盗まれた手紙の話
坂口安吾



 あの人間は気違だから精神病院へぶちこめなんて、とんでもない。神様は人間をお裁きになるけれども、神様が神様をお裁きになつたり、あの神様は気違だから精神病院へぶちこめなどと仰有おっしゃることはなかつたのである。



 ある朝、兜町のさる仲買店の店先へドサリと投げこまれた郵便物の山の中で、ひときは毛色の変つた一通があつた。たいへん分厚だ。けれども証券類や印刷物とは関係のない様子に見える。

 ペン字のくせに一字一画ゆるがせにしない筆法極めて正確な楷書で、なにがし商店御中とある。で裏を返してみると、これまた奇妙である。

 なにがし区なにがし町──といつても、つい先年まではさしづめ武蔵野などと言つてゐたあたりの、なにがし精神病院内、なんのなにがしと書いてある。

 はて面妖なところから便りがとどいたものである。精神病院のお医者さんやら小使でも株をやらない筈はないが、爆撃機のお腹の中の爆弾ほどまる〳〵ふとつて重たいのが気にかかる。そこで勇士がひらいてみると、ザッと次のやうな大意のことが書いてあつた。



 自分は精神病院の入院患者ではあるけれども、必ずしも精神病者ではない。もとよりいつたん精神病院の患者として入院したからには、かつて精神病者であつたことは明白であるが、現在は既に全治してゐる。

 それにも拘らず、なにゆゑ今もなほ入院してゐるかと言へば、自分は公費患者であつて、たとへ医師が自分の全快を認めても、引受人が現れない限りは、医師並びに自分の意志によつては法規により退院することが不可能なのである。

 自分には母があつたが入院中に死亡し、兄と姉があるけれども、この二人は自分の引受人となることを好まない立場にある。従而したがって、自分は既に全快しながら、しかもなほ精神病者として永遠に入院生活を続ける境遇に置かれてゐるわけである。

 然し、自分は既に精神病者ではないから、病院内に於ては、三分ぐらゐは患者として、残りの七分はほぼ同室の患者達を看護する者の立場として、生活してゐるものである。又、患者達の懇話会の幹事をやり、その会報の編輯などもやつてゐる。

 一般に全快した公費患者は看護人に採用されるのが普通であるが、病院には予算があり、定員以上の看護人には給料を支払ふ能力がないから、自分などほぼ看護人と同じ仕事をしてゐながら、正式に看護人では有り得ないのである。それゆゑ看護人ほどの自由はないが、医師や事務員の引上げた後なら、同僚即ち看護人の理解によつて、非公式ではあるけれども外出できるし、縁日をぶらついてきたこともあつた。

 尚、前記のやうに、既に全快しながらしかも入院生活を続けなければならないのは、ひとり自分だけの不運ではなく、公費患者の大多数が概ねこの宿命を負ふてゐるものなのである。

 然らば精神病院に於て、つとに全快した患者達がどのような生活をしてゐるかと言へば、こればつかりは貴殿いかほど聡明多才であらうとも、御想像もつかないであらう。

 元来が公費患者といふものは支給される食事だけでは栄養が充分でないから、栄養補給のために小遣を稼ぐ必要があるのである。そのために自分等は修養に費さねばならぬ貴重なる時間をさいて、封筒貼をやらなければならない。

 とはいへ、そのやうな労務のかたはら、凡そ精神病院の入院患者ほど、自家の職業を病院内へ持越して、常に不断の修養につとめてゐる者はないのである。

 或る者はすでに一万二千枚の長篇小説を書きなほ執筆をつづけてゐるが、一万二千枚ともなれば机上に積まれた分量自体がすでに充分瞠目に価するもので、作者はことさら分量の大に恬然たる風を装つてゐるが、過度に恬然としたがる風があるものだから、却つて分量の大のみ専一に狙つてゐるのではないかと疑ふ気持になる程だ。とはいへ、分量の大のみ専一に狙ふにしても一万二千枚ともなれば、充分敬服に価するものである。

 一般に精神病院の入院患者は自発的に宗教に親しみ、仏教たるとキリスト教たるとを問はず、各なにがしの意見を所有してゐるのが普通であるが、彼等が教理に就いて所信を吐露し論じ合ふ時ほど彼等の姿に品格と光輝を与へるものは先づすくない。仏教に声聞しょうもん縁覚えんがくといふ悟入の段階があるやうだが、一般に精神病院の人々は、自分の観察によれば、各自縁覚的な境地を所有するところの熱心なる求道者のやうである。

 けれども中には特に非凡な宗教的境界に到入した人物もあり、彼は幾多思索の後、宗教の鍵はマホメットにありと信じるやうになつた。この男はすでに数年不便と不自由を忍んで独修書によつてトルコ語とアラビヤ語の勉強に没入してゐる。さうして昨今はトルコ語とアラビヤ語以外の言葉を用ひなくなつてゐるが、時々同室の人々に向つてコーランの教義を説き明すことがある。トルコ語やアラビヤ語のことであるから自分に内容は分らないが、宗教の本義は言葉の中には無いから、何物かが分るやうな気がするし、自分は彼が純粋な信仰から必然的にトルコ語やアラビヤ語に走らずにはゐられなかつた内部の熾烈深遠なものを疑つてはゐない。

 又或る男は──これは入院前園芸を業とし、特に温室栽培に専心従事してゐた男であるが、火力を用ひず専ら太陽熱を利用して温室栽培をなす研究をすゝめ、最近に至り、昼間太陽熱によつて温めた水を管に通して夜間の暖房に利用することをほぼ完成した。この施設によれば全く燃料が不要であるから、農家の利益は甚大である。

 又或る男は釣針の研究に没頭してゐる。彼はあらゆる魚の習性に就いて該博なる智識を有してゐるが、目下彼の研究題目となつてゐるのは、あらゆる魚釣に可能な唯一本の針の発明といふことである。勿論鯨と目高を同一の針で釣ることができるかと皮肉な問ひをなす者は言を弄ぶこと容易にして事を為すこと至難なる所以を知らざる愚者にすぎない。彼はこの発明のために、釣針よりも、先づ多くの魚の習性に就いて更に研究をすすめる必要があり、多くの魚を飼育する必要にせまられてゐるが、それが全く不可能であるため、自暴自棄におちいり、「魚よ、なぜ水中に棲むか」といふ叫びをあげて泣き叫ぶ発作に襲はれることがある。


 ところで、然らば自分はだうかと言ふと、自分は専門学校で国文学を学んだが、当時就職難であつたため、ある私設鉄道の従業員となり、零細な日給で働いてゐるうちに、やがて患者としてこの病院へ送られてきたもので、当年三十三才、すでに病院生活は足掛六年である。

 自分がなぜこの病院へ送られて来たかといふと、当時自分は東京近郊の小さい駅の改札をやつてゐたが、改札掛といふものは専ら客の手と切符のみ見てゐる職業のやうではあるが、案外乗客の顔も一々見てゐるものなのである。

 然るに自分はある時自分の特異な能力を発見した。といふのは、自分は乗客の手と切符のみ注目してパンチを入れながら、未だ一瞥も与へぬうちに乗客の顔がちやんと分つてゐることに気付いたからである。で、自分はこれを確めるために自分の顔をあげてみる。と、まさしくふッと自分の前を掠めて行く乗客の顔が果して想像の通りなのである。しかも乗客は自分にそんな能力があることを知りもしないし、現にその能力の実験に供されてゐることなども気付かないから、自分の関心にも拘らず全然無関心な顔付であることが大変気の毒でもあるし、哀れなものにも見えるのである。

 然し、これだけのことで済めば話は至極簡単で、自分はこの病院へ送られずに済んだ筈であつた。

 ところが、やがて、自分の能力は次第に分裂し、分裂が同時に生殖であるといふアミーバ的発展過程をとりはじめた。

 即ち、ある日、自分は一乗客の手によつて、その日の天候の急変を予断した。といふのは、ある乗客の手が自分に向つてそれを語つてゐたからで、数ある乗客の手のうちには、そのやうな予言を帯びた手のあることに気付いたのである。

 又、或る乗客の手には火災や地震を予言してゐるものもあり、政治や相場の変動を物語つてゐるものもあつた。又、或る時自分は、或る乗客の手が自分に向つて、直ちに池袋まで駈けつけ、豊島師範学校の前まで行き、そこで踵をめぐらして戻つて来なければならないといふ自分に課せられた宿命を暗示してゐるのを読んだ。やむを得ないことであるから、自分は駅長のところへ行き、二時間の外出を許してもらつて、命じられた運命を果さなければならなかつた。

 自分はこのやうにして乗客の手から次第に多くの予言を読むようになり、時には殺到する雑多な予言の応接に疲れて、視覚を厭ふことがあつた。

 そのうち最後の時が来た。

 第一の予言を読んだのはその日の朝で、この時乗客はランドセルを背負つた小学校の女生徒であつた。婦女子の生長は草花の如くすみやかで又妖艶なものであるから、もう年頃のことと思ふが、自分の脳裡にとどまる幼顔の記憶によれば、近頃あまたの青年がその面影に胸を焼きとかく業務を怠りがちのことであらうと愚考してゐる。自分はその可憐な手に株式市場の一混乱期を読んだのである。貴殿もとより六年前の大変動をお忘れの筈はないと思ふが、それが歴然物語られてゐたのであつた。

