モルガンお雪
長谷川時雨
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一
まあ!
この碧い海水の中へ浸ったら体も、碧く解けてしまやあしないだろうか──
お雪は、ぞっとするほど碧く澄んだ天地の中に、呆やりとしてしまった。皮膚にまで碧緑さが滲みこんでくるように、全く、此処の海は、岸に近づいても藍色だ。空は、それにもまして碧藍く、雲の色までが天を透かして碧い。
「まあ、何もかも、光るようね。」
「碧玉のふちべというのだよ。」
と、夫のジョージ・ディ・モルガンは説明した。
お雪は、碧い光りの中に呆やりしてばかりいられなかった。
白堊の家はつらなり、大理石はいみじき光りに、琅玕のように輝いている。その前通りの岸には、椰子の樹の並木が茂り、山吹のような、金雀児のようなミモザが、黄金色の花を一ぱいにつけている。
岸の、弓形の、その椰子の並木路を、二頭立の馬車や、一頭立の潚洒な軽い馬車が、しっきりなしに通っている。めずらしい自動車も通る。
「ニースって、竜宮のようなところね。」
お雪は、岸から覗く海の底に、深い深いところでも、藻のゆれているのが、青さを透して碧く見えるのを、ひき入れられるように見ていた。足許の砂にも、小砂利にも、南豆玉の青いのか、色硝子の欠けらの緑色のが零れているように、光っているものが交っている。
「あたしは、一度でも、こんな気持ちのところに、いたことがあっただろうか──」
お雪は思いがけないほど、明澄な天地に包まれて、昨日まで、暗い、小雨がちな巴里にいた自分と、違った自分を見出して、狐につままれたような気がした。
「巴里は、京都を思い出させたようだったからね。」
モルガンは、此処へ着くと急に、お雪が、昔のお雪の面影を見せて、何処か、のんびりとした顔つきをしているのが嬉しかった。もともと淋しい顔立ちだったが、日本を離れてから、目立って神経質になり、尖りが添っていたのが、晴ればれして見えるので、
「以前のお雪さんになった。」
と悦こんだ。
ニコリと笑ったお互の白い歯にさえ、碧さが滲みとおるようだった。
「何見てるです。」
と言われると、お雪は指のさきを、モルガンの眼のさきへもっていって、
「手のね、指の爪の間から、青い光りが発るようで──」
と眼をすがめて見ているお雪があどけなくさえ見えるのを、モルガンは、アハハと高く笑った。
「あなたは、ニースへ着いたら、拾歳も二十歳も若くなった。もう泣きませんね。」
「あら、あて、泣きなんぞしませんわ。」
「此処の天の色、此処の水の色、あなたを子供にしてくれた。気に入りましたか?」
お雪は、それに返事する間もなかった。急いでモルガンの肘を叩いて、水に飛び込む男女を、指さした。
「人魚、人魚。」
若い女の、水着の派手な色と、手足や顔の白さが、波紋を織る碧い水の綾のなかに、奇しいまでの美しさを見せた。
「西洋の人って、ほんとに綺麗ね。」
溜息といっしょに、お雪が呟くようにいうと、
「そのかわりあなたのように、心が優しくない。」
と、モルガンは妻の手をとった。
帽子をとったお雪の額をグッと髪の上までモルガンは撫で上げたとたんに、彼は叫んだ。
「おお、マリア観音!」
好奇にみちた彼の眼は素晴らしい発見に爛々と燃えて、
「うつくしい、うつくしい。大変に美しい。」
とお雪の頭を両手でおさえたまま、いつまでもいつまでも見入るのだった。
白皙の西洋婦人にもおとらないほど、京都生れのお雪の肌は白かった。けれど、お雪の白さは沈んだ、どことなく血の気の薄い、冷たさがあって、陶磁器のなめらかさを思わせる、寒い白さだった。それが、明澄な碧緑の空気の中におくと、広い額の下に、ふっくらした眼瞼に守られた、きれ長な、細い、長い眼が──慈眼そのもののような眼もとが、モルガンが日本で見た、白磁の観世音のそれのようだった。
と、いうよりも、いま、お雪の全体が、マリア観音の像のように見えたのだった。キリシタン宗門禁制、極圧期に、信者たちは秘に慈母観音の姿ににせて造ったマリアの像に、おらっしょしたのだという、その尊像を思いうかべるほど、今日のお雪は気高く、もの優しいのだった。
おお、あそこの岩窟のなかに据えたならば、等身の、マリア観音そのままだと、モルガンがお雪を愛撫する心は、尊敬をすらともなって来た。
「お雪さんを、わしは終世大事にします。」
模糊として暮れゆく、海にむかって聳ゆる山の、中腹に眼をやりながら、モルガンは心に祈るようにすら言った。
お雪は、そういってくれる夫の、眼の碧さから、眼も離さないで、
「あたしこそ、あんなに騒がれて来ましたのですもの、あなたに捨てられても、おめおめと日本へ帰られはしません。」
お雪の背中に手を廻して、モルガンはひしと抱きよせた。口にこそ出せないが、感謝と慚愧とをこめた抱擁だった。
──お互に、痛手はあるが、もう決して今日からそれをいわないことにしよう──
男の心にも、女にも、そんな気持ちが、ひしひしとして、二人の魂を引きしめさせた。
「ニースへ別荘をつくろうか。」
モルガンは気を代えるようにいうのだった。
モルガンにすれば、はじめてニースに来て見た旅行者ではなかった。幾度か華の巴里の華やかな伊達女たちと、隠れ遊びにも来ているのだが、不思議なほど清教徒になっていた。
