ランプの便り
牧野信一




「おや〳〵、もうランプを点ける頃なの、何とまあ日が短いことだらうね。」

 すつかり掃除を済してピカ〳〵とする台ランプを抱へたユキ子が、静かに私の部屋に入つて来たのを見て私は、驚きの眼を視張つて云ひました。ユキ子は、そのランプを私の机の上に置くと、

「点けて行きませうね。」と云ふのです。

「どうぞ──」

 ユキ子は手製のジヤンパアのポケツトからマツチを取り出して、手ぎは好くランプに火をいれます。

「おゝ、明るい〳〵。どうも有りがたうユキちやん。」

「今日は晩御飯を皆で、此方へ来て食べるといふ話なのよ。だから窓を明るくして置かなければならないわ。」

 そこの窓に灯がともつてゐるのは私が部屋に居るといふしるしになつてゐるのです。皆──といふのは、隣りの町に居る私の家族や何時も其処に遊びに来てゐる弟妹等の友達なのです。大概私は、昼間、この村の家で勉強して夜になると町へ出かけて行くのが習ひなのです。

 私は、この村の自分の勉強室ではずつと昔風のランプを用ひてゐるのです。別段、趣味で使つてゐるといふわけではありません。遍卑な蜜柑畑の丘のほとりに在る家なので、電灯屋に頼んでも仲々おいそれと引き込みに来て呉れさうもなかつたからです。尤もその家でも他の部屋々々には明るい電灯が点いてゐたのですが、私が自分の勉強室に定めた部屋だけには何故か電灯が引いてなかつたのでした。それで私がはじめて其処に来た時に、此処に灯りがなくつては困つたな! と呟きながら、何気なく押入をあけて見たら、片隅に埃りを浴びた大型の、覆ひシエードに、薔薇に戯れる胡蝶の彩色が施された台ランプを見出したので、私はこれ幸ひと、それを私の机の上に据ゑたのです。その覆ひのまはりには雪柱つらゝのやうなガラスの房が垂れさがつてゐて、灯をいれると、光りがキラ〳〵とそれに反映して長閑な瞬きを感ぜさせるといふ風な工合が、私を悦ばせました。以前に私の父の友達だつたベンさんといふアメリカ紳士の家族が此処に住んでゐた時に、伊達にでも使つたらしいランプです。

 ところが身の廻りの事毎に関しては何事に依らず怖ろしく無精者で、いけぞんざいな私は、油がきれたから油壺に石油を充すとか、芯がまがつたから剪り直すとか、ホヤの曇りを拭ふとか、それほどの手入れはおろか、夕暮が来れば目に見えて必要にきまつてゐるにも関はらず、つい〳〵忘れ放しにしておくので、夜になると、出歩きたくなくても、ランプが点かないことを楯にして、遊びに出掛けてしまふのです。

 そんな馬鹿気たことがあるものか、ランプ位ゐのことで大事な勉強を投げ遣りにするなんてあきれた我まゝ者だ! などゝいふ話から、ユキ子が倒々私のランプ係りになつて此処に詰めかけてゐるといふことになつてゐたのです。云ひおくれましたがユキ子といふのは、私の妻の従妹で、東京の学校を終へた後に、田舎に来て画の勉強をしたいといふ理由で、一年ばかり前から私達の家族になつてゐる可愛らしい娘なのです。



「いゝえ、これでも、もう今日は一時間ばかり遅いのよ。だつてね、あたし、さつきまでうつかりしてゐたのよ、お掃除をしてしまつて油を注さうとしたら、石油がすつかりなくなつてゐたのよ。」

「それで!」と私は不思議さうに眼を視張つて、あか〳〵と輝いてゐるランプとユキ子の顔を見くらべました。村には石油を売る店がないからです。

「困つてしまつて……」

 ユキ子は私の顔を眺めて皮肉気な笑ひを浮べました。石油が尽きたなどといふことを聞くと私は、反つて悦んで、勉強を止めてしまふからなのです。

「そつと、大いそぎで町まで行くつもりで缶をさげて出かけたのよ。」

「止せば好かつたのに……」

「いくら急いだつて町まで行つたら、今の間には合はなかつたでせう、どうしたと思つて?」

「解らないよ。」

「源さんを思ひ出したのよ、源さんのところで貰つて来たのよ。」

 源さんといふのは発動機船の乗組員である若い漁夫です。

「シネラリヤの前で源さんに出遭つたのよ。そしたら源さんがあたしの缶を持つてつて、直ぐに一杯にして持つて来て呉れたのよ。」

「源さん、僕のことを何か云つてやしなかつた?」

 私は二三日前村境ひのシネラリヤといふ酒場タバンで、酒に酔つて、源さんに大変な迷惑をかけたことを思ひ出したのです。その日は、ユキ子が町へ出かけて帰りが遅かつたので、例によつて私はランプのせゐにして出かけてしまつたのです。毎日々々ユキ子がつきゝりでランプの世話をして呉れるので私は止むなく机に噛りついてゐたのですが、稀に彼女の帰りが遅いと思ふと私は無性に吻ツとして、たそがれ時になるやいなやシネラリヤに出かけてのう〳〵とはねを伸したのです。そして私は安息日の兵隊のやうに烏頂天になつたのです。あまり調子に乗り過ぎて、とう〳〵動けなくなつて、源さんの肩にブラさがつて真夜中に帰つて来ました。

