屋根裏の犯人
──『鼠の文づかい』より──
坂口安吾
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その日は大晦日です。何者か戸を叩く音に、ヤモメ暮しの気易さ、午ちかくまで寝ていた医者の妙庵先生、起きて戸をあけると、
「エエ、伊勢屋源兵衛から参りましたが、本日はお風呂をたてましたので例年の通り御案内にあがりました。どうぞお運び下さいまし」
「では本日は伊勢屋の煤はらいか」
「ヘエ、左様で。例年は十二月の十三日に行う慣いでしたが、当年に限って忙しかったので大晦日に致しました。そろそろ湯のわくころでございます」
「それは御苦労であった。ちょうどいま起きたところだから、茶漬けをかッこんで朝風呂をちょうだい致そう」
使いの者を返して湯をわかし、冷飯を茶漬けにして食事をすませると、伊勢屋へでかけました。
この伊勢屋では、年に一度、煤はらいの日に風呂をたきます。その日になると、まず檀那寺から祝い物の笹竹を月の数だけ十二本もらってくる。これで煤をはらって、用ずみの竹は屋根の押えに使います。タダの物をさがしだしていろ〳〵と役に立てるのが伊勢屋源兵衛の寝た間も頭を去らぬ心得で、この煤はらいの当日に一年に一度の風呂をたくにも、五月節句のチマキの皮やお盆に飾った蓮の葉なぞと他の使い道のないものを段々とためておいて、これで焚きます。
こういう風呂ですから、家族の者だけが身体を洗って捨てるようなことはしません。妙庵先生は自分から薬代を要求しない人ですから患者の方から見つくろって礼物をさしあげる。そこで伊勢屋では一年に一度の風呂をさしあげます。物の効用は無限であって、それを発見した者はタダで無限の効用を利用することができます。
妙庵先生が伊勢屋へ参りますと、店さきの土間に風呂桶をすえて、源兵衛さんの母親が釜たきをしている。風呂桶は年に一度しか使わないから、ふだんは土蔵にしまっておきます。
「ようこそおいで下さいました。ただいま湯カゲンを見ましょう」
「これは御隠居、いたみ入りますな」
「昨晩やすむ前にこの風呂桶を土蔵から出してすえまして、今朝は暗いうちから私が焚きつけておりますが、早いもので、もう沸きましたようです。薪をたいて急いで風呂をわかそうなんて方もあるようですが、それじゃア夜と昼とがあるという意味がありませんね。夜を用いて焚きつけますと、午すぎる頃にはもうチャンとこうして風呂がわいております。ちょうどよろしいようですが、カサのある物を一たきして、熱いめに致しましょう」
「これはオモテナシかたじけない」
「この木履は私が十八の年、当家へお嫁入りのとき長持に入れて持って参ったもので、歯がちびたのはいつの頃からでしたか。雨の日も雪の日もこれをはきまして、早いもので、五十三年になります。私一代はこの一足で埒をあけるつもりでしたが、惜しいじゃありませんか。野良犬に片方とられて、今日是非もなく煙にしなければなりません。一代に二足も下駄をはこうなどとは、この年まで夢にも思わなかったのに、なさけなや、ナムアミダブツ」
それで片輪の木履をすぐ釜に投げこむかと思うと、そうではありません。またそれを顔ちかく引きよせて打ちながめ、同じくりごとを五度ほどくりかえしてから、やっと釜の中へ投げすてました。
一年分の薬代を一度の風呂ですませるのが不足どころかオツリがタップリあるらしい様子。さても怖しい風呂、これにつかって長命しなければフシギというものだと妙庵先生おそるおそる足を入れようとすると、たいそう、ぬるい。ふだん風呂にはいりつけないから、湯カゲンも知らないらしい。ふと隠居を見やると、折しも隠居は泪をハラハラと膝にこぼしていられるところ。
「ああ月日のたつのは、ほんとに夢のようだこと。明日はもう一周忌になるが、ほんとに惜しいことをしました」
妙庵先生これを耳にとめてフシギがり、
「して元日にどなたが死去されましたか」
「アラ。いいえ。とんだ歎きをお耳に入れましたが、私がいかに愚痴になればとて、人が死んだぐらいで、こう歎きは致しません。去年の元旦に妹が年賀に参りまして、銀一包みお年玉にくれましたが、あまりの嬉しさに神ダナにあげて拝んでおりましたのを、見ていた者がいたんですね。その夜のうちに盗まれてしまったのです。いろいろと諸神に願をかけましたが、その甲斐もなく、さる人の申されるには、山伏に祈ってもらうと七日のうちに必ず失せ物がでるとのことに、さっそく山伏を訪ねましたところ……」
