松の葉
泉鏡太郎




團子だんごもらひたいね、」

 と根岸ねぎし相坂あひざか團子屋だんごや屋臺やたいつた。……近所きんじよ用達ようたしがあつたかへりがけ、時分時じぶんどきだつたから、さゝゆきはひつて、午飯ひるますと、はら出來できたし、一合いちがふさけいて、ふら〳〵する。……今日けふかへりがけに西片町にしかたまち親類しんるゐ一寸ちよつとらう。坂本さかもとから電車でんしやにしようと、一度いちど、おぎやうまつはう歩行あるきかけたが。──一度いちど蕉園せうゑんさんがんでた、おまじなひ横町よこちやうはひらうとする、ちひさな道具屋だうぐやみせに、火鉢ひばち塗箱ぬりばこ茶碗ちやわん花活はないけぼん鬱金うこんきれうへふる茶碗ちやわんはしらにふツさりとしろ拂子ほつすなどのかゝつたなかに、掛字かけじ四五幅しごふく大分だいぶふるいのがあるのをた、──こゝには一組ひとくみぐらゐありさうな──草雙紙くさざうしでない、とおもひながら、フトかんがへたのは相坂あひざか團子だんごである。──これから出掛でかける西片町にしかたまちには、友染いうぜんのふつくりした、人形にんぎやうのやうなをんな二人ふたりある、それへ土産みやげにとおもつた。

 名物めいぶつかねく、──まへにも一度いちど神田かんだ叔父をぢと、天王寺てんわうじを、とき相坂あひざかはうからて、今戸いまどあたり𢌞まは途中とちうを、こゝでやすんだことがある。が、う七八ねんにもなつた。──おやおやとの許嫁いひなづけでも、十年じふねんちか雙方さうはう不沙汰ぶさたると、一寸ちよつと樣子やうすわかかねる。いはん叔父をぢをひとで腰掛こしかけた團子屋だんごやであるから、本郷ほんがうんで藤村ふぢむら買物かひものをするやうなわけにはゆかぬ。

 第一だいいち相坂あひざかたしかでない。何處どこくのだつけ、あやふやなものだけれど、日和ひよりし、かぜぎ、小川をがはみづものんどりとして、小橋際こばしぎはちらばつた大根だいこんにも、ほか〳〵とあたる。あしにまかせてけ、團子だんごふに、天下てんかなんおそるゝところかこれあらん。

 で、人通ひとどほりはすくなし、日向ひなた眞中まんなかはゞかところもなく、なにしろ、御院殿ごゐんでんはう眞直まつすぐだ、とのん歩行あるす。

 さゝゆきまへ通返とほりかへして、微醉ほろゑひ心持こゝろもち八杯はちはいはらつもつたさゝゆきも、さつけて、むねいさゝかのとゞこほりもない。

 やがて、とろ〳〵の目許めもとを、横合よこあひから萌黄もえぎいろが、蒼空あをぞらそれよりく、ちらりとさへぎつたのがある。けだ古樹ふるき額形がくがた看板かんばんきざんだ文字もじいろで、みせのぞくと煮山椒にざんせうる、これも土地とち名物めいぶつである。

 とほりがかりにた。山椒さんせうを、近頃ちかごろおなあたりすまはるゝ、上野うへの美術學校出びじゆつがくかうでわかひとから手土産てみやげもらつた。ひとが、かつ修學旅行しうがくりよかうをしたとき奈良なら尼寺あまでらあまさんに三體さんたいさづけられたとふ。なかから一體いつたいわたしけられた阿羅漢あらかんざうがある。般若湯はんにやたうすこしばかり、さいはなまぐさくちにせぬ場合ばあひで、思出おもひだすにちやうい。容姿端麗ようしたんれいとほ藤原氏時代ふぢはらしじだい木彫きぼりだとくが、ほそゆびさきまでいさゝかそんじたところがない、すらりとした立像りつざうの、法衣ほふえいろが、いまひとみうつつた萌黄もえぎなのである。ほんのりとして、ゆかしくうすいが、よるなどはともしび御目おんまなざしもくろすゞしく、法衣ほふえいろがさま〴〵といますがごとかすかい。立袈裟たてげさくろに、よりもほそなゝめいた、切込きりこみの黄金きん晃々きら〳〵かゞやく。

