鷲
岡本綺堂
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今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九の三月は参詣人が多い。江戸から少しく路程は離れているが、足弱は高輪あたりから駕籠に乗ってゆく。達者な者は早朝から江戸を出て草履か草鞋ばきで日帰りの短い旅をする。それやこれやで、汽車や電車の便利のない時代にも、大師詣での七、八分は江戸の信心者であった。
これもその信心者の一人であろう。四十を一つ二つも越えたらしい武家の御新造ふうの女が、ひとりの下男を供につれて大師の門前にさしかかった。文政十一年の秋ももう暮れかかる九月二十一日朝の四つ半頃(午前十一時)で、大師河原の芦の穂綿は青々と晴れた空の下に白く乱れてなびいていた。
この主従は七つ(午前四時)起きをして江戸の屋敷を出て、往きの片道を徒で歩いて、戻りを駕籠に乗るという世間なみの道中であるらしく、主人の女はもうかなりに疲れたらしい草履の足をひき摺っていた。下男はいわゆる中間で、年のころは二十四、五の見るから逞ましそうな男ぶりであった。彼は型のごとくに一本の木刀をさして、何かの小さい風呂敷づつみを持って、素足に草鞋をはいていた。
「お疲れでござりましょう。万年屋でひと休み致してまいればよろしゅうござりました。」と、彼は主人をいたわるように言った。
「御参詣も済まないうちに休息などしていては悪い。御参詣を済ませてから、ゆるゆると休みましょう。」
女はわざと疲れた風を見せないようにして、先に立って大師の表門をくぐると、前にもいう通りきょうは九月の縁日にあたるので、江戸や近在の参詣人が群集して、門内の石だたみの道には参下向の袖と珠数とが摺れ合うほどであった。女も手首に小さい珠数をかけていた。
その人ごみのあいだを抜けて行くうちに、女はふと何物をか見付けたように、下男をみかえってささやいた。
「あれ、あすこにいるのは……。」
言われて、下男も見かえると、石だたみの道から少し離れた桜の大樹の下に、ふたりの女がたたずんで、足もとに餌をひろう鳩の群れをながめていた。下男はそれを見つけて、足早に駈け寄った。
「もし、もし、お島さんのおっかあじゃあねえか。」
下男の声はずいぶん大きかったが、あたりが混雑しているせいか、それとも何か屈託でもあるのか、呶鳴るような男の声も女ふたりの耳にはひびかないらしかった。下男は焦れるように又呼んだ。
「これだから田舎者は仕様がねえ。おい、お島のおっかあ、何をぼんやりしているんだな。市ヶ谷の御新造さまがお出でになっているんだよ。」
市ヶ谷という声におどろかされたように、二人の女は急に顔をあげた。かれらは母と娘であるらしく、母は御新造さまと呼ばれる女よりも二つ三つも年下かと思われる年配で、大森か羽田あたりの漁師の女房とでもいいそうな風俗であった。娘はまだ十六、七で、色こそ浜風に黒ずんでいるが、眉は濃く、眼は大きく、口もとはきっと引締まって、これに文金島田の鬘をきせたらば、然るべき武家のお嬢さまの身代り首にもなりそうな、卑しからざる顔容の持ち主であった。信心参りのためでもあろう、親子ともに小ざっぱりした木綿の袷を着て、娘は紅い帯を締めていた。母はやはり珠数を持っていた。
「あれ、まあ。」と、母は初めて気が付いたように、あわてて会釈した。「久助さんでござりましたか。御新造さまも御一緒で……。」
かれはうろたえたように伸びあがって、群集のなかを見まわすと、その御新造も人ごみを抜けて、桜の木の下に近寄った。
「あれ、御新造さま……。」と、母は形をあらためて丁寧に一礼すると、娘もそのうしろからうやうやしく頭を下げた。
「めずらしい所で逢いました。」と、女もなつかしそうに言った。「お前がたも御参詣かえ。」
「はい。」
とは言ったが、母の声はなんだか陰っているようにも聞かれた。娘もだまって俯向いていた。かれらには何かの屈託があるらしかった。
「角蔵どんはどうした。達者かえ。」と、下男の久助は訊いた。
「はい。おかげさまで無事に稼いでおります。」と、母は答えた。「あなた方はまだ御参詣はお済みになりませんか。」
「これからだ。おめえ達はもう済んだのか。」
「はい。」
「では、ここに少し待っていておくれでないか。わたし達は御参詣を済ませて来ますから。」
と、女は言った。
「はい、はい。どうぞごゆっくりと御参詣遊ばして……。」
親子二人をここに残して、御新造と下男はふたたび石だたみの道を歩んで行った。人に馴れている鳩の群れはいつまでも飛び去らずに、この親子のまえに餌をひろっていた。
この物語をなめらかに進行させる必要上、ここで登場人物四人の身もとを簡単に説明しておく必要がある。御新造と呼ばれる女は、江戸の御鉄砲方井上左太夫の組下の与力、和田弥太郎の妻のお松で、和田の屋敷は小石川の白山前町にあった。弥太郎は二百俵取りで、夫婦のあいだにお藤と又次郎という子供を持っているが、長女のお藤はことし二十二歳で、四年前から他家に縁付いているので、わが家にあるのは相続人の又次郎だけである。二百俵取りでは、もとより裕福という身分でもなかったが、和田の家は代々こころがけのいい主人がつづいたので、その勝手元はあまり逼迫していなかった。家内は夫婦と忰と、ほかに中間の久助、女中のお島、おみよの六人で、まずは身分相当の生活に不足はなかった。弥太郎は四十六歳、鉄砲を取っては組内でも老巧の達人として知られていた。
こう言うと、まことに申分のないようであるが、その和田の家へこの頃ひとつの苦労が起っていた。それは羽田の鷲撃ちの年番に当ったことである。
羽田の鷲撃ち──毎年の秋から冬にかけて、遠くは奥州、あるいは信州、甲州、近くは武州、相州または向う地の房総の山々から大きい鷲が江戸附近へ舞いあつまって来る。鷲は猛鳥であるから、他の鳥類をつかむのは勿論、時には人間にも害をなすことがある。子供が鷲にさらわれたなどというと、現代の人々は一種の作り話のようにも考えているらしいが、昔に限らず、明治の時代になっても、高山に近い土地では子供が大鷲につかまれたという実例がしばしば伝えられている。まして江戸時代には大鷲が所々を飛行していたらしい。俗に天狗に掴まれたなどというのは、多くは鷲の仕業で奥州岩木山の鷲が薩摩の少年をさらって行ったというような、長距離飛行の記録もある。
