日記
一九二〇年(大正九年)
宮本百合子



一月一日

 夜、一時間。

 家中が寝静まった、深い夜の沈黙の中に、此の日記の第一頁を書き始める。私の心の中には、今、殆ど言葉で云い表わせないような感動がみなぎって居る。総ての者のよき進展の為、総ての者への、豊饒な愛の収穫の為に私は祈を捧げよう。今日、私共を取繞んで居る生活が、常に何事をか欠いたものである事を痛感すればする程、祈願は深大なものに成るのではないだろうか。工藤次也氏が養子に行った先に就ての不幸な経験を話す。一人が一人の不幸を持つ。


一月二日

〝捲起る旋風〟に対する考えが、非常に内心を強く刺戟し始めた。今年は、する仕事をふんだんと云ってもよい程抱いて、何と云うありがたい新年を迎えた事だろう。新らしい生活に入った、新らしいレコードの一頁として、私は非常な緊張と感謝とに満たされずには居ない。然し、グランパと別にして居る一刻が、どんなに苦しいものであるか……。彼も遠い彼方で、よい新年を迎える事をのぞむ。松平氏と、笹川春雄君とが来る。沈黙家の松平君と、世間なれた、自信ある笹川氏との心を思う。岸田劉生氏の絵を、私が、醜に近いものとして或時は見る事に一致して居る。片多徳太郎氏のも……。

 人間の自信と云う事を思う。各自の生活と云う事も思う。


一月三日

 朝起こされる。お客様だと云うから、誰かと思って見ると、千枝子さんの名刺に、真個ほんと喫驚びっくりした。此上もないよろこびのおどろきである。丸髷が美しい。レークジョージで貰った手紙で見たより、もっと幸福そうに、もっと楽しそうなのが安らかさを与える。どうぞ仕合せなように。坂本さんが帰ったあと、食堂に来ると、グランパから重い手紙が来て居た。嬉しい。真個にうれしい。何故だか真先に明けて見る気になれない。漸々ようよう、炬燵部屋まで持って来は来ても、早速読む気になれずに、幾度も幾度も、自分で妙だと思う程繰返して、My dearest love! と云う一字丈をながめる。見て居るうちに、グランパのあのいい眼が私の心の前でぴったりと眺め始めた。My dearest! 夜返事をかく。ダディーの手紙は、理智的で、何か心がつめたく成るようなものが在る。


一月四日

 夜、久しぶりでゆっくり種々の事を話す。私共の家の事、勿論其はまだ実行されるものではなくても、自分達の巣を、自分達の思うように飾って暮す事を思うと、何と云っても楽しい心の動きを抑える事が出来ない。

 午後、福井の人で、議員をして居る人が来て、グランパの父上が、私が急に帰った事を案じて、どうした訳か行って見てくれと云われたと云って来る。喧嘩でもしてにげて来たと思いでもされたのだろう。気の毒な、決して喧嘩なんかは致しませんから、御安心下さいませと御伝え下さいと返事をする。

 夜、北原白秋氏の、「よぼよぼ巡礼」をよむ。少しだらけた処はあるが、なかなかその心持はよい。ありがたいものだと思う。


一月五日

 グランパから葉書、巖本さんから手紙と御年始。坂本さんが立つので、赤のれんから十円程の衿を買って送る。グランパの手紙。

 巖本さんから来た手紙の中に、河原さんがレークジョージに居た私共と、彼女との友情をしきりに裂こうとした事があると云って居るのを見て、妙な心持がした。私共の友情をスポイルして結局彼は、何を得るのだろう。それ程にする私共に対して、何故領事館で、彼女の不平を訴えたか。私にはその間のいきさつが、ちっとも分らないような心持に成る。どうしてそうなのだろう。妙な妙なものではないか。本屋から無車さんの『幸福者』と、『第二の母』とを買って来る。近藤経一氏が「第二の母」と云うのを書いて居るその心持を不思議に思わずにはいられない、真個に。


一月六日

 中出、パン氏が来る。中出氏は思って居たよりもよい、が悪いところもある。もっと深く大きな学問をしなければいけないのではないかと思う。あの人の中にあるものがよく育って呉れればよいと思う。パンさんも又彼の苦しみを持って居る。彼も人情の弱みに、そのやさしい弱みにまけて居る人なのではあるまいか。

 国男が春江ちゃんに向っての心持を考えると、気の毒にもなり、大変な事だとも思う。どうにかして、行くべき道を自分で見出して進むようにさせてやり度いと思う。けれども私に出来るのは、只、斯うやって見たら、どうかと云って、一つの案を提供する丈の事なのである。終極に於て決するのは、生きる道を見出すのは、彼一人である。彼一人の力が、どうにか彼を導くほかないのではあるまいか。


一月七日

 昨夜、眠る前に、国男さんの事で少し、エキサイトした故か、安眠が出来なかった。夜中に、フト眼がさめると、急に、妙な肉慾的亢奮で苦しめられて、息もつけないような気分に成った、その為だったか、夜中に人の気合がしたり、はっきりと、グランパのかえって来た夢を見たりして、起きたら、ボンヤリしてしまった。真個に、まざまざと自分のところへかえって来た彼が、あの深い、大きな熱情で、しっかり抱擁して呉れた、あの恍惚を、あの感触を眼ざめて、あっけない夢だと知ると、妙な悒鬱ゆううつが心を閉じ込めた。彼に対する魂の愛が深いに比較して、肉体的にも深い熱望を感じる。時には殆ど情慾とも呼ぶべきものだと思わずには居られない時がある。そう云う(気分)から脱すべきである。其を知って居る。が、彼をしっかりと抱き締めて、深い二人の祈りの中にでなければ、自分の此の苦は完全に離脱しないと云う心持さえする。


一月八日

 昨夜は苦しい一晩であった。眠ろうとしても、眠ろうとしても、苦しい亢奮こうふんと圧迫とから、心は鎮まろうとする処か、却って夜が更けるにつれて、苦しく成って来る。グランパや! 貴方はその部屋で、どんな夜を過して御出でになるのですか、淋しくはありませんか。苦しくは御ありになりませんか。自分の経験するような苦痛は、自分が此那にも愛する彼には、もっと軽くあてて上げたいと思う。然し、斯うやって、自分が、徹夜して、苦しい一夜を起き明す彼方で、自分の半身が何の苦痛も寂寥も感じずに居られるとしたら、其は矢張り淋しい。淋しい心を抑えながら、多くの本を読む。無車氏の、「第二の母」は私の書こうとして居る形式と、主人公の気分からは何か異ったものがある。国男が、いつのまにかだまって、倉知に行って、十一時に成っても戻らない。春江ちゃんに、彼が愛す事を云いはしないだろうか。運命の前に、自分は何か畏怖を感じる。


一月九日

 昨日、フト思い出して、グランパから、手紙が来ないことを云って居るところへ、かまだが一まとめにして持って来たたばの中に、思いがけず三つも手紙が来て居るのを見た。非常にうれしかった。中に新聞の切抜きや、写真や、私が心覚えにして置いたノート等が入って居た。今度の手紙は読んで私に感謝を与えるもの許りである。ありがたいと思う。彼の大きな、深い愛に洗われて行く、安らかな、神に即いた心持は、恐らく、私ほか分らないだろう。私がFの事に就て書いたものを読んだと云うのを見て、私は淋しい心持に成った。彼は影だったのだ。真個のよきものが、私を見出して呉れるまえの、道路掃除だったのだ。彼、良人、よき鼓舞者。