 姿すがたおもつた。

 燒芋屋やきいもやまへ床几しやうぎして、日向ひなたぼつこをしてばあさんがあつた。

 みせかまどうへで、ざるすかすまで、あか〳〵とのさしたところは、燒芋屋やきいもやとしては威嚴ゐげんとぼしい。あれはれるほどなさむばんに、ぱつといきれがつにかぎる。で、白晝はくちう燒芋屋やきいもやは、呉竹くれたけさと物寂ものさびしい。が、としよりのためにはあたゝか日和ひよりしゆくする。

「おばあさん、相坂あひざかくのは、」

突當つきあたりをまがつたところでございますよ。」

 と布子ぬのこ半纏はんてんしわのばして、長閑のどかさうにをしへてくれた。



 それを、四五軒しごけんつたむかがはに、はゞひろはしまへにして、木戸きど貸屋札かしやふだとして二階家にかいやがあつた。四五本しごほんまがつたりたふれたりだが、竹垣たけがき根岸流ねぎしりうとりまはした、木戸きどうちには、うめ枝振えだぶりのいのもあるし、何處どこからつたか、はしうへやなぎ枯葉かれは風情ふぜいがある。……かはあたり大溝おほどぶで、どろたかく、みづほそい。あまつさへ、棒切ぼうぎれたけかはなどが、ぐしや〳〵とつかへて、空屋あきやまへ殊更ことさらながれよどむ。まことや、ひとんでけむりかべるで、……たれないとると、南向みなみむきながら、ざしもうすい。が、引越ひきこすとすればなんにはらぬ。……をりからいへさがしてた。

 はひつてよう……いま前途ゆきさきいたのに、道草みちぐさをするは、とがさして、燒芋屋やきいもやまへ振返ふりかへると、わたしをしへたとき見返みかへつた、のまゝに、そといて、こくり〳〵とぬくとさうな懷手ふところで居睡ゐねむりする。後生樂ごしやうらくな。嫁御よめごもあらばよろこばう……近所きんじよし、とゆきにもつきにも姿すがたらしいかどはし渡懸わたりかけたが、たちま猛然まうぜんとしておもへらく、敷金しききん用意よういもなく、大晦日近おほみそかぢかくだし、がつたり三兩さんりやうと、すなはる。

 ばあさんにいた突當つきあたりは、練塀ねりべいか、たかいし塀腰へいごしらしかつたが、それはよくなかつた。ついてまがると、眞晝間まつぴるままくおとした、舞臺ぶたい横手よこてのやうな、ずらりとみせつきのながい、ひろ平屋ひらやが、名代なだい團子屋だんごやたゞ御酒肴おんさけさかなとも油障子あぶらしやうじしるしてある。

 あんずるに、團子だんご附燒つけやきもつ美味うまいとしてある。鹽煎餅しほせんべい以來このかた江戸兒えどつこあまあまいのをかぬ。が、なにかくさう、わたし團子だんごあんはう得意とくいとする。これから土産みやげつてく、西片町にしかたまち友染いうぜんたちには、どちらがいかわからぬが、しかず、おのこのところつてせんには、と其處そこあんのをあつらへた。

 障子しやうじかして、たゝみおよ半疊はんでふばかりの細長ほそなが七輪しちりんに、いつつづゝした眞白まつしろ串團子くしだんごを、大福帳だいふくちやう權化ごんげした算盤そろばんごとくずらりとならべて、眞赤まつかを、四角しかく團扇うちはで、ばた〳〵ばた、手拍子てびやうしつてあふぐ十五六のやつこが、イヤうれしいほど、いけずなていは。

