赤痢
石川啄木
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凸凹の石高路、その往還を右左から挾んだ低い茅葺屋根が、凡そ六七十もあらう、何の家も、何の家も、古びて、穢くて、壁が落ちて、柱が歪んで、隣々に倒り合つて辛々支へてる様に見える。家の中には、生木の薪を焚く煙が、物の置所も分明ならぬ程に燻つて、それが、日一日、破風から破風と誘ひ合つては、腐れた屋根に這つてゐる。両側の狭い浅い溝には、襤縷片や葫蘿蔔の切端などがユラユラした𣵀泥に沈んで、黝黒い水に毒茸の様な濁つた泡が、プクプク浮んで流れた。
駐在所の髯面の巡査、隣村から応援に来た最一人の背のヒヨロ高い巡査、三里許りの停車場所在地に開業してゐる古洋服の医師、赤焦けた黒繻子の袋袴を穿いた役場の助役、消毒器具を携へた二人の使丁、この人数は、今日も亦家毎に強行診断を行つて歩いた。空は、仰げば目も眩む程無際限に澄み切つて、塵一片飛ばぬ日和であるが、稀に室外を歩いてるものは、何れも何れも申合せた様に、心配気な、浮ばない顔色をして、跫音を偸んでる様だ。其家にも、此家にも、怖し気な面構をした農夫や、アイヌ系統によくある、鼻の低い、眼の濁つた、青脹れた女などが門口に出て、落着の無い不格好な腰付をして、往還の上下を眺めてゐるが、一人として長く立つてるものは無い。小供等さへ高い声も立てない。時偶、胸に錐でも刺された様な赤児の悲鳴でも聞えると、隣近所では妙に顔を顰める。素知らぬ態をしてるのは、干からびた塩鱒の頭を引擦つて行く地種の痩犬、百年も千年も眠つてゐた様な張合のない顔をして、日向で呟呻をしてゐる真黒な猫、往還の中央で媾んでゐる鶏くらゐなもの。村中湿りかへつて、巡査の沓音と佩剣の響が、日一日、人々の心に言ひ難き不安を伝へた。
鼻を刺す石炭酸の臭気が、何処となく底冷のする空気に混じて、家々の軒下には夥しく石灰が撒きかけてある。──赤痢病の襲来を蒙つた山間の荒村の、重い恐怖と心痛に充ち満ちた、目もあてられぬ、そして、不愉快な状態は、一度その境を実見したんで無ければ、迚も想像も及ぶまい。平常から、住民の衣、食、住──その生活全体を根本から改めさせるか、でなくば、初発患者の出た時、時を移さず全村を焼いて了ふかするで無ければ、如何に力を尽したとて予防も糞も有つたものでない。三四年前、この村から十里許り隔つた或村に同じ疫が猖獗を極めた時、所轄警察署の当時の署長が、大英断を以て全村の交通遮断を行つた事がある。お蔭で他村には伝播しなかつたが、住民の約四分の一が一秋の中に死んだ。尤も、年々何の村でも一人や二人、五人六人の患者の無い年はないが、巧に隠蔽して置いて牻牛児の煎薬でも服ませると、何時しか癒つて、格別伝染もしない。それが、万一医師にかゝつて隔離病舎に収容され、巡査が家毎に怒鳴つて歩くとなると、噂の拡ると共に疫が忽ち村中に流行して来る──と、実際村の人は思つてるので、疫其者よりも巡査の方が忌はれる。初発患者が発見つてから、二月足らずの間に、隔離病舎は狭隘を告げて、更に一軒山蔭の孤家を借り上げ、それも満員といふ形勢で、総人口四百内外の中、初発以来の患者百二名、死亡者二十五名、全癒者四十一名、現患者三十六名、それに今日の診断の結果で復二名増えた。戸数の七割五分は何の家も患者を出し、或家では一家を挙げて隔離病舎に入つた。
秋も既う末──十月下旬の短い日が、何時しかトツプリと暮れて了つて、霜も降るべく鋼鉄色に冴えた空には白々と天の河が横はつた。さらでだに虫の音も絶え果てた冬近い夜の寥しさに、まだ宵ながら家々の戸がピタリと閉つて、通行る人もなく、話声さへ洩れぬ。重い重い不安と心痛が、火光を蔽ひ、門を鎖し、人の喉を締めて、村は宛然幾十年前に人間の住み棄てた、廃郷かの様に𨶑乎としてゐる。今日は誰々が顔色が悪かつたと、何れ其麽事のみが住民の心に徂徠してるのであらう。
其重苦しい沈黙の中に、何か怖しい思慮が不意に閃く様に、北のトツ端の倒りかかつた家から、時々パツと火花が往還に散る。それは鍛冶屋で、トンカン、トンカンと鉄砧を撃つ鏗い響が、地の底まで徹る様に、村の中程まで聞えた。
