小犬
鈴木三重吉



    一


 村のとほりにそうた、青い窓とびらのついた小さなうちに、気どりやの、そのくせ、お金にかけては、をかしなほどこまかな、おばあさんが、女中と二人で、ひつそりとくらしてゐました。

 二人は、うちのまへの小さな庭へ、いろんな野菜ものなぞをつくつてゐました。

 ところがある晩、だれかゞそのはたけへはいりこんで、玉ねぎを十ばかりぬすんでいきました。女中のローズが、あくる朝、そのほりかへしたあとを見て、びつくりして大声をたてました。

 おばあさんは、何ごとかと、寝間着のまゝでとび出して来ました。

「ど、どろぼうです。ほら。」

「あら〳〵、まあ、だれだらう。ひどいぢやないか。まあ、こんなに、あらしまはして……。おやおや。……まあ、あきれた。ゥ三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十もほつていつたよ。まあ。おまいもまた何をぼや〳〵してゐたの。ほら、こゝんとこをかうはいつて、かう来たんだよ。ね、ほら、ちやんと足あとがついてるよ。そして、この壁へ足をかけて、その花どこをまたいだんだよ。まあ、何てづう〳〵しいやつだらう。きつとまた来るよ。一どとつたら、なくなるまでは来るよ。ほんとにゆだんもすきもありァしない。まあ、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、十だらう? 十もぬすんでいくんだから、あきれるぢやないか。ちよッ。おやそこんとこにも足あとがあるよ。」と、おばあさんは、おこつたりおびえたりして、ひつくりかへるやうにさわぎたてました。近じよの人たちがその声をきいて、どや〳〵出て来ました。

「おい、どろぼうがはいつたんだつて。」

「へえ、どこへ。」と、すぐに、そこからそこへと話がつたはつて、いろ〳〵の人が入りかはりやつて来ました。おばあさんは、その一人びとりの人へ、これ〳〵かうで、かうはいつて、かう来て、こゝへ足をかけてと、一ぺん〳〵くりかへして話をして、おこつたり、くやしがつたりしつゞけました。

 となりのお百姓は、

「どろぼうをよせつけないやうにするには、犬をお飼ひになるにかぎります。」と言ひました。

「なるほど、犬がゐればね。」と、おばあさんは、くびをかしげました。

「大きな犬ぢや、食はすのにかゝりますから、かんがへもんですが、いつまでたつても大きくならない、そしてよくほえる、小さな犬がゐますよ。」

 みんながかへつてしまつてから、おばあさんは、どうしたものかと、ながい間、ローズを相手にかんがへました。いゝにはいゝけれど、いくら小さな犬にしたつて食べものがいります。おばあさんは、一日に一どか二どづゝ、おさらや深皿へ、スープやパンや、いろんなあまりものなぞを一ぱいいれて、それをむざ〳〵食べさせなければならないとおもふと、それこそばか〳〵しく、もつたいない気がしてなりません。

「ね、ローズ、よさうかね。……でも一ばんにあれだけづゝとられては、たまつたものぢやァないね。ローズ、やつぱり飼つた方がいゝかね。」と、おばあさんは同じことばかりくりかへしました。

 ローズは生きものがすきなので、それァどうしてもお飼ひになつた方がようございますと、しきりにすゝめました。とう〳〵、それでは、小さな犬を飼はうといふことにきまりました。

 で、さつそく、どこかに犬をくれる人はないかとさがしましたが、どれもこれも、大きくなる犬の子ばかりで、小犬の種のが見つかりません。ちかくの村の食料品屋に、ちようどいゝ小犬をもつてゐるのを見つけましたが、これは、今日まで飼ひ料に二円ばかりかけて来たので、それをはらつてくれゝば上げると言ひます。おばあさんはそんな二円ものお金を出すのぢやァたまりません。同じ飼ふなら、お百姓が言つた、あのたちの犬がほしいんで、と、ごまかして、話をきりました。

