木曾の一平
豊島与志雄
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むかし、木曾の山里に、一助といふ年とつたきこりがゐました。
一助のところに、一平といふ若者がゐました。一助の孫で、両親に早く死なれて、一助のてつだひをしてをりました。
一助と一平とは、いつも仲よく、山へ薪をとりに出かけ、その薪を町へ売りに出かけました。
ところが、ときどき、一助はへんなことをいひだしました。
「わしは、どうしても、手づかみでとつた大きな鯉が、たべたくなつた。幾日かかつてもよいから、大きな鯉を、手づかみでとつてきてはくれまいか。」
一平は答へました。
「はい、とつてきませう。」
一平は、お祖父さんの一助に、たいへん孝行です。
一平は川へ出かけて行きました。
ところが、大きな鯉を手づかみでとることは、なかなかよういではありません。川の中を歩きまはり、深いところは泳いだり水にもぐつたりして、大きな鯉をさがしました。そして見つかると、手でつかまへようとしますが、鯉はするりと逃げてしまひます。
一平は、毎日毎日、川へ出かけて行きました。
たうとう、ある日、大きな鯉を、手づかみでとることができました。
一助は山から帰つて来て、一平の肩をたたいてほめました。
「えらい、えらい。こんな鯉を手づかみにするとは、日本一の若者だ。」
一助はその鯉を料理して、一平といつしよにたべました。
一平はまた毎日、一助について、山へ薪をとりに出かけました。
ところが、あるとき、一助はまたいひだしました。
「わしは、どうしても、手づかみでとつた兎が、たべたくなつた。幾日かかつてもよいから、兎を一匹、手づかみでとつてきてはくれまいか。」
一平は答へました。
「はい、とつてきませう。」
そして一平は、野や山へ、兎をさがしに出かけて行きました。
ところが、兎を手づかみでつかまへるのは、鯉をつかまへるより、いつそうむづかしいことでした。せつかく兎を見つけても、兎はす早く逃げてしまひ、隠れてしまひますので、どうにもしやうがありません。
それでも一平は、毎日毎日、野や山へ出かけて行き、兎を見つけては追つかけました。ころんだり、崖からおちたりして、怪我をすることもありました。
たうとう、ある日、兎を一匹、手でとらへることができました。
一助は、一平の肩をたたいてほめました。
「えらい、えらい。兎を手づかみでとらへるとは、日本一の若者だ。」
そんなことが、たびたびありまして、一平はもう、すぐれた若者となりました。きこりをしてゐますから力が強いうへに、水にもぐつたり泳いだりすることもじやうずだし、木に登ることもじやうずだし、山坂をかけまはることもじやうずでした。
その一平をつれて、一助は、山へ薪をとりに出かけながら、うれしさうに話しかけました。
「お前はもう、日本一のりつぱな若者だ。だが、山奥で、大きな熊に出あつたら、どうするかね。」
一平はすぐに答へました。
「熊なんかにまけはしません。くみうちをして、なぐり殺してやります。」
一助は笑つていひました。
「それはいかん。もしも熊の方が強かつたら、お前はただむだ死にするだけだ。熊といふものは、とびかかつて来る時、後足で立ちあがるから、そのすきをねらつて、なんとか工夫をしなければいけない。考へておきなさい。」
一平は考へこみました。
しばらくすると、一助はまたいひました。
「お前はもう、日本一のりつぱな若者だ。だが、山奥で、大きな大蛇に出あつたら、どうするかね。」
一平はすぐに答へました。
「大蛇なんかにまけはしません。頭を叩きつぶしてやります。」
一助は笑つていひました。
「それはいかん。もしも大蛇の方が強かつたら、お前はただむだ死にするだけだ。大蛇といふものは、おそひかかつて来る時、しつぽにいちばん力をこめるから、そのすきをねらつて、なんとか工夫をしなければいけない。考へておきなさい。」
一平は考へこみました。
しばらくすると、一助はまたいひました。
「お前はもう日本一のりつぱな若者だ。だが、山奥で、もし鬼に出あつたら、どうするかね。」
一平はすぐに答へました。
「鬼なんか恐ろしくありません。大きな声でどなりつけてやつて、それでもまだむかつて来るやうだつたら、頭の角をつかまへてねぢふせてやります。」
一助は笑つていひました。
「それはいかん。もしも鬼の方が強かつたら、お前はただむだ死にするだけだ。鬼といふものは、頭の角のむいてる方にはすきがなく、そのほかの方はすきだらけだから、そこをなんとか工夫しなければいけない。考へておきなさい。」