其隣がお由と呼ばれた寡婦の家、入口の戸は鎖されたが、店の煤び果てた二枚の障子──その処々に、朱筆で直した痕の見える平仮名の清書が横に逆様に貼られた──に、火光が映つてゐる。凡そ、村で人気のあるらしく見えるのは、此家と鍛冶屋と、南端近い役場と、雑貨やら酒石油などを商ふ村長の家の四軒に過ぎない。
ガタリ、ガタリと重い輛の音が石高路に鳴つて、今しも停車場通ひの空荷馬車が一台、北の方から此村に入つた。荷馬車の上には、スツポリと赤毛布を被つた馬子が胡坐をかいてゐる。と、お由の家の障子に影法師が映つて、張のない声に高く低く節付けた歌が聞える。
『あしきをはらうて、救けたまへ、天理王のみこと。……この世の地と、天とをかたどりて、夫婦をこしらへきたるでな。これはこの世のはじめだし。……一列すまして甘露台。』
歌に伴れて障子の影法師が踊る。妙な手付をして、腰を振り、足を動かす。或は大きく朦乎と映り、或は小く分明と映る。
『チヨツ。』と馬子は舌鼓した。『フム、また狐の真似演てらア!』
『オイ、お申婆でねえか?』と、直ぐ再大きい声を出した。恰度その時、一人の人影が草履の音を忍ばせて、此家に入らうとしたので。『アイサ。』と、人影は暗い軒下に立留つて、四辺を憚る様に答へた。『隣の兄哥か? 早かつたなす。』
『早く帰つて寝る事た。恁麽時何処ウ徘徊くだべえ。天理様拝んで赤痢神が取付かねえだら、ハア、何で医者薬が要るものかよ。』
『何さ、ただ、お由嬶に一寸用があるだで。』と、声を低めて対手を宥める様に言ふ。
『フム。』と言つた限で荷馬車は行過ぎた。
お申婆は、軈て物静かに戸を開けて、お由の家に姿を隠して了つた。障子の影法師はまだ踊つてゐる。歌もまだ聞えてゐる。
『よろづよの、せかい一れつみはらせど、むねのはかりたものはない。
『そのはずや、といてきかしたものはない。しらぬが無理ではないわいな。
『このたびは、神がおもてへあらはれて、なにか委細をとききかす。』
横川松太郎は、同じ県下でも遙と南の方の、田の多い、養蚕の盛んな、或村に生れた。生家はその村でも五本の指に数へられる田地持で、父作松と母お安の間の一粒種、甘やかされて育つた故か、体も孱弱く、気も因循で、学校に入つても、励むでもなく、怠るでもなく、十五の春になつて高等科を卒へたが、別段自ら進んで上の学校に行かうともしなかつた。それなりに十八の歳になつて、村の役場に見習の格で雇書記に入つたが、恰度その頃、暴風の様な勢で以て、天理教が付近一帯の村々に入込んで来た。
或晩、気弱者のお安が平生になく真剣になつて、天理教の有難い事を父作松に説いたことを、松太郎は今でも記憶してゐる。新しいと名の付くものは何でも嫌ひな旧弊家の、剰に名高い吝嗇家だつた作松は、仲々それに応じなかつたが、一月許り経つと、打つて変つた熱心な信者になつて、朝夕仏壇の前で誦げた修証義が、「あしきを攘うて救けたまへ。」の御神楽歌と代り、大和の国の総本部に参詣して来てからは、自ら思立つてか、唆かされてか、家屋敷所有地全体売払つて、工事費総額二千九百何十円といふ、巍然たる大会堂を、村の中央の小高い丘陵の上に建てた。神道天理教会○○支部といふのがそれで。
その為に、松太郎は両親と共に着のみ着の儘になつて、其会堂の中に布教師と共に住む事になつた。(役場の方は四ヶ月許りで罷めて了つた。)最初、朝晩の礼拝に皆と一緒になつて御神楽を踊らねばならなかつたのには、少からず弱つたもので、気羞しくて厭だと言つては甚麽に作松に叱られたか知れない。その父は、半歳程経つて、近所に火事のあつた時、人先に水桶を携つて会堂の屋根に上つて、足を辷らして落ちて死んだ。天晴な殉教者だと口を極めて布教師は作松の徳を讃へた。母のお安もそれから又半歳程経つて、脳貧血を起して死んだ。
両親の死んだ時、松太郎は無論涙を流したが、それは然し、悲しいよりも驚いたから泣いたのだ。他から鄭重に悼辞を言はれると、奈何して俺は左程悲しくないだらうと、それが却つて悲しかつた事もある。其後も矢張その会堂に起臥して、天理教の教理、祭式作法、伝道の心得などを学んだが、根が臆病者で、これといふ役にも立たない代り、悪い事はカラ能ない性なのだから、家を潰させ、父を殺し、母を死なしめた、その支部長が、平常可愛がつて使つたものだ。また渠は、一体甚麽人を見ても羨むといふことのない。──羨むには羨んでも、自分も然う成らうといふ奮発心の出ない性で、従つて、食ふに困るではなし、自分が無財産だといふことも左程苦に病まなかつた。時偶、雑誌の口絵で縹緻の好い芸妓の写真を見たり、地方新聞で富家の若旦那の艶聞などを読んだりした時だけは、妙に恁う危険な──実際危険な、例へば、密々とこの会堂や地面を自分の名儀に書変へて、裁判になつても敗けぬ様にして置いて、突然売飛ばして了はうとか、平常心から敬つてゐる支部長を殺さうとかいふ、全然理由の無い反抗心を抱いたものだが、それも独寝の床に人間並の出来心を起した時だけの話、夜が明けると何時しか忘れた。