そこで、地勢の関係かどうか知らないが、江戸へ飛んでくる鷲の類は、深川洲崎の方面、または大森羽田の方面に多く、おそらく安房上総の山々から海を渡って来るのであろうと伝えられていた。たとい人間をつかむという例は比較的に少ないにしても、人家の飼鳥や野生の鳥類をつかみ去ることは珍らしくない。それらの害を払うためと、もう一つには御鷹場あらしを防ぐために、幕府の命令によって鷲撃ちが行なわれることになっていた。
将軍家の例として、毎年の冬から春にかけて鷹狩が催されるのであるが、その鷹場付近に大鷲が徘徊して、種々の野鳥をつかみ去られては、折角の鷹狩の獲物を失うばかりか、無事の野鳥も四方へ逃げ散るおそれがあるので、前以ってかれらを捕獲し、あるいは駆逐するのである。この時代のことであるから鷲撃ちの目的は前者よりもむしろ後者にあって、御鷹場あらしを防ぐということが第一義であったかも知れない。また一説によれば、それによって鉄砲の実地練習を試みるのであるともいう。いずれにしても、秋から冬にかけて、鉄砲方の面々は年々交代で羽田または洲崎の方面に出張し、鷲の飛んで来るのを待ち受けて、強薬で撃ち落すのである。
飛行機などのなかった時代の武士にとっては、この鷲撃ちの役目は敵の飛行機を待つと同様で、与力一騎に同心四人が附添い、それがひと組となって、鉄砲はもちろん遠眼鏡をも用意し、昼も夜も油断なく警戒しているのである。その警戒の方法は時代によって多少の相違があったらしいが、ともかくも普通の獣狩とは違って、相手が飛行自在の猛鳥であるから、ぎょうぎょうしく立ち騒いで、かれらをおどろかすのは禁物である。かれらが油断して近寄るところを待受けて、ただ一発に撃ち落さなければならない。ついては、その本陣の詰所を土地の庄屋または大百姓の家に置き、当番の組々がひそかにめいめいの持場を固めることになっていた。官命とはいいながら、何分にも殺生の仕事であるから、寺院を詰所に宛てるのを遠慮するのが例であった。
ことしも九月からの鷲撃ちが始められた。和田弥太郎は年番にあたったが、古参であるからまだ出ない。最初の九月は未熟の新参者が勤めることになっているのは、めったに鷲が姿を見せないからである。山々の木の葉がほんとうに落ちはじめて、鷲がいよいよその巣を離れて遠征をこころみる十月の頃になると、古参の腕利きが初めて出張るのである。
弥太郎も用意して出張の日を待っているのであった。
「いかに和田でも、羽田の尾白は仕留められまい。──その噂を聞くたびに、わたしは冷々します。」
お松は溜息まじりで言った。弥太郎の妻のお松と下男の久助は大師堂参詣をすませて、桜の木かげに待たせてある親子ふたりを連れて門前へ出ると、そこには大師詣での客を迎える休み茶屋が軒をならべて往来の人々を呼んでいた。最初は川崎の宿まで出て、万年屋で昼食という予定であったが、思いがけない道連れが出来たので、宿まで戻るまでもなく、お松はかれらを案内して、門前の休み茶屋にはいることにしたのである。
休み茶屋といっても、店をゆき抜けると奥には座敷の設けがあって、ひと通りの昼食を済ませることも出来るようになっていた。久助は家来であり、かつは男であるから、遠慮して縁側に腰をかけていたが、親子ふたりづれの女は勧められるままに怖々と座敷へあがって、やはり縁側に近いところに座を占めていた。
四人は女中が運んで来た茶をのんで、軽い食事を注文した。その食事の膳が持出されるまでに、お松は小声できょうの参詣の事情を話し出したのである。
「尾白の鷲のことは、わたくしも聞いております。」と、娘の母もささやくように言った。「なんでもその鷲は去年も一昨年も、羽田の沖からお江戸の方角へ飛んで参りましたそうでございます。そばへ寄って確かに見た者もございませんが、羽をひろげると八尺以上はあるだろうという噂で……。それを二度ながら撃ち損じましたのは、まことに残念に存じます。」
「まったく残念だ。」と、久助は横合いから啄をいれた。「その尾白の奴めが……。いつでも旦那さまの御当番のときには姿を見せねえので困る。なにしろ年数を経た大物だから、並大抵の者にゃあ仕留められる筈がねえ。ことしこそは見付け次第にきっと仕留めてみせると、旦那さまも手ぐすね引いて待っていらっしゃるのだから、まあ大丈夫だろうよ。いや、きっと大丈夫に相違ねえから、おめえ達も安心しているがいいよ。」
「いくらお前が受合っても、相手は空飛ぶ鳥……。」と、お松は再び不安らしい溜息をついた。
「今もいう通り、組内でもいろいろの噂をしているので、もし仕損じるようなことがあったら、人に顔向けも出来ないので……。」
尾白の鷲は上総の山から海を越えて来るともいい、あるいは甲州の方角から来るともいう。いずれにしても、これほどの大きい鳥はかつて見たことがないと、羽田附近の者も不思議がっている位である。おととしは十月の二十日の暮れがたに姿をあらわしたのを、鉄砲方の岩下重兵衛が撃ち損じた。去年は十一月の八日の真昼に姿をあらわしたのを、鉄砲方の深谷源七が撃ち損じた。それから二時ほどの後に、鷲はふたたび海岸近く舞い下がって来たという注進を聞いて、鉄砲方の矢崎伝蔵が直ぐに駈けつけたが、弾は左の羽を掠めただけで、これも撃ち洩らしてしまった。
ことしの八月十五夜、組頭の屋敷で月見の宴を開いたときに、席上でかの尾白の鷲の噂が出て、おととし撃ち損じた岩下も、去年撃ち損じた深谷と矢崎も、いささか面目をうしなった形で、しきりに残念がっていると、その席に列なっていた和田弥太郎は、なんと思ったか声を立てて呵々と笑った。彼はただ笑ったばかりで別になんの説明も加えなかったが、場合が場合であるから、その笑い声は一座の興をさました。
岩下ら三人の未熟を笑ったのか、あるいは我れならばきっと仕留めてみせるという自信の笑いか、いずれその一つとは察せられたが、弥太郎は組内の古参といい、鉄砲にかけても老練の巧者であることを諸人もよく知っているので、さすがに正面から彼を詰問する者もなかったが、その不快が陰口となって表われた。それは今もお松が言ったように──いかに和田でも、羽田の尾白は仕留められまい。もし仕損じたら笑い返してやれ──。
弥太郎は武士気質の強い、正直律義の人物であったが、酒の上がすこしよくないので、酔うと往々に喧嘩口論をする。みんなもその癖を知っているのではあるが、その夜の弥太郎の笑い声はどうも気に食わなかったのである。弥太郎も醒めてから後悔したが、今さら仕様もない。この上は問題の尾白を見つけ次第に、自分の筒先で撃ち留めるよりほかはなかった。自分の腕ならば、おそらく仕損じはあるまいという自信もあった。
