秋・二日の話
牧野信一



 綽名だけは一人前──悪党きどりの不良少年──母島村長の懇望から三十人をけふ島送り──。

 未だ十三や十四の身空でオートバイ、洋服、熊、ガタ倉、黒、トガワ、青坊主、ヤセ馬等といふ綽名を持ち、ひとかどの悪党きどりで浅草公園を中心に新公園、寺院墓地、雷門、川崎銀行裏、五重塔等に屯して、かつぱらひやすりを働く不良少年の群には、所轄署に於ても一方ならず手を焼いてゐるが、今回小笠原の母島から上京した同村長がこれ等の不良少年を名もなつかしき母島へ伴れて行つて砂糖栽培に従事させ、丁年までには真人間にして還したいといふ希望を齎したので不良少年保護所から所轄署に依頼し、所轄署では×日の午後十時を期して×警部補指揮の下に和服が総出となつて公園附近をかり立てた結果札付きの不良少年三十名を取り押へたがその中でも比較的年が若くて質の好くない左の十五名を小笠原へ送ることゝなり、×日横浜出帆の郵船××丸で村長が伴れて行つた、母島では各農家に分配して使傭する筈。──

 或る晩、私はそんなことを声をたて、朗読した。新聞の夕刊記事である。別に、その記事が面白くて朗読したわけではない。私は、うつかり昼寝をして、眼を醒したら、もう夜だつた。

「散歩にでも行つていらつしやいな、ぼんやりしてゐないで。」などゝ周子にすゝめられたのだが、別に訪れる処もなし、漫然たる散歩は嫌ひなので出かける気がしなかつたのだ。ぼんやり椅子に胡坐をかいて跼つてゐたのである。──そんな朗読でもしたら、いくらか眼醒しになるかと思つて、夕刊を拡げていきなり眼に付いたところを読みあげたのだ。

「随分いろんな綽名があるんですね。」

 周子は、私の機嫌を取るやうに云つた。

「お前にも綽名をつけてやらうか。」

 私は、ふざけてそんなことを云つた。それには返答しないで彼女は、

「あなたは子供の時分綽名をつけられたことがある?」と訊ねた。

「無いな。」

 私は、一寸回想して見たが思ひあたらなかつた。「お前はあつたらう?」

「ありませんよ。」

「いやありさうな顔だ。」

「自分こそ!」

「ヒデヲは今に綽名をつけられるかしら。」

「不良少年だけよ、そんなことは──」

 周子は、厭な顔をして横を向いた。

 静かな晩だつた。私の一人の子である三才のHが、独りで切りに噪ぎ廻つてゐるより他には、あたりには何の音もなかつた。食膳の上に小道具を並べておくと、Hが乱暴で直ぐに破壊してしまふので、Hに手のとゞかない高さの安物の丸テーブルを備へて、私はそこで酒を飲んだり食事をしたりしてゐた。尤も、もう一つ理由があつた。一ト月程前に借りた家なのだが、畳が大分汚くて、坐るのが厭だつた。私は、吝嗇で畳換へをしようともせず、だが、さうとは云はず友達等が来ても体裁をつくつて、

「椅子テーブルの方が、具合が好い、だんだんに生活を洋風にしようと思つてゐるんだ。」などゝ云つてゐた。その癖私は人一倍行儀が悪くて終日寝間着を着通して、いつも椅子の上に胡坐をかいてゐた。