 すると、或日、とりつけのパン屋が、車の上に、きたない小さな小犬をのせて来ました。顔がきつねのやうで、わにみたいなどうたいをした、まつ黄色な、きたならしい犬で、そつくりかへつた、へんに大きなしつぽをしよつてゐます。聞くと、或おとくいの人から、だれにでも飼つてくれる人に上げてくれとたのまれたのだと言ひます。おばあさんは、たゞだときいて、すつかりよろこんで、

「まあ、何てかはいゝ犬でせう。」と、目をほそめてにこ〳〵しました。

「パン屋さん、この犬は何といふ名まへなの。」と、人のいゝ、半ばかの女中は、そのきたならしい小犬をだいじにだき上げながら聞きました。

「名前はピエロです。」

 おばあさんはそのピエロをもらつて、古い、シヤボンの空きばこの中へ入れました。まづ第一ばんに、水をくれてみますと、ピチヤ〳〵となめて飲みました。それから、小さなパンのきれを一つやりますと、すぐにもぐ〳〵食べてしまひました。

「いまにこのうちへなじんだら、はなし飼ひにしてやればいゝよ。さうすれば、食べものは方々でさがして食べるだらうからね。」と、おばあさんは言ひました。

 間もなくピエロは綱をとかれました。

 ところが、この犬は、どんな見しらない人が来ても、ちつともほえつかないばかりか、かへつて尾をふつて、からだをすりつけにいくのです。ですから、だれだつて、畠へでもどこへでもはいれるわけでした。ほえるのは、たゞローズのところへ来て食べものをねだるときだけで、そのときには気ちがひのやうに、わん〳〵ほえまくりました。

 おばあさんは、でも、ピエロをかはいがつて、とき〴〵、食べあまりのシチュウのしるなぞを、小さなパンのきれへしませてもつて来て、じぶんの手から食べさせたりしました。



    二


 ところがおばあさんは、犬を飼ふのに税金がいるといふことを、ちつともしらないでゐました。その税金が八円だと聞くと、うゝんと言つて気絶しかけました。

「あの、ほえもしない犬に年に八円。うわァ。」

 おばあさんは、さつそくだれかにくれてしまはうと言つて、方々へ話してまはりましたが、第一見るからいやな犬なので、だれ一人もらひ手がありません。おばあさんはこまりはてゝ、いつそのこと、すてゝしまふことにきめました。

 村には犬のすて場がありました。ひろい原のまん中に、草ぶきの、ひくい小屋見たいなものがたつてゐます。そのひくい屋根の下は、粘土をとるための、二十尺ばかりの深いほり穴で、もちぬしは一年に一どぐらゐその中へ人を入れてほらすだけで、あとは年中ほつたらかしてあるのです。村のものはよくこの中へ、もてあました犬をなげこみました。

 ときによると、二三びきの犬が、その穴のそこで、キーン〳〵と、かつゑてないたり、ウワ〳〵とおこりくるつてゐることがあります。猟犬や羊かひの犬なぞは、近くをとほるときに、その声をきくと、おそれちゞんでにげ出すのが常でした。その犬たちが十日も十二日も何にも食べないで、よろけおとろへてゐるところへ、また大きな犬がなげこまれたりすると、そのつよい犬が、一ばんよわいやつを食ひにかゝるので、中では、ぎやん〳〵おほげんかゞつゞくこともありました。とほりがゝりにのぞいて見ますと、その最後の犬が死んで半ぐさりになつたりした、いやな、にほひがぷん〳〵鼻に来ることがあります。

 おばあさんは、村の道ぶしんをする人足に、ピエロをその穴へなげすてゝ来てもらはうと思つて話しますと、おつかひ賃を十二銭くれろと言ひます。こんな小さな、かるいものをあそこまでもつていくのに十二銭も出すのはばか〳〵しいので、よしました。すると、つい近所の貧乏人が十銭でもつていつてやらうと言ひました。

 しかしローズは、もしその男がとちうでピエロをなぐつたり、いじめたり、片わものにしてほうりこみでもしたら、なほのことかはいさうだから、わたしが、すてにいきますと言ひ出しました。