こう云いかけてワッと泣きくずれてしまいました。悲歎の様は一様のものではありません。深いワケがありそうですから、
「それはお気の毒な。して、山伏を訪ねたところ、どういうことになりましたか」
「ハイ。世にこれほど口惜しいことがございましょうか」
隠居は泪ながらに当時のことを語ってきかせました。
山伏は隠居の話をきき終ると、
「よろしい。それでは祈ってあげるが、まず、これへ来なさい」
とゴマ壇の前へみちびきました。燈明をともして、フスマをしめきると、昼の光はみなさえぎられて、物音も遠ざかり沈々と深夜がよみがえったようでした。
「さて、御隠居。山伏の祈りは、一祈りに身の毛は三本、身の脂は一滴と申して、おのが寿命をちぢめて祈る。祈りの数を重ねてついに身の毛身の脂が尽きはてたときには、その場にアッと叫び、ちょうど熊野のカラスが血を吐いて死するように、五穴から身の血を吐いて絶命いたす定めでござる。さればバンリバリバリと珠数もみくだき、真言秘密のダラニを声高に唱え、身の毛を逆立てて祈るときには、祈りのかなわぬということはない。祈りかなって七日のうちに失せ物の現われるときには、それ、その御幣がおのずからに動きだし、また燈明がおのずから消滅いたす。それが大願成就の知らせでござる。よろしいか。よッく目をとめて見ておられよ」
今でも山伏に火渡りの行事がありますが、山伏は火を渡り風をよび雲にのって通行する。病気も治すし、魔物も払う。山伏の法力というものは、昔は諸人に信ぜられ怖れられていたものです。
易者とちがって、失せ物はこれこれの方角にありますなぞと云うのじゃなくて、法力によって七日のうちに出してみせますと云うのだから、その祈りはすさまじく、身の毛がよだつようです。
身をふるわせて珠数もみくだき、はては錫杖を突きたてて、悪魔すらもハッタと祈り伏せんばかり。
荒々しい祈りが静まると、フシギや。おのずからに御幣がコトコトとうごきだし、燈明がチョロチョロとまたたいてパッと消えた。あとは真の闇。大願成就の知らせとは云え、その怖しさと云ったらありません。
「アア有りがたや。末世とは大のイツワリ。神仏はあるものよ。怖しや、有りがたや」
と隠居は財布のヒモをほどいて、定めのお初穂百二十文敬々しく差上げて立ち帰りました。ところが待てど暮らせど失せ物は現れません。七日はおろか、ついに一周忌がくるというのに、現われなかったのです。
妙庵先生、下情に通じているばかりでなく、一通りは古典にも通じ、またオランダ渡りの鑑識にも通じております。話をきいて打ち笑い、
「盗人に追い銭とはそのこと。さては山伏にはかられましたな」
「いいえ。自然に御幣がうごき御燈明が消えたフシギはウソではありません」
「それはゴマ壇にカラクリがあるのです。ちかごろ仕掛け山伏と申してな。ゴマ壇にカラクリを仕掛けてフシギを見せて金をとる悪い奴がでているのですよ。松田播磨掾のカラクリ人形を御存知ないかな。白紙の人形が人手をふれずに土佐踊りをするのですが、仕掛け山伏はこのカラクリを応用いたしておる。御幣をたてた壺の中に生きたドジョウが入れてあるのです。錫杖で壇を打つからドジョウが驚いて騒ぎます。そこで御幣がうごく。山伏は錫杖で壇を打ったでしょうが」
「打ちましたが、それで御燈明が消えたわけではございません」
「それはな。燈明の台には砂時計の仕掛けがほどこしてある。小さな孔があって、定まった時間に定まった油の量がタラリタラリと自然に抜かれるようになっています。どれだけの時間で油の全部が抜かれてしまうかということは、時計の仕掛けだからチャンと定まっていて狂いがない。山伏はその時間を知っているから、油の尽きる直前にちょうど祈り終るようにするのです。思いだしてごらん。山伏は燈明をともす前に、まず燈明の台をなんとなくいじくっていたでしょうが」
これをきくと隠居の血相は変って、たちまち血の気はスッと落ちて、フラフラとひきつけそうになりました。
「それじゃア、あの百二十文も、かたり取られたのですか」
ギャアッという大音がして、隠居の五穴から泪があふれました。身をふりしぼって、泣きわめき、
