雲は天才である
石川啄木



     一


 六月三十日、S──村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常いつもの如く極めて活気のないものうげな悲鳴をあげて、──恐らく此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであらう、──午後の第三時を報じた。大方今ははや四時近いのであらうか。といふのは、田舎の小学校にはよく有勝ありがちな奴で、自分が此学校に勤める様になつて既に三ヶ月にもなるが、未だかつて此時計がK停車場の大時計と正確に合つて居たためしがない、といふ事である。少なくとも三十分、或時の如きは一時間と二十三分も遅れて居ましたと、土曜日毎に該停車場から、程遠くもあらぬ郷里へ帰省する女教師が云つた。これは、校長閣下自身の弁明によると、何分此校の生徒の大多数が農家の子弟であるので、時間の正確を守らうとすれば、勢ひ始業時間迄に生徒の集りかねる恐れがあるから、といふ事であるが、実際は、勤勉なる此辺の農家の朝飯は普通の家庭に比して余程早い。然し同僚の誰一人、あへて此時計の怠慢に対して、職務柄にも似合はず何等匡正きやうせいの手段を講ずるものはなかつた。誰しも朝の出勤時間の、遅くなるなら格別、一分たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども実は、幾年来の習慣で朝寝が第二の天性となつて居るので……

 午後の三時、規定おきまりの授業は一時間前に悉皆しつかい終つた。平日いつもならば自分は今正に高等科の教壇に立つて、課外二時間の授業最中であるべきであるが、この日は校長から、お互月末の調査しらべもあるし、それに今日はさいが頭痛でヒドク弱つてるから可成なるべく早く生徒を帰らしたい、課外は休んで貰へまいかという話、といふのは、破格な次第ではあるが此校長の一家四人──妻と子供二人と──は、既に久しく学校の宿直室を自分等の家として居るので、村費で雇はれた小使が襁褓おしめの洗濯まで其職務中に加へられ、牝鶏ひんけい常に暁を報ずるといふ内情は、自分もよく知つて居る。何んでも妻君の顔色がんしよくが曇つた日は、この一校の長たる人の生徒を遇する極めて酷だ、などいふ噂もある位、推して知るべしである。自分は舌の根まで込み上げて来た不快を辛くも噛み殺して、今日は余儀なく課外を休んだ。一体自分は尋常科二年受持の代用教員で、月給は大枚金八円也、毎月正に難有頂戴して居る。それに受持以外に課外二時間づつと来ては、他目よそめには労力に伴はない報酬、いや、報酬に伴はない労力とも見えやうが、自分は露いささかこれに不平は抱いて居ない。何故なれば、この課外教授といふのは、自分が抑々そもそも生れて初めて教鞭をとつて、此校の職員室に末席ばつせきけがすやうになつての一週間目、生徒の希望を容れて、といふよりはむしろ自分の方が生徒以上に希望して開いたので、初等の英語と外国歴史の大体とを一時間宛とは表面だけの事、実際は、自分のつて居る一切の智識、(智識といつても無論貧少なものであるが、自分は、然し、自ら日本一の代用教員を以て任じて居る。)一切の不平、一切の経験、一切の思想、──つまり一切の精神が、この二時間のうちに、機を覗ひ時を待つて、吾が舌端より火箭くわせんとなつてほとばしる。的なきにを放つのではない。男といはず女といはず、既に十三、十四、十五、十六、といふ年齢としの五十幾人のうら若い胸、それが乃ち火を待つ許りに紅血の油を盛つた青春の火盞ひざらではないか。火箭が飛ぶ、火が油に移る、嗚呼そのハツ〳〵と燃えむる人生の烽火のろしの煙の香ひ! 英語が話せれば世界中何処へでも行くに不便はない。たゞこの平凡な一句でも自分には百万の火箭を放つべき堅固なゆみづるだ。昔希臘ギリシヤといふ国があつた。基督キリスト磔刑はりつけにされた。人は生れた時何物をも持つて居ないが精神だけは持つて居る。羅馬ロウマは一都府の名で、また昔は世界の名であつた。ルーソーは欧羅巴エフロツパ中に響く喇叭らつぱを吹いた。コルシカ島はナポレオンの生れた処だ。バイロンといふ人があつた。トルストイは生きて居る。ゴルキーが以前もと放浪者ごろつきで、今肺病患者である。露西亜ロシヤは日本より豪い。我々はまだ年が若い。血のない人間は何処に居るか。……あゝ、一切の問題が皆火の種だ。自分も火だ。五十幾つの胸にも火事が始まる。四間に五間の教場は宛然まるで熱火の洪水だ。自分の骨あらはに痩せた拳がはた卓子テイブルを打つ。と、躍り上るものがある、手を振るものがある、万歳と叫ぶものがある。まつたく一種の暴動だ。自分の眼瞼まぶたから感激の涙が一滴溢れるや最後、其処にも此処にも声を挙げて泣く者、上気して顔が火と燃え、声も得出さで革命の神の石像の様に突立つ者、さながら之れ一幅生命反乱の活画図くわつぐわとが現はれる。涙は水ではない、心の幹をしぼつた樹脂やにである、油である。火が愈々燃え拡がる許りだ。『千九百○六年……此年○月○日、S──村尋常高等小学校内の一教場に暴動起る』と後世の世界史が、よしや記さぬまでも、この一場の恐るべき光景は、自分並びに五十幾人のジヤコビン党の胸板には、恐らく「時」の破壊の激浪も消し難き永久不磨の金字で描かれるであらう。疑ひもなく此二時間は、自分が一日二十四時間千四百四十分の内最も得意な、愉快な、幸福な時間で、大方自分が日々この学校の門を出入する意義も、全くこの課外教授がある為めであるらしい。然し乍ら此日六月三十日、完全なる『教育』の模型として、既に十幾年の間身を教育勅語の御前に捧げ、口に忠信孝悌の語を繰返す事正に一千万遍、其思想や穏健にして中正、其風采や質樸無難にしてつぶさに平凡の極致に達し、平和を愛し温順を尚ぶの美徳余つて、妻君の尻の下に布かるゝをも敢て恥辱とせざる程の忍耐力あり、現に今このS──村に於ては、毎月十八円といふ村内最高額の俸給を受け給ふ──田島校長閣下の一言によつて、自分は不本意乍ら其授業を休み、間接には馬鈴薯じやがいもに目鼻よろしくといふマダム田島の御機嫌をとつた事になる不面目を施し、退いて職員室の一隅に、児童出席簿と睨み合をし乍ら算盤の珠をさしたりいたり、過去一ヶ月間に於ける児童各自の出欠席から、其総数、其歩合を計算して、明日は痩犬の様な俗吏の手に渡さるべき所謂いはゆる月表なるものを作らねばならぬ。それのみなら未だしも、成績の調査、欠席の事由、食料携帯の状況、学用品供給の模様など、名目は立派でも殆んど無意義な仕事が少なからずあるのである。ここに於て自分は感じた、地獄極楽は決して宗教家の方便ではない、実際我等の此の世界に現存して居るものである、と。さうだ、この日の自分は明らかに校長閣下の一言によつて、極楽へ行く途中から、正確なるべき時間迄が娑婆の時計と一時間も相違のある此の蒸し熱き地獄におとされたのである。算盤の珠のパチ〳〵〳〵といふ音、これがすなはち取りも直さず、中世紀末の大冒険家、地獄煉獄天国の三界をまたにかけたダンテ・アリギエリでさへ、聞いては流石さすがに胆を冷やした『パペ、サタン、パペ、サタン、アレツペ』といふ奈落の底の声ではないか。自分は実際、この計算と来ると、吝嗇しみつたれな金持のぢぢいが己の財産を勘定して見る時の様に、ニコ〳〵ものでは兎てもれないのである。極楽から地獄! この永劫の宣告を下したものは誰か、抑々誰か。曰く、校長だ。自分は此日程此校長の顔に表れて居る醜悪と欠点とを精密に見極めた事はない。第一に其鼻下の八字髯はちじぜんが極めて光沢が無い、これは其人物に一分一厘の活気もない証拠だ。そしてそのひげうなぎのそれの如く両端遙かに頤の方向に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。亡国の髯だ、朝鮮人と昔の漢学の先生と今の学校教師にのみあるべき髯だ。黒子ほくろが総計三箇ある、就中大きいのが左の目の下に不吉の星の如く、如何にも目障りだ。これは俗に泣黒子と云つて、幸にも自分の一族、乃至は平生畏敬して居る人々の顔立には、ついぞ見当らぬ道具である。うべなる哉、この男、どうせ将来好い目に逢ふ気づかひが無いのだもの。……数へ来れば幾等いくらもあるが、結句、田島校長=0エクオールゼロといふ結論に帰着した。詰り、一毫の微と雖ども自分の気に合ふ点がなかつたのである。

 この不法なるクーデターの顛末てんまつが、自分の口から、生徒控処の一隅で、残りなく我がジヤコビン党全員の耳に達せられた時、一団の暗雲あつて忽ちに五十幾個の若々しき天真の顔を覆ふた。楽園の光明門を閉ざす鉛色の雲霧である。明らかに彼等は、自分と同じ不快、不平を一喫したのである。無論自分は、かの妻君の頭痛一件まで持ち出したのではない、が、自分の言葉の終るや否や、或者はドンと一つ床を蹴つて一喝した、『校長馬鹿ツ。』更に他の声が続いた、『鰻ツ。』『蒲焼にするぞツ。』最後に『チエースト』と極めて陳腐な奇声を放つて相和した奴もあつた。自分は一盻いちけいの微笑を彼等に注ぎかけて、静かに歩みを地獄の門に向けた。やがて十五六歩も歩んだ時、急に後の騒ぎが止んだ、と思ふと、『ワン、ツー、スリー、泥鰻──』と、校舎も為めに動く許りのときの声、中には絹裂く様な鋭どい女生徒の声も確かに交つて居る。余りの事に振向いて見た、が、此時は既に此等革命の健児の半数以上は生徒昇降口から嵐に狂ふ木の葉の如く戸外おもてへ飛び出した所であつた。恐らく今日も門前に遊んで居る校長の子供の小さい頭には、時ならぬ拳の雨の降つた事であらう。然し控処には未だ空しく帰りかねて残つた者がある。機会を見計つて自分に何か特にお話を請求しようといふ執心のてあひ、髪長き児も二人三人見える、──総て十一二人。小使の次男なのと、女教師の下宿して居る家の児と、(共に其縁故によつて、校長閣下から多少大目に見られて居る)この二人は自分の跡からいて来たまま、先刻さつきからこの地獄の入口に門番の如く立つて、中の様子を看守して居る。