 えりからの前垂まへだれ幅廣はゞびろやつを、遣放やりぱなしに尻下しりさがりにめた、あとのめりに日和下駄ひよりげた土間どま突立つツたち、あたらしいのをあてがつても半日はんにち駈破かけやぶる、つぎだらけの紺足袋こんたびひざツきり草色くさいろよれ〳〵の股引もゝひきで、手織木綿ておりもめん尻端折しりはしより。……石頭いしあたまかどのある、大出額おほおでこで、くちさかさのへのに、饒舌おしやべりをムツと揉堪もみこたへ、横撫よこなでがくせ鼻頭はなさきをひこつかせて、こいつ、日暮里につぽりけむりより、何處どこかのうなぎぎさうな、團栗眼どんぐりまなこがキヨロリとひかつて、近所きんじよいぬとほくからげさうな、が、掻垂眉かいだれまゆのちよんぼりと、出張でばつたひたひにぶらさがつた愛嬌造あいけうづくり、とると、なき一葉いちえふがたけくらべのなかの、横町よこちやう三五郎さんごらうる。

 ひとると、かほげて、かたはすつかひにしながら、一息ひといき、ばた〳〵、ばツと團扇うちはたゝく。

饀子あんこのは──お手間てまれますツ。」

「ぢや、たうよ。」

 と障子しやうじはひつて、やつこちか土間どま床几しやうぎにかけて、……二包ふたつゝみあつらへた。

 ところ入違いれちがひに一人ひとり屋臺やたいた。

七錢なゝせんだけくださいな。」

 やつこかほげ、かたなゝめにしながら、一息ひといきばた〳〵團扇うちはをばツばツとあふいで、

餌子あんこのはお手間てまれますツ。」

う、」

 とつて其處そこつてかんがへたのは、身綺麗みぎれいらしい女中ぢよちうであつたが、わたしはよくもなかつた。で、ひだりすみ屋臺やたいよこにしたところで、年配ねんぱい老爺おとつさんと、おばあさん。をんな一人ひとり、これは背向うしろむきで、三人さんにんがかり、ひとすくつて、ぐい、とせて、くる〳〵とあんをつけて、一寸ちよいとゆびめて、ひとづゝすつとくしへさすのを、煙草たばこみながらじつた。

 ときに、いま女中ぢよちう註文ちうもんが、うやら饀子あんこばかりらしいので、おほいつようしてしかるべしとおもつてると、

「では、ちつつてませうね。」

 と一度いちど、ぶらりとした風呂敷ふろしきを、そでした引込ひつこめて、むねいて、むかうをく。

「へーい、」

 と甲走かんばしつたこゑびせて、やつこまた團扇うちはを、ばた〳〵、ばツとあふぐ。



 手際てぎはなもので、あふうちに、じり〳〵と團子だんごいろづくのを、十四五本じふしごほんすくりに、一掴ひとつかみ、小口こぐちからくしつて、かたはら醤油したぢどんぶりへ、どぶりとけて、さつさばいて、すらりと七輪しちりんまたげる。ぐにのこつたのに醤油したぢをつける。ほとんくうで、やつこは、あひだれいの、をきよろつかせる、はなをひこつかせる、くちびるをへしげる。石頭いしあたまる、ごすりをする、傍見わきみをする。……幾干いくら小遣こづかひがあるとえて、時々とき〴〵前垂まへだれ隙間すきまから、懷中くわいちう覗込のぞきこんで、ニヤリとる。

 いけずがキビ〳〵したことは!……わたし何故なぜうれしかつた。

 きやくわたしのほかに三人さんにんあつた。三人さんにんは、親子おやこづれで、こゝのツばかりの、かすり羽織はおりおな衣服きものおとなしらしいをとこ。──見習みならへ、やつこ、と背中せなかつゝいてりたいほどな、人柄ひとがらなもので。