一流のホテルが、各自にその景勝の位置を誇って、海にむかって建ち並んでいる。その前側が大きな弓型の道路で岸の中央に、海に突出して八角の建物のカジノ・ド・フォリーが夢の竜宮のように青ばむ夜を、赤々と灯を水に照りかえしている。
ホテルの窓々からも、美しい灯が流れ出しはじめた。山麓のそこ、ここからも竜燈のような灯が点りだした。天の星は碧く紫にきらめいているが、竜燈は赤く華やかだ。
「青い月。」
と、モルガンは、窓へお雪を呼んだ。
「こんな月、見たことありますか。」
え、とお雪はうっかりした返事をしていた。洛外嵯峨の大沢の池の月──水銹にくもる月影は青かったが、もっと暗かった。嵐山の温泉に行った夜の、保津川の舟に見たのは、青かったが、もっと白かった。
宇治橋のお三の間で眺めた月は──といいたかったが、それは誰と見たときかれるのが恐くって、お雪は、ふっと、口をつぐんでしまった。
お雪に、竜宮城へ泊ったような夜が明けた。
お雪が長く見なれて来た、京都祇園の歌舞の世界は、美しいにはちがいないが、お人形式の色彩だったから、お雪はあんまり明澄すぎる自然に打たれると、かえって、覚めているのか現かわからない気がして、夢幻境にさまよう思いがするのだった。
全く素晴しい朝だった。天地の碧藍が、太陽の光りを透して、虹の色に包まれて輝いている。
「海の向うの、ずっと先方の方は何処ですの。」
「この碧玉の岸にも、椰子の樹が並んでいるでしょう。地中海を越した向うは、アフリカの熱帯地ですよ。それ、あすこがコルシカ島。先日話したナポレオンのこと知ってるでしょう。此処いらは海アルプス。この後の峰がアルプス連山。」
モルガンは細かく教えてくれて、散歩に出て見ようと誘った。
「ええ、あの椰子の下のベンチへ腰かけて見ましょう。」
「その前に、朝の市を見せよう。」
モルガンは花の市のように、種々な花があって、花売りの床店が一町もつづいている、足高路の方へお雪を伴った。
朝市には、ニースに滞在している人たちが、買出しかたがた散歩に出て賑わしかった。お雪はまた呆やりしてしまった。花の香に酔ったように、差出されるままに買いこんでは抱えた。何処から尾いて来たのか、籠をしょった、可愛い伊太利亜少年が傍にいて、お雪が抱えきれなくなると、背中の籠へ入れさせた。
「夫人、夫人。ああ好い夫人だ。お美しいお顔だ、お立派なお召物だ。」
花売りの女たちは、しきりに買手の女たちを褒めている。そうかと思うと、
「なんだ、お前なんかに、こんな好い花が買えるものか。この好い匂いがわからないんだ。けちんぼう女。」
と、いくら進めても買わない客の後姿に罵っている。
「あら、鮮魚が──」
お雪は、鮮魚の店へひっかかって、掬い網を持ってよろこんだ。
大きな盤台に、ピチピチ跳る、地中海の小魚が、選りどりにしゃくえた。ヒラヒラと魚躰をひるがえすたびに、さまざまの光りが、青い銀のような水とともにきらめいた。また一人の少年が、お雪のお小姓のように、すぐにそれを受けとっている。
お雪は、ふと、美しい着物は着ていたが、なんにも、購いたいものも購えなかった、芸妓時代の窮乏を思いうかべた。それよりももっと、幼年時代、新京極あたりの賑やかな町を通っても、金魚店の前に立っているだけで、自分で思うように、しゃくって買った覚えのない、丸い硝子玉の金魚入れがほしかった事を、思い出すともなく思いだしていた。
モルガンが払う金を見ていると、夜店の駄金魚を買うのとは、お話にならないほど高い金を、お雪の一時の興味にはらっているのだった。
青い迷送香、赤い紫羅欄花、アネモネ、薔薇、そして枝も撓わなミモザ。それはお雪の手にもモルガンの小脇にも抱えこぼれ、お供の少年の、背中の籠にも盛りこぼれるほどだった。
「この花を、室中へ敷いて、お雪さん休みます。」
と、モルガンはいっているが、黄金色の花が、みんな金貨のような錯覚をお雪に与えた。ダイヤモンドばかりでなく、自分の身からも光りが発しるような気がした。四万円で購われた身だということに、今まで妙に拘わっていたのさえ変な気がした。
こんなに親切にしてくれた男はあったか──お雪は、ミモザの花に埋もれたようになって、椰子の木影のベンチに、クタクタといた。
情人はあった。楽しかった人と、悲しかった人と──けれど、モルガンのような親切な男は、ない。
はっきりと、ない、と心にいって見ると、ふと、日光が翳ったように、そうでない、みんな親切なのだったのではないかと、はじめて気がついた。
楽しかった人──それは粋なことを書いていた、筆の人だった。悲しかった別れの人、それは京大法科の学生だったが、大阪の銀行にはいった人だった。
あの人たちは、モルガンが、こんなに良くしてくれるのを知って、わたしを幸福に暮させようとしてくれたのかも知れない。
そう考えると、お雪はホロホロとした。言葉もわからない外国へわたしをやってしまうなんてと、怨んだ事も、馴れて見れば、今日のような日もある──
お雪の心は、悲しいほど柔まっていた。
一生をモルガンにまかせて、何処ででも果よう、国籍は、もう日本の女ではないのだという覚悟が、はっきりした。
「パリと異って、こんな明いところでも、そんなに淋しいのですか。そのうちにまた京都へ行きましょう。」
