スミトラ物語
豊島与志雄



 むかし、インドのある町に、時々、飴うりの爺さんが出てきまして、子供たちにおもしろい話をしてきかせて、うまいまつ白な飴をうつてくれました。大きな大黒帽をかぶり、黒い衣をき、白いながいひげをはやしてゐて、どこからかやつてきてはまたどこかへ行つてしまひます。どこのどうした人かわかりませんが、みんなから、スミトラ爺さんとよばれてゐました。その白い飴がたいへんうまく、その話がたいへんおもしろいので、子供たちにとつては、スミトラ爺さんがやつてくるのがたのしみでした。

 白い飴のはうは、皆さんに差上げることができませんけれど、そのおもしろい話のはうを、あらましおつたへしませう。


手品使になる話

 わたしが十五歳の時のことでした。その頃わたしは、父にも母にも死にわかれ、兄弟もなく、一人ぽつちでしたから、薬屋をしてゐる叔父さんのうちにひきとられて、小僧としてはたらいてゐました。

 その時、諸国をわたりあるいてる五六人ぐみの手品使が、わたしの町にやつてきました。広場に小屋がけをし、夜になると、あかあかと燈火をつけ、鐘や太鼓をうちならして、にぎやかにこうぎやうしました。

 わたしは胸をわくわくさせながら、それを見に行きました。正面のたかいぶたいの上で、金や銀のぬひとりのある服をつけ、顔を赤くぬつたり白くぬつたりした人たちが、いろんなげいをしてみせました。一枚のカードが、てのひらのなかで、たくさんの数になつたり、消えてなくなつたりしました。ハンケチのなかから、鳩がとび出しました。さかだちをして、足で五色の輪をつかひわける者がゐました。大きなまりの上にのつて、まりをころがしながら、ダンスをする者がゐました。それから、綱わたりやちうがへり……。そのほかいろんなおもしろいげいがあつて、みんなからやんやとかつさいをうけました。わたしもむちゆうになつて手をたたいてやりました。

 それらのことが、うちにかへつてもわたしの頭からはなれませんでした。ああいふおもしろいげいをしながら、方々旅をしてあるいたら、どんなにゆくわいだらうかと、わたしは考へました。それになほ、前にいつたとほり、叔父さんのうちは薬屋で、薬になるいろんな草の茎葉や根のかわかしたのが、世界各地からあつまつてゐましたので、方々旅をしてあるけば、それらの薬草をじつさいに研究することもできるわけです。

 いろいろ考へてからわたしは、あの手品使たちの仲間にはいつてみようと思ひました。そして翌日、わたしは一人で、手品使たちの小屋に行つてみました。みんなねばうらしく、まだ起き出たばかりのところでした。

「親方にあひたいんです。」とわたしはいひました。

 眼のぎよろりとしたふとつた男が、奥から出てきました。仲間にいれてくれませんかとわたしはたのみました。親方はわたしのやうすをじろじろ見ながらたづねました。

「なにか手品を習つたことがあるかね。」

「ありません。」

「いくつになるんだい。」

「十五です。」

 親方は笑ひだしました。

「だめだ、だめだ。おれたちはみんな、小さい時からくらうして修業したんだ。十五からぢやあ、もうおそい。やめたがいゝよ。」

 わたしがいくらたのんでも、親方はとりあつてくれませんでした。そこで、わたしは少ししやくにさはつて、つぶやきました。

「つまらないげいをはなにかけて、十五からぢやおそいなんて、ばかにしてやがる……。」

 それを、ほかの男たちがきゝとがめて、なにがつまらないげいだと、つつかゝつてきました。わたしもまけてゐないで、つまらないげいばかりだといひかへしました。そしてしまひに、それをしようこだてなければならなくなりました。

 さうなると、わたしもこまりましたが、なに、やつつけてやれといふ気になつて、できるなら、さかだちをして、僕ときやうさうしてみろ、といつてやりました。

 そこで、外に出て、線を引いて、わたしがかたはしに立つと、三人の男がさかだちをしてわたしにならびました。そして一、二、三のあひづで、かけだしました。ところが、いくらさかだちがじやうずでも、わたしは足で走るんですから、勝負はわかつてゐます。わたしはゆつくり走つても勝つことができました。男たちはくやしがりました。そしてもう一度やりなほしました。三人の男がさかだちをしてかけるところは、じつにみごとでしたが、子供でもわたしの方は足で走るんです、わけなく勝ちました。

 それから、こんどはすまふにしようといふことになりました。

 さかだちをした男が、足をばたばたうごかして向つてくるのを、わたしはぐるぐるまはつてよけながら、すきをみて、一本の足をとらへて、ぐつと引きたふしてやりました。二度目の男も、同じやうにして引きたふしてやりました。三度目の男は、いきなり両足にくみついて、押したふしてやりました。みんな頭をついてたふれました。

