良人教育十四種
岡本かの子
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何が気に入らないのか、黙りこくってむっつりしている。訊いてもいっては呉れないで、渋い顔をするばかり。従って家内中で腫ものにでも触るような態度を取り、そばを歩くに、足音さえも窃むようになる。こういう性質は神経衰弱その他生理的な病気が伏在している為めに来ることもあれば、当人の我儘から来ることもある。病気なれば気の毒、早速医者の手にかかるがいいが、もし我儘だったらあんまり卑屈にへいへいしていると、却って増長させていけない。正しいことは相当主張し、快闊に、はたからその不機嫌を吹き散らしてしまうがいい。不機嫌は当人も持てあましているのだから、はたからのひょっとした誘いで気が取直せ、当人も助かることがある。
しじゅうイライラしてちょっとのことにカンシャクを起す。この性質に二つある。外では猫のようにおとなしく言うべきことも胸に畳み、そのシコリを家へ持越して爆発させるものと、もう一つはどこでも短気でカンシャクを起すのとである。前の方のは臆病で気の毒な性質の人ゆえ、まあまあ我慢して家でカンシャクを起さしてやるのが愛だが、後のは持前の性質ゆえ修養とか信仰とかを勧めて、根本的に直すのが愛である。一たい短気な人は速力が気に入るのだから何でも手っ取り早く先手を打って、先に望むことをしてやれば悦ぶものだ。
痼疾のあるのは別だが、そうでなくて年中あっちが悪い、こっちが悪いとぐずぐずしている人がある。多くは神経質で思い過しの人に多い。一しょになって心配してやらねば不親切だといってヒガむし、そうかといって心配すればキリが無いし、仕末に悪い。心機一転ということもあるから、朗かに奮闘的な気持ちになれるよう、思い切って生活を革新するとか、強い刺撃を与えて心境を変化させるとか、妻自身確信と元気を持って助勢するがいい。
硝子窓がちょっと曇っていても気にし、障子のサンにホコリが溜ってやしないかと、指の腹で擦ってみる。ひどいのになると一日に五六度オキシフルか、昇汞水で手を消毒しないと、落付いて仕事が出来ぬというようなのがある。悪いことではないが兎に角うるさい。また精神上の潔癖家として無暗に人を毛嫌いするものもある。あいつはオベッカ者だからとかあいつはウソ吐きだとかいって、口も利かぬ。そんなことをいった日には世間が狭くなるばかりだから一つ気を大きく持たせるべし。
どうせ見透され尽すのですから、なまじい夫に対する心のつくりかざりをせず、正直に無邪気にともに暮すべし。
交際下手な夫を持った妻は、相手の人が夫の気象を呑み込むまで、妻自身がまめまめしく客にかしずき、その場の調和をたもつこと。
学者は日常他人に教示する癖をもって暮す。その気持ちのリズムに添うて、暮さなければ夫の心情を荒らす。妻も大方のことは生徒になりたる態度をもって、夫に対侍すべし。
いっそ親や親類に悪く云われても仕方がない。まあなるたけ主人の気のやすまるよう遠のいて、身辺の平和を守るか(この際扶養の責任あらば、それだけは物質だけでも果すべし)、さもなくば、妻は身をもって円満に尽し、親、親類に夫の折合い悪しき部分を補うべし。
妻の身の自分が内職でもして家計を立てようとする努力とともに、失業状態にある夫の心は、とかくひがみ易くなっていますから、妻は平常より寧ろ夫を敬愛する態度に出でよ。夫は心明るく次の職業を探す勇気に向えましょう。
何かほかの嗜好物に転換させるか、もし万不可能な時は、妻自身大酒をのむか、但しはのみたる振りで酔っぱらって困らせて見せるか、知人の大酔家を、夫のしらふの時に夫の眼の前へ連れて来て見せしめにするかです。
正当に警戒し、懇願して見ても駄目でしたら、妻自身も移り気の振りをして見せしめてやりなさい。それでもだめならあきらめるか、別れるか、どちらでも。
家にばかり夫がいて困るのでしたら、散歩や活動に妻が誘って御覧なさい。嫌だと云ったら妻一人、夫を家へうっちゃって出て寂しがらせて御覧なさい。手のない家でしたら、盛んにお使いでもおたのみなさい。
家事に口を出し過ぎる夫に困ったら、一週間位そら病気をして、夫に家事万端の世話をやかせ、負担に堪えない経験をさせたらどうですか。お客の前などで、だしぬけにあれを出せ、時ならぬ時分にこれはないかと、喰べものなど主婦の予算以外な注文をする夫をこらしめるためには、あとでその時の費用を誇張し、また労力の超過をしめすため、そら病気でもして見せます。
職業婦人の夫はそれこそ妻に思いやり深くなくてはいけません。そして自身も職業を持つならば、退け時刻の早い方が遅く帰る方を待ちうける用意をして置きなさい。朝、出かけの早い方を遅い方が送って上げるのも同様です。この際昔風な夫、妻、の観念を除き、同じ労力を分って家事を分担する友、恋人同志であり同時に普通の夫婦以上、妻は夫に与える所の多い女性として尊敬して、夫たる男性の手に適するかぎり家事の労力なども妻の助けとなるべきです。但し呉々も妻は己の職業に慢心して大切にして貰う夫に狎れ、かりにも威張ったり増長せぬこと。月並の戒のようなれど、余程の心がけなくてはいわゆる女性の浅はかより、この弊に陥り易かるべし。
底本:「愛よ、愛」パサージュ叢書、メタローグ
1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十四卷」冬樹社
1977(昭和52)年5月15日初版第1刷発行
初出:「婦人界」
1933(昭和8)年9月号
※表題は底本では、「良人教育十四種」となっています。
※「仕末」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
2013年10月5日修正
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