悲願に就て
──「文芸」の作品批評に関聯して──
坂口安吾



「文芸」二月号所載、アンドレ・ジイドの「一つの宣言」は興味深い読物であった。ドストエフスキーが、又偉大なる作家達が全てそうであったように、習慣的な人間観に抗して、人間の絶えざる再発見に努めてきたジイドは、ソヴエート聯邦に於て制度が人々を解放したばかりでなく、とうとう人間そのものを革めつつある事実に直面して、人間の発見もしくは改革が個人的な懊悩や争闘から獲られるばかりでなく、制度の変革からも獲られることを率直に認めたのである。

 仏蘭西文学は仏蘭西大革命の準備はしたが、仏蘭西大革命は殆んど仏蘭西文学に影響を与えなかった。と説き、「仏蘭西大革命は人々を解放することはできても人間そのものを革めることはできなかった」と述べている。この当否はとにかくとして、ソヴエート聯邦の実際を見るまで、制度が人間そのものをも革めるであろうということを彼は確信することができなかったのは事実だ。私個人は常に習慣と闘ってきた、と彼は述懐しているが、彼の個人主義的な懐疑思想というものは畢竟するに、彼の歴史観が、制度は人間そのものを革めはしないと信じていたことに起因すると見るのは不当でない。このことは一人ジイドに限られたことがらではないだろう。習慣と闘った偉大な作家は全て、その教養によってか本能によって、制度は人間を革めないと思いこんでいたのであろう。

 そこで、「文学は革命の準備はしたが、革命は文学に影響を与えない」というジイドの見解は、ソヴエート聯邦の出現によって「革命も文学に(人間そのものに)変革を与える」というように訂正されたわけになる。併しながら「文学は革命の準備をする」という彼の考えは勿論変ろう筈はない。「ブルジョワ的習慣があるように、共産主義的習慣もありうるのだ」と彼は言う、そうして、「文学は制度に奉公しなくともいい。隷属した文学は、くみするところの主義目的がどれほど貴く、また正しくあっても、堕落した文学である。芸術は真実に没頭するときほど革命に役立つことは決してないのだ」と述べている。

 このことは制度の人間に与える影響を認めたジイドにとって尚も最も重大な問題であるとともに、ソヴエートの実状に就ては全く無智であり、また制度の人間に与える革命的な役割に就ても彼のように確信のもてない我々の文学にとっても、矢張り最も重大な問題であろう。要するに共産主義的習慣もありうるのであって、文学は常に習慣と闘うこと、人間の再発見に努めること、このことは如何なる時、如何なる場合に於ても変りはないだろうと思う。そうして斯様な立場から文学に精進するところの作家にとっては、その静寂にして苛烈な内的闘争の永遠な懊悩に比べたなら、ジイドが示したような転向は極めて有りうることで些かも特殊な事情ではない。併し、このことが日本の多くの転向作家に当てはまるであろうということを私は全く肯定しない。

 わが国では新聞雑誌に書きたてる非常時のかけ声に拘らず、我々の生活には目立った変動が全く起っていない。又このかけ声から我々の感情や性格なぞに大きな影響があろうとは今後も予想することはできない。大体が社会状勢の変化から人間そのものが革命的な影響を受けるなぞということは、従来の世界史に殆んどその例が見当らないように極めて稀有なことであろう。まして根ざすところ極めて浅薄な反動的ファッショ気分なぞが人間そのものに良かれ悪しかれ変化を与えるということは全く想像することもできないのだ。こんな社会状勢は文学の埓外に投げ出した方がいいように思う。

 併しながら、社会状勢の如何に拘らず人間は変化する。社会状勢とは無関係に、一つの時代的な懐疑というものさえ有りうる。ところが我々の休むこともない懐疑といえども、その多くは極めて習慣的な一定の方向にくりのべられ、多くはたあいもなく堂々めぐりに終っていることが多いのかも知れぬ。

