鳥右ヱ門諸国をめぐる
新美南吉
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鳥山鳥右ヱ門は、弓矢を抱へて、白い馬にまたがり、広い庭のまんなかに立つてゐました。しもべの平次が犬をひいてあらはれるのを待つてゐたのです。
その、しもべの平次を、主人の鳥右ヱ門はあまり好きではありませんでした。平次はかれこれ二月ばかりまへ、鳥右ヱ門の館にやとはれて来た、背の低い、体のこつこつした、無口な男です。どこの生まれなのか、自分でもよく知らないといつてゐました。自分の生まれたところを知らないのは、馬鹿に違ひない、といふので、鳥右ヱ門の館では、平次をうすのろといふことにきめてゐました。平次はそれでも平気のへいざでした。しかし鳥右ヱ門は、ときどき、平次の眼の鋭く澄んでゐるのにびつくりすることがありました。みんなの眼が、よろこびに酔つたり、有頂天になつて落ちつきをうしなつたやうなときに、平次の眼は反対に、秋のひぐれの沼のやうに冷たく澄むのです。そんなとき、よく見ると、くつと結ばれた平次のくちのまはりに、かすかな笑ひのしわがあらはれてゐることもありました。鳥右ヱ門はかういふ眼で平次から見られると、一ぺんで何かが体からぬけていくやうに感じるのでした。たとへば、誰かをどなりつけようとして、口をあけかかつた瞬間、平次の冷たい眼にであふと、急にどなる元気がなくなつて、「もういいからあつちへ行け。」と相手に不機嫌さうにいふのでありました。
鳥右ヱ門にとつていちばん面白くないことは、鳥右ヱ門の大好きな犬追物をするときにかぎつて、平次の眼が鋭くとがめるやうに鳥右ヱ門の心をさすことでありました。生きた犬を放つて馬の上から射殺す、この犬追物の遊技は、鳥右ヱ門の何より好きなもので、三日に一度は、必ず館の庭で、自分一人で練習をしました。練習とはいつても生きた犬を射殺すので、三日に一匹づつどこかで犬を探し出して来なければなりませんでした。この役目を平次は仰せつかつてゐたのでした。平次は、だまつて犬をひいて来て、主人の矢の先で、首から縄を放すのでしたが、主人の矢が、みごとに犬の急所をつらぬいても、ほかのしもべどものやうに、「お見事なうでまへでございます。」とほめたりしませんでした。犬のむくろから矢をひきぬくと、自分の赤ん坊でもかかへこむやうにして、犬を持ち、主人の方に冷たい眼をちらつとむけて、いつてしまふのでした。その眼はかういつてゐるやうに鳥右ヱ門には思へました。「よりによつて、何といふ殺生な遊びごとをなされることでござりませう。」そんなわけで、鳥右ヱ門は、やがてあらはれて来る平次のことを、こころよからず思つてゐたのでした。
まもなく中門から平次がはいつて来ました。今日は大きな犬をひいて来ました。その犬は、ここへつれられて来るたいていの犬がするやうに逃げようとしたり、ひかれていくのをいやがつて、地べたに坐りこんでしまつたりせずに、首を地に低くたれて、すなほに平次のあとをついて来ました。
庭のまん中に、縄で二重の大きい円が描かれてあります。平次はその内側の方の円形の中にはいりました。そして犬の首を抑へてかがみました。
さてこれから犬追物の練習がはじまるのです。鳥右ヱ門は矢をつがへて、馬の上で身をかまへました。
「お犬にげ候。」
と平次がいひました。しかしまだ犬の首をはなしません。鳥右ヱ門もだまつてゐます。
「お犬にげ候。」
とまた平次がいひます。三度目に「お犬にげ候」をいふと、そこで矢をはなつことになつてゐるのでした。鳥右ヱ門は大きく弓をしぼりました。
「お犬にげ候。」
三度目に平次がいひました。
「はや放せ。」
と鳥右ヱ門が声をかけました。
平次は犬の首を放しました。
犬は、ぱつと駈けだして逃げる、と思ひのほか、同じ場所に首を垂れてじつとしてゐるのでした。鳥右ヱ門は拍子ぬけがしました。
「何だ、これは。病犬ではないか。」
「申しわけありません。」
と平次はあやまりました。
「こんなものが射られるものか。」
「お腹立ちはごもつともでございます。しかし、けふはいくら歩き探しましても、この犬のほかには……」
「ええい、つべこべいふな。鳥山鳥右ヱ門、やせても枯れても、武士のはしくれ、病犬を射たと人にいはれたくないわ。」
すると平次はだまつてしまひました。そしていつもの、あの冷たく澄んだ眼ざしで、じつと、鳥右ヱ門を見上げてゐました。
鳥右ヱ門はその眼ざしにでくはすと、われにもあらずどぎまぎしました。その、どぎまぎしたのを平次に見られるのは一層やりきれないことなので、ごまかすためにゐたけだかになつて、呶鳴りました。「ええい、ここなやつが。下郎の分ざいで、主人をにらむとは生意気千万。のちのちの見せしめに……」さういつて、犬を射るつもりでふりしぼつた矢を、平次の方にむけました。「その、につくき眼の玉を射てくれるわ。」
平次は仰向けにひつくりかへりました。矢は右の眼を射つぶしてゐました。