 母親はゝおやは五十ばかり、黒地くろぢのコートに目立めだたない襟卷えりまきして、質素じみ服姿みなりだけれど、ゆつたりとしてしか氣輕きがるさうな風采とりなり古風こふうな、うすい、ちひさなまげつたのが、唐銅からかねおほき青光あをびかりのする轆轤ろくろ井戸繩ゐどなはが、づつしり……石築いしづき掘井戸ほりゐど。それが、ひさししたにあのかたはら床几しやうぎに、飛石とびいし石燈籠いしどうろうのすつきりした、綺麗きれいいてちりめず廣々ひろ〴〵した、團子屋だんごや奧庭おくには背後うしろにして、ひざをふつくりと、きちんとすわつて、つむり置手拭おきてぬぐひをしながら、女持をんなもち銀煙管ぎんぎせるで、時々とき〴〵にはし、そらくもをさしなどして、なにはなしながら、しづか煙草たばこくゆらす。

 對向さしむかひに、一寸ちよいとせなひねつた、片手かたて敷辷しきすべらした座蒲團ざぶとんはしいて、すらりと半身はんしんつま内掻うちがい土間どまそろへた、二十はたちえた、白足袋しろたびで、これも勝色かついろいコートを姿すがたよくたが、おとうとよこにして、母樣おつかさんまへであるから、なん見得みえも、色氣いろけもなう、鼻筋はなすぢとほつた、生際はえぎはのすつきりした、きつとして、まゆやさしい、お小姓こしやうだちのいろしろい、面長おもながなのを横顏よこがほで、──團子だんご一串ひとくし小指こゆびねて、くちびるてたのが、錦繪にしきゑいたがけの美人びじんにそつくりで、微醉ほろゑひのそれしやが、くろもじをんだより婀娜あだツぽい。かみ束髮そくはつに、しろいリボンをおほきくけたが、美子みいこいちやんもなるをりから、當人たうにんなにもなしにとゝもに押移おしうつつたものらしい。が、てんせる下町したまち娘風むすめふうは、くだんかみひさしえぬ。……何處どこともなしにうちに、つぶしの島田しまだ下村しもむら丈長たけながで、しろのリボンがなんとなく、鼈甲べつかふ突通つきとほしを、しのぎでいたとしのばれる。

 むすめも、白地しろぢ手拭てぬぐひを、一寸ちよいとたゝんで、かみうへせてる、びんいろまさつて、ために一入ひとしほゆかしかつた。

 が、はずで、いけずなやつが、燒團子やきだんごのばた〳〵で、七輪しちりんじようばすこと、名所めいしよとはいひがたくゆきごとしであつたから。

 母樣おつかさんが、ひざはじいて、ずらりと、ずらすやうにまたいでりると、氣輕きがるにてく〳〵と土間どまた。

それでは、土産みやげつゝみうぞ。」とやつこふ。

「へーい。」

 すとんきようなこゑし、螇蚸ばつたおさへたり、とつきで、團扇うちははさんで、仰向あふむいた。

二十錢にじつせんのをひとツ、十五錢じふごせんのと、十錢じつせんのと都合つがふ三包みつゝみだよ。」

饀子あんこならお手間てまれますツ。」

 と、けろりとして、ソレ、ばた〳〵ばた、ばツばツばツ。

みんな附燒つけやきはうさ。」

「へーい。」

「ぢや、わかつたかね。」

 と一寸ちよいとまへとほときわたし會釋ゑしやくして床几しやうぎかへつた。

 いしくもまをされた。……のこらずつけやきのおあつらへは有難ありがたい、とおもふと、はうのふちをあかくしながら、あんこばかりはちつくすぐつたい。

 またあんがかりの三人さんにんの、すくつて、いて、ころがして、ひとひねつてツイとるが、そろへ、ゆびそろへて、トめてときむねゑるところまで、一樣いちやうあざやかなものである。が、きやくたうがつまいが、一向いつかう頓着とんぢやくなく、此方こつち此方こつち、とすました工合ぐあひが、徳川家時代とくがはけじだいからあぢかはらぬたのもしさであらう。