一月十日

 今日はかなり天気がよくて暖かなので、図書館へ行って、ペルシアに関する本を見てから、グランパへ手紙を書こうと思った。が外へ出て見ると、東京が不調和な、物質文明のために、却って、田舎より不愉快な処に成って居るのを痛感せずには居られない。文房堂と中西屋丈で戻って来てしまった。

 人を裁くなかれ。此の言葉は尊い。今日の何とか云う新聞に、「四十二」のグランパと結婚した私が、恩と愛とを混同して居ると云うような記事が出て居るのを見て、一寸の間淋しい心持に成った。どうして人は其程、興味中心とでも云いたい、浅薄さで生きて居られるのだろう。人は各自の云う事に深い責任を感ずべきではないのだろうか。


一月十二日

 夜から雨に成った。図書館から帰って、グランパに手紙を書こうと仕始めたけれども、どうしても書けない。苦しい。私がどの位、彼を miss して居るのか、どの位、彼の事を思うと心が震えるのか、只どうぞ、彼さえ此処に居てくれたら、彼さえ此処に居て、どうぞ只の一度でもしっかりと、此の淋しい私を抱いてキッスをしてくれたら。三月までの一秒は、千年程にも思える。


一月十七日

 日本の現代の家庭生活の持って居る欠点に就て、人はもっと何故一般的な改革を仕ようとはしないのだろう。其が、平穏であると云う点でのみ、習慣から習慣へと無自覚で流れた生活をするのは、よろしくない。今まで気がつかなかったが、近頃、うちの生活の欠点が目立ってしかたがない。真個なら仕ないでいい事を、だけれども、と云う excuse で沢山して、仕事の量を減らして居る。現今の主婦が、充分な仕事を仕得ないのは、決して無理ではない。真個にやれないのだ。午後図書館に行く。同じ部屋でいろいろする人が粗野なのが多くて、いやな気持がする。


一月十八日

 起きてから、千葉先生へ行こうとして父と一緒に家を出て、何か差上げるものと思って丸善へ行く。沢山本はあるが、なかなか思うようなものはない。いろいろ見て居るうちに初代伊太利名画集があった。よいものだと思う。けれども高かったので、浮世絵集を買ったが、もうおそくなったので、中通りの古道具屋へ行って見る。と、白い小さい鶴の子の香合があった。丸い、素朴な、こっくりとした陶器の仕上げを見て居ると、芸術が共通に持つあらたかさをしみじみと感じさせられた。

 円らかな、てらいのない、晏如あんじょとした心持……。其は総ての芸術を通して持つべき気品なのであろう。かえってから、「加護」に就てツーさんに少し天理教の事をきく、夜更けてからどうしたのか、母上が妙にヒステリックに成って、沢山の不平を云われる。生活はむずかしいものだ。神よ、どうぞ貴方の子等の総てに平安と深く聖き愛とを御恵み下さい。


三月十七日

 自分が山国に生れた父を持ち、幼年時代を田園に送った故か、一年の四分の一か二は、田舎に暮したい願望を持って居る。恐らく母上などには感じられない心持だろう。或点で云えば田園への郷愁である。いやながら来て見ると、田舎はよい。春がそろそろと萌出して来る自然は美しい。雪を戴いた山々や、もう紫色に霞かけたより低い山々や、しめりけをふくんだ土壌や、雑草の小花や、都会は都会の活動と美と力とを持つ、けれども、此の野は、山々は、而して此等の樹々は、美くしい。二十三四日頃まで居ようとする計画は、決して不快なものではない。


三月十八日

 二三日の田舎の生活は殆ど二年以上自分を捕えて居た騒擾からの快い恢復を感じさせて呉れる。明日の朝か、或は午後、彼は、私が立ったあのピーアから、偶然自分の真前に繋留されて居た船に乗るだろう。十三年目に、或は十四年目に、故国の土は、どんな腕を拡げて彼を迎えとるだろう。私は心から、彼が自分を生んだ土地と人々とに、歓びを以て迎えられ又帰還することを祈る。此処へ持って来た〝The Street of Adventure〟の扉には、〝To-morrow we separate from each other〟と彼の手跡で書かれて居る。けれども、今日は、我が愛する者よ。卿の第一歩が、私の抱擁に向って進められるだろう。To-morrow! To-morrow!! おお、我が愛する者よ。


三月十九日

 時は可成かなりのろのろと、然し尊重に過ぎて行く。今朝、或は今日の午後、日附の上で、彼はもう何哩か私に近づき始めたのだ。幸福な海路を! 我が愛する者に。

 加藤一夫氏が、『読売』に載せた、南部修太郎氏に対する批評の態度について、は同感である。自分の「渋谷家の始祖」に与えられた罵倒をじっと堪えたその心持を殆ど同じ気分で加藤氏に云われて居ることを快く思う。ほんとうに、「おしゃべり」はやめて下さい。貴方の仕事は、どれほどまで、私達に即して居るのか。


四月三十日

 ○お客様


五月五日

 二三日不思議に定りない雨が降り続く。快くない天気である。グランパが帰ってから、兎角とかく落付かなかった気持は漸く仕事に向って進み始めた。が、例によってむずかしい。よいものを拵えたいと云う願が多ければ多いほど、苦しむ。苦しめることを謝さなければなるまい。夜、本間の道ちゃんが来る。紅茶を入れて、部屋へ戻って来て見ると、Gが、雨戸をあけて、戸外へ出かけて居る。「到頭見つかってしまった」と軽い調子で云ったにも拘らず、自分は其那単純な明るい気分で、其を見ることは出来なかった。自分が、だまって坐を立って行ったのが、彼に不快を与えたのか、彼の沈黙の不満と、形にまとまらない嫉妬が、彼を戸外へ追い出したのか、自分は、彼の云う通り、それを単純に取る方が正しいのか、自分の感じる通りが事実なのか、決しかねる。


五月六日

 結婚生活に於て、女性は男性よりもより多く心的に良人の場席を多くあけて居るのは事実であるらしいのを感じる。女性の本能なのだろう。細微な感情ではあるが、女性は、その tenderness を踏まれた時には、大きな苦痛を味わなければならないのだ。

 昨日、トルストイの「性慾論」を読んで赤面した。人間はいいかげんになり易い。人は、自分の弱点に理由をつける。何等かの excuse を見出すのに、実に巧である。其為に、時には獣にさえおとる事がある。貞潔は、容易でない。然し此から私は努力する。昨夜から始まった緊張はいつまで続くか。夕方近くなって長雨が漸々晴れ上った。日は出ないまま夜になるのだろう。Gの、ペルシア文学概論の中アカメニアン朝の遺跡を少し手伝う。