庭の隅の橘の花に、蜂が音を立てて来てゐるしづかなひるのことでした。
七年たちました。平次のことはとつくに鳥右ヱ門の心から忘れられてゐました。平次はつぶれた眼の療治を二月ばかり鳥右ヱ門の館でうけてゐましたが、まだすつかりよくならないうちに、暇をとつてどこかへ行つてしまつたのでした。
さて或る日、大きい川が、水をなみなみとたたへて、ゆるやかに流れてゐました。
渡船には客が一ぱいになつてゐました。小さい船なので、一ぱいといつても、八九人でありました。
もう、出してもいい頃だ、と思つて、船頭は、棹を岸にあてました。そのとき、
「おい、まてまて。」
といつて、一人の武士が、しもべをつれて土手を下つて来ました。
船頭は待つてゐました。船の中の人たちは、少しづつ、ゐざりよつて二人のために席をあけてやりました。
武士としもべはやつとのことで船にのりこみました。しかしぎつしり人でつまつてゐるので、武士は弓を置く場所がありませんでした。
「こら、そこなやつ。」
と武士は猿を背負つた旅芸人に声をかけました。「じやまであるから、おりろ。」
猿まはしも、猿もびつくりして、同じような顔つきで武士を見ました。まはりのものもなにかぶつぶついひました。
「ええい、おりろと申すに。」
みんなは猿まはしのために、武士に反対しようと思ひました。しかし、武士の鼻の下に顔からはみ出すほどの八の字髭があるのを見ると、反対するのはよさうと思ひました。猿まはしも猿も、その髭を見ると、だまつておりた方がよいと思つた様子でした。
猿まはしがともからぴよいと小さいさんばしの上にとびあがるのを、船の中の人々はだまつて見てゐました。そのとき誰かが、
「あとから来たものが下りりやえい。」
と低い声でいひました。それは船頭でした。船頭はすげ笠をかむつて、向かふをむいて立つてゐるので、顔は見えませんでした。
「なにツ。」
と武士は船頭のうしろ姿をねめつけました。が、武士と船頭の間には人がこみあつてゐましたので、いまいましさうに歯をならしただけで、がまんしました。
船が川の中程まで来たとき、川上の方を、白鷺の群が低くとんでわたるのを、人々は見ました。それを見て、今までだまつてゐた人々が、「白鷺ぢや」「ほう」とささやきました。
武士もしばらく見てゐましたが、やがて弓を取り矢をつがへると、白鷺の群にむかつてひゆつと射てはなちました。
すると、横に流れてゆく白鷺の群の中から、二羽だけが、まつすぐ下に落ちて川にうかびました。川に落ちてからも、白い羽をばたばたあふつてゐました。
「お、お。」
と、船の中の人々は、感嘆の声をもらしました。そして一本の矢で二羽しとめることは珍しくお立派な腕前であるといつて、ほめました。
すると武士についてゐたしもべが、鼻をおごめかせながら、御主人にとつては鳥を二羽一度にしとめるくらゐ何でもない、魚をとつて飛んでいく水鳥を射て、その水鳥の放した魚が、地に落ちる前に、その魚を射てしまふことも出来る、とか、牛のやうな大きい動物でもただの一矢でころりと参らせてしまふ、などとふいちやうするのでした。
「今日も、川向かふの権現様で犬追物の会がござりまして、今その帰りでござりますが、やはり御主人にかなふものは一人もござりませなんだ。」
「ほオ、ほオ。」
と人々は感心するのでした。そして、
「失礼ながら、こちらの御主人は何とおつしやる御名人ですか。」
ときくと、しもべは、
「鳥山鳥右ヱ門様と仰せられる。」
と答へました。
「お、鳥右ヱ門様。道理で道理で。」
「鳥右ヱ門様なら、近郷近在に御名の聞えた御名人。えらいお方だ。」
あつちでもこつちでも「えらいお方」といふ言葉がささやかれました。
鳥右ヱ門は、きいてもゐない、といふやうな顔をしてだまつてゐました。しかし心の中では、いささか、とくいでありました。パチンと扇子をひざの上で鳴らしたりしてゐました。
するとそのとき、
「何の、そんなことがえらいものか。人のためになることをしてこそえらいといはれるもんさ。鳥や獣の命をとることが、何のためにならうぞ。」
と低い声で、ぶつくさいつたものがありました。又、さつきの船頭でした。
人々はだまつてしまひました。鳥右ヱ門が怒りだしはしないかと、その八の字髭をそつと見てゐました。
はたして鳥右ヱ門は怒りだしました。八の字髭の先が、ふるへはじめました。
「お、おのれ、よくも、ほざいたな。」
刀のつかに手をかけましたが、そこはまだ川の中でした。そこで船頭を切つては、船をあやつる者がなくなります。船が遠くへ流されてしまつては大変であります。
よし、いいことがある、と肚の中でいひながら、鳥右ヱ門は立てたひざをおろしました。
船が岸について、一同陸にあがりました。川原には葦がしげつて中でよしきりが鳴いてゐます。その中の道をいきつくすと、土手になりました。その土手ものぼりきつたとき、鳥右ヱ門は船の方をふりかへつて見ました。