 入口といふのは、紙の破れた障子二枚によつて此室と生徒控処とを区別したもので、校門から真直の玄関を上ると、すぐ左である。この入口から、我が当面の地獄、──天井の極く低い、十畳敷位の、汚点しみだらけな壁も、古風な小形の窓も、年代の故で歪んだ皮椅子も皆一種人生の倦怠を表はして居る職員室に這入ると、向つて凹字形に都合四脚の卓子が置かれてある。突当りの並んだ二脚の、右が校長閣下の席で、左は検定試験上りの古手の首座訓導、校長の傍が自分で、向ひ合つての一脚が女教師のである。吾校の職員と云つぱ唯この四人だけ、自分が其内最も末席なは云ふ迄もない。よし百人の職員があるにしても代用教員は常に末席を仰せ付かる性質のものであるのだ。御規則とは随分陳腐な洒落しやれである。サテ、自分の後は直ちに障子一重で宿直室になつて居る。

 此職員室の、女教師の背なる壁の掛時計が懶うげなる悲鳴をあげて午後三時を報じた時、其時四人の職員は皆各自の卓子に相割拠して居た。──卓子は互に密接して居るものの、此時の状態は確かに一の割拠時代を現出して居たので。──二三十分も続いた『パペ、サタン、アレツペ』といふ苦しげなる声は、三四分前に至つて、足音に驚いてにはかに啼き止む小田の蛙の歌の如く、はたと許り止んだ。と同時に、(老いたる尊とき導師はわななくダンテの手をひいて、更に他の修羅圏内に進んだのであらう。)新らしき一陣の殺気さつと面を打つて、別箇の光景をこの室内に描き出したのである。

 詳しく説明すれば、実に詰らぬ話であるが、問題は斯うである。二三日以前、自分は不図した転機はずみから思付いて、このS──村小学校の生徒をして日常朗唱せしむべき、云はゞ校歌といつた様な性質の一歌詞を作り、そして作曲した。作曲して見たのが此時、自分がの声をあげて以来二十一年、実際初めてゞあるに関らず、恥かし乍ら自白すると、出来上つたのを声の透る我が妻に歌はせて聞いた時の感じでは、少々巧い、と思はれた。今でもさう思つて居るが……。妻からも賞められた。その夜遊びに来た二三の生徒に、自分でヰオリンを弾き乍ら教へたら、矢張賞めてくれた、然も非常に面白い、これからは毎日歌ひますと云つて、歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に変る。斯う変るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一点やましい処のないのは明白な事実だ。作歌作曲は決して盗人、偽善者、乃至一切破廉恥漢の行為と同一視さるべきではない。マサカ代用教員如きに作曲などをする資格がないといふ規定もない筈だ。して見ると、自分は相不変あひかはらず正々堂々たるものである、俯仰して天地に恥づる処なき大丈夫である。所が、あにいづくんぞ図らんや、この堂々として赤裸々たる処が却つて敵をして矢を放たしむる的となつた所以ゆゑんであつたのだ。ト何も大袈裟おほげさに云ふ必要もないが、其歌を自分の教へてやつた生徒は其夜僅か三人(名前も明らかに記憶して居る)に過ぎなかつたが、何んでもジヤコビン党員の胸には皆同じ色──若き生命の浅緑と湧き立つ春の泉の血の色との火が燃えて居て、唇が皆一様に乾いて居る為めに野火の移りの早かつたものか、一日二日と見る〳〵うちに伝唱されて、今日は早や、多少調子の違つた処のないでもないが、高等科生徒の殆んど三分の二、イヤ五分の四迄は確かに知つて居る。昼休みの際などは、誰先立つとなく運動場に一蛇のポロテージ行進が始つて居た。彼是百人近くはあつたらう、尤も野次馬の一群も立交つて居たが、口々に歌つて居るのが乃ち斯く申す新田耕助あらたかうすけ先生新作の校友歌であつたのである。然し何も自分の作つたものが大勢に歌はれたからと云つて、決して恥でもない、罪でもない、寧ろ愉快なものだ、得意なものだ。現に其行進を見た時は、自分も何だか気が浮立つて、身体中何処か斯うくすぐられる様で、僅か五分間許りではあるが、自分も其行進列中の一人と迄なつて見た位である。……問題の鍵は以後これからである。

 午後三時ぜん三─四分、今迄矢張り不器用な指を算盤の上に躍らせて、『パペ、サタン、パペ、サタン』を繰返して居た校長田島金蔵氏は、今しも出席簿の方の計算を終つたと見えて、やをら頭をもたげて煙管を手に持つた。ポンと卓子の縁をたたく、トタンに、何とも名状し難い、狸の難産の様な、水道の栓から草鞋わらぢでも飛び出しさうな、も少し適切に云ふと、隣家の豚が夏の真中に感冒をひいた様な奇響──敢て、といふ、──が、恐らく仔細に分析して見たら出損なつた咳の一種でゝもあらうか、彼の巨大なる喉仏の辺から鳴つた。次いで復幽かなのが一つ。もうこれ丈けかと思ひ乍ら自分は此時算盤の上に現はれた八四・七九といふ数を月表の出席歩合男の部へ記入しようと、筆の穂を一寸と噛んだ。此刹那、沈痛なる事昼寝の夢の中で去年死んだ黒猫の幽霊の出た様な声あつて、

新田あらたさん。』

と呼んだ。校長閣下の御声掛りである。

 自分はヒヨイと顔を上げた。と同時に、他の二人──首座と女教師も顔を上げた。此一瞬からである、『パペ、サタン、パペ、サタン、アレツペ』の声のはたと許り聞えずなつたのは。女教師は黙つて校長の顔を見て居る。首席訓導はグイと身体をもぢつて、煙草を吸ふ準備したくをする。何か心に待構へて居るらしい。然り、この僅か三秒の沈黙の後には、近頃珍らしい嵐が吹き出したのだもの。

『新田さん。』と校長は再び自分を呼んだ。余程厳格な態度を装ふて居るらしい。然しお気の毒な事には、平凡と醜悪とを「教育者」といふ型に入れて鋳出した此人相には、最早他の何等の表情をも容るべき空虚がないのである。誠に完全な「無意義」である。若し強ひて厳格な態度でも装はうとするや最後、其結果は唯対手をして一種の滑稽と軽量な憐愍れんびんの情とを起させる丈だ。然し当人は無論一切御存じなし、破鐘の欠伸する様な訥弁とつべんは一歩を進めた。

貴君あなたに少しお聞き申したい事がありますがナ。エート、生命の森の……。何でしたつけナ、初の句は? (と首座訓導を見る、首座は甚だ迷惑といふ風で黙つて下を見た。)ウン、左様々々さうさう、春まだ浅く月若き、生命の森の夜の香に、あくがれ出でて、……とかいふアノ唱歌ですて。アレは、新田あらたさん、貴君がひそかに作つて生徒に歌はせたのだと云ふ事ですが、真実ほんたうですか。』

『嘘です。歌も曲も私の作つたには相違ありませぬが、秘かに作つたといふのは嘘です。蔭仕事は嫌ひですからナ。』

『デモ、さういふ事でしたつけね、古山さん、先刻さつきの御話では。』と再び隣席の首座訓導をかへり見る。

 古山の顔には、またしても迷惑の雲が懸つた。矢張り黙つた儘で、一閃いつせん偸視ゆしを自分に注いで、煙を鼻からフウと出す。

 此光景を目撃して、ハヽア、然うだ、と自分は早や一切を直覚した。かの正々堂々赤裸々として俯仰天地に恥づるなき我が歌に就いて、今自分に持ち出さんとして居る抗議は、蓋しこれ泥鰻金蔵閣下一人の頭脳から割出したものではない。完たく古山と合議の結果だ。或は古山の方が当の発頭人であるかも知れない。イヤ然うあるべきだ、この校長一人丈けでは、如何して這麽こんな元気の出る筈が無いのだもの。一体この古山といふのは、此村土着の者であるから、既に十年の余も斯うして此学校に居る事が出来たのだ。四十の坂を越して矢張五年前と同じく十三円で満足して居るのでも、意気地のない奴だといふ事が解る。夫婦喧嘩で有名な男で、(此点は校長に比して温順の美徳を欠いて居る。)話題と云つぱ、何日いつでも酒と、若い時の経験談とやらの女話、それにモ一つは釣道楽、と之れだけである。最もこの釣道楽だけは、この村で屈指なもので、既に名人の域に入つて居ると自身も信じ人も許して居る。随つて主義も主張もない、(昔から釣の名人になる様な男は主義も主張も持つてないと相場が極つて居る。)随つて当年二十一歳の自分と話が合はない。自分から云はせると、校長と謂ひ此男と謂ひ、栄養不足で天然に立枯になつた朴の木の様なもので、松なら枯れても枝振といふ事もあるが、何の風情もない。彼等と自分とは、毎日吸ふ煙草までが違つて居る。彼等の吸ふのは枯れた橡の葉の粉だ、辛くもないが甘くもない、にほひもない。自分のは、五匁三銭の安物かも知れないが、兎に角正真正銘しやうじんしやうめいの煙草である。香の強い、辛い所に甘い所のある、真の活々した人生の煙だ。リリーを一本吸ふたら目が廻つて来ましたつけ、と何日か古山の云ふたのは、けだし実際であらう。斯くの如くして、自分は常に此職員室の異分子である。ままツ子である、平和の攪乱者と目されて居る。若し此小天地の中に自分の話相手になる人を求むれば、それは実に女教師一人のみだ。芳紀やゝ過ぎて今年正に二十四歳、自分には三歳の姉である。それで未だ独身で、熱心なクリスチアンで、讃美歌が上手で、新教育を享けて居て、思想が先づ健全で、顔は? 顔は毎日見て居るから別段目にも立たないが、頬は桃色で、髪は赤い、目は年に似合はず若々しいが、時々判断力がひらめく、尋常科一年の受持であるが、誠に善良なナースである。で、大抵自分の云ふ事が解る、理のある所には屹度きつと同情する。然し流石に女で、それに思慮が有過ぎる傾があるので、今日の様な場合には、敢て一言も口を出さない。が、其眼球の軽微なる運動は既に充分自分の味方であることを語つて居る。況んや、現に先刻この女が、自分の作つた歌を誰から聞いたものか、低声に歌つて居たのを、確かに自分は聴いたのだもの。

 さて、自分は此処で、かの歌の如何にして作られ、如何にして伝唱されたかを、つまびらかに説明した。そして、最後の言葉が自分の唇から出て、校長と首座と女教師と三人六箇の耳に達した時、其時、カーン、カーン、カーン、と掛時計が、懶気ものうげに叫んだのである。突然『アーア』といふ声が、自分の後、障子の中から起つた。恐らく頭痛で弱つて居るマダム馬鈴薯が、何日もの如く三歳みつつになる女の児の帯に一条ひとすぢの紐を結び、其一端を自身の足に繋いで、危い処へやらぬ様にし、切炉きりろかたへに寝そべつて居たのが、今時計の音に真昼の夢を覚されたのであらう。『アーア』とまた聞えた。