 然るにその日の午後に至つて、ここに卒然天地の処を変へるがていの第二暗示を読まなければならなかつた。

 この時の乗客は四十がらみの極めて貧相な洋服男で、恐らく銀座の雑踏で再会しても一目で見分けがつくと思ふが、南洋系の縮毛にユダヤ系の鷲鼻をもち眼付は狡猾で手足の相は猿猴えんこうめき好色無恥であつた。

 自分はこの男の爬虫類の頭部めいた指頭から甚だ好ましからぬ思ひと共に切符を受取るに際して、ここに図らざる宿命の指令を読んだ。即ちそれはお前の一生を決する時が近づいたと予告してをり、朝の予告とつながる関係が物語られてゐるうへに、自分の浮沈がそこに賭けられてゐることを明確に示したものであつたのである。

 宿昔青雲の志、蹉跎さだたり白髪の年といふが、自分の如き凡人は半生に至らずして既に見すぼらしく貧苦にやつれ日夕諦らめに馴れた心を無二の友としてゐる。三円の昇給にすら不馴れな心であるから、このやうな予告によつて心に受けた震駭しんがいが異常なものであることは理の当然で、まるで眼を焼かれたやうな気持であつた。

 然しながら狐疑すべきところはないから、夕方六時に交替すると、自分は直ちに実行にかかつた。

 自分は当時兄の家に泊つてゐたが、兄は小さな盛り場に食料品店を開いてゐる。

 自分は兄が銭湯へでかけた隙に、店と奥にあるだけの現金を掻き集めて飛びだした。確信ある投機であるから悔いも怖れもないのであるが、自分の兄は天性吝嗇である上に苦労性で、或る時兄の蟇口から三十円抜取つた曲者があるといふので、当時自分の通学中の学校へ現れて自分の動勢を偵察し、自分は危く停学処分を食ふところであつた。おまけに三十円は一文も使はぬうちに取返されてしまつたのである。

 現金はザッと百七十円なにがしあつた。自分は株といふものに全然経験がないのであるが、裸一貫とか七転び八起きといふことが投機社会には特に言はれることださうで、裸一貫の自分には心強いことであつたが、それにしても億万の結果を望む心にとつて唯の百七十といふ数は決してゆとりを与へてくれるものではない。

 更に資本が得たいと思つて、まだ八時といふ宵のうちであつたを幸ひ、十二時頃まで八方自動車を走らせて多くの知人を廻つて歩いた。自動車代が二十何円かかつたのに、自分の得た金は三円なにがしであつた。

 ここに自分は一生一代の失敗をした。といふのは自分の修養の足らないせゐで、思ひだすだに自卑のため消える思ひがするのであるが、自分は自動車をぐる〳〵走廻したあげく、最後に新宿の酒場の前で車をとめた。これが一代の過失であつた。

 この酒場で自分はひとりの美女を見た。さうして一気に恋着した。

 とは言ふものの、このとき自分の第一感は言ふまでもなく、今に残る印象によつても、この女はあらゆる点で妖婦と称ぶべき女であつた。しかも一流の妖婦ではない。高邁な心なく、教養の閃くものなく、ただいたずらに虚栄のみ高くて金銭に汚く、本能的に多淫であつて禽獣の快楽を一代の理想としてゐる。世間には青春と美貌を持ちながら好んで金持の老人の相手をしたがる女があるが、この女がそのやうな一人であつた。

 試みにこのやうな女が年老いて容色衰へた場合を想像するに、その醜怪に堪へかねて嘔吐を催す思ひとなる。自分は生来の趣味として孤独の中に詩美を感じるものであるが、この種の妖婦が肉体の魅力を失ひ老醜のみの残骸となつて世に捨てられた場合のみは、流石の自分も跣足はだしとなつて逃げだしたい。支那の伝説にホウといふ妖鳥がある。この妖鳥は雌のみで、雄がないと伝へられてゐる。生来多淫で衆鳥と交ることを求めるので、鴇のむ山には他に鳥影がないといふ。支那では鴇を老妓にたとへ、又、老妓を鴇にたとへるのだが、自分はこの女を一目見て同時に鴇の化身を感じた。

 もとより贅言を費すまでのことはなく、この種の女は内面の美に全然生来の色盲であるから、自分を一目見ただけで軽蔑した。自分のテーブルへ寄付かうともしなかつた。けれども自分は恋着せずにはゐられなかつた。

 底の見え透いた虚栄心も虫酸が走るし、認識不足の糞度胸やら毒だらけの肚の中が無性に不潔で腹が立つたが、横ッ面を殴りつけてやりたいほど、可愛らしさがこみあげるのである。

 そこで自分は札びらを切つた。たうとう女は自分のテーブルへやつてきた。さうして益々軽蔑を露骨に見せて、そんなに呉れたいなら貰つてやるといふ手つきで、横の方を向きながら、帯の間へお札を突つこんでゐる。

 すでに自分はこの女を征服したも同然で、自分はせせら笑つてゐる女に向つてその悪質な性格や多淫な心を罵倒しながら酒を飲んだ。虚栄の心に満たされることなく、愛する者には愛されず、呪咀に疲れて老人から老人を転々し、末は夜鷹に落ちるまでの女の径路を微細に描破予言しながら、ことごとく溜飲を下げて、札びらを切つたのである。

 自分が気付いたのは翌日警察の中であつた。さうして、そこから、直ちに精神病院へ送られてしまつたのである。


 今にして当時を想起すれば、心気忽ち痩せ果てて消ゆるが如き羞恥を感ぜずにはゐられない。一代の繁栄を決すべき大事の瀬戸際に正体もなく酔ひ痴れてしまふとはこの上もない修養の不足で、省て慚愧ざんきに堪へざるところであり、精神病院へ送られて然るべきものであつた。

 従而自分は入院ののち、一にも二にも修養に心を砕いた。

 とはいへ何分不自由な身である。さきにもお話したやうに、与へられる食事では栄養の保持ができないから、毎日封筒を貼つて小遣を稼がねばならない。最近は熟練したので数時間で十銭ぐらゐ稼げるけれども、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、稀には一本一銭で売りにくるバットを吸つたり、そんなことをした上で書物を買ふのは容易ならぬことでもあるし、又それを読み修養につとめる時間といふものも決して充分ではないのである。

 けれども自分は「奥義書ウパニシャット」を読んだ。読み、且、思索を重ねた。自分は生来の鈍根で見得けんとくするところ甚だ浅薄な男であるが、それでもだうやらぼんの本義をやや会得することが出来たやうである。また数論哲学や勝論哲学、ミーマンサーとか瑜伽ゆが哲学など婆羅門ばらもん秘奥の哲理に就いても思索を重ね、つづいて仏教の本義を会得したいと勉めてゐるが、数年の思索の結果阿頼耶識あらやしきも理解し得たつもりであるし、起信論の真如や龍樹の空観もほぼ体得なし得たと信じてゐる。最近は又、碧巌へきがん無門関むもんかん等について日夕坐禅に心掛け、いささか非心非仏の境地をのぞいた。

 諸々の哲人に比すれば赤面の至であるが、ともかく一応の修養は積み得たと思ふ。すくなくとも、一代の繁栄を決すべき大事の際に、不覚にも酔ひ痴れてしまふやうな修養の不足は再び見ることが出来ない筈である。


 さて然らば自分の特殊な能力は入院後だうであつたかと言へば、病院は鉄道の駅ではないから自分はもとよりパンチを所有する筈がないし、かりにパンチがあつたとしても患者を乗客に仕立てて切符を切るといふわけにはいかない。

 とはいへ自分は鉄格子の部屋の中に幽閉された身の上であるから、株式の予言が出来ても、だうにもならない次第なのである。必要は発明の母と言ふが、予言の如き霊感でも亦その通りで、自分にその必要がなかつたから、自分は長日月霊感を忘れた日々を送つてゐた。

 然るに自分は昨今既に全快して常人と変りがないから、生憎病院の予算の都合で就職不可能ではあるけれども、実際は看護人同様の仕事をする身となつてゐる。従而、公然と行ふことは出来ないが、暗黙の了解によつて外出も出来るのである。

 それゆゑ予言の能力も利用のできる見込がついてきたわけで、もとより天賦の能力であるから、自分にこのやうな意識が生じると共に、予言の能力も忽ち復活したのであつた。

 のみならず、今回の能力はすでに環境に順応してパンチも乗客も不要な様式で復活したばかりでなく、従前の能力は専ら乗客の手によつて他動的に暗示を得たにすぎないのだが、復活した能力は何時いつ如何なる場合でも与へられた課題に対して自発的に特異なる心境を誘導することにより自在に霊感を発揮し得るところまで進んでゐた。

 自分は昨年運動会の当日が生憎雨天であることを十日も先に予言して、当日の諸準備を延すやうにと進言したにも拘らず、人々が耳をさなかつたがために、台所その他に大損をまねいたことがあり、又、病院内で起つた一事務員の重要な失せ物を霊感によつて発見し、その後も屡々しばしばかかる場合に能力を発揮して、人々の心服を買つてゐる。


 然るところ、数日前、正確に申上げれば×月×日のことであるが、はからずも自分は重大な霊感を得て、ここに再び一代の浮沈を決する大事のときが近づいたことの予告を受けた。

 即ち×月×日の夕刻のことであつたが、自分はそのとき毎日の習慣通り封筒貼をやりながら、ふと顔をあげて鉄格子の外を眺めたのである。

 そこは病院の裏庭であつたが、こんなところは庭掃除の小使かオチャッピーの看護婦共がキャッチボールでもする時でなければ殆んど人影のない筈の所で、どこへ通ふ通路にも当らないから、まして此処を急いで通らねばならないわけは一向なささうな場所であるのに、今しも一人の若い医者が散歩といふには忙しすぎる足どりで、せつせと横切つて行くのである。

