逃げたい心
坂口安吾
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蒲原氏は四十七歳になつてゐた。蒲原家は地方の豪農で、もとより金にこまる身分ではなかつたが、それにしても蒲原氏のやうに、四十七といふ年になるまで働いて金をもらつた例がなく、事業や政治に顔を出した例もなく、かういふ身分の人々にありがちな名誉職にたづさはつた例もないといふ人は珍しいに相違なかつた。蒲原龍彦の名前は門札のほかに存在しないやうなものだつた。
勿論働かないことをもつて一生の主義とするといふやうな尤もらしい主張があつたわけではなく、むしろあべこべに、元来主張するところのものを何一つ持てないほど無気力で弱気で、そのうへ生活の金には全然こと欠かないところから、ずるずるべつたり四十七年ぼんやり暮したわけであつた。平凡無難といへばこの人ほど平凡無難な金持もないわけで、類ひのないほど人が好かつた。
蒲原氏の顔を描くには、まづ福々しい一つの円を想像し、そこへ小粒な、然しこれもまるまるとした目鼻口をちよぼ〳〵と落すだけでいいのであつた。したがつて胴も手頸も赤子のやうにまるまるとして、ちやうど呑気な、至つて無邪気な、象の子供のやうであつた。
蒲原氏は歩んど書斎に暮してゐた。読書をしたり、かれこれ二十年このかたの書き物をつづけてゐるといふのであつたが、極めて貞淑な、一心同体の蒲原夫人でさへ書き物のことは全然黙殺しきつてゐて、その完成に期待をかける人物はまさしく地上に一人もなかつた。朦朧と書斎にとぢこもつてゐるばかりで、文字一つ書いてゐるわけではないのだと人々は笑ひながらひどい噂をするぐらゐで、何を書いてゐるのやらその題目さへ殆んど人々は忘れてゐたが、きくところによれば「埋もれたる平凡な市井人の歴史」とかいふ題目の由で、これまでの歴史が主として非凡人の歴史であり非常事の歴史であることにあきたらず、青史の外に埋もれた平凡にして善良な市井人のために、そのささやかな、然し各々の精根を傾けた感情や善行の数々を彰顕して、一篇の真に泪ぐましい人間史を描きださうといふのであつたが、あひにく埋もれた市井人の生活を示してくれる文献が殆んどなかつた。あるにはあつたが、あひにくのことに文献の殆んど全部が詩・劇・小説なぞといふ不倶戴天の仇敵で、自家一生の著作が厳密な科学的労作であつても、詩・劇・小説のたぐひのやうな生来浮浪性を帯びた作物である筈はないと固く心に信じてゐた蒲原氏にとつて、まさしく致命的な伏兵であつた。然しながら事実に於て市井人のささやかに燃えさかり埋もれていつた感情を書き残したものは文学のほかになく、要するに埋もれた市民達の感情は、各々の時代に各々の詩人によつて生き生きと語り綴られてきたことを厭々ながら納得しなければならなかつたとき、「埋もれたる平凡な市井人の歴史」と題する死んだ記録を綴るよりも、血の通つた自叙伝を遺す方がよつぽど自然だと疑ぐりだしてしまつたところで、蒲原氏の大業は人々の想像通り遠く十数年以前からものの見事に停頓状態をつづけてゐた。
蒲原氏は毎日書斎に籠つてゐたが、ぼんやりと肱掛椅子に埋もれてゐるばかりで、睡眠と思索との丁度その中間にあたるところの嗜眠性瞑想状態に於て、然しながらなまなましい四十七歳の人生を蚕食してゐた。
蒲原氏に一男一女があつた。蒲原氏にふさはしい悪趣味の名前で、兄を魚則といひ二十四歳、妹の方は南京娘に間違ふやうな奇妙な名前で秋蘭とよび、二十一歳であつた。二人の兄嫁はとうに死んだ先妻の子供で、現在の蒲原夫人は子供達と姉妹のやうな、漸く二十七歳といふ若さであつた。この人には子供がなかつた。
初夏もすぎて、うらうらと雲峰の浮く季節になつた。そのとき蒲原魚則が突然失踪して、行方不明になつてしまつた。
蒲原氏の先妻は強度のヒステリイで、その遺伝といふわけか二人の子供は生れついての腺病質で幾分並とかはつた体質であつたが、蒲原氏も若い頃のあやまちで梅毒を病んだ覚えがあつた。どの遺伝とも分らないが、魚則は週期的に普通と違つた状態になつて、どんな幻想に追はれるものか飄然と家をとびだしてしまふのだつた。
魚則がまだ十八の時であつたが、第二回目の普通と違つた状態になつて、人々の寝静まつたある夜更けに何やら記録めいた書き物に熱中してゐると、後ろの扉をソッとあけて一人の泥棒がはいつてきて、その場に暫く突立つてゐるのであつた。後ろにその気配を感じてゐたが、病的に熱中してゐた魚則のこととて、書き物の手を休める余裕がなかつたため、一段落つくところまで脇目もふらず書いてから、さておもむろに振向いてみると、扉のところに朦朧と立ちすくんで怯えきつた眼付をしながらこつちをボンヤリ瞶めてゐるのは、泥棒ではなく父親の蒲原氏その人であつた。
魚則が自分を瞶めてゐることに気付くと、蒲原氏は思はず顔を掩うて、「おお、私のわるい影だ……」と呟きながらよろめいたのであつた。こんな取乱した父の姿を見た覚えのない魚則は茫然として言葉も身動きも忘れてゐると、蒲原氏はよろめきながらヒイヒイといふ嗄れた呼吸で泣いてしまつて、「お前を苦しめる黒い影が私に見えるよ。怖ろしい私の影だよ! お前に悲しい物を書かせる水のやうな黒い影が私の眼をかきまはしてゐるやうだ……」と呟きながら、顔を掩うた手をはなし、ふらふらと歩みよつてきたのだが、まんまるい顔全体がまつたく涙に曇つてゐて、幾条のよごれた線が流れてゐた。蒲原氏は魚則の顔をなめるやうに瞶めてゐたが、
「今こそ私は告白しなければならないのだよ……」と眼に狂的な絶望を光らせて言つた。