 ところへ、カタ〳〵とつめたさうな下駄げたおと。……はゝぢやびとのをわざ穿いてたらしい、可愛かはい素足すあし三倍さんばいほどな、おほき塗下駄ぬりげたつけるやうに、トンと土間どまはひつてて、七輪しちりんよこつた、十一二だけれども、こゝのツぐらゐな、小造こづくりな、ちひさな江戸えどねえさんがある。しま羽織はおり筒袖つゝそでほそた、わきあけのくちへ、かひなげて、ちつさむいとつたていに、兩手りやうて突込つツこみ、ふりのいたところから、あか前垂まへだれひもえる。其處そこ風呂敷ふろしきひぢなりに引挾ひつぱさんだ、いろ淺黒あさぐろい、はりのある、きりゝとしたかほの、びん引緊ひきしめて、おたばこぼんはまためづらしい。……

五錢ごせん頂戴ちやうだい。」

「へーい。」

「さあ、」

 と片手かたてして、やつこ風呂敷ふろしきつきつけると、をくるりと天井てんじやうのぞきで、

饀子あんこならお手間てまれますツ。」

「あら、いたのだわよ、にいさん。」

 とすつきりつた。

 やつこ一本いつぽんまゐつたていで、くびすくめ、くちをゆがめて、あんをつける三人さんにんはうを、外方そつぱうにして、一人ひとりわらつて、

「へーい。」

 と七輪しちりんうへ見計みはからひ、風呂敷ふろしき受取うけとつて、屋臺やたいち、大皿おほざらからぶツ〳〵とけむりつ、きたてのを、横目よこめにらんで、たけかはしごきをれる、と飜然ひらりかはねるうへへ、ぐいとしりねに布巾ふきんける。

 障子しやうじそとへすつとて、ひとりつゑいてつたおきながある。

 白木綿しろもめん布子ぬのこえり黄色きいろにヤケたのに、單衣ひとへらしい、おなしろ襦袢じゆばんかさね、石持こくもちで、やうかんいろ黒木綿くろもめん羽織はおり幅廣はゞびろに、ぶわりとはおつて、むね頭陀袋づだぶくろけた、はなたかい、あかがほで、半眼はんがんにした、まゆにはくろまじつたけれど、あわなすつたていに、口許くちもとからおとがひへ、みじかひげみなしろい。ねずみのぐたりとした帽子ばうしかぶつて、片手かたてつゑみぎ手首てくびに、赤玉あかだま一連いちれん數珠じゆずにかけたのに、ひとつのりん持添もちそへて、チリリリチリリリと、おほきつてらし、

「なうまくさんまんだばさらだ、なうまくさんまんだばさらだ、南無成田山不動明王なむなりたさんふどうみやうわうをはじめたてまつり、こんがら童子どうじ、せいたか童子どうじ甲童子かふどうじ乙童子おつどうじ丙童子へいどうじ、いばらぎ童子どうじ酒呑童子しゆてんどうじのほか數々かず〳〵二十四童子にじふしどうじ。」

 と、ちやうわたしひに、まともにかほところで、ねむるやうにしてさわやかにとなへた。

 わたしふところまきへ、けたときであつた。

「おしんまをせ。」

 と、むかうであんをつけてた、のおばあさんがこゑける。

「へーい。」とやつこが、つゝんだつゝみを、ひよいとをんなわたしながら、引込ひつこめず、背後うしろたなに、煮豆にまめ煮染にしめものなどを裝並もりならべたたなしたの、賣溜うりだめの錢箱ぜにばこをグヮチャリとらして、銅貨どうくわ一個ひとつ、ひよい、とそらげて、一寸ちよいとてのひらけながらつてる。

 前後ぜんごして、

「はい、げます。」

 とかすり衣服きものの、あの弟御おとうとごが、廂帽子ひさしばうしよこツちよに、土間どま駈足かけあしで、母樣おつかさん使つかひて、伸上のびあがるやうにして布施ふせするから、大柄おほがら老道者らうだうじやは、こしげて、つゑつたたなそこけて、やつこ兩方りやうはうへ、……二度にどいたゞく。