しかしその家族らの胸の奥には一種の不安が忍んでいた。かれらは主人の腕前を信じていながらも、それが稀有の猛鳥であると聞くからは、どんな仕損じがないとはいえない。幸か不幸か、弥太郎は去年もおととしも年番ではなかったので、抜かぬ太刀の功名を誇っていられるが、ことしは年番で出張って、もし仕損じたというあかつきには、待ちかまえている人々が手を叩いて笑うであろう。実際、諸人の前で大口をあいて笑った以上、今度は自分が笑われても致し方がないのである。それを思うと、妻のお松も、せがれの又次郎も、家の面目、世間の手前、容易ならぬ大事であるように考えられた。薄々その事情を洩れ聞いている女中のお島もおみよも、同じく落着いてはいられなくなった。取分けてお島は気を痛めて、近所の白山権現へ夜まいりを始めた。
お松の主従が今日この大師堂で出逢ったのは、お島の母と妹である。お島は羽田村の漁師角蔵のむすめで、主人の弥太郎が羽田に出張る関係から、双方が自然知合いになって、お島は江戸の屋敷へ奉公することになったのである。父は角蔵、母はお豊、妹はお蝶、揃いも揃って正直者であった。その正直者の親子のところへ、江戸屋敷のお島から手紙が来て、ことしの鷲撃ちは旦那さまのお年番で、しかもお身の一大事であるというようなことを内々で知らせてよこしたので、親子三人もおどろいた。
さりとて、かれらの力でどうなる事でもないので、この上は神ほとけの力を頼むよりほかはない。母のお豊と妹のお蝶が連れだって、日ごろ信仰する川崎大師へ参詣に出て来たのも、それがためであった。お松と久助が遠い江戸からここへ参詣に来たのも、やはりそれがためであった。同じ縁日に、おなじ願いごとで参詣に来た親子と主従とがここで出逢ったのは、偶然に似て偶然でもなかった。
こうして落合って、話し合っていると、お松に溜息の出るのも無理はなかった。お豊はもう涙ぐんでいた。そうして、あたりを見まわしながら小声でこんなことを言い出した。
「今も久助さんの仰しゃる通り、旦那さまのお腕前では万に一つもお仕損じはないこととは存じますが……。それでも何かのはずみで、もしもの事でもございましたら、旦那さまは……。」
言いかけて、お豊は声を立てて泣き出した。娘のお島の手紙によると、もしその尾白に出逢って仕損じるようなことがあれば、旦那さまはふだんの御気性として、あるいは御切腹でもなさるかも知れないというのである。御新造さまの前で、まさかにそれを言い出すわけにもいかなかったが、その不安が胸を衝いて来て、お豊はとうとう泣き出したのである。お豊に泣かれてはお松の眼もうるんだ。お蝶もすすり泣きを始めた。
切腹──その不安は言わず語らずのあいだに、すべての人の魂をおびやかしているのである。そのなかで、唯ひとり冷やかに構えているのは久助で、彼は気の弱い女たちを歯がゆそうに眺めながら、しずかに煙草をのんでいたが、もう堪まらなくなったように笑い出した。
「おい、おい。おっかあや妹は何を泣くんだ。ことしは内の旦那さまがあの尾白を一発で撃ち落して、組じゅうの奴等に鼻を明かしてやるんだ。おっかあ、おめえ達もその時にゃ赤の飯でも炊いて祝いねえ。鯛は商売物だから、世話はねえ。」
主人の弥太郎は笑うまじき所で笑った為に、こうした不安の種を播いたのである。主を見習うわけでもあるまいが、その家来の彼もまた笑うまじき場合にげらげら笑っているのである。人のいいお豊も少しく腹立たしくなったらしく、眼をふきながら向き直った。
「わたしらはなんにも判らない人間ですから、こういう時には人一倍に心配いたします。そうして、お前さんは旦那さまのお供をしなさるのかえ。」
「知れたことさ。」と、久助はまた笑った。「おっかあ、おめえは浅草の観音さまへ行ったことがあるかえ。」
いよいよ馬鹿にされているような気がするので、お豊もあざ笑った。
「なんぼ私らのような田舎者でも、浅草の観音さまぐらいは知っていますのさ。」
「そんなら観音堂の額を見たろう。あのなかに源三位頼政の鵺退治がある。頼政が鵺を射て落すと、家来の猪早太が刀をぬいて刺し透すのだ。な、判ったか。旦那さまが頼政で、この久助が猪早太という役廻りだ。鷲撃ちの時にゃあ、おれもこんな犬おどしの木刀を差しちゃあ行かねえ。本身の脇指をぶっ込んで出かけるんだから、そう思ってくれ。あははははは。」
彼はそり返って又笑った。
十月朔日の明け六つに、和田弥太郎は身支度して白山前町の屋敷を出た。息子の又次郎と下男の久助もそのあとについて行った。又次郎はことし二十歳であるが、父の弥太郎が立派にお役を勤めているので、彼は今もまだ無役の部屋住みである。しかも又次郎にかぎらず、たとい部屋住みでも十五歳以上の者は見習いとして、その父や兄に随行することを黙許されていた。
見習いというのであるから、役向きの人々の働きを見物しているだけで、自分が鉄砲を撃ち放すことを許されないのである。殊にその時代の鉄砲は頗る高価で、一挺十五両乃至二十両というのであるから、いかに鉄砲組でも当主は格別、部屋住みの者などは本鉄砲を持っていないのが例であった。又次郎は幸いにその鉄砲を持っていたので、菰づつみにして携えて行くことにした。
きょうは朔日でもあり、殊に今年は鷲撃ちの年番にあたって出張るのである。いわば戦場へ出陣の朝も同様であるので、和田の屋敷では赤の飯を炊いて、主人の膳には頭つきの魚が添えてあった。旧暦の十月であるから、この頃の朝は寒い。ゆうべは木枯しが吹きつづけたので、けさの庭には霜が白かった。
又次郎も身支度をして部屋を出ると、女中のお島が忍ぶように近寄って来た。
「若旦那さま、どうぞお気をお付け遊ばして……。」
「むむ。留守をたのむぞ。」
お島はまだ何か言いたいらしかった。又次郎もすこし躊躇していると、それを叱るような父の声が玄関からきこえた。
「又次郎。なにをしている。早く来い。」
「唯今……。」と、又次郎は若い女中を押しのけるようにして玄関へ出てゆくと、父はもう草鞋を穿いていた。
木枯しは暁け方から止んでいたが、針を含んでいるような朝の空気は身にしみて、又次郎は一種の武者ぶるいを感じた。どんな覚悟を持っているか知らないが、弥太郎は始終冷静の態度で、口もとには軽い笑みを含んでいるようにも見えた。それにもまして、久助は勇んでいた。彼はあたかも主人の功名を予覚しているように、大事のお鉄砲を肩にして大股に歩いて行った。お松もお島もおみよも門前まで出て見送った。
羽田村の百姓富右衛門の家が鉄砲方の詰所になっているので、弥太郎はまずそこに草鞋をぬいで、先月以来ここに詰めている先番の人々に挨拶した。
「うけたまわれば、鳥は一向に姿を見せぬそうでござるが……。」
「当年は時候があたたかいせいか、九月中は一羽も姿を見ませんでした。しかし二、三日このかた、急に冬らしくなって参りましたから、おいおいに寄って来ることと思われます。」と、先番の人々は答えた。
