市川九女八
長谷川時雨
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一
若い女が、キャッと声を立てて、バタバタと、草履を蹴とばして、楽屋の入口の間へ駈けこんだが、身を縮めて壁にくっついていると、
「どうしたんだ、見っともねえ。」
部屋のあるじは苦々しげにいった。渋い、透った声だ。
奈落の暗闇で、男に抱きつかれたといったら、も一度此処でも、肝を冷されるほど叱られるにきまっているから、弟子娘は乳房を抱えて、息を殺している。
「しようがねえ奴らだな。じてえ、お前たちが、ばかな真似をされるように、呆やりしてるからだ。」
舞台と平時との区別もなく白く塗りたてて、芸に色気が出ないで、ただの時は、いやに色っぽい、女役者の悪いところだけ真似るのを嫌がっている九女八は、銀のべの煙管をおいて、鏡台へむかったが、小むずかしい顔をしている渋面が鏡に写ったので、ふと、口をつぐんだ。
七十になる彼女は、中幕の所作事「浅妻船」の若い女に扮そうとしているところだった。
「お師匠さん、ごめんなすって下さい。華紅さんが、他のお弟子さんと間違えられたのですよ。」
「静ちゃん、その娘に、ばかな目に逢わないように、言いきかせておくれよ。」
九女八は、襟白粉の刷毛を、手伝いに来てくれた、鏡のなかにうつる静枝にいった。根岸の家にも一緒にいる内弟子の静枝は、他のものとちがって並々の器量でないことを知っているので、
「静ちゃん、あすこの引抜きを、今日は巧くやっておくれ。引きぬきなんざ、一度覚えればコツはおんなじだ。自分が演るときもそうだよ。」
静枝は──後に藤蔭流の家元となるだけに、身にしみて年をとった師匠の舞台の世話を見ている。
名人と呼ばれ、女団十郎と呼ばれ、九代目市川団十郎の、たった一人の女弟子で、九女八という名をもらっている師匠が、歌舞伎座のような大舞台を踏まずに、この立派な芸を、小芝居や、素人まじりの改良文士劇や、女役者の一座の中で衰えさせてしまうのかと、その人の芸が惜くって、静枝は思わず涙ぐんだ。
鏡へうつる眼のなかのうるみを、見られまいとしてうつむくとたんに、九女八づきの狂言方、藤台助が入口の暖簾を頭でわけてぬっと室へはいって来た。
「どうしたんだ、叱られでもしたのか。」
そういうのへ、九女八は審しそうに顔を向けた。静枝へいっているのではないと思ったからだった。
「ははァ、からかったのはお前さんか。」
九女八は、若い女へ調戯たがる台助のくせを知っているので、口へは出さないが、腹の中でそう思っている。
「師匠、この次興行、浅草へ出てくれないかというのだが──」
静枝は、台助の顔を、睨むつもりではなかったが、そう見えるほど厳しく下から見上げた。今もいま、師匠のかけがえのない好い芸を、心の中で惜んでいたのに、このお爺さんは見世ものの中へ出すのか──と思ったからだ。
「なんだ。二人とも、妙な面あするんだな。」
座頭へむかって、仮にも、狂言方が、そんな、いけぞんざいな言葉がいえるはずはないのだが、台助は九女八の夫で、しかも、九女八に惚れ込んで、大問屋の旦那が、家も子も女房も捨て、小芝居の楽屋へ転がり込んだという、前身が贔屓筋ではあるし、今も守住さんで通っている亭主だったのだ。
「考えておきましょうよ。」
女房の九女八は、女団洲で通る素帳面な、楽屋でも家庭でも、芸一方の、言葉つきは男のようだが、気質のさっぱりした、書や画をよくした、教養のある人柄だった。
馴れてるとはいいながら、九女八の扮装は手早かった。水刷毛をすると、眉は墨をチョンと打って指で引っぱる。唇の紅は、ちょいとつけて墨をさして、すッと吸っておくばかりだ。
それでもう、生々した娘の顔になっている。子供のときから、御狂言師で叩き込んでいるので踊のおさらいのような、けばけばしい鏡台前ではなかった。筆は一本兎の足が一ツという簡素さだ。お茶とかき餅がすきなので、それだけは、いつも傍らにある。
「桂がさきへ帰るからね、晩御飯に、さんま食べるって──浅漬もとっといておくれ。」
湯呑みと手鏡を持って、舞台裏まで附いてゆく静枝にいいつけた。
