畫の裡
泉鏡太郎
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「旦那樣、畫師ぢやげにござりまして、ちよつくら、はあ、お目に懸りたいと申しますでござります。」
旦那は徐羣夫と云ふ田舍大盡。忘其郡邑矣、とあるから何處のものとも知れぬが、案ずるに金丸商店仕入れの弗箱を背負つて、傲然と控へる人體。好接異客、は可いが、お追從連を眼下に並べて、自分は上段、床の前に無手と直り、金屏風に御威光を輝かして、二十人前の塗ばかり見事な膳、青芋莄の酢和で、どぶろくで、
「さ、さ、誰も遠慮せんで。」
とじろ〳〵と睨𢌞す輩と見えた。
時恰も、其の客を會した處。入口に突伏して云ふ下男の取次を、客の頭越しに、鼻を仰向けて、フンと聞き、
「何ぢや、もの貰か。白癡め、此方衆の前もある。己が知己のやうに聞えるわ、コナ白癡が。」
「ヒヤアもし、乞食ではござりませんでござります。はあ、旅の畫師ぢやげにござりやして。」
「然ぢやで云ふわい。これ、田舍𢌞りの畫師と、もの貰ひと、どれだけの相違がある。はツ〳〵。」
と笑うて、
「いや、こゝで煩いての。」と、一座をずらりと見る。
「兎角夏向きになりますと、得て然う云ふ蟲が湧くでえすな。」
「何も慰み、一つ此へ呼んで、冷かして遣りは如何でございませう。」
「龍虎梅竹、玉堂富貴、ナソレ牡丹に芍藥、薄に蘭、鯉の瀧登りがと云ふと、鮒が索麺を食つて、柳に燕を、倒に懸けると、蘆に雁とひつくりかへる……ヨイ〳〵と云ふ奴でさ。些と御祕藏の呉道子でも拜ませて、往生をさせてお遣んなさいまし。」
「通せ。」と、叱るやうに云ふ。
やがて、紺絣に兵兒帶といふ、其の上、旅窶れのした見すぼらしいのが、おづ〳〵と其へ出た。
態と慇懃に應接うて、先生、拜見とそゝり立てると、未熟ながら、御覽下さいましとて、絹地の大幅を其へ展く。
世話好なのが、二人立つて、此を傍の壁へ懸けると、燕でも雁でもなかつた。圖する處は樓臺亭館、重疊として緩く𢌞る、御殿造りの極彩色。──(頗類西洋畫。)とあるのを注意すべし、柱も壁も、青く白く浮出すばかり。
一座案外。
徐大盡、例のフンと鼻で言つて、頤で視め、
「雜と私が住居と思へば可いの。ぢやが、恁う門が閉つて居つては、一向出入りも成るまいが。第一私が許さいではお主も此處へは通れぬと云つた理合ぢや。我が手で描きながら、出入りも出來ぬとあつては、畫師も不自由なものぢやが、なう。」
「御鑑定。」
「其處です。」と野幇間の口拍子。
畫師、徐に打微笑み、
「否、不束ではございますが、我が手で拵へましたもの、貴下のお許しがありませんでも、開閉は自由でございます。」
「噫帖然一紙。」
と徐大盡、本音を吹いた唐辯で、
「塗以丹碧。公焉能置身其間乎。人を馬鹿にすぢやの、御身は!」
畫生其の時、
「御免。」と衝と膝を進めて、畫の面にひたと向うて、熟と見るや、眞晝の柳に風も無く、寂として眠れる如き、丹塗の門の傍なる、其の柳の下の潛り門、絹地を拔けて、するりと開くと、身を聳かして立つた、と思へば、畫師の身體はするりと入つて、潛り門はぴたりと閉つた。
あつと云つて一座、中には密と指の先で撫でて見て、其奴を視めたものさへあり。
「先生、先生。」
と、四五人口々に動搖み立つ。
「失禮、唯今。」と壁の中に、爽な少い聲して、潛り門がキイと開くと、蝶のやうに飜然と出て、ポンと卷莨の灰を落す。
衆問畫中之状。此は誰しも然うであらう。
「一所においでなさい、御案内申しませうから。」
座にあるもの二言と無い。喜び勇んで、煙管を筒にしまふやら、前垂を拂くやら。
「切符は何處で買ひますな、」と、畫の門を見て浮れるのがある。
畫師、畫面の其の最大なる門を指して、
「誰方も、此から。」
いざと云ふ聲に應じて、大門颯と左右に開く。で畫師が案内。徐大盡眞前に、ぞろ〳〵と入ると、目も眩むやうな一面の櫨の緋葉、火の燃るが如き中に、紺青の水あつて、鴛鴦がする〳〵と白銀を流して浮ぶ。揃つて浮足に成つて、瑪瑙の八ツ橋を渡ると、奧の方に又一堂。其處へ入ると伽藍の高天井。素通りに進んで、前庭へ拔けると、再び其處に別亭あり。噴水あり。突當りは、數寄を凝して瀧まで懸る。瀧の巖に、石の段を刻んで上ると、一面の青田の見霽。
はるかに歩行いて又門あり。畫棟彫梁虹の如し。さて中へ入ると、戸が一ツ。雲の扉に月が開く。室内に、其の大さ釣鐘の如き香爐が据つて、霞の如き香を吹いた。其の次の室も、他は推して知るべしで、珍什奇器殆ど人界のものにあらず、一同呆然として、口を利くものある事なし。
「最う此處までです、誰方もよくおいでなさいました。」と畫師が言ふ。
其處に最一つ、美しい扉があつた。
徐大盡何としたか、やあ、と云ふ間に、扉のなりに身を躱して、畫師が、すつと我手で開けて、
「さあ、御覽。」
「待て、」と、徐大盡が手を開いて留めたも道理、驚いたも其の筈で、今の美しい扉の模樣は、己が美妻の閨なのであつた。
が、留めても間に合はぬ。どや〳〵と込入る見物。
南無三寶。
時もあらうに、眞夏の日盛、黒髮かたしく雪の腕、徐大盡が三度目の若き妻、絲をも懸けず、晝寢をして居た。(白絹帳中皓體畢呈。)とある、これは、一息に棒讀みの方に願ふ。
事急にして掩避くるに不及。諸客之を見て、(無不掩口。)唐では、こんな時(無不掩口。)だと見える。我が朝にては何うするか、未考である。
わつと云つて、一同逆雪頽に飛出したと思ふと、元の大廣間で、其の畫、儼然として壁に異彩を放つ。
徐大盡、赫と成り、床の間に、これも自慢の、贋物らしい白鞘を、うんと拔いて、ふら〳〵と突懸る、と、畫師又身を飜して、畫の中へ、ふいと入り、柳の下の潛り門から、男振りの佳い顏を出して、莞爾として、
「然やうなら。」
妻の皓體が氣懸りさに、大盡ましぐらに奧の室へ駈込むと、漸と颯と赤く成つて、扱帶を捲いて居る處。物狂はしく取つて返せば、畫師も其の畫も何處へやら。どぶろくも早や傾いて、殘るは芋莄の酢和なりけり。
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「畫の裡」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年8月15日作成
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