると可笑し。幸、雪があったから跫あとが見えたので、天気のよかったときに、何がどうして来たことがあるかもしれず、それは見えないから安心し、見えて、つまり危険のより尠い方にケイカイする。愚心と云うべきだ。


 Summer の中、自分が一旦その Passion に自分をまかせたら、自分は全部それにまきこまれる、それを知っておそれ、それをさける、というところあり。

 She knows the passion which is stronger than love, and I know it too.


三月七日(月曜)

 林町より国男、英男、スエ子、母上来。


三月八日(火曜)

 山内さんのケイコ。


三月九日(水曜)

 仕事。

 嵐。南の風、落付かず。夜仕事す。

 自分の一つの迷信、

 これまで、四月の号によいものかけたためしなし、昔から。五六月以後よし。

 これから、一二三とはいつも、大きいものはかけまいか。この長いのでも、三月四月などよくない。


三月十日(木曜)

 ○「崖の上」、「白霧」、もっとくいこんで、客観的説明も必要なり。それがかけて居る、だから分らないところがある、これでも何とか云ってくれる人あったとは恐縮。

 アミノさん、黙って居たの、本当なり。


 サダ公、浅川にやる、金をすられたとか何とかにて十一時すぎかえる。金をすられたってこんなにおそくまでかかりはしまい、活動にでもよって居たのか、彼女、外に出ると、わけのわからぬ云いわけをうまくやっておそくなる。面白い腕がある。


三月十一日(金曜)

 仕事。Yよりはがき。いそがしく慌しい間によくはがきでもくれたとありがたし。


 Y留守の心持、不思議な心持。今度は先より楽で(仕事が自分を追うから)ある。が、しんが寂し。その寂しさ、愛が一杯で重くしずかで淋しい、そんな寂しさ。わるくない淋しさとも云える。


三月十二日(土曜)

 山内さんケイコ、今日自分少しナーバスなのを、話して居る間に感じた。

 家へ電話を淀橋からかける。自働電話、前に、道普請をして居る。つるはし、手袋「かてえなあ」傍に、郵便局電信配達だまりあり、赤い自転車、若いもの、一人が犬と遊んで居る。つとのって出かける、五分位に一人二人出かける。「おい百××番地知らないか」

 Yからは何とも云ってよこさず


 仕事。いろいろやって居て一つ感あり、もっと、三、コムプレックスする必要あり、そして深く彫る──。先のはやはり速くかきすぎたというところあるなァ。


三月十三日(日曜)

 ひどい雪でござります

 なるほど。──美しい春の雪だ。床の間に桃を活ける。雪、桃。けさYより電報が来るかとたのしみにして居たが来ず。今夜立つとでも云うのであろうか。


三月十四日(月曜)

 Y、かえる。

 自分特急──八時半までまてず六時すぎ家を出て、品川に行ったがここに特急は止らず。東京駅へ行ったが居ず。あわて、あわて、あわててかえって玉電のところでYに会う。

 ああモヤー。かじりついてしまった。


三月十七日(木曜)

 Y、いよいよロシアにゆけることになった。五千ばかり出る由。今度京都へ行って、Y、家族の間に自分のしめて居る心の関係がわかって、父上ともしたしみよかった。自分これはまことにうれし。Yの資財として、八十五円とかの家賃の家一つある由。

 セストラー〔姉妹〕の件


 ○Y京都に居つと遊ばずに居られず、遊ぶとなかなかあとを引くなり。


三月二十三日(水曜)

 Y、旅行で仕事中絶し、又気が散った──

 愛国婦人をやめるため、用事多く落付かず。

 不安なり、フキゲンでもある。


三月二十九日(火曜)

 林町にゆく、(山内さんから)東京駅で落ち合い、倉知にゆく。母上、スエ子、英。


 自分外国ゆきの話をしたら、母上、そんなことだろうと思って居た云々。

 余りひどい故、もう保留にしようとてそのままはなれにゆき、英男の話をきき、自分すっかり感動した。

 もう母上は、元の母上でナシ、対等には扱えず。


 英男、もうただ生きてさえ居りゃいいのさ全く。だからもう絶対屈従さ、何も本心なんか話せやしない。おかあさまの残骸だと思ったら僕可哀そうで可哀そうで泣いちゃった。そしたら、分ったらいいだって云うんだもん…………


四月一日(金曜)

 さて、Y、久しく希望して居た通り、愛国婦人をやめた。あしかけ八年であった由。

 もうこれから締切り、校正ナシ、万歳、万歳。

 然し、Y、何か不安で沈んで居る。わが心も苦し。


四月二日(土曜)

 スエ子来、古川さんと殆ど一緒でしょげて居た。

 夕方、Y渋谷まで顔そりにゆくので三人で出かけ甘グリを買い、『少年クラブ』、私は「絵のない絵本」を買い、Yはミルクリーを買い上々でかえる。

 スエ子泊る。

 ○古川氏来。


四月三日(日曜)

 アミノさん、和田さんつれ立って来た。三時頃。

 スエ子かえる。

 夕飯をたのしくたべ、九時すぎ四人で歩いて送った。


四月四日(月曜)雨

 花の茶やで秀雄さんに会う。フランス展、バルザック。その前、松やにゆき、銀行にゆき、海市にYの洋服──レインコートあつらえ、銀座の早見君子のところで、Y髪のしまつさせたが、たまらない髪。オリエンタルで、帽子かう。

 秀雄さん来て泊る。


 フランス展、彫刻がすきなのが、はっきり分った。

 バルザックの像はどうだ。元気がなくなったらあれを思え。


四月五日(火曜)

 秀雄さん夜まで居る。


四月七日(木曜)

 サダとまりで家へ行く。


四月八日(金曜)

『改造』に随筆「わが五月」とどける。

 山本君腎臓か肝臓がはれたと云ってしょげて見えた。一円本一揃えくれるよし。

 八十銭サイフにあるだけ。Y、あっちこっちから、シネマパレスでオセロを見に行ったので、自分会うつもりで出たがカン違いしてシネマギンザをたずねもとよりなし。

 もうつかれ、いや故そのままかえる。淋しかった。

 宮原氏来、「アルネ」をかす。


四月九日(土曜)

 宍戸君来、丁度Yやっと翻訳出来かけのところ故、つれて並木の花見をする。連翹れんぎょうの花の垣(三井の前の美しい新緑がそうだ)、桃の花の白と紅、雪柳の白い花、蕾の八重桜──北風にふかれるところにある故幹がっちり枝こんで立派だ。

 土筆つくし、よもぎをつむ。

 宍戸蛇を見つけ踏む。

「おやめなさいよ、□□出て来てつぶされてはたまらないわ」

「本当に、蛇は半年土の中にねて居るんだから大変ですね。」


 夜スキヤキで御馳走ス。


四月十日(日曜)

 今日は花見ナリ、おこわを云いつけ、芝生にゴザ、その上にモーセンをしいてYと二人、パラソルをさして日光をよけつつ、おこわをたべ、独歩集をよむ。独歩が傑れた作家であったこと、はじめてわかる。あの時代にどんな独特な存在であったかも。現代に於てさえ、彼の感傷は純粋さで存在カチありと感ず。

 鈴木澄、三沢、秀雄、五人で夜、酒をのみ愉快に食事す。間に、大橋房子さんの amie であった? 喜多村という人、三人づれで来る。

 おすみさん、土筆沢山つみ、よろこんだ。

 都踊の一□の連中、放送に来たとて、秀、Y、亢奮、たの──種鶴のこと──をたぬき、たぬきという。

 三沢の話、臍の下の毛(三十三の女の)徴兵よけのまじない。

 中学の先輩「君大家ぶって行った方がいいですよ」


四月十一日(月曜)晴

 Yの妹、Fのリーベ、川村氏来、昼一緒に食事す。ネクタイ、とものハンカチーフ。お坊っちゃんの実業家。

「云いますのに、教うこともあると、とつける癖あり。人情家、学生の事件に「妹も親もあるだろうのに、はたの運命まで傷つける自由というものが人間に許されて居るかどうかと私は思いましたな」

 何でも手を出して一寸習って見たというたち。


四月十二日(火曜)

 今夜で、Yの翻訳すっかりすんだ。

 あと一日か二日で手入れもすむ由。


四月十三日(水曜)

 朝山本実彦来、玉川を散歩したついでの由、いろいろ話しし二時すぎまで居た。五千、私の旅費に出す由。その話まとまった。Yのためにも仕事何か与える由(一年もしたら、ロシアで)。田村さんの話が出、かえる旅費千位出してもよいことを云って居た。一平の占いをし、山本君心に何か思い当って居た。

 山本かえってからYと二人散歩に出、ずっと三井のところから裏へ出、山の上までのぼって遊んでかえり、思いがけぬところから私の声をきいてポチ、かけ出して来た。苅田さん、コートのところまで迎に来、早稲田の試験だった、ヴブノワさんの由。あやし。あさってわかる由。

 海市火事でYのキモノやけてしまった。三人出かけ、オリエンタルでYの服アツラえ、海市により、ホカケズシ、ボー・ジェストを見た。コールマンよろし。


四月十四日(木曜)雨

 ヴェートーヴェンの作品の説明をよみ、面白く、ピアノほしい。本当にピアノ欲しい。


四月十五日(金曜)雨

 Y、『日露芸術』のための感想一つ書いた。

 これで、もののかける自信ついたと云ってYよろこぶ。自分久しぶりであの長い間かかって居た仕事かたがついてうれし。

 ○自分この頃いかによきYでも彼女の力でどうにもしてくれられないものを憧れて居る。日々新たなもの、この過ぎゆく人生の柱となるものにふれたい、その心持なり。一人のひとを愛し、その人から新たな愛──恋を味いたい自分。

 ○この頃自分ハンモンなり。何か内心の動揺を感じてこわい。Yは自分もロシアへつれてゆく気なれど──何か──のところ自分の心にあり。

 ○人世が、三十位になると分ったようになる。箇々の現象や人間大抵の心持が。それで人生が分ったと腰をおろして凡人に皆なるなり。


四月十六日(土曜)風強し

 苅田さん来、Yに、鈴ランの花、撫子の包「一寸水につけさせて置いて下さい」というの、「有難う」と云ってしまい、苅田さん早稲田へ入れた、自分でも本気に出来ず変にして居る。