一平は考へこみました。
一助はいひました。
「わしは若いころ、軍団の兵士になつてゐて、賊をたいぢしたこともあり、熊や鬼に出あつたこともあるが、怪我ひとつしなかつた。どんな危いばあひも、工夫してきりぬけて来た。人間は、力が強いばかりではいけない。智慧もなければいけないよ。考へておきなさい。」
「はい。」と一平は深くうなづきました。
さういふふうに、一平を育てあげてゐた一助ですが、その一助が、ある日、たいへんなめにあひました。
薪をせおつて、山から戻つて来ます時、里の方で、人人のたち騒ぐ声がしました。その時、一助は一人きりで、一平は家で薪わりをしてゐました。
一助は人人のたち騒ぐ声をぼんやりききながら、山をおりて来ますと、むかうに、人人の逃げ走つてゐるさまが見えてきました。
すると、とつぜん、大きな猪があらはれて、こちらへかけて来ました。
大きな猪は、なにか傷をうけ、猛りくるつて、すさまじい勢ひでかけて来ます。頭をさげ、牙をむき出し、目を光らして、突進して来るのです。
畠の中の一本道です。一助は猪をよけて畠の中に逃げようとしましたが、重い薪をせおつてゐるものですから、ちよつとぐづつきました。そのまに、もう猪は、一本の道を、まつしぐらにかけて来ます。すぐ目の前になりました。
とつさに、一助は、道の上にばつたり伏せました。猪の牙は、一助のせなかの薪のたばにつつこみました。
猪は、頭をひと振りしましたが、その勢ひで、ぐるりと向きがかはつて、こんどは里の方へかけだしました。牙は薪のたばにつつこんだままです。薪のたばは丈夫な繩でゆはへてあり、それがまたせおひ木にしばりつけてあり、せおひ木は、一助の肩から腰へむすびつけてあります。
猪はなほ猛りたつて、かけだします。牙には、重い薪のたばと、その下に一助が、ひつかかつてゐます。
その猪のゆくてに、一人の若者が立ちはだかりました。一平です。
一平はす早く着物をぬぎ、それを両手にひろげて、まつぱだかです。
猪は突進しました。とたんに、一平はちよつと身をよけて、着物をぱつと猪の頭にかぶせました。と同時に、もう、一平は猪にとびのつて、着物で猪の頭を包みながら、しつかと抱きついてゐます。
猪はたちどまりました。牙には重い荷をひつかけたまま、とつぜん頭を包まれて、まつ暗になつたので、びつくりしたのです。
一平は猪の頸をしめつけました。里の人たちもかけつけて来ました。鎌や斧で、たうとう猪をたいぢしました。
一助はほとんど気を失つてゐましたが、たいした怪我もなく、ぶじに助かりました。
一平のはたらきは、里の人人の評判になりました。ことに、あのばあひ、猪の頭に着物をかぶせた考へに、人人は感心しました。
そのことが、土地の役人の耳にはいり、やがて、一助と一平とは呼び出されて、一平はご褒美を貰ひました。
その時、一助は役人に願ひました。
「この一平は、力もあり智慧もあるりつぱな男に育ちました。どうか、軍団の兵士にとりたててください。そして、ものの役にたつ者といふお見込みがつきましたならば、どうか、衛士となして、都へつかはしてください。都には今、いろいろ悪者がはびこつて、天子さまにも、み心をいためてゐられまするとか、うはさにききました。一平を衛士として、都を護らしてください。これが私のお願ひでございます。」
それをきいて、役人は感心して、ううむとうなりました。
一平はうなだれて、涙にくれました。一助がいろいろなことにかこつけて、一平を強くすばしこい者に育てあげ、なほ、事にあたつて賢い考へを持つやうに育てあげたことが、いま一平にもはつきりとわかつたのです。
それからまもなく、一平はまだ年が若いにもかかはらず、軍団の兵士にとりたてられ、やがて衛士となつて京都へのぼりました。
一平は京都でいろいろ手柄をたてました。のちには、衛門府の役人にしゆつせしました。そして一助も一平といつしよに住み、安楽な一生をすごしたさうであります。
底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版
1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本の親本:「先生の心・長彦と丸彦」新潮社
1942(昭和17)年12月
初出:「幼年倶楽部」講談社
1942(昭和17)年9月
入力:菅野朋子
校正:門田裕志
2012年1月3日作成
2012年12月19日修正
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