船はまだこちらの岸につながれてゐました。船頭はへさきに、しよぼんと腰をおろして客の来るのを待つてゐるやうすでした。船頭のうしろのところの水が、陽をてりかへしてきらきら光つてゐました。
「やい、船頭。」
と鳥右ヱ門は堤の上から呼びました。「こちらに向け。」
船頭はこちらに向きました。
「や、おぬしは片目だな。や、や、おぬしは平次だな。」
船頭は右の眼がありませんでした。
「平次だとて、片目だとて許すことがならうか。ただいまの悪口雑言、武士として聞きずてならぬぞ。かうしてくれるわ。」
矢は一文字にとびました。
どぼんと音がして船の向かふの光つてゐるところに水げむりがたちました。ゆれてゐる小船の上には、人の姿がありませんでした。
鳥右ヱ門について歩いてゐたしもべは、かたはらの小山の頂ちかい崖道を、一匹の鹿がのぼつていくのを見つけました。里に餌をあさりに来た鹿が、奥山へかへつていくところらしいのです。
「あ、あそこに鹿が。ちやうど矢頃でござります。」
と、しもべは鳥右ヱ門に教へました。
「なに、鹿?」
と、うつむきかげんに歩いてゐた鳥右ヱ門は顔をあげて、しもべの指さす方を見ました。そして鹿を見るとすぐ、弓を取りなほし矢をつがへ、ひきしぼりました。
いまか、いまか、としもべは拳をにぎつて待つてゐました。しかし鳥右ヱ門はなかなか矢を放ちませんでした。
つひに鹿は、屏風のやうに切り立つた崖のすそをまはつて、向かふへ姿をかくしてしまひました。
鳥右ヱ門はほつと太息をついて、しぼつた弓をゆるめて、おろしました。
しもべは不思議な気がしました。こんな打ちしづんだ様子の、鳥右ヱ門を見たのは、これがはじめてでありました。
そのはずでした。鳥右ヱ門は、うまれて今はじめて、物ごとを深く考へるといふことをしてゐたからであります。
鳥右ヱ門は船頭になつた平次の、残つた方の眼を狙つて射ました。たしかにてごたへはありました。武士に向かつて悪口を申す奴は、かういふ成敗をしてくれて当然でありませう。
しかし鳥右ヱ門の心の眼には、つぶれてしまつたはずの平次の二つの眼がはつきり見えてゐました。その平次の眼は、冷たく澄んで、まじろぎもせず鳥右ヱ門をみつめてゐるのでした。そしてまた鳥右ヱ門の耳には、平次のいつた言葉が残つてゐるのでした。人のためになることをしてこそえらいといはれるもんさ。人のためになることを……
鳥右ヱ門は今までに、じつにたくさんの立派なことばを、人からもきき、本でも読みました。だから、平次のいつたこんな言葉も、もういつかどこかできいてゐたかも知れません。いや、さういへば、なんどもきいたやうな気もします。
しかし、けふ、平次の口からつぶやかれたこの何でもない、ちよつとした言葉は、とげのやうに鳥右ヱ門の魂にささつたのでした。
鳥右ヱ門の魂はうづいてゐました。
──人のためになることをしてこそえらいといはれるもんさ。
ほんたうにさうだつた、と鳥右ヱ門は思ひました。そして、自分の生涯をふりかへつて見てはづかしく思ひました。自分は、じつにじつに、何一つ人のためになることをして来てゐませんでした。わがままいつぱいにふるまつて来ました。人に迷惑ばかりかけて来ました……
鳥右ヱ門としもべは、やがて松の生えた丘の頂にでました。そこに立つて南を見下ろすと、穂のでかかつた麦のだんだん畑がうちつづき、丘のすそと平野がつらなるところに、白壁の塀をめぐらした大きい館が見えました。それが鳥右ヱ門の住家でした。その家のその屋根の下には、鳥右ヱ門の妻や子供もゐるのでした。
平和なながめでありました。白壁に影を落として、蔵ののきから雀のとぶのも見えるのでした。
丘の上にとまつて、松の木に片手をかけて、鳥右ヱ門は長い間、自分の館の方を見てゐました。
「おのしは一足さきに帰るがよい。」と、やがてしもべをかへり見ていひました。「わしは、狩場を見てから帰る。」
しもべはだんだん畑をおりていきました。一町くらゐ来てからふりかへつて見ました。鳥右ヱ門はまだ松の木に片手をかけたままこちらを見てゐました。しもべは何となくバツがわるかつたので、麦をぬいて笛をつくりました。それを鳴らしながらまた一町くらゐ来ました。そして、そつとふりかへつて見ました。まだ鳥右ヱ門はさつきのままの姿勢で立つてゐました。
しもべが館の門をはいつたとき、ひゆつと大きい音がして、矢が一本、庭の松の木の幹に立ちました。それは鳥右ヱ門の使つてゐた矢でした。そしてそれには手紙のやうなものが結びつけてありました。
しもべは、ぬきとつて、手紙のついた矢を奥方のところにもつていきました。奥方が開いて見ると、その手紙にはかんたんに次のやうなことが書いてありました。
「わしは、今までまちがつた生き方をしてゐたことがわかつた。しかし正しい生き方とは何であるかまだわからない。そこで正しい生き方を知るためにこれから旅に出る。わしはいつ帰つて来るかわからない。そちも坊もずゐぶんたつしやで暮せ。鳥右ヱ門。」
