居酒屋の聖人
坂口安吾
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我孫子から利根川をひとつ越すと、こゝはもう茨城県で、上野から五十六分しかかゝらぬのだが、取手といふ町がある。昔は利根川の渡しがあつて、水戸様の御本陣など残つてゐる宿場町だが、今は御大師の参詣人と鮒釣りの人以外には衆人の立寄らぬ所である。
この町では酒屋が居酒屋で、コップ酒を飲ませ、之れを『トンパチ』とよぶのである。酒屋の親爺の説によると『当八』の意で、一升の酒でコップに八杯しかとれぬ。つまり、一合以上並々とあつて盛りがいゝといふ意味ださうだ。コップ一杯十四銭位から十八九銭のところを上下してゐて、仕入れの値段で毎日のやうに変つてゐる。ひどく律儀な値段であるが、東京から出掛けてくる僕の友達は大概眼をつぶつたり息を殺したりして飲むやうな酒であつた。僕は愛用してゐた。
トンパチ屋の常連は、近所の百姓と工場の労務者達であつたが、百姓の酔態といふものは僕の想像を絶してゐた。僕自身もさうであるが、東京のオデンヤの酔つ払ひといふものは、各々自分の職域に於て気焔をあげるものである。ところが、百姓達は、俺のうちの茄子は隣の茄子より立派だとか、俺は日本一のジャガ芋作りだとか、決して、かういふ自慢話はしないのである。自分の職域に関する気焔は一切あげない。さうして、酔つ払ふと、まづ腕をまくりあげ、近衛をよんでこい、とか、総理大臣は何をしとる、とか、俺を総理大臣にしてみろ、とか、大概言ふことが極つてゐる、忽ち三人ぐらゐ総理大臣が出来上つて、各々当るべからざる気焔をあげ、政策が衝突して立廻りに及んだり、和睦して協力内閣が出来上つたり、とにかくトンパチ屋といふものは議会の食堂みたいなものだ。
浅間山中の奈良原といふ鉱泉に一夏暮らして毎日村の(といつても十五軒しか家がない)人達とコップ酒を飲んでゐた時にも、やつぱりかういふ気焔をあげる人達であつた。中に一人、一向に野良へ出ない親爺があつた。この親爺は野良へ出る代りに毎日昆虫網を担いで山中をさまよつてゐる。烏アゲハを探してゐるのだ。この辺は昆虫採集家の往来する所で、さういふ一人がこの親爺に向つて、アゲハは三百円もするといふ耳よりな話を吹きこんで行つたのである。その時以来この親爺は野良の仕事をやめてしまつた。尤も、烏アゲハを三百円の金に代へたといふ話もきいたことがない。けれども彼は悠々と毎日昆虫網を担いで森林を散策してゐるのである。
僕も少し気になつたので、東京の牧野信一へ手紙を出して、烏アゲハが三百円もするかどうか尋ねてみた。牧野信一は二十年も昆虫を採集してゐて、僕もお供を仰せつかつて小田原山中アゲハを追ひ廻したことなどもあつたからである。折返し返事が来て、烏アゲハはたしかに値段のある昆虫だけれども、神田辺で売つてゐる標本は三円ぐらゐだつたと記憶してゐるといふ文面だつた。
ある晩、奈良原部落の全住民集つて大宴会がひらかれたが、その晩、昆虫親爺の乱酔たるや甚だしく、総理大臣を飛び越して、俺は奈良原の王様だと威張りだした。昆虫親爺には年頃の可愛い娘が二人ゐるが、この二人が左右からなだめすかして、やうやく王様を連れて帰る始末であつた。酔つ払つた王様はひどく機嫌が悪かつた。相対に、酔つ払つた総理大臣といふものは、みんな機嫌が悪いのである。
取手の町はづれの西と東に各々一人づゝの怠け百姓がゐて、オワイ屋をやつてゐる。この二人で取手の糞尿一切とりあつかつてゐるのだが、性来の怠け者だから糞尿の汲取も怠け放第に怠けて、取手の町は年中糞尿の始末に困つてゐる。ところが、この二人が、揃つてトンパチ屋の常連なのである。一日の仕事を終へると、車に積みこんだ糞尿を横づけにして、二杯目ぐらゐに忽ち総理大臣になつてしまふ。
この二人はとりわけ仲が悪くもないが、とりわけ仲が良くもない。各々怠け者だから、職業上の競争意識は毛頭なく、あべこべに各々宿酔のふてねをして仕事の押しつけつこをやり、町の人々を困らすのである。丁度僕がゐるときこの二人が総理大臣になつたあげく立廻りに及び各々肥ビシャクをふりまはして町中くさくしてしまつたことがあつた。このとき脂をしぼられて、もう酒を売らないなどゝ威されたので、それ以来相当おとなしくなつたけれども、総理大臣になつて機嫌よく気焔あげてゐるので、この時とばかり俺のうちの糞便を汲んでくれ等と頼もうものなら、忽ちつむじを曲げて、いづれ四五日のうちに、等と拗ねて手に負へなくなる。僕も糞便の始末に困つてお世辞を使つたこともあつたが、こんな可愛気のない奴もないので、二度と頼まなかつた。
然し、つく〴〵見てゐるうちに、百姓がみんな総理大臣の気焔をあげるわけではない、概して、怠け者の百姓に限つて総理大臣の気焔をあげがちだ、といふことが分つてくると、僕も内心甚だしく穏かでなかつた。僕が取手にゐた時は全く自信を失つて、毎日焦りぬいてゐながら一字も書くことが出来ないといふ時でもあつた。毎日、ねてゐた。夕方になると、もつくり起きて、トンパチ屋へ行く。
総理大臣の気焔をきいてゐるのが、身を切られる思ひで、つらかつたのである。それでも、彼等が各々の職域に属する気焔をあげないので、まだ、きいてゐることが出来た。
彼等が総理大臣の気焔をやめて俺のうちの茄子は日本一だとか、俺の糞便の汲みとり方は天下一品だ、とか、かういふ気焔をあげたなら、居堪れなかつた筈である。僕は酔つ払つて良く気焔をあげる男だけれども、多分、僕の一生のうちに、取手のトンパチ屋で飲んだ時期が最もおとなしい時期となるに相違ない。宿屋のヲバサンは僕のことを聖人だなどゝ言ひ、トンカツ屋のオカミサンは僕が毎晩酒を飲むのだといふことをきいても決して信用しない始末であり、青年団の模範青年は、ある日僕が金に困つてどうしても質屋へ行く必要があり、その案内を頼んだところ、蟇口をもつて追つかけて来て、無理矢理二十円押しつけて行く始末であつた。まつたく不思議な話である。どうしてこんな信頼を博したかといふと、総理大臣の気焔に身を切られる思ひで、くさり果てゝゐたからであつた。
教訓。傍若無人に気焔をあげるべきである。間違つても聖人などゝよばれては金輪際仕事はできぬ。
底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「日本学芸新聞 第一三八号」
1942(昭和17)年9月18日
初出:「日本学芸新聞 第一三八号」
1942(昭和17)年9月18日
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年9月16日作成
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