「いくらさかだちがじやうずでも、子供の僕にかなはないぢやないか。」

 そしてわたしは、銅貨を一つとりだして、これを金貨にかへてみろといひました。一人の男が奥にかけこんで、また出てきました。きつと金貨をもつてきたのでせう。彼はわたしの銅貨を片手ににぎつて、ヤッときあひをかけると、手の中の銅貨は金貨にかはつてゐました。しらべてみると、ほんものの金貨でした。

「これは、僕のお金だね。」

「さうだよ。銅貨が金貨になつたらう。」

「うむ、どうもありがたう。さようなら。」

 わたしはさういつて、金貨をポケットにしまひながら、かへりかけました。

「おいおい、ちよつとまつた。」

 よばれて、ふりかへつてみますと、親方が立つてゐました。べつに怒つたやうすもなく、にこにこ笑つてゐました。

「お前はえらい。大人たちにさかだちをさせて、さんざんからかつたり、銅貨と金貨とをとりかへさしたりして、みどころがある。ゆつくり話をきいてあげよう。」

 そして、どうみどころがあるのか、親方はわたしの話をゆつくりきいてくれ、その上、いつしよに叔父さんにも話をしてくれました。

 叔父さんはわたしに、薬草のことがかいてある大きな書物をくれました。わたしはその書物によつて、行くさきざきで、薬草のことをしらべたり、また手品のげいを習つたりして、手品使たちといつしよに旅をすることになりました。それから、いろいろなことが起りました。

     

「これから先は、この次のおたのしみ。まづ飴でもおたべなさい。」

 スミトラ爺さんはさういつて、飴箱のふたをあけてくれるのでした。


聖者になる話

 わたしは手品使のなかまにはいつて、あちらこちら旅をしました。いろいろなげいを教はつて、一二年たつうちには、もうりつぱな一人まへの手品使となりました。

 その間、わたしのたのしみは、叔父さんからもらつた書物をたよりに、いろいろな薬草をしらべることでした。カバンのなかには、かわかした薬草がたくさんたまつていきました。病人などを見かけると、その薬草をのませてみましたところ、ふしぎなほどよくきゝました。

 そのことが、いつしかひやうばんになつたものとみえます。手品を見にくる者よりも、病人をつれて薬草をもらひにくる者のはうが、多いやうな時もありました。

 そして、ペルシャのゐなかをまはつてた時のことです。村の金持の息子で、鬼につかれたといふのがゐて、わたしに来てくれといふことになりました。いつてみますと、鬼のやうなおそろしい顔つきをして、うはごとばかりいつてゐます。鬼にきく薬はありませんけれど、ためしに、気をしづめる薬を、つよめにあたへてみましたところ、それがうまくあたつて、一日眠りとほしてからけろりとなほりました。

 ところが、それからがたいへんです。鬼をおひおとして下すつたえらい聖者さまがをられるさうで、そのありがたいお薬水くすりみづをいただきたいといつて、いろんな人がおしかけてきました。

 海岸の小さい町にいきました時には、さうしたひやうばんが、なほひろがりましたとみえて、わたしたちの小屋のまへには、いつぱい人だかりがしました。手品のげいを見ようといふ者は少く、たいていは、聖者さまのありがたいお薬水をいたゞきたいといつて、小さな瓶をさげて、お金やお菓子などのお供物を、たくさんもつてきてゐました。

 わたしたちはこまりました。

「どうだ、聖者さまになつてみないか。」と親方はいひました。

「いやです。こまりますよ。」とわたしはいつしよけんめいにいひました。

 さて、どうしたものだらうかと、わたしたちがさうだんしてゐます時、馬のかけてくる音がして、小屋の戸がひどくたゝかれました。

 親方がたつていきましたが、やがて、顔色をかへてとびこんできました。

「総督の役人たちが、聖者さまを迎へにきたといふんだ。」

 わたしたちは息をつめて、顔を見あはせました。だが、その時にはもう、親方のあとについて、四人のひとがはいつてきてゐました。金すぢのついた帽子をかぶり、みじかい剣を腰につるした、大きなたくましい人たちで、日にやけたくろい顔に、眼がぎらぎら光つてゐました。

「総督のごめいれいで、聖者さまを迎へにきたのだ。すぐに出かけなければいけない。」

 きつぱりさういはれると、もう返事のしやうもありませんでした。わたしはさつぱりしたみなりをして、薬草の書物とカバンだけをもつていくことにしました。

 そして、親方や仲間の者たちと、心をこめて握手をかはしました。ながい別れとなるやうな気がしました。

 小屋の外には、りつぱな馬が四頭ならんでゐました。わたしは、一人の役人にだきかゝへられて、二番目の馬にのせられました。書物とカバンは三番目の人がもちました。一番先と後の人は、ながい槍をもつてゐました。