モルガンは、お雪が望郷の念に沈んでいるのだと思って慰めた。
「いいえ、決して淋しくありません。」
どういたしまして、心淋しかったのは、かえって京都にいた時ですとお雪は言いたかった。それは、モルガンがお雪と結婚して米国へ一緒に立ってから、一年ほどして、京都へ遊びに帰った時のことだった。南禅寺の近く、動物園のそばの、草川のほとりの仮住みの別荘へ、
「あんた、油断してはならへんがな。」
と注進するものがあって、風波が立ちかけたことがある。
「あんた、先度お出やはった時に、わてに口かけときなさりながら、島原の太夫さん落籍おさせやしたやないか。いえ、知っとります、横浜へ、あんたさんの後追いかけて、その太夫さんがお出やしたことも。よう知ってますがな。」
と、やかましいことになったのだった。まだ、お雪の話が纏まらないうちに、島原遊廓の、小林楼の雛窓太夫を、モルガンが、内密で、五百円で親元根引きにさせたことを持出して、お雪はその時のことも、本当だろうと気にしたのだ。
一年ぶりで、花の春の、母国へ訪ずれて来たお雪は、知る人も知らぬ人も、着物も、匂いも、言葉も、懐しかったので、忙しなく接していた。恰度日本は、露国との戦争に、連戦連勝の春だったので、草川の家の軒にも、日米の国旗を掲げて、二人は賑かな心持ちでいた。
折もおり、丸山公園の夜桜も盛りであったし、時局の影響で遠慮していた、島原のものいう花の太夫道中も、その年は催おされた。
道中の真っさきには、若手の芸妓が綱をとって花車が曳き出され、そのあとへ、先頭が吉野太夫、殿りが傘止めの下髪姿の花人太夫、芸妓の数が三、四十人、太夫もおなじ位の人数、それに禿やら新造やらついて練り歩くのを、外国人の観覧席は特別に設けたという後だったので、お雪は雛窓のことを思い出して、カッとなったのだった。
──あたしの顔をつぶすのか──お雪は外出するのも厭な気持ちになってしまった。
お雪には、モルガンに、他に増花が出来たという噂がたつことが、何よりも愁いのだった。
だから、あんなに恋しかった日本も京都も、長居する場処でないとなると、フランスに帰ろうというよりほかはない。
「どうして、アメリカへお出にならないんです。」
と聞かれでもすると、モルガンが、フランスが好きなのですと答えたが、其処には、この夫婦が口にしないで、いたわりあっている、夫婦の間でも秘密にしていることがあったのだ。
──姉さんたちも、お母さんも、楽々と暮しているようだ──
それで好いのだ、わたしに後の心配はすこしもない。とお雪は叫びたかった。四万円の身の代金で姉さんは加藤楼の女将になっている。百五十円の月手当は老母の小遣いには、多いからとて少なくはない。
お雪は、ミモザの花と日光の黄金の光りのなかに、蜂のように身軽にベンチから跳ねおきて、
「さあ、もう、あたしは明るくなった。」
と、しっとりと濡れた心を、振りゆすって言った。
「カジノへ行って見ましょうか、あたしでも賭に勝つかしら。」
「いいえ、僕は、こんな快い気持ちのときに、君の胡弓が聴きたいのだ。どうぞ、弾いてください、梨の花のお雪さん。」
「それも好いでござんしょうね。」
お雪はさからわなかった。四万円のモルガンお雪と唄われたローマンスは、胡弓の絃のむせびが、縁のはじまりでもあったから、モルガンも今、自分とおんなじような思出にひたっていたのだなと、
「室へ帰って弾きましょうか、此処へ持って来ましょうか。」
「岸はあんまり人がいすぎるね、馬車も通るし。」
「でも、みんな、知ってたことですもの。」
お雪がほほえんでそう言ったのは、自分たちの情史は、あんなに評判されたからという意味だったので、モルガンは愉快に笑った。
──お雪が、二度と語るまい、また、弾くまいと、その時、モルガンと自分との恋のいきさつを、胡弓の絃に乗せて、あの、夢のような竜宮、碧藍の天地へ流したそれを、かいつまんで伝えればこんなことになる。
京都の、四条の橋について、縄手新橋上ルところに、小野亭というお茶やがあった。外国人ばかりをお客にするので、そこに招ばれる妓を、仲間では一流としない風習があった。
鴨川をはさんで、先斗町と祇園。春の踊りでも祇園は早く都踊りがあり、先斗町はそれにならって鴨川踊りをはじめた。そのまた祇園の歌妓、舞妓は、祇園という名の見識をもたせて、諸事鷹揚に、歌舞の技業と女のたしなみとを、幼少から仕込むのだった。
縫いの振袖に、だらりに結びさげた金襴の帯、三条四条の大橋を通る舞妓姿は、誰が家の姫君かと見とれさせるばかりだった。そうした舞妓時代を経ないものは、祇園の廓内でも好い位置を保てないのが不文の規則なのだ。出入りのお茶やにも格があったのだ。
十九のお雪に、小野亭の仲居がささやいた。
「あんたを、あの外国人が、ぜひ梅が枝に連れて来ておくれと言うてなさるが──」
梅が枝は円山温泉の宿だった。
「モルガンさんいうて、米国の百万長者さんの、一族の息子さんやそうな。」
日本の春を見に来たモルガンは、沢文旅館の滞在客で金びらをきっていた。
二
金持ちや美男に、片恋や失恋などがありましょうかと、簡単にかたづけられてしまいそうだが、恋というものの不思議さは、そこだといえないでもない。