そのなかには弥太郎の仕損じを笑ってやろうと待ちかまえている者もあることを、又次郎も久助も知っていた。ここで一応の挨拶を終って、弥太郎は自分の座敷へ案内された。新参の若い与力や同心らは広い座敷にごたごたと合宿しているが、弥太郎は特に離れ座敷へ通されたのである。以前は当主の父の隠居所で、今は空家になっているのを、鷲撃ちの時節には手入れや掃除をして、出張る役人に寝泊りさせるのを例としていた。
弥太郎は先年もこの隠居所に通されたことがあるので、家内の勝手をよく心得ていた。東南へ廻り縁になっている八畳の座敷のほかに、六畳と三畳の二間が付いているので、座敷には弥太郎、六畳には又次郎、三畳には久助、皆それぞれの塒を定めて、弥太郎の鉄砲は床の間に飾った。又次郎の鉄砲は戸棚にしまいこんだ。それらが片付いて、まずひと息つくと、どこやらで鉄砲の音がきこえた。
「あ。」と、又次郎と久助は同時に叫んだ。
「見て来い。」と、弥太郎は奥から声をかけた。
久助はすぐに駈けだして母屋へ行ったが、やがて引っ返してきて、一羽の鷲のすがたが沖の空に遠くみえたので、持場の者が筒を向けた。しかもあまりに急いで、弾の届くところまで近寄らないうちに火蓋を切ったので、鳥はそのまま飛び去ってしまった。ただしそれは尾白などというものではなく、鷹に少し大きいくらいの仔鷲であったと報告した。
「未熟者はとかくに慌ててならぬ。戦場でもそうだが、敵を手もとまで引寄せて撃つ工夫が肝腎だぞ。」と、弥太郎はわが子に教えた。
その夜はまた木枯しが吹き出して、海の音がかなりに強かったので、又次郎はおちおち眠られなかった。あくる朝は晴れているので、又次郎はまず起きた。つづいて久助、弥太郎も起きた。あさ飯を食って、身を固めて、三人が草鞋の緒を結んでいるところへ、母屋から作男が何者をか案内してきた。
「旦那さま方にお目にかかりたいと申して参りましたが……。」
「誰が来た。」と、久助は訊いた。
「浜におります漁師の角蔵でござります。」
「むむ、角蔵か。」
「女房と二人づれで参りました。」
なんと返事をしたものかと、久助は無言で主人の顔色を窺うと、弥太郎は頭をふった。
「今は御用の出先だ。逢ってはいられない。又次郎、おまえが逢ってやれ。」
言いすてて弥太郎は陣笠をかぶって、すたすたと表へ出かかると、大きい椿のかげから四十五、六の小作りの男が赭黒い顔を出して、小腰をかがめながら丁寧に一礼した。そのあとに続くのはかのお豊で、これもうやうやしく頭をさげた。それを見返って、弥太郎はただひと言いった。
「みんな達者でいいな。」
「おめえ達は若旦那と話して行きねえ。」と、久助は言った。「旦那さまはこれからお出かけだ。」
挨拶はそれだけで、主従はそのまま足早に出て行った。弥太郎は遠眼鏡を持っていた。久助は鉄砲をかついでいた。そのうしろ姿を見送って、お豊の夫婦はさらに作男にも挨拶して、恐る恐るに座敷の縁先へ廻ってゆくと、それを待つように又次郎は縁に腰をかけていた。
「やあ、角蔵か。ひさし振りだな。お豊も来たか。」と、又次郎は笑いながら声をかけた。「さあ、遠慮はいらない。これへ掛けろ。」
「はい、はい。恐れいります。」
一応の辞儀をした上で、角蔵は少しく離れた縁のはしに腰をおろした。お豊はそのそばに立っていた。
「ゆうべは強い風だったな。江戸もこの頃は風が多いが、こっちもなかなか強い風が吹く。ここらは海にむかっているので、江戸よりは暖かそうに思われるが、けさなどは随分寒い。」と、又次郎は晴れた空をあおぎながら言った。
「昨年よりもお寒いようでございます。」と、角蔵も言った。「なにしろ木枯しとかいうのが毎日吹きますので……。」
「むむ。先年来たときよりも寒いようだ。このあいだはお母さまと久助が川崎でお豊に逢ったそうだな。」
「はい、はい。丁度に御新造さまにお目にかかりまして、いろいろ御馳走さまになりました。」
と、お豊はいかにも有難そうに答えた。
ゆうべの木枯しの名残りがまだ幾らか吹き続けているが、東向きの縁先には朝日の光りが流れ込んで、庭の冬木立ちに小鳥のさえずる声がきこえた。夫婦は顔を見合せて、何か言いたいような風情でまた躊躇していたが、やがて思い切ったように角蔵が言いだした。
「若旦那さまの前でこんなことを申上げましては……まことに恐れ入りますが……。実は先日、このお豊が川崎の大師さまへ御参詣をいたしまして、お神鬮をいただきましたところが……凶と出まして……。お蝶も同じように凶と出ましたので……。」
主人の身の上を案じて、日ごろ信仰する大師さまのお神鬮を頂いたところが、母にも娘にも凶というお告げがあったので、自分たちはひどく心配している。御新造さまも御心配の最中であるから、先日はそれをお耳にいれるのを遠慮したが、なにぶんにも気にかかってならないので、あなたにまで内々で申上げるというのである。年の若い侍は勿論それに耳を仮さなかったが、元来が物やさしい生れの又次郎は、頭からそれを蹴散らそうともしなかった。彼はまじめにうなずいてみせた。
「いや、親切にありがとう。お父さまは勿論、わたしたちも随分気をつけることにしよう。」
「どうぞくれぐれもお気をおつけ遊ばして……。」
主人思いの角蔵夫婦もこの上には何とも言いようがなかった。又次郎もほかに返事のしようがなかった。それから続いて鷲撃ちの話が出て、ことしは九月以来、鷲が一羽も姿を見せなかったこと、ゆうべ初めて一羽の仔鷲を見つけたが、鉄砲方が不馴れのために撃ち損じたこと、それらを夫婦が代るがわるに話したが、いずれもすでに承知のことばかりで、特に又次郎は興味をそそるような新しい報告もなかった。
長居をしては悪いという遠慮から、夫婦はいいほどに話を打切って帰り支度にかかった。
「いずれ又うかがいます。旦那さまにもよろしく……。」
「むむ。逗留中は又来てくれ。」
たがいに挨拶して別れようとする時に、表はにわかに騒がしくなった。ここの家の者共も皆ばらばらと表へかけ出した。
「鷲だ、鷲だ、鷲が三羽来た……。」と、口々に叫んだ。
「なに、鷲が三羽……。」
又次郎もにわかに緊張した心持になって、空をあおぎながら表へ駈け出した。角蔵夫婦もそのあとに続いた。
表へ出ると、そこにもここにも土地の者、往来の者がたたずんで、青々と晴れ渡った海の空をながめていた。鉄砲方の者も奔走していた。
この混雑のなかを駈けぬけて、又次郎はまず海端の方角へ急いで行くと、途中で久助に逢った。
「どうした、鷲は……。」
「いけねえ。いけません。三羽ながらみんな逃げてしまいました。」