根岸の家は茶座敷などもあって、庭一ぱいの鷺草が、夏のはじめには水のように這う、青い庭へ、白い小花を飛ばしていた。
そんな日の午前、紫の竜紋の袷の被衣を脱いで、茶筌のさきを二ツに割っただけの、鬘下地に結った、面長な、下ぶくれの、品の好い彼女は、好い恰好をした、高い鼻をうつむけて、そのころ趣味をもった、サビタや、メションや琥珀のパイプを、並べて磨いている。
養女の菊子に、台助が、意味をもった眼づかいをして、何か小用を、甘ッたるく言いつけているのを後にきいて、軽く眉をひそめていたが、台助が外出した気配にホッとしたようで、
「静枝さんは、依田先生のところへいったかい。」
「ええ、丁度、今帰りました。坂本の栄泉堂へお菓子を買いにいったら、帰りが一緒になりましたの。」
と、内弟子の華代子が、餅菓子を好い陶器の鉢へ入れて持って来ていった。
二人の内弟子のうち、華代子は他のものにはきらわれたが気に入りなので、師匠の小間使いをしている。静枝には海老茶袴をはかせて玄関番をさせ、神田小川町の依田百川──学海翁のところへ漢学をならわせにやるのだった。
「女役者だって、学問があって、絵が描けなければだめだよ。」
彼女も、用がなければ、サビタのパイプを弄る前には、絵筆を捻っているのだった。
けれど彼女に、守住月華という雅号のような名があるのは、絵を描くためではなくって、明治十一年ごろからはじまった、演劇改良会の流れで、演劇改良論者の仲間であった学海が、明治廿四年浅草公園裏の吾妻座(後の宮戸座)で、伊井蓉峰をはじめ男女合同学生演劇済美館の旗上げをした時、芳町の芸妓米八には千歳米波と名乗らせた時分だったか、もすこし後で、川上貞奴を援助に出た時だかに、彼女にも守住の本姓に月華という名を与えたのだった。
岩井粂八といった時分の弟子には、紀久八たちがあるが、月華になってからは、かつらとか、名古屋の源氏節から来た女にも、華紅とか、華代子とかいう名をつけた。新しい弟子の静枝も、学海居士が名づけたのだった。
彼女は、好物な甘いもので、苦いお茶を飲んで、閑かな日が、気持ちよげだった。
「こんやは一ツ、静ちゃんに『舌出し三番』でも教えるか。」
といったが、古い日のことを思出したのであろう、お前の踊の師匠だった、おとねさんは、しどいよ、と言った。
おとねさんという名をきくと、静枝は故郷の新潟の花柳界を思いだした。静枝の踊の師匠は、市川の名取りで、九代目団十郎の妹のお成さんという浅草聖天町にいた人の弟子だった。
「そういえば、お師匠さんが新潟へお出になった時、あたしはまだ小っぽけでした。お揃いの浴衣を着て、川蒸気船の着く、万代橋の川っぱたまで、お迎えに出ていましたっけ。」
「うん、そんなこともあったっけね。」
九女八は凝と、庭の鷺草を見つめた。
新潟の花街で名うての、庄内屋の養女だった静枝までが、船着き場へ迎いに並んだほど、九女八の乗り込みは人気があったのだが、それも、会津屋おあいといった芸妓が、市川流の踊りの師匠で、市川とねと名のっていたから、同門の誼みで、華々しく迎えたのだった。
土地の顔役で、江戸生れのお爺さん、江戸鮨の孫娘に生れた静枝は、直江津までしか汽車のなかった時分の、偉い女役者が乗込んで来た日の幼かった自分の事も、あの、日本海の荒海から流れ込んでくる、万代橋の下の水の色とともに目にうかべ、思い出していた。
「出しものは道成寺だ。勧進帳を出したのは、興行師らから、断わりきれない頼みだったんだ。そのこたあ、おとねだって知ってたのに。」
それがもとで、市川升之丞の名を取り上げられ、九代目団十郎から破門され、また岩井粂八の名にかえって、暫く蟄伏しなければならなかった、嫌な思出と、若かった日のことなども、それからそれへと、九女八も思いうかべている。
「お師匠さんは、新潟へ入らしった時から、九女八だったとばっかり思ってました。あたし、ちいさい時でしたから。」
「市川升之丞さ。」
九女八は、莨の脂の流れた筋が、飴色に透通るようになった、琥珀のパイプを透して眺めて、
「あたしは、一番はじめの、踊の名取りが阪東桂八さ。それから、女役者になって岩井粂八、それから市川升之丞、守住月華、市川九女八さ。」