五月七日

 多分「黄銅時代」と云う題のつく此からの仕事の為に、アメリカに居た時分の日記を見る。Aのだ。そして、如何に自分の生活が、あわただしいものであったかを思う。あわただしいものであったことを思うと同時に、又人間の記憶力のいかに薄弱なものであるかをも思わずには居られない。自分は自分の仕事の為にも、日記をつける事の必要を感じる。

 夜は、久しぶりで、父上と種々の話をする。幸福そうであったことを悦ばしく思う。可成仕事の出来たことを快く思うと共に、時の早く過ぎるのを痛感させられるのである。頭の工合よろし。


五月九日

 仕事の為に、Aの日記を読みなおすと、或日曜日に、巖本さんと森田氏とに教会で会ったことが書いてある。丁度其日は、二人ともお揃に拵えた緑色の派手な合着を着て居たのだ。新聞には森田氏の遺骨が到着した事を報じ、岩野泡鳴氏の死去を報じて居る。世の中だ。恐ろしい見えない力が流れて居る世の中だ、と思わずには居られない。泡鳴氏が今死なれようとは思わなかった。とにかく、一人の人である。仮令たとい、或意味から云うと悪い感化も文壇に与えたと同時に、自分の力で周囲を圧して居た人ではある。清子さんは、今頃仏国へでも向って居るのだろうか。自分達の生活に、感謝を捧げると共に、斯うやって置いて居られるものを畏れる。

〔欄外に〕Aのペルシア文学概論、アカメニアン朝終り。夜散歩に出て、小さい植木を買う。愛らし。


五月十日

 夜は、高垣氏、水津氏と四人で中央亭に集る。髭をつけた高垣氏は少しふけて見える。相変らずの水津氏、九時頃出てから、銀座を歩き新橋で分れて、資生堂の前まで来ると、国男に会う。晴れたり降ったりする定めない天気であった。一緒に氷菓をたべて、須田町へより、藪へ入ってから家へ戻る。国男は仕合わせそうに見えた。夜一寸したことで、小さい衝突があったが、総ての幸福な夫婦の終るような結果に納る。Aの云った、私が総てを感情的に聞いて、感情的に答えるので、ことがむずかしくなるのだと云ったのは、自分の大きな欠点を示して居ると思う。


五月十一日

「黄銅時代」の準備。


五月十二日

 母上父上 invitation にてお留守。夜、松平氏と皆で、西洋間に居る。Aは新聞の絵を片づけてから、スエ子を守して、私に本を読ませて下さる。有難いと思う。寝させようとしてもねない。母はそういうのを、感情的に肯定し、或意味から母の愛を誇って居らっしゃる。が其は真に価値あるものであろうか。此からの仕事の為に、藤村氏の「新生」を読む。自分には驚かれる心持が多い。よい意味ではなく。


五月十三日

 午後からかかって、在米時代の手紙を整理する。構造は少しまとまり始めた。心にあるものを皆さらけ出したいと思うのがよしあしなのだ。むずかしいものだと思う。夜、青年会館へクリスマスカロルの活動を見に行く。


五月十四日

 お母様がおばあさまの来訪で青年会館へは行かないとおっしゃるので、二人は午後からサムソンとデリラを見に行く。名は私に大きな期待を抱かせる。然し、教育映画と銘打った丈あって、内容は省略しすぎてある。あれではサムソンの魂も、デリラの美くしい心の輝きも示されないではあるまいか。行きに引かえ、帰りは少し雨もよいの涼しい天気に成ったので、ずうっと、野沢の方から千駄木の奥あたりを散歩した。初夏であると思う。青葉が快い。もと、森だった小柳津氏の前は、今もうからっとした石燈籠屋になって居る。変るものだ。十二三歳の自分は、いつもあの森と共に記憶されて居るのだ。朝早く起きたので、夜は早く眠り、Aの入って来たのも知らなかった。


五月十五日

 晴天。朝早く起きることは仕事を捗取はかどらせる。午前中には元の部屋を片づける。書き損じの原稿をやきすて、新しい方にみずやなどを持ち込む。午後は、本をよみものを少し書く。国男と笹川氏とはシコラのセロをききに行った。藤村氏の「新生」は、自分に種々の問題を与える。真正な両性の愛は真に芸術を否定する傾向を帯びて居ると云えるだろうか。私は自分の経験を顧てそうではない。愛は力と智を進めると、云わずには居られないのだ。新しい方の部屋は日光の反射が少し強過る。


五月十六日

 福井より一夫来る。父母、英、スエ子成田にお礼まいりにと出で行く。(此の日記は、十七日の朝書く。)

 昨夜自分は、自分の情慾にかとうとして、努力はしたが失敗してしまった。心は非常な悔恨に満される。Aは決して自分の弱さを攻めはしない。許して呉れる。が其は、善郎さんの小説の中にあったように、彼のうちにもある暗黒がこれに対して寛大な良人たらしめるのではないだろうか。昨夜は殆ど結婚以来始めての苦しい涙を流した。

 恐しいことだ。且て、自分の裡に潜む意識されなかった感情の暴力にまけた自分は、其等の痕を洗い浄めようとして得た良人によって、又同じ失敗を繰返そうとしたのだ。結婚と云うことが、公然と、情慾の存在を黙許するが故に、其による自分は卑劣である。絶間ない努力が必要であると云う言葉は、一層自分に価値を感じさせる。結婚によって、自分の欠点を飛躍しようとした自分は却ってその中に掛声をかけて飛込んだのではあるまいか。許して呉れる良人はありがたい。が油断すると恐ろしい。自分の心には、一つの時期を通り過ぎた後の反省が来たらしい。静かに、深く。心よ、我が心よ。お前の回顧は、つねに冷あせを掻いた額を見出さなければならないのか。

 私の心には、幾つ悪い鍵穴があるのか、よいことの鍵さえも、時には間違って、悪い鍵穴でねじられる。秘密を作る時、人は隠し終せると思うだろう。が心のあるものに其は出来ない。いつか白状する。それが人間のありがたさだ。


五月十九日

 仕事のために一九一四年と一九一六年から十七年の日記を繰返して読んで見たことは、自分に十七年から二十年の今年までの間に、どれ丈自分が進歩したかと云うことを思わせずには置かない。勿論、自分は何もしないではなかった。然し果して真実にどれ丈よく、どれ丈高く成って居るのだろう。愛する者を持って居ることさえいい加減なことのように思われる。愛するものを自分の良人と呼ぶに価する丈自分は成って居るか。心が非常にくやむ。非常に。此から遣りなおしである。真実が欠けて居るのだ。


五月二十日

 午前中食堂で、私の旅行のことに就て母と話す。母が、家に居るのが悪いのではない、Aと一緒に居ることが、勉強をさせないのだろうと云われるのは、事実当って居る点がある。自分は弱い。自分の意志の力と云うものは、恐ろしく弱いことをはずかしく思う。私の理智は明るいのだ。が、只、その理智を発動させて外にあらわす意志が弱いのだ。

 去年の今日、私共は始めて、私共二人限りの夜を Lake George に迎えたのだ。種々の回想が胸に湧く。夜は床の中で暫く話し合う。


五月二十三日

 お前は、彼の中に在る何を愛したのか、彼の中に共鳴する感傷と情慾と結婚したのか。

 自分が愛して居る者は、どんな場合にでも自分を充分理解して居てくれるものだと思うと、間違う。少くとも、今日の自分等の程度に於ては。愛すると思うものに対して、或瞬間に起る憎悪は、敵に対してよりも激しい。嘗て自分の魂を盗んだと思うから。


五月二十四日

 或ものに不平を持った場合、我々のとるべき道は二つある。一つは、其を全然否定してしまうことと、他は、その価値を肯定的に予想して、現在の不平を堪えることとである。


(貴方はいつも私のために自分を犠牲にすると云って下さいます。ありがとう。けれども、彼女のために犠牲に成る自分の苦しさを察して下さいと叫びながらして下さる献身が犠牲でしょうか、其が真個の献身でしょうか?)


