乞食の子
鈴木三重吉



    一


 トゥロットの別荘のうしろは、きれいな小さな砂浜になつてゐました。今トゥロットは、そこへ下りてあすんでゐます。そこへは村の人なぞはめつたに来ません。ですから、海のきはへさへ出なければ、一人でそこであすんでもいゝと、おゆるしが出てゐるのでした。

 でも、お庭には、ちやんと女中のジャンヌがこしをかけて、見ないやうなふりをして、ちよいちよい、こつちをみてゐます。

 トゥロットは、シャベルで大きな穴をほり、その砂をつみ上げて大きなお山をこしらへました。海の中につかつてゐる、そつちこつちの大岩や、砂の上に眠つてゐる、いろんな岩にもまけないやうな、大きなお山が出来ました。

「お坊ちやま、早くいらつしやいまし。お三時でございますよ。」

 トゥロットは斜面をかけのぼつて、ジャンヌのおててからチョコレイトを一きれと、三日月パンを一つうけとると、またお山の方へもどつて来ました。立つたまゝ食べるのはおつくうなので、お山をひぢかけいすにしてしまつて、その上へ、どつかとこしをかけて、穴の中へ足を入れこみました。そして、チョコレイトを、ちよつぴりづゝ、かじりはじめました。すこうしづゝかじり〳〵して、もようみたいにこはしていくのがたのしみなのです。それは、とてもおもしろいのです。

「おや、何だらう。」

 トゥロットのまんまへに、ふいに影がさしました。顔を上げて見ますと、いつの間にか小さな男の子が来てゐます。いやにきたならしい子で、とてもくさくつてたまらなささうな、ぼろ〳〵の服を着てゐます。顔もまつ黒、両手もまつ黒で、鼻の下のところがへんに赤くなつてゐます。トゥロットはシャベルをふり上げて、

「あつちへおいで。」と、おどしつけました。男の子は片ひぢを目の上へあげて、三足あとすざりをしましたが、そのまゝトゥロットのまん前にすわりこんで、トゥロットの方をじろ〳〵見てゐます。トゥロットもその子を見つめながら、ちびり〳〵チョコレイトを食べつゞけました。

 ふゝん、この子の女中は、まいあさこの子を頭から足のさきまでシャボンで洗つたりしないんだから、いゝね。ぼくはいやな目をさせられて損だ。でもぼくは貴族のうちの子で、もう大きな子なんだから、ちやんと洗つてもらはなければいけない。洗はれるのはいやだけれど、きれいになるのはいゝ気もちだのに、この子はなんてぶざまなんだらう。

「ほんとに、きたないね、きみは。」

 かういふと、子どもは、ちよいと、目をうつぶせましたが、ぢきまた上げて、へんじもしないで、うすのろのやうににた〳〵笑ひながら、片方の手で砂をにぎつては、やみまなしに、片方の手の平へうつし〳〵してゐます。でも、たいしておもしろさうなけはひもなく、目では、じつと、トゥロットが三日月パンをもう少しで食べてしまひかけるのを見つめてゐるのです。

 トゥロットはその子の目のおちるところを見て見ました。じいつと見ていくと、その目は、じぶんの三日月パンの上へ来てとまるやうです。あゝ、やつぱりさうだ。三べん同じところへ来るんだもの。まちがひはない。

「きみ、三日月パンがほしい?」

 トゥロットはかう言つて、食べかけをみんな口の中へおしこみました。男の子は、しよげこんだ顔をして、何をか口の中でぶつ〳〵言ひました。

「きみは、もう食べちやつたの?」と聞きますと、あひての子は、ぼんやりした目でトゥロットの顔を見上げました。

「もう食べちやつた?」

 男の子は、かぶりをふりました。

「それぢや、あとでぢき食べるのね。」

 男の子は目を地びたにおとして、くびをふりました。そして、さつきのやうにまた砂をいぢりはじめました。

「今日は食べないの?」

 男の子は何とも返事をしません。トゥロットは、では、あゝ、きつとさうにちがひないとおもひました。

「きみは、きのふは物を食べても不消化だつたのね。」

 男の子は目を大きくあけました。不消化といふ言葉がわからないのでへどもどしたやうですが、それでも、やつぱり、かぶりをふつて見せました。

「ぢやァ、おなかがいたいの?」

やつぱり、うんう。

「ぢやァ、なんか、おいたをした?」

さうでもない。

「そんなら、なぜ食べないの?」

 男の子は、ベッと、地びたへつばきをはきました。おゝ、いやだ。トゥロットは、つばきなんかをはかれるのは大きらひです。おや、片手でぼり〳〵頭をかいて、もう一つの手では、指をぐいと鼻の穴の中へつッこみました。