「お前の中には私の悪徳が流れてゐるのだよ。私は気の毒なお前によつて復讐されてゐるのだよ。希望がすでに暗黒の地の下に埋められてゐるよ……」
蒲原氏は呪文のやうな奇妙なことを言ひかけて、愈々なにか重大なことを言ひだすやうに見えたのだが、そこまで言ふともはや堪らなくなつたものか、突然くるりと振向いて、さらに激しく泣くためのやうに自分の寝室へ走つていつた。その悲惨とも滑稽とも言ひやうのない後ろ姿が魚則の目に焼きのこつて、病も癒え、幻覚も去つたのちにも、なほ永遠のやうに離れなかつた。
そんなことがあるかと思ふと、あべこべに、魚則が失踪したり魚則の自殺未遂があつたりしても、ふだん通り朦朧として殆んど驚きを表はさなかつた。ところがさういふ荒々しい出来事が過ぎ去つて平和が戻つてきてからの一日のこと、べつに用はなかつたのだが何心なく秋蘭が父の書斎へはいつてみると、蒲原氏は珍らしく書き物をしてゐた。書き物をしてゐるので立ち去らうとすると、急に蒲原氏は顔をあげて秋蘭おまちと呼びとめ、なあにと言ひながら這入つてきた秋蘭を突然その胸にしつかと抱きしめて、ヒイヒイと掠れた声で泣きだした。泣きながらも何か言はうとするのであつたが、涙がとめどなく流れるばかりで一向声がでないせゐか、たうとう一言も言はずじまひに終つてしまつた。やがて蒲原氏は机へもどつてぼんやり顔を掩うてゐたが、静かに書きかけのものを手にとると、できる限りの細かさに丹念に千切つてしまつた。
ところがこの話を伝へきいた魚則が、食事中の茶碗も箸も落してしまひ、魂のぬけた顔付で暫くぼんやりしてゐたが、やがておいおいけたたましく泣きだしたのだつた。
「お父さんはそのとき自殺しかけたんだよ。書き置きを書いてゐたんだよ」と叫んだ。
勿論この話はこれだけのことで済んだ。蒲原氏は死ななかつたし、もともと死ぬ気配の微塵もない人物だから、蒲原夫人も秋蘭も病的な神経の取越苦労に大笑ひして、一つの笑ひ話としか考へなかつた。
さて、魚則の今回の失踪の時には、馴れてゐたので全く人々は驚かなかつた。
失踪から四日目の夜、長野市の警察から知らせがきて、自殺の目的で長野市中をうろついてゐた魚則を保護してあるから引取りに来るやうにと言つてきた。
その夜、蒲原家には、蒲原夫妻と秋蘭のほかに、魚則の友達で栗谷川浩平といふ若い画家と、秋蘭に心のある石河といふ会社員が集つてゐたが、べつに魚則の身の上を相談してゐたわけではなく、呑気な世間話に笑ひ興じてゐたのだつた。そこへ長野警察署から知らせがきたのだ。
「長野は──。ああ、長野。長野は貴方、栗谷川さん……」
蒲原氏は突然うはずつた情熱に目をまるくして、亢奮のために吃りながら言ひだした。
「長野は貴方、貴方が買つてきた素晴らしいゲテ物の、びん、びん……」
「さうです、貧乏徳利でせう。あれは長野でみつけたのです。あの貧乏徳利は長野近在にたくさんころがつてゐるのですよ。僕のみつけたのは桜枝町の古道具屋ですが、善光寺裏の凡そ薄暗い汚い町でしたよ」
「おお善光寺裏!……私は、そこへ行きたかつたのです。あの貧乏徳利は自然人の栄光ある芸術ですよ。ただ専すらに生活が唄つた詩ですよ」
蒲原氏の眼は生き生きと輝いた。すると蒲原夫人も乗気になつて、「さうでしたわ、あの徳利はほんとに素敵ですわ」と言ひだすし、こんな話になると滅多に面白がらない秋蘭まで、「さうさう。でもそんなに言ふほどのものでもないわ」と口を入れる始末で、一座が一本の貧乏徳利にまつたく熱中しはじめたのだ。
石河だけがその徳利を見たことがなかつた。この話に除外されたのが癪にさはつたばかりではなく、もともと石河は几帳面な会社員でこの家庭の、無軌道な純情ぶりが時々爽快ではあつても、鼻持ちのならない時があるのであつた。彼はひとり苛々して、
「そんなくだらない話に熱中する場合ぢやありませんよ。誰がいつ長野へ出向いて魚則君を受取つてくるか、それを相談することが重大なんぢやありませんか!」
と、噛みつくやうに言ひだしたのだ。
蒲原氏はもう昔からどういふものかこの几帳面な会社員が気に入らなかつた。一喝をくふと吃驚りして、孔のあくほど正義派の会社員を瞶めてゐたが、やがてまるまるとした童顔が次第々々に歪んできて、快心の、然し甚だ人の悪い微笑の皺が、かすかながら歴々と刻まれてきた。
「おお、それでは石河さん、それはたしかに貴方が最も適任者ですよ──」
と、大急ぎで言ひはじめると、その顔面には包みきれない満悦が溢れあがつてきたのであつたが、流石に多少は満悦を隠すやうに努めながら、益々威勢の良い早口で、
「貴方は、貴方は明朝の一番列車で長野へ行つてくださるでせうね。お頼みしますよ。これはほんとに、おお唯一無二のはまり役だ。私達は世間知らずで、全然無能なんですよ」
蒲原氏は言ひ終ると嬉しげに蒲原夫人や栗谷川浩平を眺めまはして、その同意を求めようとするのであつたが、と、蒲原夫人は良人のやうな皮肉な意味は毛頭なしに、また良人の皮肉には聯絡のない純真な態度で、「さうですわね、私達ぢや物の役に立ちませんわ。石河さんにお願ひいたしませう」と言つた。
石河はやむなく引受けて帰つたが、翌朝もしやくしやしながら兎に角六時には上野駅へ現れて、発車の時刻まで苛々と構内を歩きまはつたあげく、どうしても汽車に乗りこむ気乗りがせず、泣きたいやうな癇癪と共にみすみす列車の出発を見送つてから、公衆電話へ荒々しくとびこんで、「つい寝過して一番列車に乗りおくれましたよ。次の列車は八時ですが、それで行きませうか」と怒鳴つた。蒲原夫人は引込んでいつたが暫くすると電話口へ戻つてきて、「御苦労様でした。あとはこちらで取りはからひますから、どうぞ御放念下さいませ」といふ返事であつた。