 オヤ〳〵あれはたしか内科のなにがしさんだなと分つたが、と、それと同時に、自分は首を突延すだけでは足らなくなつて、思はず立上つてゐたのである。

 といふのは、この年若いお医者さんはそんなこととは一向知らずせか〳〵と自分の視界から歩き去らうとしてゐるのに、彼の霊気は慌ただしく頻りに何事か自分に向つて叫んでゐる。

 自分は窓際へ駈寄つて鉄格子から覗いてみた。さうして自分は次の言葉をききとることが出来たのである。

 即ち、株式市場に又不測の変動が近づかうとしてゐる。さうして貴公の一代の浮沈を決する秋が再び近づいてゐるのである。貴公もとより六年前の大失敗を銘記してゐるに相違ないが、そのために若干の修養も積むことが出来たわけで、貴公のためには又とない試煉でもあつた。六年間の修養が決して徒爾とじではなかつたことを神かけて示すべき日が近づいたのである。云々。

 鉄格子の内側の人物が二丈もある塀の外側へ出る感動といふものは多感な少年が外国旅行に船出する歓喜によつても類推できない程であるから、この時自分の感動が異常なものであつたことは先づ筆舌に尽しがたい。

 自分は深甚な感動のために、勇壮快活になるよりも、むしろ著しく悲愴になり、陰気になつた。心は更に浮立たず、忽然として沈みこみ、異様な悲哀がこみあげてきた。

 自分は鉄道の従業員になつた頃から、だういふわけだか涙が出なくなつたのである。激しく感動することは人並に屡々あつて、心も泣き、生理もたしかに泣いてゐるのに、だういふわけだか涙が全く出てこない。この時も自分は泣いたが、涙は流れてこなかつた。自分は心に堅く誓つた。立上るべき秋が来た。六年の修養。言はれる迄もなく、これを忘れてなるものではない。

 歌舞伎の愁嘆場のやうなものが実際あつたらをかしなものだが、そのとき自分は愕然と鉄格子から外を覗いて阿呆のやうにぼんやりしてゐたものである。

 ところがここに、かねて自分と親交あつた看護人なにがしといふ人があるが、この男が自分の背後へやつて来て、自分の肩をそッと叩いた。さうして自分に、だうしたね、大きな霊感があつたのぢやないかね、と言つたのである。

 看護人なにがしはキリスト教徒であつた。尤も、キリスト教徒といふものが日曜日毎に牧師の説教をきいたり教会へ寄進したりしなければならないとすると、なにがしはこの範疇にあてはまらないことになるが、いはば、なにがしはキリスト教徒の殉教的情熱を我物とした苦業者のひとりであつた。彼の信条とする宗教は意識的に極度に思索が排斥されて、ギョウが全てをなしてゐる。彼に向つて宗教論を吹きかけても、彼の返答をききだすことはできないのである。彼は徒に空論を拈弄ねんろうする代りに、患者達の汚い便所を黙々と洗ふ。それが彼の宗教であり、この地味な然し偉大な苦業者のギョウなのである。

 自分は看護人なにがしの唐突な言葉をきいても敢て驚くことはなかつた。このやうな掛値なしの行者には全てが分る筈である。思索といふ貧しい智慧の実によつて積む修養と全てをギョウに代へた人の修養はすでに雲泥の違ひがあるし、又このやうに地味な行者は地味な奇蹟を持つものである。自分は敢て驚くよりも、やつぱり分る人には分るものだなといふ一種の安堵を覚えたものだ。

 自分は彼の問ひに答へて、君の賢察の通り大きな霊感があつたのだと言はうとしたが、また感動がこみあげてきて、声がでない始末である。

 そこで自分は言葉の代りに彼の手を執り、力をこめて握りしめたが、これまた感動がこみあげて、力がいつかな加はらない。とはいへ彼には通じるから、なにがしは頷いて、立去つた。

 自分は看護人なにがしの友情によつて、若干の自由──然しこの大いなる不自由の中では莫大な自由──便宜を受けることが時々あつた。先にもお話したやうに、自分が時に外出することが出来たのも、主としてなにがしの友情のせゐであつたのである。然らば自分の外出がどのやうにして行はれるかと言へば、概ね夜の十時過ぎ、十一時前後、全病院がまつたく寝静つた後に於て行はれるのが通例で、理由の第一は自分が患者であるためよりも、看護人の夜間無断外出が既に抑々そもそも規則を犯すものであるからに外ならない。

 而して、かかる深夜の外出で、自分に許された享楽が何物であるかと言へば、自分等は草深い田舎の道、特に畑の細い径を近道して、町はづれの、但し自分等の側から言へば町の入口のおでん屋で十銭の泡盛を飲むことなのである。

 さて霊感に対処すべくあれこれ手段をねつてみたが、鉄格子に幽閉された身の上では全くもつてだうすることも出来ない。

 何はともあれ外出するのが第一だから、全てを看護人なにがしに打開けて腹蔵なく相談するのが先決条件にきまつてゐる。

 で、自分は看護人なにがしに霊感の重大なことを囁いて、猶予すべき場合でないから、早速今夜おでん屋へ走つて細かく相談したいむね申入れた。

 もとより彼は諾いて、生憎その日は夜になると猛烈な豪雨になつたけれども、荏苒じんぜん時を空費するほど此の際危険なことはないから、十時すぎ、全病院の熟睡を待つて、自分等は豪雨の中へ走りでた。

 自分は夜を迎へても未だ亢奮が持続してゐて、愈々おでん屋へ向つて走りでるといふ時には、又もや矢庭やにわにこみあげてきた感動で相当混乱したらしい。窓を打つ豪雨の音をきいただけでも容易ならぬ荒天がすでに分明の筈であるのに、晴天の夜と同じやうに下駄をはき、番傘を探しだして、さて出掛けようとしたものである。

 なにがしは自分の手から番傘をとりあげて、下駄を脱ぐように命じた。それから彼の身支度と同様に着物の裾を股までまくらせ、そこで二人は跣足になつて豪雨の中へ駈けだした。

 下駄などはいてゐようものなら何べん転がることになつたか知れないし、手とか足とか骨折したかも知れなかつた。番傘などは怪我するためにわざ〳〵刃物を持つやうなものだ。何と言つても一寸先も見えない暗夜で、畑の小径は平常無事に通れたことが不思議なぐらゐデコボコである。すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。けれども激しい亢奮でむやみに胸が一杯だから、実のところ、自分は唯もう走るといふ無限の動作を意識しつゞけてゐたのみで、転んだことが記憶になかつた。

 おでん屋へ到着してのち看護人なにがしにおや転んだやうだねと言はれ、泥まみれの手足や着物を指摘されて、成程さうかと納得した有様である。

 なにがしはおでん屋のたらいを借りて自分のからだを洗はせてから、着物を洗濯してくれた。この親切は先にも説明した通りひとへに彼の殉教的情熱によつて一貫された犠牲精神の発露であつて、非凡な修養を物語る適例である。即ち彼はそれが可能なことであるならまさに死せんとする者と自分の命を取換へることも敢て辞せない人である。


 斯様にして彼と自分は慎重討議を重ねたのち、ここに即ち貴殿に宛てて手紙を差上げることとなつたのである。

 貴殿もとより充分御賢察のことと思ふが、精神病院の公費患者である自分に金のないのは言ふまでもなく、看護人なにがしは手当を加へて毎月三十円なにがしを貰つてゐるにすぎないのである。

 自分に予言の能力はあるが、生憎これを活用すべき資力に欠けてゐることを、ここに率直に打開けて申さねばならない。

 即ち自分は貴殿の資力を利用してこの霊感を活用したいと思ふのである。

 とはいへ自分は儲けの割前をいただくに当つて、霊力と資力の割合に就いて、極めて謙遜な主張を持つにすぎないことを先づあらかじめ明瞭に申上げたい。

 自分は儲けの一割とも又一分とも申上げない。

 差当つて自分の熱望してゐるものは先づ自由、即ち鉄格子外の生活なのである。而して自由を我物とするには三百円の金がいる。即ち自分の求める所の割前はただそれだけに過ぎないのである。

 又、看護人なにがしに就いて言へば、彼は常にその一貫せる殉教的情熱によつて専ら犠牲的精神の示すところを生きる人で、求むる何物をも持たない人、特に一文の金銭も求めてゐないが、礼儀として、自分と同額を与へていただけば満足である。

 就いてはここにいささか内密な話があるのだが、先程申上げておいた通り、六年前自分が不覚の泥酔によつてこの病院へ送られる前夜新宿の酒場で見かけた妖婦があつた。

 ありていに申上げれば、自分はまだこの女のことを忘れてはゐない。のみならず、思ひだしては胸に苦痛を覚える次第で、朝、昼、夜自分は毎日思ひだすのが習ひである。

 自分は自由を我物として、早速新宿の酒場へ駈けつけ六年間の愛慾を金によつて復讐したいと考へてゐる。公衆の面前でこそその浅薄な気位を持ちこたへてはゐるものの、裏面に於ては、金のためには犬鶏の真似も辞さない筈の女である。かやうに復讐を遂げ終つて、自分はここに六年間の試煉を終ることになる。

