土の中からの話
坂口安吾



 私は子供のとき新聞紙をまたいで親父に叱られた。尊い人の写真なども載るものだから、と親父の理窟であるが、親父自身さう思ひこんでゐたにしても実際はさうではないので、私の親父は商売が新聞記者なのだから、新聞紙にも自分のいのちを感じてゐたに相違ない。誰しも自分の商売に就てはさうなので、私のやうなだらしのない人間でも原稿用紙だけは身体の一部分のやうに大切にいたはる。先日徹夜して小説を書きあげたら変に心臓がドキドキして息苦しくなつてきたので、書きあげた五十枚ほどの小説を胸にあててみた。夏のことで暑いからふと紙のつめたさを胸に押し当ててみる気持になつただけのことであるが、心臓の上へ小説を押し当ててゐると、私はだらしなくセンチメンタルになつて、なつかしさで全てが一つに溶けてゆくやうな気持になつた。理窟ではないので、自分の仕事の愛情はさういふものだ。尤も書きあげて一週間もたつと、今度は見るのが怖しいやうな気持になり、題名を思ひだしてもゾッとするやうになつてしまふ。

 あるとき友達の画家が、談たまたま手紙一般より恋文のことに至り、御婦人に宛てる手紙だけは原稿用紙は使はない、レター・ペーパーを用ひる、原稿用紙は下書きにすぎないから、と言ふ。私は初め彼の言葉が理解できなかつたほどだ。これも商売の差だけのことで外に意味はない。私にとつて原稿用紙はいのちの籠つたものであり、レターペーパーなどはオモチャでしかない。

 商人が自分の商品に愛着を感じるかどうか、もとより愛着はあるであらうが、商ふといふことと、作るといふこととは別で、作る者の愛着は又別だ。さういふ中で、農民といふものはやつぱり我々同様、作者なのであるが、我々の原稿用紙に当るのがつまりあの人々では土に当るわけで、然し原稿用紙自体は思索することも推敲することもないのに比べると、土自体には発育の力も具はつてゐるので、我々の原稿用紙に更に頭脳や心臓の一かけらを交へた程度にこれは親密度の深いものであるらしい。その上に年々の歴史まであり、否、自分の年々の歴史のみではなく、父母の、その又父母の、遠い祖先の歴史まで同じ土にこもつてゐるのであるから、土と農民といふものは、原稿用紙と私との関係などよりはるかに深刻なものに相違ない。尤も我々の原稿用紙もいつたんこれに小説が書き綴られたときには、これは又農民の土にもまさるいのちが籠るのであるが、我々の小説は一応無限であり、又明日の又来年の小説が有りうるのに比べて土はもつとかけがへのない意味があり、軽妙なところがなくて鈍重な重量がこもつてゐる。

 土と農民との関係は大化改新以来今日まで殆ど変化といふものがなく続いてをり、土地の国有が行はれ、農民が土の所有権と分離して単に耕作する労働者とならない限り、この関係に本質的な変化は起らぬ。農の根本は農民の土への愛着によるもので、土地の私有を離れて農業は考へられぬ、といふのは過去と現在の慣習的な生活感情に捉はれすぎてゐるので、むしろ土地の私有といふことが改まらぬ限り農村に本質的な変化や進化が起らないといふことが考へられるほどだ。

 農村自体の生活感情や考への在り方などが、たとへそれがどのやうに根強く見えやうとも、その根強さのために正しいものだの絶対のものだのと考へたら大間違ひだ。江戸時代の田中丘隅といふ農政家が農民の頑迷な保守性を嘆じて「正法のことといへども新規のことはたやすく得心せず、其国風其他ならはしに浸みて他の流を用ひず」と言ひ、更に嘆じて「家業の耕作、田地のこしらへ、苗代より始めて一切の種物下し様に至るまで、ただ古来より仕来る事を用ひて、善といへども、悪を改めず」と嘆息してゐる。

 このことは遠い古代からすでにさうで、平安朝の昔、大伴今人といふ国守が山を穿つて大渠をひらいたとき、百姓はこれを無役無謀な工事だといつて嗷々ごうごうと批難したが、工事を終りその甚大な利益を見るに及んで嘆賞して伴渠と名づけて徳をたたへたといふ。又、淳和じゅんな天皇の頃、美濃の国守の藤原高房といふ人があつて、安八郡のさる池の堤がこはれて水がたまらず潅漑の用を果してをらぬのを見て、修築を企てた。すると土民は口をそろへて、この池は神様が水を嫌つてゐるのだから水を溜めない方がいいのだと騒ぎだしたが、神様が怒つて殺すといふなら俺はいつでも殺されてやるさ、と高房は断乎として堤を築かせたところ、工事終つて潅漑の便利に驚いた土民は改めて嘆賞したといふ。平安朝の昔からこの式で、今に至るもなほ、農民は常に今居る現実を善とし真とし美とし、これを改良することを不善とする。改良の精神自体を不善不逞にして良俗に反するものと反感をいだく始末なのである。