兎角する間に今年の春になると、支部長は、同じ会堂で育て上げた、松太郎初め六人の青年を大和の本部に送つた。其処で三ヶ月修行して、「教師」の資格を得て帰ると、今度は、県下に各々区域を定めて、それぞれ布教に派遣されたのだ。
さらでだに元気の無い、色沢の悪い顔を、土埃と汗に汚なくして、小い竹行李二箇を前後に肩に掛け、紺絣の単衣の裾を高々と端折り、重い物でも曳擦る様な足調で、松太郎が初めて南の方からこの村に入つたのは、雲一つ無い暑熱盛りの、恰度八月の十日、赤い赤い日が徐々西の山に辷りかけた頃であつた。松太郎は、二十四といふ齢こそ人並に喰つてはゐるが、生来の気弱者、経験のない一人旅に今朝から七里余の知らない路を辿つたので、心の膸までも疲れ切つてゐた。三日、四日と少しは慣れたものの、腹に一物も無くなつては、「考へて見れば目的の無い旅だ!」と言つた様な、朦乎した悲哀が、粘々した唾と共に湧いた。それで、村の入口に入るや否や、吠えかかる痩犬を半分無意識に怕い顔をして睨み乍ら、脹けた様な頭脳を搾り、有らん限りの智慧と勇気を集中めて、「兎も角も、宿を見付ける事た。」と決心した。そして、口が自からポカンと開いたも心付かず、臆病らしい眼を怯々然と両側の家に配つて、到頭、村も端近くなつた辺で、三国屋といふ木賃宿の招牌を見付けた時は、渠には既う、現世に何の希望も無かつた。
翌朝目を覚ました時は、合宿を頼まれた二人──六十位の、頭の禿げた、鼻の赤い、不安な眼付をした老爺と其娘だといふ二十四五の、旅疲労の故か張合のない淋しい顔の、其癖何処か小意気に見える女。(何処から来て何処へ行くのか知らないが、路銀の補助に売つて歩くといふ安筆を、松太郎も勧められて一本買つた。)──その二人は既う発つて了つて、穢い室の、補布だらけな五六の蚊帳の隅こに、脚を一本蚊帳の外に投出して、仰けに臥てゐた。と、渠は、前夜同じ蚊帳に寝た女の寝息や寝返りの気勢に酷く弱い頭脳を悩まされて、夜更まで寝付かれなかつた事も忘れて、慌てて枕の下の財布を取出して見た。変りが無い。すると又、突然褌一点で蚊帳の外に跳出したが、自分の荷物は寝る時の儘で壁側にある。ホツと安心したが、猶念の為に内部を調べて見ると、矢張変りが無い。「フフヽヽ」と笑つて見た。
「さて、奈何為ようかな?」恁う渠は、額に八の字を寄せ、夥しく蚊に喰はれた脚や、蚤に攻められて一面に紅らんだ横腹を自棄に掻き乍ら、考へ出した。昨日着いた時から、火傷か何かで左手の指が皆内側に屈つた宿の嬶の待遇振が、案外親切だつたもんだから、松太郎は理由もなく此村が気に入つて、一つ此地で伝道して見ようかと思つてゐたのだ。「さて、奈何為ようかな。」恁う何回も何回も自分に問うて見て、仲々決心が付かない。「奈何為よう。奈何為よう。」と、終ひには少し懊つたくなつて来て、愈々以て決心が付かなくなつた。と言つて、発たうといふ気は微塵もないのだ。「兎も角も。」この男の考へ事は何時でも此処に落つる。「兎も角も、村の状態を見て来る事に為よう。」と決めて、朝飯が済むと、宿の下駄を借りて戸外に出た。
前日通行つた時は百二三十戸も有らうと思つたのが数へて見ると六十九戸しか無かつた。それが又穢い家許りだ。松太郎は心に喜んだ、何がなしに気強くなつて来た。渠には自信といふものが無い。自信は無くとも伝道は為なければならぬ。それには、可成狭い土地で、そして可成教育のある人の居ない方が可いのだ。宿に帰つて、早速亭主を呼んで訊いて見ると、案の如く天理教はまだ入込んでゐないと言ふ。そこで松太郎は、出来るだけ勿体を付けて自分の計画を打ち明けて見た。