街で朝風呂をあび、悠くり朝食をとつてから出勤した石河は、机の前で一日苛々と暮してしまつて、会社がひけると早速蒲原家へ駈けつけてみたが、召使ひが静かに現れて、
「ハイ、旦那様も奥様もお嬢様も今朝方自動車でまつすぐ長野へおたちになりました」
と切口上で答へたのであつた。
その早朝石河からの電話をきくと、蒲原氏は矢庭にぎくりと衝撃をうけた様子で、かすかに痙攣の走るのが見られたが、やがて寝床から滑り降りると室内をうろうろと歩きはじめた。
「おお魚則は、それはもう、寝られなかつたにちがひないよ。水のやうな黒い影が私の目をかきみだすよ。おお私達は長野へ走らなければならないのだよ。一分の猶予もできないのだよ。自動車の用意をして下さい。長野まで全速力で走らすのだよ。何よりも温いたくさんの手が必要だ! 貴方も秋蘭も早く仕度をして下さい。おお一分一秒が残酷なまで大切だ」
然し自動車が走りだすと、蒲原氏は全くぐつたりしてしまつて死んだやうに黙つてゐたが、突然幻想にはぢかれたものか、もつくり身構へをたてなほし、何やらブツ〳〵呟いてゐたが、「あの……」急にそわそわと車中の人々を眺めかはして、
「あの、栗谷川さんのところへ寄つて下さい。あの人にも一緒にきてもらひませう。あの、いや、貧乏徳利を探すといふわけではないけれども、然しさうすることもあるかも知れないことであるし、それに、立派な若い男の力が必要なんだよ。おおあの、あれは、あれこそ、専すらに燃えさかり、埋もれた、ささやかな、然し各々の精根を傾けた生活の歌だつたのだよ。各々の家に各々の炉があるやうに、信濃の山里の家毎に炉とささやかな生活と、さうしてあの貧乏徳利もあつたのだ……」
新らたに栗谷川浩平を加へた車は一線に長野へ向けて走つていつた。蒲原氏はめつたに外出することもなかつたので、はじめのうちは物珍らしげに窓外の景色に見惚れてゐたが、礁氷峠にかかつた頃は完全に疲れて、重畳たる山また山の新鮮な緑にも殆んど見向きもしなかつた。車は浅間山麓を走り、小諸や上田の城址をすぎて、夜もとつぷり落ちてから長野へついた。
自動車が長野へはいると、蒲原氏の落付きのない様子から、なんとかして警察行きを避けようとする激しい気持が人々に分つた。愈々長野といふ声をきくと蒲原氏は次第にそわそわしはじめて、「とにかく、あの、善光寺へ。善光寺へ……」と誰に向つて言ふともなく、うろ〳〵あたりを見廻しながら呟いてゐたが、「この道のまつすぐ突当るところが善光寺ですよ」といふ栗谷川浩平の言葉をきくと、もはやほんとに腰を浮かして、今にもフラ〳〵と飛降りさうな様子になり、「あの、このへんで降りませう。すこし町を歩きませんか」と激しい気勢で呟きはじめた。車を止めて道へ降りると、善光寺へまつすぐ走るだらだらと白けた道が、夜の薄汚い光の中では却つて何やら生き生きとして、旅情をそそるに充分だつた。
「とにかく、あの、私達はすこし散歩してみませう……」
と言ひのこして、自分は忽ちひとりフラフラと街の彼方へ消え込みさうな蒲原氏を呼びとめて、良人の親友であり最大の理解者である蒲原夫人は噴きだしたいのを漸くこらへて、言つた。
「警察へは私達が行つてきますわ。旅館で落合ふことにいたしませう」
蒲原氏は内心ホッとしたらしいが、てれかくしとも違ふもぢもぢした身振りで、「私一人では……」訴へるやうに夫人の顔と栗谷川浩平の顔を仰いだ。もとより蒲原氏一人を置き残して行ける筈のものではないので、蒲原夫人と秋蘭が警察へ、蒲原氏と浩平は夜道の上へ残された。
とりあへず善光寺裏へまはつて、桜枝町の薄汚い古道具屋をのぞいてみたが、浩平がひそかに考へてゐた通り貧乏徳利はでてゐなかつた。もともと桜枝町はよりによつて薄暗い町で、数年前写生旅行の途中、浩平が偶然この町を通りかかると、煤けたやうな古道具屋の店先にふと貧乏徳利を見付けたといふだけの話で、このちよつとした偶然の因縁を除けば、特別骨董屋が立ち並んでゐる町でもなく、貧乏徳利にゆかりがある筈もないのであつた。
この徳利をぶらさげて帰京した浩平がこれを蒲原家へ持参して人々に示すと、その頃丁度蒲原家に使はれてゐた戸隠生れの女中と、やつぱり長野近在で鬼無里といふ村落から来てゐた女中が噴きだして、その徳利なら自分達の村中どこの家でも一本や二本使つてゐると言つたことから、長野近辺の山家には今でもこんな徳利が沢山あつて毎日の生活に使はれてゐることが分つた。浩平の掘出してきた徳利は百年ぐらゐ昔のものと思はれる古さで、何の加工もない素朴なものだが、いかにも落付きのあるのび〳〵した形と、極めて自然な穏やかな色工合が渾然と調和して、それ自体も相当見られるものであつたが、それにも増して蒲原氏を異様な夢に誘つたものは恐らく女中達の証言で、この徳利が今も一役を務めてゐる眠つたやうな山家の人々の生活を思ふと、大自然の息吹の中では一点のしみのやうな果敢ない生存、その日その日の天候や、山や森の移りかはる表情の悲しさに比べてさへあまりに細々とした喜怒哀楽、さういふものの悲しさ愉しさ心細さがあげて着々と歌はうとするところのものが恰もこの貧乏徳利ででもあるやうで、その形にその色に彼等の宿命の切なさがむしろ傲然とおし流され、心に沁むものがあるやうだつた。女中達の言葉をきくと蒲原氏はにはかに様々の幻想に追はれはじめた様子で、「お前たちがこの徳利を使つてゐたのか……」と幽かな驚きの叫びを洩らしてゐたが、「それで、どういふ用に使つてゐるのだい」ときくと自分達には一向奇も変もない徳利のこととて山の娘は却つて面喰つた形で、「お酒やお醤油や、やつぱりそんなものです」とはぢらひながら答へたほどであつた。