 就いては復讐の費用として、特に自分にだけ金二百円の増額をお願ひしたいと思ふのである。即ち自分の求めるところは合計五百円のわけである。

 而して右の分前は貴殿の儲けが何億円であらうとも不変であることを誓約する。

 自分等は×月×日午後十一時より十二時のあひだ、なにがし区なにがし町のなにがしおでん屋に於て貴殿をお待ち致してゐる。なにがしおでん屋の所在は地図を同封致すから、それによつて辿られたい。

 尚自分等は当日どのやうな風雨であらうとも貴殿をお待ち致してゐるが、自分は細かい碁盤縞の浴衣に鉄ぶちの近眼鏡をかけた五尺五寸三分の痩せた男であり、看護人なにがしの当夜の着衣は明かでないが、なにがしは年齢三十六才、ずんぐりと太つた五尺二寸ほどの色浅黒い男である。

 然し尚念のため、目印として自分の胸に樫の葉をつけてゐるから、それに向つて話しかけていただきたい。若し又豪雨で着衣を洗はねばならないやうな場合には、裸体のこととて胸に樫の葉のさしやうもないが、そのやうな場合には左手に樫の葉をつまみながら泡盛を飲んでゐるから、そのやうな様子の男に話しかけていただきたい。

 最後に蛇足ながら申添へるが、貴殿が巨富を得られて後に始めて割前をいただくもので、当日報酬をいただく意志のないことを一言お断り申しておく。云々。



 以上が手紙の大意であるが、これが小型の原稿用紙に、ペンでもつて、一字一画ゆるがせにしない正しい楷書で最後まで乱れを見せず清書してある。

 僕が大意を写しただけで丁度三十枚あるのだから、もとの手紙がどんなに尨大ぼうだいなものであつたか充分御理会のことと思ふ。

 これだけ長文の手紙の中で、文字の書誤つて直したところがたつた六箇所あるだけである。ところで書誤つた六字といふのは丁重無類な桝形ますがたに塗りつぶしてあり、その上にお役所の文書と同じやうにはんこを捺して、それから訂正の文字が加へてあつた。

 さう言へば手紙の最後の署名にも、又封筒の裏面にも、日付の下になんのなにがしとあり、やつぱりはんこが捺してある。

 兜町の豪傑連も驚いた。

 そのうちに兜町全体がひつくりかへした蜂の巣のやうにわん〳〵唸る時がきて、もはや一人も気違の手紙のことを思ひだす者がなくなつてゐた。手紙はなにがし商店の誰かの机のどこかしらに投げだされてゐた筈である。

 ところが一日の騒ぎが終つて、さて人々が気がつくと、だうしたことだか手紙がどこにも見当らない。

 草を分けても探しださねばならないやうな手紙ではなかつたから、それつきり手紙のことはみんなが忘れてしまつたのである。

 気の毒なのは手紙を書いた御人である。考へてもみなさい。封筒を貼つて一日に十銭稼いで、二銭の餅菓子で栄養を補給したり、たまには一本一銭のバットを吸つたり、さてそのうへで婆羅門の秘巻を買つたり、あげくの果には一杯十銭の泡盛も飲んで、それがみんな一日十銭の稼ぎの中から割出すのだから、又そのうへに何十枚の原稿用紙、べた〳〵貼つた切手の値段ときた日には、それだけでもう何百日の稼ぎに当るか分らない。血が滲んでゐるなどといふのは、かういふ時に使はなければならないのである。

 手紙の書写にしたところで、筆耕のまる一日の仕事といふのが四五十枚のものだといふのに、第一どんな几帳面な筆耕でも一字一画筆法正しい楷書で書くといふ者はない。

 思ふに手紙を書きあげるまでまる〳〵数日かかつた筈で、荏苒日をむなしくすべからずなどと言つて豪雨の最中おでん屋へ駈けつけてゐるほどだから、その翌日には早速手紙の執筆にとりかかつたに相違ない。手紙の中には、この重大な霊感あつておでん屋へ駈けつけた日の記憶すべき月日が記してあるのだが、それが丁度数日前の月日に当つてゐるのでも這般しゃはんの苦吟が分るのである。

 その数日といふものは全く手紙にかかりきりで、封筒も貼れなかつたに相違ない。さすれば栄養の補給もできず、バットにありつくこともできない。かへすがへすも気の毒なことばかりである。

 全くもつて株屋の心臓ぐらゐお話にならないものはないのである。ここにひとつの教訓を胆に銘じる必要があるが、全くの話が、金もないのに夢株屋へなど手紙をだすものではないのである。



 然しいかほど霊気のこもつた手紙でも、相手にされないからといふので羽が生えて飛んで帰るといふことはない。

 盗んだ男がゐたのである。

「いやア。こんちはア」とかう言ひながら、四十五六の年配で鼻ひげなども生やしたくせに、御用聞と同じやうな笑ひ方して、左様、丁度その日の午頃ひるごろであつたが、なにがし商店の店先へ顔をだした男がある。

 深川区なにがし町なにがし番地オペラ劇場主人なんとかの草石といふ雅号を刷つた大型の名刺を所持に及んでゐる、何のためだか知らないが、かうやつて時々なにがし商店の店先へ顔をだすのである。それから勝手に店内へ上りこんで、自分の小屋へしよつちうかかる浪花節の口調でもつて時局や外交問題などを一席弁じ、いつのまにやら又消えてゐる。

 この先生が手紙のことを小耳にはさんで、これこそ天の与へたものだとそッと懐中へ忍ばせてしまつた。

 さて人気のないところへ来て、何十枚かのこの手紙を笑ひ声ひとつ立てずに読み切つたのがこの先生で、再び手紙を懐中深くをさめてから、株屋なんてえものはこれでお金が儲かるのだから不思議だね。それにしても運てえものはやつぱり頭の問題だよ、などと呟いてゐる。

 つまり相手が気違だから笑ひごとではないのである。正気の易者の予言などをかしくつて信用できるものぢやない。かういふ先生の言ひぶんであつた。

 手紙の文面から判断しても、流石に修養があるだけに、この気違は却々なかなかきつぷの良いところがあり、謙遜の美徳など心得てゐる。内密な話であるがと切出して自分だけ二百円余計稼いでゐるあたり充分呼吸をのみこんでゐて駈引は相当達者なものであるが、それにしても女を口説く資本モトデだけで沢山だといふ心掛はこれまた至極さつぱりしてゐて見上げたものだし、二百円の金を握つて六年前の新宿さして駈けつけようといふ心根もほろりとするほど味がある。

 同じ目印をつけるにしても、カーネーションの花をさすとか、左の手に大根を握つてゐるとか、さういふことは言はないで樫の葉といふのが渋い。

 先づ試みに明日の予想でもさせてみて、充分予言の実力を験したうへで大きな勝負にかかるから、こつちの方は悪くいつても二日か三日のひまをつぶしただけの損で、なに、それだつて、くだらぬ寄席で欠伸あくびするよりましなぐらゐのものである。

 さてここにたつたひとつの心配といへば、この気違が泡盛飲むといふことだが、こればつかりはいかさま婆羅門の秘巻によつて修養つんだ御人であらうが、なんのはづみで暴れだすか知れたものではないのである。

 気違は怪力無双であるといふから突然ポカリと張りとばされて相当こたへることであらうが、それにしても二つか三つ殴られるうちには逃出すことが出来るであらう。



 ×月×日の夜がきて、深川オペラ劇場主人は指定のおでん屋へ出掛けて行つた。

 いかさま町もいよいよこれが外れである。そこの裏からもうひろ〴〵となだらかな起伏を流した畑になる。小便するのに裏口あけて一足でると、頭の上で玉蜀黍とうもろこしがガサ〳〵と鳴り、畑は一面虫の声で、どこまで続いてゐるやら分らず、遠方に黒い森影が見える。

 屋台店にやうやく毛の生えたやうなおでん屋は、それでも羽目板にハゲチョロのペンキなど塗り、一押し押すとつぶれるぐらゐ小意気な角度に傾いてゐる。

 まさしく居る。──をりから星の降るやうな明るい夜で着物の洗濯する必要がなかつたから、なるほど胸に樫の葉をさした御人が、泡盛のコップをひとつづゝ前へ並べて、ただ黙然と居並んでゐる。

 いや、どうも。深川オペラ劇場主人はことのほか初対面の挨拶にかけては自信があつて、につこり笑へば鼻ひげまでにこ〳〵笑ふといふ程だから、婦人選挙権獲得同盟の会長さんでも怖くはないと言ふのだが、この時ばかりはほと〳〵勝手が分らない。

 こつちも泡盛のみながら先づおもむろにといふ手もあるが、ここのところで一手違へばポカリとくるのが目に見えてゐるところである。

「失礼ですが」と、ものの四尺ほど離れたところで──もつと離れてゐたいのだが、これ以上離れるためには外へ出るより仕方がない。で、彼は先づ何よりこれが大事だから、につこり笑つて、それから声をださうとした。

 と、鉄ぶちの眼鏡の奥からこれを黙然と観察してゐた樫の葉の御人が、一足先にすッと立つて、西洋の貴族ならかうもあらうかと思はれるやうな、首をいくらか斜にして、首から上の部分だけで極めてやはらかくお辞儀をした。

「お待ち致してをりました」

 樫の葉の御人は静かな声だがハッキリ言つた。

 動作は極めて落付いたもので、お辞儀にしても首ぐらゐしか動かさないのに、不思議にやんわりとした優美な線を描きだし、品が良く、充分礼儀を失つてゐない。

 待人を迎へる顔付なども、田舎の人のスットンキョウな喜びやうもしてゐなければ、都会風に無理をしたお愛想笑ひもしてゐない。どちらかと言へば利巧な人よりも利巧なぐらゐ冷静で、どことなく憂ひの翳をほのかに秘めた幽かな笑ひを浮べてゐる。これが美女の顔であつたら、まさしく古今の名画に残る笑ひのひとつで、憂愁に神秘を重ね、なにかほの〴〵とした人の世の悲哀の相を漂はした笑ひなのである。