三国屋の亭主といふのは、長らく役場の使丁をした男で、身長が五尺に一寸も足らぬ不具者、齢は四十を越してゐるが、髯一本あるでなし、額の小皺を見なければ、まだホンの小若者としか見えない。小鼻が両方から吸込まれて、物云ふ声が際立つて鼻にかかる。それが、『然うだなツす……』と、小苦面に首を傾げて聞いてゐたが、松太郎の話が終ると、『何しろハア。今年ア作が良くねえだハンテな。奈何だべなア! 神様さア喜捨る銭金が有つたら石油でも買ふべえドラ。』
『それがな。』と、松太郎は臆病な眼付をして、
『何もその銭金の費る事で無えのだ。私は其麽者で無え。自分で宿料を払つてゐて、一週間なり十日なり、無料で近所の人達に聞かして上げるのだツさ、今のその、有難いお話な。』
気乗りのしなかつた亭主も、一週間分の前金を出されて初めて納得して、それからは多少言葉使ひも改めた。兎も角も今夜から近所の人を集めて呉れるといふ事に相談が纏つた。日の暮れるのが待遠でもあり、心配でもあつた。集つたのは女小供が合せて十二三人、それに大工の弟子の三太といふ若者、鍛冶屋の重兵衛。松太郎は暑いに拘らず木綿の紋付羽織を着て、杉の葉の蚊遣の煙を渋団扇で追ひ乍ら、教祖島村美支子の一代記から、一通の教理まで、重々しい力の無い声に出来るだけ抑揚をつけて諄々と説いたものだ。
『ハハア、そのお人も矢張りお嫁様に行つたのだなツす?』と、乳児を抱いて来た嬶が訊いた。
『左様さ。』と松太郎は額の汗を手拭で拭いて、『お美支様が恰度十四歳に成られた時にな、庄屋敷村のお生家から三昧田村の中山家へ御入輿に成つた。有難いお話でな。その時お持になつた色々の調度、箪笥、長持、総てで以て十四荷──一荷は一担ぎで、畢竟平たく言へば十四担ぎ有つたと申す事ぢや。』『ハハア、有難い事だなツす。』と、意外ところに感心して、『ナントお前様、此地方ではハア、今の村長様の嬶様でせえ、箪笥が唯三竿──、否全体で三竿でその中の一竿はハア、古い長持だつけがなツす。』
二日目の晩は嬶共は一人も見えず、前夜話半ばに居眠をして行つた小供連と、鍛冶屋の重兵衛、三太が二三人朋輩を伴れて来た。その若者が何彼と冷評しかけるのを、眇目の重兵衛が大きい眼玉を剥いて叱り付けた。そして、自分一人夜更まで残つた。
三日目は、午頃来の雨、蚊が皆家の中に籠つた点燈頃に、重兵衛一人、麦煎餅を五銭代許り買つて遣つて来た。大体の話は為て了つたので、此夜は主に重兵衛の方から、種々の問を発した。それが、人間は死ねば奈何なるとか、天理教を信ずるとお寺詣りが出来ないとか、天理王の命も魚籃観音の様に、仮に人間の形に現れて蒼生を済度する事があるかとか、概して教理に関する問題を、鹿爪らしい顔をして訊くのであつたが、松太郎の煮切らぬ答弁にも多少得る所があつたかして、
『然うするとな、先生、(と、此時から松太郎を恁う呼ぶ事にした、)俺にも余程天理教の有難え事が解つて来た様だな。耶蘇は西洋、仏様は天竺、皆渡来物だが、天理様は日本で出来た神様だなツす?』
『左様さ。兎角自国のもんでないと悪いでな。加之何なのぢや、それ、国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、大苫辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊、それから大日霊尊、月夜見尊、この十柱の神様はな、何れも皆立派な美徳を具へた神様達ぢやが、わが天理王の命と申すは、何と有難い事でな、この十柱の神様の美徳を悉皆具へて御座る。』
『成程。それで何かな、先生、お前様は一人でも此村に信者が出来ると、何処へも行かねえて言つたけが、真箇かな? それ聞かねえと意外ブマ見るだ。』
『真箇ともさ。』
『真箇かな?』
『真箇ともさ。』
『愈々真箇かな?』
『ハテ、奈何して嘘なもんかなア。』と言ひは言つたが、松太郎、余り諄く訊かれるので何がなしに二の足を踏みたくなつた。
『先生、そンだらハア、』と、重兵衛は突然膝を乗出した。『俺が成つてやるだ。今夜から。』
『信者にか?』と、鈍い眼が俄かに輝く。
『然うせえ。外に何になるだア!』
『重兵衛さん、そら真箇かな?』と、松太郎は筒抜けた様な驚喜の声を放つた。三日目に信者が出来る、それは渠の全く予想しなかつた所、否、渠は何時、自分の伝道によつて信者が出来るといふ確信を持つた事があるか?