五月二十七日

 自分が主な動機を与えて、或人の運命を変更させた場合、自分は其に対してどの位の責任を持たなければならないのか、愛は事業である。人の心の奥底をためす試金石である。

 私が彼を愛した。彼と結婚する。彼の内に不満を見出して苦しむ。が、その不安をとりのけてくれるものは誰か? 自分である。自分が手を引っぱって或生活から踏み出させて置きながら、其を放擲ほうてきするということは、自分の真心として□るべきではないことを知る。


五月二十九日

 四五日前、仕事を始めかけると、泥棒に来られたり、お祖母様に来られたり、風を引いたりして以来、どうもうまく気がまとまらない。風邪がすっかりよく成って居ない故なのか頭が重い。第一天気がどんよりとしてちっとも五月の軽快な日光を見られないのが悪いのだ。不平は云うまい。然し生理的に不健康に成ると、心は少なからぬ不安と動揺とを感じさせられる。


五月三十日

 大瀧の叔母朝来訪、祝にと云って着物をくれる。然し自分は不思議な心持がした。同じ祝をくれるなら、そしてその祝が真に私共の結婚をよろこんでくれるものなら、何故私か或は彼が帰って来た時にくれる心持に成らないか、私共の方から食事に招待して始めて何かをくれる──。そういうとき、うけるものは、物質をのみ受取るような心持に成って来る。

 今朝Aに助けられて元の部屋に戻る。少くとも気が落付きそうに思われる。何と云ってももと幾つかの仕事をした部屋だ。『白樺』の十周年記念号から切抜いたドストイェフスキーの写真を正面の壁にはる。彼の霊に満ちた、苦しみぬいた表情は、私の中の心を呼び出してくれる。

 イタリーの飛行機大阪着、九十五時間、日数百幾日、とにかく始めてイタリーと日本との間を結びつけたのは、日本人ではない。イタリー人だったのだ。其を覚えて居れ。日本人の先輩は後輩が熱意を以て其を申出たとき「君はまだ若いよハハハハハその元気をなくさないように仕給え」と云って煙草の灰をおとすだろう。夜、オーブンをなおして、アップルパイをやいてあげた。(以上、三十日の分)


六月一日

 午後、作楽館で千葉先生にお目にかかりに行く。少し御やせに成った。去月の十二日に御祖母上をお失いになったと云う。あの先生の御顔の美しさから云うと、水浅黄などの似合いそうにないのに、それがよく合って居る。大橋房子さんのこと、三宅氏夫婦の出される婦人雑誌のこと、秋からの講義のこと、などを御話する。昨夜徹夜したに拘らず心持がよい。Aと話したことは、大変私によい鼓舞を与えたのだ。


六月二日

 先達って中、心がまとまらないので、どこかへ行って仕事をしたいと云う私の意図は非常に母にはよい感じを与えた。が、近頃のように自分の情慾や何かに打ちかち、Fight out して此処でやって行こうとする心持は、却ってそのままにうけ入れられない。不思議なものだと思う。昔の人少くとも母上のような性格の人には、良人と別れて作をする、と云うような一つの概念が、一種悲壮とでも云うべき感動を与えるということを知った。明日の夜着るべき着物のレースを作った。


六月三日

 私共の披露。


六月九日

 女性のうちに先天的に与えられた驚くべき可塑性、或は順応性が、新らしく与えられた境遇に対して、忽ち、今までの「我」というものを溶かせ始めるのに対して、独立の意識と、個性の力とがとりくむのではあるまいか。

 自分の気分は──mood は陰気にフィアスになる。泣きながら皆にくってかかる、憐れな魂よ。


六月十日

 女性が結婚後一年間の心理を今までに深く解剖して見た人はないだろうか。一年の間にその人の運命がほの見える。

 或人は終生の憎みを、或人は永久の献身を、或人は明らかな箇人対箇人の独立と、共鳴との生活を──。仕事が生命である自分はそういう方向に道を見出すか。一年間の女性の心持は男の人とは大変異って居るのだろう。


六月十一日

「クリストフ」の中に、「クリストフの生活は急激な反動の連続──極端から極端に至る跳躍であった」と云う文句がある。或時の彼は、非人間的と云うまでの禁欲主義者であり、或時の彼は力を讚美するドンフォアンである。そして両方に於て不幸なのだ。「もう彼は独りでは居られなかった。そして最早独りで居ずには居られなかった。」此はその自分の心を非常に深く説明して居る。


六月十二日

 時は過ぎて行く。恐ろしい程の早さで時は過ぎて行く。その飛んで行く時の意識を彼方に眺めながら、自分の意力の欠乏から為たい為せずには居られない事を出来ないで居るのは苦しい。真個に苦しい。力よ、力よ。

 自分の弱い心、弱い魂は、不幸に圧倒される許りではなく、幸福に蒸殺されそうにさえなる。何が来てもしどろもどろになるのだ。

 結婚後の一年は、或人にとって、無条件に楽しい時であり、或人にとっては、無条件に楽しいが故に苦しい時であろう。


六月十三日

 今年の此の日記は、私にとって大きな意味を持つ記録である。自分は頁を繰って見て、五月以後から、自分の思想が段々落付いて、生活を観察するように成って来たのに心付く。四月は夢中だったのだろう。自分は母上とはまるで異った男性を内に蔵して居ると同時に母上の知られない女をも亦持って居る。結婚以来一年目で、漸々私は、真個に落付こうとし始めたのであろう。


六月十五日

 自分達の結婚を祝ってくれた人の主なところへ廻る。麻田、瀧田氏、坪内先生。瀧田氏のところで、生田長江氏がライ病で、顔がくずれかけて居るのに、会へ出たり人に近よったりすると云う話をきいて、悲惨な気がした。谷崎氏が其をこわがってこわがって逃げ廻って居るとか、岩野泡鳴氏の御通夜のとき、二つに分けたおすしの大皿の一つに陣どった彼の傍に近づくものがなかったとか。思想家でも、こういう生命の瀬戸際に成るとあやしく成るものだろうか。近よって、まるで自分を厭わない人の居るのを見出したい心持を考えると、涙ぐまれる。一つの材料であろう。