 広場の人たちは、さゝやきあひながら眺めてゐました。小屋の入口には、仲間の者たちがだまつて見送つてゐました。そのなかを、四頭の馬はかけだしました。

 馬はいきほひよくかけつゞけました。町を出て、平野をよこぎり、森をとほりぬけ、丘をこえて、さびしい海岸のはうへ進みました。なんだか、総督のゐる都とは方角がちがつてるやうです。けれど、わたしが何をたづねても、男たちはこはい顔をしてだまつてゐます。

 さびしい海岸の岩山のかげに、大きな家が一つあつて、槍をもつたあらくれた男どもが、番兵のやうにたつてゐました。そのまへに馬はとまりました。

 わたしは馬からおろされて、家の中につれこまれ、いちばん奥の室にみちびかれました。

 いろんな武器が壁いちめんにかけてあつて、ゆかにはうつくしいじゆうたんがしきつめてありました。虎の皮のうへにあぐらをかいてる男をまんなかにして、五六人のひげだらけの男が、カルタをしてあそんでゐました。

首領かしら、てはずどほりにいつて、小僧をつれてきましたよ。」

 そして彼は、わたしをそこに坐らせていひました。

「どうだ、もう分つたらう。総督の役人といふのはうそで、おれたちは海賊だ。これから、お前も仲間にしてやる。手品使なんかよりおもしろいぞ。」

 そして彼はわたしのことを、子供のくせにえらい奴だといふんです。聖者さまなんかになりすまして、金まうけをたくらんでるが、あんなことではだめだから、これから、おれたちがもつとりつぱな聖者さまにしてやる、おとなしくしてをれ、といふんです。

 それから、海賊たちは相談しあひました。わたしに、金銀のぬひのあるすばらしい着物をきせ、世の中をすくつて下さる聖者さまだといひふらし、お堂をたてゝその中にまつりこむ……そしてびんにつめた水を、ありがたいお薬水だといつてうりだす……そして大まうけをする……さういふつもりらしいんです。

 虎の皮のうへの首領は、手下の者たちの相談にうなづいてみせるきりで、だまつてゐました。ひげをすつかりそつてかみの毛をながくのばしてゐる大きな男で、力はたいへん強さうですが、どこかやさしさうなところがあります。わたしをそばによんで、うまいお菓子をたべさせてくれました。

 わたしはそのお菓子をたべ、銅貨を四五枚とりだして、おもしろく手玉にとりながら、一枚をぱつと室の外になげだして、それをひろひにいくふうをして、逃げださうとしました。ところが、手下の男が、わたしの首すぢをつかんで、そこに引きすゑました。

「この室から一足も外に出てはいけない。」

 わたしはあきらめて、じつと考へこみました。聖者なんかにされてお堂の中などにまつりこまれたら、全くこまつてしまひます。よい工夫はないものかと考へました。

     

「どんな工夫がうかんだかは、この次にして、まあ飴でもおたべなさい。」

 スミトラ爺さんはさういつて、白い飴をうつてくれるのでした。


黒い船の話

 海賊のとりこになつて、これから聖者にされ、金まうけのたねに使はれるのかと思ふと、わたしはなさけなくなりました。逃げようたつて、子供のわたし一人ではどうにもなりません。そこで、ただ時をのばすために、たのんでみました。

「これから五日のあひだ、修業をさして下さいませんか。いきなり聖者になつても、ばれるとつまりませんから、五日のあひだ、聖者になる修業をさして下さい。」

 なるほどもつともだといつて、海賊たちは承知してくれました。

 ところが、修業をするにはしづかなところがよいだらうといふことになつて、わたしは船のなかにつれてゆかれました。そこの森のかげに入江がありまして、入江のなかに、まつ黒くぬつた大きな船が一つ、いかりをおろしてゐました。わたしは小船でそこにつれてゆかれ、小さな室のなかにとぢこめられました。

 この黒い船は、海賊たちの船にちがひありません。そしてわたしがとぢこめられた室は、海賊の首領の室ででもあるらしく、壁はりつぱな織物ではられ、ゆかにはじゆうたんがしいてあり、戸棚やなんかもそなへつけてありました。たゞふしぎなのは武器が一つもありませんでした。たぶん、わたしをこはがらせないやうに、とりさつてしまつたのでせう。