 そんなわけで、日がくれてから、おばあさんも、こつそり一しよにいくことにきめました。つれて出る間ぎはに、おばあさんは、これが最後なので、とくべつに、バタを入れたスープをこしらへて飲ませました。ピエロは、それを一しづくものこさず、ぺろ〳〵とおいしさうに食べて、さもまんぞくしたやうに、しつぽをふりました。ローズは、その小犬を青いまへかけの中へだき入れました。

 二人は、人のものをかすめて、にげ出してゞもいくやうに、どん〳〵足早に原をよこぎつていきました。すると間もなく、穴の上の草ぶきの屋根が見えて来ました。その穴のところへつくと、おばあさんは、中にほかの犬がゐやしないかと、まへこゞみになつて耳をかたむけて聞きさぐりましたが、べつにうなりごゑもしません。これならピエロも中でいぢめられないですむわけです。ローズは、ぽろ〳〵涙をこぼしながら、ピエロをだきかゝへてなげこみました。

 二人ともしばらく足をとめて、じつと耳をかしげてゐますと、ピエロは、ウーと、にぶつた声で一こゑうなりましたが、間もなく、何ものかにかみつかれでもしたやうに、キヤン〳〵と、いたさうに鳴き、そのつぎには、さもくるしさうにウオ〳〵とうなりつゞけ、のちには出してくれ、上げてくれといふやうに、ワン〳〵ほえつゞけました。

 二人は、たゞかはいさうだといふ気もちばかりでなく、何だか、ぞくりとこはくなつて、どんどんかけ出してかへりました。ローズが一さんにかけつゞけるので、おばあさんは、

「ローズ、おまちよ。まつてくれ、ローズ。」と言ひながら、いきをきらして走りつゞけました。

 その晩おばあさんは、こはいゆめばかり見ました。おばあさんがテイブルにかけて食事をしようとして、スープ入れの深皿ふかざらのふたをとりますと、その皿の中から、ふいにピエロがとび出して、がくりと鼻先へかみつきました。

 おばあさんはびつくりして目をさましました。するとピエロがギヤン〳〵ほえたてる声がします。おやとおもつて、じつと耳をすましますと、それは、じぶんの気のせゐだつたと見えて、もう何の音もきこえません。

 おばあさんはまた眠りこみましたが、こんどは、いつの間にか、どこかの長い往来を歩いてゐました。いつても〳〵はてしのない、長い村道です。と、そのうちに、向うの方に、百姓がものをはこぶ、おほきなかごが一つころがつてゐます。おばあさんは、何のわけともなく、そのかごへ近づいていくのがこはくて、ひとりでに足がちゞまつて来ました。

 でも、しかたなくそばまで来ました。そして、そのかごのふたをあけて見かけるはずみに、中からふいにピエロがとび出して、片方の手にとッつかまりました。おばあさんはびつくりして、ふりはなさうともがきましたが、ピエロはどうしてもはなれません。おばあさんは、とう〳〵その小犬にぶら下られたまゝ、むがむ中でにげ出しました。



    三


 あくる朝おばあさんは、まだうすぐらいうちにおきました。そして、さつそくゆうべの穴のところへ出かけました。

 いつて見ると、ピエロは、まだワン〳〵ほえてゐます。おそらく夜どうしほえつゞけて来たのでせう。

「おゝ〳〵、かはいさうに。ピエロよ。わたしがわるかつた。ゆるしておくれピエロよ。おゝ〳〵かはいさうに〳〵。」と、おばあさんは泣き〳〵よびかけました。すると、ピエロは、おばあさんの声を聞きわけて、こひしさうにクン〳〵言ひました。おばあさんは、ピエロをひき上げてやつて、もう死ぬまで、だいじに飼つてやらうときめました。

