松の葉
泉鏡太郎
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「團子が貰ひたいね、」
と根岸の相坂の團子屋の屋臺へ立つた。……其の近所に用達があつた歸りがけ、時分時だつたから、笹の雪へ入つて、午飯を濟ますと、腹は出來たし、一合の酒が好く利いて、ふら〳〵する。……今日は歸りがけに西片町の親類へ一寸寄らう。坂本から電車にしようと、一度、お行の松の方へ歩行きかけたが。──一度蕉園さんが住んで居た、おまじなひ横町へ入らうとする、小さな道具屋の店に、火鉢、塗箱、茶碗、花活、盆、鬱金の切の上に古い茶碗、柱にふツさりと白い拂子などの掛つた中に、掛字が四五幅。大分古いのがあるのを視た、──こゝ等には一組ぐらゐありさうな──草雙紙でない、と思ひながら、フト考へたのは此の相坂の團子である。──これから出掛ける西片町には、友染のふつくりした、人形のやうな女の兒が二人ある、それへ土産にと思つた。
名物と豫て聞く、──前にも一度、神田の叔父と、天王寺を、其の時は相坂の方から來て、今戸邊へ𢌞る途中を、こゝで憩んだ事がある。が、最う七八年にもなつた。──親と親との許嫁でも、十年近く雙方不沙汰と成ると、一寸樣子が分り兼る。況や叔父と甥とで腰掛けた團子屋であるから、本郷に住んで藤村の買物をするやうな譯にはゆかぬ。
第一相坂が確でない。何處を何う行くのだつけ、あやふやなものだけれど、日和は可し、風も凪ぎ、小川の水ものんどりとして、小橋際に散ばつた大根の葉にも、ほか〳〵と日が當る。足にまかせて行け、團子を買ふに、天下何の恐るゝ處かこれあらん。
で、人通りは少し、日向の眞中を憚る處もなく、何しろ、御院殿の方へ眞直だ、とのん氣に歩行き出す。
笹の雪の前を通返して、此の微醉の心持。八杯と腹に積つた其の笹の雪も、颯と溶けて、胸に聊かの滯もない。
やがて、とろ〳〵の目許を、横合から萌黄の色が、蒼空の其より濃く、ちらりと遮つたのがある。蓋し古樹の額形の看板に刻んだ文字の色で、店を覗くと煮山椒を賣る、これも土地の名物である。
通がかりに見た。此の山椒を、近頃、同じ此の邊に住はるゝ、上野の美術學校出の少い人から手土産に貰つた。尚ほ其の人が、嘗て修學旅行をした時、奈良の然る尼寺の尼さんに三體授けられたと云ふ。其の中から一體私に分けられた阿羅漢の像がある。般若湯を少しばかり、幸ひ腥を口にせぬ場合で、思出すに丁ど可い。容姿端麗、遠く藤原氏時代の木彫だと聞くが、細い指の尖まで聊も缺け損じた處がない、すらりとした立像の、其の法衣の色が、乃し瞳に映つた其の萌黄なのである。ほんのりとして、床しく薄いが、夜などは灯に御目ざしも黒く清しく、法衣の色がさま〴〵と在すが如く幽に濃い。立袈裟は黒の地に、毛よりも細く斜に置いた、切込みの黄金が晃々と輝く。
其の姿を思つた。
燒芋屋の前に床几を出して、日向ぼつこをして居る婆さんがあつた。
店の竈の上で、笊の目を透すまで、あか〳〵と日のさした處は、燒芋屋としては威嚴に乏しい。あれは破れるほどな寒い晩に、ぱつといきれが立つに限る。で、白晝の燒芋屋は、呉竹の里に物寂しい。が、としよりの爲には此の暖な日和を祝する。
「お婆さん、相坂へ行くのは、」
「直き其の突當りを曲つた處でございますよ。」
と布子の半纏の皺を伸して、長閑さうに教へてくれた。
其を、四五軒行つた向う側に、幅の廣い橋を前にして、木戸に貸屋札として二階家があつた。四五本曲つたり倒れたりだが、竹垣を根岸流に取まはした、木戸の内には、梅の樹の枝振りの佳いのもあるし、何處から散つたか、橋の上に柳の枯葉も風情がある。……川も此の邊は最う大溝で、泥が高く、水が細い。剩へ、棒切、竹の皮などが、ぐしや〳〵と支へて、空屋の前は殊更に其の流も淀む。實や、人住んで煙壁を洩るで、……誰も居ないと成ると、南向きながら、日ざしも淡い。が、引越すとすれば難には成らぬ。……折から家も探して居た。