 そのやうにして、海賊船のなかにとぢこめられると、もう逃げだせるのぞみもなくなつて、修業をするやうなふうをしながら、ぼんやり時をすごすよりほかはありませんでした。室の外には、昼も夜も、二人の番人がついてゐました。わたしは食事をするのも眠るのもその室のなかで、一足も外に出られませんでした。

 夜になると、海賊の首領がやつてきて、だまつて、わたしのやうすを見にきました。そして、つれてきた二人の手下を番人にして、前の番人をつれていきました。

 こゝろぼそい日が、二日、三日、四日とすぎさりました。

 五日めも、なんの助けの人も救ひの人もなく、くれてしまひました。そしていつもよりおそくなつて、首領がやつてきました。

「今夜は、さいごの修業の晩だ。おれがついてゐてやるから、お前たちはかへつてよろしい。」

 首領はさういつて、手下の者たちを船からかへしました。そしてわたしの前に坐りこんで、いつまでもじつとしてゐます。わたしはこまりました。べつに修業なんかしてゐたわけではありませんから、もしもとひつめられたら、どうしようかと思つたのです。ところが、首領はふいにいひました。

「お前は、修業をするふりをして、じつは、逃げだすことばかり考へてゐたんだらう。どうだ、逃げだしたくはないか。」

 いひあてられて、わたしは返事につまつて、うなだれてしまひました。

「よろしい。おれにまかしておくがいゝ。」

 首領はさういひすてゝ、室から出ていきました。

 わたしはそこに一人のこされて、ほつとためいきをつきました。心のなかを、首領からみぬかれたので、どんなことになるか分らないと思ひました。殺されるかもしれないと思ひました。殺されても仕方がないとも思ひました。

 ながい時間がたちました。わたしはもう覚悟してじつとしてゐました。首領はいつまでも、もどつてきません。するうちに、船のうへで、にはかにへんな音がおこりました。それがしばらくつゞいて、またしづかになると、こんどは、船がゆれだしました。ふなべりをうつ波の音が聞えてきました。

「さあ、もういゝから、出ておいでよ。」

 大きな声でよばれて、わたしは室から出ていきました。あかるい月夜でした。船は帆をはつて、ひろびろとした海のうへを走つてゐました。首領は舵の柄をにぎつて、わたしをまねいてました。

「もう、この船には、おれとお前と二人きりだ。」

 首領はさういつて、月の光のなかで、はれやかに笑つてゐました。わたしには、さつぱりわけが分りませんでした。

 その時、首領はわたしに話してきかせました。……彼はもとからの海賊ではなかつたのです。若い時海賊にさらはれて、仕方なしにその仲間にはいつてゐるうちに、みんなより智慧も力もまさつてゐるので、だんだんおしたてられて、前の首領が死んだのちたうとう首領にされてしまつたのでした。そして、ながく海賊をやつてるうちに、しだいにいやきがさしてきたところへ、わたしをみると、ちやうど自分が海賊にさらはれた時の年頃ですし、むかしのことなんか思ひ出して、わたしを助けるといつしよに、自分も海賊の仲間から逃げだすことにしたのです。わたしをさらつてきて聖者にしたてるといふのも、仲間たちからおこつた話だつたさうです。

「もう海賊なんかいやになつた。これから二人で逃げるんだよ。心配しないでもいゝ。この船には、おれたち二人きりだ。」

 そして彼はまたはれやかに笑ひました。

 あまり意外な話なので、わたしははじめあつけにとられ、つぎには涙ぐんで、彼にすがりつきました。彼は力づよい手で、わたしの頭をなでてくれました。

「これから、二人で遠くへいつてしまはう。お前がだいじにしてゐる書物とカバンも、船にもつてきておいたよ。なんにも心配することはない。」

 わたしはうれし涙のなかで、彼にすがりついたまゝ、なんどもうなづきました。

 船はもう陸地をはなれて、月にてらされたひろい印度洋を、南へむかつて走つてゐました。なんともいへないよい気持でした。海賊の仲間たちがおつかけてくる心配も、もうありませんでした。食物や水も、船のなかにたくさんつんでありました。彼は舵をそのまゝにして、風に船をまかせて、わたしになほいろんなことを話してくれました。

 彼はもう海賊の首領ではなく、わたしがたよりとする「をぢさん」でした。

 そしてこの黒い船は、わたしたち二人をのせて、どこへいくのでせう……。

     

「どこへいつたかは、この次のお話にして、まあ飴でもおたべなさい。」

 スミトラ爺さんはさういつて、白飴をだしてくれるのでした。


島のお客になる話

 わたしたちはたのしい航海をつゞけました。大洋のなかをまつすぐに、インドの南へでるつもりでした。海賊の首領だつたガルーダをぢさんは、いろんなおもしろい話をきかせてくれました。それからまた、わたしは、帆をあやつることだの、舵をとることなどを教はりました。

