日記
一九一九年(大正八年)
宮本百合子



十二月四日

 嵐のあとを追って、船が進むためか、噂に聞いた程船はあれない。

 ビクトリアを出て一夜立った今日も空は一面に明るく、水浅黄に晴れ渡って、船腹に当って散る波は、深い藍色の波頭に瞬間の美しい金色の虹をたてる。

 寒さに身を引きしめながら、何かたのしい、何か心のわくわくする気分で身を揺って居るように見える海は安逸な旅客をのせた小船をかこんで、さも愉快そうに見える。


 起きるとすぐ甲板を歩きながら、私はその平明な冬の海の上を、Aが同じあの足取りで、ポクポクと彼方に歩いて行く姿を眺める。

 其は只其那気がする丈なのではない、真個ほんとに見えるのだ。

 あの波止場の板敷の上を歩いて人にかくれ、荷にかくれて、段々小さくなって行った通りに、Aがポクポクと正面を見て歩きながら、ポツリと小さく消え去ってしまう。

 此の気分は、不思議な淋しさを誘う。思わずその線をながめてあのとき船で思ったようにもう一度振返って手を振ってくれればいいと云う心持がする。

 不思議な淋しさ、それに引かれて行くような心持のする淋しさ。カタカタと云う靴の踵の音まで、私にはするような心持がする。

 別離の苦痛は、私共にとって、互の理解に対して、決して運命の決定的なものではない。けれども、感情に於て圧える事の出来ない哀愁、それは感情的であるが故に、一層まとまりのないものであり、且つ、深いものである。

 愛し合った二人の人間が引分けられると云う事は、決して、点の如き感じを持って居るものではない。

 力を相互から発して引合う大きな二つの立体が相面した一面から、相吸引する磁力の、絶えざる牽引のもつ、希望と苦しみである。

 別れて居ても二人の愛に相変るべきものがないとは□りながら、その推理が全魂の信仰に至るまでの悲しく淋しい心持。


○船は二万トン位でありながら、荷船と云うので、船客のわりに荷が多い、

○婦人監督と云う人に会う、女学校の教師か舎監

○体の小さい、息を切って、気焔を吐く、妙に落付かない、不幸そうな婦人──婦人の進むべき道、本然への道。

○此を書いて居ると、荒木の事を何か云って居るらしい声がする。本質のよきものへの祈願

 生活の淋しさは、感情的と、理論的との動機を持って居るのではあるまいか

○人情で理会し合い得ても、プリンシプルに於て合一し得ない人の中に入っての生活は深い、淋しさを味わせる。

 Aを、miss する気持は、そう云う点から云っても深い。

○稲畑さんの御嬢さんは、ちっとも性的生活と云う事を知らない。結婚の当夜彼女の heart shock の多いことを思うと深い心持に成る。

 何にも知らないで良人を、どう思うか。

 性交と云う事をまるで知らないものの純けつさと大胆淫とうに見えるほどの純潔。感情生活の単純なときの理智的。


十二月六日

 午後五時頃

 丁度満月が、緑色のしなやかな波の上に照って居る。

 霧でかすんで──大きな日暈ひがさにとりかこまれた月は、長いゆれる尾を引いて幻の優しい愁しい気分をもって、上って居る。鈍い、深い黒潮の上に月の差す所丈は銀緑に光るのである。

○今日は朝から、不思議な憂鬱と淋しさを感じる。眼が見える。ゲームをしてもいやしい人の心が直ちに感じられる。

 シアトルで最後の晩、床の中で、かすかな明りをうけながら、じっと私の顔を見て居た、その眼が絶えず私を見る。

 その眼の前に、人間の心のいやしさがむき出される。


十二月九日

 夜、非常に淋しい。淋しい。非常に淋しい。友達と多く話して居ても、芳子さんと一緒に甲板を歩いて居ても、心の底には絶えない淋しさが流れる。寂寥である。

 Sの腕に抱かれないでは癒されない淋しさである。

 その淋しい沈んだ心の前に現われて来る他人と云うものは何故ああ云う風に他人に無関心な蕪雑な、利己的なものなのだろう。淋しさは自分の心を狭く小さく、主我的なものに仕て仕舞うのか。