入つて見よう……今前途を聞いたのに、道草をするは、と氣がさして、燒芋屋の前を振返ると、私に教へた時、見返つた、其のまゝに、外を向いて、こくり〳〵と然も暖とさうな懷手の居睡りする。後生樂な。嫁御もあらば喜ばう……近所も可し、と雪にも月にも姿らしい其の門の橋を渡懸けたが、忽ち猛然として思へらく、敷金の用意もなく、大晦日近くだし、がつたり三兩と、乃ち去る。
婆さんに聞いた突當りは、練塀か、高い石の塀腰らしかつたが、其はよく見なかつた。ついて曲ると、眞晝間の幕を衝と落した、舞臺横手のやうな、ずらりと店つきの長い、廣い平屋が、名代の團子屋。但し御酒肴とも油障子に記してある。
案ずるに、團子は附燒を以て美味いとしてある。鹽煎餅以來、江戸兒は餘り甘いのを好かぬ。が、何を祕さう、私は團子は饀の方を得意とする。これから土産に持つて行く、西片町の友染たちには、どちらが可いか分らぬが、しかず、己が好む處を以つてせんには、と其處で饀のを誂へた。
障子を透かして、疊凡そ半疊ばかりの細長い七輪に、五つづゝ刺した眞白な串團子を、大福帳が權化した算盤の如くずらりと並べて、眞赤な火を、四角な團扇で、ばた〳〵ばた、手拍子を拍つて煽ぐ十五六の奴が、イヤ其の嬉しいほど、いけずな體は。
襟からの前垂幅廣な奴を、遣放しに尻下りに緊めた、あとのめりに日和下駄で土間に突立ち、新しいのを當がつても半日で駈破る、繼だらけの紺足袋、膝ツきり草色よれ〳〵の股引で、手織木綿の尻端折。……石頭に角のある、大出額で、口を逆のへの字に、饒舌をムツと揉堪へ、横撫でが癖の鼻頭をひこつかせて、こいつ、日暮里の煙より、何處かの鰻を嗅ぎさうな、團栗眼がキヨロリと光つて、近所の犬は遠くから遁げさうな、が、掻垂眉のちよんぼりと、出張つた額にぶら下つた愛嬌造り、と見ると、なき一葉がたけくらべの中の、横町の三五郎に似て居る。
人を見ると、顏を曲げて、肩を斜かひにしながら、一息、ばた〳〵、ばツと團扇を拍く。
「饀子のは──お手間が取れますツ。」
「ぢや、待たうよ。」
と障子を入つて、奴が背に近い土間の床几にかけて、……二包誂へた。
處へ入違ひに一人屋臺へ來た。
「七錢だけ下さいな。」
奴、顏を曲げ、肩を斜めにしながら、一息ばた〳〵團扇をばツばツと煽いで、
「餌子のはお手間が取れますツ。」
「然う、」
と云つて其處に立つて考へたのは、身綺麗らしい女中であつたが、私はよくも見なかつた。で、左の隅、屋臺を横にした處で、年配の老爺と、お婆さん。女が一人、これは背向きで、三人がかり、一ツ掬つて、ぐい、と寄せて、くる〳〵と饀をつけて、一寸指で撓めて、一つ宛すつと串へさすのを、煙草を飮みながら熟と見て居た。
時に、今來た女中の註文が、何うやら饀子ばかりらしいので、大に意を強うして然るべしと思つて居ると、
「では、最う些と經つて來ませうね。」
と一度、ぶらりと出した風呂敷を、袖の下へ引込めて、胸を抱いて、むかうを向く。
「へーい、」
と甲走つた聲を浴びせて、奴また團扇を、ばた〳〵、ばツと煽ぐ。
手際なもので、煽ぐ内に、じり〳〵と團子の色づくのを、十四五本掬ひ取りに、一掴み、小口から串を取つて、傍に醤油の丼へ、どぶりと浸けて、颯と捌いて、すらりと七輪へ又投げる。直ぐに殘つたのに醤油をつける。殆ど空で、奴は、此の間に例の、目をきよろつかせる、鼻をひこつかせる、唇をへし曲げる。石頭を掉る、背ごすりをする、傍見をする。……幾干か小遣があると見えて、時々前垂の隙間から、懷中を覗込んで、ニヤリと遣る。
いけずがキビ〳〵した事は!……私は何故か嬉しかつた。
客は私のほかに三人あつた。其の三人は、親子づれで、九ツばかりの、絣の羽織に同じ衣服を着た優しらしい男の兒。──見習へ、奴、と背中を突いて遣りたいほどな、人柄なもので。