この鍛冶屋の重兵衛といふのは、針の様な髯を顔一面にモヂヤモヂヤさした、それはそれは逞しい六尺近の大男で、左の眼が潰れた、『眇目鍛冶』と小供等が呼ぶ。齢は今年五十二とやら、以前十里許り離れた某町に住つてゐたが、鉈、鎌、鉞などの荒道具が得意な代り、此人の鍛つた包丁は刃が脆いといふ評判、結局は其土地を喰詰めて、五年前にこの村に移つた。他所者といふが第一、加之、頑固で、片意地で、お世辞一つ言はぬ性なもんだから、兎角村人に親みが薄い。重兵衛それが平生の遺恨で、些とした手紙位は手づから書けるを自慢に、益々頭が高くなつた。規定以外の村の費目の割当などに、最先に苦情を言出すのは此人に限る。其処へ以て松太郎が来た。聴いて見ると間違つた理屈でもなし、村寺の酒飲和尚よりは神々の名も沢山に知つてゐる。天理様の有難味も了解んで了解めぬことが無ささうだ。好矣、俺が一番先に信者になつて、村の衆の鼻毛を抜いてやらうと、初めて松太郎の話を聴いた晩に寝床の中で度胸を決めて了つたのだ。尤も、重兵衛の遠縁の親戚が二軒、遙と隔つた処にゐて、既から天理教に帰依してるといふ事は、予て手紙で知つてもゐ、一昨年の暮弟の家に不幸のあつた時、その親戚からも人が来て重兵衛も改宗を勧められた事があつた。但し此事は松太郎に対して噎にも出さなかつた。
翌朝、松太郎は早速○○支部に宛てて手紙を出した。四五日経つて返書が来た。その返書は、松太郎が逸早く信者を得た事を祝して其伝道の前途を励まし、この村に寄留したいといふ希望を聴許した上に、今後伝道費として毎月金五円宛送る旨を書き添へてあつた。松太郎はそれを重兵衛に示して喜ばした上で、恁ういふ相談を持掛けた。
『奈何だらうな、重兵衛さん。三国屋に居ると何の彼ので日に十五銭宛貪られるがな。そすると月に積つて四円五十銭で、私は五十銭しか小遣が残らなくなるでな。些し困るのぢや。私は神様に使はれる身分で、何も食物の事など構はんのぢやが、稗飯でも構はんによつて、モツト安く泊める家があるまいかな。奈何だらうな、重兵衛さん、私は貴方一人が手頼ぢやが……』
『然うだなア!』と、重兵衛は重々しく首を傾げて、薪雑棒の様な両腕を拱いだ。月四円五十銭は成程この村にしては高い。それより安くても泊めて呉れさうな家が、那家、那家と二三軒心に無いではない。が、重兵衛は何事にまれ此方から頭を下げて他人に頼む事は嫌ひなのだ。
翌朝、家が見付かつたと言つて重兵衛が遣つて来た。それは鍛冶屋の隣りのお由寡婦が家、月三円で、その代り粟八分の飯で忍耐しろと言ふ。口に似合はぬ親切な野爺だと、松太郎は心に感謝した。
『で、何かな、そのお由といふ寡婦さんは全くの独身住かな?』
『然うせえ。』
『左様か。それで齢は老つてるだらうな?』
『ワツハハ。心配する事ア無え、先生。齢ア四十一だべえが、村一番の醜婦の巨女だア、加之ハア、酒を飲めば一升も飲むし、甚麽男も手余にする位の悪酔語堀だで。』と、嚇かす様に言つたが、重兵衛は、眼を円くして驚く松太郎の顔を見ると俄かに気を変へて、
『そだどもな、根が正直者だおの、結句気楽な女せえ喃。』
善は急げと、其日すぐお由の家に移転つた。重兵衛の後に跟いて怖々入つて来る松太郎を見ると、生柴を大炉に折燻べてフウフウ吹いてゐたお由は、突然、
『お前が、俺許さ泊めて呉ろづな?』と、無遠慮に叱る様に言ふ。
『左様さ。私はな……』と、松太郎は少許狼狽へて、諄々初対面の挨拶をすると、
『何有ハア、月々三両せえ出せば、死るまででも置いて遣べえどら。』
移転祝の積りで、重兵衛が酒を五合買つて来た。二人はお由にも天理教に入ることを勧めた。
『何有ハア、俺みたいな悪党女にや神様も仏様も死る時で無えば用ア無えどもな。何だべえせえ、自分の居ツ家が然でなかつたら具合が悪かんべえが? 然だらハア、俺ア酒え飲むのさ邪魔さねえば、何方でも可いどら。』
と、お由は、黒漿の剥げた穢い歯を露出にして、ワツハヽヽと男の様に笑つたものだ。鍛冶屋の門と此の家の門に、『神道天理教会』と書いた、丈五寸許りの、硝子を嵌めた表札が掲げられた。
二三日経つてからの事、為様事なしの松太郎はブラリと宿を出て、其処此処に赤い百合の花の咲いた畑径を、唯一人東山へ登つて見た。何の風情もない、饅頭笠を伏せた様な芝山で、逶迤した径が嶺に尽きると、太い杉の樹が矗々と、八九本立つてゐて、二間四方の荒れ果てた愛宕神社の祠。
その祠の階段に腰を掛けると、此処よりは少許低目の、同じ形の西山に真面に対合つた。間が浅い凹地になつて、浮世の廃道と謂つた様な、塵白く、石多い、通行少い往還が、其底を一直線に貫いてゐる。両の丘陵は中腹から耕されて、夷かな勾配を作つた畑が家々の裏口まで迫つた。村が一目に瞰下される。