「寒くなつて来たから、障子を貼り換へなければなりませんね。」

「コーヤクを貼つて済しておけよ。」

「コーヤクぢや塞ぎきれないでせう。」

 Hは、私達の周囲を自動車の真似をしながらグルグルと飛び廻つてゐた。

「三つにもなると、こんなに好く暴れたり、こんなに好く喋つたりするものかな。」

 私は、彼の様子を沁々と眺めながらそんなことを呟いた。

「お酒に酔つても、これからはヒデヲの前では気をつけて下さいね、悪るふざけをしたりすると直ぐに真似をしますよ。」

「真似をされては、やり切れないな。」

 私は、横を向いて苦笑を洩した。微かな圧迫を感じたのである。

 自動車の遊びに倦きたHは、角力の四股を踏んだり、懸声だけ勇ましい出たら目の徒手体操を演じたりしてゐた。

「あれも、あなたの真似よ。」と云つて周子もぼんやりHの運動を眺めてゐた。「ゆうべだ〳〵、あなたが大変酔つて帰つて来て、あんなことをやつたのは……」

「あゝいふ真似なら、立派なものぢやないか。」

 私は、内心酷くてれ臭さかつたが、顔つきは自信あり気に、太い作り声で厳しさうにうなつた。

「痩ツぽちの人に限つて、変な処で意張るわね。だけど、他家よそへ行つていくら酔つたつてあんなことをするのはお止めなさい。愛嬌にもなりはしないわよ。」

「…………」

 俺に取つては、自分の為にやるんだ、真面目なんだ──といふやうなことを私は云はうかと想つたが、あまり馬鹿気てゐるんで遠慮した。

「イチ、ニイ、シヤン、五、八──」

「五、八ぢやありませんよ、四五六七八、もう一遍やつて御覧な。」

 周子は、妙に取り済してHにそんなことを教へた。私は、擽つたい寂しさを感じた。そして私も気取つた口調で、

「子供といふものはね。」と云つた。だが巧く言葉が続かなかつた。──「間違ひだつて何だつて好いんだよ。教へたりなんて、するねえー」

「教へたつて好いわよ。体操はあなたが教へたんでせう。」

 私の野蛮な口調にムツとした周子は、それでも赧くなつて返答した。教へると角をたてゝ云はれたのが、口惜しさうだつた。

「俺は教へやしない。俺は一人でやつたんだ。ヒデヲはそれを真似したんだ。」

 私は、もういくらか酒に酔つてゐた。父母の愚かな争ひなどには頓着なくHは、切りに運動を続けてゐた。

「決して教へることは止めて貰はう。」私は意固地に喋りつゞけた。「教へないでも覚えるだけのことは覚えるだらう、覚えなければ覚えないだつて好いぢやないか。覚えようと、覚えまいと……だ。」