 大化改新のとき農民全部に口分田くぶんでんといふものを与へた。つまり公平に田畑を与へたわけであるが、良田も悪田も同じに差別なしに税をとる、元々田畑を与へた理由が大地主の勢力をそぐためであり皇室の収入のためであつて農民自体の生活の向上といふことが考へられてゐたわけではないから、税が甚だ重い。今日の供出と同じことで農民は不平であり、大いに隠匿米もやりたいであらうが、今日と違ふところは上からの天下り命令が絶対で人民の権利だの官吏横暴などと法規を楯にする手がないから、泣く子と地頭にはかたれないといふことになつて、逃亡とか浮浪といふことをやる。尤も本当は逃げずに戸籍だけごまかすといふ手もあつたに相違ないが、奈良朝だの平安朝の今日残存する戸籍簿に働き盛りの男子が甚しく少いのは名高い話で、つまり逃亡してゐるか、戸籍をごまかしてゐるのである。逃亡の理由にも色々とあつて、国守の苛斂誅求かれんちゅうきゅうをさけるだけなら隣国へ逃げてもよい。かういふ逃亡は走り百姓といつて中世以降徳川時代までつづいてゐた。けれども税そのものを逃げるといふ手段もあつて、口分田は税をとられるが荘園は国司不入の地であるから自分の田畑を逃げて荘園へ流れこむ。又は自分の土地を荘園へ寄進して脱税をはかるといふ風潮が全国一般のことになつたから、国有の土地が減少して寺領とか権門勢家に所属する荘園がふとつて、貴族や寺院は富み栄えて貴族時代を現出する。ところが貴族が都の花にうかれて地方管理を地方の土豪に委任しておくうちに、荘園の実権が土豪の手にうつつて武家が興り、貴族は凋落するに至る。

 表向きの立役者は皇室、寺院、貴族、武家の如くであるが、一皮めくつてみると、さうではない。実は農民の脱税行為が全国しめし合せたやうに流行のあげく国有地が減少して貴族がふとり、ついで今度は貴族へ税を収めるのが厭だといふので管理の土豪の支配をよろこび、土豪を領主化する風潮が下から起つておのづと権力が武家に移つてきたので、実際の変転を動かしてゐる原動力は農民の損得勘定だ。

 日本歴史を動かしたものは農民だと云つても当の農民は納得しないに相違なく、農民個人といふものはただ虐げられてをり、娘や女房を売り、はては自分の身体まで牛馬なみに売りにだすやうな悲しい思ひをしてゐることの方が多いのだが、その農民の個人々々の損得観念、損得勘定の合計が日本の歴史を動かしてゐる、いぢめられ通しの農民には、上からの虐待に応ずるには法規の目をくぐるといふ狡猾の手しか対処の法がないので、自分が悪いことをしても、俺が悪いのではない、人が悪くさせるのだと言ふ。何でも人のせゐにして、自主的に考へ、自分で責任をとるといふ考へ方が欠けてをり、だまされた、とか、だまされるな、と云つて、思考の中心が自我になく、その代り、いはば思考の中心点が自我の「損得」に存してゐる。自分の損得がだまされたり、だまされなかつたり、得になるものは良く、損になるものは悪い。損得の鬼だ。これが奈良朝の昔から今に至る一質した農村の性格だ。

 いつだつたか、結城哀草果氏の随筆で読んだ話だが、氏の村のAといふ農民が山へ仕事に行くと林の中に誰だか首をくくつてブラ下つてゐるものがある。別に心にもとめず一日の仕事を終へて帰つてくると、その翌日だか何日か後だか今度はBといふ農民がやつぱり山へ仕事に行つて例のぶら下つた首くくりを見てこれも気にもとめず一日の仕事を終へて帰つてくる。ある日二人が会つて、山の仕事の話をしてゐるうちに、ふと首くくりを思ひだして、ああ、さうさうあんたもあれを見たのか、と語りあつて、又、それなり忘れてしまつたといふ。結城哀草果氏は、この話を、農民が世事にこだはらず、天地自然にとけこんで、のんびりしてゐる例として、又、さういふ思想的な扱ひ方をしてゐるのである。