その往還にも、昔は、電信柱が行儀よく列んで、毎日午近くなると、調子面白い喇叭の音を澄んだ山国の空気に響かせて、赤く黄く塗つた円太郎馬車が、南から北から、勇しくこの村に躍込んだものだ。その喇叭の音は、二十年来礑と聞こえずなつた。隣村に停車場が出来てから通行が絶えて、電信柱さへ何日しか取除かれたので。
その時代は又、村に相応な旅籠屋も三四軒あり、俥も十輛近くあつた。荷馬車と駄馬は家毎の様に置かれ、畑仕事は女の内職の様に閑却されて、旅人対手の渡世だけに収入も多く人気も立つてゐた。夏になれば氷屋の店も張られた。──それもこれも今は纔かに、老人達の追憶談に残つて、村は年毎に、宛然藁火の消えてゆく様に衰へた。生業は奪はれ、税金は高くなり、諸式は騰り、増えるのは小供許り。唯一輛残つてゐた俥の持主は五年前に死んで曳く人なく、轅の折れた其俥は、遂この頃まで其家の裏井戸の側で見懸けられたものだ。旅籠屋であつた大きい二階建の、その二階の格子が、折れたり歪んだり、昼でも鼠が其処に遊んでゐる。今では三国屋といふ木賃が唯一軒。
松太郎は、其麽事は知らぬ。血の気の薄い、張合の無い、気病の後の様な弛んだ顔に眩い午後の日を受けて、物珍らし相にこの村を瞰下してゐると、不図、生村の父親の建てた会堂の丘から、その村を見渡した時の心地が胸に浮んだ。
取留のない空想が一図に湧いた。愚さの故でもあらう、汗ばんだ、生き甲斐のない顔色が少許色ばんで、鈍い眼も輝いて来た。渠は、自己一人の力でこの村を教化し尽した勝利の暁の今迄遂ぞ夢にだに見なかつた大いなる歓喜を心に描き出した。
「会堂が那処に建つ!」と、屹と西山の嶺に瞳を据ゑる。
「然うだ、那処に建つ!」恁う思つただけで、松太郎の目には、その、純白な、絵に見る城の様な、数知れぬ窓のある、巍然たる大殿堂が鮮かに浮んで来た。その高い、高い天蓋の尖端、それに、朝日が最初の光を投げ、夕日が最後の光を懸ける……。
渠は又、近所の誰彼、見知越の少年共を、自分が生村の会堂で育てられた如く、育てて、教へて……と考へて来て、周囲に人無きを幸ひ、其等に対する時の厳かな態度をして見た。
『抑々天理教といふものはな──』
と、自分の教へられた支部長の声色を使つて、眼前の石塊を睨んだ。
『すべて、私念といふ陋劣い心があればこそ、人間は種々の悪き企画を起すものぢや。罪悪の源は私念、私念あつての此世の乱れぢや。可いかな? その陋劣い心を人間の胸から攘ひ浄めて、富めるも賤きも、真に四民平等の楽天地を作る。それが此教の第一の目的ぢや。解つたぞな?』
恁う言ひ乍ら、渠はその目を移して西山の巓を見、また、凹地の底の村を瞰下した。古昔の尊き使徒が異教人の国を望んだ時の心地だ。圧潰した様に二列に列んだ茅葺の屋根、其処からは鶏の声が間を置いて聞えて来る。
習との風も無い。最中過の八月の日光が躍るが如く溢れ渡つた。気が付くと、畑々には人影が見えぬ。恰度、盆の十四日であつた。
松太郎は、何がなしに生甲斐がある様な気がして、深く深く、杉の樹脂の香る空気を吸つた。が、霎時経つと眩い光に眼が疲れてか、気が少し、焦立つて来た。
『今に見ろ! 今に見ろ!』
這麽事を出任せに口走つて見て、渠はヒヨクリと立上り、杉の根方を彼方此方、態と興奮した様な足調で歩き出した。と、地面に匐つた太い木根に躓いて、其機会にまだ新しい下駄の鼻緒が、フツリと断れた。チヨツと舌鼓して蹲踞んだが、幻想は迹もなし。渠は腰に下げてゐた手拭を裂いて、長い事掛つて漸々それをすげた。そしてトボトボと山を下つた。
穂の出初めた粟畑がある。ガサ〳〵と葉が鳴つて、
『先生様ア!』
と、若々しい娘の声が、突然、調戯ふ様な調子で耳近く聞えた。松太郎は礑と足を留めて、キヨロキヨロ周囲を見巡した。誰も見えない。粟の穂がフイと飛んで来て、胸に当つた。
『誰だい?』
と、渠は少許気味の悪い様に呼んで見た。カサとの音もせぬ。
『誰だい?』
二度呼んでも返答が無いので、苦笑ひをして歩き出さうとすると、
『ホホヽヽ。』
と澄んだ笑声がして、白手拭を被つた小娘の顔が、二三間隔つた粟の上に現れた。
『何ぞ、お常ツ子かい!』
『ホホヽヽ。』と再笑つて、『先生様ア、お前様狐踊踊るづア、今夜俺と一緒に踊らねえすか? 今夜から盆だず。』
『フフヽヽ。』と松太郎は笑つた。そして急しく周囲を見廻した。
『なツす、先生様ア。』とお常は厭迄曇りのないクリクリした眼で調戯つてゐる。十五六の、色の黒い、晴やかな邪気無い小娘で、近所の駄菓子屋の二番目だ。松太郎の通行る度、店先にゐさへすれば、屹度この眼で調戯ふ。落花生の殻を投げることもある。
渠は不図、別な、全く別な、或る新しい生甲斐のある世界を、お常のクリクリした眼の中に発見した。そして、ツイと自分も粟畑の中に入つた。お常は笑つて立つてゐる。松太郎も、口元に痙攣つた様な笑ひを浮べて胸に動悸をさせ乍ら近づいた。