 愈勝手の分らないことばかりである。第一この御人の顔付はげつそり痩せ細つてゐて、なるほど栄養の補給が余程足りないことなども、充分納得できるけれども、ひとつには高邁深遠な精神が無駄な肉をそぎとつたやうな痩せ方で、何かかう西洋のお偉い人の、エマヌエル・カントとかエドガア・アラン・ポオとかいふ、さういつた哲人詩人の味のある華車きゃしゃで聡明で刃物のやうな顔付である。

 深川オペラ劇場主人は人の顔付を判断して咄嗟にこつちの言葉使をきめてしまふ男であつたが、この時ばかりはてんで訳が分らないので、ただもう盲めつぽうに、いと丁重にお辞儀してゐる。

 余所目よそめにも深川オペラ劇場主人があんまり面喰つてゐるものだから、樫の葉の御人がにつこりと笑つて、口を切つた。

「失礼ですが、この御用件の方でせうね」

 樫の葉の御人はかう言ひながら、胸にさした樫の葉をつまみとり、これを深川オペラ劇場主人の鼻先へヒラ〳〵させて、ネ、これでせうねと頑是ない子供に物を言ふやうに、目の中へにつこり笑ひこむやうな親しい笑ひをしてみせる。

 深川オペラ劇場主人はことごとく恐縮して、額や首筋をハンカチで拭き、それから扇子をとりだした。

「いや、どうも。これは甚だおそく参上致しまして」と彼は吃つた。「このたびは御手紙をいただきまして、実はもう早速お住居の方へ参上致さねばならない所でありましたが、却つて御迷惑かと遠慮つかまつりましたやうな次第で、まことにもつて御親切御丁寧なる御手紙で、一同ただもう感激致してをります」

「こちらこそ突然失礼千万な手紙を差上げて恐縮に存じてをります」

 と、樫の葉の御人は一礼したが、まだ指先に樫の葉をヒラ〳〵させて、時々自分の頬へ当てたり、かざしたりしてゐる。

「ではお掛け下さいませんか。こちらの方は手紙にも申上げておきました同僚のなにがし君です。幸ひ、ほかにお客もありませんし、夜もおそいやうですから、失礼ですが早速用談にうつらせていただきたいと存じますが」

「これはだうも恐入ります。わたくしから左様お願ひ致さうかと存じてをりましたところで。実のところ、席を変へて一献差上げなどしながら充分に御高説拝聴させていただきたいと斯様申上げたい所ではありまするが、生憎のお時間で。いづれ又改めて新宿へなとお供させていただくことに致しまして、本日のところは。おい、泡盛を三つ。それから何か肴を。なに、何でも出来るものでいいが、栄養の豊富なものを三人前」

 と、深川オペラ劇場主人は坐直すわりなおして、腹にひとつ力を入れた。今しがた夕めし食つてきた筈であつたが、さつきから、だうも奇妙にお腹のすいた感じである。笑ひごとではない。気違に押切られては目も当てられない話なのである。



「遠路わざ〳〵御足労下さいまして心苦しいほどに存じてをります。失礼ですが、あなたがなにがし商店の御主人でせうか」

「左様。わたくしが経営致してをります。まだ駈出しのことで、とても一流とは参りませんが、爾今じこん宜しく御後援、御助力のほどお願ひ申上げます。御手紙拝読致しました時は、この、何と申しますか、深く感動致しまして、これは容易ならぬ大事であると斯様に考へて店の者にはまだ秘密に致してあります。わたくし実は丁度この一週間ほど前から痔を悪く致しましてな。好物の酒も控へねばならず、歩行にも一寸不自由で、乗物に揺られますのが又苦痛といふわけで、然し今宵は一代の繁栄を決する大事のときで人まかせには致しかねるところから、かうして出向きましたやうな次第で。充分にお相手もできず、不調法は特にお許しを願つておきます」

「では早速お話致しますが、先程なにがし君とも相談して僕達の考へをまとめたばかりの所ですが、先日差上げた手紙には、予言の場所、方法などに就いては申上げてありませんでしたね」

「なるほど。たしか、そのやうでしたな」

「あの手紙にも申上げてある通り、予言はあなたの御指図にしたがつて、すぐこの場ででも、また何処ででも出来ますが、霊者にも気組の相違といふものがあつて、気組によつて霊感の感度にも深浅の有ることは疑ひ得ない事実です。哲学者の思索、詩人のインスピレーションでも、その時の気組や調子によつて、思索の結果や作品の出来に深浅上下があることと丁度同じ理窟になります。このやうに申しますと、何か僕の霊感が怪しげなものに聞えますが、さういふ不安は有るべきものではないのです。つまり霊者とは申しましても、人間であつてみれば、その日の調子や気組によつて出来不出来はまぬかれないもので、たとへば気組の劣つた日は、あすの天候を予言するにしましても、さしづめ新聞の天気予報と同じやうに晴雨の別を感じるぐらゐに過ぎないものです。調子も高く気組の張つた時の予言は、何時何分頃にポツ〳〵来て、何時何分頃にれまを見るが又何時何分にはドシャ降りになつてしまふ、然し何時何分頃には小やみになつて何時何分に又ドシャ降りにもどるけれども結局何時何分ごろには上つてしまふ、僕自身それまで細かく知りたい意志は微塵もないのに、目のあたりパノラマに向つてゐるやうに次々と勝手に分つてしまふのです。気組の高い日といふものは万事がさうで、もとより株の予言にしても例外なく同じことです」

「成程々々」

「僕は今ここにかうして極めて平凡に日常普通の心持であなたと話してをりますね。勿論このやうな日常普通の心持には、武人が戦場に望むやうな気組といふものがある筈のものではありません。では、このやうな日常普通の心持から予言が出来ないものかと言へば、かうしてお話してゐるやうな手軽さではいきかねるかも知れませんが、もとより霊者にとつて霊力は偶発的ではありませんから、今でも、ちよつと気組を改めて特定の精神状態を誘導することによつて、直ちに霊感を呼ぶことは決して不可能ではありません。然しながらそれは唯一応の霊感で、明日の天候は晴れであるとか雨であるとか、その程度の大ざつぱな予言しか出来る筈がないのです。真に怖るべき予言、よくもここまで分るものだと僕自身驚くやうな高度の霊感は、唯一応の霊感とは全然異質に見えるほど照見無礙むげ玄妙千里を走るが如き概があります。全身全霊ただ電気とでも申しませうか、その時は僕の全部が眺める目、眺める鏡、眺める機械で、同時に僕の全部が又そつくりひとつの動く絵で、即ち次々と展開する未来図のパノラマに外ならぬのです。いはば活動写真を写す技師が僕であり、幕に映る活動写真が僕であり、それを眺める見物人が僕であります。すべてが渾然として一分の隙もなく、唯ひとつの僕といふ霊気、あるひは電気なのですね」

「いかにも〳〵」

「宿縁と申しませうか、このたび縁あつて──仏教では縁といふものに理外の理、宿命的な義理を与へてすくなからぬ重要なものに扱つてゐますね。かうしてあなたにお目にかかり膝つき合せて語合ふことが出来まして、又、あなたの御援助によつて一生の大事を決することもできるといふ、これは深い縁であらうと思ふのですが、従而、このたびのことに就いては、自分の気組といふものも普段のものではないのです」

「いかさま。さうでせうとも」

「けれども気組と申しましても、たとへば詩人が机に向つて俺は傑作を書いてみせるぞといくら一人力んでみても、気組だけでは雞の卵のやうに易々傑作を生みだすわけにはいきません。気組の力を生かしてそれを傑作にまで発展せしめるには、それに気合といふものが重つて調子が合ひ、全てがひとつのパノラマとなつて走りださねばなりません。然らば気合とは何か、即ち気合とはある特定のコンディションから生れる所の「ハズミ」であります。即ち気組といふものは発動機のやうなもので、これには油がなければならず、又これを動かす人の手が加はらなければ動かない、それがつまり「ハズミ」であります。では特定のコンディションとはどのやうなものかと言へば、これは気組の質によつて各相違のあることで一概には言へませんが、平たく言へば、気組といふ発動機にハズミをつけ、霊感を呼びだすに最も都合の良い環境、条件といふことであります」

「なるほど」

「このたびあなたの鴻大無辺な善意によつて御援助を得ることとなり、いはば廃人と申すべき身でありながら万億の富を睨んで一代の興敗を一気に決することができるといふ、下郎変じて一躍大将となりかねない稀有の機会を与へていただくことが出来まして、さて僕のひたすら祈り希ふところは、この感動と気組に最上の気合を与へ、最善の結果を得て鴻恩に報ひたいといふこと、唯これのみであります。もとより先程から幾たびとなく申すやうではありますが、単に一応の霊感を呼びだすだけのことでしたなら、この場所で今すぐにでも結構できることですが、僕の立場と致しましては、このやうな大事の際にそれでは甚しく不本意なことでありますし、また、あなたの立場と致しましても、決して御満足ではなからうと思ふのであります」

