小説集「聖女人像」後記
豊島与志雄


 終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。この近代説話ものについては、聊か特殊の意図があったのである。

 いったい、短篇小説では、作者が真に言いたいこと、つまり作品の中核は、煎じつめれば案外に僅かなもので、大部分は主としてそれへの肉付けとなる。主要人物の境遇とか環境とか生活様式とか、さまざまなものを書かなければならない。然し、作者にとっては、執筆に際して何を考えたか、何を感じたか、それが最も大切なのである。言い換えれば、作品のモチーフが最も大切なのである。如何に面白い話があり、如何に興味ある事件があろうとも、どうしてもそれが作品にならない場合が多いことは、モチーフの重要性を証するものであろう。そしてこのモチーフとは、作者が作中人物と共感者になり、共犯者になり、共動者になるところの、一種の契機だと、ごく素朴に解釈してもよかろう。

 このモチーフは、普通の場合には、小さなもの、僅かなもの、一寸したものであることが多い。けれども往々にして、モチーフが大きくふくれあがることがある。小説の形式を破壊したがるほど拡大することがある。殊に、今度の世界大戦後の新たな時代には、それがある。と言うだけでは足りず、あらねばならないと私は思う。──例えば、吾々にとって、終戦後に何等かの決意が必然にあった筈である。人は、だらだらと新たな時代にはいりこめるものではない。草木にしても春先には急激に若芽を出す。それは草木の決意であり跳躍である。まして人間は、常に大なり小なりの決意で行動している。新時代への発足に際しては、大きな決意と跳躍とがある筈である。茲に、作者としての私のモチーフの膨脹があった。

 斯かるモチーフを生かすために、私は近代説話という小説を書き出した。私が真に言いたいことを充分に作中に盛りこみたかったのである。然し評論と違って小説なので、それを直接に文字に書けるわけではなく、叙述の裏付けとなすに止まること勿論である。そうではあるが、こういう作品では、細かな描写が甚だもどかしくなり、出来得る限り枚数を制限したく、つまり圧縮した作品にしたかった。

 そういうわけで、近代説話という方法を採ったのである。即ち、現実的な描写法と象徴的な表現法とを併用したし、また、出来る限り短く書いた結果、筋書的な乾燥を恐れて、話述体の文章にした。そうすることによって、芸術的な濡いと余韻とを作品に保たせたかったのである。結果から見ると、小説よりは詩に近いものとなった。

 詩に近いものとなったのは、他方、作者たる私の性格にも依るし、且つは作の主題にも依る。終戦後、何等かの踏み切りをなそうとしている人々、決意と跳躍とを身内に感じている人々、そういう人物を私は各方面に探求した。随って、彼等の気息は、現在にあるよりも寧ろ多く将来に通っている。そこに一種の詩が生れてくる。

 だが、彼等は未だ真に踏み切ってはいない。それが私には不満なのである。終戦直後では、踏み切ろうとしてるだけで足りた。然し現在では、踏み切ってしまっていなければならない。この故に私は、特別な題材のものでない限り、もう近代説話ものを止めようと思っている。近代説話の領域から離れて、新たな創作方法を試みようと思っている。

 小説は要するに人間像を描くことに在る。この人間像は、肉体ばかりでなく、思想感情意志などをも含めた立像を意味する。ところで、人間性そのものには変化ないとしても、新たな時代には、原子力時代には、人間像が変革するであろう。この変革した人間像を描くには、十九世記的な小説作法ではいろいろな苦渋がある。私もその苦渋を感じている。それを超克する方法を考えている。

 それがどういう創作方法となってくるか、今ここに説くのをやめよう。私自身でもまだはっきりしてるわけではない。何事も実践に依らなければ意味をなさない。畢竟は作品を書いてからのことである。

 本書は、以上のような意味で書かれた作品集である。始めの四篇は近代説話物であり、後の四篇はそれに引続くものである。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社

   1967(昭和42)年1110日第1刷発行

初出:「聖女人像」光文社

   1948(昭和23)年4

入力:門田裕志

校正:Juki

2013年412日作成

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