この事あつて以来、松太郎は妙に気がソワついて来て、暇さへあれば、ブラリと懐手をして畑径を歩く様になつた。わが歩いてる径の彼方から白手拭が見える、と、渠は既うホクホク嬉しくてならぬ。知らんか振りをして行くと、娘共は屹度何か調戯つて行き過ぎる。
『フフヽヽ。』
と恁うマア、自分の威厳を傷けぬ程度で笑つたものだ。そして、家に帰ると例になく食慾が進む。
近所の人々とも親みがついた。渠の仕事は、その人々に手紙の代筆をして呉れる事である。日が暮れると鍛冶屋の店へ遊びに行く。でなければ、お常と約束の場所で逢ふ。お由が何家かへ振舞酒にでも招ばれると、密乎と娘を連れ込む事もある。娘の帰つた後、一人ニヤニヤと可厭な笑方をして、炉端に胡坐をかいてると、屹度、お由がグデングデンに酔払つて、対手なしに悪言を吐き乍ら帰つて来る。
『何だ此畜生奴、汝ア何故此家に居る? ウン此狐奴、何だ? 寝ろ? カラ小癪な! 黙れ、この野郎。黙れ黙れ、黙らねえか? 此畜生奴、乞食、癩病、天理坊主! 早速と出て行け、此畜生奴!』
突然、這麽事を口汚く罵つて、お由はドタリと上框の板敷に倒れる。
『マア、マア。』
と言つた調子で、松太郎は、継母でも遇ふ様に、寝床の中に引擦り込んで、布団をかけてやる。渠は何日しか此女を扱ふ呼吸を知つた。悪口は幾何吐いても、別に抗争ふ事はしないのだ。お由は寝床に入つてからも、五分か十分、勝手放題に怒鳴り散らして、それが息むと、太平な鼾をかく。翌朝になれば平然としたもの。前夜の詫を言ふ事もあれば言はぬ事もある。
此家の門と鍛冶屋の門の外には、『神道天理教会』の表札が掲げられなかつた。松太郎は別段それを苦に病むでもない。時偶近所へ夜話に招ばれる事があれば、役目の説教もする。それが又、奈何でも可いと言つた調子だ。或時、痩馬喰の嬶が、小供が腹を病んでるからと言つて、御供水を貰ひに来た。三四日経つと、麦煎餅を買つて御礼に来た。後で聞けばそれは赤痢だつたといふ。
二百十日が来ると、馬のある家では、泊懸で馬糧の萩を刈りに山へ行く。その若者が一人、山で病付いて来て医師にかかると、赤痢だと言ふので、隔離病舎に収容された。さらでだに、岩手県の山中に数ある痩村の中でも、珍しい程の貧乏村、今年は作が思はしくないと弱つてゐた所へ、この出来事は村中の顔を曇らせた。又一人、又一人、遂に忌はしき疫が全村に蔓延した。恐しい不安は、常でさへ巫女を信じ狐を信ずる住民の迷信を煽り立てた。御供水は酒屋の酒の様に需要が多くなつた。一月余の間に、新しい信者が十一軒も増えた。松太郎は世の中が面白くなつて来た。
が、漸々病勢が猖獗になるに従れて、渠自身も余り丈夫な体ではなし、流石に不安を感ぜぬ訳に行かなくなつた。其時思出したのは、五六年前──或は渠が生村の役場に出てゐた頃かも知れぬ──或新聞で香竄葡萄酒の広告の中に、伝染病予防の効能があると書いてあつたのを読んだ事だ。渠は恁ういふ事を云出した。『天理様は葡萄酒がお好きぢや。お好きな物を上げてお頼みするに病気なんかするものぢやないがな。』
流石に巡査の目を憚つて、日が暮れるのを待つて御供水を貰ひに来る嬶共は、有乎無乎の小袋を引敝いて葡萄酒を買つて来る様になつた。松太郎はそれを犠卓に供へて、祈祷をし、御神楽を踊つて、その幾滴を勿体らしく御供水に割つて、持たして帰す。残つたのは自分が飲むのだ。お由の家の台所の棚には、葡萄酒の空瓶が十八九本も並んだ。
奈何したのか、鍛冶屋の音響も今夜は例になく早く止んだ。高く流るる天の河の下に、村は死骸の様に黙してゐる。今し方、提灯が一つ、フラフラと人魂の様に、役場と覚しき門から迷ひ出て、半町許りで見えなくなつた。
お由の家の大炉には、チロリチロリと焚火が燃えて、居並ぶ種々の顔を赤く黒く隈取つた。近所の嬶共が三四人、中には一番遅れて来たお申婆も居た。
祈祷も御神楽も済んだ。松太郎はトロリと酔つて了つて、だらしなく横座に胡坐をかいてゐる。髪の毛の延びた頭がグラリと前に垂れた。葡萄酒の瓶がその後に倒れ、漬物の皿、破茶碗などが四辺に散乱つてゐる。『其麽に痛えがす? お由殿、寝だら可がべす。』
と、一人の顔のしやくんだ嬶が言つた。
『何有!』
恁う言つて、お由は腰に支つた右手を延べて、燃え去つた炉の柴を燻べる。髪のおどろに乱れかかつた、その赤黒い大きい顔には、痛みを怺へる苦痛が刻まれてゐる。四十一までに持つた四人の夫、それを皆追出して遣つた悪党女ながら、養子の金作が肺病で死んで以来、口は減らないが、何処となく衰へが見える。乱れた髪には白いのさへ幾筋か交つた。
『真箇だぞえ。寝れば癒るだあに。』とお申婆も口を添へる。
『何有!』とお由は又言つた。そして、先刻から三度目の同じ弁疏を、同じ様な詰らな相な口調で付加へた、『晩方に庭の台木さ打倒つて撲つたつけア、腰ア痛くてせえ。』