 農村の文化人といふものは、全国おしなべて大概かういふ突拍子もない考へ方で農村を愛してゐるのが普通で、自分自身農村自身の悪に就ては生来の色盲で、そして農村は淳朴だなどと云つて、疑ることなどは金輪際ない。

 奈良朝の昔から農村の排他思想といふものはひどいもので、信頼するのは部落の者ばかり、たまたま旅人が行きくれても泊めてはやらず、死んだりすると、連れの旅人に屍体を担がせて村境へ捨てさせて、連れの旅人も蹴とばすやうに追ひだしてしまつたものだ。

 さはらぬ神にたたりなし、と称して、山の林に首くくりがブラブラしてゐても、もしや生き返りやしないか、下して人工呼吸でもしてやらうなどとは考へずに、まつさきに考へるのは、よけいな事にかかはり合つて迷惑が身に及んではつまらない、といふことだ。都会の人間なら、下して助けようとしてみるか、怖くなつて逃げだして申告するかだが、怖くても逃げて申告するのが損のやうで気が進まないので、怖いのを我慢の上で一日の仕事をすましてきて素知らぬ顔をしてゐる。

 越後の農村の諺に、女が二人会つて一時間話をすると五臓六腑までさらけて見せてしまふ、といふのがあるさうだが、農村の女は自分達が正直で五臓六腑までさらけて見せたつもりで、本当にさう思ひこんでゐるのだから始末が悪い。女が二人会へば如何にも本音を吐いたやうに真実めかして実は化かし合ふものだ、といふのは我々の方の諺なのだが、万事につけてかういふ風にあべこべで、本人達が自分自身の善良さを信じて疑ふことを知らないのが、何よりの困り物なのである。

 なんでもかでも自分たちは善良で、人をだますことはないと信じてゐる。そのくせ、農村に於ける訴訟事件といへば全国大概似たやうなもので、親友とか縁者から田畑とか金をかりて心安だてに証文を渡さなかつたのをよいことに、借りた覚えはないといつて返却せずもともと自分の物だと主張するやうになつたり、隣りの畑の境界の垣を一寸二寸づつ動かして目に余るひろげ方をして訴訟になるといふ類ひで、親友でも隣人でも隙さへあれば裏切る。証文とか垣根とか具体的なものが何より必要なのは農村なので、実際はこれほど物質化されてゐる精神はなく、実にただもう徹頭徹尾己れの損得観念だけだ。そのくせそれを自覚せず、自分達は非常に愛他的な献身的な精神的な生き方をしてをり、いつもただ人のために損をし、人に虐められるばかりだと思ひこんでゐる。

 伊太利喜劇といふものがあつて、これは日本のにはかのやうに登場人物も話の筋もあらかたきまつたもので、例のピエロだのパンタロンのでてくる芝居だ。可愛いい女の子がコロンビーヌ。意地わるの男がアルカンなどときまつてゐて、ピエロはコロンビーヌにベタ惚れなのだがふられ通しで、色恋に限らず、何でもやることがドヂで星のめぐり合せが悪くて、年百年中わが身の運命のつたなさを嘆いてゐるのである。ところが舶来の芝居は情け容赦がないもので、日本の勧善懲悪みたいにピエロも末はめでたしなどといふことは間違つても有り得ず、ヤッツケ放題にヤッツケられ、悲しい上にも悲しい思ひをさせられるばかりだ。そのくせ狡いといへばこの上もなく狡い奴で、主人の眼や人目がなければチョロまかしてばかりゐる。

 かういふ戯画化された典型的人物が日本の農村に就ても存在してゐてくれれば、まだ日本農村の精神内容は豊かに、ひろく、そして真実の魂の悲喜に近づくのだが、農村は淳朴だと我も人もきめてかかつて、供出をださないことまで正義化して、他人の悪いせゐだといふ。勿論、他人も悪い。他人も悪いし、自分も悪い。これは古今の真理なのだが、日本の農村だけは、他人だけ悪くて、自分は悪くない。