「この年になるまで一文の金も落さず暮してきましたのに、今年になって損の上に損を重ねてしまいましたか。私としたことが、妹にもらった銀包みをただ身につけてそッとしまっておけば何事もなかったのに、神ダナへ上げて拝んだから人に見られてしまいました。口惜しや。この大晦日に銀包みが拝めなくては明日の元旦をむかえる力がございません」
外聞もかまわず、ハラワタをねじって泣きわめきました。店の中央の土間に風呂桶をすえてのことですから、屋根裏のクモの巣を払っている小僧の耳に至るまでクマなくひびき渡ります。
「疑われちゃア迷惑だねえ。あの婆アのヘソクリが盗めるぐらいならエンマのガマ口が楽にすれらア。八ツ当りって云うが、八つ恨みに呪いをかけられちゃア命がちゞまるな。エエ。神サマ仏サマよ。オン敵退散。清めたまえ」
神仏に気勢をかけて力の限り屋根裏の煤を払うと、ポトリと上から落ちてきたものがありました。これを手にとりあげて改めますと、
「アレ。銀包みだ。これぞ婆アの銀包みだぜ。アアラ、フシギや。有りがたや。ざまア見やがれ、クソ婆アめ」と、銀包みを握って婆さんの前に駈けつけて手の中の物を突きだして見せました。
「さア、どうだ。人を疑るのもほど〳〵にしろ、だ。盗まれない物はチャンと出てくるぞ」
小僧は威張りたてて隠居に恨みを晴らしましたが、これを見て、折れるどころか、隠居の顔は一段と蒼ざめてひきしまり、
「これはどこから出てきたかえ」
「屋根裏の棟木の間から落ちてきましたよ。鼠がひいて持ってッたのさ」
「フン。私の隠居家は別棟になっているのに、母家の屋根裏からでるとはフシギじゃないか。そんな遠歩きする鼠の話はこの年になるまで聞いたことがありませんよ。大方、頭の黒い鼠がひいたものだろうよ。そんな鼠と同居じゃア油断ができない。夜もオチオチねむれやしないよ」
タタミを叩いて喚きました。こう云われると、ほかに証拠がありませんから、一同も返す言葉がありません。
妙庵先生はこのとき風呂からあがって参りまして、
「ヤ、結構な風呂をちょうだい致した。その鼠のことだが、こんな話があるな。人皇三十七代孝徳天皇の大化元年十二月の大晦日に、大和の国の岡本というところの都を難波の国の長柄の豊崎に移したところ、大和の鼠も一しょに引越してきたそうだ。鼠にも世帯道具があってな。孔につめる古綿。トンビに隠れる紙ブスマ。猫に見つからぬお守り。イタチの道切りに用いる尖り杭。火消しの板ぎれ。鰹節ひくときの梃子の類いなぞと数々の世帯道具をな。二日路も道ノリのある豊崎まで口にくわえて運んだそうな。鼠というものは思わぬ遠歩きを致すものだな。まして隠居家と母家の間ぐらいは物の数ではござるまい。このような鼠のイタズラは世間によくあることです」
「口がしこいことを仰有っても、私ゃもう、だまされませんよ」
「私がだましたことがあるようで恐縮だなア。これよ、小僧さん。御当家には有るまいから、御近所で年代記をかりてきなさい。ヤ、ありがとう。エエと。人皇第三十七代孝徳天皇大化元年十二月大晦日。これだ。ごらんなさい。鼠の引越し。ここにチャンとでている」
「物の本なぞに何がでていたって絵ソラゴトですよ。実物を見なきゃア何が信用できるもんですか」
証拠の年代記も相手にしてくれないから、妙庵先生もサジを投げました。
「お忙しい最中に長々と結構な風呂をちょうだい致した。これで一段と長生き致すだろう。では、さよなら」
と立ち帰ろうとするのを主人の源兵衛が追ってきて、
「殺生ですよ、先生は。あんなにウチの婆さんを怒らせちまッて、自分だけ一段と長生きして行っちまうなんて」
「とんでもないことを云う人だね。私が御隠居を怒らせたわけじゃアないでしょう」
「いいえ、そうですとも。仕掛け山伏だ、ドジョウだ、砂時計だなんぞと余計なことを云うからですよ。年代記なぞを取り寄せて婆さんの気をひいて、あそこまで逆上させてしまったんですから、チャンと始末をつけて下さらなくちゃア。私ども無学の者には年代記のあとの始末はつきませんよ」
「これは甚だこまったな」
「いえ、こまったのはこッちですよ」
「後の始末と申しても、実物を目で見なくちゃア何も信用いたしませんと仰有られちゃア、鼠の引越しを見せたくとも、鼠が引き受けてくれませんのでな。ハテ、待てよ。ウム。実物を見せられないこともないが、お金がかかるな。伊勢屋さんがお金のかかることをする筈はなし。乗りかかった舟だ。まア、仕方がない。では実物を連れてきて御隠居を納得させてあげるから、暫時まちなさい」