「また逃がしたのか。」と、又次郎は思わず歯を噛んだ。「して、お父さまは……。」
「さあ。わたくしも探しているので……。確かにこっちの方だと思ったが……。」
彼もよほど亢奮しているらしい。眼の前に立っている若旦那を置き去りにして、そのままどこへか駈けて行ってしまった。取残された又次郎は右へ行こうか、左にしようかと、立ち停まって少しく思案していると、路ばたの大きい欅のかげから一人の若い女があらわれた。
ここらは田や畑で、右にも左にも人家はなかった。欅の下には古い石地蔵が立っていて、その前には新しい線香の煙りが寒い朝風にうず巻いていた。若い女はこの地蔵へ参詣にでも来たのであろうと、又次郎はろくろくにその姿も見極めもせずに、ともかくも最初の考え通りに海端の方角へ急いで行こうとすると、若い女は声をかけた。
「もし、あなたは若旦那さまじゃあございませんか。あの、お江戸の和田さまの……。」
言う顔を見て、又次郎は思い出した。女は角蔵の娘──自分の屋敷に奉公しているお島の妹のお蝶であった。又次郎は父の供をして、先年もこの羽田へ来たことがあるので、お蝶の顔を見おぼえていた。
「お蝶か。お前の親父もおふくろも、たった今わたしの宿へたずねてきた。」
「そうでございましたか。」
ここまではひと通りの挨拶であったが、彼女はたちまちに血相をかえて飛び付くように近寄って来て、主人の若旦那の左の腕をつかんだ。その大きい眼は火のように爛々と輝いていた。
「あなたのお父さまはわたしのかたきです。」
「かたき……。」
又次郎は烟にまかれたようにその顔をながめていると、お蝶の声はいよいよ鋭くなった。
「わたしの親はあなたのお父さまに殺されるのです。」
「おまえの親……。角蔵夫婦じゃあないか。」
「いいえ、違います。今のふた親は仮りの親です。わたしの親はほかにあります。どうぞその親を殺さないで下さい。殺せばきっと祟ります。執り殺します。」
「角蔵夫婦は仮りの親か。」と、又次郎は不思議そうに訊き返した。「して、ほんとうの親はだれだ。」
お蝶は無言で又次郎の顔をみあげた。その大きい眼はいよいよ燃えかがやいて、ただの人間の眼とは見えないので、又次郎は言い知れない一種の恐怖を感じた。しかも彼は武士である。まさかにこの若い女におびやかされて、不覚をとるほどの臆病者でもなかった。
「おまえは乱心しているな。」
又次郎でなくとも、この場合、まずこう判断するのが正当であろう。こう言いながら、彼は掴まれた腕を振払おうとすると、お蝶の手は容易に放れなかった。その指先は猛鳥の爪のように、又次郎の腕の皮肉に鋭く食い入っているので、彼はまたぎょっとした。
「わたしの親を助けてください。」と、お蝶は又言った。
「その親はどこにいるのだ。」
お蝶は掴んでいた手を放して、海とは反対の空を指さした。それを見ているうちに、又次郎はふと考えた。かれの指さす空は武州か甲州の方角である。前にもいう通り、その眼はただの人間の眼ではない、鷲か鷹のごとき猛鳥の眼である。その上に、わたしの親はあなたのお父さまに殺されるという。それらを綜合して考えると、お蝶の親は鷲であるというような意味にもなる。──こう考えて、又次郎はまた思いなおした。世にそんな奇怪なことのあろう筈がない。お蝶は確かに角蔵夫婦の子で、お島の妹である。武州や甲州の山奥から飛んでくる鷲の子──それが人間の形となって自分の前に立っているなどということは、昔の小説や作り話にもめったにあるまい。
自分が夢をみているのか、お蝶が乱心しているのか、二つに一つのほかはない。勿論、後者であると又次郎は判断した。乱心ならば不憫な者である。なんとか宥めて親たちに引渡してやるのが、自分として採るべき道であろうと思ったので、彼はにわかに声をやわらげた。
「わかった、判った。おまえの親はあの方角から来るのだな。よし、判った。わたしからお父さまに頼んで、きっと殺さないようにしてやる。安心していろ。」
「きっと頼んでくれますか。」
「むむ、頼んでやる。して、おまえの親の名はなんというのだ。」
「世間では尾白といいます。」
「尾白……。」と、又次郎は再びぎょっとした。
それが男親であるか女親であるかを問いただそうかと思ったが、なんだか薄気味悪いのでやめた。その一刹那である。お蝶はにわかに何物にか驚かされたように、その燃えるような眼をいよいよ嶮しくしたかと思うと、鳥のように身をひるがえして元の大樹のかげに隠れた。又次郎もそれに驚かされて見かえると、自分のうしろから父の弥太郎が足早に来かかった。弥太郎は鉄砲を持っていた。
「お父さま。」
「お前もここらに来ていたのか。」と、弥太郎は不興らしく言った。
「久助の話では三羽ともに取り逃がしたそうで……。」
「みんな逃げてしまった。」と、父は罵るように言った。「ゆうべに懲りて、けさはなるたけ近寄せようとしていると、土地の者どもが鷲が来た、鷲が来たと騒ぎ立てる。それに驚かされて、みんな引っ返してしまったのだ。我れわれは御用で来ているのに、係合いのない土地の奴らに面白半分に騒ぎ立てられては甚だ迷惑だ。村方一同には厳重に触れ渡して、今後は御用の邪魔をしないように、きっと言い聞かして置かなければならない。」
「鳥は大きいのですか。」と、又次郎は探るように訊いた。
「いや、みんな小さい。ゆうべのも仔鷲であったそうだが、けさのもみんな仔鷲だ。親鳥はまだ出て来ないとみえる。」
親鷲は来ないと聞いて、又次郎は安心したようにも感じた。
「お前もおぼえておけ。この頃の木枯しは海から吹くのではない、山から吹きおろして来るのだ。こういう風が幾日も吹きつづくと、その風に乗って武州甲州信州の山奥から大きい鳥が出て来る。安房上総は山が浅いから、向う地から海を渡ってくるのは親鳥にしてもみんな小さい。ほんとうの大きい鳥は海とは反対の方角から来るのだ。」
弥太郎は向き直って、西北の空を指さした。その指の先があたかもお蝶の教えた方角にあたるので、又次郎はまたなんだか嫌な心持になった。父はほほえんだ。
「けさの三羽を撃ち損じたのは残念だが、あんな小さな奴はまあどうでもいい。たとい仕留めたところで、たいした手柄にもならないのだ。」
おれは大鳥の尾白を撃つという意味が、言葉の裏に含まれているらしく思われるので、又次郎はいよいよ暗い心持になった。
「もう五つ(午前八時)だろうな。」
「そうでございましょう。」
「むむ。」と、弥太郎は再び空をみあげた。「あいつらもなかなか用心深いから、日が高くなっては姿をみせないものだ。大抵は朝か夕方に出て来るのだから、きょうもまず昼間は休みだ。おれはこれから庄屋の家へ寄って、御用の邪魔をしないように言い聞かせてくる。年々のことだから判り切っているはずだのに、どうも困ったものだ。」