 今昔物語にかういふ話がある。

 信濃の国司に藤原陳忠といふ男があつたが、任を果して京へ帰ることとなり深山を越えて行くと、懸橋の上で馬が足をすべらして諸共に谷底へ落ちてしまつた。この谷がどれぐらゐの深さだか、木の枝につかまつて覗きこんでも底は暗闇で深さの見当もつかないといふところで、崖の両側から大木の枝や灌木の小枝がさしかけて落ちたが最後アッと一声落ちて行く姿すらも見えはせぬ。もとより落ちて命のあらう筈はないが、せめて屍体でもなんとかしたいと思つても、この谷の深さではどうしてよいやら、多勢の郎党どもうろうろ相談してゐると、谷底の方からほのかに人の呼び声がするやうだ。はてな、殿は生きてをられるのぢやないか、それ呼べ、といふので呼んでみると谷底からたしかに返事がきこえてきて、旅籠はたごに縄を長くつけて下してよこせと言ふ。さては生きてをられる、それ旅籠を下して差上げろと各自縄紐を出しあつて長い縄をつくり籠を下してゆくと、もうぢき縄が足りなくなるといふところで留つて動かなくなつたから、やれやれどうやら間に合つたらしい、下から合図がないものかと首を長くして待つうちに、下から声がとどいて引上げろ、といふ。それこの引上げが大事なところ、あせらぬやうに用心しろと戒め合つてそろりそろりと引上げるが、人間が乗つたにしてはどうも手応へが軽すぎる。どうも、をかしい。なにか間違ひがあるんぢやないか、いや、殿も用心して木の枝から技をつかまりたぐつてゐられるので重さがないのだらう、などと上まで引上げてみると、まさに旅籠の中には人の姿がない。人の代りに平茸ひらたけがいつぱいつめこんである。顔を見合せてゐると、谷底から声がきこえて、その平茸をあけたら早く空籠を下してよこせ、まだか、おそいぞ、と言つてゐる。そこで再び旅籠を下してやると、今度は重く、やうやく引上げてみると、殿様は片手に縄をしつかとおさへてドッコイショと上つてきて、片手には平茸を三ふさほどぶらさげてゐる。いや驚いた、慌て馬のおかげでとんだ目にあふところだつた、落ちるうちに木の枝と葉の繁みの中へはまりこんで手をだしたら初めの技は折れてつかみ損ねたが、二本目、三本目にうまくひつかかつて木の胯の上へうまいぐあひに乗つかることができたのさ。それにしても平茸はいつたい何事ですか。いや、それがさ、木の胯へうまいぐあひに乗つかつてみると、その木にいつぱい平茸が生えてゐるのだ、見すてるわけに行かぬから手のとどくところはみんな取つて旅籠につめたが、手のとどかぬところにはまだいつぱい残つてゐる。旅籠につめたのなどはまことにただの一部分で、いやはや、何とも残念だ、実にどうもひどい損をしてきた、心残り千万な、といまいましがつてゐる。郎党どもが笑つて、命が助かつておまけにいくらかでも平茸をついでにとつて損などとは、と言ふと、殿様が叱りつけて、馬鹿を言ふものではないぞ、宝の山へ這入つて空しく引上げる者があることか、受領ずりょう(国司)は到る所に土をつかめと言ふではないか、と言つたさうだ。

 この話は昔から国司や地頭の貪慾を笑ふ材料に使はれてをつて、今昔物語にも、このあとに尚数行あり、郎党がこれに答へて、いかにも御尤も、我々下素げす下郎と違つてさすが国を司るほどの御方は命の大事の時にも慌てず騒がずかうして物をつかんでいらつしやる、と言つておだてながら皮肉る言葉がつけたしてあるのだ。

 地頭は到るところの土をつかめ、といふのは愛嬌のある表現だが、この国司も愛嬌がある。今昔物語の作者の批判はつまり農民の側からの批判であり諷刺であらうが、農民自身が自分の姿にこれだけの諷刺と愛嬌を添へ得てゐないのが残念だ。地頭は到るところの土をつかめ、といふ精神でしぼりとられては農民も笑つてすますわけに行かないが、地頭の方がかうなら、それに対する農民ももとよりそれに対するだけの土をつかむことを忘れてはゐないので、当然の供出に対する不平だの隠匿米だのといふことはあんまり昔の本に書かれてゐないが、これは昔の本の観点が狂つてゐるからで、今の農村に行はれてゐることが昔なかつた筈はない。

 農民の歴史はたしかに悲惨な歴史で、今日のやうに甘やかされたことはなく、悲しい上にも悲しく虐げられてきたのだが、その代り、つけ上らせればいくらでもつけ上る、なぜなら自己反省がなく、自主的に考へたり責任をとる態度が欠けてゐるからで、つまりはそれが農民の類ひ稀な悲しい定めに対するたくまざる反逆報復の方法でもあつたのだらう。なんでも先様次第運命を甘受して、虐げられれば虐げられたやうに、甘やかされれば甘やかされたで、どつちも底なし、いつでも満ち足りず不平であり、自分は悪くなく、人だけが悪いのである。