 三秒、五秒、十秒、と恐ろしい沈黙が続いた。四人の職員は皆各自の卓子に割拠して居た。この沈黙を破つた一番槍は古山朴の木である。

『其歌は校長さんの御認可を得たのですか。』

『イヤ、決して、断じて、認可を下した覚えはありませぬ。』と校長は自分の代りに答へて呉れる。

 自分はケロリとして煙管をくはへ乍ら、幽かな微笑を女教師の方に向いて洩した。古山もまた煙草を吸ひ初める。

 校長は、と見ると、何時の間にか赤くなつて、鼻の上から水蒸気が立つて居る。『どうも、余りと云へば自由が過ぎる。新田さんは、それあ新教育も享けてお出でだらうが、どうもその、少々身勝手が過ぎるといふもんで……。』

『さうですか。』

『さうですかツて、それを解らぬ筈はない。一体その、エート、確か本年四月の四日の日だつたと思ふが、わしが郡視学さんの平野先生へ御機嫌伺ひに出た時でした。さう、確かに其時です。新田さんの事は郡視学さんからお話があつたもんだで、遂私も新田さんを此学校に入れた次第で、郡視学さんの手前もあり、今迄は随分私の方で遠慮もし、寛裕おほめにも見て置いた訳であるが、然し、さう身勝手が過ぎると、私も一校の司配を預かる校長として、』と句を切つて、一寸反り返る。此機をはづさず自分は云つた。

『どうぞ御遠慮なく。』

不埓ふらちだ。校長を屁とも思つて居らぬ。』

 この声は少し高かつた。握つた拳で卓子をドンと打つ、驚いた様に算盤が床へ落ちて、けたたましい音を立てた。自分は今迄校長の斯う活気のある事を知らなかつた。或は自白する如く、今日迄は郡視学の手前遠慮して居たかも知れない。然し彼の云ふ処は実際だ。自分は実際此校長位は屁とも思つて居ないのだもの。この時、後の障子に、と物音がした。マダム馬鈴薯が這ひ出して来て、様子如何にと耳を澄まして居るらしい。

『只今伺つて居りました処では、』と白ツぱくれて古山が口を出した、『どうもこれは校長さんの方に理がある様に、私には思はれますので。然し新田さんも別段お悪い処もない、唯その校歌を自分勝手に作つて、自分勝手に生徒に教へたといふ、つまり、順序を踏まなかつた点が、おほいに、イヤ、多少間違つて居るのでは有るまいかと、私には思はれます。』

『此学校に校歌といふものがあるのですか。』

『今迄さういふものは有りませんで御座んした。』

『今では?』

 今度は校長が答へた。『現にさう云ふ貴君あなたが作つたではないか。』

『問題は其処ですて。物には順序……』

 皆まで云はさず自分は手をあげて古山を制した。『問題も何も無いぢやないですか。既に私の作つたアレを、貴君方が校歌だと云つてるぢやありませぬか。私はこのS──村尋常高等小学校の校歌を作つた覚えはありませぬ。私はたゞ、この学校の生徒が日夕吟誦しても差支のない様な、校歌といつたやうな性質のものを試みに作つた丈です。それを貴君方が校歌といふて居られる。つまり、校歌としてお認め下さるのですな。そこで生徒が皆それを、其校歌を歌ふ。問題も何も有つた話ぢやありますまい。この位天下泰平な事はないでせう。』

 校長と古山は顔を見合せる。女教師の目には満足した様な微笑が浮んだ。入口の処には二人の立番の外に、新らしく来たのがある。後の障子が颯と開いて、腰のあたりに細い紐を巻いたなり、帯も締めず、垢臭い木綿の細かい縞の袷をダラシなく着、胸はあらはに、抱いた児に乳房ふくませ乍ら、静々と立現れた化生けしやうの者がある。マダム馬鈴薯の御入来だ。袷には黒く汗光りのする繻子の半襟がかゝつてある。如何考へても、決して余り有難くない御風体である。針の様に鋭どく釣上つた眼尻から、チヨと自分を睨んで、校長の直ぐ傍に突立つた。若しも、地獄の底の底で、白髪しろかみいばらの如き痩せさらぼひたる斃死のさまの人が、吾児の骨を諸手に握つて、キリ〳〵〳〵と噛む音を、現実の世界で目に見る或形にしたら、恐らくそれは此女の自分を一睨いちげいした時の目付それであらう。此目付で朝な夕な胸を刺される校長閣下の心事も亦、考へれば諒とすべき点のないでもない。

 生ける女神ぢよしん──貧乏の?──は、石像の如く無言で突立つた。やがて電光の如き変化が此室内に起つた。校長は、今迄忘れて居た厳格の態度を、再び装はんとするものの如く、其顔面筋肉の二三ヶ所に、或る運動を与へた。援軍の到来と共に、勇気を回復したのか、恐怖を感じたのか、それは解らぬが、兎に角或る激しき衝動を心に受けたのであらう。古山も面を上げた。然し、もうダメである。攻勢守勢既に其地を代へた後であるのだもの。自分は敵勢の加はれるに却つて一層勝誇つた様な感じがした。女教師は、女神を一目見るや否や、たとへ難き不快の霧に清い胸を閉されたと見えて、忽ちにうつむいた。見れば、恥辱を感じたのか、気の毒と思つたのか、それとも怒つたのか、耳の根迄紅くなつて、鉛筆の尖でコツ〳〵と卓子をつついて居る。

 古山が先づ口を切つた。『然し、物には総て順序がある。其順序を踏まぬ以上は、……一足飛に陸軍大将にも成れぬ訳ですて。』成程古今無類の卓説である。

 校長が続いた。『其正当の順序を踏まぬ以上は、たとへ校歌に採用して可いものでも未だ校歌とは申されない。よし立派な免状を持つて居らぬにしても、身を教育の職に置いて月給迄貰つて居る者が、物の順序も考へぬとは、余りといへば余りな事だ。』

 云ひ終つて堅く唇を閉ぢる。気の毒な事には其の字が余り恰好がよくないので。

 女神の視線が氷の矢の如く自分の顔に注がれた。返答如何にと促がすのであらう。トタンに、無雑作に、といふよりは寧ろ、無作法に束ねられた髪から、櫛が辷り落ちた。敢て拾はうともしない。自分は笑ひ乍ら云ふた。

『折角順序々々と云ふお言葉ですが、一体如何どういふ順序があるのですか。恥かしい話ですが、私は一向存じませぬので。……若し其校歌採用の件とかの順序を知らない為めに、他日誤つて何処かの校長にでもなつた時、失策する様な事があつても大変ですから、今教へて頂く訳に行きませぬでせうか。』

 校長は苦り切つて答へた。『順序といつても別に面倒な事はない。第一に(と力を入れて)校長が認定して、可いと思へば、郡視学さんの方へ届けるので、それで、ウム、その唱歌が学校生徒に歌はせて差支がない、といふ認可が下りると、初めて校歌になるのです。』

『ハヽア、それで何ですな、私の作つたのは、其正当の順序とかいふ手数にかけなかつたので、詰り、早解りの所が、落第なんですな。結構です。作者の身に取つては、校歌に採用されると、されないとは、まつたく屁の様な問題で、唯自分の作つた歌が生徒皆に歌はれるといふ丈けで、もう名誉は充分なんです。ハヽヽヽヽ。これなら別に論はないでせう。』

『然し、』と古山が繰り出す。此男然しが十八番だ。『その学校の生徒に歌はせるには矢張り校長さんなり、また私なりへ、一応其歌の意味でも話すとか、或は出来上つてから見せるとかしたら穏便で可いと、マア思はれるのですが。』

『のみならず、学校の教案などは形式的で記す必要がないなどと云つて居て、うちへ帰れば、すぐ小説なぞを書くんださうだ。それで教育者の一人いちにんとは呆れる外はない。実に、どうも……。然し、これはマア別の話だが。新田さん、学校には、畏くも文部大臣からのお達しで定められた教授細目といふのがありますぞ。算術国語地理歴史は勿論の事、唱歌裁縫の如きでさへ、チアンと細目が出来て居ます。私共長年教育の事業に従事した者が見ますと、現今の細目は実に立派なもので、精に入り微を穿うがつ、とでも云ひませうか。彼是十何年も前の事ですが、私共がまだ師範学校で勉強して居た時分、其頃で早や四十五円も取つて居た小原銀太郎と云ふ有名な助教諭先生の監督で、小学校教授細目を編んだ事がありますが、其時のと今のと比較して見るに、イヤ実にお話にならぬ、冷汗です。で、その、正真ほんたうの教育者といふものは、其完全無欠な規定の細目を守つて、一毫いちがう乱れざるていに授業を進めて行かなければならない、若しさもなければ、小にしては其教へる生徒の父兄、また高い月給を支払つてくれる村役場にも甚だ済まない訳、大にしては我々が大日本の教育を乱すといふ罪にも坐する次第で、完たく此処の所が、我々教育者にとつて最も大切な点であらうと、私などは既に十年の余も、──此処へ来てからは、まだ四年と三ヶ月にしか成らぬが、──努力精励して居るのです。尤も、細目に無いものは一切教へてはならぬといふのではない。そこはその、先刻さつきから古山さんもしきりに主張して居られる通り、物には順序がある。順序を踏んで認可を得た上なれば、無論教へても差支がない。若しさうでなくば、只今諄々と申した様な仕儀になり、且つ私も校長を拝命して居る以上は、私に迄責任が及んで来るかも知れないのです。それでは、如何どうもお互に迷惑だ。のみならず吾校の面目をも傷ける様になる。』

『大変な事になるんですね。』と自分は極めて洒々しやあしやあたるものである。尤も此お説法中は、時々失笑を禁じえなんだので、それを噛み殺すに不些少すくなからず骨を折つたが。『それでつまり私の作つた歌が其完全無欠なる教授細目に載つて居ないのでせう。』

『無論ある筈がないでサア。』と古山。

『ない筈ですよ。二三日前に作つた許りですもの。アハヽヽヽ。先刻からのお話は、結局あの歌を生徒に歌はせては不可いかん、といふ極く明瞭な一事に帰着するんですね。色々な順序の枝だの細目の葉だのを切つて了つて、肝胆を披瀝ひれきした所が、さうでせう。』

 これには返事が無い。

『其細目といふ矢釜敷やかましいお爺さんに、代用教員は教壇以外にて一切生徒に教ふべからず、といふ事か、さもなくんば、学校以外で生徒を教へる事の細目とかいふものが、ありますか。』

『細目にそんな馬鹿な事があるものか。』と校長は怒つた。

『それなら安心です。』

『何が安心だ。』

『だつて、さうでせう。先刻詳しくお話した通り、私があの歌を教へたのは、二三日ぜん、乃ちあれの出来上つた日の夜に、私の宅に遊びに来た生徒只の三人だけになのですから、何も私が細目のお爺さんにお目玉を頂戴する筈はないでせう。若しあの歌に、何か危険な思想でも入れてあるとか、又は生徒の口にすべからざることばでもあるなら格別ですが、……。イヤ余程心配しましたが、これで青天白日漸々やうやう無罪に成りました。』

 全勝の花冠は我が頭上に在焉あり。敵は見ン事鉄嶺以北に退却した。剣折れ、馬斃れ、矢弾やだまが尽きて、戦の続けられる道理は昔からないのだ。

『私も昨日、あれを書いたのを栄さん(生徒の名)から借りて写したんですよ。私なんぞは何も解りませんけども、大層もう結構なお作だと思ひまして、実は明日唱歌の時間にはあれを教へやうと思つてたんでしたよ。』