「では、ここでお別れ申します。」
「まあ、宿へ帰って休息していろ。今も言う通り、どうせ昼のうちは休みだ。」
弥太郎は陣笠の緒を締めなおして、わが子に別れて立去った。又次郎はほっとした。平素から厳格な父ではあるが、けさは取分けてその前に立っているのが窮屈のような、怖ろしいような心持で、久しく向い合っているのに堪えられなかったのである。
父のうしろ姿の遠くなるのを見送って、又次郎は欅の大樹のかげを窺うと、そこにはもうお蝶の影はみえなかった。地蔵の前に線香も寒そうな灰になっていた。
お蝶は乱心しているのであると、又次郎は帰る途中でも考えた。和田の屋敷の近所に魚住良英という医者が住んでいる。本草学以外に蘭学をも研究しているので、医者というよりもむしろ学者として知られていて、毎月一度の講義の会には、医者でない者も聴きに行く。又次郎も友達に誘われて、その門を五、六回もくぐったことがあった。そのあいだに、良英はある日こんなことを話した。
「世にいう狐憑きのたぐいは、みな一種の乱心者である。狐は人に憑くものだとふだんから信じているから、乱心した場合に自分には狐が憑いているなどと口走るのである。したがって、乱心者のいうことも周囲の影響を受ける場合がしばしばある。たとえば、あるところで大蛇が殺されたとする。その大蛇はおそらく祟るであろうと考えていると、そのときにあたかも乱心した者は、おれは大蛇であるとか、おれには大蛇が乗り移っているとかいうようなことを口走る。そこで、周囲の者もそれを信じ、それを恐れて、大蛇を神に祭るなどということも出来するのである。」
又次郎は今その講義を思い出した。お蝶もそれと同様で、かれはこの頃にわかに乱心した。それがあたかも鷲撃ちの時節にあたって、周囲の者がしきりに鷲の噂をしている。一昨年以来撃ち洩らしている尾白の大鷲の噂も出たかも知れない。あれほどの大鷲は和田さんでなければ仕留められまいなどと言った者もあるかも知れない。ことにお蝶の姉は和田の屋敷に奉公している関係から、その両親はことしの鷲撃ちについて非常に心配している。どうぞ旦那さまに手柄をさせたいとか、尾白の鷲を旦那さまに撃たせたいとか、かれらは毎日言い暮らしているかも知れない。現に先月もそれがために、お蝶は母と共に川崎大師へ参詣したくらいである。その時のおみくじに凶が出たとかいうことも、お蝶に何かの刺戟をあたえたかも知れない。
こう考えると、別に不思議はない。お蝶がたとい何事を口走ろうとも、しょせんは周囲の影響をうけた結果に過ぎないのである。自分は臆病者でないと信じていながら、一時はなんとなく薄気味悪いようにも感じさせられたのは、われながら余りにも愚かであったと、又次郎は声をあげて笑いたくなった。
「それにしても、お蝶は可哀そうだ。」
世に乱心者ほど不幸な人間はあるまい。ましてそれが自分の屋敷の奉公人──今では単なる奉公人ではない関係になっている──お島の妹である。それを思うと、又次郎はふたたび暗い心持になった。彼はむやみに笑ってはいられなくなった。お蝶が乱心していることを、その両親の角蔵やお豊が知っているのであろうか。知っているならば、迂濶にひとり歩きをさせる筈もあるまい。あるいは両親がわたし達の宿へ挨拶にきた留守のあいだに抜け出したのか。
「なにしろ、たずねてみよう。」
お蝶が乱心者と決まった以上、いずれにしても相当の注意をあたえて置く必要があると思ったので、又次郎は草鞋の爪先をかえて、海ばたの漁師町へむかった。けさから一旦衰えかかった木枯しがまたはげしく吹きおろしてきて、馬の鬣髪のような白い浪が青空の下に大きく跳り狂っていた。尾白の大鷲はこの風に乗って来るのではあるまいかと、又次郎はあるきながら幾たびか空を仰いだ。
「角蔵はいるか。」
表から声をかけると、粗朶の垣のなかで何か張物をしていたお豊は振りむいた。
「あれ、いらっしゃいまし。」
迎い入れられて、又次郎は竹縁に腰をおろした。
「風がすこし凪いだので、角蔵は沖へ出ましたが、また吹出したようでございます。」と、お豊は言った。「いえ、もう、冬の海商売は半休みも同様でございます。」
「お蝶はどうした。」
「さっきお宿へ出ました留守のあいだに、どこへか出まして帰りません。」
果たして案の通りであると、又次郎は思った。
「お蝶はこのごろ達者かな。」と、彼はそれとなく探りを入れた。
「はい。おかげさまで達者でございます。」
「別に変ったこともないか。」
「はい。」
母はなんにも知らないらしいので、又次郎は困った。知らぬが仏とは、まったくこの事である。その仏のような母にむかって、おまえの娘は乱心していると明らさまに言い聞かせるのは、余り残酷のような気がしてきたので、彼はすこしく言いしぶった。お豊にたずねられるままに、彼は江戸の噂などをして、結局肝腎の問題には触れないで立ち帰ることになった。
「角蔵にもし用がなかったら、今夜たずねてくるように言ってくれ、少し話して置きたいことがあるから。」と、又次郎は立ちぎわに言った。
「かしこまりました。」
「忙がしいところを、邪魔をしたな。」
出て行こうとする又次郎を追いかけて、お豊はささやいた。
「さっきも申上げました通り、大師さまのおみくじには凶というお告げがございましたから……。どなたにもお気をお付け遊ばして……。」
おみくじに偽りがなくば、ひとの事よりわが身のことである。おまえは自分のむすめが乱心しているのを知らないかと、又次郎は口の先まで出かかったが、やはり躊躇した。彼はただうなずいて別れた。
老巧の弥太郎のいう通り、さすがの荒鷲も青天の白昼には余りに姿を見せないで、多くは早暁か夕暮れに飛んでくる。殊に雁や鴉とはちがって、いかにそれが江戸時代であっても、仮りにも鷲と名のつくほどのものが毎日ぞろぞろと繋がって来る筈がない。けさ三羽の仔鷲が相前後して飛んできたのは、一季に一度ぐらいの異例といってよい。それを撃ち洩らした以上、この後は三日目に一羽来るか、七日目に一羽来るか、あるいは十日も半月もまったく姿をみせないか、ほとんど予測しがたいのである。そうなると、ゆうべと今朝の失敗がいよいよ悔やまれるのであるが、多年の経験によって弥太郎は若侍らを励ますように言い聞かせた。
「ゆうべも一羽来た。けさは三羽来た。そういうふうにかれらが続けて来る年は、その後も続けて来るものだ。何かの事情で、かれらの棲んでいる深山に食い物が著るしく欠乏した為に、二羽も三羽もつながって出て来たのであるから、まだ後からも続いて来るに相違ない。決して油断するな。ことしは案外獲物が多いかも知れないぞ。」