『読売』の懸賞に出すのという短篇、鼠、柿、人間、よませてくれる。よかった。いかにも彼女らしい。目立つ作品ではないが、よい。彼女の容貌の通り、一寸見ると色彩うすいようだが、沁々見ると美あり。若々しい、教師などして居る女の感情あらわれて居る。


四月十七日(日曜)

 久しぶりに山内さんに行こうとて、筍を掘って出かけた。留守。野上さんにより十一時頃田端よりかえる。


四月二十日(水曜)

 田中内閣になる。強風。

『朝日』にやるもの書きはじむ。少し神経質にてよく進まず。

 苅田さん来。Y、しきりに写真をうつす。


四月二十一日(木曜)

 十五銀行休業す。

 春の嵐。白い梨花、青ずんで来たポプラーの若葉、鉛色に光り今にも雨になろうとする空。

 パッショネートな嵐し。


四月二十三日(土曜)

『朝日』に、「明るい海浜」三十枚送る。


四月二十七日(水曜)

 Y、関さんと男の子、自分、三人半づれにて那須に来る。小松屋。

 時候の故か元来た那須と違って居るので変な心持。

 四階の隅の部屋、

 子供一人居ると、こうも賑やか、且つ目まぐるしいものか。


四月二十八日(木曜)

 迚も暖か。お話にならず、湖月園へゆくと云って出、途中、右手の芝丘に登って日向ぼっこをする。かえると、カルピスを盛にのむ。

 春リンドウの小さい花。

 まだ早春の山に白く目立って居るコブシの花。

 先、大変美しいと思った見晴し台の下のブッシュ、皆きりひらいて学校が立って居る。

 一種の哀感あり。


四月二十九日(金曜)

 Y、閉口し、明日かえってくれね、たのむよ、随分辛棒して居るんだから、と云う。無理なし。

 然しかえりたくもなく、切なく、苦笑す。


四月三十日(土曜)

 関さんと子供と自分帰京。

 林町にまわって泊る。


 どうしようか、又戻ろうか、こちらで仕事して行こうか思い迷ったが、迚も落付けず。戻る決心をする。


五月一日(日曜)

 那須へ持ってゆく買物いろいろする。英、国と一緒に松や三越にて。かえりに、築地河岸で一寸息を入れ、それより渋谷まで省線。


五月二日(月曜)

 十一時いくらかので立って来る、天候余りよくなし。

 Y、待って居たのに、苅田さんのロシア語の先生のこと、ちゃんとしなかったと云っていきなり怒る。

 自分、がっかりし、こんなに思いつめて来たのにと涙を出す。


五月三日(火曜)

 仕事こねだす。


五月五日(木曜)

 仕事に着手。


五月六日(金曜)

 秀雄来。


五月八日(日曜)

 Y、私の仕事のために、秀雄の部屋で食事することにしてくれた。大いによし。


五月十四日(土曜)

「街」五十五枚出来上る。


五月十六日(月曜)

 天気よろし。Y、秀雄、自分、塩原へドライブす。一時間半ばかり。


 清琴楼の浴室。動物園のアザラシの檻。


 一泊。日よし、河鹿かじかの鳴声。秀雄、彼女ありせば、我等 tete a tete なりせば。皆満足せず、可笑しい晩であった。


五月十七日(火曜)

 小太郎ヶ淵その他を歩き。

 自動車の輪がはずれ


五月十九日(木曜)

 秀雄と殺生石を見にゆく。


五月二十日(金曜)

 見晴し台へゆく、


 秀雄も我まま、Yも我まま。二人とも負けん気より衝突しとかく咬み合う。可笑し。同時に不快。


五月二十一日(土曜)

 秀雄かえる。


五月二十二日(日曜)

 風ひどし。我々の来たときと違って大分やかましくなって来たので、本当の勉強は出来ず。


五月二十四日(火曜)

『大調和』への感想(十枚ばかり。「夏遠き山」)


五月二十五日(水曜)

 作楽さくら会へやるものを書く(「一隅」)。書いて居ると、黒磯の鉄道の男だというの頻りに放歌し始める、やがて尺八をふく男もあり、閉口した。


 ○Y、女中対手にいろいろふざけ、女中の人気ものとなる。


五月二十六日(木曜)

 昨夜よりYぽんぽの工合わるし。五色にはどうしてもゆけず、自分一人九時のでかえる。

 汽車すいて居たが眠し、新聞二つよんだだけで眠る。

 上野より林町へ。

 咲枝来て居た。母上、三越へゆくところで、しきりに干鱈のうまにを食べて居られる。出かけるとき「じゃ咲枝ちゃん左様なら、かえったらどうぞお姉さんによろしく」一寸もゆっくりせよと云わず。自分気の毒と思った。これで咲枝国男のフラウ〔妻〕になるのであったらこまったものだ。──然しそうなるに違いないが。──

 林町へ泊る。珍しく愉快に喋った。八時すぎYからアス三時でカエリタイと云って来る。


五月二十七日(金曜)

 早く世田ヶ谷へ行かなければならないと思って七時頃起きたら父上、起きて来られる。雨戸あけないように云おうとしての由、用をきき、では自分事務所からその発送(Yのところへ払いの金200を送る必要あり)をしてやるから眠れとのこと、ありがたく思い、願い、又眠る。

 夜会芳楼、早めに自分だけ出て田端でYと待ち合わせ、渋谷より自動車でかえる。


五月二十八日(土曜)

 留守番に来て居た娘かえる、十円と、みやげの豆、せんべい等をやる。


五月二十九日(日曜)

 お文さん来、品川まで迎にゆく。

 ゆきに、ロシア美術展。見てよかった、ロシアというものにすっかり楽しみが出来た。

 三越、自分の単衣ひとえを見。


五月三十一日(火曜)

 早めに夕飯をしまい、ふらりと散歩に出たついでに渋谷まで行ってしまう。渋谷キネマでハレムの貴婦人、野バラなど見。ソーダをのみ、『山科の記憶』を買う、そこで本の研究をする。


 Y、校正が多いのでうんざりして居る。自分の方まだ校正どころでなし。折角温泉へゆきそれ等の効、Yの方には余りないらしい。不キゲンなり、そしてフキゲンなことを恥辱とも思わぬらしく人に当る。自分生命の浪費を感じ陰気になった。Yのように自由にして居てものの出来ぬ人──自由でありすぎて却って不幸な人! あいつよりは、と思っていつかアイツ以下になる。


六月一日(水曜)

 苅田さん来、ふと見ると、下瞼のところに黒いしみのようなもの見え、疲労あらわれて居る故心配して居たらかえりに、夕方熱が七度程出るという。よくない。疲れて居るところへ変な熱でもとりつかれては閉口故大切にするよう云う。(これはきのうのこと)

 お文さん買物に行くという、Y Oki にゆくという。ついてゆき、ワンピースのような two ピースの着物たのむ。それから松や。

 Y、市庁へ旅券のことでゆき、事務所へよってお金おいて来てくれた。

 三越へ一寸入り、三共へ一寸入り中力で一寸買ものし、おそくかえる。つかれたつかれた。


六月二日(木曜)

 三沢来。

 ○おふみさん、顔に出来たオデキいたくて閉口、今日眼の中村からかえってからずっとホーサンぱっぷで寝た。


 Y、この頃の不機嫌のつづきで、下らぬことを云い出し(mと私とのことについて)私ひどく怒り泣いた。生活の狭さ、何と人間は生活をきたなくして平気で生きるか、精神的豚だと思い実に涙が出た(我々のような生活に於てさえ愛情の新鮮さが失われて所有慾ばかり根をはる! 下らなさ)。

『新潮』の小説を考えて居るうち、ノートにとってない京都のいろいろのことを思い出し、興味を持った。生活上のこと、実にノートにとり切れず。忘れぬものは書かないでも忘れることなし。


六月三日(金曜)

 この頃もう梅雨に入ったと見え天気曇り寒し。

 おふみさん、昨夜も一寸話して居るうち親しみを覚え、おできでふくれた横顔可愛ゆく思った。しん、実にリアリストなり。

『ウーマンカレント』合評会記、一寸よみ、あまり上滑りのして居るのにおどろいた。宇野さんなど、あんなところで、もっと堂々云えばよし、何だか歯痒く歯痒く、出席しなかったの、とても幸と感ず。居たら自分、あんなことでは満足しない。

 仕事そろそろ形がついて来かかる。

 若竹の美しさ、まだ葉がひろがらず、すすきの穂のようなさやに入ったまき葉が一節ごとに出て居、作りものの大すすきのように美し。白い粉がついて居る。

 ○ケシの赤い花、となりに咲く。うちのバラ、久しぶりで咲いた。

 薔薇なら花咲かん──


六月四日(土曜)雨

 仕事にとりかかる、例によって、まだどんなものになるか皆目見当つかず。三枚半

 おふみさんのおでき、大分ひどくなり夕方鹿野さんに見す。女性的医者でさわぎ、バイキンが入った位のことだのに「こりゃ困りましたな」を繰返す。この辺満足なイシャなし。


六月五日(日曜)

 床に居ると、Y、いきなり来て「オイ、どうする。はれて来たじゃないか!」と胸倉をとる。ムッとし怒った。それから藤谷さんに電話かけ、とにかく冷した方がよいとのことだが、耳の下まではれて来たので、夕方中村さんのところへ行って知人の長田という人たのんで来る。どしゃぶりの間をそうやって行ったりかえったりして、その人が膿を出してくれた。やはり面チョーの由。


 Y、殆ど徹夜、自分も一度おきて氷でひやす。


六月六日(月曜)

 けさはもう腫れもののいたみはない由。何しろよかったとYもよろこび、自分もよろこんだ。


 ふみ子、Yの話にきいて居たより、一緒に暮して見ると愛らしいところがあり、又その要求にも──張合のある生活を欲するところ、自分同情がもてる。ただ京都のような周囲では、それをまともに活かすこと困難なのなり。自分はYも誤解して居るところがあったろうと思う。ふみ子はもっと愛されてよい女性なのだ。


六月七日(火曜)