 これは勝誇つた自分の胸に、発矢はつしと許り投げられた美しい光栄の花環であつた。女教師が初めて口を開いたのである。


     二


 此時、校長田島金蔵氏は、感極まつて殆んど落涙に及ばんとした。初めは怨めしさうに女教師の顔を見て居たが、フイと首をめぐらして、側に立つ垢臭い女神、頭痛の化生、繻子の半襟をかけたマダム馬鈴薯を仰いだ。平常いつもは死んだ源五郎鮒の目の様に鈍いまなこも、此時だけは激戦の火花の影を猶留めて、極度の恐縮と嘆願の情にやゝ湿うるみを持つて居る。世にも弱き夫が渾身の愛情を捧げて妻が一顧の哀憐を買はむとするの図は正に之である。然し大理石に泥を塗つたやうな女神の面は微塵も動かなんだ。そして、唯一声、『フン、』と云つた。ああ世に誰か此のフンの意味の能く解る人があらう。やがて身をかがめて、落ちて居た櫛を拾ふ。抱いて居る児はまだ乳房を放さない。随分強慾な児だ。

 古山は、野卑な目付に憤怒の色を湛へて自分を凝視して居る。水の面の白い浮標の、今沈むかと気が気でない時も斯うであらう。我が敬慕に値する善良なる女教師山本孝子女史は、いつの間にかまた、パペ、サタン、を始めて居る。

 入口を見ると、三分刈りのクリ〳〵頭が四つ、朱鷺色ときいろのリボンを結んだのが二つ並んで居た。自分が振り向いた時、いづれも嫣然につこりとした。中に一人、女教師の下宿してる家の栄さんといふのが、大きいまなこをパチ〳〵とさせて、一種の暗号祝電を自分に送つて呉れた。珍らしい悧巧な少年である。自分も返電をつた。今度は六人の眼が皆一度にパチ〳〵とする。

 不意に、若々しい、勇ましい合唱の声が聞えた。二階の方からである。

春まだ浅く月若き

生命いのちの森の夜の香に

あくがれ出でて我がたま

夢むともなく夢むれば……

 あゝ此歌である、日露開戦の原因となつたは。自分は颯と電気にでも打たれた様に感じた。同時に梯子段を踏む騒々しい響がして、声は一寸乱れる。降りて来るな、と思ふと早や姿が現はれた。一隊五人の健児、先頭に立つたのは了輔と云つて村長の長男、背こそ高くないが校内第一の腕白者、成績も亦優等で、ジヤコビン党の内でも最も急進的な、謂はば爆弾派の首領である。多分二階に人を避けて、今日課外を休まされた復讐の秘密会議でも開いたのであらう。あの元気で見ると、既に成算胸にあるらしい。願くはまた以前これまでの様に、深夜宿直室へ礫の雨を注ぐ様な乱暴はしてくれねばよいが。

 一隊の健児は、春の暁の鐘の様な冴え〴〵した声を張り上げて歌ひつゞけ乍ら、勇ましい歩調で、先づ広い控処の中央に大きい円を描いた。と見ると、今度は我が職員室を目掛めがけて堂々と練つて来るのである。

「自主」のつるぎ右手めてに持ち、

左手ゆんでに翳す「愛」の旗、

「自由」の駒に跨がりて

進む理想の路すがら、

今宵生命の森の蔭

水のほとりに宿かりぬ。


そびゆる山は英傑の

跡を弔ふ墓標はかじるし

音なき河は千載に

香る名をこそ流すらむ。

此処は何処いづくと我問へば、

が故郷と月答ふ。


勇める駒のいななくと

思へば夢はふと覚めぬ。

白羽のかぶと銀の楯

皆消えはてぬ、さはあれど

ここに消えざる身ぞ一人

理想の路に佇みぬ。


雪をいただく岩手山いはてさん

名さへ優しき姫神の

山の間を流れゆく

千古の水の北上きたかみ

心を洗ひ……

 と此処まで歌つた時は、恰度職員室の入口に了輔の右の足が踏み込んだ処である。歌は止んだ。此数分の間に室内に起つた光景は、自分は少しも知らなんだ。自分はたゞ一心に歩んでくる了輔の目を見詰めて、心では一緒に歌つて居たのである。──然も心の声のあらん限りをしぼつて。

 不図気がつくと、世界滅尽の大活劇が一秒の後に迫つて来たかと見えた。校長の顔は盛んな山火事だ。そして目に見える程ブル〳〵と震へて居る。古山は既に椅子から突立つて、飢饉に逢つた仁王様の様に、拳を握つて矢張震へて居る。青い太い静脈が顔一杯にふくれ出して居る。

 えいさんは了輔の耳に口を寄せて、何か囁いて居る。了輔は目を象の鼻穴程にみはつて熱心に聞いて居る。どちかと云へば性来太い方の声なので、返事をするのが自分にも聞える。

『……ナニ、此歌を?……ウム……勝つたか、ウム、然うさ、然うとも、見たかつたナ……飲まないつて、酒を?……然し赤いな、赤鰻ツ。』

 最後の声が稍々高かつた。古山は激した声で、

『校長さん。』

と叫んだ。校長は立つた。転機はずみで椅子が後に倒れた。妻君は未だ動かないで居る。然し其顔の物凄い事。

彼方あつちへ行け。』

彼方あちらへお出なさい。』

 自分と女教師とは同時に斯う云つて、手を動かし、目で知らせた。了輔の目と自分の目と合つた。自分は目で強くした。

 了輔は遂に駆け出した。

そびゆる山は英傑の

跡を弔ふ墓標はかじるし

 と歌ひ乍ら。他の児等も皆彼の跡を追ふた。

『勝つた先生万歳』

ときの声が聞える。五六人の声だ。中に、量のある了輔の声と、栄さんのソプラノなのが際立つて響く。

 自分の目と女教師の目とはたと空中で行き合つた。その目には非常な感激が溢れて居る。無論自分に不利益な感激でない事は、其光り様で解る。──あたかも此時、

 恰も此時、玄関で人の声がした。何か云ひ争ふて居るらしい。然し初めは、自分も激して居る故か、しかとは聞き取れなかつた。一人は小使の声である。一人は? どうも前代未聞の声の様だ。

『……何云つたつて、乞食は矢ツ張乞食だんべい。今も云ふ通り、学校はハア、乞食などの来る所でねエだよ。校長さアが何日いつも云ふとるだ、癖がつくだで乞食が来たらねエな奴でも追払つてしまへツて。さつさと行かつしやれ、お互に無駄な暇取るだアよ。』と小使の声。

 りんとした張のある若い男の声が答へる。『それア僕は乞食には乞食だ、が、普通の乞食とは少々格が違ふ。ナニ、強請ゆすりだんべいツて? ヨシ〳〵、何でも可いから、兎に角其手紙を新田といふ人に見せてくれ。居るツて今云つたぢやないか。新田白牛といふ人だ。』

 ハテナ、と自分は思ふ。小使がまた云ふ。

『新田耕助先生ちふ若けエ人なら居るだが、はくぎうなんて可笑をかしな奴ア一人だつて居ねエだよ。耕助先生にア乞食に親類もあんめエ。間違エだよ。コレア人違エだんべエ。之エ返しますだよ。』

『困つた人だね、僕は君にはちつとも用はないんだ。新田といふ人に逢ひさへすればいい。たゞ新田君に逢へば満足だ、本望だ。解つたか、君。……お願ひだから其手紙を、ね、頼む。……これでも不可いかんといふなら、僕は自分で上つて行つて、尋ぬる人に逢ふ迄サ。』

 自分は此時、立つて行つて見ようかと思つた。が、何故か敢へて立たなかつた。立派な美しい、堂々たる、広い胸の底から滞りなく出る様な声に完たく酔はされたのであらう。自分は、何故といふ事もなく、時々写真版で見た、子供を抱いたナポレオンの顔を思出した。そして、今玄関に立つて自分の名を呼んで逢ひたいと云つて居る人が、屹度其ナポレオンに似た人に相違ないと思つた。

『そ、そねエな事して、何うなるだアよ。わしハア校長さアに叱られ申すだ。ぢやア、マア待つて居さつしやい。兎に角此手紙丈けはあの先生に見せて来るだアから。……人違エにやきまつてるだア。俺これ迄十六年も此学校に居るだアに、まだ乞食から手紙見せられた先生なんざア一人だつて無エだよ。』

 自分の心は今一種奇妙な感じに捉へられた。周囲を見ると、校長も古山も何時の間にか腰を掛けて居る。マダム馬鈴薯はまだ不動の姿勢を取つて居る。女教師ももとの通り。そして四人の目は皆、何物をか期待する様に自分に注がれて居る。其昔、大理石で畳んだ壮麗なる演戯場の桟敷から罪なき赤手の奴隷──完たき『無力』の選手──が、暴力の権化なる巨獣、換言すれば獅子ライオンと呼ばれたる神権の帝王に対して、如何程の抵抗を試み得るものかと興ある事に眺め下した人々の目付めつき、その目付も斯くやあつたらうと、心の中に想はるる。

 村でも「仏様」と仇名せらるる好人物おひとよしの小使──忠太と名を呼べば、雨の日も風の日も、『アイ』と返事をする──が、厚い唇に何かブツ〳〵呟やき乍ら、職員室に這入つて来た。

『これ先生さアに見せて呉れ云ふ乞食が来てますだ。ハイ。』

と、変な目をしてオヅ〳〵自分を見乍ら、一通の封書を卓子に置く。そして、玄関の方角に指さし乍ら、左の目を閉ぢ、口を歪め、ヒヨツトコの真似をして見せて、

『変な奴でがす。お気を付けさつしやい。わし、様々断つて見ましたが、どうしても聴かねエだ。』

と小言で囁く。

 黙つて封書を手に取り上げた。表には、勢のよい筆太のしめが殆んど全体に書かれて、下に見覚えのある乱暴な字体で、薄墨のあやなくにじんだ『八戸はちのへニテ、朱雲』の六字。日附はない。『ああ、朱雲からだ!』と自分は思はず声を出す。裏を返せば、『岩手県岩手郡S──村尋常高等小学校内、新田白牛様』とまづ以て真面目な行書である。自分は或事を思ひ出した、が、兎も角もと急いで封を切る。すべての人の視線は自分の痩せた指先の、何かは知れぬ震ひに注がれて居るのであらう。不意に打出した胸太鼓、若き生命の轟きは電の如く全身の血に波動を送る。震ふ指先で引き出したのは一枚の半紙、字が大きいので、文句は無論極めて短かい。