およそ、見るほどのものを陶然とさせ、言い寄られた女性たちは、光栄とも忝じけなしとも、なんともかとも有難く感じ奉ったあの『源氏物語』の御大将、光る源氏の君の美貌権勢をもってしても、靡かなかった女があったと、紫式部が、当時の生活描写を仔細にとり入れて書いた作さえある我国である。
金と男ぶりとだけがものをいうのなら、むかしゃ仙台さま殺しゃせぬで、新吉原の傾城高尾の、大川の船の中での、釣し斬りの伝説は生れはしない。
米国の百万長者、モルガン氏の一族で、未婚で、美貌な、卅歳の青年も、お金と美貌だけではこの国の女は思うままにならなかったのだ。
要約すれば、明治卅年ごろは、金の威光が今ほどでないとはいわないが、女の心が、物質や名望に淡かった。廓の女でも、躰は売っても心は売らないと、口はばったく言えた時代で、恋愛遊戯などする女は、まだだいぶすけなかったのだ。──すけなかったというので、なかったとはいえない。甚だよくない言いかただが、男地獄買いという嫌な字と、貴婦人醜行という拭えないいとわしい字があるが、それは、他のことで、その時代を書く時に、そんな嫌な言葉を生んだ風潮を弁明して、全の女性に負わせられた恥辱をそそごう。
ところで、ここにまた、不思議なことに、かつて成恋した男性を奪うということは、ある種の女には誇りとする傾きがある。その代りにまた、失恋した人、厭われた男ときくと、その人を見下げないと、自分の沽券にさわるように見もしかねない。だから、あんな奴にと思うような男に多くの女がひっかかって、恋猟人の附け目となり、釣瓶打ちにもされるのだ。
そこでモルガン氏に帰れば、彼は、米国から、失恋の痛手を求めに、東洋へ来たのだと、何処からとなく知られていた。フランスでも癒されない恋の痛手を、慰撫してくれる女を、東海姫氏国に探ねて来たのだと噂された。
しかし彼は、かなり金ビラをきって情界を遊び廻り、泳ぎまわった割合に、花柳の巷でさえ、惚れた女を、幾度も逃している。
モルガンは、お雪と逢ったはじめは、お雪の十九の年で、あっさりと別れているが、お雪の廿一の年に来て恋心を打明け、廿三のときに正妻に根引きした。それが三度目に日本へ来たときのことで、その後、結婚して帰国した次の年に一度、また次の年に来て、それきりモルガン氏も日本へは、バッタリ来なくなってしまったのだ。
お雪との交渉もまだはじまらない時分、京都へも足を踏み入れない前に、モルガンは惚れた人がある。それは、芝山内の、紅葉館に、漆黒の髪をもって、撥の音に非凡な冴えを見せていた、三味線のうまい京都生れのお鹿さんだった。
お鹿さんは、お雪とは、全然容子の違う、眉毛の濃い、歯の透き通るように白い、どっちかといえば江戸ッ子好みの、好い髪の毛を、厚鬢にふくらませて、歯ぎれのよい大柄な快活な女だった。
お鹿さんは江戸の気性とスタイルを持った京女──これは誰でも好くわけだ。前代の近衛公爵のお部屋さまになる女だったが公爵に死なれてしまった。筆者が知っている女では、これも、先代か先々代かの、尾張の殿様をまるめた愛妾、お家騒動まで起しかけた、柳橋の芸者尾張屋新吉と似ている。私が新吉を知ったのは、愛妾をやめたあとだから、幾分ヤケで荒んでいたが、当代の市川猿之助の顔を優しくして、背を高くしたらどこか似てくるものがある女だった。
「おしかさんは、支那の丁汝昌が、こちらにお出になったころ、とても思われていたのですよ。」
と、ある時、紅葉館で、一番古参だったおやすさんという老女が、わたしにしみじみ話してくれたことがある。
「おしかさんの傍をお離れにならないで、それはお可哀そうだったの。」
それでも、おしかさんは、みんなが別格にあしらっていたほど、近衛さんの思いものだったから、丁汝昌は清国へかえってからも、纏綿の情を認めてよこしたといった。
日清戦争がはじまってからも、水師提督はおしかさんを忘れなかったのだということを、お安さんは知っていたという。だが、二十八年二月、日本海軍が威海衛を占領した時に、丁汝昌は従容と自殺してしまったのだ。
その後、幾度か、あたしはおしかさんの秘話を聞いて、一人の女性の運命と、生きていた時代との記録を残しておきたいと思いながら、その機会を失って、今では、当のおしかさんも、おやすさんも死んでしまったので残念におもっている。
丁汝昌の死は、モルガンが最初に来た年より、ほんのすこし前のことなので、おしかさんがモルガンの懇望も相手にしなかったのは当然のことだが、モルガンにすれば、おしかさんの京なまりが懐しかったのであろう。京都へいって、そこでも三代鶴やその他の一流の舞妓に目をつけた。
外国人の客を専門の縄手の小野亭は、お雪の世話をよくしていた。おとなしいお雪が、胡弓を弾くのを、モルガンは凝と聴いている時があった。傷ついた心をともにむせび泣いてくれるような、胡弓の絃の音がお雪の心情のようにさえ思われて来たが、
「この胡弓をもらって行く。」
と言出したのは、二度目に日本へ来た時だった。
「お雪さんも連れて行きたい。」
といったが、その時、お雪には末を約束した学生があったが、そうとは言わず、今度逢うまでに考えておくというように、また来ようとは思いもかけなかったので、軽くいっておいた。それを信じたモルガンは、アドレスを書いた封筒を沢山渡していった。