 ここに一つの慾望があって、これを我々が是認するか抑圧すべきであるかでは大きな生活の変動がまきおこされてくるであろう。ある慾望の是認乃至は抑制、これくらい我々の生活に限界の不明確なものは少いであろうし、又我々は極めて曖昧な習慣に基いて甚だ自らの真実の姿には不忠実な行動をとっていることが多くある。卑近な一例を言えば、性生活の羞恥、抑制、こういう日常限りなく直面する事柄に於ても、我々は全く習慣的な、乃至は単に反動的な(これも結局習慣的である)倫理から逃げだすことが殆んどできない。「チャタレイ夫人の恋人」が我々に示した性的快感の時間差。これは又あまりに肉体的にかたよりすぎるようであるが、今日我々に与えられてある恋愛の習慣的な見解というものが、これは又不当に肉体を割引している。あるいは又、一夫一婦制というものに対する我々の事実上の反逆にも拘らず、我々の頭の中の生活は常識的な見解を捨てきるだけの決断がつかない。そういう生活の状態で、まことに正しい魂が安息しようとは思われない。

 私はこの数年非常に悪い状態の中に棲んでいた。面倒くさいから泥棒でも働こうかと思った。そうした方がむしろ魂が休息するように思えたりしたのだった。甚だよく喧嘩をした。神経衰弱の傾向もあったのだ。そういう私も、近頃は又奇妙に、そして甚だ不鮮明ないわば直観的な考え方によって、なぜか「抑制」と呼ぶものほど見事なものはないように考えることがあるのだった。だがこの考えは至って上調子なあやふやな代物で、やっぱり私の精一杯の気持といえば、せいぜい頸をくくりたくなったり人を殺したくなったりすることが関の山のところらしい。

 私は「カラマーゾフの兄弟」を読んで、かつて読んだどの作品よりも心を打たれた。「アリョーシャ」を創造したドストエフスキーは一生の荊の道の後に於て遂に自らの魂に安息を与え得た唯一の異例の作家であると考えたのだ。私も自分の聖者が描きたい。私の魂の醜悪さに安息を与えてくれる自分の聖者を創りだしたい。それは私の文学の唯一の念願である。が、目下の私は泥棒か人殺しか鼻持のならない助平根性でも描くよりほかに仕様がない。いや、それすらも書けそうもないのだ。ただ私自身、泥棒を働きたくなったり、人を殺したくなったり、強姦を企んでみたり、そういうやりきれない日常を送っているにすぎない。諦らめ、抑制、又慾望。全てがなんという負担であろうか。

「文芸」の作品六つ読んだ。

 芹沢光治良氏の「小役人の服」、横山属という五十すぎた小役人に課長が洋服地を投げてよこして、どうだね、これで服でも作ったらと言う。横山属はこの上役の言葉を色々に解釈してとにかく課長の気に入るために切りつめた生活の中から洋服を新調したが、課長の方じゃ洋服のことなんかまるっきり忘れていた、というのがこの作品の骨子であろう。これだけの話でも書きようによっては、この洋服が我々の最も深い哀愁の底へふれてくるに違いない。たとえばゴーゴリの「外套」のように。併しこの作品はあまりに概念的である。中尾課長はただの課長の最も世俗的な概念であるし、そのうえ横山属の立場からしか課長の正体をつきとめていないのは作者の勝手な依怙贔屓である。課長にとりいる才子でも主人公の横山属でもみんな常識的ないわば公式の羅列のようで生き生きと読者の魂に訴えてくるものがない。だから洋服も洋服という言葉でしかなかった。

 この作品から私が考えたのは、純粋芸術と大衆文学の一つの相違点ということだった。バルザックの作品のあるものが今日では大衆文学にすぎなくなっていることのように、一時代の芸術が次の時代の通俗文学にすぎない例は数多い。というのは、その作品の生みだした新らしい倫理が次の時代では常識的な習慣的なものとなっていたからであろう。が、その作品の生れた時代から常識的であり習慣的であったという純粋芸術はない筈である。従而純粋文学と通俗文学を区分するところの一つの重大なる相違は作者の作家的懊悩が習慣の上にとまっているか、或いは習慣の埓を踏み破ろうとしているかにあると見ても差支えないと私は思う。