「いかさま。これは色々と御高配をいただきまして、わたくし、ただもう感激致してをりますが、御言葉の通り、霊感にも様々と深浅上下の品々がありまするものでしたならば、一世一代の大事の際でもありまするし、深い品、上の位をいただきたいと云ふことが、これはもう掛値なしの人情と申しませう。そこで、霊感を呼びだすに都合の良い気合のかかつた環境、たしかそのやうなお言葉でしたな。わたくし、この哲学といふものに不案内でとんと物分りの悪い方でありまするが、気合のかかつた環境と申しますると、つまりこの下世話におみきあがらぬ神はないなど申しましてな。待てしばし天下とるまで膝枕チョイ〳〵などと、これは官員さんが羽振をきかせた頃の唄で、天下の政治は待合の四畳半できまるものだなどと申してをりますが、これが即ち政治の気合といふもの。霊感の気合の方は下世話の噂にないことで、わたくし共俗人とんと推量致しかねますが、やつぱりこの天下の政治と同じやうな筋でせうかな」

「さて、それが問題なのです。つまりですね。詩人は如何なる時又如何なる環境に於ても詩をつくることが出来るでせう。これは分りきつたことですね。けれども至高のインスピレーションによつて傑作を創りうる時は一生のうちにも数へるほどしかありません。霊感の場合が又これとほぼ同様なものです。即ち、如何なる時又如何なる場合に於ても一応の霊感を呼びだすことは出来ますが、至高の気合によつて高度の霊感を呼びだすことが出来るのは一生のうちにも数へるほどしかありません。且又、詩人のインスピレーションと同じことで、至高の気合がどこに在るかといふことは分る筈がないのです。どこぞこの街角の喫茶店に詩人のインスピレーションが転つてゐるなど言へば、これはをかしな話ではありませんか」

「いかにも」

「然しですね。今度の場合に限つて、このをかしな予想が案外不可能ではないのです。といふのは、予言の対象が明確なうへ、予言の結果が一生の浮沈に関する重大な意味を持ち、従而、僕の気組が異常に高く、触るゝもの全てを切る妖刀の如く冴えてゐて、多くのハズミを要せずに動きだすことが分るからです」

「成程々々」

「然らばその環境条件とは何かと言へば、即ち僕が直接株式市場へ出掛けることに外なりません。触るゝもの全てを切るが如くに冴えてゐるこの高い気組のことですから、直接株式市場の熱気奔騰する雰囲気中に身を置くや否や、全身全霊あげて忽ち火閃となり、霊感の奔流と化して走るだらうといふことが最も容易に想像することが出来るのです」

「ウム〳〵」

「然しながら、生憎ここに重大な障碍に気付かなければならないのですが、既に手紙でくはしくお話致してありますやうに、つとに全快してゐるとは言ひながら表向きは患者として幽閉されてゐる身の上で、僕には白昼公然たる外出の自由がないのです。従而、白昼公然株式市場へ赴くことも出来ません。それゆゑ僕が株式市場へ赴くためには何等かの手段を施さねばならないわけであり、ここに手段といふものが唯二つしかないのです。如何やうに工夫を凝らしてみても、唯二つあるのみであります」

「…………」

「その第一は過激な方法で、即ち直ちにこの場から逃亡して明朝株式市場へ現れるといふ手段なのですが、これはいささか穏当を欠いて種々不都合がともなひ、先づ差当つてなにがし君の首が危いことにもなり、又、僕とても見付かり次第病院へ逆戻りといふわけですし、事の成就を見ないうちに見付かるやうなことがあれば、元の木阿弥といふことになります」

「成程々々」

「そこで第二の方法ですが、要するに可能な手段はこのひとつで、事の成就をはかるためにはこの方法をとる以外には全く仕方がないのです。それはつまり明朝あなたが先づ病院へ訪ねて来て下さるのです。それから院長にお会ひになつて、あなたの職業身分など披瀝されて、責任をもつて僕の引受人となることを声明していただくのですね。肉親でないから不可だといふ話がでるかも知れませんが、その時はつまり、退院後は店員として監督使用するものであるから父兄同然であつて、保護に万全を期するむね断乎主張していただけば面倒はありません。その日直ちに僕は退院することが出来ます。さうして何ひとつ憂なく全霊をあげて予言に集中することが出来るわけです」



 なんとまあ話の運びの巧い奴だと、深川オペラ劇場主人はたまりかねて、つい泡盛を一杯ぐいと飲みほした。

 気違などといふものは案外みんなお喋りが達者なのかも知れないが、日本の外交がから下手だなど噂になるのは、これはもう外交官がみんな正気のためである。

 だが気違のお談議に感心してはゐられない。どこの間抜を探したつて、わざ〳〵気違の引受人となり、月給払つて、断乎保護に当る馬鹿者がゐる筈がないではないか。

 要するに問題といふのはここの所で、気違に言ひくるめられて、ぼんやり帰る奴はない。

 愈これは──と、そこで彼は考へた。だうやら愈ポカリとやられる段取へ段々近づいて来たやうだが、ここまでくれば、もはやだうにも仕方がない。一か八か当つて砕けるまでである。

 ポカリと来たら跣足になつてうしろも見ずにサッサと逃げだすことであるが、かうと知つたら──だから人は見栄外聞をはるものではないのである。気違に会ふのだから浴衣がけで沢山だのに、セコハンながらパナマ帽やらの夏羽織はまだいいとして、買ひたての桐の下駄など何の因果ではいてきたのか分らない。

 それにつけても、ここに薄気味悪いのが看護人なにがしであつた。

 成程手紙にある通り、身の丈は五尺二寸ぐらゐ、色浅黒く、ずんぐり太つてゐるのであるが、この御人唖や聾ではない筈だが、さつきから唯の一言も喋らない。尤も樫の葉の御人がのべつ幕なしに喋り通してゐるから、これまた仕方がないかも知れんが、さて然らば、ここにこの御人の十七インチもあるやうな大きな頸は曲げることが出来ないのかといふ心配が起つてくる。

 といふのは、深川オペラ劇場主人がこのおでん屋へ罷り出てから相当時間もたつてゐるのに、この御人の十七吋もある頸は唯の一度も曲つたためしがないのである。従而、顔の位置が一度も動いたためしがないし、て又顔の表情がビクリと動いた気配もない。

 で、この御人の視線がまつすぐ向いてる先の方へ辿つて行くと、深川オペラ劇場主人の肩の上を素通りして璧に突当る筈であつたが、そこに裸体画でもかゝつてゐてそれを睨んでゐるといふなら、もうすこし色つやの良い目の色をしてもらひたい。この御人の目の玉ときては、大きくまる〳〵とむかれてゐるのに、どろんと濁つて、第一ちつとも動かない。

 動物園へ遊びに行くと、昼間の梟と木菟みみずくがかういふ具合にヂッと止つてゐるものだが、あれだつて見た恰好は決して気持のいいものでないが、昼間は物が見えないのだと分つてゐるし、金網の中にゐるものだから、オヤ愛嬌のある先生だなどと大きなことを言ひながら眺めてゐる。この御人ときては、さうはいかない。

 こんなにヂッと動かないのに、キリスト教の犠牲精神といふもので便所の掃除もするといふし浴衣の洗濯もしたといふから、魔法使のやうなものだ。

 樫の葉の御人は痩せ衰へて吹けば飛びさうに見えるからポカリときても大して痛くはなさゝうだし、第一物腰が貴族的で応待なども人並以上にやはらかだから、ポカリとくる時ヒラリと体もかはせさうだが、木菟の先生の一撃ときてはノックバットで張り飛ばされるやうであらう。第一如何なる瞬間に如何なる角度から、ポカリとくるのか到底見当つかないのである。

 木菟の先生は看護人だといふのであるが、素人の見たところでは樫の葉の御人の方がだう睨んでも真人間に近い様子に見えるから、精神病院などいふ所は何が何やら分らない。この調子では、お医者さんだの院長先生といふ人はどんな顔してゐるだらう。大きな椅子にドッカリと河馬かばのやうにふんぞり返つて、黙つて坐つてゐるかも知れん。

 樫の葉の御人だけでも重荷のところへ木菟の先生が控へてゐるから、だう考へても一つ二つはやられることに極つたが、手ぶらで帰る馬鹿はないから、深川オペラ劇場主人はここで又につこり笑つて、さて、一膝のりだした。



「いや、お話はよく相分りました。実はわたくし、昨夜大きな金の茶釜を丸呑みにした夢を見ましてな。なに、なんのたあいもなく呑みこんでしまつたのですな。これは夢見が良いなどと今朝から喜んでをりましたところで。だん〳〵お話を伺ひますると、わたくしには何から何まで夢のやうな有難いことばかりで、やつぱりこれは正夢であつたなどと、実は先程からこのやうに考へながらお話を伺つてをりました。只今わたくしの店に、左様、丁度何人になりまするかな。いやもう働きのないのがウヂャ〳〵とをりましてな。生憎店をまかせても宜しいやうな、心棒になつてくれる腕達者が一人として見当りません。最近はお蔭様で店の信用が一段とつきまして、でまアここが発展の機会だなどと考へてをりました折柄で、なんとかして眼識もあり修養も積んだ人物を支配人格に迎へたいものだなどと日夜このことばかり悩みぬいてをりました。あなたのやうな霊力もあり修養も積まれた御方に来て働いていただくことが出来るなどとは、まさしく日頃信仰いたしまする棘ぬき地蔵の御利益で、願つてもないことであります。月給なども出来るだけは致しまするが、然しこの月給などといふものはどのみちほんの些細なもので、これは霊感の大小によりまして、その都度配当を差上ることに致さうと斯様考へてをります。で、店へ来て働いていただくに当りまして、この、霊力ある御方を俗人の分際で試験致すなど申上げては、こやつ陽気の加減で少々のぼせが来てゐるやうだなと定めし御心外のことかと存じまするが、なんと申しましてもわたくし共俗人眼識がありませんので、一応試験のやうなことを致さなくては人の値打が分りません。いやはや、思ふだに笑止の次第で、話が逆でありまするが、なんに致せこれが俗人社会の慣例で、かう致さなくては我々人が使へぬといふ生れつき無力無能に出来てをります」

