魔法探し
豊島与志雄
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一
むかし、ペルシャに大変えらい学者がいました。天地の間に何一つ知らないことはないというほど、あらゆる学問をきわめつくした人で、国王や人民達から非常に尊敬されていました。
ところがある日、高い塔の上から濠の中に落ちて死んだ人を見て、彼はこう考えました。
「鳥は空を飛ぶことができるし、魚は水の中を泳ぎ廻ることができる。それなのに人間だけは、空を飛ぶこともできず水にもぐることもできない。なぜだろう。もしそういうことができたなら、人間は塔から落ちても死なないですむし、水の中に落ちても溺れずにすむのだが……」
そしていろいろ考えたすえ、彼はふと魔法使いの話を思い出しました。子供の時お祖母様から聞いた話で、自由自在に空を飛んだり水にもぐったりするというのです。けれどもそれはただ話に聞いただけで、いくら彼が学者でも、まだ魔法だけは知らないのでした。
「話にある以上は、実際にあることかもしれない。私はもう世の中のあらゆる学問をしつくしたのだから、これから魔法を学んでやろう」
そう決心した彼は、いろんな古い書物を調べたりいろんな人に尋ねたりしましたけれど、どうしたら魔法が使えるかさらに分かりませんでした。けれども、魔法使いの話が伝わっているからには、どこかにそういう者がいるに違いありません。
そこで彼は、王様や人々に別れを告げ、多くの旅費を用意して驢馬に乗って、魔法使いを探しに出かけました。
幾年も彼は旅を続けました。魔法使いの住居を、遠くから来た旅人や方々の学者に尋ねたり、自分で探し廻ったりしましたが、どうしても分かりませんでした。しまいには、用意の旅費もなくなってしまい、驢馬を売り払った金も使ってしまい、乞食のような旅をしなければならなくなりました。それでも彼は決心を変えませんでした。どうにかしてその日の食物を手に入れながら、方々の土地を歩き廻りました。
さらに幾年かの後、彼はある広い広い森の中に迷い込みました。いくら行っても森ばかりで、人の姿はおろか、人の通った跡さえも見えません。何千年経ったとも分からない大木が立ち並んでいて、その枝葉の茂みで空を隠していて、昼は日の光も見えず、夜は月の光もささず、地面には落葉が堆く積もって、気味の悪い苔などが生えています。彼は落ちてる木の実や苔の間の茸などを食べ、ところどころに湧き出てる泉の水を飲み、疲れると一枚の毛布にくるまって落葉の上に眠り、そしてただ真っ直ぐに歩いて行きました。けれどやはり、どこまで行っても森ばかりです。
そうして幾日か経った後、彼は木の実をかじりながら歩いていますと、ふと向こうに、晴れやかな日の光を見いだして、小踊りせんばかりに喜びました。長い間の疲れも忘れはてて、急いでやって行きますと、まあどうでしょう、森の中に大きな池がありまして、澄みきった綺麗な水がいっぱいたたえていまして、池の縁やまわりには、真っ白な花が一面に咲き乱れていて、その上に晴々とした日の光がさしているのです。彼は久し振りに日の光を見て、しばらくはぼんやりつっ立っていましたが、やがて気がついてみると、池のまわりの木には小鳥が鳴いているし、花のまわりには蝶や蜂などが飛び廻っています。深い森の中にそんな天国のような場所があろうとは、夢にも思わなかったのです。彼はまず池の清い水を飲み、それから日の光にあたって、あたりの景色を眺めましたが、そのままいい心持ちになって、うつらうつらと眠ってしまいました。
二
彼が眼をさました時は、もう夜になっていました。月の光がさしていて、池の面が水銀のように輝き、白い花が気味悪いほど真っ白に浮き出して見えます。彼は木影に坐ったまま、夢心地でぼんやりしていました。
すると、方々から綺麗な女達が出て来ました。みんな腰から上は真裸で、腰にいろんな色の薄絹をつけてるのです。森の中から出て来たのは緑色の絹をまとい、水の中から出て来たのは水色の絹をまとい、白い花の咲いてる叢から出て来たのは白い絹をまとい、そしてその女達が池の緑の青草の上に集まって、歌ったり、踊ったりし始めました。彼はびっくりして息をこらして眺めていましたが、やがて、それは書物にあった森の精や水の精や花の精達だと覚って、なおよく見るために、木影から少し進み出て行きました。とたんに、精女達の一人が彼の姿を見つけて、何か合図をしたかと思うと、皆の姿は煙のようにどこかへ消え失せてしまいました。