鳥右ヱ門は正しい生き方を見つけるために、何でもやつて見るつもりでした。さいしよにやつたのは、鍛冶屋の弟子でした。鳥右ヱ門は真黒になつて、親方と向かひあつて立ち、てんとんと、かなしきの上をたたきました。かなしきの上では強い見事な刀やなぎなたができていきました。親方はそれを売つてお金をもうけました。だから鳥右ヱ門は親方のためになることはできました。しかし鳥右ヱ門は、もつとおほぜいの人のためになることがのぞましかつたのでした。それに或る夜、野武士のむれが、ある都の貴族の館をおそつて、罪のないしもべや女子供をたくさん刀できつたといふ話しをききました。それをきくと何となく刀をきたへる鍛冶屋もいやになりました。
次になつたのは、酒造りでありました。酒の好きな鳥右ヱ門は、かういふものをたくさん作つて人々を喜ばすことは、ずゐぶん人のためになることだと考へたのでした。しかし或るとき、酒に酔つてゐて牛と角力をとるんだとりきんできかない男を妻子が泣きながらひきとめてゐるのを見て、酒といふものも、はたして人のためになるかどうか、あやしいと思ひました。
その次にやつたのは櫛引でありました。うすいのこぎりをひいて、櫛の歯を一枚一枚をつくつていくのです。おお、これはたくさんの男や女のためになる仕事でした。しかし、これはまた鳥右ヱ門のやうな、気の荒い男にとつては、何と、めんだうくさい仕事でせう。鳥右ヱ門は肩がこるので、一日に何十ぺんとなく、にぎりこぶしで肩を叩き、まばたきし、太い溜息をつくのでありました。
そのほか、ばくらふ、炭焼き、烏帽子折り、鏡磨きといふやうに、いろんなことをしながら、あちこちとさまよひ歩きました。
しかし、鳥右ヱ門にぴつたりあふやうなしやうばいは一つもありませんでした。人々のためになる仕事はありました。が、さういふ仕事は鳥右ヱ門には好きになれないのでした。また好きになれるやうな面白い仕事はありました。が、さういふのは、あまり人々のためにはならない仕事でありました。
鳥右ヱ門は、坊主と乞食だけはして見る気がありませんでした。ああいふものになるよりは、追剥になつた方がましだ、などと考へてをりました。
ところが、その嫌ひな坊主に、鳥右ヱ門がなることになりました。それはちよつとした間違ひから起つたことでした。
鳥右ヱ門はちやうどそのとき、職にはなれ、一文なしで、三日も四日もろくろく物をくはず、街道をあてもなく歩いてゐました。髪やひげは長い間手入れを怠つてゐたので、もぢやもぢやとはえ、そのなかに眼ばかりぎよろぎよろして、悪い人相になつてゐました。ところでかういふ様子でゐることは二重に損であることが鳥右ヱ門にわかりました。一つには、人々が恐れて近よらないこと、もう一つには毛の中に虱がわくことでありました。
そこで鳥右ヱ門は、百姓家で剃刀をかりてひげをそりました。ついでに髪をそつてしまひました。坊主になるつもりでしたのではありません。かうしておけばしばらくの間、髪の手入をしなくてもよかつたからです。
すると街道の松の木のかげにゐた男の人が、かういつて鳥右ヱ門をよびとめました。
「もし、もし、御出家。」
鳥右ヱ門は足をとめてあたりを見ましたが、坊主らしいものは一人もゐないので自分が呼ばれたのだとわかりました。
「わしは、出家ではない。」
「それでも頭を丸めておいでのやうですが。」
と松の木のかげの男は腰をかがめていひました。
「この、丸めてゐるのは、別にわけがあつて丸めてゐる。わしは出家ではない。何かといふなら武士である。つまり弁慶のやうなものである。」
この百姓風の男は、街道から、十里ばかり田舎にはいつた、山の間の小さな村から出て来てゐました。その村では今までお寺がなかつたので、こんど村中で相談して、小さい御堂をうしろの山の中腹の藪の中に建てました。しかし、そんなへんぴな片田舎の、貧乏な村のことですから、御堂の守に来てくれる坊さんがありません。そこでこの百姓男は、村長からいひつかつて、坊さんを探しに今朝はやくから、この街道に出て来てゐたのでした。しかし職人や武士や百姓はたくさん通りますが坊さんはなかなか通りません。やつと一人来たと思つて、袖にすがつて頼んで見ると、その坊さんは自分には立派なお寺があるから、そんな山の中の小淋しい堂守になどなる気はないと、すげなくことはつていつてしまふといふぐあひでした。そこで、だいぶん日も西にかたむいたので、百姓は、がつかりしてゐたのでした。
「かやうなわけですから、どうか御出家。わしを救けるとお思ひになつて、わしの村の堂守になつて下せえ。」
と百姓はかざりけのない言葉で、ねつしんにいひました。
「なるほど、話をきけば哀れである。しかしわしは出家ではないのだ。何かというなら武士である。頭の丸い武士、つまり弁慶のやうなものである。わしが堂守になつたとて役に立つまい。それにわしはもとから、出家は嫌ひぢや。」
さういつて鳥右ヱ門はいつてしまはうとしました。
「いや、さうおつしやらずに。どうか、村のものたちのためになることでごぜえます。」