人々も成程とうなずいた。しかもその日は一羽の影を見ることもなくて暮れた。角蔵が来るかと又次郎は待っていたが、彼も姿をみせなかった。娘が乱心のことを女親のまえでは何分にも言い出しにくいので、父を呼んでひそかに言い聞かせようと待ち受けていたのであるが、角蔵はついに来なかった。
その後五日のあいだは毎日強い風が吹きつづけたが、荒鷲は風に乗って来なかった。ことしは獲物が多いという弥太郎の予言も、なんだか当てにならないようにも思われてきた。又次郎は久助を遣わして、角蔵一家の様子を窺わせると、角蔵はあの日に沖へ出て、寒い風に吹かれたせいか、夕方から大熱を発してその後はどっと寝付いている。お蝶は別に変ったこともなく、母と一緒に病人の介抱をしているという。角蔵の来ない子細はそれで判ったが、お蝶に変ったことのないというのが、少しく又次郎の腑に落ちなかった。
それから又三日を過ぎて、きょうは十月十一日である。二日以来、鷲はおろか、雁の影さえも碌々に見えないので、人々の緊張した気分もだんだんにゆるんできた。弥太郎の予言はいよいよ当てにならなくなって、蔭では何かの悪口をいう者さえ現われた。
「畜生。今にみろ。」と、主おもいの久助はひそかに憤慨していた。
このあいだから毎日吹きつづけた木枯しも、きのうの夕方から忘れたようにやんで、きょうは朝からうららかな小春日和になった。そめ日の夕方には、宿の主人から酒肴の饗応があった。
「どなた様も日々のお勤め御苦労に存じます。お骨休めに一杯召上がって下さいまし。」
一定の食膳以外に、酒肴の饗応にあずかっては相成らぬという掟にはなっているが、詰所にあてられている宿許から折りおりの饗応を受けるのは、ほとんど年々の例になっているので、誰も怪しむ者もなかった。かような心配にあずかっては却って迷惑であるという一応の挨拶をした上で、めいめいに膳にむかった。もちろん、出役の武士ばかりではない。その家来も見習いの子弟もみな同様の饗応を受けるのであるから、中間どものなかには最初からそれを書き入れにしているのもあった。
又次郎も父とともに広い座敷へ出て、一同とならんで席についた。元来はあまり飲めぬ口であるが、今夜はめずらしく盃をかさねたので、次第に酔いが発してきた。彼は中途から座をはずして、人に覚られないように庭先へ出ると、十一日の月は物凄いほどに冴えていた。風がないせいか、今夜はさのみに寒くなかった。
御馳走酒に酔ったせいでもあるまいが、又次郎は近ごろに覚えないほどのいい心持になった。彼は暖かいような、薄ら眠いような、なんともいえない心持で、庭の冬木立ちのあいだをくぐりぬけて、ふらふらと表門の外へ出ると、月はいよいよ明るかった。まだ五つ(午後八時)を過ぎたくらいであろうと思われるのに、ここらは深夜のようにしずまって、田畑のあいだに遠く点在する人家の灯もみな消えている。
又次郎はどこをあてともなしに、明るい往来をさまよい歩いていたが、ふと気がつくと、自分のうしろから忍び足につけてくるような足音がきこえた。振り返ってみると、それは若い女であった。月が冴え渡っているので、女の顔はよくわかった。それはお蝶の姉のお島であった。
江戸の屋敷にいるはずのお島がどうしてここらを歩いているのか。それを考える隙もなしに又次郎は引っ返して女のそばへ寄った。
「お島……。どうして来た。」
彼はなつかしそうに声をかけたが、お島はだまっていた。しかもその白い顔は正面から月のひかりを受けているので眉目明瞭、うたがいもない江戸屋敷のお島であった。
「むむ、わかった。」と、又次郎はうなずいた。「おやじの病気見舞にきたのか。」
お島はうなずいた。
「そうか。親孝行だな。江戸を出てから、まだ十日ばかりだが、このごろはおまえが恋しくなって、ゆうべもお前の夢をみた。いや、嘘じゃあない。今夜も酒に酔って、いい心持になってここらをぶらついていると、急に江戸が恋しくなって……。お前が恋しくなって……。そこへ丁度にお前が来て……。いや、いや、こりゃあ油断ができない。こいつ、狐じゃあないか。おれが酔っていると思って馬鹿にするな。」
彼はよろけながら腰の脇指に手をかけたが、さすがに思い切って抜こうともしなかった。
「おい、焦らさないで正直に言ってくれ。おまえは狐で、おれを化かすのか。それとも本当のお島か。」
「島でございます。」
「お島か。」
「はい。」
「それで安心した。宿へ帰っては親父が面倒だ。おまえの家には病人がある。お前は土地の生れだから、いいところを知っているだろう。どこへでも連れて行ってくれ。」
若い男と女とは肩をならべて、冬の月の下をあるき出した。
「あ。」
和田弥太郎は持っている箸をおいて、天井をにらむように見上げた。
詰所の饗応の酒宴ももう終って、酒の盃を飯の茶碗にかえた時である。弥太郎が不意に声を出したので、一座の人々も同時に箸をおいた。
「あ、あれ。」と、弥太郎は熱心に耳をかたむけた。「あれは……。風の音でない。大きい鳥の羽摶きの音だ。」
とは言ったが、どの人の耳にも鳥の羽音らしいものは聞えなかった。
「ほんとうに聞えますか。」と、ひとりが訊いた。
「むむ、きこえる。たしかに鳥の羽音だ。よほど大きい。」
彼は衝と起って、母屋から自分の離れ座敷へもどった。そうして、大きい声で久助を呼んだ。呼ばれて久助は駈けてきたが、彼はもう酔っていた。
「な、なんでございます。」
「鷲の羽音がきこえる。支度をしろ。」
主従二人は直ぐに身支度をして表へ駈けだした。こうなると、他の人々も落着いてはいられなくなった。いずれも半信半疑ながら、思い思いに身支度をした。中には多寡をくくって、着のみ着のままでひやかし半分に駈けだすのもあった。
出て見ると、それは弥太郎の空耳ではなかった。昼のように明るい冬の月が晃々と高くかかって、碧落千里の果てまでも見渡されるかと思われる大空の西の方から、一つの黒い影がだんだんに近づいてきた。それは鳥である。鷲である。あの高い空の上を翔りながら、あれほどの大きさに見えるからは、よほどの大鳥でなければならない。
「旦那さま。尾白でしょうか。」と、久助は勇んだ。
「まだ判らない。騒ぐな。静かにしろ。」
弥太郎は鉄砲を取直した。久助は固唾をのんだ。鳥は次第に舞い下がってきて、静かな夜の空に一種の魔風を起すような大きい羽音は、だれの耳にも、もうはっきりと聞えるようになった。いかに明るいといっても、月のひかりだけでは果たして尾白であるかどうかは判らなかったが、それが稀有の大鳥であることは疑いもなかった。
「旦那さま……。」と、久助は待ちかねるように小声で呼んだ。
「また騒ぐ。待て、待て。」