彼はあっと口と眼とを打ち開いたまま、そこにぼんやりつっ立っていました。
しばらくすると、後ろの方の大きな木の茂みの中から、恐ろしい声が響きました。
「お前は何者だ」
彼はびっくりして振り向きましたが、何の姿も見えないで、大木の枝葉が黒々と茂ってるばかりでした。がまたその中から、恐ろしい声が尋ねました。
「お前は何者だ。何しにここへ来たのか」
そこで彼は、声の主はきっと森の王で精女達の主人だろうと思って、丁寧に答えました。
「私はペルシャ第一の学者で、天地の間に何一つ知らないことはないのですが、ただ魔法だけを知らないものですから、今度はそれを学ぼうと思って、魔法を知ってる人を方々尋ね歩いて、ここまでやって来た者でございます」
「そうか」と恐ろしい声は答えました。「ここは人間のやって来る所ではない、また魔法使いの住んでる場所でもない。しかしお前の熱心に免じて、魔法めいた術を少し教えてやってもよい。その代わりお前に一つ尋ねたいことがある。お前は天地の間に何一つ知らないことはないと言うが、それでは、空の星の数は幾つであるか、そしてお前の頭の髪の毛は幾本であるか、それを答えてみよ」
彼は困りました。いくら学者だからといって、空の星の数や自分の頭の毛の数は知りませんでした。彼が黙っていると、恐ろしい声はまた言いました。
「何一つ知らないことはないと言っておきながら、それくらいのことも知らないのだな。それでは三日の間待ってやるから、それまでに答えをせよ。もし三日の間に答えられなかったら、この池は底無しの池だから、この中に身を投げて死んでしまえ。はっきり答えられたら、お前の望み通り、自由自在に何にでも姿を変える術を教えてやる」
「承知しました」と彼は答えました。
三
それから彼は三日の間、空の星は幾つであるか、自分の頭の髪の毛は幾本であるか、一生懸命に考えました。しかしそんなことは、いくら考えても分かりようはありませんし、また一々数えることもできません。
あたりは深い森であり、前には底無しの池があり、池の縁には白い花が咲いています。けれどただそれきりで、もう空が曇って、日の光も月の光もささず、蝶や小鳥も飛んで来ず、精女達も出て来ませんでした。彼は池のほとりに坐って、両手を組み歯をくいしばって、三日の間一生懸命に考えましたが、空の星の数も自分の頭の毛の数も分かりませんでした。
三日目の夜になると、彼はもうとても駄目だと思って、悲しそうに立ち上がって、ふらふらと池の縁までやって行き、思い切って真逆様に池の中へ飛び込みました。とたんに、空の星の数と自分の頭の毛の数とがはっきり分かりました。それは大変な数でした。もうその数を言うだけの隙がありませんでした。彼の身体は底無しの池の中に、真逆様にずんずん沈んでゆきます。そして上の方に、池の面や白い花や急に晴れた空や月の光などが、ぼんやり見えまして、花の間には精女達が歌い踊っています。彼はだんだん深く沈みながら、それらの景色をぼんやり眺めてるうちに、いつしか気が遠くなってしまいました。
四
人知れぬ時間が経ってから、彼はふと我に返りました。見ると、自分はいつのまにか、幾十年か前に出た家に戻っていて、寝床の上に寝ているのでした。髪の毛は真っ白になり、手足は痩せ細り、腰は立たず、ひどく年をとって死にかかってるのでした。彼はびっくりして眼を見開きましたが、森の中のことを思い出すと、急いで星の数と頭の毛の数とを言って、そのために不思議な術を得て、死なない前に自分の身体を石にしてしまいました。
石になった彼の身体は、やがて家の人達に見いだされ、それから大変な評判になって、王様の耳にまで聞こえました。王様は石になった彼を宮殿に運ばせて、魔法探しに出てからのことをいろいろ尋ねられましたが、彼はもう石になってしまっていましたので、何一つ口を利くことができませんでした。それで、不思議な魔法めいた術のことも、空の星の数も頭の毛の数も、誰にも伝えられずに、ただ彼の石の身体だけが、永く残りまして、学者達から尊ばれ拝まれています。
底本:「豊島与志雄童話作品集1 夢の卵」銀貨社
1999(平成11)年12月17日第1刷発行
入力:田中敬三
校正:noriko saito
2007年8月22日作成
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