鳥右ヱ門は、「ためになること」といふ言葉をきくと足がとまりました。何故なら鳥右ヱ門が、こんなに落ちぶれはてて、諸国を歩き廻つてゐるのは、その「人のためになること」を探してゐたからではありませんか。
「うむ。わしが堂守になりさへすれば、それで村人のためになるといふのぢやな。しかとそれに違ひはないのぢやな。よし、それならば、堂守になつてつかはさう。」
百姓は、急に元気よくなつて、にこにこしました。そして鳥右ヱ門を案内して帰途につきました。
「しかし、わしは、ほんたうは坊主ではないので、坊主のつとめといふものを知らぬが、それでもよいのか。」
と、鳥右ヱ門は、それでも不安がつのつて来て、途中で百姓にききました。
「なあに、かまひませんとも。坊さんのつとめといつてもなにもむづかしいことぢやごぜえません。朝晩にお経をあげて……」
「そのお経を、わしは知らぬ。」
「いや御存じなくてもようごぜえます。向かふの細道行者がとほる……てなことを、口のなかでもぐもぐやつて、かねを鳴らせばごまかせます。」
「さやうか。」
「それから、年に二三度法話をなさります。」
「それが、わしにはできぬ。」
「いえ、法話と申しましても、相手が、わしらのやうな無学文盲のものばかりでごぜえます。地獄は恐しいところで、血の池、つるぎの山などがあつて、青と赤と黒の鬼がゐる、その鬼は太郎どんのところの犬が月夜に吠えると同じやうな声で吠える、といふやうなたわいねえ話をなされば、みんなありがたがつてききます。」
「さやうか。」
かうして鳥右ヱ門は坊さんになつたのでした。
三方を山にかこまれ、南だけがひらいてゐる小さな谷あひの村でした。竹藪があちこちにあり、どこにいつてもきれいな水の流れる音がきかれました。朝はさいしよの光が東の山の峰の上から、さつと流れ、木や家や墓石にやはらかく触れました。ひるは、村で一匹きりの牛がおなかをすかして鳴く声と、ひなたの枇杷の花に来る蜂の声と、お宮の杉のうへと宝蔵倉の棟にわかれて喧嘩をしてゐる烏の声のほかは何もきこえないくらゐしづかにすぎていきました。日ぐれはさいごの光が、西の山の端から、木や家や墓石にやさしくさし、それが一つづつ消えていつて、青い影と夕靄がしづんで来るのでありました。
家はみんなで二十軒くらゐありました。気ままなところに気ままな形で立つてゐました。それらの家々には、貧乏で、心が美しくて、何も知らない人々が庭先に草花を咲かせたりして住んでゐました。
鳥右ヱ門は、この村が気に入りました。
ところで鳥右ヱ門の坊さんはうまくいきました。しかしそれは、鳥右ヱ門をつれて来た百姓が考へたやうに、村人たちをごまかしおほせたからではありません。ごまかせなかつたからうまくいつたのです。なぜなら、鳥右ヱ門は、御堂にあつまつて来た村人達の前に、すぐ自分がほんたうの出家でないことを白状してしまひました。村人たちはそれをきくと、はじめがつかりしました。自分たちがほしかつたのは、坊さんであつて、弁慶のやうなものではなかつたからです。しかし村人たちは鳥右ヱ門でがまんすることにしました。こんな山の中のさびしい貧しい村に、まともなお坊さんは来てくれないことはわかつてゐたからです。それに、鳥右ヱ門には、さすが武士であつただけに、尊い品位がそなはつてゐました。
坊さんになつた鳥右ヱ門の生活がはじまりました。はじめからうまくいつたわけではありません。第一自分の名前を考へるだけでも一仕事でした。坊さんになつたからは坊さんらしい名にしなければなりません。いろいろ考へましたがちつともいい名がないので、今までの名前の鳥右ヱ門から二字をとつて鳥右といふことにしました。これだつてあまり感心できた名ではありません。それから老人たちをあつめて法話をしなければならぬやうなときには、壇にのぼるまへから武者ぶるひがしてとまりませんでした。そして壇の上にのぼると、眼の前がかすんで、心臓がのどにつまつたやうな感じがしました。話は大きな声でしましたが、老人たちには何のことやらちつともわかりませんでした。そして、ぢきすんでしまふので、老人たちはもつて来たあられを喰べるひまがありませんでした。
しかし村人たちは、だんだん、この俄作りの坊さんである鳥右さんになれてきました。そのうちに、鳥右さんは、お経や法話は下手だが、村人たちのためになることがわかつて来ました。それは百姓のいそがしいときになると鳥右さんは人手の足りないやうな家へ手伝ひに来てくれました。そして手伝ひといつても鳥右さんは、唐臼をまはすとか、田を耕すとか、俵をかつぐとか、いちばん力のいる仕事をしてくれたので、百姓家ではたいへんたすかりました。
けれども村人たちが、ほんたうに鳥右さんに感謝したのは、十日ばかりもつづけて村の山田をあらしに来た大猪を、鳥右さんが矢で射殺したときと、渡り者の山伏が、村の柿の木から、七十八の柿の実をぬすんで逃げようとしたのを、一里ばかりおつかけていつて七十一の柿の実をとりかへして帰つたときでありました。(山伏は一里歩くあひだに七つの柿を喰べてしまつたのです。)そこで村人たちはかう思ひました。