 先般の新聞紙上で横光利一氏が今年の傑作は通俗小説の中から現れるだろうというようなことを言われているが、これは上述の通俗性の本質をはきちがえた見解ではあるまいか。思うに横光氏は読んで「面白い」小説の中から傑作が現れるという意味で、この面白い小説を通俗小説と称ばれたのではないかと考える。併しながら「面白さ」それ自体には通俗と純粋の区別は全くないのである。純粋さが面白さの為に通俗化するということは絶対にない。本来面白さというものは人々が軽率に嫌うほど、それ自体不純なものではないのである。作品が通俗小説であるのはこれの倫理が全く時代の常識でしかないことに由来するのであって、この意味からは通俗文学の中から純粋芸術の傑作が現れるということは完全に不可能である。

 福田清人氏の「キリシタンの島」。男気のすくない南国のキリシタン島へ一夜兵隊の一行が上陸し、街を通り、天主堂でもてなしを受け、そうして翌日帰っていった。洗礼を受け、つつましく生活していた娘達が、若い男の気配だけに上気して小さな葛藤がまきおこるという話。だがこの作品では専ら人間の取扱い方法すら叙景的で、娘の葛藤も表面的な風景画に終っているのは物足りない。

 阪中正夫氏の「赤鬼」。一見平々凡々のようであるが、この作品には作者の全てのものがつくされているように感じられた。この作品の幕切れのところで、加山良造はとうとう昔の女を正式の女房にむかえることにして息子の兵太に打ちあけると、自分の恋の方は親父にせかされている兵太だが、その感情とはちっとも結びあわせずに、親父がそれで悦しいなら然うするがいいだろうと簡単に賛成する。親父の自分勝手と息子のへんちくりんな人生観に呆れかえった使用人の三平は、こりゃどうも旦那方のすることは、まるで分らん、というあたり、この空とぼけた中には作者の精一杯の人生観が飾りなく投げだされてあるのだろうと思われた。つつましくはあるが苛烈な作者の人生苦難が感じられるのである。私は面白く読んだ。

 太宰治氏の「逆行」。作者はこの作品を「傷」のもついたましい美しさのように思わせようとする。併し私はむしろ傷を労わるためにでっちあげた美しさのように思う。ボードレエルがのこしたような、傷の生々しい傷ましさから迸しりでたものとは違う。作者は自分をいたわりすぎていると私は思ったのだ。この作者は甚だ聡明である。このことに気付かない筈はないと思うが、知りすぎるために、却って潜在的に傷を遠距かり、労わろうとする不可抗力を受けるのであろうか。だがこの逃避的な美しさは我々の時代に始めて実をむすんだ一つのうら悲しい宿命であろう。このうら悲しい美しさを私は頭から否定したいとは思わぬ。だが、これを突き破って始まるところの文学を私はより多く期待するのだ。

 龍胆寺雄氏「アラッヂンのラムプ」。どんな架空な物語を書いても、作者が空想の中に生きていれば文句はない。そのとき空想は立派に作者の生活でありうる。ところがこの作品の空想の中には作者が呼吸していない。この物語の始めの方で、雲吉が沙漠の散歩から帰ってきて部屋へはいると、着物や髪の毛の中から沙漠の砂がパラパラとこぼれてくるというあたりは却々気の利いた精密さで、全篇の空想の中に作者が常にこれくらい快適に浸りきっていたならこの空想も救われたのである。だがこのほかの部分では全く空想の中に作者が浸っていないのだ。最後に空想がどうやら現実へからみついてきて作者は自己を語りはじめているのだが、この自己弁解が又極めて世俗的な鬱憤をはらしているにすぎないのはひどすぎる。

 川端康成氏の「浅草祭」。この月の分は「悲願維明」と「元日のシャツ」の二つの小品で後者の方は未完。中に「彼はなにか自らの白い肌に追はれるもののやうに、悲願を抱いて、浅草をさまよつてゐたのだ」という一節がある。これをとりだしてどうと云うのではないが、この中に極めて漠然と使われている悲願という言葉、この言葉が私には面白かった。すくなくともこの作者はある漠然としたものではあるが甚だ根強くのっぴきならぬ生の哀愁にかられている。いわばそれがこの作者のいう悲願であろう。そうして、この作品はいわばそののっぴきならぬ生の懊悩が、つまりは悲願とよぶところのものがこれを生み、この作品の方向を決定づけているのだろうと思われる。この作者の懊悩は私に共感できるものだった。