六月十六日

 夕立のような雨が降る日である。よくお父様がおっしゃる通りのことをして──椅子の上に一寸置いて──大切な眼鏡をみっしりと破ってしまった。ハリスのところへ云ってやるほかあるまいかとも思ったが念のために順天堂にきき合わせて、村田長ベエの店に行って見る。合羽も何もずくずくにぬれるほどの大雨の中を五時に飯□□洋服屋が来ると云うので、大いそぎで行った。出来ると云う。有難い事だった。帰りの電車の中で、男が二人喧嘩を始め、仲なおりが出来たかと思って居たら、団子坂で降りると、いきなり一人年上の男が傘をふりあげて、血の出るまで相手をなぐった。肉体に当る音。


六月十七日

 午後一時に上野を立って、開成山に来る。Aに送って戴くのを強いてことわった自分の心持は、自分のうちに多分に在るセンチメンタルを前もって圧えたい希望からである。自分が行かなければならないときめ、彼も許し、切角平穏な感情で居るのに、それを又自分から涙っぽいものには仕たくなかったのである。汽車の中は非常に暑かった。殆ど辛棒が出来ない程、特に、青森急行に二等が一つほかないと云うのでこみかたは激しいという以上である。眼鏡がないので外の景色を見てもなぐさまない。持って来た Saints' Progress をよむ。上手に、暖い心を以て書いてあると思う。電報が早く着いて居たので、迎えが来て居て都合がよかった。自分はまるで、蒸し風呂のような中に居ながらも此から出来る仕事、サレーンな心持を思って、楽しいと云うに近い五時間を過したのだ。が、夜中に目がさめて、実に、何とも云いようのないことを発見した。それは自分が、何よりも必要な、「黄銅時代」の筋書を食堂のテーブルの下に忘れて来てしまったことなのである。何と云うことなのか! 実に何と云う。自分は気がついた時に、思わずひや汗を掻いた。恥を知れ! 我心。此の一事で、もう自分は、今日まで屡〻母上の云われた放心を否定出来なく成ってしまった。其ほど自分は自信と自負とを同時に打ち挫かれたのだ。実に。自分は其那に不注意だったのだ。勿論、急いだから、と云う云いわけは立つだろう。然し、其が第一のものではないのか。殆ど、此処に来た主要な目的を置き去りにして来たことは、決して自分の心の深い落付きや思慮を示して居るのではないのだ。自分は其那にAに夢中に成って居たのか、其ならば自分の心の中の何が夢中に成って居たのか。理屈を超えて自分は、非常に恥て居るのだ。

〔欄外に〕小麦の穂は黄色くなる、センダンがせいそな双の対葉の間にしぶい薄紫の花をつけた。


六月二十日

 一杯に張りつめた雲の裏から、暑い日光が透いて来るような日。朝四時頃床に入って九時半頃、東京からの書留が来たので起される。「黄銅時代」の筋書の中に、Aのノート位入って来るだろうと思ったので、あけてやや失望に近い心持を感じた。

 昨夜は、殆ど時を忘れて Saints' Progress を読んだ。Fine tales などに盛られている内容より、遙に深く強く而して真剣なものである。Noel という娘の心持、今まで自分に漠然と感じられた war baby の悲惨が深い同情と、無私な観察によって示されて居る。


六月二十一日

 北風が冬のような音を立てて鳴る。雨は降らない心持秋のような日である。千葉先生に長く、近頃自分の心の中にある事を書いてあげた。結婚後一年になろうとする自分の心に起った変化である。

 静かな生活はよい。田園は──箇人の内容が充実して居る時にはよい場所である。自分をさまたげられる事はない。東京の、特に私の家の生活は、何と云う複雑と、感情的いきさつにとんで居ることだろう。私があちらに居て仕事の出来ないのは、一つは圏境の故であろう。Aはどうして暮して居るか。


六月二十五日

「黄銅時代」に筆を下した。


七月七日

 水津氏より、高二の英、教、を紹介して呉れる。自分達が自分達の生活を始めるのによいと思う。且、未定、


七月九日

 二番茶つみ。

 Everything will be improved. Dear, Life is such a curious thing


七月十一日

 開成山より帰京。


七月十七日

『時事』に、感想十九枚を書く。


七月二十二日

 今朝、Aは三日の旅行からかえって来た。昨夜、葉書を見てから、殆ど眠られないような焦慮が自分を捕えた。にわかに気違いのような待遠しさが自分の胸に湧いた。朝八時頃かえると云うことが分っても、自分は起きて、皆に顔を見られながら、待って居ると云うに堪えないで床に居た。七時頃から起きては居ても。そして、待ち遠しがって居ると、思いがけずに開けて置いた戸からAの姿が見えた。彼は単純に私が眠くて床に居ると思ったのだろう。然し自分は、彼の姿を見た瞬間、にわかに今まで自分の内に在った自分の魂丈が火玉のように成って彼の胸にとびついたような心持に成った。激しい、苦しい悦びで喉がつまった。Oh! dear Grandpa! と囁いた声を彼はきいたか? 開けた戸をしめてこっちへいらっしゃいと云うのを漸々声えるような声で云った。そして、彼に抱かれた。が、その瞬間、何か彼女の心の中で「そうじゃあなかった」と云う失望が響いた。彼の旅行から引続いてある matter of fact の気分が、自分の中に亢進して居た憧れや熱情やを不調和に感じたのである。

 彼女の心は知らないうちにすねて、意地が悪く成った。

「ねえ貴方、怒らずにきいて下さること? 私ね、貴方を真個に愛して居ると思って居るし、貴方が私を愛して居て下さるのを信じて居ります。其は真個に信じて居るの、けれども、ね……何故──」

「何?」

「何故ね、時々ほんとうにいやなものを感じるのでしょう、チカチカしたものが私の心を刺すの、愛して居るけれども、いやなの。」

 彼女は彼の頸に腕をからんで囁いた。

「だからね、貴方、私は疑わずには居られないわ、頼りないの。」

「私は貴方を愛して居ます。真個に愛して居る、貴方の心の底にある絶対に近い愛をしっかりと握って居るから、私は貴女の欠点も許せるしよい処丈を見て行かれる。真個の愛はそういうものじゃあないでしょうか。」

「そう──私は不真実なのでしょうか? え? グランパ」

          ──○──

「私は今日感じる不快なんかは、皆自分がオバーメジュアした故だと思うわ」

「何を。」

「私と貴方とを──。そうじゃあなくって、私は、貴方のいやなものを皆許せる、見ないで居れる程自分は深く大きく理解し愛せると思って居たら、矢張り其になやまされるのですもの、其で斯うやって涙をこぼすのですもの、」

「そう、オバーメジュアする、したのは確に悪い──、然しね、貴女は、今まで、斯うやって二人で人間が暮して行く経験はなかったのだから、どうしても、新しい生活が来ると自分の動かされ易いこと、無力なことを直接に人と当って経験して行くでしょう、当然来るべきことなのだ」

「それはそうだと思いますわ、けれどもね大切なことは、」

 此処で彼女は、愛と憎しみの混乱した悩ましい眼を上げて彼を見つめた。

「貴方の立派さで自分の無力を感じるのならよいと思います。けれども、私が感じる無力さは、いつも貴方の悪い処から反映して来るのよ。貴方の持っていらっしゃる悪いところに自分が持って居る希望や勇気を殺がれて起る疑だし、失望なのよ。」

