馬上の春
牧野信一




 私たちが、その村に住んでゐたころ──では、今年の正月は、いつものやうに朝から晩まで酒を飲んでは議論をしたり喧嘩をしたりしてゐても止め度がないから、

「今年はひとつ──」

 と、私達の伊達好みの戯談好きアストラカンの村長が提言しました。「大いに趣向を変へて──馬を引け! 近郷の村々を訪れて、飲み歩かう。皆々思ひをこらして、思ひ思ひの仮装にこの身を固めて、馬上の騎士とはならう。」

「賛成だ!」

「輝やかしいぞ!」

「はや、魂が天に飛ぶ!」

 忽ち村長は斯様な花々しい賛同の叫びと宙に振られる拳の旗に包囲されました。

 この一文は、その出立の朝の、空は麗らかに晴れ渡つて、もうやがて間もなく桃の花でも開きさうな温い朝の、三方を蜜柑の樹に深々と覆はれた丘を屏風とした村の──私達一行の出発の光景です。

 私はどうも思はしい思案も浮ばなかつたので、普段でも着慣れてゐるアメリカ・インデイアンのトウテム模様を織出したガウンを羽織り、特に鳥の羽根を飾つた酋長用のモンクス・フード(とりかぶと)を翻して、水車小屋のドリアンに打ち乗つて、出発点と定められた村境ひの馬頭観音の前に駆けつけました。誰が、どんな姿で現れるか私は、それが楽しみでした。

「やあ、マキノ君か──どうも連中の来方が遅くつて心外だぞ。まさか、あれほどの賛同の意を表しておいて、いざとなつて、彼等は急にてれてしまつたんぢやあるまいな?」

 石塔の傍にロシナンテの轡を従者にとらせてぬつと立つてゐる銀色の鎧を看た老騎士が不平さうに唸りました。見ると、やゝ気色ばんだ村長です。

「そんな御心配は御無用ですよ、村長!」

 私はうや〳〵しく朝の挨拶を述べながら騎士の傍に近づくと、まさしく本物と思はれた銀の鎧はボール紙の手製のものでしたが、その手ぎはの鮮やかさには心からの敬意を払ひました。村長は案の条ラ・マンチアの工夫に富んだ紳士ドン・キホーテに変装してゐたのです。

「常々、時間励行に関してはあれほどその思想を鼓吹しておくのに、いまだにこの有様では誠にこゝろもとない次第ぢやわい。」

 老騎士は筒型の望遠鏡を伸してはるか脚下の街道を眺め渡しながら不平の胸をふくらませつゞけてをりました。私も額に平手を翳して、一筋の河が銀色に光りながら伸び渡つてゐる明るい野面の涯までを眺めましたが、そこにはうらうらとする陽炎が果しもなくゆらめいてゐるばかりで、ひとりの人の影さへも見あたりません。私も少々ながら心細さに襲はれて、動くものの影ならば鳥の姿でも見出すぞとばかりに達磨の眼を見張りました。

 およそ十分間あまりも私達はそのまゝの立像と化して眼を据ゑてゐた時、突然村長が、

「やあ、そろつたぞ〳〵、来たわ〳〵!」

 と大きな喜びの声をあげました。──「先づ先頭に、リリイの手綱をとつて現れた城主もどきの裃姿は造り酒屋の主だよ。続く、緋縅ひおどしの鎧武者は地主の長男だ。風の神ゼフアラスと思ひこらして大袋をかついだ鬼面の大男は、居酒屋の権太郎ではないか。果物問屋のハツピー・フリガンが、バツカスになつて酒樽を首からぶらさげた恰好は、その面白さ讚嘆に価するわい。続く赤鬼、青鬼、一つ目小僧キクロープスに傘の化者……」



 しきりに村長が歓呼の声をあげ続けてゐましたが、そこまで聞くと私は、インヂアンの大酋長は、思はず、

「アツ!」

 と叫んで、杖と構へてゐたアツシユの大弓を地にとり落してしまひました。先だつての議決の時には私の親しい友達ばかり、例へば漁夫の八郎丸、馬蹄鍛冶屋の大二郎、麦畑の小作人である誰々、その他十余名で、酒屋の亭主とか、ハツピー・フリガンや、または地主の長男、或は執達吏、高利貸などの連中は、その場に居合せなかつたので、あの時の友達ばかりが現れるのかと思つてゐたのに──! これではどうも案に相違の絶体絶命だぞ──と私の脚は震へた。何故なら私は彼等に負債を負ふ身で、常々でも彼等が私を追ひ廻す姿は、鬼であり、化者であり、悪侍であるのだ。それが、ほんたうの鬼となり、化者となり、阿修羅となつて攻め寄せられては一大事だ。

「村長──私は、恥しながら今日の同行は辞退します。さよなら……」

 私はいひ終らず一目散に裏山を目がけて遁走しようと身構へた時、村長は慌てゝ私のガウンの裾をとらへて、

「君、逃げるにはおよばんよ。いへば僕だつて君同様に彼等の敵なんだがね。僕は、努めて計つたのだ。」

 とおごそかに唸りました。「村の平和──こいつを一番楯にして、この目出度い仮装行列の出発に際して奴等が持つてる俺達の借金証書を血祭の煙と燃やさせてしまはう──といふ僕の魂胆、どう処置するか、まあ〳〵あと一刻僕に任せて置き給へよ。」

 私には望遠鏡がなかつたので、誰が誰やら一向に見定めもつきませんでしたが、私は堅く村長の言葉に信頼して、あとから〳〵三々伍々と打ち続いて来る見るも華麗な野中の行列隊が、駒の脚さばき賑々しく次第に近寄つて来る光景を、しつかりとドリアンの轡をとつたまゝ異様に颯爽たる心地で見守りました。

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房

   2002(平成14)年620日初版第1刷発行

底本の親本:「大阪毎日新聞」大阪毎日新聞社

   1932(昭和7)年1月3、5日

初出:「大阪毎日新聞」大阪毎日新聞社

   1932(昭和7)年1月3、5日

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2009年129日作成

2016年59日修正

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