その後、お盆とか何かの折に、戸隠の娘がちよつと郷里へ帰つてくるといふ出来事があつたので、蒲原氏は珍らしく女中部屋へ顔をだして、貧乏徳利をもつてきてくれるやうにと、へどもどしながら繰返し頼んだ。山の娘は笑ひながらただハイハイと言つてゐたが、蒲原氏の異数な幻想生活を知る由もない素朴な娘は、郷里から戻ると、貧乏徳利の代りに自宅製の綿の包みを差出して、あんな貧乏徳利は汚らしくて莫迦らしくて持つてくるわけにはいきませなんだと笑ひながら言つた。蒲原氏はがつかりしたが、山の娘がかうも卑下するほど、あの貧乏徳利が彼等の暗澹たる土まみれの生活そのものの中に共々せつない感情を通はせて存在しつづけてゐるのかと思ふと、その芸術品としての品格が一層高度のひろいしみじみとした感傷をともなうて胸にせまつてくるやうでどうやら徳利の現実の相をはなれて、蒲原氏の持つて生れた夢のなかに通ひはじめ、そこにはるばると生育しはじめたやうであつた。
桜枝町から踵を返して、もうすこし目貫の通りで一二の骨董店めいたものを覗いてみたが、それらしいものは見当らなかつた。それに二百数十キロの道程を自動車に揺られ通してきたのだから蒲原氏も疲労困憊しきつてゐて、そのせゐか骨董店の店頭へ立つてもひどく物憂い様子をするばかりで、愉しい物を探すやうな喜びの影は殆んどなく、しまひには骨董店をまはる根気も尽き果てた様子であつた。二軒目の骨董店でそこにも徳利のないことが分つたとき、たうとう蒲原氏は物も言はずただフラフラと店頭をはなれて、暗い方へ暗い方へとまるで暗闇の奥へ大きな力で引かれるやうにスタスタ歩きこんでいつたが、突然後ろを振向いて、ウロウロと騒ぐ視線で浩平の様子を見まもりながら、
「あの、戸隠山は近いのですか?」と、かなり突きつめた調子の早い口調できいた。
「さうですね、そんなに遠いこともありませんが……」
と浩平が答へると、
「さう……。自動車で……」
蒲原氏はさう呟いたが、然し自分でも決心がつきかねたものか或ひは固い決心に幾分羞らひを懐いたものか、腰もとの定まらない様子になつて、恰も憫れみを乞ふ子供のやうに浩平の顔をチラチラと偸み見てゐたが、
「あの、山奥の小さい村落のことだから、戸隠の麓へ辿りつきさへすれば、あの、別に面倒もなく女中の家も分る筈だから……」
と、浩平に向つて言ふともつかず、独語ともつかず、ごもごもと呟いたのであつた。その様子からみると、蒲原氏の戸隠へ行きたい心はよほど強烈なもので、しかもどうやら骨董品としての貧乏徳利にはすでに全く魅力を失つてゐて、むしろ土まみれの生活ともどもかぼそく存在をつづけてゐる徳利に自らの宿命を読むやうな同感を寄せ、むしろ貧乏徳利よりも、貧乏徳利をとりまく山の人々、山の自然、山の心に思ひをひかれたやうであつた。それも、遥かな憧れに向つて走らうとする激しいものとは違つてゐてひたすらに逃げ、ひたすらに帰らうとするやうな、蒼ざめたものが感じられた。
だいたいがその時刻から戸隠へ自動車を走らせてみても、人々の寝静まつた山里の夜更けに一軒の家を探しだすのは容易ではなく、その女中が今は村にゐることさへ定かではなかつた。その次第を話して、むしろ実行を明日に延してはと浩平が忠告を試みると、蒲原氏は浩平の態度から早く忠告の気配を感じとり、話の内容もきかないうちに、忽ち慌てふためいて一も二もなく大急ぎでガクンガクンと頷いてゐたが、暫く沈黙の時間が流れたあとで、朦朧とうはずつた顔をあげて、
「ねえ、栗谷川さん、あの……」
蒲原氏はフラ〳〵と腰を浮かして、暗闇の奥の方へ二三歩逃げるやうによろめいていつたが、
「私は、私は、あの、うちへ帰りたくないのです。……私は家族を愛してゐます。激しく愛してゐますけど、なぜ私達は愛する人達のところへ帰らなければならないのでせう? 私は怖ろしいのです。それに、せつないのです。……私は、あの、はつきりしたことは何も分らないのですけど、温いものの悲しさには、とてもとても、やりきれないのですけど。……私はうちへ帰りませんよ。私はもう、とても帰れないのですよ……」
蒲原氏は泪ぐんだ。
元来が呑気者の浩平も流石に困惑を浮べたが、なにかと慰め、今日のところはひとまづ宿へ戻りませうと言ふと、蒲原氏もそれ以上はまつたく逆らはずに、頷いて、二人はとぼとぼ歩きだした。
打ち合せた宿へついてみると、蒲原夫人の一行はすでに魚則を受取つて、二人の到着を待ちうけてゐた。魚則は激しく憔悴してゐたが、もともと家族に対してはむしろ狂的な親愛の情をもつ男で、自分とわづか三年のひらきしかない蒲原夫人に対しても殆んど聖母を仰ぐやうな敬慕の情を寄せてゐたから、べつに気づまりの様子もなく、三人の母と兄妹はうちくつろいで談笑しながら、二人の到着を待つてゐたのだ。
蒲原氏は打ちしほれて、おづおづと部屋へ這入つてきたが、魚則の顔も見るか見ないにおおと幽かに喉の奥に呻いたきりで、目をまるくして孔のやうな視線を迷はせ、ただベッタリと崩れるやうに坐りこんでしまつたのだつた。改まつた感情を顔に浮べて今にも何事か言ひだしさうな気勢だつた魚則も、父親の朦朧として樽のやうなだらしなさには度胆をぬかれ、やつれた顔をひきつらせて思はずクツクツと笑ひだしてしまつたのだ。
そこで蒲原夫人は、意気銷沈の蒲原氏を迎へた一座に活気を与へるためもあつたが、かねて心に期してゐたところでもあつたので、