 それまではいゝんですが、ガルーダは長年海賊をしてゐて、海になれきつてるところから、少しゆだんをしたらしいのです。ある日のひる頃、左手のとほい水平線に、ぽつりと黒い雲がでゝきたのを見て、しまつた……と叫びました。いまにあらしがくるといふんです。

 はたしてさうでした。ぽつりとした黒い雲は、みるみるうちにふくれあがつて、空をおほひかくし、はげしいあらしになりました。船にはたつた二人きりです。いそいで帆をおろし、舵をひきあげて、なりゆきにまかせるより外はありませんでした。

 船は大きな波にもまれながら、木の葉のやうにながされました。わたしたちは室のなかにとぢこもつて、風がしづまるのをまちました。けれどなかなかやみません。あくる日になつても、あらしはつづきました。

 二日めの夕方、風がすこしやみかけたと思つてると、ふいに、わたしたちはまりのやうにはねあげられました。大きなひゞきがして、船底にめりめりと音がして、船はさかだちになりました。

 わたしたちは外にとびだしました。すぐ前に、木のこんもりと茂つた島がありまして、そのあらいその岩のうへに船はのりあげ、へさきをたかく空中につきだし、ともの方はなかば水に沈んでゐます。

「もうこの船はだめだ。早く島へあがらう。」とガルーダはいひました。

 ところが、すぐ眼の前に島はありますが、船からそのあひだが、ふかい淵で、岩がつきたつて波があれてゐます。わたしにはとても泳いでわたることができません。

「よいことがある。待つておいで。」

 ガルーダはさういつて、大きな麻のロープをとりあげました。海賊船なものですから、ふといロープなどがたくさんそなへてありました。彼はその片はしを、たかい船のへさきにむすびつけ、片はしをもつて、裸で海にとびこみました。そして向うの岸に泳ぎついて、そこの岩のねもとにロープをまきつけ、力いつぱいに張りわたしてくれました。

 わたしは膝をたゝきました。こゝでひとつ、をぢさんに綱わたりのげいをみせてやらうといふ気になりました。足のうらにつばきをつけ、気をおちつけて、そのふかい淵の上のロープを、立つたまゝみごとにすべりおりてやりました。

 ガルーダはわたしの身体をだきとつて、大きく笑ひだしました。

「なるほど、お前は手品使をやつてゐたんだね。すてきだ。そんなげいがあるなら、ついでに、船の荷物をとりださうぢやないか。」

 そこの崖の上から船へ、こんどは向うへひくゝ、もう一本ロープをはりわたし、綱わたりをして、船の荷物をとりださうといふのです。考へてみると、それは命がけのことでした。岩のあひだは波があれてるふかい淵です。ロープをとりに泳ぎわたるガルーダも命がけですが、その上を綱わたりするわたしも命がけです。船は波にもまれてぐらぐらしてゐて、いつ沈むかも知れません。それでも、わたしたちは二人とものんきでした。やつてみようといふことになりました。

 ガルーダは船へロープをとりに、泳いでいきました。わたしは岸にたつて、そのかへりをまちました。

 やがて、しゆつとわたしの顔をかすめてとんだものがあります。みると、一本のおほきな弓の矢で、海のなかにおちました。ふりかへると、そのとたんに、また一本の矢がとんできました。身をかはすひまもなく、わたしはその矢を手でつかみました。次の矢も手でつかみました。

 これも、手品使をやつてた時のげいたうです。相手がはつしと刃物をなげつけるのを、ちうに、手でその柄をつかんで受けとめるのです。弓の矢などは、刃物よりらくです。矢は向うの木の蔭から次々にとんできました。わたしはおもしろくなつて、その矢をみな手でつかんで受けとめました。

 十本ばかりの矢をうけとめて、あとをまつてゐると、いつのまにかガルーダが泳ぎもどつてきて、大きく笑ひました。

「えらいぞ。それも手品使のげいたうかね。」

 それから彼は笑ひをやめて、裸のまゝつつ立つて、大きな岩をもちあげ、向うの木の蔭のはうをにらんでどなりました。

「だれだ、手向ひする奴は、たゝきつぶすぞ。」

 どなると同時に、岩をぶーんと投げつけました。たいへんな力でした。そして彼はまたほかの岩をふりあげました。

 その時、腰にきれをまきつけただけの男たちが四五人、両手をたかくさしあげて木の蔭からはしり出てきて、そこの砂の上にひざまづきました。話をきいてみると、彼等は黒い船からおりてきたわたしたちを海賊だと思つて、手向ひしたのだが、弓の矢は手づかみにされるし、大きな岩を投げつけられるし、とてもかなはないから降参するといふんです。