 わたしつた。

 ときは、めうなもので……また此處こゝをんな一連ひとつれ、これは丸顏まるがほのぱつちりした、二重瞼ふたへまぶた愛嬌あいけうづいた、高島田たかしまだで、あらい棒縞ぼうじま銘仙めいせん羽織はおりあゐつた。──着物きものは、ちやつた、おなじやうながらなのをて、阿母おふくろのおかはりにつた、老人としよりじみた信玄袋しんげんぶくろげた、朱鷺色ときいろ襦袢じゆばん蹴出けだしの、内端うちわながら、なまめかしい。十九にはなるまい新姐しんぞさきに、一足ひとあしさがつて、櫛卷くしまきにした阿母おふくろがついて、みせはひりかけた。が、ちやう行者ぎやうじや背後うしろを、なゝめとりまはすやうにして、二人ふたりとも立停たちどまつた。



「おまへこまかいのはえ?」

 と阿母おふくろふ。

「あい、」とおとがひしろく、淺葱あさぎあさしぼりの半襟はんえり俯向うつむいた。伏目ふしめがふつくりとする……して、緋無地ひむぢ背負上しよひあげをとほして、めりんすの打合うちあはせのおびあひだに、これはまたよそゆきな、紫鹽瀬むらさきしほぜ紙入かみいれなかから、よこつて、して、おきなあたへた。

 道者だうじやは、つゑつちからはなして、たかげてれいしたのである。

 ときに、るもいたいけだつたのは、おたばこぼんの小姉ちひねえさん。

 先刻さつきから、人々ひと〴〵布施ふせするのと、……ものやはらかな、おきなかほの、眞白まつしろひげなかに、うれしさうなくちびる艷々つや〳〵あかいのを、じつながめて、……やつこつゝんでくれた風呂敷ふろしきを、うへゑたまゝ、片手かたてきものなかれて、れでも肌薄はだうすな、襦袢じゆばんえりのきちんとして、あかほそいのも、あはれにさむさうにえたのが、なんおもつたか、左手ゆんでへて、むすいて、たけかはから燒團子やきだんご、まだ、いきりのつ、あたゝかいのを二串ふたくしつて、れい塗下駄ぬりげたをカタ〳〵と──敷居際しきゐぎはで、

「おぢいさん、これあげませう、おあがんなさいな。」

 としたとき、……おきなあかがほは、のまゝけさうに俯向うつむいて、をしばたゝいた、とると、くちびるがぶる〳〵とふるへたのである。

 床几しやうぎむすめ肩越かたごし振向ふりむいた。一同いちどうじつ二人ふたりた。

南無御一統なむごいつとう御家内安全ごかないあんぜん。まめ、そくさい、商賣繁昌しやうばいはんじやう。」

 とほがらかなこゑねんじながら、つゑおろさず、團子だんごつたなりにひたひにかざして、背後うしろ日陰ひかげむかつて日向ひなたへ、相坂あひざかかたへ、……ひやめし草履ざうりを、づるりといて、白木綿しろもめん脚絆きやはんつけたあしを、とぼ〳〵とおきなく。

「や、つゝみなほしてげようぜ。」

 と、とくならず、ちよろつかなつゝ加減かげんいたくしかはいて、小姉ちひねえうへひるがへつたのを、風呂敷ふろしきごと引奪ひつたくるやうにつて、やつこ屋臺やたいで、爲直しなほしながら、