「魚則さんもすつかり疲れてゐるやうですし、私達は暫くこのへんの温泉で休養したいものですわ」と提言した。
温泉といへば、長野から近いところに、湯田中、渋、発哺、上林、地獄谷、熊の湯なぞのひとかたまりの温泉地帯があるのだが、ここは最近相当に都人士の入りこむところで、なんとなく一同の食指が動かず、そのほかに浅間温泉とか、アルプス山中に白骨、中房、有明なぞがないでもないが、これもやがて近づいた登山季節をひかへて、この一行にはあまり好もしい場所ではなかつた。
浩平の話によると、長野から三四時間の旅程で、すでに越後の温泉ではあるが、信越国境を越えてまもない山のどん底に、松之山温泉といふものがある。単に山底といふばかりで特別奇も変もない風景であるが、松山鏡の伝説の地と伝へられてゐるところで全く都人士の訪ふ者がない。そのくせ奈良朝の頃には京と奥州を結ぶ道筋に当つてゐたところで、大伴家持が住んだと伝へられる土地もあり、言葉や柔和な風習なぞにも多分に京の名残りがあつて、交通の不便な頃は却つて賑やかな温泉であつた。山底にしては珍らしく数十軒の古めかしい素朴な家がたちならび、宿屋も十軒ぐらゐはあるのだが、全国に汽車が通じ交通の便がひらけるにつれ、名もない温泉が続々あらはれるにつれて、往昔殷賑をきはめたこの温泉は今はまつたく山のどん底に置き棄てられた感じとなり、そのうへ積雪の甚だ深いところであつてさういふ気候の侘びしさもあり、数十軒の家棟ともども淋れきつた悲しさは、普通山奥の温泉といふばかりでは感じられない若干の感傷が流れてゐるといふのであつた。
この話をきくと、ひそかに戸隠行きに思ひをめぐらしてゐたに相違ない蒲原氏もよほど心を惹かれたものとみえ、戸隠行きには全く固執することを忘れて、早速明朝そこへ行きたいものであると言ひだした。むろん一行に反対のあらうわけもなく、そこで、この一行は翌朝早々長野をあとにして、今は淋れた往昔の温泉地へと出発した。
長途の自動車旅行に何かと不便を痛感した一行は、車を返して汽車を選んだ。
豊野から飯山鉄道に乗り換へて、信越国境をすぎたところに、外丸といふ重畳の山また山にかこまれた山底の村落があつて、一行はそこに下車した。そこから乗合自動車で約四里、一路松の山温泉へ行くわけであるが、乗合といつても漸く自動車一台が通るだけの断崖絶壁をうねるわけで、所謂大型の乗合は用をなさず、円タクと同じいガタ〳〵のフォードが走るのである。停車場からいきなり頭上へはるばると聳えたつ山塊の懐へまつしぐらにをどりこみ、九十九折の山路をひたうねりにうねつて山の完全な頭上まで辿りついてしまふのだが、そこから更らに眼下に向つてうねうねとくだり、再び山のどん底へまひ戻つたところが松の山温泉で、正確に言へば松の山村字湯本、このへんでは松の山温泉なぞと大袈裟な風に言つては却々わからず、一般に湯本で通るのであつた。
温泉は深い谷底にあつた。まづ清冽な谷川が流れ、それに沿うて往還が走り、往還に沿うて二三十軒の古めかしい家並がひとならび流れてゐるばかりで、いはば谷川と往還と家並と漸く三流の平行線を残すほかに平地はなく、谷川の対岸からも逞しい山の腹が濡れた岩肌をあらはにしてグイグイ空へのびてゐるし、湯宿の裏は鬱蒼と昼も暗い山毛欅山で、つめたい静けさが澱んでゐた。特に高い山もなく、奇勝とよぶべき風景もなく、平凡な山また山と谷川がうちつづくばかりで、むしろ総じて甚だしく単調であつた。
温泉といつても特別何病にきくといふ建前があるでもなく、病人はめつたに来ない温泉で、小金を握つた近在の農夫達が積年の垢を落しにくるといふのんびりした湯治場だつた。
温泉へ着いて小憩するひまもなく、蒲原氏は早速一同をうながして松山鏡の伝説の地へ散歩にでかけた。その遺跡は温泉から一里あまり道程のある中尾といふ部落にあつた。宿の者に道順を尋ねると、困惑した笑ひを浮べながら、へんてつもない所でわざわざ行く人もありませんがマア散歩がてら行つておいでなさいましと、言ふのであつた。さういふ言葉でも大体の予想はつくのだが、行つてみると成程へんてつもない所で、なんとなく薄暗い感じのする小さな部落の片隅に、池といふよりは水溜りとよぶにふさはしいものがあつて、水の色も見えないくらゐ葦の密生するところがそれであつた。名所旧跡といふやうな厳めしい目印しは何一つなく、近隣の風景に比べると特別みすぼらしい薄汚い湿地で、わざわざ行つてみる奴が莫迦にされた感じであるが、全てに置きすてられた山底の部落では伝説も亦置きすてられて荒廃のままにまかされ、いはば伝説のもつ遥かな悲しさにつながるものが、現に静寂な山気をおびて、さまよひ流れてゐるやうな、思へば遥かな傷心も蒲原氏の心の奥をすぎたのであつた。
この散策に際してまづ一行を驚かした一つのものは、部落々々にたむろする子供等が、一行をめがけて敬礼を怠らないことであつた。人の珍らしい山奥とはいへ、見馴れない人にはお辞儀をせよと教へる筈もないわけで、訝かしい思ひのした一行が宿の者にたづねてみると、宿の女は至極人なつこい顔付をしてハアと答へ別に驚いた様子もないので、それでは矢張りそれ相当の理由があつての事柄で、やがてその理由をきかれるものと思うてゐたら、宿の女は前と同じい人なつこい顔付のままで、「さうですかの。それはまあ、どういふわけでございませうぞい」と静かな声で言ふのであつた。やつぱり分らないことらしい。分らないらしいけれども落付いたもので、驚ろいた様子もなく考へてみる様子もないので、一行もそれ以上に訊ねる根気を失つて有耶無耶に口をつぐんだ次第であつたが、さういふことも蒲原氏には忘却の大河のなかをうねるやうで、自分の方でも無関心にそれらのことを聞き流してゐると、山や谷や密林に心といふべき遠い気配が通じてゐて虚しい心へ流れかかつてくるやうな、ひろい愁ひがわかるのであつた。夕食を終ると、蒲原氏はただ一人彷徨ふやうな散歩にでかけた。