 秀雄来、おふみさんの見舞。

 自分も(彼)小さいできものあり、フミ子のメンチョーをきいておどろき、神経を立て長田氏に見す。


 ○蚊帳をつる。


 ○Y、きのう、私が日曜日でもないのに若い書生と喋り込んで居て、おふみさんとの話に出て来なかったと云い怒り、散々つねった。自分その点は気の毒をしたと思ったが、そう勝手につねったりぶったりされること、セルフレスペクトを失って不快。ひどくやはり怒った、そのことについてY、ロシアへは一年おくれて行くと云ったら、何か怒り、涙をひどくこぼした。いろいろY神経質と思い、Yの留守のんびり一人暮したいとさえ思った。が、よく彼女の立ち場として考えて見ると、ロシアへ一人ゆくのいやで、丁度私がナスから一人かえるときグズついたようにグズつき一寸の淋しさなど身にこたえるのであろうとわかり、心がしずまった。

 ○自分等の生活には段々恋愛雰囲気とは違った肉親的愛がひろい部分をしめて来た。それ故時に(それで我々はよいのだ、自然なのだが)官能の憧れを感ず。恋を恋すような心持。(微妙なものと思う。夫婦ならこのように肉親的愛が互の間につよくても官能は存在する。女性同士の間ではそれがない。そこにある自然の動かしがたき力)恋を恋う心を、自分はどのように生かしてゆくか。──何故なら、自分は無条件で恋愛の発展過程を(恋愛、結婚、結婚の解釈)承認出来ず、又所謂モダーンに、現代文明のネゲティブの影響も受けられず、新しき価値を見出さないでは居られぬから。


 ○仕事二十枚しまう。今度の、圏境の事情はわるかったが本当にたのしみ愛してした。「高台寺」。Yに京都弁をなおして貰う。


六月十三日(月曜)

 野上さん来。(これは十三日の分)

 久しぶりで愉快であった。もう鼠色の麻の着物、白い帯、黒絽ちりめんの羽織、この頃眼がいよいよわるくものが或距離から二つに見える由、三人歩いてゆくパット六人になる。それが一列になって六人角を曲る、「我思う故に我あり」実にそういう心持がするという話。キューゲルゲンの話、改造の話、その他。Y写真をとる。野上さん、うつしなれず、じき気どり可愛ゆく面白かった。が二人うつす心持が通わず、きっと自分変な顔してとれたろう。一緒に出かけて。

 牛込館のヴァリエテを見る。変に苦しい心持に二人ともなった。Yはボスの心持、いやに痛切に身にしみるなり。映画としてよし、プティの可愛ゆさ。


六月十四日(火曜)

 三人で出かく。自分林町、夕方行ったら母、つかれたと云って床に居る由、大したことと思わず、風呂をあびてから上って行ったら、ひどくげっそりして居て、ろくに声も出さず、ものもたべないで居る由、国府津から月曜かえったが、工合わるい。前に出血したという話。おどろき心配し、この間うち、自分よく歯がすっかり落ちた夢を見たことを思い出してたまらず。ひどくいやな心持になった。子宮瘤ではないかと思った。


六月十五日(水曜)

 医者に見せよと云っても、自分の体は自分でわかって居ると云ってきかず、自分心配の余り腹が立った。父も大事に御機嫌をとるばかりでは駄目なり。押えるところ押えず、頭を暗く暮して何になるかと憤然とした。

 夜かえろうとすると、父上、あす小樽に立つよし。明日夜来ることを約す。


 ○「こんな女中幾人つかって居たって気がもめる丈で仕方がないじゃないの」

「いやそういうが、国男の小言をきいて御覧。ちゃんとしたものは一日だって居ないよ」

「足りないだらけだから私だって怒るのよ。足りるようにして御覧なさい、誰もおこるの減ってしまうから」

 イギリス人、常識的なところはいやだが、生活を理性でキッチリさせる力あるはよし。


六月十六日(木曜)

 林町の生活、生活にあらずと思う。

 人間は生きて居る。然し生活はして居ない。生活を生活らしくするもの、人間らしく生きんとするもののいかに僅少なることよ! 何だか恐ろしい力をもった惰力的無智が生活を覆うて居る。

 この中に育ってKなど、やはり親爺のような明快でない、ペックされるような──生活に押されて一生送る人間になるのかと悲し。何故生活がもっと豊富なる何ものかに向って運転されないのであろう。Yとの生活に於ても自分そう感じることあり。Yは批評する、然しそのものより高いものを自分で作り出す力はない。やはり狭い。独善的なり。これはわるいことだ。


六月十七日(金曜)

 夜ヴヴノワさんのところへゆく。

 お母さんピアノを弾いて居た、玄関からヴヴノワ一人の姿が椅子にかけて居たのが見え、一寸構図的であった。お茶、ソーダビスケット、ジャム、チョコレートその他。

 ヴヴノワさん、私のポートレートをかくという、彼女にとってもそれは制作である故なるたけ都合して坐るつもり。彼女が大してタレントのない作家であるのは却って自分に気やすい。

 立派な人が描いてやると云ったら、自分まだそれだけの内容なくはずかしとことわるだろうから。


六月十八日(土曜)

 西野さんに来て診て貰うように、父上にすすめた。どうも一遍も見せずにかえる心持せず。


 三越。

 今日又かえれないから、どうかしてYに会いたく、幾度も菊地にかけ、やっと三越へ出なおして行って会う。


六月十九日(日曜)

 西野さん来。糖尿だけのことであった。節食と散歩をすすめられた。足で歩くこと。

 今度母の体についていろいろ心配し、人間が自分の体を自分の所有と思って甘やかし、不健康にする愚と冒涜とを深く感じた。心のためには教育、体のためには体育、これは二つ切りはなせない車の輪だ。大きな仕事、大きな精力、自分という生存はただ自分だけのため、まして自分のものなどにあらず。人間が食物について勿体ないと云う、その勿体なさを人間の生存というものの上について痛感しないところ、人間の普遍的愚なり。


六月二十二日(水曜)

『自己を活かす為に』の中のロダンの言葉をよむ。

「レンブラントが彼の友達を見たように諸君の友達を見よ。此偉人の周囲には生きた傑作しか無かったではないか」

 この言葉を味って居ると、人生が次第次第に立体的に精神力のはり切った力で感じられる心持がする。一寸ちらついた眼がしっかり落付くようだ。


六月二十三日(木曜)

 帝劇で一谷と玄冶店げんやだなとを見る。一の谷。この前市村で吉右衛門のを見た。その時の方が幸四郎の熊谷よりよかった。梅幸の相模が見ものの筈のところ、一向気がのらず、我が子の首をがたんとひどい音をたてて置いたり、その他、とてもわるし。鼻くそをほじって居るのがいかにもじじいらしく哀れ、又腹立たしかった。

 玄冶店の方は、梅幸も得意なもの故、軽くあっさりやってまあぼろを出さず。然しこうやって見て旧劇というものはつまり役者が舞台で遊ぶ、それを見るようなもの、本当の劇らしい気がせず。ほんとにゆきづまりなり。


六月二十四日(金曜)

 林町から電報が来て、クニオのセイズゼヒミヨ。ゆきに白蓮さんのところへよって行った。お文さんをつれて。

 鋭い感じの人だ。やつれて居た。生活者らしい感じがつよくいやみでなし。然し、何か、過去の生活を一緒にすてずともよい、ノビリティーまですてたのではないかと思われるところなきにしもあらず。


 林町、母上、まだ参って居る。床につき、かゆをたべて居る。どうもただではないと不安新たなり。

 かえりに雨。おそく新町につき淋しいな、と思って居ると思いがけずモヤー迎えに来て居てくれた。うれしうれし。おそくなっても泊らぬとモヤも信じて居たところうれし。


六月二十五日(土曜)

 ○心の苦しいもの、貧しいもの、求めるものの友となれない。友として彼等から求められない。──暇のある人間、道楽気のある人間、その癖第一流的知恵もない人間からだけ友とされるのであっては、何と悲しいことか。

 ○おふみさんが始めて子供を産んだとき。その子がのばしてねている自分の脚のところを、丸い、小さい、つるつるした足で蹴る、そのときの心持、こみ上げて来るようであった。

 又、子供が、自分の小さいときの話をきくのをよろこび、誰それが斯う云ったと云うと「あとは、あとは、何ちゅうた?」とききたがる。

 ○芸をやっておめにかける猿。


六月二十七日(月曜)

 細雨、今日から明治神宮の菖蒲公開の由、見に出かけようとて四時頃より三人で出かけた、行ったらもう時間がおそくて入れず。そのままかえるのはいや故、ツウリングで日比谷へゆき、暫く遊ぶ。我々の家に水がない故、時々流れる水、ひろい水面を見たくなるなり。それから又円たくを見つけて浅草にゆき、春秋座というので夕食をすまし、阪妻の立ち見をした。が、なにしろあつし。息が苦しくなったので、ふみ子を誘って外に出る。「折角面白いとこやったのに」ああいう映画筋だけなり。人間の美も、自然の美も尠し。然し筋にひかれて見るだけは見せられるものらし。

 かえると、先、変な性交描写を送ってよこした男だろう、又変なものを送って来た。よまず、Yにわたす、そしたら、昔の淫本からわざわざかきぬいたものの由。昔のそんなものどんなものかよみたく、よんだ。


六月二十八日(火曜)

 Y、フキゲンなり、


 散歩、ふみ子洗髪のまま出た。田舎の子、「狐の姐さん、ばけ姐さん」と云った。


六月二十九日(水曜)今日八十六度 今年始めての暑さ。

 朝起きぬけに関さん来。いろいろ話すうち、自分、関さん浮気の出来ぬ心理的理由について話し、話すうちに自分興味を感じ、いつか書きたいと思った。


 三時すぎから仕度をし、朝日の竹内さん、ペンリントン夫人その他主催の東京ペン・ウーメンクラブのあつまりに出た。ミセス・ペンリントン劇評家。丁度雲の多い西空に日が沈んで美しかった。東京会館ですきやき。

 ミセス・ペンリントンなど劇は毎月見、いろいろ批評はあるらしいが第一、日本語がよめず、それで日本文学のいい悪いは云々出来ず。やはり男の方がすすんで居ると思った。大森アニ子氏、七十歳、研究的なやや男性的なしっかりした婆さん。尾崎テオドラ、ヴィクトリアン・エージの中流人流な女性。