          ──○──

「私が失望したのを見ると、貴方は、苦しくなって希望のある言葉で励そうと成さるでしょう、けれどもそれは一時で、疑や否定の方が多い常態なのよ。だから、いやです。きらい!」

 彼女は、ボろボろと涙をこぼしながら、とられた手を振りはなした。

          ──○──

 甘ったれて居た最中、突然の下らなさが彼女の心を襲った。彼の熱い抱擁に対して、彼女は、自分に対して苦々しさに唇をかみながら、闇の中でそっぽを向いて、無反動で居た。二三度、彼はあやすように、彼女の心を呼びさますように抱擁を強めた。がやがて、

「御免なさい」

と云いながら、体をどけ、彼女の額に接吻して、枕の上に頭を落した。

          ──○──

 自分の愛するものに、絶望や嫌厭や、否定の言葉を放つとき、二人が苦しんで居るという意識で、彼女は目がくらむようになり、夢中になって、尚一層苦々しい激しい、ぞっとするような言葉、「いや」とか「きらい」とか「思い違い」という言葉を洩す。其は、きっと戻って来る愛への確信の心に立つものであって、動かない、という意識から故意に動す、あわれな人間の悪魔的なもがきである。

          ──○──

 感情的な小ぜり合いの後、何で和解するのかと思う反省は、彼女を懐疑にしずませ、躊躇させた。皮相的に其は互の都合よき交接の相手を失うまいとする底意、どうせ何といってもという肉体的の関係に負けるのではあるまいかと思われた。がそうではない。


七月三十日

 四五日来、自分達と母との間には、もう決定的な感情の衝突が起って消えない。

 母は私を愛する余り──自分の考え得る最も理想的な偶像として私を期待する余り、総ての点に於て失望が起ったのだ。第一、此世に私を愛する点に於ては、又とないものだと自信する自分以外に私は彼をより深く愛すこと、その彼は、彼女の目から見ては、只私を操ったり、ごまかしたりするほか能のないように思われるところから、彼女の不平や絶間のない罵が来るのであろう。私がもう決して彼女にはかえらないことがたしかなのも苦しいのであろう。母や父は彼等の思う通りによく、彼等の思う通り、永遠に賢く従順なる子としてのみ私が存在することを希望されるのだ。

「一生抜け切れないような借金を背負ってまでお前をアメリカへやったのは、決して此那結果を予想したからなのではないよ、つまり私の期待が大きすぎたのだろう、馬鹿な子を生んだ自分が悪いのだ。」

「何故お前は、テンダーハートが持てないのだ? 自分の主義だの何だのといって、母を泣かせて如何うだというのだ? 母を泣かせる主義なんか仕様がないじゃあないか、此那に大きな不平があっても、まだ小さい事でお前を可哀そうがって泣いて居る母の大きい海のような愛に、お前は反射しない鏡のようなものじゃあないか? え? そんな鏡は捨てしまえ。私が其位の決心が出来ないと思うと失望するよ、私には出来るのだ。

 何故専政君主に仕える奴隷のように母に仕える事が出来ないのだ? 過去を考えて見るがいい、過去を。昔なら切られてしまう処だったのではないか。それを今日まで導いて来た苦痛に報ゆるのに、何だと□□! お前がたがあっちでフリーボラスな心持で知らなかっただろうが、お前方のアナウンスに対して、誰から祝が来たかと云うのだ。だから、私は、お前が指名して来た処より他には一枚も出しませんよ。暖かい母親の胸から永久に引きはなされて見て始めて、お前にはテンダーネスの如何に必要だかと云う事が分るのです。行く処まで行って見なければ道は開けないのだ。」云々、(父)


 解って居るらしくて解らないことは恐ろしい。父上は、母上は、或時には解って居るらしく私共のことを話されるに拘らず、心の中では何一つ分らないのだ。解らなそうでも解ったものは解った解決を仕得る。解ったものらしく振舞っても分らないものは結局に於て相反する。矢張り、ミスコーフィールドのように二つの種類の愛は相突合う。

 人生は、一面から見た場合、淋しいものだ。床の中に入って膝に枕をのせて此を書く。Aは傍で眠りに入って居る。我が愛するものよ、愛すると信ぜずには余りに辛い者よ、貴方は私を死ぬまで愛しては居てくれても、私の此の深い孤独から湧く寂寥と祈とをともにすることは出来ないのだ。ゲッセマネのキリストの心持を今始めて僅かながら味うことが出来る。

 私の運命は私の裡の灯でのみ照らされるものなのか?

 深い忍耐と、力と真実な愛を神よ、私の苦しむ魂に与え給え。愛すということは何という恐ろしく容易なことか! 私共の家をさがしに着手。Aは五百円を渡辺氏にたのむ。胸から下にシーツをまとった彼は、唇や眉の辺に淋しい陰を漂わせながら、然も平安に深く息をして眠って居る。自分は地にしみ入るような心持で、彼の寝顔を見入った。彼は眠って居る──私は起きて居る──彼は眠ろうとは思わず眠ることは希望して居ないのだ、倶に起きて苦を分けようとするのだ。が、眠るのだ。

 母は愛そうとし、愛して居ながら私の真の生活に迫ると分らずに自分と人とを苦しめる。不思議なもの不思議な孤独。


八月三日

 神よ、私が謹んで心から掛ける此等の問いに、どうぞ御心があるならば御答え下さい。

 彼は私を愛して居るのだと申します。私は彼を切に、切に愛して居るのだと思って居ります。其だのに、どうして私の心には、絶えず斯うして不満があるのでございましょう。

 私が苦しむこと、私が彼との生活に感じる苦痛を彼はちっとも理解することが出来ないのでございますまいか。彼は、自分は貴方を愛して居る、だから何でも堪える、最後まで耐えればいつか分る時が来るだろう。と云って私の心の中を努めても知ろうとは致しません。その忍耐と云う言葉のうちに逃げかくれて、私が何とも申せない、私を愛すると云う言葉の盾をかざすのでございます。

 私は彼に、もっと徹底した理解や鼓舞や愛を持って、私の人格全部を見て欲しいのでございます。私には彼の目の荒い考えかたが堪りません。自分の満足のために私の燃え上る熱情──只彼に対してのみ燃え、彼に対してのみ輝く熱情──をむごくも、理屈で消されそうになることはたまりません。真個に或人を愛するものが、その人の苦しむのに対して、私には分らないのだ、いつか私の心を解って来る時が来るだろう、と云ってじっとして居られるものでございましょうか?