次の年、といっても、半年もたたぬうちにモルガンは来て、なんでも根引きするといいだした。それは、こんな噂さえ立ったほどだ。お雪の兄さんが、三条あたりに理髪店を出していて、その人が、外国人でもモルガンほどの人にやるならと、独断で、その封筒を失礼してモルガンを呼んだのだと──
ダイヤモンドの指環のお土産があろうとも、お雪は未来をかけて約束した人にそむく気にはなれなかった。
「外国人はいやだす。」
と、すげなく断わっても、
「そりゃお雪、つれなかろうぞ。」
などと怨みをいうのとは違う。お雪が煩さくなって、病気出養生と、東福寺の寺内のお寺へ隠れると、手を廻して居どころを突きとめ、友達の小林米謌という人を仲立ちに、両手でも持てないほどの大きな籠に果物や菓子を一ぱい入れて贈ってくる。花束は毎朝々々来る。
そんなこんなのうちに、見舞われたものが、見舞わなければならない羽目になったのは、あわれ米国青年が、恋病らいのブラブラ病いになってしまったのだ。
「僕は、この胡弓を抱いて死にます。」
古い都の、古い情緒を命とするお雪には、そうしたセンチメンタルが、いっち成功する。
「でも、あたし、お妾はいやです。」
とまで、ギリギリと、決勝点近くまで、モルガンは押詰まっていった。
「お妾さんでない。お雪さん、あたくしの夫人です。」
モルガンは、ちゃんと正妻にして、立派に結婚するという。
なんといったらよいのか、断わるに断わりきれなくなってしまったお雪は、
「おっかさんが何と申しますか、よく相談して見て──」
最後の逃路は、母親よりなかった。古風な、祇園の芸妓さんのお母あさんばかりではない。まだその時分には、牛肉を煮る匂いをきらった老女は多かったのだ。異人さんではと逃げを張るのは、こうなると、母親が頼みだ。
しかし、お母さんを救いの手に持ち出したことは、古くさい日本的な断わり方だと笑えないほどのヒットだったのだ。その時モルガンは、燃えあがった若い血の流れる体を、冷い手で逆に撫でられたように、ゾッとしたものを受けとったのだ。
それは、誠によくない思出だった。彼が日本へ慰めを求めに来た失恋の所以は、相思の令嬢の母親によって破られたのだったからだ。彼は厭な顔をしないではいられなかった。なぜなら、紐育社交界の有名マダムより、なおもっと、日本の古都の芸者ガールの母さんの方が、ものわかりがわるく、毛唐人に対して毛ぎらいが甚だしかろうことは、いうまでもないと思ったからだ。
だが、モルガンは、真心でかかれと決心した。人種はかわっているとて、この、しおらしいところのある、古くさい人々。男性絶対尊重の女たちにまで、肘鉄砲をもらっては、それこそもはや、何処の国へいっても顔向けの出来ない男性の汚辱を残す。切り出したからには、今度は、なんでもかんでも成功しないではおかない──
モルガンが、そうした決心を固めている時、お雪の周囲でも、頭を突きあわせて相談がはじまっている。
親族会議の方では、古門前裏の小屋に、抱え主、親元、小野亭からも人が来て、つまるところは、金高で手をひくように吹っかけたらということになった。
「なんとしてもあんたさん、毛色の違うた男にはな。」
と、二の足を踏んでいる母親に、姉さんや叔母者人たちは、
「そないに雪が、気にいらはったのなら、加藤の家に養子に来てもろたらいいと、皆いうてですがと、そういうたらどうや。」
そら好い考えだと、それも一つの条件になった。
お雪はまた、浅酌の席で、贔屓になる軟派記者に、鼻声になって訴えている。
「あんた、面白がって、あてと、モルガンのことばかり書き立てずに、親身に考えておくれやす。あて、どうしても嫌どす。」
縮緬のじゅばんの袖口がちぢれるほど、ハンケチとちゃんぽんに涙を拭くのだが、相手は、
「そんなことは、他へいっていえよ。僕が泣かれたって、どうにもならない。お母さんたちのいう通り、うんと吹っかけて見るんだな。本当に惚れてなきゃ、いくら米国人だって酔狂で大金は捨てやしまい。」
お雪は、そんな相談を、心から思っている、修業盛りの学生にきかせて、頭を乱させる気はないので、その人には、なるべく、きかれても隠すようにしているのだった。
で、正妻でなくっては──から、養子に来る気ならば──になり、最後に四万円と切り出した。
四万円──現今なら、その位のお鳥目ではというのが、新橋あたりにはザラにあるということだが、日露戦役前の四万円は、今からいえば、倍も倍も、その倍にも価する金の値打があったのだろう。赤坂の万竜は、壱万円で、万両の名を高くしてさえいる。
祇園のある古い女がいった。
「世界大戦のあとで、なにもかも三倍になったので、パイのパイのパイという唄がはやりましたなあ、あれは倍の倍の倍ということなのどすえ。」と。
その、パイのパイのパイ時代になると、舞妓の帯も竜の眼にダイヤの大きなのが光るようになったが、モルガンはお雪に、四万円を、突然ズラリと並べたのではない。
金の封を切って、ばらまかなくては引っこみのつかない場合にせり詰ってもさすがにモルガン氏は、元禄の昔の大阪の坊ンち亀屋忠兵衛のように逆上しないで、静に、紐育から顧問の博士を呼んだ。ピケロー博士というのは法律か、経済学の人なのであったろう。
モルガンその時しずかに相談役を呼んだのも、もはや三年越しの恋ではあり、四万円の値札が付いたからには、他から物好きな競争者が出るまでは、ともかく無事、よその手生けの花となる憂いはないと考えたのでもあったろう。