随分とりかえたものさねと、自分のことではないような、淡々としたふうにいって、
「だが、師匠運は、ばかに好いのさ。阪東三津江というお狂言師は、永木三津五郎という名人の弟子で、まあ、ちょっとない名人だよ、高名なものさ。岩井半四郎は、大杜若と呼ばれた人の孫だったかで、好い容貌の女形だった。けれど、なんといったって、市川宗家ほどの役者の、門弟になったなあ、あたしの名誉さ。」
ほんとに、団十郎の芸には心酔している言いぶりだった。
「好い先生といえば、ねえ、お師匠さん、依田先生が、和歌も学んだ方が好いから、竹柏園に通ったらどうだと仰しゃって、入門のことを話しといてあげると仰しゃいました。」
「そりゃあ豪儀だな。」
ふくみ笑いを、ほんとに笑ってしまって、
「学問は上達しても、踊が、あれじゃあなってねえな。お前たちのは、踊ってるんじゃなくて、畳を嘗めてるんだ。」
機嫌の好い皮肉だった。
「あっしゃ全体、神田の豊島町で生れたんだけれど、牛込の赤城下に住んでたのさ。お父さんはお組役人──幕末の小役人なんざ貧乏だよ。赤城神社の境内に阪東三江八ってお踊の師匠さんがあってね、赤城さまへ遊びにゆくと、三江八さんのところの格子につかまって覗いてばかりいたのさ。」
呼びこまれて踊ってみると、見覚えで踊れた。それから親には内密で教えてくれたのだが、お母さんが肩を入れだして、どうかお父さんに許されるようにと、何かの祝事のあった時、父親やその仲間のいるところで本式に踊らして見せたので、その後、直に父親を歿なしてからも、十三、四から踊りの手ほどきをして、母親と二人で暮していけたのだがと、めずらしく身の上ばなしをしだした。
「お文さんという、常磐津の地で、地弾きをしてくれる人が、あたしを可愛がってね。小石川伝通院にいた、高名な三津江師匠のところへ連れてってくれたのだが芸は怖い。」
と彼女はふとい息を吐いた。
「それまで、あたしが踊ってたのは、手ふりさ、踊りなんかじゃないのさ。それから、本当の踊りをしこまれた。」
「そういえばお師匠さん、高橋お伝をおやんなさったことがあるでしょ。」
「ああ、たしか明治十七年ごろだった。」
「いいえ、もっとあとで、見た人が、お伝になった、お師匠さんの扮装を見て、お師匠さんの若い時分──年増ぶりを見た気がしたって、言ってました。」
「あッしゃあ、あんなじゃなかったよ。」
苦りきったかげが唇をかすめたが、湯呑の銀の蓋をとって、お茶を飲んでしまった。
「もっとも、あの着附は、あの時分の年増の気のきいた好みさ。だが、あッしばかりじゃない。全体、あの『綴合於伝仮名書』というのは、いつだったかねえ、お伝の所刑は九年ごろだったから──十一、二年ごろに菊五郎が河竹黙阿弥さんに書下してもらって、そうそう裁判所のところが大詰に出るので、大道具長谷川勘兵衛さんと、裁判所まで行ったんだよ。なんでも、その時の話に、おでんという女は伝法な毒婦じゃなくって、野暮な、克明な女だから、そういうふうに演るっていったことだが──そうかも知れないね。お伝は、上州沼田というところの御家老の落し種で、利根の方の農家のところで生れたのだそうだから。」
「でも、お師匠さん、すこし根下りの大丸髷に、水色鹿の子の手柄で、鼈甲の櫛が眼に残っていますって──黒っぽい透綾の着物に、腹合せの帯、襟裏も水浅黄でしたってね。そうだ、帯上げもおなじ色だったので、大粒な、珊瑚珠の金簪が眼についたって。」
朝、目が覚めて、蚊帳から出た時に、薄暗い庭の植込みに、大輪な紫陽花の花を見出すと、その時の九女八のおでんが浮びあがるといったことや、それは、浅草蔵前の宿で、病夫浪之助を殺して表へ出た時の着附だったか、捕まる時のだか、そんなことはもう、朧げになってしまっているといってたのを、はなした。
「お師匠さんは、あんな役、厭いなんでしょ。」
「まあね、いって見れば、あたしは、女団洲と呼ばれたくらいだし、自分でも、団十郎のすることの方が好きだから──わかりもしないくせに、高尚ぶってるといわれたりしたけれど、もともとお狂言師は、生世話物をやらなかったからねえ。それが癖になってて、新世話物に行けなかったのかも知れない。」
──けど、おかしいわ、ちっと──
