農民芸術の興隆
宮澤賢治
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……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……
曾ってわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた そこには芸術も宗教もあった
Büchner 明治維新以前 家屋 衣服 食物 労働 宗教 音楽 舞踊 芝居 遊楽 創造
経済の変動に伴ふ所有衝動の発達
科学による急激な技術の進歩による機械的の設計 田植踊 節句 祈願 植物医師の例
労働は古に遡るに従って漸く非労働となる 如何にして労働が発展し来れるや 解し難きものあり
蓋し原始人の労働はその形式及内容に於て全然遊戯と異らず アフリカ土人
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
四月よりは毎日十二時間 二十五日のサセ取り 諸君は尚可なり
Daniel Defoe 食物と労働との循環
Oscar Wilde 生活とは稀有なることである 多くはただ生存があるばかりである
Wim. Morris 労働はそれ自身に於て善なりとの信条 苦楽 苦行外道 狐 トルストイ
然も尚ここに埋もれ知らるることなく行く人あらばわれらはこれに合掌せん
宗教は疲れて科学によって置換され 然も科学は冷く暗い
宗教中の天地創造論 須弥山説 神道は拝天の余俗である歴史的誤謬
見えざる影に嚇された宗教家 真宗
科学は如何 短かき過去の記録によって悠久の未来を外部から証明し得ぬ
科学の証拠もわれらがただ而く感ずるばかりである
そして明日に関して何等の希望を与へぬ いま宗教は気休めと宣伝 地獄
芸術はいまわれらを離れ多くはわびしく堕落した
Tolstoi ブル 内的衝動 遊戯 人口の一割がそれを買ひ鑑賞し享楽し九割は世々に疲れて死する
シペングラア 都会の脳髄 人の遊戯 生活 名誉 智的労働 霊的所産にあらず
ここに芸術は無力と虚偽である ワグナア以後の音楽 マネイ セザンヌ以後の絵画
エマーソン 近代の創意と美の源は涸れ 才気 避難所
ロマンローラン 非生産的享楽
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
(科学ももとより販売される)
室伏 人間の自然征服戦──人物 商品機械 人 霊魂 大地 自然 自由が失はれて
……これらの表現があるか 即ち文化があるか 芸術があるか それは失はれた文化の模倣である 家の意義
よくその人の声を聞け 偽の語をかぎつけよ 大谷光瑞云ふ 自ら称して思想家なりといふ 人たれか思想を有せざるものあらんや
われらに購ふべき暇もなくまたさるものを必要とせぬ
いまやわれらは新に正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
♂カーペンター 少年機械工の例
♂当地方大工の例
多くの経典まことの詩歌(第一作) ♂ 3000/5500万
民話民謡農民芸術はそ
農民よ奮ひ立てそしてわれらの──の表現を持て
われらは今日まで睡ってゐた
日本の芸術はその土を踏んで通って来た 尚それを侮辱し罵倒して当然とする
その芸術は何であるか
芸術をもてあの灰いろの労働を燃せ
♂芸術の回復は労働に於ける悦びの回復でなければならぬ Morris〝Art is man's expression of his joy in labour.〟
労働は本能である 労働は常に苦痛ではない 労働は常に創造である
創造は常に享楽である 人間を犠牲にして生産に仕ふるとき苦痛となる
トロツキー
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Morris ◎
明かに有用な目的
休息自らの創造
生産/
時間の交易物は自ら造れ
変化
能力の発展
環境の楽しいこと
好める伴侶あること
ここにはわれら不断の浄い創造がある
彼の音楽は市井の雑音 ここに求めんとするものは自ら鳴る天の楽
♂エマーソン 斯ノ如キ人ハ
都人よ来ってわれらに交れ 世界よ他意なきわれらを容れよ
底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房
1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行
※「神道は拝天の余俗である」の「神」、「これらの表現があるか」の「か」は、底本編集時におぎなわれたものです。
入力:田中敬三
校正:土屋隆
2006年7月26日作成
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