手紙 四
宮沢賢治
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わたくしはあるひとから云いつけられて、この手紙を印刷してあなたがたにおわたしします。どなたか、ポーセがほんとうにどうなったか、知っているかたはありませんか。チュンセがさっぱりごはんもたべないで毎日考えてばかりいるのです。
ポーセはチュンセの小さな妹ですが、チュンセはいつもいじ悪ばかりしました。ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木になめくじをたけておいたり、ポーセの靴に甲虫を飼って、二月もそれをかくしておいたりしました。ある日などはチュンセがくるみの木にのぼって青い実を落していましたら、ポーセが小さな卵形のあたまをぬれたハンケチで包んで、「兄さん、くるみちょうだい。」なんて云いながら大へんよろこんで出て来ましたのに、チュンセは、「そら、とってごらん。」とまるで怒ったような声で云ってわざと頭に実を投げつけるようにして泣かせて帰しました。
ところがポーセは、十一月ころ、俄かに病気になったのです。おっかさんもひどく心配そうでした。チュンセが行って見ますと、ポーセの小さな唇はなんだか青くなって、眼ばかり大きくあいて、いっぱいに涙をためていました。チュンセは声が出ないのを無理にこらえて云いました。「おいら、何でも呉れてやるぜ。あの銅の歯車だって欲しけややるよ。」けれどもポーセはだまって頭をふりました。息ばかりすうすうきこえました。
チュンセは困ってしばらくもじもじしていましたが思い切ってもう一ぺん云いました。「雨雪とって来てやろか。」「うん。」ポーセがやっと答えました。チュンセはまるで鉄砲丸のようにおもてに飛び出しました。おもてはうすくらくてみぞれがびちょびちょ降っていました。チュンセは松の木の枝から雨雪を両手にいっぱいとって来ました。それからポーセの枕もとに行って皿にそれを置き、さじでポーセにたべさせました。ポーセはおいしそうに三さじばかり喰べましたら急にぐたっとなっていきをつかなくなりました。おっかさんがおどろいて泣いてポーセの名を呼びながら一生けん命ゆすぶりましたけれども、ポーセの汗でしめった髪の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。チュンセはげんこを眼にあてて、虎の子供のような声で泣きました。
それから春になってチュンセは学校も六年でさがってしまいました。チュンセはもう働いているのです。春に、くるみの木がみんな青い房のようなものを下げているでしょう。その下にしゃがんで、チュンセはキャベジの床をつくっていました。そしたら土の中から一ぴきのうすい緑いろの小さな蛙がよろよろと這って出て来ました。
「かえるなんざ、潰れちまえ。」チュンセは大きな稜石でいきなりそれを叩きました。
それからひるすぎ、枯れ草の中でチュンセがとろとろやすんでいましたら、いつかチュンセはぼおっと黄いろな野原のようなところを歩いて行くようにおもいました。すると向うにポーセがしもやけのある小さな手で眼をこすりながら立っていてぼんやりチュンセに云いました。
「兄さんなぜあたいの青いおべべ裂いたの。」チュンセはびっくりしてはね起きて一生けん命そこらをさがしたり考えたりしてみましたがなんにもわからないのです。どなたかポーセを知っているかたはないでしょうか。けれども私にこの手紙を云いつけたひとが云っていました「チュンセはポーセをたずねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいているひとでも、汽車の中で苹果をたべているひとでも、また歌う鳥や歌わない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから。チュンセがもしもポーセをほんとうにかあいそうにおもうなら大きな勇気を出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラというものである。チュンセがもし勇気のあるほんとうの男の子ならなぜまっしぐらにそれに向って進まないか。」それからこのひとはまた云いました。「チュンセはいいこどもだ。さァおまえはチュンセやポーセやみんなのために、ポーセをたずねる手紙を出すがいい。」そこで私はいまこれをあなたに送るのです。
底本:「ポラーノの広場」角川文庫、角川書店
1996(平成8)年6月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
1995(平成7)年5月
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2009年7月16日作成
2009年8月15日修正
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