で、第一条件の正妻は異議なし、第二の養子婿入りは絶対に無理であるから撤回、第三の問題は根引きの金は二、三千円から段々に糶上げて、即金二万円、あとは二千五百円ずつの月賦払いというのから、三万円即金の残り月賦と顧問氏は、算盤をはじきだした。
出るな、と見込んだからでは決してあるまいが、そうなるとお雪派の策士は、ますますもって四万円即金を頑張る。
ジョージ・モルガン氏、お雪さんを見初めたのは、勘平さんの年ごろだったが、その時卅四歳、纏まりそうでなかなかまとまらないのでオスヒスとなって、ある晩、ピストルをポケットに忍ばせ、
「こんなにスローモーションでは堪りません。蛇の生殺しというものです。それというのも、お雪さんの心がぐらついているからです。わたしは死にます。」
それは全く真剣だったので、お雪は途方に暮れてしまった。
「あなたを、そんなに苦しめるのもあたしからですから。」
と、止めていたお雪の方がヒステリックになって、川の岸に立った。どっちたたずの身の、やる瀬なさに、身を投げて死んでしまおうとしたのだ。
顧問博士もびっくらしたのであろう。早速四万円を取り寄せることになった。
そんなこんなが、古風な祇園町の廓中を震撼させた。
「まあ、お雪はんのこと聞きなはったか?」
と、寄るとさわるとその噂だ。
「四万円だっせ。」
豪儀なことや、という女もあれば、あんなに厭がってたのだから、あてが代っても好いというふうになっていった。
「ようおすな、四万円。」
「そうどすな、悪うおへんな。」
花柳界ばかりではなくなった。京都、大阪、東京──全国的な話題になった。
「噂が立ってしまってから、打明るのは愁いが、あて、どうしたら好いのか──」
お雪はある日、末はこの人の夫人にと、はかない望みを抱いていた、情人の机のかたわらに、身をすくめて坐っていた。
「僕はきいていたよ。君の出世を悦んでいるくらいだ。」
と、二十九歳になる、京大法科に通っている、鹿児島生れの、眉目秀麗な、秀才はいった。
「僕に尽してくれたのは有難く思っているが、果して、君と一緒になれるかどうかは約束出きないし、今、君がどうしろといったって、どうにもなりはしない。君は行く方が好い。」
お雪はその場合、死のうといわれたら、当惑するには違いなかったでもあろうが、そんなふうに、愛人が理智的にいってくれるのが、突っぱなされたようにさびしかった。
説明のしようのない、ただ侘しさ──お雪の心に残っているものが、心の中で清算しきれないうちに、結婚予定は進んでいった。
四万円は結納金ということになった。お雪は完全に妓籍を脱したのだ。
世間というものはおかしなもので、胡弓芸妓のお雪も、さほどパッとした存在ではなかったのに、モルガン根引きばなしが起ってから、メキメキ売れ出してきた。
しかも、だんだん金高が騰上ってゆくのにしたがって、人気が上っていって、一流のお茶やさんから引っぱりだこにされていた。勿論、一流のお客さんたちは、評判になった妓の顔も知らないとあっては恥辱とばかりに、なんでもかんでも呼んで来いということになる。お金持ちは我儘だから、そうなると、あっちの茶屋へいっているといえば、なんでも貰って来いというのが、古来、廓の女に関しては、ことさらに定法のようなお客心理だ。
それが、京都の客ばかりでなく、大阪からも来る、東京のよんどころない方だからちょいと来ておくれというふうにもなって、三、四日前から口をかけておかなければ、お雪に座敷へ出てもらえないというようになっていた。
お金をかけてさえそうだから、無代となると、これはまた大変、町を──何かの催しがあって、百人ばかりの芸者が歩いたときは、その中にお雪がいるといったものがあったので、どれだどれだという騒ぎになり、あれか、これかと、顔を覗かれて、
「あの時は、えらい目に逢いましたわ。」
と、今日残存の老妓はいっている。
結婚式の着附は──
「婿さんが洋服なら、あんたも洋服にしなされ。」
「そんなおかしなこと出来ますか。」
というので、もう十二月で新規注文はどうかという押詰まってから、急に二軒の呉服屋さんが招かれ、モルガンも日本服、紋附きの羽織ということになり、
「紋は何にしましょう。」
お雪さんは平安の都の娘だからも一つ古くいって、平城京の奈良という訳でもあるまいが、丸に鹿の紋を染めることにした。鴨川の水は、来春の晴着を、種々と、いろいろの人のを染めるなかに、この新郎新婦の結婚着も染められたのだ。年の瀬と共に川の水はそんなことも流してもいたのだ。
三十七年一月、横浜の米国領事館で、めでたく、お雪はモルガン夫人となり、アメリカの人となった。
新聞は、華燭の典を挙げたと報じ、米国トラスト大王の倅モルガン氏は、その恋花嫁のお雪夫人をつれて、昨日の午前九時五十二分新橋着の列車で横浜から上京したと書いているが、横浜のグランドホテルから東京の帝国ホテルへ移った時のことだ。
──花婿は黒山高帽子に毛皮の襟の付きたる外套を着して、喜色満面に溢れていたるに引きかえ、花嫁はそれと正反対、紺色の吾妻コートに白の肩掛、髪も結ばず束のままの、鬢のほつれ毛青褪めた頬を撫で、梨花一枝雨を帯びたる風情にて、汽車を出でて、婿君に手を引かれて歩く足さえ捗どらず、雪駄ばかりはチャラチャラと勇ましけれど、顔のみは浮き立たぬ体に見えたり。