爾後大に疎遠、失敬、

 これ丈けで二行に書いてある。

石本俊吉此手紙を持つて行く。君は出来る丈けの助力を此人物に与ふべし。小生生れて初めて紹介状なる物を書いた。

六月二十五日

天野朱雲拝

新田耕サン

 そして、上部の余白へ横に

(独眼竜ダヨ。)と一句。

 世にも無作法極まる乱暴な手紙と云つぱ、蓋し斯くの如きもののいひであらう。然も之は普通の消息ではない。人が、自己の信用の範囲に於て、或る一人を、他の未知の一人に握手せしむる際の、謂はば、神前の祭壇に読み上ぐべき或る神聖なる儀式の告文、と云つた様な紹介状ではないか。若し斯くの如き紹介状を享くる人が、温厚篤実にしてよろづ中庸を尚ぶ世上の士君子、例へば我が校長田島氏の如きであつたら、恐らく見もせぬうちから玄関に立つ人を前門の虎と心得て、いざ狼の立塞がぬ間にと、草履片足で裏門から逃げ出さぬとも限らない。然も此一封が、嘗てこのS──村に呱々の声を挙げ、この学校──尤も其頃は校舎も今の半分しか無く、教師も唯の一人、無論高等科設置以前の見すぼらしい単級学校ではあつたが、──で、矢張り穏健で中正で無愛想で、規則と順序と年末の賞与金と文部省と妻君とを、此上なく尊敬する一教育者の手から、聖代の初等教育を授けられた日本国民の一人、当年二十七歳の天野大助が書いたのだと知つたならば、抑々何の辞を以て其驚愕の意を発表するであらうか。実際これでは紹介状ドコロの話ではない。命令だ、しかも随分乱暴な命令だ、見ず知らずの独眼竜に出来る限りの助力をせよといふのだもの。然し乍ら、この驚くべき一文を胸轟かせて読み終つた自分は、決して左様は感じなんだ。敢て問ふ、世上滔々たうたうたる浮華虚礼の影が、此手紙の何の隅に微塵たりとも隠れて居るか。⦅一金三両也。馬代。くすかくさぬか、これどうぢや。くすといふならそれでよし、くさぬにつけてはたゞおかぬ。うぬがうでには骨がある。⦆といふ、昔さる自然生じねんじよの三吉が書いた馬代請求の付状つけじやうが、果して大儒新井白石の言の如く千古の名文であるならば、簡にしてよく其要を得た我が畏友朱雲の紹介状も亦、正に千古の名文といひつべしである。のみならず、斯くの如き手紙を平気で書き、又平気で読むといふ彼我ひが二人の間は、真に同心一体、肝胆相照すといふ趣きの交情でなくてはならぬ。一切の枝葉を掃ひ、一切の被服を脱ぎ、六尺似神じしんの赤裸々を提げて、平然として目ざす城門に肉薄するのが乃ち此手紙である。此平然たる所には、実に乾坤に充満する無限の信用と友情とが溢れて居るのだ。自分は僅か三秒か四秒の間にこの手紙を読んだ。そして此瞬間に、躍々たる畏友の面目を感じ、其温かき信用と友情の囁きを聞いた。

『よろしい。へお通し申して呉れ。』

『乞食をですかツ。』

と校長が怒鳴つた。

『何だつてそれア余りですよ。新田さん。学校の職員室へ乞食なんぞを。』

 斯う叫んだのは、窓の硝子もピリ〳〵とする程甲高い、幾億劫来声を出した事のない毛虫共が千万疋もウヂヤ〳〵と集まつて雨乞の祈祷でもするかの様な、何とも云へぬ厭な声である。舌が無いかと思はれたマダム馬鈴薯の、突然噴火した第一声の物凄さ。

 小使忠太の団栗眼どんぐりまなこはクル〳〵〳〵と三廻転した。度を失つてまだ動かない。そこで一つ威嚇の必要がある。

『お通し申せ。』

と自分は一喝を喰はした。忠太はアタフタと出て行つた、が、早速すぐまた引き返して来た。後には一人物が随つて居る。多分既に草鞋を解いて、玄関に上つて居たつたのであらう。

『新田さん、貴君はそれでいいのですか。よ、新田さん、貴君一人の学校ではありませんよ。人ツ、代用のクセに何だと思つてるだらう。マア御覧なさい。アンナ奴。』

 馬鈴薯が頻りにわめく。自分は振向きもしない。そして、今しも忠太の背から現はれむとする、「アンナ奴」と呼ばれたる音吐朗々のナポレオンに、渾身こんしんの注意を向けた。朱雲の手紙に「独眼竜ダヨ」と頭註がついてあつたが、自分はたゞ単に、ヲートルローの大戦で誤つて一眼を失つたのだらう位に考へて、敢て其為めに千古の真骨頭ナポレオン・ボナパルトの颯爽さつさうたる威風が、一毫たりとも損ぜられたものとは信じなんだのである。或は却つて一段秋霜烈日の厳を増したのではないかと思つた。忠太は体を横に開いてヒヨコリと頭を下げる。や否や、逃ぐるが如く出て行つてしまつた。

 天が下には隠家もなくなつて、今現身げんしんの英傑は我が目前咫尺しせきの処に突兀とつこつとして立ち給ふたのである。自分も立ち上つた。

 此時、自分は俄かに驚いて叫ばんとした。あはれ千載万載一遇の此月此日此時、自分の双眼が突如として物の用に立たなくなつたではないか。これ程劇甚な不幸は、またとこの世にあるべきでない。自分は力の限り二三度瞬いて見て、そしてまた力の限り目を睜つた。然しダメである。ヲートルローの大戦に誤つて流弾の為めに一眼を失ひ、却つて一段秋霜烈日の厳を加へた筈のナポレオン・ボナパルトは、既にとこしなへに新田耕助の仰ぎ見るべからざるものとなつたのである。自分の大く睜つた目は今、数秒の前千古の英傑の立ち止つたと思ふた其同じ処に、悄然として塵塚ちりづかの痩犬の如き一人物の立つて居るのを見つめて居るのだ。実に天下の奇蹟である。いかなる英傑でも死んだ跡には唯骸骨を残すのみだといふ。シテ見れば、今自分の前に立つて居るのは、或はナポレオンの骸骨であるかも知れない。

 よしや骸骨であるにしても、これは又サテ〳〵見すぼらしい骸骨であるわい。身長五尺の上を出る事正に零寸零分、埃と垢で縞目も見えぬ木綿の袷を着て、帯にして居るのは巾狭き牛皮の胴締、裾からは白い小倉の洋袴ズボンの太いのが七八寸も出て居る。足袋は無論穿いて居ない。髪は二寸も延びて、さながら丹波栗の毬を泥濘ぬかりみちにころがしたやう。目は? 成程独眼竜だ。然しヲートルローで失つたのでは無論ない。恐らく生来うまれつきであらう、左の方が前世に死んだ時の儘で堅く眠つて居る。右だつて完全な目ではない。何だか普通なみの人とは黒玉の置き所が少々違つて居るやうだ。鼻は先づ無難、口は少しく左に歪んで居る。そして頬が薄くて、血色が極めて悪い。これらの道具立の中に、独り威張つて見える広い額には、少なからず汗の玉が光つて居る。涼しさうにもない。その筈だ、六月三十日に袷を着ての旅人だもの。忠太がヒヨツトコの真似をして見せたのも、「アンナ奴」と馬鈴薯の叫んだのも、自身の顔の見えぬ故でもあらうが、然し左程当を失して居ない様にも思はれる。

 斯う自分の感じたのは無論一転瞬の間であつた。たとへ一転瞬の間と雖ども、かくの如きさもしい事を、この日本一の代用教員たる自分の胸に感じたのは、実に慚愧ざんきに堪へぬ悪徳であつたと、自分の精神に覚醒の鞭撻べんたつを与へて呉れたのは、この奇人の歪める口から迸しつた第一声である。

『僕は石本俊吉と申します。』

 あゝ、声だけはたしかにナポレオンにしても恥かしくない声だ。この身体の何処に貯へて置くかと怪まれる許り立派な、美しい、堂々たる、広い胸の底から滞りなく出る様な、男らしい凛とした声である。一葉ひとは牡蠣かきの殻にも、詩人が聞けば、遠き海洋わだつみの劫初の轟きが籠つて居るといふ。さらば此男も、身体こそ無造作に刻まれた肉塊の一断片に過ぎぬが、人生の大殿堂を根柢から揺り動かして響き渡る一撞万声の鯨鐘の声を深く這裏このうちに蔵して居るのかも知れない。若しさうとすると、自分を慚愧すべき一瞬の悪徳から救ひ出したのは、此影うすきナポレオンの骸骨ではなくて、老ゆる事なき人生至奥の鐘の声の事になる。さうだ、慥かにさうだ。この時自分は、その永遠無窮の声によつて人生の大道に覚醒した。そして、畏友朱雲から千古の名文によつて紹介された石本俊吉君に、初対面の挨拶を成すべき場合に立つて居ると覚悟をきめたのである。

『僕が新田です。初めて。』

『初めて。』

と互に一揖いちいふする。

『天野君のお手紙はどうも有難う。』

『どうしまして。』

 斯う云つて居る間に、自分は不図或る一種の痛快を感じた。それは、随分手酷い反抗のあつたに不拘かかはらず、飄然として風の如く此職員室に立ち現れた人物が、五尺二寸と相場の決つた平凡人でなくて、実に優秀なる異彩を放つ所の奇男子であるといふ事だ。で、自分は、手づから一脚の椅子を石本に勧めて置いて、サテ屹となつて四辺を見た。女教師は何を感じてか凝然ぢつとして此新来の客の後姿に見入つて居る。他の三人の顔色は云はずとも知れた事。自分は疑ひもなく征服者の地位に立つて居る。

『一寸お紹介ひきあはせします。この方は、私の兄とも思つて居る人からの紹介状を持つて、遙々訪ねて下すつた石本俊吉君です。』

 何れも無言。それが愈々自分に痛快に思はれた。馬鈴薯は『チヨッ』と舌打して自分を一睨したが、矢張一言もなく、すぐ又石本をめ据ゑる。恐らく余程石本の異彩ある態度に辟易してるのであらう。石本も亦敢て頭を下げなんだ。そして、如何に片目の彼にでも直ぐ解る筈の此不快なる光景に対して、殆んど無感覚な位極めて平気である。どうも面白い。余程戦場の数を踏んだ男に違ひない。荒れ狂ふ獅子の前に推し出しても、今朝喰つた飯の何杯であつたかを忘れずに居る位の勇気と沈着をば持つて居さうに思はれる。