仕方がありませんから、妙庵先生はその足で鼠つかいの藤兵衛を訪ねました。そのころ江戸湯島に長崎水右衛門という名題の獣使いがおりまして、この人に雇われて鼠を使っていた藤兵衛がいま上方に住んでおります。妙庵先生、これを訪れまして、
「実はこれこれの次第でな。鼠が物を運んで遠歩きするところを実地に見せなくては、その隠居が一同を祈り殺す怖れもあるから、一ツお力添えを願いたい」
「それはお易いこと、さッそく御隠居をなだめて差しあげましょう」
藤兵衛は気軽に引き受けて飼い馴した鼠をつれて来てくれました。
大晦日ですから人通りは絶えませんが、おいおい夜もふけております。ようやく伊勢屋へ戻ってみますと、煤はらいもすみ、お風呂も落して正月を待つばかりですが、思いをかけた銀包みがせっかく現れても、頭の黒い鼠どもと同居では隠居はとても寝つかれませんし、あらぬ疑いをかけられた一同は気持よく正月も迎えられません。そこへ藤兵衛が博士の鼠をつれて来てくれたから、蘇生の思いを致しました。
「一同はこッちの隅にかたまって、勝手なお喋りなぞしちゃいけない。学のある鼠サマだから癇癖が強いかも知れないよ。婆さんをよんでおいで」
一同そろったところで、藤兵衛が鼠をカゴから出しまして芸づくしをやります。
「東西、東西。ここもと御覧に入れまするは恋の文づかい。とつおいつ恋の闇路は思案にくれたる若衆の思いのたけをしたためましたる手紙をくわえて恋の文づかい、首尾よく演じましたるときは御手拍子御カッサイ」封じた文をおいて鼠を放すと、これをくわえて後先を見廻し、チョロチョロと座敷を一廻り二廻り走り廻ったのちに、一人の人の袖口へ文をいれました。また藤兵衛が一文銭を投げだして、
「餅かっておいで」と申しますと、鼠は一文銭をくわえて床の間へ行き、三宝の上へあがって一文銭を置きのこし、餅をくわえて戻ってきました。
鼠が物をひくとは申しますが概ね暗闇で行われることで、誰が見たわけでもありません。しかし、こうして公開公演を見せられては否も応もありようがない。妙庵先生が膝をすすめて、
「御隠居、得心がゆかれましたかな。人の身にひきくらべては思いもよらぬ大きな物または重い物を口にくわえ尾にまいて、鼠というものは思いのほかの遠歩きを致すものだ」
婆さんは不承々々にうなずきましたが、やがてキッと顔をあげ、
「なるほど、これを見れば、鼠も銀包みをひいて母家の棟へ隠さぬものでもないことは分りましたが、そのような盗み心のある鼠を母家の棟に飼っておかれる宿主の責任はそのままでは済まされますまい」
「疑いが晴れたならそれでよろしいではござらぬか」
「とんでもないこと。盗み心のある鼠にこの銀をひかれて一年間ただ遊ばせた利子は母家から返済していただかねばなりません。年利一割半の算用で、ちょうど今日が満一年目、元日に半刻かかっても二年目の利子をいただきまする」
再び御隠居の血相が変ってスッと血の気がひいてしまいましたから、もう伊勢屋も敵対はできません。婆さんの喚き声をとめるには、利子を渡すか、息の根をとめるか、二ツに一ツしかありませんが、死ねば化けて出て尚その上に利子もとるにきまっているから、どうしても利子を払わなければなりません。そこで元日にならないうちに泣く泣く利子を御隠居に支払いました。
「それでは」
と御隠居は紙とスズリをかりて請取りをしたため爪バンをおし、おしいただいて利息と交換いたしました。
「まずまず、これで本当の正月ができます」
隠居は満足して膝のホコリを払って立上り、隠居屋へ戻ってグッスリひと寝入りをいたしましたとさ。
底本:「坂口安吾全集 13」筑摩書房
1999(平成11)年2月20日初版第1刷発行
底本の親本:「キング 第二九巻第二号」
1953(昭和28)年1月15日発行
初出:「キング 第二九巻第二号」
1953(昭和28)年1月15日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2010年5月19日作成
2011年5月19日修正
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