術三則
泉鏡花
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帝王世紀にありといふ。日の怪しきを射て世に聞えたる羿、嘗て呉賀と北に遊べることあり。呉賀雀を指して羿に對つて射よといふ。羿悠然として問うていふ、生之乎。殺之乎。賀の曰く、其の左の目を射よ。羿すなはち弓を引いて射て、誤つて右の目にあつ。首を抑へて愧ぢて終身不忘。術や、其の愧ぢたるに在り。
また陽州の役に、顏息といへる名譽の射手、敵を射て其の眉に中つ。退いて曰く、我無勇。吾れの其の目を志して狙へるものを、と此の事左傳に見ゆとぞ。術や、其の無勇に在り。
飛衞は昔の善く射るものなり。同じ時紀昌といふもの、飛衞に請うて射を學ばんとす。教て曰く、爾先瞬きせざることを學んで然る後に可言射。
紀昌こゝに於て、家に歸りて、其の妻が機織る下に仰けに臥して、眼を睜いて蝗の如き梭を承く。二年の後、錐末眥に達すと雖も瞬かざるに至る。往いて以て飛衞に告ぐ、願くは射を學ぶを得ん。
飛衞肯ずして曰く、未也。亞で視ることを學ぶべし。小を視て大に、微を視て著しくんば更に來れと。昌、絲を以て虱を牖に懸け、南面して之を臨む。旬日にして漸く大也。三年の後は大さ如車輪焉。
かくて餘物を覩るや。皆丘山もたゞならず、乃ち自ら射る。射るに從うて、𥶡盡く蟲の心を貫く。以て飛衞に告ぐ。先生、高踏して手を取つて曰く、汝得之矣。得之たるは、知らず、機の下に寢て梭の飛ぶを視て細君の艷を見ざるによるか、非乎。
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2007年4月9日作成
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