 おお神様、神様、此等の疑問は私を殆ど気絶させそうでございます。神よ、彼は……彼は……彼自身の愛して居ることを愛して居るのではございませんか、私ではなく、此の私ではなく、彼のうちに今まで対照を見出せなかった愛したい心を私を代にして愛して居るのではございますまいか? 彼は私を愛して、私のために総てをして居ると思って居りますのでしょうけれども──けれども──恐しいことではあっても、彼の驚くべきエゴを見ずには居られなく成りました。

 私は彼を愛します。其故彼が苦しみ、彼が私に対して不満なのは堪え切れないのです。然し、自分が愛して居ることを愛すものは、恋人がいかに苦しんでも、自分の心に在る愛して居ると云う確信が崩れない限り安心して居られましょう。其だからこそ、今日のように、私が先達せんだって来の不愉快を忘れるほどの愛に燃え上って、彼を抱こうとして、我を忘れて着て居たものも脱ぎすてて腕をひろげたのに、私のためにと云う自分の満足のために、泣く私を傍に置いて私がほどいた衣類の紐をしめて眠ってしまうことが出来るのです。

 女性が、人間が不快や苦痛を忘れるほどの激しい愛に白熱した真実さも彼は只、肉欲に色づけて見る丈の真実さほか持たないのではありますまいか?──

 再び神よ、私は彼を愛して居るのです、私は、彼を自分の終生の良人たるべき人として選択致しました。そして、今此の深い、自分の魂も食うような疑いに逢着しなければならないのは何故でございましょう。もう一歩進めて、神様私は彼の何を愛して居るのでございましょう。

 私は、自分の心のうちに在るけがらわしさから、彼の童貞を守神のように尊敬致しました。軽薄な男性の浮気の中で、彼の一種の憂鬱とストイックな心持に云い知れない共鳴を感じたのでございます。彼の私に捧げてくれる熱情にも魅せられました。彼の童貞は、如何那どんな内面の原因によって保たれたものだったのでございましょう。真個に真実な愛の日のためにでございましたのか、其とも、結婚する相手はなし、商売人は恐ろしいから已を得ず捨てられずにくっついて居たものでございましたろうか。


九月三日

 今日の午後、自分達は林町から、片町十番地の小さい家に移った。体の工合は悪く、苦しいのを、暑い中俥で移って来た。此が、暫くは、自分達の家に成るのか。きたない縁側や、小さい床の間に、自分は、哀憐に似た愛を覚えた。

 自分の不快は、先達中、ひどく暑い処を、無理に家さがし、道具の買集めに歩いたためなのだ。

 二人きりに成って、新しい家の新しい夫婦として、向い合って食卓についた時自分達は、何とも云えない感動に打たれた。


十一月十二日

 ヤエ子死す

 全くの頓死。大学に行く途中俥の中で二三度けいれんをした限り、で死んでしまった。去年の十一月七日出生、僅か一年と五日の生命……。

(記録は十四日より、葬儀後)


十一月十四日

 午前十一時頃家を出て、林町へ御飯でもたべようと思って出かけた。天気は少し曇って寒かった。が決して心持の悪い日ではない。行って見ると母上は、ヤエ子が沖田と大学に行って引きつけたので急にその方へ行かれたとのこと、自分は驚いて、若し入院するようなら行って見ようと、弘田氏の部屋にきき合せて見ると、もう先刻かえったと云う。丁度歯がはえかけでよく引きつける時代なので、自分は其那に不思議には思わなかった。next page

 食堂で雑誌を見て居たら、戸の開いたすき間からチラリと沖田の影がさして、ずっと赤ちゃんの部屋の方に行く。もう帰って来たのだな……疑問と云うほどでもない、只どうなのかしらんと云う位の心持で、自分は赤ちゃんの部屋へ行って見た。すると、ヤエ子は眠ったようによこたえてある形が見なれて居るので、始めの一瞥で彼女の小さい顔が、白布で包んであるのが分らなかった。自分がそれに心づき、「駄目だったの」と云うまで、心には、何かひどくハッとした、口も利けないような驚きがあった。あまり不意だったのだ。余り突然で思いがけなかったのだ。沖田さんは、「どうも飛んだことを致しました」と云って泣き臥してしまった。自分は、ひどく寂しい、けれども、ちっとも涙はこぼれない心持で、「もう泣いたって仕方がない、貴女が泣くと尚御かあさまが悲しむから」と云って、肩を叩き、部屋を出ると、丁度二階の上の口の処で、けわしい、泣きよごれた、真個に子を失った母の顔をした母上に会った。ひどく自分は心を打たれた。「貴女にはひどいロスなのだ」自分は、肩に泣き乍らもたれかかった母を抱いて自分の胸にしめつけた。心には「到頭!」という心持が強かった。ヤエ子の四五日来の顔で自分は、ひどい生命の衰退を見て居たのだ。

 私共には九人の同胞があったのだ。それが五人死んでしまった。──此に対して自分は何と思ったらよいのか。

 母上は、自分の虚弱な時に生れたために死ななければならない子を見るのが辛さに泣いて居られる。

 父上は、自分達の周囲から子等の去る寂寥。

 沖田は自分のあずかって居た子の急な死に対して、自分が正当に理解されたいことが第一であるように見える。

 六歳になったスエ子はおそれて二階に近よらない。

 国男と英男とは?

 自分は、生命の微妙なこと、自分もいつそうなるか、自分の愛する者等がいつそうなるか分らないということをひどく考え感じさせられた。今日も安らかに済んだ。きのうも。けれども、どうして明日を知ることが出来るだろう。自分の愛するものの死なないうち、自分の死なないうち、自分にかけられて居る、自分を愛して呉れる人の期待や宿望を満さなければならない、大変だと云う感じが、強く、強く、自分を動した。

 来年と云い十年後にと云い……然し誰か、自分の大切な人々のうちの誰かが、其を見ず、満されない期待を抱いたまま死んで行くのは、それを見るのは、辛いことだ──

 此の心持の中に、両親が最もつよく込められている。死んじゃあ大変だと思わずには居られない。今、死んでは欲しくない、今死なれては堪らない。その堪らないがいつ来るかわからないのだから、ぼんやりしては居られない──

 自分には、生別死別の深い、印象を今更の如く教えられた心持がした。

 生命は、昔の人の言葉をかりて云えば無常だ。それほど、新陳代謝を要する常に新鮮なるべきものなのだ。その無常にかつ、無常を超えたものを掴まなければならない。

 人が長い病気や苦しみの後、死ぬると、その死にともなった感じは複雑な添物があって理屈がつく。然し、たった一年ほか生きなかった子が、急に、木の葉が震えるように震えた丈でもう死んでしまった。此の地上に於ける其人の生命は終ったのだということは、自分達に露骨な、有難い、強い生命の移動を教えるのだ。永生と云うこと、不滅の生に対する考えは、斯う云う端的なショックを受けなければ、自分には終に一箇の思索にすぎなかっただろう。

 自分の人生に対する感銘の或部分は異って来た。非常なる瞬間、瞬間は若し其人が価値つけなければ空から空への消滅に過ぎないのだ。時は其人の生活如何によって、有、無を生ずる。


十一月二十三日

 二十一日から母上、父上、スエ子は小田原に行き自分は林町へ来た。今夜御帰京。

 田山、徳田両氏の五十年祝宴に行く。徳田氏の印象は自分に、暖かく、じみな、凡人を感じさせた。

◎父上が自分の子の棺の寸法をとり、墓標を書かれるのを見て、主人、良人、父の、男性の取るべき忍耐の深さ、強さに心を打たれ、頭を下げずには居られなかった。

 母上は悲しいのですと訴え、悲嘆し、泣いて居れば、総ての事ムは進行し、人々はなぐさめて呉れるのだ。

 印象は、涙で撒る。何故女性は、男性より涙が多いのか、生活の印象をより少くほか(はあく)しないのか。

 此は、女性が、生理的に男性より多くの苦痛──出産だの月経だのと云う──ものを持たなければならないので、その本能的な、或は先天的構成によって、先の苦痛の印象を忘れようとするのだろうか。瞬間は強く、然し長続きのしない印象、従って、女性は印象的で思想的ではないのではないか