 林町に泊り、夜はなれに寝て、いろいろ国男と話し感ずるところ多し。


六月三十日(木曜)

 十一時にYと落ち合い、明治大正名作展を見た。実によい見もの、よい印象があとまで心にのこり、斎藤茂吉の云う通り、芸術が時のふるいにかけられることのきびしさを感じた。大して同感の出来ぬテクニック、取材でも見ると、一つ一つそれとして完成して居るのに感心し、それで愉快だ。彫刻など面白い。西洋画やはり面白い。たった一つ位代表作として展覧されて居るあまり名をきいたことのない作家──故人に対してなど感深し。自分せめて、その一つをも創りたしと思う。

 三越の床屋へYゆく。それからオオキ、大阪ずし、かえる。

 おふみさん、又おでき大きくなり、長田さんへゆく。冷アンポーを二三日しろと云われた由。


七月八日(金曜)

「白い蚊帳」をかき終る。『中央公論』。


七月九日(土曜)

 バルビュスの「キリスト」、心を打つ箇所あり。

 キリストの現代的復活。


七月十三日(水曜)

 下村氏来。


 私共A・1、で夕飯、銀座を歩いて「文明の□落」を買い、かえる。ふみ子の方がはやくかえって居た。


七月十五日(金曜)

 ふみ子、六時に起きて品川へゆく、下村氏と箱行。


七月十六日(土曜)

「社会主義と進化論」よみ始む。


 午後ふみ子帰宅、今日さだかえらず。


七月十七日(日曜)

 秀雄来泊る。


 夜になってさだかえる。


七月十八日(月曜)

 芝浦のお台場を見にゆく。

 芝浦から日覆いをかけた発動和船。

 陣屋、玉置場、火薬庫。

 小さい埠頭に神田カフェーパレス出張所、船の上に赤塗の手摺、二階の甲板に並んだ籐椅子、カフェーパレスの赤い旗。

 船頭「そうですか」ウェイトレスの口真似。

 溺死人、頭、肩、案外早い流れ方。そこを通りかかった漁夫。ピリリとした裸の足。

 きれた鼻緒、若松町の下駄屋。

 末膳、ゆかたの三人、自分そのまま居ネムリ、浜町河岸を散歩する。二十三日の川開きの下拵えの足場、国技館のイルミネーションが下から上へ消える。溺死人の残像、こわくてYにだっこして貰って眠る。


七月十九日(火曜)

 ○Kどこへか行って居ず。夜離れに三つ、スエ子の分も床をしいたのに終にかえらず。空の床を傍に置いて眠る心持。

 姉弟と云い乍ら淋しかった。それ故夫婦ではどんなか。


 林町泊る。


七月二十日(水曜)

 Yの旅券下る。

 Y、電話をかけてよこし、

「旅券が下りたよ──馬鹿にしてるじゃないか」

 自分「あら、いやだ」と云って仕舞う。あまり現金に心理的会話なので可笑しく、かえってからも二人で笑った。


七月二十二日(金曜)

 関さん来。(この日翌日の新聞で見たら九十六度という暑気であった)

 関さんに何か恋愛問題めいたものがあったのではなかったか。ちょいちょいした言葉の間からそう感じた節々あり。


七月二十三日(土曜)

 今日暑し。食慾を失い、参った。夕飯前まで昼寝をし、湯を浴び元気になった。


 中島さん来、何だか元気なし、いろいろ話して見ると、love lone したらしい。ひどく参って居て、もう精も根もなくなった絶望だ。十日の日に何か突然起り、二十二日にかえる迄、第一期の苦痛は経て来た由。死のうと思ったと。泊って行けばよいと思ったがかえると云い、二人で渋谷まで送った。かえりにベッドのところで着物きかえて居て「一寸!」泣き伏し乍ら「あなた、その人悪くお思いなさらないでね。何かおききんなったら、皆私がわるいんだと仰云って、ね。」自分その心に打たれた。


七月二十四日(日曜)小雨

 ○安積へ来る。スエ子、母、自分、かね。

 Y、ふみ子三人で銀座まで自動車で来て、ふみ子は写真、Yは上野まで来て呉れる。


 ○中島さんのこと心がかりなり。私の力でどうにもして上げること不可能故──つまり人間の他力で救われぬものと思うので──猶心配。どうか彼女が再び生活の意味や美を発見して生きるようになって呉れたらと思い、手紙を書いた。人生がその人にとって、必ず或一つの核を中心として構成されて居る。彼女では愛、それがぬけてしまう。崩れるしかない。一旦死ぬなり、それ故辛いことだ。

 ○ついたとき夜十二時半、七十八度。母、夜汽車の間じゅう喋って居た。闇夜、若葉を射る head light の光、その緑の房々しさ。

 ○小溝へ落ちた前の車輪


七月二十五日(月曜)小雨

 七十三度、夜七十度。


七月二十六日(火曜)

 東京より電報、新聞、ハガキにて芥川龍之介劇薬自殺セルコトを知る。ショックを受けた。

 九時二十分帰京。


 ○Yとロシアへゆくことについて父上に一寸相談したが、金銭についての考、全然自分と違い不快。その他肉親のうちにあっての孤独を強く感ず。


七月二十七日(水曜)

 告別式

 芥川のキリスト(西方の人)

 ──天に向ってのびた階子の中折れした形──キリスト達──という思想。(バルビュス──各〻が人間一人の救主──)


 大分心持に影響され、かえり電車の中で、小穴隆一の死面スケッチを思い出し、何かオエツが腹からこみ上げて来るようで、窓外を眺め、幾度もべそをかいた。

 新町にかえる。


七月二十八日(木曜)

 大掃除。

 体を動したのがましであった。気分少し変った。


七月二十九日(金曜)

 疲労。

 三沢来。

 この間と違い元気で愉快であった。

 島地大等が死し、彼はいろいろの意味でのリーダーを失った。一時失望したが、今度は一義的な仕事のみ出来るような闊然たる心地──についた。赤裸々な心地になった由、勇気が出た由、顔つきまるで違った。

 夕飯。

 俊男来る、一寸。じきかえる。


七月三十日(土曜)八十九度

 仕事を始む。


七月三十一日(日曜)

 仕事

 ○心寂し、寂し。

 ○自分寂しいときYはフキゲンとなって怒る。

 ○友達が欲しい、本当の友達が欲しい。

 ○夜、おふみさんと道玄坂へ散歩にゆこうとしたがYも来ると云う。大さわぎをして出かけた。本やにて、『夜』、『装甲列車』を買う。鈴木澄、娘をつれて丁度我々の居たニコニコ堂とかいう家へ来た。目がわるくて、睫毛のない娘。かえり電車にて秋庭に会う。小さい枯れた枝のよう。


八月一日(月曜)

 仕事。

 ○雷が鳴り出し、うれしいと思う間もなく一寸降ってやむ。

 ○夜涼し。

 ○Yフキゲン。○自分孤。一日中言葉尠し。

 ○モヤー、ああ二つになる、二つになる。

 ○こじれた感情のままに感じると、Yとロシアへゆくのなど何だかいや。危険があるなら、それを冒険して見たい心持になる。敢て。

 ○Yも現金ナリ。その現金さ、我ママ、正直より発す。アキレつつ憎めず、という部。Yの心の中にある砂金。この宝でYも自分もまともを踏み得。──Y、自己を脱却する一大事に面せず、故に小。人物カツ然とせず。


八月二日(火曜)

 今日より必ず一生実行すべきこと、Yをムージュ〔夫〕と呼ばぬこと。ぐさっとしたもの生じ、Yのためにわるし、自分のためにわるし。ママゴトやめ、三十女のママゴト Ph!

           ──○──

 今朝目をさましたら激しい雨の音がして居る。うれしかった。水たまりが出来る位。

 仕事すむ。二十三枚半

 今日二人キゲンよし。


八月六日(土曜)

 開成山へ一時の急行で立つ。

 汽車ひどい雑踏なり。寝台車にのる。

 途中、「装甲列車」イワノフをよむ。

 後半、装甲列車が包囲されて、或地点を行きつ戻りつ次第次第に狂乱的になって来る、内部の人間の恐ろしい精神状態がよく描かれて居て、心を動かされた。実に、現在、この瞬間しか理解せず、予測出来ず、感じ得ず──実在のすべてが一瞬に圧搾された極度の擾乱をよく描いて居る。支那人がレールの上で自殺して装甲列車を止めようとするところなど。──何か哀れなり、人間が哀れというこわい気がする。


八月九日(火曜)

 S始めてゴースチ

 心がまだ大人になって居ないのに肉体だけ大人になるのが何だか可哀そうな心持がした。世話をして貰うとき体じゅうに汗を掻き、憂鬱になって居るその様子も哀れで、何だか一日此方の心持も平静でなかった。

 こんなに、何だか哀れなものとは思いもかけなかった。いじらしいのなり。

 それでも私が居て本当によかった。


八月十日(水曜)

 然しS、ちゃんと生理的現象として心得ては居るからよろし。


八月十一日(木曜)

 倉知の咲枝、緑郎来。


 咲枝又少しかわって来た。少し温いところが出て来て心持よし。よく見ると、美しい、若々しい。

 mと話し、承知して居ること、Kに話しておいた。K大悦び。


 モルナー、チャペックの作品よろし、感心した。モルナーのは「リリオム」。チャペック「虫の生活」と「マクロポウロス家の秘法」──この終りの、幕切れの言葉余りよくないが全体は一寸面白い。「虫の生活」の中のコーロギとガラガラの愛らしさ! 構想大きい。ミシェル・オオクレルもよかったなあ。


八月十二日(金曜)

 曇、折々小雨降る。

 一大隊で池の辺へ遊びに出かけ、又夕方から池へボート漕ぎに出かけた。オール、もっと上手いと思って居たのにうまく動かず。

 然し、二丁のオールが拍子をそろえて、サッ、サッと動くところ、リズミカルでいい心持だ。

 緑郎、番傘を帆にしてそれで舟を動かそうとした。一寸美しい景色、咲枝の藍と朱と縞の帯、水蓮の花、競馬場の白い埒。

 ラジオをかけると云うので、市次郎、シマまで杉の木を買いに出かけた。

 ○m、ヒスになって居る。仏壇の部屋の籐椅子に額を押え。Ph! と思ったがフト自分のヒスを思い出し、やさしく言葉をかけ、世話をやいたら、すっかりなおって晴々した。よかった。「そういうとき皆が知らん顔しているといやでしょう?」「そりゃそうさね」

 m、私は私の他に大切なものなんか持たせないよ。FがFでよかったわけ、又FがFになり抜いたわけ。


八月十三日(土曜)