すでに薄明がたれこめ、山々は暗紫色に溶けはじめて夜のさなかへ消え落ちようとする頃であつた。温泉部落を出外れて谷川を渡り終つたところから、間道とおぼしい小径をことさら選んで激しい傾斜を登つて行くと、やがて山岸へ現れて、そこから見晴らしのひらけた尾根伝ひの径が走つてゐた。谷はすでに暗闇の底に沈み落ち、はるか下から、ほのぐらい靄の塊りが湧いてゐたが、空には幽かな明るさが残つてゐた。
径はまもなく少しづつ下りはじめて丁度山の中腹をうねるやうなぐあひになつたが、片側には下へ下へと切りひらかれた段々畑を見るやうになり、片側は蔓草や樹木密生した山の腹が頭上へかぶさるやうになつてきた。この辺りへかかつてくると、それまでは見かけることのできなかつた人影が、ひつそりした山の腹から時々ひよいと現れて、闇の奥へ消えていつた。やうやく像がわかるくらゐの明るさだつたが、現れる人像の一つ一つがきまつたやうに同じ服装の女ばかりで、丁度ちやんちやんこのやうな厚い感じの仕事着にもんぺをはき、手甲・脚絆をつけてゐるが、背には粗朶らしいものを負うて、鉈や鎌の類ひの物を手にさげてゐるやうであつた。恰も野生の動物のやうな軽やかな身のこなしで、見た目には手とも腰とも肩ともつかぬ一点に於て軽々と全身の調子をとりながら、スイ〳〵と歩きすぎて行くのであつた。恐らく山へ働きにでる女達の丁度この黄昏どきが一定の帰宅の時刻に相違なく、行く先々へ時々ひよいと山の陰から現れてくるが、軽やかで、踏む足に殆んど音のないせゐか、時々それがだしぬけで、ふと浮かびでた人像に夢みる思ひがするのであつた。行くほどもなく段々畑のところどころに繁つた木立が見えはじめ、このあたり特有の窓の小さい荒壁の農家が現れてきたが、屋内にほのぐらい灯影の気配はあるものの、窓に人影がうつるでもなく物音がたつでもなく、中なる生活を想像する一つの手掛りもつかめなかつた。せめて女の軽々とした足どりが家の中まで這入るところを突きとめたいと思つたのだが、女の像に出会ふといつても稀れなことで、家もまばらなことであり、さういふことにはぶつからなかつた。
蒲原氏は全く疲れきつてゐた。歩くどころか立つてゐるのも非常に苦痛で、何かに凭たれ、何かに掛けたい願望がしきりに疼くのであつたが、それにもまして、仕事帰りの山の女に一言物を言ひたかつた。どんな言葉でもかまはないのだ。一言物を言ふだけで全ての思ひが足りるやうな、ひろい、さうして熄みがたい願ひであつた。
愈々歩行のあらゆる根気が根こそぎ失はれてしまひさうな時分になつて、折りよくひよいと、もはや真つ暗な径の上へ一つの人像が降りてきたのを認めると、蒲原氏は全く自然の風声のやうに言葉をかけた。
「あの……」併し激しく言ひかけてから口籠つたが、それは全く羞恥の念によるものではなく、ひとへに全身の痺れるやうな疲労のせゐにほかならなかつた。
「あの、温泉へ行く道はこれでせうか?」と蒲原氏はたづねた。
勿論今来た道を戻つて行けば自然温泉へ行くわけであるが、さうとは知らない山の女は贋迷ひ子の中老人に憫れみの眼差しをそそぎ、丁寧に道順を教へ、迷ふほどの難所もないから、この方向にまつすぐ歩きさへするならば、あんぜう温泉へ着きますぜのと、つけ加へて言ふのであつた。
蒲原氏は頷いたが、熄みがたい胸の愁ひはなほ満ち足らぬものがあつてか、言葉は自然になほも流れて、「あの、みちのりはどれほどでせうか?」とたづねると、
「一里ですぜの」
女ははつきりさう答へ、蒲原氏がお礼の意味でガックリ頷くのを見ると、なほも何やら労はりたげな様子であつたが、ふりむいて、軽々と歩きだした。
女が歩きだすのを見ると、蒲原氏のあらゆる力は一時に霧散し全ての疲労がこみあげてきて、石の冷めたさが肌に沁みる山径の上へ、みる〳〵べつたり尻もちをついてしまつたのであつた。女は三四間行き過ぎてからふと振向いたが、蒲原氏が熊のやうに尻もちをつき、しよんぼりしてゐる有様を認めて、どういふ思ひにかられたものか立ち去りかねて暫く彳んでゐたが、蒲原氏はそれをみて甚だ悲しげな声をしぼり、
「あの、冬はこの径のあたりにも一丈の雪がつもるのですか?」
と叫びかけたが、女はその意味がききとれなかつたものとみえ、
「迷ふほどの難所はありませんぜの。安心してこの径をまつすぐお帰りなさいまし」
とつけ加へ、やがて暗闇の底へ沈んでいつた。それから蒲原氏は躄のやうに動きだしたが、幾度となく山径の上へへばりついて休憩しながら、一里足らずの山径を、漸く温泉へ辿りつくことができたのだつた。
宿の内湯は昔ながらの男女混浴で、蒲原夫人と秋蘭はその習慣に馴れることができなかつた。幸ひ都会地の銭湯と同じ様式の共同湯が部落の中央に新築されて、それが古めかしいこの温泉に唯一の新らしいものであつたが、蒲原夫人と秋蘭はそこへ入浴に行くのであつた。