 得意の微笑を以て自分は席に復した。石本も腰を下した。二人の目が空中に突き当る。此時自分は、対手の右の目が一種抜群の眼球を備へて居る事を発見した。無論頭脳の敏活な人、智の活力の盛んな人の目ではない。が兎に角抜群な眼球である丈けは認められる。そして其抜群な眼球が、自分を見る事決して初対面の人の如くでなく、親しげに、なつかしげに、十年の友の如く心置きなく見て居るといふ事をも悟つた。ト同時に、口の歪んで居る事も、独眼竜な事も、ナポレオンの骸骨な事も、忠太の云つた「気をつけさつしあい」といふ事も、悉皆すつかり胸の中から洗ひ去られた。感じ易き我が心は、利害得失の思慮をめぐらす暇もなく、彼の目に溢れた好意を其儘自分の胸の盃で享けたのだ。いくら浮世の辛い水を飲んだといつても、年若い者のする事は常に斯うである。思慮ある人は笑ひもしやう。笑はば笑へ、敢て関する所でない。自分は年が若いのだもの。あゝ、青春幾時かあらむ。よしや頭が禿げてもこのあたたかい若々しい心情こころもちだけは何日までも持つて居たいものだと思つて居る。いづくんぞ今にして早く蒸溜水の様な心に成られやう。自分と石本俊吉とは、逢会僅か二分間にして既に親友と成つた。自分は二十一歳、彼は、老けても見え若くも見えるが、自分よりは一歳ひとつ二歳ふたつ兄であらう。何れも年が若いのだ。初対面の挨拶が済んだ許りで、二人の目と目が空中で突当る。此瞬間に二つの若き魂がピタリと相触れた。親友に成る丈けの順序はこれで沢山だ。自分は彼も亦一箇の快男児であると信ずる。

 然し其風采は? 噫其風采は!──自分は実際を白状すると、先刻さつきから戦時多端の際であつたので、実は稍々心の平静を失して居た傾がある。随つて此新来の客に就いても、観察未だ到らなかつた点が無いと云へぬ。今、一脚の卓子に相対して、既に十年の友の心を以て仔細に心置きなく見るに及んで、自分は今更の如く感動した。噫々ああああ、何といふ其風采であらう。口を開けばこそ、音吐朗々として、真に凛たる男児の声を成すが、斯う無言の儘で相対して見れば、自分はモウ直視するにも堪へぬ様な気がする。噫々といふ外には、自分のうら若き友情は、他に此感じを表はすべき辞を急に見出しかねるのだ。誠に失礼な言草ではあるが、自分は先に「悄然として塵塚の痩犬の如き一人物」と云つた。然しこれではまだ恐らく比喩が適切でない。「一人物」といふよりも、寧ろ「悄然」其物が形を表はしたといふ方が当つて居るかも知れぬ。

 顔の道具立は如何にも調和を失して居る、奇怪である、余程混雑して居る。然し、其混雑して居る故かも知れぬが、何処と云つて或る一つのまとまつた印象をば刻んで居ない。若し其道具立の一つ〳〵から順々に帰納的に結論したら、却つて「悄然」と正反対な或るエツクスを得るかも知れない。然し此男の悄然として居る事は事実だから仕様がないのだ。長い汚ない頭髪、垢と塵埃に縞目もわかぬ木綿の古袷、血色の悪い痩せた顔、これらは無論其「悄然」の条件の一項一項には相違ないが、たゞ之れ丈けならば、必ずしも世に類のないでもない、実際自分も少なからず遭遇した事もある。が、斯く迄極度に悄然とした風采は、二十一年今初めてである。無理な語ではあるが、若ししか云ふをうべくんば、彼は唯一箇の不調和な形を具へた肉の断片である、別に何の事はない肉の断片に過ぎぬ、が、其断片をめぐる不可見の大気アトモスフエーヤが極度の「悄然」であるのであらう。さうだ、彼自身は何処までも彼自身である。唯其周囲の大気が、凝固したる陰欝と沈痛と悲惨の雲霧であるのだ。そして、これは一時的であるかも知れぬが、少なからぬ「疲労」の憔悴が此大気をして一層「悄然」の趣を深くせしむる陰影かげを作して居る。或は又、「空腹」の影薄さも這裏このうちに宿つて居るかも知れない。

 礼を知らぬ空想の翼が電光の如くひらめく。偶然にも造化の悪戯によつて造られ、親も知らず兄弟も知らずに、虫の啼く野の石に捨てられて、地獄の鉄の壁から伝はつてくる大地の冷気ひえはぐくまれ、常に人生といふ都の外濠伝ひに、影の如く立ち並ぶ冬枯の柳の下を、影の如くそこはかと走り続けて来た、所謂自然生じねんじよの放浪者、大慈の神の手から直ちに野に捨てられた人肉の一断片、──が、或は今自分の前に居る此男ではあるまいか。さうとすると、かの音吐朗々たる不釣合な声も、或日或時或機会、いなごを喰ひ野蜜をめ、駱駝の毛衣を着て野に呼ぶ予言者の口から学び得たのかと推諒する事も出来る。又、「エイ、エイツ」と馬丁の掛声勇ましき黒塗馬車の公道を嫌つて、常に人生の横町許り彷徨うろついて居る朱雲がかゝる男と相知るの必ずしも不合理でない事もうなづかれる。然し、それにしては「石本俊吉」といふ立派な紳士の様な名が、どうも似合はない様だ。或は又、昔は矢張慈母の乳も飲み慈父の手にも抱かれ、愛の揺籃の中に温かき日に照され清浄の月に接吻くちづけされた児が、世によくある奴の不運といふ高利貸に、親も奪はれ家も取られ、濁りなき血の汗を搾り搾られた揚句が、冷たい苔の上に落ちた青梅同様、とこしなへに空の日の光といふものを遮られ、酷薄と貧窮と恥辱と飢餓の中に、年少脆弱、然も不具の身を以て、健気けなげにも単身寸鉄を帯びず、眠る間もなき不断の苦闘を持続し来つて、肉は落ち骨は痩せた壮烈なる人生の戦士──が、すなはち此男ではあるまいか。朱雲は嘗て九円の月俸で、かゝる人生の戦士が暫しの休息所たる某監獄に看守の職を奉じて居た事がある。して見れば此二人が必ずしも接近の端緒を得なんだとはいへない。今思ひ出す、彼はかつて斯う云ふた事がある、『監獄が悪人の巣だと考へるのは、大いに間違つて居るよ、勿体ない程間違つて居るよ。鬼であるべき筈の囚人共が、政府の官吏として月給で生きさあべるをブラ下げた我々看守を、却つて鬼と呼んで居る。其筈だ、真の鬼が人間の作つた法律の網などに懸るものか。囚人には涙もある血もある、又よく物の味も解つて居る、実に立派な戦士だ、たゞ悲しいかな、一つも武器といふものを持つて居ない。世の中でうまい酒を飲んでる奴等は、金とか地位とか皆それ〴〵に武器を持つて居るが、それを、その武器だけを持たなかつた許りにいくさがまけて、立派な男が柿色の衣を着る。君、大臣になれば如何な現行犯をやつても、普通の巡査では手を出されぬ世の中ではないか。僕も看守だ、が、同僚と喧嘩はしても、まだ囚人の頬片ほつぺたに指も触つた事がない。朝から晩まで夜叉の様に怒鳴つて許り居る同僚もあるが、どうして此僕にそんな事が出来るものか。』

 然し此想像も亦、敢て当れりとは云ひ難い。何故となれば、現に今自分を見て居るこの男の右の眼の、親しげな、なつかしげな、心置きなき和かな光が、別に理由を説明するでもないが、何だか、『左様さうではありませぬ』と主張して居る様に見える。平生いかに眼識の明を誇つて居る自分でも、此咄嗟とつさの間には十分精確な判断を下す事は出来ぬ。が兎も角、我が石本君の極めて優秀なる風采と態度とは、決して平凡な一本路を終始並足で歩いて来た人でないといふ事丈けは、完全に表はして居るといつていい。まだ一言の述懐も説明も聞かぬけれど、自分は斯う感じて無限の同情を此悄然たる人に捧げた。自分と石本君とは百分の一秒毎に、密接の度を強めるのだ。そして、旅順の大戦に足を折られ手を砕かれ、両眼また明を失つた敗残の軍人の、輝く金鵄勲章を胸に飾つて乳母車で通るのを見た時と、同じ意味に於ての痛切なる敬意が、また此時自分の心頭に雲の如く湧いた。

 茲に少しく省略の筆を用ゐる。自分の問に対して、石本君が、例の音吐朗々たるナポレオン声を以て詳しく説明して呉れた一切は、大略次の如くであつた。

 石本俊吉は今八戸(青森県三戸郡)から来た。然し故郷はズツト南の静岡県である。土地で中等の生活をして居る農家に生れて、兄が一人妹が一人あつた。妹は俊吉に似ぬ天使の様な美貌を持つて居たが、其美貌祟りをなして、三年以前、十七歳の花盛の中に悲惨な最後を遂げた。公吏の職にさへあつた或る男の、野獣の如き貪婪どんらんが、罪なき少女の胸に九寸五分の冷鉄を突き立てたのだといふ。兄は立派な体格を備へて居たが、日清の戦役に九連城畔であへなく陣歿した。『自分だけは醜い不具者であるから未だ誰にも殺されないのです、』と俊吉は附加へた。両親は仲々勤勉で、何一つ間違つた事をした覚えもないが、どうしたものか兄の死後、格段な不幸の起つたでもないのに、家運は漸々やうやう傾いて来た。そして、俊吉が十五の春、土地の高等小学校を卒業した頃は、山も畑も他人の所有に移つて、少許すこしばかりの田と家屋敷が残つて居た丈けであつた。其年の秋、年上な一友と共に東京へ夜逃をした。新橋へ着いた時は懐中僅かに二円三十銭と五厘あつた丈けである。無論前途に非常な大望を抱いての事。稚ない時から不具な為めに受けて来た恥辱が、抑ゆべからざる復讐心を起させて居たので、この夜逃も詰りは其為めである。又同じ理由に依つて、上京後は労働と勉学の傍ら熱心に柔道を学んだ、今ではこれでも加納流の初段である。然し其頃の悲惨なる境遇は兎ても一朝一夕に語りつくす事が出来ない、餓ゑて泣いて、国へ帰らうにも旅費がなく、翌年の二月、さる人に救はれる迄は定まれる宿とてもなかつた位。十六歳にして或る私立の中学校に這入つた。三年許りにして其保護者パトロンの死んだ後は、再び大都の中央へいしころの如く投げ出されたが、兎に角非常な労働によつて僅少の学費を得、其学校に籍だけは置いた。昨年の夏、一月許り病気をして、ために東京では飯喰ふ道を失ひ、止むなく九月の初めに、友を便つて乞食をしながら八戸迄東下りをした。そして、実に一週間以前までは其処の中学の五年級で、朝は早く『八戸タイムス』といふ日刊新聞の配達をし、午後三時から七時迄四時間の間は、友人なる或菓子屋に雇はれて名物の八戸煎餅を焼き、都合六円の金を得て月々の生命を繋ぎ、又学費として、孤衾こきん襟寒き苦学自炊の日を送つて来たのだといふ。年齢としは二十二歳、身の不具で弱くて小さい所以は、母の胎内に七ヶ月しか我慢がしきれず、無理矢理に娑婆へ暴れ出した罰であらうと考へられる。