 これは一つは土のせゐだ。土は我々の原稿用紙のやうにかけがへのある物ではないので、世界の大地がどれほど広くても、農民の大地は自分の耕す寸土だけで、喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒なのだ。ただこの寸土とそれをめぐる関係以外に精神がとどかないので、人間だか、土の虫だか、分らぬやうな奇妙な生活感情からぬけだせない。土地の私有がなくならぬ限り、農村の魂は人間よりも土の虫に近いものから脱けだすことは出来ないやうだ。

 農村には今でも狸や狐が人をばかしたり、河童もゐるし、それどころか、我々の世界にはすでに地頭はゐないけれども、農村にだけはまだ例の到るところの土をつかむ地頭も死なずにゐる。だから、私がこれから一つの昔噺をつけ加へても、現代に通じてゐないことはない。農村は昔のままだ。それは土が昔のままで、その土を所有してゐるからである。だから、この噺は土の中から生れた噺なのだが、それなら、農民が土を私有しなくなつたらこんな噺はなくなるかといふと、然し、農民が土を私有しなくなる、ところが、困つたことに、農民が土の怨霊から脱けだす時がきても、人間といふ奴が、死んだあとでは土の中へうめられて土に還つてしまふので、どうも、これは、困つた因縁だ。結局、話が人間といふことになつては、私の屁理窟やおしやべりはもう及びもつかない。とにかく私は予定通り、土の中から生れて来た小さな話を書きたしておかう。


          


 昔々あるところに(紀州名草郡桜村などといふ人がある)物部麿といふ百姓があつた。ほかにとりたてて悪いところはないのだけれども、酒が好きだ。それから、女が好きだ。そして、あんまり働くことが好きでない。そのうちに、よその後家で桜大娘といふ女の子と懇になり、相思相愛で、婚礼をあげようといふことになつたが、何がさて麿は怠け者で余分のたくはへがないから酒が買へない。せつかくの婚礼だからせめて酒でも村の連中にふるまひたいがあいにくで、と女にそれとなくもちかけたのは、女は後家でいくらか握つてゐるだらうといふ考へからだが、それは困つたねえ、でも、いいことがあるよ、隣の三上村の薬王寺では飲みきれないほど酒があるといふことだから借りておいでな。なに、働いて、あとで返せばいいのだから。なるほど、お寺なら慈悲があるから頼めば貸してくれるだらう、と早速でかけてかけあつてみると、よからう、その代り利息は倍にして返すのだよ、と二斗の酒をかしてくれた。

 とどこほりなく婚礼がすんだが、麿の働きでは二斗の酒が返せない。お寺から催促のたびになんとかごまかして年月を経てゐるうちに病気になつて寝こんでしまつた。このへんで医者といへば薬王寺の坊主の薬のやつかいにならねばならぬから女房がでかけて行つて頼みこんで坊さんに往診して貰ふ。坊さんが来てみると、ひどい重病で、とても助かる見込みがない。今日か明日かといふ容態であつた。

「これはとても駄目だ。もう薬をあげたところで、どうなるものでもない。定命は仕方のないものだから、心静かに往生をとげるがよい。それに就ては、お前さんの婚礼に二斗のお酒が貸してあつたが、あれを返さずに死なれては困る。さればといつて、見廻したところお前さんのところにはカタにとるやうな品物もないが、それでは仕方がないから、死んでから牛に生れ変つておいで」

「なんで牛に生れなければなりませんか」

「それは申すまでもない。この容態ではとてもこの世で酒が返せないのだから、牛に生れ変つてきて、八年間働かねばなりませんぞ。それはちやんとお釈迦様が経文に説いておいでになることで、物をかりて返せないうちに死ぬ時は、牛に生れてきて八年間働かねばならぬと申されてある」

「たつた二斗の酒ぐらゐに牛に生れて八年といふのはむごいことでございます。どうか、ごかんべん下さいまして」

「いやいや。飛んでもないことを仰有おっしゃるものではない。ちやんと経文にあることだから、仕方がないと思はつしやい。それとも地獄へ落ちて火に焼かれ氷につけられる方がよろしいかの。八年ぐらゐは夢のうちにすぎてしまふ。経文にあることだから、牛になつて八年間は働いてもらはねばならぬ」

