天才になりそこなつた男の話
坂口安吾



 東洋大学の学生だつたころ、丁度学年試験の最中であつたが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあつた。相当に運動神経が発達してゐるから、二三間空中に舞ひあがり途中一回転のもんどりを打つて落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。頭蓋骨に亀裂がはいつて爾来二ヶ年水薬を飲みつゞけたが、当座は廃人になるんぢやないかと悩みつゞけて憂鬱であつた。

 こんな話をきくと大概の人が御愁傷様でといふやうな似たりよつたりの顔付をするものだが、ところがこゝにたつた一人、私がこの話をしかけると豆鉄砲をくらつた鳩のやうに唖然として(これは喋つてゐる私の方も唖然とした)つづいて羨望のあまり長大息を洩らした男があつた。菱山修三といふ詩人である。

 この詩人が外国語学校を卒業したとき、朝日新聞へ入社試験を受けにいつた。ところがこの男学生時代といふもの完全に新聞を読んだことがない。書斎と学校の他には何一つ知らないのである。丁度その年は満洲事変の勃発したばかりの頃で、街頭いたるところに襷掛けの中年婦人が千人針といふものを勧誘してゐる。四方八方が肉弾三勇士のレコードでまことに物状騒然たる有様である。そのうへ羅府のオリムピックでこれが又一景気だ。先生戦争の方だけは街の様子で、どうやら近いところでやつてゐるなといふことを感づいてゐたらしい。

 オリンピックの方は銀座の食堂の名前も知らないのだ。新聞を読んだことがなくて新聞社へ試験を受けに出向いたといふ、勝負は始めから判つてゐるが、勿論美事に落第した。羅府といへばオリンピック、それにハリウッドでも思ひだしておけばいいので、太平洋岸に面し気候温暖と書く奴は当節君一人だらうと私が大いに彼の迂闊をせめたところ、君そういふ悲しい世の中かねえといつて嘆いてゐたが、こういふ不思議な先生だから私が自動車にひかれたといふとギックリし、それからひどく羨ましがつた。


          


 この男の意見によると古来の天才といふものは一列一体にその母親が不注意で、幼年時代に乳母車をひつくり返して頭を石に叩きつけるといふやうなことを例外なしにやつてゐるものだといふ。つまり叩きつけた部分が音楽だとこれがモツアルトになりショパンになる。そこで先生私を天才なみに祝福した。

 ところが世の中はよくできてゐる。この詩人が四ヶ月ほど前自動車にひかれた。なんでも夢のやうに歩いてゐて、しまつたと思ひながら自動車の曲る方へ自分も曲つてしまつたのを覚えてゐるといふが、私のやうに運動神経が発達してゐないから、やられ方が至つて地味でそのうへむごたらしい。いきなりつんのめつて前頭部を強打した。前額は頭蓋骨でも一番頑強な部分だから砕けなかつたが、これが左右とか後頭部なら完全に即死だつた。そのうへ手と足を轢かれて全治一ヶ月の重傷とある。ところが話はこれからさきがまことに愉快である。

 先生病院のベッドの上で気がついたときの様子はといふと、顔が二倍ぐらゐに腫れあがつてゐて、人相は四谷お岩をむくましたやうだつた。斯様な状態に於て先生おもむろに意識恢復し、全般の記憶を綜合してどうやら自動車に轢き倒され文句なしに顔を強打したといふ穏かならぬ自らの境遇に気付いたとき、暗澹たる寂寥に胸を痛ましたであらうことは疑ひのないところであるが、流石忽然として暗夜に一道の光明を見出すが如く例の天才──乳母車をひつくり返した幸運なてあひのことを思ひださずにゐなかつた。傷の痛みのなかではあるが先生とみに勇気づいた。やがて顔の腫れもとれ、どうやら口がきけるやうになつた最初の朝、医者に向つて先生が叫んだこの劃時代的な第一声といふものは、勿論思ひつめたその一つのことである。

「いや、別に(と少しびつくりした医者が答へた)頭は良くもならないでせうが、併し悪くなることもないでせう」


          


 敵ながら天晴と言ひたい穏当な名答。ところが先生みる〳〵悄気かへつた。とうてい我々に理解のつきかねる深刻さをもつて断頭台の人の如く顔色を改めたさうである。

「そのときのなさけない悲しさといつたら、君々々」

 と、私に当時を物語りながら追憶を新らたにした先生の有様は、そのときでさへ声涙ともにくだる底の身も世もあらぬものだつた。

「病気を治すものは薬よりも気持です」と爾来意気全く消沈した先生に向つて医者は熱心にさとした。

「とかく日本人は病室の壁ばかり睨んで、めいつた気持を深めてしまふやうです。西洋人は気がめいると、ちよつと立ち上つて窓から外を眺めてきます。それだけのことでも大変な違ひだと思ひませんか」

 ところが又この平凡な忠告がひどく先生に利いた。先生積年の人生観に革命を起したが如く意外の感動をもつて共鳴したのである。その時から先生旺に立ち上つて窓外の景色を眺め遂に美事に退院のはこびとなつた。

「じつさいに君、病気は気の持ちやうだよ。また僕達の人生もさうだよ、君」

 並々ならぬ感動をこめて先生私に斯う語ると、これは冬の真夜中のことだつたが、やにはに立ち上つて窓の方へ歩いていつた。

「外は良い月だよ。名月を見てくれたまへ、君」

 さう言ひながら雨戸を開けた。と、月がない。まつくらだ。左右をさぐり、先生たうとう縁の下の方まで探した。やつぱり月はない。

「あゝ、今日は月が出てゐないね。又、この次、月を見てくれたまへ」

 先生こう悲しげに呟いて静かにもどつてきた。

底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房

   1999(平成11)年520日初版第1刷発行

底本の親本:「東洋大学新聞 第一二〇号」東洋大学新聞学会

   1935(昭和10)年212日発行

初出:「東洋大学新聞 第一二〇号」東洋大学新聞学会

   1935(昭和10)年212日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:noriko saito

2009年419日作成

2016年44日修正

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