御尤ごもっとものことです。就職試験といふわけですね。然し、手紙にも申上げてある筈ですが、僕は学校で経済を学んだこともなく、特に株に就いでは全くの門外漢で、ただ霊感の能力をお貸してこれを活用していただく以外には手腕もなく才能もない男なのです」

「いえ、もとよりそれだけで結構で。経済やら株のことやら齧つてみてもおいそれとお金の儲かるものではありません。この節株や経済に明るい人間など掃溜へ入れてお釣のくるほどありますが、かういふてあひはわたくし共の商売にはカラ役に立たないといふ先生達で。もう私共に多少なりとも霊感の能力がありましたなら、日本中の金気をみんな吸ひとることも易々たるもので、まして六年間御修錬の霊感ときては、アメリカの金気も物の数ではありません。で、この霊感の威力を試験するなど申上げては愈奇怪で、霊の尊厳をわきまへぬ不埒な奴とお腹立でもありませうが、わたくし共俗人かう致さねば宝石も砂利も見分けがつかないといふ愚かな生れで、ただもう面目次第もないことであります。で、甚だ申しかねるところではありまするが、ひとつ、かういふことに致させていただきたいと存じます。つまり、この、先程のお話に一応の霊感といふのがありましたな。あれでもつて、何か二三日先のことを極く大ざつぱに予言していただく。わたくし、その結果を見まして──いや、もう、外れる筈のものではありませんが、ここが俗人の浅間敷いところで、かうして充分納得させていただきましたうへで、早速とる物もとりあへず病院へ駈けつけまして、河馬の先生、イヤ、院長の先生にお目にかかり、直ちに退院していただくことに致しませう。その節は病院の支払など何万円でも充分に用意して参ることに致します」

「お話は良く分りました。勿論、あなたは僕の霊力を御存じないのですから極めて至当な話で、気を悪くする筈はないのです。却つて霊力を納得していただく好機会を得たわけで、喜んでゐる次第ですが、では、何か、明日の天候でも予言しませう」

「さ、それが──」

 と、深川オペラ劇場主人は、ここで又、一膝ぐいと乗りだした。

 案じるよりは生むが易いとはこのことである。然しここで余りにや〳〵したりすると、ポカリとやられることになる。

 深川オペラ劇場主人はふところから何やら紙をとりだした。

「実はわたくし、先日お手紙をいただきました折に、いやもう、これが俗人のなさけないところで、とにかく一応試験といふものをさせていただき、霊力を納得させていただいたうへ、御共力願ふことに致さうと斯様に考へましてな。今宵こちらへ参上致すにも、実はかうして用意して参つたやうなわけであります。これは丁度明日から行はれまするなにがし競馬の登録馬の出馬表で、ここにかう馬の名前が幾つも書いてありますが、この勝馬をひとつづつ予言していただきたいと存じましてな。大変御手数で恐入りますが、この一応の霊感で極く大ざつぱなところを予言していただくにはこれが丁度手頃かと考へましたわけで、そこでかうして用意して参つたやうな次第であります」

「それは好都合でした。二つの一つを予言するのも百の一つを予言するのも、霊感の場合は結局同じ労力です。では、その勝馬をちよつと予言しませう」

 と、樫の葉の御人は極めて気軽に出馬表をとりあげた。



 気違の予言などといふものは、色々と奇怪な作法を伴ふものかと思つたのに、これは又、至極あつさりしたものであつた。

 樫の葉の御人は出馬表を前へひろげて、さて鉛筆の芯が気になるといふ風に、鼻先へかざして眺めたり、五六字書いたり消したりしてゐたが、突然いとも無造作に第一競馬第二競馬とヒョイ〳〵点を打ちながら勝馬の印をつけはじめた。予想屋と同じぐらゐ無造作である。

 却つて予想を終つた後に膝の上へ掌を組んで一分間ほどしんみりと目を閉ぢてゐる。霊感を頭の抽斗ひきだしといふやうな所へしまつてゐるのに相違ない。目を開けて、出馬表を深川オペラ劇場主人に手渡した。

 あんまりアッサリしてゐるので、深川オペラ劇場主人は拍子が抜けて言葉がでない。鮒のやうな目付をして、出馬表を敬々うやうやしく押しいただいてゐる。

「では後日迎へに来ていただく時をお待ち致してをります。いつでも退院できるやうに荷物をまとめておきますが、四五枚の着換と二十冊の書籍だけで行李ひとつに足りないほどの荷物ですけど、ぶらさげて歩くわけにはいきませんので、円タクを用意して来て下さるやうにお願ひします」

 と、樫の葉の御人は立上つた。すでに綿密な引越の計画も立ててゐる。さてそこで、一段と声を落して、かう言つた。

「就きましては、退院の支度があるものですから、二十円拝借させていただきたく存じます。厚かましいお願ひですが、いはば只今の予言代といふことにして──何十倍も儲かりますよ。フッフッフッフ」

 いや、どうも、深川オペラ劇場主人は冷水を浴びたやうにぞッとした。樫の葉の御人の眼が薄気味悪い笑ひと共にギラリと光つたからである。

 これが気違の目といふものであらう。それでなければ殺人鬼の目の光である。あまつさへ、こつちの心の裏側をみんな見抜いてゐるやうな気持の悪い笑ひ方をする。

 だうにもこれは仕方がない。で、深川オペラ劇場主人は十円札を二枚とりだした。

「あなたの二十円はわづか一日の小遣にも当らないことでせう。ところが僕の二十円は丁度半年の食費に当つてゐるのです。公費患者に給与する食事は一貫目いくらの残飯ですからね。ところが僕達はこの残飯の又残飯を一銭一銭と買つて腹の足しにすることがあるのです。犬や豚の食物を僕等は金で買つて食べなければならないのですよ」

 などと言ひながら、然し、樫の葉の御人は十円札を大切にするといふ風が一向にないのである。蟇口へも入れなければ、袂の中へをさめようともしない。手にぶらさげて、さつきまでつまんでゐた樫の葉と同じやうヒラ〳〵させてゐる。

「豚や犬にも劣つた廃人の願ひをききとどけて、このやうな遠方までわざ〳〵御足労下さいました温いお心は、棺に這入つてのちも忘れるものではありません。厚く御礼申上げます」

 と、樫の葉の御人は丁重なる挨拶を残し、いまだに十円札を手にヒラ〳〵とさせながら、裏口から畑の中へ消えこんだ。

 すると木菟の先生もこれにつゞいて、これはたうとう最後まで一言も喋らなければお辞儀も致さず、十七吋もある頸を黙々と振り向けて、これもまつくらな畑の中へガサ〳〵と消えこんでしまつたのである。



 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人が大儲でもしてくれゝば、芽出度し〳〵といふことになり、尚その上に、兜町には二人づれの不思議な旦那が現れて、日本国中の金といふ金をみんな二人のふところへ収めることになつたかも知れなかつた。

 生憎さうはいかなかつた。

 僕は悲劇が嫌ひのたちだが、だうも事実といふものはげることが出来ないのである。

 なにがし競馬で深川オペラ劇場主人は一日地団太踏んでゐた。流れる汗を拭くのも忘れて埃をかぶつてゐるものだから、汚い顔をして、人波をわけて走つてみたり、立止つて唸つてみたりしてゐる。

 東京帰りの汽車に乗つても正宗の壜を鷲掴みにして地団太踏んでゐるのである。近所の人々は気が気ぢやない。これはだうもとんだ悪相の気違と乗合して困つてしまつたなどとぼやいてゐる。

 まつたくもつて、巧々うまうまペテンにかかつたのである。とはいふものの、さて熟々つらつらふりかへつてみるに、はなから臭いと思はないのが不思議であつた。

 抑々気違の弁説があんなに爽やかな筈がない。なんとかかんとか奇天烈な風に持廻りながら思ふつぼへ話を運んで行くのであるが、あのへんの条理整然として、気違の業ではないのである。

 顔付だつて利巧さうで、知らずに会へば、気違どころか文士の先生ぐらゐには踏んでしまふところである。

 そこは連中心得たもので、さてこそここに木菟の先生といふ妙ちきりんな相棒を並べておく。先生が目の玉むいて黙然とをさまりこんでゐるものだから、樫の葉の御人の弁説も正気のものとは聞けなくなつてしまふのである。

 第一考へてみるまでもない。気違が深夜病院を脱けだして、泡盛を飲んでゐるなんて、こんな奇怪な出来事が文明国の首都に於て行はれる筈がないのである。

 それにしても手数のかかつた方法でかたりを働く悪人共があつたものだ。探偵小説によると、前もつて犯行の期日を予告して仕事にかかり危険を冒すことを無上の趣味とする泥棒氏などがあるさうだが、樫の葉の御人・木菟の先生もこのでんで、先づ何十枚の手紙から始まつておでん屋に於ける会見となり手間をかけて散々人を嘲弄したうへ騙るのが趣味であるとしてみると、なんとも始末に終へないほど後味の悪い話である。