母親は五十ばかり、黒地のコートに目立たない襟卷して、質素な服姿だけれど、ゆつたりとして然も氣輕さうな風采。古風な、薄い、小さな髷に結つたのが、唐銅の大な青光りのする轆轤に井戸繩が、づつしり……石築の掘井戸。それが、廂の下にあの傍の床几に、飛石、石燈籠のすつきりした、綺麗に掃いて塵も留めず廣々した、此の團子屋の奧庭を背後にして、膝をふつくりと、きちんと坐つて、頭に置手拭をしながら、女持の銀煙管で、時々、庭を指し、空の雲をさしなどして、何か話しながら、靜に煙草を燻らす。
對向ひに、一寸背を捻つた、片手を敷辷らした座蒲團の端に支いて、すらりと半身、褄を内掻に土間に揃へた、九か二十と見えた、白足袋で、これも勝色の濃いコートを姿よく着たが、弟を横にして、母樣の前であるから、何の見得も、色氣もなう、鼻筋の通つた、生際のすつきりした、目の屹として、眉の柔しい、お小姓だちの色の白い、面長なのを横顏で、──團子を一串小指を撥ねて、唇に當てたのが、錦繪に描いた野がけの美人にそつくりで、微醉のそれ者が、くろもじを噛んだより婀娜ツぽい。髮は束髮に、白いリボンを大きく掛けたが、美子も喜いちやんも爲なる折から、當人何の氣もなしに世とゝもに押移つたものらしい。が、天の爲せる下町の娘風は、件の髮が廂に見えぬ。……何處ともなしに見る内に、潰しの島田に下村の丈長で、白のリボンが何となく、鼈甲の突通しを、しのぎで卷いたと偲ばれる。
此の娘も、白地の手拭を、一寸疊んで、髮の上に載せて居る、鬢の色は尚ほ勝つて、ために一入床しかつた。
が、其の筈で、いけずな奴が、燒團子のばた〳〵で、七輪の尉を飛ばすこと、名所とはいひがたく雪の如しであつたから。
母樣が、膝を彈いて、ずらりと、ずらすやうに跨いで下りると、氣輕にてく〳〵と土間を來た。
「其では、土産の包を何うぞ。」と奴に言ふ。
「へーい。」
すとんきような聲を出し、螇蚸壓へたり、と云ふ手つきで、團扇を挾んで、仰向いた。
「二十錢のを一ツ、十五錢のと、十錢のと都合三包だよ。」
「饀子ならお手間が取れますツ。」
と、けろりとして、ソレ、ばた〳〵ばた、ばツばツばツ。
「皆附燒の方さ。」
「へーい。」
「ぢや、分つたかね。」
と一寸前を通る時、私に會釋して床几へ返つた。
いしくも申された。……殘らずつけ燒のお誂へは有難い、と思ふと、此の方目のふちを赤くしながら、饀こばかりは些と擽い。
また其の饀がかりの三人の、すくつて、引いて、轉がして、一ツ捻つてツイと遣るが、手を揃へ、指を揃へて、ト撓めて刺す時、胸を据ゑる處まで、一樣に鮮かなものである。が、客が待たうが待つまいが、一向に頓着なく、此方は此方、と澄した工合が、徳川家時代から味の變らぬ頼もしさであらう。
處へ、カタ〳〵と冷たさうな下駄の音。……母ぢや人のを故と穿いて來たらしい、可愛い素足に三倍ほどな、大な塗下駄を打つけるやうに、トンと土間へ入つて來て、七輪の横へ立つた、十一二だけれども、九ツぐらゐな、小造りな、小さな江戸の姉さんがある。縞の羽織の筒袖を細く着た、脇あけの口へ、腕を曲げて、些と寒いと云つた體に、兩手を突込み、ふりの明いた處から、赤い前垂の紐が見える。其處へ風呂敷を肱なりに引挾んだ、色の淺黒い、目に張のある、きりゝとした顏の、鬢を引緊めて、おたばこ盆はまた珍しい。……
「五錢頂戴。」
「へーい。」
「さあ、」
と片手を出して、奴に風呂敷を突つけると、目をくるりと天井覗きで、
「饀子ならお手間が取れますツ。」
「あら、燒いたのだわよ、兄さん。」
とすつきり言つた。
奴、一本參つた體で、頸を竦め、口をゆがめて、饀をつける三人の方を、外方にして、一人で笑つて、
「へーい。」
と七輪の上を見計らひ、風呂敷を受取つて、屋臺へ立ち、大皿からぶツ〳〵と煙の立つ、燒きたてのを、横目で睨んで、竹の皮の扱きを入れる、と飜然と皮の撥ねる上へ、ぐいと尻ツ撥ねに布巾を掛ける。