「たゞ、笑つてゐたわ。」

 私は、気はづかしさのあまり目が眩みさうでした。

「僕は、当分あのタバンの前は通れさうもない。」

「出かけると屹度、何かしら失敗しなさるのね。あたし姉さんに沁々と頼まれてゐるんですから、もうひとりで夜お出かけになつては厭ですよ。」

「ランプが点いてさへゐれば、出かけるわけには行かないから……」と私は、何となく故意とらしい重々しい口調で唸りながら横を向きました。どうしても励まなければならない勉強の仕事が溜つてゐるので皆が斯んなに心配するのですが、秘かに云ふと(明らかに云ふとユキ子達が悲しむからなのですが)私は、恥しい話ですが、机に向つて勉強をするといふことが大嫌ひで、いつも皆と一処になつてワイ〳〵と遊んでゐるのが何よりも好きなのです。

「舟で使ふ石油は、あたしランプになんて使へないと思つてゐたのよ。」

「ランプにだつて使へるさ。」と私はつまらなさうに云ひました。

「さうなんですつてね! これ──」とユキ子はランプを指さして、「舟を走らせる石油なのよ。その石油が、今夜の灯りなのよ。それが、あたし何だか可笑しくつて仕様がないのよ。」と云ひながら、ひとりで笑つてゐるのです。

「僕は少しも可笑しくない。」と私は益々つまらなさうに呟きました。

「お邪魔したわね。皆が来るまで、勉強を続けなさいね。九時頃来るんですつて、それから皆で遊ぶのよ。御馳走は向うから持つて来るんですつて、卓子テーブルだけ用意しておくわ。さう〳〵、シネラリヤのキヨちやんも来るツて、さつき花を呉れたわ。キヨちやんに貰つた花で卓子を飾つておきますよ。」

「…………」

 私は急に空腹に迫られて、凝つとしてゐられさうもなくなりました。

「それまで、若しおなかゞすいたら、このパンを少しづつ食べながら──」

 ユキ子は私の傍らに石ころのやうな黒パンを一つ投げ出して出て行きました。



 私はもう遊ぶことばかりが思はれて、到底机の前などに坐つて居られさうもありませんでしたが、皆が来るまでに私の勉強が一区切りついてゐないと、折角楽しみに遊びに来る皆が何んな悲しみを感じるであらうかと推察して、私は頭が痛くなりました。──だけど私は、唇を噛んで、日課にいそしまうとしました。

「舟のオイル!」

「明るいランプ!」

「走るランプ!」

 私は、そんなわけのわからないひとりごとを呟きながら、涯しもない夢に耽りました。

 私は、源さんの船に乗つてゐます。夜釣りに出かける舟です。晴れた夜空です。

 私が誘魚灯を抱へてゐるのです。気づいて見ると私が抱へてゐるのは、机の上で使つてゐるランプなのです。私は、舟が揺れたら消えはしまいかと案じて、有りがたい物を捧げてゞもゐるかのやうに神妙にランプを保つてゐますが、余程静かな波だと見えて、ランプの炎は眼ばたきほどもゆるぎません。

「でも、源さん、こんな小さなランプで、魚が気づくでせうかね?」

「小さくつたつて、大きくたつて、灯りは灯りですよ。気づきますとも、あたし達が星に気づくよりも機敏に、彼等は、素早く見つけ出しますとも──。第一その、カサのまはりのピラ〳〵が、そんなに綺麗ですもの、悦んで、踊りををどつて集つて来ますとも。」

「もう此辺で好いんぢやないの?」

「もう少し先──。向うに見える青い灯がシネラリヤの屋根ですよ、あれが辛うじて見える位ひのところまで──」

「ほんたうに、あんな屋根の灯がこんなところからでも、見えますね。」

「さうですとも──小さいも大きいもあるものですか、この大空の下に光つてゐる灯りならば──。消しちや駄目ですよ。消したらお終ひですよ。しつかり持つてゐて下さいよ。」

「承知しました。決して消しません。」

 私は、艫の横木に腰をかけながら、エヂプトの宮に務める灯火係りのやうに厳然と私のランプを捧げてゐます。

 ………………

 私はそんな馬鹿気た夢に耽つて、つい勉強を忘れてしまひました。もう皆が来る時分だな! と思ひながら、向方の部屋に行つて見ると、何時来たのか家族の者や若い友達が皆そろつて静かに私を待つてゐます。

「勉強済んだの?」

「あゝ済んだ。」と私は云ひました。皆が、ワーツと云ひました。気合けはひを知らしても悪いと思つて咳一つも堪へてゐたのだなどと云ひました。

「橋のあたりから見えるよ、そこの窓のあかりが──」

「一生懸命でやつてるな! と皆なではなしながら、来たよ。」

「下の道まで来ると、窓に頭が映つたのが見えたよ。」

「腕を高くあげたりしたところなんかも映つたぜ。」

 皆は遠くから見た私の窓のことを、いろ〳〵云ひました。

 私は、町の家に来てゐる私宛の手紙を渡されたので、若い友達が、すつかりはしやいでハモニカを吹いたり、蓄音機をかけて踊りはじめたりしてゐる傍らで読みました。その手紙の中に、今ボストンにゐるベンさんの娘からのエハガキがありました。いつか私が彼女への便りにランプのことを一言書き添へたので彼女のエハガキにも、私のランプがお前のために役立つてゐるのは嬉しい。き想ひがお前の机の上に集るやうに──などといふお世辞が書いてありました。

「ワルツになつたら、僕も仲間に入つても好いよ。」と私は、若い友達に向つて晴々と呼びかけました。

「ユキちやん、オーバ・ゼ・ウエイヴを掛けて御覧よ。ワルツは、たしか、あれ一枚しかなかつたな?」

 誰かゞ踊りながら、ユキ子に頼んでゐました。

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房

   2002(平成14)年520日初版第1刷発行

底本の親本:「若草 第五巻第五号(五月号)」宝文館

   1929(昭和4)年51日発行

初出:「若草 第五巻第五号(五月号)」宝文館

   1929(昭和4)年51日発行

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2010年718日作成

2019年210日修正

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