 私は、舌が廻らなくなつた。同じ文句ばかり循環小数のやうに繰り返してゐる自分の馬鹿さ加減に肚がたつた。周子は横を向いて、聞いてゐるわけではなかつた。

「何云つてゐやがるんだい。」と私は呟いた。

「だんだん阿父さんに似て来る!」

「似ようと似まいと俺の知つたことぢやない。」

「もう止して下さいよ。」

 周子は、疳癪の舌を鳴らした。

「無心の運動には、爽やかな天地のリズムが自づと含まれてゐるんだ。」

「チエツ!」と周子は云つたが、また厄介なことにでもなるといけないと思つたらしく、気を取り直して、

「毎日好いお天気なのだから、稀にはヒデヲを伴れて公園の方へ散歩にでも出掛けたら……」

「…………」

「一日に一度位ゐは伴れてつてやらなければ可哀想ぢやないの! 此頃は一寸も眼が離されないのよ、直ぐに外へ出掛けて……」

「伴れてつてやるものがないから出掛けるんぢやない、三つにもなれば往来へ出て遊ぶのは当り前だ。」

「危いわよ。」

「…………」

「でも、此頃あなたの名前を覚えてよ。」

「ほう!」と私は、うつかり好奇の眼を輝やかせた。すると周子は得意になつて、Hを呼び寄せて、

「ヒデヲちやんのお父さんの名は?」と、訊ねた。

「タキ・チンイチ。」Hははつきりと云つた。

「ね!」と周子が私の方を振り向いた時、私は、

「馬鹿ツ!」と叫んだ。……「誰が教へたんだ。」

「知つてゐたつて好いぢやありませんか。」

「感じが悪いよ。三ツ児がそんな芸当をやるなんて……。不自然だ、イヂけた感じがする、第一正当な発音が出来ない。」

 周子が自分のさとなどへ帰つて、Hに自分の名を云はせて母親などを感心させたりする光景を私は想像した。そしてHが称ふおんが、滑稽に響いて皆が笑ふであらうことを想つて恥を感じたのだ。だが私は、威厳を保たうとしてさうと正直には云はないのである。私は一刻前以上に口を極めて、偉さうに意味あり気な言葉ばかりを連ねて周子を非難した。

「そんなに悪いんなら止めませうよ、二三日口にさへ出さなければ直ぐに忘れてしまひますよ。」

「止して貰はう。」と私は怒鳴つた。「俺の名前はタキノ・シンイチだア。」


 翌朝周子は、

「あなた昨夜は随分酷く酔つたわね。後ろに反つて椅子から落ちたのを知つてゐて? 名前のことで憤つたわね。だけどほんとに可笑しいからもう止めませうよ。」と云つた。

「うむ。」と私は点頭いた。

 新聞に眼を曝してゐた周子は、

「おやツ!」と軽く笑つた。──「島送りの少年悉く逃走す──ですつてさ。(引率の両氏が飲酒中船に乗りおくれて。) まアまア……」

「どれ!」と私も軽い興味をそゝられて、新聞を引き寄せた。──(……目下修繕中の六郷橋の渡しに手間取つたため横浜に着いたのは三時半となり、小笠原行きの近海郵船は定刻の三時に出帆した後だつたので引率の両氏は聊かやけ気味となり某料理店で飲酒中少年等は一斉に逃走す……)などゝ報じてあつた。

 同じ日の午後の出来事だつた。──私は、二階の書斎に引き籠つて、寝転んで天井を眺めてゐた。周子が、疲れ切つた恰好で、そして非常に亢奮して私の傍に来ると、

「ヒデヲが何処かへ行つてしまつた。」と云つて泣き出した。私に聞かせまいと思つて、広小路までも逢初橋までも探したのだが如何しても見つからない、もうかれこれ一時間になる──と伝へた。

「あんな新聞を読んだからかな……」

 私は、カツと取りのぼせて思はずそんなことを口走つた。

「そんなことはありません。」と周子も夢中で、真面目に首を振つた。「私は昨夜いやな夢を見た。」

「迷信は嫌ひだ。」と私は云つた。

 私は、その儘飛び出した。空が好く晴れてゐるのが悲しかつた。──私は、美術学校と音楽学校の周囲を一周した。何処にも赤いジヤケツを着て、私の駒下駄をはいて出たといふHの姿は見あたらなかつた。