「きみ、なんにももらはなかつたの?」

 男の子は、はじめて、うん、といふやうにうなづきました。

「お母さまに、何かちようだいッて、なぜ言はなかつたの?」

「言つた。」

「言つたのに下さらなかつたの?」

「うちには何にもないんだよ。」

 あはゝ、それはうそだ。どこのうちにだつて、お居間にも、廊下や、だいどころのお戸だなにも、おいしいものがどつさりしまつてあるんだもの。この子はうそつきだ。さうでなく、きつと、何かわるいことをしたばつに、お母さまが何にもありませんとおつしやつたのにちがひない。

「きみ、何かとつて食べた、だまつて? おぎようぎがわるかつた? きみのとこへ来る先生をおこらした? でなければ、お話がうまく言へなかつたんだらう? ちがふ? ぢやァ、なぜ、なんにも食べなかつたのさ。──うちになんにもない? そんならおなかゞすいてる? さつき、さういへば、ぼく、パンをすこし上げたんだけど。ぼくは、おなかなんかすいてないんだから。──でももうすつかりたべちやつたんだもの、ね。」

 男の子は、だから、もうしかたがないといふやうに、うなづきました。坊やのいふことがよくわかつたのでした。



    二


 トゥロットは、しばらくかんがへてゐましたが、しまひにむつかしい問ひをかけました。

「ぢやァ、なぜおうちになんにもなかつたの?」

「とうちやんは、もうからねえんだよ。母ちやんと、小ちやい子は、びようきなんだもの。だから食へねえんだ。」

 ぷふゥ。食へねえんだつて、何て下等な言葉でせう。トゥロットは、げびたうちの子とお話をしてはいけないのでした。だから、ほんとは、もうさつさと、あつちへいつてしまはなければならないのです。だけども、もつと、ちやんとわかるまで聞いて見たくてたまりません。

「なぜ、お父さまは、おいしいものを買つて来いと言ひつけないの?」

「お金がねえんだ。」

「では伝票にすればいゝぢやないの?」

 おうちのばあやは、お金をもたないでも買物をして来ます。そしてお母さまの伝票にかきこみます。

 男の子は、また顔をふつて、手の指の間から砂を流しはじめました。トゥロットは、それこそ、こはくなるくらゐふしぎでした。何のわるいこともしない子に、お母さまが何にも下さらないつてことがあるでせうか。神さまはそれを見て何とおつしやるでせう。そんな、らんぼうなことがあるでせうか。

「では、きみのお父さまは、きみにまいにちパンを下さるやうに神さまにおいのりをしないの?」

 男の子は何のことかわからないやうな顔をしてゐるので、トゥロットは、もう一ぺん、聞きかへしました。

「しねえ。」

 トゥロットは、ほつとため息をしました。だからわかつた。おいのりをしないんだもの。それぢやだめだよ。

「ね、神さまのこと、一ぺんも話して下さらないの、お父さまは。」

「うん。神さまなんて、あるもんかいッて、おこるとさういふよ。」

 何の意味か、トゥロットにはわかりませんが、何だか、それは、いゝおいのりではなささうにおもはれます。

「ぢや、きみは、何と言つて、おいのりをするの?」

 男の子は、うす気味のわるい笑ひかたをするだけで返事をしません。

「ねえ。何ておいのりを上げるの?」

 男の子は、やつばり、ばかにするやうに笑ひながら、

「神さまなんてものァ、うそつぱちだよ。」

と言ひました。トゥロットは、あつけにとられて、言葉も出ませんでした。神さまのことを、うそつぱちだなんて。ぼくがまいばんお母さまにをそはるとほりを言つて、おいのりをするあの神さまのことを。──遠くの海の中を航海していらつしやるお父さまに、おかはりがないやうにと、ぼくはまいばんおいのりをするんぢやないか。その神さまが、うそッぱち? トゥロットは、くわッと血が顔中へ上つて来ると一しよに、シャベルをふり上げて、ごつんと男の子の頭をなぐりつけました。男の子は、びつくりして、ひぢで顔をかばひながら、横目でにらみつけました。でも、それきりで、べつに食つてかゝつて来ようともしません。