 天野朱雲氏との交際は、今日で恰度半年目である。忘れもせぬ本年一月元旦、学校で四方拝の式を済ましてから、特務曹長上りの予備少尉なる体操教師を訪問して、苦学生の口には甘露とも思はれるビールの馳走を受けた。まだ酔の醒めぬ顔を、ヒユーと矢尻を研ぐ北国の正月の風に吹かせ乍ら、意気揚々として帰つてくると、時は午後の四時頃、とある町の彼方から極めて異色ある一人物が来る。酒とお芽出度うと晴衣の正月元日に、見れば自分と同じ様に裾から綿も出ようといふ古綿入を着て、羽織もなく帽子もなく、髪は蓬々として熊の皮を冠つた如く、然も癪にさはる程悠々たる歩調で、洋杖ステツキを大きく振り廻し乍ら、目は雪曇りのした空を見詰めて、……。初めは狂人かと思つた。近づいて見ると、五分位に延びた漆黒の鬚髯が殆んど其平たい顔の全面を埋めて、空を見詰むる目は物凄くもギラ〳〵する巨大なる洞穴の様だ。随分非文明な男だと思ひ乍ら行きずりに過ぎやうとすると、其男の大圏おほわに振つて居る太い洋杖が、発矢はつしと許り俊吉の肩先を打つた。

『何をするツ。』と身構へると、其男も立止つて振返つた。が、極めて平気で自分を見下すのだ。癪にさはる。先刻も申上げた通り、これでも柔術は加納流の初段であるので、一秒の後には其非文明な男は雪の堅く氷つた路へ摚と許り倒れた。直ぐ起き上る。打つて来るかとまた身構へると、矢張平気だ。そして破鐘われがねの様な声で、怒つた風もなく、

『君は元気のいい男だね!』

 自分の満身の力は、此一語によつて急に何処へか逃げて了つた。トタンにまた

『面白い。どうだ君、僕と一しよに来給へ。』

『君も変な男だね!』

と自分も云つて見た。然し何の効能も無かつた。変な男は悠々と先に立つて歩く。自分も黙つて其後に従つた。見れば見る程、考へれば考へる程、誠に奇妙な男である。此時まで斯ういふ男は見た事も聞いた事もない。一種の好奇心と、征服された様な心持とに導かれて、三四町も行くと、

『此処だ。独身ぢやから遠慮はない。サア。』

「此処」は、広くもあらぬ八戸の町で、新聞配達の俊吉でさへ知らなかつた位な場処、と云はば、大抵どんな処か想像がつかう。薄汚ない横町の、昼猶暗き路次を這入つた突当り、豚小舎よりもまだ酷い二間間口の裏長屋であつた。此日、俊吉が此処から帰つたのは、夜も既に十一時を過ぎた頃であつた。その後は殆んど夜毎に此豚小舎へ通ふやうになつた。変な男は乃ち朱雲天野大助であつたのだ。『天野君は僕の友人で、兄で、先生で、そして又導師です。』と俊吉は告白した。

 家出をして茲に足掛八年、故郷へ還つたのは三年前に妹が悲惨な最後を遂げた時唯一度である。家は年々に零落して、其時は既に家屋敷の外父の所有といふものは一坪もなかつた。四分六分の残酷な小作で、漸やく煙を立てて居たのである。老いたる母は、其儘俊吉をひき留めやうと云ひ出した。然し父は一言も云はなかつた。二週間の後には再び家を出た。その時父は、『壮健たつしやで豪い人になつてくれ。それ迄は死なないで待つて居るぞ。石本の家を昔に還して呉れ。』といつて、五十余年の労苦に疲れた眼から大きい涙を流した。そして、何処から工面したものか、十三円の金を手づから俊吉の襯衣しやつ内衣嚢うちかくしに入れて呉れた。これが、父の最後の言葉で、又最後の慈悲であつた。今は再びこの父をこの世に見る事は出来ない。

 と云ふのは、父は五十九歳を一期として、二週間以前にあの世の人と成つたのである。この通知の俊吉に達したのは、実に一週間前の雨の夕であつた。

『この手紙です。』といつて一封の書を袂から出す。そして、打湿つた声で話を続ける。

『僕は泣いたです。例の菓子屋から、傘がないので風呂敷を被つて帰つて来て見ると、宿の主婦かみさんの渡してくれたのが此手紙です。いくら読み返して見ても、矢張り老父おやぢが死んだとしか書いて居ない。そんなら何故電報で知らして呉れぬかと怨んでも見ましたが、然し私の村は電信局から十六里もある山中なんです。恰度其日が一七日いつしちにちと気がつきましたから、平常ふだん嫌ひな代数と幾何の教科書を売つて、三十銭許り貰ひました。それで花を一束と、それから能く子供の時に老父おやぢが買つて来て呉れました黒玉──アノ、黒砂糖を堅くした様な小さい玉ですネ、あれを買つて来て、写真などもありませんから、この手紙を机の上に飾つて、そして其花と黒玉を手向けたんです。……其時の事は、もう何とも口では云へません。残つたのは母一人です、そして僕は、二百里も遠い所に居て矢張一人ポッチです。』

 石本は一寸句を切つた。大きい涙がボロ〳〵と其右の眼からこぼれた。自分も涙が出た。何か云はうとして口を開いたが、声が出ない。

『その晩は一睡もしませんでした。彼是十二時近くだつたでせうが、線香を忘れて居たのに気が付きまして、買ひに出掛けました。寝て了つた店をやう〳〵叩き起して、買ふには買ひましたが、困つたです、雨が篠をつく様ですし、矢張風呂敷を被つて行つたものですから、其時はもうビシヨ濡れになつて居ます。どうして此線香を濡らさずに持つて帰らうかと思つて、薬種屋の軒下に暫らく立つて考へましたが、店の戸は直ぐ閉るし、後は急に真暗になつて、何にも見えません。雨はもう、轟々ツと鳴つて酷い降り様なんです。望の綱がスツカリ切れて了つた様な気がして、僕は生れてから、随分心細く許り暮して来ましたが、然し此時このときの位、何も彼もなくたゞ無暗にもう死にたくなつて、呼吸もつかずに目をつむる程心細いと思つた事はありません。斯んな時は涙も出ないですよ。

『それから、其処に立つて居たのが、如何どれ程の時間か自分では知りませんが、気が付いた時は雨がスツカリ止んで、何だか少し足もとが明るいのです。見ると東の空がボーツと赤くなつて居ましたつけ。夜が明けるんですネ。多分此時まで失神して居たのでせうが、よくも倒れずに立つて居たものと不思議に思ひました。線香ですか? 線香はシツカリ握つて居ました、堅く。しかし濡れて用に立たなくなつて居るのです。

『また買はうと思つたんですが、濡れてビシヨ〳〵の袂に一銭五厘しか残つて居ないんです。一把二銭でしたが……。本を売つた三十銭の内、国へ手紙を出さうと思つて、紙と状袋と切手を一枚買ひましたし、花は五銭でドツサリ、黒玉も、たゞもう父に死なれた口惜くやしまぎれに、今思へば無考な話ですけれども、十五銭程買つたのですもの。仕方がないから、それなり帰つて来て、其時は余程障子も白んで居ましたが、復此手紙を読みました。所が、可成早く国に帰つて呉れといふ事が、繰り返し〳〵書いてあるんです。昨夜ゆふべはチツとも気がつかなかつたですが、無論読んだには読んだ筈なんで、多分「父が死んだ」といふ、たゞそれ丈けで頭が一杯だつたせゐでせう。成程、父と同年で矢張五十九になる母が唯一人残つたのですもの、どう考へたつて帰らなくちやならない、且つ自分でも羽があつたら飛んで行きたい程一刻も早く帰り度いんです。然し金がない、一銭五厘しか無い、草鞋わらぢ一足だつて二銭は取られまさアね。新聞社の方も菓子屋の方も、実は何日いつでも月初めに前借してるんで駄目だし、それに今月分の室賃へやちんはまだ払つて居ないのだから、財産をみんな売つた所で五銭か十銭しか、残りさうも無い。財産と云つたものの、蒲団一枚に古机一つ、本は漢文に読本リーダー文典グランマー之丈これだけ、あとの高い本は皆借りて写したんですから売れないんです。尤もまだ毛布が一枚ありましたけれども、大きい穴が四ツもあるのだから矢張駄目なんです。室賃は月四十銭でした、長屋の天井裏ですもの。児玉──菓子屋へ行つて話せば、幾何いくらか出して貰へんこともなかつたけれど、然し今迄にも度々世話になつてましたからネ。考へて考へて、去年東京から来た時の経験もあるし、尤も余り結構な経験でもありませんが、仕方が無いから思ひ切つて、乞食をして国まで帰る事に遂々たうたう決心したんです。貧乏の位厚顔な奴はありませんネ。此決心も、僕がしたんでなくて、貧乏がさせたんですネ。それでマア決心した以上は一刻の猶予もなりませんし、国へは直ぐさう云つて手紙を出しました。それから、九時に学校へ行つて、退校願を出したり、友人へ告別したりして。尤も告別する様な友人は二人しかありませんでしたが、……処が校長の云ふには、「君はたしか苦学して居る筈だつたが、国へ帰るに旅費などはあるのかナ。」と、斯ういふんです。僕は、乞食して行く積りだつて、さう答へた処が、「ソンナ無謀な破廉恥な事はせん方がいいだらう。」と云ひました。それではどうしたら可でせうと問ひますと、「マア能く考へて見て、何とかしたら可ぢやないか。」と抜かしやがるんです。癪に触りましたネ。それから、帰りに菓子屋へ行つて其話をして、新聞社の方も断はつて、古道具屋を連れて来ました。前に申上げた様な品物に、小倉の校服の上衣だの、硯だのを加へて、値踏みをさせますと、四十銭の上は一文も出せないといふんです。此方の困つてるのに見込んだのですネ。漸やくの次第で四十五銭にして貰つて、売つて了つたが、残金僅か六銭五厘では、いくら慣れた貧乏でも誠に心細いもんですよ。それに、宿から借りて居た自炊の道具も皆返して了ふし、机も何もなくなつてるし、薄暗いへや中央まんなかに此不具かたはな僕が一人坐つてるのでせう。平常ふだんから鈍い方の頭が昨夜の故でスツカリ労れ切つてボンヤリして、「老父おやぢが死んで、これから乞食をして国へ帰るのだ」といふ事だけが、漠然と頭に残つてるんです。此漠然として目的も手段も何もない処が、無性に悲しいんで、たゞもう声を揚げて泣きたくなるけれども、声も出ねば涙も出ない。何の事なしにたゞ辛くて心細いんですネ。今朝飯を喰はなかつたので、空腹ではあるし、国の事が気になるし、昨夜の黒玉をつかんで無暗に頬ばつて見たんです。

『それから愈々出掛けたんですが、一時頃でしたらう、天野君のうちへ這入つたのは。天野君も以前は大抵夜分でなくては家に居なかつたのですが、学校を罷めてからは、一日いちんち外へ出ないで、何時でも蟄居ちつきよして居るんです。』

『天野はめたんですか、学校を?』

『エ? 左様さう々々、君はまだ御存じなかつたんだ。罷めましたよ、遂々たうたう。何でも校長といふ奴と、──僕も二三度見て知つてますが、鯰髯なまづひげの随分変梃へんてこ高麗人かうらいじんでネ。その校長と素晴しい議論をやつて勝つたんですとサ。それで二三日経つと突然免職なんです。今月の十四五日の頃でした。』