と書いている。一等待合室に入って、お供の男女がチヤホヤしても、始終俯向きがちなので婿どのが頻りに気を揉んでいたが、帝国ホテルから迎いの馬車がくると新夫婦は同乗して去ったと、胡北へ送らるる王昭君のようだとまで形容してあるが、これは幾分誇張かもしれない。
三
競馬季節になった紐育社交界では、晩餐の集まりでも、劇場ででも、持馬をもったものはいうに及ばず、およそ話題は、その日の勝馬のことで持ちきっていた。
丁度、そうした時節に、夫の国に行きあわせたお雪は、ある日、競馬見物に連れていってもらった。
と、モルガンを見つけた若紳士たちは、すぐに彼を取りまいて、肩を叩いたり笑ったりして、お雪には、慇懃に握手を求めた。
お雪は、その人たちから、米国の婦人と同様に、丁寧にはされはしたが、好奇心をもった眼が集まってくるのが面伏せでもあり、言葉がよく分らないから、何をいわれているのかモルガンの顔の色で悟るよりほかなかった。
郊外の、みどりを吹く野の風はお雪を楽しませはしたが、競馬に気の立っている、軽快すぎる男女の饒舌は、お雪をすぐに、気くたびれさせてしまった。
モルガンは友達と打解けて話しあっていたが、
「帰ろうか。」
と、じきに競馬場から出てくれた。
此処へ来ても、お雪は、眼、眼、眼と、痛い視線を感じていたので、家庭へかえるとホッとして、
「お友達と、何の話してらしったの。」
と、きいた。モルガンは、あんまり気乗りのしないふうで、
「例の通り、お雪さんの身元しらべ。」
お雪は済まなさそうに、ほほ、ほほと、薄笑いした。
「また、刀鍛冶の娘だと、おっしゃったのでしょう。」
お雪はモルガンが、自分の生れを、日本の魂を打つ刀鍛冶の女だと吹聴し、刀鍛冶という職業は、武士の階級だといって、日本娘お雪を紹介するのを、気まり悪く思っているのだった。
──いいや、彼奴は、そうかとはいわなかった。それどころか彼奴がいうには、モルガン君、君の夫人は、芸妓ガールだと、最近来た日本人がはなしてたよといった──
そんなふうに、友人から、面皮を剥がれて来たことを、モルガンは押しかくして、
「彼は、どうして君のおくさんは日本服ばかり着ているのだというから、一番よく似合うからさといったのだが──」
モルガンのそういう調子には、何処か平日とは違うものがあった。
「実際うるさい奴らだ。」
お雪は、モルガンの楽しまない顔色を見てとって、ふと、競馬場で摺れ違うと、豪然と顔を反して去った老婦人に出逢ったからだと、気がついていた事を、それとなく言いだした。
「あの方ね、あの年をとった女の方、あれがマアガレットさんのお母さんですの?」
「お、どうして分りました。」
モルガンは隔てなく、椅子を近づけていった。
「お察しの通り、あの老婦人、マッケイのお母さんです。僕を厭った夫人です。」
エール大学の学生の時分から、思いあっていて、紐育モルガン銀行に勤めたのも、マーガレット・マッケイ嬢と婚約のためといってもよいほど急いだのだ。
「変ね、あなたが、お遊びになったからって、お母さんが破棄なすったのですって?」
日本の芸者お雪には、青年で、金持ちの息子が、すこしやそっと遊興したからって、思いあった娘をやらないなんという母親があるかしらとわからなかった。その時も、まだもっと、他の理由があるのではないかと、うなずけない気持ちだった。
「そんなことは、みんな、口実に過ぎない。」
と、モルガンはお雪の肩に手をおいた。
「フランスへ行って住まおう、あっちの館は好いよ、静かで──」
モルガンが父母と住んだ、壮麗な館は、レックスにあったが、彼は新妻と暮すには、パリが好いと言った。
「アメリカでは、仏教──お釈迦さまの教えは異教というのです。着物を着ている女は、異教徒だとやかましい。」
それもお雪には、わかったような解らない、のみ込みかねたものだった。
開けたアメリカにもまた、古い国の家柄とおなじようにブルジョア規約があるのだった。四百名で成立っている紐育金満家組合が、まず、ジョージ・モルガンを除名し、モルガン一家の親戚会では、お雪夫人を持つ彼を、一門から拒絶した。
お雪の生家では、出来ない相談として、モルガンに養子に来てくれといったが、モルガン一族は親類附合すらしないというのだ。
「日本であそんで、フランスへ行こうよ。」
「ええ、丁度お里帰りですわ。」
お雪は、日本へ帰れるのが嬉しかった。米国の社交界から、漂泊的な生活をしている上に、クリスチャンでない女と結婚したという理由で、非紳士的行動だと、追われるように立ってゆく、モルガンの悲しい心は知りようがなかった。
あの草川のほとりに仮住居していたのは、その時のことだったが、モルガンが浮気する──そんな噂に浮足たって、お雪はフランスへ永住のつもりで、二度目の汽船に乗った。いよいよもう何時帰るか故郷の見おさめだと思った。
みんな、行ったばかりの、パリの感想というものは、暗かった、古っぽかった、湿っぽかったという巴里は、恐そらくお雪にも、他の日本人が感じた通りの印象を与えたのだろう。すこしいつくと、あんな好い都はない、何もかもがよくなってくるというパリも、そこまで住馴染まないうちに、お雪はも一度京都へやって来た。