「えゝ……まけてけ、一番いちばん。」と、さらからねぢるやうに引摘ひつつかんで、べつ燒團子やきだんご五串いつくしへた。

此處こゝへも、お團子だんごくださいな。」

 と櫛卷くしまき阿母おふくろつた。

 きよろりと見向みむいて、

饀子あんこならお手間てまれますツ。」とまた仰向あふむく。

いゝえいたのですよ。」

「へーい。」とあひかはらず突走つツぱしる。

十錢じつせんのを二包ふたつゝみ二包ふたつゝみですよ──いかい。それから、十五錢じふごせんのを一包ひとつゝみみないたのをね。」

「へーい、唯今たゞいま。」

いゝえ歸途かへりいのよ。」

「へーいツ」

「あのね、母樣おつかさん。」と、むすめがあたりをねたていで、すこあまえるやうに低聲こごゑつた。

う……では十五錢じふごせんのなかへ、あんのをぜて、──ちつとでいの。」

ちつと、」

 と口眞似くちまねのやうに繰返くりかへして、

「へーい。」

「さあ、それぢやおまゐりをしてようね。」

「あい、」

 とつて、母娘おやこ二人ふたり相坂あひざかはうへ、ならんでく。

 あんがかりはましたもので、

家内安全かないあんぜん、まめ、そくさい、商賣繁昌しやうばいはんじやう、……だんご大切たいせつなら五大力ごだいりきだ。」と、あらうことか、團子屋だんごや老爺とつさまが、今時いまどきつてめた洒落しやれふ。

なにはつしやる。」と……おばあさんは苦笑くせうした。

 あの、井戸ゐどそばを、にはつて裏木戸うらきどから、勝手かつてつてたらしい。インキのつぼを、ふらここのごとくにつて、金釦きんぼたんにひしやげた角帽かくばう、かまひつけぬふうで、薄髯うすひげあたらず遣放やりつぱなしな、威勢ゐせいい、大學生だいがくせいがづか〳〵とはひつてた。

「いや、どつこいしよ。」

 と──あのおとうとる、床几しやうぎすみこし投下なげおろすと、

「おい、あんのを一盆ひとぼん。……お手間てまれます、つてらつしやい。」

 とおそろしく鐵拐てつか怒鳴どなつて、フトわたし向合むきあつて、……かほて……雙方さうはう莞爾につこりした。同好どうかうよ、と前方さきおもへば、知己ちきなるかな、とひたかつた。

 いや、面喰めんくらつたのはやつこである。……れいつて「お手間てまれますツ。」をはないうちに、眞向まつかう高飛車たかびしやあびせられて、「へーい、」ともず、とんびさらはれた顏色がんしよく。きよとんとして、小姉ちひねえふたゝつゝみわたすと、だまつてちやみにく、石頭いしあたまのすくんだ、──まるさ。

「しばらく、──お二人ふたりしばらく。」

 とあとじさりに、──いま櫛卷くしまきと、島田しまだ母娘おやこ呼留よびとめながら、おきな行者ぎやうじや擦違すれちがひに、しやんとして、ぎやくもどつてた。

 店頭みせさきへ、うや〳〵しくたゝずんで、四邊あたりながら、せまつたこゑで、

誰方どなたもしばらく。……あゝ、野山のやまえ、かはわたり、つるぎした往來わうらいした。が、うまれて以來このかた今日けふ今日けふほど、ひとなさけみたことおぼえません。」と、こゑ途絶とだえて、チリ〳〵とりんつた。

 溜息ためいきふかく、いて、

わし行者ぎやうじやでもなんでもないのぢや。近頃ちかごろまで、梅暮里うめぼりみぞて、あはせのえきつてましたが、きなどぶろくのたしにもらんで、おもひついた擬行者まがひぎやうじやぢや。信心しんじんなにもなかつたが、なあ、そろひもそろつた、あなたがたのおなさけ──あのかつしやれ。」

 と小姉ちひねえ差出さしだしたがふるへて、

老人らうじんつく〴〵みて、のまゝでは、よううも、あの蹈切ふみきり越切こしきれなんだ。──

 あらためて、これからぐに、つゑのなり行脚あんぎやをして、成田山なりたさんまうでましてな。……經一口きやうひとくちらぬけれども、一念いちねんかはりはない。南無成田山不動明王なむなりたさんふどうみやうわう、とひとへとなへて、あなたがた御運長久ごうんちやうきう無事ぶじそくさい、またわかぢやうたちの、」

 とほろりとして、おいなみだたゝへ、

行末ゆくすゑ御良縁ごりやうえん祈願きぐわんします、祈願きぐわんしまする。」

明治四十三年一月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店

   1942(昭和17)年1020日第1刷発行

   1988(昭和63)年112日第3刷発行

※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。

※表題は底本では、「まつ」とルビがついています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2011年94日作成

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