障子の外へすつと來て、ひとり杖を支いて立つた翁がある。
白木綿の布子、襟が黄色にヤケたのに、單衣らしい、同じ白の襦袢を襲ね、石持で、やうかん色の黒木綿の羽織を幅廣に、ぶわりと被つて、胸へ頭陀袋を掛けた、鼻の隆い、赭ら顏で、目を半眼にした、眉には黒も交つたけれど、泡を塗つた體に、口許から頤へ、短い髯は皆白い。鼠のぐたりとした帽子を被つて、片手に其の杖、右の手首に、赤玉の一連の數珠を輪にかけたのに、一つの鐸を持添へて、チリリリチリリリと、大な手を振つて鳴らし、
「なうまくさんまんだばさらだ、なうまくさんまんだばさらだ、南無成田山不動明王をはじめ奉り、こんがら童子、せいたか童子、甲童子、乙童子、丙童子、いばらぎ童子、酒呑童子、其のほか數々二十四童子。」
と、丁ど私と向き合ひに、まともに顏を見る處で、目を眠るやうにして爽かに唱へた。
私が懷の三つ卷へ、手を懸けた時であつた。
「お進ぜ申せ。」
と、向うで饀をつけて居た、其のお婆さんが聲を懸ける。
「へーい。」と奴が、包んだ包みを、ひよいと女の兒に渡しながら、手を引込めず、背後の棚に、煮豆、煮染ものなどを裝並べた棚の下の、賣溜めの錢箱をグヮチャリと鳴らして、銅貨を一個、ひよい、と空へ投げて、一寸掌へ受けながら持つて出る。
前後して、
「はい、上げます。」
と絣の衣服の、あの弟御が、廂帽子を横ツちよに、土間に駈足で、母樣の使に來て、伸上るやうにして布施する手から、大柄な老道者は、腰を曲げて、杖を持つた掌に受けて、奴と兩方へ、……二度頂く。
私も立つた。
氣の寄る時は、妙なもので……又此處へ女一連、これは丸顏の目のぱつちりした、二重瞼の愛嬌づいた、高島田で、あらい棒縞の銘仙の羽織、藍の勝つた。──着物は、茶の勝つた、同じやうな柄なのを着て、阿母のおかはりに持つた、老人じみた信玄袋を提げた、朱鷺色の襦袢の蹴出しの、内端ながら、媚めかしい。十九にはなるまい新姐を前に、一足さがつて、櫛卷にした阿母がついて、此の店へ入りかけた。が、丁ど行者の背後を、斜に取まはすやうにして、二人とも立停まつた。
「お前、細いのはえ?」
と阿母が言ふ。
「あい、」と頤を白く、淺葱の麻の葉絞りの半襟に俯向いた。伏目がふつくりとする……而して、緋無地の背負上げを通して、めりんすの打合はせの帶の間に、これは又よそゆきな、紫鹽瀬の紙入の中から、横に振つて、出して、翁に與へた。
道者は、杖を地から離して、手を高く上げて禮したのである。
時に、見るもいたいけだつたのは、おたばこぼんの小姉さん。
先刻から、人々の布施するのと、……もの和らかな、翁の顏の、眞白な髯の中に、嬉しさうな唇の艷々と赤いのを、熟と視めて、……奴が包んでくれた風呂敷を、手の上に据ゑたまゝ、片手を服の中へ入れて、其れでも肌薄な、襦袢の襟のきちんとして、赤い細いのも、あはれに寒さうに見えたのが、何と思つたか、左手を添へて、結び目を解いて、竹の皮から燒團子、まだ、いきりの立つ、温いのを二串取つて、例の塗下駄をカタ〳〵と──敷居際で、
「お爺さん、これあげませう、おあがんなさいな。」
と出した時、……翁の赭ら顏は、其のまゝ溶けさうに俯向いて、目をしばたゝいた、と見ると、唇がぶる〳〵と震へたのである。
床几の娘も肩越に衝と振向いた。一同、熟と二人を見た。
「南無御一統、御家内安全。まめ、そくさい、商賣繁昌。」
と朗かな聲で念じながら、杖も下さず、團子持つたなりに額にかざして、背後は日陰、向つて日向へ、相坂の方へ、……冷めし草履を、づるりと曳いて、白木綿の脚絆つけた脚を、とぼ〳〵と翁は出て行く。
「や、包みなほして上げようぜ。」
と、徳は孤ならず、ちよろつかな包み加減。拔いた串に皮が開いて、小姉の手の上に飜つたのを、風呂敷ごと引奪るやうに取つて、奴は屋臺で、爲直しながら、