 そこで、船はもと海賊船だが、わたしたちは海賊ではないといひきかせ、なほ、船から荷物をとりだす手伝をさせました。水にぬれてもいゝものは、彼等が泳ぎながらはこんでくれました。わたしは、崖の上から張りわたされたロープをつたつて船にゆき、荷物をもつてロープの綱わたりをしてもどつてきました。命がけの仕事でしたが、みんなからびつくりしてみられるので、ひどくとくいでした。

 わたしのだいじな書物とカバン、いろんな武器、船にのこつてる金銀の宝物、みなとりだされました。

 ガルーダは着物をきて手槍をもち、わたしは薬草の書物をかゝへ、ほかの荷物は人々にかつがして、森の向うの村へやつていきました。村といつても、小さな島のことで、土人の家が十軒ばかりならんでるだけです。わたしたちはそこでしんせつにもてなされて、その時から島のお客になりました。

 さうして、わたしたちは助かりましたが、土人たちからみると、まだほんとに助かつたのではなかつたのです。おもしろいことがおこりました。

     

「そのお話はまたこの次にして、まづ飴でもおたべなさい。」

 スミトラ爺さんはさういつて、白い飴をたべさせてくれるのでした。


魔の洞穴の話

 わたしたちが流れついたのは、アラビヤの東南の小さな島で、まはり十五キロぐらゐしかなく、土人の家が十軒ばかりあるきりで、近海をまはる船が月に一度ほどたちよるのでした。

 土人の家でゆつくりやすんで、翌朝、わたしたちは船を見にいきました。ところが、へさきから岸にはりわたした二本のロープがあるきりで、いかめしい黒い船は波にさらはれてしづんでゐました。

 ガルーダをぢさんは、ひどく悲しさうな顔をしました。あのまゝにしておくのはをしいから、たとひこはしてでも、引上げたいといひました。わたしもさう思ひました。そして土人たちのところへいつて、相談してみました。

 土人たちは、わたしたちの話をきいて、へんな顔をしました。なほむりにたのむと、彼等はいひました。

「まあ、七日のあひだお待ちなさい。七日たゝなければ、命が助かつたのかどうか分りません。」

 をぢさんとわたしは顔をみあはせました。こんなわけの分らないことはありません。かうして命が助かつてるのに、七日たゝなければほんとに助かつたかどうか分らないなんて、めちやな話です。けれど、そのわけをいくらきいても、土人たちは話してくれませんでした。ガルーダがいくら鬼のやうな力をもつてゐても、わたしがいくら魔法のわざを知つてゐても、このことばかりはどうにもならないと、気の毒さうにいふだけです。

 わたしたちは仕方なく、七日のあひだ待つことにしました。土人たちはしんせつで、わたしたちをどうしようといふ気もないことは明らかです。それに、七日たつたら分ることです。

 土人たちはいろんな貝がらで細工物などをこさへてゐましたが、みな下手なものでしたから、ガルーダはいろいろ面白い細工のしかたを教へてやりました。その間わたしは、島のなかを歩きまはるのがたのしみでした。海岸にはバナナやヤシの木がしげつて、うつくしい実をつけてゐますし、山のはうの森のなかや野のなかには、いろんなめづらしい草があつて、薬草もたくさんまじつてゐました。果物をとつてたべたり、薬草をしらべたりしてゐると、時のたつのも分りませんでした。

 それでも、二日、三日と……日がたつのが気になりました。五日六日となると、わたしたちが世話になつてる家の人たちをはじめ、土人たちみんな、うれしさうな風をしてわたしたちのやうすを見てゐます。

 たうとう七日たちました。その日の朝、土人たちはみんな集つて、さあ行け行けといつて、わたしたちを連れだしました。いつもより美しいきれを肩から身体へまきつけ、頭に鳥の羽をさし、弓と矢といろんな楽器をもち、後についてくる女や子供たちは、花のさいた木の枝をうちふつてゐます。まるでお祭みたいです。何をきいてもみんなたゞうれしさうに笑つてゐます。わたしたちはわけが分らず、いはれるまゝについて行きました。

 海岸をとほつて、岬をまはつて、けはしいがけ道をつたつて、岩だらけのところに出ました。そこに、大きな洞穴があつて、穴のなかには、美しい砂がしかれてゐました。

 わたしたち二人は、その洞穴のなかに坐らせられました。土人たちはまはりをとりかこみました。殺されるのぢやないか……といふ考へが、ちらと頭にうかびましたので、ガルーダをぢさんの方をみると、彼もすこしうたがつてるとみえて、鋭い目つきをしてこぶしをにぎりしめてゐます。いざといへば、なぐりたふすつもりらしいんです。その力づよいやうすをみて、わたしはほつと息をつきました。