そうそう、新入門の、とし子さんならば、そうハキハキと問えるかもしれない、と考えながら、静枝は、
「でも──それでも、お師匠さんは、もっと新らしい、書生芝居にもお出なすったのでしょう。」
九女八は、理窟を言う、静枝のみずみずした丸い顔を見て、
「あたしは、こんな、小さな柄だけれど、毛剃だの、熊谷の陣屋だの、あんなものが好き。山姥なんぞも団十郎のいきで、彫刻のように刻りあげてゆきたい方だが、野田安さんて、松駒連の幹事さんで芝居に夢中な人が、川上さんのお貞さんを助けて出ろと、なんといってもきかないのでね、芸は修業だから出もしたし、それに文士方の新史劇の方は、──史劇は団十郎も気を入れていたのだもの。」
彼女はふと気を代えていった。
「お前さんも、あんな、抱えの芸妓衆や、娼妓が、何十人いるうちの、踊舞台だって、あんな大きなのがある、庄内屋さんの家督娘に貰われてて、よくよく芸が好きなればこそ、家を飛出してあたしんとこなんぞの、内弟子になってるんだから、よく覚えてくれなけりゃあ、しようがない。」
そら、お談議になったと、静枝がかしこまって、閉口しかけているところへ、
「今日、お髪、お染めになりますか。」
と、風呂の支度をする女中がききに来たので、静枝は、やれ助かったとホッとした。
二
──降り出した雨。
ト、舞台は車軸を流すような豪雨となり、折から山中の夕暗、だんまり模様よろしくあって引っぱり、九女八役は、花道七三に菰をかぶって丸くなる。それぞれの見得、幕引くと、九女八起上り合方よろしくあって、揚幕へ入る──
蚊のなくように、何時、どこで、なんの役でかの、狂言本読みの、立作者が読んできかす、ある役の引っこみの個処が、頭の奥の方で、その当時聴いた声のままで繰返してきこえる。それについて、その役の、引っ込みの足どりまで、九女八は眼の前の、庭の雨を眺めながら、考えるともなく考えているのだった。
──はて、この役は、女だったかな、男だったかな──
ながい舞台生活は、華やかなようでも、演る役は、普通生活とおなじで、そうそう他種類はない。自分についた持役は大概きまっていて、柄にない役はもってこないのだが、どうしたことか、今考えている役がなんだか、九女八には思いだせない、それに、なんでも思い出さなければならないことでもない。と、そう思うかげに、ながい間役者をしたが、とうとう、団十郎と一つ舞台に並べなかったという、何時も悲しむさびしさが、心の奥を去来していた。
「あたしは、考えかたが、間違ってた。」
九女八は、鷺草の、白い花がポツポツと咲き残るのへ降る雨が、庭面を、真っ青に見せて、もやもやと、青い影が漂うようなのに、凝と心をひかれながら、呟いた。
「なにがよ。」
芸者や、役者の配り手拭の、柄の好いのばかりで拵えた手拭浴衣を着て、八反の平ぐけを前でしめて、寝ころんだまま、耳にかんぜよりを突ッこんでいた台助が、腑におちない顔をした。
「なんてって──」
九女八は、まだ、素足の引っこみの足どりの幻影を、庭の、雨足のなかに追いながら、
「成田屋のうちの庭は、あすこらあたりに、大きな、低い、捨石があったっけが──」
と、自分でも思いがけない、話の本筋とは違うことを、ふいと、口に浮び出したままいった。
「お歿なんなすってからも、居間の前の庭は、当時そのままだから──」
九女八は、一木一石といったふうの団十郎の家の庭に、鷺草が、今日も、この雨に、しっとりと濡れているだろう風情を、思うのだった。
台助は、なんとなく顔をあげて、庭もせから、部屋の中を見廻した。其処には、自分の趣味なんぞ半欠けらもなかった。九女八の好みであり、それは、彼女が私淑した成田屋好みである、書画、骨董、それら、人格に深みを添えるたしなみが、女役者の住居とは思わせなかった。
「高田先生(早苗)は、あたしを女のままで、女役にして、団十郎の相手を演らせてくださろうとなさったのだったと、はじめて──始めて、わたしは気がついた。」
九女八の唇は細かくふるえている。ちらりと、それを、台助は見ないのではないが、
「今更おそい──か。おくれたりだなあ。」
同情しながら、わざというのかもしれないが、おひゃらかしたふうにもとれた。が、九女八はそれにはかまわず、