「きみはわるい子だよ。不信者だよ。」

トゥロットは、もう、こんな子どもと口を利いてはいけないとおもつて、おうちへかへらうとして三足もふみ出しました。

 しかし、あの子が何にも食べないといふのは、かはいさうです。だから、おいのりのことを、ちやんと、をしへておいてやらなければならないと、おもひなほして、またひきかへしました。

「きみ、神さまにおいのりをすれば、何でもして下さるんだよ。こんばん、おねんねをするまへにおいのりをしてごらんよ。あすの朝、大きな三日月パンを下さいましつて。さうすれば、きつと下さるんだよ。ね。ね。」

「三日月パンがどこへ出る?」

「それは、どこにでもさ。テイブルの上にでも、チョコレイトのそばにだつても。──チョコレイトなんかない? それぢやストーヴの上にだつて、ちやんとおいてあるよ。」

「でも、父ちやんがとつちやふよ。それよか、あすこんとこの岩の下の穴ん中から出るといゝや。おれがさがしに来るから。」

 そんなことは何でもないことだ。神さまは、いつもは、そんな穴の中へ入れたりなんかなさらないけれど、この子がさう言つておねがひすれば、人にとられないやうに、あすこんとこへ入れといて下さるにきまつてゐる。

「ね。だから、おいのりをお言ひよ。」

 男の子はもじ〳〵しながら、

「だつて、おれ、そんなこと、言つたことねえんだ。」

 おや〳〵何といふばかでせう。おいのりをしたことがないなんて。トゥロットはつく〴〵あきれて、ためいきをつきました。

「それぢや、ぼく見たいに、かうしたまへ。」と、トゥロットは、まづ砂地へ両ひざをつきました。男の子はひざをまげて、地びたへつけようとして、ころりと前のめりにたふれました。

「ばか。」と、トゥロットはおこりました。やつと男の子はひざをつきました。

「こんどは、おててをかう組むの。──かうだよ。──さうぢやないよ。かうするんだよ。」

 何てきたない手でせう。こんな手では神さまのお気には入りさうもない。

「さあ、ぼくのいふとほりを、言つてごらん。──神さま、わたしはおなかゞすいてをりますッて、さうお言ひよ。」

 男の子は、おなかがすいた、と、半分口のうちでかう言つて、いも虫のやうにむく〳〵とからだをくねらせました。

「きみ、じつとしてゐるんだよ。そのつぎはね。──わたしはたいへんおなかゞすいてをります。どうぞ、あすは、トゥロットがシャベルを入れておいた、あの岩の下のくぼみへ、大きな三日月パンを入れといて下さいまし。──あゝ、さう〳〵。そして、アーメン。」

 男の子は、

「アーメン。」と言つて、くす〳〵笑ひました。

 トゥロットは、これですつかり満足して立ち上りました。そして、さも、この子をまもつてやる保護者かなぞのやうに、うなづいて見せて、どん〳〵おうちへかへりました。



    三


 トゥロットは寝る間ぎはまで、あの子のことばかりかんがへてゐました。あの子があすの朝、あの岩の下から大きな三日月パンを見つけだしたら、どんなによろこぶでせう。トゥロットは、それをおもふと、をどり出したいほど元気がつきました。でも何だかしんぱいでもありました。ねがけにトゥロットは聞きました。

「お母ちやま、神さまに何かおねがひすれば、いつでも下さるのね。」

「それや、下さるわ。むりなことでなければ。そして、しんからおねがひすれば。」

 トゥロットはそれを聞いて、すつかりあんしんしました。あの子が、あさごはんに三日月パンを下さいとおねがひするのは、むりなことでも何でもありません。しんからおねがひするか、しないか。それは一しようけんめいにおねがひするにきまつてゐます。トゥロットは、じぶんがパンを食べてゐるのを、あの子がじろ〳〵見てゐた、あの目つきをおもひ出しました。

 トゥロットは眠りこみました。そしてゆめを見ました。神さまは、牛のつのや、象のきばほどもある、大きな〳〵三日月パンの一つぱいはいつたかごを、あの子のまへでおあけになりました。あの子の食べること、食べること。神さまは、なくなればいくらももつて来て下さいます。男の子はすつかりよろこんで、ほほをまつ赤にしてをどつてゐます。トゥロットのうれしさと言つたらありません。