「居ないかね。」

「居ない!」

 周子は門口にぼんやり立つてゐた。

「遊びに行く家があるの?」

「大概聞いて見た。」

「ぢや交番へ行かうか。」

 私が斯ういふと周子の眼からは、新しい涙がぽろ〳〵とこぼれた。「迷子!」

「あんな小さい者が……とても番地は知らないね。俺の子供の時分の迷子札をお前は小田原から持つて来たが、あれを何故つけておかなかつたんだ。」

「付けておけば好かつた。」

「俺の名前は知つてゐるね。」

 私は、さう云つて思はず笑つた。

「だつて、──名前だけぢや、とても……」

 周子は笑はなかつた。

「あゝ、困つたな、──交番の帳面には皆な名前が付いてゐるんだらう。」

「駄目よ、そんなこと。」

「うむ、駄目だ。」

 飛行機が飛んでゐた。

「お父さんのお名前は? と聞かれたら、知らないと云ふんだよ、と私が昨夜も今日も教へたのよ。」

「そしてヒデヲは何と云つた?」

「知らない、と云つてゐたわ。」

「チエツ!」

「どうしませう?」

「お前交番へ行つて来いよ。」

「さうしませうか。」

「待つてゐる間が厭だな。」

「ぢやあなた行く?」

「行かう。」

 そして二人が、ぼんやりしてゐると、角をまがつて、Hが現れた。私の大きな駒下駄を引きずつてゐた。

 周子は、黙つて家へ飛び込んだ。私もその通りにした。

 Hは、椅子にまたがつて切りに自動車の真似をしてゐた。

 私は、二階にあがつて昼寝をした。Hが、赤鬼といふ綽名の不良少年になつた夢を見た。


 その晩の食卓では、私は近頃にない好機嫌で人の好いことばかりを喋つた。

「喪中なんだ、今年は──」

 母から来た手紙を読みながら、私はそんなことを呟いた。

「気を付けてくれよ。」

「ホツホツホ……」

「やつぱり番地と名前は教へて置かうかね。」

「そら御覧なさい。」

「ヒデヲ。」と私はHを呼んで、優し気な声で、

「お父さんの名前は何?」と訊ねた。

「知らない。」とHは云つた。

「お前いろいろ教へてやつて呉れ。」

「上野・サクラギチヨウ・十七バンチ──ヒデヲ云つて御覧! ヒデヲちやんのお家は何処と云つたら、サクラギチョウ・十七バンチといふんですよ。」

「うむ、お前は仲々教へ方がうまいなア。」

 私は、切りに周子を煽てたのである。周子は得意になつて、繰り返し〳〵熱心に同じことを口吟んだ。

「おゝ、うまい〳〵、ヒデヲは悧巧だな。」

 少し真似られる毎に、私は仰山にHを称讚した。「十七バンチまで云へれば大したものだ。」

「ぢや今度は、お父さんの名前?」

「タキ・チンイチ。」

「さうぢやありませんよ。タキノ・シンイチと云つて御覧。」

 周子は、取り済してこれも何遍も何遍も繰り返した。だが、一遍さう覚えた為か、それとも全く舌が廻らないのか、Hには如何してもさうより他に云へなかつた。

 その晩は、椅子テーブルは廃止にして、私は畳の上に胡坐をかいてゐた。そしてにやにやと笑ひながら、母と子の対話を眺めて盃を乾してゐた。

「タキノ・シンイチ。」

「タキ・チンイチ。」とHは続けた。

 私は、すつかり酔つた口調になつてゐた。そして鷹揚に手を振りながら、

「いや、もう好い〳〵。もう大丈夫だ。──シンイチだつてチンイチだつて、何だつて関ふものか。」などゝ云つた。

「いけませんよ、ついでの時に、しつかりと直しておきませう。」

「いや、もうそれは好くない。気の毒だ。何だつて関ふものか。ハツハツハ……」

「戯談ぢやありませんよ。」

「関はないんだよ。」

「ヒデヲちやんの名前は、タキ・ヒデヲツ!」とHが云つた。

「おゝ、さうだ〳〵。」と私は、大きく点頭いた時、涙のやうなものをのみ込んだ。

「お父ちやん、タキ・チンイチ。」

「おゝ、さうだ〳〵。」

 私は同じやうに点頭いたのである。

「気の変り易い人だこと……」

 さう云つて周子は、寂しさうに笑つた。

「あ、御免だ〳〵。ヒデヲ御免よ。」

「何をつまらないこと云つてゐるんですよ、何となくあなたは、此頃爺臭くなつたわね、お酒の飲みツ振りが──」

「うむ、たしかにさうだ。……何しろ喪中だからね、……何も出来ないんだ。うつかり新聞も読めやしない、斯ういふ時は気にし始めると、何でも気になるものだ。」

「あまり気にする質でもないのに……だけど夜遅く酔つて帰るのはお止めなさいね。」

「止める、止める。──」

 さう云つた時、私は身の縮んで行く思ひさへした。

「どんなことをあなたが小説に書いたんだか知りませんが、この間見たいな厭なことさへあるんですからね。」

 私は四五日前突然警察に呼ばれた。滝野信一が飯坂といふ温泉に滞留して、暴飲の揚句滞在費を支払はずに逃走したといふのである。私は二十九歳の今日まで一度も旅行したことはないのだ。同姓同名の誤りだらうと云つた。それでも私は警察の寒い一室で、一切の履歴を申し述べなければならなかつた。