「鳥右さんがほんたうの坊さんでなかつたのは、村のために、なんぼう、しあはせであつたことぞ。」
かうして月日はたちました。村に来てから三年目のある春先のあたたかい日、ひなたでくしやみをしたとたんに、鳥右さんは、自分がこの頃は、正しい生き方を探さうとしてゐないことに気がつきました。いぜん、あれほど一生けんめいになつて、探しもとめてゐた正しい生き方のことを、この頃はどうして、けろりと忘れてゐたのでせう。しかしよく考へて見て、自分の今送つてゐる日々こそは、その正しい生き方であることがわかりました。自分は少しづつでも人のためになつてをりました。そして村人たちにしてやる仕事は自分にはたのしいのでありました。……
鳥右さんは平次のことをおもひだしました。平次はもう生きてゐないかも知れません。生きてゐるにしても、盲目です。両眼を鳥右さんが射つぶしてしまつたのです。でももし平次さんが生きてゐるなら、いちど会つて、自分の非道なしうちのわびをしたいと思ひました。そして、自分はやつと、平次にとがめられないだけの生き方が見つかつたことを知らしてやりたいと思ひました。
村に吊鐘が一つほしいと考へついたのは、奥山へ柴を刈にいつた村の百姓でありました。
その百姓は、いくつも小山を越えて、深い山にはいり、そこで柴を刈つてゐました。するととほくから、何かの音が聞えて来ました。手をとめて耳をたててききました。それは鐘の音であることがわかりました。おお何といふ、明かるい、やさしい物の音であつたことでせう。百姓は自分の中に魂といふやうなもののあることがわかりました。その魂を、遠くから来て鐘の音は、柔かにあたたかくつつみました。まるで春の光が流れて来て牡丹の花をつつむやうに。
百姓は村に帰つて来ると、そのことを鳥右さんに話しました。そして、村にも一つ吊鐘があつて、朝晩あの音をきけるなら、どんなに村人の後生のためになるかしれないといひました。
そこで鳥右さんが、吊鐘を一つととのへることになりました。村人のためになることときいては、だまつてゐるわけにはいかなかつたのです。
しかし、これはたやすいことではありませんでした。村は貧乏でありました。一軒一軒がわずかのお銭しか出せませんでした。とても村だけの力では、どんな小さな鐘にしても作ることはできませんでした、どうしても、ほかの村の人々に、少しづつめぐんでもらはねばかなひませんでした。
鳥右さんは、もともと乞食のまねはしたくなかつたのです。しかし、今はそんなことはいつてをられません。もときらひだつた坊さんにだつてなつてゐるではありませんか。人々のためになることとあつてはやむをえないのです。
鳥右さんはそこで、づだぶくろを首からさげて、鉄鉢をもつて、「それでは村の衆、しばらく帰つて参りませんぞや。」と村を出ていきました。
そして八年の間、鳥右さんは村に帰つて来ませんでした。
みちばたの土手の上に、柊の木が一本植わつてゐました。その木の下に、年とつた、みすぼらしい坊さんがやすんでゐました。
秋も深くなつて、ひざかりでも、ものの陰にゐると寒い頃でした。ちぢかめてゐる坊さんのひざの上に、柊の花がほろほろとこぼれて米粒のやうに見えました。
しよぼんとして、みすぼらしい坊さん──それが、八年の間諸国をへめぐり、鐘をつくるために人々から志をあつめて、今、山の中の村へ帰つていかうとしてゐる鳥右さんでありました。
歳月と、雨と風と日の光が、こんなに鳥右さんをやつれさせてしまひました。けれども鳥右さんの心は喜びでふくらんでゐました。やうやく、人々の浄い志をあつめて、鐘一つつくるだけのお金ができたからでした。村の人たちは、どんなに待つてゐることでせう。村の人たちはどんなに、喜んでくれることでせう。
ここから村まで、まつすぐいけば、もう二里ほどでありました。しかし鳥右さんは、少しまはりみちして、大きい川に沿つてゐる一つの村に寄つていくつもりでした。その川沿ひの村は、八年前、鳥右さんが托鉢に出たときさいしよにいつた村でした。そしてその村の人々はよい心の人々ばかりで、鳥右さんの話をきくと、よろこんで志を鉢の中に入れてくれました。それから八年の間、鳥右さんはあちこちのじつにたくさんの村を通りましたが、この川沿ひの村ほど深切な村はありませんでした。そこでさいごに、もういちど、この村にいつて、志をうけようと思つたのでした。うまくいけば考へてゐたより一まはりだけ大きい鐘ができるかも知れないと鳥右さんはひそかに思つてみるのでした。
やがて鳥右さんは腰をあげました。そして岐れ路のところから、右の方へすすんでいきました。それをいけば川沿ひの村に出るのでした。
すこしいつたところで、青竹をかついだ百姓男と道づれになりました。
「坊さんも川名へいくだかね。」
と男はききました。川名といふのが、川沿ひの村の名でした。
「ああ。」