 ポカリと来ては大変だと野だいこも及ばないほどへいつくばつて、せつせと御機嫌とつた様子を思ひだし、それが奴等の笑ひの種になつてゐるのを考へると、わッといふ唯一声の悲鳴と共に風となつて消え失せる嘆きを感じてしまふのである。

 あの界隈の与太者共に相違ないが、被害はたつた二十両でも、やられ方があくどくて、うつたうしくて我慢がならない。

 深川の顔役ともあらう者が──それほどでもないが、深川の旦那ともあらう者が──これもだうも、それほどでもない。とにかく顔にかかはるではないか。


 そこで翌日、深川オペラ劇場主人は日当一日五円づつ仕事のあとでは充分に振舞ひ酒といふ約束で二人の暴力団を雇ひ入れ、先づ精神病院へやつてきた。

「旦那」

 暴力団の一人が精神病院の受付から浮かぬ顔付で戻つて来て、自動車の中の深川オペラ劇場主人に報告した。

「だうも与太者ぢやアなさゝうなんで。さういふ名前の気違がほんたうに入院してゐますとよ」

「そんな話があるものか」

「然しねエ。ちやんと名簿にさういふ名前があるんでさア。相当古株の気違だつて言つてましたぜ」

「それぢやア、なんだ。与太者が名前をかたつてるんだ。してみるてえと、これはなんだな。与太者といふのは此処の小使か看護人か看護婦の兄とか弟といふ奴に違ひねえ。とにかく真物ほんもののキ的にいつぺん会つてみようぢやないか」

「ようがせう。然しねエ、旦那。間違つて入院させられねえやうに気をつけておくんなさいよ」

 と、三人は精神病院へ上りこんだ。

 待つほどに、ガチャン〳〵と奥の方からいくつも錠をあけたてする音が近づいてきて、やがて、和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ、左の手にバイブルをぶらさげた看護人を先登せんとうにして疑惑の中の怪人物が現れてきた。

 これを見ると深川オペラ劇場主人は胆をつぶして、突然うろ〳〵と鉄格子のはまつた窓を見廻したりしたのは、ならうことならそこを破つて逃げたい気持であつたのである。

 和服の上に割烹着のやうな白いものをつけ左の手にバイブルをぶらさげた御人はまさしく木菟の先生であつた。

 木菟の先生のうしろから静々と現れたのは、まぎれもなく樫の葉の御人なのである。

 樫の葉の御人は感極つた面持であつた。六年前から涙がでないさうであるから、成程泣いてはゐないけれども、悄然としてむしろ甚だ悲しげである。例の如く若干首を傾けて貴族の如く一礼をなし、さて、ふるへを帯びた細い声で感動のために澱みながら、泌々しみじみと挨拶の言葉をのべた。

「先夜は大変失礼を致しました。悪印象をお与へしたのではないかと毎日心配してゐたのです。お待ちかねはしてゐましたが、ほんとに来て下さるかだうかと、それのみ案じつづけてゐたのでした。それゆゑ、荷物もつくつてゐない始末なのです。余りの感動のために感想すら浮かばない有様ですが、愈裟婆へ出ることが出来るのですね。それにしても、運送屋さんを二人まで連れて来ていただくほどの荷物がある筈はありませんのに」

 と、樫の葉の御人は腹掛に印半纏しるしばんてんの暴力団を眺め、蒼ざめた顔に侘びしげな、けれどもまぶしげな笑ひを浮かべた。


十一


「虎八に鮫六」

「ヘエ」

 まだ太陽がやうやく地平線の森の頭にかかつてゐる頃であつたが、深川オペラ劇場主人は、なにがし区なにがし町、つまり例の病院からひろびろと畑つづきのおでん屋で、もはやしたたか泡盛に酩酊に及んでゐるのである。

「なア。虎八に鮫六」

「ヘエ」

「キ的と正気の区別といふものがお前達に分るかな」

「はアてね」

「気違てえものは、泌々修養をつんだものだなア」

「さうかも知れないねエ」

「第一礼儀正しいやな。挨拶の口上なんてえものも、水際立つたものだな」

「全く驚いたものですねエ。だから見ねえ。看護人が挨拶しないのは、あれは気違と区別をつける為ですぜ」

「俺が十六の年だつたな。高等小学校を卒業して、日本橋のいわしやの小僧になつて始めて上京する時のことだ。俺の生れたのは東北の田舎で、うちは水呑百姓だつたな。おふくろが信玄袋を担いで停車場まで送つてくれて、三里もある畑の道をおふくろと二人で歩いたものだ。そのとき、おふくろがかう言つたぜ」

「オヤ。なるほどねエ」

「東京てえところは世智辛いところで、生馬の目を抜くてえところだから、人を見たら泥棒と思へと言ふのだな。泥棒てえものは見たところ愛嬌があつて、目から鼻へ抜けるやうに利巧で、弁説が巧みで、お世辞のいいものだと言つたな」

「田舎の人は律儀で口不調法だといふから、色々と東京を心配しますねエ」

「おふくろてえものはいゝものだなア。なア、運送屋の先生。然し、なんだぜ。流石におふくろほどの人でも、気違てえものが目から鼻へ抜けるほど利巧で、弁説が爽やかで、礼儀正しくて、修養をつんだものだとは知らなかつたんだな。こいつばかりはお釈迦様でも御存知ないや」

「まつたく世の中は宏大でがすねエ」

「虎八に鮫六」

「ヘエ」

「お前達おふくろが有るだらうな」

「ヘエ。たしかひとり、さういふものが有つたやうでしたねエ」

 犬小屋のやうなおでん屋は、蒸気の釜のやうに暑い。けれども、裏戸と表戸を開け放しておくと、畑の風がまつすぐおでん屋を吹きぬけて、そのときは涼しいのである。

 太陽が赤々と地平線へ落ちようとしてゐる。風の中の熱気がいくらか衰へて、畑の匂ひがだん〳〵激しくこもつてきた。

「一昔前のことだつたな。俺が三十五の年だ。東京で一人前に身を立てゝ、錦を飾るとまではいかねえが、くにへ帰つたと思ひねエ。そのときは何だぜ。東京中の名物といふ名物はみんなトランクへつめたものだつたな。お盆の頃だから、丁度夏の盛りだ。うちへつく。田舎はいつも変つてゐねえな。露天風呂でひと風呂あびる。夕めしだ。するてえと、おふくろが、うまい物は東京で食ひ飽いてることだらうからと言つて、小供の頃俺が大好物だつた雑炊をな、茄子、かぼちや、キャベツ、季節の野菜をごちや煮にしたものだ。これを拵へて祝つてくれたぜ。おふくろは有難いものだなア。大きな茶碗をとりあげて、さて一箸つけようとするてえと、思はず胸がつまつてきてポロリと涙が雑炊の上へこぼれてしまつたものだつたな」

「オヤ。しんみりとしたいい話ですねエ」

 深川オペラ劇場主人は追憶のために胸がつまつてきたやうである。彼はフラ〳〵と立上つて裏戸をくぐつて、先づ玉蜀黍に小便をかけ、それからガサ〳〵と畑の中へ消えこんだ。

「モシ〳〵。旦那」

 虎八と鮫六は慌ててあとを追ひかけたが、深川オペラ劇場主人は振向きもしない。畑の遥かまんなかへフラ〳〵と泳いで行つて、突然ばつたりひつくりかへつてポロ〳〵と涙を流した。

「虎八に鮫六」

「いけないねエ。旦那。百姓に見つかるてえと、鍬でもつて脳天どやされますがねエ」

「俺もくにへ帰つて百姓がしたくなつたぜ。東京は泌々世智辛くて厭だねえ、運送屋の先生。ポロリと涙が雑炊の上へこぼれたものだと思ひねえ。そこで俺は雑炊と一緒に泌々涙を食つたものだ。するてえと、だうだ。不思議にポロリと又ひとしづくこぼれたな」

「いけないねエ、旦那。センチになつちやア」

 深川オペラ劇場主人は畑の枝豆の中へ顔を突つこんで泣いてゐたが、やがてそのままぐつすりと睡つてしまつた。

「こんなところで睡つてしまつちやいけないよ。ねエ、旦那」

 虎八と鮫六は深川オペラ劇場主人の手を引つぱつたが、もはやグニャ〳〵と手応へもない。正体もなく熟睡に及んでゐるのである。

 そこで虎八と鮫六はあきらめて、おでん屋へ戻つてきた。

 旦那が熟睡したものだから、虎八と鮫六は泡盛をやめて、上酒の燗をつけさせた。特別大きな皿にしこたま冷やつこをつくらせ、一貫目もある氷を一本ドッカと入れて、こう、深川のおにいさんといふ者はかうして豆腐を食ふものだなどと威張りながら、上々の御機嫌で飲み直しはじめた。

 とつぷり夜が落ちてゐた。

 すでに武蔵野の田園は暗闇のはるか底へ沈み落ち、深川オペラ劇場主人の熟睡も暗闇のはるか底へ沈み落ちたが、虎八と鮫六は枝豆畑の旦那のことなどとつくの昔に忘れてゐる。黒髪のむすぼゝれたる思ひをばとけて寝た夜のなどと柄にない声で唄つて、おい、運送屋の先生、一献いきませうなどと差しつ差されつしてゐるのである。

底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房

   1999(平成11)年320日初版第1刷発行

底本の親本:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林

   1940(昭和15)年61日発行

初出:「文化評論 第一巻第一号」甲鳥書林

   1940(昭和15)年61日発行

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:北川松生

2016年99日作成

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