「あなたは『蝉』といふ小説を書きましたか?」

「えゝ、書きました。」

「どんな内容ですか?」

「一口には云へません。」

「その男が、俺は『蝉』といふ小説を書いたと云つてゐるのです。」

「ぢや同姓同名の誤りぢやないんですな。」

「偽名ですかな。」と警察官は云つた。

「ほう!」と私は、思はず眼を見張つてセセラ笑ひを浮べた。

「あなたは酒は飲みますか?」

「えゝ、飲みます。」

「どれ位ゐの量ですか?」

「さア……」

「二三合位ゐですか?」

「そんなものでせうな。」

「酔ふと、どうなります。騒ぐ方ですか? それとも眠る方ですか?」

「元気溌溂とします。」

「本名の他に、筆名がありますか。」

「ありません。」

「裕三郎といふ名前があることになつてゐるんです、これが──」

「なるほど!」

「酔つて「蝉」の真似をしたんださうです。」

「さうですか。」と、私は答へた。小説『蝉』の内容をこゝに書くことを略すが、私は苦笑を洩すより他はなかつた。禍は別として、その時私はその見知らぬ悪漢に軽い親し味を感じたりした。だがその日の不気味さは容易に消えなかつた。

「それにしても俺の名前などをつかふなんて可笑しいな。いたづらにしては酷過ぎるし……」

「有名でないところが、却つて都合でも好かつたんでせうね。」と周子も苦笑を洩した。私は、折角忘れかけた恐怖の念がまた甦つて漠然と胸を震はせた。見知らぬ人、偽名、そんなことを想ふと、それが緒口になつて暗澹たる広漠の世界が思はれたり、不吉な風が山も川も木々の差別もなく吹き荒む、運命、死、恐怖──そんなありふれた、だが夥しくグロテスクな絵が浮んだり、夢のやうな不安に襲はれたり、何処か遠くの知らぬ世界に突然拉し去られるやうな寂しい思ひがした。

「そんな面白くない話は止めよう。」

 私は、首を振つて、一気に盃を傾けた。そして三月に死んだ父のことを回想した。……(大地震、大火、父の死、家運の衰微──)

「田舎行きは如何するの?」

「それも面倒になつたんだ。」

「だけど、この家ぢや、ともかく寒くつてやりきれませんね。」

「くよくよするねえ。」と私は、突然景気好く酔つた声を揚げた。そして、声色に鹿爪らしい調子を含めて、

「──今年は神前には供へられねど、御身の誕生の印には赤飯をたいてはるかに健康を祝し申し候 英雄ヒデヲの三歳の祝ひは忌服あけに延すなるべし。来る年の幸福を祈り喜びごと万づ祝ひのばさん。」と、たつた今しがた受取つた母親の手紙の一節を、朗々たる節をつけて読みあげたのである。前日、十二日、私の誕生日の朝、母が出した手紙である。私は、

「めでたし、めでたし──だ。」などゝ云ひながらフラフラと立ちあがると、玩具の蓄音機にキヤラバンのレコードを周子に懸けさせて、Hと共に、節面白く壮快滑達なダンスを演じたのである。

底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房

   2002(平成14)年324日初版第1

底本の親本:「日本小説集 第一集」小説家協会編、新潮社

   1925(大正14)年66日発行

初出:「新潮 第四十二巻第一号」新潮社

   1925(大正14)年11日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2010年117日作成

2010年523日修正

青空文庫作成ファイル:

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