 淋しい者の心は──淋しさを知って居る者ほか分らないのだろう。深い愛、深い深い生命と倶の愛。


十二月十一日

 自分の此頃の心持を考えて見ると、人間の生活の中に起って来る危期と云うものは、種々な場合と形とを取るものである事を知った。

 高木氏に対する自分の心持は、勿論好きと云う程度を出るものではない。しかし、Aに遠くはなれて、彼を miss する心持は、却って一面から云うと、高木氏に近づかせるような傾向を持って居る。

 不思議なものだ。危いものだ。人間の心は誰も保証は出来ないのだ。

 理論は微妙な心の間際にまで及ぼされなければならないのだ。人気の少なく成ったパーラーの一隅には、英国人が四人でトランプをし、ピアノに一人の若い男が美くしくセルナードを奏して居る。

 嵐を期待した、暗い、波の高い海の上を船は滑って行くのだ。種々の愛と、野心と不安とをのせて行くのだ。


 船が揺れるように成って来ると、船に強い人は、故意か自然か、もっと船の揺れる事を望むような事を云う。

 船が揺れて、苦しい、さむしい気分に成って居るものに向って、平気でほこらしそうな事を云うのも不自覚な自尊心、


十二月十三日

 船の中での生活が続くに連れて、Aを持たない自分の生活の淋しさを痛切に思わずには居られない。

 真個に半身を持たない淋しさである。私と一緒にいつも歩いてくれ、話してくれ、心持の交通を楽しむ者は、何処にも居ないではないか。

 半身のない淋しさ、その淋しさ、


 十二月十三日

 ダンスがある。

 船は十二月の北海の波の上に揺れて居る上に、美くしく□った人々が楽しげにおどって居る。

 が、淋しい、浮いたものの上に楽しげにして居てあれ等は互にどんな張合を持って居るのか

 私がアメリカ帰りで生意気だと云う事を云うものがあるそうだ。

 それは、私は欠点も持って居るだろう

 然し何故そのよい心のままを持ってくれないのか。

 各自の生活は違う、

 自分の、生活の感情の上かわをさすって行く生活に感じる悲しみを理会してくれる者は此の一舟の中に幾人居るのか、高木さんはすきだ。が、彼も彼の生活を生活して行くのだ。孤独な心持がする。独りなのだ。自分の悲しむ心を、無言のうちに解って感じてくれる者をプレシアスに思わずには居られない。Aよ、Aよ。

 自分の生活の鼓舞者よ、私共は助け合って行きましょう。真の愛、人は皆それ求めながらその僅かなあらわれも悪意で苦しめるのだ。愛、自分は淋しい孤独のうちにいよいよ人間の愛を思う。

 思うにつれて此生活の現在が淋しく思われて来る。

 生活の純真な芽に如何どんな苦痛を与えるのか、其を知ろうともしないのだ。無責任な人々よ。


 十三日

 皆は丸く成ってパーラーから下のダンスを眺めて居る。賑やかな音楽につれて波立った人の心は皆楽しくにぎやかにゆれて居る。その中にたった一人混った自分の心の淋しさは誰も知るものはないだろう。

 其を知りながら、何故自分は此の無関心な、心の理解のない中を去ろうとは仕ないのか。私は知らず知らず、慰撫を求めて居るのだ。

 誰も私に対して持っては居ない鼓舞と、□□□を得ようとして無意識に人の中に身を置いて居るのだ。

 そして、終には矢張りAの心へ戻って行くほか道はないのだ。


 十二月十三日

 生活の真の淋しさを痛感せずには居られない。

 人間の種々な性格の中には、種々の力の傾向があるから、ある理想に対して、fail する事はある。然し、誰が誰を裁き得ようぞ。

 愛が足りない。生命に対する愛が足りない。人間のうちにある真実の正しさを、皆外面的な常套で被おうとして居る。

 人間のうちにある神性を何故認めようとは、しないのだろう。

 稲畑さんのお嬢さんの云う通り、世の中に決して、私が一人何かを持ったものではあるまい、然し、又彼女が云った通り、正しさに対して戦う意志がないのだ。

 生命の本然を、世間のために破られる事は恐ろしい。然しそうなって居たのだ。

底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年520日初版

   1986(昭和61)年320日第5

入力:柴田卓治

校正:青空文庫(校正支援)

2013年119日作成

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