「師匠の芸の神髄を掴んだ、と思ったのは真似だけだったのか──師匠は、女団洲なんて、嫌だったろうなあ。」
「だってお前、団十郎だって、高田さんにそういったってじゃねえか、九女八が男だと、対手にして好い役者だって──だから、お前が、女に生れたってことが、師匠といっしょに演れなかったということなんで、生れかわらなきゃ、頭から駄目だったのだ。」
「そうじゃありませんよ、静枝やとし子さんの考えを見ても、川上さんや、依田先生たちのことを思い出しても、あたしは、毛剃や、弁慶が巧かったのがいけなかった。」
「高田先生は、そのつもりだったのかも知れないが、宗家はそうじゃなかろうぜ。」
「あたしを女優──女形として、相手にはしなかったろうとですか?」
「そうじゃないか、彼女は立派な役者だ。男だったら、俺の相手だがと、だから、高田先生に言ったんだ。」
「いいえ。」
九女八はしみじみとして、
「あたしがねえ、小芝居ばかりに出ていたので、どうかして、あれを止めねえものかと仰しゃってたそうだから──」
緞帳芝居──小芝居へ落ちていた役者は、大劇場出身者で、名題役者でも、帰り新参となって三階の相中部屋に入れこみで鏡台を並べさせ、相中並の役を与え、慥か三場処ほど謹慎しなければ、もとの位置にはもどさない仕来りがある、階級的な差別の厳しいのが芝居道だった。
九女八は、下谷佐竹ッ原の浄るり座や、麻布森元の開盛座を廻り、四谷の桐座や、本所の寿座が出来て、格の好い中劇場へ出るようになるかと思うと、また、神田の三崎町の三崎座に女役者の座頭になってしまったりする。その上に、勧進帳のことで破門されたりして、九代目に芸を認めてもらえながら、引上げてもらう機運をはずしたのだと、もう、どうにもしようのない侘しさを、噛んでいる。
「二銭団洲だって、歌舞伎座を踏んだのにな。」
台助は、はずみで、そんなことを言ってしまってから、しまったと思った。九女八が苦い顔をしたからだった。二銭団洲とは、下谷の柳盛座で、二銭の木戸銭で見せていた、阪東又三郎が、めっかちではあるが団十郎を真似て、一生の望みが叶って、歌舞伎座の夏休みのあきを借りて乗り出したことがあったのを、いかもの食いの見物が、つねづね噂に聞いた二銭団洲を見にいった。出しものは「酒井の太鼓」だったが、あとで座付き役者から物議が起ったことがあったりした、九女八にはいやな、ききたくないことなのだ。
「仕方がないよ、あたしは、はじめっから小芝居へ出てたものね。女役者なんて、あたしたちから出来たのだもの。」
九女八は、老ても色の白い、柔らかい足を出している、台助の足の小指に触って見た。
台助は、艶々とした、額から抜け上っている頭の禿かたも、柔和な、品の悪くない、いかにも以前は大問屋の旦那であったというふうな、鷹揚さと、のんびりした耳朶とを持っている、どこか好色そうな老爺だった。
「大阪の千日前へ芦辺倶楽部というのが出来るそうで、師匠が出てくれるならば、月額千円は出すというのだそうだ。」
九女八は、考え、考え、台助の小指をいじりながら、
「見世物小屋ではないでしょうかねえ。でも、お金が溜れば、も一度、何か、やって見る事も出来るでしょうから──」
「一年十二ヶ月、頭から約束しようというのだが──痛えよう。」
と、台助は足をひっこめた。
「そりゃそうと、繁の井を久しくやらないね。」
「染分手綱ですか──繁の井をすると、思い出すものね。」
弟子分だった沢村紀久八が、お乳の人繁の井をしていて、じねんじょの三吉との子別れに、あんまりよく似ている身の上につまされ、役と自分とのわけめがつかなくなって、舞台で気の狂ってしまったことを思い出すからだった。
しかも、その、女役者紀久八は小説にもなり狂言にもなっている。佐藤紅緑氏の「侠艶録」の力枝という女役者は、舞台で気の狂った紀久八がモデルであった。小栗風葉だったかのに、「鬘下地」というのがある。
「紀久八は舞台で気狂いになったが──あたしは舞台で死ねれば本望だ。なあに、小芝居だって見世物小屋だって、お客さまはみんな眼玉をもってらっしゃる。どんな人が見てくださってるかわかりゃしない。」
