桜枝町その他
坂口安吾



 拙作「逃げたい心」で長野市桜枝町さくらえちょうの位置が間違つてゐることを、本誌前号に長野の人が指摘してゐるのを読んだ。

 僕は桜枝町へ行つたことがないのだから話にもならないわけで、長野の人に怒られても仕方がないのである。

 然しあの小説の中の一々が出鱈目ではないので、たとへば読者が最も眉唾物に思ひさうな貧乏徳利だが、あれは私も実物を見てゐる。長野の正木映三君が考へてゐるものとは違ふやうだが、話によると、もう二昔も前から柳宗悦氏が目をつけて屡々しばしば自ら長野へ出向いては買ひ集め、目ぼしいものはあらかた同氏の所有に帰してゐるといふことである。この話は白樺派に関係のある友人の画家から聞いたのだから大概間違ひはないと思ふ。私の見た徳利はこの絵描きの物で、一升徳利だが、友人は花瓶に使つてゐた。これを桜枝町の古物商から三十銭で購めたといふ。同種の物の中では出来の悪い方だと云ふが、私には立派に見えた。松の山温泉は勿論実在するもので、あそこへは僕も再三遊びに行つた。然しあの小説に書かれてゐる感じとは少し違ふ。外丸とまるから温泉まで四里といふのも嘘で、ほんとは三里弱であるが、深山の気分をだすためにことさら四里と書いた。松の山は良く知つてゐるから平気で嘘が書けるし寧ろ空想的になれるが、知らないことだと嘘も身を入れて言へないので勝手が悪い。右様の次第で、あの小説の中では一番怪しいのが桜枝町で、そのほかは大方の読者が思ふほど出鱈目でないことを(かう気取つて言ふほどの自慢にもならないが)納得あれば幸甚である。

 僕の親しい友人でさへ、僕の小説といへば出鱈目の地名を書くものと思つてゐるらしく、僕に文芸通信の抗議を教へてくれた男は、桜枝町は実在する町名だつたかいと呆れてゐたが、これも少しひどすぎるのである。かういふことを言つても人々は信用しない形跡があるが、僕はくだらないことに嘘を書くまいとして、実はあべこべに愚劣な苦労をすることが多いのだ。この夏は一九三二年五月三日の天候に正確な事実を書かうと思つて二週間くだらぬ奔走をした。事実を突きとめたら莫迦らしくなつて、結局小説には嘘を書いた。事実を知つてゐると嘘を書くにも気が楽だ。それだけの功徳はある。そして文学はこんな末節で労しない方がいいのである。文学の最大の任務を果すために、小道具は挙げて小道具の最大の効果をあげるために融通無碍の流用にまかさるべきが至当であると考へてゐるが、つまり小説の中で実在すればいいのであるが、然し長野といふやうな実在の地名を用ひた場合、僕が間違へた程度の嘘はひどすぎるやうだ。絵描きの大ざつぱな言葉通りに書いたのだが、この点は文句なしに降参する。

「逃げたい心」に就ては、あの小説が実人生とかけはなれてゐるといふやうな悪評をきくが作者は全然逆に考へてゐる。あれは人性の本質に即した一つの解説である。小説の動的なるにくらべれば、不動の実体にかけられたいはば人性の唄であり童話である。昨今私はこの種のものを書く気持になれないのだが、時々やはり書きたくなる。後日一本にまとめる際、同種の物を集めて「童話集」と名付ける考へであるが、かういへばあの作品の意味もやや明らかであらうと思ふ。「黒谷村」も矢張り同じ童話であつた。作家は童話に満足はできない。それは読者も同様であらう。然し人間に生と死のある限り、郷愁と童話が不滅の生命をつづけるであらうことも疑ひない事で、単に時代性を持たない点で批難さるべきものではないのだ。かやうな軽率な批難は、その人がいかにうかつに軽薄な人生を歩いてゐるかを明らかにしてゐるにすぎないと私は固く信じてゐる。私は自分の文学を、まことに苦しみ悩む小数の人々に常に捧げてゐる考へであるが、私はこの信条を大言壮語とは思はない。

底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房

   1999(平成11)年520日初版第1刷発行

底本の親本:「文芸通信 第三巻第一一号」

   1935(昭和10)年111日発行

初出:「文芸通信 第三巻第一一号」

   1935(昭和10)年111日発行

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:伊藤時也

2010年530日作成

2016年44日修正

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