「今度は、お母さんと三人で住まおう。ちょうど、須磨に、友人の家が空いたそうだから。」
と、モルガンは優しい。
須磨では、のんきな、ほんとうに気楽な、水入らずの生活が営まれた。
「パリというところは、どんな処だい。」
と生母に訊かれると、
「古くさいけど、好いところもある。」
「雨はどんなに降る?」
「一日のうちに、幾度も降ってくるのどすえ、今降ったと思うと晴れる。」
「では、いつも傘持って歩いとるの。」
「いえな、誰も持ってしまへん。軒の下や、店さきに、みんなゆっくり待ってやはるのえ。東京の人のように駈けだすものありゃへんわ。フランスで、雨にあって、もうやむのがわかっていても、駈出すのは、日本人ばかりやいうけれど──」
「西京のものは、さいなことしやせん。そんなら、パリというところ、京都に似てるやないか。」
「しっとりした都会で、住んだら、住みよいところで、離れにくいそうやが──」
母子がそんな話をしているときに、モルガンの父の病気が重いという、知らせが来た。
幸福は永久のものではない。モルガンは一足さきに立ったが、父親には死別した。お雪は一月ばかりしてフランスへ後から帰った。それが母親への死別となった。
モルガンは、父の莫大な遺産を継いだ。お雪もパリの生活が身について来たが、やっぱり初めのうちは、デパートへ行けばデパート中の評判になり、接待に出た支配人が、友達たちに、お雪さんの観察評をしたりするように、煩さかったが、アメリカ社交界とはだいぶ違っていた。
シャンゼリゼの大通りを真っすぐに、パリの、あの有名な凱旋門の広場は、八方に放射線の街路があるそうだが、モルガンの住宅は、アベニウホッシュのほとりだという。
森とよばれる、ブーローニュ公園を後にした樹木に密んだ坂道の、高級な富人の家ばかりある土地で、門構えの独立した建築物が揃っているところにお雪は平安に暮してはいる。しかし、日本人ぎらいの名がたつと、誰一人付きあったというものがない。
マロニエの若葉に細かい陽光の雨がそそいでいるある日のこと、一人の令嬢と夫人が、一人の日本婦人を誘って、軽い馬車をカラカラと走らせていた。
「オダンさまの夫人。」
と、美しい夫人はいった。
「そのお邸が、モルガンさんのお宅だそうですが、お訪ねなすったらいかがです。」
フランスのオダン氏は、日本の美術学生の面倒を見るので有名で、世話にならない者はないほどだった。夫人は日本婦人で、お雪の年頃とおなじほどだった。
「でも、」
と、オダン夫人は考えぶかく同乗の女の好意を謝絶った。
「あまり、お逢いなさりたがらないそうですから──」
そうした、おなじ国の、おなじ年頃の、フランスの人になっている、おなじ京都の女性にさえお雪は往来がなかったのだ。生家へも、母親の死んだあとはあまり便りがなく、一昨年京阪を吹きまくった大暴風雨に、鴨川の出水をきいて、打絶えて久しい見舞いの手紙が来たが、たどたどしい仮名文字で、もはや字も忘れて思いだすのが面倒だとあった。
だが、母のない家へも仕送りは断っていない。財産管理者から几帳面に送ってきた。
お雪には子はないのか──誰も子供のことをいわないから最初からないのであろう。モルガンは四十三歳でこの世を去ってしまっている。
それは、世界大戦のはじまった時だった。紐育に行かなければならない用事があって、モルガンはお雪を残して単独で行ったが、フランスが案じられるし、ぐずついていると、ドイツの潜航艇が、どんなに狂暴を逞しくするかしれないと、所用もそこそこに、帰仏をいそいだのだった。モルガンが乗っていたのは、あの、多くの人が怨みを乗せて沈んだルシタニヤ号だった。どうも汽船ではあぶないという予感から、ジブラルターで上陸し、一日の差で、潜航水雷の災難からは逃れたが、どうしても死の道であったのか、途中スペインのセヴレイまで来ながら、急病で逝ってしまった。
それからのお雪は、異郷で、たった一人なのだ。
──来年あたり帰りたいが、一人旅で、言葉も不自由だというおとずれが、故郷へあったと聞いている。
それがもとでの間違いであろうが、祇園町にいた老女が、東京のあるところへ来て、
「お雪さんが帰って来てなさるそうや。昔の学生さんのお友達で、留学してやはった、大学の教師さんと夫婦になって──」
それは、誤伝の誤伝だった。あちらに長くいて、映画では東郷大将に扮したという永瀬画伯が、お雪さんだと思って結婚したとかいう婦人と、久しぶりで帰郷したことの間違いだった。その婦人は十歳位からフランスで育ち、ある外国人の未亡人で、女の児がある浅黒い堂々とした女だということだ。
お雪は、パリの家に、ニースにただ一人だ。いえ、ニースでは、イタリア人が一緒だったというものもあるが、モルガンのない日のお雪は、孤独だといえもしよう。
底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「春帯記」岡倉書房
1937(昭和12)年10月発行
初出:「東京朝日新聞」
1937(昭和12)年4月22日~5月7日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2007年9月5日作成
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