 その時、頭に鳥の羽の冠みたいなものをかぶつてる年とつた土人が、おそろしく大きな声で、洞穴の奥にむかつて叫びました。

「天の神さまは、この二人の命をお助け下すつた。海の魔物よ、もうお前の力も及ばないのだ。さがれ、海の底へかへれ。」

 そして彼はくるりと向きなほつて、わたしたち二人の頭の上に両手をさしだしました。

 すると、にはかに、太鼓と笛とが鳴らされ、それと同時に、まはりの人たちは、踊りながらぐるぐるまはりはじめました。女も子供もいつしよになつて、太鼓と笛の音につれて、踊りまはりました。

 それがしばらくつゞいて、わたしたちはやうやく立上ることを許されました。

「これで式がすみました。」

 羽の冠をかぶつてる老人が、さういつてわたしたちに笑ひかけました。それからわけを話してくれました。

 海であらしにあつたりした者は、海の魔物にみいられたのださうです。それで、たとひ島にながれついても、七日のあひだは命があるかどうか分らない。七日たてば、もうほんとに助かつたことになる。そこでこの洞穴のなかで、魔物はらひの式をするのだといふのです。

 それから彼はつけ加へて、この洞穴には今後けつしてはいつてはいけない、と注意しました。奥ふかくて先がしれないが、そこに海の魔物がすんでるといふのです。これまで、中にはいつた者は二度ともどつて来たことがない。決してはいつてはならないさうです。すかしてみると、洞穴のおくに、また大きな穴がありまして、まつくらでしいんとしてゐます。そして木の格子でふさいであります。けれど、わたしたちは洞穴のおくをうかゞつてるひまもありませんでした。老人がわけを話してくれた後で、土人たちはいちどによつてきて、おめでたいとお祝をいひながら、わたしたちを胴あげして、そのまゝ村へかついでいきました。

 村では一日中、お祝のさかもりをしました。

 そして翌日から、約束どほり、黒船の引上がはじまりました。深い淵にしづんでるので、そのまゝ引上げることは出来ませんけど、潮がひくのをみはからつて、海にもぐつたりして、ばらばらにこはして引上げるのでした。さうして船が引上げられてるうちに、わたしたち二人は、あの魔の洞穴のことが気になつて、こつそり探検してやらうと相談したのです。そしてすばらしい発見をしました。

     

「何を発見したかはこの次にして、まあ飴でもたべませう。」

 スミトラ爺さんはさういつて、飴をとりだしてくれるのでした。


黒船堂の話

 ガルーダをぢさんとわたしは、魔の洞穴の探検をおもひたち、土人たちが黒船の引上げにかゝつてるすきに、こつそりでかけました。

 洞穴のなかはひつそりしてゐて、きれいな砂がしいてあり、おくのくらい穴の口には、木の格子がはめてありました。耳をかたむけてきくと、まつくらなおくの方から、なにかしらぼんやりしたひゞきが、かすかにするきりでした。

 海の魔物なんてものはゐるはずがないと、わたしたちは信じてゐました。それでも用心のために、腰に短刀をさし、足ごしらへも充分にして、木の格子をはづして中にはいつていきました。

 穴は、ひと一人がかゞんで、やうやく通れるくらゐの大きさでした。わたしは身がるだといふので、さきにたつて、らふそくに火をつけて、しづかに進んでいきました。をぢさんはふとい棒をもつてあとからついてきました。らふそくの光が、穴のなかをきみわるくてらしました。をぢさんはいひました。

「らふそくをさしだしていくんだよ。もし火がきえかゝつたら、わるいガスがあるんだから、用心しなけりやいけない。」

 せまい穴は少しのぼりかげんになつて、どこまでもつゞいてるやうでした。するうちに、こんどは急にくだり坂になつて、さきの方から、かすかな明るみがさしてきました。

「明るくなつてきましたよ。出口があるのかも知れません。」

 ごーつといふ波音らしいものまできこえてきました。わたしたちは元気をだして、すこし足をはやめました。するうちに、ふいに、ひどい坂になつて、苔がはえてゐて、足のふまへどころがなく、こまつたと思つてるうちに、つるつるとすべつて、どうするひまもなく、ひくい底へおつこつてしまひました。

 ひどく体をぶつつけて、いきをつめてこらへてゐると、そばで、うーむとうなる声がします。みると、ガルーダをぢさんがやはりおつこつて、気をうしなつてゐるんです。わたしは自分のいたみもわすれて、をぢさんをかいはうしました。をぢさんはぢきに正気づきました。