その頃同じ湯宿に三人連れの女客が泊つてゐた。年上の二人は三十四五で、若い一人は二十二三の年頃であつた。都会地の人人とは見受けられぬ風俗で、恐らく近在の農家の婦人と思はれたが、いづれも皮膚のつややかな肉のしまつたはちきれさうな肉体で、殊に若い一人の方は全ての部分がすくすくと伸び、均斉がとれ、光沢の深い銅色の皮膚がほれぼれとする裸身であつた。この一行はよほど多く湯槽につかるものとみえ、蒲原氏が内湯へ降りてくるたびに顔を合はせるのであつた。その物腰はあくまで自由で、男女混浴の浴室の中で隠すべきところを隠さうともせず、のびのびと歩きまはる様子には羞ぢらふ固さもないばかりか、強ひてする厭味なきつさもないのであつた。その振舞を見るにつけ、黄昏の山径へ夢のやうに降りてきた、あの野生の羚羊を思はせる仕事帰りの農婦等の、仕事着の下に、脚絆・手甲・もんぺの下に軽々と律動的に動いてゐたその肉体は丁度銅色の娘のやうであらうかと思ひ、銅色の娘に山の農婦の仕事着をきせて、見た眼には手とも腰とも肩ともつかぬ一点に於て軽々と調子をとつて歩いてゆく、そのなまめかしい山中の多彩な色情を空想すると、蒲原氏は気を失つてしまふやうな、然し甚だ軽快な、深い眩暈を覚えたりした。
顔馴染になるうちには、おのづと挨拶を交すやうなことにもなり、旦那はまあ東京の方ですとの、といふやうな身の上話に類似のことも言ひあつたりして数度の機会があるうちに、蒲原氏はたうとう抑へきれなくなつて、銅色の娘に向ひ、あの、あなた方はここから帰るとやつぱり山や畑や森林へ仕事にでかけて行くのですか、ときいた。銅色の娘はハア……と言つて笑つたきり答へるやうな様子もなく、その笑顔や素振りからは否定も肯定も感じることができなかつたが、やがて女は湯槽をでて流しへ坐ると、腕を静かに洗ひはじめて、東京の方には野暮くさい田舎女がさだめし奇妙なことでせうぞいと言ひながら、クスリと笑ふのであつた。蒲原氏は赤面して、内心深く狼狽して、浴室を立ち去るまでの暫くの時間気が気でない思ひであつた。
松の山温泉から一里はなれた山中に兎口(をさいぐち)といふ部落があり、そこでは谷底の松の山温泉と反対に、見晴らしのひらけた高台に湯のわく所があつた。一軒の小さい湯宿があるばかりで、殆んど客はないのであつた。ある日蒲原氏の一行は散歩がてらにこの温泉へ遊びに行つた。宿の下には遥かな傾斜がくだつてゐて、それを距てた遠い彼方に幾重の山波が浮かんでゐた。山中のこととて此の辺りも蛇の多い所であるが、この部落に三平とやら三蔵といふ生れついて一本気の若者がゐて、因果なことに肺病になつたが、蛇の黒焼がきくといふ人の話をきいてからは、一念凝つた蒼ざめた顔で、日々蛇をかりくらし、さういふことがあつてから、部落の蛇があらかた三平に食はれたせゐでめつきり減つてしまつたといふ、湯宿の老婆がまじめに語る奇妙な話をききながら一日を暮して、太陽が山の端に傾いてから帰路についた。
兎口から湯本の道は、片側が逞しい山の腹、片側が流れの色も定かに見えぬ断崖のあひだをうねうねと辿るところで、九十九折の山径であるが、もはや温泉も近づいた、とある曲路に差しかかつたとき、突然頭上の叢から頭以上の大いさのある岩石が風を切つて落ちてきた。先頭に立つてゐたのは蒲原氏だが、その眼の先二三尺のところを掠めて足もとへ落ち、大きくはづんで、谷底へ激しい音を発しながら転がり落ちていつたのだ。
思ひがけない出来事に驚きの叫びもでない蒲原氏が、やうやく我に返つて頭をあげ、草木の密生した木暗い頭上の山を仰ぐと、なにぶん頭上のことではあり草木の密生した山のことで、人の像は分らないが、ガサ〳〵と草をわけて逃げる物音がきこえてゐた。ちよつと見えたと思はれた後ろ頭のぐあひから、どうやら女らしいと思はれたのだが、果して実際見えたものやら見えた感じがしたものやら、それすら至極曖昧であつて、そのうちに、草をわけて逃げて行くガサ〳〵といふ物音も全くきこえなくなつてしまつた。
一同の意見をきき合はせると、後ろ頭の見えたことは確からしく、女らしいといふ点では一致したが、そのほかのことになると例の仕事着の山の農婦であつたらしいと言ふ者もあり、和服の女で白地の着物が草のあひだにのぞけて見えたといふ者もあつて、全く意見は区々だつた。
命中すれば、まづ生命にかかはることはないまでも、相当の怪我はまぬかれがたい運命で、狙撃を受ける覚えはないから、恐らく柴刈に疲れた農婦が見晴しのひらけた岩角にでも跨がつてぼんやり休んでゐるうちに、物のはづみで手にした石を落すとか偶然石を蹴るとかしてこの仕儀を招くことになつたのだらうと話をして、人々はあまり深く考へなかつた。然しひとり蒲原氏は、人々とまるで違つた幻想を育てはじめてゐたのであつた。
蒲原氏はこの出来事の命にかかはる重大な危なさを、まもなく忘れたのであつた。そこまでは、この出来事を軽く見たほかの人々と同じであつたが、蒲原氏は、素朴な、無智な、自然のままの山の生物と同じやうに天真爛漫な残虐性を持つて生れた山の農婦を想像したのだ。下の径を通りかかつた男の姿を見かけると、結果の恐ろしさを考へる余裕は微塵もなく、頭上をめがけてただ石を落してみたい亢奮に酔ひくるひ、石を落して、さて、慌てふためいて逃げて行く歓喜にふるへる張りきつた胸や、ギラ〳〵と光る眼、羚羊を思はせる柔軟な身体の動き──自然の懐にいだかれた激烈な情熱を空想したのだ。
温泉へ着くと男の一隊は汗を流しに下の浴室へ降りていつたがもう黄昏れて、白昼も薄暗い浴室の中には深い暗闇が澱んでをり人の姿は全くなかつた。銅色の女達に会ふことを窃かに予期してゐたらしい蒲原氏は、余りにもひつそりした暗闇になんとなく実に相違の面持であつたが、突然連れの二人を向いて、してみるとあれはあの女ではないだらうかと呟いた。勿論有りさうにもない話であつて、二人の若者は妄想の発展ぶりに哄笑するし、蒲原氏も赧らんだが、然し蒲原氏の脳裡には、銅色の光沢を放つすくすくとのびた肉体の、歓喜に酔うて叢の中を逃げて行く溌剌たる躍動を空想すると、胸にせまる熱い流れに打たれずにゐられなかつた。