十二月二十六日

 ○年の暮に成って、一年を顧るのは愚人のする事だ。けれども、けれども自分は其をする。そして驚く。二十二の年はもう過ぎ去ろうとして居て、自分は、一年間此だということはして居ないのだ。

 人生の種々な価値をより知り、より真剣に潜入して行く種々な階段、十八の時、自分は真個にやって居ると思い、二十二の時、毎日は相当に安んじて暮し、二十三に成ろうとして自分の無為を痛感する。神がその人がくやむ時を与えてくれるのは恩恵である。


十二月二十七日

 ○自分は今まで自分の職業欄へ、文学者と書き、或は創作家と記すのをためらって居、実行しなかった。此の理由について考える。

 本能的な羞しさからなのだ。何故羞しいのか、自分はまだ成って居ないから──。それなら其丈の努力をして居たか?

 女性の今日の状態は、日常生活に於て、名人に達する努力は要されて居ない。相当なるアマツールと云うことは、普通人との余りかけへだたらない交渉に於て、なみとは一寸異った色彩を添えるものなのだ。自分は知らず知らず其処で甘えて居たのだということを発見した。

 来年から、或は、斯う書いて居る今から、自分は一箇の文学者として自分を曝す。名人を期待する。


十二月三十一日

 此の日記を二人で持って来て呉れられた森田氏は死し、巖本さんはフランスに居る。自分は駒込片町の家で、此の日記の最後の頁を書き入れるのである。仕事は依然として相当の速度と熱とを保って年末に近づいて来た。自分の心にはせめて、今日までに第一部の稿丈も終りたい心持があった。緊張した力を張りつづけて、来年は大いに奮励する、したいのである。昨日は、最後に近い二十五枚許りを、書いた。そして今日は、母上から迎が来たにも拘らず、少し疲労した気分を励して机に終日かじり付いた。


Memoranda


 1. January. しっかりと眼を瞑って、抱き合って居るうちに、浄められ、無我に入るほどの愛。その愛に励まされ、助けられて行ける者を、確かりと疑いなく見出し得た事を、私は如何程感謝するだろう。私共の我を忘れた抱擁に祝福あれ。新らしい力の加えられた年を迎えて、新年と云う、ややコンベンショナルな形式を脱して、より大きな充実を感じずには居られないのである。愛する者の上に幸あれ。

 神様、私共は、貴方の前に二人のよき、神のよみし給う子として、若し与えられたものがあるなら、それを以て己らを貫く事に致しましょう。静かな、無人な、而して明らかな夜に座して、私の心は潔斎致します。


一月七日

 宮島新三郎氏が、『国民新聞』で、私の「渋谷家の始祖」に与えた批評の或言葉についての感想。

 彼は、私が芸術の最も大切な、事物の具象化を、却って抽象化して居る、つまり主人公の心持も、自分の概念で作って、心持を抽象して居ると云うような事を云われた。芸術の具象化……。其は明かに、私の技巧の劣った点から来て居るのではないだろうか。ロダンの作を見てうける感銘を、私の作品は持って居ないのだろう。立体的観察の欠乏、或は、未完成。(『文章世界』に出た、有島氏の、イブセンの「死者の復活する時」と云う脚本は読むべきものだと思う。よき作、よき魂、よき魂、よき謙譲さと祈念。)


三月十八日 開成山にて。

 Gibbs の〝The street of Adventure〟の中に斯う云う事がある。職業婦人は、家庭の婦人の領域以外の知識や能力を持って居るために、或意味の恐怖から、自分達を除外する、婦人と同様に男子もそうして一層婦人に苦々しい思いをさせる。面白い仲間として、話し、笑い、共力するだろう、が、外の娘と結婚する。Feminist を失っても womanhood はその希望と夢を持って遺されるから悲しい、と云うような意味。田舎の人々の間にあって、自分の感じて居る simplicity の快さは、彼等が、何にも内面的な競争を持って居ないからではないか。私が多くの女友達の(普通の)間に於て感じる或る除外された心持は、同じそう云う原因から来るのだろう。


五月十五日

「新生」の全部を読終って自分の胸に残ったものは、愛の深大な力の与えるもの、育てるものの価値である。愛は一切であると云う心持さえ起る。藤村氏に比して、節子という人の心の力の大きさを思う。或人は彼女が女性であるが故に、そう一本気になれると云うかもしれない。けれども、女性である彼女が、生命の価値を其処にまで深め得た力は、藤村氏の心とは又異ったものがあるのではなかろうか。然し此の小説は自分に種々のことを思わせる。つまりは有難い人の心である。


五月二十日

 浅草の帝国館に行って、マグダラのマリアを女主人公にした、リデンプションを見た。十字架を負うたキリストが、群衆に嘲笑されながら刑場にかれて行くのを見たら涙がこぼれた。哲人よ、

 私共の始めて、私共二人ぎりに成った夜が一年目に還って来た。Aは、私の頭を撫でながら、「自分は皆あらいざらいの自分の過去を貴方に話してきかせた。けれども、貴女の過去については、只断片的に知って居る許りで、まとまったことは知らない。勿論、自分の最も愛する者のことは何でも知りたい。然し知らなくっても真の愛には差異は起らないけれども。」と云った。貴方は、御自分の過去に誇りを持って居らっしゃる、然し、私はそうでない。我が愛する者よ、愛する者よ、私は貴方によって、自分の愧じる過去から救われると思ったのだ。又そう努力して居る。然し屡〻、自分は、自分を生れた時から掴んで居る或弱点に負かされそうな瞬間を経験する。

「カラマゾフ兄弟」の中のカテリーナが、自らの憤りを愛して、ミチャを愛して居ると思うのは穿うがった心理である。彼女は、自らの憤りを愛するが故に、愛でミチャを征服しようとしたのだ。斯ういう場合のみでなく、人は自己の情慾を愛するが故に、その良人或は妻を愛すと詐称する時がある。


五月二十九日

 自分は仕事が出来ないから、何処へか山にでも行くと云ったら、Aはひどく泣いた。

 センチメンタルという点で、彼は非難に価する。然し彼の境遇の回顧は、十幾年かで日本へかえって、たった二月許りで、自分に仮令暫時でも別れる、ディスターブされるからと云われるのは辛いのだろう。彼は妻である you my baby!


六月十八日 開成山にて。

 午後皆が垣根の手入れを仕始めたので、自分も手伝いに下りて、一寸大鋏を使ったら、手が震えて此那字ほか書けない。非常に自分の弱さが不愉快である。

 筋肉の強弱と意志とは何等かの関係を持つのではあるまいか。体をかためるために swimming をしたいと思う。

底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年520日初版

   1986(昭和61)年320日第5

入力:柴田卓治

校正:青空文庫(校正支援)

2013年819日作成

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