 そこで、はじめて安心して、あたりを見まはしますと、わたしたちは二人とも、びつくりして、口もきけませんでした。

 その時のきもちは、とても言葉ではいひきれません。わたしたちがおつこつたところは、ひろい大きな洞穴でして、一方の岩にところどころ小さなすきまがあり、外は海になつてるとみえて、波がうちつけてゐて、そこから光もさしてゐます。そのいくすぢもの光が洞穴のなかで、ぼーつと青みをおびた明るみになつてゐます。その明るみにてらされて、洞穴のあちらこちらに白や赤や紫や青など美しい色に光つてるものがあります。それがみな宝石で、水晶や瑪瑙や碧玉などがいつぱいついてるのです。そして洞穴の水ぎはにはいろんな美しい貝がらがうづたかくつもつてゐます。まるで龍宮のやうな美しさです。

 ところが、その美しい洞穴の天井に、まつ黒なものがいくつもうごめいてゐます。よく見ると、おそろしい大きな蝙蝠かうもりで、いまにもわたしたちにおそひかゝつてきさうです。そして洞穴のかたすみには、人間の白い骨が、ばらばらになつてちらかつてゐます。きつと蝙蝠にくはれたのでせう。

 大きなひろい洞穴ですが、わたしたちがおちこんできた穴よりほかには、どこにも出口がありません。光のさしてくる岩のすきまから、外の波音がどどーつとつたはるので、なほいつそうおそろしく思はれます。

 洞穴のなかをひととほりしらべてみて、わたしたちは顔をみあはせました。美しい宝石や貝がら、おそろしい蝙蝠、きみのわるい人間の骨……。とにかく、外に出なければなりません。ところが、すべりおちたほどのところで、とてもはひあがれさうもありません。

「手品使をやつてたときのげいたうで、こゝをはひあがれないかね。」

 ガルーダをぢさんはさういひますが、わたしにはできさうもありませんでした。するうちに、ふと、よいことを考へつきました。

「やつてみませう。」

 穴の入口のちかくに、つきでた岩が一つありました。わたしはをぢさんの帯と自分の帯とをつなぎ合はせて、それで綱をつくつて、つきでた岩かどにむすびつけ、それをぶらんこにして、穴の入口にとびあがるつもりでした。まつたくこんどこそ命がけでしたが、蝙蝠にくはれて死ぬよりはましだと思ひました。

「大丈夫かね。」

とおぢさんはいひました。

「なあに、やつてみます。」

 綱のはしにつかまつて、走りながらいきほひをつけて、手品使のときのげいたうで、両手と足との力ではねあがつてとびますと、いつしよけんめいはおそろしいもので、穴の入口にとびのることができました。

 たすかつたのです。さうなるともうわけはありません。穴のなかの岩に綱をむすびつけると、ガルーダをぢさんもそれにつかまつてあがつてきました。そしてまつくらな長い穴をとほりぬけて、外に出ることができました。

 二人ともあちこちにけがをしてゐました。土人たちには、崖からすべりおちたんだとごまかしておいて、魔の洞穴のことはまだかくしておきました。

 そして、五六日たつて、けがもすつかりなほり、黒船もばらばらにこはされながら海から引上げられました時、わたしたちははじめて、魔の洞穴のことを土人たちに話してきかせました。

「黒船を海から引上げてしまつたので、海の魔物もびつくりして、あの洞穴からにげてしまつたのだ。」

 そんなふうにわたしたちは話してきかせました。土人たちはなかなかほんたうにはしませんでしたが、たうとう、らふそくや繩ばしごをよういして、穴のおくの洞穴を見にきた時、彼等のおどろきとよろこびとはたいへんなものでした。

 それから黒船の材木で倉をたてて、そこに、洞穴からとりだした美しい宝石や貝がらをしまひました。その倉は島ぜんたいのものにして、黒船堂とよばれました。

 ガルーダをぢさんは、宝石や貝がらの細工を土人たちにをしへ、わたしは、土人たちが病気をしたりけがをしたりすると薬をこさへてやり、二人とも島のだいじなひととなり、いつしか、島の王さまみたいになりました。そしてりつぱな家が一つたてられて、二人でそこにすむことになりました。

     

「それから、思ひがけないことがおこつて、いろんなめにあひ、しまひにはかうした飴うりになりましたが、あまり長くなりますから、お話はこれくらゐにして、まあ、飴でもたべなさい。」

 スミトラ爺さんはさういつて、うまい白飴をたべさしてくれるのでした。

底本:「日本児童文学大系 第十六巻」ほるぷ出版

   1977(昭和52)年1120日初刷発行

底本の親本:「ハボンスの手品」桜井書店

   1941(昭和16)年11

初出:「幼年倶楽部」講談社

   1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年2

入力:菅野朋子

校正:門田裕志

2012年57日作成

2012年1219日修正

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