 いったいがこの漠然とした悲願、直接に何を祈り何を求めるという当てさえもない絶体絶命の孤独感のごときものだが、これは数十世紀の人間精神史と我々の真実の姿とのあらゆる馴れあいと葛藤を経て、虚妄と真実とがともにその真正の姿を没し去ってしまったところから誕生したものであろうか。自らの実体を掴もうとして真実の光の方へ向おうとすれば真実はもはや向いた方には見当らなくなっていたというような、或いは逆に向き直ったところの自らが、向き直ったときには虚妄の自らに化していたというような、即ちこの悲劇的な精神文化の嫡男が悲願の正体であろうと思う。それ自体を分析しても割りきれる代物ではない。そこには虚妄と真実との全てのカラクリがつくされていて、分析のメス自体がこのカラクリの魔手の中にあるからである。この漠然とした哀愁は畢竟するにその漠然とした形のまま死か生かの分岐点まで押しつめ突きつめて行くよりほかに仕方がない悲しさなのだ。その極まった分岐点で死を選ぶなら、それはそれで仕方がない。併しもし生きることを選ぶなら、(選ぶというよりもそのときには生きる力と化するのであろうが)まことに生き生きとした文学はそこから出発するのだと私は考えている。ドストエフスキーがそうだったのだ。彼の文学は悲願それ自体ではなく、それが極点に於て生きることに向き直ったところから出発したものであった。生き生きとした真に新らたな倫理はそこから誕生してくるに違いない。従而、私は悲願そのものには余り多くを期待しない。我々の時代の多くの若者がこの悲願に追われはじめている。併しその多くの人が途中で誤魔化す、極めて安易な習慣的な考察法へその人生観の方向を逃がして了う、又ある人はその極点へ押しつめぬうちに極めてこれも習慣的な自殺を企ててしまったりする。この悲願を真に正しく押しつめることは甚だ難いのだ。併しやがてこの悲願を正しく渡りきった向う側から新らしい文学が生まれてくるだろうと私は確信している。

「浅草祭」の中に、私と呼ぶ主人公が辻本という友人の源氏屋に誘われるままに街の女の家へあがる。十八という街の女と話を交し、次第に源氏屋口調になる辻本と面白くもない話を交わしたあとで、一向に気持の浮かない主人公は女を買うのは止め、辻本がこんなに金に困っているならこの家に茶代をおき、辻本には足賃をやり、彼と温いものでも食って別れようかと思うのだが、そんなことはわれわれ好みのつまらん見栄にすぎないという気がして、黙って三円の料金を出す、という件りがある。

 この「われわれ好みのつまらん見栄」と作者がアッサリ片附けていることが、果してそう片付けていいものかどうか。この一見甚だ辛辣に古い衣を突き破っているように見えるこの作者の「からさ」が、実は甚だ好気分にこの「からさ」に溺れているのであって、この程度の「からさ」は危険ではあるが一向本質的に正しく的をついているとは考えられない。われわれ好みのつまらん見栄といい切ることが逆にこの作者の「からさ」の見栄だと言うことも出来ないことではないと思う。虚妄と真実との累々たるカラクリのあとに築かれた古い習慣を正しく突き破るためには、かように習慣的な「からさ」だけでは不足すぎると私は考える。一見浅薄に見る「あまさ」もやはり正体は複雑な虚妄と真実のカラクリによって掩い隠されているのだ。探究の方向が「からさ」であることは差支えないと思うが、その「からさ」が最後の深さのものであることを希望したい。