 帰京、Y上野へ出て居てくれた。

「夜」マルセル・マルチネをよむ、途中で。民衆の無知、雷同性、真実の覚醒の未だ遠きこと、政府の術策等巧にかかれて居るし、詩でかかれて居る調子もよい。マルチネ仏国人である──昔から革命を屡〻しばしば繰返したフランス人が民衆の夜を理解して居る点──興味がある。フランスが、ビルドラックのような、ミシェルのような人生観をもつ作家、バルビュス、このマルチネのような作家など戦後に持つところ又、文明史の一頁として興味がある。


八月十四日(日曜)

 ○林町父上へ手紙中へ

母に代りて歌へる

 ○わが背子はいかになしけん徒然のままにボロ株買はんと思ふか

 ○いとどいとど心もとなき限なればとめに娘とかへらまく思ふ

 ○かへらまく思へど暑さいときびしアセモがこはくしばし止る

 ○わきもこよ二十日にならぬ前なりと早く来ませと祈つるなり

 ○久々に会ふ夜短し睦言のあい間に地所買ふ相談もあり

 方々へたまって居た手紙書く。

 ○遠雷の音、小田原の濤の音を思い出し、秋ごろゆきたくなった。初冬もよいであろう。

 Y、再び家らしくなったとよろこぶこと限りなし、一人でも自分の居ることをよろこんでくれる人のあるのは有難きかな。どうか人々のよろこびの源となりたし。


八月十五日(月曜)秋らしく、涼しい風が吹き通した。

のびたコスモス

前の空家の庭のたでの花

 自分アサカに居た間、Sちっとも感じなかった。その代り仕事についても欲望持たず。こちらへかえって来ると、頭が緊り、仕事について考え、欲す。同時にSも感ず。love と passion の分裂。自分この頃成熟を感じ、女性の開花を感ず。命が内から叫ぶ。雌蕊が雄蕊を呼ぶ。Yに自分この心持云えず。又云っても、Yは、気をつけないといけない、危険だと云い、自分も又どの位それを苦痛に思うか。Yは、人間が人間を愛せる愛に於て極まで自分を愛して居る。それを知って居る。自分も。それは愛だ。然し、愛とは別な熱情は、それで満されず。Yが男でないという丈の理由なのだ。Yの罪でなし。Yの愛でどうにも仕方ない苦痛だ。

 ○烈しい分裂の力を感ず。又墜落の誘惑を感ず。人間は時に目を瞑って奈落へ落ちることを欲するのは不思議なものだ。奈落の底を打ちぬいたら、何処へか出ないか。そこには、地球の彼方側に又国があるように、又天国がありはしないだろうか。

 ○強烈な何物かを欲す。──


八月十六日(火曜)

 つづき。落ちんと欲する衝動。暗い引力。昇らんと努める人間を反動的な強さで捕うこの暗い引力。恋愛ではない。本能の恐ろしいリアクションだ。

 ○いつか三沢が云った。──彼等が皆で私窩子しかし買いに出かける、それは、ガムシャラに堕落するその心持を痛快とする、爆発性だ。出来るだけ淫猥になってやる、自己放散をして、又昇って来る。これは罪か──罪か──

 ○この感情燃焼自分にこの頃よく分る。

 ○普通女性、この二つの力をこのまま力として感ぜず、愛とまぜ、愛と思って、異性に執着する。彼女等は墜落して居ることを知らず、いつか墜落しきって一生を終る。

 ○昨夜これ等のことを考え、苦しい心持だったが、このような内面的引っぱり合いを、はっきり自覚し、味えるのわるくないと思う。

 ○Yこのような自分を危がり、いよいよ無邪気に、いよいよベコにして置こうとすること、よしあしなり。分裂が益〻はげしくなる。

 ○私の内に天国と地獄が開ける。音楽。ロマン・ローランが音楽を愛するわけ。

 ○Yこのような心持ないのであろうか。Yのうちでは、何だかぼんやりし、調和し、女の子みたいな。


八月十七日(水曜)

 つづき。自分のこのような心の発作、段々はっきりして来る。そして涙は出さず、考えるようになって来た。これは圧の加って来た証拠なり。ただ何だか心の調和が破れて泣いたときとは違う。何か可怖こわし。可怖し。生活はこのままで何年もつづくと思われず。

 ○心以上の精神あることを人は折々忘れる。

 ○心の争闘と苦痛とを整理し、価値あらしめるのは精神だ。精神力の躍り上り──デーモンの力。

 ○人格──精神力の鍛練だ。何故なら、社会の経済組織が変更されても人間の心の苦痛は変らない、という芸術家の見地は尤もだが、人がもっと精神力をきたえられれば、この心の苦痛を見る力を獲得する──苦痛を考察し得る──考察したとき、苦痛はもう峠を越して居る、その人は或点苦痛を克服した。社会をすすめるのはこの精神力の強さなり。

〔欄外に〕

 十七日、モヤー九時に立って秀雄の居る苦楽園へよって、それから京都へゆく由。

 自分の心持今日になってもまだなおらず。苦し。昨夜Yに話した。この苦しさの圧力、危険性Yに分らないから、Y、いきなり今夜立つというのだろう。


八月十八日(木曜)

 昨夜、Y京都へ立たず。立たないでよかった。このまま立たれたら、自分変になるにきまって居たから。

 今夜立つ。先に三越へ出かけ、髪をさせる、銀行へよってゆくと云ってYだけ出かく。銀行時間なくて駄目。フーちゃん、自分あとより出かけ猶一時間余待つ。三人でオーキ。新橋の上の東洋軒で食事。Y、八時四十分の汽車で立つ。水浅黄の服で、オカッパの頭で、車窓から片手を出し、いつまでも扇でバイバイをして居る姿、小さく、ミーラヤ〔かわいい〕に見えた。かえり道玄坂で水瓜をたべた。変な文学青年沢山居て、いやであった。夜、スタンドで、自分の上にある蚊帳の白さ、となりの部屋の誰も居ぬ感じ強く味う。少し神経的な位その感じ新鮮であった。


八月十九日(金曜)

 ○野上さんへ手紙をかく。春江のことを思うし、関さんのことを思うから。

 ○小溝幸子という人来。阿波の人、父林町の父と同じ教室であったと。本校を出て、今教師して居るのをやめて、文学の仕事をしたいという。自分をたよって出て来た由。何だか、その人のために不安を感ず、二十六。これまで何も書かなかった。感じ方一寸鋭いところあれど、教師的なところ見かけだけか、ならよいが。

 ○フーちゃんYのことについていろいろ話す。彼女を通して、普通人のY感というもの分る。自分にはもうそのような第三者の心持がなくなってしまったから。この第三者の心持ないところ、よし、わるし、と強く思う。対手を理解する、というのは肯定するのみにあらず。

 ○Yが居ず、疲労を感ず。然し、今Yの居ないのは随分よし。居ない間に、自分の心持が何とか整理されるから。


八月二十日(土曜)

 朝、目をさましたのは十一時。ちっとも早いどころではない。それにしても何故ああゆうべは眠たかったのか。台所の方でした変な音、鼠の仕業で、土瓶の口がこわれて居た。

『朝日』へやる随筆七枚半、「蓮花図」を書く。

 お文さん、写真やへやきましさせにゆく。

 夜チェス、文子よくわからず。ピョンピョンをし、つまりあいこ。

 農民小説中、「一夜の宿」、好い心持でよんだ。自分のは広告だけ、内容にはない、長すぎたのだろう。


 ○仕事をしまって、庭を眺めつつ、自分本当にYの心を持って居るのだと思った。心故形がない。自分の内から追い払うことも追放することも出来ない。と。

 ○Yからインスピレーションを得るには、「知らないところ」なければいけず、常に或距りが大切、心持の。つまり対手を大切に思う心持もその一つ。


八月二十一日(日曜)

 きのう仕事をして、大分楽になったかと思ったが実はまだ上面ばかりのものであったらしい。

 やはり苦しい。「善魔」、「人間の意志」をよむ。


八月二十二日(月曜)

「多情仏心」をよむ。


八月二十三日(火曜)

 ○友と友との間というようなことについて深く感ず。この世の柱は友愛だ、恋をする──苦しむ──友を求む。病む、貧する──友を求む。友は宝。友なきは此世の貧者。

 ○安田へゆき、ヴヴノワさんへ電話したら留守。愛国へよりお澄さんと二時間喋り。凮月でおフーちゃんと三人で食事。円タクでムサシノへ行く。ボー・ジェスト、砂漠の熱風、二度目ながらボー・ジェストやはりよかった。

 ○真直なものを曲げるには力がいる。曲ったものを真直にするには倍の力がいる。

 ○友なき孤独を誇る者は愚者だ。精神的高みにのぼればのぼる程、友のありがたみは著しく、又、必ず一人、或は二人、或幸運にして三人のバクギャクの友を得。


八月二十四日(水曜)

 ○今日又心苦し。

 ○芥川さんの「闇中問答」をよむ。感ずるところ多し。デエモンに彼がまけたという自分の感じは当って居る。

 ○自分の中にもこの頃暗き力のデエモンが動いて居る。故に苦し。(デエモン、或時に明々赫々たり。或時黒暗澹たり)

 ○芥川小穴氏と親しみ、甘え、愛した心持よくよく理解される。彼も「文壇人」はきらいなのだ。

 Yより電報、六時二十五分品川着。自分が日曜日に書いた手紙のためにYいそいでかえってくれるのか。嬉し。然し、何か苦しさの増す感じもあり。○自分Yに対する心持も、その死すとも生きるともの友愛に発育させないと、これは危い。ぬけ切れぬ。Yが自分のリーベである故に、自然なる苦痛。親友に語ることを語り得ぬようなのは不自然でわるし。そこからクサル。


八月二十五日(木曜)