 それで、すぐその足で、あの穴の粘土をほる井戸屋のうちへいつて、泣き〳〵わけをはなしてたのみました。井戸屋はわらひもしないで、すつかり聞いたのち、

「ふん、その犬をまたほしいといふんだね。それぢや二円お出しよ。」と言ひました。

 おばあさんは二円と聞いて、びつくりしてとび上りました。これでは、もうピエロがかはいさうなも何もありません。

「まァ、じようだんぢやない。」と言ひますと、井戸屋はつんとして、

「だつて、かんがへてごらんな。あすこまでむす子と二人で荷上げ機械をよち〳〵かついでつて、それをすゑつけて、綱につかまつて二人で中へはいるんぢやないか。そればかりか、おまいさんをよろこばすかはりに、下手をまごつけァその犬にかみつかれるかもしれないんだ。じようだんでも何でもありやァしない。」と、つッぱなしました。

 おばあさんはぷり〳〵おこつてかへつて来ました。そしてローズに向つて、井戸屋が足もとを見て、にくたらしくふきかけたことを話しますと、ローズも目をまるくして、

「まあ、二円くれろつてんでございますか。」とびつくりしました。

「それよりも、おくさま、これからまいにち、あの犬に食べものをもつてつてやりませうよ。さうすればどうせ死ぬにも、苦しみがないでせうし。」と、ローズはつゞいてかう言ひました。

 おばあさんは、おゝ、それがいゝと、よろこんで、すぐにおほきなパンのきれへバタをつけたのをもつて、二人で出かけました。

 おばあさんは、そのパンを、こくめいに、小さくいくつにもちぎつて、

「さァピエロや、おたべよ。わたしだよ。ローズも来てゐるよ。」と言ひ〳〵、間をおいては一つ一つなげこみました。

「ピエロや、食べたかい、ピエロや。」とローズも、かはりばんこによびつゞけました。ピエロはありたけのパンをすつかり食べてしまふと、もつとくれといふやうにほえつゞけました。

 二人はその夕方も、もつて来ました。あくる日もいき、それから、まいにち一どづゝ、きまつて出かけました。

 そのうちにある朝、いつものやうに、パンの小ぎれをなげ入れようとする間ぎはに、とつぜん、穴の中からおそろしいうなりごゑがしました。よく聞きわけますと、中にはピエロのほかに、ずつと大きな犬が一ぴきゐるやうです。だれかゞまたなげこんでいつたものと見えます。ローズは、

「ピエロよ、ピエロよ。」とよびました。ピエロはその声をきいて、うれしさうにほえました。おばあさんはパンのきれをむしり〳〵してはなげこみました。すると、どうでせう、そのたんびに、おほきい方の犬がウワといふのと一しよに、ピエロは、ひどくかみつかれたやうに、キヤン〳〵なきたてるのです。

 パンは、ピエロよりも、うんとつよい、大きな一方の犬が、すつかり横どりをして食べてしまふらしいのです。

「ほい、ピエロよ。これはおまいのだよ。おまいお食べよ、いゝか。とられちやいけないよ。」と、ねんをおしてなげてやつても、やはりピエロはかみつかれて、キヤン〳〵いふだけで、もう一つの犬が食べてしまふやうでした。

「ちよッ、よさうよ、ローズ。人がなげこんだ犬にものをくれては、ひきあはないよ。これから方々の人が何びきすてにくるかしれないものを、それを一々わたしがやしなふことになつちやァたいへんぢやないか。さ、かへりませう。」と、おばあさんは、すつかりおこつて、のこつたパンのきれをもつたまゝ、ぷり〳〵してかへりました。そして、ふくれて歩き〳〵、そのパンをじぶんがもぐ〳〵食べました。人のいゝローズは、青い前かけの角で涙をふき〳〵ついてかへりました。

底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版

   1978(昭和53)年1130日初刷発行

底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第五巻」文泉堂書店

   1975(昭和50)年9

初出:「赤い鳥」赤い鳥社

   1926(大正15)年9

入力:tatsuki

校正:林 幸雄

2007年219日作成

青空文庫作成ファイル:

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