「お前さん経文にあることだから仕方がないよ。元々お前さんがだらしがなくて返せなかつたのだから、牛に生れ変つて返さなければいけないよ」

「さうか。なんといふ情ないことだらう。こんなことになるぐらゐなら、もつと早く働いて返せばよかつた」

 男はハラハラと涙を流して悲しんだが、仕方がない。その晩、息をひきとつた。

 翌朝になつて小坊主が門前を掃きにくると牛が一匹しよんぼりしてゐる。別に縄につながれてもゐないのに、お寺の門前にしよんぼりして動かないから和尚に告げた。ああ、さうか、よしよし、それではゆふべ死んだものとみえる。それはウチの牛だから今日から野良に使ふがよい。オヤ、さうですか。和尚さまが買つておいでになりましたのですか。マア、さうぢや。どれ、ひとつ、見てやらう、と門前へ出てみると、大変大きなおとなしさうな赤牛だから、うむ、これなら申分なからう、野良へつれてゆきなさい、と寺男をよんで引渡した。

 ところが、この寺男がなんとも牛使ひの荒つぽい男で、すこし怠けても情け容赦なくピシピシ打つ。山へ行けば背へつめるだけの木をつませて、それで疲れてちよつと立止つただけでも大きな丸太で力一ぱいブンなぐる。ゆつくり草もたべさせず、縄をつかんで鼻をぐいぐいねぢりまはして引廻すものだから辛いこと悲しいこと、それでも五年間は辛抱した。そして、たうとう、たまらなくなつてしまつた。

 その晩から、和尚は毎晩のやうに、夢の中で必ず牛に蹴とばされる。どうやらスヤスヤ寝ついたと思ふと、どこからともなく牛がニューとでてくるのだが、ニューとでてくる、アッと思ふともうダメなので、逃げる力に逃げられず追ひつめられて、そのときキンタマをいやといふほど蹴とばされるのである。その痛いこと、全身ただ脂の汗、天地くらむ、ムムム……蹴られぬさきに蹴られる場所も痛さも分るその瞬間の絶望がなんともつらい。

 これが毎晩々々のことだ。和尚もいまいましくて仕方がない。夢のことだから別にキンタマが腫れあがりもしないけれども、憎らしいことだから、ある日牛を見に野良へでると、牛は寺男にひき廻されておとなしく働いてをり、和尚を認めると、急にしやくりあげてポロポロと泣きだした。それが如何にも悲しげに気の毒な様子であるから、和尚も不愍ふびんになつて、まだ三年あるのに、もつたいないことだと思つたが、毎晩キンタマを蹴られるのも迷惑な話だから、まア、このへんで勘弁してやるのも功徳といふものだらう、と考へた。

「まだ三年もあるのだが、見れば涙など流して不愍な様子だから、特別に慈悲をしてやらう。こんな慈悲といふものは、よくよく果報な者でないと受けられるものではないが、それといふのもお前の運がよかつたのだから、幸せを忘れぬがよい。さア、好きなところへ行くがよい」

 と、さとして許しを与へてやると、牛は大変よろこんだ様子で、どこともなく行つてしまつた。それからはもうこの牛を見かけた者がない。

 ある日のこと和尚が用たしにでて隣村を通ると、牛になつた男の女房だつた女が川で洗濯してゐるのを見かけた。この女は男が死ぬと何日もたたないうちに別の男のところへお嫁に行つて暮してをり、今しも男のフンドシを洗濯してゐる。

「やア、相変らず御精がでるな、いつも達者で、めでたい」

 と、和尚は川の流れのふちに立止つて、女に話しかけた。

「オヤ、和尚さん。こんにちは。いつも和尚さんは顔のツヤがいいね」

「ウム、お互ひに、まア、達者でしあはせといふものだ。ところで、つかぬことを訊くやうだが、お前さんはこの一月ほど、牛がでて、そのなんだな、蹴とばされるやうな夢をみなかつたかな」

「なんの話だね。藪から棒に。和尚さんは人をからかつてゐるよ」

「いや、なに、ただ、牛の夢にうなされたことがないかといふのだよ」

「そんなをかしい夢を見る者があるものかね。ほんとに意地の悪いいたづら者だよ、和尚さんは」

 女は馬鹿みたいにアハハアハハと笑つた。和尚はてれて、ひきさがつてきた。

底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房

   1999(平成11)年320日初版第1刷発行

底本の親本:「道鏡」八雲書店

   1947(昭和22)年10月発行

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:noriko saito

2008年1015日作成

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