その翌日の暮れ方であつた。石の落ちてきた曲路までなんとなく行つてみたいと思ひながら、蒲原氏はふとただ一人温泉をさまよひでたが、女のゐたと思はれる繁みの上へ坐つてみたり、辺りの木暗い叢をうろついてみたい想念は意外に強いことが分つた。
然しながら九十九折の山径を登りはじめてまもないうちに、さういふ考へも自然に薄れ、片側の木立の深い山の腹へ、ただわけもなく奥へ奥へと這入つてみたい思ひがしてきた。丁度細い小径をみつけ、咄嗟に本街道をふりすてて小径の奥へ駈け登つて行くと、山毛欅の広大な杜へでた。一夜明けた早朝には愈々東京へ帰る予定になつてゐたので、今日限りこの山々も谷も杜も見ることができないのだと思つてゐると、別離の哀愁ともいふべきものが心に深く流れかかり、澱んだ杜のしづもりや、頭上を渡る風声や、なんでもない繁みの色やざわめく叢の気配まで一々胸にしみてきた。なほも木暗い静かな小径をうね〳〵と辿つて、幾つとなく山の腹を迂回し、登りつめて行くうちに、突然ふット山腹にひらかれた広く明るい段々畑へ現れて、突然の変化にびつくりしたり、その畑にこれも自然の風景のやうに農婦がぼんやり彳んでゐるのに気がついて、別段意味もなく慌てだしたりしながら径をすたすた急ぐうちに、畑もすぎ、やがて一群の山塊もぬけだして、広茫たる草原へ現れた。
草原は遥々と傾斜し、傾斜の極まる下からも、傾斜の極まる上からも、逞しい山塊がすくすくとのびおこり、広茫たる草原の四壁に傲然たる威容をそろへて流れてゐた。雄大な山の慈愛ともいふべきものがひし〳〵と流れ、やにはに蒲原氏の心には、その最も威容勝れた一つの山嶺をきはめずにゐられない激しい思ひが浮かびでてゐた。すでに薄明がせまり、山々は暗紫色にかすみはじめてゐたのだが、山の姿は手にとるやうに見えるので、明るさの残るうちには頭上をきはめることができさうな気がした。草原を上へ上へと登りつめて、漸く山麓へ辿りついた時分には、すでに明るさは空に流れて残るだけで、愈々山の懐へ踏みこむと自然山の全貌は見えなくなるし、行けども行けども頂上の気配は遠く、地上はとつぷり暮れ落ちて、暗闇が身体の四辺を厚く包み、次第に深まる闇の過程が分つてきた。闇の深まるにつれて、きびしい山々の静寂が打ちこむやうに迫りはじめた。改めて慄然たる心細さに襲はれた蒲原氏は、一散に山を馳せくだり、折よく一本のかなりに広い径をみつけてその径の走る方へと辿つて行くと、雑草の繁つた峠を越え、全く夜が落ちてから一つの部落へ着くことができた。そこは兎口だつた。漸く我に返つた思ひで本街道へ降りたところが、偶然下の温泉の方から何処行きとも分らない乗合自動車が通りかかつた。それを認めた蒲原氏は咄嗟に車を呼びとめて乗りこんだのだが、ただ目当なく遠い所へ走り去りたい悲しい思ひがするばかりで、嫋々たる寂寥が無限の如くひろ〴〵とさまよひ流れてゐるやうだつた。
自動車は暗黒の山径を警笛をならしつづけて徐行しながら、二時間の後に、小さな山底の町へついた。そこは十日町だつた。すでに十時をまはつた頃で、陰鬱な感じさへする山底の町は殆んど寝静まつてゐた。自動車から降されてみると、まるで棄てられたやうな悲しさで、深まる哀愁のせつなさのみが全てのものを、眠つた家を、街を灯を、ひたひたと貫き流れて感じられた。歩くうちに一軒の居酒屋をみつけて暖簾をくぐつた。白粉くさい年増女を相手にして酒をくむと、酔ひがただ専すら快適に溢れるばかりで、むやみに快よく、興趣つきるところを知りがたい有様で、年増女を相手にして溢れでる感慨を歌ふがやうに喋りつづけてゐたのであつたが、やがて嬌声に送られて眠つた夜道へ降りてみると爽やかな沁みるがやうな哀愁はなほ森々と深まりゆくばかりであつた。ひつそりした山底の町を目当てなくぐる〳〵と彷徨うたのち、一軒の薄暗い宿屋を起して古風な汚い座敷へ通ると、部屋の片隅へただぼんやりと坐つてみても、寝床の上へ寝倒れてみてもはるかな帰滅に通じるやうなひろびろとした寂寥がたゞ沁々と四辺をつつみ、遠い彼方を流れてゐる自然の精気が心に通じてくるのであつた。
翌朝目覚めた蒲原氏は、明るい太陽の光の下では、昨夜の縹渺と流れた心を殆んど朦朧としか思ひだすことができなかつた。乗合に乗つてただ茫然と温泉へ帰ると、そこでは残された一行が宿屋ともども大騒ぎを演じてゐたが、自分のしでかした行動の結果に一片の反省も思ひ至らぬ面持で朦朧と舞ひ戻つた蒲原氏が、ポツポツ語りだすあらましの事情をきいて、張りつめた気が一時に弛んだ一同はゲタゲタと笑ひだすほかに仕方がなかつた。
そこで一行は予定の通り自動車を命じ、昨夜は蒲原氏が紅涙のしたたる愁ひに沈湎した十日町へと一路走つて、そこから十日町線に乗るのであつたが、椿事の生々しい古戦場を通過した一行は心あくまで和やかに歓声をあげ、汽車は沸きたつ笑ひをつつんで走りはじめたのであつた。
底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第一三年第八号」
1935(昭和10)年8月1日発行
初出:「文藝春秋 第一三年第八号」
1935(昭和10)年8月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年5月30日作成
2016年4月4日修正
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