『少し揉んで遣べえが』とお申。
『何有!』
『ワツハハ。』懶い笑方をして、松太郎は顔を上げた。
『ハツハハ。酔へエばアア寝たくなアるウ、(と唄ひさして、)寝れば、それから何だつけ? 呍、何だつけ? ハツハハ。あしきを攘うて救けたまへだ。ハツハハ。』と、再グラリとする。
『先生様ア酔つたなツす。』と、……皺くちやの一人が隣へ囁いた。
『真箇にせえ。帰るべえが?』と、その又隣りのお申婆へ。
『まだ可がべえどら。』と、お由が呟く様に口を入れた。
『こら、家の嬶、お前は何故、今夜は酒を飲まないのだ。』と松太郎は再顔を上げた。舌もよくは廻らぬ。
『フム。』
『ハツハハ。さ、私が踊ろか。否、酔つた、すつかり酔つた。ハハ。神がこの世へ現はれて、か。ハツハハ。』と、坐つた儘で妙な手付。
ドヤドヤと四五人の跫音が戸外に近いて来る。顔のしやくつたのが逸早く聞耳を立てた。
『また隔離所さ誰か遣られるな。』
『誰だべえ?』
『お常ツ子だべえな。』と、お申婆が声を潜めた。『先刻、俺ア来る時、巡査ア彼家へ行つたけどら。今日検査の時ア裏の小屋さ隠れたつけア、誰か知らせたべえな。昨日から顔色ア悪くてらけもの。』
『そんでヤハアお常ツ子も罹つたアな。』と囁いて、一同は密と松太郎を見た。お由の眼玉はギロリと光つた。
松太郎は、首を垂れて、涎を流して、何か『ウウ』と唸つてゐる。
跫音は遠く消えた。
『帰るべえどら。』と、顔のしやくつたのが先づ立つた。松太郎は、ゴロリ、崩れる如く横になつて了つた。
それから一時間許り経つた。
松太郎はポカリと眼を覚ました。寒い。炉の火が消えかかつてゐる。ブルツと身顫ひして体を半分擡げかけると、目の前にお由の大きな体が横たはつてゐる。眠つたのか、小動ぎもせぬ。右の頬片を板敷にベタリと付けて、其顔を炉に向けた。幽かな火光が怖しくもチラチラとそれを照らした。
別の寒さが松太郎の体中に伝はつた。見よ、お由の顔! 歯を喰絞つて、眼を堅く閉ぢて、ピリピリと眼尻の筋肉が痙攣けてゐる。髪は乱れたまま、衣服も披かつたまま……。
氷の様な恐怖が、松太郎の胸に斧の如く打込んだ。渠は今、生れて初めて、何の虚飾なき人生の醜悪に面相接した。酒に荒んだ、生殖作用を失つた、四十女の浅猿しさ!
松太郎はお由の病苦を知らぬ。
『ウ、ウ、ウ。』
とお由は唸つた。眼が開き相だ。松太郎は何と思つたか、再ゴロリと横になつて、眼を瞑つて、呼吸を殺した。
お由は二三度唸つて、立上つた気勢。下腹が疼れて、便気の塞逼に堪へぬのだ。眤と松太郎の寝姿を見乍ら、大儀相に枕頭を廻つて、下駄を穿いたが、その寝姿の哀れに小さく見すぼらしいのがお由の心に憐愍の情を起させた。俺が居なくなつたら奈何して飯を食ふだらう? と思ふと、何がなしに理由のない憤怒が心を突く。
『ええ此嘘吐者、天理も糞も……』
これだけを、お由は苦し気に怒鳴つた。そして裏口から出て行つた。
渠は、ガバと跳び起きた。そして後をも見ずに次の間に駆け込んで、布団を引出すより早く、其中に潜り込んだ。
間もなくお由は帰つて来た。眠つてゐた筈の松太郎が其処に見えない。両手を腹に支つて、顔を強く顰めて、お由は棒の様に突立つたが、出掛に言つた事を松太郎に聞かれたと思ふと、言ふ許りなき怒気が肉体の苦痛と共に発した。
『畜生奴!』と先づ胴間声が突走つた。『畜生奴! 狐! 嘘吐者! 天理坊主! よく聴け、コレア、俺ア赤痢に取付かれたぞ。畜生奴! 嘘吐者! 畜生奴! ウン……』
ドタリとお由が倒つた音。
寝床の中の松太郎は、手足を動かすことを忘れでもした様に、ビクとも動かぬ。あらゆる手頼の綱が一度に切れて了つた様で、暗い暗い、深い深い、底の知れぬ穴の中へ、独ぼつちの魂が石塊の如く落ちてゆく、落ちてゆく。そして、堅く瞑つた両眼からは、涙が滝の如く溢れた。滝の如くとは這麽時に形容する言葉だらう。抑へても溢れる。抑へようともせぬ。噛りついた布団の裏も、枕も、濡れる、濡れる、濡れる。…………
(明治四十一年十二月四日脱稿)
〔生前未発表・明治四十一年十一月~十二月稿〕
底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房
1978(昭和53)年10月25日初版第1刷発行
1993(平成5年)年5月20日初版第7刷発行
底本の親本:「スバル 創刊号」
1909(明治42)年1月1日発行
初出:「スバル 創刊号」
1909(明治42)年1月1日発行
入力:Nana ohbe
校正:川山隆
2008年10月18日作成
2012年9月17日修正
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