水色情緒
長谷川時雨



 鏡花先生の御作を私が好きだつた理由は、魂を無何有の郷へ拔いていつて貰へることでした。私達が心に感じて行ふ事の出來ない萬事を、先生の作中の人物は、小氣味よくやつて退けてくれる──勿論、そこにはすべてを魅了しつくしてしまふ大きな力があるのは分りきつてゐますが──そこが私たちの先生でなければならない所でした。花川戸の助六も、幡隨院の長兵衞も、男だから私たち女には溜飮を下げてはくれない、そこへ行つて先生は親玉です、親玉でした。もうなくならうとする──日本女性の中で特殊な、別だん大した値打はないかもしれないが、かんしやく玉を投つたやうな、竹を割つたやうな、さら〳〵と流れて行くやうな水、秋の空を通る風のやうな、利欲のほかに恬淡としてゐた、ちとばかものかも知れない江戸女の魂を──ピチ〳〵生かして料つてくれた親玉です。

 もと〳〵江戸つ子──殘存した江戸つ子なるものは──男はあんまり難有くありません、青鬚で唐棧ぞつきなんて、苦味がありさうで、七五のせまい着付けから膝つ小僧はみださせてゐるのなんて、とてもたまらなく嫌ひなもの、ですが、女の氣持の底にこそ、なんだか大和魂といふものを俗にしたやうな所があると、まあ買ひかぶります。意地と張り──それを掴んで料理して下さつたのが鏡花先生です、土地に生れたものは當り前のことで氣がつかない、それをお前達こんなものを持つてゐると洗つて見せて下さつたものです。

 ですが、生地の者では、もうがまんがならないと、ガラ〳〵と微塵にぶちこはしてしまひさうなところで、凝と、うんと堪へるあの底力がちよつと羨しい、その持合せのないものを注入して下さつたので、殊更私たちには有がたいのでした。

 今の世に、私たちには許されない我儘、それを先生の作物はみんな許されてゐる、ゆるされてゐなければ戰つてゐる、誰も彼も女は實に勇敢だ、優しさうに見えて──みんな糸薄、糸萩、露のなでしこといひさうな風情に見えて、それでゐて心は實に強い、實にたまらなくそれが嬉しかつた、男性を向うへ𢌞しての宣戰です。それこそ男なんぞは知らない優越を感じたので、誰でも鏡花宗になる時代は屹度一度はある筈です、なければよつぽど不思議な位、そんな女は夢を知らない、御飯とお金と慾情だけ──といふ風にもまあとれなくもないでせう。

 鏡花式とある人は一口にいふ、それは重に侠などこか、奴の小萬式の、たてひきの強い、ぐつとくる癪なのを糸切り齒で噛みころして、柳眉をすこしあげてポンと投出したやうな物言ひをする女人をさすが、先生の好いのはそんなことではありません。さういふと大層大まかな言ひ方になりますが、あのうつむいた、しをらしい、胸の所の帶上げの結び目を、そつと袖を合はしてかくして、美しいえりあしのこぼれ毛をふるはせてゐる、袖口のにほはしい、娘!娘! むすめといふ字がほんとにしつくりあつてゐる──紅梅のやうなどこかに凛としてゐるのも、初花櫻のやうなのも、海棠のやうなのも、芽出し柳のやうなのも、雨に風に露に、夕月にとり〴〵に、ほんとうに、うぶに氣品があつてそのくせ優しく、いぢらしく涙を含んでゐながら、飴湯のやうに甘く解けてしまはない、生娘が天下の寶のやうな氣がします。私が勝手に思ふのは、十七かの年に、お駕籠へ乘つてお振袖に胸をおさへて、江戸からはる〴〵加賀の國の山々にかこまれたお城下へ住み移つたといふ美しい女の面影が、あやしい程先生の胸にこもつて、悲しい、さびしい、やる瀬ない思を嘆き訴へたのではなからうかと。

 その次に私は、先生の水色情緒に怪しいまでにひきつけられてゐました、水色情緒と私が自分勝手にいつてゐるその中でも、ことに玲瓏と水の上一尺ばかりに立つ曉の煙り──そんな風にもいつたらよからうか、ほの〴〵とした紫雲──紫水晶を生む山の瑞氣といつたやうなものを持つ女性、惱みと憂悶に疲れて、香氣を吐く令室又は嫁女、その次は純水色の妖女、旅藝人、侠女、藝者……

 古い頃、鏑木清方さんが、鏡花先生の女性には紫でも淡紅でもない、水淺葱でなくつてはならない、が、どうも水淺葱が思ふやうな色に出ないのが氣になつて、とお話なさつたが、全く水淺葱が夏の曉の風のやうに、すつきりと濁りがなく出てゐるのは先生お作中の年増女です。

 女仙前記、きぬ〴〵川、辰巳巷談、書きだしたらきりはない、全集で皆さんも一度讀んでください。

 私は作中の人物が好きなばかりでなく、あの妖怪氣分も大好きです。あの水鷄の里だつて、高野聖だつて、水もおしよせてくれば蝙蝠も吸附くにちつとも不思議はないではありませんか。ある時は白菊の香にすつかり包まれて了つて、室内に菊の香が漂ふことさへあります、ある時は松の若葉がそこはかともなく、かすかにこぼれた氣配さへ感じられます。流れの音がさゝやく位なんでせう、時には鼓のしらべも通つてくる響きが、讀んでゐる内にしてきます。

 私が未だ佃島に住んでゐたころ、離れにたゞ一人机にむかつておち潮の音をきいてゐると、エツエツと幽靈船みたいな、櫓の音がしないで、遠くから掛聲ばかりきこえてくるやうな夜更けに、ある夜ふと怖いものを見ました。それは頭の心が、しんと冴えてきたり、急に紙に辷るペンの音が凄くなつて、ふと手をとめて傍を見た時でした、ほんとにぞつとしたのは、横顏のすぐ近くに、ちらりと、丸髷の手絡──それも淺葱鹿の子が見えて、はつきりと、水も垂れるやうな鬢のかゝりから髱つきまで目にうつツたのです。私はグウ──といふほど胸がふくれて、動くことが出來なかつたのですが、その時はじめて、先生の「あちらまかせ」といふ氣持を知る事が出來ました。深夜、先生の身邊机邊には、美女の靈がどれほど折重なつて、とりまいて、凝と思ひをこらしてゐた事でせう……

(昭和十六年六月發行『鏡花全集』第十三卷月報より轉載)

底本:「鏡花全集 月報」岩波書店

   1986(昭和61)年123日発行

底本の親本:「鏡花全集 月報4」岩波書店

   1974(昭和49)年2

初出:「鏡花全集 第十三卷月報」岩波書店

   1941(昭和16)年6

入力:門田裕志

校正:鈴木厚司

2006年111日作成

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