 Yかえって来てよかった。

 然し今度の旅行はYにとって愉快でなかった由、F、ロシアはきらいや、など云い、いろいろあった由。

 それに自分は又、ああいう状態であったから、余り気の利いた迎えようもせず、ためにYまるでフキゲンなり。殆ど一日。このようなこと、互に一緒に生活するようになってから始めてだ。

 Y、私が一昨日おフーちゃんその他とムサシノへゆき、その他したことを、Yひどく怒る。一日中そのことを云う。Y、ケンヤクして旅行して居たのに留守を目がけてそんなことしないでよいと。自分全然そのつもりではなかった。


八月二十六日(金曜)

 きのう夕方野上さんより手紙。ひどく参って居て(芥川さんの死によって)彼が、そんな彼であったのなら云々。然し、自分其については、志賀さんの芥川氏観正しく、又自分の感じかた正しく、野上さんのそう思うのは、激しすぎて居ると思う。又彼女がそれならそんなに人に対してざっくばらんになり得る人か。第一の難点ここにあり。

 Y、その手紙の中から愉快なものを感ぜず。Yの云い分は、ベコ対Yを、彼女認めず──心の真を──Y、べこに価しない、それ故べこより軽く扱う、その点不快なのなり。然し、そういう感じで公平に交際出来ないのは無理ないが、自分としては、Yそんな点にもっとノホホンになって欲し。

 ○野上さんの句 秋風の白き河原を歩きけり


八月二十七日(土曜)

 残暑きびし。じりじりとあつく、疲労して、午睡す。

『若草』へやる小説十三枚書く。『文春』への筆ならしなり。お敬ちゃんのことを書く。始めかき出し遅々として居たが本文にかかると飛ぶが如し。心の火の力だ。


 ○午前中何か揺蕩たる心持であった。

 心の中に大きな花弁あり。その花弁露の重みで撓む心。満開して、八分通りの満開、散らず。満を持して静かな心。


八月二十八日(日曜)

 Y今日又朝からフキゲン。起きぬけに自分が、パース、タンスの上に出しておいたと云って叱る。頬ぺたをつねる。(「リリオム」の中に。ぶたれても痛くないぶたれが世の中にはあるものなり)

 中川一政氏、装釘のことで来訪。先野上さんのところで会ってからもう五年位になる由。

 改造の佐藤さん来。

 Y、午後になってもフキゲン。自分が二十三日に使った金を思い出して見ろと云う。金のことより、又その使い道についてY彼此口やかましく云うのかと思うといやで云わず。夜、一言も口を利かず食事す。

 夜ロシアへ行くの沁々いやな心持で、悲しく、滅入った。自分何故こんなにロシアへなんか行きたくないか。然し行かなければY行くまい。Yだけ行くとすれば我々の生活は破壊だ。破壊を欲する潜在力が、自分をこのようにロシアへ行かせたがらないのか。

 ○自分Yの居ナイトキの淋しさ、新聞記者が自分の書斎で落付けぬように、細かいキュークツな刺戟にナレテ、それがナイと落付けぬ。そういう部分もなくはなさそうだ。

 クリストフ苦痛を籠の中に入れた。自分の苦痛な感情まだカゴの中に入って居ず。

 泣キタイ、泣キタイ。


八月二十九日(月曜)

 昨夜句あり

 ○白猫の足裏あなうらに散る萩の花

 ○竹の露しとどのき打つ夜半もあり

 ○はためくや遠稲妻に虫の声

 今日

 ○鎌切の恋のかたみか雄のはね

 ○桜並木病葉わくらばの下犬二匹

 ○赤松の根に露草は咲きやらず


九月二十二日(木曜)

 アルキペンコの作品が面白かったものの一つです。アルキペンコが女を実によく見て、知ってのみならず味って居ることを感じました。『改造』に佐藤春夫さんが、あれを見て、グレコを連想されたことが書いてあったが、確にあの細長く上にのび上った顔や肢体の線、或震えというもの、グレコを思わせる。然し。グレコの其等は彼の愛する黒と金との重い燃え上り、魂の暗く明るい燃えの揺れ、そんな感じだし、アルキペンコの方は、神経のそよぎ、官能の上にのこる幻想、刹那に飛躍する心。グレコに神がある。アルキペンコに神はなく、あるのは美──まごうかたなき一九一七年以後の美。


〔日付なし〕

野分吹きし昨日の今日は秋日和


孟さうの根や太りたる土のひび


落葉朽ちきのこ生へたり。秋湿り


秋風に悩む黄蝶は二つをり


秋風の午後に輝く青木榴


十一月五日(土曜)雨

 初校四百三十二まで。

 了。二百八十八まで。


十一月二十七日(日曜)

 モヤさん、京都へ先発(秀雄さんと一緒なり)

 朝モヤ、女子大学寮舎の山原さん、丹野さん訪問、オーキ、理髪の後林町へ来た。ベコ、心祝のため。

 お赤飯、お頭つきの小鯛など、モヤにたべさせ、よろこんだ。二人で野上さんへ行った。ガミさん、盲腸で臥床中、三人でうなぎをたべ、鳩居堂の可愛い香お餞別に貰った。モヤ、一人円タクで昇さんへゆく、昇さんはこれ又大腸で床について居た由、名刺屋へ廻り、かえりに、名刺やの前の溝に落ちたとて、靴に一寸ケガをさせ、それでもよごれもせず、十時すぎ来。駅へ来た人、丹野、山原、山岡妻、木実、三沢、宍戸、小野、安成、岡崎、読売の女記者、うちからは国男行った。途中で花束の小さいのこしらえて。苅田さん、山内さんのところから三人。四十分出発。


十一月二十八日(月曜)

 モヤが行ったら、少し立つまでゆっくりするつもりのところ、暇乞がすっかりあまったし、なかなかゆっくりするどころではなくなった。


 夜、三宅、岡本さん達と、花の茶屋で御飯。


十一月二十九日(火曜)

 一日お客づめ。八木さん達、□事課の男

 夕方ツーリスト・ビューローへは父上が行って下すったので、自分日露協会へ廻り、それからブブノワさんのところへ紹介状、届けるものなどとりに行った。

 夜、丹野、和田。


十一月三十日(水曜)

 ベコ出発


十二月二日(金曜)

 朝八時五十三分京都駅出発。


 十時過、連絡船にのる。記者数名、それに混って名のらざる男二人三人、インタビュース。片山潜に会わないかなど、カマをかけた。その他、船中にのりこみの刑事二人、名刺をとってゆく。朝鮮と本国との間、なかなか厳重なり。


十二月三日(土曜)

 八時釜山着、案外寒からず。ここから汽車広軌となって心持よろし。


 京城で中村悦さん山田勇その他に会う。


十二月四日(日曜)

 朝八時安東で税関あり、安東時間アリ。

 午後二時奉天着、一時間余待つのだが、荷物が少し心配で、きたない待合室を離れられず。大分ノスタルジャにかかって居るらしい記者に会った。


 夜八時四十分長春着。ビューローの人が来て居て荷物のこと、その他してくれ、小一時間街を歩いた。雪余りふかくなし。十時十六分発ハルビンに向う。干城子の駅長の細君と同室す。モヤ南京虫にクワル。


十二月五日(月曜)

 朝八時前ハルビン着。

 モデルンに泊る。室日本の九円、二重窓の間に置いてある赤い水の入ったコップ。

 ハルビンは大安=ドルなり。一円が1.30になる割合であった。


 中山さん、カルペイ夫人。


 夜毛皮をつくらせた。梅原商店の鶴峯という人のキモいりなり。

 パレス「ブラック・エンジェル」


十二月六日(火曜)

 カルペイさんと買物、夜露新聞記者二人来、一人に通訳としてついて来たのが加賀美さんという人で、モヤの友達の弟。

 つれ立って中山さんへゆく。


十二月七日(水曜)

 奥さんという人達と日本食

 昼、加賀美さんの宅で図書館長、夫人、国際運輸の上田さんの傅家田フーカデン新市街ノーヴィゴーロド(キタエスカヤ辺よりずっと品よく)ハルビンは(支那十二三万人、日本三千五百、ロシア数万の由)。

 ハルビン出立


十二月八日(木曜)

 満州のはずれの実に荒莫とした風景。

 雪野の上の憂鬱に美しい夕映を見た。日は早く沈むが、残光がいつまでも見えた。

 午後八時マンチュリヤの税関、ここでモスクワタイムというのになる。六時間たすなり。

 日本人同車に三人男、一人フランスへゆく絹商、ドイツへゆく製鋼会社の男、イギリスへゆく製麻。次の車に、ノヴォシビリスク領事館の書記生とそのつれの女。


十二月九日(金曜)

 ○シベリアの家、赤茶色の羽目に黄色いふちどりをした木造の家。

 ○これからモスクワ時間というので、昨夜、六時間急に時計進み、皆寝坊して、変な工合に一日を過す。

 チタへつく午前十時頃、ブフェット〔軽食堂〕でハム、ピローシュカ〔あげパン〕、パンその他買う。

 チタへつく前、凍った河を道にして、乾草をつんだ馬橇が十数台並んで通るのを見た。

 ○所謂プラットフォームなし。野天。

 ○この辺の汽車、二点打って間もなくいきなり汽笛がなって出発する。うっかりするとおいてかれる。


十二月十日(土曜)

 昨夜深更よりバイカル湖、殆ど半日湖の周囲をゆく。未だ凍らず、浅い林の彼方に見える。

 午後一時頃イルクーツク着、ステーションでゴリキーの近作の出て居るロマン・ガゼートを買う。(一時間停車)

 次の小駅より気候すっかりさむくなり、木に氷花を見る。

 窓、特に車室の窓凍りてよく見えず。

 いよいよ中央シベリアになる。十時頃にやっと太陽がぼんやり出て、四時すぎには夕方になってしまう。日のぼんやり照るのが一日に六時間。

 この辺エハガキをさがしてもなし。いかにもシベリヤらしい。

〔欄外に〕

 イルクーツクを出たばかりのところに大きな壮厳な氷結した河あり、アンガラ河。


十二月十一日(日曜)