「親類でもありなさるか。」
「いや、何もない。」
「ぢや何しにおいでかね。」
「喜捨してもらふつもりぢや。わしの村の鐘をつくるんでの。」
「喜捨?」
と男はびつくりして、鳥右さんの顔を見なほしました。そしていひました。「ぢやおめえさんは、何も御存じねえだね。」
「何かあつたのかい。」
「ああ、あつたとも。川名はこの夏大水で堤防がくづれ、家がみな流れ、田や畑は砂にうまつてしまつただ。」
「ほうオ。」
と鳥右さんもびつくりして足をとめました。「そりや、ほんとか。」
「嘘やじようだんで、こんなことをいふもんかね。人もぎやうさんに死んだり流されたりしました。だが、生きのこつたもんたちが、またもどつて来て、小屋を立て田畑をひらいて、村を立てなほさうとしてをりますだ、俺も今日は小屋を一つほつたてようと思つて、親類からこの竹をもらつて来たところでごぜえますだ。坊さん川名へ、何か貰ふつもりでいくなら、よしなせえ。一銭でもやるつもりなら、いくがええだ。川名のもんたちや何もなしのすかんぴんになつてをるだ。人の情にすがつてその日その日を送つてをるだ。」
「さうか。いやわしは知らなんだ。」
と鳥右さんはいひました。しかし足はもう動きませんでした。
しばらく鳥右さんはそこに立つてゐました。心の中に、何かがあらそつてゐるやうでした。百姓も立ちどまつて、鳥右さんが「よし助けにいかう」といふのを待つてゐました。
しかし鳥右さんはいひました。「いや、わしは、さきを急いでをる。川名に寄つてはをれない。では、ここから帰らう。」
そして、踵をかへして、柊の木の方へむかひました。百姓はがつかりした様子で川沿ひの村の方へ急いでいきました。
柊の木のそばまで、ものの半町あるか無しでした。そのわづかなところを、鳥右さんはたいへん長くかかりました。なぜなら鳥右さんは、一歩あるいては考へ、二歩あるいては考へしてゐたからです。何かがうしろからひつぱるのでした。一息に前へすすめないのでした。
「川名へ、人々をたすけにいかうか。」といふ考へと「いや、いや、まつすぐ自分の村へ帰らう。」という考へが、鳥右さんの心の中で、争つてゐたのでした。川名は深切な人々の村でした。あの深切な人々が今苦しんでゐるのです。それをたすけるのはよいことなのです。しかしたすけるといへば、じぶんが今まで苦労してためて来たお金をくれてやつてしまふのです。とすれば、目的の鐘ができなくなります。じぶんの村の人々を喜ばせるために、じぶんが八年間諸国をめぐりあるいて、やうやくできかかつた鐘なのです。ここでもしこの鐘ができあがらねば、これからさきいつ村の人たちは、鐘を朝晩きける仕合はせを持つやうになるやらわかりません。
つひに鳥右さんは、柊の木の下の岐れ路につきました。心はきまりました。──村へ帰り鐘をつくるのです。
鳥右さんは、川名のことを考へまいとするやうに、さつさと左の路をすすんでいきました。
鳥右さんが、なつかしい村に帰つて、三月も立つと、御堂の前の、梅の木のそばに、大きくないけれど形のよい吊鐘がさがりました。
朝とひると日暮に、鳥右さんは庭にでていつてその鐘を撞くのでした。鐘からはそばできくと、かうかうと冴えた音がしました。そしてそれは、山の峰や、谷川のそばできくと、もやのやうに柔かにひろがつて、とてもなつかしいよい音であると、村の人たちは鳥右さんにきかせてくれました。鳥右さんはそれをひどくよろこびました。
庭の梅の木に鶯が来て鳴くやうになりました。山々にはうすくもやがかかつて、うひうひしくよみがへつて見えました。そんな或る日、鳥右さんはめづらしくおむすびをつくつて腰にぶらさげました。そして、近くの百姓家にいつてかういひました。「今日はひとつ、鐘の音が遠くできくとどんなぐあひか、ためして見たいから、ひるげどきになつたらすまんがわしの代りに撞いてくれぬかのう。」
もちろんそこの百姓はしようちしました。そこで鳥右さんは、村の東の山にのぼつていきました。
ちやつちやの鳴いてゐる木立の間をくぐつて、どんどんのぼつていくと、頂の近くに日溜りのよいところがありました。鳥右さんはそこの枯草の上にねころがつてあたたかい陽をあびながら、鐘が鳴るのを待つてゐました。
やがて鐘は鳴りました。ごオんと一つ。
「鳴つた、鳴つた。」
と鳥右さんは、ぴよくりと体を起しました。
ごオん、ごオん。春の野山に、鐘は美しくやさしく清らかに流れました。ごオんごオん。
「鳴つた、鳴つた。」
ほくほくして鳥右さんは子供のやうに笑ひました。
鳥右さんは、しみじみ満足でした。こんなよい音のする鐘を自分がつくつたのです。村人たちのために、八年間苦労をして、そのあげくつくつたのです。
この鐘は、どれほど村人たちの心のなぐさめになるか知れません。今生きてゐる村人ばかりではありません。鐘は百年でも千年でも無くなるものではないから、これからのち、どれだけの人が、この鐘の音をきくか知れないのです。
明かるくはずむ心をいだいて、鳥右さんは村の方に下りて来ました。