物に慣れている弥太郎は、鳥の影がもう着弾距離に入ったと見ても、まだ容易に火蓋を切らなかった。鳥は我れをうかがう二つの人影が地上に映っているのを知るや知らずや、大きい翼に颯という音を立てて、弥太郎らのあたまの上を斜めに飛んでゆくのを、二人もつづいて追って行った。弥太郎がまだ火蓋を切らないのは、鳥がどこへか降り立つと見ているからであった。
果たして鳥の影はいよいよ低く大きくなって、欅の大樹へ舞いさがろうとした。そのとたんに弥太郎の火蓋は切られた。鳥は一旦撃ち落されたように地に倒れたが、翼を激しく働かせて再び飛び立とうとするので、弥太郎はつづけて又撃った。それにもかかわらず、鳥は舞いあがった。そうして、風のような早さで大空高く飛び去った。
「ああ。」と、久助は思わず失望の声を洩らした。
鳥の影はまだ見えていながら、もう着弾距離の外にあることを知っている弥太郎は、いたずらに空を睨んでいるばかりであった。
この時、あなたの欅の大樹──あたかもかの大鷲の落ちた木かげで、奇怪な女の笑い声がきこえた。
「はは、かたきは殺された。ははははは。」
「なに、かたきが殺された……。久助、見て来い。」
久助は駈けて行ったが、やがて顔色をかえて戻って来た。彼は吃って、満足に口がきけなかった。
「旦那さま……。若旦那が……。」
「又次郎がどうした。」
「は、はやくお出でください。」
欅の大樹の前には石地蔵が倒れていた。大樹のかげには又次郎が倒れていた。そのそばに笑って立っているのは、お島の妹のお蝶であった。
第一発の弾で鷲の落ちたのは、弥太郎も久助も確かに認めた。第二発のゆくえは……。その問いに答えるべく、又次郎の死骸がそこに横たわっているのであった。弥太郎は無言でその死骸をながめていた。久助は泣き出した。お蝶はまた笑った。その笑い声の消えると共に、彼女はばたりと地に倒れた。
おくれ馳せにかけつけた人々は、この意外の光景におどろかされた。どの人も酔いがさめてしまった。
又次郎は急病ということにして、その死骸を駕籠に乗せて、あくる朝のまだ明けきらないうちに江戸へ送った。駕籠の脇には久助が力なげに附添って行った。彼が大師の茶屋で広言を吐いた頼政の鵺退治も、こんな悲しい結果に終ったのである。お蝶の死骸はもちろんその両親のもとへ送られたが、身うちには何の疵の跡もないので、どうして死んだのか判らなかった。
そのなかでも特に不審を懐いているのは、かの久助であった。又次郎がどうして欅のかげに忍んでいたのか、又そのそばにお蝶がどうして笑っていたのか。二人のあいだにどういう関係があるのか。彼は江戸から引っ返して来て、その詮議のために角蔵の家をたずねると、彼はおいおいに快方にむかって、床の上でもう起き直っていた。かれら夫婦は自分の娘の死を悲しむよりも、若旦那の死を深く悼んでいた。
久助の詮議に対して、角蔵はこんな秘密をあかした。今から十六年前の秋、彼は甲州の親類をたずねて帰る途中、笹子峠の麓の小さい宿屋に泊ると、となりの部屋に三十前後の上品な尼僧がおなじく泊り合せていた。尼僧は旅すがたで、当歳かと思われる赤児を抱いていた。その話によると、かれが信州と甲州の境の山中を通りかかると、どこかで赤児の泣く声がきこえる。不思議に思って見まわすと、年古る樟の大樹に鷲の巣があって、その巣のなかに赤児が泣いているのであった。あたかもそこへ来かかった木樵にたのんで、赤児を木の上から取りおろしてもらって、ともかくもここまで抱いてきたが、長い旅をする尼僧の身で、乳飲み子をたずさえていては甚だ難儀である。なんとかしてお前の手で養育してくれまいかと、かれは角蔵に頼んだ。
その赤児は尼僧の私生児であろうと、角蔵は推量した。鷲の巣から救い出して来たなどというのは拵えごとで、尼僧が自分の私生児の処分に困って、その貰い手を探しているのであろうと推量したので、彼は気の毒にも思い、また一方には慾心を起して、もし相当の養育料をくれるならば引取ってもいいと答えると、尼僧は小判一両を出して渡した。角蔵はその金と赤児とを受取って別れた。その尼僧は何者であるか、それから何処へ行ったか、その消息はいっさい不明であった。
角蔵夫婦にはお島という娘がある。赤児も女であるので、その妹として養育した。甲州の親類からよんどころなく引取ってきたと世間には披露して、その名をお蝶と呼ばせていた。同情が半分、慾心が半分で貰ってきた子ではあるが、元来が正直者の角蔵は、わが子とおなじようにお蝶を可愛がって育てた。お蝶はもちろんその秘密を知らないので、夫婦を真実の親として慕っていた。
「今までは尼さんの作り話だと一途に思いつめていましたが、こうなるとお蝶が鷲の巣にいたというのも本当で、お蝶と鷲とのあいだに何かの因縁があるのかも知れません。」と、角蔵は不思議そうに言った。
「お蝶は乱心しているらしいと、若旦那さまは言っていたが……。そんな因縁付きの娘だということは、誰も知らなかった。」と、久助は言った。「なにしろ若旦那がこんなことになったので、お島さんも気ちがいのようになって泣いていたよ。」
若旦那とお島との秘密、それは角蔵夫婦も知らないのであった。
又次郎の変死は宿の者どもにも堅く口留めをして置いたのであったが、いつか世間に洩れきこえて狭い村じゅうの噂にのぼったので、父の弥太郎もおなじく病気と披露して江戸へ帰ることになった。
江戸へ帰って五日目に、弥太郎もまた急病死去という届け出でがあった。相続人の又次郎は父よりも先に死んでいるのみならず、別に急養子を迎えにくい事情もあるので、和田の家は断絶した。
弥太郎が撃ち洩らした鳥は、果たして尾白であったかどうだか判らなかったが、ともかくもその一季ちゅうに尾白の姿を認めた者はなかった。記録によると、その翌年、すなわち文政十二年の冬に、尾白の大鷲は鉄砲方の与力池田貞五郎に撃ち留められたとある。
底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「異妖新篇─綺堂読物集第六巻」春陽堂
1933(昭和8)年2月
初出:「婦人公論」
1932(昭和7)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「鷲」となっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2020年1月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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