『さうでしたか。』と自分は云つたが、この石本の言葉には、一寸顔にのぼる微笑を禁じ得なかつた。何処の学校でも、校長は鯰髯の高麗人で、議論をすると必然きつと敗けるものと見える。

 然し此微笑も無論三秒とは続かなかつた。石本の沈痛なる話が直ぐ進む。

『学校を罷めてからといふもの、天野君は始終考へ込んで許り居たんですがネ。「少し散歩でもせんと健康が衰へるでせう。」といふと、「馬鹿ツ。」と云ふし、「何を考へて居るのです。」ツて云へば、「君達に解る様な事は考へぬ。」と来るし、「解脱げだつの路に近づくのでせう。」なんて云ふと、「人生は隧道トンネルだ。行くところまで行かずに解脱の光が射してくるものか。」と例の口調なんですネ。行つた時は、平生いつものやうに入口の戸が閉つて居ました。初めての人などは不在かと思ふんですが、戸を閉めて置かないと自分の家に居る気がしないとアノ人が云つてました。其戸を開けると、「石本か。」ツて云ふのが癖でしたが、この時はしんとして何とも云はないんです。不在かナと思ひましたが、帰つて来るまで待つ積りで上り込んで見ると、不在ぢやない、居るんです。居るには居ましたが、僕の這入はいつたのも知らぬ風で、木像の様に俯向うつむいて矢張り考へ込んで居るんですナ。「何うしました?」と声をかけると、ヒヨイと首を上げて、「石本か。君は運命の様だナ。」と云ふ。何故ですかツて聞くと、「さうぢやないか、不意の侵入者だもの。」と淋しさうに笑ひましたツけ。それから、「なんだ其顔。陰気な運命だナ。そんな顔をしてるよりは、死ね、死ね。……それとも病気か。」と云ひますから、「病気には病気ですが、ソノ運命と云ふ病気に取り付かれたんです。」ツて答へると、「左様さうか、そんな病気なら、少し炭を持つて来て呉れ、湯を沸すから。」とまた淋しく笑ひました。天野君だつて一体サウ陽気な顔でもありませんが、この日は殊に何だか斯う非常に淋しさうでした。それがまた僕には悲しいんですネ。……で、二人で湯を沸して、飯を喰ひ乍ら、僕は今から乞食をして郷国くにへ帰る処だツて、何から何まで話したのですが、天野君は大きい涙を幾度も〳〵こぼして呉れました。僕はモウ父親おやぢの死んだ事も郷国くにの事も忘れて、コンナ人と一緒に居たいもんだと思ひました。然し天野君が云つて呉れるんです、「君も不幸な男だ、実に不幸な男だ。が然し、余り元気を落すな。人生の不幸のおりまで飲み干さなくては真の人間に成れるものぢやない。人生は長い暗い隧道だ、処々に都会といふ骸骨の林があるツきり。それにまぎれ込んで出路を忘れちやけないぞ。そして、脚の下にはヒタ〳〵と、永劫の悲痛が流れて居る、恐らく人生の始よりも以前から流れて居るんだナ。それに行先を阻まれたからと云つて、其儘帰つて来ては駄目だ、暗い穴が一層暗くなる許りだ。死か然らずんば前進、唯この二つの外に路が無い。前進が戦闘たたかひだ。戦ふには元気が無くちや可かん。だから君は余り元気を落しては可けないよ。少なくとも君だけは生きて居て、そして最後まで、壮烈な最後を遂げるまで、戦つて呉れ給へ。血と涙さへれなければ、武器も不要いらぬ、軍略も不要、赤裸々で堂々と戦ふのだ。この世を厭になつては其限それつきりだ、少なくとも君だけは厭世的な考へを起さんで呉れ給へ。今までも君と談合かたりあつた通り、現時の社会で何物かよく破壊の斧に値せざらんやだ。全然破壊する外に、改良の余地もない今の社会だ。建設の大業は後にる天才に譲つて、我々は先づ根柢まで破壊の斧を下さなくては不可いかん。然しこの戦ひは決して容易な戦ひではない。容易でないから一倍元気が要る。元気を落すな。君が赤裸々で乞食をして郷国へ帰るといふのは、無論遺憾な事だ、然し外に仕方が無いのだから、僕も賛成する。尤も僕が一文無しでなかつたら、君の様な身体の弱い男に乞食なんぞさせはしない。然し君も知つての通りの僕だ。たゞ、何日か君に話した新田君へ手紙をやるから、新田には是非逢つて行き給へ。何とか心配もして呉れるだらうから。僕にはアノ男と君の外に友人といふものは一人も無いんだからなあ。」と云つて、先刻差上げた手紙を書いてくれたんです。それから種々さまざま話して居たんですが、暫らくしてから、「どうだ、一週間許り待つて呉れるなら汽車賃位出来る道があるが、待つか待たぬか。」と云ふんです。如何してと聞くと、「ナーニ僕の財産一切を売るのサ。」と云ひますから、ソンナラ君は何うするんですかツて問ふと、暫し沈吟してましたつけが、「僕は遠い処へ行かうと思つてる。」と答へるんです。何処へと聞いても唯遠い処と許りで、別に話して呉れませんでしたが、天野君のツてすから、何でもまた何か痛快な計画があるだらうと思ひます。考へ込んで居たのも其問題なんでせうね。屹度大計画ですよ、アノ考へ様で察すると。』

『さうですか。天野はまた何処かへ行くと云つてましたか。アノ男も常に人生の裏路許り走つて居る男だが、甚麽どんな計画をしてるのかネー。』

『無論それは僕なんぞに解らないんです。アノ人の言ふ事る事、皆僕等凡人の意想外ですからネ。然し僕はモウ頭ツから敬服してます。天野君は確かに天才です。豪い人ですよ。今度だつて左様でせう、自身が遠い処へ行くに旅費だつて要らん筈がないのに、財産一切を売つて僕の汽車賃にしようと云ふのですもの。これが普通の人間に出来るツてすかネ。さう思つたから、僕はモウ此厚意だけで沢山だと思つて辞退しました。それからまた暫らく、別れともない様な気がしまして、話してますと、「モウ行け。」と云ふんです。「それでは之でお別れです。」と立ち上りますと、少し待てと云つて、鍋の飯を握つて大きい丸飯ぐわんぱんを九つこさへて呉れました。僕は自分でやりますと云つたんですけれど、「そんな事を云ふな、天野朱雲が最後の友情を享けていさぎよく行つて呉れ。」と云ひ乍ら、涙を流して僕には背を向けて孜々せつせと握るんです。僕はタマラナク成つて大声を揚げて泣きました。泣き乍ら手を合せて後姿を拝みましたよ。天野君は確かに豪いです。アノ人の位豪い人は決してありません。……(石本は眼をぢて涙を流す。自分も熱い涙の溢るるを禁じ得なんだ。女教師の啜り上げるのが聞えた。)それから、また坐つて、「これで愈々お別れだ。石本君、生別又かねし死別時、僕は慇懃いんぎんに袖を引いて再逢のを問ひはせん。君も敢てまたその事を云ひ給ふな。たゞ別れるのだ。別れて君は郷国くにへ帰り、僕は遠い処へ行くまでだ。行先は死、然らずんば戦闘たたかひ。戦つて生きるのだ。死ぬのは……いや、死と雖ども新たに生きるのいひだ。戦の門出に泣くのは児女の事ぢやないか。別れよう。潔く元気よく別れよう。ネ、石本君。」と云ひますから、「僕だつて男です、潔くお別れします。然し何も、生別死別を兼ぬる訳では無いでせう。人生は成程暗い坑道つかあなですけれど、往来皆此路、君と再び逢ふが無いとは信じられません。逢ひます、屹度また逢ひます。僕は君の外に頼みに思ふ人もありませんし、屹度また何処かで逢ひます。」と云ひますと、「人生は左様さう都合よくは出来て居らんぞ。……然し何も、君が死にに行くといふではなし、また、また、僕だつて未だ死にはせん。……決して死にはせんのだから、さうだ、再逢の期が遂に無いとは云はん。たゞ、それを頼りに思つて居ると失望する事がないとも限らない。詰らぬ事を頼りにするな。又、人生の雄々しき戦士が、人を頼りにするとは弱い話だ。……僕は此八戸に来てから、君を得て初めて一道の慰藉と幸福を感じて居た。僅か半歳はんさいあひだ、匇々たる貧裡半歳の間とは云へ、僕が君によつて感じ得た幸福は、とこしなへに我等二人を親友とするであらう。僕が心を決して遠い処へ行かんとする時、君も亦飄然として遙かに故園に去る、──此八戸を去る。好し、行け、去れ、去つて再び問ふこと勿れ。たゞ、願はくは朱雲天野大助と云ふ世外の狂人があつたと丈けは忘れて呉れ給ふな。……解つたか、石本。」と云つて、ジツと僕を凝視みつめるのです。「解りました。」ツて頭を下げましたが、返事が無い。見ると、天野君は両膝に手をついて、俯向いて目をつむつてました。解りましたとは云つたものの、僕は実際何もかも解らなくなつて、只斯う胸の底を掻きむしられる様で、ツイと立つて入口へ行つたです。目がしきりなく曇るし、手先が慄へるし、仲々草鞋が穿けなかつたですが、やう〳〵紐をどうやら結んで、丸飯ぐわんぱんの新聞包を取り上げ乍ら見ると、ああ、天野君は死んだ様に突伏してます。「お別れです。」と辛うじて云つて見ましたが、自分の声の様で無い、天野君は突伏した儘で、「行け。」と怒鳴るんです。僕はモウ何とも云へなくなつて、大声に泣き乍ら駆け出しました。路次の出口で振返つて見ましたが、無論入口に出ても居ません。見送つて呉れる事も出来ぬ程悲しんで呉れるのかと思ひますと、有難いやら嬉しいやら怨めしいやらで、丸飯の包を両手に捧げて入口の方を拝んだと迄は知つてますが、アトは無宙で駆け出したです。……人生は何処までも惨苦です。僕は天野君から真の弟の様にされて居たのが、自分一生涯の唯一度の幸福だと思ふのです。』

 語り来つて石本は、痩せた手の甲に涙を拭つて悲気かなしげに自分を見た。自分もホツと息を吐いて涙を拭つた。女教師ぢよけうしは卓子に打伏して居る。

〔生前未発表・明治三十九年七月稿、十一月補稿〕

底本:「石川啄木全集 第三巻 小説」筑摩書房

   1978(昭和53)年1025日初版第1刷発行

   1993(平成5年)年520日初版第7刷発行

初出:「啄木全集 第一巻 小説」新潮社

   1919(大正8)年421

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※生前未発表、1906(明治39)年7月執筆、同年11月補稿のこの作品の本文を、底本は、土岐善麿氏所蔵啄木自筆原稿によっています。

入力:Nana ohbe

校正:林 幸雄

2008年87日作成

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