すると、村の入り口の土橋のところで、村の子供たちが、めくら乞食に砂をぶつかけたり、まつかさを投げつけたりして、わるさをしてゐるのにあひました。
「これこれツ。」
ともう遠くから鳥右さんは子供たちを叱りました。子供たちはきふにわるさをやめて、もつてゐたまつかさを川の中に投げこむと、あちらへ走つていつてしまひました。
めくらの乞食は杖をなくしたので、そこらを這ひまはつて探してゐました
鳥右さんはどきつとしました。見覚えのある男なのです。そばへ行つて、はひまはつてゐるめくらの男をじつと見てゐました。たしかにずつとまへに別れたきりのあの平次です。また平次が鳥右さんのまへにあらはれたのです。
鳥右さんは道のくろから杖をひろつて来ました。そして、そつと平次の手のところへさしのべてやりました。平次は杖のはしをつかみました。誰かが、べつの端をもつてゐるのです。誰か知ら、といふやうに、両眼のない顔を仰向けて平次は考へるふうでした。
「平次、誰だか、わかるか。」
平次は名前をいはれてびつくりしたやうでしたが、やがて、にこりとわらつて、
「ああ、鳥右ヱ門の旦那さま、おなつかしうござります。」
といひました。
「うむ、わしだ。しばらくだつたのう。」
「おなつかしう、ござります。」
「うむ。だが、わしは、」と鳥右さんは重い声でいひました。「お前にあふのがうれしくない。」
平次はうす笑ひを顔にうかべました。
「どういふわけでござりますか。」
「お前にあふと、いつも、よいことはないからだ。」
平次は何も答へませんでした。ただにやりと笑つただけでした。
「貴様は憎らしい奴ぢや。貴様を憎んで、その眼を二つ、わしは潰してしまつた。でもまだ貴様は憎らしいわい。」
と鳥右さんは、昔の鳥右ヱ門に返つたやうな言葉でいひました。
「旦那。もう眼はありません。こんどはどこを射て下さりますか。」
「憎らしい奴だ。貴様みたいな奴は、いくら射ても、射足らぬわ。しかし射殺してしまつてもだめだ。また生きかへつて来てわしを苦しめるのだ。」
平次はまたうす笑ひをうかべました。
「そのにやりにやり笑ふのが、わしの心につきささるわい。わしのやつたことが間違つてゐたとぬかすのぢやらう。川名の人々に金をめぐんでやるのが正しかつたといふのぢやらう。その通りだ。わしも今それがはつきりわかつたわい。貴様を見たとたんにわかつたわい。ああ、わしは人々のためになる仕事をしたと思つたのに、やり方がまちがつてゐたのだ。」
鳥右さんが平次をじぶんの御堂へつれて行かうとしても平次はそこで別れるといつてききませんでした。
人々は不思議に思ひました。その日の晩から鐘が鳴らなくなりました。
鳥右さんはどうしたらうと思つて次の日人々は御堂へ見にいきました。すると御堂は、ひるまだといふのにぴつたり戸がしめられてありました。しかし戸のすき間からのぞいて見ると、中にちらちらと灯が見え、何やらお経のやうな文句をわめくやうに唱へてゐる声がしてゐましたので、鳥右さんがゐることはわかりました。そこで人々は、鳥右さんの好きなやうにさせておくことにして、みな家に帰りました。
とうとう或る日鳥右さんが戸をあけて出て来ました。その眼はきよろきよろとして、顔はあをざめてゐました。
「や、あの鐘が失せたぞ。」
と鐘楼を見ていひました。
ところがじつさいはそこに鐘はあつたのです。春風のなかに鐘はしづかに吊下つてあつたのです。
「どこへ失せたぞ、あの鐘は。」
鳥右さんは、きよろきよろと、家々の家根の上あたりを眺めながら歩いていきました。
そのうちとつぜん、
「わあ、鐘が喚きながらとんでゐる。喚きながら空をかけめぐつてゐる。わあ、いやな声だ。割れ鐘の声だ。」
といつて、耳の穴をふさぎ、空の一角を見てゐました。
しかしじつさいは空に鐘なんかとんではゐませんでした。春の雲があつちやこつちにぽかぽか浮いてゐるばかりでした。
それから、またしばらくして、とつぜん鳥右さんは、耳の穴をおさへたまま走り出しました。道でも畑でも、いばらの中でもかまはずにどんどん南の方へ走りました。そしてやがて村から見えなくなつてしまひました。
鳥右さんはかうして、また諸国をめぐることになつたのです。見えもしない鐘の姿に追つかけられて、きこえもしない鐘の音につきまつはれて、春のつむじ風のやうにあつちへ走り、こつちへ走りしていきました。
底本:「日本児童文学大系 第二十八巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
1943(昭和18)年9月
初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
1943(昭和18)年9月
入力:菅野朋子
校正:江村秀之
2013年5月4日作成
2013年5月22日修正
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