「じゃあ、まあ、とにかく、大阪の方の話は、出来そうな工合に、返事をしといてもいいね。」
──これは、もちっと後のことで、九女八はこの大阪から帰ってから後、大正二年の七月に、浅草公園の活動劇場みくに座で、一日三回興業に、山姥や保名を踊り、楽屋で衣裳を脱ごうとしかけて卒倒し、そのままになってしまったのだった。大阪で溜て来た金は、九女八が、何か計画して考えていたことには用いられず、終焉の用意となってしまったのだが、台助は、そんな予感がしたのかどうか、ふいと、仕かけていたその談話を打ち切って、
「俺は、ちょいとその事で、出かけてくる。」
と着更をしかけたところへ、静枝が名刺を読みながら来て、
「お師匠さんの芸談を聴きに来た、演芸の方の記者らしいのですよ。談話といてくだすった方が好いと思いますから、お逢いになってくださいな。」
と、婉曲に、この名人の真相を残させたい、弟子の心やりですすめた。
「じゃあ、茶室へでもお通ししといておくんなさい。」
と九女八が言っているうちに、台助は玄関で、来訪者と摺れちがいに、傘をさして、門の外へ出ていった。
「おや、お出かけですか。」
と、台助に声をかけたのは、通りかかった芝居道に通じている、芸人の間を歩き廻る顔の広い男だった。その男は、九女八の家の門口で、顔馴染の台助に逢うと、いま聞いてきたばかりの、煙の出るような噂がしたくてたまらなくなったように、
「そういえば、御存じだろうが、あっしゃあ今聞いたばかりのホヤホヤなんだ。話は古いことだが、お宅の師匠は、以前、堀越から、なんという名をおもらいなすってた。」
「升之丞ですよ。」
「そうだってねえ、守住さん。それについちゃあ、面白い話があるんだ、何時、九女八とおなんなすった。」
「さあ、たしか、新富町の市川左団次さんが、謝に連れてってくだすって、帰参が叶ったんですが──ありゃあ、廿七、八年ごろだったかな。」
「そこなんだよ守住さん、御勘気に触れて破門された時に、師範状を取上げに行ったのは、談州楼燕枝(落語家)だったってね。それがね、宗家へおさめねえうちに、その師範状をなくしちゃったんだとさ、すっかり忘れてると、急に帰参が叶ったので、奴さん弱ったのなんのって、でね、九代目の女弟子で、もとが岩井粂八だから、粂の字を九の宇と女の字にした方がいいって、こじつけちゃったんだそうだが──滑稽さね。」
「へえ、そんなことがありましたんですかねえ。」
台助は、傘を打つ雨を見上げた。上層は晴れているのか、うす鼠色の雲からこぼれてくる雨は白く光っている。
「ねえ、お前さん、この雨の工合は、九女八の芸のような──地震加藤とか光秀をやる時の──底光りがしてるじゃねえか。木下尚江さんという先生は、日本にすぐれた女性が三人ある、畏れ多いが神功皇后様を始め奉り、紫式部、それから九女八だと仰しゃったそうだが──」
と、たいして親しくもない男へも言いかけたい気がした。
家では九女八が、訪問者へ、こんなふうな懐古談をしているときだった。
「母が再縁いたしますと、養父が自儘な町住居をしているような、道楽者の武家でして、私は十六の年、小石川水道町で踊の師匠をはじめました。ええ、私がごく小さい時分に、両国におででこ芝居がございましたのと、妥女が原に小三という三人姉妹の芝居があり、も一つ、鈴之助というのがあっただけで、これらは葭簀張りの小屋でございますから、まあ私どもが、芝居小屋でやりました女役者のはじめのようなもので──初開場? 薩摩座の出勤には、政岡と仁木。その次が由良之助でございました。」
語りさして、彼女もふと、白い雨のこぼれてくる、空を見上げていた。
底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「春帯記」岡倉書房
1937(昭和12)年10月発行
初出:「東京朝日新聞」
1937(昭和12)年6月23~29日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
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