 私の友人片山勝吉はその文学の発足のときから執拗にこの漠然たる悲願と取り組み、この漠然たる悲しさのみを極めて地道につつましく育てつづけてきた甚だ特異な作家のように考える。彼の日本文学の教養とその甚しい日本趣味とのため、人々は多く彼の懊悩の世界まで古臭いように考えがちであるが、彼の懊悩の世界は全く我々の時代まではなかったところのものである。彼の書く主人公は惚れないうちから諦めているというような、然しそんな尤もらしい恋愛事情なぞとは無関係に、もともと恐ろしい孤独感の中にいる。去年「紀元」に発表した「鋸の音貧し」という作品の中で、主人公は隣の部屋から洩れてくる愛すべき若夫婦者のなんでもない話声をきいているうちに、むろんそれが原因ではないが、急にふらふら立ち上り、縄を吊してどうやらもぞもぞと首をくくろうとしはじめる。どうも読んでいてその重苦しい漠然たる人生苦がやりきれなくなるのだった。ところが今年の「紀元」新年号に書いた「山茶花の庭」で、これも惚れないうちから諦めていた一人の娘との別れに自作の白粉を餞別しようと思って、自分ではその壺へ「長相思、思ひ何ぞ長き──」というような詩をひとつ気取って焼きこんでやろうと思っているうちに、ついなんとなく焼きこんだのが「古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し」という蕪村の句である。その壺を見た友人達が、壺をひねくりながら、どうもこの壺は露骨で厭味ですねと会話をしているあたり、全くやりきれない暗い鬼気に打たれざるを得ない。前作の首をくくる時よりは彼の悲願がずっと深められた不気味なものに進んでいるのだ。私は時々、あいつもう自殺をするんじゃないかと思ってしまう。自殺をするならそれはそれで仕方がない、とにかく真向から漠然たる悲願に組みついてあくまで執拗に突きつめている彼の態度には貴いものがある。併しながら繰返して私は主張したいが、悲願そのものに私はすぐれた文学を期待することができないのだ。それが突きつめた極点で生きることに向った時、そこから新らしい倫理が発足するのだと思う。

 ところが川端氏の「からさ」に対比するわけではないが、片山がその孤独感をおしつめてゆく態度が凡そ完全に「あまい」のである。川端氏がわれわれ好みの見栄と考えて三円の料金であっさり女を買ってしまうところを、片山はそういう「からさ」には一向てれずに辻本には足賃をやりその家には茶代を払い殊に女には簪ぐらい買ってやろうという気持まで起さないとは限らない。だが、そういう甘い気持によってその悲願をまぎらしたり、又その悲願がそういうことで慰むのかといえば、凡そ完全にそういうことはない。彼の場合その甘さは深まりゆく悲しさには全く無関係なのであって、そういう甘さは全く彼には傍系的なものであり、いわば彼は彼のまことの悲しさとは別の場所に茶番をしているのであった。だから彼の甘さには時々彼の悲しさから鬼気が伝わってゆくのである。併しながら、その甘さが単純な甘さで終っていないからといって、私は必ずしも之を高く評価しない。

 由来甘さというものはその正体が消極的なのだ。積極的な力となって彼の悲願の進路をねじまげるというような障りとなることが全くない。その点悲願を深めるに都合はいいが、生き返ってくる力が乏しい。この反対に「からさ」は積極的である。理知的であり批判的なものである。ここには生き返る可能性を自らの中に蔵している。私としてはこの二つの態度のうち躊躇なく「からさ」の方をとるものであるが、何分積極的に作用してくるだけに自らの罠へ自ら落ちこんでしまうことが甚だ多くあるように考えられる。罠へ落ちずに渡りきろうというのが余り勝手な考えで、或いは幾度も罠にかかり罠を逃れて行く必要があるのかも知れぬ。併しそれはとにかくとして、このことは断言してもいいように思う。「からさ」は「あまさ」を否定することによって達成せられるものではない、又習慣をつき破るということが決して単純に習慣の反対を行うことではないだろう。正、反、合とか止揚とかいう単純な法則が数十世紀の虚妄と真実との複雑なカラクリをかけた我々の精神へ倫理へそのまま適用されることなぞ決して想像することができないのだ。まことの問題は、そこで作家の魂が救われるかどうか、ということ、ただこの一点あるのみである。

『作品』昭10・3

底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社

   1982(昭和57)年812日第1刷発行

初出:「作品」

   1935(昭和10)年3

入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース

校正:小林繁雄

2006年916日作成

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