「坊ちやま、お早うございます。よくおねんねなさいましたでせう?」

 ジャンヌはトゥロットのお顔を洗ひ、お着かへをすませました。トゥロットは、あの子も、着物を洗つていただいたり、ほかの着物も下さるやうに、神さまにおねがひしなければいけないねとおもひました。お着かへをする間中、トゥロットは、あの子のことばかりかんがへつゞけてゐました。

 トゥロットは、あの子が三日月パンを見つけ出しにいくときの顔が早く見たくてたまりません。おゝ、けさのお天気のすばらしいこと、これはきつと、三日月パンをしめらさないやうにするためだよと、トゥロットはおもひました。

 トゥロットは二分間でチョコレイトをむりやりにたべこみ、おほいそぎで、三日月パンをポケットにおしこみました。

「お母ちやま、ちよつと浜へいつて来てもいゝ?」

「まあ、何でけさは、そんなに早くからいくの? おゝ、いゝお天気だこと。ぢやァいつてらつしやい。先生がおいでになつたらよびますから。」

 トゥロットは岩のところへかけつけました。神さまの三日月パンはどんなでせう。きつとパン屋のよりも、もつと〳〵金色で、そして、ずつと大きいにちがひありません。トゥロットは、すこしあの子がうらやましくなりました。

 トゥロットは穴の中に手を入れて見ました。それから、のぞいて見ました。そして、ぞくりとして青くなりました。なんにもはいつてはゐません。もう一ど、よくのぞいて見ました。どうしたんでせう。神さまは、きつと、ほかのところへおおきになつたのでせう。

 トゥロットは、そこいら中を見まはしました。ほかの岩の下の穴をものぞいて見ました。でも、どこにもありません。一たいどうしたわけでせう。今にあの男の子が出て来ます。そして何にもみつからなかつたら、それごらん、神さまなんてうそつぱちぢやないかといふにちがひありません。トゥロットのことをだつて、うそつきだといふでせう。それにあの子は、あんなにおなかをすかしてゐるのですから、かはいさうです。

「あゝァ。」

 トゥロットは、かなしさがこみ上げて来ました。神さまは、けさはいそがしかつたのか、それともおわすれになつたのにちがひありません。でなくば、パンがこげてゐたからでせう。おうちでも一どそんなことがありました。だつて、こげたのでもいゝから一つ下さればいゝものを。

 トゥロットは、がつかりしました。

 と、あの子がやつて来ました。にこ〳〵した顔をして、舌なめずりをしながら、大またにあるいて、ずん〳〵岩の方へ向つて来ます。トゥロットはこちちから見てゐると、両足がぶる〳〵ふるへ出して来ました。身も心もちゞみ上るやうです。出来るならにげ出してしまひたいくらゐです。

「あゝァ。」と、もじ〳〵しながら、トゥロットは両手をポケットにつッこみました。あゝ、いゝことがある。トゥロットはポケットの三日月パンをとり出して、すばやく穴のおくにおしこみました。

 男の子は砂の上にすわりこんで、もぐ〳〵息もつまるばかりに、ほうばつて食べました。トゥロットはそれをじつと見てゐました。今、じぶんの小さな胃袋は、まい朝のやうにふくらんでゐないのがはつきりわかります。じぶんのあさごはんだつたものが、見る〳〵きえていくのを見つめてゐると、すこしばかりは、をしくないでもありません。しかし、これでじぶんは、人にかるはずみなことを言つたつぐなひを、ちやんとつけたことになります。それだけは神さまも見て下さるだらうとおもふと、やつぱり、ゆかいでした。

 男の子は、すつかり食べてしまひました。

「パン、おいしかつた?」

「うん。でも神さまがもつて来たんぢやねえぞ。おれ、おめえが穴の中へつッこむのを見たぞ。」

 トゥロットは、まつな顔になりました。まつたくそれにちがひないので、いひぬけをすることも出来ません。しかし、トゥロットの顔は、ふいにかゞやいて来ました。そしてにこ〳〵いさんで言ひました。

「でもさ、ぼくに、パンを入れとけとおつしやつたのは神さまだよ。きつとさうだよ。」

 トゥロットは、ぺこ〳〵のおなかをして、おうちへかへりました。でもお顔はとてもはれ〴〵して、いかにもうれしさうでした。

底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版

   1978(昭和53)年1130日初刷発行

底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第五巻」文泉堂書店

   1975(昭和50)年9

初出:「赤い鳥」赤い鳥社

   1929(昭和4)年2

入力:tatsuki

校正:伊藤時也

2006年719日作成

青空文庫作成ファイル:

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