 ○雪は浅い。下から草が見える。然しそれで四五月までとけない位凍って居る。野を翔ぶ鳥を見ず。

 ○曇天つづきなり。

 ○凍って真白い窓。何も見えず。夜外を見たいと思って顔を近づけると、見えるのは自分の顔ばかり。

 クラースノヤルスク(午後三時頃)二十五分間停車、ラフカ〔小売店〕に、小アジアから来た細長いブドーあり。

 ○シベリア文学雑誌『シベリアの火』を書記生さがしてくれたがナかった。

 汽車が出てからオベード〔昼食〕をたべ、変な黒海でとれる大きな白味の魚のブツ切りを白ソースで煮たものを出され気味わるく食わず。

 ○雪らしい雪も降らない。

〔欄外に〕

 駅から出たばかりで、エニセイ河。


十二月十二日(月曜)

 十時頃起きたら、まだボーイ達毛布にくるまってよく眠って居た。やっと、靄の彼方に、光りなく、赤い北の太陽があがったところであった。

 十二時頃ノヴォシビリスクへ着、エニセイ河。大きな都会で、郊外もひろく、クラスノヤルスクより大きい都会である。寒さ今日は特にきびしく、零下三十五度。散歩に出ると、ガローシュ〔オバーシューズ〕の中で足の指がいたく迚も向い風に長くさらされて居られぬ。雪、歯の浮くような音をたてて軋んだ。ブフェートで、こうしの牛皿90菓子三つ30パン一斤買う。ここのブフェートはきれいで、比較的やすい。夜ベッドをつくりつつ、ボーイと一寸話す。十六年結婚してから立つ、十三と小さい二人の娘が居る。革命のときは困った。一月二十何日か汽車で五日モスクヷに居られるだけだ。二サージェンの部屋に居る。

 モヤーひどい風邪ギミで、喉に湿布をし、食堂にも出られず。

 ○井戸をやっと二つ見た。


十二月十三日(火曜)

 ○昨夜は自分下のバースにねる。どこからか風が入って来るし、ごみっぽいようで、心地わるかった。喉を舌でさわると、すっかりはれて居るので、起きぬけにうがいす。

 ○モヤーの風は大分よろし、もう洟も出ず。ただ、宿便になって、ひどくかたく怪我した由にて、又床に入った。

 ○今日は、二三日来珍しく晴ればれした太陽が輝いて居たので、よい心持。然しじき曇った。

 ○零下八度

 ○汽車七時間おくれて居る。

 ○ウラルに近づき、赤松の森が見えて来た。遠くの森はヒンデンブルグ将軍の髪の毛のようだ。今日珍しく風車を見た。水あげであろう。


 ○テューメで二十分停車。その間にブフェートへ行ってハム、フレンチフライのジャガイモ、パンを買う。外のラフカの方に極いいカビア(チョールナヤ・イクラ〔ちょうざめの筋子〕)が一キロ一円五十銭であった。パンも八銭、ブフェトは10銭。

 ○テューメで始めて、屋根あるプラットフォームあり。

 ○食堂に兵隊が五六人居て2.50のオベードをたべて居た。

 ○熊が居そう。


十二月十四日(水曜)○汽車二時間とり戻した。

 ○珍しく晴れやかな日の出が見られた。

 ○夜の間にウラルを越してしまい、今朝は柔かそうに白い雪のたまった懐しき北欧州のもみの樹(ヨールカ)が左右に見えるようになった。

 ○人家、人手の入った耕地、材木をつみつつ走る橇多く見ゆ。丘陵の起伏あるところへ彼方の森林帯からかけ出して来て汽車を見て居るような樅の木沢山あって可愛ゆし。暗くなってから(午後六時)ウヤートカに着いた。そこでは荒物屋のような店三四軒出て居て、この地方の樺で作った煙草入れ、マッチ台、ペン入れなど売って居た。となりの人チェスを買った。三円五十銭。

 ○食堂のボーイ、若い方ピノチヨの鼻のような顔つきの、右頬の下に痣があってそこに長い髭をそよそよさせて居る男。年とった方は、カラマゾフ兄弟の中のスメルジャコフ的額つき。こっちのワゴンのボーイの一人はひぐま

 ○雪が降っても木を切って居る男達アリ、生活それだけ楽なのなり。


十二月十五日(木曜)

 モスクワ着は朝九時幾分かのところ、五時間おくれた。二時頃つくのかと思ったら、更に五時頃だと云う。そのつもりで居たら、四時頃急に着いた。車窓をたたき、アストラハン帽をかぶった秋田氏、鳴海さんという人と一緒に出迎えて呉れた。車のボーイ、湯やシーツのために二十四ルーブルよこせと云い、やがて隣の男連と談判したら十二留に減った。が我々女ばかりからそんなにとるのは不合理故、朴という日本語をはなす案内人にきいたら、ティプだけでよしとのこと。そのまま出てしまう。八日一つ車に寝起きした男と、このようなことで別れ、自分一種の悲しみを感じた。

 ボリシャーア・モスコウスカヤに部屋なし。秋田さんの居るパッサージというのにゆく。入口狭く、玄関、いきなり階段。米川さんの部屋へ当分居候をさせられた。夜やっと小一部屋一つあって大いにたすかった。小ざっぱりして、いい。


十二月十六日(金曜)

 モスクワへ来て見ると、本土の中心で生活しているロシア人は、やはり大きく、ゆったりしたところのあることを感じ、愉快だ。働いて居る女にしろ、食堂の男にしろ、ハルビンのロシアの人とは大分違う。

 この部屋は小さく、窮屈ではあるが、モデルンのように、南京虫の心配なし。

 ○風邪急に気管支まで侵入したと見え、しきり、末期の息のような音を出す。胸と背中を湿布し、一日ホテルにとじこもる。

 ○夜食堂へ行ったら、アンズのような頬の感じの若い女の人盛に喋って居た。珍笑子という日本名のあるチタの人、日本語がコンラッドの仕込みでなかなか達者。これから私共の先生になってくれる由。ガウズネル、米川、秋田、鳴海さん達を迎えに来た。エスキモー風の白茶まじりのしゃれた毛皮外套に帽子をつけて居た。笑子氏の外套もなかなかよろし。インテリゲンチャの服装は、ここでもしゃれてハイカラーだ。

〔欄外に〕

 月給、大臣で二百五十円位、普通の人はよい役者でも二百円、四人居なければならぬロシアのスペシャリストだけもっと沢山貰って居る。

 ピリニャークの日本印象記をよみ、彼のプティ〔小ささ〕を感じ、日本の官憲もわるいが彼もわるいと思う。彼の観察の浅さ。彼は2000も収入がある成金の由。


十二月十七日(土曜)

 ○カーメネワ夫人に会う。米川さん同伴。彼方へ行ったらノボミルスキー(新しい世界)と云う名をもった人、英語をよく話し、便利であった。カーメネワ夫人、なかなかしっかりしたやりてである感じ。米川氏一行一緒に行ってくれた役をなさず。неプリアート〔不愉快〕なり。それでは小山内氏など大分憤慨してかえって行った由。poor fellow 我利で夢中。ピリニァークの私生子か何か、日露親善のために貰ってかえると云って居る由。

 ○夜、二人部屋で方々にハガキを書いた。

 ◎午後七時前後土曜日で、寺々の鐘が鳴る。その合間にホテルのどこかで、いい男声合唱が聞えた。豊富な感じで、二人とも亢奮した。


十二月十八日(日曜)零下二十度

 芸術座で、青い鳥をやって居る由、それを秋田さんの部屋で米川さんからきいたのが十二時十五分すぎ。いそぎ出かけたら、切符売切れ。入れず。青い鳥故子供づれの人も大勢あったがかえされた。

 出たついで故、そのまま一寸宿へよって、土産物をもって、ブブノワさんに紹介状をもらった人のところへ行かけた。

 街の見当はついたが、家見つからず。歩き、きき、戻り、又きき、又来た方へ戻る。散々やって、フト一人、大変親切な女のひとに出会い、その人が9Aというのをきいて、きいて、散々又歩いて、やっと見つけた。古びたモスクワの家、殆ど真暗な階段、おどり場、一人が一間ずつ部屋をもって、ごたごた古臭いものばかり飾ってあった。外国人の友達にうっかりつき合うと、やかましい、明日、役人が来ないものでもないと、ひどくビクビクして居て、変な心持がした。クワルティーラ〔共同住宅の一戸〕を見つけて貰うどころの話でなし。かえる。細君の姉という人、元、オペラの女優でイタリーへも行って居たことある由、心臓病で横になって居た。その人英語で、右のような話をした。


十二月十九日(月曜)

 笑子、鳴海、秋田この連中でボックスへ行ったところ、今夜七時から芸術座にあるドストイェフスキー記念演劇会に切符とれる由。五留ずつ。高いがしかたない。行くことにしてかえりに、大学前の本屋へよって、セーフリナ、アンナ・アフマトワ、ベラ・イムベル、マリエッタ・シャギニャーン。オリガ・フォルシュ、ゴルキーの新作を買った。茶をのみかえる。

 ドストイェフスキー記念会は面白かった。始め、「罪と罰」を一部分ずつ、コスチュームなしでやった。後、「カラマゾフ」をコスチュームにて。チェホフの甥、相当人気ある役者の由だが、フョードルをした、カチャロフなどに比すと、スケール小さいし、名俳優と思われず。ヤニングス的俳優モスクビン、人情的役者で、面白かったが、カチャロフにフランスのクラシックは出来ても、モスクビンには出来ないところあり。


十二月二十日(火曜)

 朝モヤ、鳴海さんとボックスへ行く。自分部屋で明日の講演会の下拵えをした。そのために机に向ったところ、余り久しく人の中にあったため、気分まとまらず。行李から芥川龍之介を出してよみ始めた。周囲が日本でないとこんなに違うかと思われる位、つまらなく、モザイックの感じがし、心にぴったりして来なかった。文字さえ、変に一字、一字読む一種の困難を感じた。ここに於ての生活では、ああいうたっぷりせぬ作品、滋味の感じにとぼし。

 クワルティーラがあった由。

 モヤこの頃よく眠らず、疲れた由。先に眠ってしまった。自分十二時ごろまでかかった。


十二月二十一日(水曜)