「えゝ……まけて置け、一番。」と、皿から捻るやうに引摘んで、別に燒團子を五串添へた。
「此處へも、お團子を下さいな。」
と櫛卷の阿母が衝と寄つた。
きよろりと見向いて、
「饀子ならお手間が取れますツ。」と又仰向く。
「否、燒いたのですよ。」
「へーい。」と相かはらず突走る。
「十錢のを二包、二包ですよ──可いかい。其から、十五錢のを一包、皆燒いたのをね。」
「へーい、唯今。」
「否、歸途で可いのよ。」
「へーいツ」
「あのね、母樣。」と、娘があたりを兼ねた體で、少し甘えるやうに低聲で言つた。
「然う……では其の十五錢のなかへ、饀のを交ぜて、──些とで可いの。」
「些と、」
と口眞似のやうに繰返して、
「へーい。」
「さあ、それぢやおまゐりをして來ようね。」
「あい、」
と言つて、母娘二人、相坂の方へ、並んで向く。
饀がかりは澄ましたもので、
「家内安全、まめ、そくさい、商賣繁昌、……だんご大切なら五大力だ。」と、あらう事か、團子屋の老爺さまが、今時取つて嵌めた洒落を言ふ。
「何を言はつしやる。」と……お婆さんは苦笑した。
あの、井戸の側を、庭を切つて裏木戸から、勝手を知つて來たらしい。インキの壺を、ふらここの如くに振つて、金釦にひしやげた角帽、かまひつけぬ風で、薄髯も剃らず遣放しな、威勢の可い、大學生がづか〳〵と入つて來た。
「いや、どつこいしよ。」
と──あの弟が居る、其の床几の隅に腰を投下すと、
「おい、饀のを一盆。……お手間が取れます、待つてらつしやい。」
と恐しく鐵拐に怒鳴つて、フト私と向合つて、……顏を見て……雙方莞爾した。同好の子よ、と前方で思へば、知己なるかな、と言ひたかつた。
いや、面喰つたのは奴である。……例に因つて「お手間が取れますツ。」を言はない内に、眞向高飛車に浴せられて、「へーい、」とも言ひ得ず、鳶に攫はれた顏色。きよとんとして、小姉に再び其の包を渡すと、默つて茶を汲みに行く、石頭のすくんだ、──背の丸さ。
「しばらく、──お二人しばらく。」
と後じさりに、──いま出て行く櫛卷と、島田の母娘を呼留めながら、翁の行者が擦違ひに、しやんとして、逆に戻つて來た。
店頭へ、恭しく彳んで、四邊を見ながら、せまつた聲で、
「誰方もしばらく。……あゝ、野山も越え、川も渡り、劍の下も往來した。が、生れて以來、今日と云ふ今日ほど、人の情の身に沁みた事は覺えません。」と、聲が途絶えて、チリ〳〵と鐸が鳴つた。
溜息を深く、吻と吐いて、
「私は行者でも何でもないのぢや。近頃まで、梅暮里の溝へ出て、間に合せの易を遣つて居ましたが、好きなどぶろくのたしにも成らんで、思ひついた擬行者ぢや。信心も何もなかつたが、なあ、揃ひも揃つた、あなたがたのお情──あの娘も聞かつしやれ。」
と小姉に差出した手がふるへて、
「老人つく〴〵身に染みて、此のまゝでは、よう何うも、あの蹈切が越切れなんだ。──
あらためて、是から直ぐに、此の杖のなり行脚をして、成田山へ詣でましてな。……經一口も知らぬけれども、一念に變りはない。南無成田山不動明王、と偏に唱へて、あなた方の御運長久、無事そくさい、又お若い孃たちの、」
とほろりとして、老の目に涙を湛へ、
「行末の御良縁を祈願します、祈願しまする。」
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※表題は底本では、「松の葉」とルビがついています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2011年9月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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