 ノボミルスキー、児童図書展覧会のために、もう一人ニコラスとかいう人と一緒に来た。

 ○クワルティーラ駄目になってしまった由。

 ○講演会。ドム・ゲルセン──ゲルセンの家──に於て。ピリニャーク、自分の日本印象記の中から長く読み、米川さん、変な日本文学についてを朗読し、キム氏、日本の雑誌とイッヒロマンについて話し。中休み十五分の後、自分。少数の聴衆であったし、場所もせまいから、自分ちっとも上らず。又立たず、椅子にかけて話すの楽ないい心持であった。十二時に散会、ソレカラ下のクラブ、ダイニングルームで、暫く居て、羽織をシューバ〔毛皮外套〕の上からかぶって二時頃かえる。数人の作家に会う。このダイニングルーム、地下室、ひどくなったピアノをがんがんならして、若い作家が、若い品よくない女と、三鞭酒シャンパンをのみ、浮かれ、さわいで居た。

 ○この講演会ピリニャーク一派の広告に、自分達つかわれたような形故不快であったので、クラブ、ダイニングルームのさわぎも気に入らず、モヤ第一にくどくくどく、自分に当って怒った。そして、ロシアの作家達、ああ云う生活をして居る若い人々に対して懐疑的になった。自分勿論そうなり、然し、モヤ余り、そんな仲間に入る為に来たのではないなどと云う故、自分も腹を立て、いやな心持になった。


十二月二十二日(木曜)

 秋田さん、鳴海さん、笑子、レーニングラードへ出かける。夜十一時すぎ汽車出る。

 モヤ湯に入る。

 その前、二人で出かけ菓子を買い茶をのむ。

 この買物に出てからかえるまで、モヤに怒られ通しであった。いい気になって、ひとに、菓子などおごる気になって、自分の懐を何と思う。「私ばっかり心配して、ピイピイして居る。」返事しろ! 返事しろ! と幾度も小づいた。


十二月二十三日(金曜)

 ボックスへ行く。メーエルホリドの切符はレビゾール二枚貰った。

 ○舞台に所謂装置なし。銅張りの背景の前に、後上りになった小舞台を置いて、どこまでも絵画的にする。平舞台をつかったのは、安宿へ市長が訪ねて来るところ、レビゾールに皆が請願に来たところ、及び最後の場。

 ○レビゾールに間違われるフレスターコフにロイド目鏡をかけさせ、世紀末的にひょろ長い体の線を強調させ、蜘蛛のように馬鹿馬鹿しく陰鬱で、皆がこの若者を中心にして浮かれるところ、音楽を入れて、妙に複雑なゴーゴリの雰囲気を出した。浮々した、悲しい不安なような。科白、音楽、運動この三つを非常に立体的にくみ合わせた点。築地のように、田舎風で、明るくなし。

 ○最後の場面、印象強し。市長気が違う。狭窄衣を持った男がいきなり現れる。非常な音楽の間に白いカーテンが降り、そこに本当のレビゾールが来たと書いてある。猶ひどい音楽につれて、扮装のままの群集が、男女手をつないで、観客席の前を馳け抜け、やがて裏から出て来、逆の戸口へ入る。──花道の代り、通路をつかい、観客を劇の熱狂中に巻き込む。群集のつかいかたうまし。始め、市の小役人の出入りするところ、例の、銅の狭い戸から一度に、オペレッタ風に出させ、ひっこませ、手紙をよむところは、小ステージの上につみかさねて、顔々だけ燈明を加え、ドラクロア的エフェクトを出した。

〔欄外に〕

 ボックスよりサボイへ行って、敬意を表し、後藤さんに。計らず、黒田礼二氏に会い、夜メイエルホリドへゆく迄喋った。


十二月二十四日(土曜)

 朝、大分共産党の人々もかえって部屋がすいたから、前の六十三へ引越した。南向、三間半に三間半位の部屋、たっぷりしてよろし。六円六十銭。物をはこんで居ると、黒田氏来。ついで、ロシア語の先生という人来。黒田氏米川さんの部屋へ(70)行ったから自分あとからゆく。モヤ、間もなく来。クリスマスツリーを私共の部屋へ立てることにして、四人出かける。米川さんの案内で、すっかり迷った揚句、スタニスラフスキーの弟子で、芸術座のダイレクターをして居る女優を訪ね、ついで、ニキーチナ夫人を訪ねる。二人とも活動して居る人々で、各〻面白いところあり。ニキーチナ夫人、二百何人かの文芸家をメムバーとするクラブを作って居て、入った部屋には、壁間すき間なく、作家たちの写真、スケッチ、ポートレイト架すなり。又書斎には伝記をクラシファイして集めてあり。作家に関する蒐集癖が、学者的クラシフィケーションを受けたのなり。

 イクラ、キウリ、ソーセージ、パン、買い込んで、黒田さん樹をかざってくれ、蝋燭に火をつけ、サモワールをとりよせ、愉快に二時頃まで喋った。

 ○このようなクリスマスしようとは思いがけず。面白かった。

 米川さん、メーエルホリドへ行きがけに、イズボーシチク〔辻馬車〕、タクシと衝突した。馬も怪我せず。

〔欄外に〕

 クリスマスイーブ

 粉雪降る。いかにもクリスマスイーブらしい夜であった。


十二月二十五日(日曜)

 クリスマスデー。

 米川さんカーメルヌイを見にゆき、自分達そこまで迎えに行って一緒にピリニアークの家へゆく。

 郊外の、板の塀をとり廻した家。その板塀日本で云えば丁度、建築場の板囲いのように趣なく、荒れた感じ、特に夜、雪が囲りに高くあって、凄かった。ロシア人にとって、それが平気なところ面白し。

 ○ピリニアークの家、窓のカーテンにまでも、厚いカーペットをつり下げてあるところ、彼の生活力と、腕力を示して特徴あり。

 ○大きないいイワンナーという犬が居る。黒いキューピーを見せたら驚いて逃げてしまった。

 ○十七世紀の盃、オッカ、鵝鳥、ハム。

 ○こっちの部屋で、プレフェレンスをして、三十五カペイカかった。

 ○細君の弟、植昆虫学者、おとなしい男、隣の部屋で、詩を誦して居た。

 Водка〔ウォツカ〕をのんだ。

○かえりにキノアルスを見た。「二日(ドワ・デニエ)」オデッサに於ける白赤の衝突から題材をとったもので、やはり強い、強い、強い。


十二月二十六日(月曜)

 久しぶりで一日家居。

 何だか落ちつかず、二人一つ部屋に居るの苦しいと思う。

 二人ともひるねをした。

 夜、モヤ、本をよんでくれ、(セーフリナの伝と、唯物史観)自分編物をして、一方の方のスウェターの袖をあんだ。


十二月二十七日(火曜)

 ボックス、大使館へゆく。始めて、網野さんの送ってくれた新聞が二包み来て居た。大阪を十七日頃出て居る──五日六日の新聞。

 ○珍しき暖かさ、窓の氷がすっかりとけて、下の家々の屋根がよく見え、煙突から出る煙も見え、いい心持であった。


 ○街路の雪、軟かになって、深くガローシを埋める。橇重そうなり。

 ○花屋の窓の氷もとけ、街から白いリラの花やシクラメンの花がすっかり見え、美しく、シクラメン一鉢欲しかった。Y、「お正月だから一つ買おう。いくら位かな、三留位だろうな」やはりゲルセン街で、1.30のバター入れのガラス器、十一カペイカの皿三枚、エハガキなど買った。インク四十一哥、それでこれを書いて居る。


十二月三十日(金曜)

 ○ニキーチナ夫人のところへ夜八時から二人で出かける。米川氏来ない方がずっと愉快で、ニキーチナ夫人の気のよいところ感じられ心持よかった。


十二月三十一日(土曜)

 ○秋田さん達レーニングラードからかえって来た。暫くレーニングラッドの讚美。黒田君、批評的笑いを洩して居た。

 ○やはり年の暮らしく、又土曜日の買物日らしく、あちこちの店、賑やかに人の出入りあり。

 ○午後黒田礼二氏来、秋田さんのところの連中と話して居るうち、一つ賑やかに年越しをしようではないかということになり、自分達芸術座のマーラヤ・スチェナー〔小舞台〕に呼ばれて居たのをことわりに伝えて、Yの発案にて一人前一留十哥ずつ出し、自分達買いものに出た。ハム、ソーセージ、胡瓜、菓子、チーズなどにて送年。かくし芸など出て、三時頃床についた。除夜の鐘ならず。


〔備忘録〕

一月に書いたもの

 是は現実的な感想──ウーマンカレント

 沈丁花     ──文芸春秋

 一月二十八日 Yナスに出発 松川やよくない由。

 同三十日 Y帰京。

二月に書いたもの 海浜一日──

二月五日 林町両親、スエ子と国府津にゆき同八日 帰京。

二月二十七日 二人で仕事の下拵えのため、下諏訪に立つ。

     下諏訪、上諏訪、茅野、下諏訪亀屋ホテル二泊

三月一日 浅間温泉 笹湯 西古川一泊、Yかぜにて閉口 一泊

三月二日 蒲郡トキワ館 雑駁で、いやに関西の都会風で二人の気に入らず、然しYのセキなおった。

三月三日 蒲郡より、Yは京都へ。自分は東京へかえる。

三月十四日 Y京都より帰京

四月に書いたもの 長篇完了、わが五月、明るい海浜

四月二十七日 Y、自分関さん楠生さんと那須へ立つ

  三十日 一先ず帰京(自分、関)

五月二日 自分又那須へゆく、

五月に書いたもの、街、夏遠き山、一隅、

五月二十六日 自分 七日、Yかえる。

六月書いたもの


一月 ○悪霊 ○死の懺悔 ○黎明 ○漫談明治初年

二月 サムマア、□でない男、退屈読本、

三月 サムマアのつづき、退屈読本つづき、

四月 ロマン・ローラン、ヴェートウェン、絵のない絵本

五月 ピルランデロ、ゲーテとエッケルマンの対話第三

六月 山科の記憶

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年720日初版

   1986(昭和61)年320日第4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※「ロシア語および若干の外国語については、本文中に邦訳を付し、〔 〕でその箇所を明示した。」との記載が、底本解題(大森寿恵子)にあります。

入力:柴田卓治

校正:青空文庫(校正支援)

2015年228日作成

2015年827日修正

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